ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ねこのはこにわ

ねこのはこにわ

teamキーチェーン

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2019/05/17 (金) ~ 2019/05/21 (火)公演終了

満足度★★★

 グリーンハイツの主にゃ。名前はにゃい。人間どもの面倒を見ているにゃ。猫にゃ~~~~~~(華3つ☆)

ネタバレBOX

 板上レイアウトは、にゃこの動き回る導線がフラクタルに近い形になっていてその導線のあちこちに6つの部屋が配置されている感じだ。但しフラクタルとは言っても2階建てであることは、平台を置いて高低差を出していることでも、科白の随所に上の階に住んでいるとか、引っ越してきたとかいう所に示されているので、一見フラットに近い視覚的認識には注意すべし。基本的に住人は皆良い人なのだが、シングルマザーで幼い娘と別居中の若い女性を訊ねてくる男は、彼女の貯金を狙うだけであり、200万程度の借金で殺すと脅され怯えている男だが、中国人留学生と思しき彼女の隣室住人を不法滞在嫌疑で警察に連行しようとする辺り、そして連れて行った先が彼が借金をしているサラ金か何かのケツモチの組織らしいという所まで考えると、今作関係者が解釈するような単にだらしない男というより、結婚詐偽とでも考えた方がリアルではある。そのように解釈できる根拠は、彼女が通帳を渡そうとした時に彼女の信頼を得る為に敢えてその時点では受け取らず、彼女の留守中、合い鍵で忍び込んで盗難事件に見せかけようとしたことである。計算がミエミエであること、在日外国人をオーバーステイと即断し、入管法違反で脅す手口等だ。因みに入管法のオーバーステイで収容される人々がどのような目に遭わされているかは、オーバーステイしただけで何年も入管に収容されている実態、国際的な勧告を何度も受けていることからでも明らか。キチンと調べるのはかなり大変だが、興味のある方には、自分の参加している研究会にいらして下されば便宜は図る。
 然し昨日観た「ねこのはこにわ」は、実に日本的特徴のあるものであった。演じている役者の意識も観ている観客の意識も「自分の幸せ」感覚、浅いイメージに合致させるとそこでもう思考は終わり。後は頭を働かせることを停止し恬として恥じない。現実に生きることを阻害・阻止されるというマイナス要素を生活の中に持たないと思っているものだから、己の生活へのそれらの関与が間接的であるというただそれだけのことで思考停止に陥ってしまう現代日本の民衆の思考の危うさがそのまま出ている鏡のような作品だ。にゃこの描き方、その形態模写もスタニスラフスキーの演劇論を実践している諸外国の演劇人とは異なり、あくまでイメジャリーなそれであるから、リアルというよりイメージでどう感じられているか、その感覚表現であったのは多くの場面描写が示す通りだ。それ自体別に悪いとは思わないが、ゴロっと即物的に提示し、その即物性を観客に勝手に解釈させるという自立の基本からは、随分離れた表現形式であり、このような認識方法と思考方法、感じ方や受け渡しそのものの在り様が、日本人が己の社会を作り出す際に失敗し続けてきたことの原点にあるように思われてならない。これだけ酷く右傾化しているのにも関わらずその事態が何を意味しているのかを考えずに平気でいるから、尚世の中が右傾化してゆくのだ。
Charles Baudelaireが失語症を発症する前、猫好きだった彼は己の不遇と孤独を嘆いて“猫も居ない”と記した。無論、彼は猫の自由と其処から生まれる美しさ、気高さ等々についても詩にしているし、それが彼流のイデアの産物であることは確かだが、彼の批評意識は、単に美学的なレベルには留まっていなかったであろうことも、こちらの想像力の羽を少し広げてみれば思い及ぶ所ではある。現在アメリカを始めとする大国の動き(アメリカに追随することしか知らぬ日本を含め)を見れば、戦争やその火種を絶やさぬことによって人々の危機感を煽り、そこにマスゴミが在ること無い事を焚きつけて人心を惑乱し、一色触発の事態を作り出している。このようにして軍備が必要だとの認識を人々に刷り込み、無意味な軍備拡張合戦への同意に駆り立てている訳だが、これも武器を売らんが為の商戦の一環でしかあるまい。
一方、戦いというもの、ことを実際に経験した者がどれほどあろうか? スポーツでは無く、ルールの無い戦闘乃至は下手をすれば殺し殺される喧嘩をである。少なくとも日本には余り多く居まい。そんな所に付け込んでくるのが、死の商人達や彼らと深い関係を持つ政治屋なのである。彼らには儲けること以外に主要な目論見は無い。庶民がいくら死のうが常に闘いの背後に在って自らも、親族・眷属も戦争による死からは最も遠く隔たった場所に居る彼らには犬死の懸念は最少限に留まるからである。旗振りした奴が一番最初に抜け、付いて行った人々のみが馬鹿を見る。これが世の中の実相である。
 自分は糞リアリズムが嫌いだが、今作はリスクを回避する為に必要な最低限のリアル認識すら拒否し、在ることを在る事実として見ようとせず、その結果、与えられた偽情報や塵情報のみを判断基準にして結果取り返しのつかない過ちを犯すに至る日本人の感性と傾向とを如実に表しているように思う。
 終演後、出演した女優さんと話すチャンスがあったのだが、彼女の作品理解も大方の日本人と径庭が無いように思われた。残念である。
 にゃこばかりが自立しているのかも知れにゃいにゃ~~~~~。ふ~~~~~~っと。
 フォークナーじゃにゃいが、矢張り、にゃこの方が人間にゃんかよりマトモで賢いかもにゃ。にゃお~~~爪の垢でも舐めるか? 

 


某日快晴ワレ告白セリ

某日快晴ワレ告白セリ

タッタタ探検組合

ザ・ポケット(東京都)

2019/05/15 (水) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

 廃校が決まった母校の中学でタイムカプセルを開けるその日、25年ぶりに現れた男が、タイムカプセルを契機に当時を回想するというシーンから始まる今作。(観る方は、観劇前にネタバレを見ないでにゃ)

