tottoryの観てきた!クチコミ一覧

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第三の証言

第三の証言

劇団青年座

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2026/05/21 (木) ~ 2026/05/31 (日)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

青年座自体久し振りで「同盟通信」初演以来だろうか。今回は椎名麟三の名前を目にして観劇を決めた。本作は青年座旗揚げ公演(1954)に書下ろされた創作劇で、改訂しながら再演されて来た作品との事。今回の台本は演出の磯村純が過去上演台本を基に準備したもののよう。
東京五輪(1964)でようやく戦後20年。本作の舞台は戦後10年経たない頃。朝鮮戦争特需で経済成長の土台を敷いたとは言え成長期に入るまでの庶民の生活は中々に大変、所謂戦後文学は「戦争/戦前」からの総括的意味合いをもって暗く、流動的な世界情勢の中で日本の政治案件を巡る運動に人々が注ぐ熱度は「物がない」状況に反比例して高く、娯楽は映画や歌謡、相撲といった案配。つげ義春の漫画も時代を想像する材料になってるが、そんな「暗さ」を当時の人的には抱えていても、それを客観的に眺めればもっと明るさがあった、という印象がある(自分の思春期が全面的に暗かったと記憶する割にはふとあっけらかんと明るかった場面を思い出したりもする)。
時代のモードというか生活感覚を想像するのは面白い。それは物語が時代背景、根底に抱えたテーマとの関係において成立するという事があるからで、既存作品を今やる、という場合にその命題は不可避に立ちはだかる。
だが椎名麟三の名はとりわけ、読む時代を限定する印象があり(小説は読んでおらず一編だけ読んだ戯曲の印象)、それだけに「楽しみ」だった。
作品はリアルな社会的現実を俎上に乗せた暴露話のようでありながら、形而上的な問いが根底にある、という前提で眺めれば、本作の戯画的というか象徴的・詩的側面が見えて来る。この要素を介在させる事で本作は理解できるのかも・・と思う所である。(その部分を書いたら長くなったのでネタバレ欄に移した。)

時代は書かれた1954年当時に設定されており、時代性が見える面があって自分としてはそこが面白さである。
労働者たちの振る舞いに、戦争を引きずった殺伐感もあるが同時に、不可避に滲み出る楽観性(現代の管理社会に比して)、結婚する同僚に対する女性の同僚の他愛ない要求(新婚旅行はどこそこに行ってほしい、挙式に帰省する前夜に自腹で料理を発注して壮行会をやったり)などに、小津映画の一場面を彷彿したり・・。
その断片に、時代が保っていたもの(現代失われたもの)を嗅ぎ取るのも面白い。
男はどうも歳を取ると歴史により関心が行くらしく、その口かも知れん。

ネタバレBOX

本作のタイトルの「第三」とは何か。パンフに掲載された論考にそのヒントが書かれてはいたが、どうもキリスト者である椎名氏の生涯の創作テーマへの遡及を要するようで・・「どう生きるべきか」「正しく生きるとは」というテーマは戦後派共通の命題で、私の知る「軍国少年」世代の先人が敗戦で寄る辺を失い精神的放浪の結果辿り着いたのがキリスト教、でなければ共産主義、でなければ・・そんな状況があった。物質的豊かさで生活を彩る(ごまかす?)事が不可能な時代、生命を賭けた「尊い目的」(戦争)が瓦解した後にその代わりを求めるのは自然な成り行き・・(想像力逞しく思い描かねば当時の実相には近づけない)。で、椎名氏は生きる意味の答えを求める途上で、二者択一の態度を迫られる状況に人間を立たせたこの戯曲を通して、「正しい生き方」への問いを探った。だが正解を知るのは自分でもなく他者でもなく、神である、神の証言によって「正しさ」は措定される・・「第三の」とは「神の」との意味と読める、そうである(その人一流の抽象表現なのかも知れぬが)。
作品との関連はともかく、第三の目、という視点は「日本人にはそれが欠けている」という文脈で言われる事があるが、巷間流れる言説への疑問や、なぜ政治家は平気で漸減を覆したり矛盾した言葉を吐けたりするのだろう(まあ高市首相の事だが)、という疑問への端的な答えがそこにある。愚かで忘れやすい「人間」だけを相手にしていれば良いから・・である。真実を見抜く「第三者」の目を気にする事がなく、バレないと思っていれば、「その内忘れちゃう」日本人が相手である限り、嘘もつけるしその場しのぎの弁明の言葉も吐ける。そういう態度は幼稚である、という自覚にも到達できない・・とすれば、どうだろうか。
野々村良枝の失踪

