たんげ五ぜんの観てきた!クチコミ一覧

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地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-

地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-

てがみ座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

フィクションとしては
脚本・演出・演技、すべて芝居らしい芝居。
そういうものとしては、強度を持った作品だと思った。
フィクションとしては、とても良くできている。

ただ、戦争という歴史を扱っている、しかも民俗学(宮本常一)を扱っていることを考慮すると、どうしてもひっかかる点も多かった。

歴史とはそもそもフィクションであり、過去を振り返る際に都合のよいように再生産される物語のことである。そして、民俗学はその歴史記述に抗うために、その物語に回収されないものを記録し、考察するものである。

だが、この芝居では、物語を強くするために脚本ができている、ご都合主義なのではないかという部分が散見された。(時代考証が正しくないのではないかという部分もあったが、私は歴史に詳しい訳ではないので、その点は私の勘違いかもしれない。)物語内容は、当時の国家権力が学問に対して、そして庶民に対して行使した暴力に、どう対抗するか、できるのか、ということがテーマになっている。「秘密保護法案」が可決しそうな現在の日本の社会状況で、この作品を発表する批評精神には賛辞を送りたい気持ちもあるが、私には戦中の国家権力が作り出した大東亜共栄圏などの物語と、戦後に一般化した「戦争は為政者によってのみ引き起こされ、国民は弾圧された、または騙されていた」という物語は、共にコインの表裏として、フィクションとしか思えない。
権力と庶民が両輪となって、戦争への道は開かれていった。勿論、その道筋を付けたのは権力の側だったとしても。そして、その両輪によって戦争が起きたとする認識もまた別の物語であることも自明なことだが。いずれにせよ、この作品は、歴史という物語に基づいて、その物語を補填する形で創られているよに思えた。多少の複雑な設定は描き込まれてはいたものの、その主軸は、作者が言いたい、描きたいことにのみ向かっていたように思う。
問題は、歴史という物語を単純に信じないということであり、それが民俗学の基本でもあるはずだ。批評性とは、やみくもに権力を批判するということにあるのではなく、それらの構造の中に潜む力学を見据え、相対化することにあるのだと思う。

そういう意味では、残念だったが、上で書いたことを不問に付せば、素晴らしい舞台だったと思う。

宮本常一役:古河耕史さんがよかった。

東京へテロトピア

東京へテロトピア

Port B(ポルト・ビー)

都内各所 *ツアーキット受取所: 東京芸術劇場内1Fアトリウム特設F/Tインフォメーション(東京都)

2013/11/09 (土) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

演劇という概念の拡張:観客自身がドラマを創り出す
※全箇所廻っていないので、途中の感想です。

地図をもらい、そこに書かれた場所(都内各所)に、好きな日時に行き、そこでラジオを聞くという芝居。役者はいない。演出家の仕掛けがあるだけ。

Port Bの作品ではいつも、歴史という縦軸と、現代社会という横軸の重なった地点に自分が立っているということを自覚させられる。

今作でも、土地と記憶との関係を深く考えさせられた。
見えていながら見ていない他者(歴史、外国人、マイノリティ、、)の問題なども考えさせられた。

また、今作では、今までの作品以上に、観客の自由度が増した。
それは、一方で、あまりにも演出の仕掛けが無いことに不満も残ったが、
もう一方で、その点こそがこれまでの作品に対して私が持っていた不満(観客と世界との間に直接的な関係性が生じないこと。傍観でしかないこと。)を解消する契機にもなっていた。

「不満があるのならば、自分でその壁を壊せばよい。観客よ、演出家を撃て。」というように、
観客が自から劇を創造していく自由が与えられている。
そうは言っても、これは高山明氏が意図した事ではないように思う。おそらく自由度を高めたことによって生まれた副産物だろう。勿論、派生的な副産物を生じさせようということに関しては、かなり意識的だったと思うが。

いずれせよ、私はその自由を利用し、積極的に劇体験を豊かにしようと努めた。
指定の場所で、その場と関係の深い人と会話をしたり。
そこで出会った別の観客と飲みに行ったり。
そのような関わりの中にこそ、作家が創る物語よりも、遥かに豊かなドラマがある。

それでも、今作には仕掛けが無さ過ぎるとは思う。
中野成樹・長島確『四谷雑談集』の評でも書いたことに近いが、
確かに演出家の方向付けを弱くすれば、自由が増し、その体験は無限に広がるようにも思える。
だが、そうすればする程、それを「演劇」と呼ぶ意味はなくなってしまう。現実と劇との境が溶解し、すべてが現実に飲み込まれてしまう。
上で私が素晴らしいと書いた点はすべて、本を片手に自分で街へ出ることで得られる体験でしかないのだから。

