たんげ五ぜんの観てきた!クチコミ一覧

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レドモン

レドモン

カムヰヤッセン

吉祥寺シアター(東京都)

2016/04/06 (水) ~ 2016/04/10 (日)公演終了

満足度★★★★

うちゅう人
物語の中の宇宙人が様々な立場で苦しんでいる在日外国人と重なって見えた。

ネトウヨやヘイトスピーチが大手を振る昨今、この作品の問いかける意義は大きい。

高史明さんの息子で12歳で自死を選んだ岡真史さんの詩「ぼくはうちゅう人だ」を思い出した。

ネタバレBOX

設定はとても素晴らしいと思うが、内容には不満が残った。

全体として、予想していた物語を裏切らなかった。物語を単純に構造化しているため、人間の複雑さの細部までは描かれていない。そう思ったが、おそらくそれは、私がこの作品を、現在の社会問題と重ねて見すぎているせいだと思う。それに私が批判的に見た部分こそが、エンターテイメントとしての完成度を上げている点でもあるのだから、必ずしも悪い側面だけではない。

また、最後に両親が娘をひとりにして逃げるが、その点にリアリティが感じられなかった。この作品に描かれる親が、そんなに簡単に娘を残して逃げられるとは思えない。状況から、他に選択肢がないにしても、本当ならもっともっと痛みをともなうはずだ。その点において、父親が相当冷酷な人に見えてしまった。そこに人間の冷淡さ(両義性)を描いていると言われれば納得するが、全体として他のシーンはそういう複雑さを内包していないため、そこだけが変に引っかかってしまった。

と、厳しいことを書いたけれど、この設定で作品化したの意義はとても大きいと思う。
江戸糸あやつり人形結城座×ベトナム青年劇場 「野鴨中毒」

江戸糸あやつり人形結城座×ベトナム青年劇場 「野鴨中毒」

江戸糸あやつり人形 結城座

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2016/03/16 (水) ~ 2016/03/21 (月)公演終了

満足度★★★★

濃密な
原作を読んでいないので、どこまでがイプセンで、どこまでが坂手氏の力なのかわからないけれど、脚本の濃度に驚いた。

ネタバレBOX

私の席が舞台から遠かったため人形が見えづらかったという前提もあり、
その上、人形は舞台の最底辺にいるのに、字幕は舞台の上にあって、その視点の移動によって意識がかなり削がれたことと、字幕の言葉は難しい上に字数が多く(おそらく直訳だろう)、なのに投影時間が短かったりなど、、、
舞台上の演出は素晴らしいのに、観客視点に立った部分での演出というか、配慮が為されていないように感じられた。
不満と言うよりもどかしい感覚。
良い芝居におこる舞台上の熱量をなんとなく感じながらも、それがその場にいながら充分に受け取れない感覚というか。
砦

トム・プロジェクト

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2016/03/01 (火) ~ 2016/03/06 (日)公演終了

満足度★★★★

役者の力
東憲司さんが松下竜一の原作をどう舞台化するのか、とても注目していた。
その点では少しものたりなかった。
結末がわかっている物語に対して、それでも観客を惹きつけるドラマツルギーがあるようには感じられなかったからだ。
ただ、役者たちの演技はとても重みがあった。
その点は本当に素晴らしかった。

冬の旅

冬の旅

天使館

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2016/02/12 (金) ~ 2016/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

批評的身体
踊りとは何なのか、私にはわからない。
笠井叡氏の舞りが何なのか、尚更わからない。

(「満足度」という指標があるので、便宜的に付けるけれど、
大満足だった訳でもないし、不満だった訳でもない。
そういう尺度ではなく作品を観た。)

ネタバレBOX

前半、黙々と「冬の旅」に合わせて踊っている姿よりも、
後半、現代への批評的言辞を口にしながら踊る姿の方が、
踊り手としてというよりも、笠井叡という存在として、
迫ってくるものがあった。

現代社会に、理論的批評ではなく、批評的身体をもって対峙する姿。

もし踊りの本質が動きの中ではないところにあるとしたら、
踊りとはいったい何なのだろうか。
客

Interdisciplinary Art Festival Tokyo

某所(東京都)

2016/01/27 (水) ~ 2016/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

「客」の意味するもの
精緻に言葉が配置され、構成も組まれていているが、そ
れらの演出を、観客の体験が、そこから想起される記憶が、
軽々と越えていく点にこそソ・キョンソク氏の面白さがある。
その時はじめて作者の言葉が響いてくる。

