
居場所・ドラマの基礎と応用(2プログラム)
中野成樹+フランケンズ
シアター711(東京都)
2026/05/19 (火) ~ 2026/05/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
久々二度目のフランケンズは超短編と中編の組合せ2パターンの公演、Aプログラムに秋元松代の処女作「軽塵」があるのを見て速攻予約した(二、三日前の事。公演後半には完売間に合って良かった)。
1分の戯曲?を募集し(一、二個身内が提供したのも合わせて)約十編の芝居をやるというユニークな試みで、後半は本域芝居の「軽塵」が始まる。素舞台にユニフォーム的な衣裳、見慣れるのに稍々時間を要したが、リーディングとリアル芝居との中間あたりの感覚である。
演劇的「実験」要素のフランケンズへの先入観に比して「普通に演劇」という初観劇での印象は今回も同じく。

ブン/ダン
劇団チャリT企画
新宿シアタートップス(東京都)
2026/05/20 (水) ~ 2026/05/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
何作か観ずにやり過ごしたチャリT企画、そろそろ観ておこうと足を運んだ。ざっと見たら客層が若い。前の列に並んだあちこちピアスな女子組がどんな反応で観劇かも少しく関心。
日本の「まさに今」を、若干近未来の(前口上では「少しだけ違う世界の」)お話の中に展開。AI自警団(ロボット型)が街中に出没する管理強化された社会、にしては日常性の濃いアパート(シェアハウス的な)住人の様子とのギャップがサスペンス性を高めていく効果を生んでいる。
終演後前の席からは「面白かった」「見て良かったでしょう」、周囲から「怖かった」との声が耳に入って来た。この作品への感想としては100点ではないか。時事批評的な内容には納得な観劇。

チョークで描く夢
トム・プロジェクト
シアターX(東京都)
2026/05/20 (水) ~ 2026/05/26 (火)上演中
実演鑑賞
数年前観たTRASHでの初演がとても良く、チラシと出演俳優にも釣られて中々久しぶりにトムプロジェクト公演を観劇した。新劇団の客層以上に高齢化の様子(何故だろう..)だったがそれはともかく、中津留作品の独特さを持ちつつ清新さのある舞台。滝沢女史はトムプロ所属だったのだな。(後日また)

エンドゲーム
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2026/05/15 (金) ~ 2026/05/31 (日)上演中
実演鑑賞
最後、と聞くとつい目か瞠く。小川芸術監督の最終年という事で今期演目はなるたけ観ようと、体力を顧みず不条理劇(忍耐を要する事請け合い)を観に行った。
不条理劇の作家とされるベケットの「ゴドー」は不条理劇とされるがドラマ性が高い(とても抒情的なエンディングへ誘うも可である)。他の作品を見ると劇的仕掛けがアイデア商品のようで(私が知るのは「しあわせな日々」のみ。今回一つ加わった)、盲点であった部分が突如存在を表わす等意表を突く展開が、この時代の実験的演劇にその下地を提供したものであったりする。のであるが、今作も然りで不条理劇の原典そのものは実験的芸術作品がそうである所の晦渋さがある。時代を支配する観念(無意識裏の)に抗う要素により成立した面がそうさせるのだろうが、現在これをどう上演するのかは当然関心の中心である。なお本作は久しく新訳の無かったベケット作品の翻訳戯曲集を出した岡室氏によるテキストとの事だ。
語るべく多くの言葉を持たないが、後日追記。

