タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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朗読劇『シロノオト』

朗読劇『シロノオト』

m sel.プロデュース

アトレノワ(東京都)

2026/03/19 (木) ~ 2026/03/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。心を強く揺さぶる物語。
舞台は 冬の東京、路地裏にあるバーでの或る夜の話。客の愚痴とも嘆きともいえる独り言、それを聞かされる いや聞く店員との滋味溢れるお話。物語は5話から成っており、訪れた客には見知った者もいるが 常連客ではない。フラッと立ち寄り酒を飲んで思いを吐露する。顔なじみではない店員だからこそ愚痴がこぼせる。静かに淡々と話す姿、そこに内面を滲ます巧さ。照明の諧調とピアノの音色が優しく包み込むような演出。ちなみに5話にサブタイトルが付いていたのか聞きそびれた。

話に共通しているのは「決別」といった悲しみ、胸に去来する想いを振り切るかのように酒を飲む。客によって酒の嗜好や種類が異なる。その酒に纏わる話が物語の内容に深く関わっており印象深い。キャスト(全員 女優)はデザイン違いであるが皆 白色衣裳で統一。椅子が2脚あるがそれにもシルクの布。台詞の中に 雪がちらつくと…。全体的に白をイメージさせ、そこに浮遊感と透明感を表す。同時に抒情的な印象。
(上演時間1時間25分 休憩なし)

ネタバレBOX

Barを舞台にした5連作短編。ドア・チャイムが鳴り 客が中に入る。(女)店員が席へ案内し話は始まる。

第1話(酒:ビール)
客はビールを注文した直後、Barに来てビールを注文するなんてと自嘲する。好きでやってきた歌手も今日でやめ 地元へ帰るまでの小一時間。女はライブハウスで歌っていたが売れない、一方 同僚で歌手をやめ女優へ転身した女は 今や売れっ子。女優として成功し、しかも結婚し幸せ。好きだが成功するとは限らない と自分に言い訳して諦念を飲み込む辛さ 侘しさ。

第2話(マリブミルク=カクテル言葉は「純粋・純心」)
大学の時 憧れていた先輩が海外転勤し 思いは潰えた。そんな時 交際を申し込んでくれた彼とそろそろ結婚かと思っていたが、半年前に別れを告げられた。そして 今日 元カレから「結婚する」とメール。この店は元カレが連れてきてくれた。飲めない彼女に勧めたのがマリブミルク。その白色カクテルの中に元カレの優しさが隠されていた。先輩が帰国し、彼女の思いを知り身を引いた。

第3話(濃いウィスキー)
父親の葬儀帰り。父が亡くなっても泣けなかった。2人姉妹の姉、幼い頃から厳しく躾けられ 妹は甘やかされて育った。その妬み嫉み 愚痴をこぼし飲むが酔えない。一度だけ父に逆らった。大学進学時に自宅を出て一人暮らしをしたい。その時にくれた紙を財布の奥にしまい込み、今日も父が残した(手)紙を受け取った。どちらの紙にも千円札が包まれていた。実家迄の片道交通費。遠くない距離、辛くなったら帰っておいで と。

第4話(ビール)
第1話で女優になった女が離婚して、自分が本当に望んでいることは何なのかといった迷い。女優として売れ 結婚もして と順風満帆だったはずが夫とのすれ違い(生活や気持など)。手っ取り早く売れたいがために好きな歌をやめてしまった後悔。売れなくても好きな歌を続けている友人(第1話)が羨ましく思える。自分に素直になること。友人にビールの味と一気飲みを教えたのは自分だった。

第5話(ウイスキー)
この店の店員の話 といってもマスターは父親。父は自由人で店を放っといて旅に出たと思っていたが、父と離婚した母がフラッとやってきた。実は(父は)入院していると言う。Barという営業形態から幼い頃から娘とはすれ違いの生活。それでも店の窓から見える小学校へ向かう娘の姿を見ていた と母は教えてくれた。自分が知らないところで見守ってくれていた父--早く退院できればと願うばかり。

全体的に白っぽい舞台(衣裳も含め)、話の情況に応じて照明色を変え それらしい雰囲気を漂わせる。そんなの中で紡がれる朗読劇、とても観(聞き)応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
牡丹の花は匂えども

牡丹の花は匂えども

遊戯空間

上野ストアハウス(東京都)

2026/03/18 (水) ~ 2026/03/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。観応え十分。
三遊亭圓朝の落語にかける情熱というか覚悟、そして息子 朝太郎との親子関係を中心に描きつつ、明治時代における世相や風俗そして芸能史を浮き彫りにする 端正で重厚な物語。その時代感覚を観客にも体感させるような…この劇場で履物を脱いで入る のは遊戯空間の公演ぐらい。明治期の(落語)寄席は座敷布団だったこともあり、その雰囲気を味わわせる工夫のよう。

舞台上に 捲りがあり、さらに語りが 年代順に話(出来事)のさわり を分かり易く話す。キャストは18名、そのうちシングルが6名だけ。多くのキャストは複数役を担うが、情景が混乱することはない。それだけ場景の内容が それぞれ独立した見せ場を持っており魅力的なのだ。もちろんキャストの演技力は確かで、照明や音響/音楽といった技術が効果的に支えている。

朝太郎の悪行(すりの手先)が新聞沙汰になり、その様子を表すかのように客席に「東京曙新聞」を配布する。その新聞に「コレラ流行--感染が拡大--死者が十万人を突破した」という記事、そしてコレラで客が寄席(落語)に来ないと嘆く。まだ記憶に新しい コロナ禍という現代の(芸術)活動に重なる出来事も点描する。圓朝個人のことだけではなく 社会との関りといった幅広さ奥深さも観せている。
秀作。
(上演時間2時間30分 休憩10分)追記予定

墓場、女子高生

墓場、女子高生

あるいはエナメルの目をもつ乙女

テアトルBONBON(東京都)

2026/03/18 (水) ~ 2026/03/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
自分は未見であったが、全国で上演が繰り返されている人気戯曲(作:福原充則 氏)らしい。演出はイトウシンタロウシ 氏、当日パンフに「令和の今、土の下から掘り起こし、皆様に手渡し」とあり、「オリジナルの初演よりも、わかりやすく、まっすぐに、伝わるように」とある。奇妙な話であるが、思春期の女子高生の表し難い心情が 物語を通して浮かび上がる面白さ。

亡くなって幽霊として彷徨っている女子高生、その彼女の墓で屯(たむろ)する友人たち、そこに地に足の着いた あるある女子高生の生々しい感情が揺れるよう。物語は、女子高生(合唱部)たちと亡くなった友人、そして異界の…が繰り広げる奇妙な話。女子高生たちは、今日も学校の裏山にある墓場で授業をサボって戯れている。やはり説明にある「残された人間は、何をもって死者との関係に区切りをつけるのか」が肝か。

彼女の死の理由・原因は何か、その謎を抱えつつ物語は展開する。しかし この「死」という関心事が 逆に「生」を考えさせる妙になっている。少しネタバレするが 序盤で「生/死…実は死が前提にあって生きている。死から生がうまれる」といった旨の哲学的な台詞がある。そして終盤に「私が死んだ理由を みんなが決め直して」という理不尽な別れに、1人ひとりが答(応)える。最後の1人が「(これで)私たちの死ぬ理由が一つ減った」には唖然、さらに この答えに亡くなった主人公が十字を切って「赦す」と。この独特の世界観、そして劇場という空間でしか味わえない妙味、怪作ならぬ快作だ。
(上演時間2時間15分 休憩なし)追記予定

言の葉サーカス#02

言の葉サーカス#02

Tokyo Artist Circus

北とぴあ ドームホール(東京都)

2026/03/19 (木) ~ 2026/03/19 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

観応え十分。
前回「言の葉サーカス#01」は 星の言葉に準えたような印象を受けたが、今回は星(座)そのものの特徴を示しているような感じ。6短編はどの話も滋味あるもの、共通しているのは 悩み迷い 時計の針が止まったかのような人々が紡ぐ極上の味わい。

宇宙は暗く そして広い、そんな空間に比べれば人間の苦悩など たかが知れている。しかし 人の暮らしはそんな ちっぽけなものの繰り返しの中にある。人と人が繋がり 前向きになった思考や感情には明るい未来が、そんな力強さが滲み出ていた。

今回は朗読の中に 歌や楽器の生演奏が入る。もちろん朗読力は確かだが、楽器(ヴァイオリン)演奏も上手い。なにより その選曲が物語の内容に合っており実に自然な感じだ。北とぴあドームホールという円形の劇場は、朗読の声だけではなく 楽器の音色が心地良く響いて、それだけで幸せな気持になる。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台美術は スタンドマイク4本だけ。
「星を繋ぐ#02」は 次の6短編。