2014年の「From The Sea」ほどの衝撃はなかったけれど、
とても興味深い体験だった。

ネタバレBOX

「かつての自分、捨ててしまった〈子ども〉」がテーマ。
「客」が意味しているのは、「捨ててしまった〈子ども〉の自分」が今も住んでいる家につかのま帰省する観客の私。つまり、自分の家でありながら「客」(ゲスト)でしかない私のこと。
また、同時に舞台に立つ「〈子ども〉の自分」を見る観客役の私という意味も含まれている。もちろん、単に観客であるということも。
「客」にはそういう三重構造の意味がある。

実際の古い家全体が舞台で、観客は役者(「〈子ども〉の自分」役でもある?)に導かれながら、さまざまな部屋を巡り、体験と想像を繰り返す。

作品は観客に〈子ども〉の自分を想像せよと再三問いかけてくる。
だが、観客の私はうまく想像できないというだけでなく、
未知の体験をしているドキドキ感の方が作者のテキストを凌駕し、
作者の言葉受けて充分に想像力を膨らませることができない。

これはどこまで作者が意図していることなのか不明。ソ・キョンソク氏は自身の言葉を信用しているのか、あくまで補助線だと思っているのか。いずれにせよ、発せられる言葉は様々に異化される。伝達不可能なように解体されたり、ただの声のようになっていったり。その声がまた言葉に近づいたり。
更に、観客に「想像せよ」と言いながら、内省を拒むような仕掛けも見られる。コミカルな効果音が使われたり。
内省させたいのか、すべて含めて体験をさせたいのか、、、。おそらく後者だろう。

体験については、一般論を書くことができない。この作品に参加した者の数だけ、その体験、つまりこの作品があるのだから。
そのため、私は私の体験を書く。

私は正直、作者のテキストは充分には頭に入ってこなかった。いや、言葉の意味としては入ってきているけれど、それを深めて自分なりに想像することはできなかった。その代わり、役者がこちらに働きかけてくる様々な行動に意識が向かった。役者が私に近づいてくる時、そして目を見つめてくる時、恥ずかしくて仕方がなくなり、どうしても目を逸らしてしまった。すると、その瞬間、小さい頃の記憶がよみがえる。恥ずかしがり屋で、内気で、お客さんが来るとすぐに奥に隠れてしまった〈子ども〉の私が。ただ、この性質は今でも続いているので、「捨ててしまった自分」なのかどうかはわからない。

ある部屋で、「あなたは捨てられたことがありますか?」
「舞台上に独りとりのこされたことがありますか?」
「それを想像することができますか?」などと問われた。

私は幸い、小さい頃は寂しい想いをしたことが無かったと気づく。家族に守られていたのだ。その点では、むしろ大人になった今の方が、そのような孤独を日々感じている。

また、「〈子ども〉に大人の声は聞こえず、大人にも〈子ども〉の声は聞こえない」ということが示され、その上で「〈子ども〉に伝えたいことはありますか?」と役者に問われる。(役者は〈子ども〉でありながら、境界を行き来する存在でもあるのか?)私は何も答えられない。今更、伝えることが思いつかない。それほど彼と私の間は乖離してしまっているということか。

最後の部屋で、「子供を捨てることで大人になると言われるけれど、その本当の意味がわかりますか?」と問われる。「本当の意味?」。
「あなたはもう二度と戻ってこないでしょう」とも。

その意味を考えながら、部屋を出る。そして家を。
最後の部屋が日本間だったこともあり、昔の実家での昔の記憶がよみがえる。木木や木漏れ日の光について。空気の冷たさ。吐く息の白さを。

「子供は捨てられる準備を繰り返している。その日にそなえて。」という言葉が頭から離れない。私が彼を捨てたのは何年前だろうか。15年前?20年前?25年前?いや、もしかしたら、今あの部屋を出た瞬間だろうか、、、。

そういえば、役者が声として発せられず口パクのように言っていた言葉は何だったのか、、、
別の場面で聞いた「わたしをどこかへ連れてってください」という言葉だったのか。
私は彼を連れ出す機会を再度与えられながら、またしても彼を捨ててしまったのかもしれない。彼を舞台にたった独りのこして。

