ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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みんなのご機嫌よかれが肝心かなめ

みんなのご機嫌よかれが肝心かなめ

劇団やりたかった

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2021/06/16 (水) ~ 2021/06/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 弥次さんの放ったラストの長台詞が見事だったので、この評価にした。華3つ☆

ネタバレBOX

 芝居自体は大したものでは無かったが原因は主催者の独りよがりにあろう。17回目の公演でこれでは矢張り力不足・勉強不足だ。唯一、凄いと思ったのは「東海道中膝栗毛」にかなり忠実な本質的雰囲気を醸し出すべく演技しえた今公演にあって唯二人・役者らしい演技をしていた弥次・喜多を演じた二人のうち、終盤の弥次さんが放った啖呵売の長台詞。いがみ合いをしているういろう屋のいがみ合いを街道の登りと下りで二分して客を自然に各々の店へ誘導する解決策迄織り込んでまとまりの無かった舞台を一挙に纏めて見せる手際も見事であった。この長台詞、寿限無の三倍程度はあろうという代物、これを立て板に水の五七調の江戸弁でやるんだから粋である。戯作文学の傑作・「東海道中膝栗毛」の弥次・喜多の会話は語呂の良く回った江戸弁が多用されるが、他の出演者の言葉にはそれが無いので、上演中この齟齬にしっくり来ない感じがずっとついて回った。
 また、現代流に言えば日本フェミニズム界初の女性闘士となった冷奴に対する差別的アナウンスが多用されたのは、ジョークを越えて単なるグロである。更に、演出家が演出に力を入れているということを表現しようと思ったのか(見切れがあったのでハッキリは分からないものの)本番中にダメだしをしたような恰好で同じシーンを2度演じさせたが、カントールのように実際、舞台の端に上がって劇上演中にも演出するという手法を確立するような意図を観客が感じる訳でもなく、終盤までずっと中途半端な展開だったことも頂けない。冒頭主催者の独りよがりを指摘したのはこのような勉強不足を含む。プロとして演劇に関わるつもりなら、役者の質も弥次喜多を演じた役者さんのレベルで統一したい。言語表現、所作、間の取り方、脚本・演出に対する役者からの批評意識、役を生きるという発想の欠如等欠点が多すぎる。主催者ならば劇団名に表れているような決意一般ではまともな演劇は創れないことを知るべきである。Covid-19に関する考え方も途中まで読ませて貰ったが、根本的に自分とは見解を異にする。非科学的な立場から一歩も抜けられない政府や、地方自治体の対応。その根本的問題を指摘することすらできないマスゴミを相手に意見を言う事自体ナンセンスだ。もう少し頭を使って科学的な立場を採るべきであろう。
盲人達

盲人達

錬肉工房

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2021/06/24 (木) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 演劇という表現形式に於いて最も難しい事とは何か? それは、公演が常に新古に於いて斬新でなければならないことである。

