
『ガチゲキ!! Part3』
『ガチゲキ!!』実行委員会
座・高円寺1(東京都)
2026/03/06 (金) ~ 2026/03/14 (土)上演中
実演鑑賞
開幕試合の日。シェイクスピアで遊ぶ6劇団約40分の出し物、これを総当たりの試合形式で最終的に勝者を決める、という「おまけ」付。とは言え、終演後の投票も中々面白い。初日は鋼鉄村松sだるめしあん、いずれもコメディ色な団体なので良い勝負で投票も結果発表も気持ちよくやれた。全く傾向が異なる他の4団体も観てみたい。(シェイクスピア、という縛りは普段やらない劇団から何が出てくるか未知。楽しみ。)

葵上
劇団山の手事情社
小劇場B1(東京都)
2026/03/03 (火) ~ 2026/03/08 (日)上演中
予約受付中実演鑑賞
満足度★★★★★
山の手事情社のピリオド公演となった下北沢B1は初の小屋なのだそう。素舞台に腰掛の台三つ程あるのみ。身体表現、衣裳、音、劇団力で構築する耽美と悲痛のドラマ。

土曜日の過ごしかた
ニットキャップシアター
座・高円寺1(東京都)
2026/02/27 (金) ~ 2026/03/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「カレーと村民」からの、本作でニットキャップ3度目となる。一度目は10年前、座高円寺で、パステル色な衣裳で玩具っぽい装置、道具、確か楽器も使っていた。舞台も遊戯的で表現主義(主張より伝え方、風情が主眼)に寄ってて「面白いけど自分が前のめりに観に行く部類じゃないな」と。活動は2000年の少し前からとそれなりの歴史があるが、活動十数年を経た当時のニットキャップは演出が勝っており、芸達者なメンバーも印象的であった。
ところが・・何年か前にアゴラに来たので観た「カレーと村民」ではがっつり戯曲芝居になっていた。しかも日露戦争後、戦後賠償交渉で「戦利金無し」に国民のブーイング(これを既に発達していた新聞メディアが伝えて「世論」なるものが形成されたあの頃だ)が起きたのは有名だが、その背後に家族(若い男)を戦争に取られた多くの遺族の存在があった事に気付かされるといった真正面な社会派。
今作では戦争体制への移行期、京都で短期間民間人の手で発行された「土曜日」を軸に、次第に息苦しくなって行く世相の変遷を描き出す。
若干声量の問題と説明省略な所で追いにくい部分はあったが俳優の力量と今回は演出力を感じさせるものがあり、軍拡路線を国民が望みやがて自身が真綿で締め付けられるに至る時代の押し黙る空気感をうまく描き出していた。

果てしない部屋
神奈川県立青少年センター
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2026/02/20 (金) ~ 2026/02/23 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
笠木氏の作、稲葉賀恵とのタッグ、という事で未知なるものへの不安と期待をもって久々にHIKARIを訪れた。演出・趣向に重きが置かれた企画と思しく笠木氏はこれにテキストを提供した恰好。
取り囲まれた舞台と客席のフラットな関係を錯視させる開演前の様相、役者がステージを出入りする関係者(最初は一般客かと)に話しかけたり、芝居の開始前と後もどことなくフラットで何時の間にか開演後の時間になっている。演奏者二名の演奏エリアの境界も無いが如くでそのエリアで言葉を発したり、エリアを離れたり芝居に噛んだりする。
言葉が歌になり、憂いを帯びる。詩的な造形のせいか抽象画のギャラリーを巡る茫洋とした感覚の中、喪失への疼きが場の通奏低音であるらしいと仄かに見えて来る。抽象の中に劇的瞬間はあったが、ただ死や離別も広くは日々の中に含み得る、要は「普通の」時間としての今であるならば、心情説明(哀しみとか深刻さとか)の表現の混入を一部たりとも許さなくても良かった気がした。普通の時間を刻む事で、観客はその背後に横たわるものを想像する・・芝居を見慣れた者の欲求かも知れないが、そんな願望を観劇中催していた記憶。
久々のスタジオHIKARIで舞台の時間を生み出す熱い場を体感した喜びに浸りつつ、帰路についた。稲葉賀恵の狙おうとした何か、は不明であったが「次」の答え合せの機会をぜひ。