ネタバレBOX

ちょっと後悔も残る往時の思い出に重なるかのような回想に照明が見事にマッチしていきなり物語に引き込まれる。主人公の有田は、天文部、クラスの悪ガキ・木梨と川岸に苛められている詩人肌の14歳、担任の門馬は大酒呑みで朝から酒臭い。悪ガキ共が一目置くのが一匹狼の真鍋礼子、スケ番のような雰囲気を持つ女子だが、他人の心を痛みを良く知り優しく賢い。他に目立ちたがりの学級委員は内申書評価狙いの小賢しさ。女子のクラス委員と共に生徒会会長、副会長の椅子も狙う。テニス部部長の橋本は男子にもそれなりに人気のある女子だが転校生・遠山がその気取らない性格とルックスから男子の人気を独占し始めると嫉妬に駆られ、白を黒に、黒を白に変え、フェイクニュースなどで人々の判断を狂わせ、情報を操作することで力ある者、体制側に恩を売り、自らの利権を獲得・拡大するマスゴミそっくりな新聞部や、プロレス好きで城山に恋する乙女・石田らと組み、遠山苛めを開始する。だが、遠山と有田は何時しか、惹かれ合うようになっており、苛められ始めた遠山を庇う有田は己の羞恥心や内向性を脱し木梨と川岸にぶつかってゆく。この間、何度かの対決があるのだが、殴られて治療に来た有田に、保健室の矢井田先生は高い評価を下し励ましてくれる。有田が悪ガキと最終決戦をした後、彼らは一度お礼参りをしたものの、以降ちょっかいは出さなくなっていたが、橋本や新聞部のアンチ遠山キャンペーンが燃え盛った折、有田は遠山を傷つける言葉を吐いてしまった、「可愛そうだ」と。これは、彼女の自尊心を最も傷つける言葉だと気付かずに発された言葉だったが、遠山は独り寂しさに頽れそうになった。やがて彼女は父の転勤の為、東京へ引っ越してしまう。矢井田先生が彼女が東京に向かうという情報を、タイムカプセルに入れる彼女の文章を持って知らせに来てくれた。折しも大滝先生の英語の授業中で、大滝先生は有田が遠山を見送る為に授業を抜けることを赦そうとしない。そこに助け舟を出したのがNYからの帰国子女、真鍋であり、大滝を力ずくで止めたのが木梨であった。BGMには中島みゆきの「ファイト」。有田は走る、走る、生涯これほど一所懸命に走ったことは無い勢いで走った。然し列車の出発には間に合わなかった、が。
 25年後、母校に戻った有田の言葉から、彼がその後、遠山が交通事故で亡くなったことや、タイムカプセルに詰めた文章は、有田作の「不幸の手紙」で、本物は黒板の裏に隠してあったことが分かる。
 遠山の書いた文章が読まれる。予想通りの内容だが、其処に書かれていた文章は、遠山の魂が常にオープンマインドで率直、ピュアであり、彼女の純な魂の蒙った痛みがひしひしと聴く者の胸を掻き毟らずにはいない、詩人有田との詩人同士の魂の交流であった。
 タッタタは喜劇を演じる劇団だから、至る所に自虐的な嘲笑や箍外し、脱臼、発想の奇抜等のテクニックが用いられ笑わせてくれるが、間の取り方で笑わせるシーンは比較的少ないかもしれない。この要素にも更に磨きを掛けると作品に膨らみが増すとは思う。今回、予算の関係もあるのかも知れないが、暗転が多かったのは、作品の気勢を削ぎかねないのが残念だったが、この難点をしても強く切実な哀しみを訴える作品の訴求力には、流石と思わせるものがある。不幸の手紙も回送すれば済む、というレベルでは無いものの、ドライなタッチで描かれて居る為、後腐れ無い点がグー。
フランケンシュタイン

フランケンシュタイン

富山のはるか

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2019/05/16 (木) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★

 ストレートプレイでこの作品を70分え上演するのはキツイと思っていたら、ダンスを多用した身体パフォーマンスであった。(華3つ☆追記2019.5.18)

ネタバレBOX

登場するのは、総て20代前半と思われる若者男女、恐らく作家も若書きであろう。オープニング早々「死ねない」というフレーズが各出演者によって呟かれる。フランケンシュタインによって創られた人造人間も深い悩みに苦しみ抜くが、今作ではグローバリゼーションの奴隷として生きざるを得ない、という発想しかできない大多数の若者の苦境を表現したと言えよう。
 舞台美術は極めてシンプル。中央に設えられているのは紗のような素材の横断幕で、その中央に飾りのように布をあしらってある。少し出捌けの幅を取って上・下に同じ紗のような素材の布が閉じたカーテンよろしく下がっている。更に客席側の上・下には台座に載せられた20吋ほどのスクリーン。上手奥の紗を透かして操作ブースが見える。開演前には、フランケンシュタインの呼吸音のつもりか、チューブにエアを通すような音が続いている。
 さて、具体的な内容を記述しておこう。上述したように極大化した収奪システムとして機能する現代資本主義は、その莫大な資金力が世界経済に占める割合の高さから世界をあらゆる局面に於いて支配する力を持つに至っている。先ずはメディア(マスゴミ、書籍、映像・音声、美術、芸能など)を用いての情報操作や洗脳、各国政府、世銀、IMF等の国際金融機関及び銀行と現行の銀行システム、政策としての3S等を通じての民衆への経済的締め付け(生かさぬよう殺さぬよう)、政治的タブーは殊に大国に於いてその効果を発揮している。その端的な現れが間接民主制という茶番である。日本でこの茶番システムがどのような結果を齎しているかを見れば明らかだろう。沖縄を具に見れば民意が反映されないシステムであることは明確だし、公憤の出易い無作為アンケートによる世論調査などでは、原発反対派が多数派を占めているのが明らかであるにも拘わらず、何ら科学的根拠の無い推進派の目論見が着々と実現されている有様や、閣議決定、強行採決で民意を裏切る法案がどんどん可決されてきた昨今の事例をみれば、主権者たる国民が今も臣民と本質的に変わらない扱いをされ、隷属させられているのは明らかだ。天皇家の民主的意識に関わらず、システムとしての天皇制を政治利用しようとする安倍ら権益受益者は、日本会議と共に我ら主権者の権利簒奪を続けようと目論んでいる。このような政治的状況を暴力を用いずに解決する唯一の革命的方法が直接民主制であると思われるので、終演後出演者らと話をした際提起すると彼らは寂しそうな笑いを浮かべるだけであった。恰も「それは、無理ですよ」との諦念の表明であるかのように。然し憲法を通常通り解釈すれば43条1項の例外規定を除くと存在しないのであるが、一方主権在民を掲げている以上、民意(公憤及び三バンに代表される権力機構との利害を通じた諸関係)の内、公憤は民の持つ理性として充分考慮されるべき重大要素であり、現在の間接民主制では、この部分は反映されないのであるから、キチンとこの部分を反映できる民主的手段としての直接民主制をこそ、提起すべきである。これだけ通信インフラが発達し、かなり安価で使用できるのであるから住民投票をその民意反映の為の手段として利用することは理に適っているし、本来の民主主義の理念にも合致している。かつて世界で最も民主的な憲法として評価されたワイマール憲法下、合法的にナチが成立し救世主と考えられたヒトラーがドイツ人にも他の民族にも惨禍を齎したのは周知の事実だが、この原因は、選ばれたのが人であって、政策では無かった点に存する。だから直接民主制が実施された場合にも、必ず、政策についての民意を問うべきであって、人を問うてはならない。(人を問えば三バン主義の罠に陥ることになろうし、民衆は選ばれた人に隷属することになる)、またここに挙げた直接性民主主義を実行するに当たって、総てを直接投票で選ぶことは余りに煩瑣で実効性に乏しくなる懸念のあることから、重要な件に関して国民の住民投票に掛けて民意を明確にし、その民意に従って議会や官僚が更に下位の法を定めてゆくという方法が良かろう。無論、政治家、官僚が民意に反した場合、罷免、リコール等は国民の権利として保障されなければならない。
 以上のようなことを国民一人一人が自分の問題として捉える為には、国民が事実を知って判断する為の情報公開は不可欠であると同時に、国民各々が己の頭で考える必要がある。また、この程度のことが自分で出来るようにならない限り、永遠に真の幸せも人間らしい生き方も出来はすまい。つまり奴隷である。そして現代の奴隷はキメラ以上にキメラで己を己自身でトータライズすることもアイデンティファイすることも出来ず、何故そうなってしまったかの原因すら己の知・己の頭脳で探ることもできない、何とでも交換可能なモノと化してしまうのである。丁度、原作ではなく映画等で怪物というモノにされてしまった「人造人間」としてのフランケンのように。
そんなの俺の朝じゃない!~再び~