ネタバレBOX

人は生まれ幼少期を経て子供になり思春期を過ぎて若者に成長し大人の仲間入りをする。其の後、大人としてかなり長い時を過ごし老いて死ぬ。この何れの時期に於いても芸事を発表するプロとして生きる場合に要求されるのは、その時々に於ける華である。子役として舞台に立つ年齢は、業界によって異なるが、歌舞伎等は3歳位から舞台に立つこともあるようだ。何れにせよ歌舞伎役者が映画に出演したりすると一目でそれと分かる程質の高い立ち居振る舞いをするのは、演劇好きなら誰でも気付くことだろう。基本的に舞台俳優は単なるTVタレント等より遥かに演技の質が高い。映画にしろ、TVドラマにしろ、映像でしか仕事をしていないタレントの演技は極めて例外的に豊かな才能を持つ俳優を除いてレベルが低い。それをフォローしているのがカチンコによるカット撮影であり編集やエフェクトである。これに対して演劇は舞台上で上演回毎に異なる一回こっきりの勝負である。無論、本番の公演までに役者陣は台詞を仕込み、役と格闘し、他の役との関係を考え、己の役の意味を深く考え己の身体を調整しつつ役作りをする。  
一方、稽古の時と実際の上演時とは矢張り大きく異なるのが、観客の反応による演者たちへの影響である。台詞そのものは変わらないにせよ、間の取り方や声調の差によって観客の受け取るものも随分違ってくる。このようなことが実際の舞台上演では毎回起こっているので、何が絶対に正解か等ということは無い。だが、スタンディングオベーションを受けるような作品に共通しているのは、演者と観客が当に一体となったか否かにある。演ずる側の方向性が同化を狙うか異化を狙うかの差があっても上に挙げたことは変わらない。
 さて、今作は原作がメーテルリンクである。今作のタイトル作品は初めての人でも「青い鳥」は大抵の人が知っていよう。あの童話の原作者であり、ノーベル文学賞受賞作家でもあった。今作の日本上演は自分の知る限り、静岡で活躍する極めて優れた文化事業集団・SPACが上演したことがある。自分自身は今作のSPAC公演を拝見していないが、かつて何度か拝見したSPAC作品からは極めて知的でシャープな演出に感銘を受けた。
 この演出という観点に関して、今回の公演は、エッジが利いているとか、差異化すべき点をキチンと差異化しているといった作品のメリハリをつけるような創意は感じられなかった。(一、二例を挙げておくと、出演役には1人耳の不自由な役があり、他の役は目の不自由な人々役なのだが、この差がキチンと表現されていなかったし、照明のトーンも殆ど変らず現代の時代状況からは冗長に感じられる台詞と相俟って淀んだようなトーンだった為、鵺的だった等)これらの点が残念である。出演している演者にご高齢の方々が多かった点でプロンプターの役割が多かった点も惜しまれる。以上挙げたような点が災いして今回の上演には斬新さが欠けていたように思う。
花のもとにて春死なん

花のもとにて春死なん

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2021/06/30 (水) ~ 2021/07/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 とある老人ホームに入居した老人たち。齢を重ねれば誰しもが避けられぬ老いた体を抱え家族と離れざるを得ぬ様々な状況を殆どの者が負って、ここで暮らす。

ネタバレBOX

医師・看護士の人数が充分では無い為、入居者の中から代表者や世話人が決められその任に当たっている。彼らの中には寄る年波にも関わらず自らの思惟‣思考を深化させることができずとどのつまり、老い乍ら性に吐け口を求める者、己の性向に身を委ねる者、認知症を患いながらもその事実を忘れ自分達が建てた家に戻りたがる者、自らの生きて来た職業や芸事への未練を断てない者、伴侶と一緒に入居したものの一方は病み、遂には絶命したにも関わらず、精神的苦痛故その事実を認められない者等々、が同じ屋根の下で暮らしているが、彼らの愉しみはタンゴ等のダンスを踊り、生きる実感を手にすることである。然し施設長は、ダンスを禁じてしまう。然しスタッフの数は少なく、老いたりと雖も数の上では収容されている老人の方が圧倒的に多い。そこで数を頼んで再びタンゴの宴が実行されるが、それも束の間、突如日本国では姥捨山法が可決され速やかに実行されることとなった。而も法の実行主体は、各地区の若者に決まった。若者達の判断次第で計画は余計者排除へ向かい役立たない者は抹殺の憂き目に遭うこととなった。舞台上で、銃殺、撲殺等が実行される。如何に舞台上の出来事とはいえ、音響や照明を伴い視覚的にも実見されるこの光景はインパクト充分である。殊に自分の拝見した回は年を召した方が多かったので老いの実感と共に相当のインパクトがあったと思われる。また実際の日本という国は国連に毎回指摘されているように人権感覚というものが極めて希薄な国である。殊に為政者のそれはどうしようもないレベルだ。この実態が民衆に日々経験されているだけに説得力がある。
 タイトルからは誰しもが西行の名歌を思い起こすであろう。老人たちの想いも同じである。せめて死ぬ時には華をその縁としたい。このような念は、憂き世を生きる総ての真っ当な者に共通する願いであろう。死ぬ際にすらそれが許されぬ国、それが現実の日本だ、ということにはしたくあるまい。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「この道はいつか来た道」
 今回上演された4作品の中では最も遅い時期に原作者が書いた作品である。(華5つ☆)
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている、

