実演鑑賞
満足度★★★
桜の園は日本の新劇にとっては大当たりの狂言で太平洋戦争が終わったその年の末に、焼け跡に一軒残った帝劇で、復興大合同公演をやった時も、観客は着の身着のまま駆けつけて満員だったというから、日本はやはり桜が国花である。
以来、桜の園は、俳優座の東山千栄子を筆頭に、民芸も、文学座もやっているが、杉村春子でやった文学座は、あまりうまくいかず(たしかにパサパサでつまらなかった)、一回限りでやめてしまった。四季もやっていて、これはなかなか洒落た作りの日生劇場だったが(シェルバン演出)これはどういうわけか、結構評判も良かったのに再演していない。コロナの初めのころ、KERAがコクーンでやるというので切符も買って大いに楽しみにしていたら、ゲネプロまでやったのに流れてしまい、大いに残念だった。
さて、パルコの桜の園、イギリス人の演出で今までに見たことのない桜の園であることは間違いないが、これからは桜の園もこうなるかと思うと、さびしい。まぁこっちは死んでしまうからまぁいいか。
今までの桜の園になかったこと。
一つ。まるでロシアの感じがしない。封建領主性が崩れ、初期資本主義社会に移る19世紀末を舞台にしているが、時代も場所も抜きで、不労所得で食ってきた大地主一家が、領内の濃度上がりの小金持ちに買収されて追い出される、ということだけに絞っている。
二つ。原田美枝子はうまい上にどこか不思議な空白があって面白い俳優だ。年齢もそろそろ戯曲に書かれたラネーフスカヤ夫人の年齢に近くなったからキャスティングしたのだろうが、演出がとにかく若作りの方向にもっていく。原田も元気がいいから今までの桜の園とは全然違うことになってしまう。時代の波に飲まれて滅びていくものの哀れさは望むべくもない・
三つ。かといって、それほど戯曲をいじっているわけではなく、主なエピソードはほとんど落としていないだろう。でも、これでは、庭にお母様の亡霊が歩いているのを見たりするわけがない。有名な時代が崩壊する音が聞こえてくるくだりもあることはあるが音は聞かせない。ロパーヒンがせり落としたと意気揚々の帰ってくるところも、まるで、現代のクリスマスパーティのような大騒ぎでここだけはさすがに白けた。
で、私の総評は、へんな桜の園だった、ということになるが、落ち着いて考えれば、それは年寄りの感想で、これからは、現代のコメディという柱を立てて、こういう演出になっていくだろうとは想像できる。芝居は生ものだからそういうことになる。
客の入りは伝説通り、ウイークデーの夜なのに満席だった。