野々村良枝の失踪

タテヨコ企画

シアター風姿花伝(東京都)

2026/03/18 (水) ~ 2026/03/22 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★★

映像配信を鑑賞。ある家族の物語。認知症を患っていた母が居なくなった(正にタイトル通り)、という起点から始まるドラマの登場人物は中々なダメ人間、無自覚な邪人間、責任感じ過ぎる人間、そんな中で一番真っ当な「大人」に見える三世代目(十代の娘)、とそう見えて来始めた辺りから生き生きと群像が立ち上がる。デフォルメチックな回想場面がアクセント。舘智子が何のかの言って中心にいて「ダメ」な印象からそのキャラのままで「それなりに精一杯生きてる」姿を見せるのが流石と思わせる。何のかの言ってタテヨコ企画の芝居は最後に納得させられる。自分の中では劇団の特徴というか「癖」的なものが引っ掛からず観劇に至る事が少ないが・・

帰還不能点

帰還不能点

劇団チョコレートケーキ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2026/05/28 (木) ~ 2026/05/31 (日)上演中

予約受付中

実演鑑賞

満足度★★★★★

スイングキャスト回を観劇。西尾氏と緒方氏という目玉(特に後者)が入替えというので最初戸惑ったが、初演の記憶を蘇らせ、やはり観ておきたく足を運んだ。最初はどの役がスイングか、本キャストならどうか、等と脳内で構成していたが(最後までその作業は無意識にやっていたが)次第に群像が成立して行く快感に到達。
秀作である。5年前より台詞が今に響くのが、怖い。
「戦争」を描く演劇、映画ドラマは数知れないが、本作は責任を巡るドラマ。個人の罪責感を焦点化する。
罪責感を人類規模に敷衍すれば、地球の裏側で起きた犯罪にさえ己に責任の一端がありはしなかったか、自分に何かがやれたのに、やらなかったのではないか・・と思考する態度になる。
法律、ルール、空気、醸成されたある「正義」というコードに反しない事に汲々とする生き方がスタンダードとなりつつある(と自分には映る)昨今、悪や不幸を生む最後のカードを引いた者のみを裁き批判する態度からは何も生まず、改善もされない事を知らずか判ってか、しかしそうするのは保身というメリットから。その対極の態度を浮び上らせる本作は、観客にどう届いたのだろう・・。
客席はほぼ満席であった。若い客が多い。近くにいた年輩客は終始涙を拭っていた。終演後、若者たちは呆然とした表情が多かった。何が去来していたのか、想像するしかないが、聞いてもみたい。
終戦5年、総力戦研究所の面々が集う男芝居であるが、紅一点(黒沢女史)が効果的。粟野史浩氏、東谷英人氏を久々に拝めたのも嬉しかった。

じべた

じべた

椿組

小劇場B1(東京都)

2026/05/25 (月) ~ 2026/05/31 (日)上演中

予約受付中

実演鑑賞

満足度★★★★

この時代(かの戦争の戦時下)を描いた物語の定型と共に思いもかけない角度での展開、表現、結果的に椿組の持つエネルギーと中身とで最後まで目を開いて見せてもらった(この所観劇中に「眠り」は付きものであるにも関わらず)。団員の鳥越氏による作・演出。発見である。次回公演は同じく団員による創作劇との事。椿組の新たな(意外な)展開。

居場所・ドラマの基礎と応用(2プログラム)

居場所・ドラマの基礎と応用(2プログラム)

中野成樹+フランケンズ

シアター711(東京都)

