ザ・ボイスアクター アニメーション&オンライン (再演)
劇団6番シード
新宿村LIVE(東京都)
2015/04/15 (水) ~ 2015/04/21 (火)公演終了
満足度★★★★★
6Cさん熱すぎ!声優業界も熱すぎ!
オンラインゲーム編観劇。
フライヤーが闘志むき出しな女性と男性が睨み合うという
「いったいどんなお芝居なんだろう?」と
思わせるものでしたが、
あれはゲームアフレコの現場での
ベテラン声優(女性)とゲーム業界人(男性)との
声優陣 VS ゲーム業界陣
の戦いの構図を表してたんですね。
(ネタバレしない範囲で)
長年アニメ声優をやってきた大御所ベテラン声優が、
アニメのゲーム化により初のゲームアフレコに挑戦する、
年齢その他によりネットやゲーム業界には詳しくない為
最初色々な事にとまどう場面から始まり、
そこにゲーム会社の勝手な都合が入りまくって
アフレコ現場はとんでもなく混沌とした場面になってしまう。
ゲーム会社の仕様変更の繰り返しに翻弄されつつも、
ベテランから若手まで声優陣が協力してのアフレコ作業、
ベテラン声優のプライドの戦い、
その付き人の想い、
そして・・・
という流れに、混沌としたアフレコ生現場とそこで
実際声優としてキャラの色々な声を当てていくその姿には笑いつつ
物語の展開に時に涙し、息を呑み、
舞台上のそれぞれの人物の「本気」の気持ちに引きこまれてしまう、
まさに「熱さ」のある名作だと思いました。
※ 6番シードさん、以前の作品「メイツ」が公演後あまりに評判が高いので
ぜひ観劇に行きたいなあ、とは思ってたのですが、
これほど熱い役者陣揃いだったとは・・・
舞台開演前にも観客を楽しませる色々な仕掛けをしていたりと
ホスピタリティにもあふれていて非常に良い劇団・座組ですね。
※ 4/18(土)がオンラインゲーム編、アニメ編の順で
マチネ、ソワレ公演だったので
────────────────
オンラインゲーム編→アニメ編
────────────────
の順に観るのが正しいのかな?
と思いましたが、もしかしたら
アニメ編で先にベテラン声優その他のキャラを
知っておいた方が楽しいのかな?
(ソワレでのアニメ編観劇が今から楽しみでなりません( ´ー`))
ネタバレBOX
【思った事】
・ とにかく「熱い」
座組が熱いし、ゲーム会社の度重なる仕様変更に
どんどん混乱していくアフレコ現場の中で、
それでも一致団結してアフレコをこなしていく声優陣がこれまた「熱い」。
※ 実際の声優さんは台本を見ながらアフレコしますが、
本劇はお芝居なのでもちろん(台本らしきものは持ちながらも)
台詞は全て役者陣の頭の中。
筋的につながりのない台詞の数々をポンポンポンポンと切らす事なく
声音(こわね)もどんどん切り替えて
よく演じ続けられるなあ、
と感心してしまいました。
・ モーションキャプチャ役が「笑い」だけでなく
本劇の「真剣さ」をも感じさせたかと。
スケジュール上時間がないからアフレコも全声優集めて一気録り、
そしてゲームでのモーションキャプチャも同時進行でとる、
というゲーム会社の無茶ぶりに、
無言でベテラン声優のアフレコに合わせ動きまくる
モーションキャプチャ役(SUMIOさん)、
もちろん舞台の上での笑いのポイントでもありつつ、
しかしそれをひたすら真面目に演じる役者がいるからこそ
声優業界/ゲーム業界のアフレコという現場としての「真実味」、
「本気の舞台の面白さ」のようなものが生まれていたかと思います。
・ (先にも書きましたが)
波乱のアフレコ風景およびモーションキャプチャなど、
「笑い」を取りながらも「真剣さ」や「真実味」を感じさせるものがあったかと。
・ 子供の誕生日という事もあり、
「声優業界のてっぺん(24時)までには収録を終わらせる」と
宣言して作業に入ったベテラン声優、
しかしゲーム会社の次から次への仕様変更に
必要ボイス数が掛け算で増えていきとうとう18万ボイス、
もう実際に人間(声優)が声を当てていたのではとても間に合わない、
とゲーム会社側はMARIAシステム(初音ミクやときメモみたいに
収録した50音を元に音声を自動生成するシステム)の適用に走る。
のどのトラブルもあり一度はMARIAシステムの導入(事実上の降板)も
やむなし、と折れかけるベテラン声優ですが、
実際にMARIAシステムで再現された台詞を聴いて
その「心の無さ」に折れかけた声優としてのプライドが蘇る。
「今日のアフレコで自分の演技に泣いてくれた人がいる、
MARIAシステムの作る声にはそれがない、
だから自分の代わりはまかせられない」と。
そして最終的に「声優(という人間)」と
「MARIAシステム(という声優業界/ゲーム業界の未来の姿)」
の合作となる解決策に辿り着き、
「ゲーム業界のてっぺん(翌朝6:00)までには終わらせる」と
再び闘志を燃やし声優陣/ゲーム業界陣全員が一致団結していく姿には、
心をがっちり掴まれました。
・ ベテラン声優がゲーム会社の無理難題をなんとかこなそうとする中、
いち早く変調に気づいてベテラン声優の為に
色々と行動してしまうが、それがベテラン声優自身の
プライドを傷つけ、喧嘩別れになってしまう付き人。
付き人の人の涙ながらの語り、そしてベテラン声優の助けに
なりたいとアフレコを真似ようとする姿は
本当に泣けました。
涙腺うるうるになりました。
本劇はそういう意味でドタバタコメディ的な
「笑い」が中心でありながら、「泣き」に「熱さ」に
「真剣さ」など、観劇側の感情を引き込んだ上で
色々な方向へ向けてくれる、
まさに観客の心をがっちり掴んだお芝居だったと思います。
・ 舞台開演前のPVや諸注意なども観客を楽しませる1要素として
使ったのがとても良かったと思います。
あれほど凝ったPV作れるなら短編映画などにチャレンジしても
面白いんじゃなかな、と思いますね。
色々思った事書いてたら長くなってしまいました。
長文失礼しますm(_ _)m
PS.書いたかどうか
一番最初に思ったのは「今年一番熱い舞台」
PS2.声優陣 VS ゲーム業界陣
完全な間違いでした。。。
ベテラン声優 VS ベテラン俳優初声優
の対比フライヤーでしたね。
パパ、アイ・ラブ・ユー!
ラフィングライブ
博品館劇場(東京都)
2015/04/15 (水) ~ 2015/04/20 (月)公演終了
満足度★★★★
「笑って笑って」2時間、素敵かも
大声優として有名な出演者多数のこの舞台、
自分は山寺さん大塚さん甲斐田さんの3人の名前だけで
「観る!」と決めてしまいました。
その為、実際舞台の幕が上がり、板付き(?開幕時舞台にいる人)を観るまで、
この劇が普通の「お芝居」なのか「朗読劇」なのかすら
分かっていませんでした。
でも、とてもとても楽しい時間、
1から10まで全部笑いの演出で決めたこの舞台、
会場中と自分とで、本当に笑い尽くさせてもらいました。
本劇の原作は海外(アメリカ?)なんですね、
洋風吉本新喜劇とでも言うのか、
(自分はちょっとあまりにコテコテなのは苦手なので)
東京ナイズされた吉本新喜劇とでも言うのでしょうか、
何よりも「声」が素敵なナイスガイ、
ナイスミス/ミセス達の楽しい楽しいかけあい「笑劇」の
2時間を過ごさせていただきました。
※ 笑うってストレス解消にいいですね( ´ー`)
ネタバレBOX
【思った事】
・ メンバーから「お芝居」「朗読劇」どちらか把握できませんでした。
終幕後最後に「お芝居」自体初演なのは
「60から声優を志し、60いくつかにして初舞台を踏む」という
おばあさん1人だけだった、という説明を受けて、
皆それなりに「お芝居(演劇)」自体の経験もあったのか、と思いましたが、
序盤山寺さんと関さん(自劇団を持つほどのお芝居経験多数)、
その他の面々のやりとりで山寺さんの表情に固さを感じ、
やはり「山寺さん(+主な声優陣)は朗読劇の人、お芝居はちょっと難しかったのでは?」
などと勘ぐりましたが、
本劇はハイテンションコメディ(アメリカンコメディ?)、
ハイテンションなトークとジョークと色々なネタを織り交ぜていく中で、
山寺さん得意のモノマネその他を織り交ぜてのアドリブ(的)テクニックもガンガン飛び出し、
熱にのってきたのか、山寺さんの緊張もほぐれ、
他の演者とのキャッチボールも見事に息があってきて、
※ 途中他の演者さんの台詞飛びなど、
観ているこちらが「ドキッ」とさせられる場面はありましたが
本当に笑いの絶えないお芝居が続きました。
※ 隣の席の方が「大爆笑、というのとは違う、だけど笑いは止まらない。」と言っていましたが
その通りで、一発大きい笑いの山がある、というよりも、
アメリカンジョークその他(言い方はアレですがちょっと大雑把な笑いの取り方で)
ドンドンドンドン笑いのネタが投げ込まれて、
その明るいテンションを保ちつつ物語が進行していくという感じでしょうか。
・ 暗転した際、「まだ1時間程度だけど確かにこの勢いの舞台ならば
ここで幕が降りてもいいのかな?」と思いましたが前半途中休憩でした。
※ その後も同様のハイテンションのお芝居が続いた事で、
逆にグダグダ感(同じレベルの笑いを狙い過ぎる)のようなものを感じてしまい、
それだったら真ん中の暗転で終了しても良かったのかな?
と感じました。
・ 後半の水かけネタなど、ちょっと「しつこさ」を感じつつも、
最後まで観劇していて、大阪吉本新喜劇ほどコテコテしていない、
東京モノ向けのライトなコテコテさを持ったお笑い演劇
(吉本新喜劇と比較するなら演劇の枠の外なのかも知れませんが)
「ラフィングライブ」まさに「笑いのライブ」「生の笑い」「笑劇」
最後まで笑いの絶えない2時間を過ごす事が出来ました。
※ パンフレットに記載されているのですが、
原作者自身「喜劇」ではなく「笑劇」として
本劇を位置づけている、との事です。
・ 最後、主人公が「本当の父親は僕なんだ」とネタバレした場面、
青年との絡みで涙に持っていくかと思ったのですが、
※ 正直青年(小野賢章君)が偽の父親に向かって
「僕の父親はこんなに素晴らしい人なんだ」という事を
熱を持って語る場面ではちょっと涙腺がゆるみました
しかしそこで「泣き」に落とさないのがアメリカ(?)流なのでしょうか?
日本のお芝居なら「笑い」を十分取ったなら、最後「泣き」で落として終わり、
と思ってしまいますが、
その後にも
・ 偽の父との密約(金その他)
・ 妻の主人公に対するブラックなジョークでの終わらせ方
に
「アメリカ(?)流」を感じました。
? 慣れてくるとこの面白さが分かって来るのかな?
あそこはアレンジして泣かせてくれても良かったかな、と思いました。
忍ブ阿呆ニ死ヌ阿呆
企画演劇集団ボクラ団義
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/03/11 (水) ~ 2015/03/22 (日)公演終了
満足度★★★
ヤングチームステージ観賞
※ 本ステージとはキャストの半数近くが違う為、
別のものとして考えた方がよいのかとも思ったのですが、
一応同一の興行内という事で
採点はこの舞台枠に入れさせていただきます。
ボクラ団義オーディション最終選考(まで残った)メンバーと
ボクラ団義主催久保田さん、役者竹石さんが
(かつて通って?)今は講師を務める学校の卒業間近メンバー(?)を
中心に構成したというヤングチームステージ。
脚本/演出から照明/音響からは本ステージと変わらない為、
「良い出来」と言えますが、
もちろん大切なのは本ステージとWキャストとして
交代した(主に)若手メンバー達のその「お芝居」。
途中休憩時点でだいたいの所、
自分の感想は決まってしまいました。
良い所もあり悪い所も(もちろん)あり。
あくまでも「学生演劇」というレベルから、
舞台興行数年目の劇団と比べても
遜色のないレベルといえるメンバーもいたのかな?
という感じでした。
今後、オーディション組、学生組、とも
どれだけのメンバーが
実際「演劇」の中に身をおいて頑張っていくのか、
がすごく気になりました。
(大ブレイクしなければ儲かるジャンルではありませんが、
好きで始めた事なら、ぜひ頑張って欲しいと思います。)
ネタバレBOX
【思った事】
・ 台詞を覚え、発するのに精一杯で
・ 発声が出来ていない。
普段友人と話すような声で、かつぜつも悪く=観客席からすると
聞こえの悪い声で「台詞を発する」でなく
ただ「喋って」しまっている。
・ 更に悪いのは声が小さい。
気合を入れろという訳ではありませんが、
舞台なのでせめてマイクが拾えるレベルの声は出してもらわないと・・・
・ 息継ぎが上手く出来ていないのか台詞が尻切れになってしまう人も。
(声がだんだんかすれていく。)
など、「緊張」その他もあったのでしょうが、
序盤は特に台詞を「なんとか」「読んでいる」という
感じのメンバーが多かったです。
※ ただし、多分学生メンバーだと思うのですが、
妙に風格のある人(女子)もいました。
「役者然(ぜん)」としている、とでも言うのでしょうか
台詞もしっかり発していて、視線その他も泳がない。
(特に序盤、お金を取っての本舞台かつ満席という事で
「観客側に目を向けてちゃんとお芝居できるのかな?」
という点を心配していましたが、
その点は全員頑張っていた(というかそういう練習をちゃんとしていた?)、
と思います。)
・ ベテランメンバーで構成された本ステージの方を先に観ているから、
というのもありますが、
個々人の「個性」をほとんど感じられませんでした。
演出により変わっていくものとは思いますが、
「この役者さんってどういう人?」という所から、
「この役ってどういう性格?」という所まで
まだ、自分の声や自分のキャラをちゃんと持っていないのかなあ、と。
※ その点は秀吉をやられていた方などすごく頑張ってましたね。
大神さんの秀吉とはまた違う笑いの取り方など全力で頑張っていました。
※ 満席はともかく、観客席から「爆笑」が連続したのには違和感を感じました。
本ステージを観ていない、この回だけ観た人だとしても
「今の笑いの取り方はそれほどうまいタイミングで、
面白いと思える出し方だっただろうか?」と
(??)になってしまいました。
ヤングチームステージは学校から親類から関係者が多かったのでしょうか?
いつものボクラ団義でいう「巧みな笑い取り」とは違う感じがして
そこはちょっと馴染めませんでした
(逆に「今の所笑えた?」と悩んでしまう感じ)。
・ 大音さんを茶々に使ったりと、主催側のイメージとしては
「若者達の為のチャンス」と同時に
本ステージを観ている人達にとっては
「ネタ回」という感じだったのでしょうか?
自分は「本ステージ勢」がモブ役でネタとして入ってくるよりも、
ヤング中心でも「本ステージ同様」の真剣さがもっと欲しかったかな、
と思いました。
・ ベテラン勢の中でも、ヤングチームのみ参加される何人かについては、
実際舞台上で演じる機会が少なすぎたのか、
ちょっと固さその他も見受けられました。
(本ステージメンバーが何日も舞台を重ねていく中で台詞回しその他が
良くなっていくのと同様、もうちょっと機会があればなあ、と)
・ 後半、クライマックスに向かうに従って、
プロの役者と同様、「熱」を帯びてきたのか
「発声の問題」その他もなくなって
いい締めまで持ってこれたと思います。
これが「最初から出来る」ようになれば、
「プロの役者」と言えるのかな?と。
・ いつも学校で教わっている先生達と、
そして「プロ」としてこれで食べている役者さん達と
同じ舞台に立つ、という事が(特に学生さん達には)
どれだけ「プレッシャー」「緊張感」のある事なのかは
想像もつきませんが、
いい経験をしたんだろうな、とは思えます。
ヤングチームステージに関わったメンバーの中で、
1人でも多く、「演劇」の世界で生き残ってくれる事を祈ります(-人-)
PS.あと特に感じたのが「ベテラン」といっていい役者陣が
若手のミスの1つ1つを上手く助けている、
後輩の「育成」「指導」という感覚を持ちました。
あと☆3つなのは、本ステージベテラン勢の「上手さ」と
若手メンバー達の「拙さ」のギャップが大きすぎた為、
「バランスの悪い舞台」に観えてしまったからです。
(逆に全員若手で全力が出しきれていたら☆4つだったかも)
忍ブ阿呆ニ死ヌ阿呆
企画演劇集団ボクラ団義
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/03/11 (水) ~ 2015/03/22 (日)公演終了
満足度★★★★★
「芝居は生モノ」を痛感
(二度目感想失礼します)
二度観ですが、前回の感想で
「良くできているが観ている側に熱が伝わる(吸引力が感じられる)のが
劇中最後の方だった」と感じ☆4つにした後で、
しかし全体的な構成から演技/演出からの良さ、
そして何より信長の智将/猛将ぶりから狂気に至るまでに
見入っていた自分を思い返し、やはり…と☆5つに変更していたので、
今回は特に変わった感想がなければ投稿を控えようと思っていました。
しかし、今回はとんだ(自分にとっての)神芝居でした
(前回が☆5つなら☆6つでもいいくらい)。
(ネタバレは控えるとして)
複数回観劇すれば毎回自分の座席、周りの観客など(それこそ体調含め)
舞台から受信する側の状況も変わりますが、
同様に演じている役者さんやその他スタッフ陣についても
色々な変化があるのかな、と。
そしてそれが舞台に現れてくる事により、
思わぬ(自分にとっての)神回に出会えるものなのだな、と感じました。
今回、主役(?)の小助が間違いなく主役としての熱量を発揮し
(それが痛いほどに観ているこちらにも伝わり)、
誰よりも妹や友人を想い、そしてその想いに突き動かされる形で
団蔵が・・・していくという。
同様に信長、家康、秀吉、明智の関係においても、
信長が着けてしまった火が全ての人の心に燃え移って、
この物語の終着点にたどり着くという・・・
感情を大きく表に出す「熱量の高い」お芝居について、
好む人と好まない人とがいるのではないか?
