あの日は江古田で君と
劇団二畳
FOYER ekoda(ホワイエ江古田)(東京都)
2025/10/30 (木) ~ 2025/11/05 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。A「千羽鶴」と D「わたしの人生」を観劇。
コンパクトだが、実に分かり易く 思わず頷いてしまう。どちらも基本 コメディで会場内は笑いが絶えない。場内は演劇という非日常空間、しかし 戸一枚隔てた外は 車の騒音が聞こえる日常空間、その不思議な感覚が心地よい。
「千羽鶴」は、ゴミ集積場から千羽鶴を拾ってきたことで起きる小騒動。袋に入っているのを わざわざ取り出して持ち帰る。しかし、いとこ に咎められ元の場所へ戻そうとするが、その時 近所の人に見られ、自分が捨てたと思われるのが心外。なぜ拾ってはいけないのかといった問答が始まる。そこから話は意味深な世界へ。
「わたしの人生」は、市民劇場の楽屋で かつての演劇仲間と繰り広げる激論。演劇愛に満ちているが、暮らしは楽にならない。生き甲斐か食い扶持か、役者と乞食は三日やったら辞められない といった言葉まで飛び出す。時代を遡れば役者のことを<河原乞食>だと。しかし、劇中劇にさらに捻りを加え第四の壁を超えたような物語に驚かされる。
両作品とも畳二畳で十分演じることが出来るが、その内容は実に含蓄あるもので普遍的な(広い)世界を観せてくれる。「千羽鶴」は20代女優の三人芝居で、軽妙洒脱といった印象。「わたしの人生」は40代女優の二人芝居で、言い争いから普段の姿へ。年齢もキャリアも違う女優陣による濃密な会話劇、堪能した。
(上演時間1時間15分) ㊟ネタバレ
ネタバレBOX
A「千羽鶴」
舞台美術はミニテーブル2つを並べ、カラフルな椅子が3つあるだけ。
東京郊外、笹目菜々子、藍子の姉妹とそのいとこ 涌井則子が住む、古い一軒家。菜々子がゴミの集積場に捨ててあった千羽鶴を拾ってきた。千羽鶴のイメージは願い事や平和への祈りを思う。それを捨てるとはどういう事情か。則子は戻してこいと言う。例え話として、捨ててあった おはぎを拾ってきて食べるか?さすがに菜々子もそれはしない。そんな問答中に 藍子(中学校教師)が帰宅。彼女は輪廻転生を信じており、急に宗教らしき話へ。捨てる前に藍子が”鶴”の折り方を知りたいと…。一羽を広げてみると中には「死」「苦」などの字が書かれていた。薄気味悪くなりゴミ集積場へ戻しに行った菜々子は、そこで偶然 千羽鶴を捨てた高校生(野球部)に会った。捨てた事情を聞いて、家に帰ったが忘れてしまった。慌てて藍子と則子がゴミ集積場へ。会場外の千川通りを走る2人が場内から観える。そこに現実と虚構が綯交ぜになる可笑しさ。
D「わたしの人生」
舞台美術は ミニテーブルと椅子が2組、それを少し離して 斜向かいに置く。
昭和の中後期。舞台女優と女優を引退し結婚したその友人。「三人姉妹」の舞台が終演し 2人は楽屋で面会する。市民ホールでの公演にオーディションを経て舞台に立った女優。友人は舞台があまり面白くなかった様子でそれを隠すそぶりもない。舞台を生き甲斐に今でも女優を続ける役者と、早くに安定した生活を求めて結婚し、今では保険外交員をしている元役者。その2人の生き様をめぐって言い争う…という芝居の稽古中という設定。いわゆる劇中劇だが、さらに2人は因縁めいた出会いがあったとする回想シーンへ。そして突然、至近距離にいる観客に向かって素のように喋り出す。まさに第四の壁を突破してきたのだが、これも台本通りといった台詞も飛び出し どこまで芝居なのか二転三転し…。ウーン これは数回観るか台本を買わなければ、この場面の真の内容は判らない。劇中劇の稽古中は 緊張感が走る迫真の演技だが、その後は和気藹々といった雰囲気へ。
ほとんど舞台美術もなければ、照明や音響/音楽といった舞台技術もない。まさに演技力で観(魅)せる公演。次回公演も楽しみにしております。
人のいぬ山
発条ロールシアター
中野スタジオあくとれ(東京都)
2025/10/31 (金) ~ 2025/11/03 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、孤独と共生を描いた人間ドラマ。
物語は、或る山での一夜の出来事を描いているが、台詞にある約40年前の想いと現代がリンクしてくる。1980年代後半にクローズアップした社会問題と今 就職を考え始めた学生の意識を巧みに絡めた珠玉作。
少しネタバレするが、タイトル「人はいぬ山」は二重の意味での洒落。そしてカフカの「変身」を連想させるような怖さ。
(上演時間1時間35分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術、冒頭は暗幕で囲まれた素舞台。それが山の天気の急変で雷雨になり、中年男2人組と女子大サークルの一行が山小屋へ避難。そこには管理人の男が住んでおり、奥の暗幕を開けると自転車や電熱器ヒーターなどがある。
物語は、偶然一緒になった男女の自己紹介を通して 人物像を立ち上げていく。中年男のうち 劔はしっかりした登山装備だが、北は軽装で山行歴が違うよう。学生グループはミステリー研究会だが特別な活動をしているわけではない。そして山なのに白い着物を着た若い女性 陣馬が…。
山小屋には管理人とケンという着ぐるみの男、そして老婆(自称 マタギ)。ケンは擬人化しているのではなく、れっきとした人間だが その人格を放棄して犬になっている。若い頃は、街で働く優秀な社会人。いずれ大きな人物になろうと頑張っていた。しかしバブル期を背景に長時間労働で精神を病み、或る日 起きたら犬になっていた。まさに 精神構造はカフカの「変身」ー自分が巨大な虫になっていたと同じ。現実からの逃避、それがいつの間にか破滅意識、忘我、自己逃避へ。その時の様子を懐古調(黄昏色)の照明の中、管理人とケンが回想する。実に印象的なシーンだ。
一方、女子大生たちは 就職活動へ。しかし人見知りで人間関係が築けない双葉、好奇心旺盛な高見、双葉が好きな伊吹。いつまでも学生気分ーモラトリアムでいたいという現実逃避。仕事が嫌い、ずっと引き籠もっていたい、あたり前のことが出来ない といった現代を生きる我々の悩みを代弁するかのよう。犬の姿のケン、そこにいる誰もが不審に思わず詮索もしない。それは優しさだけではなく、いつ自分がそうなるかも といった思いがあるから。
公演は、不気味さと楽しさが絶妙に混じった雰囲気、現代の恋愛や結婚観を挿入し あくまで現代を意識させる。表層的には、歌って飲んでスナック菓子を食べ、この世は捨てたものではないと。しかし物語の芯はけっして楽観的なものではない。昭和と令和は地続き、山小屋の男は山に留まり、ケンは知識と仕事を求め街へ。その生き様は人それぞれ、解決策は描かれていない。不思議な山の一夜の物語。
次回公演も楽しみにしております。
『ペリクリーズ』
メグロコミュニティシアター
ウッディシアター中目黒(東京都)
2025/11/01 (土) ~ 2025/11/03 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