王女メデイア
SPAC・静岡県舞台芸術センター
駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場(静岡県)
2026/05/02 (土) ~ 2026/05/06 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
駿府城公園での野外公演は祝祭性もいや増してギリシャ悲劇に相応しい。ちょうど5年前の「アンティゴネ」で初訪問。今回は前日予約に失敗し当日券で観たが、どの席で観ても良い感じである。ただ予想外に寒く、自分は念のため持参していた上着と、配られたホッカイロを仕込んだタオルを首に巻いて難を逃れた(この所冷気に敏感な体調だったので助かった)。
宮城總演出と言えばプレイヤーとスピーカーの分離、本作もその形式であったが、冒頭その役の割り振りを男性連が行なう場面があり、丁度ギリシャの市民階級(今で言えば貴族?)の傲慢で下卑た大人像というのを面白おかしく提示。選ばれる側の女人らは黙って男らの我がままに従う接待役、あるいは色町の女の如く、ただし顔に袋を被せ、模写した写真の入った額を両手に持っていて、男らは袋を取って「お~」とか「な~んだ」等と興じる。お下品な場で、密室の享楽を愉しむように「お芝居」に興じる風景をもって芝居へと入って行く(主人公メデイアの読み役は「やはり阿部殿、そなたが・・」と男蓮も譲り、阿部一徳が「いやいやそんな・・そうかな。では」等とその役の席に座る)。この冒頭部分が、ラストで回収されるのである。
メデイアの苦悩は異端者(征服地の異邦人)のそれであり、女性のそれでもある。この象徴性が見事に際立つのが宮城演出なる王女メデイア。久々に出向いた甲斐有り。

優しい劇団の大恋愛 Volume10『夕焼け色のダイダラボッチ』
優しい劇団
吉祥寺シアター(東京都)
2026/05/09 (土) ~ 2026/05/09 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初の劇団。出演陣に佐藤滋氏他の名を見て予約。鑑賞料500円の理由はよく調べもせず当日吉祥寺シアターに入れば、素舞台に照明は床置き式の二台ばかりを左右に据えただけの簡素なもの。音響はバックに音楽が鳴ったり時々無音の二種類のみで、そこに金を掛けていない事が入場と同時に分かる。武蔵野芸術祭の枠ゆえ劇場使用も無料か軽微だろう。
主宰による前口上が終わり、芝居に入ると佐藤氏が登場し、観客に語る。・・出会いへの欲求。記憶から消えてしまっておかしくないような人との再会も一つの「出会い」、でも再会だから「はじめまして」ではなく「おひさしぶり」と言おう・・。かくして二人一組のペアが8組近く、「再会」の場面を演じる。音楽に乗って軽快に、コミカルに、時にほろり、きゅんとさせるような再会場面、を通してその過去にも触れて行く。一回りすると、ワンクッション置いて、もう一度各ペアが登場してその続きを、あるいは回想場面を演じる。「再会場面の点描」に終わるかと思いきや「回収」により群像劇の様相となる。8組程のペアには例えばある女子に学校の先生と勘違いされていた男が実は後輩だった事の告白、非人間だが校舎の端と端にあって惹かれ合っている理科室の人体模型とトイレの花子さんのお話、演劇部の顧問と生徒とリアルな関係だったり様々。これを「今日一日で作った」とは終演後に知った次第で驚いたが、成る程ある程度著名な俳優もこの条件なら一堂に会するも可かも・・アイデアに感心。
という訳で此度も発見の機会となり感謝である。

劇的
ポッキリくれよんズ
浅草九劇(東京都)
2026/05/01 (金) ~ 2026/05/05 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
硬派とは無縁そうな劇団名を旗揚げ時に知ってより数年経って初観劇の前回、そして今回二度目であった。意外と硬派で(良い意味で)調子が狂った前作は映画撮影の現場を舞台に芸術論、演技論を(自らに?)問うた作品だったが、演出的に攻めた印象と、役人物と幾分落差のある俳優の「頑張り」が印象に残った。
今作はある家族の物語(何らかの必然があるのか舞台は長野)とし、日常モードが基調である分、配役等では前作に比して完成度は高いリアリズムの舞台として観られた。こういう劇も作るのかという発見と、家族物を描く工夫としてメタ要素が脚本に織り込まれていてこれが効いていた。ある意味でこの要素が前作に続き芸術論にコミットさせ、人間を描く事への問いを置いて劇を終わらせている。これが取って付けたようでないのは、家族の物語の中に十分に問いが籠められているから、と思う。

