ナイゲン(2016年版)
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2016/08/11 (木) ~ 2016/08/22 (月)公演終了
満足度★★★★
漂流するような議論、面白かった!
典型的な会議劇で、それも「ナイゲン」の精神、文化祭規約から部屋から出られないというある種の密室劇のような面白さもある。上演時間2時間にあわせた「内容限定会議」(通称ナイゲン)が2時間という進行に合わせてあるのも、時限という緊迫・緊張感を作り出す。
そのいくつかある制約の中で、登場する高校生たちのキャラクター、立場が鮮明に造形され観やすい。
当日、芝居の中で使用する「内容限定会議資料」まで配付する心配りに好感がもてる。
ネタバレBOX
千葉県立国府台高校に実在する会議をモデルにしているという。
省エネを題材にした催し物を1クラス担当してほしい。学校側は行政の要請を受け入れて、文化祭「鴻陵祭」のための会議“ナイゲン”に提示してきた。かくして高校生が文化祭の発表内容について話し合い、1クラスを落選審査する泥仕合をコメディとして描き、他方「自治」「話し合い」の意義を問う青春・群像・会議劇。そのワンシチュエーション・コメディは楽しめた。
会場に入った時は、教室の授業配置。芝居が始まって直ぐ、会議のロの字型に変形する。設定の高校生の枠を超え(大)人としての人格が立ち上がり面白可笑しく観せており、バランスも良い。軽快なテンポが心地よく2時間がアッという間である。
この公演の前提...学校(モデル校の指定)の提案がなければ、誰もが真剣に考えることもなく決まっていた形式的な会議であったところに一石が投じられ波紋が広がるが如くである。そして、いつの間にかクラスの代表者の顔になるという「立場」の頭が擡げてくる。この状況と生来の性格がこの場の人格を形成してくる面白さ。その代表的な変貌が議長に見て取れる。
そして恋愛・嫉妬、無関心・無責任という感情が混じり、それらが本筋を霍乱する挿話のような役割を果たし、議論が漂流するようになる。
物語は面白いということを前提に、次のようなことも考えてしまう。
1クラスだけ文化祭での発表が出来なる、その過程の論議が脇に外れ、右往左往するさまが面白可笑しく描かれるが、結論は”自主自律”の精神は半ば妥協点の探り合いになったような気がする。もちろん、提案(企画)書を提出していない3年1組花鳥風月(団体名)は芝居を上演できないことから、文化祭そのものへの参加が危ぶまれている。その状況からすれば妥協点を見出すという努力は解る。しかし、仮に全クラス企画書を提出し受理されていた場合、現実的な状況としてはどうなるのだろう。
そもそも何故「企画書」を提出していなかったのか(忘れた)。文化祭実行委員会は、全ての企画書(わずか9クラス)の提出を事前確認しなかったのか。これは矮小なこと?物語の前提としては大きな問題だと思うのだが...。
このクラスのナイゲンメンバー・花鳥風月(伊藤圭太サン)は、この結論をもってクラスメイトを説得している姿を想像すると目を瞑りたくなる。
次回公演を楽しみにしております。
「過ぎ去って行く日々はやがて…切ない想い出に」
劇団ザ・スラップスティック
明石スタジオ(東京都)
2016/08/12 (金) ~ 2016/08/14 (日)公演終了
満足度★★★★
典型的な...
典型的な劇中劇...現代劇の古典とも言えそうな作品を劇中で演じる。本公演タイトルからその作品を推知できるかも知れないが...。
梗概からみると、その中核に有名な作品が据えられていることから、新鮮味は乏しいのが残念なところ。しかし、その観せ方はダンスを取り入れ躍動感溢れるもの。主人公は地方の高校演劇部の女生徒が”女優”を目指して上京するところから始まる。この若い年代に合わせた演出であることは一目瞭然である。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
清水邦夫作「楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~」のいくつかのシーンが描かれる。先に記した山桜高校 第19期演劇部・幸子(清水葵葉サン)が女優を目指している、その姿を「楽屋」に重ね合わせている。
楽屋。亡霊になった女優Aと女優Bが楽屋で化粧。今上演中はチェーホフの「かもめ」。主役のニーナ役の女優Cが楽屋に戻ると、プロンプターをつとめていた女優がパジャマ姿でマクラを抱えて現れる。この女優Dは、精神を病み入院していたが、よくなったからニーナ役を返せと女優Cに詰め寄る。言い争いになり、女優Cは思わず女優Dの頭を殴ってしまう。女優Dは起き上がって出て行くが戻ってくる。今度は亡霊のAとBが見えている。打ち所が悪く死んようだ。ニーナ役が欲しくて精神異常になった若い女優が死んだ。
この女優Dが 幸子 である。チェーホフの「かもめ」「三人姉妹」がしっかり観て取れる。そして8月中旬を意識してか”軍靴”の足音の台詞。この「楽屋」シーンはベテラン(鬼籍に入っている設定のため)女優が演じており、貫禄を感じる。
10年の歳月が流れ、久しぶりに演劇部同期会を行うことになった。高校が取り壊されることになり、懐かしい顔ぶれが並ぶ。しかし、その中に幸子はいない。夢叶わず...まさに「楽屋」女優そのもの。
物語の概要を成すのは、高校演劇部仲間との友情、恩師との交流で公演全体を「劇中「楽屋」も含め)緩く包む。その観(魅)せ方はダンスパフォーマンスであり、「楽屋」の悠遠・情念というイメージとはかけ離れたもの。本公演、この異質を融合(和)して見せようと工夫しているのが良かった。
キャストは総じて若く荒削り。その中でも幸子役の演技と高校生役(小西里奈サン)のダンスがうまいと思った。
次回公演を楽しみにしております。
フローズン・ビーチ
別れの始まり
スタジオ空洞(東京都)
2016/08/11 (木) ~ 2016/08/14 (日)公演終了
満足度★★★★
面白い!...今後が楽しみ
当日パンフの はしがき...「会うは別れの始めということわざのように、別れが来るまでの時間を、作品を通して大切に出来るように願いまして上演いたします」と。この「別れのはじまり」という演劇ユニットは、橋本ゆりかサンが上演の都度キャストを募ると聞いている。
本公演は、その呼び掛けに応じて女優4名が集まり少し変わった物語を...。この脚本は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏によるもので1998年に初演。第43回(1999年度)岸田國士戯曲賞受賞作である。一場三幕で世相が垣間見える面白さ。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
