夜長月
表現集団蘭舞
at THEATRE(東京都)
2025/09/13 (土) ~ 2025/09/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
初めての団体であり会場。
9月だが、体感的には夜長と言うには まだ早い。それでも「夜」を思わせる内容とその照明効果がよかった。公演は、朗読3作品で ゆるく繋がっている。しかし内容的には独立しており、それぞれテイストが違う。全体的には丁寧な劇作といった印象だ。ちなみに2チーム(A・B)での(朗読)公演だが、当日パンフは別々に作成して配付。
(上演時間1時間10分) 【Bチーム】
ネタバレBOX
会場は剥き出しのコンクリート壁と天井。舞台中央に椅子2つ、背凭れを背中合わせにしてハの字のように置く。
物語はシンプルにして分かり易い内容、不要な形容詞や修飾的な言葉(台詞)は少なく、どちらかと言えばストレートにして端正といった印象の朗読。その意味では、伝えたい内容を簡潔に しかも的確に表現している。基本的に2人の対話、その人物造形と今の状況を簡単に説明し、夜という時間の流れの中に観客を誘うようだ。
公演の魅力は、分かり易い---軽快で歯切れよく、それでいて安定感ある会話、それも現代の若者言葉でグイグイと押してくる。出来れば気の利いた言葉の1つや2つあったら、印象的だったと思う。またキャストは表情も含め感情を込めた朗読をしていたが、もう少し生彩ある情景がほしいところ。それが端正ー言葉を丁寧に読んでいるが、生々しさという実在感をまとった迫力、リアリティが感じられないの惜しい。
初めて行った会場、比較的狭く 周りはコンクリート剥き出しの壁や天井だ。舞台技術…照明は 角度を微妙に変え、壁に照明(光)が反射しない工夫。しかも物語の情景に合わせて諧調し時間の経過を表す。また音響は、1話のゲームの出だし部分(音楽)だけ大音量にし、あとは台詞に被らないよう配慮している。公演全体が丁寧な印象を受けるのは、キャストの明確な朗読、舞台技術の工夫、そして制作(受付を含む)の対応等による。
3作品は次の通り(朗読順)。
1.「ゲーマー、ふたり」
ゲームが趣味の女性 伊吹香澄がVTuberの小畑めぐるとオフ会で会う。香澄は めぐるが同じくらいの年齢の女性だと思っていたが、実際は年下の男の子。めぐるから格闘ゲームの勝負を挑まれ対戦するが容赦なく叩きのめすが…。
2.「嘘と秘密」
情報屋の烏は、不良集団に拉致された神崎陽葵を助けた。彼女の片目(神秘的な輝き)に価値があるようで、それを闇社会で売れば大金が手に入るらしい。彼女の危機を救うためラブホに入った2人の話、そして烏の正体とは…。
3.「初恋の記憶」
高校時代の彼女 星名朱莉の結婚式に出席するために帰郷した日向光洋。都会で美容師をしているが、順調とは言えない。日向に、幼馴染の矢島翔子が声をかける。彼女が率いる少年野球チームの練習で汗を流し、今の心境を見直すような…。
当日パンフに主催挨拶として「立場や境遇の違いはあれど、誰かを思いやれる人達の話。何かに行き詰っている大切な誰かが、再び立ち上がるためのキッカケのひとつ」を記している。その思いは十分伝わる。
次回公演も楽しみにしております。
『コラソンはデイドリームちう*(中)』
コラソンのあんよ企画
APOCシアター(東京都)
2025/09/12 (金) ~ 2025/09/15 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
現実と幻想の間で揺れ動く、そんな曖昧な世界観を描いた物語。その曖昧さが 人間らしいと言えるのかもしれない。前作「コラソンのおともらち」は3話オムニバスという説明だったが、実は連作のような構成。本作も基本は3話だが、それにプロローグや1話の中に幕間~その① ②を挿入し、2話・3話と続き、最後にエピローグという構成で、少し凝った劇作。
公演の見所は、日常のありそうな出来事を 敢えてリアルに描かず 白日夢のような幻想世界へ誘うところ。リアルに描かない--その舞台の虚構性を前面に出すことで、観客の想像力や思考力を刺激する。基本は家族の在り方を描いているが、そこに潜む表現し難い感情を それぞれのキャストが上手く演じている。その意味で確かな演技と調和している。
(上演時間2時間20分 途中2分程度のリラックスタイム) ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台装置は、3話および幕間~その① ②の場景に応じてテーブル、イスそしてベット等を搬入搬出する。場転換が多く 暗転も頻繁にあるが、集中力は削がれない。また 音響/音楽の印象はないが、照明は巧に諧調し 心情や光景を効果的に表していた。
物語は 逃避と願望、憧憬と畏怖といった 相反するような描き。人間の心は複雑、その表現し難い内面をリアルとファンタジーといった観せ方で紡ぐ。全体としては、人の再生・自立へのキッカケと家族の絆が浮き彫りになる好公演。
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概要は次の通り。
0.プロローグ
青澤家の食卓、そこに長女 瑠璃、次女 藍子、そして父の玄太が穏やかに会話している。主な登場人物と 母は亡くなり父子家庭ということが分かる。
1.「A Wonderful Day ~ ワンダフルデイ~」
亡くなった母 青葉は生きているが 余命わずか。今は 草太という男と暮らしている。正面の壁に窓/カーテン影の照明。(黄昏時?)2人の穏やかな会話で和む。安楽死を求めて海外の病院へ来ているようだが、草太が夢落ちすると そこは日本の病院。事務的な男性医師 ブラウン医師/訪問医師(海外と日本)との会話が虚(空)しい。草太は家族 特に娘たちに思いを伝えるべきではないか と提案。遺書代わりに録音を勧める。
青葉は、子の愛し方、接し方が分からず育てられない。その苦悩を夫 玄太に話して 云十年前に離婚した。青葉は自分も母に愛されなかった。ネグレストというの負の連鎖。現実にある家庭(個人)の深刻な問題、それを海外と日本の医療(社会)問題--安楽死を絡めて幻想と現実の間で描く。
幕間~その① ②は、それぞれ或る住宅の街路。訪問医師と訪問看護師の車内での会話。一方的に医師が看護師を詰問し、立場の上下関係を知らしめている。台詞にもあるが、強い口調はパワハラ/セクハラではない旨 事前に言い訳する。幕間は、2話への場所と主役が変わることを意味する。
2.「Un homme et une femme~男と女」
訪問医師 紺田秀一郎は看護師が辞めて機嫌が悪い。場所は大久保公園の近くの某公園。そこに立っていた若い女に声をかけるが…。側壁に歌舞伎町のビル街を映し出した照明。そこへ見知らぬ女が紺田へ近づき、オレを忘れたかと問う。過去の苦い思い出が甦る。女は桜木百々江といい高校の同級生。同時に紺田の意識下に母親の幻影が立ち上がる。今の女性蔑視、弱い者いじめといった態度は 自分の内にある女性(マザー)コンプレックスの裏返し。現実と幻想が混濁した意識下、深層心理の情景。
3.「Too Hasty to Call This,”Fantasy"~ファンタジーと呼ぶには早計です~」