ネタバレBOX

 別役作品の舞台美術としていつも登場すると思われている位頻繁に登場する(電信柱・ベンチ)以外に登場しているのは塵を入れる大型ポリバケツだ。而もこの単なる物としてのポリバケツが恰も人格を持つかのように扱われるシーンが多数在る。これだけでも異色な作品と言えるだろうが、出演する役者の力量で、単なる物が即ちヘーゲル流の即自体が当に何らかの主体性を具えた生き物、時に人格を具えた何かにすら見えてくるような作品である。
 燐光群の役者陣はどの方もレベルの高い演劇人だが、今作では円城寺さんの女子力が極めて高い色気を醸し出していた。原作者で高い能力をお持ちであった別役さんの作品の中でも女性に対する観方の転機となった作品なのかも知れない。宿無し男性に対する宿無し女性の感じる体臭に関する感覚等が台詞化されている点は、別役氏の持っていた女性に対する観察・認識フィードバックを忍ばせて興味深い。
HATTORI半蔵Ⅳ

HATTORI半蔵Ⅳ

SPIRAL CHARIOTS

六行会ホール(東京都)

2021/06/30 (水) ~ 2021/07/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 途中、10分の休憩を挟み170分程の尺である。殺陣は可成りスマートで、照明・音響とのコラボもグーだが、余りに整合的な分浅く感じる点もあった。役者の中には極めて優れた身体パフォーマンスを見せる者が何名か居て、旋風脚や回転回し蹴り等も見事である。

ネタバレBOX


 内容は観てのお楽しみだが、半蔵の家系もネット上の説明にある通り吉宗と4代目半蔵・伝生との駆け落ち以来老中職を解かれていた。この為今作が描くⅣ即ち60年後の幕末期6代目ハットリ半蔵・汎刃の代では彼も忍法を継承していたが、今は床屋を生業としていた。
 さて、幕末といえば勤王VS佐幕である。ここで佐幕派・飛竜革命開国軍VS勤王派・新選組が対峙する。双方の偵察・襲撃/防御合戦が繰り返される中、徳川将軍ケイキは、二階での異国風俗や、一階ではエレキ仕掛けのゲームマシンが置かれ洋食を嗜むことのできる店の常連となっている。実はこの店は飛竜革命開国軍の情報収集基地であり、当然の事ながら忍びが関わっている。新選組も目をつけた。更に史的に有名な池田屋騒動が、今作では新選組が返り討ちの憂き目を見るという設定になっており、その原因が飛竜革命開国軍に加勢していた忍びの術によるものだと判明した。近藤イサミは床屋となっていた半蔵に相談を持ち掛ける。ところでこの池田屋騒動の際、開国軍に味方していた“くノ一”は捕縛され投獄されてしまう。これを助けたのが床屋としては2代目の半蔵である。原因は彼らは互いに惹かれあっていた為である。ここから先はネタバレが酷くなってしまうので、ここ迄とする。後は観てのお楽しみだ。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「舞え舞えかたつむり」
 今回上演される4作のうち唯一テキレジが施された作品とのことだが、台詞のカットは無い。このタイトルは承知の通り今様を集めたことで有名な「梁塵秘抄」に記載された歌である。中央にあでやかな雛飾りが据えられ、衣装も女性陣の多くが雛と同じような極めて豪華な衣装で登場する。因みに雛段の五人囃子の一体のみ欠けている。華5つ☆追記(1回目6.30 15:51)
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている、