さかさまの世界
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2026/05/02 (土) ~ 2026/05/05 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
舞踊系の舞台で充実感のあるのは久々であった気がする。若手ダンサー男女2名ずつの4名が、子ども対象に作る舞台の第二弾(前回は2023年)という。四者四様のキャラと、遊びの数々が子どもたちに「効いてる」のが、反応から判る。KAAT中スタジオの階段座席と前方の桟敷エリア(子どもオンリー)があり、演者は桟敷の間を通ったり階段を行き来したり、冒頭では観客とやり取りをして客からの反応を出やすくして温まった後、舞台上でのパフォーマンスが展開(合間に客の反応を引き出したりもある)。見て美しい・面白いアンサンブルのダンス、ムーブ。大きくなったり小さくなったり動くスポットライトと闘ったり遊んだり捕まえようとしたりしながらソロのパフォーマンス。丸いライトと一対一のやり取りになるので自然とソロになる。少年のようなAokidは随分前に一度見て小気味よいダンスを堪能した記憶があるが、感性が子ども目線。奇妙な間合いだけでクスクス笑いが起きる。歌を得意とする「優」のお間抜けキャラ、もう一人は小柄ではっちゃけたキャラ、川口ロン(名前はよく目にする)は筋肉系で床スレスレの動きをやったと思えば奇声を上げたり表情も豊か。子どもの反応が頗る良い。前のめりで協力的な子も多く、笑いも起きる。警戒心を解いている。
重要なのは大人も観て面白いパフォーマンスである事。最後は4色のペンキをぶちまけたマットにスライディング、塗りあい。あー楽しかった、と遊びの時間を終える。40分の上演だが一緒に遊んだ気になれる時間。何によってこれが「成立」しているのかは、相変わらず気になるのだが、またおいおい考えて行こうと思う。

黒いチューリップ
新宿梁山泊
新宿 花園神社境内 特設紫テント(東京都)
2026/04/25 (土) ~ 2026/05/10 (日)公演終了
実演鑑賞
本演目はタイトルも初めて目にした。蜷川幸雄演出舞台に書き下ろしたという。三幕物であった。唐十郎はつくづく特異な作家だと思う。唐を日本のシェイクスピアとする言い方があるが、何処となく言い得てるのは一人が放つ長台詞が聴く者の目を見開かせ世界を立ち上げる様や、ちりばめたアイテムが最後の最後に回収されて行く様。だが、唐は常に「過去」への目線を書き込む。郷愁をかぎ取るその先に人物は何かを発見する。時にそれは満州国であったり、鶯谷だったり、母の胎内であったり、下谷万年町だったり・・。喪失を書くのは忘れぬため。多くの無名の、消え去った存在たちの生きた証が、己もそうありたいと願うのと同じに、「思い出される」事への切望が、テント幕の向こうに広がる中空に放たれるラスト。そして登場する者たち皆が物理的あるいは精神的に「地を這う」ような者共。今回は小津の映画に出てくるような手打ちのパチンコ台が並ぶ店内が舞台。私的に注目は客演の鴨鈴女、後半忘れた頃に、姉思いのヒロインの偏執(黒いチューリップの培養への)の発生源である奇態の人物像として登場し、見事に奇態なかつどこかチャーミングなオバサンとして台詞をまくし立てる。気持ちが良かった。
終幕に至る畳みかけも美味しいが、唐作品の特異性という事をまた改めて実感し直してもいた。
戯曲を書いた時点で既に「過去」の出来事や風俗を、郷愁をもって描いたそれを、味わい直す営みの中に、私個人は関心がある。過ぎ去って行く過去の、時代の観念は常にとらえ直しを求められ、時間が「経っただけの事はある」無意識レベルの変化の中に、現在における「断定」を拒み得る根拠が眠っている。現在の独断が断行される事への抗いは、表面的な過去(歴史)理解を覆すことの中にしかなかろうとも思う。

8hのメビウス(深化版)
ウンゲツィーファ
北千住BUoY(東京都)
2026/04/15 (水) ~ 2026/04/20 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
栗☆兎ズ時代はユニット名のみ結構見てた気がしたが僅か2,3年の事で、改名後8年も経っていたとは。ウンゲ公演はかなり前、二年前、今回で三つ目(+配信で一つ)だが、今作は本橋氏が主役をやったゆうめい「養生」を思い出させ、現代を映す。金を稼ぐだけのためのバイトの殺伐感が、リアル。個の価値の揺らぎ、内面に横たわる願望と裏腹の暴力・・。ストーリー的にはYouTuberの潜入、エスケイプと躍動があるが観終えて残るのは人物たち一人一人の生きるシビアな「今」と、正解のない多様さの中に匿れていそうな個々にとっての答え(希望)。
役者のポテンシャルは高く、小道具、装置の細工も流々。