再び青澤家の食卓。プロローグの穏やかな会話から一転、激情が迸る。姉 瑠璃は精神的に不安定で引き籠り。妹 藍子は夜のバイトで昼夜逆転の生活。藍子は母 青葉の記憶はなく、瑠璃に向かって母の面影を聞く。少しでも母の愛情を受けたのでは という嫉妬心から今の生活状況を責める。一方 瑠璃は藍子が如何わしいバイトをしているのでは と詰問する。そこへ父 玄太が妹 橙子(叔母/辞めた訪問看護師)を連れて帰宅。2人の言い分を聞いているが、そもそも子に関心がない。そのうえ、瑠璃が家事や妹の面倒を見て母親代わりをしているにも関わらず、それが当たり前のよう。玄太の困惑した表情/態度が滑稽。
4.エピローグ
橙子は、不思議な女/ニルに頼まれ遺書代わりの録音を…、娘たちへ思いを伝える役目を果たした。不思議な女そしてチャコでありニルは青澤家で飼っている猫=精霊であろうか。そこは観客の感性に委ねているようだ。
次回公演も楽しみにしております。
カサブランカ
株式会社スタイルオフィス
博品館劇場(東京都)
2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
朗読劇だが、動きのあるストレートプレイのようでもある。有名な映画「カサブランカ」を どう観(魅)せるのか興味津々だったが、実に見事な舞台化。今さら説明の必要がないクラシックの名画、それを演出…特に舞台美術と技術の効果によって80年以上前の作品が、色褪せない現代劇として甦った。
朗読劇ゆえ、台詞を明瞭に発声することはもちろん、呼吸の間によって微妙な感情を表現する。1人ひとりの演技力というか朗読力が安定しており、その(役者陣)バランスもよく舞台に集中できるところが好い。またピアノの生演奏や歌が なんとも贅沢だが、それ以上に心に残る余韻付がすばらしい。ちなみに演奏は、劇中のサム役・奥村健介さん、芝居はこの舞台が初めてらしい。歌はヒロインのイルザ役・有沙瞳さん(元宝塚歌劇団)で、その情感が観客の心を捉える。
(上演時間1時間30分 休憩なし)追記予定
Voice Training 2025
虚空旅団
北池袋 新生館シアター(東京都)
2025/09/05 (金) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
冒頭は確かに 説明にある「話し方教室」だが、しだいに人間関係 コミュニケーションの機微を描いた市民劇へ。教室に通っている4人の受講生の性格、職業や受講するキッカケが妙。そして後任講師としてやってきた女性の背景にある問題を相照らすような展開が、それぞれの立場をこえて学んでいくようだ。
単に 話し方のテクニックという表層的なことから、話す=言葉の持つ意味や 使い方で その場の雰囲気が変わる。そこに本音と建前の使い分け、生き方のようなものが浮かび上がる。この公演、すべてを明らかにするのではなく、人物の背景等を見え隠れさせ興味を惹き、そして想像させるという巧さ。そこに演劇の余白のようなものを感じる。また演出が丁寧で、自分がその場にいるような臨場感がある。
(上演時間2時間) 追記予定
今日は、これくらい
サンハロンシアター
OFF・OFFシアター(東京都)
2025/09/04 (木) ~ 2025/09/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
市の活性化の中心にしたい サッカーチーム:ジャンドゥーヤ鶫野、その試合をメインにした市民フェスタへ観客5,000人を集めるという一大イベント。その関係者や市民個々人の思いと行動を描いた庶民劇。
街興しはしたいが、その中心がJ3でもないサッカーチーム(現在JFL)。その関心度や思い入れが違い、なかなか一枚岩にならないところがリアル。夢中になるものって人それぞれ、それをどう纏めるか至難の業だ。その それぞれ夢中になるものを登場しない人物を通じて垣間見せる巧さ。
(上演時間1時間30分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術…中央が窓抜き枠のようで、場面に応じて枠内を入れ替える。また演台のようなものを搬入し、市にある洋菓子店などを現す。物語は鶫野市を活性化させるため、地元サッカーチームの交流試合に5,000人を集客するイベントを企画。サンハロンシアターは、キャストの高年齢といったことが書かれていたが、その実態を物語に重ね、若者が都会へ行き 鶫野市の高齢化が進んでいくようだ。
イベントに携わる人々の思い入れ(熱量)が微妙に違うため、今一盛り上がりに欠けている。しかし地元ということもあり、幼馴染や高校の同窓生を巻き込んで…。
チームの広報・営業担当の桐田俊也は、高校の先輩でありスポンサーである㈱ヘーゼレート営業部長 羽場健一にイベントの必要性を説いている。市民フェス実行委員の青島真沙美、高梨祥平は2人の様子を静観している。また羽場と高校時代 同級生だった槇村結子は、商工会議所職員として地元だがサッカーには詳しくない。亡くなった夫が野球 阪神ファンだったこともあり、どちらかといえば野球に興味があるようだ。そして娘が結婚しようとしている相手が巨人ファン、夫が生きていたら何て言うだろう(夫、娘とその彼氏は登場しない)。
このイベントで自慢の洋菓子--特製ティラミスを宣伝したいパティシエ・洋菓子店経営の川江瑠衣、こちらは商売が気になる。そしてこの店を手伝っている沢木田律の夢や生き方にも関わってくる。イベントの司会進行役として漫才師のヒクイドリタカイドリ(長谷吉彦、佐山敬太)が来るが、彼らは地元ではないことから、もっぱら自分たちの芸風等を気にしている。地元イベントといっても関心は人それぞれ違う。そこに「地元だから」といった変な強制・強要や同調圧力はなく、むしろ自然(体)な人間関係が築かれている。そこに何故か安堵感を感じてしまう。
そして集客は4,899人という微妙な数字(不達成)、コメディという名の予定調和にしないところに好感が持てる。ラスト、負け惜しみのように聞こえる、桐田の「今日は、これくらいにしてやる」だが、むしろ この捨て台詞が 明日に向けて という力強い言葉に思える。
次回公演も楽しみにしています。
『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場MOMO(東京都)
2025/08/26 (火) ~ 2025/08/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
演劇とアイドルイベントを融合したような公演。
チラシにある、この学園は通信制の芸能学校という設定が肝。
物語は、生徒たちの学業 それも普通、高校で学ぶ主要5教科の成績が悪い。そのため課外授業が実施されたが…。
(上演時間1時間50分)【G組】㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、後壁に8つの箱馬が横並びだが、ほぼ素舞台。
芸能学校といっても、そこでの学業は大切。芸能という人材育成と同時に教養や知識を学ぶことは必要、その学びの過程を面白可笑しく描く。自分たちの特技、例えば歌の歌詞に覚える事を置き換えてリズムよく覚えていく。歴史年号(年代)を語呂合わせにして覚えたような。この豊かな発想が彼女たちの魅力。一方、学園の経営という観点も重要、その葛藤や苦悩の役割を 校長や担任に負わせている。経営陣である理事長(登場しない)からの電話は、2人にとって煩わしく悩ましい。ここまでにダメ生徒と私立学校の一般的な内容を盛り込み、後半に芸能学校らしい特色を描く。