1987年、カリブ海と大西洋のあいだにある島に建てられた別荘の、3階にあるリビングが舞台になる。そのセットは、スタジオ空洞という比較的狭いスペースをうまく利用し作り込んでいた。中央にテーブルとソファー、上手側にベランダ、下手側にカーテン付寝室、それに電話台、オーディオセットが配置されている。
登場人物は、この別荘の持ち主(梅蔵)の娘・愛と双子の姉の萌(2役:山丸りなサン)、義母の咲恵(佐々木美奈サン)、愛の幼馴染の千津(橋本ゆりかサン)、その友人の市子(今城文恵サン)が繰り広げるサスペンスコメディー。
物語は先に記したように一場三幕であり、時代は1987年、1995年、2003年と8年間隔で描かれる。そこにしっかり世相を反映させている。冒頭は千津の国際電話の長話。バブル全盛期の好景気感が溢れている。この別荘も海外進出の拠点のようなものである。
時代は下り、1995年はバブルもはじけ、阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件という暗いニュースが続いた。それを反映して、この別荘の持ち主である梅蔵(登場しない)の会社も倒産し、別荘も手放すことに...。
さらに8年後、この公演では現在になるが、島が海水で侵り出している。この件、南太平洋のエリス諸島のツバルという島をイメージしてしまう。失う(水没)前の観光旅行での賑わい。環境保護・資源保全が垣間見えるシーンでもある。
この世相の移ろいに女性たちの人生(16年間)を重ね合わせ、それぞれの人間関係や個々人の心境、心情変化を繊細に描く。落死・毒殺・刺殺等の殺人未遂、千津と愛は同性愛という設定、エキセントリックな市子の行為・行動など刺激的な見せ場も多い。
一幕、二幕はサイコ・サスペンス風であったが、だんだんと普通の会話劇に変容していく。結婚・出産・離婚などを経験した30歳代の等身大の女性の姿が見えてくる。
キャストは登場人物の性格付、立場をしっかり体現しており、バランスも良い。脚本はもちろん演出も上手いと思うが、自分の好みとしては、時の経過にテロップというのはあっさりし過ぎで味気ない。出来れば状況や台詞で移ろいを感じさせる工夫をしてほしかった。
次回公演を楽しみにしております。
かぜのゆくえ
ナイスコンプレックス
ザ・ポケット(東京都)
2016/08/10 (水) ~ 2016/08/14 (日)公演終了
満足度★★★★
人は生まれてすぐ泣くが、最期は笑う...感動作!
劇中劇として語られる悲しくも心温まる話...擬人化された黒電話がもたらす思い遣りと行動が奇跡を起こす。人は現在だけで生きているわけではない。過去があって現在があるという時のつながり、それを繋ぐのが電話という、SFファンタジー...。
第7回せんがわ劇場演劇コンクールに参加した「かぜがふいた」(オーディエンス賞受賞)の本編にあたる本公演...とても観応えがあった。
この劇団の特長である、舞台技術(音響・照明)、その延長ともいえる工夫がファンタジー要素を増すという巧みさ。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、変形(傾斜)した木枠のようなものが二重に建ててある。その二重の木枠も同形ではない。舞台中央奥に段差が設けられている。
この物語は2041年冬、2011年3月11日東日本大震災から30年後の近未来の話。前説を兼ねて、作・演出:キムラ真 氏が背景を説明する。色を失った灰色の街...上演前には波の音、鳥の鳴き声という静寂さを漂わせる。
梗概、海が一望できるクジラ山、大事な人を失った男が黒電話が入った電話ボックスを置いた。そして災害が起きたような悪夢....ある日、その男に若者が近づいてくる。その塊は、形を人に変え、ゆっくりと目を開く。 若者は電話ボックスに寄り添い腰を下ろした。 風が吹いた。 「ジリリン。ジリリン。」それは鳴る。吸い込まれる様に受話器を取ると...。
本公演、もちろん東日本大震災を意識していることは一目瞭然である。そして受けたであろう人々の心の傷を登場人物に背負わせる。その投影した姿に対して解決や調和するような導き(観せ)方はしない。あくまで寄り添うというもの。
敢えて悪役を登場させることによって善人ばかりではない現実も突き付ける。人の心にある善悪、光と影のような二面性を描くことで、より人の心の深み、悲しみを印象付ける。しかし、この悪意(毒)が随所に吐き散らされ、物語全体が冗長になった感もある。人の内面であればいくつかのエピソードでもよかったと思う。
この公演の前段「かぜがふいた」は先に記したせんがわ劇場演劇コンクール参加作品のため、上演時間40分という規定があったが、逆にそれが濃密な内容になっており凝縮されていた。
それでも、本公演の作・演出が素晴らしいといえる。隣席の女性は中盤以降すすり泣いており、また場内のいたるところでも同じ。
さて、描く内容は重たいものであるが、その演出にマンガのような影絵を用いることによって観せ方を緩衝させる。現実の厳しさ、人の優しさを、演劇という文化の中に溶け込まし訴え、観せるあたりは巧み。
この芝居を立体的にしているのは、もちろんキャスト陣。受けたであろう心の傷、その典型(類型)的な人物像を作り、感情移入させる演技は見事である。そして演技のバランスも良い。脚本・演出そして演技に加え、舞台技術(音響・照明)も効果的で、公演全体の印象付に資していた。
次回公演も楽しみにしております。
スタンダード・デイ 騎士
無頼組合
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2016/08/05 (金) ~ 2016/08/07 (日)公演終了
満足度★★★★
騎士(ナイト)シリーズ本編でないが、面白い!
千一夜物語をイメージするような物語構成。人殺しをさせないための面白い話の数々。本公演は「スタンダード・デイ騎士」の番外編...架空の街”サウスベイシティ”の裏通りで生きる人々に焦点を当てる。
説明にあるように「過ぎゆく人生の一部をオレはムダ使いしてるだけなんじゃねぇの」...本公演の底流にあるのは”時間”を巡るアレコレが描かれる。
とてもスタイリッシュでオシャレな...”時”を観(魅)せてくれた。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
物語はACT1~3で構成されている。基本的にはACT3がベースになっており、他の2話はその劇中劇として描かれる。
舞台はサウスベイシティにある「BAR・ハミングバード」。そのセットは、上手側にテーブル、イス、下手側にカウンターをイメージした可動式の台、というシンプルな作り。全体的には暗色で”真夜中”と”BAR”の中という両方の雰囲気を出している。
物語の骨格となるACT3「101ストリートジャズ」...