そんなの俺の朝じゃない!~再び~

ライオン・パーマ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/05/15 (水) ~ 2019/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

 いつも通り当パンは読まずに観劇。(華4つ☆)

ネタバレBOX

ハードボイルドと笑いを同時に提供しようという劇団の意が具現化された舞台で、思いがけない発想で編まれた様々な科白やシチュエイション、齟齬と脱臼の取り合わせやキャラ設定の妙味、ダンディズムを具現化しつつ、選んだ生き方、生き様が何によって充実し、成立しているかを極めて巧みに表現することで、笑いの齎す軽みを人生のしみじみとした充実感や格好良さと対比してバランスよく着地させている。
火山家VS雪村家の葛藤の原因が、女性であることのアリキタリ=普遍的パターンを利用することで対立をやんわりと家庭的なレベルに設定した上で、飛び出す極大化した貧富格差の表象が小出しにされることや、下町庶民の持つ温かさに通じるようなメンタリティーを持つ脇の作り方が、長所とも短所ともなり得る点は、当パンを拝見すると、主催者の持つデリカシーの出ている部分のようだ。この部分をどう評価するかで観客の反応がかわりそうだが、本筋はブレない。ラスト、火山火山(ヒヤマカザン)の格好良さは格別である。
東京ノ演劇ガ、アル。#2「BAR女の平和」

東京ノ演劇ガ、アル。#2「BAR女の平和」

オフィス上の空

東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)(東京都)

2019/05/03 (金) ~ 2019/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

 Eを拝見。“女の平和”というのが入っているので直ぐにアリストパネスを思い浮かべてしまったが、用心、要心、の一作にゃ!!(華4つ☆)会期が長いので本質的ネタバレは後で。
(大分時間を経過したので一応、追記しておく。但し自分で推理したい方は、終演までは見ないでニャ2019.5.22)

ネタバレBOX


 まあ、一応、女達がセックス・ストライキをするってことで盛り上がるのは、まあ、共通項にゃんだけどにゃ。男の役者は1人も出てこにゃいのだし、BARが効いているにょら。
 チャラケはこの辺までにしておこう。今作、喜劇はこうあらねば、という一典型を為す内容だ。そのユーモアは苦くて黒い。シュガーを入れない濃い目の珈琲だ。ではどんな所が濃い目の珈琲なのかと言うと、先ず門題になる或る物は、オープニングの時点で、既に板上に何げなく置かれていて、而もバーのママ・カオリと肉屋の妻・レイは何らこの“物”に注意を払っていない。而も既にストライキの禁をレイは破っていることを告白、カオリとてモヤモヤしていることを隠そうとはしない。そんな中、何やら押し黙った風のマキは、BARの壁に貼ってある区議会議員選挙に当選しそうなアイコの親友。彼女の当選を願ってか、祝してか微妙なタイミングで召集の掛かっている今回の集まりにアイコも未着、姑から散々嫌味を言われるので電話が掛かって来て直ぐに帰ると言い出していたレイは帰宅のタイミングを掴めないまま愚図愚図していたが、マキがポツリと呟いた一言は、信じられない事実だった。
 彼女は、夫と口論になり、出掛けに追いかけて来た彼を壁と車の間に挟んで圧殺してしまった、というのだった。直後に到着したアイコは、煮え切らないマキが何事も他人に頼って自らの行動を自らの意志で決定しないマキに自分の頭で考え、意思決定することの重要性を説き、自首を勧める。議員ともなればマキのような女が自分の親友であることも何かと不利に働く。そんな計算もミエミエだが、一応セックスストライキもジェンダー問題の一環として捉えるアイコの論理は、それなりの弥縫策ではある。これに対しレイが猛反発、間を取ってカオリが仲裁に入るが、問題は段ボールの中身。皆で力を合わせて運び出し、駐車場に遺棄しようとしている所に遅れて到着したのは、モモカである。状況を把握した彼女は、レイに輪を掛けて過激な意見を述べる。大本の責任はアイコにあるのだから、アイコこそ自首しろ、というのだった。
 この論戦の過程で見えてくるものこそ、今作の主題である日本の持つ特殊性、忖度や天皇制が蟠踞する理由、即ち本当はその底に蜷局を巻いている空虚という虚体が見えないという事実? 或いは知っていても知らぬ振りで押し通すこの国の大多数住民の本質・卑劣を見事に剔抉しているというべきだろう。こんな状態だから何時まで経っても民主主義など実現できないし出来る訳もない。民主主義を実現する為には、先ず自らの頭で考えることが必要だが、そのことがどれだけの人々に実践されているだろうか? 事実とフェイクの基本的な見分け方すら考えず、持論を持つことは危険だの悪だのと看做されることを恐れて定かならぬ「定見」に自らを預けてしまうから、意志を己のものとしては持つことが出来ない。ギリシャは、民主主義を実践したことで知られる都市国家システムを持った文明で知られるが、彼らは少なくとも己の頭で考え、自己主張し、議会を持って行動したから、政治が基本的にこのような市民の意志実現の手段として設計されていた。だから「女の平和」の世界と世界観が成立したのだが、今作の最もアイロニカルなそして喜劇としての正当性は、己の考えを己自身の頭脳を用いて考え、実践することが出来ない日本人というものの本質を最初から最後迄、その演劇的実践によって現前化し得たことであろう。ラストシーンで日本刀の長さ程もある中華包丁のような刃物で断ち切るシーン、切られているのが何なのかは様々な解釈が無論可能だが、大多数の日本人が毎日実践している“見ん守”主義と解釈するなら面白かろう。
叫べ!生きる、黒い肌で