課外授業の1つとして、パワハラ・セクハラへの対応をシミュレーション劇として演じる。その対応の良し悪しを観客が判断する。そのため前3列までの観客にカラーエアーボールを事前に渡し、ダメだしは そのボールを舞台へ投げることで(意思)表示する。
芸能といっても 生徒たちは、アイドル・声優・グラビア・モデル・役者・お笑い芸人・インフルエンサー そして歌のお姉さん=8人(箱馬の数)。目指すところは違うが、今の芸能界を見ればスキャンダルやハラスメントで日々騒がれている。劇中でもスキャンダルー不倫ーはダメと言っている。その1つ1つのケースは深刻な問題だが、最近の風潮はSNSやメディアに乗ればエンターテイメント化してしまう滑稽さ。その問題意識を観客参加型で観(魅)せているが、全体的に緩いといった印象なのが惜しい。
舞台(キャスト)本来のダンスパフォーマンスは華やかで可愛らしい。先のボール投げなどを含め、その観(魅)せ場は サービスに溢れた内容だ。
次回公演も楽しみにしております。
ミュージカル「ディア・マイ・ドクター」
演劇ユニット「暇つぶしチェルトン」
サンモールスタジオ(東京都)
2025/08/27 (水) ~ 2025/08/31 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。旗揚げ公演?とは思えないほどだ。
明治という新しい時代になっても 家父長制、男尊女卑という差別(制度)・偏見・慣習等に立ち向かう女性たちのヒューマンドラマ。いや奮闘劇といってもよい。脚本・演出は勿論、ミュージカルと謳っているから歌も見事。さらに出演者がスタッフ的な役割も担っており、まさに公演に向けてチーム一丸になって といった気概が舞台上に表れていた。特に 劇の要である歌唱指導は大変だったと思う。
公演は、当時の状況や風潮を背景に 初めて医師免許を取得した3人の女性たちが、どうして医師免許を目指したのかを描いた 虚実綯交ぜのフィクション。物語は、3番目に医師免許を取得した高橋瑞をモデルにした高水せい を中心に、彼女たちの生い立ちや性格などを描き、女性にとっての閉塞感を浮き彫りにする。劇中の台詞「道は違えども、すべては患者さんのために」、その精神は現代に通じるもの。現代といえば、3人が医師になってから起きた感染症の大流行、それをコロナ禍と重ねることで、いつの世の人の心の在り方を巧みに織り込む。
(上演時間:1幕55分 2幕65分 途中休憩10分)【B】
ネタバレBOX
舞台美術は、段差を設え 左右非対称の壁。それが古色蒼然としており当時の雰囲気を漂わせている。また 衣裳やサーベル等の道具にも時代を感じさせる拘り、その丁寧な作りに好感。舞台技術の照明も柔らかく、丸みを帯びた光の中で人物が生き生きと映る。そして無人のときは美しい光景として印象付ける。
没落士族の家に生まれた 高水せい(一役2人〈青年期・中年期〉)、子供の頃から好奇心が旺盛で知識欲もあった。しかし 女に学問は不要で 早く良縁に巡り合い嫁になること。そんな時代閉塞に不満を募らせる。いつしか 人の命の大切さ、それを出産の手伝いをすることによって知る。同時に医療行為は出来ないという現実にぶつかる。
男社会や家制度、今でいうパワハラ・セクハラといったハラスメント問題を点描する。その生き難い時代にあって、人間らしく生きたい、人の役に立ちたい といった熱い思いを歌で表現する。台詞という直接的な言葉ではなく、歌の歌詞にのせて しなやかに 強かに しかも情感豊かに表現する。そこにミュージカル劇としての真骨頂がある。
明治30年代に流行したペスト、その対応に奔走した女医たち。それを令和のコロナ禍に重ねているが、当時は演劇・映画といった文化 興行は「不要不急」といわれ大打撃を受けた。確かに命は大切、しかし文化という灯は灯し続けなければ、いずれ廃れてしまうかもしれない。公演では、生き方や社会との向き合い方、それを 明治という150年ほど前の出来事を今に生きる我々にも分り易く伝える。その意味では一種の教育劇のようでもある。
次回公演も楽しみにしております。
『夏砂に描いた』
πTokyo
πTOKYO(東京都)
2025/08/22 (金) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
#夏砂2025
面白い。この演目は、この会場で以前 観(聴い)たことがあるが、演者が違うとまったく別の情景が(心に)浮かんでくる。ほとんど動きのない朗読劇、言葉だけで物語を紡ぎ 観客の心に訴え響かせる。その醍醐味を十分味わわせてくれる好公演。
登場人物は、僕・君・女・母・彼のわずか5人。長い時間軸を辿り関係が少しずつ明らかになっていく。ひと夏の淡い思い出は、その後の人生において あまりにも愛おしく瑞々しく純粋だった。キャスト5人はそれぞれの人物を立ち上げ、情感豊かに演じる。勿論、照明や音響/音楽といった舞台技術の効果/印象付けは巧い。
(上演時間1時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、腰高丸椅子が横並びに5つ。後壁にはカレンダー、絵画、水着そしてTシャツが吊るされている。足元には浮き輪やビーチサンダル。朗読劇ならではのシンプルなセット。上演前には静かな波音が聞こえる。
舞台は 或る年の8月31日夕暮れ、人気のない海辺。物語は 茫洋と海を眺めて、街へ帰る最終バスに乗り遅れた高校生2人の淡い想いの回顧とその後の人生を巡る運命。今となっては夢か現か、過去と現在を彷徨する。可笑しくて 優しい、でも悲しくて残酷だ。
僕が高校2年の夏休み最後の日、海の家でのバイトを終えバス停へ向かうが 最終バスに乗り遅れ、そして君もー。バスに乗れなかったことで、憧れの先輩と話すことができた。どうやって帰るか という心配よりも、今の瞬間を大切にしたい、そんな幸せのひと時。とりとめのない会話、それぞれ将来の夢を語り、僕は画家になりたいと。君は僕の絵を見たいというから、棒で砂浜に絵を描いた。そして君の夢は…それを聞きそびれた。君は明日引っ越して、転校するという。来年、ここで同じ日に会おうと約束したが…。翌年 君は現れなかった。
それから13年、僕は30歳になり 同じ場所/時間で、またバスに乗り遅れた。その時は別の女も一緒に。さらに10年、40歳になった僕は同じ場所/時間に あの女に再会した。偶然なのか必然なのか、女は君の妹で 色々なことを聞いた。君は不治の病に罹り 既に亡くなったこと、入院中に結婚し 偶然にも僕の絵を病室に飾っていたこと。今、僕と女(君の妹)は一緒になり、棒の替わりに杖を握って ゆっくりと歩んでいる。
高校の夏休み最後の日、それも わずかな時間の淡い思い出を大切に綴った物語。キャスト1人ひとりが、心情を丁寧に表現しているから 観る(聴く)者の心に、その想いが染み入ってくる。なんて至福なひと時であろう。
次回公演も楽しみにしております。
こんなにもあなたが愛おしい
Ichi-se企画
荻窪小劇場(東京都)