①アルクトゥルスートマトの時間ー
20年振りに故郷に帰ってきた妹を迎える姉。小学生の頃 両親を事故で亡くし、時間が止まったような気持、久し振りの生まれ育た街の風景は変わっていた。そんな2人に(小学校)校庭から声を掛けてきた男、実は姉の婚約者だという。トマトを栽培しており赤く実ったと。妹は小学生の頃 朝起きるのが苦手だったが夏のラジオ体操の時は早起きできた。それはトマトの出来具合を観察するという目的もあった。熟したトマトを通して時計の針が少し動き出したような。

②アルフェッカー家族会議の夕べー
母が突然 家族会議をしたい…議題は食器の後片付けについて。息子は戸惑い、大変なら手伝うと言い 父は静観している。食事をする時間がバラバラでその都度 食事の用意をし洗い物をする。かと言って食器洗い機を買うほどではない。家事という対価の支払われない労働、しかし誰かが行う必要がある。なんだかんだ言って 父の我儘な態度が浮き彫りになる。母は私がいなくなったらどうするの、健康診断の結果がよくなくと 思わせ振りに言う。家族会議ができる(食卓の)ありがたさ。

③朝露のリゲル
冬の早朝、カラスの語り。人と人の出会いは24万分の1 奇跡に近い。或るイベントを巡り、心配性の2人ーイベントのバイトスタッフと出演オーディションを受けに来た女性が出会う。失敗したらどうしよう、そんな思いが ぐるぐる回る。失敗した時の言い訳を考え、自分の中に限界を作ってしまう。自分がいなくても仕事も世界も回ると諦め。空を見上げれば まだ星が見える。星は動いていないようで少しずつ移動している。遠いため人には分からないだけ、そこに微かな光を放つ。

④春宵のコルウス
夕方、先の話と同じカラスの語り。公園でヴァイオリン(ドボルザーク「家路」)を奏でている青年、郷愁に浸りながら何かを探している女、そして靴擦れを起こして歩きにくそうな女、この偶然出会った3人の憂い。青年は親が亡くなったことが受け入れられない。女は家のカギを探していたが、その家には帰れない。靴擦れの女は 今の仕事が向いていなく心が疲弊していた。夫々が抱えた問題、心にぽっかり穴が開いた心情が明らかになる。カギは実家のもの、しかし東日本大震災で 家も母も流されてしまった。夫々が新たな一歩を。ラストは「ホルスト『惑星』-「木星(Jupiter)」

⑤ミザールーじいちゃんのおでんー
子供の頃 既に母は亡く、自宅に帰っても誰もいない。父は仕事で遅く帰るため、近くに住んでいる じいちゃんの家にいる。冬はいつも炬燵でおでんを食べる。じいちゃんと父の会話は ぎこちない。自分は寝ているふりをして2人の会話を聞いていた。そして大人になった自分は、じいちゃんが施設に入るための引越しを頼まれた。いつも行っていた じいちゃんの家がなくなり、おでんも食べられなくなる。そんな哀愁を漂わせて最後のおでんを食べる 男3人。

⑥夜更けのポルックス
白い上着を羽織ったカラスが語り、そして男と迷いネコ。男(ホスト)に懐くネコ、しかし借金があり飼える状態ではない。その返済が滞り 困っている時に現れた女(カラスの化身)、自分がやっているBARへ誘う。カクテルを飲んで見た幻覚だろうか、そこに(双子の)妹がいる。妹は兄の借金返済で無理をして亡くなっていた。妹まで巻き込んで という兄の悔悟、しかし兄の思いは妹に届いている と。妹が歌う「星めぐりの歌」が切なく聞こえる。男はやり直そうと、そしてBARの女に猫をくれ というが断られる。そこに自立を促す厳しさと優しさが垣間見える。

次回公演も楽しみにしております。
ふれる、文豪

ふれる、文豪

水中散歩

ホワイエ江古田(東京都)

2026/03/12 (木) ~ 2026/03/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。この3短編小説の選定と朗読順が妙(テーマ性含め)。自分は3編とも未読だが、一度読んでみたいと思った。
昨年は戦後80年ということで、戦争そのものを描いた作品(例えば 特攻や沖縄戦または物質的困窮等)が多く上演されたが、本作は戦後の精神的疲弊といった物語。そして地続きの現代にも通じる世界が…。

物語は、太宰治「トカトントン(昭和22年作)」 小川未明「明るき世界へ(大正10年)」 林芙美子「雨(昭和21年作)」の3篇で、太宰と林の作品は戦後 間もなくの状況を描いているが、小川の作品は大正期で様相が違う。「明るき世界へ」は<小さな芽>と<幸福の島>から成っているが、その世界観は虚無に通じる。戦後 間もなくの2作品(状況)を橋渡しすることによって、その(間にある)精神構造は特殊なことではなく、いつの時代にも起こり得ることを表しているよう。大正期に書かれているにも関わらず、自分は <幸福の島>が戦時中の或る状況に重なるようで怖い。

役者陣の朗読力は確かで、小説という紙媒体の中の人物が血/肉ある生身の人間として立ち上がる。また声質が異なり 歌う場面(トカトントンの中の「インターナショナル」)では、意図したのか分からないが、語り手以外の5人でミニ混声四部合唱になっており驚いた。舞台セットは箱椅子が7つあるだけ、舞台転換はない。物語の場景・状況に応じて座るまたは立つ位置が違う。全員が黒または濃紺の衣裳(靴も含め)で統一しており、話に登場する人物を 外見で特定しない工夫。朗読に傾注した公演、観(聴き)応え十分。
(上演時間1時間25分)追記予定

ガラパゴス

ガラパゴス

キルハトッテ

水性(東京都)

2026/03/10 (火) ~ 2026/03/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

シュールな世界観、鋭い感性。
表層的には、生きる者と生かされる者といった自立と他律を中心に、周りの人々が振り回される姿を面白可笑しく描いているが、その底は怖い。説明では「日本における人工妊娠中絶を取り巻く事象を扱い、『私たちのSRHR』をテーマ」となっているが、もっと言えば「命」そのものを捉えている。それも人間だけではなく他の動物まで、だからこそ、その象徴としてのイグアナ を想像してしまう。

相手に寄り添った言動をしているようで、実は自分の思いや考えを押し付ける。その噛み合わない会話が不穏で不気味だ。演出は 登場人物の立場や性格をコミカルに描き、重たいテーマを緩衝させているよう。突拍子もない展開だが、この先どうなるのか興味を惹く 力 がある。

水性で何度か観劇しているが、この客席配置は初めてで、少し落ち着かない。物語に集中しようとするが、硝子戸1枚隔てた外の人々の覗き込むような姿/様子が視界に入る。集客や観やすさの関係で、普通の配置(風水の観点は別にして、戸を背にすること)は難しかったのだろうか。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

舞台セットはベットが置いてあるだけで、他は水性の常設セット。上演前から寝ているサチコ、それが中絶手術をしてからある程度 時間が経っているいることを表している。

ナスノ看護師が寄り添っているが、すぐに退院できるわけではない。ベットから起き出してみれば尻尾があり 下半身はイグアナ。イシダ医師は暫く病院での検査が必要だと言う。サチコは正社員への面接があり、その買い物のため退院を強く申し出るのだが…。
サチコのパートナー ユキオ(旅行代理店勤務)、続いてサチコの姉 アキコが静岡から来る。どうしても退院したいサチコ、しかし 医師は海外の病院での精密検査が必要だと言い出す。サチコの代わりにアキコが転院手続をし、乗船させようと車で移動。その途中で運転しているサチコがユキオを轢き殺してしまう。そのユキオ 幽霊になっても登場し続ける。サチコは非正規職員としてペットショップで働いていたが、既に同僚のウオズミが社員になっていた。

サチコは、なんでも自分で決めたがる性格のようで、中絶も自分の体のことだし ユキオには相談(同意署名)なし。姉アキコはサチコが上京する際、相談もなしにと憤慨す。一方 ナスノは自分の意志で判断することが出来ず、イシダの指図のまま行動(妄信)。さらにイシダは自分の父の監視下で動いている。サチコの自立とイシダやナスノといった病院関係者の他律、その間でユキオ、アキコそしてウオズミが振り回されるといった構図。医師曰く イグアナになったのは中絶が原因ではない と。カフカの「変身」のような不条理系かと思ったが、物語の筋(芯)はハッキリしており、そこにイグアナや幽霊という奇抜さ、更に漂流するような滑稽な会話。キルハトッテのキャッチコピーにあるコラージュする といった多種多様な描き方で「SRHR」を考えさせる。

サチコは病院食では飽き足らず、肉が食べたいと言い出し 焼き肉店へ。多く注文し、中には苦手なモノもあった。残そうとするが店員(イシダ医師の2役)がそれを許さない。「命をいただいている」のだから。何となく自分の意志で「人工中絶」を決め実行する、一方 妊娠した命(未来)が 何かと天秤に掛けられているような。そこに得体の知れない不気味さを感じる。コミカル⇒コラージュな描き方によって、物語に潜む問題等を観客に委ねたようだ。
次回公演も楽しみにしております。
これが私の世界

