タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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おもいだすまでまっていて【東京公演】

おもいだすまでまっていて【東京公演】

Pityman

シアター711(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/01/21 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初日観劇、面白い。
リアルな情景を舞台という虚構の世界に巧く落とし込んだ珠玉作。テーマは「老い」、そしてどうしても介護と切り離せないため、それを切実に感じる世代と もう少し距離というか時間が先の若い世代とでは、その受け止め方に感情的な違いが出るかもしれない。それは現実的な感情と、解ってはいるけど といった観念的な理屈といったところか。

登場人物は4人、母と兄は一人二役 そして姉と妹。物語は、広島から東京 浅草観光旅行と子供の頃の出来事を往還して、母との関係を生き生きと描き出す。全編 広島弁、自分は広島が第二の故郷であるから、その方言が懐かしく思えた。方言が母娘の繋がりを意識させ、日常の暮らしがリアルに立ち上がってくる。そして微妙な沈黙も含め、会話の間が実に巧い。旅行でのエピソードを散りばめながら、滑稽とも思える 笑い怒り呆れる といった感情を爆発させる。

アフタートークで山下由 氏が、あるシーンは賛否両論があったことを話していた。初日の観劇後であることから、それは前回上演時の感想であろう。自分も このシーンだけは現実離れしているといった印象を持った。対談の相手は作家、エッセイストの こだま さん。彼女も前半だけで終わったと思っていたと。ぜひ劇場で…。
(上演時間1時間20分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、周りを白のレースで囲い 舞台と客席の間にも敷いてある。中央に椅子3つ並べ、上手に縁台と玩具の木馬(実は山羊)のようなもの。下手に椅子2つ。
会話の中に倉橋島や四国 といった台詞があることから広島県呉市あたりの島が舞台。周りのレースは白波のイメージか。

物語は、夜尿でシーツや寝間着を汚したため、次女ミツ子が 呆けてきた母 トヨ(80歳)の着替えを手伝っているところから始まる。老いーそれは不慮の事故や災害等が起きなければ、殆どの人が迎えるといっても過言ではない。しかし 公演では、老いをことさら深刻に追い込むことなく、日常の暮らしをゆったり飄々と紡いでいく。家族構成や事情は台詞でサラッと説明し、主に母と長女 エイ子・次女の会話を面白可笑しく語り聞かせる。ミツ子は 会社を辞め母の面倒を見るため広島へ、しかし彼女自身の家族は描かれていない。エイ子も近くに住んでおり、日々様子を見に来ることくらいの情報しかない。

東京/浅草観光旅行、新幹線の中での姦しい会話、夫々が勝手な行動をするため 目的の東京スカイツリー展望台(天望デッキ+天望回廊)へ上がれなかったと不満を口にする母、その母に人力車なんかに乗るからと言い返す。チェックイン前、突然 蕎麦が食べたいと言い出した母のために コンビニでカップ蕎麦を購入し ホテルへ持ち込むエピソード。罵りあいながら笑う、何気ない会話と行動の中に可笑しみが溢れる。

幼い頃、姉妹は兄に暴力を振るわれ、それが嫌で家出をする。昼間は海辺で遊んでいたが、夜になると途端に寂しく心細くなる。帰り道が分からなくなり途方に暮れる姉妹、その時 探しに来た母の行動?が…ここが評価の分かれるシーン。今のエイ子はのんびりとした性格、しかし子供の頃は激しく兄に逆らっていた。妹のミツ子はテキパキと忙しないが、子供の頃は従順のよう。そこに成長するに伴い性格が逆転していくような歳月、時の流れを感じる。エピソードを羅列したようなイメージだが、その日常の積み重なりこそが 老いなのかもしれない と実感する。
次回公演も楽しみにしております。
マルコとグリーンの海

マルコとグリーンの海

ヒコ・カンパニー

ブックカフェ二十世紀(東京都)

2025/01/10 (金) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い。お薦め といっても早い段階で完売。
濃密な男女の二人芝居、4場。当初1時間30分の上演時間が1時間50分になるほどの力作(事前にその旨連絡あり)。上演時間が長くなったのは、ラストシーンに救いを求めたのではないか と想像している。テーマは昨今大きな問題として取り上げられるハラスメントー特にパワハラ・セクハラー、それを演劇の世界という自分たちと向きあった所を舞台にしている。それだけにリアルであり切実な思いが痛いほど伝わる。

パワハラ・セクハラの加害者、被害者の捉え方、その視点の複雑さを多面的に描くことで、問題の本質に迫ろうとしている。被害者は、その行為を忘れることは出来ないだろうが、加害者が真にハラスメントを認識した時の精神的苦痛は計り知れない。ハラスメント行為は無意識に行っている場合、逆に言えば 叱咤激励しているつもりが 知らぬ間に相手を傷つけている なんてことが往々にしてある。ちなみにパワハラ・セクハラを並列に記したが、それぞれの場面を描くことによって、人が潜在的に持っているであろう偏見、差別といった心の闇が浮き彫りになる。

終電を逃した男女の一夜の弛緩と緊張を繰り返すような会話から、徐々に過去にあった出来事、その結果が今の状況を招いていることを切々に語る。未だに出口が見つけられず悶々とした日々を過ごしている。見知らぬ関係ゆえに心の内を激白する。さらに会話は漂流し 思わぬ方向へ…。
(上演時間1時間50分 休憩なし)

<2025年1月公演>朗読キネマ『潮騒の祈り』

<2025年1月公演>朗読キネマ『潮騒の祈り』

idenshi195

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2025/01/08 (水) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

母と娘の確執・回想・受容といったエレメントで構成された抒情的な作品。娘の観点で描いているが、その娘が母親になることで 新たに母の思いを知ることになるのではないか。母にも子供時代があり経験したにも関わらず、親=大人になると その立場 目線で考える。それは先人の定めのようなもので、一概に親のエゴと言えるだろうか。

当日パンフの中で、主宰の高橋郁子さんが「再演を重ねる中で、『これは私の物語だ』とおっしゃるお客様と何人も出会い・・・作者の想いなどはとうの昔に超えて、『私』となる方のためにこの作品は在るのだと思う」と記している。長々と引用したが、この「私」は たぶん娘 綾子なのであろう。しかし母1人娘1人という状況の中、必死に子育てする母の気持が痛いほど伝わる。母が娘の心を殺すまで無関心・無神経だったか。逆に外国映画に「毒親(ドクチン)」という、娘への過剰な教育や躾といった問題を描いた作品がある。子育てに正解はないのだろう。

寂れた海辺の街という設定が妙。妊娠した娘の精神的・肉体的な変化を自然のなかで情緒豊かに紡いでいく。羊水の中の胎児、それを月と潮汐に準え神秘的に、時に現実的に読む。だから配役(表)も娘 綾子、母 和江、そして海となっている。しかも娘と母の間に海が、それは2人を取り持つ新たな命(胎児)を連想させる。シンプルな舞台装置に揺れる波が映え擬声音が効果的に響く。

先の当日パンフには「想像力で溶け合うことで視えてくる母と娘、海と命の物語」、男の自分には、親子の一番解り難い関係(母と娘)だけに手強い。母と息子、父と娘、父と息子は、自分が子として又は父として接したことがあるため何となく想像が出来る。公演では女性ならではの身体的な描写があるため、理屈では分かったつもりだが やはり観念的に捉えている と思う。男優による朗読、それでも母娘は違和感なく存在したが…。
(上演時間1時間20分 休憩なし) 【上弦】 

ネタバレBOX

舞台美術は、会場入り口の対角線上に腰高スツール3脚。その後方に縄簾のような幕。さらに幕奥に照明が1つ。このシンプルな舞台美術が実に効果的な役割を果たす。朗読劇だから、ト書きや波音などの情景は擬態語・擬音語で表現する。また後景の縄簾への流線形の照明が揺らめく波のように見え、さらに丸照明がシルエットになり朧月のように見える。物語は、8月下旬から12月下旬までの約4か月間の話。