私立探偵の風吹淳平は、BAR‟ハミングバード”で張り込みをしている。 向かいのビルの会社に出入りする人間を長時間張り込みしている。実は「このBARのママを店から出さないための方策。依頼人の目的な何か。
ACT1「サブウェイ・タンゴ」
難病であと数年しか生きられないことを知った男。人の役に立つことをしたい...地下鉄の起こるトラブル処理や人助けをする組織「メトロ・ガーディアンズ)での仕事。そこに残り少ない人生の生きがいを見つけたようだが...その組織は悪の温床のような。命という時間の限界(尊さ)を知ったとこtで、生き甲斐を見つけることができた悲哀。
ACT2「摩天楼セレナーデ」
エステサロン経営者の母と刑事の娘は確執ある親子。互いに虚勢を張り合っているが、実はお互いのことを思いやっている。母・娘共に夫が失踪し、長年待つ生活をしている。母は自分と同じ思いをさせないよう、娘に早く決断するよう促す。待つ時間は不毛...自分のために時間を使うこと。
ママの娘は中学生の時、拉致監禁されていた。そのトラウマで101番街交差点で自動車に(飛込み)轢かれて亡くなった。その監禁した犯人を殺そうとしていた。そのことを知った、元夫が探偵に依頼したという。
千一夜のように感動または面白い物語をそれとなく聞かせることで、犯行させない創意(話)工夫。過去や未来や現在を失くしてしまった男と女のSTORYは、とても都会的で粋。そして〝長く熱い夜(ナイト)"は魅力的なお話だ。
次回公演も楽しみにしております。
とりあえず、「騎士シリーズ」の最終回が延期になりホッとしている。
雨の日は上を向いてバラードをシャウト
GRahAMBox
小劇場 楽園(東京都)
2016/08/06 (土) ~ 2016/08/07 (日)公演終了
満足度★★★
シャレたコント集...面白い
このタイトル「雨の日は上を向いてバラードをシャトウ」は、一見(読)すると何と滑稽な表現であろうか。雨の日はどちらかと言えば、足元を見るのではないか。バラード(抒情)をシャトウ(絶叫)するとはどういうことか。そんな歌い方もありかな。
すでに本編のコント要素をうかがい知ることができる。コント...機知や風刺に富んだ軽い物語。軽妙な寸劇という意味でも使われる言葉。
本編は、演技(10編)と映像(4編)という2つの方法で観せている。そのテーマと思えるようなものが、普段見かける事柄をデフォルメまたは茶化して面白可笑しく表現している。
ネタバレBOX
当日パンフからコント・タイトルを転記すると次のとおり(14編)。
①はやまるな ②システム ③肩(映像) ④哀愁の旋律 ⑤なんじゃこりゃ ⑥挑戦(映像) ⑦サカサカサ ⑧そこいち ⑨ゲンコツ(映像) ⑩ガッシャンコンフェスティバル ⑪Replace ⑫夢中(映像) ⑬東京~感謝の日々~ ⑭明るく沈もう!
先に記した「叙情」と「絶叫」は、その表現イメージはまったく異なる遠いもの。どちらかと言えば対極もしくは矛盾するようなことを想像する。コントという笑いに隠されたシュールな一面をみる。タイトルにある内容を逐一書いては無粋または野暮と思われるので、印象深かったものを挙げる。
「そこいち」...村(町)が湖底にという話は、現実には悲愴、悲哀を感じるものであるが、村最後のイベントを考える会合で、真剣に考えている最中に諧謔(かいぎゃく)的な発言。厳しい現実を可笑しさで包むような。
コント集...この観せ方は、ほとんど素舞台であるから役者(男性のみ9名)の演技力による。小気味よいテンポ、バランスのとれた演技は見事であった。全体的にまとまりがあり悪くはない。しかし自分の好みとしては、一話(コント)が短かすぎたこと、映像挿入(暗転し、舞台と二面客席を白い布・上映幕で仕切る作業が入る)が必要だったのか、という点が残念であった。コント形式だから仕方がないのかもしれないが、もう少し話を作り込んでほしいような...。
上演後、舞台壁に透明袋に小分けしたグッツ?販売(基本一律200円)は、観客(ファン)へのサービス。細やかな心づくしに好感が持てる。
次回公演を楽しみにしております。
厚い雲に覆われた光
演劇企画集団Jr.5(ジュニアファイブ)
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2016/08/02 (火) ~ 2016/08/08 (月)公演終了
満足度★★★★
熱い篤い母に蓋われた娘・光のような
地震津波の被害を思わせるような瓦礫の数々。その中央に防波堤か避難所のような上にセーラー服の少女。突然サイレンが鳴り響き...暗闇に懐中電灯の光が二筋照らされる。その異様・不気味な雰囲気が場内を覆う。
この地震津波は、1993年に起こった北海道南西沖地震(別に「奥尻島地震」とも呼ばれる)をイメージした。奥尻島を中心に、火災や津波で多くの死者、行方不明者を出したという。
この公演は、地震津波という悲惨な状況を背景にしつつも、この島にいる普通の家族(特に母と娘)の関係を濃密に描いた物語と言える。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
川内家という被害者家族を中心に物語は展開する。震災の前後で心や生活状況の変化を、普段使っていた家具、雑貨、漁業具などが波に流され、打ち寄せられ瓦礫が荒んだ様子を映しだす。
震災前...母(山素由湖サン)は娘・光(岡野真也サン・高校生3年生)を島内で生活させるため、自分が勤めている缶詰工場へ就職させようとしている。娘は進路目標を定められずにいた。母の束縛から逃れたい、島の生活という閉塞感から開放されたい。母はさまざまな仕方で縛り、娘は母の呪縛から逃れようとする。縛り縛られする母娘の情景を濃密に描く。この母娘の日常を震災の前・後の視点で交互に描く構成で物語は進む。母から逃れるには母が死ぬのを待つほかない。もっと言えば母の死を願うような...そして震災で母が亡くなる。
母の死によって確執は無くなり、自由を謳歌できたかどうか。娘を思う気持が重圧であったが、それさえも思い出になるようで心が痛むようだ。
そして震災を通じて人の心に宿る怠惰と悪事というダークな側面を抉り出す。それが、震災による国家補償を当てにすること、災害(火事)場泥棒や詐欺行為。それらの人間模様が物語に厚みを加え、さらにこの娘を巡る女友達の友情、男子学生の純情、高校教師や警察官というお堅い職業(公務員)の恋愛感情がアリアリと窺えるコミカル笑いのシーン。
随所に母・娘の本音がぶつかる。怒り暴言を吐き、頬を叩き精神的に追い詰める母。娘のために人生を捧げるような言葉...その緊迫した台詞の応酬が見事であった。もちろん、光の兄・一男(奥田努サン)の飄々とした ぐうたら姿も愛嬌あり。キャスト全員がキャラクターを立ち上げ、バランスも良い。
ラスト...場内出入り口近くにハシゴを架けるシーンは何を意味するのだろうか。閉塞感、そこからの脱出の経緯を表現したのか。穿った見方をすれば、閉じ込められて亡くなったのは娘・光のほうであった。自由は儚い夢だったのか。この敢えて描く必要があったのだろうか...。
次回公演を楽しみにしております。
1969:A Space Odyssey? Oddity!
