スリーカードモンテ
projectDREAMER
小劇場 楽園(東京都)
2014/04/15 (火) ~ 2014/04/20 (日)公演終了
切り札を、奪取する
脚本に緻密性 が欠けていたが、それがメッセージ力を発揮できなかった原因であろう。
小劇場・楽園は客席が二方面にあり、中央をみれば巨柱が建っている。それをアパートの一間に利用した。
典型的ともいえるオムニバスは、第一部、第二部、第三部で構成される。
第一部と第三部は『サイコメトラーEIJI』でも伺えた、事件性の高い、ミステリー・サスペンスである。
ところが、これは脚本というか、演出の思惑が絡むわけだが、二部に関しては「コメディ」なのだ。
客席こそ爆笑の渦であったものの、中立に観察すれば、やや「出来過ぎていた」か…
追記あり
キスしてほしい。
劇団 浪漫狂
紀伊國屋ホール(東京都)
2014/04/10 (木) ~ 2014/04/13 (日)公演終了
終わりよければ、舞台よし。
「結核病棟ってマスクを装着しなければ いけない施設?
パンフレットを読みましたよ。するとね、注意事項と一緒に『マスク着用!』とか記載ありました。役者もマスク姿で大変そうでしたね。
でも、客は劇場へ来る前からマスクを着用してます。
言っときますけどね、他人様にうつしたら申し訳ない謙虚さじゃないですよ。
客は風邪予防なのか、花粉症なのかね。『浪漫狂』の一流のエスプリに接すれば、原発作業員のように防御する自分をどう感じるか…。新宿は結核患者の溜まり場かってね…。パンフレットにエッセンスがありました」
一発ギャグするコメディアンより先に、現代社会がそのオーダーを済ませてしまう逆説。これを滑稽な先見性ともいいますがね…」
「キャスト陣の多さには驚いた―
お笑いやってる『ジョイマン』とかいうコンビの出演回なら、総勢ざっと28人。
ひたすら劇団長・中村隆天と統括プロデュースの壱位仁井が絶大な権力握ってるんでしょうけど。(これは憶測ですよ)
しかし、何ですか、『バクステ外神田一丁目』とかいう女性アイドルを出演させたあたり、『紀伊國屋ホール』を意識した、つまり芝居だけじゃ心配ですよという保険型エンターテイメントだよね。
アタシはね、彼女たちには生声でパフォーマンスしてもらいたかったと本気で思っています。録音テープ再生してもね…。
彼女たちはプロフェッショナルなんでしょう?
まあ、日本のアイドルの普遍的テーマ性は『素人』だったり『普通の女の子』だったりするのかもしれませんがね。それをマネージャーに反論されたらお手上げですよ。
別に録音テープを認めたわけじゃない。だって、これはミュージカル俳優の否定なんです。
ちなみにパフォーマンスですがね、『浪漫狂』劇団員が混在していましたね。誰が『バクステ外神田一丁目』なのかね…。『素人』はパフォーマンスを邪魔しちゃダメ。『バクステ外神田一丁目』のステージにしないと」
「結核病棟の集会室…。ハートフル・コメディが貫かれ、オジサンたちを自己陶酔させる舞台としては良かったんじゃないですか?
ただし、宮内見と工藤謙太郎の兄弟関係とか、ちょっと20年前だよね。スマートフォンは登場しませんでしたけど…。携帯が登場したから、まあ、一応は現代なんです」
ぬれぎぬ
アマヤドリ
シアター風姿花伝(東京都)
2014/04/01 (火) ~ 2014/04/23 (水)公演終了
満足度★★★★
白ネコとはんぺん のような境界線
私は 酔っ払いサラリーマンに対しても、「丁寧」に対応する。
相手がへべろけに解らないことを質問すればすぐ教えるし、世間話を求めてくれば、熟睡するまで繰り広げてしまう。
ピンク色の肌をした男性は 私に こう語った。
「あんた…本当に親切な方だね、親切な方だねえ。こんな どうしようもない酔っ払いをさ…」
酔っ払い に限らず、人は老人だとか、ホームレスだとか、そういった弱者と接する時、明確に、その存在を区別しているのではないか。つまり、友達グループのような「輪」にいる、共感者としての自分自身はいない。
私は それができず、場合によっては子供にも敬語を使う。
『アマヤドリ』は 世の中の「悪人」に接する、「わたしたち側」の皮肉性だった。
民間刑務所収容者を更生させる職業人=限定社員が、境界を明確に区別する「わたしたち側」だとしたら、この構図は相当、挑発的である。
なぜなら、受刑者が陥っている「愛と憎悪」のジレンマを、矯正しなければならい職業人も抱え、それがコーラのバニラアイスのように境界線を曖昧かつ、接合させているからである。
実際の民間刑務所ではまずないことだろう。受刑者と職業人の間に張られたロープが緩む姿を かなり明示的に演技するキャスト陣だった。
せんせい
株式会社トキエンタテインメント
上野ストアハウス(東京都)
2014/04/09 (水) ~ 2014/04/13 (日)公演終了
さあ、踊り騒ごう。涙のスポットライトで
日本で公開される商業映画のうち、約10%はEU映画である。
最近、クライマックスに心酔してしまったのが アルゼンチン映画(EU映画ではないが‥)『グロリアの青春』とスペイン映画『マルティナの住む街
』であった。
両者に共通するシーンは深夜の遊園地。主人公がアトラクションに添乗しながら、カメラ・ワークもぐるぐる回転する。伴奏はディスコ・ミュージックだ。
私は そこに、生活に飽きた善良市民が鬱憤を晴らす「開放感」を読む。
『せんせい』は まさしく そうした映画的クライマックス方法であり、久しぶりの100%総感動を誇る青春舞台だった。
女子高生役キャストが号泣したことも、顔面を赤らめた、その涙を観察すれば、一滴一滴が「さよなら」のもつ真実である。