綾子は身籠った子を産み育てるため、実家に帰り嫌いな いや憎んでさえいる母に頼らざるを得ない状況。当初 母 和江は反対していたが自分も反対を押し切って産んだ経験があるから認める。母への蟠りは消えない…小学校4年生の時に初潮、それを機に苛められるようになる。登校したくない、しかし 母は綾子が弱いからと決めつける。子の心情に寄り添えず、自分=大人(母親)の立場で追い詰める。そんな母が嫌いだった。その母は、夫に先立たれ昼はパート、夜はスナックで働き1人で綾子を育ててきた。それだけに負けず嫌いの気性の激しい女のよう。母 娘の確執とその原因となった回想が淡々と語られる。

綾子は 東京の予備校で働きだし、年上の男から交際を求められ妊娠した。男の身勝手、結婚もしない 認知もしないし養育費も支払わない。実家に帰るまでの逡巡、それでも産むためには母を頼らなければ、その葛藤が痛いほど伝わる。そして月齢が進むにつれ、自分の体の変化と同時に感情の変化、綾子はだんだんと受け入れていく。胎動によって胎児と語り、それによって母性を育んでいく。そして綾子の思いは母 和子の思いへ近づき、いつの間にか同化していく。

体調の変化は 水が関係してくる。風呂場で異変を来し悲鳴を上げる。そして12月下旬、月に導かれるように夜中の海に入っていく。幻想的な情景 不思議な行為は、生 なのか 死 なのか いずれにしても神秘性を感じる。が、一度産むと決心し胎児と向きあった以上、母 和子が間に合ってホッとした。このドキドキしたシーンによって迷いや葛藤は吹っ切れたかのような和み。
次回公演も楽しみにしております。
なまえ(仮)

なまえ(仮)

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2025/01/08 (水) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2023年新春公演でも同じ演目「なまえ(仮)」を観ているが、前回に比べ その内容(小話)が増えた分、<なまえ>に対する拘りが強くなったような気がする。小話毎に訴えたいことは違い、その濃淡も異なる。

2023年時に演じた小話は、題名こそ違えているが 内容的には ほぼ同じ。しかし増えた題目は、<なまえ>の重要性・必要性というよりは、便宜的な曖昧さの中にも名前というか呼称が必要なことを挙げている。同時に題目間の繋ぎのような役割も果たしているようで、その意味では場転換はスムーズだ。
(上演時間 1時間35分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、冒頭は中央にテーブルと椅子が置かれている。暗幕には紅い短冊に、舞台と客席の間には白い短冊に文字が書かれている。しかも天井にも貼られ、薄暗い場内だが おめでたい紅白幕を連想させる。最後の獅子舞も合わさって正月公演らしい。

勿論、<なまえ>は人間が付けた便宜的な記号・符号のようなものであるが、その共通性が大切。言語は国によって異なるが、<なまえ>という概念は ある程度共通認識を得ている。その意思疎通・情報伝達から曖昧な呼称まで様々。公演は、その曖昧模糊とした題材に着目した点が妙。

さて「おしながき」の「なまえ(仮)」と構成・梗概は次の通り。
①「ゴッドハンド(仮)」
小学校教師の胃痛を執刀する医者の名(苗字)が「藪(やぶ)」、その語感から手術に対する不安が生じる。医術的なことより先に、名前が重要だと言わんばかり。人格や技術等は名前と関係ないが、外見的なことに拘りが出るというオーソドックスな話。
②「病名(仮)」
病名で患者の気持が一喜一憂するという不思議さ。例えば風邪ならば安心し癌ならば深刻になる。勿論その気持はよく分かるが、医師は何でも病名をつけ、患者はその診断名を欲するという奇妙な現実を突き付ける。
③「電話(仮)」
電話口で「サルワタリ アイコ」という女性は もういない。名前は人物を特定することに関しては便利であるが、その人物自身を表すものではない。例えば女性は婚姻によって姓が変わる。それによって姓+名の語呂が怪しくなる場合もあると。これって夫婦別姓への問題を意識したものか。
④「私の伯父さん(仮)」
「ワーニャ伯父さん」を劇中劇仕立てにしており、伯父と姪の なさぬ恋のよう。「なぜあたたは伯父さんなの?」という台詞は「ロミオとジュリエット」の「ああロミオどうしてあなたはロミオなの」のパロディで、「家なんて関係ない、その名を捨てて私を愛して」に通じる。
⑤「胡散(仮)」
名前は その人物の特定に役立つが、呼称のようなものは それを曖昧にする。例えば 怪しい人物、それも中年以上になれば「胡散臭いおじさん」という一括りで呼ぶ。この題目は2023年の時にはなかったと思う。
⑥「中華満珍楼(仮)」
中華飯店で働く男、その名もチンさん。語感だとどの漢字のチンさんか判然としない。揶揄われることに嫌気がさし、衝撃の告白。本当の名は別にある。外国人が日本人の名前を買うには高額すぎる。だから”珍”さん、何ともシュールだ。
⑦「CHIBA(仮)」
千葉県にあるのに、東京ドイツ村や東京ディズニーランドというイメージ戦略、一方 成田国際空港は、当初 新東京国際空港としたが、いつの間にか今の名前に改称した。国や企業等の思惑によって恣意的に付けられる名前や呼称の曖昧さ。
⑧「列車にて(仮)」
電車内、失恋した男の悩みを聞く牧師。世の中にはもっと辛い思いをしている人がいる…夫が事故で生き埋めになり、その妻が夫の名前を呼び続ける話。それ自体良い話だが、失恋男が誤って「神父さん」と呼ぶが、自分は「牧師」ですと返答する。そこには厳然とした違いがあるという。
⑨「小竹林(仮)」
この読み方は何でしょう。フリップを使い 福井県大野市(越前)という地名までだし、さぞかし難しい読み方のような思わせぶり。実は「コタケバヤシ」という素直な読み方。名前というか漢字の読み方に対する先入観の妙。
⑩「ぐっち(仮)」
アベックが高級貴金属店で買い物をする。男は女のためにGUCCIの指輪を購入するが、店員は それをロゴなし袋に無造作に入れる。アベックは、品物に相応しい(見せびらかす)袋を用意しろと…。目に見えない袋を用意されたアベックは、宛ら「裸の王様」の寓話のようだ。
⑪「市民土木課の一日(仮)」
市民課と土木課の統合で生まれた新設課。配属された人の中に元恋人同士、その喧嘩や日和見の新人の言動を面白可笑しく描く。しかし、原発誘致が白紙になり 日々暇を持て余す課員たち。そして関係のない課を一つにし市民蔑ろの行政、ここでは どちらの名を先にするかが問題。銀行の合併じゃあるまいしは辛辣。また「課長」<権威>という呼称は、個人の名とは関係なく歩き出す習性の怖さ。全員登場による共演。

各題目ごとに 「なまえ」という切り口で緩い寓話らしきものを垣間見せる巧さ。その内容は多義にわたり面白可笑しく観せ、2023年に比べると時事的な事柄も随所に描く。また題目によっては<なまえ>のダジャレのような描き方だが、そこには繋ぎという別の役割を持たせており巧い。

演出は各題目によってテーブルや椅子の配置を変え、シンプルであるが状況を表出する。同時にキャストは衣装替えをし、観せる工夫をする。勿論、音響・照明などの舞台技術も効果的な役割を果たしていた。薄暗がりの無人舞台、暗幕に貼られた短冊、そしてラストには天井から短冊が舞い落ちる。その光景は、<なまえ>が重いのか軽いのか、人それぞれの思いと状況によるような。
次回公演も楽しみにしております。
卒塔婆小町 葵上

卒塔婆小町 葵上

東大芸研2025 一月企画専用

駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)

2025/01/10 (金) ~ 2025/01/11 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

三島由紀夫の近代能楽集から「卒塔婆小町」と「葵上」の2編。本演目は未見で戯曲も読んだことがないため、興味津々で東大多目的ホールへ。登場人物の少なさやシンプルな舞台装置、薄暗い中での飄々 時として濃密な会話は別役実作品を観ているような印象。