叫べ!生きる、黒い肌で

アブラクサス

サンモールスタジオ(東京都)

2019/05/09 (木) ~ 2019/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

 必見! 華5つ☆(若干追記2019.5.12)

ネタバレBOX

 オープニング早々、ビリーがシバーナにリクエストしたのは、「ストレンジフルーツ」ビリー・ホリデイの歌った有名な曲である。この異様なタイトルだけで感受性の鋭い人は震撼せざるを得ない程凄まじい内容の歌であるが、これだけ劇作家としても才能のあるアサノさんが、大変長い時間を掛け、練った戯曲だけあってその構成の見事さについても特筆に値する。今回もアサノさんは作劇・演出・女優として八面六臂の活躍だが中心になる歌手役にプロの声楽家をキャスティングしている判断も正しい。
 クラシック畑で育ったシバーナはこの曲を知らなかったので「サマータイム」を歌うのだが、胸に染み入るような歌唱は、演じたSetsukoさんが曲の魂を正確な英語発音で表現して見事である。
 一見して分かる通り、今作はアメリカの黒人差別が一応撤廃されるまでの20世紀中盤から後半への過渡期を描いた作品であるが、多くの日本人には差別の意味する所が分かっていないようである。差別の最も顕著な特徴は、差別する側にとって、被差別者の痛みが理解出来ていないということを理解し得ていないということにある。今作でも、リンチにあった黒人を笑物にしている白人の話が出てくるが、これと全く同じ本質を持つ差別がイスラエルのシオニストによって元々パレスチナであった場所で、日々パレスチナ人に対して行われている。
 物語は白人と黒人のハーフとして生まれたサラが育ったフランスからNYへ来、「母」シバーナの話したがらない過去の来歴を訪ね歩く所から始まるのだが、それには、母の親友、ビルとの関わりから始めねばならない。母は教会のシスターの娘として生まれ、カーネギーホールでピアノリサイタルを開くことを夢見るバッハファンのうら若き娘であったが、その天才的な才能にも拘わらず、クラシックの世界からはハジキ出されてしまった。失意の末彼女は場末のバーでジャズピアノ等を弾き始める。この店で出会ったのが、後に親友になるビリーであった。
日露演劇交流『幸せはだれのもの』

日露演劇交流『幸せはだれのもの』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/05/08 (水) ~ 2019/05/09 (木)公演終了

満足度★★★★★

 ロシアの学制は、11年制が主流であった。日本流に言えば小・中・高が総ていっしょくたでその後大学入学となるという形である。

ネタバレBOX

まあ、10年生から大学に入る人もいるし、現在主流になった10年生迄やった後、大学は行かないが11年生になって更に少し勉強をする人も居る。また大学もかつては5年で終了が一般的であったが、現在はヨーロッパの流れに合わせる形で4年終了の大学が増えている。ブルデンキント中等教育学校は私立の学校だから、授業料は親が払う。全寮制で学生は男女共学である。日本の学制で言えば、中高一貫校に近いか。演劇部の練習日は、クリスマス前の特訓期を除いて週1回、4時間程が当てられている。創立以来20年になるが、プロの役者になった演劇部出身者は3名。無論、なりたがった生徒の数はもっと多いのだが、指導教諭達が止めておいた方が良い、と生徒の両親を含めて説得していることも大きかろう。表現の厳しさや運不運という要素を含めて、生計を立てることが難しい世界であることを良く知る指導者達の親心であろう。
 今日が本番だったのだが、参加した若い演劇部員の中には何人か既に卒業したが、演劇部で演劇活動を続ける先輩数名やプロになったが今回今作に出てくれた先輩女優も1名居た。総じて宇宙という茫漠たる生存条件の中で擬人化された不幸というキャラが狂言回しとなって因果律を奏で、登場人物各々が宇宙の塵を切り出して、或る人間を造形するという作業をしていて実にヴィヴィッドで柔らかい感性とそれらに裏打ちされた役作りをしている点が、各々のキャラクターの存在感に繋がっていた。また、例えば王の金庫番がその被り物・キッパによってユダヤ人と知れるような演出上の配慮も為されている。(ロシア人の通訳に伺ったら、金庫番の話すロシア語はユダヤ訛りなのだそうだ。シオニズムを推し進めた中心人物の殆どがロシア出身のユダヤ人であり、「屋根の上のバイオリン弾き」がロシアでのポグロムを描いた映画であることを見ても、ドストエフスキーが度々ポグロムの悲惨に言及していることを見ても、マルシャークが今作に金庫番としてユダヤ人を登場させていることは興味深い。当然、パレスチナでジャボチンスキーを更に右傾化した思想が、パレスチナ人に対するジェノサイドを恒常的に行っていることに対しても思いが及ぶ。)
 一方、ロシアの民族衣装を纏った民族的な踊りが、ロシアの有名な曲と共に披露されたりする中で、ロシア人気質というのが、あれだけ寒い国だからなのか、思いがけなく明るいという発見もあった。また、茫漠たる宇宙に対し因果律というテーゼを立てることによって人間的尺度を作りだし、宇宙を人間的に解釈しようとする発想は日本人の発想にも近いように思われ親近感を持ったのも事実である。但し、多くの日本人の場合には、この哲理を己を発現させる行為として主体的に担うことはすまいが。
 
日露演劇交流『幸せはだれのもの』

日露演劇交流『幸せはだれのもの』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/05/08 (水) ~ 2019/05/09 (木)公演終了

満足度★★★★★

 ロシアからやってきた高校生が演ずる、マルシャーク原作の「幸せはだれにくる」の本公演を明日に控えた8日、ロシアの子供向け短編映画(アニメーション)3本の上演を含めたプレイベント。「幸せはだれにくる」の部分的上演と解説、スタスラフスキーのメソッドをベースにした普段の訓練法の解説やその成果を拝見した。流石に内面から滲み、溢れる柔らかな感性を感じる表現力のポテンシャルの高さ、各々の個性の伸びやかでしなやかな表現レベルに感心させられた。9日19時が本番、期待できる。

釜茹でGO!!!!!タイムマシンは古銭式

釜茹でGO!!!!!タイムマシンは古銭式

劇団 枕返し

オメガ東京(東京都)

2019/05/03 (金) ~ 2019/05/05 (日)公演終了

満足度★★★

 “釜茹で”と言えば石川 五右衛門の名は直ぐ上がるほど、茹でられた時の彼の態度の豪傑ぶりは人口に膾炙しているが、(華3つ☆)