シェイクスピアの未見の作品。説明によれば彼の最初のロマンス劇とある。
物語は、荒唐無稽で現実離れしているが、素朴で味わい深さもあって楽しめる。戯曲通りなのか判然としないが、詩人・語り手(説明役)であるガワーが幕間に現れて、場転換を告げる。そして場面と場面を繋ぐ経過や状況を簡潔に説明するため、物語の内容は分かり易い。何となく勧善懲悪のよう、そう思わせるのは ガワーが冒頭「良きもの、古きこそ良き」といった旨の口上があるため。
壮大なスケールと長い時間軸の物語だが、端的に言えば主人公 ペリクリーズの愛と波乱万丈の旅、そして家族の話。誤解、勘違いや早合点が招いた過酷な運命、それが いつの間にか荒唐無稽でご都合主義によって奇跡へ転じる。多くの人物が登場するが、役者によっては 1人が複数役を演じる。その演技力に差があり、特に台詞回しが ぎこちない。シェイクスピア戯曲の台詞(原文/古典の翻訳)通りに演じているのだろうが、役者が それを十分取り込めていないため、台詞を読んでいるといった印象だ。逆に現代語訳のような自然な台詞回しのほうが聞きやすく 親しみが持てると思うが。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分 計2時間30分)
ネタバレBOX
舞台美術は、ほぼ素舞台で 中央奥にベンチが1つ。上演前は上手に黒布で蔽われたモノがあるだけ。その黒布は早々に取り除かれ、そこには斬首した多くの首が山積みになっている。ペリクリーズはアンタイオカス王の娘に求婚しようとしたが、王と娘は近親相姦を繰り返している事実を知る。王は、それでも娘を望むなら或る謎解きをしろと迫る。今まで何人もの求婚者が謎解きに挑んだが…その結果斬首され門の上に晒し首となっている。
ペリクリーズは王家の秘密を知ってしまい、命を狙われることになる。已む無く部下 ヘリケーナスに所領ツロの統治を委任し旅立つ。そこから波乱万丈の旅が始まる。幕間は暗転/明転ではなくガワーが説明するが、シエークスピアの時代は照明での場転換がなかったこと、同じ空間で 時間の経過だけを表すための演出であろうか。
サイト(CoRich舞台芸術)の説明に あらすじが記されており、その結末も「家族全員の奇跡的な再会によって物語は幕を閉じます」とあり、ハッピーエンドであることが分っている。未見の作品だけに、そこは もう少し配慮(工夫)した説明にしてほしかった。
照明や音響/音楽といった舞台技術は、印象に残るほどではなく、衣裳は当時を表そうと それなり。その中で 女郎屋のおかみ 岸本聖美さんのアニマルプリントの衣装は強烈。登場した瞬間に笑い、そのヒール役とのギャップに可笑しみが…。
次回公演も楽しみにしております。
『眼球綺譚/再生』
idenshi195
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2025/10/29 (水) ~ 2025/11/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、『眼球綺譚』望 観劇。
小説家 綾辻行人の名前は知っていたが、その作品は読んだことがなかった。本作で綾辻ワールドを高橋郁子さんの脚色・演出で一気読みするような感覚。これを<朗読キネマ>というのであろうか。事前(フライヤー)にトリガーアラートの案内があり、さらに前説で 一般的な留意事項以外に「気分が悪くなった方は椅子の前に蹲ってもらえれば、メディカルスタッフが対応する」とあり、一気に緊張感が走る。たしかにホラー・グロテスク・性的な描写があり、そのジャンルの名手である綾辻世界の雰囲気を十分に漂わせていた。この朗読劇を機に、小説(原作)を読んでみようかと思っている。
朗読劇のため ほぼ素舞台。中央に丸椅子が等間隔に4つと譜面台が1つ、後ろの壁に珠簾屏風のようなもの。その微かに揺れるところへの淡い照明が幻想的であり神秘的で妖しい。演者は女優4人、デザインは違うが黒衣裳で統一。会場内は薄暗く、その雰囲気と相まって 咳(しわぶき)一つなく緊張感に包まれる。役者は 始めから全員登場しているわけではなく、物語の進行に合わせて順次現れる。この公演では音響/音楽効果はなく、オノパトペもない。そこにも物語の世界観を大切にする拘りがある。
(上演時間1時間35分 休憩なし)
ネタバレBOX
朗読劇として表現するには多重構成で複雑な物語.。そして冒頭からして不気味「読んでください。夜中に、一人で」という言葉。それが朗読中 何回も出てくる。
物語は、出版社に勤め出した20代前半(大学を卒業し半年)の女性 手塚由伊 宅に送られてきた郵便物。便箋に書かれた文は先の文章と宛先、差出人だけ。そして同封されていた小説らしきもの。その内容が 自分の出生の秘密のように思え戦慄を覚える。小説という虚構の中に自分がいる。忘れてしまっていた幼い時の微かな記憶がよみがえる。
小説の題字は「眼球綺譚」…その構成が、現在と過去を行き来し 幻想、快楽そして猟奇的。小説の語り手である私は「倉橋茂(大学助教授 35歳 男)」、彼が高校生の時の幻想的な追体験をするような物語。そこで 奇妙な女性からの手ほどきで性交を重ねる場面がある。女優だけの朗読劇で、半ば犯されるような情景に違和感をおぼえる。いや情景が立ち上がらないのが惜しい。
小説の中で 狂った女が産んだ子の名が「由伊」、自分の名が記されている。珍しい名前だから偶然を装えない。忘れていた自分の過去が掘り起こされるような不気味さ。知りたくもない忌まわしい過去があるような。特に狂女 のぐち和美さんの か細く弱々しい囁きが怖くも可愛らしい。由伊が小説を読むという劇中劇、その内容が現在と過去を往還するという多重構成を、朗読劇で鮮明にするのは なかなか難しいようだ。
次回公演も楽しみにしております。
かもめ
劇団 新人会
上野ストアハウス(東京都)
2025/10/29 (水) ~ 2025/11/03 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
何度か観たことがある戯曲だが、とても分かり易い舞台として楽しめる。作中の人物像がしっかり立ち上がり、日常生活における会話や人間模様の織りなす関係が だんだんと盛り上がっていく。戯曲の持つ 力 もあろうが、四幕を実に巧みな手法で紡いでいく。戯曲の力、演出の技、演技の思いが調和した好公演。
(上演時間2時間10分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台上の上手に客席を設えた 変形2面客席。舞台美術は 上手奥に階段、下手は、冒頭 幕が下りていて奥が見えない。登場人物の1人 トレープレフが、自作を家庭劇として上演するため仮設舞台を設えているため。床は 継ぎ接ぎ絨毯に椅子が無造作に置かれている。下手客席寄りに演奏スペース。演奏は星 衛さんでチェロや横笛の生演奏。
シンプルな舞台美術だが、暗幕へのプロジェクションマッピングで光景を立体的に映し、生演奏で情感豊かに紡ぐ。幕が揺れると水の揺らめきのようだ。四幕ものだが、一瞬にして場景が変わりテンポよく展開していく。勿論、場景に応じて小道具の搬入/搬出や衣裳替えをする。ラストは ランプの灯りが情緒的で印象に残る。