この両作品とも、二項対立させながらテーマらしき比喩が浮かび上がる。「卒塔婆小町」は「若い」と「老い」や「生」と「死」といった対比の中に抗えない人の宿命が描かれている。「葵上」は「愛情」と「嫉妬」や「情念」と「諦念」といった人が、特に男女間で起こる感情の縺れを情緒的に描いている。しかし近代能楽とは言え、元が能楽ゆえ若干違うが、「あの世=ワキ」と「この世とあの世との『あはひ』に生きる者=シテ」という基本的な構造は変わらないようだ。

舞台装置や演出は、幽玄といった雰囲気を醸し出しており観応えがある。しかし演技がその雰囲気の中に溶け込んでいかないのが憾み。外見(観)や発声等は学生演劇の域を出ないのは止むを得ないとしても、演技は工夫の余地があると思う。例えば腰を曲げた老婆(99歳)、その割には俊敏と感じられるような動き。腰を曲げているにも関わらず吸殻を簡単に拾い上げる等…。台詞は 丁寧に発音しており、情感がこめられているだけに惜しい。
(上演時間1時間30分 休憩兼転換10分)追記予定

二十歳の集い

二十歳の集い

アガリスクエンターテイメント

上野ストアハウス(東京都)

2025/01/02 (木) ~ 2025/01/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

正月に相応しく 明るく楽しい雰囲気の公演。伝えられない想いが溢れ出す、そして何故か心の奥深いところで人間が愛おしくなる、そんな中編2作品。

「Go as Operation‼」は、寂れた個人経営のレンタルビデオ店を舞台にしたスラップスティック・コメディ。いつまでも続くと思っていた心地良い関係、しかし出会いがあれば別れがあるのは必然。その当たり前が行動の契機になる、状況や台詞の誤解や勘違いを上手く織り込んだ笑劇。年代的には20年近く前の作品で、最近ではレンタルビデオ店は見かけなくなったが、内容的には現代でも十分に通じる。ただ 劇中で使う映画(レンタル商品)は、少し新しいもので、そこは脚本・演出を担当した淺越岳人 氏が巧く辻褄合わせをしている。

次の「宇宙からの婚約者」は、説明にある通り 彼女はウルトラマンだから一緒になれない、まさに異性が異星(人)だから結婚できないという シャレにもならない悲喜劇。当日パンフに脚本・演出の冨坂友 氏が記しているが、愛する二人の会話が「身近な人と思想的・立場的に絶対に相容れないことが分かってしまった。」という かなり政治的な話になった と。表層的には 面白可笑しいが、その底流に描かれている出来事は怖い。まさにブラックユーモアだ。これを どう乗り越えるか⁉

2025年に劇団結成20周年を迎える その第一歩。自分としては、今年の観劇初め この楽しめる公演は幸先よし。
(上演時間2時間15分 途中転換あり) 

ネタバレBOX

●「Go as Operation‼」の舞台美術は、上手にレンタルビデオ店のカウンター、それ以外のスペースを商品棚。勿論レンタルビデオの陳列はなく空棚であるが、その店内風景は十分。舞台となる店の名は「misdirection」、まさしく”勘違い”である。

物語は、寂れたレンタルビデオ店に長年勤める中年男 高橋はバイトの大学生 恵理へほのかな好意を隠して働いていたが、その彼女が急遽辞めると。彼女は ひそかに思いを寄せていた常連客の青年 岸に告白しようとしており、一方 岸も理恵へ何か用事があるよう。高橋は二人の恋路を邪魔しようと企むが…。

そこへ私人の万引きGメン、妻が借りたビデオだから延滞料は支払わない、そして青年 岸の映画撮影への思いなど、各人の勝手な思惑等が絡まり混沌とした様相へ。特に万引きの盗ると映画を撮るといった<トル>という言葉の語感が勘違いを生む面白さ。因みに劇中見せるビデオ「万引き家族」は2018年公開。

●「宇宙からの婚約者」
舞台美術は二人がいる部屋、上手にキッチンやラック そして宇宙の絵画。中央に丸テーブルに椅子、下手はレンタルビデオ店の棚。机やパソコンがあり 短い時間の場転換であるがスタイリッシュな感じへ。二人の会話が異次元へ飛んだ時、大きな音と共に後景に銀幕が落ちる。

スケールの大きい恋愛話のようだが、何故か世界中のあちこちで見聞きするような話題ー紛争・戦争そして難民移住などーに思える。彼女はウルトラマン、実は彼も宇宙人で母星を失い移住する星を見つけている。その対象が地球、そして宇宙船の着陸予定地が関東平野だという。宇宙船には立ったまま20億星人が乗船しており、早く着陸をしたい。彼女(ウルトラマン)は、関東一円に住んでいる人が下敷きになり死んでしまうと…。

かくして恋人同士が尊厳をかけて戦う羽目に というシュールな内容へ。二人にとっての母星ではないが、地球を巡って否が応でも対立せざるを得ない状況は、笑うに笑えない。いや切ない!
次回公演も楽しみにしております。
食わばもろとも

食わばもろとも

新雪/深雪企画

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/12/27 (金) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

全ては自分で解決して行かなければ、しかしその自縄自縛のような思い込みが事態を更に深刻にする。それを痛痒く紡ぐような感覚劇といったところ。まさにドロ沼状態だが、今居る場所が何となく救いになっている。喧騒に佇む下宿に集う人々の心温まる交流と愛しい日々が淡々と描かれている。

説明だと「病床に伏せる父の代わりに、一軒の下宿で住み込み台所番になった女性」の観点から描いた物語のように思えたが…。実際は、大地という大学一年生の強迫観念が周りを巻き込んで といった描き方のよう。彼の悩みや母との(隠れた)確執を中心に、下宿にいる人たちの悩みを点描することで、家族や社会との関わりの複雑さが浮き彫りになってくる。
なお、大地の苦悩は 或る映画の主人公に重なり 面白かったが、全体的(他の人物も含め)に不鮮明な説明・設定が憾み。

有効な処方(箋)はなく、自分で考え周りの助けを得ながら対処療法的に地道に進むしか…。そんな もどかしさを感じさせるが、先ずは皆で食事をしよう。明るく「腹が減っては戦ができぬ」といった旨の言葉が問題解決への嚆矢のよう。
(上演時間1時間30分) 

ネタバレBOX

舞台美術は下宿という設定から そのダイニングのテーブルと椅子。中央の出入り口の奥に各人の部屋があるよう。説明からは、父に代わって料理番になった女性の観点で描く下宿人 群像劇かと思っていた。しかし 何となく下宿した大学1年の大地という青年の或るトラウマを浮き彫りにするような物語だ。

大地のトラウマ、自分の感情を抑えきれずに暴力をふるってしまうのではないか。それを母との関係において、歪んだ若しくは閉ざした心として表わしている。感情を押し殺した従順、その逆らわない気持がマザコンのようにも思える。この苦悩は映画「ある男」を連想してしまう。勿論 そのテーマと深刻度は異なるが、自分も父と同じように いつ暴力(映画は「殺人」)をふるうのか恐れ戦いている。その抗えない諦念のような気持と下宿にいる他の人々との会話が表面的過ぎるのが恨み。

登場人物は、大地の他に 管理人の五十嵐、現在フリーターの志保、大学4年の佑、そして料理番の睦美。それぞれ色々な思いを抱いているようだが、それは日常に見られる他愛無いこと。この淡々とした日々の暮らし、その根底にあるのが<食>である。タイトルから孤食であれ共食であれ、命の源は食事である そんなことが描かれている。日常の それも等身大の暮らしは、演劇的には刺激と印象が弱い。