「あなたは捨てられたことがありますか?」
「舞台上に独りとりのこされたことがありますか?」
「それを想像することができますか?」

という声があたまの中をこだましていた。
鳥取県内巡回公演『白雪姫』 ~グリム童話「白雪姫」より

鳥取県内巡回公演『白雪姫』 ~グリム童話「白雪姫」より

鳥の劇場

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2016/01/23 (土) ~ 2016/01/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

素晴らしい視野!
中島諒人さんは、演劇というものをとても広く捉えている。地域との接点として。今回の『白雪姫』も、子どものためという要素もあるのだが、それが子どもに単におもねる訳ではない。それでも、いやだからこそ、子どもは観ながら劇にのめり込み、時に泣き叫び、時に劇にツッコミを入れながら見ている。驚いたのは、ある子どもが発した言葉に、別の子どもが「そうそう」と同調したり、客席側が舞台の熱量を時に凌駕するかのような勢いがあったこと。ある意味では、昔の労働演劇や農村演劇なんかもこういう感じだったのかと思ってしまった。観客参加とか、劇は観客が作るとか、ポストドラマ演劇ではよく言われるけれど、演出意図をぶっちぎりで観客が越えてくる体験というのは初めて。
また公演後、東京から鳥取にUターンした設計士来間直樹さんとIターンしたデザイナー白岡あゆみさん、鳥の劇場の中島諒人さんのとのトークイベントも聞いた。3人の話が共通して、作品を作ることと地域で暮らすことが相互に影響していて、作品創りからその過程も含めて、本当に素晴らしいと思った。

書く女

書く女

ニ兎社

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2016/01/17 (日) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

正攻法に素晴らしい
とてもよくできた脚本、それを活かす演出。
芸能人が主演の舞台は、、、というものも多いが、黒木華さんは素晴らしかった。
古河耕史さんもよかった。

樋口一葉という生き方にとても興味を持った。
この舞台をきっかけに調べようかと思う。

ライン(国境)の向こう【ご来場ありがとうございました!次回は秋!!】

ライン(国境)の向こう【ご来場ありがとうございました!次回は秋!!】

劇団チョコレートケーキ

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2015/12/17 (木) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★

なりえたかもしれない歴史
朝鮮半島で実際に起こったことを日本に移し替えたと言うべきか、
なりえたかもしれない日本の姿と言うべきか、
日韓関係が悪くなっている今の社会状況下で、
他国に想いをはせるのに、これほど直截的な問題提起はない。
自分たちがそうなっていたら、、、を考えることから、
何かが変わるかもしれない。

ネタバレBOX

ここで描かれる架空の集落は、
現実にはありえない(朝鮮半島であれ、日本であれ)状況・設定。
その点をフィクションの可能性と捉えるか、
リアリティがないと捉えるかで評価は別れると思う。
肯定的に捉えれば、その設定によって、人間の機微をうまく描き出していたと言える。
否定的に捉えると、現実はこんなことにはならない(ならなかった)と思ってしまう。

いずれにせよ、
「兵士」が立場を変える場面が、物語展開としてではなく、演劇的な意味で、なぜ彼らにそんな変化が起こったのかが見えなかった。
この点が見えれば、上記の問題は肯定的に評価できた可能性もあるのだが、ここがそう見えなかったため、全体としても否定的に観てしまった。

ラストが、「戦争やイデオロギーに振り回されず、日々の自分たちの生活を営むしかない」という希望を語るメッセージというのも、作品がメッセージになることが好きではない私にはちょっと、、、という感じだった。

ベベール年代記

ベベール年代記

劇団解体社

左内坂スタジオ(東京都)

2015/12/10 (木) ~ 2015/12/15 (火)公演終了

満足度★★★

興味深いテーマ
ルイ・フェルディナン・セリーヌは、徹底して言語、文体そのものと向き合った作家である。その一方で、反ユダヤ主義によりナチスに協力した作家でもある。この両者の問題が舞台の上でも模索されていた。
この御時世で、レジスタンス(抵抗)作家を描くのではなく、加担した作家を描くということが、かえって切実な問いかけとして受け取られた。

ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら

KARAS

シアターX(東京都)

2015/12/10 (木) ~ 2015/12/14 (月)公演終了

満足度★★★★★

すばらしい!
「ゴドーを待ちながら」の面白さが最大限に引き出されていた。
こんな面白いゴドーの提示の仕方があるのだと驚いた。
もちろん変化球ではあるのだけれど、想定していた以上に直球なのが尚更すごい。

