イノチミジカシ、 公演情報 法政大学Ⅰ部演劇研究会「イノチミジカシ、」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

     蝉は、地上に出ると約1週間の命しかないことは、良く聞く。“閑さや 岩にしみ入る 蝉の声”の句は余りにも有名だが、実際、日本の蝉の鳴く音を、命を限りと聞き、芭蕉の詠んだ通りであることをしみじみ感じるのは自分だけではあるまい。

    ネタバレBOX

    今作も無論、この命の痛烈な燃焼を背景にしていることは言うまでもない。だが、描かれる本質は人間男女の恋である。脚本レベルでの不備は、アブラゼミではなくミンミンゼミの雌が鳴いていることである。蝉の鳴き声としてミンミンゼミのそれはアブラゼミに比べて弱い。また仮にアイロニーとして用いているのであれば、そのことも脚本中で示した方がベターだろう。生物学的に明らかに間違っていることを如何に舞台と雖も何の仕掛けも無しにそのまま居直って舞台上の虚構と言い張るとすれば、それは稚拙ということになり易い。また、翅を擦り合わせて鳴くということになっているが、コウロギやスズムシではあるまいし、これも間違いである。蝉は服弁という器官を持っている。それも牡だけの話であり、これを震わせ、空洞の腹部で増幅して鳴くのだ。それが求愛行動となるからである。牡がその美声や美しさ、強さで雌を誘惑するのは、鶯、クジャクや雉、ライオンなどを見ても明白である。
     唯、これら様々な欠点を抱えながらもこのシナリオには注目すべき点がある。それは、人間というかなり長い寿命を持つ生き物に置き換えての話であれば、産む性である雌が、牡を選ぶ条件として、牡が生涯自分を愛し続けることを求めてやまない点である。(この辺りの蝉と人間の寿命の長短を無視する発想も荒すぎる、まあ、幼虫の時代も考慮すれば、寿命については説明もつこうが、命の燃焼を1週間で切っている以上これも根拠にはならない)少なくとも人間の女性(物語の論理では雌で通ってしまう)の行動原理は愛という名の下に生涯男性(牡)を縛り続けることである。その目的は、恋の相手を務めたことのある男(牡)なら誰しも経験することだ。だが、一方、牡は何より自由を乞い求める生き物なのである。ここで、男(牡)にとっても大問題なのが、自分の子を産んでくれるのが女(雌)であるという事実である。
     今作で興味深いのが、女性(雌)が男(牡)を選ぶ試金石としてこの問題をぶつけてきていることであり、この一点で実に鋭く、現実的な人間の恋愛に昇華している点なのである。
     欠点は以上で指摘した通り、人間の恋を描いていながら蝉を用いているのに、擬人化が徹底していないというか、蝉と人間を転化する際の仕掛けが好い加減であるということだ。例えば、酔夢譚にするとか、昆虫学者カップルの話にして、その中で蝉を例えに話を展開するとか、やり方は色々あるハズだ。

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    2018/07/14 00:45

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