物語は、大地の抱く潜在的な暴力への恐れ、一方 他の下宿人は何となく言い訳が上手くなってきた大人、その相容れない対比の面白さ。下宿という共同生活体の中で、どう馴染んで生活していくか、心を閉ざした大地と明け透けに言い合う下宿人、それでも食卓は囲む。ラストは、取り敢えず食事をして…そんな未来志向か?
次回公演も楽しみにしております。
ThreeQuarterカウントダウン公演「1…」

ThreeQuarterカウントダウン公演「1…」

四分乃参企画

JOY JOY THEATRE(東京都)

2024/12/27 (金) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

【カウント3(Three)チーム】観劇
つかこうへい の代表作であり つか魂がストレートに伝わる演目を解散公演に選んで、全力で演じていた。三日間で8公演と驚異的なスケジュール。本作は何度か観たことがあり 上演時間が短いように感じていたが、当日パンフを読むと体力的に厳しくカットしたシーンもあると…納得。

本作は、舞台装置がシンプルで 役者の演技力が公演の要(かなめ)。劇団のモットーは「愛と情熱」をテーマに活動、稽古は土日のみ。最終公演に向けては どうだったのかは分からないが、粗さも目立つが、愛おしさが感じられるような演技であった。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、お馴染みの古びた机、その上に黒電話、捜査資料、傍らの置台に洋酒瓶が置かれている。舞台技術の音楽選曲と照明効果は上手い。

物語は、警視庁の木村伝兵衛部長刑事の取調べを中心に熱海の殺人事件の概要をなぞりながら、その過程で事件の底流にある問題を抉るもの。人間を鋭く観察し、心理描写と情況表現が中心であることは間違いないが、本公演は故郷という心の拠り所も強調している。人間、社会そして自然といった世界観の広がりを思わせる。

在日への人種差別への思い(代弁)を独白・激白、その故郷を追われた慟哭が胸をしめつける。また同性愛者を登場させ、その性への偏見差別、職業・職場、さらには社会進出における男女差別、権力至上への揶揄など、色々な問題・課題を浮き彫りにしてくる。一方、人が感じ持つ優しさ、哀しさ、孤独、気概などの人間讃歌とも受け取れるシーンの数々。単なる痴情の もつれによる殺人事件ではなく、大山金太郎(容疑者)を一流の犯人へ仕立て上げることによって、事件の底流にある本質を炙り出す。この硬質で骨太い描きの中に、女性ならではの純粋と情念の心情を垣間見せる。またちょっぴりあるお色気シーン、この緊張・弛緩のほど良い刺激が1時間40分という時間を飽きさせない。

つかこうへい の思いは、役者の演技力という体現なしでは伝わらない。特に主人公 木村伝兵衛を演じる女優の力強く凛とした姿と愛嬌ある仕草、また山口アイ子の切なくも強かな女、その異なる女性像を自在に演じ分ける難しさ。またアクションにキレがあり身体の強靭性も必要。本公演では櫻井まりあ さんが演じていたが、遠慮しているのか少し弱々しく迫力を欠いたのが惜しい。男優陣は、熊田留吉刑事、桂万平刑事、大山金太郎との絶妙な遣り取りに人間味が感じられる。今まで観てきた公演の男性陣も熱演であったが、それは主人公・木村伝兵衛を引き立てるといった印象。本公演も基本的には同じであるが、単に櫻井さんの盛り立て役に止まらず、一人ひとりの人間性を立ち上げている。体躯のよい正木拓也さんは、厳つい風貌と剛腕を見せつつ純情な面を併せ持つ熊田留吉刑事、平澤雅己さんは顔付こそ野性味あるが、やはりホモらしい繊細さを見せる桂万平刑事、永松翔平さんは2人に比べると体は細いが、強情で熱い男-大山金太郎。相乗効果を発揮した役者たちの演技は良かった。

原作の意を表した脚色、それに魅力付けした演出(清水みき枝サン)、そして充実した演技、さらには舞台美術(音響・照明)など全体が調和した公演は好かった。
中国神話の世界

中国神話の世界

カプセル兵団

三鷹Ri劇場(旧 三鷹RIスタジオ)(東京都)

2024/12/27 (金) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
ギリシャ、北欧、インドの神話は何となくイメージ出来るが、中国神話は馴染みがなく興味があった。その痒いところに手が届くような説明から始まる。少しネタバレするが、中国では 或る人物のせいで 非科学的なことを記録、いわゆる文献にする風潮がなかったらしい。もう一つが、人が超常の力を得て仙人に成るとか、または実在した偉人を神格化させる傾向にあり、非科学・伝承的な類の神話は広まらなかった と。

本公演では、「天地創造」を含む13物語をナレーションで繋ぎながら、実に壮大な世界観を描き出す。勿論 朗読劇ならではの魅力、登場する者・物・モノなどの姿・形そして情況を観客に想像させる。そして本編を離れ一発芸や面白ネタといった別編?を挿入し面白可笑しく楽しませる。その本編と別編の絶妙な切り替わりが巧い。しかも本編の醍醐味である中国神話が印象深く紡がれ、神話から人間の世界へ…そう中国における創世記のようなものが立ち上がってくる面白さ。
観(聴き)応え十分。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 

隧道

隧道

劇団ZERO-ICH

駅前劇場(東京都)

2024/12/25 (水) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

普通に楽しめた沖縄県民の青春群像劇。
謳い文句「芝居の力で沖縄を変える」という強烈な思いよりは、まだ何者にもなっていない若者の焦燥や苦悩といった心情が前面に出ており、ありふれた若者像を描いたといった印象だ。むしろスタートラインに立ったと言ったところか。父親の30歳過ぎにもなって まだふらふらと演劇なんか、というリアルな台詞。

保育園の時に東京から来て幼馴染みになった少女との魂(沖縄ではマブイ)探しといった面白味、その心の端となった会話があまり生かされない。沖縄県の問題/課題を点描しているが、もっと県人らしい鋭い深掘りを期待したのだが憾み。
なお、演出で気になることが…。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 

ネタバレBOX

三面舞台…全体的に薄暗く 板(床)は黒色。入口の反対側が正面、通常の 客席側が上手、舞台側が下手になる。正面に白っぽい(押入)戸、上演前は 黒箱馬1つにパソコンが置かれている。シンプルな舞台装置だが、場景ごとに黒箱馬を持ち込み情景を描く。ただ三面舞台にする意味(効果)は何だったのか。押入れにあるTVモニターの映像、押入れ戸へ映写したタイトル、そして友人の位牌等は、両端の観客には見切れになったのではないか。自分は正面に座ったから観えたが、その視線には両端の観客が前屈み もしくは横へ身を乗り出すような姿勢が隣席人の迷惑に…。この劇場で 前に観た三面舞台は「ナイゲン(2022年版)」。

物語は、沖縄県今帰仁村から上京した劇作家 サトシが 今一度演劇を続けていく意味を想い返す といった回想であり成長譚。毎日ダラダラと過ごしているサトシ、郷里の友人から住むだけで60万円というバイトを紹介される。今では闇バイトを思い浮かべ 失笑が漏れるが、実は高齢者が孤独死した事故物件。そこに幼馴染で亡くなったアキラが現れて…。幼い時の思い出が次々とよみがえり、北山高校卒業時に将来の夢を語る というか宣言する場面が肝。アキラは有名女優に、そしてサトシは劇作家になる と。

アキラが 風呂や台所がない、狭い部屋の押入れから現れ サトシと語り出す。アキラは駐留米兵に強姦され暴行死しており、今いるのは幽霊(魂=マブイ)である。ちなみにアキラの衣裳は浮遊感ある白地、舞台美術と相まって鯨幕のような存在。そして説明にある これは夢か妄想か現実かといった混沌とした世界観へ誘われる。押入れがその世界への入口(隧道<トンネル>)である。アキラは米軍基地反対、基地での雇用問題や跡地の代替利用等を話し出すが、表層的で2人の会話も深耕しないのが惜しい。相反性が感じられる訳でもない。作・演出の平良太宣氏が沖縄県出身であれば、地元観点でもっと抉り出してほしいところ。勿論、大上段に構え「日米地位協定」を云々 などとは言わない。