2026/05/19 (火) ~ 2026/05/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久々二度目のフランケンズは超短編と中編の組合せ2パターンの公演、Aプログラムに秋元松代の処女作「軽塵」があるのを見て速攻予約した(二、三日前の事。公演後半には完売間に合って良かった)。
1分の戯曲?を募集し(一、二個身内が提供したのも合わせて)約十編の芝居をやるというユニークな試みで、後半は本域芝居の「軽塵」が始まる。素舞台にユニフォーム的な衣裳、見慣れるのに稍々時間を要したが、リーディングとリアル芝居との中間あたりの感覚である。
演劇的「実験」要素のフランケンズへの先入観に比して「普通に演劇」という初観劇での印象は今回も同じく。

ブン/ダン

ブン/ダン

劇団チャリT企画

新宿シアタートップス(東京都)

2026/05/20 (水) ~ 2026/05/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

何作か観ずにやり過ごしたチャリT企画、そろそろ観ておこうと足を運んだ。ざっと見たら客層が若い。前の列に並んだあちこちピアスな女子組がどんな反応で観劇かも少しく関心。
日本の「まさに今」を、若干近未来の(前口上では「少しだけ違う世界の」)お話の中に展開。AI自警団(ロボット型)が街中に出没する管理強化された社会、にしては日常性の濃いアパート(シェアハウス的な)住人の様子とのギャップがサスペンス性を高めていく効果を生んでいる。
終演後前の席からは「面白かった」「見て良かったでしょう」、周囲から「怖かった」との声が耳に入って来た。この作品への感想としては100点ではないか。時事批評的な内容には納得な観劇。

チョークで描く夢

チョークで描く夢

トム・プロジェクト

シアターX(東京都)

2026/05/20 (水) ~ 2026/05/26 (火)公演終了

実演鑑賞

数年前観たTRASHでの初演がとても良く、チラシと出演俳優にもぐいと引っ張られて中々久しぶりのトムプロジェクト観劇に及んだ。新劇団の客層以上に高齢化の様子(何故だろう..)だったがそれはともかく、中津留作品の独特な台詞運びに思わず笑いつつも(勿論笑う場面ではない)障害を持つ二人を巡る清新さのある舞台であった。初演ではTRASH一流の現代→近未来の2部構成だった(とは忘れていた)のを現代のみの一幕構成とした。荻野貴継氏には初見(確かPカンパニー)より注目のキレる俳優で久々に演じる姿を見たが、障害児(脳性麻痺)役を好演し改めて感じ入る。チョーク工場の社長はえらくふんわりと人の良さの出た二代目らしいイケメン御坊ちゃまキャラで「誰かな」と思ったら、チラシを見てオッと思って忘れていた宮原奨伍氏(途中結構台詞危うい場面も大らかな佇まいで乗り切る)。滝沢花野女史は実は背高の大柄女子であったが今で言う大人の発達障害系のコミュ障な不器用職員。ベテランで口は悪いが裏表はっきりで情もある職人に中嶋ベン。実直真面目で実は弟が障害を持ちつらい少年時代を送ったゆえに今回の事にはビビッドだがいつもながら(TRASHでは)頼りになる中堅社員役星野卓誠。
時は昭和、戦後の経済成長期あたりが舞台らしく、障害児は特殊学校を卒業すれば自宅か施設に入り、どこかへ通う等という福祉的就労もなく増してや一般就労など夢、非現実であった時代に先駆的に障害者を雇用した企業が物語の下敷きとなっている。
障害者(特に知的)を演劇で実際に登場人物ときて描く難しさは、障害者個人の造形(演技)にあり、個人的にそこで溜飲を下げ納得した記憶は燐光群「ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド」があった。他にも幾つか記憶があるが、それに次いで物語共々グッと拳を握ったのが今作と言える。(もっともまず言わないだろう台詞を言わせたりはあるのだが、これをギリギリ正当化して舞台上のリアルを持続させた荻野氏に⭐︎である。
もう一人の女性障害児役は若手の美利、これは軽度知的でのんびりな言葉遣いとキャラで成立。

ネタバレBOX

滝沢女史はトムプロ所属だったのだな。
エンドゲーム

エンドゲーム

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2026/05/15 (金) ~ 2026/05/31 (日)上演中