ネタバレBOX

 上演される4作品のうち、唯一実際に起きた殺人事件がベースになった今作。女の子の祭りである雛祭りで用いられる雛飾りが板中央に飾られ手前に緋毛氈が敷かれているのも象徴的である。
 事件は実に凄惨な形で現れた。単なる殺人事件というより死体が分断され荒川水系に捨てられた為、胴、頭部、足、腕、の順に異なる時期に発見されたのである。この事件の捜査による実証過程が、被害者家族の証言との不一致の謎を明かしてゆくと共に、被害者家族(実は犯人)の内面の混乱・不安定を提示、我々観客に想像力の喚起を促して行く。傑作である。
 因みに実際の事件は1952年5月に起きた。実行犯は小学校教諭を務める妻、共謀して遺体損壊に関わったのはその母。雛段に欠けていた五人囃子の内の一体も、また隣家にあった風鈴も事件解決の中でその意味を示唆される、という粋な構成だ。
 ところで、被害者は巡査であるが、何故妻が夫を殺すに至ったかの原因について別役氏の解釈は実際の司法の解釈とはかなり異なっており、今作が書かれた時点で既にジェンダーやフェミニズムの観点を氏が持っていたのではないかと思わせる慧眼を感じる。というのもインテレクチュアルな妻の内面の混乱の原因と夫との齟齬が起こった原因を約1年前の流産に置いていると考えられるからだ。女性にとって妊娠は無論大問題である。場合によっては己の命にも係わるというだけではない。受精卵は胎内で約10カ月の間に急速な成長を遂げる。この胎児の成長が母の精神に与える影響も非常に大きいのが実情である。女性は胎児が母胎の中で急速に成長する際、未知の何者かが(己=母)の中で、(己=近未来に誕生する子)を主張しているような感覚を持つ。つまり既に確立しているハズのアイデンティティーを脅かされる、不安定だが不思議な期待にも裏打ちされた精神状態を体験する。単に肉体的な大変化のみならず精神的な大変化に安定的に対応すべき思考の中心を揺るがす状態に第一義的なレベルで放擲されるのだ。このような状態を知的に克服する為には己《母となるべき己》自身を自分自身の思考によってアウフヘーベンし得るだけの知的能力を持っていなければなるまい。正常分娩できたとして最低限、この程度の知的レベルが必要である。だが、この事件のケースでは不幸なことに彼女は流産の憂き目を見ている。そしてこれがこの事件の最も深い原因だと別役氏が観ていたとしたら、その洞察力たるや正しく天才的ではないか?
 終盤今作のタイトルになった梁塵秘抄の元歌(舞へ舞へ蝸牛舞はぬものならば馬の子や牛の子に蹴ゑさせてむ踏み破らせてむ実に美しく舞うたらば華の園まで遊ばせむ)が詠じられるが、敢えて途中(舞へ舞へ蝸牛舞はぬものならば馬の子や牛の子に蹴ゑさせてむ踏み破らせてむ)までである。無論、ここ迄しか台詞化していないのは、事件の残虐性・凄惨を客観化する為でもあろうが、上記の私論を踏まえて少し深読みするなら殺人犯たる妻の哀れをも示唆しているのではないかと思われる。というのも情状酌量で刑期が短縮されたにも関わらず、妻は判決通りの刑期を全うしたことについても語られているからである。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「眠っちゃいけない子守歌」
 主人公の孤独の何という深さ! その孤独を慰めるかのように降りつのる雪の何と美しい冷たさ! 華5つ☆ 
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている、

