横浜ヶ国
雀組ホエールズ
赤坂RED/THEATER(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
現代の政治問題の核心を突いた内容だが、雀組ホエールズにかかると笑い楽しみながら政治講座を観聞きしているような感じ。荒唐無稽な設定であるが、仮にそうなったら日本国民や横浜市民はどのような判断を下すのだろうか?観客という傍観者というわけにはいかない。当事者として「横浜ケ国」という舞台に上り主体的に考え動かなければならない。
公演は政界、いや正解を用意しているわけではない。しかし GHQによる戦後 占領政策や日米安全保障条約に関わる日本の対応をみると、真実なのではと勘繰ってしまう。政治の闇に潜む事実を面白可笑しく炙り出すような展開、その観(魅)せる巧さは見事!演劇としての隠されたモキュメンタリーといった印象を受けた。
少しネタバレするが、独立の噂が流れた横浜市陣営の市長 二俣川たか子(棚橋幸代サン)は赤いスーツ、一方 永田町陣営の総理大臣 石瓦一郎(阪本浩之サン)は白いスーツと対照的、それ以外の登場人物も原色基調の衣裳を着ており、立場の違いを鮮明にしている。そしてアメリカ陣営の謎の東雲タロウ(山下規介サン)は、コミカルな演技が多い中で ブレることなく芯ある人物を立ち上げ、物語の重しになっている。そのピリッとした存在が良い。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、上手/下手の幕にカラフルな布を張り合わせた大きな衝立。情景に応じて可動する平台が、衝立間の出ハケ口から現れる。また海を表すため舞台と客席の間に細長い薄布を波打たせる。冒頭 総理大臣 石瓦が、その海で東雲一味に拷問(吊り責め)されているところから始まる。
日本は、アメリカにとって東南アジアにおける橋頭堡。特に東西冷戦時においては重要な役割(地政学的)を担っていた。だからこそ、植民地化せず日本という”国”のまま存続させた と。歴代首相は「日本は独立」と言いつつ、アメリカと密約を交わし実質 植民地化を認めた施策を実施。それが「米国の傀儡国であり 『戦後100年目の2045年に日本が米国に吸収される』ことも密約」されている。劇中で憲法解釈、特に第9条を巡って二俣川たか子は戦争放棄を強調、そこに偶然であろうが現在の日中関係を考えさせる。高校生など市井の人々を前に政治の話をするが、それが「政治講座」のようで分かり易い。分かり易ければ良い という訳ではないが、下手にプロパガンダに陥るようなことはない。
「横浜ケ国」という設定が妙。物語は神奈川県陣営として座間市と横須賀市の市長を登場させている。勿論 駐留米軍基地がある市である。大局(国家)的見地からすれば、市(長)の思惑など取るに足らないー劇中でも永田町陣営とあまり絡まない。なぜ「横浜ケ国」の二俣川たか子が注目されるのか。実は石瓦総理と旧知の間柄で、昔ある約束をしていた という内緒話が…。アメリカ陣営の暴力的な脅しに屈しない 二俣川市長、東雲は 日本の政治家の資質を試していたような。政治家は信念を持って為政をしているのか、どこを向いた政治なのかを問うている。東雲曰く、日本は「ハラキリ・カミカゼ・カロウシ」といった自己犠牲で成り立っている。本来、政治や社会そして人間の関係は信頼に基づくもの と。
舞台美術はシンプルだが、場景に応じて可動する平台を搬入/搬出するなど観(魅)せる工夫をしている。政治という小難しい話だが、時に笑いを交え分かり易く描く。ラストは 日本人が横一列になって畳んだ段ボールを持っている。それは船べりを表し、まさに 日本人は泥船に乗っているという事らしい。なんと象徴的な。
次回公演も楽しみにしております。
「Collapse Of Values」Re:Mix
SFIDA ENTERTAINMENT
劇場HOPE(東京都)
2025/12/09 (火) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
ダークサスペンス--緊張・緊迫感が容赦なく観る者を圧倒する、そんな見応えある公演。
物語は 説明にある通りだが、そのダークな雰囲気は想像を超え 嫌悪感を増幅させ痛みと悲しみを…。恐怖に支配された状況下で まともな精神状態を保てない。精神(感情)と肉体をぶつけ合いながら必死に生きようとする。
物語の展開には緩みを入れないが、登場人物の性格等で緩和させる、そんなバランス感覚が好かった。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし)【裏チーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、薄汚れた灰色の壁、中央に出捌け口があり 奥は玄関になっているらしい。室内の上手にソファ、下手にベンチがあるだけ。後々 分かるが、中央床にある仕掛けの出入口(地下へ通じる開閉戸と階段)。全体的に不気味な雰囲気が漂う。この空間は ある閉鎖された建屋の一角で、別部屋は客席通路を使用する。
或る事件の捜査をしていた警視庁刑事部捜査一課の佐々倉刑事(高田 舟サン)は、別件で 突然姿を消したサラリーマン2人の行方も捜査することになる。この2つの事件が結び付いてくるが、元々の事件の概要が分からないことから、繋がりの詳細は分からない。ただ、行方不明になっているサラリーマンの1人が自分の弟であることから強引に捜査を開始し始めた。その理由 動機は、ハッキリしていることから説得力はある。ラスト、影の真犯人と佐々倉の自殺を連想させる銃声音が衝撃的!それに至るアクションシーンも力強かった。
この(監禁)場所は、知らずに闇バイトへ応募してきた人々の人間性を奪い鬼畜へ追いやる。死体を解体し臓器を仕分けする。学費捻出や親の介護費用を稼ぐためにやってきた普通の人々、その心身を蝕んでいく。狂気じみた光景だが、目を瞑り顔を背けることなく見入ってしまう。物語は迫力・緊張感を持続させるといった集中力が凄い。怖いのは、慣れの感情ー始めこそ 死体を切り刻むことに抵抗・躊躇っていたが、そのうち 何とも思わなくなる。
佐々倉刑事が潜入捜査を開始する前、相棒であり後輩の山崎鈴音(西脇彩華サン)とのお喋りが場を和ませる。その一服の清涼剤(コミカル)的なバランスが良かった。
公演の緊迫感は、迫真の演技にある。表面的な悪役である佐伯龍(サン)は、そして監禁している女性の髪の毛を掴み 容赦なくビンタもする。拳銃の発砲も威力を感じさせる。舞台技術は薄暗い建屋(倉庫風)に低重音の響くような音楽、朱色の閃光だが 発砲時と血飛沫によって照明色彩を諧調させるなど細かい工夫が好い。ダークサスペンスという謳い文句で、真犯人へ辿り着くような伏線も死に際の譫言として回収していく。
次回公演も楽しみにしております。
劇場版 ツインルームス
丸福ボンバーズ
APOCシアター(東京都)
2025/12/10 (水) ~ 2025/12/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。3つの観点によって構成されているようで、その総体が舞台となる この「HOTEL HEAVEN」を表しているよう。物語では、単純に「天国」というよりは「たいへん幸福な場所、状態」と捉えたほうが しっくりくる。「温かい」とか「優しい」といった表面をなぞるだけの容易い表現では言い尽くせない。
少しネタバレするが、3つの観点は そのまま見所に直結する。第1は、ホテルの常連客(夫婦)の話、第2は、ホテルにある予備の部屋(SPARE ROOM)のようなところで語られる3つの話、第3は、ホテルで演奏している設定の生演奏。全ては、ホテルを舞台にしており、存在そのものが物語になっている。「敷居は低いけど、質の高いエンターテインメント」の謳い文句通り 見応えがあった。
(上演時間1時間50分)㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は中央上部にスクリーン、その下に横並びの演奏スペース。その前(客席寄り)に白いソファが2つ。所々に瀟洒なランプシェード。ホテルの人々は同じ制服で雰囲気を醸し出す。
3つの観点は次の通り。