心を歩ませて。
劇団 東京芸術座
シアターX(東京都)
2026/01/28 (水) ~ 2026/02/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
著書になった実話をベースに書かれた芝居で、原作「さばの缶づめ、宇宙へいく」の「さば缶」とは宇宙食のこと。実際に福井県の小浜水産高校で「宇宙食」として認定されるための開発を課題として一年という単位でなくまた三年でもなく年々受け継いで来た訳でもなく、この課題に関心のある生徒が在校した年に、先代が探求した成果を記したノートを開きながら、断続的に開発が受け継がれて行った結果、ある年さば缶は宇宙食として認定されるに至った・・その断続的歩みを、この芝居では「市民劇」という枠組を用いて叙述していた。
ネタが実話である事と、地域の市民参加劇の「あるある」という実際に存在するものとの取り合わせで、両者に等しく比重が置かれた描き方がなされていた。場としての市民劇要素が、さば缶宇宙というネタの強さに感化されるという展開はなく、淡々と描いていたのが巧い距離感と思えた。ただ、市民劇参加者の群像を描く余地はやはり「さば缶」にも場面を割かねばならぬ関係でさらっと触れるに止まり、観る側としてはもう一歩人物の深みを味わいたく思った。この劇の構造では、しかと描き取りたいのは市民劇参加者。そして彼らはさば缶のエピソードに敬意を払う事となる者たちであり、彼らが照射する事で、さば缶エピソードが輝く。
従って市民たちのリアルで切実な生き様が造形される程に、両者が高まって行く関係なのである。が、芝居にも尺というものがある。もっとかゆい所に手を届かせて、と舞台に注文する前に、己が想像たくましく人物の背景を思い描く事が「許されている」、と思うべきなのかも。
いずれにしても東京芸術座の新局面ではある。機会を捉えて本作を上演し、芝居を熟させて行けばどんな風合いになるか、観てみたくもある。

奇跡かな
劇団かもめんたる
本多劇場(東京都)
2025/12/25 (木) ~ 2025/12/29 (月)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★
配信で初劇団かもめんたる観劇の機会にありついた。コンビのかもめんたるのネタも未見だが岩﨑う大氏の露出場面の断片にそのセンスの片鱗を垣間見ており、本作はそれを裏付けていた事と、ストーリーがきっちり書けているが展開の橋渡し的位置に微妙、辛辣、非情なる笑いを置いていたりしてそこが際物的でハマる。腹の中でヒクヒクと笑っている自分がいた。

クワイエットルームにようこそ The Musical
Bunkamura
THEATER MILANO-Za(東京都)
2026/01/12 (月) ~ 2026/02/01 (日)公演終了
映像鑑賞
映像にて鑑賞。
二十年近く前に映画を観ていたので気になっていた。精神病棟を舞台にした決してキレイではない人間の闇を覗く松尾氏らしい作品だったが、ミュージカルに仕立てるというのでちょっと想像がつかなかった。なるほどこういう作りになったか・・。

メヤグダ
ホエイ
シアター風姿花伝(東京都)
2026/02/19 (木) ~ 2026/02/25 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ホエイ独特の味、台詞が津軽弁なだけでないある種の語り口に、前以上に同期できている自分を喜ばしく思った、そんな感想。するめは噛みごたえあって旨いがよく噛まない内に飲み込まざるを得ない感じであったのが、今作は在京の青森県人会事務所が舞台という事もあり東京言葉との混在具合が程よく、ホエイの文体を最後まで余す所なく味わえたのかな、と。
過疎化し東京へと人が流出する地方の疲弊、それぞれの内にある一様でない故郷への感情、密かな望郷の念、そして地方に留まるか上京するかに関わらず、現代を生きる人々の「今」をクスッと笑いたくなる場面を織り交ぜて描く。ホエイらしい意表を突く瞬間は今作にもあり、スマートな仕上がりにノイズをもたらすが、この濃い味の固いスルメのようなのを、噛んで味わえる自分になれて嬉しやと、先に書いたが、今作は劇作としても秀れていたと思う。役者それぞれも味わい深い。
今作の楽日まで前作「クチナシと翁」がYouTube配信、これも改めて観たが面白い。両作に出演の青森女優・三上女史の貫禄も改めて。