ネタバレBOX


 板上中央に絨毯、絨毯の真ん中にテーブルと椅子。奥に食器棚上手奥は、この部屋の入口である。男が1人訪ねてくる。この部屋の住人から話し相手をして欲しいとの依頼を受けて派遣されて来たのである。依頼主は、世界と四碌六時中対峙している。その為極端な論理癖で武装しているが、余り生きた人間関係というものには縁が無かったのか、派遣されてきたヘルパーが中盤まで活きた人間関係の中で培われた自然でフレンドリーな会話をしようとする態度とは大きな齟齬を生じ笑いを誘う。が、依頼主の極端な論理癖の原因が実存と彼を取り巻く世界即ち状況とが常に角遂せざるを得ぬ所に彼の孤独の深さが端的に描かれていることが観客にも理解されてくるに従って笑いは失せる。つまり対自存在を本質とするハズの人間として生きてこれなかった彼は、即自存在として生きる他無い。人間としての根本的矛盾を抱え込んで存在している訳である。当然の事ながら彼はアイデンティファイし得ない。としこという名が彼にとって何であるか、よっっちゃんという愛称ととしことの関係は何であるのか、雪の降る夜何処かの街の家から手を引かれ「寝ては駄目よ」と言われて以来覚醒し続けた彼のアイデンティティーを確立する為の種として存在したハズの証明は? 記憶は? エチオピア人とチェコスロバキア人が互いに通じない言葉を用いて会話することを夢見る彼の漠然たる記憶と絡んだ夢想にどのような意味があるのか? 
 評者自身の想像は、こうである。水晶の夜とアシュケナジーユダヤ。無論、作品に用いられているファーストネームは何れも日本人に纏わるものだが、日本人作家が日本語で書いた作品であるから、それは読者として想定される日本人向けのサービスに過ぎまい。飲んでいる茶は紅茶、家具・絨毯等も洋風である。1938年11月に起こった歴史的事件・水晶の夜は、雪が降っていても全くおかしくない。殊にホロコースト以降更に先鋭化し、現在迄続くアシュケナジーユダヤ中のシオニストによるスファラディーに対する差別、パレスチナの先住者であるパレスチナ人に対するジェノサイドの暗喩であると。
別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました

別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/06/25 (金) ~ 2021/07/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「いかけしごむ」
 中央やや下手にベンチ。ベンチの背の奥に“ここに座らないで下さい”の張札を付けたスタンド。上手に運命鑑定の雪洞を付けたテーブル。その両側に椅子。占い台の奥辺りにどういう訳か電話機。板奥には階段。華5つ☆
 一応、誤解の無いように申し上げておくが、公演は2作品で1公演が基本形である。作品評を1作ずつ評価する為に、評者の判断でこのような形にしている。

ネタバレBOX

 演出、演技。音響、照明、余計な物の一切無い舞台美術総てが有機的・無機的のアワイ(境界領域)を別役実の独特な論理癖の創造する言語空間と交感させ昇華させている。見事である。華5つ☆
サングラスを掛けた女が入ってくる。階段を降りると「ここは、街で最も深い場所だ」と呟く。その深部にあっては、総てが見通せない。それが理由で運命鑑定の雪洞がついたテーブルが在るのだと説く。この占い台の横には命の電話がある。
 ベンチに座らないで下さいとの指示だと思われるベンチ奥の張紙は誰かが心理的な悪戯を仕掛けていると解釈、平気な顔をして腰掛け編み物を始める。直後、1人の男が階段を降りてくる。男は黒い鞄と黒い塵袋、傘を持っている。女は、男が立て看を立てたと決めつけ、隣に座ることを許可する。何となれば彼女は男が看板を立てた理由は、話しかける切っ掛けを掴む為だと強引に決めつけており、占い師として彼のプライバシーを暴き立てる。そして男の弁解をことごとく否定、女房にも逃げられ乳飲み子であった娘を絞め殺し風呂場で解体してその遺体を塵袋に詰めているのだと言い募る。男の言い分は異なる。塵袋の中身は烏賊なのだと主張する。彼はサラリーマンをする傍ら烏賊を用いた消しゴムを発明、特許を申請・取得しようとしているのだと主張する。然し、これを面白く思わない消しゴム業界はブルガリア暗殺集団に彼の抹殺を依頼。彼はその組織に追われているというのだ。女は袋の中身をぶちまける。出て来た物は? 結果、女は男に命の電話に電話を入れその指示に従うことを薦める。電話の答えは“死ね“であった。男は自首を勧められこの結界から出て行くが、直後刑事らしい男がこの場所に現れ女に尋ねる。「この辺りで男を見掛けなかったか?」と。何でも近くで男の遺体が発見されたのだが、奇妙にも男は塵袋を持っており、その中には生の烏賊が大量に入っていたと言うのだ。刑事が去った後、女は言う。男は烏賊を用いた消しゴムを作りブルガリア暗殺談に殺されたのだろうと。だが、彼女の見解は変わらない。実は彼女こそ彼の下を1年程前に離れた女であり、この結界内ではこの女の主張する論理もキチンと成立するのだと。
 