ベガスペガサス
やみ・あがりシアター
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2026/04/25 (土) ~ 2026/05/06 (水)公演終了

ずっと洋画みたいだね
ナカゴー
浅草九劇(東京都)
2026/04/23 (木) ~ 2026/04/27 (月)公演終了
実演鑑賞
ナカゴー4年ぶりの公演、と聞いて単純に喜んだ訳ではないが観ずにはおけず。簡単には評せないが結果的には「ナカゴーでしか見れない」役者、「ナカゴーでしか見れない」鎌田オリジナルな場面も織り込んでオマージュたっぷりな公演だった。

ガールズ&ボーイズ
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2026/04/09 (木) ~ 2026/04/26 (日)公演終了
実演鑑賞
何時からか演劇関連情報がネットのブラウザを開けば届くようになり、本作もそれで知った。増岡女史の回を観るつもりでいたのだが、オーディションで勝ち取った増岡の枠は真飛の半数(当初オファーしてた真飛の出番を半分には減らせないだろうと)。
何のかので結局真飛聖バージョンを観劇(もっとも開演直前までは増岡回と勘違いしていたので不意を突かれた。あーそっだったー・・と、些か落胆したのは増岡ファンだからではなく約10年前見ていたので変化を見たい、比較したい欲求のため)。
一方真飛女史の舞台は未見だが宝塚の男役トップの履歴から、ある程度想像の範疇。そしてその通りの立ち方であった。が、その流暢さ、変化への柔軟さ、2時間の耐久時間一瞬のダレもないスタミナには圧倒された。
一人芝居が持つポテンシャルに瞠目。役者を見せる芝居でもあり、文学座増岡氏の残り僅かな機会、やはり観たいとリピートを考えたが断念した。
真飛が本作で描いた女性のキャラと合わないな、と感じたのは序盤だけ、それは主人公が破茶滅茶な十代を送り、故に学歴と言えるものもなく、ただその生活とは自らの気づき、直感でおさらばして「夢」を持とうとした「汚濁から抜け出た」来歴から。彼女は映画業界の端っこの端っこにでも食らいつこうと、受けた面接で持ち前の機転でアピールし合格した、というエピソードは二番目だったか。芝居は数ピースに分かれ、暗転で水分補給の間が設けられるが、冒頭のくだりの最後は偶然出会った夫との馴れ初め。破茶滅茶できる女=そこそこの容姿、地頭の良さを想像させ、そっちの感覚が鋭敏なので結婚も早い・・。最悪の出会いからのギャップに萌え、夫をゲットしたが、ベンチャー的な隙間産業(車両関係の)に成功した彼とは、彼女自身も夢を追い、自立した大人同士の関係に満悦。子育ての苦労もあるが、自分が惚れた相手と夫婦になった、との認識であった。
この前提が、後半瓦解して行く。
話は彼女の忌憚ない糊塗のない具体的なもので、主観的にはどれもが「真実」。子供(上は女、下は男)の性格特徴もえらく具体的で賢母とは言えないが必死に関わる。仕事も頑張る。
作者が想定したキャラは、幼い頃から自由を求めた故の苦労人、手持ちの財産(知的にも金銭的にも)の乏しい身分で二十歳前後、ゼロ(いやマイナス?)から人生を始めた女性、世間的尺度では敗北だがそれを認める前提知識も経験もない故に「楽天的」。だから後になって発見する事になる真実もある。。
真飛女史は前向き楽天性を良く表していた。ただ優等生にも見える。増岡女史はどう見えただろうとやはり想像してしまう。

