桜の園 公演情報 桜の園」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-6件 / 6件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    チェーホフが好きだったヴォ―ドビルを意識した、笑える「桜の園」で、私は大満足。30年近く前によく見た、原作を奉った退屈な「静かな」自然主義チェーホフより数段面白い。しかも、ラネーフスカヤ(原田美枝子)とガーエフ(松尾貴史)の無為で無気力な妹兄のだめぶりと、新しい時代に載ってどんどん事業を広げていく元農奴のロパーヒン(八嶋智人)の対比は、いろいろな形でくっきり見えた。また「万年大学生」(今回この定型表現はないが)のトロリューモフの「僕たちの関係は愛を超越している」云々の歯の浮くようなセリフ、言葉だけの理想主義の薄っぺらさもよくわかる。

    ヴォ―ドビルの要素は、エピホードフ(前原滉)のどじぶり(「世界で最も運の悪い男」といって、「22の不幸せ」の定番表現はこれまたない)、シャルロッタの完全に場違いなことばかりやるすっとびぶり(アーニャの家庭教師らしいところ何処にもない)、自分の金策のことばかり考えてるピーシチク(市川しんぺー)などに見事に割り振られている。ガーエフが演説を始めるところはマイクを持たせて演説ぶりを戯画化するなど。第2幕の屋外の日光浴の場面の頓珍漢ぶりはコミカルで、第3幕のパーティーの乱痴気ぶりもスピーディー活気があってよかった。

    開幕とともに、コンクリ製の大きな壁が持ち上がって、記憶のふたが開く。芝居の間は、ずっと「頭の上に落ちてきそうな家」のようにコンクリの壁が頭上にのしかかり、幕を下ろすとともに、再び壁が下りてきて記憶のふたを閉じる。簡素な舞台装置と、現代に近い服装の抽象度の高い舞台が、戯曲の骨格を一層くっきりわかりやすくした。先に触れた定番表現を使わないことも含め(これらは英訳にはあるのだが)、さまざまな先入観と古い滓に埋もれてきた「桜の園」を新鮮によみがえらせた舞台だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    コメディ色が強かったが、桜の園で描かれた時代性がぼやけてしまった。儚さを中心に必ずしも組み立てる必要はないものの、戯曲の主な要素とつながらなさがあるのは抵抗を感じた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    人生初(多分、おそらく、きっと。忘れっぽい性格ゆえ断言できないですが)の「桜の園」がこれで良かったんだろうかと思ってしまった。チェーホフは暗い長い登場人物の名前が覚えきれないなどの理由であまり見てないのでしたが、喜劇ということで見てみようかと思ったのでした。喜劇・・・ですかね?
    真っ当な、いえ、普通の「桜の園」を見ておけば良かったです。
    変わった演出が色々ありましたが、舞台上に切れそうなロープ(演出です)で吊るされているコンクリートの壁のようなものは怖かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    桜の園は日本の新劇にとっては大当たりの狂言で太平洋戦争が終わったその年の末に、焼け跡に一軒残った帝劇で、復興大合同公演をやった時も、観客は着の身着のまま駆けつけて満員だったというから、日本はやはり桜が国花である。
    以来、桜の園は、俳優座の東山千栄子を筆頭に、民芸も、文学座もやっているが、杉村春子でやった文学座は、あまりうまくいかず(たしかにパサパサでつまらなかった)、一回限りでやめてしまった。四季もやっていて、これはなかなか洒落た作りの日生劇場だったが(シェルバン演出)これはどういうわけか、結構評判も良かったのに再演していない。コロナの初めのころ、KERAがコクーンでやるというので切符も買って大いに楽しみにしていたら、ゲネプロまでやったのに流れてしまい、大いに残念だった。
    さて、パルコの桜の園、イギリス人の演出で今までに見たことのない桜の園であることは間違いないが、これからは桜の園もこうなるかと思うと、さびしい。まぁこっちは死んでしまうからまぁいいか。
    今までの桜の園になかったこと。
    一つ。まるでロシアの感じがしない。封建領主性が崩れ、初期資本主義社会に移る19世紀末を舞台にしているが、時代も場所も抜きで、不労所得で食ってきた大地主一家が、領内の濃度上がりの小金持ちに買収されて追い出される、ということだけに絞っている。
    二つ。原田美枝子はうまい上にどこか不思議な空白があって面白い俳優だ。年齢もそろそろ戯曲に書かれたラネーフスカヤ夫人の年齢に近くなったからキャスティングしたのだろうが、演出がとにかく若作りの方向にもっていく。原田も元気がいいから今までの桜の園とは全然違うことになってしまう。時代の波に飲まれて滅びていくものの哀れさは望むべくもない・
    三つ。かといって、それほど戯曲をいじっているわけではなく、主なエピソードはほとんど落としていないだろう。でも、これでは、庭にお母様の亡霊が歩いているのを見たりするわけがない。有名な時代が崩壊する音が聞こえてくるくだりもあることはあるが音は聞かせない。ロパーヒンがせり落としたと意気揚々の帰ってくるところも、まるで、現代のクリスマスパーティのような大騒ぎでここだけはさすがに白けた。
    で、私の総評は、へんな桜の園だった、ということになるが、落ち着いて考えれば、それは年寄りの感想で、これからは、現代のコメディという柱を立てて、こういう演出になっていくだろうとは想像できる。芝居は生ものだからそういうことになる。
    客の入りは伝説通り、ウイークデーの夜なのに満席だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    原田美枝子さんは生で観れるだけで有り難い存在。八嶋智人(やしまのりと)氏は今作の主人公でもある。松尾貴史氏は凄い存在感。成河氏は足が速い。川島海荷さんだとはなかなか気付かなかった。世界一不幸な駄目男、前原滉(こう)氏。村井國夫氏は久保酎吉テイスト。竪山隼太氏はカッコイイ。安藤玉恵さんは味がある。川上友里さんは好き放題。チェーンソー片手の不穏な永島敬三氏。中上サツキさんの役がよく分からなかった。