「髄-zui-」
護送撃団方式
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2014/04/09 (水) ~ 2014/04/13 (日)公演終了
福島は、取り戻せない。
「差別的表現」とは何なのか。
確かに、メイクや、美術衣装等はグロテスクでしたが、差別語が台詞に 含まれていたわけではありません。
従来ですと、それこそ障害者の「害」を「碍」に変更した一部メディアの配慮からわかるとおり、現実に実在したテーマが「差別」でした。ところが、藤森俊介さんのいう「差別」とは、ともするとSFファンタジーの部類に属しています。
これは「来るべき差別」なのです。
大人の麦茶の朗読の時間 「DAY IN A SUN~一日だけ日の目を見る日~」
大人の麦茶
紀伊國屋ホール(東京都)
2014/04/03 (木) ~ 2014/04/08 (火)公演終了
天月-あまつき-美声力!この回でよかった
フィギュア・スケートは「オペラ」に似ている。
テノール歌手・秋川雅史 さんは スケーターが氷上でトリプルアクセルするテレビ中継を観ると、歌い手として「ハラハラ」心配するらしい。
「オペラって、“見せ場”は最後の最後に あるんです。
オペラを鑑賞された方は分かるかもしれませんが、それは一番、高い音域です。
しかし、歌い手は それまでに体力を消耗し切っているため、高い音域は辛い。それがオペラの美学といえます」
「フィギュア・スケートを観ますとね、最後の最後にトリプルアクセルなどの 最も難易度が高い技を披露しなければならないんです。
これが“共通点”ですよ」
2月14日、鎌倉芸術館で開催された『秋川雅史コンサートツアー ~夢の架け橋~に』を拝見させて頂いたが、当時はソチ冬季五輪の真っ最中。夜更かしされたのか、風邪が治りかけの秋川さんは鼻声ながらに語った。
フィギュア・スケートは「技術点」「芸術点」の合計得点に基づく競技である。
課題曲すら判定に影響する競技ゆえ、スポーツなのか疑問視する声も存在するが、リンク全体に漂う張りつめる空気を屈せず、秋川さんのいう“見せ場”を披露する選手たちには「シュー」の面影がない。
「朗読劇」は 演劇に比べればランクが低いものだと考えていた。
それは、『劇団EXILE』が青山劇場で行った その番外公演と題し、「新宿シアターモリエール」にて「朗読劇」を開催するという情報で確信したのだった。
劇団からすると人気劇場ではあるものの、稽古期間を設けることの叶わないEXILEメンバーだから、費用対効果、観客側の期待度、商業的インパクトを算出した結果、「新宿シアターモリエール」に設定したのだろう。チケット料金も安価である。
ところが、そうした「朗読劇」に対する考えを変えてしまった公演こそ劇団麦茶『DAY IN A SUN』であった。
先ほどのフィギュア・スケートと関連するが、何というか、じっくり、リラックスしたまま、余韻を同時に感じることのできる、これは「ショー」だ。
グローブ・ジャングル
虚構の劇団
座・高円寺1(東京都)
2014/04/04 (金) ~ 2014/04/13 (日)公演終了
昔は遊具が 子どもたちの「グローバル」だった
鴻上氏には敬服してしまう。
開演5分前に劇場へ到着したのだが、外で迎えてくださったのが鴻上氏であった。
「こりっち」レビューを読むと、あの柄本 明氏も お出迎えする演劇人らしいが、社会一般に認められてなお、現場を厭わない姿勢はブラボーにつきる。
6年前に初演された、インターネットとロンドン・日本人コミュニティを探る作品だ。当時キャスト陣の平均年齢は21.7歳。
それから6年間が経過し、役者を辞めたキャストや新たに入ったキャストも ごった返す再演だから、27.7歳とはいかない。
私もインターネットには悩まされている。確かに計算機能といい、メール機能といい、それらは毎日飲む水のように なくてはならない存在である。
「なし」でも生きていけるが、基本ビジネスに欠かせず、パソコンを「夢の島」に廃棄する日など妄想できない。
本作の冒頭シーンは「炎上」から 始まる。それがインターネット「負のスパイラル」であり、映像を利用されると 余計に生々しいかった。
だが、「なくてはならない」その存在も、遠く離れた地域性から教えてくれたように思う。
また、ロンドンの「外国人」をマネキン・ボードで表現する演出も斬新だった。
「つぶやき は、世界を変えることができるか?」
Twitter、Facebook、LINE、Blogといったソーシャルネット・ワーキング・サービス(SNS)が日本に定着し、内閣府さえも書き込む時代なのだから、その答えはイエスである。
ただし、インターネットそれ自体、東西冷戦を背景とした「軍事の産物」だろう。米国防総省のガレージ内で開発されたエピソードは あまりに著名である。
安全保障政策は国家と国家を平和的につなぐ「ライフ・ライン」だ。自衛隊音楽祭にタイ王国・陸軍が招待されていたが、NATO(北大西洋条約機構)、上海機構 等の安全保障枠組みは その地域の「信用醸成装置」である。
一方だと、安全保障政策は軍事的衝突を招き、防衛研究所が「東アジア戦略概観2014」に指摘するように、日本の防衛力強化も含め「自国の安全を高めるための国防力の増強が他国には脅威とみなされ、結果的に軍事的緊張が高まる」という事実も認めざるをえない。
何が言いたいのか。
それは、インターネットが「軍事の産物」である以上、「炎上」なる集中砲撃や、「乗っ取り」なる相手の中枢施設に忍び込む情報活動、「中傷」なる情報プロパガンダは 安全保障政策と同じく、24時間対処しなければならない「宿名」だ。