これが私の世界

ViStar PRODUCE

テアトルBONBON(東京都)

2026/03/04 (水) ~ 2026/03/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

演劇愛に満ち溢れた公演。観たことがあるなぁと思って、観劇後に主宰で主演の星宏美さんの手書き挨拶を読んで納得。2021年初演「引き結び ~紬ぎ結ぶは はじまりの糸~」を観ており、今回はパワーアップしてタイトルも「これが 私の世界」として上演。舞台に賭ける執念というか情熱が犇々と伝わる内容、しかも前説から舞台用語を説明し「舞台用語集」まで配付する 力の入れよう。

2021年はコロナ禍、演劇を始め多くの活動が自粛を余儀なくされ、星さんの文章にある「芸術が淘汰されつつある状況で このまま演劇の世界に居ても大丈夫なのだろうか…」という不安・心配や閉塞感が世の中を覆っていた。それでも自分の好きな そして信じる道(演劇)を邁進している。その強い気持の表れが舞台から感じられる。勿論 1人の力だけではなく、家族や多くの仲間に支えられていることは十分承知していること。

物語は 舞台公演を行う迄のViStar PRODUCEのリアルと重なり、さらに劇中で 或る困難に立ち向かって という二重の可能性を切り拓くもの。観客は演技と分かっていても、目の前の芝居に心を奪われるのは何故か。それは物語や劇中の人物の中に役者自身の孤独や不安 または嬉々とした気持を感じ取っているからだと思う。この公演ではそんな”激情”を強く感じる。
(上演時間1時間50分 休憩なし)【紬チーム】

ネタバレBOX

舞台美術は 非対称の段差を設え、白い箱馬ただけのシンプルなものだが、カラフルな三角形の正立/倒立オブジェを飾りにしており ファンタジーといった雰囲気がある。劇中で使用する小物も持ち込んで上演するまでの様子を垣間見せる。稽古の一つとして台詞覚え(or滑舌/早口の練習)の場面があるが、それだけでも大変そうだ。

梗概…物語は某劇団の公演中の受付。そこに現れたのが星乃美桜(松原瑚春サン)。入団希望者としてやってきた美桜は、劇団主宰者・佐藤慶大(長田洋平サン)や主演女優兼制作の北郷春(星宏美サン)の養成所時代の恩師の娘。一方、父の星乃真咲(森山光治良サン)は、娘が弱視というハンディを負っていることから、女優になるのは難しいと反対する。しかし、美桜の決意の固さと彼女の母親で元女優の故・星乃いぶきの事を思う劇団員達の理解や協力もあって劇団員として舞台に上がることになるが…。

美桜は弱視で、その世界(視野)は5円玉の穴から見るようなものだと表現している。先がボヤけ見難さは、まさにコロナ禍における先行き不透明で不安な状況そのもの。今では 紛争や戦争が起きて 別の意味で不穏・不安な状況下。美桜がどう生き世間とどう関わっていくのか、違った観方をすれば、コロナ禍においてこの状態とどう向き合い、その状況に関わっていくのか。まさに今に通じる重要なテーマが横たわる。その危うい状況を誰かのせいにするわけではなく、何かを成し遂げるためには自分で障害(物語では弱視を障がいと表現)を乗り越えようと努力する。

「演劇」は、稽古から本番まですべて人との関りで進んでいく。それが当たり前だと思うが、コロナ禍で状況は一変する。公演も上演するまでには相当な困難があったと思われるが、それでも舞台という芸術の必要性を訴える、そんな気概を思わせる内容であった。舞台は毎回異なる、その公演を行う者、それを観ようとする者、まさに一期一会、それこそがタイトルの”引き結び”ではなかろうか。
次回公演も楽しみにしております。
ナイト・オブ・ザ・ミミキングパンダ【東京公演】

ナイト・オブ・ザ・ミミキングパンダ【東京公演】

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インディペンデントシアターOji(東京都)

2026/03/04 (水) ~ 2026/03/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
説明にある通り 道東にある「猫部村(ねこっぺむら)」が舞台。最近、人や家畜が獣に殺害される事件が起こる。犯人は冬眠しない「穴持たず」と呼ばれるヒグマであろうと推測して警戒を呼びかけていた。そんな時、白黒模様のヒグマが罠にかかっている と。一頭のクマを巡り、村議会、猟友会、クマ殺し反対の人らが白黒をつけるため村役場へと集う。

台詞の中に「ウェンカムイ」という言葉(アイヌ語)が使われ 自然と生き物の共生を謳っているよう。その共存共栄が上手く出来るか否か、舞台セットに「5S活動」の張り紙。村の限りある財政、劇中 その費用対効果を巡る議論も併せて行い、容易に解決できない現実を突きつけている。先人からの言い伝え、鎮魂の意味もあった祭りまで止めてしまった。

人間と熊 いや自然の境界線、そして人間の暮らしを豊かにするため環境を破壊し その代償が自らの暮らしに跳ね返ってくることを描いた警鐘劇。表層的にはコメディだが、その底流にあるのは区別・差別。観たこともない可笑しな世界に笑っていても、何となくザラリとしたリアルな舌触りが残るような話。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

舞台は村役場の会議室。そこに長テーブルと椅子が三組。上手奥に窓ガラス、下手に出入口で壁に「5S活動」の張り紙。シンプルなセットだが 物語の展開には十分。窓から雪景色が見えたら なお良かった。

雪が降る12月28日、村役場の御用納め日の出来事。説明にある通り 獣害が頻発している中、白黒模様のクマが罠にかかったと村へ連絡が入る。村長と村議会議員が檻の中を見たら、パンダのような愛らしさ。ヒグマなら駆除、パンダなら観光目的の人寄せ という打算的な話。そこへ議会議長や猟友会の人達が加わったことから、話題は害獣駆除に伴う報奨金の増減へ逸れていく。普通の話し合いが、議長の仕切りによって議会運営のような挙手制になり会話なのか発言なのか混乱していく。このカオスな状態の間隙を縫って東京から来た動物愛護を掲げるYouTuberの行動によって さらに混迷していく。

被害が出ているが、そもそもクマのテリトリーに人間が入り 自然環境を破壊したことが原因。始めは人の観点から会話が進むが、YouTuberの常軌を逸した行動(クマを檻から逃がした)によって、その正体は謎のまま。しかし クマに接触した人は ある種の感染症状を発症し クマ化していく。滑稽だが笑えないような怖さ、その数が多くなれば…異種多様性の名のもとに共存が可能か?

正体不明のクマは最後まで その姿を現さない。その代わり触れられた者は、パンダ顔になったり竹を食するという奇妙な行動等をする。そのビジュアルや行為が面白おかしく描かれ、会話劇から一転しスラップスティック・コメディへ。前村長の時まであったシロクロ祭りは、駆除したクマの鎮魂の意味もあった。村民の減少や財政難のため廃止したことを悔いた婆が、渦巻状の「モレウ」と棘(とげ)状の「アイウシ」という文様衣裳を着て登場。これは魔除けや呪術的な意味があるようだが、これによって 更にオカルト、シャーマ的な様相へ変化させていく面白さ。
次回公演も楽しみにしております。
帰ってきた?! 新版:プレイス・リバティ

帰ってきた?! 新版:プレイス・リバティ

海ねこ症候群

小劇場 楽園(東京都)

2026/03/05 (木) ~ 2026/03/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

普遍的で分かり易いテーマを等身大で描いた物語。チラシに 主人公にとって「3階奥にある女子トイレは誰にも邪魔されない聖域」とあり、当日パンフに主宰で作/演出の作井麻衣子さんが、「『孤独』は誰しもが抱えているものであり、ふとした瞬間に素知らぬ顔で隣にいる 」と記している。自分の居心地の良い「場所を見つける」ことは大切。

また「(孤独と)上手く付き合えたらいいものを…私はまだまだ仲良くなれていません。追い込まれてる時こそ、視野を広く持てたらいいな」と。劇団は コロナ禍に旗揚げし5周年。コロナは人の物理的な距離はもちろん、無関心・不寛容といった心の壁 人間関係を作ったようにも思う。話は「ひとり」という当時の情況を反映しているようで興味深い。

物語は、主人公にオカルト研究部と生徒会の三者三様の思惑が絡み合い展開していくが、さらにチラシには書かれていない謎の女子高生が…。最後には謎の女子高生の正体も明らかになるが、その背景が深堀されていないのが惜しい。孤独が好きなのか、孤立させられる怖れ によって描き方が違ってくる。
物語をどう捉え その展開を楽しめるか否かが カギ。