実演鑑賞

最後、と聞くとつい目か瞠く。小川芸術監督の最終年という事で今期演目はなるたけ観ようと、体力を顧みず不条理劇(忍耐を要する事請け合い)を観に行った。
不条理劇の作家とされるベケットの「ゴドー」は不条理劇とされるがドラマ性が高い(とても抒情的なエンディングへ誘うも可である)。他の作品を見ると劇的仕掛けがアイデア商品のようで(私が知るのは「しあわせな日々」のみ。今回一つ加わった)、盲点であった部分が突如存在を表わす等意表を突く展開が、この時代の実験的演劇にその下地を提供したものであったりする。のであるが、今作も然りで不条理劇の原典そのものは実験的芸術作品がそうである所の晦渋さがある。時代を支配する観念(無意識裏の)に抗う要素により成立した面がそうさせるのだろうが、現在これをどう上演するのかは当然関心の中心である。なお本作は久しく新訳の無かったベケット作品の翻訳戯曲集を出した岡室氏によるテキストとの事だ。
語るべく多くの言葉を持たないが、後日追記。

王女メデイア

王女メデイア

SPAC・静岡県舞台芸術センター

駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場(静岡県)

2026/05/02 (土) ~ 2026/05/06 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

駿府城公園での野外公演は祝祭性もいや増してギリシャ悲劇に相応しい。ちょうど5年前の「アンティゴネ」で初訪問。今回は前日予約に失敗し当日券で観たが、どの席で観ても良い感じである。ただ予想外に寒く、自分は念のため持参していた上着と、配られたホッカイロを仕込んだタオルを首に巻いて難を逃れた(この所冷気に敏感な体調だったので助かった)。
宮城總演出と言えばプレイヤーとスピーカーの分離、本作もその形式であったが、冒頭その役の割り振りを男性連が行なう場面があり、丁度ギリシャの市民階級(今で言えば貴族?)の傲慢で下卑た大人像というのを面白おかしく提示。選ばれる側の女人らは黙って男らの我がままに従う接待役、あるいは色町の女の如く、ただし顔に袋を被せ、模写した写真の入った額を両手に持っていて、男らは袋を取って「お~」とか「な~んだ」等と興じる。お下品な場で、密室の享楽を愉しむように「お芝居」に興じる風景をもって芝居へと入って行く(主人公メデイアの読み役は「やはり阿部殿、そなたが・・」と男蓮も譲り、阿部一徳が「いやいやそんな・・そうかな。では」等とその役の席に座る)。この冒頭部分が、ラストで回収されるのである。
メデイアの苦悩は異端者(征服地の異邦人)のそれであり、女性のそれでもある。この象徴性が見事に際立つのが宮城演出なる王女メデイア。久々に出向いた甲斐有り。

優しい劇団の大恋愛 Volume10『夕焼け色のダイダラボッチ』

優しい劇団の大恋愛 Volume10『夕焼け色のダイダラボッチ』

優しい劇団

吉祥寺シアター(東京都)

2026/05/09 (土) ~ 2026/05/09 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初の劇団。出演陣に佐藤滋氏他の名を見て予約。鑑賞料500円の理由はよく調べもせず当日吉祥寺シアターに入れば、素舞台に照明は床置き式の二台ばかりを左右に据えただけの簡素なもの。音響はバックに音楽が鳴ったり時々無音の二種類のみで、そこに金を掛けていない事が入場と同時に分かる。武蔵野芸術祭の枠ゆえ劇場使用も無料か軽微だろう。
主宰による前口上が終わり、芝居に入ると佐藤氏が登場し、観客に語る。・・出会いへの欲求。記憶から消えてしまっておかしくないような人との再会も一つの「出会い」、でも再会だから「はじめまして」ではなく「おひさしぶり」と言おう・・。かくして二人一組のペアが8組近く、「再会」の場面を演じる。音楽に乗って軽快に、コミカルに、時にほろり、きゅんとさせるような再会場面、を通してその過去にも触れて行く。一回りすると、ワンクッション置いて、もう一度各ペアが登場してその続きを、あるいは回想場面を演じる。「再会場面の点描」に終わるかと思いきや「回収」により群像劇の様相となる。8組程のペアには例えばある女子に学校の先生と勘違いされていた男が実は後輩だった事の告白、非人間だが校舎の端と端にあって惹かれ合っている理科室の人体模型とトイレの花子さんのお話、演劇部の顧問と生徒とリアルな関係だったり様々。これを「今日一日で作った」とは終演後に知った次第で驚いたが、成る程ある程度著名な俳優もこの条件なら一堂に会するも可かも・・アイデアに感心。
という訳で此度も発見の機会となり感謝である。