語り芝居『海神別荘』
ルーサイトシアター
ルーサイトギャラリー(東京都)
2026/04/21 (火) ~ 2026/04/25 (土)公演終了
実演鑑賞
泉鏡花作品 at ルーサイトギャラリー第二弾は前回と同じメンバーで。時折 "koohhh..."と鳴るのが「音効」でなく電車が遠く橋架を渡る音、とだけ脳内処理できればこの場所での芸術鑑賞は他で味わえないものがある。
本作は以前戯曲を読んでいた。耳で聴く読み物としては前の「天守物語」は観客の注意を発語される一語一句に集中させるものがあったが今回の「海神別荘」は一聴して解されない単語が多く(同音異義語の多い日本語の故でもあり)、自分は記憶を頼みに物語を追っていた所がある。初の観客にはどうだったろうか。後でパンフを見れば劇中使われる耳馴染みのない単語の解説が十数語もあった。だが自分も結末の記憶はなく、海の王子の元へ嫁いで来た(人間界から見れば娘を生け贄に捧げた=死んだ)美女と王子との長いやり取りには没入させるものがあり、終わってみれば泉鏡花が描く異界に身を置き、人間その有限なる生物が崇高さをおびる自然界の存在に憧憬し最終的に異界に身を置く決心をする結末に納得させられている。
夜叉ヶ池も天守も異界(自然界のものの化身が棲む)が文明の対極に置かれているのが特徴で、文芸作品としてその背景に改めて関心が。

大市民
東京乾電池 大人のお芝居入門
調布市せんがわ劇場(東京都)
2026/04/09 (木) ~ 2026/04/19 (日)公演終了
実演鑑賞
ワークショップ発表的な公演にしてはきちんと入場料を設定、また川村毅作品との事で怖いもの見たさで鑑賞。
まず冒頭でこれは市民ミュージカル(と確か言った)と登場人物が自虐的居直り(自己規定から始まるのは好きである)、レビュー的な導入で何やら芝居が始まっている。個性的市民を揃えたかのような出演者の風貌、出で立ちに得も言われず擽られ、引き込まれた。
素人振りがむしろ堂に入った役者や、実は古参の乾電池俳優ではないかと訝る面々(実際には1名か2名は居たようだが)。素人力によっては超えられぬ部分もありつつ、歌も入り、ある種の心地良さがあった。奇怪なテーマ曲もナンセンス色に貢献し、不協和音な導入からよく聴けばブルースコードの一応ダンサブルな曲。気合の入った舞台であった。
せんがわ劇場の狭い舞台で終演の暗転、幕とあり、手で引いてると分かる黒幕が今度は開くと集団が固まってのポーズ、拍手でさよならの後、閉じた幕の向こうから(チームの最終舞台でもあったが)お疲れさま頑張ったねワーキャーともろに声が聞こえるのも違和感がなく、完全に「素人の勝利」な出し物となっていた。

HAY FEVER
ThanKyou!
中目黒キンケロ・シアター(東京都)
2026/04/10 (金) ~ 2026/04/15 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初観劇となるノエル・カワード作品を観たさにキンケロシアターを初訪問。カワード作品は二編ほど戯曲を読んだが、凡そ自分の人生と接点が訪れそうもな人物たちの恋愛沙汰や何かを描きながら、皮肉や人生への達観が台詞回しに横溢して申し分無し。
今回の公演は些か年輩の俳優座俳優を中心に組まれた座組。ある種の懐かしさを感じさせるタッチで作品世界を堪能させてもらった。

グッド、バーニング
焚きびび
水性(東京都)
2026/04/03 (金) ~ 2026/04/12 (日)公演終了
実演鑑賞
間を置かずして二度目の水性での観劇体験。一度目が良かったので野放図な期待大状態で観劇。
折込にダンス系の公演チラシが多い。そう言えば黒田育世が振付スタッフにあった、と後で思い出したが、冒頭より身体パフォーマンス的要素は見えず、観劇の最中は普通にお芝居と観ていた。
男女二人が主要人物以外も扮装により演じ分けてロードムービー的に芝居を展開。二人芝居の末尾に、踊りというのか、ムーブ的表現で詩情を歌い上げる場面が据えられていた。作演出の益山氏はロマンチストで、この舞台表現の中に様々な「現代」を散りばめたかったようである。だが同時進行的にはその意図を情感をもって汲み取ることは易しくなく、リアルと幻視の風景の境界、人物の根底にある行動の動機は自分には見えづらかった。
劇構造と物語の全体を飲み下すには、観劇後作品を反芻する事を要する感じだが、敢えてそうしなかったのは自分を重ね得る存在として迫って来なかったからかな。
作演出の益山氏の名は10年以上前より認識。もう遙か昔に思えるが震災を挟んだ数年に亘って池袋で開催されていたF/T tokyoなる演劇フェスティバルで初観劇。2週間近いフェスの間に海外からの招聘作品もあり、国内のも様々な会場や広場で開催され、自分にはこれも多くの演劇活動発見の機会となった一つで、賑やかしい劇団子供鉅人(益山氏主宰)舞台をたまたま観られたのはフェス参加団体だったから。その舞台の記憶はほぼ無いが(というか観た直後さえ何を見たのか反芻が難しかった記憶がある。迫力はあったが)、十余年を経た今作とは、テイストは違うが色んな物を舞台にブチ込む作り方は変わらず、という所。狂気が理性に置き換わっている感じがふとしたような、しないような。

