商店街を練り歩いてほしい
『劇団鹿殺し』は一年間充電中だったはずである。それなのにもかかわらず、『楽団鹿殺し』に名を変え公演を行った。
1970年代「ヒッピー」版『東海道中膝栗毛』だったが、驚いたのは その舞台構造である。
ステージ脇に台本を確認したり、水分を吸収したり、衣装を着替える「楽屋」が。
リーディング公演ではない。
照明をあてないので、狙った末の「演出」でもない。
ただ、何というか、とても「お洒落」だった。
トランペットを吹く『鹿殺し』は商店街を練り歩くチンドン屋さん級の雑踏であろう。
「1970年代」特有の懐かしさを軸に その一頁を書き記すストーリーは、むしろ若い脚本家だからこそではないか。
「ヒッピー」をノスタルジックに現代社会へと蘇らせた。
それは、「いつのまにか社会に溶け込んでいた」ティーパックのような生態系である。
「動的パワー、ややエロス、寺山修司の“アングラ”…」
『劇団鹿殺し』も早いとこ放電を開始してほしい。
大阪万国博覧会1970のテーマは「人類の進歩と調和」だった。
「太陽の塔」「月の石」「動く歩道」「目玉男」…。総来場者6421万人は上海万国博覧会2010まで破られることの なかった一大記録だ。人口比からいえば国民の2人に1人は来場した計算であり、まさに高度経済成長時代を象徴するイベントだったのである。
その公式テーマソングが三波春夫『世界の国から こんにちは』(作詞 島田陽子 作曲 中村八大)だった。
万博特集のテレビ番組は「こんにちは こんにちは 世界の国から」をBGMとしてリピート再生するだけである。
しかし、歌詞を読むと、当時の日本外交が浮かび上がる。
「こんにちは こんにちは
西のくにから
こんにちは こんにちは
東のくにから
こんにちは こんにちは
世界のひとが
こんにちは こんにちは
さくらの国で 」
言うまでなく「西」とは西側諸国、「東」とは東側諸国。
6年前の東京オリンピックは「東洋の魔女」を流行語にさせ、熟語「東西」からすれば「東の くに」が先頭でなければならない。
あえて「西の くに」を 先頭にもってきたのは、日本政府は「西側諸国」にウエイトを置くという表明である。
こうした「西側の日本」を、最後に「さくらの国」とすることにより、第三世界(ユーゴスラビア、インド、インドネシア)の支持も得やすい「独自色」を同時にアピールした。
それは、後の日中友好条約へつながる日本外交の「布石」である。
作詞を担当されたのは島田陽子氏。筆をとったのは間違いないが、「政府公認テーマソング」だったとみるのが自然な理解だろう。