ネタバレBOX

始まって暫くはBGMを流しながらの一対一の「みょー」な関係を台詞で描くのが、FUKAIPRODUCE羽衣を思わせた。クレジットを見れば別物で見進める内に別物に見えて行った。

こうした挑戦的、というか実験的試みは、同じ形での継続は先行き安泰には見えず、持続可能性の高い「発展形」を見出さねば厳しいのでは・・とふと思う自分がいる。
だが、物価高は一時的に終らず生活を圧迫し、舞台芸術の現場に対しても明らかに厳しい条件を突きつけている。
つまり、こうした試みは舞台形式としては特殊だが、経済状況に対応する術が生み出されたり、あるいは舞台関連の業種の淘汰が起きたりするのではないか。基本的に自己責任路線でやって来た政治が続く限り、芸術文化が痩せ細るのも自己責任、自然淘汰として放置される事だろう。むしろ「芸術どころじゃない」風潮を高めたがってる勢力が伸長しかねない。そう考えると暗澹としてくる。
劇的

劇的

ポッキリくれよんズ

浅草九劇(東京都)

2026/05/01 (金) ~ 2026/05/05 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

硬派とは無縁そうな劇団名を旗揚げ時に知ってより数年経って初観劇の前回、そして今回二度目であった。意外と硬派で(良い意味で)調子が狂った前作は映画撮影の現場を舞台に芸術論、演技論を(自らに?)問うた作品だったが、演出的に攻めた印象と、役人物と幾分落差のある俳優の「頑張り」が印象に残った。
今作はある家族の物語(何らかの必然があるのか舞台は長野)とし、日常モードが基調である分、配役等では前作に比して完成度は高いリアリズムの舞台として観られた。こういう劇も作るのかという発見と、家族物を描く工夫としてメタ要素が脚本に織り込まれていてこれが効いていた。ある意味でこの要素が前作に続き芸術論にコミットさせ、人間を描く事への問いを置いて劇を終わらせている。これが取って付けたようでないのは、家族の物語の中に十分に問いが籠められているから、と思う。

ネタバレBOX

複雑な家族関係、その成員の3名が突然の滑落事故により同時に失った家族たちの関係と内情が紐解かれる場は、葬儀を終えた彼らの実家の居間。
惜しむらくは死んだ三名が名前のみで呼ばれ、生きて今いる人物との関係を特定するまでに時間が掛かる。最後まで不明だった人もいた。それが作品の、物語の魅力を減じたとは感じなかったが。
さかさまの世界

さかさまの世界

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2026/05/02 (土) ~ 2026/05/05 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

舞踊系の舞台で充実感のあるのは久々であった気がする。若手ダンサー男女2名ずつの4名が、子ども対象に作る舞台の第二弾(前回は2023年)という。四者四様のキャラと、遊びの数々が子どもたちに「効いてる」のが、反応から判る。KAAT中スタジオの階段座席と前方の桟敷エリア(子どもオンリー)があり、演者は桟敷の間を通ったり階段を行き来したり、冒頭では観客とやり取りをして客からの反応を出やすくして温まった後、舞台上でのパフォーマンスが展開(合間に客の反応を引き出したりもある)。見て美しい・面白いアンサンブルのダンス、ムーブ。大きくなったり小さくなったり動くスポットライトと闘ったり遊んだり捕まえようとしたりしながらソロのパフォーマンス。丸いライトと一対一のやり取りになるので自然とソロになる。少年のようなAokidは随分前に一度見て小気味よいダンスを堪能した記憶があるが、感性が子ども目線。奇妙な間合いだけでクスクス笑いが起きる。歌を得意とする「優」のお間抜けキャラ、もう一人は小柄ではっちゃけたキャラ、川口ロン(名前はよく目にする)は筋肉系で床スレスレの動きをやったと思えば奇声を上げたり表情も豊か。子どもの反応が頗る良い。前のめりで協力的な子も多く、笑いも起きる。警戒心を解いている。
重要なのは大人も観て面白いパフォーマンスである事。最後は4色のペンキをぶちまけたマットにスライディング、塗りあい。あー楽しかった、と遊びの時間を終える。40分の上演だが一緒に遊んだ気になれる時間。何によってこれが「成立」しているのかは、相変わらず気になるのだが、またおいおい考えて行こうと思う。

