KYOTO 公演情報 燐光群「KYOTO」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。
    地球温暖化を巡る国際会議、それを1990年前後からタイトルにもなっている1997年の京都会議(COP3)迄を描いた記録劇であり、主人公ドン・パールマンの記憶劇。観客は、その国際会議を傍聴するといったスタイル。事実を追った感は拭えないが、観せる演出としては巧い。

    公演の面白いところは、人間は今しか生きていない、それも国や地域、アイデンティティを背負ってである。それを傍聴という俯瞰した立場から観るという面白さ。しかも、会議ごとに漂流するような議論が どこで決着するのか分からない。圧巻は、京都議定書を採択するまでの様子を分刻みの中継のように早口で喋り臨場感を煽る。

    もう一つは、実証なき科学は政治の道具にされるという危険性を孕んでいること。世の中には多くの正義があり、特に国際会議では国や地域ごとの利害関係や思惑が複雑に絡み合い、理論的な正義を導き出すためには確固たる科学的な裏付けが必要になる。時に 政治的判断を求めたがるが、その曖昧さは将来に禍根を残す といったことを訴えている。

    気候変動問題という人類にとって重大な課題、一方 合意に係る些細な文書の修正論争という、滑稽な様相が浮き彫りになる。観劇(傍観)者としては面白いが、未来を生きる人にとっては 堪ったものではない。多くの人は、目前の現実の中で考え行動する。公演を観たとしても、地球温暖化の問題と今の自分たちの暮らしが 具体的にどう関わるのかピンとこないところが悔しい。
    (上演時間2時間40分 休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は、変形ロ字型で 奥が一段高くなった会議場を連想させる。国連気候変動枠組条約締約国会議(=COP)の開催年と場所によって、議長と参加国が座る位置が変わる。観客は狂言回し的な役割であり主人公のドン・パールマンの案内でCOPを傍聴しているといった感覚。

    物語は、COPの開催概要を順々に展開し、参加国の利害を多面・多角的に描き、タイトルにあるCOP3へ。環境問題そのもの、同時に採決が全会一致を要することが肝。合意形成が議長の強権のような印象だが…。

    史実に準えた舞台に どれだけのリアリティを求めるか、その度合いは観客によって各々。そして先進国の排出する温室効果ガスの削減について、初めて法的拘束力を持つ削減目標と達成期限が設定された「京都議定書」が採択。温室効果ガスの削減の必要性については漫然と分かった気になっているが、その真意を どれほど身近(切実)な問題として捉えているだろうか。国や地域によって排出量が違い、その影響を受ける度合いが異なる。それも今いる人間ではなく、未来を生きる人々の暮らしを想定してのことである。

    地政学的な状況・立場と国家的な利害、さらに個人(政治)的な思惑を絡めることによって、新聞や情報誌・週刊誌といった紙面上の情報だけではなく、生身の役者が演じる虚構の世界で問題の所在を知る。これこそ舞台の醍醐味であろう。実際のCOPに立ち会うことなど不可、恣意的(視点の置き方で違った印象)になるのは止むを得ないが、それでも考える材料にはなる。

    物語は、グループ別に 先進国で構成される経済協力開発機構諸国の第1グループ、経済移行国の第2グループ、途上国と中国、小島嶼国連合の第3グループ と利害の対立を巧みに際立たせる。特にキリバスなどの島嶼国は水没の危機に瀕している。対立した議論が出来ているのは同時通訳した言語、しかし 深夜に及ぶ会議に抗議した通訳者のストライキによって更に紛糾した事態へ。意思の疎通が図れない、多国言語が飛び交う滑稽さは舞台ならではの表現。

    パールマンが傍聴している観客に向かって話しかけるような説明スタイル、その台詞は歯切れがよい。それによって複雑な国際会議が分り易く テンポよく展開していく。時にテーブルの上を歩き回り、会議の転戦を見守るかのよう。モノクロのような味気ない舞台にスポットライト、そこに1人の人間の思いを見るようだ。
    ちなみに ドン・パールマン役を円城寺あや さんが演じており、1人(本人)だけならまだしも、後々 夫婦として並ぶ場面がある。その時は少し違和感が…。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2025/06/28 06:29

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