国防総省が70年代、カーター大統領の理解を得て、インターネット開発に予算計上したのは「指令機関(コンピュータ・システム)の多極化」である。
そのシステム基盤は潜水艦内の通信技術だった。
顔と顔を合わせるリアル・コミュニケーションの大切さを識者は語るが、要するに、インターネットというのは安全保障上、「非実体生」をメインに構成された革新技術=イノベーションでしかない。
私は、多くの人が傷つく「炎上」「乗っ取り」「中傷」は、インターネット=検索エンジンを まずは国営方式で運営すれは ここまで顕在化しなかった問題だと思う。
海洋貿易、電気事業、郵便事業、タバコ産業、宅地事業などは みな当時の革新技術=イノベーションである。
それらは、国家が責任をもって投資、産業育成し、その後は自由競争のため民間企業への「払い下げ」方式により、「民間化」してきたビジネスモデルだ。あるいは、郵便事業のように、郵便局ネットワークを育てた後、「上から民営化」する例もある。
検索エンジンは それこそビルゲイツ氏などの「秀才」、Googleなどの「頭脳集団」が牽引してきたわけだが、広告モデルを採用したため、「非実体性」に加え、個人情報の面でインターネットモラル崩壊を導いてしまった。
こうした諸問題を避ける政策こそ、政府がインターネット検索エンジン公社を設立する ことだった。世界中からIT研究者を集結する。兆円単位の大規模財政支出をし、システム運営をサポートする。
本来は、中国のように日本も国産サーバーを確保する「別の道」はあった。
「国にとって都合のよいインターネット空間が生まれる!」という声もあるだろう。
だが、Googleを含めた米インターネット関連会社は国務省管轄組織と契約を結んでいる。「匿名性」は 限りなく嘘に近い。
いざ、政府が「ネット遮断」を宣言すれば、いつトルコ共和国のようなニュースが発信されても おかしくなはない。
そして、現在ですら、好ましい発展へ、総務省、文部科学省、国土交通省、内閣府の一部機能を集約した「情報省」が設置されるべき時代ではないか。
あやかし相談承りマス。 萬屋ツジモリ
劇団ひまわり 第49期研究科
シアター代官山(東京都)
2014/04/04 (金) ~ 2014/04/06 (日)公演終了
満足度★★★★
演劇界で 再び顔を拝みたいキャスト陣
『あやかし相談承りマス 萬屋ツジモリ』であるが、一年近く前、『劇団だるま座』版を下北沢・劇小劇場にて観劇している。
その空間が爆笑に溢れていたことを重ねながら『劇団ひまわり』版も観劇した。
『劇団ひまわり』は子役のイメージが強く、映画作品クレジットの「協力」に掲載される数は業界随一だろう。
ところが、研修生修了公演に出演するキャスト陣は20歳に満たない若手であり、子役の実習公演とは全く違うアクターだった。
妖怪たち は派手な衣装を身に付け、「呪術」も発揮できるから、その分、存在感は確かである。
そうした妖怪コミュニティに冴えない主人公・○が「埋没」する様子は むしろ確信犯だろう。
パンフレットを読んだところ、ある講師が一年間を総評し、「それなり」を猛省するようコメントしていた。
「外に出たら ひまわり のようにはいかない」
「後半になるにつれ男性が減った」
という、他の講師陣のコメントも載せられれていた。
だから、そのパンフレットを読破した観客からすれば、「研修生修了公演、大丈夫かな?」である。
しかし、そうした「一抹」も払拭するアクターだったと私は思う。
Re:verse
アヴァンセ プロデュース
本多劇場(東京都)
2014/04/02 (水) ~ 2014/04/06 (日)公演終了
次のインタビュアーは 私たち自身 かもしれない
東日本大震災を報じるニュースは「美談」に終始してしまったのではないか。
支援物質に行列を作り、暴動すら発生しない日本人を「世界中のメディアが賞賛した」らしい。
ただ、そうした「美談」に隠れ、仮設住宅内での家庭内暴力が 多数あったこともやはり事実である。
ジェンダー活動家Aさんによると、既婚男性を中心に「震災と失業に伴うストレスからアルコール依存症に陥った」例が報告されたという。 その解消方法こそ暴力であった。
福島第一原発が放出した放射線物質から子供を守るため、県在住の母親が「疎開」する例も「美談」とは いかない。
どういう視点で「人の本性」が伺えるのかといえば「被災者同士の敵対心」である。
これは、津波に、または原発事故に呑まれた被災者同士が助け合い、明日へ向かい復興する「美談」とは180℃違う。
いわき市から新宿区内に疎開(2012年 当時)した元薬剤師・女性Bさんは こう教えてくれた。
「言いたくはないですけど、20キロ圏内の住民は一人につき20万円補償金貰ってるそうですね。赤ちゃんも含まれています。一家4人だとしたら月100万円なんです。結構、いい金額ですよね。
家に帰れない苦しみもあるとは思いますが、わたしたち20キロ圏外の住民は1円も補償金貰ってません」
この女性Bさん に「被災者同士、『がんばろう、日本』の精神で助け合いなさい!」と批判するのは簡単だろう。
だが、これが「被災者」のリアルな姿だという真実を忘れてはならない。
坂上忍氏はバラエティー番組等に出演し、「潔癖キャラ」が浸透したタレントである。
最近だと「処世術本」も出版した。
坂上忍氏の「生き方」、それは「孤立を怖れない」だと思う。
本舞台は東日本大震災より一年経過した架空の「茨城沖大震災」を描くわけだが、「美談」なる和紙を破り捨ててしまう人間ドラマであった。