ロスメルスホルム
ハツビロコウ
シアター711(東京都)
2026/03/24 (火) ~ 2026/03/29 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
イプセンを“攻略中”のハツビロコウが今回は知名度のさほど高くない作品を上演..。本作がどう「特異」なイプセン作品かは分からないが、テキレジが既に独自の領域であると、十分に知り尽した位の作品で変奏バージョンを観たい、というのは近作を観た正直な思い。
今回の感想を・・とその前に、途中大きな寝落ちをした事をお断わり(毎度誠に申し訳ない事だが、カーテンコールに初めて見る顔が並んでいたのは初めて)。
ただ話の筋は凡そ掴んだかと思う。
現代に通じる普遍性を作品に見出す試みには大いに共感。100年経ったと思えないイプセン作品の根底に流れるもの、それは彼が著作の大部分を書いた時代に既に形成されていた近代社会の構図だと仮説する。いつの世にも体制とそれを転覆させようとする勢力があるが、イプセンの生きた19世紀後半はフランス5月革命やマルクスの後の時代であり、「社会の根本的な矛盾」と「これを理論的・物理的に解体する」勢力の形成という現代に通じる構図が形作られたものと見える。
本作でも現状を支える構造を覆さんとする改革勢力があり、主人公たちはこれを担う側にある。彼らは「勝利」を手にする事はないが、いつか人と社会が「変わる」風景を見る事への希望が、余韻となる。ノラが最後に去って行く「人形の家」と同形の構図。本作がより複雑なのは、主役に当る男女二人が「リスクを伴うが希望のある」道へ踏み出す予兆で終るものの、作者はこれに恋愛要素を絡め、これを突き詰め追い込んで行く。
改革を望む者(その方途となる理論を知る者)は世の中ではまだほんの一部であり、主人公らの師匠に当るあれほどに期待を寄せられていた老人が、血糊の付いた姿で現われ、敗北の内に去り行く。理においては「既に勝っている」孤高の美学を臭わせるが、これを見た二人のダメージは少なくない。
恋愛要素とは、男の方は影響されやすい優男、実は女性が一枚上手で「運動」のために彼を籠絡、否引き入れたのだが、大真面目な男は、亡くなった妻の話し相手として(妻に乞われて)来るようになった彼女に対し、妻が亡くなる前から愛を感じていたのかも知れない、と認めてしまったりする。
男からの求愛を一度断った女だが、男が旧知の牧師からの説得に折れて(以前のように)現状を支える者となった後、決裂を前に女が男との間の不理解を解消するために、だろうか、「本当のこと」を伝えんと言葉を繰り始める。決して誇れない過去を持つ女(その事も告白する)が男に対する愛を「証明する」必要に迫られた結果、その最も確実な行動は妻が身を投げるに至った橋(その後決して男が渡らなかった庭から伸びる橋)へ行き、橋から身を投げる事だと言う。その申し出で初めて相手の言葉を吟味し始めた男に、「貴方はそれを見てなければならない。あの橋の上で私のその行動をその目でしっかりと見る事」それが女の愛に男の側が答える事だ、と言う。「貴方が私の行動を見届け、私の愛を信じる事が出来たなら、早く私を引き揚げ、二人は結ばれる事になる、だから貴方はあの橋に来なければならない」・・川に落ちる事はほぼ「死」を意味するが、作者は彼女に「その時点から二人が愛で結ばれた生を始める事になる」という希望を語らせている。成る程一掴みにできない深淵なドラマという風格である。