2025/08/21 (木) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
#あないと
面白い。継母と息子を中心とした家族劇。最近観かけなくなったストレートな家族愛に、日本の良き原風景を見るようだ。平凡で小さな物語だが、そこに多くの人が共感するであろう優しさが滲み出ている好公演。脚本も良いが、それを描き出す丁寧な演出と確かな演技が物語を豊かにしている。
登場しない実母と遺した日記が肝。
(上演時間2時間 休憩なし)㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、上手に家族の家 加島家の居間-卓袱台や仏壇そしてラジオ、下手は段差を設え 上に福岡のFMラジオ局のスタジオブース。この2つの空間を巧みに使い分け、加島亮(36歳独身 同棲中、ラジオパーソナリティ)の心情を表す。シーンに応じて上手 二階部や客席との間の空間を街路と見做して行き来する。それほど広くない劇場内に、行橋市の実家と福岡のラジオ局(職場)という地方都市の風景を表す。
舞台は 或るひと夏の地方都市、台詞も方言交じりで都会とは違った雰囲気を漂わす。この舞台全体の世界(観)が優しく温かくホッとする。説明にもあるが、亮は 幼い頃に母を亡くし、父 大二郎が再婚し新しい(継)母 八重子がきた。しかし 亮は八重子が嫁いでくる前日に亡き母が遺した日記を見つけた。さらに八重子も日記の存在を知ることになる。日記には、亮への愛情に溢れた言葉が綴られていた。一方 八重子は自分の子は産まず、亮へ愛情を注ぐが無視され馴染まない。遠足の弁当を作っても放り投げられる始末。亮は優しく美しい八重子を慕うことは、亡き母を忘れてしまうのではないか こわかった。長い間 胸の内に隠してきた思いを激白することに、それは八重子が末期癌で余命わずかということを知ったため。この遺された日記は実母の<想い>が詰まっているが、同時に亮の心を縛り付ける<重い>ものになっていた。日記に翻弄された家族。
長い間疎遠だった2人の気持が簡単に通じ合うことはない。それをラジオを介在させパーソナリティという職業で語る、さらに「あんたのお母ちゃん」からの投稿という形で繋げる巧さ。父も亡くなり、その三回忌に帰ったきり会っていない。その父も夏(お盆)時季に霊として現す。生前は亮と八重子の気持ちを理解しつつ、何とか2人の仲を取り持とうと腐心する。過去と現在を往き来きするが、それを亮と八重子は 夫々1役2名で演じ分かり易く展開していく。
照明の諧調によって心情表現を印象付け、衣裳替えと相まって時間の経過も表す。また音楽はラジオから流れる曲、日常何気なく口ずさむ歌「上を向いて歩こう」。終盤、居間から見る 行橋夏祭りの花火シーンが美しい。ちなみに、行橋夏祭りは1989年(昭和64年/平成元年)から始まったらしいが、それは亮が生まれた年であり 元号が変わる。それは生みの母から育ての母へ という意に重ねているのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
夏の夜の夢
theater 045 syndicate
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2025/08/21 (木) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。シェイクスピアの原作を、その世界観を損なわず 現代風に分かり易くアレンジしている。当日パンフによれば、上演台本は5氏の翻訳を参照したが、できる限り似ていない日本語となるよう目指した と。その意味では、theater 045 syndicate版「夏の夜の夢」で、「演劇」という世界を強く意識している。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は中央奥に出捌け口、その前に大木。上手/下手は非対称の段差で、特に上手は上階部につながる階段がある。下手の天井部には三日月。天井を含め周りをY字の木々が囲う。そこはアテネの宮殿であり森を連想させる。高い天井部から覗き見る、そこに居るのは いつも妖精(界)、下の段差は人間界という区分けした空間演出も巧い。また情景に応じて中央の大木が移動する。
本作は シェイクスピアの有名喜劇で、その内容は知られている。登場するのは、大別すれば人間(貴族)界、人間界で婚礼を祝う職人たち、そして妖精界である。その違う世界を錯綜させ混沌とした世界観を表現するが、本作では なるべく それぞれの世界の中で話を完結させ、その 纏まりを分かり易く繋ぎ紡いだといった印象だ。それは幻想的というよりは、人間界における滑稽さ や 妖精界における諍いが人間界を巻き込んで騒動を起こした。それは面白可笑しさというよりは、エゴで理不尽な行い。そこに人間臭さが立ち上がる。同時に妖精たちなどのダンス/パフォーマンといったエンタメ性も魅せる。このバランスある演出が好い。
本作では、演じている役者の背景が人間界(裏舞台)、そして荒唐無稽な振る舞いを妖精界(表舞台)、婚礼を祝う職人たちは、劇中劇の登場人物といったところか。ラスト、いたずら好きの妖精パックが「舞台は夢と同じ」と語りだす。舞台の淵に立って、そこを境に内側にいる役者はいつも重労働。表舞台では生きる喜びを歌い上げても、幕の裏では涙する と。舞台人の哀歓を「夏の夜の夢」を借りて描き出しているよう。汗と涙を流した稽古、本番は無我夢中、終わってみれば泡沫の夢のよう、まさに舞台そのもの。悲劇として有名な「ハムレット」、その台詞「To be, or not to be: that is the question」は 二者択一という厳しい状況だが、祝祭性を表す喜劇は 何でもありの世界。この柔軟な発想が 舞台によく表れており、それが魅力とも言えよう。
次回公演も楽しみにしております。
抜殻を握った僕たちは
男澤企画
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/08/20 (水) ~ 2025/08/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
未見の団体。見応え十分。
説明にもあるが、自死をした人と残された人たちの言い表せぬ感情を描いた物語。命を絶つことの是非を問う内容ではない。その行為は人間だけがする選択、それによって、新たに生まれた感情がメインテーマ。それを人間以外の生き物の脱皮・羽化といった成長過程と重ね合わせた骨太作。
高校 演劇部で脚本を書いていた男が 売れっ子作家になったが、いつしか書けなくなる。その もがき苦しむ姿は、よく舞台や映画の題材になる。前半は 承認欲求といった描き方だが、後半は それに止まらず 隠された その背景(心奥)と向き合うことによって前に進もうとする。周りの人たちも巻き込んで、再び時計の針を動かそうと…。
ラスト、残された人たちが握らされた切ない思(重)い、その心情をスポットライトの中で語り、そのまま溶暗し場面転換する。その時に流れる優しい音楽や歌が心を和ませる。脚本に対するバランス感覚ある演出や 前説から本編への導入が巧い。また 脚本/演出の男澤博基さん(刻チームのみ出演)は、出番こそ少ないが、考えさせる重要な役所を演じていた。いわば物語の重石的存在。