物語は、女優 アルカージナの息子トレープレフが従来の(古い)芸術を革新する作家を目指し、日々思い悩む。また女優になることを夢見て人気作家トリゴーリンに思いを寄せる娘ニーナ。閉塞した状況、その出口が見い出せない絶望と憂鬱が作家志望のトレープレフと女優を志し挫折したニーナを通して描かれる。若者2人のすれ違う愛は、この時代の変わり目に痛み悶えながらも希望の煌めきを放つ。ニーナだけは客席通路を使い、別場所(外の世界)や閉塞状況からの脱出を試みる、そんな暗示を感じる。
チェーホフ戯曲の特長とでもいう静劇、静かな湖畔に建つ家で猟銃の音が鳴り響く。そのラストシーンに向かって だんだんと迫力と緊張感を増していく。とても雰囲気のある場景の中で繰り広げられる会話、その間(ま)が絶妙で生き活きとした人間の語らいがある。工夫し計算されつくしたような会話は、作者 チェーホフの人生観を垣間見るようだ。それを抒情豊かにしているのが生演奏、それを感情的な表現とすれば、効果音---例えば暴風雨などは物理的に聞かせる巧さ。さまざまな演出上の工夫や技巧が駆使されている。
ラスト---トレープレフは、これから向かうべき道が見い出せず、夢とイメージの混沌とした中を さ迷っている。信念もなければ使命も解っていない。一方 ニーナは、絶望し挫折しながら、自分がどうすれば良いのか知っている。女優という仕事で大切なのは、かつて夢見た晴れがましい名声・栄誉ではなく<忍耐力>だと…。
ニーナの言葉は 現代人へのメッセージ…世界のどこかで起きている戦争や紛争下にいる人たちへの希望(一刻も早い解決)に繋がるような。
次回公演も楽しみにしております。
人間になりたがったミミズと、
劇団うぬぼれ
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2025/10/24 (金) ~ 2025/10/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
社会ドラマか人間(蚯蚓)ドラマか、いずれにしても なんだこれは! と言った おかしな世界に笑っていても、気がつくとザラッとしたリアルな舌触りが残るような作品。この不思議感覚 その形容し難い危うい魅力がこの公演の特長だろう。
歌も踊りも とりわけ上手いとは言えないが、観終わってもサブリミナル効果に支配されているようだ。荒唐無稽の中に、人間とミミズの世界、コミカルとシリアスな境界を飛び越え、誰もが抱く希望に向かって を描く。その描きたいことは、何となく解る。台詞にもあるが「隣の芝は青い」、それは現代日本が抱える社会問題の1つを表しているようだ。
物語の核心までの助走時間が長く、休憩までの前半は冗長に感じられる。しかし後半、説明にある「人間になりたかったミミズと ミミズになりたかった人間」の場面になってからは怒涛の展開。この前・後半の落差が激しい。
また 繰り返しのシーンも散見され、或る意味を持たせているようだが、諄く感じる。構成はコンパクトにして、もう少し早い段階で核心にもっていくほうがいい。遊び心もよいが、観劇歴の浅い観客にとっては 解り易さや適度な心地良さも大切だろう。
(上演時間2時間35分 途中休憩10分)【C】
ネタバレBOX
舞台美術は、中央にアーチ状の出ハケ口、上手/下手に窓。全体がファンタジーな絵柄の壁。場景に応じて階段式の演壇を持ち込む。ミミズの衣裳は白地に青いアクセントを付けて統一。照明は原色による目潰しが強烈。
梗概はチラシの説明通りで、人間の脳みそを食したミミズが進化しミミズαになる。その維持と更なる進化を目指し 天才人間(脳みそ)を探している。その役目を担ったのが、ミミズ晴れ高校一の秀才 ブンガク。実は 秀才ズタブクロ会長の答案をカンニングして成績優秀になっただけ。人間の脳みそを捕食することは、答案をカンニングして という窃取・横取・剽窃・模倣と同じ。そんなブンガクが探し出した天才人間は小磯サスケ。しかし小磯もカンニングを繰り返してきたバカ浪人生。この小磯探しと人物評価迄が前半。もう少しコンパクトに出来ないだろうか。
ブンガクは、他のミミズαの反対を押し切って 小磯の尻の穴から体内に侵入し同一化を果たす。かくして「人間になりたかったミミズと ミミズになりたかった人間」が誕生する。人間の世界は差別や偏見(学歴偏重等)、柵(シガラミ)や制約が多く不自由。一方 ミミズの世界は歌って踊って楽しく暮らす。しかし窃取しなければ進化どころか退化してしまう。繰り返しの場面は 退化の表れであり、脳みそ摂取迄の時間が迫っている。環境を比べてみれば、それぞれ「隣の芝は青い」のである。
この違った世界、個人で見れば生き方(無目的、惰性か否か)であり、社会(国家)で見れば異文化(移民等)といったことを連想。その融和は難しく、いろいろな立場や意見が飛び交っている。わずか百平米の世界、倫理感の欠けた社会は自己中心的で壊滅的とも思えるが、ミミズαにしたら されど百平米という広い地で進化することを模索している。
自虐的とも思える「なんじゃこりゃ ミュージカル」と銘打って不思議な世界を軽妙に描く。表現し難いことを笑いを交えて表出する、そんな作風に仕上げている。
次回公演も楽しみにしております。
『鏡涙 うつる月こそ 形なれ』
シーリア企画
Uptown Koenji Gallery (東京都)
2025/10/23 (木) ~ 2025/10/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、喪失と再生---グリーフケアの物語。
「現実」と「幸福」 その実感を失った先に想像を絶する光景がまっている。物語は 男と女の二人芝居だが、中盤迄は男の悶々とした独白が続く。どうして彼は苦しんでいるのか、それがだんだんと解きほぐされていく。何となく既視感がある物語だが、狭い会場で周りから観(眺め)る感覚は、盗視しているようで変な好奇心が湧き、目が離せない。
少しネタバレするが、上演前から黒いスウェットシャツを着た男が 薄暗い部屋の床に寝ている。なにやら独り言を繰り返している。その鬱屈した感情、実は寂寥の裏返し。男の視点で描かれる 愛おしくも残酷な思慕のはなし。幻影へのエモーショナル的な好公演。
(上演時間1時間15分 休憩なし)
ネタバレBOX
中央にテーブルと椅子2つ。会場入り口の奥に舞台技術を担うブース、正方形のマットレスが2つとハンガーラック。客席は舞台を囲う壁際に椅子が置かれている。観た回の観客は8人。小道具はなく、主にマイムで表現。効果音も最小限、照明も暖色が2方向から照射しているだけ。役者の演技力でどれだけ物語の世界観を構築できるか だが見事。
物語は 説明にある「暗い部屋の中、男は静かに目を覚ます。長い間、仕事を休み、誰とも会わずに過ごしていた」、そして長く暗いトンネルから抜け出す1日を描いている。
男はユウタ(向哲平サン)、女はメグミ(山口敦子サン)、二人は この部屋で同棲(or結婚)していたようだ。彼女はもういない。彼女と過ごした日々を懐かしみ そして悲嘆に暮れている。別れ 失(喪)って初めて知る大切な存在。虚無のような日々だとしても生活は続く。トリガーアラートにある<センシティブな表現>や<性加害に関する描写>は、メグミの下着姿や暴漢に襲われた場面を指すようだ。