こどもの一生
開幕ペナントレース
小劇場 楽園(東京都)
2026/02/18 (水) ~ 2026/02/22 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
KPR名義での公演は昨年見逃した物があるが久々の感。今回は事前に公演情報が知れ、観られた。それも中島らも「こどもの一生」と来れば一も二も無くである。
小劇場「楽園」の小空間を駆使し、期待に違わぬ劇世界を作り出していた。村井氏の脚色だろう、テンポ感が良く、終幕に至る部分が以前観たのと少し違った着地をしていた(具体的に覚えてないが多分)。他では2時間の芝居が1時間半という事なので結構ざっくり切ってるかも知れない。
中島らもは大人が精神医学的治療のために「子どもの心になる」という形で子どもの世界を面白おかしく描き出した、この着想から秀逸。

The Weir~堰~
劇壇ガルバ
ザ・スズナリ(東京都)
2026/02/05 (木) ~ 2026/02/15 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
アイルランド劇作家と言うと些か色めく。コナー・マクファーソン作品は初めて目にした。良い舞台だった。ある酒場で人が会話を交わし、別れるまでの一夜の芝居。最初、五十男がやって来てカウンターの中でビールサーバーをいじって酒を注ぎ、飲み始める。若いバーテンが入って来て会話をする。勝手知ったる何とやら。古馴染み同士が、暫く顔を見せないあの野郎の話をする。何でもダブリンから移ってきた女性を案内していて、後でここへ連れて来るらしい。しかし唯一既婚者のあいつがここでやる事と言や、それを吹聴する事。なあそうだろ。五十男のジャックも独身、若いバーテンのブレンダンも同じく。三十男の同じく独身男のジムが入って来て、その男フィンバーと女性の情報を補強する。やがて彼が三十代の美女ヴァレリーを連れて入って来る。普段と変わらない空気で対応し、どこに住み始めるか、など聞き、土地にまつわる話など始めるのだが、フィンバーが「ほら、あれ」と何時だったか聞いた不思議な話をヴァレリーに聞かせたく思い出そうとする。そうして、不思議な事が起きた、という逸話が話されて行く。最初はヴァレリーが棲む事になる家だったと気付かずうっかり、越して行ったその家族の前に棲んでた人から聞いた、夜誰もいないのにノックをする音がしたという話。妖精の通り道だったらしい、と誰かが話していたな・・。これを受けてフィンバーが自分が親父を無くして一人で暮らし始めた頃、家から離れた隣に越してきた家族の夫人が夜血相を変えて訪ねて来た話。乞われるままに家へ行って観ると・・こうして話は続く。ジムの話が終った後、話に触発されたヴァレリーが自分にも不思議な話が、と語り始め、彼女がこの田舎町にやってきた理由が知れるのだが、ジムとフィンバーがヴァレリーと握手をし、今度は間を空けずに来るからな、と言って去った後、三人が暖炉の前に座り、ジャックが独身である事について幾つか質問をしたヴァレリーに答える形で前に居た彼女との話をする。誰にでも起きそうな話、だが他でもない彼自身の人生の話。宿命(必然)であったが悔恨せずにいない過去は今の彼を形作っている。夜も更け、彼らは別れを告げる。
人と出会わせてくれる芝居は良い芝居である。