(上演時間2時間 休憩なし)【刻】
ネタバレBOX
舞台美術は、上手 客席寄りに和室と収納棚、下手は段差を設え その隅に公衆電話、中央に幕。全体は(高校)演劇部の部室であり、作家の日暮 蛹の部屋を表している。
高校の演劇部時代と社会人になった過去と現在を往還して展開する青春群像劇。高校生にして優れた脚本を書く日暮、その彼の作品に憧れて途中入部した桑田幸宏。特に演劇好きというわけでもなく、平凡な学園生活を送っていたが、入部してからは明るく生き生きと活動する。そんな兄を妹 鳴海は温かく見守っていた。しかし(演劇)発表会間近に事故が起きてー。
演劇部に関わった人たちは、社会人になってからも その時のコトを引き摺っていた。日暮は小説家になり、発表した作品も評価されていたが、最近は筆が止まっている。高校時代の事故とは、幸宏が担当した舞台装置(大道具)が倒れ、それによってケガ人が出て発表会も辞退することになった。(明確に描いていないが)責任を感じた幸宏は自殺してしまう。幸宏の自死に何らかの関わりを持った演劇部員やケガを負った目黒大和(野球部員で演劇部の手伝い)は、彼の死によって 言い表せない感情を抱くことになる。自死=魂が無くなった抜殻なのだろうか。遺された人たちは、その抜殻を握らされて、重く沈んだ気持のまま生きていくことになるのか。「抜殻」は色々な比喩として用いられている。
書けなくなった日暮、次回作を高校時代の この出来事を題材に…編集者になった目黒は見守っている。一方、商業ベースで考えるライター 炭畑源治(男澤博基サン)は、目黒と激論を交わす。高校時代の仲間内、傷を舐めあって労わる甘さ。それに対し第三者(客観)的な岸畑は物事を冷徹に見詰める。1人だけ当事者ではない人物を配置する妙。その対比が遺された人たちが自らの気持と向き合うといった成長(比喩的な表現として「脱皮」「羽化」)へ繋げる。自死した幸宏のことを「忘れたい」から「忘れない」といった前向きな気持にさせる。幸宏は、日暮の作品の中で生き、遺された友達の心の中で生き続けることになる。
次回公演も楽しみにしております。
糸洲の壕 (ウッカーガマ)
風雷紡
座・高円寺1(東京都)
2025/08/16 (土) ~ 2025/08/19 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日観劇。戦後80年、風雷紡が描く渾身の反戦劇。見応え十分。
戦前・戦中そして戦後生まれでは、当たり前だが 戦争への思い(リアルさ)は全然違うであろう。戦争の記録は残るかもしれないが、薄れゆく人の記憶と伝える人が少なくなる現実。しかし、戦争という最悪の不条理を語り継ぎ、今ある平和で平穏な日々を守らなくてはならない。
劇中の台詞にもあるが、「言葉は、声に出して伝えることが必要な時がある」、本作では その語り継ぎに或る工夫を凝らしている。それをどう捉えるか。公演は、脚本や演出の素晴しさ、それを役者陣の熱演が見事に支えている。
(上演時間2時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術、中央は階段状で 上手/下手にパイプ管で作った枠だけの立方体の組み合わせ。裸電球やロウソクの灯り。シンプルだが良くできた野戦病院 壕イメージ。舞台全体が糸洲の壕イメージ、枠立方体が いくつかある壕の外観。また客席通路を使用した演技は、場内を沖縄全島に見立てている。
物語は「ふじ学徒隊」と呼ばれ、糸洲の陸軍野戦病院(壕)で看護活動に当たっていた少女たちを中心にした群像劇。それを1人の看護少女の子 百合子(昭和20年生まれ)と その孫 陸華が沖縄旅行の中で回想する形で紡がれる。ふじ学徒隊の1人 喜久子が終戦の年に生んだのが百合子。喜久子はけっして戦争のことは話さなかったが、遺された書簡等から その記憶は無かったことには出来ないし、思いは語り継ぎたいと…。史実(戦禍)に基づいた舞台化、その事実と舞台という虚構の世界を巧みに交えた公演。それは戦争の愚かさ 悲惨さを浮き彫りにする。そこに、公演のテーマであり訴えたいことが明確になっている。
野戦病院(壕)への招集にあたり、小池隊長から家族との関わり等で従軍出来ない者は帰郷してよい との話があった。早い段階で 隊長の人柄を描いている。一方、仲間や教師からは、約束や奉仕といった同調圧力。負傷していても海軍兵は治療せず、また民間人は壕へ避難することも出来ない。戦時という究極な状況下において、セクト主義的行為は自滅への道に転げ落ちていく。軍紀による人間性の圧殺を見事に描き出す。軍司令官は、戦陣訓を説き 沖縄住民を巻き込んで「最後の1人まで戦え」と言い、一方 小池隊長は「死んではならない、君たちには務めがある。必ず親元へ帰れ」と言い聞かせる。そして25名中22名が生還した。
群像劇であるが、ふじ学徒隊という集団描写だけではなく、1人ひとりの性格なり情況を丁寧に描き、その人物像をリアルに立ち上げる。この群像劇にして人間劇は、少女達だけではなく、野戦病院の人々すべてに当てはまる。野戦病院における生と死の間、そこに戦争の実態を生々しく活写するよう。衣裳や所作など当時を思わせる演技(緊張・緊迫感など)が見事。そして脚本の素晴しさは勿論だが、それを観せ聴かせる演出が秀逸。照明は青・赤・白銀といった単色だが印象的な色彩、音響は波や銃撃音といった効果音。そして少女たちの合唱や教頭先生の独唱、そして出演者全員による歌など 余韻付け。
命の繋がりや地続きの時間、先人の苦しみ痛み それを後世の人々へ どう語り継ぐのか、そんな考えさせる秀作。戦争体験者が少なくなる中で、間接的ではあるが その思いをどう伝えるのかを 模索した公演。こういう作品こそ再演し続けてほしいものである。
次回公演も楽しみにしております。
宇宙で一番孤独な場所
夜光群
萬劇場(東京都)
2025/08/07 (木) ~ 2025/08/11 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
発想が妙---私の頭の中の私との戦争の話。よく考えられているが、脳内の思いが多すぎて整理が出来ているのだろうか。人生は選択の連続で、自分の中の自分はいつも言い争っているかもしれない。その煩わしさが生きている証でもあろう。それにしては、当日パンフにある 脳内人格の役割/分担が分かり難い。同時進行で現れるのであれば、もう少し違いを際立たせてほしいところ…惜しい。
表層的には、 クォーターライフクライシスを描いた物語で、過去や現在の生き方を顧み、これからの生き方を考えたりと前向き。勿論、不安・焦燥・絶望といった後ろ向きな感情も描いているが…。しかし タイトルにある「宇宙で一番孤独な場所」は、舞台美術やシングル(延髄)出演者の役割名から、劇中で示された処とは別のような…。それであれば全然別の物語になり 手強い。
ちなみに、自分は似たような設定の映画を観たことがあるが、それは2×歳の私の頭に 18歳(高校生)の自分が煩く口をはさむといった内容。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 【大脳チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に階段を設えた二段舞台。上の中央部にエレベータ風の白い両開扉、その両側は暗幕。冒頭はその扉に「田中真美の脳内」と書かれている。下の中央客席寄りに電話、上手/下手には服や小物などが散らばっている。この整理出来ていない光景こそ、主人公 田中真実の頭の中を表している。