勿論、ラジオの仕掛けはある。
だが、ラジオというイヤホンを耳にさし自分の内部に意識を向かわせながら外界を見るという体験は、これまでのPort Bの作品では、「世界に対して、人は傍観しかできない」ということを自覚させるられる装置として強い問いかけをもった演出だと感じていたが、観客が自らの意志で世界へ接続できる場に放たれた時、ラジオから聞こえてくる言葉は、ただのテキスト(文字・意味)としか私には感じられなくなってしまった。勿論、文字・意味としては、意義深い内容だとは思うが、それ以上のものとしての機能を果たしていなかったのように感じる。本来は「声」として聞かせることを意図しているのだと思うが、生身の人間の声とも、主体を持たない土地の(記憶の)声とも聞こえなかった。

そうは言っても、意図か、結果としてそうなっただけかはわからないが、
観客が積極的に劇体験を掴み取る場を用意したということは画期的なことだと思う。

※ひとつひとつの場所での体験は、後日、ネタバレに書きます。行ったら順次書き足していきます。)

『四谷雑談集』+『四家の怪談』

『四谷雑談集』+『四家の怪談』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

四谷エリア〈四谷雑談集〉 北千住・五反野エリア〈四家の怪談〉(東京都)

2013/11/09 (土) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

「四谷雑談集」:演劇という概念の拡張、それは限界か、可能性か。
「四谷雑談集」を巡るツアー演劇。
ちょろっとだけ役者も出てはくるが、それはイベントごとに過ぎず、基本的にはテキストとガイド(演出家、ドラマトゥルク)の解説を元に、観客自身が四谷の地を歩き、その認識を更新するというもの。
演劇という概念を拡張しているという意味では、一定の意義がある公演だと思う。
「四谷怪談」は有名だが、その元になった「四谷雑談集」はそれほど一般的に知られている訳ではない。
「四谷雑談集」は、当時の噂話や都市伝説のようなものをまとめたものであり、フィクションではあるのだが、現実的な手触りはこちらの話の方がはるかに残っている。その昔話の中にある現実感を、今現在の四谷を歩く中で、感じ、考える。
時間を経ても変わらないもの、変わってしまったもの、残っているもの、残っていないもの。観客は、土地を移動しながらも、同時に過去と現在との距離、時間をも旅する。
そこから見えてくるものは、観客の数だけ存在する。

そういう意味では、有意義な時間を過ごすことができた。
だが、これではただの観光ツアーと変わらない。
ちょっと知的な観光ツアー。

これを演劇と名指す意味は見出せなかった。
もはや表現と現実との壁は溶解し、芸術というものを特権化する意味などないというならば、わからなくもないが、その場合、それは「そもそも芸術など必要なのか」という自身の表現行為をも相対化するものにもなってしまい、自家撞着に陥ってしまう。

以前、東京デスロックの『シンポジウム』という公演を観た時も、同じような感想を持ったが、その作品の場合は、単なるシンポジウムでしかなくても、それが「演劇公演」と名指され、フレーミングされることによって、そのシンポジウムを演劇を観るような注意力で観るという現象が生まれていた。語られる言葉の意味ではなく、登壇者の所作や反応を凝視するという態度が。

この作品でも、これは演劇なのだからと、ただの観光以上に意識的に街を凝視はしたが、それ以上のものとは感じられなかった。

ただ、肯定的に見れば、ギリギリ垣間見える作者の問いかけの中に、ただの観光ツアーとは異質のものがあると言えないこともないが。

ネタバレBOX

「四谷雑談集」には、罪悪感や、そこから生まれる疑心暗鬼などによって、人は祟りなどを信じてしまい、自分で自分を追い込むような物語を作ってしまうということが語られているのだと私は思う。
それは、科学が進歩した現在でも、全く変わっていない。それどころか、ネット社会になって、その問題はかつてよりも深刻になっているのではないかとさえ感じる。

