私は世界 公演情報 ワンツーワークス「私は世界」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     台風の中を押して出掛けても損の無い作品であるどころか、得をした気持ちになって帰ることが出来よう。(必見華5つ☆)裏バージョン追加2018.7.28

    ネタバレBOX

    シリア内戦を、経験する中で、其処に我々と同じように暮らし、生き、喜び、哀しむ人々が、矢張り居るという当たり前のことを当たり前のこととして評価する目を持ち、共に明日を見たいと望む隣人として武器を持たぬ弱い人々の傍らに立ち、彼らの日常とそれらを恐怖のどん底に落とした内戦の実態を世界中の同胞に伝え、悲惨を1日も早く終わらせる“夢”を少しでも現実化すべく、命を懸け現地情報を送り届けようと健闘していた日本人フリージャーナリストが反政府勢力に捕縛された。例によって自己責任バッシングが巻き起こった。現在も彼は拘束されたままだ。実は、今作のモデルは知り合いである。だから、固唾を呑んで拝見していた。多くのことが、他のフリーのジャーナリストから訊いた話と符号し、リアリティーが増々高まる中で観劇させて頂いた。モデルになった男は、実に優しい極めて使命感の強い勇気のある男である。実際、本当に報じられねばならないような現場に行くのはフリージャーナリストである。それは、大手メディアに属するジャーナリストは今作に描かれたような事情を抱えると同時に他にも組織から現地派遣を指せないような力が働くからである。
    一方、今作の素晴らしい点は、それこそ、貧しさからネットカフェ難民化しかねないほど貧しい若者の実態を、現代日本の嘘と詭弁及び人間性無視の企業論理と国策を細かくはあげつらわず非力の象徴として提示、訳の分からない力によって解体され単一の細胞の総体として己の存在領域と世界との接線をトータライズして峻別し、以て外界と内を峻別する機会を失ったザインとして自己規定する若者の境界域の曖昧さから世界認識への広がりの可能性を導き出し、それを解釈の違いとしてジャーナリストが世界により深く関与する共通項に纏め上げた筆者の力と想像力である。こんな言い方が分かり難い方は、是非、作品を観て欲しい。

    以下 追加(裏バージョン)
     2つの対象に対する、自己責任云々。対象の1つはフリーのジャーナリスト。もう一つは、貧しい若者だ。丁度イラク戦争という愚挙が敢行された2003年以降、アメリカの愚挙に諸手を上げて賛成、軍隊をイラクに派遣した小泉らの愚行は、それまで日本人に対して絶対的な信頼を寄せてきた中東の雰囲気を大きく変えた。その結果、イラクの子供を中心に人道支援をしていた女性、イラク戦に疑問を感じた若者、そしてフリーのカメラマンらが現地で人質に取られた。彼らを救出する為に税金を使うのか? と焚きつけられた日本人の多くが、国策によって流されたプロパガンダに乗っかって自己責任という名のバッシングを繰り返した。何とかの一つ覚えで叫び出したこの時がきっかけだったのだろう。以後、現在でもこの言葉と、日本人個々の真っ当な倫理が欠如した態度をカムフラージュする便利なアイテムとしてこの単語が重用されている。要は、食物連鎖最上位に位置する人間という概念を持たず、その責任を自覚することも無いまま、即ち人間性という概念を自分達の力では決して造り上げることもできなければ、保守もしてこなかった剽窃家日本人の本性が見苦しいまでに繰り返されたことを思い出す方も多かろう。自己責任バッシングの酷かったこと。この現象を傍目からみれば、自分の頭を使って物を考える習慣を持つ人々から如何に奇妙に見えるかは想像に難くないのだが、殆どの日本人に分からない。何故なら自分自身の置かれ育った環境を相対化して見る目を持たないからだ。このことは、思考の範囲と限界を明確に定めてしまう。即ち自分の育ってきた状況と自己存在の関わりを自然なものとして己の根拠にしてしまうという極めて幼稚な過ちを犯すのである。無論、総ての意識的存在にとって己が体験して来た“自己という存在と世界との関係”は極めて自然なものとして初期の自己形成の中心となる。然し思春期をキチンと生き、己を深く穿った者には、この段階から抜け出ていないことは極めてプリミティブであるのも事実だ。今作で自己責任を追及される側の代表として描かれるフリージャーナリストと貧しい若者が、深く自分を穿つことによって、自己という存在を成り立たせているものが、如何に幽けきものであるかを発見した後、己の境と世界の接線に於ける境界領域の曖昧さに気付き、互いの解釈は異なるものの世界と己の相互嵌入を通して通じ合っているのは、双方がこの第1次自己同一性の自然発生性を対象化している所からくる。少なくとも現代日本で大人である資格の一つが、このイニシエーションを己の力で乗り越えて来たか否かに掛かっているということこそ、真っ当な己の世界に対する責任なのである。だから、例え、このレベルに達していない人を見つけたとして、他人がとやかく言うべき事柄ではなく、やんわり諭すか、乗り越えるヒントを与え、実践の場を用意してやるくらいが関の山であってバッシングするなど、己の恥と知るべきなのである。
     が、このように考え得る暇も与えないのが日本社会の特性である。つまり自分が無いのだ。他人の眼ばかり気に掛けアリバイ作りに汲々とするあまり、肝心肝要なことをなおざりにし、恬として恥じない恥知らず。これが日本人の正体である。何と非人間的な人種であろうか? 

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    2018/07/28 03:53

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  •  裏バージョンと銘打って少し本音のバージョンを載せました。
                          ハンダラ 拝

    2018/07/29 00:15

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