ネタバレBOX

今作は、この民間伝承という文化的土壌に村山知義の時代小説を山本薩夫が1962年に映画化、続編「続忍びの者」(1963年映画化)と共に評判を取った作品をベースにしているように見受けられた。
 小説、映画に関して興味のある方は、ネットで検索すれば、関連情報は直ぐ手に入ろう。無論、今回の劇化に当たって先に挙げた作品群がベースになってはいるものの、今作を一言で言うならコンセプトは、タイムトラベラーやタイムリーパーとでもなりそうなSFでもある。自分は小説の方は読んでおらず、映画を見たに過ぎないが映画で描かれていたのは、信長暗殺に関わる伊賀の忍者集団の上忍による下忍の支配構図と信長による伊賀襲撃へ至る顛末、本能寺での信長の死と光秀の決断に関わった伊賀忍者、伊賀集団がそのように走る原因を作った間諜としての半蔵の役割と、表には一切現れないが影で糸をひきこの結果を算段した政治屋・家康、伊賀が滅ぼされての後、雑賀衆に加わった五右衛門らに対する秀吉の攻撃と家康配下の服部半蔵の画策などを描くことによって、忍者集団の支配・被支配の構図(主として三太夫の政治)、情報操作の手管と政治(主として半蔵を駒に家康の手練手管)、為政者と配下の者達各々の争い方の差とその結果齎される政治的死や命その物、死に至る過程の残虐性の階層的差異等々を通して描かれる社会的・人間的不公正に対する疑義。また上忍である三太夫は、その術の源を歴史的にも役行者の修験道に負っているにも拘わらず、今作では陰陽道となっていることなどで陰陽道の日本に於ける二筋の流れのうち、安倍晴明に代表される天文道を安倍家に、賀茂家に暦道を継承させた事実を、現代に通じる占い一般に転化した上で笑いと歴史の分水嶺に於ける決定的失敗を齎せた判断ミスの典型例としてアイロニカルに描いている。
 但し、作家が未だ若く、哲学的なレベルで自由を追及した経験も、また己の実存を通して自由と深刻な対峙を経験したことが無いことも明らかなので脚本の全体が未だ浅いこと、政治の本質たる人心確保とその最も普遍的・効果的な要素としての情報操作(真偽の曖昧化、事実を覆い隠す為のフェイクニュースの捏造拡散・またそのタイミングと拡散対象、その方法手段)に対する掘り下げの未熟は、目指す方向が脚本に言語化されているものの、その各々の要素にその普遍性が何故それほど人間にとって大切なのか、大切な価値であるが故に歴史の表舞台から消されて来たのか、真に大切なもの・ことが、受益者からどのような誹り、反発、妨害、迫害を受けるのか等々の事象を通して、そのこと・ものを示す単語ではなく、その単語を見聞きする者の内側から滲み出させるような脚本が書けるよう、今後独自の勉強で克服して欲しいものの、取り敢えず、目指した方向性については評価したい。演技に関しては、主役を演じた結川 香さんが中々頑張っていた他、三太夫及び五右衛門を女優が演じた点も面白く拝見した。
夢の契

夢の契

HitoYasuMi

OFF OFFシアター(東京都)

2019/05/02 (木) ~ 2019/05/07 (火)公演終了

満足度★★★★

 好みは別れそうだが、大人の味。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 女優を目指して10年、中年を迎えた3人の女が目指したことは、培った人生経験とそれぞれの得意分野を活かし最も効率よく演技で稼ぐ方法であった。カモは、当然男である。存在で勝負する女性という性と、常に新たな狩場を求めて彷徨うことを宿命づけられた男という性に於けるカルマの在り様を、女性目線から描くとかくも恐ろしい話になるのか!? というかなり輻輳しアイロニカルな作品。用いられている楽曲が讃美歌の「グローリア」であることは意味深でもアイロニカルでもあるし、ザピーナツの数々のヒット曲が、グロテスクで不気味な内容に効果音として用いられるとこんなに怖い曲と感じられるのか!? とビックリさせられたり、最も有名な祈祷文である“主の祈り”をベースに自分達の悪を正当化するアクの強さを見せつけるなど見所満載である。独特のテイストを持った脚本にマッチした演出と個性的な演技をしてくれる役者陣の演技、キャスティングも良い。
生ビールミュージカル

生ビールミュージカル

宇宙論☆講座

スタジオ空洞(東京都)

2019/05/01 (水) ~ 2019/05/05 (日)公演終了

満足度★★★★

 一見ハチャメチャと映りそうだが、相当方法的である。(少し追記5.5)

ネタバレBOX

中盤までに出される様々なテーゼについての答えが総て「だってミュージカルだから」という解答に集約されてゆくのは、無論、終盤との対比を前提として構成されていると考えられる訳だし、随所に散らされた含蓄のある科白や極めて深い洞察に満ちた科白等からも作家の表現する者としてのポテンシャルの高さは想像できる。
 板上に用意された舞台道具は殆どが段ボール箱だが、我々の生活の中で用いられるこの素材の雑多な有用性や、追い詰められた人々の用いるセーフティーネット用品としての在り様が観客の頭にも直ぐ浮かぶだろう。それは単に用途の多様性からも来る雑多な感じや地味な色調ばかりではなく、所謂段ボールハウスのイメージをも、想起させる。
この事実こそ今公演をバッカスの香に浸し、溶かし込みつつ、人生の苦味という大人のテーゼへと見事に抽出してくる装置なのだ。科白はチョメチョメ部分も出てくるが、XXこ、とXXぽという単語が科白として吐かれる時、破裂音の“ポ”がマイクに与える音響効果と“こ”が与える音響効果の差についての論議が行われていたり、“大人になると生SE○して子供作るんだけど、心が繋がらないから大人は嗤うんだ”というような深く苦い洞察が光る。また25歳で亡くなった愛娘・たま子の死に臨んで母は言う。「どうせ、家を出て行ってしまうのだし、一緒に居られる時間なんてそんなに長い訳でも無いのだから、亡くなったからって大して気にすることじゃない」と。だが、同時に彼女はこうも漏らすのだ。「あたしがお婆ちゃんになる頃、この子はおばさんになっている。そんなおばさんになった娘と一緒に、伊勢丹へ行ったり、温泉に出掛けたい」と。即ち最初の科白は反語で、強がっていなければ砕けてしまいそうな母の、精一杯の強がりが言わせた言葉であり、子を失うという辛さが、母の時間を止めてしまうほど強い悲しみであることを示しているのは、誰の目にも明らかであろう。
 これら総ての要素が、バッカスの香りに溶け、表現の本質上最も大切な自由を絶対的価値として追及するアナーキーな視座を観客一体の中で上演作品の構造に取り込んでいる演劇形態そのものの、実験性と面白さも評価したい。
天狗ON THE RADIO