さて 公演は孤独な作業と いろんな縁で出来た多くの仲間ーキャスト・スタッフと歩んだ現在地。この作品は 2023年に初めて筆を執ったもので、今回の再演にあたり大幅改訂したらしい。その瑞々しさが随所に観られる。演出は 舞台(学校中)をくるくる回るように走り、椅子に上がり歌ったりと躍動的。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術はトイレットペーパとそのホルダー、そして白い箱馬がいくつか。壁には白い布が吊るされており 全体的に白基調。衣裳は高校生らしい制服だが、その着こなしに人物の性格等が表れている。例えば トイレの住人 清水詩織は普通にシャツ/ブラウスとスカートだが、生徒会長の石田亜紀は 必ずブレザー・ジャケットを着ており隙を見せない。細かいところへの拘り、それは学校という狭い世界(空間)の中にも色々な問題がある、そんな広がりと深みを感じさせる。また照明によって 白布に映る人影が登場人物以外の生徒を表し、学校という雰囲気を出していた。さらに格子枠(意識の囚われの隠喩か?)の照明も意味深だ。

詩織は、3階の奥まったトイレにいる時が落ち着く。しかし孤独と勘違いしたオカルト研究部(通称=オカ研)が、彼女を入部させ廃部を免れようと画策する。トイレという狭い空間に部員3人(大山光孝・小川ひかり・東海林 咲)が入り込んで勧誘するが…。オカ研の男子部員までが 女子トイレに入ったところを生徒会役員が目撃し、トイレ使用のルールを厳格化する。そんな時、会長の亜紀の下駄箱に嫌がらせの手紙、そしてトイレ掃除をしている謎の生徒 吉野花子が現れ、といった脇筋がうまく絡み合って 作品に深みがでた。花子は詩織に掃除を勧め次第に仲良くなる。

詩織は1人でいる といった「孤独」を苦にしていない、一方 亜紀は人に嫌われたくない といった「孤立」を懼れている。どちらも物理的には「独り」の状態だが、そこには心理的な違いがある。先の嫌がらせの手紙は生徒会書記 鈴木穂乃花のしわざ。穂乃花は、亜紀の悩みや相談事は自分にしてほしい といった承認欲求があった。しかし いつも副会長 斉藤一が といった嫉妬心から亜紀の関心を向けるための嫌がらせ。オカ研のしつこい勧誘で孤独になれない詩織と だんだん孤立感を深める亜紀の対比が鮮明になっていく。初演時は「女子高」という設定だったようだが、本作では共学にした妙味が随所に表れている。

吉野花子は幽霊だが、みんなに見えている。その姿は明るく愛らしい。学校の怪談 そしてトイレの花子さん ともなれば違った印象をもつ。しかしトイレ掃除を楽しみ、時に箱馬の上で歌う。終盤はトイレの神様(烏枢沙摩明王)まで現れて奇々怪々(コメディタッチ)な世界観へ。花子さんの人物背景や どうして亡くなったのか が描かれていない。物語は 孤独を好む(自分のテリトリーを確保したい)女子高生、しかし どうしても苛めを苦にしたトイレ閉じ籠りを連想してしまう。吉野花子にみるキャラクラーとのギャップが…。もう少し彼女自身について語ってほしかった。
次回公演も楽しみにしております。
虚無という名の楽園

虚無という名の楽園

シタチノ

「劇」小劇場(東京都)

2026/03/04 (水) ~ 2026/03/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。表層的にはスタイリッシュ、内容は骨太といった印象。ほぼ満席。
心が折れた時から立ち直り方を忘れてしまったか、無関心を決め込むことで 心穏やかに過ごす、そんな虚無の楽園にいる主人公 一ノ瀬律。その彼がいるアイドルユニット「crest(クレスト)」で問題が起き、少しずつ心の変化が生じ 後悔しないように生きていくことを模索する成長譚。公演は、劇中にアイドルユニットのパフォーマンスとして歌・ダンスを挿入し観(魅)せているのも見所の1つ。

煩わしいことに関わらず 心を閉ざしていれば気楽。しかし世の中、人との関りを閉じることは難しく いつの間にかユニット内の問題に巻き込まれていく。諦めない人への愛情、後悔・反省だけではなく希望を糧として生きようとしだした人々への応援歌でもある。その描き方が現代的なアプローチで面白い。説明にある「彼に会ってしまってから何かがおかしい」の「カレ」が肝。

少しネタバレするが、ユニットが所属する事務所の対応、それがリアルな芸能事務所と重なり興味を惹く。理不尽なことには拳を握り大声で叫び弾糾する。しかしSNSなど特定し難い人々へは…情報があふれる社会の中で「何を信じ、または信じないか」「どう生きるか」を選択することは容易でない。情報に翻弄されながら、それでも自分の信じる道を歩もうとする物語。それをキャストの熱演がしっかり支え紡いでいく。
自分好みの公演。
(上演時間2時間10分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術、上手は紗幕の中に花、下手は段差になっており紗幕が掛かっている。天井にミラーボール、中央壁をスクリーン代わりに使い映像を映す。シンプルだが、段差の上り下りによって場所や状況の変化を表し躍動感を生んでいる。

物語は、アイドルユニット「crest」のメンバーの1人が 交際宣言をしてファンを失望させた そのことを謝罪しろと事務所と他のメンバーが詰め寄っているところから始まる。当人は恋愛禁止されているわけでもない、恋愛は自由だと開き直る。メンバーの中に 以前別グループの活動で失敗し解散の憂き目にあった男がいた、それが一ノ瀬 律。煩わしいことに関わりたくないため無関心を装う。交際宣言したカップルは芸能事務所がアイドルをほとんど無報酬で酷使していることを糾弾した といった別の目的も持っていた。アイドル活動だけでは生活できない、そこで律は花屋でバイトを始める。その店員との会話や花言葉が律の心を慰める。

人との関わり合いは持たないが 苦悩や相談事はしたい。そんな都合の良いコトが、そこにAI「カレ/カノジョ⇨男/女の音声変換あり」という知的交換ができる存在を知る。そのうちAIに感化されだんだんと…。心が折れた時から立ち直ることを止めてしまった主人公 律、どんな失敗だったか描かれていないが、今は「後悔」を抱えながら生きている。あの時 こうすればよかった と言い訳しない生き方を模索しだした。物語で現代的なのがSNS等 姿の見えない人たちからの誹謗中傷に翻弄されるところ。1つの試みを通して、人間の優しさと脆さが浮き彫りになる。ひとりの人間として、メンバーの一員として「やるべきこと」、そこに生まれる感情をぶつけ合いながら成長していく姿は清々しく力強い。

紗幕や白い衣裳が浮遊感を漂わせ、同時に若さ溢れる躍動感をも感じさせる。ラストは芸能事務所から独立し自らプロデュースし成功を収める大団円。crestから新しいユニット名にし、そのパフォーマンスを劇中公演として魅せてくれる。「虚無という楽園にも地獄はある」と言ったのはAI。ちなみに一ノ瀬 律は、アロマンティックアセクシャルで性的欲求を抱くことが少ないという設定。それゆえAIとの関わりを中心に置いた描き方になっている。
次回公演も楽しみにしております。
アイロニーの丘:Re:Re

アイロニーの丘:Re:Re

9-States

駅前劇場(東京都)

2026/02/26 (木) ~ 2026/03/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
再々演の演目らしいが、自分は初見。作・演出の中村太陽氏によれば、少しずつ視点/内容を変えているとのことであったが、本作はまさに現代的なアプローチのようだ。定時制高校の入学から卒業迄、或る事情を抱えた個性豊かな生徒と独特な雰囲気と思考の教師が繰り広げる学園群像劇。

登場する人物の描き方には濃淡があるが、共通しているのは 人との付き合い方が苦手、不器用といった人々ばかり。その人々が少しずつ成長していく姿を温かく見守るような展開。勿論 生徒だけではなく先生方も訳ありの生徒と向き合うことによって、人間的な成長をみせる。大上段に振りかぶった「(理想の)教師とは?」といった高みからではなく、人と人との生身のぶつかり合いを通して 机上の学問だけではなく生きた学びを得ていく。
(上演時間1時間55分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は高校の教室、上手に黒板や教壇、中央に3人ずつ3列のスチール机と椅子が並んでいる。奥の壁面は窓ガラスで 上演前は茜色(夕方)に染まっている。

冒頭 1人の女性が教室に居残り物思いに耽っているよう。そこへ中年の男性が見回りに来て…女性は全日制の教師 朝比奈、男性は用務員に間違えられたが、実は定時制の教師 山崎。この出会いによって全日制・定時制という昼夜に関係なく「教師」という共通の設定に繋げる。定時制の廃校は既に決まっており、今いる生徒は持ち上がり。