そのことを、この作品は問うているのか、、、作者の意図はわからないが、私はそのことを考えながら、ツアーを廻った。
紅小僧

紅小僧

劇団桟敷童子

ザ・スズナリ(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

現代を逆照射!?
昭和初期、前近代的な信仰の残る村社会で起こる、集団と排除の物語。

過去を描いた物語なれど、現在を逆照射している。

かつて村社会にあった信仰のようなものは、
現代にも形を変えて残り続けていると強く感じた。

それが、集団の暴力、ファシズムの根底だ。

役者さんたちが皆素晴らしかったが、
特に大手忍さんの演技が凄かった。

ネタバレBOX

戦争によって人は消え、村社会の秩序を乱すものは消える(場合によっては消される)。そして、すべての不都合は「神隠し」とされる。

その嘘(幻想)を信じることで、村社会の秩序は維持される。
そこをどう突き崩すのか、、、、。

〈異界より迷い出た娘〉が排除されそうになった時、
その娘を妻だと思っている〈村外れに住む老人〉とその息子〈山上業師〉は、
娘(妻?・母?)を守ろうとし、
娘と同様に排除されかけていた〈隣村の男〉や、村の中の外部者〈村の女乞食〉もそれに加わる。
更に、男の強さを持たない青年〈進〉や村の女たちも、次々とその娘を守る側に付く。

村社会に巣くう男の権力に、排除される者や力を持たぬ者が集まることで、それに対抗するということだろう。

こう書くと、陳腐なプロレタリア演劇のようだが、
そんな単純な話でもない。

結局、ハッピーエンドでは終わらない。
弱き者がいくら村社会の、男の論理に対峙しようとしたところで、勝てるわけではない。

娘は、自ら異界(山)に戻っていく。

そして、最後に息子?(もしくは、異父兄?)に「生きろ」という。
(夫?(父?)には、「私の名前を呼んで?」という。)

こんな現実の中で、それでも生きていかなくてはいけないということだろう。


そもそも異界とは何を意味しているのか?
単純な物語のようで、多様な解釈ができる。
なんとも不思議な作品。
もう風も吹かない

もう風も吹かない

青年団

吉祥寺シアター(東京都)

2013/11/07 (木) ~ 2013/11/18 (月)公演終了

満足度★★★★★

アンビヴァレントな、、、オリザ
青年海外協力隊は善か偽善か。
政府の海外支援は、本当に援助なのか、企業ぐるみの第三世界支配(金儲け)の一環なのか、、、などに揺れる物語。

作品とその作者を重ねて見る観方はよくないと言われるが、
この作品においては、そのように観てしまった。

ここで揺れている主体は、青年海外協力隊であり、この戯曲を初演時に書いた桜美林大学の学生(つまり、現代の若者)であり、そして何より平田オリザ氏自身のように思えた。

アジア問題をはじめ社会批評的な作品を作りながら、
教育について言及・実践を重ね、政府系の権威的な役職にも付き、
一時は民主党政権で内閣官房参与を務めるなど、
政治的に賛否の別れる立場で振る舞い続けている平田オリザ氏。
ここで描かれているのは、彼の葛藤なのではないか。

それは、権力批判や資本主義批判をした瞬間に、その批判される対象に自分も重ならざるを得ない私たち観客自身の姿とも重なる。
(もっとも分り易い例で言えば、日本に住んでいるだけで、世界レベルの構造の中では、好む好まざるにかかわらず、不可避的に搾取する側になってしまっているということなどが挙げられる。)

また、近未来に日本が財政破綻することや、(TPP交渉などによって)農業が壊滅することなど、10年前に書かれた脚本なれど、初演当時より、今の方が物語の現実味を帯びてきている感じもする。そういう批評性も素晴らしい。

ただし、芝居としては、かつて見た青年団の作品と比べると、それほど刺激的とは思えなかった。
そのため、芝居の満足度は☆4ですが、やはりそこに平田氏自身の葛藤を感じるので☆5。

ネタバレBOX

志賀廣太郎さん演じる:植田の葛藤(沖縄のくだり)では、特に平田氏の葛藤を感じた。

いままで何作品か青年団の芝居を観たが、
素晴らしいと思う作品には、いつも余白がたくさんあり、
台詞やその意味にではなく、役者と役者との微妙な関係性の中にその凄さがあった。
そういう部分は今回の芝居では感じなかった。

それが作品としての物足りなさではあったが、
逆に、脚本の台詞やその意味に感じ・考えるものがあった。
ザ・スーツ THE SUIT

ザ・スーツ THE SUIT

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

完璧なれど、、、
「なにもない空間」のピーター・プルックだけあって、
音楽も、照明も、美術も、すべてシンプルで、
余計なものがない空間から起ち上がってくる舞台の豊かさには凄いものがあった。
特に、舞台上で生演奏される音楽と舞台との関係は絶妙だった。
役者の演技も素晴らしかった。