とは思いましたが、自分にとっては本日の観劇は、
まさに自分の求めていたお芝居としての
「心を強く引き込まれる」面白さが
一番高い回だったと思います。
ネタバレBOX
【思った事】
・ 小助の演技が数日前の前回よりとてもとても熱く感じられました。
発する台詞の一つ一つが心に刺さります。
※ その代わり終盤喉を痛めかけていたようですが(´・ω・`)
「下忍」という生き方を諦めてはいても、
自分の大切な家族(妹)、そして仲間の事に関しては
何一つ譲らない、熱血ぶりを宿しているのが小助という
男だと思っていました。
前回の観劇では小助の家族への愛情、友情を見てなお、
「智者団蔵を主役にそえたトリックミステリー」的に
本劇を観ていましたが(小助という存在が団蔵に食われた形)、
今回は、まずふうかの死(と小助、団蔵とも思い込む)があり、
そして小助の信長を討とうという想いに答える形で団蔵が決意し、
「天下の大事変」を起こそうとするという、
小助あっての団蔵だったと思えます。
それほどにまず小助の熱量が高かったかと。
だからこそ、「団蔵もその想いにうたれたのだなあ」と
納得の行く回でした。
・ 小助、団蔵コンビが見栄えしたのと同様、
信長および忍び達の謀略により、
妻や子を死に追いやられた家康や、
母を死なせ、また比叡山焼き討ちに手を汚してしまった
明智だからこその
「義の為に生きる!」「不義信長を討つ!」という気持ちが
痛いほど伝わってきました。
・ 以前劇団/役者は「舞台初日に照準を当てている」というお話を
聞いた事がありますが、やはり「舞台は生もの」であり、
千穐楽に感じる役者および観客両者のものすごい熱気(祭りの最後を感じさせる)や、
公演期間中に生じる色々な変化は、
作/演出および役者陣/スタッフ陣ともに抑えきることも
制御しきる事も出来ないものではないのかな?
と思いました。
例えば初日標準ラインの舞台を演じられたとして、
それに対してなんらかの想いを持った役者さんが翌日以降
少しでも演技や熱の入れ方を変化させたり、
アンケートその他での指摘などに対応する形で
それぞれがそれぞれに舞台を変化させていく、
という事はあるのではないかな?
と、本日の熱量の高い舞台を観て思いました。
※ 小助1人ではなく、ふうかや秀吉、明智、家康など何人も
数日前とは熱量に違いを感じた役者さんが居ました。
(というかほぼ全員、「慣れ」その他含め
熱量は上がっているかと)
・ 本劇の物語はある意味「ゲームにしてしまいたいファンタジー」な展開ですね。
健気に生きた兄妹が引き裂かれ、
そして妹は死に(市に化けている事を知らせられず)、
その復讐を決意する兄と
愛した女とその友人の為に壮大な計画「大事変」を立てて、
立案した自分自らを最後の悪役として幕引きをするという・・・
いやー、和のファイナルファンタジー(ファミコン時代の)ですわ、
もう見せ場だらけの物語でしたね。
物語のトリッキーな部分はついていくのが難しい面もありますが、
観劇側の「心を動かす」感動パートは思ったよりも
単純かつ心に刺さるものだったのではないでしょうか?
義に立つ明智や天運にまかせず大事変を成し遂げる為に
先に信長を暗殺しておいて信長を演じて本能寺で討たれてみせる団蔵、
更には未来、ふうかの孫に苦労をさせたくないと
茶々の子をすり替えた老人達(忍者にしてしまったのはどうかと思いましたが)、
最後には茶々自体を救いに走る所まで( ´ー`)
・ 本劇は「生きる!」事に特化したストーリーなんですね、
「社会の最底辺」的な立場で自分の生き死にすら自分で
決められなかった「下忍」達が「復讐」そして「自由」を勝ち取る為に
暗躍(謀略など)するなど、
単なる「正義」などでは片付けられない「足掻き」のような行動と展開と。
・ 他の人の感想から「ああ、そうか!」と思っていた事ですが、
今回は役者さんの熱量と同様、演出面での凄さを改めて感じた回でもありました
照明、セット、映像、(特に)音響面での演出など。
(これはBIG TREE THEATER自体の良さもあるかも知れませんが)
舞台上に別の場面を演じる10人近くが混在して立っている中、
コロコロと場面転換して次々に各場面を演じるのが
全く混乱なく分かるのは、照明その他の上手さによる部分も強かったと思います。
・ ほぼ歴史の通りなのでしょうが、
当初小大名といった存在で
色々と名将達を引き入れていく形で勢力を伸ばしていく信長に勢いを感じ、
それが浅井長政との戦い辺りから狂気を持ち始めていく、
史実とはいえ怖い存在ですね、
織田信長は・・・
舞台上の織田信長自身を観ていて「恐怖で人心を掌握する天才だったのかな?」
など考えてしまいました。
※ まあ結局「恐怖政治」のあまりに裏切られる訳ですが・・・
今回を観て、初めて「大変いいお芝居でした」と言い張れます。
良かったなあ、ただ最近の長丁場公演(10日近い?)について、
くれぐれも喉や身体(筋肉痛その他)だけはお気をつけて
千穐楽まで頑張ってくださいm(_ _)m
忍ブ阿呆ニ死ヌ阿呆
企画演劇集団ボクラ団義
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/03/11 (水) ~ 2015/03/22 (日)公演終了
満足度★★★★★
再演は進化の可能性!!
本作品については初演を観ていた為、
物語の展開にも「あっと驚く」という事はないかな、
と観劇前から思っていました。
今回特に期待していたのは以下の点でしょうか。
・ あの人のあの役再演
・ 「ヤングチーム」側がボクラ団義その他
ベテラン役者陣チームと比べ、どれだけ
「まだまだ役者としてのレベルが足りないと感じるか」
「逆にフレッシュな情熱を感じさせる事ができるか」
劇場で舞台セットを見て、
センターの高台が以前より高い事や
舞台セット全体があざやかになっている事など、
そういう面を強化しての再演なのかな?
とも感じました。
実際舞台が始まって、まず映像面での強化
(ここ数年ボクラ団義公演を観るごとに
OP映像などが格段に強化されている)について、
最前列だった事もあり全体を視野に捉える事が出来なかった為、
「これは生舞台で観るよりもDVD/ブルーレイなどの
映像媒体化されるのを待って楽しむべきなのだろうか?」など、
今回(序盤は)「生の迫力」を楽しむよりも
そういった一歩引いた気持ちで観劇していたような気がします。
その後、お芝居が進む中でも
一部役については初演のキャストとの見比べで
「発声などは初演時のキャストの方が良かったかな?」
など色々思いながら観劇しましたが、
途中途中で以前にはなかった「アレ?」と思う事がありました。
以前は物語の途中途中に
「なんでこの時この人はこの行動を取ったのだろう?」など、
説明不足や設定不足(あるいはわざと隠した)などによる「疑問点」が、
叙述トリックの名手であるボクラ団義主催にして
脚本/演出家久保田唱の舞台では常につきまとっていたのですが
(そのし掛けを「良い」と思うむきも
「トリックに走る為にこじつけている」と思うむきもありました)、
今回物語の流れが「かなり自然である」と感じました。
「こういう理由だからこういう行動を起こした」など、
初演では見えなかった「何故?」の穴が全て埋められていたように感じます。
そういった物語面の補正(進化といっていい?)のおかげで、
物語自体に仕込まれたさまざまなトリックについて、
そのほぼ全てに「こういう理由があったのか」のように納得しつつ、
見入る事が出来ました。
そして、物語がクライマックスに向かうにつれ、
序盤台詞回しに少々難を感じていたキャスト達も
皆お芝居にのめり込むように集中し、
最後には涙腺に来るものまでありました。
「再演」(Play Again)は、
1度脚本/演出し上演した舞台について、
更なる進化をとげるチャンスでもあるんだな、
という事を強く感じさせられました。
早くヤングチーム公演と見比べて見たいですね。
ネタバレBOX
【思った事】
・ 以前は森田涼花さんが務めた下忍の妹役を
今回は今出舞さんが務められていましたが、
序盤発声/滑舌に難があるように感じ、
「初演の方が(森田さんも声は小さかったですが)良かったかな?」
とも思いましたが、
後半に入るにつれて演技がみるみるうちに
良くなっていくように感じました。
・ 下忍仲間の「だんじょう?」(でしたっけ?)
物語のキーマンとなるあの役、
初演は塩崎こうせいさんが務められていたかと思いますが、
今回のキャストの方も、
ただ優しいだけでなくひとくせもふたくせもあるような
「智者」的ないい雰囲気が出ていたと思います。
(その分コスケ(?)が、情熱一本槍に
つっぱしっているようにも見えてしまいますが)
・ ストーリーテラーとして常に舞台上で状況を見守っている3人
(老人、若者、お江様)が、
時に目の前で起こっている内容についてツッコミなどを入れたりと
ただの傍観者、説明者ではなく、
次元を越えて舞台に関わっていたのが良い演出だと感じました。
・ そして、沖野さんの織田信長について、
初演では「ただただ狂気」という印象だったのに対して、
今回は戦国時代の寵児として様々な苦難を乗り越え
駆け上がっていく名将でもあり、
そして「忍びを毛嫌い」し、
後々「本能寺の変」を迎えるまでに(史実その他で)
忍びの者および明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康それぞれに対して、
これはあまりにも不遜にして非人、
「恨みをかって当然だろう」と思わせる行動の数々が
(初演よりも)今回強く描かれていたように感じます。
だからこそ、この展開に至った、という事が納得できます。
今回、本劇を観劇している中、「大筋を知っていた」がゆえか、
結構目の前で演じられるお芝居自体には
心を引っ張られる面が少なく感じていましたが、
徳川、豊臣、明智の3者での会談の場面だったか(?)、
明智が織田信長のあまりの非道ぶりに怒りを露わにする場面、
そこで自分の涙腺に涙の火(?)が灯ったように感じました。
そこからは前半に張りまくった伏線の回収について、
かなり物語に引き込まれていきました。
その上、ラストに至るまで、
今回は色々「優しさ」的に心に触れるオチを
追加しているのがなんともいい感じでした。
(下忍仲間がみんな生きていたという設定や
茶々様にも事実を告げて生きてもらおうと行動する所など)
・ 織田信長が「本能寺の変」にて死ななければならない理由、
これが「初演時一番疑問視されていた点」だったと思いますが、
これについて今回は「ただ暗殺するのではいけない事」、
「秀吉がその後天下をとるにしろ、信長の系譜を終わらせる事」、
など、ちゃんと狙いがあってそうしている、
その為に暗殺後だんじょう?は信長の自決までを演じていた、
という事がとてもよく理解できました。
・ ボクラ団義といえば3時間近い長編が主ですが、
その間に休憩を入れてくれた事は良かったと思います。
(初演でも入っていたかしら?)
休憩直前に「盛り上がり場面」を入れた事、
ブレイクタイムパンフレットとして現在までに
分かった事などを示す事で、
・ 観劇者達を置いていかない工夫
・ 前半戦で物語に集中した気持ちを完全にリセットしてしまわない工夫
がなされていたのがかなり効いていたかと。
結構ボクラ団義の舞台感想といえば、
「トリックの面白さ」か「2時間オーバーはツライ」かに
二分されてしまう事が多かったように感じますが、
今後もこのように、効果的に休憩時間を入れてくれると
ボクラ団義お芝居のハードルが下がって、
更なる観客が見込めるかも知れません。
また、いつもなら観劇終了後のアフターパンフレットで
「(本当の)事実」を改めて観客に理解させる」だけで
終わっていましたが、
ブレイクタイムパンフレットを使う事で、
1.何も知らない状態
2.今までに分かっている事
3.真実
のように、3段階で物語を楽しめるようになるかも知れません。
今回は戦国時代の歴史を辿る流れがあったから
こういう試みを行いやすかったのかも知れませんが、
今後も続けていって欲しい試みだと思いました。
・ 本日3日目、との事でしたが、
各役それぞれに長台詞が多い事もあり、
ちょっと台詞トチリが多かったように感じました。
噛みトチリぐらいは大した事ではないのですが、
舞台自体の吸引力が落ちてしまうとツライものがあるかな、と。
汗だくになって演じる役者皆様に「熱」は感じていたのですが、
舞台上からの「吸引力」という感じ方はあまりしなかったんですよね。
不思議だなあ。
(知らず知らずのうちに客観視していたのかも知れません。)
・ 今後もどんどんPlay Againにて、
進化した再演を期待したいと思います。
まあとにかく、二度観とヤングチーム公演が楽しみです。
PS.3月15日
どうしてここまで良く出来た舞台、役者の演技なのに
自分の感情引っ張られる力を感じたのは明智が「信長、討つべし!」と
立った場面からだったんだろう?
とずっと考えてましたが多分信長の暴虐武人ぶり、狂気
(裏では忍の画策あり)に見とれてしまっていて(客観視に近い?)、
感情ではその狂宴に母まで殺された明智が立つ瞬間に
気持ちがシンクロした、という感じだったのかしら?
あまり「見とれる」という感覚は持った事なかったので
「感情があまり引かれなかった」と捉えて、
☆4つにしてましたが
ネットでOP10分見ても「やはり秀作、名作」と思えたので
今さらですが☆5つに直しますm(._.)m
トップノート ミドルノート ラストノート
ラズカルズ
サンモールスタジオ(東京都)
2015/03/04 (水) ~ 2015/03/08 (日)公演終了
満足度★★★
期待しすぎた・・・
初観劇の劇団ながら、公開されているあらすじと、
何よりも「トップノートミドルノートラストノート」という
タイトルに魅惑的なミステリ、謎解き物語を想像し
(香水の世界での意味はともかく
「トップノート」はウィスキーの味をみる時も
「ファーストインプレッション」的な意味合いで使うので)
ちょっと期待度が高かったです。
その分だけ、観劇後の今思う事は、
脚本/演出家は
「観客に何を観せてどういう感情を抱かせたかったのか?」
それが全く見えない作品だ、という事です。
セット演出面での上手さ(映像や音響など)、
少数でのダンスの上手さ、
お芝居中の芸の上手さ、
などいい所もありましたが、
本筋となる物語が始まってからその展開のさせ方が
あまりにも感情に響かないものばかり・・・
観客がなんの感情も抱かないうちに、
それを放置して物語が勝手に展開してしまっている、
という感じ。
そして、本筋をないがしろにした上での
無駄な設定/回収されない伏線の多さ。
多分この脚本/演出家は「観客」の事を考えてないし、
自分の作る劇を客観視出来ていない。
また演じてる側もほとんどの人は、
「どの方向に演じていいのか」
(感情をのせた方がいいのか、のせない方がいいのか、
真面目にいった方がいいのか、おちゃらけてみせた方がいいのか、など)
迷ったまま演技をしているように見えました。
残念・・・
ネタバレBOX
サンモールスタジオのかなり狭い舞台の上で
・ 湾曲した壁面に対して様々な映像を動かしながら投影したのは
演出的にかなり「上手い!」と感じました。
(水族館?の魚が泳ぐ様子、宗教団体の洗脳?、ヒロインの狂人化、など)
・ 音響もいろいろな方向へ場面転換するのに合わせて
「あの狭さが活きる」ように効果的かつ大音量で
使われていて、ここにも上手さを感じました。
・ ラップも役者の芸としては「上手」と言えるレベルだったかと。
そして少人数でのダンスも非常に良かったです。
ただし、良さはそこまで。
本筋(物語)が全く良くない。
情報公開された時点での
・ タイトル
「トップノートミドルノートラストノート」には、
調香師だけあって、香水の香りに使う方の意味と、
盗まれたノートとその両方にかかる意味があるのだろうな、と想像。
・ あらすじ
調香師の殺人事件、ノートの盗難事件を決して善人ではない刑事が追う
(ミステリー、トリックストーリーとしての興味)。
と、この2つに期待させられるものがありました。
でも、蓋を開けてみれば、
物語を展開させる上で、
・ 各役の観せ方の基礎がなってない。
・ そのくせ、勝手に物語だけは妙に技工にこだわった形で展開してしまう。
=観ている側を完全に置いてけぼりにする形で
お話だけ勝手に進むというなんともつまらないお芝居。
時間を費やして1本2時間弱のお芝居を観るんですよ?
心に何も響かない、まったく感情が揺さぶられない、
これほどつまらないものはありません。
・ 3人視点でのループ展開(物語に組み込まれた技工)がまったく活きていない。
1.背景に「トップノート」と表示し、最初の1人
調香師に惚れて極道を辞めた男の視点で
調香師殺人事件の容疑者として捕まり釈放されてからの数日を描く。
ここまでは期待して観ていました。
2.「ミドルノート」と表示し、悪徳刑事の視点で
同じ時間軸を観直す。
? 1と2逆だったっけ?
ループ演出の割にあまり「隠された真実」が示されないなあ、
と(??)な気持ちに。
3.「ラストノート」と表示し、
自称ルポライターの女性の視点で同じ時間軸を観直す。
1、2で観た内容をひっくり返すにしても、
ここまでがあまりにも「浅く」「薄っぺらく」描かれているので、
何もひっくり返されていない。
同じ時間軸を別役の視点から観る度に、
色々な隠された事実が見えてくる、
それに「驚き」「騙された!」と思う事を楽しむ為に
組み込んだ技工だと思うのですが、
各役が全然「立ってない」し観客に「理解されていない」状態、
かつ場面についてもそれほど深堀りされない形で表現されていて
観客が「物語に全く共感していない」状態で、
勝手に「実はこいつは宗教団体の手先でした!」とか
「同じ時間裏ではこんな事が起きていました!」とか観せられても、
「ふーん、そうなんだ」以上の感慨も何も浮かびません。
トップノート、ミドルノート、ラストノート、の3つの言葉に合わせて、
3回視点を変えて同じ時間軸を回したわりに、
その効果が全くない。
お芝居の構成上、時間の無駄でしかない。
普通に考えて、
1.この役はこういう人です、と役の背景をしっかり観客に見せる。
※ 感情面や精神性(正義感、情熱的、など)の特徴をしっかり示す。
⇒観客「この人はこういう人なんだな」と理解する(心に刻み込まれる)。
2.どんでん返しして見せる。
⇒観客「えっ!まさかこの人がこんな人だったなんて!騙された!」と
感情を揺さぶられる。
のように、1.でちゃんと役の「人間」としての個性
※ ネタ的な個性、キャラ付け(「フランス語好き」とか)ではないです。
をちゃんと観客に理解させた上で、
物語を展開させるから「驚き」その他の感情が観客側に生まれます。
そういった基礎であり基板(ベース)となる部分を無視して、
※ 本劇の場合、各役の「人間」としての説明的な部分がかなり薄い
(笑いのネタとしてのキャラばかり立てようとしている)
いきなり物語を展開させてしまうので、
観客は「驚き」その他感情を動かす事はなく、
単に「ふーん、そうなんだ」と理解するだけです。
※ 同様に物語の展開についても、
1.で見せた場面の展開と2.で初めて知る場面とに
差異があればあるほど、
「まさか裏でこんな事が起きているとは!」
と観客は驚きます。
同じような展開をただ視点変えただけでは何も伝わってきません。
・ 意味ありげな設定、伏線に(ほぼ)全く意味がない。
・ 元極道が香水の香りを嗅ぐ度に現れる殺された調香師の幻影(その理由は?そしてその結末は?)。
・ 公安女性の意味ありげな行動。
公安上司を裏切って見せ、更に悪徳刑事も裏切って見せ。
・ 教団を抜けた元調香師(殺された調香師の師匠でもあった)が
何故ルポライターになったのか?