開幕ペナントレース
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/10 (日) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★★
空間処理が巧み
第7回せんがわ劇場演劇コンクール ファイナルステージ参加作品。今回は30劇団のエントリーがあり、その中で厳選された公演の一つである。
SFファンタジーという観せ方であるが、その底流にあるテーマは確固たるもの。宇宙の中では、単純・坦々は繰り返し...平凡な中にも味わい深い営みが見え隠れする。その演出は短い時間の中では しつこい感じで少しイラッとする。
説明にある1969年、宇宙の旅を果たした宇宙飛行士達が、出口なき宇宙空間で“1969年”の出来事を体験していく、という不思議な切り取り方は巧み。そしてその観せ方はコミカルである。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
冒頭、三方から紐で結ばれ、引っ張られている人形が舞台中央で浮いている。さながら宇宙空間を浮遊しているようである。そして役者登場...その姿は全身白タイツのような体にピタッとした衣装。それが宇宙服をイメージしていることは明白である。
地球が破裂し断片が散らばる。それを集めてスペースシャトルを作ろうとするが、足元から瓦解する。その無駄とも思えるような作業を通じてみる人の営み、人類の歴史を見るようである。何か起こりそうな、夢・希望を持って活動した過去...その繰り返し積み重ねが歴史になる。そして過去と未来の緊張した時点が現在だという。過去は生きてきたが、未来は死が待っている。その怖い当たり前の事を突きつける。
此処ではない何処かに行ける確信を得た彼らだが、辿り着く景色は常に奇妙に“1969年”であった、という一瞬の夢を見ることも大切。その意味で未来の死を見つめつつ、今に戻って生きている価値は十分あるのだと...。
次回公演を楽しみにしております。
『<トマソンの祀り>を準備する』
トマソンの祀り
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/10 (日) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★
繰り返し...
第7回せんがわ劇場演劇コンクール ファイナルステージ参加作品。今回は30劇団のエントリーがあり、その中で厳選された公演の一つである。
究極には、都市伝説の一つとして「核」不要を訴える。多くの不要なもの、抽象的な形象(都市中のCM音)を描くことで不条理を表しているような気もする。
パンフレットの説明によれば、「トマソンの祀り」は、都市の人間を観察し、そこに抱え込まれた無用さの事情へ想いを馳せる--たった一人で初める現代の「祀り」だという。その無用に思えるものを、観察したトマソンを「身体でもって出現させる」というもの。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
上手側にトマソンの説明者(1人)。舞台の中央は乱雑...その中心が山積みになった靴。下手側にプラレールに電車。その箱庭のような作りは新都心のイメージである。
この公演はこれらの「物」を通して、人間観察を行っている。一見無用と思える、または雑然とした世界は、人間の心を表しているようだ。
人間社会には無用なものに目を瞑る風潮がある。それでも残って目にするものも少なからず存在する。さて、”もの”を”人”に置き換えた時、誰もがトマソンになる可能性がある。それに目を瞑るだけで幸せなのだろうか、という問題提起をする。
赤瀬川原平が発案したトマソンのコンセプトを「何らかの事情を抱え込んだ無用さ」として再解釈。その眼差しを物件ではなく「人」に向けることで無用な身振りや存在の内に抱え込まれた「何か」を観察・再現したのがこの芝居であるようだ。
その表現としての芝居は、コンクール形式への参加作品ならではという感じである。繰り返しこそが不要のような...そのイラッとするような体現こそが「トマソンの祀り」を表しているかも。
次回公演を楽しみにしております。
そだててたべる
演劇活性化団体uni
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/09 (土) ~ 2016/07/09 (土)公演終了
満足度★★★
少し怖いような
第7回せんがわ劇場演劇コンクール ファイナルステージ参加作品。今回は30劇団のエントリーがあり、その中で厳選された公演の一つである。
自然との共生を考えさせる農耕(濃厚)演劇である。自活の中に自己犠牲も厭わない教えとは何か。
自給自足...他者(グループ)を拒み、自分たちの仲間内で寄り添い食生活する。極めて狭い人間関係の中で縮み思考になる怖さ。排他的な行動の果てに得るものは...。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央にサークルのような囲い。その中に祭り櫓のような木組み。
その中に入っていれば他から攻撃させない。その意味でセーフティエリアと言える。逆に言えばそのエリア以外は危険地帯。この芝居でも害獣とおぼしき者が、このエリアの者を襲うシーンが何回かある。
自分たちで育てたもの以外食べてはいけないという厳しい教えがあった。 親元を離れ、土地を見つけ、教え通りの生活を始める。 誰かが死んでも自給自足の生活スタイルは変えない。そして一人になるまで...。
この芝居は、「食」を切り口にしたメッセージ性の強い作品。この生活における食の安全性は高いだろうが、栄養、調和(バランス)という点で問題が残る。食に絡めた分り易い人間社会が見える。この自給自足の生活は昔からの言い伝えのようであるが、その根拠の描きが弱い。物語で主張したいテーマの前提が曖昧でもどかしく思う。この誰が誰のための教えなのか。
食=生きる は食物連鎖との関係を思う。命の尊さを尊重しながらも、いろいろな共生が必要になる。さて、「食」を「平和」に置き換えた時、色々な課題も見えて ゾッとすることも。
いくつか考える課題が透けて見えるが、そこに観客(自分)としての想像力を掻き立てる幅を狭くするような...
次回公演を楽しみにしております。
落ちこぼれアイドルだった私が社長になって1年で会社を立て直した10の方法
ガラス玉遊戯
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/07/27 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
「HOW TO」本のような話...面白い!