メグミは2回登場するが、初めはユウタにその姿は見えない(回想場面か)。2回目は仕事から帰ったメグミの就寝する姿がハッキリ見える。その時のユウタは、幻覚か幻想を見ているようだが、その幻こそユウタの切なる願いでもある。もう少し 2人の印象深い思い出話があると、切ない気持が昂ぶり 揺さぶられ 感情移入できるのだが…。客観的な観察眼でしか観られないのが惜しい。向哲平さんは激情と寂寥の気持を全身で表し、山口敦子さんは淡々とした(生前の)日常を表し、2人のいる世界が異なる様子を観せる。それが異界を乗り越え(鏡を通し)て深く結ばれていることを表す。
部屋の外は 花火の音、電車の高架下轟音、雑踏という 社会(俗世)が隣り合わせにある。カーテンを開けると明るくなり日が差し込むような光景。鏡の向こうに居るメグミ、手を取り合って箱(オルゴールか?)の蓋をあける。優しい音色の音楽が流れ、メグミは囁く。私はいつもそばにいるよ。悲しみは癒えないと思っていたが、ユウタはメグミの死と向き合うため、喪服を着て…。とても余韻あるラスト。
次回公演も楽しみにしております。
当番の娘
劇団匂組
「劇」小劇場(東京都)
2025/10/22 (水) ~ 2025/10/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
内容的に語弊があるが面白い。戦後80年の節目、多くの反戦劇が上演され 本作もその1つ。特徴として 戦禍ではなく戦渦を描いており、その悲惨さは十分すぎるほど伝わる。テーマとしては「重い」が、それに負けない「想い」が詰まった公演。当日パンフに演出の三浦剛 氏が「少々突拍子もないスタイルかもしれないが、笑撃と衝撃の塩梅は上々かと」記している。この敢えての演出は 評価が分かれるかもしれないが、自分は好意的に受け止める。一瞬 朗読劇かと思ったが、そこには或る意味が込められている。
舞台となるのは、信州松代 真田祭りの昼下がり。そこには松代大本営跡地があり、本土決戦(政府中枢機能移転)を想定して造られたもの。主宰の大森匂子 氏が長い日々あたためてきた渾身作ー反戦と差別ーであるが、それは戦時中のことに止まらず 今に続く問題を提起している。それをハラスメントという別の形で描く。少しネタバレするが、真田祭りの日に来た老女との語らいから、満蒙開拓団 当時の忘れたいコトが甦ってくる。それがタイトル「当番の娘」に繋がる。
(上演時間1時間50分 休憩なし)追記予定
売春捜査官
高円寺K'sスタジオ本館
高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)
2025/10/15 (水) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
無料(投げ銭)公演。高円寺K'sスタジオ10周年特別企画
脚本は同じでも、演出や役者(演技)によって面白さが違って観える。今回の「売春捜査官」は、主人公の木村伝兵衛部長刑事を木村夏子サンと柏尾志保サンが競演する。その演技が見どころ。最終日に続けて観たことによって、その違いを感じることが出来た。
何度も「売春捜査官」を観たが、それだけに観慣れたといった先入観を持っていたが、表現しにくい新鮮さ斬新さがあった。公演は、木村伝兵衛像が役者の演技だけではなく、その外見ー体躯によっても印象が違って観える。演劇は役者の数だけあるような。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)【柏尾志保版】
ネタバレBOX
物語は、警視庁の木村伝兵衛部長刑事の取調べを中心に熱海の殺人事件の概要をなぞりながら、その過程で事件の底流にある問題を抉るもの。人間を鋭く洞察し、心理描写と情況表現が中心であることは間違いない。
男優陣は、熊田留吉刑事(日下諭サン)、梶刑事(梶原航サン)、大山金太郎(千葉大和サン)との絶妙な遣り取りに人間味が…そんな滋味溢れるものが観てとれる。単に伝兵衛の盛り立て役に止まらず、1人ひとりの人間性を立ち上げている。体躯のよい日下さんは、厳つい風貌と剛腕を見せつつ純情な面を併せ持つ熊田刑事、梶さんは顔付こそ野性味あるが、やはりホモらしい繊細さを見せる梶刑事、千葉さんは2人に比べると体は細いが、強情で熱い男-大山金太郎。相乗効果を発揮した役者たちの演技はよかった。
なお 柏尾バージョンでは、梶刑事を木村夏子さんが演じていた。この公演は 主に5人で運営ー登場人物は4人、そして1人は照明/音響・音楽など舞台技術を担当する。この回は梶原さんが技術を担当しており、李大全(故郷 五島の先輩)を演じる時だけ 木村さんが技術へ。だから出ハケの場所や動線が違う。まさに少数精鋭での公演だ。
柏尾さんの伝兵衛は、大柄で迫力があるが 白ポロシャツというラフな格好。台詞は はっきり明瞭だが、情感に乏しいような気がした。2人の伝兵衛は、その体躯の違いもあって、一部シーンが異なる。例えば、熊田と梶の両刑事が伝兵衛のスリーサイズを揶揄う場面は、柏尾さんのバージョンでは割愛。その代わり 高校時代に熊田と別れた駅舎場面を入れる。2人の女優の体躯や特長を活かした「売春捜査官」---敢えて例えるなら、木村さんは精神派、柏尾さんは肉体派といった印象。
次回公演も楽しみにしております。
売春捜査官
高円寺K'sスタジオ本館
高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)
2025/10/15 (水) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
無料(投げ銭)公演。高円寺K'sスタジオ10周年特別企画
脚本は同じでも、演出や役者(演技)によって面白さが違って観える。今回の「売春捜査官」は、主人公の木村伝兵衛部長刑事を木村夏子サンと柏尾志保サンが競演する。その演技が見どころ。最終日に続けて観たことによって、その違いを感じる。彼女を支える男優陣ー日下諭サン、梶原航サン、千葉大和サンーの熱演も良かった。もちろん舞台技術の照明や音楽が実に効果的に使われ、印象深く観(魅)せる。
つかこうへい の思いは、やはり役者の演技力という体現なしでは伝わらない。特に主人公を演じた2人の力強く凛とした姿と愛嬌ある仕草、また山口アイ子の切なくも強かな女、その異なる女性像を自在に演じ分ける。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)【木村夏子版】
ネタバレBOX
舞台セットは、お馴染みの古びた机、その上に黒電話、捜査資料、そして洋酒瓶が雑然と置かれている。音楽は冒頭の「白鳥の湖」は定番であるが、それ以降の劇中音楽は情景場面に応じて流すが、その選曲が実に良い。