天狗ON THE RADIO

ものづくり計画

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2019/05/02 (木) ~ 2019/05/06 (月)公演終了

満足度★★★★★

 兎に角、脚本が良い。演出、演技、舞台美術、使われる曲と物語のマッチングも素晴らしい。(華5つ☆)

ネタバレBOX


 舞台は地方FM局収録スタジオ。下手に金魚鉢のブース。上面硝子張りの衝立を挟んだ上手側がスタッフルーム。衝立奥にはドアがあり、金魚鉢と繋がっている。無論、on airのシグナルの設置されている。明転前の暁闇では、見切れが起こるかと心配したが、衝立上面が硝子で透けて見えるので観劇には一切問題無かった。
 物語は、過疎化などが災いして四半世紀続いてきた地元FM局が閉局を迎える直前を描く。平成で終了との決定をディレクターの強い意から令和の連休明け迄延ばし、一旦閉局はするものの、必ずや再起するとの決意を胸に、リストラや番組編成の変更・縮小、人気パーソナリティー登用などで延命を図ってきた局経営も最早限界とはいえ、次への一手を打つことで散り際の一花咲かせたい。そんなスタッフの意が、閉局に臨んで尚奮闘へと駆り立てる。伝説のパーソナリティーとして一世を風靡したミスター、東京で自分の番組を持つこの地出身の花形キャスター・ナギサの出演、現在最も人気のあるパーソナリティー・ベンジャミンとの新旧対決公開生放送等々、困難だが様々な企画を盛り込み計画はスタートするが、無論、世の中そうそう上手く行くハズが無い。スタッフらの意とは裏腹に計画が頓挫しそうな状況が目白押しである。
 而も内部事情としては、最も大きなスポンサー・賀間の意向を無視することが出来ないのは当然のこととして町内政治(町長一家は現在汚職疑惑・息子の小学生カツアゲ疑惑に絡む)VS町会議員や新進キャスターの町長選狙いの思惑、目玉の一つ、新興宗教教祖と化したミスターの扱い、ナギサの時間調整の難しさ、スポンサーCMに対する妨害等問題は山ほど出てくるばかりでなく、現在最も人気のあるベンジャミンは顔出しNG。公開リハでは聴取者から仮面を取れの大合唱。
 然し、これら総ての困難を救ったのは、かつてこの地で起こった大災害で局が果たした大きな役割と人々の心を支えた放送内容の歴史であった。リスナーから未来への手紙を託され、託した人の要望した時期に開封して読み上げる企画によってかつての記憶と現在とが生々しく接続される。その白眉は、災害時、両親を失くした10歳の少女、ナギサの両親からの手紙であった。親子3人でFM局の放送に出ることができたことの喜び、リクエストされた局が終わることになった時開封して読まれることを願ったことの意味と感慨等が綴られた内容は、胸を掻き毟るほどに痛切である。
 自分は、阪神淡路大震災の時、海外で暮らしていたのだが、仲の良かったドイツ人の友人から、生まれ故郷の神戸が大変なことになっているとの報せを受け、通じるハズの無い国際電話を掛けまくったことを思い出しながら拝見していた。
 By the way,唯一気になったのが、on airのランプが終止点きっぱなしだったこと。
 
演劇♡顧問

演劇♡顧問

神保町花月

神保町花月(東京都)

2019/04/26 (金) ~ 2019/05/06 (月)公演終了

満足度★★★★★

 全国高等学校演劇大会東京地区予選各賞受賞も決まった後の評議員を交えた慰労会会場は、行きつけの飲み屋が舞台だ。
 どうして行きつけになったのか? 他店に出禁を食いまくっていたからである。

ネタバレBOX

というのは、メンバーは個性派揃い、侃々諤々の議論は空を切り、風に舞って他の客たちに迷惑を掛けまくってきたのである。基本的に参加者は高校教師と演劇大会評議員という立場だから世間から見ればオカタイヒト達であり、何かと見識だの常識だのと人目が煩い。だが、コンペである以上、受賞校ともなれば、顧問としても鼻が高いし評価も上がる。何よりなんだかんだ言っても皆演劇好きである。その為、主張にも身が入り過ぎて大声で自己主張し合うということにもなる。結果の出禁であるから、ある意味勲章ですらあるのかもしれない。何はともあれ、芸人と役者のコラボというのが面白い。芸達者が多く間の取り方が上手い役者が多いので笑わせてくれるし、本来の役者と芸人の役作りの微妙な差や、吉本でメジャーを目指す芸人と小劇場演劇の役者達のプロ意識の差が現れている点も面白く拝見した。ちょっと誤解を招きそうなのでもう少し詳しく書いておくと、作品で描かれているコンペは、同時に演技している役者・芸人の役作りの差と方法論の差、TVという媒体を意識した役作りとメジャー志向よりも寧ろ演劇というジャンルの魅力に取り憑かれて役者をやり続けている小劇場演劇の役者陣との目指す方向の差のようなものが出ているように思ったのである。
 どんな表現にも共通していることではあるのだが、表現する当事者達の意識に“観衆に使い捨てされる”という切迫感がどれほどキリキリと突き刺さっているかという点では、今作のように類似・異種の表現者が同じ舞台で同一作品に参加しているという形は実に刺激的であった。
物語りに描かれる才能評価に対する妬み、嫉みや、発表作品が高校生演ずる演劇として相応しいか否かという世間や「良識」との関係、作品と実生活との関係と作品化することの極めて内的・微妙な位置関係、かつてと今の彼我の差の中で遷移してゆく1行の意味「お前、馬鹿だな」は最後に最高の褒め言葉であると同時に共感の最たるものとなっている点も良い。
ランチタイムセミナー

ランチタイムセミナー

劇団ジャブジャブサーキット

ザ・スズナリ(東京都)