●物語は、羽深泰治(41歳)が ふみ(25歳)に色々な名言を用いて結婚を申し込むところから始まる。2人の歳の差は16歳。泰治は、ニーチェの「未来は過去と同じくらいに現在に影響を与える」といった有名な言葉を用い、今の自分の幸福の有り様を説明する。そして これはラストシーンにも使われる。ちなみに「泰治」は 皆から「先生」と呼ばれている。このシーンは、先生にとってホテルが特別な場所(存在)であることを示している。
●ホテルには予備の部屋(800号室、幽霊も出るという噂)のようなものがあって、そこでバンドメンバーが経験した3つのエピソードが語られる。このシーンのストーリーテラーがヴォーカルの通称リヴで、自分のことではないので喜々として紹介していく。1つ目は、通称チャックが財閥 三ツ葉家の令嬢 ひめかと その父 一郎との仲を取り持つ心温まる話。2つ目は、通称フラップが自分の音楽的才能に見切りをつけてオーナー濱口瞳子に辞表を提出するが…の哀愁話。3つ目は、通称テールの双子の弟 美鶴とその娘 めぐみの 遣りたいこと巡りと思い出話。この室内ストーリーは3人のゲスト脚本家が担い、テイストは違うが それぞれ滋味溢れる物語。
●最後は、羽深夫妻、そして800号室に登場したゲストを招いてのホテルバンド「チャックテールフラップ with リヴ+ガン)による生演奏。上手からフラップ(ギター&ヴォーカル)、チャック(パーカッション=ジャンベ?)、リヴ(ヴォーカル)、エキストラで来たベーシスト通称ガン(ベース)、テール(ギター)が見事な演奏を披露する。数年経っており、既に ふみ と めぐみ(2人は浮遊感ある白衣裳)は亡くなっており、体はこの場所にないが 魂は来て演奏を聴いていると。そして ふみ はヴォーカルとして歌う。とても贅沢な空間に同席しているような心地良さ。
当日パンフによれば、劇中で演奏しているのは6曲。ホテルでの演奏という設定で、物語に巧く取り入れており充実した空間を創り出している。またホテルが海の近くという立地や館内・室内も映像で映し、情景も分かり易い。さらに波の音など効果音で臨場感を漂わす丁寧さ。最後にホテルのような受付対応、実に好印象。
次回公演も楽しみにしております。
ある日、僕らは夢の中で出会う
S企画
高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)
2025/12/05 (金) ~ 2025/12/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
高円寺K’sスタジオ10周年記念企画、無料公演。
上演は 高橋いさを氏の脚本、それを梶原航氏が演出したコメディ系メタフィクション。役者は4名、全員が刑事と誘拐犯の1人二役で描く。立場が変われば思考や意識が変わる、まるでオセロゲームのように白が黒へ 黒が白へ反転する。そもそも白と黒で どちらが表で裏なのか決まっていたのだろうか。自分は 何となく白=表、黒=裏という先入観に捉われていたような気がする(初手は決まっている)。
物語は、刑事部に配属になった新人刑事の 実務研修のようなことから始まる。映画やTVの刑事ドラマに毒されているような新人、先輩曰く 実際の刑事は あんなにドタバタ動き回らない。事件が起きない日は、ただ ボーッとしているだけで 報告書なんか書かない と。そして警察用(隠)語にしても拳銃はチャカではなくビー玉と笑わせる。1人の人間が 既知の理想と未知の現実の間で翻弄され、諸々が曖昧になっていく不条理劇。
先入観、思い込みに潜む危うさが、刑事と誘拐犯との交渉(1人二役だから自分自身?)を通して浮かび上がる。最初と最後の台詞は同じ、何気なく使っている時候の挨拶(言葉)は無難のような。その無意識こそが最強にして最高の在りようだ。物語は面白いが、なぜか〈観劇〉ではなく〈観察〉している といった醒めた見方(意識)になった。
満足度は辛口の★3。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
中央にドア、その両横に回転する衝立壁が4枚。それはオセロのように裏表が黒と白になっており、場景に応じて変わる。中央にテーブルと黒電話。登場人物は4人で刑事の時は黒スーツ、誘拐犯の時は白っぽい続服(ツヅクフク)。黒と白は 衣裳にも拘りを見せる。
当日配付された案内によれば「刑事と誘拐犯という立場にいながら、どちらも『自分はホンモノの人間として生きている』と信じたい人たちの物語」とある。今の世の中、ホンモノとニセモノの区別が曖昧になりイメージが先行する風潮にある。そのイメージにどれだけ近いかが ホンモノへのメルクマールになっているのかもしれない。劇中にもあるが、「モナ・リザ」の複製が多く出回り 本物との区別が付かなくなり…といった場面がある。その絵画は唯一無二で、本物と偽物を峻別する必要があるが、例えば その人でなければ といった絶対的な存在は稀(芸術家や技能者など)。物語では”つくられた姿”が先に広まって、そのイメージに合わせて行動することへの可笑しさを描いているよう。
物語でも刑事の外見は、黒いスーツでそれなりのイメージ。そのイメージこそ世渡りでは大切。周りの視線が気になり、普通に あてはまらないと仲間外れにされてしまうのではないかと怯えて過ごす。それは子供から大人まで どの世代でも同じ。しかし何が「普通」かは曖昧、そこに自分らしさを見出せるか否かも大切。イメージがあっても 必ずしもそれが正解とは限らない。この作品は男優4人の物語らしいが、本公演では男優1人と女優3人、すでにイメージを壊しにかかっており、刑事と誘拐犯の電話口での対応も可笑しい。
この戯曲は1983年に書かれたそうだが、時代の変化は速く イメージも多様化している。TVなどのメディアはもちろん、SNSなどによって情報はアッという間に拡散され、その真偽が分からないまま拡大していく。物語は、自分がホンモノとして生き(信じ)ているかではなく、第三者にそう思わ(信じさ)せるかといった展開のようで、そこにイメージという虚像に内在している怖さを感じる。今 自分は刑事なのか犯人なのか錯綜、だから最後のシーンが活きてくる。演劇は、虚構の中で役者はホンモノらしく演じ 自分を表現するそうだが、この公演では、共感・没入感ではなく その外観を観察したといった印象だ。
次回公演も楽しみにしております。
ロカビリーに恋をして
タマかけるモノ
ザ・ポケット(東京都)
2025/12/04 (木) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
人や地域コミュニティの優しさ大切さ と時代/世相を描いた物語。地域愛に溢れた公演だなぁ。
物語は、説明にある多摩市の永山駅からバスを利用した或る公団、エレベータもない5階に住む一人暮らしの老人が倒れ、病院に搬送されたがそのまま亡くなった。子供たちは、葬儀の準備を通して この街で父(登場しない)がどのような思いで過ごしていたのかを知っていく。話は1974年 子供たちがまだ小学生だった頃から始まる。
1957年と2020年に1974年の物語が交差する音楽劇…そこに描かれているのは 亡き父と既に3年前に亡くなった母の出会い、そして2020年の今現在を交差して紡いでいく。親子関係というよりは、その時代の世相・世情を描くことによって、地域コミュニティとの関わり方(重要さ)が浮き彫りになる。子供たちが知らなかった父の一面を知り、近所の人たちに愛されていたことを知る。団塊世代の夢であった多摩ニュータウン、しかし、それから半世紀を経て 様変わりした事情や様子を垣間見せることによって、隔世の感を抱かせる。
公演は、スラップ奏法のベースで幕が開くロカビリーナンバー。当時の衣装を着た女優陣の歌と溌溂とした踊り、それを2020年の葬儀と対比。それは活況だった頃の多摩ニュータウンと今、さらに夢や希望に溢れていた青春期と 年老いて5階まで歩くのが大変な現在、そんな充実感と寂寥感がくっきり浮かび上がる人生劇。高度成長期とコロナ禍といった社会事情も影響しているのであろうか(多摩ニュータウン編)。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、正面に正方形の出臍舞台にスタンドマイク、下手に演奏スペース。衝立を用いて 「JAZZ喫茶 エーシーズ」(1957年)と「団地の一室」(2020年)を交差して現す。団地の室内は、中央奥に和箪笥とエアコン、卓袱台、下手に仏壇が置かれている。息子の光太郎は 参列者も多くないので、費用的なことも考え 火葬式にしたいと。