黒いチューリップ

黒いチューリップ

新宿梁山泊

新宿 花園神社境内 特設紫テント(東京都)

2026/04/25 (土) ~ 2026/05/10 (日)公演終了

実演鑑賞

本演目はタイトルも初めて目にした。蜷川幸雄演出舞台に書き下ろしたという。三幕物であった。唐十郎はつくづく特異な作家だと思う。唐を日本のシェイクスピアとする言い方があるが、何処となく言い得てるのは一人が放つ長台詞が聴く者の目を見開かせ世界を立ち上げる様や、ちりばめたアイテムが最後の最後に回収されて行く様。だが、唐は常に「過去」への目線を書き込む。郷愁をかぎ取るその先に人物は何かを発見する。時にそれは満州国であったり、鶯谷だったり、母の胎内であったり、下谷万年町だったり・・。喪失を書くのは忘れぬため。多くの無名の、消え去った存在たちの生きた証が、己もそうありたいと願うのと同じに、「思い出される」事への切望が、テント幕の向こうに広がる中空に放たれるラスト。そして登場する者たち皆が物理的あるいは精神的に「地を這う」ような者共。今回は小津の映画に出てくるような手打ちのパチンコ台が並ぶ店内が舞台。私的に注目は客演の鴨鈴女、後半忘れた頃に、姉思いのヒロインの偏執(黒いチューリップの培養への)の発生源である奇態の人物像として登場し、見事に奇態なかつどこかチャーミングなオバサンとして台詞をまくし立てる。気持ちが良かった。
終幕に至る畳みかけも美味しいが、唐作品の特異性という事をまた改めて実感し直してもいた。
戯曲を書いた時点で既に「過去」の出来事や風俗を、郷愁をもって描いたそれを、味わい直す営みの中に、私個人は関心がある。過ぎ去って行く過去の、時代の観念は常にとらえ直しを求められ、時間が「経っただけの事はある」無意識レベルの変化の中に、現在における「断定」を拒み得る根拠が眠っている。現在の独断が断行される事への抗いは、表面的な過去(歴史)理解を覆すことの中にしかなかろうとも思う。

ネタバレBOX

梁山泊の鄭作品上演(テント)で演劇を知り、その後梁山泊を通して唐作品に触れて最初は拒絶反応しかなかったものが、「見慣れた」という事もあろうが、恐らく過去を「知る」事を促され、発見をした分だけ、物事の「一面的で無さ」を悟り、物事から読み取るべき多様な要素を想像し始めた事が、唐作品の物語の背景を知ろうとする観劇姿勢にも反映したような気がする。
抗い続ける事の「無意味さ」が強調される今、何かに抗っている曲者たちを自分に重ねられる事を己にとってのバロメータにしようか。いつかかの面倒臭い人物たちに、違和感や、無関心を覚え始める時が来るかも知れない。だがバタ臭くとも、貧乏でも、何かに抗って生き続けるのも「悪くない」、そんな道を唐は意識してかは判らぬが、示そうとしていたのかな。人知れず異端者として生きる無名の人々に、「語る」事を通じて手を差し伸べていたのかな。
8hのメビウス(深化版)

8hのメビウス(深化版)

ウンゲツィーファ

北千住BUoY(東京都)