ネタバレBOX

まず、その声に驚いた。
スピーカーから流れるウラジーミルとエストラゴンの会話。
勅使河原氏本人だろうか?1人の人間が2役をやっている。
妙な質感で、やたらと上手い。
同じ声によるダイアローグのため、一人の人間の心の声のようにも聞こえる。

声と重なりながら、勅使河原氏は踊る。
1人の人間の終わることのない葛藤・逡巡の姿のようにも見える。
いつまでも訪れない希望という名の救世主を待つ人間のように。

もう一人の出演者、佐東利穂子さんはほんの少ししか動かない。ほぼ立っているだけ。だが、その姿が、勅使河原氏との絶妙な距離・空間を作っている。
時に、彼女がゴドーのように見え、時に彼女は勅使河原氏の相手役(ウラジーミルかエストラゴンのどちらか)に見え、時に木のようにも見える。

語りの上手さと、間の絶妙さから、徐々にそこにある空間が可笑しくてたまらなくなってくる。上記のことを意味として解釈しようとすると極めて深淵なテーマのように感じるのだが、意味と違うレベルでかなり面白い。もちろん、ユーモラスな対話だからという部分もあるのだけど、何より間がおかしい。

「ゴドーを待ちながら」って、こんなに面白くなるんだなと思った。
オークルチャボット

オークルチャボット

劇団黒テント

王子小劇場(東京都)

2015/12/05 (土) ~ 2015/12/13 (日)公演終了

満足度★★★★

伝統劇団の力
フットボールチームのサポーターの話でありながら、社会的テーマが重ねれていてよかった。
メッセージ的な作品でありながら、多様な解釈ができる点もよかった。

社会派の伝統劇団らしいテーマの作品で、黒テントの運動が続いているんだということに感じ入った。

ネタバレBOX

フットボールチームのサポーターの熱狂に、今の社会で情報に右往左往する人々の姿が重なって見える。管理と支配。そこへの批評もありつつも、一般大衆こそが世界を変えるんだという、最後の視点の示し方は、黒テントらしいと言うべきか。
ひとつの物語、ひとつのメッセージ(それも希望を語るもの)に帰結していくことは、他の劇団の作品だと「よくない」と思うのだが、黒テントだと、これでいいんだろうなと思ってしまう。
最初の方で集団の在り方や考え方の違いからの対立が描かれるが、それも黒テントだという前提で見ているから、除名や内ゲバの歴史なども想起してしまった。「直接行動か言語か」という部分では六全教のことまで頭をよぎったり。たぶん私の考え過ぎだけど。

メッセージ性が強いながら、多義的解釈ができるのは流石だと思った。

途中までしゃべらない人物<りお>がとても気になった。それがとても良いグルーヴを作っていた(個人的には最後までしゃべらなかった方がよかったんじゃないかと思うくらい)。それは、そういう役の面白さというのもあると思うけれど、滝本直子さんの演技が良いのもあったのかもしれない。
レミング―世界の涯まで連れてって―

レミング―世界の涯まで連れてって―

パルコ・プロデュース

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2015/12/06 (日) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★

独自の世界
寺山演劇ではなく松本雄吉氏の世界を構築している。その点が素晴らしい。
ただ、寺山修司好きとしては、寺山が戯曲になってしまったという悲しさもある。

麿赤兒氏は一瞬んで舞台を自分の世界にしてしまう凄さがあった。

泳ぐ機関車

泳ぐ機関車

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2015/12/05 (土) ~ 2015/12/15 (火)公演終了

満足度★★★★★

物語演劇としてすごい完成度!
初演の時に衝撃を受けて、2回観てしまいました。
そして今回の再演も観ました。

今回は内容も知っているので冷静に観ましたが、すると脚本も演出もすごい完成度だなと驚きました。完璧に計算されているというか。
内容も一義的ではない広がりがある。

そして、ハジメ役大手忍さんの演技がすごい。
野毛綾華役の板垣桃子さんも見ているだけで笑ってしまうくらい強烈。
他の役者さんも、本当にすばらしい。

日韓共同制作『颱風奇譚(たいふうきたん)』

日韓共同制作『颱風奇譚(たいふうきたん)』

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2015/12/04 (金) ~ 2015/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