『冒険者たち ~JOURNEY TO THE WEST~』 『帰ってきた冒険者たち 〜闇に落ちたカナガワを救え!〜』
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2026/02/11 (水) ~ 2026/02/23 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「帰ってきた冒険者たち」を観劇した。4年前(もう⁉...)上演した「冒険者たち」の続編。登場するはお馴染みの顔、沙悟浄・長塚圭史、三蔵法師・柄本時生、悟空・菅原永二、何でもやる成河。活きの良い紅一点は変更か、と思ったら実は同じ佐々木春香(女性は印象変わるからかな?)。演奏も同じく角銅真美、共同演出・大澤遊。
2022年初演の「冒険者たち」を観た事をハッと思い出した光景は成河がチャンゴを叩いたり八面六臂でにぎやかす楽しい舞台。だが当時のレビューを見たら随分酷評していた。
長塚氏は新国立でファンタジー系の作品をやっているが、その系列と言えるかも。今回の舞台は絹ごしが木綿になった豆腐程度の噛み応えはあった。キャラの立つ役者が走り回る姿を見せる手作り感が決め手の舞台。
神奈川の「名所・名物」ってこれだけ?と初演の時はネガティブに受け取ったが、考えてみれば当地ネタはふんだんにある。シリーズ化もして行ける訳である。
会場では結構笑いが起ったり反応が良かった。地元意識の賜物。

#13『惑星Bb◉忘れた凡ての時間たち』
劇団スポーツ
駅前劇場(東京都)
2026/02/13 (金) ~ 2026/02/16 (月)公演終了
実演鑑賞
昨年観た番外編的なNOWHERE公演が面白かったので劇団本公演を観に。割とオーソドックスなストレートプレイの範疇で演劇を題材に書かれた劇であるのもありがちと言えばありがちだが、上演する事となる劇中劇というのが自分たちの事を書いた話、即ち演劇をやる話であるので入れ子構造が中々混沌でシュールだったりする。
基本は幽霊話(これもありがちと言えばありがち)なのだが程よい難度で観られた。リアリティの点で若干の傷があるが、劇団色として俳優キャラを前面に出していて潔さがある。お笑いも再び全盛の感あり(舞台はお笑い系ではないが)両者の境界についてふと考えていたりする。この感じ、何か分かったらまた書いてみる。

『若手演出家コンクール2025』最終審査
一般社団法人 日本演出者協会
「劇」小劇場(東京都)
2026/01/27 (火) ~ 2026/02/01 (日)公演終了
実演鑑賞
配信にて鑑賞。定点撮影だが画像は悪くなく(コロナ初年などは厳しかった)、ストレスなく観られた。演出家コンクールであるので当然「演出」に着目な訳であるが、幾ら演出だけ気張っても作品それ自体を磨く技なのであるからそれなりに良い舞台でなくては、という事はあるだろう。
4名の候補と出身、上演時間の内訳は、
深井邦彦(東京都/30分弱)
翠月(みつき)瞳(東京都/約50分)
小濱(こはま)昭博(宮城県/45分)
駒和樹(京都府/30分弱)
下から順に視聴した。駒氏のは演出としては突出した趣向で、登場人物は魚、海の生物たち。物語の語りや擬音や、詩のような言葉のリフレインを、旋律で表現する。高音やビブラートが効いてたり声楽科を出ていそうな二人だが表情豊かに場面場面を描写していて、中々のインパクト。奥の壁に赤や緑の丸い灯りが当てられ、2人が動くと影絵のように影が映り込んで幻想的な物語をより幻想的に仕立てていた。
小濱氏のは、登場人物は5、6名で、舞台上は学校にあるような椅子を2、3脚といった簡単なもので、どうやら火星人が地上にやって来ていて地球人の彼らとの接触、交流の交々が描かれているよう。特段変わった演出はないが、登場する者たちを照らす灯りは舞台中央あたりに限定していて、セピア色。それが過去のような未来の光景と見せている。周囲の暗がりは宇宙に通じる感覚。
翠月氏のは青年2人の現代劇で、日本の今の「平均的」?底辺生息者の日常、からの半生記となっている。ラップが挿入されたり音曲の効果が現代の若者を描写する効果的なアイテム。日常性と今時さが「近い」感覚を呼び起こすのか、(それとも割とイケメンな二人なのでお目当ての女子によるものか)笑いが起きていた。芝居としては一番身につまされた。
深井氏のはワンシチュエーション、ワンアイデアで最後まで押す短編で、演出よりは深井氏の作品世界が先に立つ印象であったが、男女の二人芝居は自殺願望の少女とそこに訪れた配達員の青年の交流で、雑然とした部屋や衣裳小道具までをリアルな作り。感情表現の度を競うようなドラマの設定はそう言えば深井氏の作品には多い。ドラマの高揚がその感情表現と機を一にする。
ドラマ性の点では翠月氏のだが、最優秀賞は海のお話の駒氏のやつ。確かに声が描き出す多様で無尽な場面は最も高揚をもたらすものだった。
配信は2/19までとの事。