物語は1974年、光太郎と妹の照子が小学校から帰るところから始まる。光太郎が描いた母の顔の絵が 金賞になり喜んでいる兄妹。後々 分かるが、この日は父が工場長に昇進した日でもある。光太郎は母の喜ぶ顔が見たかったが、父のせいで喜びが半減した。子供心に小さな蟠り。父は母を深く愛しており、話は2人が出会った1957年へ。
母は、集団就職で青森から上京し クリーニング店で住み込みで働いていた。そこへ近所の工場で働いていた父が 工場着を持って通い 見初めた。同じように上京し一緒に働いていた友達からロカビリーへ誘われ、JAZZ喫茶エーシーズで同郷の幼馴染 嘉門六郎と出会う。1958年2月の日劇ウェスタンカーニバルに向けてファンが推しを応援する。今も昔も変わらない光景、しかし何かと金が掛かる。そんな時、クリーニング店の社長を通じて父が結婚を申し込んだ。父は母だけを愛し続けた。
母が3年前に亡くなり 父は一人暮らしだが、パソコン教室やボイストレーニングに通い地域社会と接点を持つよう努めた。そして近々 カラオケ大会に出場する予定だった。父の祭壇がなく、焼香にも事欠き寂しさが募る近所の人たち。独居老人の孤独死が言われる昨今、それでも逞しく生きようとする父の姿が目に浮かぶようだ。光太郎と照子は、早々に帰ることにしていたが、この部屋に泊まり父を偲ぶことにした。ベランダに出れば夜空に満天の星が輝いている。
1957年、女優陣は当時の衣装で歌い溌溂と踊る、六郎はリーゼント・スタイルにし雰囲気を漂わす。公演の目玉である歌と踊りは楽しくノリノリで会場を沸かす。ビリー諸川の歌、生演奏(ウッドベースとエレキギター)も上手い。キャストと観客が一体となって盛り上げている公演。
次回公演も楽しみにしております。
交差点のプテラノドン
演劇集団 Ring-Bong
座・高円寺1(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
フライヤーの絵柄と言葉に物語が凝縮されており、プテラノドンは そういう意味で使っているのかと納得。そもそもプテラノドンとは何か知らなかったので、少しネット検索してみた。それによると翼竜だが翼を羽ばたかせて飛ぶのではなく、滑空(風に乗って)ということらしい。劇中で、子供の時に持っていた羽が、成長し大人になっていくにしたがい 小さく無くなっていく といった旨の台詞がある。言い得て妙だと感心(いや寒心)した。人でいえば、飛び方は人それぞれ違う。
説明の「葬式であぶり出される家族の本音から・・・『家族とは』を問いかけていく」は、同じ家庭で育ち 同じ方を向いて歩んでいると思っていたのに、いつの間にか反対や横の方へ歩いている。まさにスクランブル交差点で、下手をすれば ぶつかってしまう。そんな危険な状態を笑いを交えて描く。昭和の典型的な父親の急死、そして産婦人科クリニックの院長という設定が巧い。そこには誰も逃れられない「生」と「死」という問題が横たわっている。
舞台美術、冒頭は素舞台だが情景に応じて構築・変化していく。それは夫婦だけの暮らしから子供が生まれ育ち、そして孫が生まれる。何もない空間に情景が立ち上がるように、家族という最小単位の集団が形成されていくようだ。しかし緊密な造作ではなく、隙間だらけというところに この家族(里中家)の今の状況が透けて見える。俳優陣は普通にいそうな人物を演じているが、いつの間にか個性溢れる人物像を立ち上げている。その人々の濃密であり 時として粗密(とぼけた)な会話が面白い。
(上演時間2時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は素舞台と思っていたが、上演が始まると俳優陣が白テープで間取りを区切るように床にテープを貼付、それを壁に見立て白枠(ドア)、テープ枠内に本棚や机を配置する。途中でバミリを加え、書斎から居間へ転換する手際も見事。骨組みだけで隙間風が、この様子こそ里中家の現況を表しているよう。物語は、或る夏 里中産婦人科クリニック院長の里中こうたが熱中症で急死したところから始まる。
物語は説明にあるように、里中産婦人科クリニックの院長である里中こうたの通夜。こうた には三人(姉妹弟)の子供がいる。次女は大学病院の産婦人科に勤務。長男で末っ子は形成外科医、そして長女の唯は、母の遺言もありクリニックを守ろうと必死。遺言状が遺されているのか、遺産とクリニックの今後をめぐり姉妹弟は意見がぶつかる。そんな中、唯の娘 花音(17歳)が妊娠していることを告白する。そして亡くなった こうた とあの世への案内人 さつきが幽霊として彷徨っている。
こうたは、自分の(現実の)葬儀に(仮想の)幽霊として第三者的に表れ、俯瞰的に様子を見守る。そしてちょいちょいと口をはさむが相手には聞こえない。重くなりがちな葬儀、それをコミカルに描きつつ 家族の本音を炙り出す。集まっているのは普通の親族、それを建前・傲慢・強欲・理屈などの性格を誇張し人間臭さを描破する。娘 花音の妊娠(21週目)について話し合う過程で やっと本音が出てくる。そこには彼女の将来と生む生まないといった「生死」の問題があるため。こうた は望まぬ妊娠に特別養子縁組を働きかけていた。この縁組によって救われたのが、あの世への案内人さつき。さつきも望まぬ妊娠をし、自分は亡くなるが 赤ん坊は助かり こうたが縁組に関わってくれた。
家族といっても 皆同じ方向を向いているわけではなく、その立場や事情が優先する。それは我儘のようでちょっと違う。その表現し難い微妙な感情を役者陣は巧く体現している。また 唯が信じている風水や奇妙な宗教踊り、こうた と顧問弁護士 森塚晶子の共通の趣味など横道へも逸れるが、コミカルなタッチを大切にしているよう。脚本の面白さや演出の巧さもあろうが、役者が漂わす空気感のようなものが現実と幻想が交じり合う不思議な世界を創り上げる。普遍的かつ超越的な物語は、観客の感情を揺さぶり 考えさせる秀作。
次回公演も楽しみにしております。
青少年版 フランケンシュタイン 青田の影
芝居処 華ヨタ
劇場MOMO(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。東京に来て2回目の公演らしいが、今後 注目していきたい団体。
物語の設定というか 構成は少し複雑で なかなか全体像が掴めないが、それでも観(魅)せる 力 はある。タイトルにある「青少年版 フランケンシュタイン」は、人の生と死の比喩であり、「青田の影」はそれを意識し始めた主人公 健一と彼の心に忍び寄る得体の知れないモノに思えるが…。心にある生と死に関わる複雑な思い、それを色々な角度から捉え <芝居処 華ヨタ>らしい独特な世界観を構築しようとしている。当日パンフに演出の内田達也氏が「面白い演劇を全部詰め込みまして」とあるが、これ以上盛り込んだら物語が破綻するのでは というギリギリのところまで攻めた公演のよう。
少しネタバレするが、物語は小説「フランケンシュタイン」の概観(手紙という形式<枠物語>)に準え、過去と現在の情況、生者と死者の(魂の)共鳴といった異なる世界観を錯綜させ展開していく。そのため役者陣は皆 複数役を担っている。勿論 演技で違う人物像を立ち上げるが、衣裳替えや小物(例えば帽子など)も活用する。また魅せ聞かせる 女優2人による歌と振付も楽しめた。そして何より舞台装置とそれを活かした情景描写の演出が巧い。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は段差を設え、上部に街(ビル)の風景 高架送電線に雑草、天井部には豆電球による星々。遠景を表現するかのようなミニチュア造作。中央に電柱/街灯、上手/下手には変形の障子戸があり、特に下手にはウッドデッキのようなスペースが張り出している。そこで食事の光景や自動車内を表す。全体的に古材を使用した古民家のよう。
健一は、夏休みに オートバイの購入と免許取得の資金稼ぎのため 叔父の家でアルバイトを始めた。3時起きの農作業、田舎ゆえ早く閉まる店(カラオケ)。眠れぬ夜とゼミ課題の「フランケンシュタイン」の読了と研究。小説を準えるように 博士によって創造された怪物は、醜い容姿によって迫害を受ける。孤独感から怪物は伴侶となる異性の怪物をもう1体創ってほしいと頼むが先送りし…。