アキラは夢を叶えることなく非業の死、しかし それに対する怒りや悲しみが伝わらない。実際あった事件だけに胸が締め付けられる。が、なんとなく淡々と描き、受け入れてしまっている。その意味では沖縄が真に置かれている状況、その問題や課題が表面的に扱われているようで物足りない。社会的なこと、それを身近な個々人の問題を絡ませることによって 深刻さや現実味がリアルに表現出来るのではないか。敢えて、あまり暗く重くしないといった演出であろうか。

公演では、沖縄民謡を楽器で奏で、歌い踊るといった郷土愛を感じさせる場面が多々ある。その日常の隣り合わせに危険が満ち満ちているといった恐怖と狂気を描くこと、それが「芝居の力で沖縄を変える」に繋がるのではないか。
次回公演も楽しみにしております。
イヨネスコ『授業』

イヨネスコ『授業』

楽園王

サブテレニアン(東京都)

2024/12/17 (火) ~ 2024/12/21 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

イヨネスコ「授業」は、楽園王を始め いくつかの劇団 公演で観ている。不条理をいかに不条理劇として観せるか、それをどう味わい深く伝えるかは、相当難しいのではないか。本公演も説明にあるように、構成を大きく分断し 戯曲の後半部分を先に、前半部分を後に上演して不条理劇の不条理を倍増させる工夫をしている。

自分では、難解?もしくは自由過ぎると敬遠しがちだった不条理劇の魅力を感じることが出来た。今作は、不突合・不調和といった状況下における可笑しみ、同時に恐怖を感じた。また後半部分を先に表現することによって、不条理の(本)質というよりは、ループすることで不条理の連鎖なり重層、その量を意識させられた。まさに この世は不条理で満ち満ちているといった印象である。

演出が好い。出演者の衣裳や行為(動き)、そして音楽の雰囲気が前半(最初の生徒)と後半(二番目の生徒)とでは違って、同じ不条理の光景(場景)でも その印象が異なる。この外観的な中に、不安・不穏もしくは苛立ち・怒り といった表現し難い感情が透けて見えてくる。勿論 生徒が鎖の付いた手錠をしていることは奇異であるが、教授と生徒という立場の違いを表しているのだろう。
(上演時間65分) 

ネタバレBOX

演劇を観る楽しみ 面白さは、表現し難いモヤモヤした気持を的確に表現してくれるところ。この得も言われぬ研ぎ澄まされた感覚が心に刻み込まれる。この公演もそんな1つ。

舞台美術は 真ん中に白線、その両側にテーブルと椅子2つ。ほぼ対称であるが、一方のテーブルの上にテキストとナイフが置かれているのが違うところ。物語は、教授が言語学の講義をしているが、女生徒は歯痛を訴えている。それでも教授は授業を続けるが…。後半は別女生徒が教授に教えを乞うており、算術から始まる。足し算は出来るが、引き算が出来ない。数字という概念の理解が疑わしい。存在しているものを合わすことは出来るが、存在そのものを無(引)くすという思考はない。そこで数の概念 つまり言語学から教えること、それが先の場面(前半と後半が逆)へ ループしていく。女生徒が2人登場するが、同一人物として解釈するのか など思考を巡らす楽しさ。

教授と女生徒の感情は離れ、教授の苛立ちは怒りへ 女生徒のそれは苦痛に変わる。人間の心ほど読み取れないものはなく、感情のもつれが悲劇を生む。解らないことを無理やり講義(聞か)される苦痛、それが歯痛になるのか。自分では形容し難い思い、それを巧く観せてくれる。

登場人物の衣裳…教授はワイシャツに黒ズボン、女生徒2人は上下 白、女中は黒服に白いエプロンで、薄暗い中でモノトーンが怪しく動く。動くと言えば、女中は直線的に歩くだけで応用が利かない、そんな不自由さを感じる。そこに常識に囚われた世界を連想する。音楽は最初の女生徒の時は、勇ましく煽るような、2人目は不安・不穏、そんな印象を受けた。この音(楽)にも拘りがあったのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
トリオ

トリオ

NonoNote.

シアター711(東京都)

2024/12/18 (水) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

小劇場で笑劇を至近距離で観て楽しむ、そしてラストは衝撃的な そんな洒落の効いた公演。劇中とは言え、1970年代の寂れた劇場の楽屋や音曲漫才の雰囲気が味わえる。3者三様の歌声が軽快なリズムに乗せてこだまする。何と無くではあるが、かしまし娘を連想してしまう。楽器を奏でながら面白可笑しい話、そして時事ネタを盛り込む といった話術が懐かしい。

物語は 説明にある通り、舞台では息の合った漫才を披露する3人だが、楽屋へ戻ると日々 大喧嘩。原因は「トリオ」というあだ名の副支配人・鳥居一男の奪い合い。そして遂には刃傷沙汰へ…。表情豊か 誇張した演技が見どころ。小笑・爆笑など笑いの渦だが、時にオルゴールから流れる ゴンドラの唄がしみじみと。ちなみに この歌、大正時代の歌謡曲で、芸術座公演『その前夜』の劇中歌として松井須磨子が歌ったのは有名。自分は、映画「生きる」で主人公を演じた志村喬が この歌を口ずさみながらブランコをこぐシーンを思い出す。

音曲漫才師の3人は、それぞれ苦労を重ねて生きてきた。そして やっと一緒になりたい男を見つけたが、それが何と皆同じという悲劇。ゴンドラの唄の歌詞は♫恋愛讃歌のような、たとえ気心知れた仲良しであっても恋の路は譲れない。そこに普遍的とも思える「愛情」と「生活」が滲み出ている。

今回の演出は 武藤晃子女史。10年ほど前 この演目(LEMON LIVE vol.10公演)に役者として出演しているが、今回は演出を担当している。そして当日パンフには、NonoNote.主宰の璃音さんを称え、そして激励するような言葉を綴る。ノンストップ女3人芝居、そこに日替わりゲストが加わり、実に味わい深く紡いでいく。観応え十分、ぜひ劇場で。
(上演時間1時間30分) 

ネタバレBOX

舞台はムーンライトセレナード新宿座の楽屋。前説はトリオ(ゲスト 植田健一サン)が店の法被を着て担当。舞台の近くに特別に作らせた楽屋。正面の壁には着物が掛けられ、中央の少し高くなった平台に炬燵。上手に楽器(ギターやアコーディオン)置き場、下手に黒電話。年代的に携帯電話がないため、この電話が重要な役割を果たす。

3人は、Toshimi Saionji(小玉久仁子サン)、Ritsuko Sasanishiki(鈴木球予サン)、Orie Bando(璃音サン)、罵声 喧嘩のような会話から それぞれの境遇が分かってくる。問題は、トリオを巡る恋沙汰と この特別な楽屋を明け渡さなければならない状況、これらは姿を現さない支配人の胸三寸。さて、この劇場に長く出ているSaionjiは、ピン芸人であった頃、舞台の都度 衣裳替えをしていたため、この楽屋を作らせた。Sasanishikiはストリッパー、Bandoは売れない歌手といったところ。

場末とは言わないが、この環境から抜け出して好きな人と小さな幸せを、そんな細(ささ)やかな願い。しかし、この面白可笑しい騒動には ある思惑が…。この公演、漫才的にはトリオを巡る騒動がフリ、どんでん返しがオチ、そして何事もなかった いや少し心境の変化がフォローのような、そんな滋味ある作品だ。

本公演の内容とは直接関係ないが、 武藤さんが演じた時と今回とでは、個人的に意味合いが違うような気がしている。この10年間でコロナ禍の以前と以後、いつまた どのような災いがあるか分からない。少し大袈裟かもしれないが、コロナ禍(まだ完全終息ではない)で演劇を観るのは命懸け。この至近距離で大口開けて笑える喜び、それを ひしと感じる。それが 今を必死に<生きる>に繋がるような。
次回公演も楽しみにしております。
ちち