    ネタバレBOX

    第二幕、天野はなさんがメイド服姿でトランスでノリノリに踊る。そこが今作一番の見せ場。市川しんぺー氏は「8.6秒バズーカー」のはまやねんのコスプレに見えた。
    終わり方を見付けられぬままずるずるずるずるエピローグが続いていくよくあるあの感じ。自分にとっては喜劇でも悲劇でもなく、ただの失敗作。外人を有難がるのはもうやめにしよう。
    ガチガチに日本映画の本流で滅びゆく者達の侘び寂びにこだわったほうがいい。徹底してうんざりした悲劇が過ぎて、どこか笑えてくるような喜劇が望ましい。

    これが古典のリライトではなく、完全な新作だった場合、訳が分からないホン。誰もが知る古典の現代風解釈という視点だけで成立している。
    原田美枝子さんの役は大竹しのぶさんに見えた。演出家の好み?
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    最初は♪チェーリー、チェリベイビー♪と「シェリー」の替え歌で始まり昭和のおっさんはニヤッとしてしまうが、こういう軽めのコミカルな演出がこの舞台の売りである。最初は「面倒くさいなあ普通に演ってよ」とイラっとしたが、チェーホフが題名に続けた「喜劇」の意味はこういうことなのかと最後には説得されてしまった。嘲笑とか冷笑とかではなく普通の軽めの笑いである。まあそれに本当に何の工夫も施さないと退屈な舞台になりそうだし。他の「桜の園」よりかなり長めの 90分+20分休憩+70分。

    演出のショーン・ホームズさんは昨年「セールスマンの死」を手掛けた方。いろいろ変わった演出が出て来るが半分も意図は分からない。特に最後のあの機械の轟音はいったい何の意味があるのだろう?(追記:意味が分かったのでネタバレへ)そういう個々の不満もあるのだが全体としてはかなり心地良い。そういうわけで3rd callでやや迷いつつも立ってしまった。立ち上がり率は40%くらい。まあ今日はまだプレビューだし、こんなものか。

    ラネーフスカヤ達はどんどん落ちて行き、そのことも分かっているのに何も変えられない、というと最近ずっと日本について言われていることと同じだ。…とボヤキを書こうとしたが救いがないので中止。

    ネタバレBOX

    ・豪邸なのに本棚と椅子がひどい安物だったのは意味が分からない。
    ・舞台の主要部に覆いかぶさるコンクリート製(風)の大きな箱は皆を閉じ込めている古い枠組みを表しているのだろう。全員がそこから抜け出し、最後に残るのは老執事だけ。
    ・最後の爆音チェーンソーの登場は全員(除く老執事)と桜の園(=これまでの人生)とのつながりを断ち切るためなのだと1日経ってようやく分かった。なんと鈍い(汗)ここは原作の「はるか遠くで、まるで天から響いたような物音がする。それは弦(つる)の切れた音で、しだいに悲しげに消えてゆく。」に対応している。

    以下追加の考察:
    手持ちの神西清訳では表題が以下のようになっています。
    ・かもめ ーー喜劇 四幕ーー
    ・ワーニャ伯父さんーー田園生活の情景 四幕ーー
    ・三人姉妹 ーー戯曲 四幕ーー
    ・桜の園 ーー喜劇 四幕ーー
    「かもめ」と「桜の園」が喜劇となっています。「かもめ」は主人公が自死してしまうのでカッコつきの喜劇です。それに対して「桜の園」では誰にも悲劇的な出来事は起こりません。ラネーフスカヤは財産は失いましたがパリにいるおばさんのところで大して違わない生活を送るようです。他の皆さんも新しい生活に期待しています。残された老執事だけは今までの生活を続けることが幸せなので最後の場面は恍惚の中で息を引き取っているようにも見えます。まとめると「いろいろ心配しなくても人生何とかなるものさ」的な喜劇なのです。この戯曲は1904年の作品でロシア革命まではまだ13年の時があります。我々はロシア革命を知っているので、ここですでにラネーフスカヤがとんでもない悲劇にあったように錯覚してしまうのです。

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