『青の鳥 レテの森』『レテの霧 蒼の檻』 公演情報 ハグハグ共和国「『青の鳥 レテの森』『レテの霧 蒼の檻』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。【青の鳥 レテの森】観劇
    ハグハグ共和国の独特の世界観を堪能。表層的にはダークファンタジーといった雰囲気だが、その内容は骨太で滋味に溢れるもの。物語の展開に惹かれ、段々と前のめりになる。森に立ち込める濃い霧 それが少しずつ晴れ 見渡せるようになる、そんな神秘性を醸し出す。良い意味での中毒性から ハグハグ公演から抜け出(観逃)せない。

    物語は 撮影という劇中劇のようにも思えたが、その枠構造よりも そこで描かれている「生きる」「繋がる」といった人の「思(想)い」が強く感じられる。劇中の台詞にもあるが「思い」を「繋ぐ」ことによって、段々それが重くなる。そこに生きているという実感が込み上げてくる。今年は戦後80年、この公演も反戦劇の1つだろう。
    (上演時間1時間45分 休憩なし)㊟ネタバレ

    ネタバレBOX

    舞台は、中央に階段があり 上った先に緑の網幕に囲われた枠。舞台の上手/下手に木々、全体が緑色に囲まれた森といったイメージ。枠の下は石垣で覆われた防空壕(ガマ)のよう。
    物語は、知らぬ間に「レテの森」に連れて来られた人々が、そこに居る妖(黒衣裳)からコロニー〈レテの川(通称:ゼロ地点)を渡った先〉に行くよう命ぜられる。何のために行くのか、そこに何があるのか教えてもらえない。訳も解らず武器を持たされ、森の中を進むことになる。ただ辿り着けるのは1人で、その者が望んだものは何でも手に入るという。

    森に居る黒ずくめの妖は、この中を彷徨う魂…魂魄であることが明かされる。森は此岸と彼岸の境、黄泉の世界といったところ。レテ川はさしずめ”三途の川”といったところであろう。「ゼロ地点」そこは”始まりであり終わり”という台詞が劇中で繰り返される。それは冒頭の独白のような台詞が物語を支配しているかのようだ。宇宙が誕生し人類が生まれる、そこには「生」と「死」の繰り返しを象徴する。しかし、この世は不条理極まりない。森の魂魄は戦争によって命が奪われた者たち。コロニーへ行って(記憶が消え)戻った者はいないと、何となく輪廻転生といった感じだ。黒衣裳は焼け焦げを表し、ラストは もんぺ姿で笑顔。

    森に連れて来られた人々は、交通事故で生死を彷徨っている。死の淵にあって、現世ではそれぞれの人生に悩み、苦しみ生きる術(すべ)を見失っている。そんな人々がゼロ地点で見て感じることは…。生きることは「思い」であり それを受け継ぐことで「重く」くなっていく。それを感じることが生きる勇気になる。本筋に挿話として「オズの魔法使い」「桃太郎伝説」(少し緩すぎた笑い)等を取り込んでいるが、それは寓意を意識させる。現実と黄泉のような世界を ダイナミックに結びつけるアナグラムのような奇知。

    テーマは「生きる」であり、合せ鏡として「反戦」である。敢えて森に連れて来た人々に殺し合いをさせ、憎悪・復讐という負の連鎖を通じて愚かさを悟らせるのか、もしくは自己犠牲を主張。一方、悩み苦しみに中に生きる勇気が備わってくる。迷えば それだけ地図が大きくなる。それは人間としての器量の大きさを意味する。他人任せのような”祈り”ではなく、自らが考え行動する、その先に”希望”が見えてくると…胸に迫る台詞の数々が、両手の指先から零れ落ちてしまうのが勿体ない。

    骨太い脚本、それを重層的に構成して観せる。役者はそれぞれのキャラを立ち上げて物語の世界に引き入れる。もちろん演技同様、ダンスパフォーマンス(アンサンブル)も魅力的であった。ラストは 白衣裳の月野原りん さんが羽ばたくような、そこに<希望>が見える。「ハグハグ共和国」らしい印象付けと余韻…堪能した。
    次回公演を楽しみにしております。

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    2025/12/20 11:26

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