・ ルポライター女子に対してだけ使えるという癒やしの能力(超能力)。
・ 悪徳刑事と教祖は異母兄弟だった。
などなど。
なんとなく「面白そう」とでも思ったのか、
色々なネタをどんどん出してきますが
ちゃんと
・ 伏線回収されない
・ 観客の心に響く「効果的」な「意味」がない
ものははっきりいって無駄設定です。
※ 物語と全くつながりのない「単発笑いネタ」ならぬ「単発捨て設定」。
はっきりいって、本筋である殺人事件の方を「安易?」に
完結させちゃった上で、
悪徳刑事と教祖が異母兄弟だった話(サイドストーリー)の方を
いきなり展開させたりとか「時間の無駄」でしかなかったと思います。
あれを観せる事で「観客はどういう感情を持つ」と思ったのでしょうか?
「胸毛のもじゃもじゃ度合いが一緒だから兄弟」とか
はっきりいってそういうネタが分かる内輪ウケ狙いですよね。
くだらなすぎる。
・ タイトル、フライヤーでの観せ方は、
ミステリなどの雰囲気を感じさせていましたが、
実際お芝居を観ると
・ 中途半端に笑いを取りに行くコメディ要素多々
※ 単発の笑いネタ、もそうですが物語自体の展開も
・ 「犯人探し」の方がまったく深みのない展開
など、結局まず脚本/演出家は、
・ 観客に何を観せたかったのか?
・ どういう感情を抱かせたかったのか?
+ 何か持論的な「テーマ」はあったのか?
などの面で、観ていて?が沢山になってしまいました。
「どの方向にも中途半端だなあ」と。
また演じている側も同様で、
(何名か、ですが)
「演技の方向性に迷っている」のか、
まったく熱量を感じない、感情ののってない、薄っぺらい
「棒」と呼ばれても仕方のないような演技をしていました。
観ていて「この人やる気あるのかな?自分の役について、
それを1人の”人間”である、と認識した上でちゃんと深堀りした事あるのかな?」と
思いました。
・ 結局、「トップノートミドルノートラストノート」という魅力あるキーワードは、
単なる3冊のノートで世界征服を狙っている、
というだけのオチだったのでしょうか?
あるいは自分が見落とした何かでちゃんと「意味」を表現されていたのでしょうか?
某劇団に、
観ている自分の気持ちが「こっちに動いた(この人はいい人だ!)」と思えば、
いきなり「別の方向へ引っ張られる(えっ!いい人じゃないの!)」というように、
観客の「感情、思考の誘導」が非常に上手い脚本/演出家がいます。
その人には多分「観劇側」が観てみるものに対して「どう思うか?」が
ちゃんと見えている、だからこそ
・ その裏をかいて「だまし」たり
・ 心の芯に直球を投げて「泣かせ」に来たり
・ 同様にシリアス展開の中でいきなり「笑わせ」たり
そういう事が出来るんだな、と思いました。
そういう意味で、本劇団はもうちょっと
・ 「観る側」の視点/感じ方について考えた方がいい。
・ 思いつきだけで物語を「完成」させてしまうのはやめた方がいい。
ちゃんと観客の「感情、思考の誘導」までを考えて欲しい。
・ 技工に凝る前に、シンプルに物語としての方向性、骨子を固めてほしい。
(観客に対して「笑わせたい」「泣かせたい」「驚かせたい」「幻惑したい」など、
目指すものをちゃんと示して欲しいです。)
※ 最初、映像が幻惑的だったので、「幻惑する」事を目指した舞台かと思ったのですが、
すぐに路線変更してしまっていました。
・ 演じる側も、自分の演じる役に対して、
ちゃんと「気持ちを定めて」演じて欲しい。
と思いました。
PS.2015/03/07(土)
少し補足を
笑いのネタが入ってくるから悪いとかじゃなくて。
物語の根幹としてのベースをちゃんと決めて作って欲しかったな、と。
「シリアス調でいく」と決めた物語の中に
アクセントとしての笑いがあったり、
「コメディとしていく」と決めた物語の中に
楽しませる要素としての謎解きがあったり、
そういうのはいいんです。
ただ、本劇って役者は真面目に演じながらも
物語が「じゃあ、新木場スタジオコーストでラップバトルだ!」(なんで?)とか、
ラップの対戦中に
「あたしの番を待っていた!」といきなりルポライターが襲いかかったり
※ 本物語は意識を「別の何か」に持ってかれたルポライター(狂人)が
起こす殺人、でしょ?
自分の意識でモノ語ってる時点で破綻してるじゃない・・・
という、真面目なんだか笑わせたいんだか分からない物語のつくりと
展開のさせ方が「どっちつかず」っていう。
独りぼっちのブルース・レッドフィールド
ポップンマッシュルームチキン野郎
シアターサンモール(東京都)
2015/02/22 (日) ~ 2015/03/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
あの時確かに「劇場」中を掌握する力を感じました
(観劇二回目感想すいません)
先に最前列でR-18ステージを観てしまった為、
今回の二度観、ど真ん中席普通ステージでは
どういう感想を抱くのだろう?と自分でも思っていました。
パンフレット含めて読み込んだ上での二度観という事で、
各演者の所作/台詞に隠された伏線を眺めつつ、
いつの間にかやはり物語の世界に引き込まれていました。
「知っている」からこそ分かる、
単なるやりとりでないその「重さ」を受け止めながら。。。
まず、PMC野郎のお芝居は軽めの笑わせる展開と思わせておいて、
(観直すと気づく)かなり意味深な伏線張りまくってるんですよね。
1度「ラスト」を観たからこそ分かる、復讐劇でありながら
基本「おちゃめ」と言っていいほど気のいい連中の明るいお芝居の中に
物語を根底から覆してしまうほどの展開への
「伏線」が程よい割合で差し込まれているという。
そして、PMC野郎の更にすごい所は、物語の起伏どんな場面でも
そこまでのストーリー設定を上手く活かした笑いの小ネタを差し込んで
「大爆笑」を取ってしまう、という事。
※ 「笑いネタ」の取り扱いにおいては、
自分の中では劇団「PMC野郎」が一番かも知れません。
観劇していて「楽しみ」「悲しみ」「憤り」など色々な感情を
舞台上から受け取って、観客も同様に感じているからこそ、
いきなり、それもちゃんと物語と繋がった笑いの小ネタが差し込まれる事に、
思わず劇場中が「大爆笑」させられてしまう
(えっ!あの人そんな事になってたの!的な)、
観客の「心のスキマ」を突かれるような見事な笑わせ方が出来ているなあ、と。
昔、同じ劇場で全く別の舞台公演を観た際、
舞台最前列からわずか3席程度後ろになっただけで、
舞台上で演じている役者の感情と熱が「全く伝わってこない」という事がありました。
本劇場の構成、
・ 前半分は平台(=前の人の頭で舞台が見えにくい)、
・ 後ろ半分は段差式(=遠いので演者の表情は分からないが舞台自体は見える)、
について、
その時は「本劇場自体が広さと構成の関係もあり、役者の熱を伝えにくい」
と考えていました。
しかし、今回ブルースレッドフィールド(渡辺徹)と「アイツ」の熱場面、
劇場のど真ん中席の自分にはその表情までは観えませんでしたが、
はっきりいって「胸ぐらをつかまれるぐらい」に、気持ちを持って行かれました。
※ もしかしたら初回最前列観劇時の(2人の表情の)
記憶が残っているのかも知れませんが、
「アイツ」はすごかった、そしてそれを受け止める
ブルースレッドフィールドもまた熱かった。
感情伝播の話をすると、役者さんが演技に「熱」(感情)をのせたとして、
観客にその感情が伝わる(伝播、共感する)距離は、
・ 役者の熱量
・ 役者の演技の上手さ
・ 物語の良さ(場面の盛り上がり具体)
などが関わってくると思います。
ある舞台では、最前列/目の前で号泣する演者を観ながら、
まったく涙腺が緩まない事もありました。
しかし、本劇の「あの場面」はすごかったと思います。
劇場ど真ん中の自分は「アイツ」とブルースレッドフィールドの
言葉のやりとりから目(耳)を離せず、目は涙に潤んでいました。
そして、お互いの気持ち、語っている心情とその状況が痛いほど
リアルに心に浮かびました。
※ 勘違いでなければ、あの瞬間、劇場中が
舞台上の2人の芝居(感情)に支配されていたと思います。
二度観てなお、これだけの求心力を持っている、
「独りぼっちのブルースレッドフィールド」、
間違いなく名作認定ものですね(´;ω;`)
ネタバレBOX
ヌータウ(加藤慎吾さん)に惚れたわ。
これまでの舞台でもその役どころと上手さは感じていましたが、
ヌータウはがっちり自分の心を掴んでしまいました。
ブルースレッドフィールドの(偽りの)復讐劇の中、
ブルースと食事を取る度に
「トマト入ってるぞ」
「人参くれ」
とこの(偽りの)復讐劇を何年も何年も続けて来た中で
(奇しくも)育まれてしまった”友情”、
だからこそこのやり取りが重い(´;ω;`)
そして、(最後と定めた)ビル・バセットの殺害計画の中で
「この復讐が終わったらどうするか?」について、
ブルースは「自分が信じていた家族の敵討(かたきうち)の後」として、
ヌータウは「(ブルースを騙して)ブルースの血縁全てを殺すという復讐の後」として、
それぞれの想いを持って語り合いますが、
そこにも”友情”、そしてヌータウに生まれた葛藤が・・・
(何も知らない)ブルースの友情に対して、
(騙している)ヌータウもついほだされ始めてしまう・・・
本当の最後の血縁エリナを殺さず、消えたヌータウとアナ、
そして「真実」を知ってヌータウとアナを追うブルース。。。
今回2度目の観劇ですが、今回の全役者さんの
熱量はとてもとても高かったと思います。
※ 特に渡辺徹さんが「ヌーーーーーータウ!!!!」と叫ぶ辺りから
10年の時を経て、ヌータウとアナの元に現れたブルース。
ヌータウの言葉を聴いてなお、
ブルースは「自分自身にその家族を殺させた」
ヌータウを殺そうと思っていたのでしょうか。
あの時、ヌータウの家族達が出てきた事で
実際には無かった出来事である、
「自分が自分の家族をギャングから守ろうとして守れなかった」、
あの場面を思い浮かべたのでしょうか、
そして暗転とともに一発の銃声。
記憶を捨てたブルース。
西部開拓時代、インディアン達を殺して
土地を奪うことを生業(なりわい)としながらも
「正しい人になりたかった」というブルースのその心情、
そして犯してしまった多くの罪、
そして罪に対するヌータウの仕返し、
(これも他の感想者さんが言っていた事でしたが)
誰もが正しいとは言えない、
そんな時代の中で、ただ1つヌータウとブルースの間に
生まれた友情だけが最後の真実だったのでしょうか。
(1回目の観劇では印象に残りませんでしたが)
ブルースの最後の言葉
「悪くない、悪くない」、
そして娘にイヤリングを渡して抱き合う姿が、
ブルースの夢を最後の最後に果たしたのだなあ、と
これまた涙が止まりませんでした。
※ 完全に感情伝播の距離を超越してます。胸ぐら掴まれてます。
自分でも何書いてるんだか分からなくなってしまいましたが、
とにかく「すごい物語」「すごいお芝居」でした。
PS.舞台セットの使い方も上手かったです。
回転舞台が素早い場面転換の他、真の復讐の旅である10年のその道程の激しさを表す様(さま)など。
そして、映像なのか幕なのか背景に描き出された過去のブルースの行いと
自分が葬った家族達の場面など。
GHOST SEED
カプセル兵団
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/02/26 (木) ~ 2015/03/01 (日)公演終了
満足度★★★★
二度観て幸せ( ´ー`)
(観劇二回目感想すいません)
今回二度観で伏線その他を回収しながら落ち着いて再度観る事が出来たからか、
3体の人形を始めとした舞台上の色彩の美しさと
演者さんパフォーマーさん達がつくり上げる場面場面の
表現力の多彩さを強く感じました。
作品の始まりから終わりまでのイメージとしては、
(3D以前の)ゲーム「ファイナルファンタジー」的なイメージでしょうか。
初回観劇時、笹塚ファクトリーと比べて「迫り来る感じ」がなかった為、
「飛び出す演出」の効果が弱いかと感じましたが、
今回観なおしてみると、BIG TREE THEATERでは「迫り来る」よりも
舞台上でパワーマイム表現について「表現し尽くした」という感を受けました。
※ 今後笹塚ファクトリーさん以外での公演中心になっていくとしたら、
「飛び出す演出」「ビジュアルイマジネーション演出」も
この方向に行くのかな、と。
(いつもやっている事かも知れませんが)
他の方も言っているカプセル兵団のオハコである
場面転換/カット割りの早さと上手さ
(いいタイミングでいいシーンに切り替える)について、
今回物語の状況に合わせ「ギュルルル」系と
「暗転」系とを上手く使い分けていたのが
物語の流れに非常にマッチしていてよかったです。
本劇についてはちょっと1度目では悪い方に目が行き過ぎてしまったのか、
? 1度目では劇場中に配置された本劇世界を象徴する人形その他についても、
雨の中慌てて入場、という焦りもあり
ちゃんと目を通す心の余裕がありませんでした。
物語の良さだけを評価してしまい、実際目の前で演じられている
「ビジュアルイメージ」などに関しても
ちゃんと「心の目」で観る事が出来ていなかったようです。
二度観したおかげで、いつもとはまた違ったカプセル兵団の表現、
「神秘性の高い」舞台、を感じる事が出来ました。
そういう意味では「伏線回収の為の二度観」だけでなく、
「落ち着いて細部まで観直す」為の
複数回観劇というのも今後はありなのかな、
と考えて行きたいです。
ネタバレBOX
【笑いネタがことごとく本物語の空気を壊していたかと】
今回は、悲しいかな「ジャンプネタ」「キン肉マンネタ」頼りになりすぎたのが、
本劇自体の評価に悪影響を与えているかと思います。
※ いつもならもっと上手い割合で仕込んでくるのになあ、と…
本劇は物語の「神秘性」の高さやビジュアルイメージなどを
重視した表現だけで十分☆5つの評価が与えられるものだったと思います。
逆に、物語にまったく関係しない「ジャンプネタ」「キン肉マンネタ」を
仕込めば仕込むほど、一部(ネタの)マニアを除いては
物語の世界から(心が)遠ざかってしまうという・・・
今回は笑いネタ自体を抑えめにするか、
せめて物語に関係するネタ7割、
「ジャンプネタ」「キン肉マンネタ」3割、
程度におさえて欲しかったなあ( ´ー`)
物語とまったくつながりのない一発笑いネタって、
ツボにハマれば面白いですが、
失敗するとせっかく物語の空気感に浸っていた
観客を素に戻してしまうんですよね、逆に。
※ これはゲスト様の安易な利用も同様です。
「笑い」の方向性をどうするか、が
カプセル兵団「動」の演劇の今後の課題かと思います。
「静」の会話劇は今のままで十分面白いと思いますので。
GHOST SEED
カプセル兵団
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/02/26 (木) ~ 2015/03/01 (日)公演終了
満足度★★★
再再演に期待大でしたが
カプセル兵団が過去の人気作品を再再演されるという事で、
2月終盤の演劇ラッシュの中でもかなり期待大な作品でした。
しかし本日初日はどうにも演者の多数に台詞トチリなどが目立ち、
その他の要因もあってちょっと「お芝居」としての
求心力が弱まってしまったかと…
しかし、物語自体は始まりからその展開、そしてエンディングまで
「とても良い」と思えるものでした。
そして、それを表現するパフォーマンス
(ビジュアルイマジネーション演出)や
主な演技も悪いものではなかったので、
ぜひ練度を上げて明日からに臨んで欲しいと思います。
※ この時点で自分は明日また観劇なんですよね。
更に練度が上がる数日後が良かったかな…
ネタバレBOX
いつもならセットも基本肉体表現で創りだすカプセル兵団にしては
珍しく凝った舞台セット。
そして、開演してすぐのダンス/群舞など(自分の勘違いでなければ)
カプセル兵団としては珍しくオーソドックスな「入り」だったような気がします。
しかし、表にも書きましたが初日ゆえか多数の演者がトチり過ぎ。
また、最近では恒例のゲストパート、本作は物語性が高く
やっと中盤ここまで物語の空気を(観客と一緒に)作ってきたか、
という所で、ゲストとの長いやり取りが完全に物語をぶったぎりすぎです。
ここで一気に「お芝居」に引き込まれていた気持ちがリセットされてしまいました。
※ もう少しうまくゲストを物語に合わせた形で使えないでしょうか?
「特撮ネタ」などその筋のファンは嬉しいでしょうが、
「お芝居」自体を壊すほどに引っ張るネタではないと思います。
(僕はゲストじゃなくて「お芝居」を観る為にチケット代を払ってるのです…)
そして、本作では端役に回ったという吉久さん始めいつもならメインキャストの面々、
あれは学ランでしょうか?(勘違い?)
衣装が物語の空気を壊してしまい、悪目立ちしている感がありました。
いつもの「ジャンプネタ」も、
いつもならいいタイミングで軽く入れてくるから
軽い「笑い」を与えて物語性を壊さないのですが、
今回ちょっとタイミングとその尺(長さ)が悪すぎ、
その「ネタ」の方に脳が集中してしまって
「お芝居」自体から気持ちが離れてしまいました。
(ちょっとテンポ悪かったかなー、と)
舞台上、ビジュアルイマジネーション演出は今作も健在、
しかしいつもほどの求心力を感じられなかったのは、
その他の点で物語に引き込まれていなかったからか、
あるいはBIG TREE THEATERでは笹塚ファクトリー(観客席中央に通路がある)ほど、
「飛び出す演出」を効果的に使えない、という事なのかしら?
舞台上の表現に「良さ」は感じても、
グイッと気持ちを引き込まれる事は今回はありませんでした。
物語自体、そしてその世界観については、
始まりから展開、エンディングまで非常に良いものだと思いつつ、
いつものように舞台上の「お芝居」に引き込まれなかったのは
非常に残念です。
直せる部分を直したり、演技の練度を上げたりと、
明日以降少しでも本劇が良いものになっている事を期待したいです。
独りぼっちのブルース・レッドフィールド
ポップンマッシュルームチキン野郎
シアターサンモール(東京都)
2015/02/22 (日) ~ 2015/03/01 (日)公演終了
満足度★★★★
PMC野郎観劇の作法を間違えてしまった!!
通常回を観たらすぐに☆5つ入れますが、
今回の観劇では自分の「しまったなー!」感が
強かったので☆4つとさせていただきますm(_ _)m
PMC野郎の各公演でいつも気になってたR-18ステージ、
とうとう初観劇!