タイトルと芝居の内容の好い意味でのギャップが凄い。
物語は、立体化した経営者向け読本といった印象である。シチュエーションは、地方のガス会社という、現代のエネルギー政策にぴったりの設定である。そして世襲社長、中小零細企業、地域密着、高齢者との関わりなどを示唆する問題の数々。そのどれにも明確な回答は示さないが、観客(自分)なりに考えるという、提起はしている。その道化的な役割を元アイドルが担っているようで興味深く観た。
この物語の最大の見所...率先垂範する社長の「視点」と「行動力」が魅力的であった。それはアイドルも社長も「人」を思う心、そして...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
客席はL字型。劇場出入り口とは反対側に舞台セット。その作りはシンプルで、長テーブルとパイプ椅子のセットが3組。ホワイトボード、ガスレンジとダンボール箱が数個。
社是「地域で一番愛される会社」が貼られている。
従業員が地域の人と密に顔なじみになる営業戦略...アイドル写真のようなパネルを飾ったり、企画案を配付するなど状況の変化が一目瞭然である。観客の集中力を途切らさないよう、舞台転換は薄暗りの中で行う。何となく見えるその素早い行動の中に時間の経過を感じる。
梗概...某地方のガス会社「小倉リビングサービス」は、経営が傾きはじめている。先代社長が亡くなり、新たに社長に就任したのはその娘である。彼女は、30歳を過ぎた「元・地下アイドル」。 作業服姿の従業員を前に新社長は「今までのやり方はダメだ!これから私たちの会社は、地域に愛されるアイドルになるんだ」 と。会社や従業員、そして彼女自身の人生の再起をかけた新たな挑戦が始まった。
元アイドルの女性社長の魅力、コンサルタントの実務的な対応、従業員としての旧態依然な姿勢、業務提携先であるが、親会社的な立場に窓口担当者など、それぞれの立場がしっかり描かれ、観ていて分かり易い。この観せる工夫が物語を飽きさせない。その意味で役者陣の演技とバランスは良かった。
この公演には先に記した問題提起がいくつもあるが、ガスのエネルギー政策...エネルギー選択の自由、料金抑制、供給と保安などについて説明する。そこに、消費者目線の重要性を絡める。そして環境施策も垣間見せる。その意味で中小零細会社を通じて現代日本の経営・経済を考えさせられるようだ。
アイドルも社長も「人」を思う心、そして...「確固たる意思」が重要であると。
次回公演を楽しみにしております。
太陽のあたる場所
パンドラの匣
TACCS1179(東京都)
2016/07/27 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
心温まるような...
遠ざかったから、懐かしさも倍加するような...人生の滋味を味わうような物語である。それが母の突然の死であればなお更であろう。二度と聞けないからこそ、胸の奥で自分の支えとなる言葉がある。それを伝える聞きなれた”声”が愛しくなる。
人の絆の儚さと希望、愛を育んだ喜びと孤独を静かにあぶりだすような余韻が心地良い。
家庭の中で、夫や子供達の世話をし、近所付き合いもしっかり行う。この家族を支えた母親は、多くの人がそうであるように、真面目に働いても目覚しいことがあるわけでもない。しかし、毎日の繰り返しのようである家事...その母親の仕事を尊重したい。
舞台美術はもちろん、脚本・演出も丁寧であると思う。しかし自分の好みとしては、しっくりこないところも...。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
地方都市の家屋...その居間を中心に物語は展開する。舞台セットは見事に作り込んでいる。居間には和箪笥、正面奥には廊下、その先には垣根のある庭が見える。上手側に台所。そこに食器棚、冷蔵庫が置かれている。下手側には別棟として風呂場、トイレがある。その風呂...今では珍しい薪で焚くもの。その他、いくつもの家庭用品が置かれ実際に生活しているような錯覚を覚えるほどである。そして上手の客席側の ひまわり花壇(タイトルを象徴するようなもの)。
梗概...説明から、突然亡くなった母の葬式に集まる人々。 今、明かにされる意外な事実、母の想い。 母は太陽のような存在で、 温かく優しく見守ってくれていた。それぞれの家族史があるように、この家族にもちょっとした出来事があった。その出来事(母は、父と結婚する前にお見合をし婚約者がいた)が、この平凡と思われる物語に味付けしている。この味付けは母のもの...そのちょっぴりほろ苦いエピソードが涙を誘う。
自分は(亡き母・照子からみた場合)、姪の恋人・海老原や義妹の高校先輩・野口(当日パンフでは同級生と紹介)の笑いを誘うような挿話よりも、普通の描き方(単に父親ほど年齢差があるオジさん)のほうが素直に観れると思う。
母の葬儀という悲しみと、残された父・息子の今後の生活という両方観せる話にするため脇筋に笑いネタを入れたようだ。あまり暗くならないような配慮であろうか。
自分の好みとしては、先の挿話を省略し家族との触れ合いをもう少し観せてほしかった。本筋であろう家族を中心としたドラマとして...。
上辺だけではうかがい知れない、歳月を重ねた結婚生活の奥底に横たわる老い、同時にそこで紡がれていく人間の生の喜び。
脚本は王道的で安定しており、演出は ひまわり ウェディングドレスなど魅せて印象付けるもの。とても余韻があり観応え十分であった。
次回公演を楽しみにしております。
きれいなひかり
情熱のフラミンゴ
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/09 (土) ~ 2016/07/09 (土)公演終了
満足度★★★★★
第7回せんがわ劇場演劇コンクール グランプリ
ダメダメ学生が卒業制作のため前夜集まり作業することに...典型的な劇中劇。この公演、なんとなく彼らの等身大の芝居稽古という準備段階を想像させるような内容である(彼らはダメダメではないが)。
一見アナログ世界に見えて、実は近未来のように感じられる、そんなシュールさも垣間見える。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
コンクール形式のため、次公演(劇団)の準備もあることから、大掛かりな舞台セットは作れない。本公演も小物を有効活用し、舞台技術(音響・照明)との相乗効果を狙い、見事に功を奏していた。
梗概は、説明「日本イベント専門学校(通称イベセン)照明学科の卒業制作前夜。卒業単位ギリギリの“いわくつき”生徒が集まるN班は徹夜で仕込み作業をしていた。 猿以下の知識で課題は完成するのか…」というもの。この「猿以下の学生」という役作りのための稽古にかこつけて退廃的な遊びを繰り返したと...。一夜劇のため、夜明けには終わる。その終わり方が、見回りロボットというハイテクの極み。
一夜という限られた時間、作業場という限定された空間、そこに気だるさと、目的を達成させようとする足掻き。それが舞台という画面を押し広げるようだ。
脚本も面白いが、音響や照明技術が素晴らしく印象的である。光と影のコントラスト、人の心の明暗を映し出すようである。演技は気だるさ(ダメ学生のイメージか?)を漂わせるため、猫背でスローテンポ。卒業制作場面として、脚立、ドラム缶、バナナ、缶箱を用いSE...。その音だしが上手い。
人間観察を通してのユニークな感性が、ダメ学生のキャラ設定を作り出していると思う。そしてその集合体としての人間(学生)関係の真面目・不真面目、器用・不器用という対の可笑しみが出ている。
コンクール作品であるが、通常の公演でも十分楽しめるもの。
次回公演を楽しみにしております。
WBB vol.10.5『リバースヒストリカ2016』
WBB
クラブeX(東京都)
2016/07/27 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
時代劇を次代劇へ