一方、生徒は漁師 ・元引き籠り ・元社長 ・ホスト(レジ係)・主婦 ・元工場員 ・問題児の転校生 ・モブ キャラ という年齢も経歴もさまざまな人々。1人ひとりが抱えている問題や背景を描き、机上の知識だけでは解決できない人間ドラマを立ち上げていく。例えば 元引き籠りの女性は苛められていた生徒を助けるための行為が、SNSで苛め側のように捏造/歪曲され拡散。また元工場員は言われたまま仕事を行い、自分で考え判断したことがなかった。食事も弁当が支給され献立を考えたこともない。SNSという姿の見えない人からの誹謗中傷、思考や判断を奪う親切なマニュアルといった現代にありがちな事。他にもモンスターペアレント、ストーカーなど人間不信に陥ることなどを点描する。

説明には「人生リスタート支援政策」によって40歳以上が定時制に入学とあるが、中には その年齢に達しない生徒もいるようだ。年齢に関わりなく 人生はやり直せる といった描き。初演や再演は観ていないが、冒頭の朝比奈先生は学級崩壊によって教師という職業に自信を失っていた。初演は15年前(2011年)、本作では描いていないが 当時の問題意識はそこにあったのかもしれない。一方、今作の底流にあるのは、自分の正義だけを振りかざしても 相手に真意が伝わらない、もしかしたら傷つけてしまうといったこと。しかし、自分を見失い世間(他人)に振り回されてもいけない。山崎先生の言葉遊びのような台詞は、まさにタイトルに含まれる意のよう。

物語はエピソードごとに暗転するため、時間(流れ)といったメリハリが利き印象に残る。それに伴い、生徒の座る位置(座席)も違う。また照明も時間と心情を上手く表しており、実に効果的。廃校後、山崎先生は「教師」を辞めるようなことを言っていたが、同窓会で再会した時、今何をやっているの という生徒の問いに「先生」と…。
全体的に丁寧な作り込み、その思いが観客の心に届くような公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
言の葉サーカス#01

言の葉サーカス#01

Tokyo Artist Circus

北とぴあ ドームホール(東京都)

2026/02/26 (木) ~ 2026/02/26 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
星をモチーフにした朗読劇8編、どの話も滋味に溢れ心に響くものばかり。
話に関連性はないと思うが、内容は 星を繋ぐとして「星の言葉」に準えているよう。
今回はハグハグ共和国の久光真央さんが作・演出で、出演者も劇団員や馴染みの方が多く、楽しみに そして期待もしていた。その期待を裏切らない出来栄え。

「ドームホール」は「旧プラネタリウムホール」で、投影機本体の老朽化等によりプラネタリウムの投影は終了。現在は ドームの形状を活かした多目的ホールとして使用されているらしい。本作では照明によって、星影を映し出し雰囲気を漂わせていた。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

舞台美術は 4本のスタンドマイクのみ。ドーム天井に~星を繋ぐ~の文字と星々が投影されている。役者は黒基調の衣裳だが、1人だけ白衣裳(役柄上、意味があるよう)。ちなみに話によって衣裳替えをする。
基本は正面舞台で朗読するが、話によって客席通路(軌道)を回り、天体が周回するようなイメージ。
話は 次の8編。

①ポラリスー麦茶の香りー
母と息子と娘の3人。幼い頃 母が淹れてくれた麦茶の味、それを懐かしむと同時に母への思い。息子が子供の頃 実母は亡くなり、今 電話口から聞こえる継母とのぎこちない会話。その思い出話が麦茶の味、電話口に向かって「ありがとう」と…。ポラリスの星言葉は「変わらない指針」「道しるべ」と言うらしい。義理の息子が真っすぐ育って安心する(継)母。

②すばるの下でーあの日のすいとんー
方言で喋っている(国防)婦人会の女性3人。時は戦時中、戦地の夫の安否を気遣う女性。それを慰め励ましている2人。不安と恐怖に苛まれているが、とにかく食べて元気を出すこと。心は負けていけん、笑って生(活)きな。すばるの星言葉は「祝福」「幸運を祈る」。

③エリダヌスのほとり
1人語り。何もないところから生まれた 星の川。流れ巡り 命は繋がって…。この話だけ きわめて抒情的に感じた。また話と話の橋渡し(トランジションか?)のような短い語り。エリダヌスの星言葉は「孤独を嫌い、人に尽くす」ということ。

④ミンタカの夜ーあの頃の向こう側
冬の夜 公園に3人の男女ー小学校時のミニ同級会。卒業アルバムに書いた夢、なりたいもの は「何でもいい」。他の友達のように具体的な希望が書けなかった3人の現在は、まだ何者にもなれていない中年。それでも(必死に)生きている。星言葉は「冷静沈着」「論理的思考」、そう言えば、会話が理屈っぽい。

⑤メンカルの水面
通りすがりの銭湯に入った54歳の女性。離婚し寂しさ侘しさから 今にも湯船に沈んでしまいそう。そこへ彼女より年配の女性3人。女に向かって姦しく話しかけ触れ合う。それによって少し元気に…。クジラは沈むのではなく潜る、時には発想(役回り)を変えることも必要。星言葉は「理性的で実直」。

⑥アーネブー孤独なうさぎへー
1人語り。客席通路の上から下に、そして中央舞台を通り 今度は反対側の客席通路を上っていく。その間に闇に手を伸ばし、もういいかいと…。臆病な うさぎは隠れていたが、ごっこ遊びに乗じて 勇気を出して自ら一歩を踏み出したような…。

⑦カストルの真昼
繁華街にある公園に女2人とそれを見ているカラス。2人は双子の姉妹、子供の頃に両親が離婚しそれぞれ父と母に育てられた。別々に育った姉と妹、クリスマスの花(壇)飾りの仕事を介して再会するが、姉は癌で余命僅か。星言葉があるのか分からないが、姉妹の絆といったところ。

⑧真夜中のベテルギウス
冬の真夜中、星を眺めている女とキャバ嬢、そして猫。キャバ嬢は男に貢いでいるが相手にされない。星を眺めている女曰く、星が光って見えるが、あれは遥か昔(数百年前)の輝きが今 見えている。空には星が並んで見えているが、実は奥行きがある。そんな蘊蓄話はキャバ嬢にとって興味なしだが…。人の外見も人生も見た目だけではなく奥行きがある。キャバ嬢は施設育ちで弟の面倒を見ていたが、その弟は<星>になったと…。

話によって 演者は1~4人、話の長さも長短あるが、どの作品も心象深く 冬の寒い日に心温まる話。当日パンフには「言の葉サーカス#05」まで情報が載っていた。次回以降の公演も楽しみにしております。
土曜日の過ごしかた

土曜日の過ごしかた

ニットキャップシアター

座・高円寺1(東京都)

2026/02/27 (金) ~ 2026/03/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
昭和11~12年頃から戦後迄の世相というか世情を軸に描いた群像劇。公演の魅力は、舞台美術と小道具(マスク)を使って逼迫・閉塞していく状況を視覚的に表し、言葉では表し難い時代の空気感を醸し出す巧さ。時代の「圧」が強まること、それはジワジワと得体の知れない不気味さ、そう感じた時には もう遅いのかもしれない。

京都の喫茶店が舞台。新聞「土曜日」という 今でいうミニコミ(タウン)誌までが不穏な時代に飲み込まれ、自由が殺がれていく怖さ。少しネタバレするが、新聞も発行の都度 検閲を受け問題にならなかったが、全体を通してみれば という具体的な根拠/論拠を示すことなく廃刊に追い込んでいく。この庶民の暮らし向きの変化が、物語のテンポに表れているよう。時局が逼迫する前は、のんびりといった感じだが、軍歌が流れ出征の場面から慌ただしくなる。敢えて時代の空気感と物語のテンポの同期を合わせているよう。この緩急によって時代が動いていることが分かる。
(上演時間2時間10分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台は円形、その円周の上 正面奥に本を見開いて立てたような造作。その中心に喫茶店デイジーのカウンター、上手の戸は出入口、下手の戸は屋内へ通じる。全体は焦茶(珈琲)色で格子風の造りが京都といった雰囲気を醸し出している。冒頭 客席側にテーブルとイスが三組あるが、時局とともに本(壁)の両端が少しずつ狭まっていく。同時にテーブルとイスも取り払われ、最後のテーブルとイスは特高警察の取調室や汽車の座席に変わる。
映画俳優(大部屋)の斎藤雷太郎が待遇に不満を抱いていた、それが新聞発行の発端。舞台では自転車に乗って京都の街を といった行動力が描かれている。

当日パンフは「土曜日」のようなタブロイド判の見開き新聞、そこに実際発行されていた新聞の概要が書かれている。それによると「昭和11年7月から12年11月まで・・・紙面は六面あり 映画評を中心とした文芸欄、海外の雑誌記事の翻訳紹介した海外情報や地元京都のこと・・・読者投稿に力を入れ」とある。発行部数は7~8千部。現物を見ていないが、今でいうミニコミ誌と変わらないよう。しかし時局の悪化に伴い、執筆者の多くが検挙され廃刊。表現の自由が殺がれ、反国家的な思想や態度をとれば捕まってしまう。