なのはいいんですが、スケジュールの関係で
普通回より先にR-18ステージを観てしまいました。
その名の通りR-18、超豪華な下ネタ満載回、
そのパワーに押されて
普段のPMC野郎のシュール&ブラックな面白さが
いまいち自分に伝わってきませんでした。
※ 多分本公演では本回が初のR-18ステージでしょうか。
ゲストキャストの皆さんもこらえきれない(ノ∀`●)、
という様子がちらほら(ちょっと照れてたり)。
R-18ステージ、自分のイメージだと
ジャッキーチェン映画(プロジェクトAとか)で、
終わった後に「NG集」を流す、
アレに近いものかと思いました。
普通回に対して、
「ここでこんな下ネタ入れたら演者陣耐えられるかな?」
みたいな、観客だけでなく演者陣自体の
リアクションまで楽しむ、という感じかと。
なので、普通回→R-18ステージ、の順で観れば
「まさかのあの人がこんな事を!!!」と
大喜びなんですが、先に観ちゃうと
普通に入れてくる笑いを食っちゃうので
初観劇だと物語の吸引力が落ちてしまう
(ストーリー自体にのりにくくなる)。
はっきりいって自分のミスでしたわ・・・
しかし、
「観劇順間違ったわ…このまま(自分だけ置いて行かれて)
物語はしっとり終わるんかな」と思わせておいて、
当代随一の名脚本家「吹原幸太」は伊達じゃない!
えっ!!というタイミングからまさかまさかで
R-18ステージでありながら、最後の最後には物語性が勝つ、
というなんとも素敵な舞台になりました。
次に観る普通回がとても楽しみ、
また、今後は絶対に普通回→R-18ステージの順で観よう( ´ー`)
そうすればきっと二度観との相乗効果でめちゃくちゃ楽しめるはず。
(R-18ステージは女子向けという訳ではなく、
普通に男性もネタで笑えるステージでした)
ネタバレBOX
表感想にも書いたのですが、
R-18ステージのPMC野郎メンバーのみでなく、
まさかのイケメンゲストキャストや
御大渡辺徹さんまで交えての下ネタの数々に、
そっちの方で笑わせられてしまって、
いつものシュール&ブラックなネタをつい飛ばしてしまった感じです。
で、インディアンの男と「この復讐が終わったらどうするか」なんて
レッドフィールドが話しながらの最後の復讐、
「このままいい話的に終わってしまうんかな、
まずは普通回でこの物語観たかったなー」と
残念な気持ちを抱えていた所での、
レッドフィールド「若すぎる!!」
そして、そんなレッドフィールドを無視して復讐を果たすインディアン。
そして、死んだはずの旧友の出現、
そして始まりでの「インディアンの子供を殺せ!」という暗転、
毎回レッドフィールドの記憶がビッグウィスキーマウンテン(?)から
始まる理由、
まさかまさかの超展開。
いやあ、(110分と聞いていたのもあり)
ここまで来て物語がこんなに大きく動くなんて思いませんでした。
そして「本当の」復讐の為に10年を費やして
インディアン兄妹の元へ現れるレッドフィールド、
※ ただ、ラストはちょっと想像ついてたんですよね
インディアンの人の演技に熱が入れば入るほど
「この人をこのまま殺せるレッドフィールド、
いや、PMC野郎な訳がない」って
ツイッターに感想投稿しながら
「独りぼっちのブルース・レッドフィールド」と打っていて
あ、まさに(自分で自分の家族を殺して)
「独りぼっち」になった、ブルース・レッドフィールド、
だったんだなあ、と。
しかし晩年を過ごす老いたレッドフィールドの元へ
かつての仲間が集まって、
そして最後に娘が探していたイヤリングを見つけてやって、
やっぱりPMC野郎は温かい終わりが似合いますね。
PS.若かりし頃のブルースレッドフィールドが
家族をどんどん殺害していきますが、
娘と母親は2人でしたよね、
あの時2発撃ってないかしら(??)
PS2.R-18とはいえ、超有名ゲストキャスト達に色々下ネタさせたり
(ズンさんやら萩野さんやら)、
プレゼント写真が何故か沖野さんの乳首イラッてる写真だったりと
PMC野郎はやっぱりひと味違うなあ( ´ー`)
イケメンにやらせていい限界を超えている
タケルのミコト!【アンケート即日公開】
劇団バッコスの祭
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2015/02/05 (木) ~ 2015/02/11 (水)公演終了
満足度★★★★
イザナギ/イザナミの創世神話とヤマトタケルの物語、これらをよくこのテーマと繋げたなあと
※ここに書くのは現地でもらうパンフレット+ご鑑賞の手引き、
に記載されている内容です。
ご鑑賞の手引きはフライヤーの数枚後にあるので分かりにくいですが、
かならずこの2枚には目を通した方がいいです
(物語の面白さ度合いが変わります)。
演技、演出、舞台構成面には
「若さ(劇団、役者さんの年齢は知らないですが)」が
出てしまったかちょっと拙い面もあるかと。
しかし、ヤマトタケルの物語と「出生前診断」、
そこから始まる現代社会の「不幸」(あるいは違う「幸福」の形と捉える?)を
見事に物語として成立させているかと。
(ひさびさ観た演劇の中でこの「テーマ性」は重いというか重要すぎます。)
また、物語の半分近くを占める殺陣、立ち回りの数々についても
アクション上手が絡み合った場面など、見どころ多々あり。
笑いの取り方もまずまずで、見どころ(何より考えどころ)のあるお芝居でした。
ネタバレBOX
【思った事】
・ 日本史や創世神話、ヤマトタケルなど全く知識のない自分でも
パンフレット+ご鑑賞の手引き
で、予習出来ていたおかげで、
史実(伝説)部分とフィクション(創作)部分とが
上手く組み合わさっている(脚本の巧みさ)のを
理解しながら観劇できました。
・ 1時間50分のうち、半分近くの時間を使った殺陣、立ち回りは壮観。
先にも述べましたがアクション上手同士が絡むと
見事な大技が炸裂し、「この小舞台の上でよくもまあ」と驚かされる事しばし。
ただ、本物語は何よりも「物語」自体と「テーマ」性の方が重要だと感じましたので、
もう少しお話部分に時間を割くべきだったかとも思います。
※ 何よりもいくら良い殺陣も繰り返されれば飽きてしまいますので。
・ ヤマトタケルの物語と
「出生前診断(お腹の中の子供が健康か、何らかの障害を抱えてしまっていないか?)」、
そして障害を持って産まれてくると分かった子供に対して
親(になる者)達は、どうすれば良いのか?
「命は大事」
「母のお腹に宿って、いつからが”人”なのか?」
「自分達が死んだ後、生きていく事すら苦労する子供なら
(そんな不幸な目に合わせない為にも)産むべきではない」
「障害を持った人は社会全体が助けなければならない」
などの人間誰しもが考えてしまういくつもの選択肢/方法論から
「誰もが遺伝子に何らかの問題を抱えている(=障害を持った子供を産む可能性は0ではない)、
ならば子供など作らずに自分の遺伝子を改良し不死にして最強の存在になれば良い」
というファンタジーな回答まで、
本当にリアルとアンリアル(ノンリアル?)、
創作と現実的な問題とを上手く
「物語」として、そして「テーマ」として
組み合わせていると思いました。
・ 演技について、笑いの取り方は「上手さ」も感じられました。
ただ、(自分の感じ方としては”若さ”なのですが)
演技、台詞、感情の載せ方などに拙さを感じ、
アクションシーンほど普通のお芝居の場面では引き込まれるものがありませんでした。
※ 後半の盛り上がりで改善されましたが。
父の「産まれて来るのが可哀想だからこそ産むべきではない」という考えと
同じ意見だったヤマトタケルが、
妻の意志、そして妻が子を堕ろす決意をした場面で
やっと父性に目覚めたのか(自分の子供の存在(”人”である事)を認めたのか)、
それを止めるシーンでは一番涙腺を引かれるものがありました。
・ ヤマトタケルを仕留める役をおっていたはずの従者が、
いつの間にか介護士の手伝いを不平を言いながらもしていて、
それが最後にはヤマトタケル達が産むであろう
障害を持った子供を育てる苦労に対して、
「俺達も手伝えばいいんだ!」と言い切った場面など、
まさに本劇の「テーマ」に対する脚本家なりの回答
(助けあう世界)だったのかと思いました。
・ アクション場面とお芝居場面とのバランスにもう少し工夫が欲しかったですね。
・ 盲目の剣士と難聴の女性との恋愛の悲しい最後
・ 片腕の剣士の最後
・ かつてヒルコを失った叔母(?)や自分の母、弟などの物語
・ かつて殺されるはずが生き延びた口唇裂の障害を抱えたユイの物語
など、色々なサブストーリーについてもう少し掘り下げてくれたら
きっと涙なしでは観れない物語になったかと思います。
・ 演技や物語部分の「上手さ」にもっと舞台上に気持ちを惹きつけられていたら☆5つでした。
次に期待です。
何よりも「脚本」と「テーマ性」の良さがまず目立つ舞台。
現代の自分が同じ(障害を抱えた子供が産まれてくると分かった)状況になった時、
ヤマトタケルとその妻がたどり着いた答えに自分もたどり着けるのか?
想像もつきません。
父のように「産まれてくる子が可哀想」、
更には「一緒に暮らす間ずっとその事に”産んでごめん”と謝り続ける」事を考えてしまうと、
パンフレットにあったように「9割の人が中絶を選ぶ」事について、
非難する事も出来ません・・・
しかし、自分の良心を信じたい、そして
本物語と同様他者の子供、または他者自身が障害を持って苦労して生きていくのならば、
その助けになりたい、そういう事がちゃんと出来る人間になりたい、
と思わせられました。
あつ苦しい兄弟~港のふたり編~
劇団道学先生
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2015/02/06 (金) ~ 2015/02/15 (日)公演終了
満足度★★★★
「喜劇」のストレートプレイ(歌その他色々入るけど、まっすぐな「喜劇」という意味で)
演技上手揃い、悪い所ほぼなし。
敢えてあげるなら大掛かりなセットによる場面転換の遅さぐらい
(逆にこのセットが活きる場面もいくつかあり)。
どこまでも喜劇でありながら、役者達の台詞の中には
観ているこちらの「心に刺さる」ものも・・・
観客自体の年齢層が皆高かった事など、
観劇しょっぱなからちょっと気にはなっていたのですが、
劇団道学先生自体の主なターゲット層は
45歳~なのかしら?
日本の第一次ディスコブームがドストライクなその世代には、
ドストライクな曲/ダンス/笑いネタの数々がドンドンぶっこまれてくる。
※ ただし、自分はちょっと下の世代なので「共感」までは難しかったかな( ´ー`)
自分の世代でドストライクなネタの「あつ苦しい兄弟」が観てみたくなりました。
ネタバレBOX
フライヤーの時点では、「喜劇」である事、ターゲット客層の高さを
予想していなかった自分には
・ どこで観客の気持ちをグッと引き込むのかな?
(怒り、悲しみなどの場面を出して観客の感情を引き込む)
と思ってたけど、各役の抱える小さな(その当人には大きな事でも)
いくつかの抱えてる事以外、特に引き込まれる場面はなし。
完全に「喜劇」でした。
・ 曲/ダンス/笑いネタの数々がほぼ、
ターゲット客層限定のものだったかと・・・
笑いがちょっとコテコテめ、
その他のネタも自分が知らないものなので
「当時を懐かしむ」その他の感慨などはなく
そこもちょっと寂しかったです。
せめてジョン・トラボルタの「サタデーナイトフィーバー」は
観ておけばよかったと後悔(´・ω・`)
・ グルグル回る大舞台セット×2の組み合わせで
色々な場面を表現するのは観ていて楽しいものですが、
場面転換ごとにいちいちかなりの間が入ってしまうのは、
ちょっとマイナス。
※ 「喜劇」一本やりだったので、まだ物語から感情が離れる、
その他はありませんでしたが。
・ 社長が波止場でギターを取り出した場面、
最初下手に(?チューニング?)弾いてみせたので、
これも「笑いネタ」かな?
と思っていたらそこから(多分)吉田拓郎を1曲まるごと
演奏しつつ、大舞台セットもグルグル回って
各場面のみんなが揃っての大合唱、
ここが一番の見せ場かと思いました。
※ 本劇中では一番涙腺緩んだかも
・ ダンスコンテストシーンが始まったと思ったら、
すぐに「息子を助けに行く」のシーンに切り替わってしまいましたが、
(その当時を知らないなりに)
自分はもう少し第一次ディスコブームの各ダンスを
若手から年寄りまで多くの役者陣が表現するのを
観てみたかった気もします。
・ 単なる「喜劇」をあまり観ない自分にとっては、
「喜劇」一辺倒にせず、
東京の息子の苦悩、
二郎の何をやってもうまくいかないという苦悩、
東京から港町へやってきて10年のスナック嬢の感情など、
涙腺引けそうな設定をちょっと深めてもらって、
泣かせてほしかったですね。
・ めちゃくちゃタイムリーな航空機墜落事故を入れてしまったのは、
「マズイか?」と思いましたが、
こちらは全員救出され、とあくまでも喜劇的展開で良かったです。
(ネタ自体にドキリとさせられました。)
ハズレでは全くないけど、
「対象世代」をちょっと絞って曲/ダンス/笑いネタ全て
「懐かしさ」その他で共感させようとした形のお芝居でしょうか?
(多分「対象世代」から外れた自分にはそこだけがちょっと悲しかったですね。)
VIVID CAFE ~THE BEST+ONE!!~
VIVID CAFE
渋谷道玄坂カフェ(東京都)
2015/01/31 (土) ~ 2015/02/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
カフェイベント的な「一人芝居」といいつつ、「演劇」のまさに「お手本」なのでは?
今年で2回目の大神拓哉さん「一人芝居」観劇。
去年は「しょっぱなから終わりまで大爆笑に包まれた」という記憶があります。
(ネタバレしない形で)
序盤、演じられる役に対して「あー、いたいたこういう人」という
あるあるネタへの共感や、舞台上の本役1人と見えない登場人物達の対話劇の中、
単発ネタや物語/役の個性自体を活かした笑いネタの数々に笑わされつつも、
「まだ、大爆笑という所までは引き込まれていないな」という事で、
早くも「良作☆4つかな」とか勝手な事を想像しながら観劇してました。
※ 特に大神さん自身も緊張していたのかかなりの汗をかかれていて、
その緊張感が観ている側に伝わってしまった事もあるのかも知れません。
しかし1役また1役とこなす中で、段々と場の空気を掴みつつ、
すぐには気付けなかった演技の「上手さ」の数々が見えてきます。
・ 役の演じ分けの上手さ。芸幅の広さ。
これは大神さん自身の多くの演劇経験や人間観察などの学習の中で得た、
色々な人間を演じ分けできるという「特技」的なものかと思います。
※ 「笑い」のお芝居なのに、
全ての「役」について実際この世の中に存在しそう、
あるいは「こういう人見た事ある!」というリアルさが存在しました。
(癖なども巧みに仕込んでましたね。)
・ 各役にちゃんと「背景(人生)」「個性」「感情(の動き)」が存在する
(=感情をしっかりのせている)。
※ 脚本/演出の良さ、演技の良さ
・ それぞれの1人芝居に登場する(実際には登場しない、存在しない)
相手役の人物達についてもちゃんと「背景」「個性」「感情(の動き)」が存在し、
(=いないのに感情がしっかり感じられる)主人公の物語に巧みに関わってくる。
※ 脚本/演出の良さ、(見えない相手へのリアクション)演技の良さ
・ 単発ネタよりも、その役自身の個性を使った笑いのネタを投入してくる。
だからこそ共感し、お芝居への吸引力が高まって、引き込まれる形の笑いが起きる。
※ 「笑い」に関しての深い考察から産まれた技能?
と、1役1役こなすごとにその「良さ」が見えてきて、途中休憩後ぐらいには既に
※ お酒OKのイベントだったのでお酒の力も0ではないのでしょうが
「大神拓哉 THE WORLD!そして観客は笑い出す!」(ジョジョネタ、DIOです)、
というぐらいに会場中が大神さんの演技と笑いに掌握されていました。
こうなるともう「らっきょが転がってもおかしい年頃」ではありませんが、
振られるネタ振られるネタ全てに観客が過敏に
「笑い反応」を示さずにはいられません(自分含め)。
※ 1役1役演じる中で観客の気持ちを引き込み、
何よりも「笑いを感じる感覚器官」を鋭敏化してきた?
そうやって大爆笑の渦となった舞台を眺めつつ、自分は違う事を考えていました。
「一人芝居」なのに、
・ 自分および(見えない)相手に見事に「背景設定」を作り「個性」を出し「感情」をのせている。
そういったものについて、「演技」としてしっかり表現できている。
・ 見えない相手との対話がちゃんと会話のキャッチボールになっている。
(演じている大神さん自身の台詞が、「役」という人間の生の言葉になっている。
そして見えない相手が返答している姿が分かる
見事なリアクション(「間」と「あいづち」)を行っている。)
・ そういった中で(見えない相手との)対話劇を成立させ、
単に笑いだけでなく「悲喜劇」とし、
「社会風刺」などを織り込む事で共感する場面や
思わぬ心に刺さるネタを持ってくる。
※ 脚本としての上手さ、「テーマ」の盛り込み方の上手さなどを含む
・ 「プロの役者」として観客に何を伝え、どういう感情を持たせたいか、
という事をちゃんと意識して演技を行っている。
など、普通に劇団/座組で複数人が演じるお芝居についても、
当たり前で入れてこなければならない色々な要素が
「お手本」のように全て含まれていると思いました。
はっきり言って単なるコント的な一人芝居というレベルではなく、
「お芝居」「役者」「舞台演劇」の基本が詰まりまくっているのではないか?
と思いました。
※ ちょうど別のお芝居でそういう部分が完全に抜けているな、
とガッカリした後だという事もありますが特に痛感しました。
まさに「酒の肴」としても最高に美味しいネタの数々でしたね。
ネタバレBOX
(ネタバレの方)
順番をちょっと忘れてしまいましたが、
【演目順】
1.エレベーターガール
2.父親
3.チャラ男
4.チャラ男のバイト(3.4.は繋がっている?)