ちち

座・だるま水鉄砲

小劇場 楽園(東京都)

2024/12/18 (水) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。この旗揚げ公演は観応え十分。
増澤ノゾム氏の脚本・演出による記憶・追想を辿るような物語…人が持っている表し難い感情を上手く表した人間劇であり家族劇。登場人物は男女4人、それぞれの性格を繊細に 立場を丁寧に描き、今ある状況を巧みに描き出す。人が抱えた問題は、その時の生活状況や社会情勢によって影響を受ける。そして思わぬ行動に出てしまうこともある。その心情が痛いほど伝わる。そして 紡ネン を介して蟠りが少しずつ溶けていくような。

役者陣の演技が圧巻。何処にでもいそうな人物をさり気なく演じる、その自然体の演技が物語へ巧く誘う。冒頭から一瞬のうちに引き込まれる。登場人物が4人しかいないことから、それぞれの関係性が鮮明に そして濃密に描かれる。これによって 1人ひとりの人間性が浮き彫りになってくる。
物語は、行方不明だった父親が見つかり 兄弟のところに引き取られたところから始まる。兄弟が覚えている父は暴力的な人だったが、目前にいる男は 記憶の中の父とは別人の 天使のよう。そして兄の恋人も巻き込んで という設定が妙。
(上演時間1時間35分) 

ネタバレBOX

舞台美術は入口の対角線上にソファとローテーブル、右手にパソコン。登場人物に「紡ネン」とあるのは、完全AIで活動を続けるAI VTuberで、主にYouTuber配信を中心に活動。そのアイテムが物語の肝。家族という他者との会話を優しく綴った”新”家族物語。

登場人物は 父 水戸雉太郎と息子2人(長男:一馬、次男:嗣春) 長男の恋人 雨宮かりん という4人、そして夫々の思いを交差させることで表現し難い親子の情を浮き彫りにしていく。今の状況や立場、性格を丁寧に説明することで、しっかり人物造形が立ち上がってくる。そして過去と現在、父不在の間の母の死など、登場しない人物の心情まで伝わるようだ。自宅だが落ち着かず所在がない雉太郎、その話し相手が紡ネン。仲が良いのか不器用なのか そんな兄弟間。そこに現代的なアイテムを登場させ、人間味という 家族関係とは違う味わいを出す奇知。

雉太郎は、バブル期の元銀行員で多忙を極めていたが、或る日仕事に虚しさを覚え 出奔し家庭を捨てた。幼い息子に暴力をふるい、物心ついていた一馬は父を恨んでいた。嗣春も同様だが 幼かったこともあり、父の記憶があまりない。今、父はホームレスになり過去の記憶を失いー認知症等とは違い 記憶の欠如といったところー昔の面影もなく穏やかな性格。一方 一馬は、組織という会社勤めに馴染めず、自宅でYouTuber配信するなど ある意味 自由人。嗣春は、生真面目で高校の社会科(倫理担当)教員、結婚し子供もいる。そして一馬の恋人 かりん は家族とは違う立場で物事、成り行きを見ている。4人の関係が微妙に接近したり すれ違うことで心が蠢く。俳優陣…剣持直明サン、堀之内良太サン、仲村大輔サン、稲村梓サンは、激しく動き続ける心情を巧みに演じ、生臭い人間模様を丁寧に描き出していた。

一馬は、雉太郎の存在が鬱陶しい。早く自宅を売却し 都心のマンションで かりんと一緒に暮らしたい。父の失踪の解除手続や自宅売買に係る契約等はすべて嗣春任せ。その嗣春は息子ー妻の連れ子ーが中学で苛めをしており家庭事情で悩みを抱えている。かりんはガールズバーで働き、それゆえ嗣春は快く思っていない。しかし何気に優しくされて…。昔の面影のない父、いつの間にか息子と立場が逆になったかのような。しかし息子は子供から大人へ成長したことで、新たな思いを刻むことになる。その心の機微を実に上手く紡いだ秀作。
次回公演も楽しみにしております。
BACK FIRE WARS

BACK FIRE WARS

KOTH

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2024/12/17 (火) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

当日パンフにKOTH主宰の柾木信広 氏が「STAR WARSオタクの友情」がテーマと記しているが、まさにその通り。世の悪戯・悪事 対 STAR WARSオタクを対峙させるが、大立ち回りのようなアクションがあるわけでもない。あくまで友情 その絆の物語である。

説明にあるジェダイナイトに憧れ、真摯にジェダイの掟を守る真田・清水・小島の仲良し三人組。レイヤ姫のような女性に出会ったことで、三人の絆に陰りが見え、仲違いをする話。掟をないがしろにし始めた2人と決別して新たな仲間 その怪しいサークルの話。それぞれの話が緊密に結びついて展開するわけではなく、ニュース等でよく話題になる典型的な悪を点描する。最終的に その矛先は政府に向かう。

劇的というよりは淡々と進み、大きな盛り上がりといった場面がなく印象が弱い。もう少し対決色を強める等、観せ場を作ってほしかった。全体的に平板で、タイトルにSTAR WARSが付いている割にはダイナミックさに欠ける。
「STAR WARSオタク」ではあるが、オタク=変人もしくは世間知らず といった偏見ではなく、仕事に就き 社会人としての常識は持ち合わせている。それゆえ突拍子もない物語ではなく、むしろ日常に見られる光景が描かれている。
なお「STAR WARS愛」が伝わるような情報、その蘊蓄が随所で語られるが 分からなくとも それなりに楽しめる。そして某社への批判的なことにも踏み込んでいるが…。
(上演時間1時間30分)【Bチーム】 12.20追記

ネタバレBOX

前面が幕になったフィッティングルームのようなものの連なりをコの字に並べ、場面に応じて幕を上げ 中から小物を取り出し場景を作る。基本的には素舞台に近い。上演前からスター・ウォーズのテーマ曲が流れている。

物語は、STAR WARSオタクの3人が、あるイベント後に歓談しているところから始まる。「スター・ウォーズ」…自分は映画だけしか知らなかったが、映画を始め、アニメーション、小説、コミック、ゲームなど複数の媒体で展開しているらしい。それらを嬉々と話している3人のところへ、見知らぬ少女が近づき 怪しい男に付けられているので助けてほしいと。

始めは皆で会っていたが、いつしか1対1という個別で会う。そしてバレンタインチョコの返礼に高級なバッグをねだりだす。STAR WARSイベントは3人で行く掟だったが彼女も連れて行くことで仲間割れ。インターネット上の交流サイトではないが、ロマンス詐欺を連想させる展開へ。

一方 仲間割れした男は、別のSTAR WARSファンと関わる。その団体は、困っている人のために募金活動をしたり、サプリメントも販売している。STAR WARSファンを公言している割には 詳しくない。怪しい行動は、マルチ商法そのもの。

悪戯・悪事に深く加担することなく、何となくオタク3人組に戻る。 映画「スター・ウォーズ」シリーズは非時系列的に製作されており、この公演の<悪>も特に関連付けていない。世にある悪とオタクを対峙させた構図であるが、そこから先の劇的な面白みが描けていないようで残念。
次回公演も楽しみにしております。
昭和歌謡コメディVol.20

昭和歌謡コメディVol.20

昭和歌謡コメディ事務局

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2024/12/17 (火) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「江藤博利プロデュース『昭和歌謡コメディVol.20』笑い続けて丸10年!遂に最終回」…観てきた。いつも通り 1部は芝居、2部は歌謡ショーという二部構成で、最終回だからと言って気負うところはない。観(魅)せて笑わせる いつものスタイルにホッとする。

これも いつもの光景であるが、コアなファンが熱心に応援している。お揃いの法被もしくはTシャツを着込んで 声援を送り、紙テープを投げ サイリウムライトスティックを振る。自分も2014年3月の旗揚げ公演から断続的(今回含め12公演)に観ており、ずいぶんと楽しませてもらい 癒されたものである。理屈ではなく 如何に楽しむか、そして演者と観客が一体となって会場を盛り上げる。そんな公演が見納めになるとは残念だ。
感謝を込めて★5つ。