脚本も、1950年代の南アフリカの話であり、社会批評性も強く、人が生きる根幹に触れる問題を扱っている。と言っても、ポップに。

それに、やりつくされた手法とはいえ、役者と観客とのやり取りなどは、今でも刺激的ではある。

あらゆる部分で、本当に繊細に舞台が構築されていて、完璧という印象なのだが、、、、  なぜか根っこからは感動しなかった。

ネタバレBOX

例えるなら、高級料亭の料理を食べたような品のよさ。
すごく丁寧で、繊細な味付けで、こんな美味しい料理食べたことないのだけれど、、、
僕は、その辺の居酒屋で、田舎料理をつまみながら一杯やる方が美味しく感じるということかな。

途中、パーティーの場面で、観客を3人舞台に乗せ、一緒にパーティを祝うという演出があった。こういう観客参加は、やり尽くされている手法とはいえ、やはり興奮する。こういう前衛的な演出までも、とても品が良かった。
息をひそめて―シリア革命の真実―

息をひそめて―シリア革命の真実―

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2013/11/11 (月) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★

メッセージ性の強い
メッセージ性の強い芝居。

シリアで起こっている現実に目を向ける意義深い作品。

ネタバレBOX

メッセージの内容には強く共感するが、演劇として面白いと思わなかった。

実験的な側面でも期待したが、普通の芝居だった。

取材に基づき、すべて実際にそこにいた人の、その言葉を基に作品化しても、それは結局フィクションである。それは、ドキュメンタリー映画監督の佐藤真や森達也が「ドキュメンタリーはフィクションである」と言うのと同じだ。撮影の段階で選択が行われ、編集の段階で更に選択が行われるからだ。それは、活字も同様で、取材対象は選択され、脚本化の段階で更なる取捨選択がなされる。
さらに、舞台では、それを役者が再現するというフィクションも加わる。

だから、「本当のことなんてない」と単純に批判したい訳ではない。
だからこそ、その現実を扱うことそれ自体への(自分の行為への)批評性が必要だと言いたいだけだ。

その点への自覚は、まず脚本において、そして演出においても薄かったように思われる。

ただし、悪の正体が茫漠として明確ではない日本や欧米圏と違って、
シリアの現実は、悪の正体がある程度は明白なので、
悪を断罪する批判としての作品の意義は充分にあったと思う。

それでも、社会主義リアリズム作品やプロパガンダ作品と同じで、作品として面白くなかった。

終始ひとつのメッセージが反復される形だった。

現実に基づこうが、フィクションなのだから、もっと物語化するか、
又は、逆に、すべてをより断片化するなど物語化に抗う脚本や演出をすべきだったと思う。

この芝居で面白かったのは、物語のはじめに暴力ではない形での革命を目指していた者が、家族や友人を虐殺されたことによって、政府軍やその協力者(密告者)を殺してやると言いはじめた部分だ。
これは、まさしくドラマである。実際に起こったことを繋げたにしても物語(フィクション)である。

結局、この芝居も、上に書いた場面がラスト(の一つ前なのだが、ほぼラスト)であり、物語化によって強度を付けているのだから、もっともっと作者の構成力によって作品の強度を高めるべきだったと思う。
その構成も、個人的には物語化の方向ではなく、物語化に抗う方向の作品が観たかったのだが、、、。
今作品はどっちつかずの印象。

と色々書いたが、
作品のメッセージには強く共感している。
酷いシリアの状況がなんとか良い方向に向いてほしいと願っている。
具体的に私には何もできないけれど、そのような現実があるということを先ずは知るということは極めて重要なことだと思う。
売春捜査官

売春捜査官

carne

OFF OFFシアター(東京都)

2013/11/05 (火) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

怪優っぷり
木村伝兵衛役:野口かおるさんの怪優っぷりが素晴らしかった。
桂万平役:植本潤さんもよかった。

ネタバレBOX

テンポが、バチッと決まっている部分と、そうでない部分があったような気がする。

でも、その辺も、難しくて、
一見一番間延びしていたように見えた、アドリブっぽい演技が入った部分にこそ、私は面白さを感じて、テンポが良すぎる部分に逆に惹きこまれなかったり、、、
(まったく逆の評価をしている人もいるので、この辺は好みによって別れるんでしょうね、、、)