5.教習所
6.音楽教師(※去年見ました)
7.食べるおじいさん(※去年見ました)
8.胎児
1.エレベーターガール
「昔こういうおかしなイントネーションで案内するエレベーターガールいたよなあ」。
そして、一度恋愛で失敗すると「こういう事」になるよなあ。
(あくまでも喜劇が中心の為、エレベーターガールが完全に暴走していましたが( ´ー`))
2.父親
大学生なのに遊び呆ける息子を心配する父親、
実は父親の仕事が「バイト」だったなんて・・・
3.チャラ男
昔こういう「自己中」なチャラ男いたよなー
でも何故かそういう奴がモテたんだよなー
(ちょっと憧れたかも( ´ー`))
4.チャラ男のバイト
ほとんど何も考えずフィーリングで生きてそうなチャラ男、
しかし「恋愛」その他色々な事に
「哲学」的な自分だけのポリシーを持っていたという・・・
5.教習所
こういうおしゃべり好きな教官いたなー、
自分は基本世間話しなかったけど
学生時代に免許取った人はナンパされたり色々あったらしい・・・
6.音楽教師
※ 去年の公演のリメイク版
歌に詳しくないのですが「なんとかパーフェクトワールド」という
昔の歌で良く聴いたフレーズが笑い回路に刺さりまくりました。
7.食べるおじいさん
※ 去年は中盤辺りで、「一人芝居」に疲れてきた観客への
箸休め的に使わなかったでしたっけ?
今回、この劇はちょっと終盤やるにはタイミング悪いかな、
と思いました。
8.胎児
転生した胎児、
あの絵の場面はフランス革命、奴隷解放宣言、レ・ミゼラブル、
どれかだったかなあ?
(絵は分かるんですが、学がないのでネタ元が分かりませんでした。)
しかし、これまで(自分が観てきた限りでは)
基本的に「敵を作らない」(ウッチャンナンチャンのウッチャンのような)
少しライトめなネタを中心にされていた大神さんが
・ 倖田來未で有名な羊水ネタ
・ 胎児の首にへその緒が絡まる
※ 出産時の重大事故
などのブラックなネタを混ぜてきた事に、
「リスク」あるなと思いつつも、
今後の大神さんの一人芝居では「ブラックネタのリミッターも解除してくるのか?」
と「今後を期待させる」ものを感じました。
ぐらいかしら?
※ 去年は丁度ボクラ団義メンバーのほぼ全員がスケジュール空いていて
スタッフ対応されていましたが、
今年は客演メンバーがかなり多く、
ちょっとスタッフ少なかったですね( ´ー`)
まあ、仕事にバリバリありつけるのはいい事ですので
PS.思い出しました。
他の観客の方も言ってましたが、
「大神さんのエレベーターガールが可愛すぎる」、
自分もお芝居冒頭で大神さんのエレベーターガールの
その仕草その他に、何か「色気」っぽいものを
感じてたんですよね。
(顔が案外女顔なのかもしれませんが)
エレベーターガールとしての苦労その他を見るにつれ、
「やばっ、まじかわいいかも・・・」と思えていました。
一人芝居、男性が女性を演じる、その中で
「女性らしさ、可愛さ」まで表現したとか
これは「誇っていい」事だと思います。
もうアラサーぐらいで「ガール」とは呼べない年齢らしいですが、
「俺なら嫁にしてもいいゼ!」とか色々妄想させられました( ´ー`)
アルマ
THE TRICKTOPS
ザ・ポケット(東京都)
2015/01/28 (水) ~ 2015/02/01 (日)公演終了
満足度★★★
脚本が演技に殺された
物語、テーマは良かったのにほとんどの役者の演技に
「軽さ」(これで意味伝わるかな)を感じてしまい、
まったく気持ちを引き込まれない
残念なお芝居だと感じられてしまいました。
演出/演技指導が「そういう演技」をさせたのか、
演者自身の「熱量」「各役としての背景の深堀り/感情表現の不足」なのか
(自分は「台詞読みマシーン」を見ているかのように感じました)、
どちらにしろ「もったいなすぎる」お芝居でした。
ネタバレBOX
今年の演劇観劇1本目、かなり期待していました。
そして、脚本/テーマとしては十分期待に答えたものだと思いましたが、
とにかく役者の演技に「吸引力」を感じられない、
出来損ないのコメディを見ているかのような気持ちにさせられました。
【気になった点】
・ 脚本/物語自体は(つっこみ所もなくはないですが)
その始まりからの展開、暗号のくだりや過去の2人、
そしてお芝居の最後の締め方までかなり良く考えられているものだと思いました。
・ メインとなる人物達が観客の感情を引きこもうとしても、
その周りのメンバーの演技が「軽く」感じられてしまい、
引きこまれかけた気持ちをすぐにリセットされてしまいました。
・ お芝居自体に感情が引き込まれていない為、
「笑わせ役」達の「笑いネタ」の投入についても
まったく心に刺さらず(クスリとも出来ず)、
素の感情で「ただ眺めて」しまいました。
はっきりいって、無理に笑わせようとするその姿に哀愁すら感じました。
・ この「軽さ」は演出/演技指導によるものなのでしょうか?
あるいは役者自体がまだ経験が浅いその他の理由から、
「集中しきれていない」「各役としての背景の深堀りやその感情を理解し表現する事が出来ていない」
など、観客側に伝播するもののない、
単なる「台詞読みマシーン」になってしまっていたのでしょうか?
演出/演技指導によるものだとしたら役者さんが可哀想ですし、
技量不足によるものだとしたら、
一部高い熱量を持って演技をしていた
役者さん達の努力が逆に浮いてしまうようで悲しすぎます。
・ 主人公の演技には気持ちを引かれるものがあり、
ラストの主人公/ヒロイン2人の対話には
それまでの吸引力を10%とするなら
一気に90%まで気持ちを引っ張られ、涙腺を緩ませられてしまいました。
+この場面で登場する過去(学生時代)の2人の演技も良かったと思います。
この吸引力の何割かでも、本劇中にもっと散りばめてもらえていたら・・・
・ 学生時代の2人の天才の出会い、そして突然の別れの後
・ 天才であり続け孤独であり続け、自分を「猿」と称した主人公
に対して、その双対象である
・ 天才である事をやめて自称「凡人」になったヒロイン
の側についての物語をもっと深堀りして欲しかったです。
それこそ主人公とタメを張るぐらいに「凡人」となった、その背景を見せて欲しかったです。
それでこそ、フライヤー通りに「天才」と「凡人」、この2人の対比が活きたかと・・・
(本劇中ではヒロインの一部の台詞でのみ、自分が「凡人」となった理由が
語られており、ちょっと主人公側に比べて背景が弱いかと)
・ 舞台上部の映像について、前方席からは完全に上を見ないとその内容が確認出来ず
(見逃す事も多く)、舞台上のお芝居への集中をさえぎる存在でしかなかったかと思います。
映像で暗号の説明その他を行うのであれば、もう少し舞台セット構成に工夫が欲しかったかと・・・
せっかく前方席を詰め過ぎないように配置して観劇しやすさを考慮してくれた、
と感じていたのにいざ舞台が始まったら「後ろの席にすれば良かった」と
思い直してしまいました。
・ 本劇について、フライヤーのあらすじからは、「2015年現代」のインターネット、IT社会、という雰囲気が
感じられていたのに、セットが未来的/宇宙船内部のようなちょっと浮世離れした構成になっていた事も
実際演じられたお芝居との間にちぐはぐさを感じてしまった要因かと思います。
PCの代わりや、舞台中央その他にお立ち台的な台を置いた所までは良かったと思うのですが・・・
・ 「メリハリ」の付け方をしっかり決めていなかった?
重要な場面などで微妙に笑いを取りに行こうとしたりせず、
「ここは真剣に」
「ここは笑いネタをぶっこむ」
など、ちゃんと切り替えをしっかりして欲しかったです。
また、物語中真面目な役と、完全にコメディな役との格差がひどく、
これでは「この役はいい演技/いい役者」
「この役はダメな演技/ダメな役者」
のように、与えられた役で役者さん自身の評価が分かれてしまいます。
自分は主人公や途中以降の「過去の記憶/主人公との決め事」とつながった後のヒロインを8点として
笑いだけのテロリスト集団などについては1点(舞台を壊す不要な存在)と感じてしまいました。
これでは役者さんが可哀想すぎます。
・ 前半、休憩までは全く舞台上のお芝居に引き込まれる事はなく、
後半、物語が動くのに合わせてやっと各役者の演技に熱が入ってきた、
吸引力が感じられるようになった、
かと思ったのですが、
その後も前半同様の「軽さ」の抜けないグダグダ感がたびたび入り、
やはり物語に引き込まれる所までは行けませんでした。
・ はっきりいって「コメディ」として作品を作ろうとしたのでないのなら、
微妙なラインの笑いを狙うよりも、脚本/テーマの良さを活かした
骨太なお芝居をさせた方が良かったのではないでしょうか?
主人公/ヒロインを中心に、
主人公を追い詰めた両親や、
エシュロンコードの利用を認めさせる為に
テロリスト活動に加担したリーダーなどの存在を
うまくシリアス側で描いていけば、十分に「面白い」「気持ちを引き込まれる」作品になったかと思います。
・ 舞台セットについて、基本明るい状態であり、
自分のシーンの終わった役者がいきなり演技をやめて立ち去る、
という場面転換の仕方ははっきりいって「下手な観せ方」すぎます。
(これも場面場面でお芝居への集中を切られてしまう一因になっていたかと)
もう少しいい場面転換の方法は考えられなかったのでしょうか?
・ 序盤こそIT用語などにうまく合いの手的に説明を入れる事で
観客の理解度を損なわない工夫ができていたと思いますが、
途中からはもうそういった工夫がまったくなくなり、
「用語の意味が分かる人だけついてくればいい」とばかりに
IT、インターネット用語などのキーワードを多用していたかと思います。
一部の観客はもうお話自体についてこれていなかったのでは?
配役の中に、そういう言葉に弱い人物を置く、などして
うまく説明を織り交ぜていく事はできなかったのでしょうか?
(あるいは平易な言葉に置き換えるなど)
非常にもったない作品だっただけに、
「ここを直せばもっと良くなるのに」と思えてしまう部分が多々心に浮かびました。
うーん・・・
PS.演技が「軽い」「薄い」と曖昧な表現を使いましたが、
今思えば多分
「その役を(その舞台上で)”本当に生きている人間”として演じられていない」
(ただ脚本/台詞にそっているだけ)と感じられた、という事だと思います。
(自分が観劇して思った感情ながら上手く説明できていませんが)。
役になりきれていない、あるいは役の気持ちを深く理解していない、
その為役の発する言葉が単なる「台詞読み」に聞こえてしまう、
という感じでしょうか。
朗読劇『リア王』
劇団AUN
浅草アミューズミュージアム6階イベントホール(東京都)
2015/01/13 (火) ~ 2015/01/13 (火)公演終了
満足度★★★
朗読慣れ/不慣れがモロに出てしまったかと…
前半、声優という職業としょっぱなから感情をのせられる「リア王」役ゆえか
大塚さん1人の上手さが突出、他の演者さんのほとんどは
「昔言葉」と感情的に平静の場面ゆえか
上手く気持ちをのせきれず台詞を「読んでる」感が強かったかと。
そのまま休憩まで、ここでは
・ リア王と3人の娘
・ ある貴族と2人の息子
以上の物語の動きを理解出来ず。
これなら無理に昔言葉を使わず現代風の台詞にした方が
各演者上手く演じられたんじゃないかなあ。
(聴くこちらの理解しやすさも含めて。)
しかし後半そうそう各役それぞれテンションの高まる場面では
見事に全演者、気持ちを込めて来たかと
(やはり感情をのせる演技の方が「役者」としての良さが出しやすい?)。
ただしその後も役の心情が落ちる場面では
どうしても演技というより「読んでる」感が強まり、
全体としては波の激しい群読だったかと。
朗読上手とそうでない人の「差」が強く感じられる場面多々。
この練度なら普通にお芝居してもらった方が理解しやすさ、
求心力とも上がったかと…
昼前後半、夕方前後半、とこなしていく中で、
演者さんも何か掴みかけているような気はしましたし、
(自分が聞く限りでは前半より後半の方が「ノリ」が良くなっている感じ)
今後に期待ですね( ´ー`)
1/15(木)追記.聞いていて何に混乱したか
脚本ゆえか役作りゆえか、
とにかく各役が上手に演じ分けられていない。
自分は朗読は基本目を閉じて聴くのですが、
「今の台詞は誰(役)が発したものか?」が判別出来ず、
実際目を開けて確認しなければ誰(役)の
台詞だったのかが分かりませんでした。
それもあり、「リア王」の物語の理解にかなり難航してしまいました。
実際舞台上に演者自身がその姿を晒し、
身体表現を使って演じるお芝居と違い、
発せられる声だけがその全てとなる朗読(群読)では、
もう少し各役それぞれの台詞の発し方に
個性を持たせた方が良かったのでは?
シカク
企画演劇集団ボクラ団義
サンモールスタジオ(東京都)
2014/12/18 (木) ~ 2014/12/28 (日)公演終了
舞台演劇「シカク」に隠された最後の死角(もしかしたら久保田さんが見せたかった本当のもの?)
「ち、違う、佐藤ノブさんの男Cは!」
というネットの噂を耳にして、
まだ回収出来ていなかった佐藤ノブさんの男C
(この噂を聞くまでは、結構な回数観劇したし
今回はもう諦めていたのですが)
かなり興味が湧いてつい再度観劇。
しかし、まず目を引かれ、
そして目を離せなくなったのは男A福田さんでした。
福田さんの男Aは公演期間序盤に1回観劇していて、
「後半に向かうほどに上手く感情がこもっていく、
しりあがりに良くなっていった回」と以前感想をあげています。
その福田さんが、
・ 福田さんという役者としての自然体
・ 福田さんとしての男Aに対する理解の深まり
(この時の男Aはきっとこんな気持だったのだろう、という)
など、色々なものが活かされたのだと思いますが、
今日はもうしょっぱなから(あくまでも自然体でありながら)
とても感情を載せた男Aを演じていました。
その感情の起伏の見せ方が「男Aの1つの形」にして、
(観劇している自分が)
「男Aの立場に立ったのならまさにその時その気持ちになるはず」、
というぐらいピッタリハマるものだった為か、
その豊かにして感情爆発といえるぐらいに
熱の入った表現にもう夢中になりました。
※ おかげで「シカク」の中で自分には謎だった部分が
また1つ解明されました。
主目的だったはずの佐藤ノブさんの男Cについて、
これもまた良いものを観せてもらいました。
まさに芝居経験年数の違い、芝居巧者としての演技、
「シカク」を1回でも観劇している人なら
ぜひ自分の観た男C役とノブさんの男Cを比べる事で、
役者の役に対する理解と想像力、役作りによって、
同じ脚本でも舞台上の表現はここまで変わる、
という事が比較できて楽しいと思います。
※ あくまでも演出の許可あっての事でしょうが( ´ー`)
沖野さんについては「いわずもがな」、
言える事は「表現力がスゴイ」の一言。
沖野さん同様平山さんについても初日から既に完成されていた、
今日もまさに「演技上手」と言えるお芝居でした。
(その表現についても、微細な部分について
表現方法を変えてきた(?)と思われる部分があり、
「更に」分かりやすく共感しやすくなった部分がありました。)
そして、男A:男B、男A:男Cのそれぞれの感情爆発が共鳴しあうように、
今までに自分の観てきた「シカク」とは
また別の色合いを持った(自分の知らなかった)
ミステリ要素よりも感情劇としての
「シカク」を見せつけられたような気がします。
※ 初回からの竹石さんの「男A」が一番ピッタリ(適役)、
とずっと思っていましたが、
劇の色が変わると今度は福田さんがピッタリ、と見えてくる。
舞台「シカク」の自由度の高さに驚きです。
あと、「少々のトラブルで慌てない」、
これが今日の役者陣全員徹底出来ていたようで、
多少のミスなど気にせず自分の芝居を続ける事で、
(観劇する側に動揺を与えない)
求心力を落とさないままに閉幕までを演じきっていたと思います。
(これがある意味一番褒めたい点かも知れません。)
ネタバレBOX
【今日の感想】
・ 「佐藤ノブさんの男Cは狂気すら感じる」という噂を聞いて、
今までの男Cの方はそれぞれの自然体かつ
妹(女)との関係を自らバラした後も、
(自分が「弟である」という事が女にバレるまでは)
あくまでも1人の人としての人格でもって、
ある人はひょうひょうと、
ある人は大人として、
ある人は(妹への優しさを含め)感情を表に出した形で
演じていたと思います。
しかし、ノブさんの男Cは全く別のアプローチで役作りし、
攻めてきました。
序盤からの表面上おだやかに感情を表に出し、
時に芝居がかったリアクションを取る、
やさしめな刑事さん、といった感じが、
(「狂気」の噂を聞いていた自分には、その言葉の端々にすら
狂気の片鱗が感じられましたが、それは単に勘ぐっただけ?)