冒頭 健一と話している姉がいつの間にか母になり、しかも既に亡くなっていると。物語を繋ぐ 世界と世界の境界が曖昧となり、健一の現況が浮き彫りになる。健一とフランケンシュタインの息子が重なり、孤独を抱えている。一方、従兄弟とカラオケに興じるが 22時が閉店という田舎の地域性、舞台美術と相まってノスタルジアが感じられる。カラオケによる女優2人(畑中咲菜サンと森岡朋奈サン)の歌と振付が楽しい。従兄弟 拓哉との会話は現実、しかし 健一の心は 虚実の裂け目を彷徨っている という奇怪さ。
物語の世界観はそんなに暗澹・憂鬱ではなく、坦々としている。むしろ演出の過度な盛り込みが気になった。<影:柴野航輝サン>が デーモン閣下のような怒髪と異様なメイク、<影の影:北中僚介サン>が スティルトに乗って不安定に歩く、唐突な歌謡シーンや 上手/下手から扇風機を使った紙吹雪など、その見た目の派手さが印象的。また至近距離で そうめん を実食するなど、諸々の試行を共振させるかのような。表面的な演出は目立っているが、肝心な物語の世界観に入り込めないのが惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
籠鳥ーCAGOTORIー
ショーGEKI
小劇場B1(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。初日観劇、その特典として 劇中に登場する曲すべての歌詞が載っている『ブックレット』がプレゼント。
全10曲が載っているが、物語はその曲にある情況を紡いでいく、逆にその物語用に曲を作詞/作曲したかのような相乗効果を発揮している。謳い文句にある「小劇場ではありえない!生バンドでのミュージカル!」は誇張ではなく、歌って踊り そして観客を楽しませるエンターテイメント。表層的な面白さだけではなく、物語の奥に「古くて新しい問題 というか意識」を潜ませ、悩ませ 考えさせるといった深味のある公演。現代のジェンダー問題にも繋がるような話。
説明の 「鳥籠の中で12人の女たちが、3人の男をめぐり、歌い!叫び!弾けて!求婚! 恋愛サバイバル」であり恋愛は命がけ。まさに3人の男にとっては 生き残りをかけた崖っぷちである。少しネタバレするが、12人の女のうち、適齢期と言われる女5人と男3人が昔 TVで流行った「パンチDEデート」「プロポーズ大作戦」等のような、恋を成就させる物語だが…。今でもあるのか「結婚適齢期」という言葉、たとえ死語だとしても その意識はあるのだろう。物語が面白いのは 男女の恋の駆け引きだけではなく、人の心にある思いそのものを描いているところ。そして1人ひとりが思い描いている<恋>とは を突き詰めていく。それを体現する役者陣のコミカルな演技が面白い。生演奏もすばらしいが 演奏者3人も劇中に入り込んで笑わせる。
(上演時間1時間55分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は2か所にベンチ状の長椅子。その近くにスタンドマイク2本。壁には格子状のオブジェ、そして舞台を囲うように天井から等間隔に半パイプが吊るされている。舞台上はグリーンで統一、まさに鳥籠の中。この劇場は2面(L字)客席だが、その一部を演奏スペース。女優陣は ヘッドセットマイク使用。
ある日、12人の女の中から適齢期と言われる女5人を選び、男3人と恋の成就を目指す物語。ルールは、女から好みの男を選ぶことは出来るが、男が女を選ぶことが出来ない(好きと言えない)。男が出来るのは女からのアプローチを断るだけ。そして男は恋の成就が出来なければ処分される という まさに命がけ。
恋愛につきもの、女は自分の好みと相手に求める条件をいう。曲でいえば「M3 プロフィール 私は何者?」を歌い 「まずは年齢 そして職業、学歴あるいは出身、星座に血液型 だけど見た目 結局顔にスタイル 単純に好き好きが優先」といった外観重視。そして男は「M4 ONE WISH」で「僕の望みは一つだけ 僕だけを見て 僕だけを愛して」と。しかし男は自分の声で歌えない。自分に自信が持てないといった心象表現。女らしさ、男らしさ という曖昧な「らしさ」という意識に自縄自縛されている。例えば 女は「僕」という言葉に嫌悪感を抱き、「俺」と言えと強要する。
またコロラルド効果を用い、恋愛において周囲からの反対や障害があると、かえって恋愛感情が高まり燃え上がるという心理状態を歌う。一方、愛に慎重になる、そして愛は危険だと自分に暗示をかける。自分勝手に 片思いを決め込む、そんな自己逃避がいじらしい。カラフルな衣裳を着た女たちが(複雑な女心を)切々と歌い上げる。全体的に明るくポップな印象であるが、それぞれを見れば皆 個性的だ。
次回公演も楽しみにしております。
『いつかへ』
アンティークス
「劇」小劇場(東京都)
2025/12/03 (水) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
物語は、横浜大空襲を始まりとし 命の繋がり 人の絆を情感豊かに紡いだヒューマンドラマ。少しネタバレするが、3つの時代を往き来し それぞれの時代で共感するようなエピソードを点描する。三世代にわたる 長い時間軸の中で、人の想いがゆっくり収斂していく。各時代に感動的な場面を描き、泣きそうと思った瞬間 明るく歌い楽器(ハーモニカ)を吹く。それの繰り返しのようで、感情を波動のように揺さぶり 高揚感を満たしていく。もう このまま泣かせてよ というところで寸止めするような感覚、そしてラストには大きな感動が…。
けっしてお涙頂戴といった物語ではなく、生きることのすばらしさ、人の縁や絆の大切さが感じられる滋味溢れる話。物語を支えているのが照明と音響/音楽=歌と1つの楽器。叙事的なことを背景にしているが、舞台としては抒情的に描いている。そこに人生のリアリティが垣間見えてくる。ただ、途中で不可思議なことー現実の中に仮想的な描き方を紛れ込ませる、それをどう解釈するのか ちょっと悩む。
上演前に脚本・演出の岡﨑貴宏 氏が 当日配布した人物相関図は、観劇後に見てほしいと。1人複数役を担うキャストもいるが混乱することはない。ちなみにタイトル「いつかへ」は 時制ではない。
(上演時間2時間 休憩なし) ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に寄木細工のような文様の平台、その上に同じ文様の箱馬2つ。上手/下手にも同じような箱馬があり、舞台袖あたりに平板で作った出入口。床には 枯れ葉。上演前には「ゴンドラの唄」など懐かしのメロディが流れている。
戦時中の照明・音響は 空襲時の濃朱色、けたたましい空襲警報が緊張感と緊迫感を煽る。モンペ等の衣裳に煤けた顔が当時を思わせる。そして中央の平台や箱馬の上り下りが逃げ惑う様子を表す。
物語は1945年、1985年そして2021~2025年の3つの時代を往還する。そして説明にある母まい の葬儀から始まる。
●1945年、横浜大空襲時に両親に連れられ逃げ惑う まい(3歳)の姿。防空壕はどこもいっぱいで入れない。空襲時のドサクサで まい は両親と逸れてしまい直前に知り合った母ますみ 娘くみ と一緒にいたが…。まい は両親に見つけられたが、彼女を庇う様に母娘は亡くなっていた。
●1985年、まいは民宿を営んでおり 子供にも恵まれた。空襲時、まいの母は妊娠しており、その後 まいの弟が生まれた。ある日、自殺を図ろうとしていた女 ゆきこ を助け、民宿を手伝ってもらうことにしたが…。その後 彼女は妊娠したが 余命数か月。出産しても育てられない。
●2021~2025年、コロナ禍が背景。中学生の いつか は一人ぼっち。転校してきて友達もいない。そんな時 声を掛けてくれたのが小百合。小百合は体質的なこともありマスクは出来ない、そのため担任から注意される。そんな小百合を あすかが庇う。が 小百合は幼児を庇い交通事故で亡くなる。
まい は、ゆきこ の亡き後、その子 いつかを実の孫のように育てている。空襲で助かった命、それを自殺しようとした ゆきこを助け、その子を育てる。血の繋がりはないが、人の縁と絆といった理屈とは別の感情が動いた物語。居るのは当たり前、日常の暮らしの中に埋没してしまう意識を丁寧に掬い上げた作品。ハーモニカで吹く曲は”故郷”、それは人の心にある原点(拠所)ではなかろうか。まい が気に入っている場所、それは ヒマワリ畑の向こうに海が見える丘。そのヒマワリは自分を助けてくれた母娘のために…。
なお、途中で大人の まいが 子供になって存在する(1役2人:子供時代と大人時代)。非現実的な描写はどのような事を意味しているのか(出番の関係)?