廻る座椅子で夢を見る

廻る座椅子で夢を見る

演劇プロデュース『螺旋階段』

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2021/06/25 (金) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし観る! 華5つ☆ 追記(2021.6.27:02:37)観劇料金も良心的、この作品でこの値段は絶対安い。

ネタバレBOX

 極めて良く練られた脚本は家族を構成する個々人の個性を深く自然な形で形象化しているが故にフィクションであるにも関わらず、今作のような状況が現実にあれば、現実の方が今作を真似て動いてゆきそうな感さえある。それほど本質的且つリアルな普遍性に到達している。
 誰しもが生きて行かねばならぬ現実を抱え、貨幣経済の中では稼ぐことを強いられているが、どのような職業に就き、どのように稼げるかは個々人の置かれた状況、持っている能力や運・不運、学歴、人脈等によって異なろう。その現実が厳しければ厳しい程その現実を強いられる家族個々人のプレッシャーはいやが上にも増大する。それが村八分社会が現存する日本社会の偽らざる現状である。逃げ場の無いこの現状で個々人が特定され、簡単に拡散されるインターネット社会移行期(今では遠く感じるであろう格差社会を展開するに主体的に関わった現パソナ会長前)の我が国に於けるバブルとその崩壊過程を一般庶民の、即ち中流家庭の仮面と実体を見事に描いた今作は、この時代を知らない或いは本気に向き合わずに済むと思っている若者にも観ておいて欲しい舞台である。この作品がどれれほど深い真実を描いているかいつか解る日がくるであろうからである。無論、時代を実体験した世代にも観て欲しい。今までそれと気付かなかった自分達の姿や選択について深く考えを巡らす契機となるであろうから。舞台美術もこの家族の生きてきた歴史を示すような使い込んだ座椅子が板中央にデンと据えられ物語の歴史的普遍性を今に伝えようとするかのようである。役者陣の演技も深い。単にキャラが立つというより味がある。而も観劇料が実に良心的である。演出もラストシーン等本当にソフィスティケイトされているだけでなく余韻を残す素晴らしいものであった。実はスタンディングオベーションをしようかと思ったほどである。
山姥の息子

山姥の息子

水中散歩

シアター風姿花伝(東京都)

2021/06/23 (水) ~ 2021/06/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 殆ど異界の生き物たちは消えてしまったようだが、その原因は? 人工の作り出した電磁波? 異界の者たちの発していたものとは?

ネタバレBOX

 今作の作・演出家は出雲大社のある地方のご出身とのことで、この大社は八百万の神々が年に一度集まることでも知られる。遠野の民譚は良く知られているが、出雲の国も民譚の宝庫である。この地は「日本書紀」「古事記」「出雲国風土記」にも記され、独自の文化圏を形成してきた。今回は基本的に山姥の息子と地域に暮らす語り部の家族らを中心として展開する話であるが、都会育ちにはなかなか描けないタイプの作品と言って良かろう。何より自然に対する態度が異なるのである。総ての命の尊さを一様に等価と見做し実践してゆく生き方と言えば良かろうか。そんな念の籠った、そしてそれを見事に形象化した作品である。舞台美術も合理的で都会中心の劇団なら箱馬で済ませる小道具も自然な感じの手作りを感じさせる物を用い作品に合った形にしている他、音響は弦楽器、太鼓・拍子木などの打楽器、鈴、指笛等を用い多彩な音響効果を生で響かせる凝りようだ。ヒトと異界の者達を結ぶ世界観とそのような世界観を成立させる為の価値観そのものを提示しているのみならず、そのような世界へ至る為の心構えをも提起して見せた作品と捉えた。
バトルロイヤル公演第十三弾

バトルロイヤル公演第十三弾

ThreeQuarter

JOY JOY THEATRE(東京都)

2021/06/12 (土) ~ 2021/06/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


 つかの採った創作方法がアテガキだったため、様々なヴァージョンが存在する今作だが、流石人気の作品だけあって脚本では登場人物それぞれのキャラが見事に立っている。雛チームの演技を拝見した。華4つ☆