いずれにせよ、野口かおるさんの怪優っぷりを堪能しました。
モスキート

モスキート

月刊「根本宗子」

BAR 夢(東京都)

2013/11/02 (土) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

4人の個性
4人の役者さんたちが、皆個性的であり、実力もあって、とても良かった。
バーでの公演という場所を活かした演出も面白かった。
脚本は、河西裕介さんということでとても期待していたのだが、
充分よくできてはいたが、それ以上ではなかった。
とは言っても、小さな空間で4人の魅力的な役者さんの演技を堪能できて、よかった。

吉田光希(映画監督)×河西裕介(演出家)『ハアトフル』

吉田光希(映画監督)×河西裕介(演出家)『ハアトフル』

浮間ベースプロジェクト

浮間ベース(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

微細な関係性を描写
河西裕介Verが素晴らしかった。
人間関係の中に潜む微細なものを、本当に丁寧に描いている。
それを演じる役者さんたちも素晴らしかった。
特に森チエ役:笠島智さんがよかった。
野田慈伸さんはいつ見ても間違いない安定感。

吉田光希Verは、あまり好みではないが、
部屋の一室での臨場感はあった。

☆4は河西Verへの評価です。

ネタバレBOX

<河西裕介Verについて>
ああいう性的にドロドロとした人間関係を、私は経験したことがないので、自分の人生と重ねて何か強烈なものを感じるということはなかったけれど(それが感じられる人には、より強烈な作品なのだと思う)、自分と一見関係なさそうな人たちの会話の中にも、自分が日常的にやりとりしている人間関係の力学、それも極めて微細なものが、とてもよく描かれていた。その細部の描写力に驚いた。その細部こそが、普遍に通じているということだろう。素晴らしかった。

<私的メモ>(作品への感想・評価とは別ものです)
バイト先で知り合った元ホストの男(拓也)が主人公(森チエ)に言い寄る場面がある。
男が手の話題をふり、そして手を握る。そこでの指の感触から、2人の肉体的・精神的距離が急激に縮まる。
2人の間にある一線を越境する場面だ。
ここでの緊張感は、多くの人が経験しているものだと思う。
実に見事だった。

だが、このシーン、私は座席が後ろだったために、前の観客の頭が邪魔して、まさにその手の動きがまったく見えなかった。
そこで、私はその細部を想像するしかなかった。
自分の過去のそういう経験なども思い起こしながら、、、

それによって、そのシーンが、私にとって、この作品のかなり重要な場面として印象付いてしまった。
だが、普通にその場面を見ていたら、その印象はだいぶ違ったものになっていたのではないか。
もしばっちり見えていたら、その見事な細部の描写に、今以上に衝撃を受けたのかもしれない。又はその逆で、ただの一連のシーンのひとつとして、たいした印象にも残らずに流れてしまったのかもしれない、、、わからない。

いずれにせよ、観客にとって「見える」ことと「見えない」こととの関係、想像力の問題など、深く考えさせられた。
(と言っても、これは作者が仕組んだ演出ではなく、偶発的に私に生じた事態なので、私的メモ。)
韓国現代戯曲連続上演

韓国現代戯曲連続上演

韓国現代戯曲連続上演実行委員会

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

演出が面白かった
韓国若手(30~31歳)作家の戯曲3作を、
小池竹見さん、金世一さん、山田裕幸さんが演出するという企画。

戯曲という観点からいうと、短篇・中篇だからかもしれないけれど、
それほど刺激ではなかった。

それでも、三作目の『上船』は、面白い構造の舞台だった。

むしろ、三作とも演出が興味深かった。

※☆4は、『上船』に対してです。他の二つは☆3の印象。

ネタバレBOX

①『真夜中のテント劇場』作:オ・セヒョク 演出:小池竹見

労働者が会社に労働条件の改善を求め抗議をするために、会社前にテントを張り、そこで夜を過ごす(昼夜過ごすのかな?)のだが、初日のため、不安が様々な幻想を呼ぶという話。
大きな布1枚で、テントに見立てたり、飛行機で空を飛んでいるように見立てたりする演出が、素晴らしかった。
(これは、小池竹見さんのアイデアなのか、脚本に指定されていることなのかは不明)
チョウン役:北見直子さんがよかった。以前、ユニークポイントで北見さんの芝居を観た時もよいと思った。

②『秋雨』作:ジョン・ソジョン 演出:金世一

幻想譚。金世一さんは、幻想空間を演出するのが、とても上手い。
今作も、とても幻想的な空間を演出していた。
公演の女・ソナ役:生井みづきさんには、不思議な魅力があった。