キャスト陣が「感情移入」させる迫真であり、やや本多劇場のキャパシティだと(座席次第で)表情を把握できないが、効果的照明ピッチのためその「空間」は味わえた。
人間は「利益第一主義」である。
あらゆる行動において、自らの短期的、長期的利益を保持するのが「本能」である。
でも「ええじゃないか」。
坂上忍氏の冷たいぬくもり
あした天気になあれ
パンドラの匣
銀座みゆき館劇場(東京都)
2014/03/26 (水) ~ 2014/04/01 (火)公演終了
脚本に真摯に向き合っていた
都内の銭湯が激減している。
ピーク時 昭和43年(1968年)に2687軒 あった銭湯が、平成22年(2010年)になると わずか801軒しか営業していないそうだ。(東京都浴場組合)
スパ、サウナ施設、健康ランドの需要は、必ずしも各家庭に浴槽設備が取り付けらた「豊かになった」その一点が理由ではないことを物語る。
銭湯の煙突から吹くモクモクは、燃料を燃やすさいの「塵」に過ぎないのだろうか。
できれば、家族の絆だとか、地域浴場で育まれる輪だとか、そうした「垢」が大空に昇っていく物理学と考えたい。
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60歳、辞める その日まで 家庭を顧みず、ひたすら貢献する生活だったサラリーマンを、「カイシャ人間」という。栄養補助飲料のCMに「亭主 元気で留守がいい」とあるが、近頃は定年退職後、地域コミュニティを遠ざけた「新・ひきこもり」男性が 多く出現してしまうそうだ。
本作『あした天気になぁれ』は そんな「予備軍」が2名、病気のため製材所作業員を辞めた男性が1名、若者が1名 「同居する話」。
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佐藤一也氏が終演後に挨拶したとおり、「とても素晴らしい脚本」だった。
これは演出上のハットトリックかもしれないが、佐藤一也氏 演じる◯と◯が「母親」を語り合った時、お互い「敬語」であったのはとても心地よく、「予備軍」の人柄を感じさせた。
女性キャストは 主に療養者の親類である。「自立」を追う夫人がいれば、「お節介な」おふくろさん もいる。
シーン数とは比較できない、「時代の岐路」を、気品溢れる演技により伝えてくれた。
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何千回だろうか。
窓ガラスもヒビが割れてしまったに違いない。
「明日、天気になぁれ」
ピクニック前日に、晴天を願うキラキラした眼差しを耐久する窓ガラスの苦労…。
一方、1987年にタレント高田純次氏を起用して翌年、流行語大賞を受賞した栄養補助飲料CMが世間に広めた そのフレーズは衝撃だった。
「5時から男」。
さて、これからの「予備軍」が使うコトバは どちらなのだろう。
東京パフォーマンスドール PLAY×LIVE『1×0』(ワンバイゼロ) NEW VERSION エピソード1&2&3
キューブ
CBGKシブゲキ!!(東京都)
2014/03/24 (月) ~ 2014/04/08 (火)公演終了
少女たちは「次のステージ」へ突き進む
「あかり から『一人じゃないよ』と励まされるシーンがあると思うのですが、なんだか本当に泣きそうになってしまいます」(上西 星来)
エピソードvol.2にメインキャストとして出演した脇 あかりと星来。
「相方」がくれたコトバが台詞だとは知りながらも、涙ぐんでしまう少女が いた。
「東京パフォーマンスドール」(TPD)には妹グループがいる。「TPD DASH!!」だ。
平均年齢は公開されていないが、現役小学生メンバー 6名構成であり、中にはTPD以上の大舞台に出演したメンバーもいる。
それが、シアタークリエ『パコと魔法使いの絵本』で、映画やドラマに 引っ張りだこの子役・谷 花音と主演Wキャストを務めたキッド咲麗花だ。
以前、終演後にTPDメンバーより「とても感動した!」と絶賛され、本人も「緊張しました。(『1×0』ステージについても)笑顔で、より良いものを見せていきたいです」と挨拶していたことを思い出す。
リニューアル・シリーズでは、第二部『ダンス・サミット』を中心にパフォーマンスを披露する。
_“満開に育った ひまわり”_
TPDが「洗練されたパフォーマンス」であるのに比べ、激しく、快活なダンスを得意とするユニットだ。
「ダンス教室」に通うPOP系女の子と競ったとしても、全国トップグラスだろう。負けないのは「満開笑顔」である。
CDメジャー・デビューが決定したTPD。
「演劇×映像・LIVE」という、ライブ会場外をスタート地点として半年が経過する。
驚くべきことに、そのデビュー曲はアニメ『金田一少年の事件簿R』オープニングテーマだった。
『1×0』で、各エピソードとタイアップする形をとり、多数のTPDソングが観客を引き寄せたというのに。
「ソング」。
リニューアル・バージョンが私たちへくれた「泣きそうになった」は 実は これだった。
もちろん、プロジェクト効果、照明、音響、演出、TPDメンバーの演技が「進化」したのは言うまでもないが、それが「テーマソング」に総括されていく感覚だ。
一人ひとり、TPDメンバーは違う。
そうした「深さ」と、「つながり」を胸に、今日も全力でパフォーマンスする少女たちがいる。
「avance!!」
演劇ユニット ifstay
遊空間がざびぃ(東京都)
2014/03/26 (水) ~ 2014/03/30 (日)公演終了
初舞台も!フレッシュです
三作連続のオムニバス・コメディ集。
一話_[宝剣はどこへ行った?]