次回公演も楽しみにしております。
劇団鹿殺し Shoulderpads 凱旋公演+abnormals 3作同時上演
劇団鹿殺し
駅前劇場(東京都)
2025/11/30 (日) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。Shoulderpads SP Japanese Version 「銀河鉄道の夜」観劇
冒頭 菜月チョビさんが、挨拶として劇団草創期の頃の話をしていたが、この公演にピッタリのような。そう 「裸一貫」という言葉に相応しく、何もないが その向こうにある事が想像できる、そんなロマンを感じさせる。「銀河鉄道の夜」という不思議な物語だけに、舞台という虚構性の魅力、観客の想像力を最大限に引き出し 楽しませるのに相応しい。同時にジーンとくるものがある。
自分が知っている「銀河鉄道の夜」に沿った内容…ジョバンニ(菜月チョビサン)とカンパネルラ(丸尾丸一郎サン)が中心になって物語を牽引し、それ以外の役者は1人複数役を担い 旅の世界へ誘ってくれる。この旅の中で、学び 絆を育み深めながら困難を乗り越えていく過程は、冒頭のチョビさんの挨拶を彷彿とさせる。台詞は 詩的で哲学的な言葉だが、情景は 漫画のコマ割(緩急)のように面白い。その一コマも見逃せない。
公演の特長である〈Shoulderpads〉だけで、飛び跳ね、ムーブメント、フォーメーション、パフォーマンスといった動き 躍動感で観(魅)せる。また 手作り感のある小物を活用し色々な場景を紡ぎ出す。小劇場で 衝撃にして笑劇的な観せ方、俗用で言えば デジタルの時代にアナクロ的な魅力、けっしてCGで代替できない手作りエンターテイメント公演だ。
(上演時間1時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕に囲まれ、正面に豆電球の電飾ー銀河イメージ だけの素舞台。物語の展開(情景)に応じて椅子やビニールプールを持ち込む。
公演は、ショルダーパッズとゴム紐だけで股間を隠しただけの、まさに この身ひとつで演ずるのだが、その表現力が巧みで情感に溢れている。表層(例えばチラシ)だけ観れば、キワモノのようだが、いつの間にか「銀河鉄道の夜」の世界観に浸っている。Galaxy Trainのノートを持って銀河を旅する。人間は素粒子で出来ており、どこへでも自由に行ける。カンパネルラは 見え(居)なくなっても、いつもジョバンニのそばにいる。
原作は 抒情的な内容だが、それを体現するのが生身の裸体というアンバランス。そこに鹿殺しの独創的な物語を立ち上げる。小劇場では敬遠される水(川で溺れるイメージ)まで使用する、どこまでも場景はリアルを追求するような。
次回公演も楽しみにしております。
あたらしいエクスプロージョン
CoRich舞台芸術!プロデュース
新宿シアタートップス(東京都)
2025/11/28 (金) ~ 2025/12/02 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
説明通り「戦後直後の日本でカメラもフィルムもままならない時代に、邦画史上初のキスシーンを撮ろうと奮闘する映画人たちの姿を描いた物語」であるが、そこには復興にかける多くの人々の夢と希望が内包されている。映画を撮ることは<復興>の象徴、何かに(本作では「映画」)情熱を燃やす者たちの群像劇といえる。それを6人の役者がそれぞれ複数役を担い、1人の演奏者が多くの楽器を奏でることによって多重的に紡いでいく。公演は、分かり易い 質の高いエンターテイメントといった印象だ。
今年は戦後80年、劇中の台詞にもあるが 焼け野原にポツンと見えるのは東本願寺(建物外部)だけ、その焼失と心の喪失を乗り越えた先に光る絆と癒しの光景を描き出す。公演の魅力は、役者や演奏するキャスト陣の熱演と舞台装置や小道具・小物を巧みに使って観(魅)せる場景描写、その演出がすばらしい。謳い文句にもある「ユーモアとペーソスを織り交ぜた緻密な構成」、そして圧倒的な台詞の味わい深さー言葉が心を紡いでいくような秀作。岸田國士戯曲賞 受賞作。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、可動クローゼット(裏板なく通り抜け)3つ、その間に姿見2つ、更に その間に椅子が半円を描くように並んだ だけのシンプルもの。後々 分かるが中央床が開閉し、登場人物が出入りする。上手奥が演奏スペース。場景に応じて クローゼットや姿見を動かし情景や状況を作り出す。物語の最初と最後に玉音放送。
物語は説明にある通りだが、そこに戦前と戦後の撮影事情が大きく違って 戸惑いを隠せない映画人の姿を描く。価値観や考え方等が180度転換する。12月の邦画といえば「忠臣蔵」が定番、しかしGHQ 軍属のデビッド・コンデは、日本の映画会社に軍国主義的・封建主義的な内容の映画製作を禁じた(検閲で許可されない)。そこで 城内での刃傷沙汰を止め、浅野と吉良が接吻して恋沙汰(虜<トリコ>)にし、さらに2人の立場を入れ替えた。また戦時中に 杵山康茂が戦意高揚を謳った映画を撮り、裁判になったが、大した影響力もなかったことから無罪。ホッとした反面、映画人としてプライドが傷つけられ複雑な思い。GHQの進言を聞きながら、日本映画の復活を目指す若者たち。また闇市や街娼など、当時の世相を挿入し混乱と退廃した状況も描く。戦後直後の混乱期、映画とは無関係 しかも法律や道徳といった建前ではなく 強かに生きる若者をキャスティングする、そこに新しい人材発掘/登用を見せる。
戦時中の悲惨な出来事も描いている。大陸(満州)に渡り 家庭を築いた女性 石王時子。終戦のドサクサになんとか帰国したが、夫は戦死し 子も亡くす。夫との約束、生きて日本の土を踏ませ 撮ること、それが果たせなかった彼女の慟哭。彼女は オジサン姿(付け髭)で男として生きていた。撮る対象(子)を喪ったが、どうしても撮影をはじめ映画技術の全てを習得したい。子を撮るという限りなく近いところまで という切なる願い。この個人的な思いと映画事情という社会的な世情を巧みに絡ませたドラマ。
可動クローゼット内には多くの衣裳(普段着)が吊るされ、人物や場景に応じて早着替えする。また役者以外にトルソー(それも色や大・小といった大きさの違い)を用いて 多くの人を現す。それは主役級だけではなく、大部屋や現場にいる映画人全てを表し称えているよう。音響/音楽も生演奏だけではなく、例えば雨音は役者が床や物を叩く音で表現するなど細かい演出に拘る。客席との間にある白幕をスクリーンに見立て、映写(影絵)も映画をテーマにしているだけに面白い。この奇知ある<舞台演出>を通して<映画技法>を思わせるようで、実に巧い。
次回公演も楽しみにしております。
星降る教室
青☆組
アトリエ春風舎(東京都)
2025/11/22 (土) ~ 2025/12/01 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
2016年にラジオドラマとして書き下ろした作品。昨年12月に青☆組オリジナルの朗読劇、青色文庫の様式による初の演劇化。場内は、ノスタルジックで夢幻のような雰囲気を作り出し、女性教師の回想を通して紡ぐ心温まる物語。
青☆組公演の魅力は、じっくり作品を育て 物語に新たな息吹を吹き込んでいくような丁寧さ。本作は宮沢賢治の世界観に呼応したもので、その情景が次々と心に浮かび上がる。舞台美術や技術と相まって表出し 観客の心を静かに揺さぶる。発語を意識し大事にしたといった印象だ。
舞台装置はシンプルだが美しく、優しく、そして温かい雰囲気を醸し出す。キャストはデザインは違うが白地基調の衣裳で統一し、女性教師(現在と過去の2人)は同じ色調の上下服のお揃い。オールキャスト続投によるリクリエイション 珠玉作。
(上演時間65分)
ネタバレBOX
舞台美術は、正面奥の幕に豆電球の電飾、その下に灯がともったミニツリーが置かれている。色彩は、全て暖色の単彩だから温かく優しく感じる。天井にはレース状の白布、銀河イメージであろうか。両壁際には丸椅子が5つずつ並んでいる。吉田小夏さんは、劇中にも入り 歌を口ずさみ ミニグロッケンの演奏を担当する。
教師の森山雪子(32歳)は、20年前に卒業した雫の森小学校の恩師から1枚のはがきを受け取る。それは卒業生代表として卒業式での祝辞を依頼するもの。しかし転校を繰り返していた雪子は、6年生の1年間しかいなかった学校での思い出はほとんどない。雪子は、人間の言葉を話すウサギに導かれて だんだんと奇妙な世界へ誘われていく。雪子の記憶の底に沈んでいた、卒業式当日の出来事が…。
宮沢賢治の童話らしいアニミスティックな世界観、そこに30代になった女教師のリアルな心情を持ち込んでいる。転校を繰り返し 故郷らしき所がない。雫の森小学校は既に無く桜の木だけが…しかし そこには確かに自分はいた。自然云々といった世界と雪子の今の状況(暮らし)を照らし合わせ、忘れてしまった記憶の中に大切なものがあったことを気づかせる。
物語は 美しく抒情的な言葉で紡いでいく。しかし それは浮遊感のようなものではなく、大地に根を下ろした確かさ。人間と自然の共生(キャスト全員の存在/表現)した営み、そこに このドラマの新たな息吹を感じる。朗読劇とは違った魅力、それは人間(役者)が生き生きと動き回り、躍動感(生)を感じさせる。まさに舞台化と呼ぶにふさわしい。
次回公演も楽しみにしております。
一九一四大非常
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2025/11/25 (火) ~ 2025/12/07 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日観劇。超面白い!お薦め。
タイトルは、ちょっと調べれば分かる大惨事。前作との関りもあるが、別に観ていなくても十分解る。事実(記録)を準えた展開であるが、その奥に隠された事(記憶)を虚実綯交ぜにして描いた骨太作。「一九一四大非常」は、111年後の「ニ〇二五大傑作」だ と思う。
物語の展開は、或る有名な洋画を連想する。いや ラストシーンを考えたら…感動で心魂震える。少しネタバレするが、今まで観てきた桟敷童子公演に比べると ラストの舞台装置によるインパクト(ダイナミックさ)は小さい。その代わり、劇中で鏤められる印象そして余韻ある演出は、瞬時にその情景を表象する。
場内が現場を表し、役者陣の迫真ある演技が緊張感と緊迫感を漂わす。勿論 衣裳やメイクが当時の凄惨さを物語る。また状況や情況が刻々と伝わるよう、日にちや時間を繰り返し言う。現代と地続き、そこで何を伝えるのかという社会性は、国家(戦略)に翻弄される虐げられた人々の思いではなかろうか。
(上演時間2時間 休憩なし) 追記予定
百年の孤独
月蝕忌実行委員会
オメガ東京(東京都)
2025/11/22 (土) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
千穐楽観劇。面白い!