言語の違いを活かした作・演出が素晴らしい!
東京で観た時よりも、役者さんたちの呼吸が合っていて、とても良かった。やはり言葉の違いを活かした作・演出の部分に、ソン・ギウンさんと多田淳之介さんの共同制作の面白さと可能性を強く感じた。

今回観ても、玉三郎(夏目慎也さん)とウルトリ(ペク・ジョンスンさん)のやりとりは磨きがかかって最高だった。
更に、2人にヤン・クリー(マ・ドゥヨンさん)が絡んでのやり取りもよかった。
また、素殷(チョン・スジさん)と成保(大石将弘さん)とのやり取りも面白かった。

前観た時以上にこの言葉の違いを活かした部分を面白く思ったのは、私が展開を把握したため、より演技そのものに意識が向けられたことと、演出が東京時より洗練され、役者同士の呼吸も合ってきていることの両方が影響していると思う。

当日パンフレットを読むと、この言葉の違いによる作・演出は、ソンさんも多田さんも、かなり意識的に取り組んでいるよう。
『カルメギ』もこの点が素晴らしいと思ったが、それをさらに一歩進めている。

一回目観た時は、『テンペスト』と比較しての物語展開について不満が残ったが、今回は物語を強く意識せず、演劇そのものとして受け取ったので、より楽しめた。

これは過剰な解釈かもしれないけれど、もしかしたらここで物語られている日韓問題以上に、ここにある言葉の違いから生じる演劇的面白さの中に、日韓問題のズレの本質と解決の糸口があるのではないかとさえ思った。いや、これは過剰な意味づけかも。

※上記の点が特に素晴らしいから、その点を強調しましたが、他の役者さんたちも素晴らしいかったです。

颱風(たいふう)奇譚 태풍기담

颱風(たいふう)奇譚 태풍기담

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2015/11/26 (木) ~ 2015/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

言語の違いを活かした演出が出色
料理人役:夏目慎也さんとその下っ端役のようなぺク・ジョンスンさんのかけ合いが最高に面白かった。
単に面白おかしいというだけではなく、言語の違いを活かして価値(力学)の反転を生じさせる笑いのため、本質的に素晴らしい。
それは脚本、演出、2人役者の演技力・個性が重なってできた素晴らしさだと思う。

全体として、私は『テンペスト』の内容を知ってしまっていたから、日韓で『テンペスト』をやる際にどういう落としどころに持っていくのだろうということを意識し過ぎて観てしまい、この結論も悪くはなかったけど、、、と思ってしまった。
『テンペスト』なんて知らない人の方が、色んな見方ができてより楽しめるのではないかと思う。

※全体の満足度は星4ですが、夏目さんとパクさんの賭け合いが絶妙なのでその点で星5。

ネタバレBOX

 とにかく料理人(夏目慎也さん)とその下っ端(ぺク・ジョンスンさん)との賭け合いが素晴らしい。日本人料理人は茨城弁?のようななまりで話し、日本語のつたない朝鮮人の下っ端と対話する。その際、日本人である料理人は、下っ端の日本語の発音をバカにするのだけれど、なまりのある料理人の方が下っ端の朝鮮なまりの日本語以上になまっているのだ。その料理人(日本人)が、偉そうに日本語の発音について下っ端(朝鮮人)を説教している滑稽さ。標準語に対する正しさ(近さ)という権力関係とは別の基準を用意したことで、日本の支配・朝鮮の被支配という関係を反転させる力学が働いたということ。何も考えなくても面白おかしいシーンだけれど、そういう意味で本質的にも秀逸。話の内容にも、料理人が「俺がお前を救ってやった命の恩人だ」と言うけれど、実はそのアイデア(ウイスキー樽につかまって生き延びる)は下っ端が出したものであるなど、似た力学の反転が描かれるので、これは意図的な劇作術だと思う。
 ソン・ギウン×多田淳之介コンビの前作『カルメギ』は日本語と韓国語を混在させる面白さが圧倒的で、それが全体として異常なグルーブを作っていた。今作で試みた「なまり」による方法は、日韓の言語の違いを活かした前作の演出を更に一歩前進させたと言える。この点は本当に素晴らしい。