戦国時代の有名な武将と現代青年の織り成すSF・ファンタジー?...そこには、戦国時代という「世界」と武将の「個人」が存在する。その両方の魅力を遺憾なく魅せる。そして平和な世を謳歌する現代青年が体験する不思議感覚の数々。そこに極大と極小、過去と現在を目まぐるしく往還する。その描きは荒唐無稽で奇怪な様相になるはずが、所々に笑いが仕込まれる。
身の丈に合わせる物語というよりは、今の世に生きる幸せと戦国時代の殺傷が当たり前という社会状況の違いを斬り結ぼうとする野心作のように思う。
ネタバレBOX
ミステリーサスペンス仕立ての本公演は観ていて面白い。この物語の世界にぐいぐいと引き込まれる。封建的な主従関係、同じ主従でも野心を持ち自分で天下統一をなし得たい武将としての夢...その儚さを現代に降臨した本人(武将)達から話を聞く事によって、今の時代の有難さを感じる青年の成長。
円形舞台…正面に神社の鳥居。そして樹木をイメージさせるオブジェ。シンプルな舞台は殺陣等のスペースを確保するもの。演技は円形客席に放射状にある通路も使用し、観客の目線を意識した観せ方のようだ。
梗概は、戦国時代を舞台にした自主制作映画を撮影をするため集まったスタッフ・出演者たち。 そしてお祓いをするためスタッフが霊媒師を呼んで来てしまい、明智光秀を現世に降臨させてしまう。光秀に立ち向かうべく、撮影クルーは織田信長、羽柴(豊臣)秀吉 、さらには柴田勝家、森蘭丸、真田幸村を次々に降臨させてしまい、てんやわんやの大騒動になる。
本能寺の変を中心に、それぞれの武将の思惑、思念が伝わる。現代、机上の史実として教わる日本史とは違い生身の人間の言葉が、青年たちの心に響く。
テレビや映画で時代劇を見る機会が少なくなったが、次代を担う若者(キャストのファンであろう、若い女性が多かった)にも興味を持ってもらえるような作品である。
芝居的には、のり移られた青年の体から解霊させるまでの時間的制約による緊張感(それほどでもないが)、戦国武将による殺陣の迫力は面白かった。同じ日本でありながら、時間という隔たりは「歴史」や「文化」が異なる人々(特に現代青年)がどんなふうに感じ、考え、行動したのかを身をもって内側(心情)から推し量かり、生き生きと体験していく。それを観客(自分も)が追体験できるようで楽しかった。
役者陣は現代青年、武将が降臨してからの違いを演じわけ、それぞれのキャラをしっかり立ち上げ魅力的であった。
廃神社の神主が何故日本刀を所持していたのか、などという矮小なことは一笑に付して、過去に生きていた武将の声に耳を傾け、彼らが果たそうとしていた事(真)実を現代人にも分かる様に翻訳した物語として楽しめた。
次回公演を楽しみにしております。
かぜがふいた
ナイスコンプレックス
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/09 (土) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
魂を揺さぶる秀作
「第7回せんがわ劇場演劇コンクール」のオ-ディエンス賞受賞作品。物語の構成に分り難いところもあったが、心で話す(黒)電話...その擬人化した芝居はとても面白く、そして泣ける。
私事で恐縮であるが、自分の誕生日にこのような素晴らしい芝居を観ることが出来て嬉しく思っている。
(上演時間40分)
ネタバレBOX
3.11東日本大震災から5年...骨太い情景描写と繊細な人間観察という対比を持たせて描いており、無機質な黒電話を擬人化することによって、そこに声なき人々の心の声が聞こえてきそうな、そんな豊かな感情表現を感じる。
シンプルであるが、丹念でややもすれば王道的な描き方は、その観せる切り口がシャープなだけに観客(自分)が置いて行かれそうになるが、公演全体としては、目に見えない感情を上手く描き出し、その命題に向かう強固な意志は、この大震災の悲しみと痛みを十分引き出している。だからこそ、未来に向かう”力強さ”がしっかり伝わり、確かな前進、希望を感じさせ、前述の賞(特別審査員、市民審査員、全公演を観劇した人の投票で選出した公演)を受賞したと思う。
劇団からのメッセ-ジ...実際にある「風の電話」を擬人化し、震災後そして現地から見る今を、押し付けるのではなく、物語を通して浸透させるアナグロファンタジーで紡ぐ、という。その説明の通りであるが、その主張は確固たるもの。
この公演はコンクール参加作品であるから40分という時間枠の中で収めている。通常公演より短い時間であるが、場面転換に暗転を多用しているように思った。脚本には先に記したように悲しみを呼び起こすような痛々しさがあるが、それを乗り越える”力”を持っているのが”人”...そう信じさせる、また思わせる印象深い仕上がりになっている。
芝居的には音響・照明という技術面も効果的で、総合的に観せる魅力を持っている(専門審査員の中には、その技術に頼り過ぎとの批評もあったが)。一般観客は公演全体を通して、その芝居で何を感じるか(面白いか)という観点からすれば観応えのある作品であると思う。
この公演は、8月の0章作品(中野ザ・ポケットで本公演「かぜのゆくえ」)になっている。
次回公演が楽しみである。
英雄コレクション
ジョーカーハウス
サンモールスタジオ(東京都)
2016/07/21 (木) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
面白楽しい MIXバージョン
劇中劇の典型であろうか...実生活とバーチャルの世界を自由に行き交うため、 次第にそのギャップに翻弄されはじめる、という説明が言い得て妙である。
芝居としての楽しさ面白さと、主人公女性の成長を重ね合わせる、という多重構成である。
またゲームというバーチャルと現実社会のギャップに苦しんだのは、女性だけではないというオチも現代的な問題提起である。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
昨今流行のサブカルチャーと呼ばれる分野(ゲーム、アニメなど)はメディアミックスが進んだ結果、ジャンルの垣根を低くしたかもしれない。本公演はアニメキャラかリアルキャラか判然としないが、劇中ゲームとして、場面の展開をゲーム場面のクリアーと重ね合わせているようだ。その進展は現実社会における自立に繋がっている。
公演そのものがゲーム機の画面を見ているような錯覚。実にバーチャルな世界を観応えあるものに仕上げていた。
そして、ゲームにウィルス感染させた人間。企業における自己実現できないまたは認められないという歪な感情が動機になっている。そのバーチャルな世界における違法行為そのものが実社会での存在や主張そのもの。
印象に残る台詞...仮想の世界で痛みを知ることは、現実の社会でも痛みを知る。その知ることが人に優しくなれるようだ。それをゲームを通して教えられるという奇妙な体験が...楽しめた。
この「英雄コレクション」を観て、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」を思い出した。異世界を冒険する「ロールプレイングゲーム」である。このロールプレイは「役割演技」ということらしい。数人の仲間がそれぞれの騎士などの役割になりきり、ファンタジー世界を舞台にしたシナリオで会話・冒険をする。それを一人で楽しめるようにしたのがコンピューター版ロールプレイゲーム。
ここでも自分が操作することによって「成りきり英雄」として、世界を救う物語になっている。小説や映画以上に架空の世界の没入感がある。ゲームという架空世界を芝居という現実に見せる場面へ引き出させ、役者の演技(しっかりキャラが立っていた)や舞台技術(音楽・照明=場内全体を満天の星空など)の効果、そして劇場一体感となるような雰囲気は心地良(酔)い。小難しいことはいらない...という暗に主張する劇中劇のようであった。
次回公演を楽しみにしております。
7ストーリーズ
イークエスト・カンパニー
北池袋 新生館シアター(東京都)
2016/07/22 (金) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
ブラックコメディ...楽しめた!