久し振りの寺山修司作のアングラ劇。物語の筋を追うというよりは、その場面ごとの特異さを紡ぐことによって全体像が明らかになる といった感じ。些細なことに拘っていては、物事の本質を見失ってしまいそうな危うさ。
「百年の孤独」は、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説。ブエンディア一族が「蜃気楼の村」マコンドを建国し、その隆盛と滅亡に至るまでの100年間を描いた物語。それを寺山修司が上演 そして映画化しようとしたが、係争になり改題(『さらば箱舟』)等して上映。現在は無関係な作品として扱われるらしいが、ストーリーは共通している と。
相当 刺激的な作品で、独特な世界観に魅了される。勿論 その世界観を立ち上げていくキャスト陣の熱量が凄い。少しネタバレするが、小さな貞操帯を付けただけの全裸の女優、その貞操帯を外して情交したい光景が至近距離で繰り広げられる。性的な場面だけではなく、現世と来世を繋ぐアナログ的な奇知が面白い。脈絡が有るのか無いのか判然としないが、ラストは そういう事なのかと…。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は暗幕で囲い、中央上部に柱時計が吊るされている。その下に箱馬が3つ。上手/下手に物語を暗示するような支柱。上手は冥途/一族/手紙、下手には極北/魔境/科学と書かれた矢印。中央客席寄りに平箱が1つ。劇中やカーテンコールでの役者紹介でマッチを擦り火を灯す。その儚くも幻想的な光景が印象的。公演の妖しい魅力は、特殊なメイクや衣裳、光と影の陰影(モノトーン)の中で紡がれる幻想的な妄想。
物語は、世間の中傷や因習の中にありながら 従兄姉同士で愛し合う一組のカップル(近親婚による「豚の尻尾を持つ子」が生まれるというと迷信に捉われ貞操帯を付けている)。神父不在で結婚式を挙げられなくなってしまうカップル。身に覚えのない夫から次々に遺品が届く年増おぼこ(処女)。村人の手紙を冥土へ送る郵便配達人。やがて彼ら全員で記念写真を撮るに至るまで綴る。遭遇する不可思議な出来事の数々、それは夢と現、または過去と現在を彷徨する迷宮(もしくは迷走)する村のよう。
公演の表現的な魅力は、得体の知れない世界観とそれを表出していく偏執的とでも言う情熱。1人ひとりの独特な存在感と奇妙なパフォーマンス、その表現し難い魅力に圧倒される。当時の社会情勢など関係なく、ひたすら自分たちが信じた道を突き進む。そんな熱に浮かされた心象。シアトリカル(=劇的)に演じ、語り、怒り、笑いといった素直な感情が炸裂する。
この村から出られない不自由と閉塞感等、それは当時の時代の情勢を表しているのではなかろうか。人は社会(村/国)という共同体の中で生き、そして死んでいく。死は本人の肉体の焼失だけではなく、他人の記憶の消失によって その存在が亡(無)かったことになる。ラスト、平箱に入っていた過去帳を取り出し、百年経ったら(皆)記憶から抹消され村が消滅する。そこに救いがあるのか否か。
次回公演も楽しみにしております。
お寺でポンポン‼︎
劇団娯楽天国
ザ・ポケット(東京都)
2025/11/19 (水) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
劇団の特長である舞台美術、その見事な造作の中で紡ぐ家族と衆人のスラップスティック・コメディ。劇中の言葉(台詞)を借りれば 「我欲」が爆発したようで収拾がつかない。その壊れた家族をいかに再生させるかが見所の1つ。勿論 舞台美術がその比喩になっている。
少しネタバレするが、主人公の澤瀉長一郎が定年退職し、縁もゆかりもない田舎に家を買って一人住まい。悠々自適な暮らしを満喫しているが、亡き妻の七回忌法要の件で子供達(娘3人)と相談することに…。娘たちもそれぞれの生活と思惑があり、早い段階で一筋縄ではいかないことが透けて見える。法要に絡み お寺との関りが物語をとんでもない方向へ。
衆人の我欲が、時事問題に絡むような描き方ー例えば SNSを使った選挙運動、宗教と政治の関係・影響、ジェンダー問題、投資の自己責任などーで、社会性が垣間見えてくる。家族という「人間」とは 切っても切れない「社会」を さり気なく繋げる巧さ。
(上演時間2時間20分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、ほんとうに住めるような造り。正面奥には障子戸、それを開けると山並みが見える。天井には太い梁。上手は仏壇と床の間 上部は欄間、下手は階段があり2階へ。畳の居間に和箪笥が置かれている。最初と最後は 色違いだが お揃いの法被を着た群舞。
長一郎は写経をするなど スローライフを楽しんでいたが、妻の七回忌の相談のため娘たちを呼び寄せた。そんな時、昔 寺で修行していた時に世話になった住職とその妻が巡礼の途中で立ち寄ったと。そして2人は 法要を依頼した尼寺の悪い噂を言い出し…。御仏に仕える僧侶が金儲け(投資)や政治家(選挙活動)、さらにはインバウンドを当て込んだ観光施設の誘致など<仏>ならぬ<物>欲にまみれ、それに澤瀉家の相続問題が絡んでトラブルが勃発。再演であるから、”令和の不謹慎エンターテインメント”といったところ。
僧侶と言えど人間、生きていくためには我欲もあろう。それが罪深きことなのか自然なのか、僧侶という立場が物語を面白く味わい深くしている。長一郎の暮らしは、変な者たちに翻弄され 当たり前の生活が崩壊していく。しかし ご立派で窒息しそうな日々が、騒動によって何故か生き生きとしてきたように思える。暮らしは消費され田舎と都会という境界線を越えた。物理的には、煙草の引火爆発によって家が崩壊/焼失したが、一方 家族(娘たち)との蟠りは霧消したようだ。まさに家族の崩壊/炎上であり再生/出発が描かれる。この家屋(舞台装置)の崩壊シーンが 歌舞伎で言うところの屋台崩しのようで 迫力がある。
この劇団の強みは、役者陣のチームワーク。ベテラン団員だけというマンネリ化ではなく、ワークショップ生を順次登用する新鮮さ、そのバランスある構成が好い。例えば、澤瀉家の父親役の鷲巣知行さんは2003年から客演し団友といった存在。長女 高子の沢井エリカさんは2011年、次女 咲子の梨本りえ さんは2012年、三女 友子の寺岡遥さんは2024年、そして居候を決め込む住職 音羽澄珍の小倉昌之さん(座長) とその妻 菊代の高畑加寿子さんは創団間もない頃からのメンバー。チャイナ服を着た<小美人>2人はまだワークショップ生。まさに家族ぐるみの安定感ある公演。
次回公演も楽しみにしております。
山吹
遊戯空間
六本木ストライプスペース(東京都)