【『怪盗ルパン』系統のミステリー・サスペンス。ところが、男性刑事と女怪盗が敵対するのではなく、ある「秘密」を隠そうと共謀する…
ペコリーノ(柾木元一郎)とアイオラ(高橋すみれ)の駆け引きにみる「奇妙な温情」こそ意外性があり、その「相性」は抜群であった。
ただし、屋敷主人・ラグダエル(山口圭三)はオーバーリアクションが過ぎた。また、人物描写を考えると、例えば、もっと「怒る時は怒る」ことが、ラストの「どんでん返し」を 安堵感ある展開にしたはずだ。】
二話_[Avance]
【『女子会』は、女子が集まり本音トークをする飲み会を指す。
「◯◯女子」という便利造語のパターンでしかないが、その新語には社会的自立だとか、「会員制プライベート・クラブ」のような自尊心がある。
本コメディは生態観察としての「たわいない会話劇」だったのだろう。これは観客にしてみれば退屈である。
いわば その「隙」を狙った急転直下が、「女の幸せ」を 特に20代〜30代の同世代観客へ、雑誌『ゼクシィ』よりリアリスティックな課題として提示した。「たわいなさ」は 計算機で導いた布石だった。
20代後半の女性観客はコメディであるにもかかわらず、まるで自分の恋愛観、家庭観を重ね合わせようかのごとく「真剣な顔つき」であった。】
三作_[俺達のFIRE]
【等辺三角形のようなコメディだった。
A、B、Cのキャストが出演するとすれば、三者が 全く同じ役割、台詞量、キャラクターなのである。
『戦隊レンジャー』ではなく、全員モテない系男子であるから、ここは グチャグチャにした新聞紙でもよかったと思う。仮に「当て書き」だとすれば、郡山(桂 裕貴)あたりは間違いなくモテます系イケメンでなければならない。
彼も含めたモテない系 男子が 「台詞」を 次から次に放つわけだが、聴こえない箇所も多々…
もっとも、キャスト陣の熱量は認めざるをえない。その汗でTシャツを濡らしたのだから。】
総評_脚本段階だと 相当、爆笑を誘うコメディであろう。
特に一話[宝剣はどこへ行った?]はキャスト陣もテンポよく「笑い処」を連発したのだが、それが100% 観客に伝わり「爆笑」を生んだかといえば疑問だ。
あえて、そのテンポを抑え、「場を凍りつかせてから融解する」テクニックが必要だったのかもしれない。
また、二話[Avance]に出演された櫻井みお さん(役:早苗)に言及する。
新潟県のスキー場へ滑りにいったか どうかは知らない。
気になったのは目の周り(グラス部位?)は白いままなのに、それ
以外は「焼けていた」?点である。
綺麗にお化粧されているため、「浅黒さ」はないが、やや「パンダちゃん」 だった。
ご本人が「美白」だからいう。
スキー場が関係ないなら単に失礼であるが、「女優靈」を発揮してほしかったと。 そこは残念だ。
結果、合間1分間のみ登場する座役・一晴さん が最も「爆笑」だった。
人皮の本と舞い天狗
劇団回転磁石
シアターシャイン(東京都)
2014/03/28 (金) ~ 2014/03/30 (日)公演終了
ネットは人間をバカにするのか?
インターネットが「ゴミ情報」を
撒き散らしている。
検索エンジン最大手Googleは「検索ランキング」を自動検出するが、固有名詞を打っているのに、「掲示板」の誹謗中傷が上位検出される例も多い。
「バーチャル」では終わらないことは一連の事件が理解させる。
本舞台『人皮の本と舞い天狗』を観劇して、思わず驚愕した。
20代中心劇団にもかかわらず、「ネット批判」「ヘイトスピーチ批判」を 、かなり踏み込んだ形のもと表現していからである。
美術セットもよい。古びた図書館。そこに百冊近く『本』が陳列されている。
これは私の憶測でしかないが、タイトルのうち、『本』はタブレット、『天狗』は人種差別被害者に、それぞれ入れ替えたのだと思う。また、劇団作風の可能性は あるものの、ファンタジー系アニメーション・タッチだった。
あえて情報社会技術に関係のないシチュエーションから連想させた試みは、肌感覚で認識する「ネット社会の闇」である。
※ネタバレ箇所
出演陣は美男美女。『池袋サンシャイン劇場』で公演をする日を思い浮かべたのは、私だけではないだろう。
アニメキャラクターの「吹き替え」を続け、演劇自体が一種「運動化」(勢い任せ?)していた。
喇叭道中音栗毛
楽団鹿殺し
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2014/03/27 (木) ~ 2014/04/06 (日)公演終了
商店街を練り歩いてほしい
『劇団鹿殺し』は一年間充電中だったはずである。それなのにもかかわらず、『楽団鹿殺し』に名を変え公演を行った。
1970年代「ヒッピー」版『東海道中膝栗毛』だったが、驚いたのは その舞台構造である。
ステージ脇に台本を確認したり、水分を吸収したり、衣装を着替える「楽屋」が。
リーディング公演ではない。
照明をあてないので、狙った末の「演出」でもない。
ただ、何というか、とても「お洒落」だった。
トランペットを吹く『鹿殺し』は商店街を練り歩くチンドン屋さん級の雑踏であろう。
「1970年代」特有の懐かしさを軸に その一頁を書き記すストーリーは、むしろ若い脚本家だからこそではないか。
「ヒッピー」をノスタルジックに現代社会へと蘇らせた。
それは、「いつのまにか社会に溶け込んでいた」ティーパックのような生態系である。
「動的パワー、ややエロス、寺山修司の“アングラ”…」
『劇団鹿殺し』も早いとこ放電を開始してほしい。
大阪万国博覧会1970のテーマは「人類の進歩と調和」だった。
「太陽の塔」「月の石」「動く歩道」「目玉男」…。総来場者6421万人は上海万国博覧会2010まで破られることの なかった一大記録だ。人口比からいえば国民の2人に1人は来場した計算であり、まさに高度経済成長時代を象徴するイベントだったのである。
その公式テーマソングが三波春夫『世界の国から こんにちは』(作詞 島田陽子 作曲 中村八大)だった。
万博特集のテレビ番組は「こんにちは こんにちは 世界の国から」をBGMとしてリピート再生するだけである。
しかし、歌詞を読むと、当時の日本外交が浮かび上がる。
「こんにちは こんにちは
西のくにから