在日への人種差別の激白、その故郷を追われた慟哭が胸をしめつける。また伝兵衛の部下 梶ワタルを同性愛者として登場させ、性への偏見差別、職業・職場、さらには社会進出における男女差別、権力至上への揶揄など、色々な問題・課題を浮き彫りにしていく。今では憚られるような差別・卑猥語や隠語で捲し立て、観客によっては嫌悪感を抱くかもしれない台詞をポンポンと発する。一方、人が感じ持つ優しさ、哀しさ、孤独、気概などの人間讃歌とも受け取れるシーンの数々。
熱海の海岸で絞殺された山口アイ子の平凡と思われた事件。その容疑者 大山金太郎を一流の殺人者に仕立て上げることによって、事件の底流にある本質を炙り出す。この硬質で骨太い描きの中に、女性ならではの純粋と情念の心情を垣間見せる。またちょっぴりあるお色気シーン、この緊張・弛緩のほど良い刺激が物語を飽きさせない。
木村さんの伝兵衛は、小柄で華奢な体格に 黒スーツでビシッと決めたスキのない恰好。ただ 自分が観たのが楽日ということもあるのか、声が掠れており聞きにくい。聞き取れなくても関係ない、例えば 冒頭の電話口に向かって喋る台詞は、男勝りの気性の荒い女性という印象付けが出来ればよい。しかし本篇の中はしっかり聞かせてほしかった。そこが惜しい。好かったのは、衣裳が関係しているのかもしれないが、芯が強いという内面の激しさが迸っていた。
次回公演も楽しみにしております。
ピンクの教室に父の影
友池創作プロジェクト
小劇場B1(東京都)
2025/10/15 (水) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。
謳い文句の「真実と虚像が交差する、友池創作ノスタルジーシリーズ最新作!」、30年前にタイムスリップすることで見えてくる事実。伝聞もしくは噂の類(たぐ)いだけでは知る由もない真実、それをミステリー風に焙り出す巧さ。じっくり焙煎する(タイムスリップを繰り返す)ように描くことによって深みとコクが出るような作品。もちろん「火」も関係している。
前説で友池氏はネタバレOKと言っていたが、やはり自分の目で確かめてほしい。
真実は人それぞれの観点で異なる、言い換えれば 人の数だけ真実があると言ってもいい。言葉の使い方 捉え方も人それぞれ、そこに自分の真実がある。しかし 相手からしてみれば 別の意図を感じ取ってしまう、そこに物語の肝がある。例えば、ある状況下で「ありがとう」と言ったら「I Love 」と受け取られるなど。
自分本位もしくは先入観は なかなか払拭出来ない、だから説明にある「記憶から消したあの男を私は許すことが出来るだろうか 」と。しかしタイムスリップし 俯瞰することで本当の思いが解かる。論理的な矛盾を乗り越えて(承知で)未来を招く、タイムパラドックスまたはミステリー ヒューマンドラマといったところ。
(上演時間1時間45分 休憩なし)追記予定
白貝
やみ・あがりシアター
浅草九劇(東京都)
2025/10/08 (水) ~ 2025/10/19 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、㊟基本ミステリーなのでネタバレ厳禁。
物語は、チラシにある通り 登山(記録)中心に淡々と進むが、ラストの伏線回収は凄い。山は 作品に登場する白貝山以外は実在し、山登りが趣味な自分にとっては聞いたことがある山ばかり。日本百名山に入る有名な山からハイキング程度の低山もあった。白貝山には避難小屋があることから、それなりに標高が高い山を設定しているような。
山は四季折々 しかも いろいろな登山ルートがあるので楽しめるが、山行の約束をしない限り 同じ人とはめったに会わない。山では 見知らぬ人でも 情報交換や事故の際の目撃情報に繋がるため挨拶をする。それにしても やたら出会いが多くなり「私の話を聞こうとしている気がする」と。でもタイトルの「白貝」通り口を割らない。「あのときのことは絶対言わない」、その理由が肝。
舞台美術は、シンプルだがタイトル同様 山だけではなく海を想わせる造作が巧い。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
客席の対面舞台、中央に2~3段窪んだ床面に(山の)等高線のような模様があるが、海でいえば砂紋といったところ。「山」と「海(貝)」という絶妙な美術。色彩も白・黒・灰の三色で 実にシンプル。そこを登り降りするだけの動きだが、十分 山行を思わせる。
物語の内容は記せないが、巧みな構成、シンプルだが山行の様子、それを体現する役者陣の演技、それら全てが調和した好公演。ラストは衝撃的‼
ちなみにダイヤモンド発掘会の回は、キャスト全員同じ「やみ・あがりシアター」の白Tシャツを着ており、衣裳などの違いではなく演技力を試しているようだ。また暗転・明転はほとんどなくシーンの切り替わりは、〈私が〉山行する行動記録を傍白して場所(山)と日時が違うことを強調する。
次回公演も楽しみにしております。
ワンアクト・ミュージカル・フェスティバル
ワンアクト・ミュージカル・フェス実行委員会
シアター風姿花伝(東京都)
2025/10/09 (木) ~ 2025/10/20 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
この公演は 「1幕物の、3つのミュージカルが火花を散らす。国産ミュージカルの地平を広げるインディーズ発のミュージカル・フェス!」という謳い文句で、同じセットで異なる演出と物語を上演するもの。ミュージカルとして観(魅)せるため、ヘッドセットマイクを(調整)使用しているが 声量をコントロールし安定した音程とリズムで聴かせる。舞台上でピアノの劇伴(奏者は黒衣裳)が情景を豊かにしている。
自分が観たのは「檸檬SOUR」。とても解り易く しかも心に響く内容だ。学生時代に読んだ小説「檸檬」(梶井基次郎/1925年発表)をオマージュしたような作品だが、それを現代風にアレンジしている。小説の冒頭の一文---劇中の台詞にもあるが「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか」が物語の核心。今から100年前の心情は、今も変わらず人の心に巣くう。天気で言えば どんよりと曇った空、色で言えば 灰色。その暗鬱な基調がだんだんと変化していく様子が見所。それを照明の色彩で見事に表している。珠玉作。
(上演時間1時間20分)
ネタバレBOX
舞台美術は、冒頭 全体的に薄暗く、上手奥は階段、下手奥は白い布が三枚横並びに掛けられている。中央に可動式のカウンター2つと椅子。下手壁際に演奏スペース。場景に応じてカウンターを動かし店内を表す。天井には おしゃれ電球。このセットが 他の演目の時、どのように使われるのだろう。
居酒屋チェーン店のアラフォー店長 山城は、客の容赦ない注文への対応、自分中心のバイト店員との関係、ノルマの上乗せなど、日々の仕事に追われ疲れていた。そんな感情は誰にでもあり、何もかもが嫌になってしまう。いつしか山城の脳内にイマジナリー基次郎が表れる。鬱屈した気持のはけ口が…。或る日、高校の友人 田所が娘 真希を連れて店に来る。そして同じく高校時代の友人 霞を交えて ある計画を…。登場人物は5人+α(演奏者がワンシーンだけ物語へ登場する)で、軽快に紡いでいく。