2019/04/27 (土) ~ 2019/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

 逆ストックホルム症候群。華5つ☆

ネタバレBOX

 サブタイトルにもあるように1997年丁度地球儀では日本のほぼ反対側にある南米・ペルーで起きた事件であり、当時のペルー大統領は日系のフジモリ氏であった。日系人が大統領になったということで、政府、マスコミこぞって大騒ぎをしていた。公邸を占拠したゲリラたちと人質となった人々との間にストックホルム症候群が出るのではないかとの情報が、週刊誌などでは騒がれていたように思う。自分自身はこの事件から余り時を隔てずに西アフリカのギニア・ビサウに入っていたし、丁度リアルタイムでは、知り合いが週刊誌の記事を書く為に現地入りをするというので色々アプローチしている話は聞いていた。だが、1次情報を現地で仕入れるまで事実を言うことができないことは、無論である。そして、自分が11月末にギニア・ビサウに入りプロジェクト具体化の為に奔走し、資材調達の準備や発注、地元アフリカの業者との折衝などを済ませた後、所長と共に発注資材の検査の為にヨーロッパ諸国に出張中の4,5月にギニア・ビサウ軍によるクーデタが起き、外務省が危険度5を出したので出張中の我々は現地に戻れなくなってしまった。無論、現地に残っていた日本人スタッフや現地企業トップなどとは使える通信手段を総て用いて連絡を取り合ってはいたが、予断を許さない状況であることは百も承知である。一方、日本本社や、関係商社に問い合わせても有効情報は得られない。それどころか、本社は、日本と同じ感覚で不可能なミッションを要求するのみであった。日本大使館は話の外、というのも日本大使館から我々に情報提供を依頼してくる有様であったから。1次情報は錯綜しているし、現地業者も難民化していたりするので連絡が途絶えがちであった。首都の一等地に偉そうに最も大きな大使館を建て親分風を吹かしていたアメリカ大使館員は、砲弾か何かが着弾したら、真先に逃げ出した。そりゃそうだろ、大した地下資源が在る訳でも無ければ即手足として利用できる有用な存在が居るのか、それが本当に分からないという情況下、金儲けに繋がる事象にしか興味の無いアメリカがリスクを負う訳は無いからである。
 閑話休題。今作の執筆に使われた資料は、共同通信社が出した「ペルー日本大使公邸人質事件」だが、特殊部隊が突入した際、関連書類等は消失したとも隠されたとも言われ、謎の部分が多い為、事実は判然としない。然し乍ら、全員が虐殺されたゲリラの相当部分が、貧しい家計を助ける為に2週間雇われるというアルバイト感覚でリクルートされた若者達であり、中には若い女性も混じっていたのは事実。一応、銃器の扱い方などは学んだものの、プロというには余りに幼い者達が多かったこともあり、今作で描かれているようなゲリラVS人質というよりずっと人間的なコミュニケーションが成り立っていた模様である。それだけにフジモリの判断は余りにあざとく無慈悲であると感じられた。中南米の歴史を繙くまでもなく、1492年にコロンブスが西インド諸島に到達して以来、スペイン・ポルトガルによる植民支配、加えて現地人が免疫を持たない病と植民者サイドの被植民者酷使による死亡によって現地人が激減するとアフリカからの奴隷を入植させプランテーションでこき使った歴史に、英・仏・蘭等の海賊行為やスペイン・ポルトガルへの攻撃などと並行した約300年の植民地時代の中で、スペイン系(副王・スペイン王に任命されたスペイン貴族、オイドール・スペイン国王任命議員、クリオージョ・現地生まれのスペイン人。当初、政治的権力無し)と現地人との混血であるメスティソ、アフリカ系逃亡奴隷シマロン(海賊の手助けなどもした)、白人と黒人の混血であるムラートなど混血が進んでいることに加え、混血している者同士の子孫もいる訳だから、人種混交の実態は極めて複雑であり、支配層と被支配層の差別・被差別も錯綜している。とはいえ社会を構成する要素として人種が大きくものをいう実態を知っておくことは極めて重要だから以下そのアウトラインを雑駁であるが記しておく。最上位には、白人・その下位に初期スペイン統治下ではクラカ(先コロンブス時代の首長)下っては、メスティソ、更に下にムラートや現地先住民というのが極めて大ざっぱなイメージだろう。当然のこと乍ら、貧富の極端な差もこのヒエラルキーに準じて存在し、貧乏人が這い上がることは殆ど不可能である。今作でも出てくる日本のカップラーメンを食べた現地ゲリラが「こんなにおいしいものを食べたことが無い」という科白や、2週間経てば故郷に帰ることが出来ると考えてお土産にカップラーメンでバッグを一杯にしていた話などは心底胸を撃つ。こんなに素朴で、貧しさ故にゲリラ化した貧民を虫けらのように全員虐殺した権力者というのは、その無慈悲が何処から出てくる何を根拠にしたものなのか? この判断を下した人間は怪物ではないのか? と問いたくなる作品であった。
ニュータウンの影

ニュータウンの影

俺は見た

サンモールスタジオ(東京都)

2019/04/23 (火) ~ 2019/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★

 第四回目の公演ということなのだが、何と四年ぶりの舞台だという。で間に何をやっていたのか? というと映画に挑戦していたそうである。それもあってか本日は終演後に映画監督の柳町 光男さんとファッション写真家の藤田 一浩さんのアフタートークがあった。映画の方にも目途がついたということのようだが、年1本ペースで今後は舞台でも活躍してくれるとのこと。期待したい。(追記後送)

ネタバレBOX

 面白いのが、TVの音以外に効果音を殆ど使っていない点か。
バラ色の人生

バラ色の人生

TEAM 6g

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2019/04/24 (水) ~ 2019/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

 これだけ書ける作家なのに、序盤でのチャラケは却って興を削ぐ。ざっと公演案内を見た所では作・演に名前が入って居ないので分からないが、演出が異なる人物なら、このチャラケにはダメ出しを出した方が良くはないだろうか? 公演中故、ネタバレ詳細は後送

ネタバレBOX

 歌は無論、エディット・ピアフの有名な歌でそこからタイトルを採ったのかと思いきや、それだけでは無いらしい。オードリー・ヘップバーンの出演作に「麗しのサブリナ」という作品があって、その映画のBGMにこの曲が使われていたのだ。映画自体、名画として名高い作品だからご覧になった方も多かろう。
 物語は特別養子縁組(1988年施行)に尽力した医師と協力者、当事者らの事情と背景を、この法の制定前に遡って辿って見せる。通常の養子縁組と特別養子縁組で最も大きな差は、産みの親の情報が戸籍上に記されないことである。つまり養父母の実子と貰われた子は戸籍上差が無い。従って仮に実の親をその子供が探したいと願っても役所を通して辿る術は予め閉ざされていると言っても過言ではない。その不可能を超えて実母探しに奔走するのが今作の主筋。
静かにとけた桃色【ご来場ありがとうございました!】

静かにとけた桃色【ご来場ありがとうございました!】

劇団えのぐ

ひつじ座(東京都)

2019/04/24 (水) ~ 2019/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★

 えのぐには脚本家が2人居るので今回は各々が1作ずつ、2作品の上演だ。(追記後送)