男Aに妹との関係について指摘された時から、
別人のように隠された人格を表に出します。
開き直った形の演技というよりも、
・ あの父親の子供であり、業の深い血を受け継いだのだと自ら認めている
・ 社会を生きる上で全てを隠し、表面上善人としての仮面をかぶる
・ 妹と共に弟を殺した事(共犯者としての顔)
・ とみせかけて兄を殺して兄になりすましている事(妹すらだます)
といういくつもの仮面をかぶっているように見えました。
(多分平時と裏の顔、以上にいくつかの人格が
ノブさんの役作りの中ではあるのでは?と
思えるぐらいの多彩な表現でした。)
※ このいくつもの仮面について、まさに妹同様の名優にして
(血の繋がりはなくとも)仮面の兄妹として
2人の重なる面を感じました。
本来男Bだけが自分の中にいくつもの異なる記憶という
感情を持っている劇、
というイメージがノブさんの男Cに覆されました。
その男Cが「君は、あいかの本当の姿を知らない・・・」と言うからこそ、
悲劇のヒロイン、失明を装い犯人を追う女、という女の姿に
「この兄の妹である」という事ゆえの「狂気」の色を感じました。
(他の役者の演技が派生して別の役者への観方を変化させる、
のを今回一番感じました。)
・ 福田さんの男Aについて、
女の「嘘」への気付き、「不信感」に始まり、
女の「嘘」、男Bの「嘘」、男Cと女の「真実」に至るまで、
何かを知り何かとぶつかるごとに変化する男Aの
感情面を見事に演じてみせ、
今までこの悲劇について何も知らなかった、
その真実に触れてしまい、
「自分の今までの世界が全て嘘であった、と思いたい」
と言う男Aは、まさにやり場のない葛藤の中にいるようでした。
そして、今回の福田さんの男Aの表現によって、
「シカク」の中で語られる
「これは恋の話だ」という言葉についての説得力が感じられるようになりました。
今までは、男Aは愛した女にずっと騙され続けた上、
兄弟妹のドロドロの愛憎劇の真実を客観的にストーリーテラーとして見守り、
そしてバーベキュー当日、川へと飛び込んでいく(逝く)3人を見送る第三者、
という兄妹(きょうだい)達とは結局距離を置いた
位置にいる(しか立たせてもらえなかった、かわいそうな)存在だと思っていました。
(その為、「シカク」は完全な正方形ではなくいびつな四角形なのではないかとも)
しかし、
・ 妹と兄に共謀して殺されかけ、逆に兄を殺して兄を演じ、
妹の愛を勝ち取っていた男C
・ 弟に殺され、その死を臓器提供という形で葬られた事に始まり、
男Bの記憶をどんどんと兄としての記憶(弟と妹への憎しみの記憶)で
埋められていき、
ついには女への凶行へ及ぶも、かつての憎悪と愛情の間(はざま)で女を殺せず、
ならばいっそ女のそばで生きてみよう、と考えた男B(ある意味、兄)
・ 兄と共に(双子の)弟を謀殺し、その秘密をかかえたまま
兄である男Cを愛し、世間体から身を守る為に男Aと偽装の恋愛を演じてみせる女
に対して、
・ 女の双子の兄(兄弟)と同様に、狂おしいほど女を愛し、
その愛を受け入れられたと喜び一緒に暮らした2年間、
そして起きてしまった事件と前後して、
女の今までに隠された「嘘」に気づき、
そして失明すらも「嘘」という不信感から、
その目的を追ううちに男B、男Cの存在から
女とその兄にあたる双子の兄弟との秘密、
そして自分が信じ続けていた女との恋愛感情含め全てが「嘘」だった、
と知らされ、「一体何を信じればいい、いっそこんな世界なら・・・」と
苦悩する男Aもまた
恋愛劇としての「シカク」の一角を担うにふさわしく、
この「シカク」が正方形的なものだったのでは、
と改めて感じました。
※ 今回の福田さんの感情爆発と言えるほどの熱の入った芝居によって、
この「シカク」の形を正方形と想像させた事もまた、
久保田さんの予想を超えた役者の力量という
「伏線」だったのかも知れません。
そして、先の男Cと同様、ここまで純粋に女を愛した男A、
それを完全に騙し続けていた女について、
「ものすごい名優」でかつ「悪い女だ!」という観方を持たされました。
・ 感情爆発の共鳴
感情爆発する男A福田さん
同じく熱のこもった演技をする男B沖野さん
とうとう裏の顔を見せ悪魔的に感情を露わにする男C
この激しい感情のぶつかり合いがすごかった。
この時は、
「もし、今日が落ち着いた芝居上手の女を演じる平山さんではなく
最初から感情を表に出して演じていた女役の方だったら
どこまで求心力を高められただろう?」
と、そんな組み合わせの妙を想像してしまいました。
しかし、最後の最後、弟を兄と共謀して殺した事、
更には兄と思っていたのは実は弟だった事、に対して
平山さんの女が激しく感情を表に出した時、
「感情の四角形『シカク』の完成や!」
(調和の逆もまた調和、とでも言うのでしょうか?)
という気分にさせられました。
いや、いいもの見たな、と(毎回思うけど)
【本劇についてずっと思っていた事】
どうせまた観劇に行くのなら、やっぱりツッコミ入れておこう、
と観劇前から思っていた事があります。
以前から書いてますが、4人のメインキャストを
それまでバイプレイヤーにしてアンサンブル的な役割を得意とした
各役者陣にも演じさせる、その上組み合わせは毎回変わる、
という高すぎるハードルを持ったこの企画について、
・ ボクラ団義やその役者陣のファンには楽しすぎる催しである
と同時に
・ ボクラ団義について、噂を聞いての初観劇など初見の方や、
いつものクォリティを求めて来た方にとっては、
(特に初回を迎える各演者陣の緊張その他から来る
ミスなどのトラブルから舞台の空気自体が壊れてしまった場合)
「ハズレ回」となってしまい、二度とボクラ団義を
観に来てくれないかも知れない
そして、「シカク」の4人についてはそれぞれ型があり、
その型にピッタリマッチする役者と、
その型に合わせるのに苦労する役者とがいる。
型=設定された性格や台詞、演出上の表現方法(オーバーアクションでの笑いネタ、など)など。
※ 特に組み合わせが毎回変わる事も合わせて、
各役に熟練するのが難しい
そうした場合に、脚本/演出側の歩み寄りが必要だったのではないか?
どの回もある一定以上の水準を満たす為に
各役者の苦労している点について、補助的な修正、補正をかける必要が
あったのではないかと思いました。
(役者に合わせて役の演出を若干変える、
本来感情を抑えての長台詞に感情を載せる事を許す、
自分なりの言い方に変える事を許す、など)
しかし、福田さんの1回目と今回2回目を観て、
※ 前々から「のびしろ」その他色々言っていますが
まさに「悪戦苦闘」「苦悩」する姿に始まり、
「本領発揮」または「成長」した姿
(本来持っていたものが「覚醒」した、と自分は感じていますが)
を観せつけられると、
この「覚醒」する姿を見せる事こそが、
「舞台上で行われる『シカク』と同時進行するもう1つのドラマなのでは?」
と思えました。
福田さんだけじゃありません、
2回以上観劇出来た各役者さんについては
(元々ベストの状態に持って行っていた各役者さんについてもなお)
それぞれが個性の出し方、感情の載せ方、表現の方法など、
また組み合わせによってうまく相手を立てる事を考えて、
回ごとに色々工夫/努力している姿が見受けられました。
そして今回のように、まさに「覚醒」といえるほどに
前回よりもあきらかに「いい芝居」をしている姿を観ると、
舞台上での物語以上に感動してしまいました。
※ 客観的に舞台上の演劇のみを楽しみにしている人にとっては、
先の話の「初見でミスの多い回にあたってしまった場合」など、
劇団に対してマイナス評価して終わり、という感じでしょうが
ボクラ団義という劇団とその脚本/演出、その劇団員達が作るお芝居と
その各人の活動を応援し、また楽しみにしていた人達(ファン)にとっては、
この「覚醒」する姿をその目で直接観られる事が一番嬉しい出来事だったと思います。
もしかしたら久保田さんは、
まさに自分の劇団の役者達の元々のポテンシャルと
舞台上での成長、覚醒を信じていたのかも知れません。
そうだとしたら各役者達は見事に公演期間中に主催の期待に応えたと思います。
この過程を観てしまうと、「観客第一」とは思いつつ、
舞台の上でのもう1つの劇「成長劇」を観せられた自分にとっては、
やはり「シカク」は革新的な試みであったと思います。
そして、こんな大博打をうった久保田さんには、
きっと(長い年月を一緒に芝居を通してつながって来た仲間たちへの信頼による)
勝算があったのかと思います。
一見(いちげん)さんの評価を下げてしまう可能性はありつつも、
ボクラ団義のお芝居に始まり、各役者までを応援してくれるファンにとっては、
かけがえのないもの、
芝居だけではない劇団員と劇団の向上心、
そして1枚また1枚と「脱皮」していく姿を
舞台上のお芝居と同時進行で表現して魅せた、
と言えるのかも知れません。
この隠されたもう1つのドラマまで本当に計算づくだったのだとしたら、
叙述トリック、ロジカルミステリの大家にして
舞台空間上で「芝居表現以上のモノを観客に魅せ、感じさせる」
演劇界のスーパーコンピューターか、
はたまた(成長という)未来の預言者か、
すごい先見の明を持った人ですね、久保田唱さんは。
更にすいません、
自分は基本的には同じ劇を同じ方があまり複数回観劇する事に
好意的な気持ちを持っていません。
叙述トリック、伏線をうまく張るボクラ団義のお芝居でも、
初見の1回、伏線回収で1、2回、計3回が気持ち的に楽しめる限界かな、
と思ってます。
そして、ある役者さんが好き、劇団を支援したい、
などの気持ちはありがたいものでしょうが、
同時に劇団/役者さん自身の成長機会を奪い、
最悪内輪向けの芸しか出来なくなってしまう可能性すらあるのでは?
と思っていたので。
しかし、今回の覚醒/成長する姿を観て、
例えば舞台を1回観て、
「まあ、こんなものか」と物語/役者/座組自体を
判断したとしても、
その公演期間中に(「役が降りてくる」などの言葉のように)
ノリにノリ、ハマリにハマリ、
そして役者さん自身がその元々持っていたポテンシャルを本領発揮したり、
今までの自分以上に成長した姿を見せる、
(逆に全員不調な回もあるとは思いますが)
その輝くまでの成功回と、何より役者さんの「覚醒」する姿を観るのは、
(演劇を客観視する、と決めている方はともかく)
演劇を「自分の気持ちを引き込んでくれるもの、
(現実世界に抱いているモヤモヤした全てから引っ張りだして)
感情を持って行ってくれるもの」として愛するものにとっては、
舞台上のお芝居以上に素晴らしいものを
観せてくれた瞬間だと思います。
それに出会う為の複数回観劇であったとすれば、
「なるほど、演劇にはそういう楽しみ方もあるのだな」
と納得するしかありません。
今年最後のめっちゃ長文失礼いたしましたm(_ _)m
PS.今日の観劇でめちゃくちゃ興奮した為に、
劇場でずっとアンケートに感想書いてたら、
尊敬する名優「竹石悟朗」さん
(ツイッターへの感想投稿でつい(慌てまくった為)漢字間違えてしまい、
今ツイッターでツッコミいただいたばかりです( ´ー`))
にお声がけいただいちゃいました。
元々「お見送り」とか苦手なのと
「感想は感じたまま良い事も悪い事も書きたい」
と決めていたのもあって、(距離を置く意味と人見知りとで…)
役者さんとお話した事はなかったので、
かなり慌ててしまいつい自分からベラベラと、
今日観た福田さんに対しての興奮を語ってしまいました。
後でツイッター観たら、お見送りでの役者さんとのお話では、
役者さんの今回のお芝居、自分の役にかける想いなど、
(僕がいつも一番聞きたいと思っている)
そんな事を聞ける場だと言う事を思い出しました。。。
それもみんな「妖怪のせいだ!」ならぬ、
「福田さんの(演技が輝いた)せいだ!」( ´ー`)
今年最後の更に最後に(演劇自体以上に)いいもの観ました。
PS2.深夜にふとまた考察
どうしてここまで自分が興奮したのか?
考えてみたら(自分が観た限り)、感情爆発型の男Cはノブさんだけだった。
────────────────────────────
男A福田さん:男B沖野さん(同じく感情を猛烈に爆発させる)
────────────────────────────
で生まれた求心力が今度は
────────────────────────────
男A福田さん:男C佐藤ノブさん(の暗黒面の爆発)
────────────────────────────
で更に高まり、
────────────────────────────
男A福田さん:男B沖野さん:男C佐藤ノブさん
────────────────────────────
3人がぶつかり合う(というか男A+男B VS 男C)所で
更に感情が高まり、
そして最後の最後で
女平山さんが感情を表に出した所で
────────────────────────────
男A福田さん:男B沖野さん:男C佐藤ノブさん:女平山さん
────────────────────────────
の感情の「シカク」が完成して、
感情を引っ張る劇として頂点まで来た、
という事かしら?
────────────────────────────
男A竹石さん:男B沖野さん:男C大神さん:女平山さん
────────────────────────────
が(自分が観た中では)一番バランスがとれている形として、
もし
────────────────────────────
男A福田さん:男B沖野さん:男C佐藤ノブさん:女????
────────────────────────────
の女役に感情を最初から表に出すタイプ
(自分が観た限りでは誰だったろう?)
が来てたら、
完全に別の「シカク」が出来上がってた訳か。。。
その組み合わせ回もあったのかな?
パンフレット観なおしてみよっと。
PS3.男Cについて、各役者さんは男Cの基本人格を
まず定めてそのそれぞれの感情
(序盤若手をあしらう所から、中盤後半と「真実」が暴かれていく際に
怒りや恐怖や悲しみをいだく)を表したと取れるけど、
佐藤ノブさんの男Cは
「この男は二重人格者(更に三重四重)的な狂気を秘めてる」と定めて、
善人の仮面を剥がされた時、感情だけじゃなく
人格自体を豹変させた、という違うがあるのかな?
こういうのは役者さん本人に聞かないと分からないな。
今回のDVD/BDはオーディオコメンタリだけじゃなく、
「自分は○○をどう表現したかったか?どう演じたか?」
について全役者さんに一言(それ以上)ずつ
語ってもらったりとか出来ないのかな?
(めちゃくちゃ楽しそうな気がするけど)
補足.ただし「上手さ」は絶対的にあると思うものの、
ノブさんの表現こそが「シカク」にピッタリか、
というのはまた別だと思います。
あまり男Cの表現方法が突出しすぎるのも
「シカク」の空気自体を変えてしまう可能性
(4人が主役、から男Cのミステリに変わってしまうかも)
もありますし、笑いネタで若者をあしらう男Cなどは
大神さん、中村さんなどのひょうひょう、大人びた
形の方がマッチしていて会場に笑いが起きやすかった、
など、脚本で定義される男Cとの適合度合いは
逆に遠くなったのかな?という感じもありますし。
※ ただし、ここまで違うと「比較」「考察」
(どっちが自分には表現としておもしろい?
また、どっちが男Cっぽい?など)
などを楽しむ意味でのいい「素材」(隠しキャラ?)
だったのは間違いないかと( ´ー`)
PS4.そう、当日帰りにこれだけは書きたい、と思っていたにも関わらず、
書き忘れてた内容を追記させていただきますm(_ _)m
・ 各感想で「看板役者」「劇団の柱」
「バイプレイヤー(脇を上手にこなす人)」
などの事を書いていましたが、
福田さんは既に十分過ぎるほどに
久保田さんの懐刀的な意味合いを持った役者さんだったんじゃないかな、
(同様他の役者さん達も、久保田演劇の
各ピースを埋める為の重要な存在、
それがたまたまサブキャラなどの
メインではない存在だった、というだけ)
と思いました。
齢(よわい)29?にして、
少女たちとの淡い恋愛に悩む男子学生の役を演じられる役者さんは
劇団中多分福田さんだけ、
そういう「活かせる個性」と「(自分だけの)見せ場」を
十分に持っていたんじゃないかと。
(あ、これは「さよならの唄」での役の話です。)
以上、今年の感想を締めくくらせていただきますm(_ _)m
シカク
企画演劇集団ボクラ団義
サンモールスタジオ(東京都)
2014/12/18 (木) ~ 2014/12/28 (日)公演終了
レアポケモン2匹ゲットだぜ!(今は妖怪ウォッチですかね)
まず、
・ 感想連投してしまっている事
(僕が書くほど他の方が引いてないか心配です…)
・ 今回、ボクラ団義という劇団で
今まで色々サブキャラクター的な役割を
担当してきた皆様の隠された力というか
新しい可能性をどんどん見せつけられるのが嬉しくて、
「お芝居1回としての面白さ」よりも、
・ この役者のここがすごかった!
・ ここがすごくなる可能性がある!
みたいな事書いちゃってます。
(客観性にも欠けまくってます、きっと。)
すいませんm(_ _)m
はっきりいって僕の感想は観劇の役には立ちません。
12/23(火)18:00 竹石加藤高橋松島回観劇。
まず、
・ 高橋さん松嶋さん2人初回かつ本日千秋楽
=この「シカク」に舞台上で慣れていくチャンスがない。
・ 高橋さんは今まで結構変わったサブキャラを
短時間芝居で演じられるのが
(自分が観劇していた限り)中心だった事。
・ 松嶋さんは演劇自体に数年のブランクあり。
という事から、「シカク」慣れした2人(竹石さん加藤さん)に対して、
この2人がどこまで失敗せずについていけるかどうか、
という結構心配される回かと思いました。
※ 回りの方が開演前「今日はハズレかも」的な事を言っていたので
(多分上記の点を心配してでしょうが)
自分としては「グギギ」(見返してやってちょうだい!)
という気持ちで見守りました。
しかし、2人ともすごかった!
(レアポケモンゲットしに来て正解でした。)
(詳細はネタバレとして)
・ 高橋さん、この4人だけの長編舞台を(多分)男Cという役よりも
「役者高橋雄一自身の個性」を使って等身大で演じたのか、
台詞も自分の口調でスラスラと、
感情の込め方も見事で、
「ここまでメインで張れる役者さんだとは気づかなかった」
と正直思いました。
・ 松嶋さん、(ネタバレになる部分は避けつつ)
見事感情の起伏をクライマックスに向けて
盛り上げて女を演じきっていたかと。
場慣れしている竹石さん加藤さんと相乗効果的に歯車が噛み合って、
ベスト回が☆5つとしても、
この4人の回も(比較せず)普通に観たら普通に「面白い!」、
と感じられる回に仕上がってました。
役者試しの「虎の穴」みたいなお芝居ですね、この「シカク」は( ´ー`)
ネタバレBOX
・ 「男C」について、他の担当の方々はひょうひょうと、
または大人として、若者(男A、B)を軽く受け流す感じで接っし、
女への感情も序盤あまり表に出さない、
あまり感情的にならない演じ方をしていたと感じました。
対して高橋さん、あくまでも「役者高橋雄一」として
素の感情も表に出し、自分本来の口調/しぐさを使っての
「高橋雄一の男C」を演じていた、と感じました。
それが妹を心配する「歳の差のあるお兄ちゃん」という
雰囲気を出していて、きっとこのお兄ちゃんは
「妹が小学校4年の頃に高校生ぐらい、
両親がいなくなってからは父親代わりになって妹に接し、
その面倒を見てきたんだろうな」
となんだか温かい気持ちが湧いてきました。
最近客演でどんどんもらえる役どころも上がってきて、
しかしお芝居中名誉の負傷をしてしまう、という
苦難の道を進んでいたとは聞いていますが、
(本来のポテンシャルなのかこの修行のたまものなのか)
「全然メインで張れる役者さんじゃないか!」
というイメージをいだきました。
・ 「女」、松島さんについて
自分の席位置が完全壁際で序盤女の表情、芝居が全く見えなかった事もあり
中盤までのあくまでも感情を抑えた(抑揚のない)台詞回りに、
「自分なりの女の個性を狙っているのか?」
「あるいはブランク明けの長編芝居ゆえに覚えた台詞を(感情を載せずに)
発するだけで精一杯なのか?」
自分が松嶋さんのお芝居自体をほとんど観た事がないゆえに
判断がつかずに時間は流れました。
しかし、女がとうとうその「本性/本質」を見せる段になって、
見事に感情を台詞や芝居に載せてきました。
そして、表情が見えた時、想像以上に表情で色々語る(表情芝居の出来る)
女優さんなんだな、と感じました。
と、本日初回の2人が思わぬパフォーマンスを発揮。
対して、
・ 「男A」竹石さんについては、今回何度も感想で褒めちぎっているので、
今日思った事を1つだけ。
今日は座席の悪さゆえにその表情、姿自体が見えない場面も多々ありました。
しかし、その台詞の発し方、そこに載ってる感情だけで
今どういう表情をしてどういう芝居をしているのかが
観える気がしました(だから見えなくても進行上まったく問題ない)。
※ 自分が複数回観劇しているからその記憶で分かるだけ、
という訳ではないと思います。
自分は朗読劇が好きで良く聴きに行くのですが、
竹石さんの台詞回しは映像なしでもイメージが見える、
朗読者としても一流になれるんじゃないかな、というぐらいにお見事でした。
※ 考えてみたら、声だけで映像がイメージできてしまうと
死角(暗闇)での芝居もバレバレになっちゃいますね、
竹石さんが「女」役じゃなくて良かった( ´ー`)
って事ですよね。
・ 「男B」加藤さん、序盤の男Aとの感情を載せてぶつかり合い笑いを取る場面、
男Bだけのせいではなく、両者の熱量や求心力の方が勝ってしまった為かと思いますが、
いつもの「シカク」のように笑いが起きず、観客みんな静かに見入っている。
※ 思い出しました。耳蒼を複数回観劇した際、
初日は全演者の熱(あるいは緊張感?)がどの場面でも
入りすぎているように感じ、
「笑い」ネタの場面でも求心力の高さゆえに
観劇しているこちらも集中しすぎて
「笑う」という反応すら出来ず、自分は
「すごいモノを観ている、とは分かるが何故かいつもの
物語としての起伏、バランスの良さを感じられなかった」と
☆4つにしたのでした。
2回目以降は熱量が丁度良いバランスになったのか、
自分が慣れたのかとてもとても楽しめましたが。
そんなやりとりを見ていて、
「男Bは役の形が☆型で、加藤さんは○型のように、
型自体があってないのではないか?」
元々クリーンなイメージ、正義感などを演技その他で自然と
醸し出す(かもしだす)加藤さんには
「男A」の方が合ってるんじゃないかな?