物語は、地方から上京した田中真実が、30歳を過ぎても「普通(立派)の大人」になれないと苦悩する。時々 母の電話で「あなたの友達が結婚して子供が生まれた」と 何気にプレッシャー。チラシにある「なりたい自分には一生なれない」、そんな理想と現実のギャップに悩み、それを14人の真実が頭の中で喧々諤々する。当日パンフのシングル(延髄)キャストは、例えば「立派な社会人」「死体」「モテる女」「魔法使い」、加えて大脳チームは「罪人」「おじさん」「お医者さん」「幸せな人」といった役名/役割が記されており、漠然とだが なりたかった 若しくは現状の人物像を立ち上げようとしている。
このエモーショナルでメランコリックさが公演の魅力。人の頭(心)は、いつも理路整然としているわけではない。感情の高ぶりを14人の同時/多発的な発語で表しているのかもしれないが、舞台としては解かり難い。観客は見巧者ばかりではないので、14人の役割の必要性、いや もう少し(人数というか役名/役割を)整理したほうが分かり易い。二項対立のように明確にする必要はないが…。
タイトルになっている「宇宙で一番孤独な場所」は、自分の意識と切り離された就寝中、つまり布団の中。しかし 舞台美術のエレベータ風の白と両側の暗幕が照明に照らされると鯨幕(死後)に思えるのだが…。この生・死の世界観によっては公演の印象が違ってくる。
最後に、先に記した映画のタイトルは「わたしの頭はいつもうるさい」。
次回公演も楽しみにしております。
FINDING BLUE
uniqueunion musicalkids
ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)
2025/08/08 (金) ~ 2025/08/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
まさに 謳い文句通り「コロナ禍の閉塞を越えて未来へ踏み出す、等身大の青春物語」、それを小学生から大人まで22名+ヴァイオリン奏者で紡ぐ。色々なことが制限された時期、しかし時間は止まることなく過ぎていく。その時にしか経験出来ないことなど 悔しく悲しい思いをしたことが瑞々しく描かれている。
本作は コロナ禍を背景にしているが、いつ どのような理由・原因で日常が奪われるか分からない。劇中にもあるが、例えば 東日本大震災や能登半島地震など、人の力ではどうすることも出来ない自然災害がある。勿論 自然災害に端を発した人為的な二次災害もあるが…。それでも人は前に進む、そんな希望と勇気に溢れた作品。
公演の見所2つ。1つ目は、パンデミック下で 今 自分がしたいこと、できることを模索して仲間と思いを共有し合うこと。そこにコロナ禍の感染防止対策ー3密「密閉」「密集」「密接」が立ちはだかる。自分たちの思いだけで仲間や周りの人々を危険な目に遭わすことは出来ない。そんなジレンマを仲間内に負わせる。この重石のような存在が、思いだけが暴走しそうな状況を踏み止め、自ら色んなことを考えさせるところ。
2つ目は、どこにも ぶつけられない 不平・不満や遣る瀬無い思い、それをミュージカル---歌詞にのせて訴える。大人の出演者は2人、ともに音楽が好きで震災被災地での活動を通して知り合った。しかし 混乱と化した現場、そこでは生活の糧にならない音楽、もっと言えば 芸術は無力。心無い言葉を浴びせられて…それでも心は救えるのではないか。重く響く台詞が印象的だ。
三面舞台、それは観(魅)せるという演出、同時に (広角にすることで)多くの人に夢や希望を持つことの大切さを訴えているようだ。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
セピア色の乙女たち
藍星良Produce
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2025/08/06 (水) ~ 2025/08/11 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。この時期、特に今年は戦後80年ということもあり、反戦劇が多く上演されている。本作も 青春期を太平洋戦争と共に過ごした乙女たちを描いている。
少しネタバレするが、それを劇中劇というスタイル、しかも昭和34年生まれの女性 千里が、その母 里子(昭和元年生まれ)から聞いた話を上演台本とする。さらにそれが 本作「セピア色の乙女たち」を思わせるような劇作。
これからは、残念なことだが、戦時中のリアル体験を語る者が少なくなり、記憶も暈けてくる。(太平洋)戦争体験のない者による伝聞が多くなっていくだろう。当日パンフに脚本/演出の藍星良さんが「いずれ私たちがいなくなり、これからの世代になった時、いったい何を伝えられるでしょうか」と記しており、演劇という「表現の自由」の中で、戦争の愚かさをどう語り継ぐのか そんな模索したような好公演。
学び 恋をする、そんな当たり前の青春期を 等身大の役者(総じて若い)が生き活きと演じている。それを時代ごと---戦時中、高度成長期(千里が子供の頃)、そして現在(令和)の世相を垣間見せながら、セピア色の時代へ思いを馳せている。公演は メタ構造にすることで、過度な没入感ではなく、今ある世界の尊さを考えさせる上手さ。
(上演時間1時間50分 休憩なし)【桜組】
ネタバレBOX
舞台美術は 非対称だが、何となくバランスするような安心感がある和室作り。中央に小さな階段を設え、上手は欄間の下に仕切り窓とベンチ、下手は障子戸、丸テーブルに椅子。上演前にはテーブルの上に写真たて。また「故郷(ふるさと)」の曲が流れている。
物語は、戦時中の話を上演するため、出演者 里花の母 千里がその母 里子(つまり里花の祖母)から聞いた話を基に台本を書き、という劇中劇仕立て。それが本公演と重なるような劇作。千里が子供の頃には、池袋駅東口辺りに まだ傷痍軍人がいて戦争の痛ましさを見た という記憶がある。劇中劇の内容は、里子が熊本の女学校を卒業して 東京 お茶の水にある明治大学へ入学したところから始まる。そこで知り合ったミサ子や勝江と友情を育み、通学電車で見かけた予科練生との交感(淡い恋心)など、今でいうアオハルが微笑ましい。そして 市井で慎ましく暮らしている人々、そんな日常を淡々と描く。しかし、だんだんと戦争が激化し東京への空襲も始まった。生活も学校ではなく、被服廠へ通うことになる。
戦争体験者が少なくなり、戦後世代が背負うものが問われているような気がする。物語の結末は知らなくても、この世界線の行方は すでに知っている。どのようにして今日に繋がっていくのか。そして今、世界のどこかの国・地域で戦争や紛争が起きている。グローバル化した社会において、我々は何らかの影響を受けている。けっして対岸の火事として傍観しているわけにはいかない。