小説では、鬱陶しいものの象徴である丸善を吹き飛ばしたら といった妄想。山城は 今の諸々の煩わしさに準えて この店をレモン爆弾で爆破させ何もかも無くしたら痛快だと思う。そんなことを考えていたら気持が楽になった。灰色の景色が色鮮やかな景色に変わり、人生の酸いも甘いも嚙み分けてきたような錯覚に捉われる。そうレモンの甘酸っぱさのよう。しかし現実は そう旨くいかない。
気持が晴れた様子、それはカウンターや椅子に上がり、天井から多彩色の照明が浴びせられた姿に見るようだ。灰色が多色の光景に変わる。鬱憤を晴らすような---段ボールを投げる、レモンが散らばるなど心の解放。心の変遷を ミュージカルとして物語に則した自然な発声、正確なピッチとリズムで歌い、観客の心に響くような表現力が好かった。それは5人のキャスト全てに言える。そして劇伴との調和も。
次回公演も楽しみにしております。
幸せになるために
“STRAYDOG”
赤坂RED/THEATER(東京都)
2025/10/09 (木) ~ 2025/10/13 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
内容的に語弊があるが 面白い、お薦め。
説明にある「1985年8月12日に起きた日航機墜落事故」のドキュメンタリー演劇のようであるが、それを実体験するようなイマーシブ感が凄い。少しネタバレするが、会場を「日本航空123便」に見立て 観客は乗客といったところ。場内は客室乗務員の制服を着たキャストが案内する。墜落直前は、客席通路で乗務員が非常時対応の指示をする。場内全体がダッチロールするような臨場感そして没入感に驚く、同時に舞台上の情景が…。
映画撮影の劇中劇のような描き方、そこに集まった人々の想いが違った筋書きへ変えていく。日航機墜落事故から今年で40年、遺族の悲しみは癒えることはない。物語は、遺族や関わった人々だけの問題ではなく、二度と遭ってはならないという警鐘でもある。内容的には重いが、“STRAYDOG”らしい 歌やダンスといったエンタメ性で観(魅)せる。そのバランス感覚のすばらしさ、観応え十分。
(上演時間2時間 休憩なし)【B】
ネタバレBOX
舞台美術は、正面奥に大スクリーンといくつかのパイプ椅子があるだけ。
物語は 説明にある「とある廃工場に映画の撮影で集まった人々・・和気藹々」といった描き方で、撮影も「ハドソン川の奇跡」のような筋書。しかし 集まっていたのは、日航機墜落事故の遺族。そして墜落の事実 その裏に隠された真実を知るための筋書へ変わっていく。国家機密の隠ぺい説など、いろいろな憶測が飛び交う。
前半は、123便の乗客の生前の暮らしを点描し、変哲のない幸せな日々が紡がれていく。その狂言回し的存在が 鳥居みゆき さん。客室乗務員だったが、当日非番のため事故に遭わなかった。そんな複雑な思いを抱えたまま生きている。
後半は、事故現場の様子が凄まじい。自衛隊の救助、医療隊の救護の状況を 早口で実況するように喋る。その姿を 天井からの白銀のスポットライトまたはバックサスで照らし印象的に演出する。その場の緊張感・緊迫感がヒシヒシと伝わる。その後、パイプ椅子を並べ、その上にシーツを被せ遺体収容所を出現する。遺体との対面シーンは悲しみで胸が締め付けられる。その時は暖色照明で、実に巧みに心情を浮き上がらせる。
墜落状況はスクリーンに飛行映像を映し、舞台上では 乗客が家族などに向けて書いたであろう手記/メモを傍白する。先に記したように乗務員に扮したキャストが通路で身振り手振りを交え 動き絶叫する。会場床が揺れ、本当に機内にいるような錯覚に陥る。その臨場感に圧倒される。
悲しみは、嘆くだけではなく 抱きしめるもの。ラストは「上を向いて歩こう」の歌。
次回公演も楽しみにしております。
223番のはなし 東京公演
劇団芝居屋かいとうらんま
OFF OFFシアター(東京都)
2025/10/10 (金) ~ 2025/10/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い。或る小説をモチーフにしていると思うが、原作のファンタジーに比べ この作品はシニカル・ファンタジーといった違いがある。物語には 現代社会(文明)への痛烈な皮肉と批判が込められている。勿論、本作のタイトルもその小説を連想させる。
説明にある「男が迷い込んだ場所は 何世代も前の生活をしていた 現代人が文明の豊かさと引き換えに失ったモノを彼らは持っていた」…その場所とは、失ったモノとは等、さまざまな問いと男の思いが交差する。その世界観が舞台美術によって惑わされそうだ。例えば現界か異界、または 現世か来世など、異なる世界を描くことによって、今を客観的に表出する。
少しネタバレするが、男が傍白する「見えないものが見える 不思議を信じる」そして「目を開いているのに 見ないふりをする」は、文明という便利さ豊かさの中に忘れてしまったものであり、諸々の不(不健全・不寛容など)や無(無感動・無関心など)を表しているよう。舞台という虚構に リアルな社会の歪を落とし込み 考えさせる好公演。
(上演時間1時間30分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、周りが青葉で繁った空間、そして側面が白と黒の箱馬がいくつか。冒頭 箱馬に何本かのポールを立て牢屋を表す。調査官が牢内にいる男 山岸に向かって、これからは223番と呼ぶ と。調査官の取り調べが、男の回想となって物語が始まる。
男は山奥の不思議な村へ迷い込んだ。後々 明らかになるが、会社ひいては社会に対して嫌気がさし 自殺しようとしていた。一方、村は自給自足で物質的に裕福ではないが、精神的には安らいでいる。村人は喜びや悲しみの感情が共有できるといった特性がある。コロナ禍を経て無関心・不寛容といった今の風潮への皮肉のような。村人が大切にしているのは「水」と「家族」。その大切な水が 最近汚染されている。村の上流に 男がいた街(世俗)の会社が、ソーラーパネルを設置したことが原因。森林を伐採し水質汚染、まさに環境破壊である。2年前に街の人間 是枝が来ており、彼の会社が設置したもの。是枝も村が気に入り その地の娘と結婚しようとするが…。
芥川龍之介の小説「河童」をモチーフにしているよう。村人は皆 和装で頭に円い髪飾りと水筒を持っている。説明にある「現代人が文明の豊かさと引き換えに失ったモノ」、その心の豊かさを面白可笑しく描破している。男223番は騒乱罪(ソーラーの駄洒落か?)で捕まったらしい。村人が街へ行き、要人の尻子玉(しりこだま)を抜いたことに関わっている と。
物語は、上演前から少しずつ始まっている。村人が独特の衣裳で現れ、箱馬を動かし不思議な世界観を構築していく。箱の側面が白と黒だから見(組み合わせ)方によって鯨幕=死後に見える。そもそも男 山岸が自殺しようとして迷い込んだ村は、既に黄泉の国だったのでは と思ってしまう。想像が膨らむ公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
ジャンク・チャック・ハック
劇団身体ゲンゴロウ
千本桜ホール(東京都)
