実演鑑賞
満足度★★★
タイトルの「擬娩」という言葉は勿論、その意味さえ知らなかった。説明にある内容をどのように描き出すのかという興味、そして「2019年の初演、2021年のKYOTO EXPERIMENTにおける再創作を経て、和田ながら/したための代表作が待望の東京再演」という誘い文句に期待して観たが…。自分のイメージとかけ離れた物語、というか会話とパフォーマンスを組み合わせた独自の世界観を築いていた。
説明では「妻の出産前後にその夫が妊娠にまつわる行為を模倣し、時には出産の痛みさえ感じているかのようにふるまうという習俗」とあり、続けて「あまりに奇妙で、あまりに演劇的な習俗に倣って、妊娠・出産を経験していない俳優たちが、想像力をよすがに、妊娠・出産を愚直にシミュレートする」という謳い文句である。
登場するのは4人。自己紹介ー生い立ち 日頃の思いを独白するが、その観せ方は輪唱のよう。妊娠経過を順々と描き、いよいよ生まれてくる子(胎児)との仮想対話へ。しかしこの場面は、シャレなのか笑いを誘っているのか、はっきり言って面白くない。これは個人〈自分〉的な感想であるが、別の観点として「初演の劇評」として「高嶋慈 氏(美術・舞台芸術批評)」や「渡辺健一郎 氏(俳優、批評家)」の高評文<抜粋>を紹介している。その意味で見巧者向けの公演であろうか、とも思う。
経産婦でなければ分からないような感覚劇。それを疑似体験させるのであれば、もう少し出産に対し真摯でなければ と思う。また同じ経産婦にしても、出産という行為は一括りではなく、いつも違うはずである。そこに生まれてくる子の個性やドラマがある。妊娠期間から出産まで、妻に寄り添い『擬娩』することで、少しでもその大変さを共有する。そこに「擬娩」という習俗の意味があるのではないか。もっとも あくまで疑似体験だけに真に大変な思いを知る訳ではないが…。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)