開演前、静寂の中、車が街中を走る音。すでに孤独感が漂う。
男がアパートの7階から飛び降りようと身構えている。物語はその張り出した場所を往復し会話するだけのシンプルなもの。この公演の見所はこの男と、アパート住人たちとの奇妙な会話。いや会話が成立しているのか分からない、捩れ、勘違い、思い込みといった遣り取りに面白みがある。
終盤、老婆との会話が日常の繰り返しにこそ幸せがある、という当たり前のようで味気ないが、考えさせられる。
この芝居は面白かったが、気になることが...。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
ある夕暮れ、アパートの七階。一人の男が窓の外、外壁から僅かに張り出した突起の上に佇んでいる。今、飛び降りようとしているところに、7つの窓の1つが開いて、中で争っている男女の姿が見える。痴話喧嘩をしている。勢い余って男は女の首を締める。外の男は見るに見かねて仲裁に入る。しかし怒りが収まらない男はピストルを発砲。外の男も巻き込まれて大騒動となってしまう。
今度は両隣の窓が開き、それぞれの住人が顔を出し、事の顛末を外の男に詰問する。そのうち別の住人とその友人たちやパーティ会場の客たちも巻き込んで人が入替わり、立ち代り現れては男に話しかけるため男は飛び降りる機会を逸してしまう。
それから老婆が現れてとりとめもない話をし出すが...。
E-Quest Company 代表・谷口浩久氏が当日パンフで、この物語に”国家機関”と ある”動物”の登場について、この物語を暗示的に書いている。国家機関は警察、動物は鳩であるが、この物語の結末を上手く表している。
都会のアパートでの隣人関係は希薄または無関心といったところ。舞台はそんな情景を舞台うしろ(壁)の窓(部屋)に状況を投影している。窓の中にいる住人たちは、とにかく生きている。その無頓着振りと男が感じている繰り返しの平凡な日常への疑問が対比的で可笑しみがある。ここにブラックコメディとしての観応えを感じる。
自分自身を見失った男と100歳の老婆の他愛ない会話が印象的である。老婆曰く...警察は形式的な業務の遂行のみ。人の心には入ってこない。鳩、部屋に飼われたままでは飛ぶとこも忘れる。いやもはや飛べなくなっているかも。人生を坦々と生きた誇りのようにも聞こえる。そこには自立(信念)の大切さを問うているようだ。
さて、気になったこと。セットのアパートの張り出した場所を広角にひらいて作ってある。キャストが窓枠内で演技した場合、その角度が死角のようで観えないシーンがある。特に最前列両端の席は見切れになったと思う。上演後、気になって座ってみた。舞台セットまたは窓枠から半身出すような演技をするなど工夫があっても...。また男の悲哀・絶望が垣間見えて飛び降りそうな姿が見えると更に良かった。
次回公演を楽しみにしております。
月の道標
ニラカナエナジー
座・高円寺2(東京都)
2016/07/22 (金) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
骨太作品だが...
旗揚げ公演に太平洋戦争における沖縄戦...ひめゆり等の学徒隊をモチーフに取り上げた作品は観応えがあった。場内には、すすり泣きが聞こえる場面も多く、心魂揺さぶられる思いである。
素晴らしい公演であることを前提にしつつ、気になるところも...。
ネタバレBOX
舞台セットは、段差のある舞台を平行に設置し、その間の空間に壕か洞窟のような穴を作る。上手・下手には怒涛の波をイメージしたオブジェが立つ。
梗概は、ひめゆり等の学徒隊をイメージさせるような物語。説明抜粋「太平洋戦争の末期、激戦地となった沖縄。洞窟の中に設営された陸軍病院で、看護婦手伝いの学徒隊少女は、過酷な看護の日々を送る。しかし、日本軍司令部のある首里が陥落、アメリカ軍から逃れるために少女たちは南へ南へと逃げる。暗い洞窟の地獄から、爆弾の降る放浪」することになる。
戦争という最大の不条理、そこに見る人間の絶望と希望、弱さと逞しさを描いている。しかし、沖縄情緒豊かな地唄や映し出された風景は、凄惨さよりも旅情という印象が強く残った。また転戦(移動)するに従い、少女たちが成長していく様は悲惨さよりも逞しさを感じる。すべてにおいて、負なる言葉...恐怖・喪失・諦めを並べる必要はないが、戦時下という切迫感なり悲壮感が感じられなかった。そこに戦争の悲惨さと命の尊さ、生きる逞しさをどうバランスを図り印象付けて観せるか。
自分の好みとしては、もう少し戦時下における非人間的行為、それは大きくは戦争そのものであるが、自軍における倫理観が欠如せざるを得ない特異な状況を描くことで、より反戦を意識した公演にできたと思う。
この公演の中で、2箇所胸が締め付けられるシーンがあった。1つ目は、薬を譲る親切な行為に対し、お礼が手投げ弾を渡す。2つ目は、投降の呼びかけに「捕まれば米軍にひどいことをされると日本兵が言っている」こと。徹底抗戦が多くの犠牲を出した痛ましさ。
中盤以降、暗転が多くその間隔も短いため、集中力を保つのが大変である。また、女学生の衣装も含め小綺麗であるため違和感も…。その当時の姿、状況を視覚的に観せることも重要であろう。
「ひめゆり学徒隊」という呼び名(総称)があるが、本公演では少女一人ひとりの名前を大事にしていた。本来、総称ではなく一人ひとりの名前があり、前途ある若い人の命があったことを忘れてはならない、と改めて思った。
次回公演を楽しみにしております。
合理的エゴイスト
劇団ピンクメロンパン
明石スタジオ(東京都)
2016/07/21 (木) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
テーマ性がある物語だが…
現代から近未来を描いた内容...コンピューターの技術が刻一刻と進化している。その象徴として人型ロボットと人間との関係を興味深く観せている。専門的な用語としてシンギュラリティ(技術的特異点)という言葉があるという。人工知能が人間の知的能力を追い越し、自力で加速度的な発達を始める時点だという。