こんにちは こんにちは
東のくにから
こんにちは こんにちは
世界のひとが
こんにちは こんにちは
さくらの国で 」
言うまでなく「西」とは西側諸国、「東」とは東側諸国。
6年前の東京オリンピックは「東洋の魔女」を流行語にさせ、熟語「東西」からすれば「東の くに」が先頭でなければならない。
あえて「西の くに」を 先頭にもってきたのは、日本政府は「西側諸国」にウエイトを置くという表明である。
こうした「西側の日本」を、最後に「さくらの国」とすることにより、第三世界(ユーゴスラビア、インド、インドネシア)の支持も得やすい「独自色」を同時にアピールした。
それは、後の日中友好条約へつながる日本外交の「布石」である。
作詞を担当されたのは島田陽子氏。筆をとったのは間違いないが、「政府公認テーマソング」だったとみるのが自然な理解だろう。
東京パフォーマンスドール PLAY×LIVE『1×0』(ワンバイゼロ) NEW VERSION エピソード1&2&3
キューブ
CBGKシブゲキ!!(東京都)
2014/03/24 (月) ~ 2014/04/08 (火)公演終了
満足度★★★★
平均年齢16歳を迎えつつある少女たちに訪れた「境地」とは
「この気持ち、わかりますか?」
終演後、涙ながらに語ったのはリーダー・高嶋菜七。劇中ケンカする小林晏夕とともにエピソード1の主要キャストだ。
「踊っている時も、演じている時も、みんなに支えられているんだなって。
今日ダメ…。なんか話せない(笑)」
東京パフォーマンスドール(TPD)。
昨年8月結成時、平均年齢15歳だった少女は16歳を迎えつつある。
同9月より渋谷『CBGK シブゲキ!』で「演劇×映像」の融合をうたい走り続けたのが『1×0』シリーズだった。
「エピソード1は全6回あるんですが、自分的には少ないです」(小林晏夕)
「進化し続けるTPD」は 、3月から始まった『1×0』リニューアル版も変わらない。
「私が演じたのは『セーラムーン』が好きな 女の子。もっと『セーラムーン』に なりきって、千秋楽までには『月に代わって お仕置きよ!』を うまく言いたいと思います」(小林晏夕)
経済新聞で取り上げらるなど、昨年以来、「融合」のシンボルであった『HMD』(ヘッドマウントディスプレイ)が『Smart Glass』(スマート グラス)に。
アイテムはSmart Glassシート(HMDシート)限定だが、リニューアル版からは全席に無線式リストバンド型ライト『FRE FLOW』が新たに登場する。
色はホワイト。腕時計のような形をしており、TPDのLIVEに合わせ 機器内LEDライトが点滅する仕組みだ。
ペンライト不所持の観客も「ファン」である。
また、「演劇×映像」融合のうち、映像部分をリフォームした。
※ネタバレ箇所
リニューアル版は全体のストーリー展開にも。よりシンプル、テンポよく進み、「衝突」一点が強調されていたエピソード1.小林晏夕へ「好奇心」を開花。
あからさまなメンバー同士の「対立」を避ける「素のTPD」であった。
第二部『ダンス サミット』ではCDメジャーデビュー曲となる新曲『BRAND NEW STORY』を披露。
洗練されたダンス、かわいらしい歌唱は「ザ アイドル ユニット」だった。
「異質」だったはずのTPD。
平均年齢16歳へ向かい動き始めた少女たちの これからは いかに。
パラノイアショー op.143
hi-pine company
非公開(集合場所:中野駅南口)(東京都)
2014/03/20 (木) ~ 2014/03/23 (日)公演終了
満足度★★★
「暗闇」を恐れるな
ショッピング・モールの照明は嫌いだ。
ある脳神経学説によれば、商業施設の蛍光色は「消費意欲を高める効果がある」らしく、節電が求められる時代にあっても毎日ピカピカなのは小売業者からすれば それは当然の処置だろう。
健康面に与えるマイナスは「ブルーライト」である。体内時計を狂わせ、身体、メンタルを問わず不調をきたす。
私は、ショッピング・モール等の「見せかけの娯楽」を「ディズニーランド資本主義」と呼んでいる。
日没後の地方都市は、たしかに暗く、寂しく、孤独な街である。しかし、「暗闇」のなかだからこそ、一つひとつの「灯り」が 価値をもつ。
道路を走り、世界遺産『白川郷』へ到着した。
もし、その民家に照らされた「灯り」が米国・ラスベガス市街だったとすれば、誰もシャッターを押すことはしないだろう。
「暗闇の光には価値がある」
それは、「ディズニーランド資本主義」とは違った生き方かも しれない。
不明であった公演場所は地下だった。「中野」からツアーを10分間続けた意図はわからないが、集団で住宅地を歩くのもよい運動だろう。
※ネタバレ箇所
単なる演劇ではない。「リラクゼーション」である。
「ディズニーランド資本主義」反動が若い女性を中心に「サロン・ブーム」を生んだとすれば、その文脈から理解したい公演だ。
「短編集」で、「哲学」と銘打ってるわりには「ライト」であっため、理科室の科学実験を思い出す。
なにかストーリーに基づき「A<B<C」と組み立ててゆくタイプでもない。
上演時間60分強は 「リラクゼーション」される時間に位置付けると適度である。
私は「暗闇」といえば絵本『あらしのよるに』が その「ぬくもり」を教示してくれる代表作だと思っている。
映画作品を 相模原市の小学校で拝見させて頂いたが、「恐怖」と「安心」が 隣り合わせる「平等空間」を よく映し出していた。
作品紹介_ 【あらしのよるに逃げ込んだちいさな小屋の暗闇の中、2匹の動物が出会う。風邪をひいて鼻のきかない2匹は、お互いがオオカミとヤギ、つまり「食うもの」と「食われるもの」であることに気付かない。すっかり意気投合したヤギとオオカミは、翌日のお昼に会う約束をする。合言葉は、「あらしのよるに」。】(Amazon 商品説明より抜粋)
「ヤギ」からすると「オオカミ」は天敵だろう。
喰べられるのがオチである。
けれど、あらしのよる の「暗闇」が、天敵同士に 「友情」を育ませた。20世紀トーマス・エジソン以来、人類が「暗闇」を排除しても 排除しても、未だ どの街にも 「ほのかな暗がり」は残存している。
ただ、「光」は急速な拡大を果たしつつある。