演劇という表現を通して、戦争という最悪の不条理を描くことの大切さ。本作は、戦後世代が語り継げるような劇作上の工夫が好い。また脚本だけではなく、舞台として観(魅)せるための 照明や音響・音楽も効果的であり印象付けなど演出にも 力 を入れている。
次回公演も楽しみにしております。
蟹工船
劇団俳優難民組合
ウエストエンドスタジオ(東京都)
2025/08/07 (木) ~ 2025/08/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今の時代に、プロレタリア文学として有名な「蟹工船」(1929年出版)をどのような観点で描くのか興味があった。この小説は ずいぶん前、たぶん高校生の時に読んだと思う。フライヤーに「歴史的文学に挑む、ハイナン渾身の新作!」とあり、内容的には ほぼ原作通りのようだ。ただ、物語の中で ある場面を強調することで、昭和100年 戦後80年の背景が浮かび上がる。特定の金持ちが蟹漁の競争をする、それは領海を超えてといった欲が政府(国)を巻き込んでいく。漁場の確保=領土拡大へ、それが戦争に繋がるよう。そこに劇団 俳優難民組合の独創性を感じる。
本作は、「蟹工船」という閉鎖された状況下で、劣悪な労働を強いらされた労働者が団結して…そんな内容である。フライヤーにある「おぃ、地獄さぃぐんだで」は、「蟹工船」そのものであり、その船底は労働者の溜まり場(通称=糞壺)。物語は 特定の主人公がいるわけではなく、酷使される貧しい労働者という群像。そこでの会話は労働者の愚痴、憤り、怒りといった本音。それを役者は、板に座り低い位置で俯き加減で朴訥に喋る。しかも方言交じりだから聞き取りにくい。リアルを追求した表現(演技)だが、労働者の本音が解らないのは惜しい。かと言って、監督者が目を光らせており、声高ましてや激昂など出来ない。しかし、この場面だけでも工夫が必要だと思う。蟹の漁獲や缶詰加工などの 作業中の台詞はしっかり聞こえるが…。
ウエストエンドスタジオでの上演が良い。地下 劇場で周りはコンクリートが剥き出し。そこへ蟹工船の母船を作り出す。天井には水揚げされた蟹網。蟹漁の労働者だけではなく、船の料理人も忙しい。劇場の階段の上り下りが その過重労働を現わしている。勿論、船長や船医といった乗組員も非人道的な扱いを受けている。労働問題は いつの時代にも課題を孕み、この過重労働は 後々 別の労働形態で過労死を生じさせ、今またハラスメントという問題が…。
謳い文句にある「歴史的文学に挑む」は、過去の過酷な労働と それに対する抗議行動、それを芝居として生々しく演じ、リアルな群衆を描き出した好作品。
(上演時間2時間10分 途中休憩10分 計2時間20分)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に階段状の作業台や帆柱、天井には網籠に入った蟹(発泡スチロール?)、正面上部に操舵室で、蟹工船内をリアルに再現している。上演すると網籠を降ろし他の籠に移し変え 缶詰加工の作業をする。
昭和初期、オホーツク海で蟹を獲り缶詰に加工する蟹工船、船主は 乗組員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。人権を無視し、不衛生な環境・長時間労働を強制する現場監督、その状況を緊張感と臨場感をもって描き出す。この「資本と労働」という普遍的なテーマを書いた小説を、生身の役者によって見事に舞台化した力作。群衆劇であるから、主人公たる労働者1人ひとりの背景なり性格は詳しく描かれていない。しかし、未組織の労働者が 資本家に対峙する1つの集団(団結)を形成するためには、もう少し個々の人物像を立ち上げて、小説(文字)とは違った醍醐味を味わわせて欲しかった。
人権の剝奪は、船底(糞壺)で語られる。例えば、鉄道敷設や炭鉱等でも行われており、色んな現場で労働者が虐げられていると。この酷い話が、問題の深刻さと広がりを思わせる。一方 監督像は資本の象徴であり、見て見ぬふりの船長や船医は日和見主義者を分かり易く立ち上げている。人物(像)造形において、何となく濃淡があったように思えた。
演出は、波や風(特に暴風雨)の音で海上を容易に連想させる。その逃げ場のない 閉鎖された世界にいることが不安と恐怖を煽る。また監督者がバケツを棍棒で叩く音が場内に響きわたり、それだけで威圧された気になる。今から約100年前のリアルな情景を眼前で観た ような気がする。
次回公演も楽しみにしております。
『残響』
白狐舎、下北澤姉妹社、演劇実験室∴紅王国
シアター711(東京都)
2025/08/06 (水) ~ 2025/08/12 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。説明にある「2022年7月に起こった安倍晋三元首相銃撃事件をモチーフに」とあるが、銃撃犯とその周辺の人間模様を通して、現代日本が抱える課題や問題を浮き彫りにする。淡々とした日常に潜む得体の知れない狂気が不気味だ。
少しネタバレするが、実際に起訴された山上徹也被告を 物語では山中徹とし、60年代に東京多摩地区に建てられた団地群に住んでいる としている。そこは横田基地の飛行音に悩まされている。また近年は住民の高齢化が進み、少子化も相まって居住者が減っている。住民たちはバブル期に就職した者、氷河期で就職できず非正規労働やバイト等といった暮らし向きの違いも描く。
実際の銃撃事件、ニュース等では 宗教団体への献金が背景にあると言われている。物語でも宗教団体への献金やマルチ商法が描かれ、人の精神的な弱みに付け込んだ行為ー「信じることは病」が痛々しく紡がれる。公演では、事件の動機と同時に 先に記した問題等を巧みに織り込み 政治への不信を描く。問題や課題の解決は、政治家ー首相が舵取りをしており、その矛先を個人的な恨み辛みに止まらず幅広く、奥深く捉えているところが好い。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に回転壁を設え 場面に応じて回転させ 、団地の301号室と401号室を現す。どちらの部屋にも水槽があり、蛍の幼虫を飼育している。団地の住民有志(蛍会)で 毎年 蛍の放流をしており、登場人物は緩く繋がっている。最近はPFASによる水質汚染の懸念もある。
登場人物は、団地の管理人夫婦 山中実、真紀、301号室の同棲カップル 野村拓海、神田響子、響子の母 雅子、401号室の山中徹とその妹 かおる。真紀は癌闘病中で夫と穏やかな暮らし。拓海は非正規社員、響子はアルバイトで経済的に不安定。そして雅子がマルチ商法にはまって浄水器を娘に売ろうとしている。また 徹の不審な行動、それを心配した かおるが たびたび部屋にやってくる。
徹や かおるの母は登場しないが、或る宗教を妄信しており 団体へ多額の献金(=徳を積む)をしており、子供たちの生活を顧みない。2人は進学を諦め非正規社員やアルバイトとして生計を立てている。響子が、母からもらった どんな病気にも効く水(浄水器)のパンフレットを窓から投げ捨てた。それを空から降ってきた啓示として 真紀は縋った。信じる者は、本当に救われるのだろうか?公演では逆に「信じることは病」だと。銃殺された政治家と宗教団体との繋がりは明らかにされない。一方、環境問題や非正規雇用、高齢化や少子化といった政治課題を点描することで、日常に潜む不平・不満を炙り出す。