コンピューターが誕生して約70年、パソコンが普及して30年、インターネットが利用され出して20年、そしてスマートフォンを手にするようになって10年足らず...この加速度的に進化してきた歴史を見ると当たり前のような気がする。この進化がさらに進んだ世界...そこで起こる合理的なエゴと不条理へのストが展開する。この「エゴ」と「スト」の間にはイ(意)が必要なのだが...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台セットは、瀟洒な部屋、段通が敷かれ上手に豪華なソファー、テーブル、下手にも丸テーブルと椅子。壁には斜めに掛けた絵画が飾られている。この美術から既に歪な世界観である。
梗概は、 幼くして両親を亡くした姉妹は仲睦まじく生活していた。ある時、政府の人間が「お宅にロボットはいないか」 と。家族を傷つけ殺す人間(自宅に火をつけ無理心中しようとする父親)、家族(愛情)を求めるアンドロイド…どちらに真心があるのだろうか。社会や常識に血を流しながらも懸命に存在することを求める。
シンギュラリティは、人にとって必要なアイテムになるという。危険や過酷な労働はロボットに任せられるという期待。一方で人類滅亡の序章という考えもある。誰も理解できないコンピューターの「知」に依存し、制御不能な人口知能に人は支配されるというもの。
公演では家庭ロボット(アンドロイド)が不具合(故障)を起こし、回収し出すという。相当進化した形態のようで、一定の感情を持つようになるが、その耳目出来ない不思議な”心“は十分理解できない。アンドロイドには人の「心」そのものが不条理である。人の生活の便利さを求めるために造られ、不要になれば破壊される。至極当たり前のような行為であるが、近未来アンドロイドにはある程度感情があるような描き方である。その視点から見れば勝手に造り、自分たち(人間)の手違いで不具合を生じさせ、その結果破壊するのである。「エゴ」と「スト(襲撃)」の間には、「イ=意(思)」の疎通または交流が必要なのだろうか。
一方、人間でありながら、錯覚か記憶の錯誤であろうか、自分をアンドロイドだと思っていた。この男がアンドロイドを率いて人間社会に対してテロを起している。自分は人間である、という気持にアンダロイドに対する優越が透けて見え、アンドロイドからスポイルされる。そこに区別・差別という言葉の違いはあるが溝・壁があることは明白である。ここでも人間のエゴが見える。
この公演で、アンドロイドの不具合(欠陥)とは何か、人間を傷つけるようになったのか。このアンドロイド開発は1社独占なのか。他社があればそのアンドロイドの存在はどうなのか。政府の人間がアンドロイドを憎んでいるような行動。妻を盲目にされた恨みのようであったが...。その人間が持った心の痛みのようなものが解らない。人間の内面・感情からの視点の描きが弱いと思う。人間とアンドロイドがこのような事態・状況になった具体的なことを描くことで、問題の根源が見えてくると思う。またアンドロイドは、肉体的な痛みを持つまでになっているのか。一方、アンドロイドの軍事転用という指摘は鋭く怖い。この公演全体の描き方に濃淡が見えたのが残念であった。
いずれにしても経済至上主義、合理的で快適な生活を営むための欲求が、ロボット、アンドロイドの開発の原動力になっているようだが…。
役者陣の演技は安定しており、バランスも良い。そして役柄に応じて衣装に変化を持たせ役割を明確にする観せ方に工夫を感じる。
次回公演を楽しみにしております。
森の奥の噂ノ塔の上の
演団♤四輪季動
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/07/06 (水) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★
盛りだくさんかも...
本公演は、物語の展開が分かり難いように思う。メインストーリーは青春期の好奇心を充たすような行動...それがタイトルにある森の奥の塔を目指すというもの。このイメージは、映画「スタンド・バイ・ミー」(1987年日本公開)を彷彿とさせるようだ。もっとも登場する人物の世代等(本公演は高校生男女、映画は12歳の少年たち)は違うが、若い頃の好奇心とその過程における友情が描かれている点では同じ。
そして映画タイトルを訳すと「僕のそばにいて」または「僕を支えて」…公演そのものではないか。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
梗概...ある街に住む少年と星空を眺めるのが好きな少女は、大切な"きょうだい"だった。 両親がいない中でお互いを支え暮らしている。 この街には、 強い願い事を叶えてくれる塔(神様)がある。 真偽は、面白半分、興味半分で少年達は森の奥に足を踏み入れる。 そして、森の奥である選択を迫られる。 大切に想っている人がいなくなってしまったら その時、どんな選択をするのか。
舞台セットは、中央に木枠で出来た「塔」。上手・下手にそれぞれ台が置かれているのみ。このシンプルな作りの中で森をイメージさせるため、台への昇降をもってして立体感、躍動感を表現している。それだけに脚本・演出に依るところが大きいが、この芝居では構成が散漫になっていた。
街外れの森に塔があり、そこから見える景色が素晴らしいこと、塔の上で願い事(1人)をすれば叶うという言い伝え。高校クラスメイトが好奇心から上ることに...。これが本筋であろう。この筋に①クラスメイトと馴染めない男子高校生とその妹の関係 ②星座好きな妹の本当の正体 ③ヒーローショー(笑)場面 ④大人(市役所役人や女教師)の隠し事、妨害 ⑤脚本・演出家による金の斧・銀の斧などが挿話として交錯する。その関連は緩く、それを挿話する必然性が感じられない。物語の輪郭(軸)を暈していることが、結果的にストーリーを分かり難くしている。
「スタンド・バイ・ミー」でも行方不明と騒がれた少年が列車に轢かれ、遺体を見つければヒーローになれるという。そして行動を起こす。
映画には、カインコンプレックスという心理が垣間見える。その特徴として同世代に心を閉ざしたと。この件、本公演では兄弟を兄妹に置き換えての描いたように思えるが...。
ヒーロー登場場面以外は、同じようなテンポ。単調な観せ方は観客(自分)を飽きさせる。日常(街)の近くにある、非日常(森)という神秘的な場所にある不思議な力のある「塔」...その謎に迫るようなドキドキ・ワクワクするような冒険譚でも良かったのではないか。
描きたい内容を盛り込んでいるが、そこには勢いがある。こじんまりと収まるよりは、勢いを大切にしつつ、観客に観せるという工夫も必要ではないだろうか。
次回公演を楽しみにしております。