コーカサスの白墨の輪
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2026/03/12 (木) ~ 2026/03/30 (月)公演終了
実演鑑賞
瀬戸山美咲による古典作品の翻案の大きな舞台、と言うとKAATホールでの「オレステスとピュラテス」(2020年/演出=杉原邦生)、以後の瀬戸山氏の活躍は世田谷パブリック「現代戯曲集」や「ペーター・ストックマン」等が記憶にあるが、それ以外では劇作家協会会長に就任したくらいで舞台情報はあまり入ってこなかった。が、海外作品の日本輸入版の演出を結構やっている(商業演劇のチラシは小劇場の公演にはあまり入って来ない)。何時からこういう大御所な立ち位置となったのか、と調べると・・、コットーネ「埒もなく汚れなく」(2016)、ミナモザ「彼らの敵」(2016)、青年劇場「オールライト」(2017)、流山児「わたし、と戦争」(2018)、コットーネ「埒もなく汚れなく(改)」(2019)など作・演出をやる小劇場演劇人の仕事を見ていた所、2017年グローブ座系で「グリーンマイル」をやっていた。以後海外物などの大型舞台を手がけている。その合間に利賀演劇人コンクールにも実力派俳優を引き連れて上演。演出のみの仕事も多く、よく書いてもいる。
そんなこんなで暫く見なかった女史の仕事を久々に見てみたく出かけた、というのもあった。
さて、中々無理がある設定や翻案、そして生演奏の音楽の使い方に、些か難ありを感じてしまったのであった。俳優に関しては小劇場でお馴染みの実力は西尾氏、森尾氏らが脇でよく演じていたので嬉しくはあったが・・いずれじっくり書いてみたい。

天照と倭姫命
人間の条件
高田馬場ラビネスト(東京都)
2026/04/01 (水) ~ 2026/04/07 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ラビネットは過去一度だけの記憶(肋骨蜜柑を観に・・渋い)。さて初観劇の劇団。
私の先入観は、社会的視点〜コンセプトから上演を立ち上げる劇団、というもの(学んだ手法に依拠して、ではなく方法そのものを探るといった創造への関心を・・コロナ期の頃読んだHPの文章か何かで勝手に想像)。
ゆえに、天照(アマテラス)と倭姫命(ヤマトヒメノミコト)と題して何を見せてくれるか、謎掛けがどう解かれるかを見届けるべく、凝視した。
古事記物語だろうか、両脇に三名ずつが座して楽器を鳴らせるエリアを据え(開演時には種々の楽器がおかれている)、幾種類もの打楽器や音階楽器の合奏。そして衣裳、美術、台詞も相まって神話世界を具現していた。
天照を祀るのに相応しい土地を探すよう大君に命じられ、旅に出た倭姫命。奈良、京都、滋賀といった土地土地を訪れ、民と彼らの祀る神に遭遇していく。「相応しい土地」とは何かも分からぬままの放浪。天照は神がかった存在。ナレーションは折節に「20年が経っていた」「30年が・・」と語る。倭姫の顔に年輪が刻まれて行く。
やがて伊勢の地に辿り着くと、実に40年が経っているが、その土地の者と神に歓迎を受け、そこで二人に同道してきた家臣の男とは離れる運命となる。祀られる場所には入れぬからと言う。
冒頭よりそれなりに興味深い物語叙述がしばらく(と言うか最後まで)続くのだが中盤、作り手の視点が如実に(私の感覚としては)海底生物が巨体を海面に現わす如く現れ、愛おしき物語として立ち上がった。
本作では出演者に外国の人が2名(英語と片言日本語を話す女性、クルド語?と片言日本語を話す男性)の参加があるのが特徴的。
神代における「約束の地」への放浪は旧約の民の放浪にどこか似ているが、島国日本=単一民族を定義する以前に、多様なアイデンティティを持つ民、土地を巡り、ある意味「平定した」天照による倭国成立の物語は、多民族の習合の末に為し得たワザと叙述される。天照は土地の神を排除する事なく、寛容を旨とした事など。そこへ来て現代性を帯びる演劇として立ち上がるのを見届け、自分なりの納得を胸に劇場を後にした。ここでしか観られなかった演劇。