人造人間の憂鬱
糸あやつり人形「一糸座」
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2026/02/06 (金) ~ 2026/02/10 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
東憲司 at一糸座・・実質「桟敷童子」とのコラボ舞台は、二度目。
一度目も、人形と人間のダイナミックな競演を実現していた。当然、そこそこ期待して劇場へ出かけた。期待以上だった。
自分的には冒頭から、次、その次、そしてその次、ついに最後の瞬間まで緩む時間なくバシバシと刺して来た。
私的に涙涙であったのは、糸あやつり人形劇のハンディというものがやはりある。それは形代と操り手とのある種無聊な関係性に、隙間風が吹くのを否めない瞬間もあったのを、東憲司はことごとく見事に逆手にとり、包摂して操り手と人形渾然一体の舞台とした。
人形役者のミザンス、さらに人形の演技(動き)にまで東氏の演出が及んだと思しい片鱗があり、人造人間が登場する悲哀の物語を存分に味わい尽す作劇でもあり、隅から隅まで納得の出し物であった。
芝居中毒患者は常に良質なヤクを欲するが、この後一週間打たなくて良い程のエキスをもらったような。
一々感じ入ったあれこれを書きとめたいが、後日改めて。

ある夜をめぐって
パンケーキの会
駅前劇場(東京都)
2026/01/29 (木) ~ 2026/02/04 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鈴木アツト氏による評伝劇シリーズVOL.1が本作「エーリヒ・ケストナー」で、コロナ1年目だった。オンラインという言葉があっと言う間に市民権を得て、演劇の方では映像配信。本作も新鮮な気分で観た(冒頭登場するロッテ役の顔と表情も覚えている)。上演した劇場は今回と同じ駅前劇場(今回は対面客席で設えが初演とはだいぶ違った)。
さて初演を観てのレビューを読み返すと、中々明快な感想を書いている。今回は同じ感度をもって鑑賞する能わず、、寄る年波を痛感。しかし初演舞台で自分が着目した焦点は、その場面が迫るにつれ思い出され、凝視していた。
即ち、劇終盤、場面は初めてベルリンを離れ、第二次大戦最末期のドイツ領オーストリアの山間に映画人らが集まっている光景。ナチス政権下で活動を許されていた彼らは情勢を見てロケを口実にやってきた。目的は亡命。この場の後半、対面する事となったエーリヒとリーフェンシュタールが闘わす激しい対話がそれである。
エーリヒはナチス政権下で亡命しない事を選び、執筆を禁じられながらもベルリンに居続けた。そこへ、彼の窮状を見かねた旧友(映画監督とプロデューサー)が「ホラ男爵の冒険」の脚本を依頼しに訪ねて来る。無言の抵抗を続けていた彼は憤慨して彼らを追い返すが、後にロッテに吐露する・・「もう書いてしまった」。書きたい衝動に抗えず書き、ただし自分なりの抵抗の台詞を書き込んだ。映画は好評うぃ得た。
一方リーフェンシュタールはベルリン五輪を映画化した「国民の祭典」でその才能を証明し、ナチスの下で国民を称揚し熱狂させる映画を撮り続けた。
風雲急を告げる状況で、彼女も恐らく話を聞きつけ、仲間に入れてほしいと映画人たちに頼み込みにやって来た模様。だがエーリヒの幼馴染の一人である現映画監督は、彼に映画界入りの口利きをしてやった(若い頃はダンサーであった彼女を女神と崇めていた)リーフェンシュタールに冷たい視線を送る。映画人らも彼女をナチス協力という点においては別格だとして、彼女の要求を退ける。懇願を拒絶された彼女は、そこへ現れたエーリヒに目線を向ける。
彼女は、同じ穴の狢と言える他の映画人からハブられた格好だが(喩えるなら「蜘蛛の糸」?)、彼女はエーリヒに対して己の正当性を訴える。「貴方もナチスに協力した。あのホラ男爵、名義は変えていたがあれは貴方だという事は皆知っている」と。同罪だと主張する彼女に対し、エーリヒは断固としてこれを否定しようとする。
このやり取りの中で彼が見せる苦悩の表情がポイント。忸怩たる思いと、俺なりに抵抗したとの思いに引き裂かれ、彼もまた彼女に対して「お前と俺は違う」事を証明、説明しようと足掻く姿がある。
(ここはやはり少し丁寧に記しておきたい。また後刻。)