 ただし、全体の物語の構成には少し物足りなさも残った。私が『テンペスト』の内容を知ってしまっていたため、どのように原作を変えて、日韓問題の落としどころにするのかという点に意識を集中し過ぎて観てしまったせいもある。比較などせずに受け止めたら、もっと別の観点で面白い部分を発見できたのかもしれない。
 途中までは『テンペスト』をなぞるように物語は進む。原作だと、プロスペロ―が自分をハメた者たちを赦すことでハッピーエンドになるのだけれど、今作では南シナ海の島の土人(原作のキャリバンに相当)が反旗を翻し、李太皇の所有する書物(魔術の源泉)を燃やし尽くす、と同時に、火山も噴火し(これは李太皇が使った術が作用したのか?)すべては灰になってしまう。
 近年、『テンペスト』のキャリバンをどう扱うかというのは、新歴史主義批評や脱植民地主義批評(ポストコロニアリズム)の影響をうけて、問題になているという。「植民地主義者プロスペロ―に抑圧される先住民キャリバンの苦痛」ということ。(ちくま文庫『テンペスト』解説:河合祥一郎 参照) 
 まさに今作は、そういう新しい視点からの改変の一つと言える。南シナ海の島の先住民の視点に立てば、日本の圧政から逃げてきた李太皇も支配者でしかない。日本と朝鮮との関係を更に相対化する視点として、南シナ海の島民(広く見れば南洋群島問題も重なる)が示される。日韓問題をこれだけ真正面から扱っている作品でなければ、この落としどころでも充分面白いとは思うのだけれど、日韓問題をガチに展開してきて、、、そこにスライドするのが、どうも釈然としなかった。一見斬新なようで、結局は安全パイに行ったんじゃないかという。かと言って、単純な「赦し」「和解」というハッピーエンドが観たい訳ではないのだけれど。
 書物を燃やすというのが、文明批判を含んでいながら、燃やしているのが主に陰陽五行などの非西欧の文化のものという複雑さは面白かった。

 総じて、大きな展開では不満もあるけれど、細かい部分ではとても面白かった。特に私としては、ソン・ギウン氏×多田淳之介氏共作のもっとも素晴らしい強度は言語の違いを活かした作・演出のような気がしている。その点は今作でも充分に素晴らしかった。
Battlefield

Battlefield

パルコ・プロデュース

新国立劇場 中劇場(東京都)

2015/11/25 (水) ~ 2015/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

ある意味では、究極の物語劇
ある意味では、究極の物語演劇。
ただし、究極=最上という意味ではないけれど。

まさしく神話的な時間が流れていた。
こういう感覚になることは滅多にない。

演出は「なにもない空間」のピーター・ブルックだけに、究極的に簡素。まさに、なにもない。
観客は想像力によって、あらゆる背景を埋め合わせながら舞台を見る。

何より物語が秀逸で、単純そうな物語の中に極めて多義的な意味が含まれている。

と、ベタホメしてはいるけれど、
英語がわからない私には、その素晴らしさも半減してしまった。
簡素な演出の分、舞台に集中すべきなのに、字幕ばかり追ってしまったからだ。
また、これは個人的なことだけれど、私の隣りに座った人の鼻息や深呼吸がうるさすぎて、意識を大きく削がれたことも影響してしまった。

でも、たぶん集中して観ていたら、もっと興奮したんじゃないだろうか、、、実際はわからないけど。

※実際の満足度は星4だけど、もっと集中できていたらということで星5。

地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)

地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2015/11/21 (土) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

ポストドラマ、あるいはパンクロック
額縁内でドラマを異化するタイプのポストドラマ演劇。

幻想には現実(ドキュメンタリー)が
言葉には身体が、対置され、ぶつかり合う。

あるいは、パンク歌手のコンサート。
それはアンジェリカ・リデルの魂の叫びであり、
そこに人間の普遍的な姿が浮かびあがる。

ネタバレBOX

後半はパンクロッカーよろしく、マイク一本でリデル本人が叫び続ける。
それは1コードで延々吹きまくるフリージャズのソロプレーヤーのようでもある。

物語の構造はシンプルで、延々、母(なるもの)ならびに、社会秩序を罵倒したおす。面白いのは1つのメッセージとしか思えない叫びを聞き続けると、その内容よりも彼女の痛みが強く伝わってくるということ。そしてそれが反転し、憎めば憎むほどに母なるものや秩序・愛を求めてやまない彼女の姿が見えてくる。それこそ人間の普遍的な姿。
パリ市立劇場『犀』