(上演時間2時間20分 途中休憩15分含む) 

ネタバレBOX

1部(芝居)の舞台美術は、上手/下手に白壁を思わせる衝立、舞台が 築地の老舗すし店「ひろ寿司」という設定であるから、カウンターとテーブル席、そして新聞があるだけのシンプルなもの。

今回はレギュラーキャストの山下若菜さんが脚本を担当。物語は、ひろ寿司二代目のヒロトシ(江藤博利サン)と妹まるみ(白石まるみサン)の兄妹喧嘩から始まる。ヒロトシと妻ゆみこ(田中由美子サン)は結婚35年、それを祝って何かサプライズがあるのか。ヒロトシは、ゆみこを始め 娘みゆ(小松みゆサン) や まるみといった家族、そして近所の人たちからも煩がられている。そんな彼をさり気なくサポートしてきたのが妻である。その彼女を蔑ろにするヒロトシを まるみは許せない。そこで一計を案じ、ゆみこが急逝したと。そして巻き起こる騒動を笑いと滋味をもって描く。勿論 奇想天外ながら大団円である。ラストの歌「蒲田行進曲」が実に印象的だ。

2部の昭和歌謡ショーは、入り口で配布された多色彩のサイリウムライトスティックが美しく輝き出演者を応援する。また紙テープが乱舞するように空を飛ぶ。昭和歌謡を始め、アイドル歌謡、アニソン、演歌など多彩な曲目。コントやパロディ、客弄りをしながらのモノマネ、バルーンアート等で笑わせる。隣席の人は口遊むように一緒に歌っていた。本当に残念だ!
荒野に咲け

荒野に咲け

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/12/15 (日) ~ 2024/12/24 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い。
或る事件や伝承的な出来事といった題材ではなく、身近な家族・親戚 いや人間の心に蠢く羨望や嫉妬といった思いを描く。それを家族崩壊と街の衰退を重ねるように紡いだ群像劇。本作は劇団創立25周年記念ということもあり、あえて劇団員のみの公演にしたと。

この劇団の特長である仕掛けのある舞台装置、本作でも その迫力と印象付けといった効果は十分に発揮している。それが 新作公演とはなっているが、過去公演からの繋がりのようで 地続きの光景を思わせる。物語の中心人物 篠塚香苗役を大手忍さんが演じているから、なおさら その思いを強くした。話としては、ありふれた と言っては語弊があるかもしれないが、桟敷童子公演としては実にリアルだ。当日パンフに「オリジナルの物語であるが、モデルはある」と。ただ、話の肝になるであろう父親の行為、その動機なり理由の描き方が足りないような気がする。

ちなみに 少しネタバレするが、タイトル「荒野に咲け」の「荒野」とは「この世」の意、まさに地に足をつけたような公演。社会(派)的なダイナミックさはないが、人それぞれの感情が弾け飛ぶ。観応え十分。
(上演時間1時間55分 休憩なし) 12.20追記

ネタバレBOX

舞台美術は、両側に階段を設え 奥で渡り廊下の様に繋ぐ。その中間に 大きなヒマワリのモノクロ絵が天井から吊るされている。シンプルなシンメトリー。

舞台は 九州 玄界灘近くの田舎町。かつては炭鉱で栄えた町であったが、今は人口が減少し鉄道は廃線、駅舎は郷土資料館になるなど すっかり衰退している。そこに機関車IKIRUが展示されている。往時を偲ばせる巨大な煙突が数本残っているだけ。この舞台、炭鉱三部作を連想し 地続きの今を描いているよう。巨大な煙突は炭鉱町のシンボル、そしてヒマワリ畑(色彩の違い、原色・モノクロ)や機関車(大きさの大・小)といった 往時と現在を比べた象徴的なもの。

物語は、3姉妹が嫁いだ先の家族のそれぞれの様子、暮らしぶりを点描していく。長女 澄江は町で食堂(今は弁当屋)を営む古橋家へ嫁ぐ。町の衰退とともに経営は縮小したが子供たちを大学へ進学 卒業させた。また数人の従業員も雇ってそれなりの暮らしぶり。次女 孝子は、篠塚家へ嫁ぎ 貧しいながらも一家で登山やキャンプに行ったり平穏な暮らしぶり。息子が学校で苛められていたこともあり、無理やり進学校へ行かせようと。三女 勝代は離婚し、今(稲森姓)の夫と再婚したが、夫は働かず勝代がパートを掛け持ちして生計を支えている。夫の先妻の娘とは折り合いが悪い。3者三様の暮らしの断片を切り取り<家族とは?>を考えさせるよう。冒頭、孝子の娘 香苗が詐欺に騙され多額の借金を背負う。一家で夜逃げ同然のように町を出るが…。

時は流れ、香苗の父は自殺(気が弱かった?)をし、母は壊れ荒れた生活をしていた。篠塚家はバラバラになり音信不通状態が何年も続いていた。3姉妹が嫁ぎ先で築いた生活、その家族の幸福度の比較や確執などが切ない。家族という他者との関りが 蟠りをもって描かれている。浮浪者同然で探し出された香苗は、古橋食堂で働き始め 自身のトラウマを克服しようとする。しかし複雑化されたトラウマ、町の閉塞感など、この環境に馴染めず また町を出て行こうとするが…。

ラスト、産業廃棄と書かれた機関車IKIRUが、炭鉱最盛期に活躍した機関車DOROBANA51号に立ち向かうような。そこに「荒野」という「世の中」で生きていこうとする逞しさを感じる。自分が観てきた公演すべてについて、どんなことがあっても「生きる」といった根本が描かれており、それは劇団の一貫した思いのようだ。
次回公演も楽しみにしております。
S(さりげなく)F(fiction)~知る由もない彼らの人生~

S(さりげなく)F(fiction)~知る由もない彼らの人生~

藤一色

中野スタジオあくとれ(東京都)

2024/12/14 (土) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「藤衛門」観劇。
時間軸の長い、というか悠久の時の中に無常と悲哀を紡いだ一人芝居。チラシにもある通り、藤衛門は江戸時代の からくり、機械人形である。性別があるわけではないが、「彼」と書かれている。そして彼を蔵で見つけたのが小学4年生だった少女 タビノちゃん。

物語はタビノちゃんやその友達と過ごした変哲もない日々、それを藤衛門が回想する形で展開していく。機械人形でありながら感情を持ち合わせたような、現代でも開発できていない高度なロボットである。藤一色が掲げる「遠くないファンタジー」、そこで描かれているのは「ささやかで切実な異聞奇譚」…珠玉作。

一人芝居であることから必然的に一人称で語る。ロボットであるから壊れなければ、ずっと一緒、しかし命ある人間は いずれ死ぬ。チラシには「いつか時が流れて必ず辿り着く、少しだけ不思議な、普通だった頃のお話」とある。ラストに流れる音楽「美貌の青空」(作曲:坂本龍一)が少し切ないような余韻を残す。
(上演時間50分) 

ネタバレBOX

舞台美術は大小形の違う椅子が積み重なっている。下手奥にあるドアから懐中電灯を照らしながら防護服・ガスマスクをした男が入ってくる。防護服を脱ぐと上は着物、下はズボンというアンバランス。全体的に薄暗い中、ランタンの明かりが柔らかく灯る。先の椅子が登場人物の代わり、それらに語り掛け 頷くことで会話を成す。

この場所が どこか明らかにされない。そしてタビノちゃんに見つけられたこと、その友達を紹介され 小学4年生の時の出来事、それから5年生・6年生・中学生・高校生そして大人といった、それぞれの時代にあったエピソードを語る。今となっては、その時々の思い出は楽しく懐かしいもの。タビノちゃんは小学校時代の友達と結婚し歳を重ね…。いつしか誰もいなくなり、藤衛門だけが取り残される。勿論 記憶も失わない。この独特とも言える世界観が好い。