ネタバレBOX

劇団えのぐ平成最後の公演と銘打ってもいる。どちらも話が展開するのは、喫茶店である。まあ、レイアウトが若干変わったりはするが、小振りのテーブルと椅子の移動位なので苦にはならない。物語の展開にも自然な流れが出きて設定は上々だ。出捌けは下手奥と上手奥の2カ所、下手の方は床まで黒布が垂れ目隠しにもなっているが、上手は暖簾が下がっているのみ。開けたドアのノブの上辺りにメニュが見える。下手出捌けの客席側にはカウンター。ハイチェアが2脚置かれているのだが、腰掛け部分の飾りや、座る部分は皮を縦横に編んだ中々お洒落なもの。従業員のエプロン、カウンタークロスなどは総てピンクだが、カウンタークロスのピンクには、小さな文様が入っていて色調も微妙に異なる。更にマスターの穿いているGパンの腰回り、後ろポケットなどにはカラフルなパッチワークがあって劇団名を暗示している。
 第1話は解離性人格障害或いは依存性パーソナリティー障害との合併という風に捉えられている女の子の恋を描いた作品だが、パーソナリティー障害については実存する本人以外に4つのパーソナリティーを持ち内1つが強力に自己主張を始めているという設定だ。実際にこのような事例があるか否か自分の調べた範囲内では明らかにできなかった。何れにせよ若い女性の場合には境界性パーソナリティー障害などが発生するケースもあるというから、周囲の人間はかなり真剣に取り組まなければ如何ともし難いのは事実であろうし、病を患っている女性自身が相当苦しい思いをしているにも拘わらず理解されにくいということで更に迷路に踏み迷うことも多かろう。今作ではハッピーエンドにしているが、苦しんでいる女の子の在り様を考えさせる所が味噌。
TesLa【テスラ】

TesLa【テスラ】

株式会社ROUTE13

魔法ダイニングバー OSMAND(東京都)

2019/04/21 (日) ~ 2019/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

 Magura&Shingoと名乗る2人のマジッシャンによるマジックパフォーマンス。発明家のテスラを讃えて開催された。

ネタバレBOX

演目は以下の通りだ。
1. Prologue of「Tesla」
2. 脳は正確に「音」を認識しているか?
3. 「時間・空間」と「記憶」
4. 人間の思考は「Link」するか?
5. 「3」に拘ったTesla
6. 「タングラム」による幾何学テスト
7. 「塗り絵」を使った直観力テスト
8. Route13的「フィラデルフィア実験」
マジッシャン2人が交互に出演、各々のマジックパフォーマンスを披露してゆくのが基本的なスタイルだが、2人共演のシーンもままある。マジッシャンとしての腕は大したもので、恰も観客の中に彼らの仲間が予め入り込んでグルになって観客を手玉にとったり、集団催眠を掛けているのではないか? と思わせる程の出来である。
一つだけ例示しておくと、よくある、トランプカードの中から、観客の勝手に選んだカードを元のトランプカードの山に戻し、選ばれたカードが何であったかを当てる程度のことから始めて、関わりの深い人間関係のあるカップル(恋人、夫婦、親子、兄弟など)に協力して貰って、矢張り好きなカードを抜いて貰い、各々のカードを他の観客にも確認して貰った上でそれぞれにサインして貰ってからカードの山に戻す。2人の関わりが親密であるかどうかを確かめる為にサイン済みのカードを戻して貰った後、枠のついた硝子板の前でカードの山を放り上げると硝子に2~3枚のカードが張り付いたように残った。マジシャンが枠に触れ余分なカードが落ちると、マークと数字を書いた側が、観客に示されるのだが、これは選ばれた1枚でありサインも入っていた。ところでもう1枚は? と内心考えている観客にマジシャンが告げる。実はカードは張り付いていたのではなく2重になったガラスの間に閉じ込められていたこと。で、もう1枚は硝子を180度回転させた裏側にあることを告げながら硝子を回転させると、無論こちらのカードにも別のサインが入っている。更に2枚であったハズのカードは合体して1枚になっていた。
雨のパ! ーー踊る子猫と幽恋

雨のパ! ーー踊る子猫と幽恋

尾鳥ひあり

北千住BUoY(東京都)

2019/04/20 (土) ~ 2019/04/22 (月)公演終了

満足度★★★

 微妙なタイトルそのままの作品。中有の話が通底和音のように響いているから、幽けき存在である幽霊の話も出てくれば、幽けさそのものを具象化する為に凄まじくスモークが焚かれる。(自分が見に行った21日ソワレの開演2時間頬前から、ハイロという名の映像集団の作った作品の上演と作家トークがあり、こちらも非常に面白かった。ハイロに関しては華4つ☆。但し、5作品上演されたもののうち自分が間に合ったのは最後の1本の最終部分1~2分だけであったが、その後のトークが実に面白かった)

ネタバレBOX

中有とは四有の一つであり、死有から生有までの間を言う仏教用語だ。と言われても一般の人には理解できまいから説明しておくと、所謂四十九日のことで、死んでから次に天性する迄7日毎に審判を受け最終的に転生先が決まり生まれ変わるまでの期間を言う。仏教哲学では、無論深い思索と壮大なイマジネーション、零を射程に入れた鋭い考察などまで論じなければならないのは当然のことだが、今作の射程は、もっと感覚的である。だから、例えば自由でありたい、例えばエキセントリックであっても自分の欲求を満たしたい、といったような、かなり生な欲望も切り取られて埋め込まれており、それが作家のイマージュの連関によって緩やかに編まれ、揺蕩う。その場所はとある村に設定されているが、どうやら何らかの境界はあるらしく、その境界を超えてしまった者は、矢張りその責めを負わねばならぬようである。
 演劇の通常の約束事とはかなり異なる表現様式と発想で創られた作品で、これからどうなるか分からないが、その点が未知数で面白いと言えるかも知れない。
ミラクル祭’19(ミラフェス’19)

ミラクル祭’19(ミラフェス’19)

新宿シアター・ミラクル

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2019/04/20 (土) ~ 2019/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

Aを拝見(ネタバレにはちょっと気を遣う作品なのでホントのネタバレは後送)

ネタバレBOX


「ペルソナ・サークル」たすいち
私立探偵と言えば、殺人事件。それも密室。さてあなたはこの謎をどう解く? これはもう、推理小説の十八番、定石、定番、鉄壁、常識、マンネリである。
 で、今作では、ホームズに倣って探偵には助手が付き、山を分け入った里へとやってきた。無論依頼があったからである。彼らが漸く到着したその日、村の名家で婚礼があった。だが、しきたりと異なることが起きた場合には、不吉なことが起こると老婆が言う。
「海月は溶けて泡になる」feblabo
 登場人物は、男2人、女1人で、女と男のうちの1人は恋人、1人は弟で、弟は彼氏とギリシャ的恋愛関係に陥る刹那だ。

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