という気もしました。
※ 特に本日観劇前いろいろモヤモヤ考えていて
──────────────────────────
「男A」は演者次第で色々な方向に性格付けできる、
またそうしても物語に影響は出ない、
「男C」は後半の本性を見せる所まで、
笑いはとりつつ若者達と自由に接する、
女への接し方も同様
「女」はもともと「元役者」で「暴行の被害者」という事で、
後半の本性を見せる所までは、
この理不尽な状況への怒りを見せてもよいし見せなくてもよい
(演者ごとの個性の付け方)、
それに対して、「男B」は
・ 序盤の興奮しての「男A」とのやりとり
・ 心の中にかかえた「じんぱち」の記憶、
暴行の記憶、「刺客」として女に近づく自分、
死んでしまおうとする自分など、
色々な心情を場面場面でなんらかの形で
表現し続けなければならない
(というかそれをするからこそ「伏線」になる)
・ 「男A」へ真実を打ち明ける場面、
「男C」と対峙する場面などでの感情の盛り上がり
など、かなり脚本/演出で性格/演技自体を決められている、
役者の当てはめが難しい役なのではないかな?
と思ってました。
──────────────────────────
加藤さんが「男B」を演じる場合、加藤さん自身が本来醸し出す
雰囲気/色(クリーンなイメージ、正義感)に対して、
脚本/演出側で少し補正を加えないと行けないのではないか?
と勝手に考えました。
しかし、そんな事でへこたれるCM男(JAL?の顔)ではありませんでした。
加藤さん自身が元々得意としている感情(「葛藤」「悲しみ」など)の伝わる、
求心力のある演技力、芸力を駆使して、
(沖野さんの「男B」のように狂気すら含んだ葛藤、
悲しみの観せ方とはまた違った演じ方で)
見事に「加藤さんの男B」に場の空気ごと補正していったように思います。
※ 多分「純粋な自分自身の状況、自分を殺した弟と妹への愛憎」を
醸し出していたのかと。
※ 虹鋼のサンゴ、ゴーストライターズの秘書、と
元々愚直なほどに正義の心を持ちながら、善悪その他に葛藤させられる、
そんな役をやらせたらやっぱりいい芝居をするなあ、
涙腺に来る演技をする役者や( ´ー`)、と思いました。
⇒
2014/12/24(水)
─────────────────────────────────
すいません、長い説明のわりに何言ってるのかよくわかりませんね、これじゃ。
「男B」が芝居がかったバカっぽさのあるオーバーリアクションで
ネタを振って、それを「男A」がスルーで返す、という笑いネタの場面
男B「本だよっ!!!!」
男A「(スルーして)彼女は?」
沖野さんの大きな体躯で芝居がかったオーバーリアクション/台詞だからこそ
合う笑いネタの振り方であって、
加藤さんの場合、もともと醸し出す「純粋さ」「正義感」「一本気」という
雰囲気や「自然体」「等身大の演技」が似合う(と思う)為、
いきなりキレ芸をやってみせた時、まわりがその内容を理解して笑う前に
場の空気を「緊張感」として掌握してしまった、という感じでしょうか。
そしてそんな雰囲気をまとった加藤さんだからこそ、
・ 男Aの方が似合いそう
・ 男Bをやるなら、男Bの常時のテンションを少し下げた形で演じる
男B「ほら、本だよっ」男A「(スルー)彼女は?」男B「無視かよっ!(ちょっと怒る)」
方が、加藤さんらしさが活きるのかな、と思ったと。
ただ、この笑いネタを外してしまったのはともかくとして、
「純粋さ」を持った男Bの「葛藤」する心理については
加藤さんが今までに演じてきた作品と同様、
基本は「善」であるがゆえに、自分の行ってしまった「悪」の行為や
記憶に対してものすごく内面で葛藤する「男B」、
というイメージを見事に表現されていたのかな、と。
思いましたが、ボクラ団義とかかわる限り、
葛藤しない加藤さんを観たことがない、
そしてその葛藤が物語、場面を盛り上げるきっかけとして
毎回必ず活きているかと。
(虹鋼のサンゴがやっぱり一番加藤さんを
「この人誰だ!?すごく気になる演技をする」
と意識した場面でしたね。)
そういう意味で「葛藤」のキャラである「男B」に
「葛藤」の芸風を持つ加藤さんが合わない、という事は”絶対”
(って言っちゃっていいのかな?)ない訳で( ´ー`)
(本日もう1回予約しちゃったので、もう1回確かめられそうです。)
─────────────────────────────────
・ と、今回の組み合わせでは、「会話劇」だからという事もありますが、
台詞/声に見事に色々な感情を載せて魅せる台詞回しの芸達者が多かったな、
と思いました。
・ この4人での「会話劇」にして「感情劇」、
ベスト回とは言えないとしても
この回だけを観たら「これが『シカク』」とちゃんと認められる
そんな良回でした。
・ 久保田さんは「シカク」にて、
自劇団の各役者陣のその力量や
見え始めた「のびしろ」に対して、
今後どう対応していくのかなあ・・・
それぞれいい個性/色を持っているので、
主役級で物語を作っても
面白いんじゃないかな、と自分は思います( ´ー`)
(というか観てみたい。)
毎回毎回長文すいませんm(_ _)m
シカク
企画演劇集団ボクラ団義
サンモールスタジオ(東京都)
2014/12/18 (木) ~ 2014/12/28 (日)公演終了
フルスロットル回
※ 最初に、観劇回数分の投稿すいません(4回投稿?)。
自分も「観てきた!」回数分投稿してよいのかどうかまだ迷ってますm(_ _)m
12/22(月)14:00 竹石沖野大神春原回観劇。
覚えている限り本日の観劇で思ったこと(ネタバレしない方)。
・ (人生で関わった時間の長さではなく)
舞台上で重なった時間(共演/競演)の長さが生きているとしか思えないほどに、
出だしからカッチリと(いや、むしろ「ガチリ」と完全に)
歯車が噛み合い続けた男3人看板役者陣。
・ 男Aを演じているのではなく「男A自身」としか思えないほど
全ての演技が「竹石悟朗がする演技」ではなく
「男A」そのものだった竹石さん。
・ (二度観だからこそ分かる)その表情、動き、発する台詞まで、
全ての所作に男Bの抱える感情を
(バレバレのオーバーアクションではなく
あくまでも「知ってるから分かる」そのギリギリのラインで)
載せてきた沖野さん。
・ ひょうひょうと、ウソもホントも自然体、「(脚本家に)造られたネタ」も
「本当の会話」として(台詞を言うではなく)
Let's会話のキャッチボール、
喋って笑いを取ってけむにまく。
演劇界のスマイル詐欺師大神さん。
・ (後から聞いたら緊張しまくりだったらしいけど)
前回に比べ演技がノリにノッてる、
その気持の表現が観ているこちらに痛いほど伝わった春原さん。
(勘違いだったらすいませんm(_ _)m)
・ (今日はカメラが入っていたらしいのでそのせいか?)
物語のクライマックスへ向けてのテンションの上がり方が
いつもがスキーの初心者コースなら、
今日はいっきに上級者コース、
それぐらい「熱」を込めまくってた、
まさにフルスロットル、
(自分が観劇した中での)MAXボリューム回。
※ もしも今回の役者陣が今後の組み合わせ回
全てもこのテンションで行くのだとしたら
「役者としてのエネルギー」が
千秋楽まで持つのかな?と素朴な心配も。
男3人と女の見事な競演により、
本舞台組み合わせ中で最高に引き込まれる回になりました。
(自分の中での「ベスト回」更新)
ネタバレBOX
思ったこと(ネタバレ入る方)
・ 今日の組み合わせを最後まで観て思ったのは、
男3人は初回も組んでますが、
今までの観劇回とは「レベル違い」の出来かと。
(撮影回だった事も関係あるのかしら?)
・ (久保田さんは)『シカク』の男A、B、C、女を
竹石さん、沖野さん、大神さん、平山さん(か大友さん)を
イメージして作ったのかな、と。
※ 女性が春原さんでない理由は単に「身長」m(_ _)m
自分の中では女のベストは平山さんか「今日の」春原さん。
※ ただし、投票では「ベスト」なメンバーよりも、
今まで「この役者さんの色んな演技をもっと観たかった!」
という気持ちの方が強いので、
男についてはそれぞれ別の方々を選びました。
・ 本劇は
───────────────────────
暴行事件翌日の病院~バーベキューでの事故(?)
───────────────────────
の間をループしながら、各シーンを、
隠して、見せて、切り替えて、繰り返して、そして飛んで、と
物語の各ピース(シーン)1つ1つを、
バラバラのようでいて実は計算されつくした絶妙の配置で
観せてくる(魅力の魅でも)。
そして素晴らしいロジカルミステリを完成させていました。
「このタイミングでそのシーンにつなげるか!」
「脚本/演出家久保田さんはまさにタイミングの魔術師だ!」
・ 天井の棒が伸びてくる意味、やっと分かりました。
あれ、(フライングして先(真実)のシーンを観せる時の)
「謎の相手」との会話での「相手」だったんですね。
・ 劇中で男Aが語る「一流の役者」の定義がまさに竹石さん
そのものに感じられるぐらいに、
台詞も演技もその全ての動作が完璧に「男A」に成りきってた。
・ 男Bの抱える、
役者に憧れ役者になった自分自身と
殺された「じんぱち」の持つ記憶/感情
(しかも徐々に全てが見えてくる(死角がなくなる))、
「じんぱち」の記憶に支配されて及んでしまった凶行について、
悩む自分と「刺客」として女を見張ろうとする自分、
人生「けちょんけちょん」にされた悲しい自分、
それら多くの感情を1つの演技、台詞の上に
まるで歌でも歌うかのように気持ちの高音から低音までを
滑らかに切り替えながら載せてきた沖野さん。
・ あくまでも自然体、そしてひょうひょうと若者たちをあしらう男C。
嘘も平気でつくし女との関係の為に殺人だって犯す(女自身すらだます)。
そして平然と女と結託し「男Bへの制裁」の準備を進めていた
(内面に悪魔「許される殺人はある」を持つ)男C、大神さん。
・ 男Bが女に対して顔を伝えようと女の手で自分の顔を触らせるシーン、
暗闇(死角)の場面から始まり
事実(女が男が犯人かを確かめていた)を観せるその場面、
今までの「女」役の中で一番、
春原さんが「嫌です!」「ダメです!」の台詞に
「男Bが犯人であった事に対しての怒り」を
ダイレクトな演技としてぶつけてきたかと(声と震えなどを使って)。
(事実シーンでは観ているこっちがブルッと来るぐらい、
多分「怒り」の感情が伝わってきました。)
・ 観劇後の1時間トークショーで
中村さんが「俺の男B、多分終わり方が他の男Bと雰囲気(?)違っちゃう、ごめん」
と沖野さんにTelで謝ってたらしい( ´ー`)
あと、各演者ごとにうっちーさんは「太さ」、春原さんは「高さ」など、
個性を活かした脚本の変更をしていたとの事。
そういう意味で、各演者に対して
「演技自体にバンバン個性載せていいよ!」とまで
久保田さんが言ったのかどうかはまた謎に戻ってしまいました。
どうだったんだろう?
※ いつもだったら、1つの劇をこんなに複数回観劇する事には
結構否定的なんですけどね、自分は。
伏線回収の面白さがあるボクラ団義でも、
3回観れば大体すべてつかめるかと、
それ以上は自分に「無理」をしいているのではないか?
本当に感情が全て”面白い!”に満たされているか?
という疑問が湧くので。
だけど今回はあくまでも「特殊性」の高い
”お芝居”というか自分の捉え方では「イベント」に近い感覚です。
劇団ファンとしては「今まで観たかった(けど隠されていた)
あの人達のあんな姿こんな姿全部見せちゃいます!」
というよこしま?な楽しみ方で
「ああ、全劇団員のメインキャストを観てみたい、
そして自分が好きなゲスト様のメインキャストも観てみたい」
という気持ちで連続観劇してしまってます。
自分が好きな全劇団が同じような事をやったとしても
やっぱり観に行っちゃうと思う( ´ー`)
これくらいだったかな、とにかく気持ちを引き込まれる自分、
椅子が小さいので足が痛い自分、のど飴を舐める自分、
と一緒に色んな(主に)「褒めたい部分とその言葉」が浮かびましたね、
今日の公演。
PS.平山さん、和風美人というイメージだったのが元ヤンだったとは(´・ω・`)
PS2.たびたびすいません、毎回思ってた事を今思い出しました。
・ 男Bがチェーホフ(?作家名でしたっけ)を
一人芝居のように始めるあのシーン、
沖野さんの演技のノリの良さがすごくいいな、と。
あのテンションで沖野さんも(大神さんのビビットカフェみたいに)
1人芝居をやったら面白いんじゃないだろうか?
って思いましたね、
観る度に「いいテンション」でチェーホフ始めて
それについ女も乗って芝居を始めてしまう、
あの求心力、なんか伝わるんですよね、
「楽しそうだ」って( ´ー`)
PS3.更にたびたびすいません。
・ 本劇男A役3人(組)を観てずっと不思議な感覚を感じていたのですが、
男Aには他のメンバーとは違い、
「物語のクライマックスに向けてのスターター」としての
重要な役割があるのかな?と。
開幕の長台詞、そして最後の締め台詞を受け持ち、
そして何よりこのドロドロとした血の繋がらない兄弟妹の物語の中で
最終的には「(単に)愛した女に騙され続けた男」としての
客観的な立ち位置を持つ
(直接的には何の罪も持たない)
ストーリーテラー的な立ち位置の男A
※ 本物語中、ストーリーテラーは男3人が
交代しながら繰り返すのですが、
物語の序盤から中盤の展開について、
・ 男Aは
・ 女の「嘘」の理由を追う
・ 男Bの「嘘」の理由を追う
・ 男Bは女に近づきつつ自分の内面の心達と葛藤する
・ 男Cは基本事件を追っていない(三角の間は目立たない存在)
・ 女は自分に近づいた男Bの真実を追う
そして、(図に出来ないと難しいのですが)
中盤からクライマックスにかけて
・ 男A→男Bの問いかけで男Bは暴行の事実と
本当の気持ち、自分が抱えてしまったものを晒す
・ 男A→女の問いかけで「嘘」と行動の理由に迫る、
女と男Cとの異常な関係性を明らかにする
(男Cを浮き立たせ、三角を四角にする)
・ 男A→(男Bからの情報を元に)
男Cへの問いかけで男Cの隠された真実、
この物語の最後の闇に迫る
※ 最後、男Cの真相
(兄でなく弟が生き残った事、の場面を始める)
そのきっかけは男Bですが
そして、沈黙の5分を経て、バーベキューでの結末、
と男Aには本物語で他の3人のお芝居に「熱」を入れる為の
起爆剤的な意味があるのかな、と思いました。
だからこそ、男A3人の違いで、
本物語がいつ「爆発」し始めるか、
求心力が高まるかに違いを感じたのかな、と悩んでみたり。
※ 脚本/演出上は
「序盤からここまで静かで、ここでいっきに燃え上がる」
みたいなシナリオは出来ているのでしょうが、
男A次第で実際舞台上でのこの「燃え上がり」のタイミングや
「性質」自体に違いが出てくる、ような気がします。
男A、男B、男Cの3人(組)とは別に
この男Aの三者三様(大神さんが入れば4人ですが)が
本物語にどういう影響を与えているかを観るのもまた
本お芝居の楽しみ方の1つなのかな、と。
シカク
企画演劇集団ボクラ団義
サンモールスタジオ(東京都)
2014/12/18 (木) ~ 2014/12/28 (日)公演終了
『シカク』、劇団員自身の心の死角も突けた?
※タイトルの意味はネタバレの方に( ´ー`)
12/21(日)18:00 福田沖野中村春原回観劇。
これで4回、色々な組み合わせを観劇できました。
「男C」中村さんを2回観て、まだミスもあるものの
演技としてかなり本人がイメージしている「自分だけの男B」が
完成に近づいてきたのではないかと。
(しかし残念、中村さんは(投票回を除けば)今回で出演完了との事。)
そして「男A」福田さん、最初こそ4人だけの会話劇ゆえの
長台詞に苦労されていましたが、
あるタイミングから役にノれたのか
ものすごく感情をノせた(乗る?載る?)
(ネタバレじゃないですよね?)