③『上船』作:ユン・ジヨン 演出:山田裕幸

シンプルな2人芝居。
屋台を営む老女の元に、行き違いで再会の約束を果たせなかった昔の恋人が訪れる。だが、実は、彼は事故にあい、冥途への船を待つ間に、彼女の元へ寄ったのだった。そこでの最後のやり取りの話。
舞台上に屋台を作り、そこで実際に火を使って料理をしながら、男をもてなす。その演出が面白かった。
見た目も面白ければ、観客の臭覚を刺激する芝居というのも面白かった。
さらに、役者は役を演じながらも、実作業として料理を作らなくてはならいないために、そこに「演技」の嘘くささがなくなり、とても自然な演技になっていた。
そのような演出もあってだろうか、実力だろうか、洪明花さんがとてもよかった。
Lamp Light

Lamp Light

激団リジョロ

タイニイアリス(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★

エネルギーと臨場感
役者さんのエネルギーが強い。
それにより、臨場感あふれる舞台になっている。
(私は、舞台奥の公式HPスーパーシートでの観劇だったので、尚更それを感じることができた。このシート、おすすめ。舞台袖などを見ながらの観劇というレアな体験もできる。)

ただ、物語としては、物足りなく感じた。
(人情話などが好きな人には良いのだと思うが。)

おそらく普通の客席で観ていたら☆3を付けると思うけれども、
特別シートでの体験は刺激的だったので☆4。

ネタバレBOX

正直に言えば、物語は面白いと思わなかった。

在日の話は、今でもこのような差別(就職差別は特に)が行われているのは知っているし、許しがたいことだと私も思うけれども、
こういう差別をテーマにした芝居はいくつも作られているし、
「在日をテーマにした作品=こういう作品」という典型的な内容だったので、
正直、またこれかという感じ。
勿論、幻想譚のような少女の話と重ねて描かれているので、
そういう意味では典型的というだけではないが。

ラストも「いろんな厳しい状況があるけれども、希望を持って生きていこう」という感じで、そういうのもステレオタイプな感じがした。
まぁ、そういう芝居が好きなお客さんというのも多いのだろうが、、、。

ただ、チャップリンへのオマージュとして、
冒頭の無声映画の演技のようなものを舞台でやったのが、面白かった。
あの過剰な演技、ありそうだけど、舞台で観たのは初めてだった。

脚本に対しては不満があるが、演出や役者さんの演技はとてもよかった。
【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2013/11/05 (火) ~ 2013/11/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

どこまでが、、、
どこまでが作り話で、どこまでが事実に基づいていのか、、、
そして、どこまでがフィクションの芝居で、どこまでがドキュメンタリーか、
またはすべてフェイクか、、、
よくわからない感じが、とても刺激的だった。

ただ、物語内容としては、何が問いかけたいのかわからなかった。
(依存なども含めた人間(男女)関係のことがテーマなのはわかるが、、)

面白い演出も、批判的に見れば、実験というよりは、新奇なエンターテイメントという感じだが、
それでも、この方法はかなり面白かったし、
何より、エンターテイメントとして、とてもうまく構成されていた。

ネタバレBOX

たぶん、全て作り話で、
ドキュメンタリー部もほとんど計算されたフェイクドキュメンタリーだと思って観ていたが、、、
実際はどうなのだろう。

休憩あけに映画『タンゴレッスン』の一場面が流され、
その見事な映像がこの芝居の物語と重なっていて素晴らしかった。

タンゴにおける男と女の役割などのことが、男と女の人間関係そのものに重なっていて、とても興味深かった。

マ・ドゥヨンさんは、東京デスロックの『シンポジウム』という公演で観たことがあった俳優さんだったので、「あっ、この劇団の人なんだ!」とちょっと嬉しい発見だった。
森の別の場所

森の別の場所

時間堂

シアター風姿花伝(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★

正攻法
戯曲もリリアン・ヘルマンの古典。
演技・演出も正攻法。

正攻法の作品が好きな人にはお勧めできる。
私個人としては、その点が物足りなく思えたが、それは趣向の問題なのかもしれない。

と言っても、リリアン・ヘルマンの戯曲は素晴らしい。
物語劇だが、その解釈は一義的ではなく、どのような解釈も可能な素晴らしい作品。

今作は、演出家の黒澤世莉さんが翻訳もしていて、そういう意味でも、
これが古典だから素晴らしいというだけではないのかもしれない。
(小田島雄志訳など、他の人が訳したこの作品を、私は読んだことも、観たこともないので、実際のところはわからないが。)