2025/10/18 (土) ~ 2025/11/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。泉鏡花原作「山吹」の独特の世界観を見事に表しており観応え十分。心地良い緊張感に包まれた舞台空間、そこに妖しげな物語が描かれる。まさしく「妖話会」に相応しい話。キャストは3人(篠本賢一サン、中村ひろみサン、加藤翠サン)、その少ないメンバーによる濃密な会話が観客の心を捉えて離さない。
原作の魅力もあろうが、物語に登場する人物の心情が切々と伝わり、その情景/状況を生演奏(設楽瞬山サン)が支える。また この会場の特徴を活かした演出が余韻を残す。物語全体の世界観というか情景は上演前から既に始まっており、その雰囲気作りが実に上手い。客席配置は観客をも劇中の民衆として取り込むような工夫であろう、その没入感に浸る。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
この会場は、中央に折り返しの階段があり、これをどう使う(演出する)か関心があったが、本作ではラストに活用。舞台を中央にした対面客席で、劇中にある<祭>の見物客(群衆)に見立て 物語へ誘うよう。会場入り口近くの紗幕、上演前に<祭>の映像を映して雰囲気を盛り上げる。逆に、奥に 語りと登場人物の島津正(洋画家)を演じる 中村ひろみ さんの立ち位置。イーゼルとその足元に絵画が数点。中央階段下に演奏スペースで和楽器(チベットベル、能管等)が置かれている。
物語(2場)は、時・場所・候を語り 始まる。舞台は修善寺温泉近くの山中。人形遣いの辺栗藤次は、寺の祭りの日に、木に人形を立てかけたまま 酒屋で飲んでいる。そこへ洋画家 島津正と小糸川子爵夫人の縫子が現れる。縫子は 料理屋の娘として働いていた頃 島津を見かけ、密かに憧れていた。嫁ぎ先(子爵家)での惨い仕打ちもあって家庭を捨て島津の許へ。しかし、芸術にしか興味を持たない島津は彼女の想いを受け入れない。絶望した縫子、そこへ酔った辺栗が現れる。縫子は、自暴自棄になり辺栗に「何でも言うことをきく」と。辺栗の望みは「女に(鞭で)打たれること」、縫子は傘骨で打つ。辺栗は若い頃、女絡みで罪を犯し その罪悪感から折檻されることで贖罪している と。縫子は島津に問う、「応えてくれなければ、この人形遣いと生きる」と。島津は「仕事がある」と答え 拒絶。縫子と辺栗は、念仏を唱えながら闇(階段を上り階上)へと消えていく。
物語は現実か夢想か、または現世か来世か そんな揺蕩うような雰囲気を漂わせている。その曖昧さが島津の「仕事が…」という逃げ口上を巧く引き出している。そして この「仕事」こそが洋画家としての島津の関心事ー縫子と辺栗の道行を絵に描きたいのでは と思ってしまう。能でいえば、縫子と辺栗はシテで、島津はワキ(始めに登場し時間や場所、状況を語る)のような役割を担っている。また傘骨で半裸になった辺栗を打つ、その異様にして耽美的な光景、それを(生)楽器の効果音によって艶めかしく響かせる。
謳い文句にある―魔界の誘惑、現世と来世のはざまで揺れる、女と男たちの一瞬間のドラマが、鏡花の豊饒な言葉で浮かび上がる―、それを見事に体現する3人の役者の演技が見事。至近距離で異様にして唯一無二の世界観を堪能する喜び。
次回公演も楽しみにしております。
朗読活劇 信長を殺した男 2025
ハピネット・メディアマーケティング
THEATRE1010(東京都)
2025/11/20 (木) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!朗読と演奏のコラボによって臨場感と迫力溢れる情景が立ち上がる。
物語は 史実と虚構を綯交ぜにした世界、その内容はタイトルのような主君殺しの非道な人物像ではなく、いかに世の安寧と家族愛を願ったかを紡いだもの。
戦国時代を背景にしているが、合戦シーンはほとんどなく 信長を殺した男 明智光秀の半生 その機微を中心に紡ぐ。キャストは わずか5人、光秀役以外は1人複数役を担う。また舞台美術、その造作はシンプルだが中央の櫓状に組んだ所には 織田信長1人が座る。主人公となる明智光秀を含めた人物は板の上。等間隔に4つの演台とスタンドマイクが横に並ぶ。勿論 高い場所から信長が睥睨していることを表し、板の上で(4人)は演台を移動し 固定した場所はない。そこに光秀の流浪人生が垣間見える。
(上演時間1時間45分 休憩なし)【桔梗】
ネタバレBOX
舞台に演台が並び、上手奥に演奏スペース…法螺貝・太鼓・三味線等 情景に応じて演奏し分ける。後景は、焼けたような薄汚い平板が組み合わさったオブジェ。戦国の世…焼け野原といったイメージだろうか。
またキャストや演奏者は皆 和装で男優は袴、女優は着物姿。また信長だけはマントを羽織って威厳を漂わせている。
戦国時代ー強烈な戦国武将たちが各地で死闘を繰り返し、その攻防の末 崩れる勢力図。光秀は、美濃国の戦国大名 斎藤道三とその息子 義龍の争いの中で 道三に従ったが破れて越前 朝倉家へ。そこでの働き、後の室町幕府15代将軍 足利義昭との関りなど、通史(史実)の出来事が語られていく。織田家へ仕え 武芸に秀でた光秀は頭角を現していく。信長による天下統一が進む中で、小さな綻びが広がり始める。中国・四国への政略戦。大陸(明)侵攻計画。そして極端な成果主義など……。特に荒木村重の謀反と明智家の関り、そこに時代という<社会>と明智という<家族(個人)>が繋がってくる。信長の意に添わぬものは排除、そして皆殺しという歴史(事実)を語る。
一方、光秀とその正室 熙子との出会いと思いやりは、歴史に刻まれない心の奥底にあるもの。それを情感たっぷりに表現する。熙子が光秀に嫁ぐことになったが、疱瘡を患い 顔に痘痕が残る。破談を恐れた熙子の父は彼女の妹・芳子を身代わりに立てるが、光秀はこれを見破り熙子を正室として迎え入れる。のち 朝倉家のために歌会を催すことになり、光秀がその資金に困っていると、熙子は黒髪を売って金を用立て助けた と。正確な記録もなく、語り継がれの美談のような出来事を虚構の舞台として立ち上げる。
演出は、場面の強調や場景の変化の時、演台に扇子を張り扇のように叩きつけて、緊張とリズム感をもって展開する。また 信長が本能寺で討たれ、退場する場面では紙吹雪が舞い印象と余韻を残す。
演技(朗読)は、声量や声色を変え 複数の人物や情況や状況を巧みに立ち上げていく。声の変化と同時に扇子を叩くタイミングが難しく、叩いた音が響かずスッたような音は愛嬌か。
次回公演も楽しみにしております。
MOON 全公演終了しました、ご来場ありがとうございました!