冒頭は 喫茶店という憩いの場所を中心に、東京から来た大学教授や新聞「土曜日」の発行人 斎藤雷太郎らが映画評論や地域の話題を話している、そんな自由が感じられる光景。それが反国家的な思想(無政府主義など) その集会が弾圧されだす。円形 舞台の外には所々赤い滲みのあるマスクを被り 手に持つ、それは多くの人が監視し、いつの間にか血塗られた同調圧力になっていることを表す。円周の上をなぞる様に奥壁が狭まる様子は、世情の閉塞感に外ならない。圧巻は映画評論を執筆していた文学部教授が特高警察の取調を受けるシーン。留置所に収監したまま しばらく取調をせず精神的な苦痛を与える。そして(反省的な)作文を書かせようとするが…。教授にすれば自分が取り調べられる理由がわからない。本人の自覚なきこと、それでも何らかの理由を でっち上げ起訴し裁判へ。最近の冤罪事件の取調/裁判を連想させる怖さ。戦後 刑事の悔悟、乱れた様子の姿は戦時中の行為が戦争犯罪のメタファーとして描かれている。同時に自分は言われたままやったという責任回避の中に自己崩壊をみる。

公演の魅力(見所)は、戦前の京都の街がだんだんと きな臭い時局に巻き込まれていく様子、そして戦時中の緊迫した様子、最後は「リンゴの唄」が流れる中 舞台セットが元の広さに戻る戦後(喫茶店⇨居酒屋「白菊」)の様子、その節目を視覚的に観せ、観客に考えさせるところ。あくまで押し付けることなく時代の流れを飄々と描いているが、その奥底にある恐怖は犇々と伝わる。知らず知らずに世の中が悪くなっていくこと、そう考えたとき 今(時代)に敏感でいることの大切さが解る。
次回公演も楽しみにしております。
エドヒガン

エドヒガン

ゆく道きた道

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2026/02/20 (金) ~ 2026/02/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

過去(1966年)と現在(2026年)を交錯しながら、嘗ての成瀬家(床下)を掘り起こし 埋蔵金を探し当てようとするが…。説明には、戦後の没落で屋敷を売るしかない成瀬家にとって、埋蔵金は最後の希望だったが とあるが今は郷土資料館になっていることから手放したことは明白。なぜ埋蔵金ハンター・成瀬はな が、結婚引退から久々に復帰したのかが肝。そこにシニア劇団らしい切実さが窺える。

成瀬はな は埋蔵金ハンターとして有名らしく協力者が多勢いる。物語は 実家を掘り起こすため地元へ帰ってきており、高校の同窓会のような賑やかさ。学生の頃から人気者、そして言い出したら聞かないタイプという人柄を早いうちに明らかにする。少し分かり難いのが、成瀬家の没落の理由というか原因が釈然としなかった。施政を揶揄するため地続きとして過去を批判的に描いたのであろうか。

時々 台詞の間が長くなること、他の人が被せるように話す(「オーバーラッピング・ダイアローグ」とは違うと思う)こともあり、台詞を忘れちゃったの と心配する(←杞憂だった)場面もあったが、全体的に ゆったり ほんわかと紡いでいく。勿論 今の立場や思惑から激論することもあるが、そこは気心の知れた仲のようで…。そこに この演劇ユニットの『咲き誇る経験、輝く舞台』のコンセプトが重なって見えるような。

少しネタバレするが、ラストシーンかと思っていたら、暗転後 さらにワンシーン続く。その意味するところが…数年経ったことなのかな?
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台美術は 下手に段差を設え旧成瀬家の応接間。豪華な応接セットと脇に腰高の和箪笥、その上に白い壺。上手は大きな空間で 土間や庭といったところか。客席方向にタイトルにもなっているエドヒガン(樹齢500年以上)が植わっている という設定。

成瀬はな が十年ぶりにこの街の郷土資料館に姿を現した。館の管理人はそんなこととは知らず、怪しい人物と警戒する。はな にとっては生まれ育った家、そして床下には埋蔵金があると信じている。学校の先生で郷土史研究家でもある友人の資料もある。しかし今は公共の施設である。はな は有名な埋蔵金ハンター、埋蔵金が発見できれば街興しにもなると 捕らぬ狸の皮算用を始める。一方 高校時代から因縁のある街の実力者 小坂俊臣は埋蔵金掘りに反対。実は はなの曾祖母 つやの時(60年前)にも同じような騒動があった。

その時は成瀬家に多額の借金があり 金策に困っていた。そんな時 敷地内に埋蔵金があると…。結局 つやの姉 長女ときの猛反対で断念していた。10年前迄は埋蔵金ハンターとして活躍していたが、強引なやり方で協力者と仲違いをし、以降疎遠になっていた。再び埋蔵金ハンターとして復活したのは、自分が認知症になり心残りへの挑戦のよう。つやが残した日記(資料)から、埋蔵金は家が建つ(明治期)前に埋められているから、その場所はエドヒガンの根元らしい。その根は深く広く拡がっている。

“シニアだから”といって諦めない人への愛情、後悔や反省のみではなく 希望を糧として生きようとする はなを応援する。悪人は登場しない、それぞれの性格や立場 そして思惑の違いが対立を生じさせているにすぎない。しかし皆 学生時代からの仲間、理不尽なことへは拳を握り声を上げる。60年前に家を手放すことになったのは、重い税負担(戦後直後の没落華族でもないのに)だったと小坂の曾祖父?が言う。当時の成瀬家は裕福どころか 借金まであったのに女中(差別用語?)がいた。ちょっと腑に落ちないところもあるが、卑小なことなのだろう。

エドヒガンを伐採すれば、その花見(地域住民の楽しみ)は出来なくなる。ラストは桜が舞い落ちるところで、と思ったが次シーンがあった。管理人の「変わらない日々、それでも ちょっとした変化に刺激があり生きていることを実感する」といった言葉、そこにシニアらしい味わいが…。
次回公演も楽しみにしております。
とき語り 源氏物語

とき語り 源氏物語

SPACE U

梅若能楽学院会館(東京都)

2026/02/19 (木) ~ 2026/02/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「源氏物語」の背景や情況を分かり易く語り、登場する人物は能楽の所作を意識した動きで端正で緩みのない演技が見事。光源氏が生まれ老いる迄の長い年月を、宮廷内の権力抗争と彼の情愛を中心に描く。休憩を挟んで前半は光源氏が幼い頃(3歳)迄、後半は時が経ち青年期(23歳)以降を紡いでいく。現代語訳を読んだことがあったが、改めて光源氏の人間性を垣間見たような感覚だ。見応え十分。
(上演時間2時間20分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

能舞台に紗幕衝立3枚。それを場景(寝所等)に応じて動かし物語を紡いでいく。冒頭 黒衣裳(女性の上衣は濃紫)の男女が客席に向かって錐直に並び、地位や対立を表しつつ左右に分かれて座る。場景の主役を担う時は、色彩ある上衣を羽織る。
平安京の条坊や(大)内裏そして清涼殿などの配置を語ることによって、現代とは異なる時代の様相を説明する。「源氏物語」を形成している往時の概要を とき語りしている。照明、音響/音楽といった技術は現代的で生演奏ではない。
因みに脇正面席は使用しない。

物語は、帝の寵愛を受けた桐壷更衣が美貌と才質に恵まれた第二皇子(後の「光源氏」)を産んだが、すでに第一皇子(朱雀院)の母となっていた弘微殿女御をはじめ他の女御・更衣の嫉妬・憎悪を受け心労のはてに病死したところから始まる。光源氏は神才を発揮したが、将来を危惧した帝によって臣籍に降され 源の姓を賜る。そして「夕顔」「若紫」などの話を点描し 光源氏が父帝の庇護のもと、多感な青春の日々を悩み彷徨する姿として描く。情景によって「源氏物語」で詠まれている和歌を披露する。

父帝が寵愛している藤壺宮(母 桐壷に似ている)への恋慕、そして宮は妊り背徳の罪への怖れから藤壺宮への接触を断念する。「源氏物語」の帖は続き、本作では光源氏が出家した後も語っている。チラシに「母の幻影を求め・・父の背を追いつづけて生きた光源! 晩年を迎え その答えを 今は亡き父母に問う‼」とあるから回想のように思えるが、原作には 光源氏の死(本文)は無かったと思う。むしろ物語を順々と展開することで、光源氏という類稀なる人物の青春期を瑞々しく活写し、能という様式美の中で確かな息遣いを観(魅)せている と思う。一方、宮中宿直所で頭中将や左馬頭・藤式部丞?と語り合う様々な女性論の場面は、能とは違う現代的な表現。