2026/04/15 (水) ~ 2026/04/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

栗☆兎ズ時代はユニット名のみ結構見てた気がしたが僅か2,3年の事で、改名後8年も経っていたとは。ウンゲ公演はかなり前、二年前、今回で三つ目(+配信で一つ)だが、今作は本橋氏が主役をやったゆうめい「養生」を思い出させ、現代を映す。金を稼ぐだけのためのバイトの殺伐感が、リアル。個の価値の揺らぎ、内面に横たわる願望と裏腹の暴力・・。ストーリー的にはYouTuberの潜入、エスケイプと躍動があるが観終えて残るのは人物たち一人一人の生きるシビアな「今」と、正解のない多様さの中に匿れていそうな個々にとっての答え(希望)。
役者のポテンシャルは高く、小道具、装置の細工も流々。

ベガスペガサス

ベガスペガサス

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2026/04/25 (土) ~ 2026/05/06 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

しかし笠浦静花という人も色んな事を考えるな・・架空設定での想像(妄想)力に舌を巻いた。

ネタバレBOX

ギャンブルを巡って考察し得る限りの人間(どっちかつうと庶民側)の風景、模様をプレートに乗せてご提供。いま一つの軸は「イマーシブ(シアター)」。観客とステージの垣根の溶解、巻き込み、没入。これをやっていた劇団員たちが活動の行き詰まりと拠点(北とぴあ)のカジノ誘致により、カジノ業者に札ビラで頬を叩かれて協力する事に。カジノ=悪徳では必ずしもなく、群像の躍動するセミパブリック空間としてのカジノ会場で、興味深くドラマが展開。
ずっと洋画みたいだね

ずっと洋画みたいだね

ナカゴー

浅草九劇(東京都)

2026/04/23 (木) ~ 2026/04/27 (月)公演終了

実演鑑賞

ナカゴー4年ぶりの公演、と聞いて単純に喜んだ訳ではないが観ずにはおけず。簡単には評せないが結果的には「ナカゴーでしか見れない」役者、「ナカゴーでしか見れない」鎌田オリジナルな場面も織り込んでオマージュたっぷりな公演だった。

ガールズ&ボーイズ

ガールズ&ボーイズ

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2026/04/09 (木) ~ 2026/04/26 (日)公演終了

実演鑑賞

何時からか演劇関連情報がネットのブラウザを開けば届くようになり、本作もそれで知った。増岡女史の回を観るつもりでいたのだが、オーディションで勝ち取った増岡の枠は真飛の半数(当初オファーしてた真飛の出番を半分には減らせないだろうと)。
何のかので結局真飛聖バージョンを観劇(もっとも開演直前までは増岡回と勘違いしていたので不意を突かれた。あーそっだったー・・と、些か落胆したのは増岡ファンだからではなく約10年前見ていたので変化を見たい、比較したい欲求のため)。
一方真飛女史の舞台は未見だが宝塚の男役トップの履歴から、ある程度想像の範疇。そしてその通りの立ち方であった。が、その流暢さ、変化への柔軟さ、2時間の耐久時間一瞬のダレもないスタミナには圧倒された。

一人芝居が持つポテンシャルに瞠目。役者を見せる芝居でもあり、文学座増岡氏の残り僅かな機会、やはり観たいとリピートを考えたが断念した。
真飛が本作で描いた女性のキャラと合わないな、と感じたのは序盤だけ、それは主人公が破茶滅茶な十代を送り、故に学歴と言えるものもなく、ただその生活とは自らの気づき、直感でおさらばして「夢」を持とうとした「汚濁から抜け出た」来歴から。彼女は映画業界の端っこの端っこにでも食らいつこうと、受けた面接で持ち前の機転でアピールし合格した、というエピソードは二番目だったか。芝居は数ピースに分かれ、暗転で水分補給の間が設けられるが、冒頭のくだりの最後は偶然出会った夫との馴れ初め。破茶滅茶できる女=そこそこの容姿、地頭の良さを想像させ、そっちの感覚が鋭敏なので結婚も早い・・。最悪の出会いからのギャップに萌え、夫をゲットしたが、ベンチャー的な隙間産業(車両関係の)に成功した彼とは、彼女自身も夢を追い、自立した大人同士の関係に満悦。子育ての苦労もあるが、自分が惚れた相手と夫婦になった、との認識であった。
この前提が、後半瓦解して行く。
話は彼女の忌憚ない糊塗のない具体的なもので、主観的にはどれもが「真実」。子供(上は女、下は男)の性格特徴もえらく具体的で賢母とは言えないが必死に関わる。仕事も頑張る。
作者が想定したキャラは、幼い頃から自由を求めた故の苦労人、手持ちの財産(知的にも金銭的にも)の乏しい身分で二十歳前後、ゼロ(いやマイナス?)から人生を始めた女性、世間的尺度では敗北だがそれを認める前提知識も経験もない故に「楽天的」。だから後になって発見する事になる真実もある。。
真飛女史は前向き楽天性を良く表していた。ただ優等生にも見える。増岡女史はどう見えただろうとやはり想像してしまう。