KUROGOKU
シアターシャイン(東京都)
2025/11/19 (水) ~ 2025/11/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
前公演に続いての如月小春 作品、面白い。
初演は バブル経済全盛期の1989(平成元)年、自分は未見。タイトルが「MOON」であるが、劇中では別の形でも表現される。詩的な印象であるが、内容は極めて私的であり人の心情をクッキリ表している。そして時代背景から長時間 過密労働という社会問題や疎外感といった事象が垣間見えてくる。労働者の代替など何人もおり、馘になっても無関心・無関係を装う。公演は 時代感覚/状況も大切にしており、携帯電話もパソコンも出てこない。
荒唐無稽のような展開に思えるが、それは比喩を紡ぎ人の心の空虚さ…「私はとても素敵なトースターを持っています・・・朝、夫がでかけたあと、私は一日中トースターを抱いています」を表している。そして物語の舞台となる夫婦の住居(マンション)も老朽化すれば取り壊し、新たな建物へ。人もモノも古く使い物にならなくなれば捨て 壊してしまう。今の時代に この演目を上演するのは、何となくコロナ禍を経て不寛容で無関心といった風潮に似ているような気がしてならない。勿論 労働環境(事情)は異なるが…。
少しネタバレするが、物語の中心になる夫婦の夫 ウエシタコーゾが、事件の概要を独白するところから始まる。夫が主人公で その観点で展開していくのかと思っていたが、いつの間にか 妻 のの が主役に代わっている。その視点こそが物語の芯であろう。
(上演時間1時間45分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は 中央に階段を設え、上部にカラフルな箱馬が5つ。左右にはビルを模った張り板。下手には屋外ゴミ箱。劇中、中央正面に大きな丸い照明、それが「月」であり「穴」を表す暗喩。この舞台美術と舞台空間の作り方が巧い。
物語は、平凡なサラリーマン夫婦の生活を風刺した喜劇。いつもと同じ光景、朝 夫を送り出し 帰宅を待ちわびて暮らす妻 のの。その孤独に いつの間にか見知らぬ男が入りこみ、夫になり変わって一緒に暮らす。さらに男は職場で夫の地位も奪う。地方から出てきた夫の母親も 粗大(可燃)ゴミとして捨てられる。 やがて 夫と男は銃で決闘することになるが、夫の不倫相手のOLララが妻に対して という三つ巴の決闘。なんとも荒唐無稽な展開。
見知らぬ男が夫になり変わるが、真に自分が夫であることをどう証明するか。妻は闖入してきた男を夫と言い、マンションの住人(管理組合)は夫を見たことがないと。家庭の中に”MOON”のような丸い穴がだんだん大きくなる、それは夫婦間(心)の溝の深まりの比喩のよう。それを埋めるように男が闖入してくる。何となく安部公房の「友達」を連想させるが、それとは別の怖ろしさ。妻の視点へ変わり、寂しさ虚しさに忍び寄る孤独、それを癒すかのような偽りの愛に縋る。
「日々の生活の中で見失われつつあった自己のアイデンティティ、社会に翻弄される人々を痛烈な風刺を込めて描いた不条理コメディ」。今の時代、さらに 他人に対して無関心であり不寛容、近所の人の顔さえ知らず 挨拶もしない。同時にバブル期における交換可能な人間の空しさ、しかし 今は機械(AI等)が代替する非情さも。初演当時とは別の意味で 観応えある作品になったよう。少し古い映画「奇々怪々の俺は誰だ!?」を連想させるような物語。
結末は、夫が妻を後ろから抱きしめるシーンで終わる。虚無の象徴だった月は、2人を見守る優しさの表象へ。
次回公演も楽しみにしております。
星の流れに
羽原組
赤坂RED/THEATER(東京都)
2025/11/18 (火) ~ 2025/11/24 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
1948(昭和23)年の東京 上野を舞台にした群像劇。公演の魅力は、表層的には 戦争による荒廃とそこから立ち上がろうとする人々の姿を 昭和歌謡とダンスで観(魅)せる。その奥には戦争という最悪の不条理が描かれている。登場する人物の1人ひとりに戦争がもたらした精神・肉体などの苦悩や痛みを点描させ、劇中の言葉にある「戦争は理不尽な怪物」を表していく。
説明にある「この焼け跡にアタシらの為のアタシらの国、独立国を作ろう!」と、そこには国の言うことを信じてばかりではダメ。物語の核心でもある自主/自立の精神が芽生え、戦後の混乱期を生き抜いてやろうという気概が立ち上がる。歌とダンスシーンを支えているのが音響/音楽と照明効果で、素舞台にも関わらずエンターテインメントの魅力を存分に発揮している。重厚な内容を軽妙な展開で という不思議なアンバランスが見所の1つ。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台奥に集合写真を撮るような平行3段。舞台前方は、群舞を観(魅)せるため広いスペースを確保している。物語は昭和23年であり、モガ風の衣裳で軽快に踊るところから始まる。物語は、惣田紗莉渚さんと伊藤わこ さん演じる姉妹が中心で、2人は戦災孤児。そして何故か 惣田さんには亡き母が見えてしまう。そこに彼女の悲しみが秘められている。母の口癖「ズルしても幸せにはなれない」は、物語の底流にある思い。
戦時中 軍需工場で知り合った仲間とダンスホールを開く、そこが自分たちの独立国。惣田さんは工場で班長をしており、今もその通称で呼ばれている。GHQの倉庫から武器を盗み転売して資金調達をしようと企む。その直前になって 仲間が脱落していく。その1人ひとりの事情ー出征した夫の安否確認、広島原爆の二次被爆による破談等ーが戦争の傷跡そのもの。そして妹 伊藤わこ さんも浅草の歌舞団で踊っていたが、戦時中の慰問公演に自分の代わりに行った友人が爆死。いわゆるサバイバーズ・ギルトのようで、罪滅ぼしのように診療所で働いている。また 医師も特攻隊員へヒロポンを注射していたことへの罪悪感に苦しんでいた。そこに通院している外科患者、コメディ・リリーフのようだが、上野という場所や白地の衣裳を考えると傷痍軍人を現しているよう。
惣田さんは、東京大空襲の時 母と一諸に逃げたが母が瓦礫の下敷きになり助けることが出来なかった。その時のことが悔やまれ、今でも亡き母が見える。姉妹は戦災孤児になり親戚に身を寄せたが居心地が悪い。1人上京し上野で佇んでいたが…。強がりな言葉は、自分自身を奮い立たせ、仲間を心配させない虚勢のようでもある。この1人ひとりの戦災事情を描くことによって、戦争の愚かさを浮き彫りにしていく。同時に社会(国)に対峙する見方も考えさせる。ちなみに、刑事の「文句があるならマッカーサーに言ってくれ」は 当時の統治能力の無さを皮肉った台詞。
群舞で華やかさを演出するが、その魅せる世界の裏に潜む悲惨な世界 その落差が物語を牽引していく。ダンスは情景や状況が変化するといった場転換を表す。また多彩で強烈な照明も場転換を促す。
タイトル「星の流れに」は 戦後の流行歌…焼け野原で家族もすべて失われたため、「娼婦」として生きるしかないわが身を嘆いた。戦争への怒りや、遣る瀬無い気持ち、そして こみ上げてくる憤りを叩きつけた哀歌。その思いは時間で断つ事はできない。暗転/明転ではなく、別の方法を用いているのは、時間の断絶を防ぐためであろうか。
次回公演も楽しみにしております。
喜劇王暗殺
トツゲキ倶楽部
「劇」小劇場(東京都)
2025/11/19 (水) ~ 2025/11/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
1932(昭和7)年の五・一五事件と喜劇王チャップリン暗殺未遂、それを虚実綯交ぜにして描いた喜劇であり反戦劇。声高に反戦を訴えているわけではなく、舞台となる「カフェ ハル」の店主 春(ハル)の言葉が当時の空気感に対する警鐘に聞こえる。公演はコメディタッチだが、鏤められたチャップリンの映画のワンシーンや名言による揶揄や皮肉、さらに春の重石のような言葉が物語を引き締める。
公演には出てこなかったが、「人生は近くで見ると悲劇だが 遠くから見れば喜劇である」といった旨の言葉も残している。昭和7年といえば軍靴が高く鳴り響き始めた頃、近くの足元どころか 遠い将来も危ぶまれていた。今も、世界のどこかで紛争や戦争が起きている。けっして他人事ではないのだ。この公演には 喜劇の底に悲劇が見え隠れしており、観応え十分。
シンプルな舞台装置のワンシチュエーション、そこに集う人々の思いと優しさが きな臭い社会情勢の対比として描かれている。勿論、喜劇王を助けたい思いが中心だが、同じように傍にいる大切な人への思い遣りも しっかり描く。当日パンフにも記されているが、この物語は あくまでフィクションで人物や事件などとは無関係のコメディだと…。笑いと胸に迫るシーン、その感情の揺さぶりが みごと。
(上演時間1時間50分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に衝立2つ、その間を店の出入り口に見立て 上手/下手に丸テーブルと丸椅子がいくつか。また下手客席寄りに別スペース。シンプルな装置で「カフェ ハル」の店内を現す。上演前には格子状の照明が斜めに射し抒情的な雰囲気を漂わせている。
物語は1932年5月。銀座に店を構えるカフェが舞台。この小さな店に世界的スターの喜劇王が来るという噂に湧きたっていた。実は同じく銀座にある「サロン ハル」と間違えたらしいが、それが喜劇王にとっては幸いした。日本は、だんだん きな臭い情勢になってきており、日米の戦争が実しやかに言われていた(事実そうなる)。国(軍)はその嚆矢となる口実を探していた。そんな時、アメリカから喜劇王が来日する。そこで喜劇王の暗殺が…。社会的には史実、そこに集う人々の思いを虚構として絡ませ、見応えのある舞台を立ち上げている。
喜劇王は、当時の首相 犬養毅から官邸での歓迎会に呼ばれていた。カフェの人々は暗殺の噂を聞きつけ、なんとか官邸に行かないよう画策する。喜劇王は「行くな」と言えば「行く」ような変人のような性格として描く。当日パンフには「(喜劇王=チャップリンの)実際の出来事をベースにしているが、あくまでフィクション」とある。それでも劇中、彼の映画の名場面ー例えば「街の灯」や名言「下を向いていたら 虹は見つからない」等を鏤めて 彼の人柄なりを垣間見せる。劇中ではチャーリーと呼ばれているが、その容姿/風貌はチャップリンそのもの。
カフェには、お見合いをするため占い師が来店していた。本人曰く「占い」ではなく「ご神託」らしいが、その話の中で「鑑定が良くない」が「官邸が良くない」といった言葉遊び(誤解)や、登場している人物が同時多発的に台詞を発する。そこに混乱と戸惑いといった騒動が巧く表現されている。また少し先は「右傾化」といったご神託。その後を知っている者には胸を突き刺されるような思いだ。
次回公演も楽しみにしております。