2025/10/10 (金) ~ 2025/10/13 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
有名な2つの物語(世界)が重層的に繋がり、独特な世界観を築き上げている。それは十代後半から二十代前半にかけての若者の夢や希望 そして不安が入り混じった表現し難い感情を巧みに描いたシリアスファンタジー。
現実と夢想、不安と滑稽の境界を飛び越えながら、誰もが抱く孤独とその先の希望を浮き彫りにしていく。熱っぽくリアルで残酷なこの物語は、<その年齢 特有>のものかもしれない。観客が立ち会うのは、その若者たちの自立の瞬間だ。しかし そこから先は未知の世界が待っている。悩み傷つくかもしれないが、二度と戻らない時代を仲間と過ごしたことも事実。それが これから生きていく糧になる。
俳優陣は、まだ何者にもなれていない等身大の若者像をしっかり立ち上げる。前作「最初の二十面相」で、「怪人二十面相(江戸川乱歩)」+「小さな王国(谷崎潤一郎)」を翻訳した路線であろうか。
少し気になるのは 構成が技巧的で複雑といった印象、それが見巧者向けと受け取られたら勿体ない。
(上演時間2時間 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、後ろの壁に月or太陽と雲の形をしたオブジェ。上手/下手に鉄骨筋交い のような造作。台と幾つかの枠椅子があるだけのシンプルなもの。舞台全体を動き回り若さと躍動感を表すために広いスペースを確保している。
舞台は 静岡県の高校。文化祭で演劇をやることに、その演目が「銀河鉄道の夜」。メンバーは、やる気のない男タカダとフトシ、生意気な演出家 スガ子、疎外感を抱える元サッカー部員のメカメ、そして友達のいない鉄雄。そしてアイドルのユメ子が…。しかしトラブルがあり演目を「ピーターパン」へ、しかも結末も変える。その2つの物語が交錯し混沌とした世界観へ誘う。どちらも夢想のようで現実感のない話で、現実逃避もしくはモラトリアムといった姿が垣間見えてくる。
「ピーターパン」の結末を「ネバーランドで永遠に暮らす」へ変更するが…。高校を卒業して5年、ユメ子は病院で昏睡状態のまま。それぞれの現実の夢(演劇人・起業家・医師・車掌など)が叶いそうになると、ユメ子のことは忘れて自分の現実を追うが…。夢という居心地の良い時間/空間、しかし その世界は止まったまま動かない。劇中でも「切符」のシーンがあるが、現実で生きていくために必要なキップが、伏線として鏤められている。その過程(回収)が若者の自立していく姿として描破する。ラストは銀河鉄道に準えた汽車が南十字星を目指して走り出す。
情景に応じて照明は、多彩な色を用い美しくファンタジー、ずっと流れる音楽は心地好い。この舞台技術も夢の中といった浮遊感を漂わせ巧い。
次回公演も楽しみにしております。
夏の嘘×2
ここ風
「劇」小劇場(東京都)
2025/10/08 (水) ~ 2025/10/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
タイトルにあるようにフェイクテイストでありながら、ペーソス溢れる哀しい人間の想いをユーモアを交えて描いたヒューマンドラマ。人間とは こんなにも愛おしいものなのか。軽妙な会話で面白可笑しく紡がれるが、その心の奥にある相手への思い遣りが痛いほど伝わる。
きつい言葉も関西弁という やわらかい響きで緩衝させる巧さ。また しっとりした光景は、照明を諧調ー例えば 夕暮れ時の薄暗さの中で しみじみとした会話が心に響く。夏ということが すぐ分かる演技、舞台となる氷店の店内を吹き抜ける涼風が心地よい。まさしく優しさに包まれた<ここ風>らしい爽快さ。観応え十分な秀作。
(上演時間1時間50分 休憩なし) 追記予定
シャガ
SHEDDING
インディペンデントシアターOji(東京都)
2025/10/09 (木) ~ 2025/10/13 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
ミツガオカ村の森深くにあるシャガ(祠)、その「シャガの扉を開いた者が村を救う」という言い伝え、それを信じて群舞、剣技、鍵探、解体といった夫々の方法で開錠に挑む村人たち。今、目の前にある村の危機を救うべく必死にシャガを開けようと…。この時代と村の設定、開かずのシャガの意味するところが 物語のカギ。少しネタバレするが、シャガの言い伝えが 古(いにしえ)からという先入観を利用した奇知が妙。
(上演時間1時間55分 休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、中央に石積の上に小さな祠、上手/下手は非対称の階段。上手の階段に壺・甕、下手階段には巾着袋が吊るされている。客席の中央通路(花道)も使用し躍動感を表す。
冒頭、若い女が倒れているのを村人が助ける。彼女が後々 村長家の娘 アイリとなる。今、雨が降らず 干ばつという危機的な状況にある。供物や生贄を捧げているが…。衣裳は、袴姿の和装から近代以前のように思える。それらがアニミズムといった世界観をたち上げる。村は鎖国ならぬ鎖村をしており、近隣からの援助はない。時々、行商人 后芸(こうげい)が 食料や日用品を持ってくる。后芸は<時の旅人>のようで時空を超える存在。アイリは時空が歪んだのか未来から過去へ、その行った時代は定かではない。
当日パンフにある役名/役割と相関図から登場人物の立場は分かる。「シャガの扉を開いた者が村を救う」という謳い文句の行為ー群舞、剣技、鍵探、解体ーが前面に出ており、シャガがどうして閉ざされているのか といった本来の謎解き場面が弱い。伏線を回収し謎を解いていく舞台ならではの面白さ醍醐味が感じられない。手品の種明かしのように、唐突に后芸によって アイリの正体とシャガの施錠の意味が明かされる。
また役者陣の絶叫のような大声は、会話に抑揚がなく一本調子のように聞こえる。物語に込められた未来からのメッセージは警鐘、現代的であり共感できるだけに残念だ。
未来を意味する祠ーシャガは、アイリを ひいては村を守っている。村人1人ひとりは、欲望やエゴそして葛藤があるが、閉鎖された条件下で培われた人間関係がある。その繋がりはとても濃い。一方、現代は便利で物質的に豊かになったが、スマホ等の媒体を通して といった希薄な人間関係。特にコロナ禍を経て無関心・不寛容といった寂しさが広がる。シャガが守っていたのは上流にあるダム(不自然な台詞)の決壊を防ぐ鍵。干ばつのために開錠、しかし開錠すれば村は水没し 村人は死地へ…。
次回公演も楽しみにしております。
いえないアメイジングファミリー【2,000円席有】
sitcomLab
ザ・ポケット(東京都)
2025/10/01 (水) ~ 2025/10/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
シットコムを極めたキャストたちによる「笑って泣けるワンシチュエーションラブコメディー!」の謳い文句が炸裂。タイトル「いえないアメイジングファミリー」、その言えない「怪しい一家」が何なのかがカギ。家族が住んでいる豪奢な家の居間で繰り広げられるスラップスティック・コメディ。