すごくいい演技をしていたかと。
(そこから一気にお芝居全体の求心力が高まった事からも、
そのノリが他の演者にも伝播したのではないか?と感じました。)
同様、今回が初演の「女」春原さんも途中スイッチが入り、
演技が変わる瞬間を見た、と自分は感じました。
そして「男B」沖野さんについては(出演何回目なのかな?)、
もう「男B」の1つの最終形として、
他の「男B」とはまた違う小芝居など
(悪い意味じゃなく微細にまでこだわったお芝居という意味で)
突出していました。
今回はスロースタートとでもいう形で
しりあがりに良くなっていった回かと思います
(先のタイミングより手に汗にぎり、
最後の求心力は他のベスト回に近いものがあったかと)。
(練習不足、と言ってしまう事も出来るのかも知れませんが)
本劇はその特殊性
・ 総当たり戦のように毎回組み合わせ、出演者を変える4人芝居
・ 他公演では脇を固めて主に”短時間芝居”を
しているバイプレイヤー(脇役とは言いたくない)達も
メインキャストとして”長時間芝居”に参戦している
などの関係もあり、全員が全組み合わせで十分に
意識合わせ/息合わせ出来た、
とはいえなかったのかも知れません。
その為か、各回初出演される方はただならぬ苦労する代わりに、
2回3回と出演回が増えるごとに演技が良くなって、
また個性が際立っていく、と感じています。
※ もう前半戦も終わったので言ってしまいますが、
そういう意味でもこれからの後半戦、
きっと各演者の演じる『シカク』が
更に良くなるのは間違いないと思います。
ネタバレBOX
【表にもちょっと書いちゃったけど本題】
自分が観てきた各劇団/座組のお芝居の9割近くは、
看板俳優/女優を中心に
(器用に)脇をつとめてくれるバイプレイヤー達
(脇役とは呼びたくない)が回りを固める編成が主で、
脚本/演出もその構成をイメージしてお芝居を作っている
(と思います)。
ボクラ団義もそういった構成を中心にしているかと。
(自分はボクラ団義については
再演プロジェクト「ワラワレ」からのまだ浅い
観劇経験なので認識違いがあるかも知れませんが…)
しかし(表にも書きましたが)今回の『シカク』では、
今までメインキャストの回りで色々な役を
”主に短時間の芝居”で演じてきた多くの劇団員について、
「2時間20分の4人会話劇かつ総当たり戦
(4人の組み合わせが毎回変わる)、
そのメインキャストをお前らにつとめてもらう!」
といきなりとてつもなく高いハードルが
突き出されたかと思います。
当初、このハードルは演者側にも高いですが、
観客側にも(観劇を楽しめるか、という意味で)
高いと思いました。
※ 初回観劇時、長年メインキャストとして
長時間演技などに慣れている看板俳優陣+女優は
これをなんとか飛び越しました。
(本劇の面白みが十分に伝わったと感じました。)
しかし、その後に続々と初演を迎える
(いつもだったら)バイプレイヤーな役者陣にとっては、
・ 場に居続ける
・ 長台詞、説明台詞の多さ
・ 感情のぶつけあい
などの、メインキャストとしての出演は中々に
難しかったのではないか、と思いました。
ただし、これは出演回を増すごとに「場慣れ」などするのか、
「悪さ」より「良さ」、
自分なりの各役の「個性の表現」などが目立つようになりました。
そして、本日は各人最初こそ不慣れに起因する?ミスも目立ったのですが、
ある時点から福田さんがかなり感情のこもったいいお芝居
(情熱的な演技、「感情劇」とでも言うのでしょうか?)を始めました。
このタイミングからかなり観ていた自分の気持ちも引っ張られました。
(今まで、福田さんは本劇団ではここまでは感情をノせた演技を
観せてこなかったかと思います。)
※ 客演では「感情劇」されてましたが
それがこのメインキャストとしての会話劇の中で、
かなりの熱量を持った(他者に伝播するほどの)感情劇を「魅」せてきた、と。
思わず「ああ、いい熱持ってるんじゃないか!」と感激してしまいました( ´ー`)
他のバイプレイヤーの方々にしても色々挑戦したり、
自分なりの個性を出したり
また観ている側から
「こういう個性を出したら良いのでは?」と隠れた魅力のようなものに
気付かされる場面もありました。
例.添田さん
生来の?台詞の口調などを活かして理詰めや理知的な役、
また、いつも司会進行などフリートークをこなすのを苦手としていない事からも
自然体に近い役、などを突き詰めていったら面白そう。
※ 「遠慮がちな殺人鬼」で急遽刑事の代役を務めてましたが、
あれを本役として最初から務めていたらどうだったのだろう、
と今でも思っています。
また、先日の客演の不良役は「完全に自然体」で板についていました。
2012/12/23(火)時点
過去の感想にも追記させてもらっちゃおう。
─────────────────────
福田さん
・ 元々直接のイメージでは純朴でまっすぐな好青年(かつイケメン)。
「さよならの唄」では、その持ち前の個性を見事に活かし、
1人の少女に恋するももう1人の少女との三角関係に悩み、
そして起きてしまった少女の死亡事故へのあまりの辛さなどから
生き残った方の少女に再会する事すら出来ず学生時代を終えてしまう。
(メインキャストとしての主人公の「過去、後悔の時代」を好演。)
他劇団への客演にて、
小さい頃にしっぽのせいで見世物小屋で苦労するも、
そこから助けてくれた仲間達との絆/友情を何よりも大事にする、
ちょっと頭は足りないけどどこまでもピュアで明るい青年、
その純真無垢な気持ちが姫の心の壁を取り除く、
最終的には元犬だった記憶を取り戻し、
仲間達を助ける為に絵になってしまう
(本当に当たり役、号泣させられました( ´ー`))。
この元々一番得意としている個性を活かすのなら、
本劇にて自分が「別れよう」という嘘をつくのに対しても
苦しんでしまうようなタイプかと。
そして許せない事に対してはまっすぐぶつかって行こうとする激情を見せる
(観劇時の「情熱」とでも言う熱の入れ方はこのような雰囲気がありましたね)。
中村さん
・ 善悪様々な老人を演じてきた事から「老獪」「(回りより)大人」のイメージ。
(劇団員達から「理系」と言われる。)
他劇団への客演にて、
芸能界で権力を持ち、色々とゲスな行動を取るがその本質は小心者で、
主人公達の「(悲しい)愛の生活」を壊す原因となるキーマンを好演
(ずっと「犯人」だと思ってました( ´ー`))。
本劇で自分が感じた雰囲気は、大神さんの男Bに比べて
「大人の雰囲気」を前面に出して、
男Aをからかう、というよりは軽くあしらう、受け流す。
女との兄妹、そして男女の関係では、
一番「(ずっと妹を見守ってきた大人な)お兄ちゃん」らしさを
表現しようとしていたのかな、と(これは想像ですが)。
─────────────────────
そういった形で、役者本人や観客が気づいていない、
または「向いていないと思い込んでいる」
色々な方向性への「のびしろ」のようなものについての、
「役者の心の死角」(すいません、これが言いたかった)
がある事について、本劇への出演で気づかせてくれるのではないでしょうか?
多分、本劇を演じている中で
・ メインキャストを務める事
・ 自分なりの役の個性を突き詰めていく事
・ 色々な(相手との)組み合わせにチャレンジしていく事
などで自ら気づいていく面もあるかと思います。
ただし、本人が気付かず観客が気付く面もきっとあるかと思います。
そういった「死角」に対しては、ぜひ観劇したお客さん自身が
・ アンケート
・ CoRich
・ Twitter
その他なんでも良いので本人達に届く形で、
※ ただ褒めるだけでなく、時に指摘も含めて
伝えてあげる事が重要なのではないか、と思いました。
劇団員皆様表方と同時に裏方もこなされている為、
「演技一本」ではやっていけない、という事はあるのかも知れませんが、
こういった「のびしろ」の存在に気づき、そこを伸ばす努力をする事で、
役者としての「向上」、色々な方向へ向けての「成長」があるのではないか、
そして劇団に新たな看板役者、柱が誕生するのではないか、と思いました。
そして、新たな柱次第では
・ 「ロジカルミステリ、叙述トリックの劇団」
・ 「ダンス、殺陣、映像、そして物語構成の上手い劇団」
以外にも、新しい切り口、劇団の色が産まれるかも知れません。
「ジャイアントキリング」というサッカー漫画に
選手の「のびしろ」が見える、という監督がいます( ´ー`)
僕が観劇した中では全員に、このような「のびしろ」がある、と感じています。
そして、その成長していく姿をぜひ観せて、そして魅せてもらいたいと思っています。
※ その為にも劇団自体も今回のような
「気付くチャンス」「伸びるチャンス」を。
そして役者さん自身も「客演その他」で自分を伸ばし、
苦手部分を克服したり、と頑張ってもらえたらと思います。
※ せっかく「ボクラジ!」や「ボクラのなかTV」などもやっているので、
そういうスキルアップのチャンスを
イベントにしてしまっても良いような気がします。
特に今回の「説明台詞」について、
(素人意見ですが)文言として覚えてしまっても
記憶をたどりながらしか口から出ない(=自分の言葉として発していない)。
理解してみる、それを自分なりに説明してみる事で、
本当に自分の言葉として出てくるように
(多少台詞は変わっても)
なってくるのではないか、と。
その為に色々なものを色々な人に向けて説明
(※その為には勉強がまず必要ですが)してみる、とか。
※ 元々企画演劇集団ボクラ団義さんという劇団自体に興味があるせいもありますが、
いろんな感想が浮かぶ面白い(特殊性を持った)お芝居だなあ、と。
はたまた長々と失礼おばm(_ _)m
PS.他の方の感想にあった「何故あの最後になったか?」の理由について
自分は
(女、男B、男Cが「兄妹(きょうだい)」としてみんな死んだとして)
1. 「5分間」の場面での「誰に生きる資格あるんだろう?」
(これは男Aの言葉かな?女はなんて言ったっけ?)の言葉
2. (約束を止めなかった為)バーベキューの時開始された福丸の演技
(女を突き飛ばし男Bともめる)
3. 女自身がその流れの中で(「生きる資格がない」と思い、
前にした「約束」の通りのあらすじで)死を選び
※ いくら水泳が得意とはいえ、12月の川の中
本人が生きる意志を持ってすぐに脱出しようと行動しなければやはり死ぬ
4. (じんぱちとしての記憶がだんだんに全て戻ったとして)
女との約束通り、男Bも(「約束」の行為で)死を選ぶ
(これが「俺に(俺の記憶に)死角はない」~の説明、
じんぱちとして女を愛していた事などの記憶が全部戻った、と)
5. 男Cも2人の死を知り、今までの数々の行為
(えいたを殺し、えいた→じんぱちとして女を騙し続けて作った関係など)
に、「我ら兄妹全員に生きる資格がない」と笑顔で死に道を逝った
6. 全てを知る男Aは、その選択をした3人を見送った/見届けた
と想像しましたね。
あ、ただ別の方の言っていた「故意」の話、には気づかなかったな。
全部の「こいの話」が「恋」だと思ってました。
※ こういう裏設定は上演台本読むと分かるのかな??
PS2.またまた失礼します。
丁度昨日12/21(日)グノシー見てたら「臓器移植」ネタあって、
ネタ元サイト読んでみたら記憶転移の話が。
男Bのネタと結構当てはまっててタイミング的に「うわあΣ(゚Д゚」って思ったのを
指摘があって思い出したので探してまいりました。
グノシーからのリンクと一緒か分からないけど内容的に多分ここ
参考:http://mindhack2ch.com/archives/19069263.html
※ 掲示板の書き込みが元ネタっぽいので信ぴょう性は分からないけど
自分は読んでてちょっと「ゾッ」としました。
自分の知らない(年齢的に合わないはずの)
映像やなんかが記憶に存在し始めるという。
あと心臓に限らない、って話みたいです。
このサイトでは「性格までは影響するけど、意識は自分のまま」で
締めてるみたい。
おっと、別に擁護の為ではないです、
本当に昨日のグノシーで取り上げてたのでタイミング良すぎるな、って。
警察の件はまさに指摘通り、その部分についての
もっと背景設定があるなら表に出しておく必要があったかも。
実は事件として公にせず、男C1人で動いていたとか。
でもそれだとそれこそ男Bは「人に聞いた」「調べた」が不可能になるよなあ・・・
シカク
企画演劇集団ボクラ団義
サンモールスタジオ(東京都)
2014/12/18 (木) ~ 2014/12/28 (日)公演終了
「ほぼ4人芝居」 男A×男B×男C×女=さていくつ
※今回はこの画期的なお芝居の形式
(4役を色々な役者で演じ合う)という劇団の
試み自体に対して☆5つ既につけているので、
この投稿の評価欄は空欄にしますm(_ _)m
タイトルに書きましたが、
12/20 13:00 竹石沖野中村大友
12/20 18:00 添田加藤内田平山
と、今回別キャスト版の「シカク」を観劇して、
男A×男B×男C×女
を担当する各演者がどれだけの演技/熱量/挑戦を成し遂げるかによって
10×10×10×10=(ちょっと大きすぎる値ですが)1万
にもなるし
1×1×1×1=(4人なのに)1
にもなってしまう、
そして(あくまでも会話(のやりとりの)劇なので)
お互いに補いあい高め合うバランスが重要なお芝居なんだな、
と感じました。
あと別キャスト回を見て(多分ですが)、
今回各役を務める演者陣(男Aなら竹石さん、福田さん、添田さん、大神さん)に、
それぞれの役者としての「個性を出す」事が許されているのだな、と感じました。
ネタバレBOX
【まずはじめに】
(どうしても表に書けなくてすいません・・・)
企画演劇集団ボクラ団義、という劇団を既に知っている、観た事がある、
あるいはゲスト様を知っている、という方たちなら
それぞれ自分の好みや目的に合わせた組み合わせ回を
観れば良いのですが、
今回が「ボクラ団義初見」という方たちにとっては
たまたま選んだ回によって
「ボクラ団義」自体への評価が(悪い方向にも)確定してしまう、
ちょっとリスキーな企画だったのだな、と感じました。
今回の2組の役者陣、
・ 既に数回役を務め慣れてきた者(竹石さん、沖野さん、平山さん、加藤さん?、あと?)
に対して
・ 初演/初回(中村さん、大友さん、添田さん、内田さん、あと?)
という事からの緊張もありますし、
ボクラ団義の最近の公演がメインキャストをほぼ看板役者に
固定しているがゆえに、いつもは脇を固めているタイプの役者の方にとっては、
いきなりの大役(初の少数長台詞の会話劇でのメインキャスト)という事への
ハードルの高さ、緊張その他、
色々と難しい問題があることを感じました。
※ だからこそ各役者さんの「いつもと違う姿」「挑戦」を観る事が出来る、
という事に自分は興味を惹かれたのですが・・・
初日初演の4人がそれぞれ10(に近い)の力を発揮した回
「ベスト回」として考えた時、
本日の観劇で、1人でも演技のバランスを崩す形になってしまうと、
一気に4人芝居としての求心力自体が下がってしまう、と感じました。
実際1人演者の方が緊張その他でお芝居の安定感を欠いてしまった結果、
その他の演者の熱演ぶりも集中して観る事が出来なくなってしまいました
(お芝居全体の求心力が下がってしまった)。
多分、初見の方がこういう回に当たると
「ボクラ団義はもういいや」と思われてしまうかと思います。
なので、初見の方はぜひ
看板役者陣+ベテランゲスト様の組み合わせ回を
「初心者オススメ回」とでも提示した方が良いのではないかな、と。
逆に劇団自体をそれなりの長さ追ってきてみて、
この役者さんの「もっと違う役」「重要役」などを観てみたい、
と思っていた自分にとっては
その役者さんの「本質的な部分」「本当の力量(の一部)」「挑戦」など
色々な面が観れてそういうマイナス部分も含め楽しいと思えるのですが・・・
って、この情報は本当は表に書くべき事なんですよね・・・
【本日の主な感想】
・ そもそも本劇について、当初から
「各役を務める役者さんについて、”個性”を出す事が許されるのか?」
が気になっていました。
”個性”を消して汎化すれば、どの組み合わせでもお芝居はやりやすくなりますが、
そもそも「色々な役者の組み合わせを楽しむ」という事自体の意義が無くなってしまう、
しかし各役者が同じ役に対してそれぞれの”個性”をどんどん入れていったら
各組み合わせの時やりとりするお互いがかなり苦労する
(=1人1人にそれぞれ役者としての高い力量が要求される)と思ってました。
なので、久保田さんがどう演出指示をしたのかが気になっていました。
結果として(多分ですが)、
「個々の”個性”をどんどんぶっこみなさい」、
「『俺だけの男A』『私だけの女』を作りなさい」、
と言ったのではないでしょうか?
演技/台詞自体にも(元々の役者としてのスタイル以上の)違いを感じましたし、
その「挑戦」の一部を確認しました。
例.(間違いでなければ)
平山さんの「女」は包帯を取った後、目をつぶる(うすく開ける?)事で
失明者を演じていたのに対して、
大友さんの「女」は完全に目を開ける行為に挑んでいました。
※ 普通、目は無意識のうちに動くものその他を追って黒目の部分が動きますが、
それを意志の力でずっと「前方」だけを見ていた
(いわゆる盲の人を演じる)としたら、
「すごい挑戦だな」と思いました。
実際本劇中ずっと黒目は真正面を見据えていたと思います。
演技力ならベテラン平山さん、と2回観て思いましたが、
そういった「挑戦」や「自分ならではの『女』」を演じていた大友さんも
これまた負けていないな、と思いました。
・ 標準的なお芝居は「1回勝負」(1回観てつまらなければダメ)というのが
ルールなのかも知れませんが、
本劇の本当の楽しみ方は、
1.いくつものキャストとその組み合わせを観劇して、
自分の中で色々な気持ち、感想を持つ
(演技力を比較したり、
演じ方の違い(○○さんの男Aは硬派だな!など)を感じとったり、
自分なりのベストな組み合わせを考えてみたり)
2.企画演劇集団ボクラ団義の全劇団員について、
「いつもと違う役を演じる姿」を楽しむ
という事なのかなあ、と。
ある意味企画演劇集団ボクラ団義という劇団を楽しみにしている人たちに向けての
お祭りイベント的な意味合いが強かったのかな、と思います。
・ (いつも通り?の)ボクラ団義お芝居への感想
二度観で色々な事が分かる
・ こんな早くにもう結末を暗喩させるポーズや台詞を入れていた、
という「伏線」への気付き
・ その「伏線」を使ったお芝居に、
1度目とは違った感想を持つ
例.男Bは普通にしゃべる時と心臓を押さえてしゃべる時とで
殺された「じんぱち」と演じ分けられていた
など
・ あと、
・ ボクラ団義に縁もゆかりも深いベテランゲスト陣の回も観たい
・ 竹石さん、大神さんの配役入れ替わり回も観たい
今回の形式のお芝居だと本当に何度も観たくなりますね、
いつもだったら「1つの芝居を5回観るとかありえない・・・」とか思ってるんですが
・ あと自分が見逃してた点など
男Aは早い段階で「これではサンカクだが」
「これは゛恋゛の話だ(過去の兄弟殺人や女の暴行事件を追ってもなお)」と、
「シカク」の本質を観客に暗喩(か?)してるのですね、
ほんとミラクルロジカルトリリカル(トリックだらけ)会話劇ですわ。
最初闇だった世界が光に、しかし関係性の本質は光から闇に堕ちる。
多分だけど男Bだけじゃなく女、男Cも死に、ただ一人、
女に騙され続けた男Aが最後のストーリーテラーになって
あの「シカク」の悲劇を締め括ったのかと。
こういう劇も不条理劇っていうのでしょうか?
本日も長々と感想すいませんm(_ _)m
色々感じるもののある公演だったもので( ´ー`)