語り芝居『海神別荘』

語り芝居『海神別荘』

ルーサイトシアター

ルーサイトギャラリー(東京都)

2026/04/21 (火) ~ 2026/04/25 (土)公演終了

実演鑑賞

泉鏡花作品 at ルーサイトギャラリー第二弾は前回と同じメンバーで。時折 "koohhh..."と鳴るのが「音効」でなく電車が遠く橋架を渡る音、とだけ脳内処理できればこの場所での芸術鑑賞は他で味わえないものがある。
本作は以前戯曲を読んでいた。耳で聴く読み物としては前の「天守物語」は観客の注意を発語される一語一句に集中させるものがあったが今回の「海神別荘」は一聴して解されない単語が多く(同音異義語の多い日本語の故でもあり)、自分は記憶を頼みに物語を追っていた所がある。初の観客にはどうだったろうか。後でパンフを見れば劇中使われる耳馴染みのない単語の解説が十数語もあった。だが自分も結末の記憶はなく、海の王子の元へ嫁いで来た(人間界から見れば娘を生け贄に捧げた=死んだ)美女と王子との長いやり取りには没入させるものがあり、終わってみれば泉鏡花が描く異界に身を置き、人間その有限なる生物が崇高さをおびる自然界の存在に憧憬し最終的に異界に身を置く決心をする結末に納得させられている。
夜叉ヶ池も天守も異界(自然界のものの化身が棲む)が文明の対極に置かれているのが特徴で、文芸作品としてその背景に改めて関心が。

大市民

大市民

東京乾電池 大人のお芝居入門

調布市せんがわ劇場(東京都)

2026/04/09 (木) ~ 2026/04/19 (日)公演終了

実演鑑賞

ワークショップ発表的な公演にしてはきちんと入場料を設定、また川村毅作品との事で怖いもの見たさで鑑賞。
まず冒頭でこれは市民ミュージカル(と確か言った)と登場人物が自虐的居直り(自己規定から始まるのは好きである)、レビュー的な導入で何やら芝居が始まっている。個性的市民を揃えたかのような出演者の風貌、出で立ちに得も言われず擽られ、引き込まれた。
素人振りがむしろ堂に入った役者や、実は古参の乾電池俳優ではないかと訝る面々(実際には1名か2名は居たようだが)。素人力によっては超えられぬ部分もありつつ、歌も入り、ある種の心地良さがあった。奇怪なテーマ曲もナンセンス色に貢献し、不協和音な導入からよく聴けばブルースコードの一応ダンサブルな曲。気合の入った舞台であった。
せんがわ劇場の狭い舞台で終演の暗転、幕とあり、手で引いてると分かる黒幕が今度は開くと集団が固まってのポーズ、拍手でさよならの後、閉じた幕の向こうから(チームの最終舞台でもあったが)お疲れさま頑張ったねワーキャーともろに声が聞こえるのも違和感がなく、完全に「素人の勝利」な出し物となっていた。

HAY FEVER

HAY FEVER

ThanKyou!

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2026/04/10 (金) ~ 2026/04/15 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初観劇となるノエル・カワード作品を観たさにキンケロシアターを初訪問。カワード作品は二編ほど戯曲を読んだが、凡そ自分の人生と接点が訪れそうもな人物たちの恋愛沙汰や何かを描きながら、皮肉や人生への達観が台詞回しに横溢して申し分無し。
今回の公演は些か年輩の俳優座俳優を中心に組まれた座組。ある種の懐かしさを感じさせるタッチで作品世界を堪能させてもらった。

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