登場する者の個性と魅力的な力が物語を牽引し、勘違いや誤魔化しといったドタバタの連続で 笑わせ 楽しませる。その中心は、妖しく美しい3姉妹の突飛な考え。
(上演時間1時間30分 休憩なし)【Red Devils】
ネタバレBOX
舞台美術は、この家族が住む豪奢な家の居間。中央に大きな応接セット、その奥に大きな両開き窓。上手に扉、下手に悪霊が棲む空間。至る所で蝋燭やランプ灯が妖しく灯る。
物語は説明にある通り、3姉妹の次女 メモリが人間に恋をした。この家の住人は悪魔。悪魔が人間に恋をするなど許されない。特に 人間嫌いの父にバレぬよう奮闘する姉妹たち。人間の青年 晴海は真面目で、付き合っているメモリの父に挨拶をしたいと言う。そこで叔父を父として紹介しようと企む。或る雨の日、家族が青山墓地へピクニックに行った留守を見計らって…しかし雨が止み 予定より早く帰ってきてしまう。予定外の事態に慌てるメモリと叔父、しかも留守ということで人間の泥棒まで侵入してきての大騒ぎ。ラスト、メモリが選んだ決断とは…少し切ない。
登場人物ならぬ悪魔の魔力が面白い。もちろん名前がその<力>を表しているようで、長女カイリは怪力、三女サトリは相手の心が読める、そしてメモリは記憶を操る。それ以外にカイリの夫は変身、叔父は晴れの日は姿が見えない(逆に 雨の日は人間にも姿が見える)、父(脚本/演出 佐野瑞樹サン)は万能で 最後は時間まで巻き戻すといった力業、皆 様々な特徴がある。一方、晴海はそんな事情は知らず、真摯に皆と向き合う。このドタバタ騒動が笑いを誘い、晴海が勤めている遊園地に 雨の日にしか来ない孤独な女性 メモリへの優しい独白がちょっぴり感動する。
公演は、初めて演劇を観る人でも分り易く楽しめるもの。表層的な面白さは勿論、魔界を思わせるような衣裳やメイク、先に記した魔力(例えば 力 比べ等)を可笑しく描く。このサービス精神に溢れた観(魅)せ方が実にイイ。
次回公演も楽しみにしております。
6月26日/生きてみれば
FUTURE EMOTION
キーノートシアター(東京都)
2025/10/03 (金) ~ 2025/10/04 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。
FUTURE EMOTIONの公演は、期待を裏切らない。
物語のテーマ性が明確で訴えたいことが 犇々と伝わる。「『異邦人だったが美しかった人々』をテーマに日本と韓国の作家が保有する作品を交換して発表する演劇交流プロジェクト」。上演は「生きてみれば」(韓国チーム) 「6月26日」(日本チーム)の順で観たが、自分の捉え方が違っていなければ、その世界観は共通している。
両作品は、「人間」と「国家」の在り方をどう捉え、どう生きるかを問うている。そこに<生>への根源的な思いが描かれている。シンプルな舞台装置 というか ほぼ素舞台だが、そこに自分という存在と国家を通してのアイデンティティ(自分は何者かという自己認識)を突き付ける。しかも戦争という最悪の不条理を通して見つめるもの。
演劇的には、韓国チームは女優2人による心/記憶の彷徨、日本チームは男優2人の極限状態における濃密な会話で紡ぐ。至近距離での演技は、その臨場感に圧倒される。
(上演時間2時間5分 途中休憩15分)
ネタバレBOX
舞台美術は、両作品とも暗幕で囲い箱馬があるだけで、違うのはその配置。どちらも色彩は黒と白のみ、それは鯨幕ー死後の世界を連想する。
●「生きてみれば」(韓国チーム)*字幕あり
四方に箱馬を置き テープで菱形に囲った空間(手前だけが低い)。
説明では、大戦末期 朝鮮人と結婚した日本人女性タミエ、彼女が終戦を迎えた韓国で生んだ娘ミジョンの物語。2人はデザイン違いの白い衣裳。タミエは白い軍配のようなものを頭飾りにしている。
冒頭はミジョンが溺れているようなところをタミエに救われるところから始まる。出会った時は 2人ともお互いのことを知らない。終戦の混乱時、タミエはミジョンの手を引いて離さないよう言うが、いつの間にか逸れた。タミエは夫と別れ1人。ミジョンは成人し結婚した。その夫は争議で検挙され 亡くなり、ミジョンの娘も亡くなり、こちらも1人。タミエはミジョンの手が離れた時に、娘から捨てられたと思い、一方 ミジョンは母(タミエ)に捨てられ 自分の娘からも(亡くなったことで)見捨てられたと。
2人がいるところは 現世と来世の狭間。タミエは既に亡く、ミジョンが入水自殺を図って此処にいる。2人のそれぞれの軌跡を辿り、お互いの思いを綴る。生きることで必死だったが、母娘の情愛はどこかで繋がっていた。生きることが辛い、しかし 母タミエはミジョンに生きてほしい。生きることに迷っても、生きていればいいことがある。タミエはミジョンを現世へ戻そうとするー「生きてみれば」…。
●「6月26日」(日本チーム)
暗幕で囲い、白い箱馬が3つと布を巻いた銃が二挺(布で銃口を覆う=反戦の意か?)。
2人は 薄汚れた黒っぽい衣裳。転戦するごとに その国の戦闘帽を被る。韓国江原道出身の2人の悲惨な戦争体験物語(1938年11月~1950年6月)。
説明では、朝鮮人だったが 日本軍として大戦に参戦し捕虜となりながらも生き抜き、朝鮮で再会を果たす2人の男の物語。今でも江原道は朝鮮民主主義共和国との軍事境界線を挟んだ行政区画にある。自分は20代の時、韓国に研修・視察に行ったことがあり、板門店にも訪れたことがある。その緊張感は今でも忘れられない。
冒頭、この場所はどこか。チリリンとなる音に向かって語り掛ける2人。そして(亡くなったであろう)母に会わせてもらうため、辛かった戦争体験を話し出す。日本に徴用された2人が ロシア、ドイツ、アメリカの捕虜として転戦するうちに築く友情。そして再会したのが朝鮮戦争で南北に分かれての敵同士という皮肉。転戦は、役者がロシア(スターリン万歳)、ドイツ(ヒトラー万歳)、アメリカそして自国での朝鮮戦争の情景は曖昧にしている。逆に言えば場所(転戦)は事実であるが、重要なのは戦争そのものの不条理を鋭く批判しているところ。同時に、生きるため捕虜になってもその国のために戦う、アイデンティティなど関係ない。根底にあるのは人間としての「生」への執着。ちなみに ロシアの極寒の情景にも関わらず、役者の額(ひたい)には大粒の汗がひかる。
この世界観は死後、それでも母に会いたい親子の情(読み書きできない母が独学で学んで手紙を書いてくれた)。
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日本に徴用されるまでの経緯が分からず、又は自分の生い立ち、貧困等の事情があるならば、当時の朝鮮という国の置かれた状況など、そのものを捉えているのではあるまいか。作はチャン・テジュン氏で、彼らの視点で作られた作品を日本人が観て感じるには正直難しい。表面的な理解に陥りそうで少し怖い気もするが…。両国の演劇を交換して発表することは、お互い「感覚的」に解り難いところを 作品(物語)の世界を通じて追体験することによって、少しでも分かり合えるように を意図しているようだ。そこに異邦人としての観客(自分)がいる。
次回公演も楽しみにしております。