演出は、衣裳替えをすることで季節の移ろい-時間の流れを表し 蛍の成長(放流)へ重ねる。そしてラストの銃声と閃光が鮮烈な印象を与える。
次回公演も楽しみにしております。
32軍壕へ メンソーレ
沖縄俳優部
劇場MOMO(東京都)
2025/08/06 (水) ~ 2025/08/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
沖縄への郷土愛と反戦を綴った鎮魂劇。物語は、タイトルにある「32軍壕」への思いが肝。自分も知らなかったが、「32軍壕」の役割とそこでの悲惨な出来事、それを風化させないための取り組みだ。
首里城地下にある日本軍第32軍司令部壕跡、それが2028年8月15日に公開になるという設定で、32軍壕 平和ガイド一号の大城メリサが案内リハーサルをしているが…。この公演は壕に潜む地縛霊の声を聞くこと、それは記憶を語り継ぎ 恒久平和を願うもの。同時に少なくなる語り部、曖昧になる記憶、その危惧への取り組みのよう。
(上演時間1時間40分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は 全体を黒系の幕(岩)で囲い、その内側に茶系の幕(土)の二層で 地下にある第32軍壕のイメージ。真ん中に箱馬が2つ。
キャストは6人、全員が沖縄県出身だという。
物語は 暗転中、台詞だけで メリサが子供の頃、日本人離れした容姿を揶揄われる、そんな(人種)差別的な場面から始まる。月日は流れ、メリサが 32軍壕平和ガイド第一号として その予行練習をしている。本来なら まだ立ち入り禁止だが、そこに兵士や武士の恰好をした男などが現れ、沖縄愛を語り戦時中の出来事を話す。この男たちは首里城地下にいる地縛霊、それが何故かメリサには見える。
32軍壕には5つの抗口があり、将校たちのいる第1抗口などに比べ 島民たちがいた第5抗口の環境は劣悪。そして米軍の攻撃、日本軍の抗戦により それぞれ多くの死傷者を出した。それを地縛霊がそれぞれの立場(国)から説明する、それは「人間が人間でなくなる」という怨嗟であり最悪の不条理。公演は、思いや主張を展開するだけではなく、壕は「負の遺産」であり、太平洋戦争ー特に沖縄戦における実相を後世に伝えたい との思いで描かれている。だからという訳ではなかろうが、平和を願いつつ芝居の力を借りて、楽しく解き明かす と。
第32軍司令部の地縛霊は、沖縄戦を決して忘れてはならない、風化させない思いの象徴(亡霊)。武士の格好は組踊の衣裳。亡霊の存在をコミカルに描くことで、今ある平和・平穏な暮らしの ありがたさを表し、戦後の荒んだ心を前向きにする。その喜びの表現として、沖縄らしい組踊を音楽に合わせて出演者全員で踊り、物語としては大団円。
次回公演も楽しみにしております。
CAT-A-TAC 『不思議の国のアリス 〜ハートをなくした女王〜』
CAT-A-TAC
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2025/08/02 (土) ~ 2025/08/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。公演は「無声ダンス劇とストーリーテラーで贈る、全世代向けファンタジーエンターテイメント」という謳い文句通りで、大いに楽しめた。内容は「不思議の国アリス」、それをダンス×身体表現×音楽×ユーモアで展開していく。副題の~ハートをなくした女王~の件は、大人向けで 立場が人を作る が痛いほど解る。この不自由とそれに縛られない豊かな発想、その自由さ が脚色の肝。
多くの親子連れが観に来ており、難しい台詞などなく ストーリーテラーの軽妙で巧みな話術によって、アリスと一緒に不思議な旅に出る そんなファンタジー作品。見所は勿論 謳い文句にあるダンスを含めた表現力であり、それを効果的に観(魅)せる演出である。子どもが喜びそうな被り物、そして時々 観客を参加させるなど飽きさせない工夫も好かった。
(上演時間1時間40分 休憩なし)
記憶の欠片達
株式会社GROW
シアター・アルファ東京(東京都)
2025/07/30 (水) ~ 2025/08/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
タイトルや説明から容易に連想できるが、物語は超高齢社会の到来で、世界的にも大きな課題となっている認知症とその家族の介護を描いている。この公演は、2024年春に公開された映画「気づかなくてごめんね」と対になっているようだ。映画は認知症の誤認がテーマで、本作(舞台)では、そのシーンを挿入している。それが説明にある 衝撃の事実、この幅広い捉え方が良い。
本作の脚本・演出の武田知大 氏が、映画の脚本・監督をしており、誰にでも訪れるであろう未来、その実態に切り込んでいる。ただ、認知症に関わる症状なり 家族の介護の大変さを言葉(台詞)で説明しているため、その切実さが今一つ。それでも観応えはある。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、全体的に白っぽく 状況に応じて中央の壁が左右に開き別シーンを観せる。 上手/下手にドア、会場の両側壁にモニター。冒頭は下手に食卓が置かれている。シンプルなセットだが12年という時間軸の中で、情景を固定させない工夫であろう。
テーマは認知症とその介護。物語は2013年夏、高校に通う遥香と母 靖代の他愛無い話(日常)から始まる。いつからか靖代の物忘れがひどくなり、父 司は東部商事を定年退職後も嘱託社員として働いている。そして夜も…。遥香や靖代は司の浮気を疑いストレスを抱えている。
靖代の診断結果は認知症で要介護1。それから12年 2025年夏、遥香は30歳。靖代の症状は進行し ケアホームに通っているが、介護は遥香一人で担い大きな負担になっている。そんな遥香を心配し励ますのが高校時代の同級生 敦史で、いつしか惹かれ合うようになる。遥香が敦史に認知症の症状ー例えば今日が何月何日で何曜日か分からない、物盗られ妄想などを(台詞で)説明している。出来れば、これらの症状を行動(演技)として現すことでリアリティが生まれる。また敦史が遥香に眠れているか 心配の台詞があるが、これも夜間せん妄や徘徊といった症状を連想させる。
司は家族を支えるため、日中の嘱託勤務以外に夜間バイトをしていた。それが家族の誤解を生み逆にストレス(認知症の進行要因の1つ)を掛けた。そして司 自身も物忘れといった認知症の症状が…。これが映画の「難聴と認知症の誤認」に繋がる。演劇と映画の共通の思い、認知症の特効薬は家族の愛情であり、具体的には笑顔で接すること。何より辛い話に向き合うことが大切と言う。この台詞がズシッと重く響いてくる。
重いテーマであるが、客席通路を使ったパフォーマンスやダンス、カラオケで歌を披露するなど 明るく楽しませる場面を挿入する。また高校の担任の 味わいある存在や看護師やケアホームの人たちの苦悩など周りの人々との関わりを描くことによって、多くの人々に支えられていることを伝える。その優しさと心温まる触れ合いが物語を前向きに捉えている。
次回公演も楽しみにしております。