人工衛星から夜間の地球を撮影。
その画像には、日本列島、南朝鮮半島(韓国)、北米大陸、ヨーロッパ大陸、マレー半島などがレモン色に発光する様が記録されている。
例外なく「経済先進地域」が占めるが、同時に「光の地」ほど 現代社会特有の歪みを抱えていることに私は気づいた。
いい男と作りたい4つの芝居episode4
WATARoom
キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)
2014/03/22 (土) ~ 2014/03/23 (日)公演終了
むさ苦しく、湿気が充満したコント
「ベルリンの壁」…。スプレーで付着させた その「落書き」に対し不快感を抱く方は少数でしょう。「一体どこの若者だよ!」などとドイツ市民が怒ることは ありませんでした。
逆に、商店ガレージが「落書き」だらけだとすれば、消費意欲が減退します。
今回は美術セットが そうした「落書き」で占有されており、観客は どういった反応を示したのでしょうか?まあ、それは観客一人ひとり次第だった、ともいえますね。
柏進、鈴木省吾、マンボウやしろ さんがタッグを組んだ二0周年企画ですが、私は【コントに近い形式】だと思いました。
もちろん、細かい台詞は あります。
しかし、のりしろに該当する【プリント用紙】が確保されていたので、役者が 【自由に記せる】そういった柔軟度も ありました。
終演後、柏さんは「今回は時間が長かった」とおっしゃっていました。上演時間が いわば役者さんの【テンション】次第で左右するわけですから、新たな展開も欲しいなと感じつつ、【そこで生まれる演劇】を目撃できましたね。
久保田万太郎 「弥太五郎源七」「一周忌」
みつわ会
六行会ホール(東京都)
2014/03/18 (火) ~ 2014/03/23 (日)公演終了
拓くのは、「観客力の時代」
「観客力の時代」とは どういったことを意味するのだろうか。
タレント・高田純次氏は週刊誌の連載上、映画観賞後の会話で多用される「難しかたったね」について、「便利だと思う。自分がバカだということを隠す」と分析している。
その通りである。
作品に対する技術的評価、世界観をめぐる批評が あれば、たとえ多摩美大卒業展のようなカオス集でも「難しいかったね」の一言では済まない。
本舞台は二部構成と なっており、前半に『弥太五郎源七』を、後半に『一周忌』を 上演するのだが、休憩中に観客からは「下向いてて 聞こえづらいのよ」「マイクがほしい」「時間が長すぎるわ!」なる批判が続出した。
演劇の「中身」を批評するのなら好ましい。
ただ、役者の台詞を理解したければ補聴器を付けるべきだし、大切なのは上演時間ではなく、「平坦で つまらなかった」という「中身」だろう。
二部『一周忌』は、関東大震災後の昭和3年7月の東京・浅草で、未亡人となった女性(瀬戸 摩純)、保険勧誘にやってきたセールスマン(仲 恭司)を中心に展開される。
「新派」のアンチテーゼとして、新たな舞台様式である「ストリートプレイ」「現代演劇」「プロレタリアート演劇」は生誕した わけだが、それだけに、「純化した新派」を観劇するのは新鮮だった。
長台詞は、役者との「関係性」ではなく、むしろ「文学」であった。文字が記され、初めて「舞台様式」が成立する。
といっても、未亡人の女性が「着付」する場面は、成人式しか葬式くらいしか着物をまとわなくなった日本女性からすると、これは「学習タイム」だろう。
「新派」に存立価値があるとすれば、後世へ伝える「文化様式」に違いない。
戦前の日本を あれこれ言うつもりはないが、服装はファッション・センスがあった。
黒スーツを全員が着こなす企業社会もよい。しかし、茶系だとか、麻系だとか、紺だとか、灰色だとか、戦前の日本企業社会は もう少しオリジナリティが あったと思う。
「UNIQLO」の画一期とは対極である。
私は封建文化を強く叩いてきたが、「色彩文化」こそクール・ジャパンに位置付ける中心だと思っている。
DOLL 後ろむきな人生の前むきな歩き方
劇団天動虫
要町アトリエ第七秘密基地(東京都)
2014/03/18 (火) ~ 2014/03/23 (日)公演終了
元気がでる小劇場!!
「エネルギッシュな ハイテンション・コメディ」である。
設定こそ現代の下町TOKYO(日暮里、新小岩)なのだが、美術セットの蛍光色といい、まるで パラレル・ワールドだった。
若い世代が「夢を追い求めることが困難な時代」とされる。
しかし、それでも、首相がいうように「多様な生き方」を保証する側面があるので、私は一概に終身雇用制崩壊を否定しない。
だって、考えてみてほしい。
主人公・江戸川(浅倉 洋介)は、プロ野球選手を断念し、次なる仕事として選んだのが「何でも屋さん」である。詳しくは本舞台を観劇するべきだが、他の登場人物も誰 一人として「正社員」はいない。
ところが、この『DOLL 後ろむきな人生の 前むきな歩き方』が 編み出すパラレル・ワールドは、愉快で、快活であり、みな颯爽としている。
当然のことながら、「ジワリ」と涙も流させるが、その構成物質は 8月の青空に 蛇口から溢れ出す水道水の それと共通していた。
それは、少年野球のユニフォームを濡らしても、自転車の風圧を受ければ、3、4分くらい経過すると乾く性質だ。
なんだか「青春」である。
そうか、江戸川を含めた登場人物は、20代を迎えてなお、未だ「青春続行中」だったのか。
「かわいらしい笑い」は、『劇団天動虫』のアピール・ポイントだろう。高校生演劇部出身者(特に女子)が集結しただけあり、そこらへんの感覚を彼女たちは熟知している。
高校演劇絶賛者の私とて、実際のところ、現役高校生のコメディを
観劇し、「心から爆笑しましたよ!」は 滅多に ない。
笑うとすれば、それは、家族であるとか、親しい友人だとか、近所の畳屋さん へ向けた「笑い方」だろう。
今、ここに記載する出演者が高校演劇部OG、OBかは存じ上げないが、岩井 梨沙子とか、木崎 真 宥子あたりは「観客が抱かざるをえない好感度」を体現していたように思う。
誤解のないよう表現を変えれば、これは「テクニック」である。
「栄養ドリンク」1本の代わりに、『劇団天動虫』を飲みますか?