小説か映画だったか忘れたが、親を喪うことは過去を、配偶者を喪うことは現在を、そして子を喪うことは未来が無くなると。親族をはじめ親しき者を喪うことの喪失感、しかしロボットはいつも見送る側で、無常を感じ続けるという定め。これを無理やり自分の物語として受け入れて納得させる悲哀。

舞台技術は、何かを打ち固める または破砕音のような不安・不穏を煽るような音が 終盤ずっと鳴り響く。一方 ピアノの音色が包み込むように奏でられる。ラストは、冒頭のようにマスクをして入ってきたドアから出ていく。衣裳の上下、着物とズボンには物語(=歴史)があるようだ。そこに時の流れ、悠久を感じるのだ。
次回公演も楽しみにしております。
明日、宇宙人になります

明日、宇宙人になります

劇団銅鑼

銅鑼アトリエ(東京都)

2024/12/14 (土) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

昨年の試演会「ガラスの動物園」が良かったので、今年も観にいったが とても面白かった。説明の「人間が地球外生物になる?世界中が大騒ぎ・・明日、宇宙人になるかもしれないこの時に…」からSFを連想したが、もっと最近の出来事を描いているように思えた。未知ゆえに その対処法が分からず右往左往、そして混乱・迷走した施策を思い出す。

とても劇団員補とは思えない演技、当日パンフを見ると他の劇団研究所出身者が多く、その実力は肯ける。登場人物は5人、それぞれのキャラや立場などをハッキリ立ち上げ、多様な人間性を描き出す。明日、宇宙人になるかもしれない不安・恐怖といった状況の中で、思い残したこと 気掛かりなことを味わい深く紡ぐ。究極的なことを言えば余命宣告されたような、しかし物語はそこまで追い込まず余韻を残している。試演会ということもあろう、最小限の舞台セットと照明・音楽で効果を出していた。

宇宙人になります…大きな観点で見れば地球人も宇宙人。しかし、敢えて その違いの中に排他的もしくは差別的な意味合いが込められているよう。勿論「世界中から原因不明の痒みが報告されている。検査をしたところ、体内から検出されたのは地球に存在しないDNA」という件に関連してくる。私ごとで恐縮だが、この検査とその後に係る業務に就いていたことがあり、とても考えさせられた。
(上演時間1時間 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台セットは、ビニールのようなカーテン幕で囲い、上手に折り畳みのテーブル1つ、ベンチ2つと いくつかの椅子。検査結果を待つ待機所といった所。地球に存在しないDNA、人間感染しないと言いつつ、ウイルス感染防止を思わせるような作り。

地球に存在しないDNAの症状、体のどこかが痒くなり我慢できなくなる。一時的に痒みを抑える薬を服用することで症状を抑えている。その小康状態を保っている時の一夜の物語。そんな中、名を伏せて手紙を出そうとしている男がいる。しかし封筒に手紙は入れず、差出人名も書かない、しかも書留郵便。そこに どんな理由や意味があるのかが謎として、物語の成り行きに並走する。

手紙を出し続けている男(親子)、会社のプロジェクトの成否が気になる男(社会人)、世界中を放浪している男(自由人)、宇宙人になった息子に会いたい女(母親)、そして待機所に詰めている男(組織人)…この典型的な5人が思い残したことなどを語り、どうなったか想像(orシミュレーション)する。特に手紙を出しているのは、仲の悪い父へ。書留郵便ならば必ず配達局員が受領印(サイン)を確認する。孤独死しても放置されることはない。一人ひとりが想像の話を繋げ紡いでいく。その時にスポットライト、そして優しいピアノの音が流れる。

自分は、新型コロナウイルス感染症に係る出来事を連想した。陽・陰性の判定、その結果による隔離・入院までの過程のよう。連日、感染者数や死亡者数が報道され、有名人が亡くなると衝撃的な そんな状態が続いた。そして感染=秘密にしなければといった風潮があった。宇宙人になることが幸なのか不幸なのか。宇宙人が多数を占めれば良いのに という台詞が印象的だ。
次回試演公演も楽しみにしております。
その男ホーネット加藤

その男ホーネット加藤

映像劇団テンアンツ

「劇」小劇場(東京都)

2024/12/11 (水) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

㊗上西雄大さん 60周年記念公演…面白い。
タイトル「ホーネット加藤」、その面白可笑しい前説で盛り上げ そのまま本編に入るが、そこでの生業も前説という設定である。公演の魅力は、父親の娘を思う気持ちと胡散臭い男を見るような娘、その心情的な距離がどう縮まっていくのか。そんな物語をテンポよく展開し、時にボケとツッコミの漫才のような場面を挿入し楽しませる。テンアンツらしい笑いと泣き、その感情の揺さぶりが凄い。

手際のよい舞台転換によって、瞬時にその状況や情景へ誘われる。少しネタバルするが自転車を使った場面などは映画のワンシーンを見ているような感覚。またスナックでのカラオケ場面を始め、所々で歌を歌い和ませる。「劇」小劇場という空間、そこに1970年代のカンフー映画へのオマージュというかパロディのような世界観を持ち込んだエンターテインメント。ホーネット加藤の顔つきやアクション、そして衣裳がその映画を連想させる。上演時間は2時間を超えるが、アッという間の感覚だ。勿論「vol.1 燃えよ前説ドラゴン」も観たくなる。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)【ドラゴン孤独の鉄拳】

星降る教室

星降る教室

青☆組

アトリエ春風舎(東京都)

2024/12/07 (土) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。深みある味わい。
大自然、そしてノスタルジックで夢幻のような雰囲気が漂う中、或る女性教師の回想を通して紡がれる心温まる物語。青☆組公演の魅力は、物語に新たな息吹を吹き込んだような世界観(今回は宮沢賢治の世界観に呼応)を舞台美術や技術で表出し、観客の心を揺さぶるところ。発語を意識 そして大事にしたといった印象だ。

今回は劇団初のクリスマス公演らしく、シンプルだが美しく、優しく、そして温かい雰囲気をしっかり演出していた。キャストはスカートやベストなど、どこかに格子柄がある衣裳で揃える といった拘りもみえる。
(上演時間1時間)

ネタバレBOX

舞台美術は正面奥の幕に電飾、その下にミニツリーや蝋燭が置かれている。色彩は、全て暖色の単彩だから温かく優しく感じる。中央には いくつかの丸椅子が置かれ場面に応じて動かす。上手にはト書きと演奏を担当する吉田小夏さんが座る。
ちなみに、役者は動き回り 時に椅子に上がるなど情況を表現(演技や歌唱)する。

本作は、吉田小夏さん が2016年にラジオドラマ作品のために書き下ろした物語、それを青色文庫の様式にして舞台化(朗読劇)したものらしい。

教師の森山雪子(32歳)は、20年前に卒業した雫の森小学校の恩師から1枚のはがきを受け取った。それは卒業生代表として卒業式での祝辞を依頼するもの。しかし転校を繰り返していた雪子にとって、6年生の1年間しかいなかった雫の森小学校での思い出は断片的でしかない。雪子は、人間の言葉を話すウサギに導かれて だんだんと奇妙な世界へ誘われていく。雪子の記憶の底に沈んでいた、卒業式当日の出来事が…。

園田喬し氏とのアフタートークで、オノマトペの駆使、マイクを使用しないこと、またテキストは完全に覚えるのではなく、例えば音楽で譜面を見ながら演奏するような感覚で朗読、といった興味深い話をしていた。そんな情感を大切にした朗読劇。

宮沢賢治の童話らしいアニミスティックな世界観、そこに30歳代になった女教師のリアルな心情を持ち込んだようだ。転校を繰り返し 故郷らしき所がない。雫の森小学校は既に無いが桜の木が…確かに自分がいた場所がある。自然云々といった世界観と雪子の今の状況(暮らし)を照らし合わせ、忘れてしまった記憶の中に大切なものがあったことを気づかせる。そこに、このドラマの新たな息吹を感じる。
次回公演も楽しみにしております。

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