パリ市立劇場『犀』

公益財団法人さいたま市文化振興事業団

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2015/11/21 (土) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

正攻法で上質
かなり正攻法の舞台。
新しさは感じないけれど、
あらゆる部分で質が高いと思った。

イヨネスコの『犀』はファシズムの台頭をテーマにしたもの。
その舞台を現代の日本でやる意味を考えながら見た。

また、パリ市立劇場の芝居ということで、
フランスでのテロのこととテロを受けての報復感情のことも重ねて見ずにはいられなった。演出側にそんな意図はないにしても。

地点×空間現代「ミステリヤ・ブッフ」

地点×空間現代「ミステリヤ・ブッフ」

フェスティバル/トーキョー実行委員会

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2015/11/20 (金) ~ 2015/11/28 (土)公演終了

満足度★★★★

音楽との
バンドの生演奏が、ただの劇伴ではなく、劇のリズムを作っていたのが素晴らしかった。
また、普通の言語の発話を異化する口調も、その音楽と相まって奇妙なグルーヴを作っていた。それも素晴らしかった。
ただ、、、

(素晴らしいと思った部分は星5。全体としては星3。間をとって星4にしました。)

ネタバレBOX

最初は凄いインパクトで前に出てきている印象があったバンドの演奏も、決まったパターンを繰り返すということがわかってしまうと、劇の後景となり伴奏としてしか感じられなくなってしまった。

また、日常の発話法を異化するセリフの抑揚も、最初は違和感として捉えられ、それが繰り返されることで、奇妙な面白さを感じられるようになったのだが(つい笑ってしまうという感じで)、それにも慣れてくると、単にセリフが入ってきづらいだけとしか感じられなくなってしまった。ややもすると安易なメッセージになりかねないセリフもあるテキストだけに、その異化効果が有効に作用している部分もあったけれど、私にはその効果よりも単に入りづらいというマイナスの方が大きく感じられた。

全体を通じて、最初こそとても興奮したものの、このまま大きくは展開しないんだなとわかった時点から、とても退屈に思えてしまった。違和感が常態化し無化された後で、何に意識を向けて芝居を観ればいいのかがわからなくなってしまったということだと思う。でも、それは観客である私の怠慢なのかもしれない、、、。
ゲーテ・インスティトゥー卜韓国×NOLGONG『Being Faust – Enter Mephisto』

ゲーテ・インスティトゥー卜韓国×NOLGONG『Being Faust – Enter Mephisto』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2015/11/19 (木) ~ 2015/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★

演劇というフレームの拡大
参加者自身がファウスト自身になり、
欲望の本質について感じ・考える体験。

これがこんにちの演劇だということに異論はない。
ただ、、、

ネタバレBOX

観客個人によって体験の質が変わる演劇のため、
以下は極私的体験談。

ゲーム開始時は、何もわからずに係りの人の言われるがまま、「友人」を売ってしまった。だが、その内、その意味を考えるようになった。それでも、ポイントを得て満足度を充たしたいという自分の欲望には勝てず、どんどん友人を売っていく。
さすがに私は家族などの固有名が想起される人までは売ることができなかった。

そのような葛藤も含めて、欲望の本質を自身の身体を通じて理解していく。
自分の中のイラヤシイ部分も含めて。

舞台上の演劇を見る一般的な演劇だといくら感動しても、それは他人事でしかない。だが、このタイプの演劇では、それを自分自身の実感として体験することができる。その強度は確かに強い。

ただし、それにしても観客に投げっぱなしの感が強い。
これを演劇として提示(フレーミング)するならば、何かもう少し突っ込んだ仕掛けが欲しかった。
最後の結果発表みたいなものも、選ばれた2人には印象深いできごとだろうが、その他大勢にとっては、驚きも、歓喜も、反省も、何も芽生えない。

勿論、安易な落としどころを用意しないことで、この作品の意味を観客が意識的に考えざるをえないという良い効果もある。それでも、最後に自分の今までやってきた、やってしまったことの意味を、目に見える形で突きつけられるような仕掛けがあっても良かったのではないか。それこそ機械を使ったゲームなのだから、「診断結果」のようなものを作るのも、可能なのだし。

と、物足りなかった点もあるけれど、演劇というフレームを拡大している点は素晴らしい。

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