古典の物語を語りで補い、現代にも通じる恋愛譚が観る者の心に迫ってくる そんな心情を描く。「源氏物語」の時代と現代では、恋路の習慣や決まり事 もっと言えば恋愛観・結婚観は異なり、必ずしも今の人が同じ出会いや別れを経験するわけではない。しかし男と女が愛し求めあう、幸福と不幸、喜びと悲しみの間で揺れる心情は時代に関係なくあるのではないか。物語には様々な障害があり、登場する女御たちは喜び 時に不安や苦悩に身悶えている。宮中と堅苦しいと思われがちな能の型(様式美)を重ね、その中で 敢えて現代的な語りを用いた型破り的な描き方、そこに斬新な新鮮味を感じた。
次回公演も楽しみにしております。
ヂャスヴュラ

ヂャスヴュラ

おぼんろ

本多劇場(東京都)

2026/02/12 (木) ~ 2026/02/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

千穐楽観劇。
面白い。井の中の蛙が外の世界を覗いてみれば、そこは仁慈どころか残酷なところだった という寓話。外という未知の世界での冒険が始まる。それを おぼんろ らしいファンタジーとして描く。本作も物語性は勿論、照明・音響/音楽といった技術、舞台美術の演出が素晴らしい。特に可動する櫓状の造作をフルに動かし情景を豊かに紡ぐ。舞台全体が亀甲ひび割れ模様、それは美しくも惨い証。照明は夜空を照らす月であり 星々である。井戸の中を照らす月明り、その4分58秒間が愛おしい。

本多劇場での全ステージ 投げ銭公演。上演前と後、場内至る所で語り部(出演者)が参加者(観客)と談笑し、一緒に写真を撮って和気藹々と触れ合っている。投げ銭公演といってもいつもと同じ。いつの間にか参加者は おぼんろ の世界へ誘われ、その雰囲気に陶酔していく。この同化・没入感が おぼんろ の魅力!
(上演時間2時間15分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、大小形の違う櫓状の造作が2~3、それらを人力で動かし組み合わせや向きを変えることで情景に変化をつける。天井には逆さにした傘が吊るされ、降水を待っているよう。この島にはめったに雨が降らず、日照りで大地がひび割れている。逃げ場のない島という設定が妙。

井戸の中にいる蛙の3兄弟、イモリに外の世界の様子を聞き 憧れている。いつか外へ出てみたいと願い跳躍を重ねていた。念願かなって外へ出てみれば、そこは雨が降らず乾ききって殺伐としていた。人間は絶滅し 小動物の多くは奇形。人間が遺した建物は廃墟、そこに梟とヤドカリ。梟は片羽を痛め飛べず、仲間のように他の地へ行くことが出来ない。翻って この島にいることに意味があるのではないか と自己肯定する。島にいる小動物に水を与え、雨乞いの儀式も行っている。蛙3兄弟も梟の手助けとして雨乞いをする。そして黒い雲から雨が降るが…。

人間が遺した施設は放射能に汚染され、小動物に配水しているのも汚染水。たとえ汚染水でも水がなければ生きられない、奇形になっても生き長らえるか死ぬか という究極の選択を迫られている。梟は汚染水と知りつつ配水を続け、長男 蛙はそのことを糾弾し小動物たちに真実を告げる。その結果 小動物たちは梟を詰り信じなくなり、蛙3兄弟もバラバラになる。おぼんろ らしい弱き物(本作では蛙)の観点から、今の社会を批判的に見詰める。それは大上段からの理屈ではなく、あくまでファンタジーとして見せつつ、参加者に考えさせる。ラスト、前方客席まで広がるスモークマシンは まるで雲海の中、環境も精神も浄化されるような清々しさ。

井戸の中に月明かりが照らされるのは4分58秒、その光を愛おしむ様に体を少しずつ傾ける。狭いが兄弟仲良く平穏に暮らしていた日々、しかし未知への好奇心によって過酷な運命へ。そのドラマチックな展開が参加者の関心を刺激し語り部と一緒に旅へ、そんな一体(没入)感が おぼんろ公演の魅力。今の時代、2.5次元で魅せることも出来るであろうが、敢えてキャスト・スタッフ総動員で舞台美術を動かす。そこにも表立たない一体感を見るようだ。
次回公演も楽しみにしております。
2月の花火

2月の花火

ヒトトナリ

千本桜ホール(東京都)

2026/02/10 (火) ~ 2026/02/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

説明にある通り「恋の行方と、島の因習に巻き込まれた人々の愛憎渦巻くサスペンスの結末は」といった内容で、伏線を張り それを回収し収束させる手堅い展開であるが、何となくコンパクトと言うか こぢんまりとまとまった感じ。サスペンスという緊張感はあまりなく、伏線の回収も終盤一気に明かすため、謎解きの高揚感に乏しいのが惜しい。

タイトル横に<-A.R.P second- 第一幕>とあることから、ヒトトナリの旗揚げに花火の打上げを重ねた意味合いかと思っていたが、物語の内容そのものを表している。打上げ花火(大会)といえば 日本の夏の風物詩の一つだが、なぜ2月に ということが肝。島に唯一残る古びた民宿「朝日」を舞台に 緩く紡いだ人間模様、もう少し凝った展開でもよかった。恋の行方は「希望を残した」という言葉の余韻。

少し気になったことが…。
(上演時間1時間20分 休憩なし)【Bチーム】

ネタバレBOX

舞台美術は民宿「朝日」の共用---リビング兼受付。中央奥に2階へ上がる階段、中央にソファとテーブル、上手に受付と電話台。壁には飾額と「朝日」と書かれたプレート。壁は下が木目調、上がオフホワイトになっており、そこへ水面に揺れる月灯りのような照明を照射し不安・不穏感を表す。

冒頭 ソファに黒布を被せ、何やら怪しい行為をしている男を見て騒ぎ出したところから始まる。怪しい男は長谷川、そして騒いだのは高橋。高橋は殺しの現場を目撃したと勘違いし逃げようとしたが、ハプニングが起きる。後々分かるが、長谷川は高橋を庇い崖から落ち、そのショックで一時的に記憶喪失になる。高橋は失業し金もなく死のうとしていたが…。高橋は長谷川が転落死したと早合点し、財布や携帯電話を奪い長谷川に成りすまし民宿へ。

民宿をやっているのは めぐみと半年前から勤めだした ゆき。ゆきが怪我をしている長谷川を民宿へ連れてきたことから慌てだした高橋。そんな時、町長で民宿の持ち主である小岩が江戸川という男を連れてきて、彼の息子と見合いをするよう勧める。恩義があり断れない めぐみ、しかしその裏にはある悪事が隠されていた。花火の催行には国から助成金が支給され、実際の打上げ花火本数をごまかし私腹を肥やしていた。それを告発するために といったサスペンス。ごまかして打ち上げなかった花火を時季外れの<2月>に上げることで島民に不正を知らしめる。

島という閉鎖性、そこに悪しきことと知りつつ島民の同調圧力に屈してきた町長の苦渋(島民が減少し財政難を補ってきたよう)。その意識を本土の人間が悪用する典型的な犯罪構図。ただキャストが7名、上演時間80分とコンパクトであるから真の悪人(江戸川)は1人で迫力に欠けたこと、終盤は駆け足の展開になったのが惜しい。

気になったこと2つ。まず 暗転が多く その時間が少し長く感じられたこと。次に 長谷川に告発を手伝わせたジャーナリストの千葉が ゆき のことを知っていたのは何故なのか ということ(事前に繋がっていた?)。自分が観逃したか聞き逃したか。
次回公演も楽しみにしております。
film 9

film 9

パフォーマンスユニットcoin

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2026/02/13 (金) ~ 2026/02/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
表情と身体表現のダンスパフォーマンスだけだが、そこに自分なりの物語性を想像することが出来る、そこが魅力の公演。自分の内で物語が自由に膨らんでいく心地良さ。まさに「踊りで物語を紡ぐイマーシブ・ダンスショー」の謳い文句にふさわしい。前作「東京夜行」が素晴らしかったが、今作も観応え十分。

チラシとタイトルから映像(記憶や記録等)をモチーフにしたイマーシブ・ダンスショーを思い描いていた。確かにその通りのような気がするが、さらにダンスの形態そのものが物語に組み込まれている、いわば劇中劇のような表現になっている と感じた。
(上演時間1時間15分 休憩なし)

ネタバレBOX

会場入口側が正面、その左右にも客席を配した三面客席。正面奥には平台、上手奥にも別平台を設え、中央にアクティングスペース。正面右側にテーブル、収納BOXや飾棚があり、至る所にポストカードが吊るされている。下手の壁に「ナイン座」のプレート。
全体的に昏いが ダンサーの衣裳はデザイン違いの白色系で統一。人によってはグレー系格子状のワンポイント飾りを着けている。前作も色彩に拘っていたが、本作も同様。ラスト、この配色によって或る世界観を連想したが…。