趣向の問題もあり、舞台の満足度は☆3の印象ですが、この戯曲は素晴らしいと思うので☆4にします。

「 超高層ノスタルジア」

「 超高層ノスタルジア」

POPlinks

新宿眼科画廊(東京都)

2013/10/31 (木) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★

構成力がすばらしい
断片をコラージュしたような作品世界の組み立て方なのだが、
物語がきちんと立ち上がっていく、その手腕が素晴らしかった(脚本も演出も)。

役者さんたちも個性的でよかった。

ネタバレBOX

SFなので、リアリズムからの意見は意味がないのかもしれないが、
それでも、ラストでツバメちゃんが死ぬというのは、ひっかかった。

そう簡単に人は死なないよな、、、と思ってしまった。

勿論、それほどまでにチドリちゃんをツバメちゃんが愛していたのだというのはわからなくもないが、、、

脚本がご都合主義だという言い方もできるが、
物語に人が死を選ぶほどの心の葛藤が描かれていないのならば、
演出や演技レベルで、その飛躍を埋めることもできたと思う。

いずれにせよ、あのツバメちゃんの死が観客として納得できるものであったら、ここで描かれた作品世界を、私はより深く感じ入ることができたと思う。

と、厳しいことを書きましたが、
構成力のすばらしい脚本、
そのリズム感を活かしたテンポのよい演出、
そして、とても個性的な役者さんたちの演技、
すばらしかったです。
『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』(終演しました! ご来場ありがとうございました!)

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2013/10/23 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★

【うれしい悲鳴】
時代への批評性が素晴らしい。

今の日本で問題になっていることを物語に描きこんだ、
このまま行ったらこんな社会になるかも、、、 近未来SF。

ネタバレBOX

思想的な意味の広がりのある台詞が特徴的な舞台だと思った。

内容については、多くの方が細かく書いているので、個人的に印象に残ったシーンを1つだけ書く。

アンカという法律により、「泳ぐ魚」という公務員集団は、決定された法案を絶対的に強行しなければならない。
植物人間の臓器を移植して、救命に役立てなければならないというアンカが決定する。
そこで、植物人間の人は、脳死などではなくても、命を奪われることになる。
その際、時の天皇も植物人間だったのだが、天皇は例外措置として不問に付されてしまう。アンカという法律は誰に対しても平等に絶対的に行使されるということを信条に暴力的な行為も正当化して自分を保ってきた「泳ぐ魚」のメンバーの一人は、それは断じて認めることはできないという。それを認めてしまったら、自分の行使してきたことが、正義ではなく、暴力の片棒でしかないとなってしまうからだ。そこで揺れる。
また、メンバーであり主人公のマキノ久太郎は、好きになった女の母が植物人間であり、母を殺すなら私を先に殺してとマキノに迫る。アンカは絶対である。そこで揺れる。
結局、アンカは天皇を例外として、それ以外には絶対的に行使される。

ここに集団の正義とその暴力性の問題が提起されていてとても興味深かった。

他にも、頭で考えると素晴らしいと思える部分がたくさんあるのだが、
芝居としてはあまり惹きこまれなかった。
【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』

【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 中劇場(東京都)

2013/10/26 (土) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

視覚的な空間演出が素晴らしい
広い舞台を充分に活かした
視覚的にとても面白い空間演出がなされている。
音楽もその場で生で付けられていて素晴らしい。(←すべてではないけれど)

内容としては、近代的自我、「私」とは何者かが問われている。
と言っても、そんな固い演出ではなく、割とポップな印象。

観ている最中は☆4くらいの印象でしたが、
観終わった後、心に残るものがあったので、☆5にします。

※私はイプセンのこの戯曲を読んだことがないので、字幕を追うのがとても疲れた。 明日観る方で、戯曲を読んだことが無い方は、粗筋だけでも事前に知っておくと、舞台により集中でき、より楽しめると思います。

ネタバレBOX

「私」とは自分自身が認識し所有しているものではなく、
結局は他人が自分を見つめる中に、
それも自分を愛してくれている時に生じるものなのだ、
と観終わった後思った。

(舞台空間の使い方や、音の付け方などが、 ニットキャップシアターの 『少年王マヨワ』を観た印象と重なった。)
nora(s)

nora(s)

shelf

アトリエ春風舎(東京都)