両者ともエネルギーを注入してくれるが、どうせならカフェイン抜き がいい。
Play with Music OUR BLUE PLANET
DGC/NGO 国連クラシックライブ協会
国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟・大ホール(東京都)
2014/03/19 (水) ~ 2014/03/19 (水)公演終了
「持続可能性」という、あたらしい つながり方を
「地球憲章」は、(知識人が イニシアティブをとり)人類が初めて平和、人権、教育、環境、経済を包括的に条文化した、かけがえのない知的遺産だと思う。
グリーンランドの雪融け現象が、遠くの地にある日本の海水浴場を消滅させているとしたら。(8mの海面上昇を もたらすらしい _同公演の『環境サミット』で知る)
デトロイトの工場地帯からでる排気ガスが、ニュージーランドに住むこどもたち に紫外線対策用サングラスを装着させなければならない原因だとしたら。
アマゾン川流域の森林破壊が、地球に住む70億人の『宝』である生物多様性を滅ぼしているとしたら。
世界は“つながってしまっている”のである。
環境破壊で、また紛争で。
21世紀を建設する私たちは、この
“負のつながり”を、“正の つながり”へCHANGEしなければならない。
そして、“想像”しよう。
目の前で お腹をすかす高齢者の先に、アフリカのこどもたちを。
板チョコレートをあげる、大切な 恋人の先に、空爆に怯える市民を。
“想像”しよう。
“つながり”を持とう。
経済だけが、グローバルではない。
私たちは この地球に暮らす限り、水を、緑を、資源を 、これからも分かち合わなければならない“一員”である。
国連というのは、一般人にしてみれば謎が多い組織だろう。
UNHCR日本事務局長(母国はヨーロッパ)がクリスチャン音楽家の難民支援コンサートに来賓した際、「お祈り」する時間に どう対処したか。
私も含め 参加者が敬虔に 祈るなか、彼は頭をたれることもせず、手を合わせることもしなかった。(イスに座っていたが)直立不動である。
国連組織の責任ある立場の職員は、全ての宗教・宗派から独立していなければいけない存在らしい。
ちなみに、生え抜きの国連日本人女性職員としては最も上層部を経験した池上・日本大学教授から ちょびっと単位を貰った身だ。
国連についての基礎知識は 把握しているものの、職員という立場での宗教は どうなのだろうか。
いや、少なくとも、パブリックな場所だと、やはり自らの「信仰」を封印する必要があるようだ。
「環境省ですか?」「文科省ですか?」「外務省ですか?」「厚生省ですか?」
国連クラシック協会・小池さんに よると、省庁の直轄公演だと噂された歴史があるらしく、それを振り返った。
どの機関が主催か。そんなことは どうだっていい議論だ。
「地球環境」は、一人ひとりの手に直接、関係するテーマである。
私たちが 所管者だし、行動する当事者に等しい。
アマゾン流域で進む、伝統農業を活かした「持続可能 新農業」にスポットを当てる。
この公演では触れられていなかったが、ブラジル日系人が新農法を開発し、大統領を絶賛させた例もある。
記事タイトル【大統領から国家表彰受ける=パラー州=トメアスーの小長野さん=森林農法の小農普及貢献で=ルーラ「日本人だからできた」】 ニッケイ新聞 2010年12月10日(※サンパウロ市 日系人向けメディア)
[諸先輩の80年にわたる苦闘の歴史のおかげです」。首都ブラジリアの大統領府講堂で1日、国家統合省による「地域発展国家表彰」の授与式が行われ、パラー州トメアスー移住地の小長野道則さん(52、鹿児島)に第2部門賞がルーラ大統領の手から渡された。ニッケイ新聞の電話取材に対して、小長野さんは「15年間、小農のためにコツコツとボランティアをしてきたことをゴベルノ(政府)が見ていてくれた。この表彰は一生の宝です」と感無量の様子で感想をのべた。]
日本から渡った移民者が、地球の裏側・ブラジルで、飢餓や差別に苦しみながらも、現在、その役割を評価する声が政財界などに多い。このことは歓迎したい。
舞台は、このようなサクセス・ストーリーを、貿易流通企業社員、現地ブラジルの農業組合経営者を 通して描かれる。
「ダーク・ワールド」を象徴とした歌・ダンスが彼らを取り巻くわけだが、 嫌悪感を抱かせず、それでいて「排除すべき世界観」を明確に区別したパフォーマンスであった。
私は尾花輝代允 先生のバイヴォリン演奏と、若い世代によるバレエを楽しみに鑑賞している。残念なことに可憐なバレリーナの登場は叶わなかった(プロのバレリーナは出演)が、日本舞踊の「粋」に触れられた。
観客の こうした楽しみを、もし非常灯が奪ったとすれば、私は次回以降の消灯を希望する。
ビジネスマンと「地球環境」のマッチングは意外に思われる方も いるだろう。しかし、これは「価値観」の選択である。
「地球憲章」前文は こう記す。
「私たちは、いま生まれつつある地球共同体のために、倫理的基盤となる共有の価値観を、早急につくらなければならない。」
「地球破壊」か、あるいは「Earth Charter in Action」なのか。
この「価値選択」を、ビジネスマンに込めたのである。
ネタバレに「地球憲章」全文を掲載したので、興味のある方は ご一読を 勧める。