始めは6人での群舞、お披露目的な意味合いもあるだろう。それから単独もしくは複数人によるダンスだが、それがクラシックバレエ・ソーシャルダンス・ダップダンスそしてコンテンポラリーダンス等といった多彩な形態で踊る。その度 衣裳を変えるが、基本は白・黒・灰の3色彩。

タイトルから 既成の8㍉filmとは違った「9film」という独自の世界を描いているのだろうか。「ナイン座」というホールもしくはショークラブといった所が舞台。始めの群舞は賑やかな頃のイメージ、それから各自のダンスはそれぞれがショーで踊っていた頃の想いを込める。何となくウエスト・サイド・ストーリーを連想させるようなダンスもある。すべてのダンスシーンに音楽/音響が寄り添うように奏でられる。全24曲「閃光少女(東京事変)、少年時代(井上陽水)、Fit As a Fiddle(映画 雨に唄えば)等」。活躍は 今は昔、寂れ廃れた追憶に過ぎない。吹き荒ぶ風のような音、それが荒涼感を表している。

ラスト、7人目のダンサー(演出兼任の阿部さくらサン)が現れ 夜空に見えない星があることも忘れないでほしい といった言葉。ちなみにダンサーはノンバーバルコミュニケーションであるが、時々 詩の朗読が挿入される。衣裳の白は生、黒は死、灰は生死の狭間をイメージ。昏い中で白衣裳で等間隔に横並びすると鯨幕のよう。

物語は 踊っていた若かりし頃、それがfilmに刻まれた記録と追憶になっている。皆が灰色のワンポイント飾りを外し舞台に置く、その行為はこの世(未練)と決別し昇華していくような清々しさ。人や物に永遠はなく、いずれ死や廃がくるが、他の人の中に思い出として生きる。それが見えない星のことを忘れないでに繋がるのでは…。舞台という視覚に訴える物語(虚構性)とは違ってダンスを通して、想像するという楽しみを味合わせてくれた好公演。
次回公演も楽しみにしております。
アオイの花

アオイの花

“STRAYDOG”

サンモールスタジオ(東京都)

2026/02/11 (水) ~ 2026/02/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
理屈ではなく感情に強く訴える公演。内容的には重く苦しいが、舞台としては面白く観応え十分。物語は説明にある通り、いつもと変わらない日常が、突然1人の少年によって奪われる。「通り魔事件」に遭った女の子が娘・アオイ(=愛生)だった。生死を彷徨うアオイを家族は必死に看病するが、彼女は10年という短い人生に幕を閉じる というもの。

物語は、アオイが生きていた頃の平穏で幸せな日々と 亡くなってからの家族の悲しみ。さらに家族を取り巻く人々と(社会)状況、そのありがちなコトを点描し長い年月(12年、アオイの十三回忌迄)を紡ぐ。アオイが遺した思い、それを残された家族1人ひとりが、再び「真に生きること」に向かい合うまでを描いた感動作。それを“STRAYDOG”らしい歌(合唱等)やダンス、さらにヘルマン・ヘッセの名言を織り込んで、叙情豊かに仕上げている。

少しネタバレするが、上演前から数名のキャストが舞台上におり、次々に客席通路を通ってメンバーが集まりだす。皆が揃った光景は稽古場(楽屋裏)---メタフィクションイメージ、そしてその場で配役等を決め本編へ といった演出で始まる。冗談を言い合う素顔から役者(プロ)の顔へ、その和気藹々とした雰囲気が変転していく驚き。その雰囲気の落差が そのまま感情の大きな振れ幅になっていくよう。
(上演時間1時間50分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は中央に出捌け口、左右対称に半階段状の架台のような作り。ラストは上部からスクリーンが下りてくる。シンプルな造作だが、長い年月を紡ぐためセットは固定せず観客の想像力に委ねている。

物語は、平穏な日々から突然アオイが兇刃に襲われ しばらくの間 生死を彷徨うが、亡くなる。必死に生きようとした姿、それが家族のその後(生き様)を勇気づける。防ぎようがない悲劇、その突然の出来事に呆然とする家族(両親と兄)。しかし悲嘆に暮れてばかりもいられないことが家族を襲う。社会の反応を点描することで、家族の悲しみが一層深く印象付けられる。例えばマスコミの家族への容赦ない取材攻勢、何とか他社を出し抜いて記事にしたい。また殺人鬼を神戸連続殺傷事件の犯人 酒鬼薔薇聖斗をモデルにしていることから、彼の学校責任者の対応を描く。それは予想できない事件であり学校側も どうすることも出来ないといった責任逃れの発言。社会という常識の中でしか対応できない もどかしさ。

家族はアオイを喪った悲しみだけではなく、常識という名の理不尽さに心が疲弊していく。両親の耐える姿、一方 兄の犯人を絶対許さないという激情が、本人を荒ぶらせていく。犯罪被害者の悲しみ苦しみは想像できないが、その思いを象徴的に描いているのが兄の姿。理屈ではない感情が迸っている。さらに母が乳癌になり生きる気力が といった事情を描くことによってアオイの最期まで生きようとした姿に繋ぎ重ねる。物語では家族に寄り添って という役割を警察(刑事)に担わせている。勿論 刑事面だけで民事面の被害者救済は描かれていない。

重く苦しい内容だが、ダンスや歌を挿入し魅せる演出で和ませる。また亡くなったアオイを追憶として登場させることで、家族の心の中で生きているといった救い。アオイは居なかったわけではなく、確かに10年間生きた。その証がラストの映像に凝縮されている。見事な余韻付けである。
次回公演も楽しみにしております。
迷光、あるいは、残照。

迷光、あるいは、残照。

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2026/02/11 (水) ~ 2026/02/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
心地良い緊張と緊迫感に溢れたサスペンス劇。説明にある「児童誘拐容疑で逮捕された箒木美津子、警察から精神鑑定を依頼される若き精神科医速水ひかる」を中心に物語は展開するが、登場する1人ひとりにも何らかの苦悩や葛藤を背負わせることによって解離性同一性障害という特殊性を浮き彫りにする。彼女の中で源氏物語に登場する姫達の立ち位置や性格などを多重人格の様相に重ね、照明と音響を巧みに使って人格変化を表す。

少しネタバレするが、事件を始め人々の背景にある心の深淵、その伏線をすべて明解に回収するのではなく余白というか余韻に浸らせるような紡ぎ方が好い。すべてが解明しきれるわけではない心の病、どうして解離性同一性障害を発症することになったのか という原因や過程をサスペンスとして観せつつ、根底にはヒューマンドラマが息衝いている。

劇場 楽園には中央に柱があり、それをどう使うかといった演出が試されるところだが、本作では 過去の記憶や情愛を表しつつ、現在の別空間を表現し表出させる妙。
(上演時間1時間55分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は国見総合病院の速水医師の診察室。丸絨毯に中央に丸テーブル、2組対になった椅子が4脚。奥のスタンド衣桁に白衣、その横に飾棚と小物。中央の柱には多くのアルバム写真が飾られている。柱を境に過去と現在が分かれているようだ。

都内で児童誘拐が頻発し 箒木美津子がその容疑者として浮かび上がる。警察から彼女の精神鑑定を依頼される若き精神科医速水ひかる。物語は解離性同一性障害に表れる人格を源氏物語の姫達に、そして精神科医を光源氏に準えている。登場(声だけ)しないが病院の跡取り娘 葵と婚約している。 美津子は子供の頃、母に連れられてデパートの屋上にあるミニ遊園地で遊ぶのが好きだったが、或る日 母が美津子を道連れに飛び降り自殺をした。幸い美津子は母の上に落ち一命を取り留めた 悲しい過去がある。

美津子には2人の子(年子の男と女)がいたが、男の子は5歳の時に亡くなり、今は娘の秋子と2人暮らし。今 美津子の1人の人格が誘拐し、別の人格が迷子として戻す(届け出る)ことを繰り返していた。亡くなった息子への愛着、それを嫉妬した秋子。或る日 美津子が誘拐した男の子を…。警察は 秋子を逮捕しDNA鑑定(秋子の手首傷と男の子の爪の間にあった皮膚)をするが、肝心なことは黙秘していると…犯人か否か明らかにしていない。

一方、速水は若くして精神科医師として有名、しかしそれには訳があった。父は旧家の家柄で母は父亡き後、祖母から家を追い出された。自分が有名になることで母が訪ねて来てくれることを期待。また刑事の藤原匡は、仕事に没頭し妻 夕美子との団欒を後回しにしていた。事件が解決したら旅行でもしよう が口癖。しかし 夕美子は藤原の事件の件で風評被害に遭っており、それが原因で自殺していた。今の時代、個人情報なんてすぐ知られ、嘘と噂が拡散される。

公演は、人にはそれぞれ痛みや悲しみがあるが、それに立ち向かうために多重人格を作り出すか、人格崩壊しないよう耐えるか を登場人物に担わせている。人格統合の良し悪しではなく、どう生きていくかといったところに<光>を当てている。
次回公演も楽しみにしております。

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