ある夜をめぐって
パンケーキの会
駅前劇場(東京都)
2026/01/29 (木) ~ 2026/02/04 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
パンケーキの会初観劇がcafe音倉での「壊れたガラス」リーディング。古典に属する作家の戯曲発見の喜びと共に記憶に残っていたので、これを再度取り上げるという事で楽しみに出かけた。緊迫の時間を作ったリーディングが、今度はストレートプレイとして駅前劇場にて立体化(2演目をやるというから両作品共リーディングか?とも想像していた)。舞台化によって緩まるどころか、スケール感も大きくなり休憩無し2時間超えにして緻密に構築された舞台となっていた。
この濃密さは昨年末同じ駅前で上演された「Downstate」を思い出させたが(これは読売演劇賞優秀作品賞ほかの賞を獲るに至り、我が意を得たりだった)、何十年前の戯曲、しかも当時の世相にコミットした時代性の強い作品が、現在を仄かに示唆する力を持ち得る事に感慨を禁じ得ない(劇評家が書きそうな文言で申訳無し)。
本作はナチスドイツが台頭する時代背景があり、アメリカのとある町では遠い場所の出来事となっている。主軸はある夫婦を襲った健康上の問題(夫人の足に麻痺が起きた)であり、夫はユダヤ人。彼らを取り巻くのがその治療に当たる医師(夫の知人でもあるユダヤ人医師)、その妻、夫人の妹、夫が勤める不動産屋の上司(=社長)で、ドラマの縦軸が治療の過程、それも精神的な、という事もあって、人間の内部へと分け入って行く。その過程で登場人物らの実像も場面を重ねるごとに見えて来る面白さ、感動がある。人物全て、不明な状態からまるで人が知り合って行く過程を経験するかのようであり、彼らは決して観客を裏切る事なくストレートに真実の姿へ近づいて行く(ドラマを盛り上げる都合のための言動が皆無であり必然性がある、と思わされる)。
戯曲の力と共に、俳優の造形力にも圧倒される。全てが噛み合って舞台という仮初の場に「確かに存在した」人間の時間を精巧に具現させた事への感動は、演劇の最も上質な部類の感動である事を再認識させる。ベタ褒めである。

ミュージカル『青の砦』
演劇によるまちづくり・かわさき実行委員会
ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)
2026/01/28 (水) ~ 2026/02/01 (日)公演終了
実演鑑賞
公募による若者の舞台、学生運動、青春・・・想像しづらかった理由は色々とあったが予想を裏切る入魂の舞台。所謂市民参加ミュージカルのレベルぢゃなかつた。
休憩挟んで中々の上演時間であるが、丁寧に積み上げられた先にしか描けない場面が現れる。詳述したいがまた後刻に。

舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
ホリプロ
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2026/01/10 (土) ~ 2026/02/01 (日)公演終了
実演鑑賞
既に公演も終盤。例によってキャスト陣を改める事もせず劇場へ駆け込み、真っさら頭で観劇(俳優に無頓着では今やないのだが..)、流石に藤原竜也は分かったが他は博士役の声に聞き覚えあるのみ(池田成志)。「一体誰だろう」と後の答え合わせが観てる内に楽しみになる。
自分的に出色は森田望智(みさと)、セカ終とワンダーランド両の世界の女性役が最初青い衣裳を共通点にした別の俳優かと見紛った程、キャラと顔立ちまで違って見えた。やり手とは聞いていたが成程であった。
原作を読んで30年以上経ち記憶の底に沈殿していたものが、徐々に思い出され、かくもストーリー性のある小説であったかと驚きもあり、ラブストーリーであった事や、二つの世界の関係も。。

紛争地域から生まれた演劇シリーズ13
公益社団法人 国際演劇協会 日本センター
東京芸術劇場アトリエウエスト(東京都)
2021/12/11 (土) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
映像鑑賞
もう5年を経てのレビューだが・・。配信上演という形式に則して組まれた企画のようであった。作品は、コロナに突入した世界に生きる鬱屈を一人一人が語る。演劇ないし語りという表現に昇華した作品であり、テキスト。
絶望に閉ざされた何年間かがあった、それは事実。そして経験しなかった「新しい病気」に直面するという事態におののき戸惑い理不尽さに嘆き怒り、また得難い少数者代表は冷静客観に捉え、伝える。・・このモノローグがどの程度、どのような人々の心を「癒やした」かは判らない。突然の爆撃に火の如く泣くしかない紛争地での幼児の姿が、重なる。ただし厳しい目は紛争を起こしている大人に向かう。だがコロナでは、その目を誰に向けることも出来ず、鬱屈だけが吐露される。このやるせなさ、というより消化不良は、有効な何かであり得るだろうか・・それがこれを観た時の感覚であったこと「だけ」思い出す。
自己の内に引きこもりがちな時、他者との共感ないしは他者への関心をつなぎ止めようと、恐らく上演を前提にこれを書いた作者は試みたのだろうとは思いつつ、実際にあった当人ではなく「代弁する」俳優を通してこれを観ることの意味を、あまり感じる事ができなかった。「忘れちゃいけない事だね」との教訓だけ、脳内にしまい込んだ。そんな感じであった事を思い出したので、書き留めておく。

さらば曽古野遊園地
アガリスクエンターテイメント
すみだパークシアター倉(東京都)
2026/01/22 (木) ~ 2026/01/25 (日)公演終了
実演鑑賞
アガリスク観劇2度目。(といっても一度目は「ナイゲン」初演版リーディング、という変則であったので本ちゃん舞台は初見である。)
面白みの随所にある脚本でありステージであったが、こういう考えオチを狙うタイプの芝居は、リアルを貫徹する濃密な演劇に及ばない、という考えがもたげてしまう。最後に限らず各所で「落とし」が仕込まれるが、その細工のためにリアルを僅かずつ犠牲になり・・否、私の見立てでは「落とし」の使命を果たす「だけ」に集中して人物の深まり(全行動・全存在の一貫性による)を俳優の第一義使命としておらず、それがために演劇の快楽の重要な半分をみすみす逃しているのではないか、と・・。人物の「らしさ」の表現こそ演劇の快楽であるところ、それを目指した部分が無い訳では無いのだが、ヒューチャリング度の小さな役でも「らしさ」で一瞬でも強い光を放つ事もある、そこである。
ただし舞台となる遊園地に「密命」を受けて送られた者が、どうそれを遂げて行くのか・・という構図を下敷にして、描かれる各エピソードのバリエーション、入射角度、多様な笑いと盛り上がりの仕込みは業師のそれである。自分の中では「素」になったかのような笑い(役者力を試す笑いと言える)を佐藤B作を絡ませた格好で試みた場面に好感であった(スマートさを追求する向きには冗長な時間だったかも?と思わなくないが...そういうのをどんどんやってくれとは私の願望)。
という訳で、リアル志向の自分的には「勿体ない」と感じる所は大であるが、公言している今回の試みも含めてとにかく挑んで行ってほしい。そう言えば20周年を刻んだというが、見た所まだ全然若い。しかもこの人数の劇団員が健在というのが驚きである(そこかい)。