2013/10/25 (金) ~ 2013/10/31 (木)公演終了

満足度★★★★★

素晴らしい空間演出 そして演技!
空間演出が素晴らしかった。

役者の演技も素晴らしかった。
特に、韓国の女優:Cho YuMi さんに魅了された。

芝居自体は☆4という印象ですが、Cho YuMi さんの魅力に☆5です。

ネタバレBOX

素舞台に5人の役者が独立して存在している。

それぞれが自分の時間を有し、無軌道に動き、その中で言葉を発する。

まるで無限に広がる宇宙に孤立している人間存在の姿がそこにあるかのように。そこでは、役者の身体がそのものとして投げ出されている。

言葉は虚空に響き、誰に受け止められるわけでもなく漂い続ける。
そこでは、言葉は意味を失う。
そして、言葉そのもの、想いそのものとなって投げ出される。

その身体、言葉が、時に出逢い、重なり、そして離れる。

舞台という小宇宙に、見事なまでに人間存在の孤独が描かれている。


このようなシンプルな舞台を成り立たせているのは、
役者の強度。素晴らしかった。

川端優子さんが歌った「サン・トワ・マミー」は特に素晴らしかった。
その歌の中に人間が現れていたと感じた。

そして、Cho YuMi さん。
彼女の言葉は韓国語なので何を言っているのかわからないのだが(と言っても、川端さんの台詞と重ねて〈ちょっとズラして〉語られているので、おそらく川端さんの日本語と同内容だろうが)、その言葉そのものの響き、その微細な演技、、、本当に魅入ってしまった。

素晴らしかった。
【千秋楽当日券ございます】値札のない戦争

【千秋楽当日券ございます】値札のない戦争

劇団印象-indian elephant-

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/10/24 (木) ~ 2013/10/28 (月)公演終了

満足度★★★

強い批評性
現在、大きな問題になっている日本と韓国(広くみれば中国も)との国際間摩擦をメディア批評を中心テーマに置きながら描いた寓話作品。

今の社会状況で、そしてBeSeTo演劇祭で、日本人と韓国人が一緒にこの舞台を作る意義は大きい。

ネタバレBOX

ただし、芝居としては、メッセージ先行という印象が否めない。

そこにある批評性が一義的な意味に留まり、演劇的な何かが生まれている感じがしない。
月の国と星の国との摩擦・戦争を描いているのだが、
寓話ではあっても、もはや直喩であって、日本と韓国のことでしかありえない。竹島/独島の問題なども直球。
寓話的な意味の広がりが感じられなかった。
勿論、直喩の面白さはあるのだけれど。

それでも、ここで描かれているメディア批評は素晴らしい。

平和な状況で、ちょっとした遊び心から撮り、売るために発表した戦場を模した偽戦場写真が、実際の戦争状態への引き金になっていく。
また、実際の竹島/独島らしき島で撮った写真も、国旗を燃やしているのか、単にタオルか布のようなものを燃やしているのか判然としないようなものを、国旗を燃やしているものと受け取れるように敢えて発表するなど、お金に繋がりさえすれば(読者・観衆を興奮させられれば)、事実なんてどうでもよく、そしてその結果がどんな影響を及ぼそうが関係なく、なんでもセンセーショナルに報じる今の日本のメディア状況をとてもよく描いている。

また、日常にあるような出来事と政治的な問題を重ねて描く点もよかった。
男が「女は昔のもう終わったことをいつまでもネチネチ問題にするけど、もうその話は一度謝って、片が付いているじゃないか」というような主旨の発言には、韓国と日本との賠償や謝罪の問題が重ねられていたりする。この問題も、両方の言い分を別の役者に言わせることで、どちらが正しいということではなくしている点もとてもよい。

ミサイルの問題と、男性器を重ね、そこに男性原理の暴力性を重ねていたりもする。

戦場カメラマンの話が中心で物語が進むのだが、
「お金こそ目に見えないものを見えるようにするカメラだ」というような台詞もよかった。

だが、すべてが政治状況や思想的なものに意味を変換(解釈)して味わうという感じで、演劇的な面白さをあまり感じなかった。
三人姉妹

三人姉妹

華のん企画

あうるすぽっと(東京都)

2013/10/24 (木) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★

正攻法
正攻法の「三人姉妹」。

演技・演出もきちっとしているので、正攻法の「三人姉妹」が見たい人にはとても良い舞台なのだと思う。

私にはその点が物足りなく思えたが、これは好みの問題なのだと思う。

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