地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち- 公演情報 てがみ座「地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    フィクションとしては
    脚本・演出・演技、すべて芝居らしい芝居。
    そういうものとしては、強度を持った作品だと思った。
    フィクションとしては、とても良くできている。

    ただ、戦争という歴史を扱っている、しかも民俗学(宮本常一)を扱っていることを考慮すると、どうしてもひっかかる点も多かった。

    歴史とはそもそもフィクションであり、過去を振り返る際に都合のよいように再生産される物語のことである。そして、民俗学はその歴史記述に抗うために、その物語に回収されないものを記録し、考察するものである。

    だが、この芝居では、物語を強くするために脚本ができている、ご都合主義なのではないかという部分が散見された。(時代考証が正しくないのではないかという部分もあったが、私は歴史に詳しい訳ではないので、その点は私の勘違いかもしれない。)物語内容は、当時の国家権力が学問に対して、そして庶民に対して行使した暴力に、どう対抗するか、できるのか、ということがテーマになっている。「秘密保護法案」が可決しそうな現在の日本の社会状況で、この作品を発表する批評精神には賛辞を送りたい気持ちもあるが、私には戦中の国家権力が作り出した大東亜共栄圏などの物語と、戦後に一般化した「戦争は為政者によってのみ引き起こされ、国民は弾圧された、または騙されていた」という物語は、共にコインの表裏として、フィクションとしか思えない。
    権力と庶民が両輪となって、戦争への道は開かれていった。勿論、その道筋を付けたのは権力の側だったとしても。そして、その両輪によって戦争が起きたとする認識もまた別の物語であることも自明なことだが。いずれにせよ、この作品は、歴史という物語に基づいて、その物語を補填する形で創られているよに思えた。多少の複雑な設定は描き込まれてはいたものの、その主軸は、作者が言いたい、描きたいことにのみ向かっていたように思う。
    問題は、歴史という物語を単純に信じないということであり、それが民俗学の基本でもあるはずだ。批評性とは、やみくもに権力を批判するということにあるのではなく、それらの構造の中に潜む力学を見据え、相対化することにあるのだと思う。

    そういう意味では、残念だったが、上で書いたことを不問に付せば、素晴らしい舞台だったと思う。

    宮本常一役:古河耕史さんがよかった。

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    2013/11/22 09:43

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