ネタバレBOX

惜しむらくは序盤から中盤までの流れがイマイチだったことだ。つか演劇を演じるのは難しい。圧倒的な熱量とハイテンションでいやが上にも観客を巻き込めなければ、観客はその作品を全身全霊で受け取ることができないタイプの作品だからである。機関銃の弾のような勢いで飛び出す台詞、台詞に込められた被差別の意味と無念! そして極端なはにかみ屋だったつかの本当の優しさを隠す為の差別用語の多用。被差別者の行動は一般的に、差別者の側へ必死に同化しようとする。この努力は並大抵のものではない。殆ど命懸けのトライなのであるが、今作にもそのことが良く顕れている。このような本質をキチンと理解している演者4人の総てが中盤から俄然良くなった。エンジンが掛かったということなのだろう。ということは中盤迄は役に入り切れなかったということのように思われる。出の前に充分な柔軟体操とウォーミングアップをし、体の隅々迄血流を十全に通わせておきたい。身体で間を取れる位になると理想的だと思われる。当然、呼吸法も大切だ。また、木村伝兵衛がファーストシーンでグラスを煽るシーンは、スピード感を以て煽る感じを強く出すか、動作を遅くするなら唇の方を持ち上げつつあるグラスに寄せるようにして飲むかした方が呑んべえらしさが良く出るように思う。音響・照明を用いても良いから、兎に角ファーストシーンでイキナリ観客を劇の時空に取り込みたい。つかの作品には、そういう演出が活きるように思う。
『GK最強リーグ戦2021』

『GK最強リーグ戦2021』

演劇制作体V-NET

TACCS1179(東京都)

2021/05/26 (水) ~ 2021/05/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 ガチバトル。15分の換気休憩を挟んで一挙に2作を上演し観客の投票によって雌雄を決す方式で統計的に後発が優位というデータがあるとのことでじゃんけんによって先行・後行の決定権を得る。今回はじゃんけん勝者である猿組が先行を選んだ。

ネタバレBOX

「猿組式西遊記∼火焔山の辺りの話」2021.5.28 13時 俳協ホール
 中々、胸に沁みる物語に仕立てている。というのも牛魔王と羅刹女の一人息子・紅孩児は火焔山の炎無しには生きられない宿命を負い、その炎を維持する為には人の命をくべねばならぬ。心根の優しい紅孩児は己の宿命の為に犠牲にされる人々の無念を思って心が晴れない。而も牛王は悟空の兄貴分に当たり、紅孩児は甥に当たる。
 西遊記は経典を求めて天竺行きを目指す奇譚であるがエンターテインメントとしては、三蔵を喰らえば寿命が延びると信じる妖怪と悟空・八戒・沙悟浄らの戦いを面白おかしくまた武術の殺陣を見せ所として描かれるケースが圧倒的に多い。今作もこの2つの要素を取り込んで作られているが演劇としては前者に重点を置き、殺陣シーンは極力抑えた方が、却って作品としては深みを増したのではあるまいか。評価:華4つ☆

「胸に月を抱いて」2021.4.28 14時10~俳協ホール
 魂の転生譚である。転生する魂は、岩村 抱月と松井 須磨子の2人。無論、この2人の関係については衆知の事実があるから余計な説明は省く。恋愛は誰でも経験があろうし、甘さも苦さも天国と地獄の甘美と苦悶も経験していよう。そして互いに、本気が長続きすることが無いという寂しい事実も知っている。然るに今作では、永遠の愛が描かれ、実現している。この奇跡が感動を呼ぶ程に脚本は練られ、演出も良い。演技も殊に抱月の生まれ変わりというより抱月の魂を宿したハイパー・メディア・クリエーター、上原を演じた役者の演技がグー。流石にV-NET創立メンバーの貫禄を感じさせた。評価:5つ☆

自り伝5・再び京都編

自り伝5・再び京都編

平石耕一事務所

シアターX(東京都)

2021/05/13 (木) ~ 2021/05/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 脚本はぴか一! 然し噛むシーンが前半多く、興が削がれる点があったのが残念。華4つ☆

ネタバレBOX


 「自然真営道」という本の名前は歴史で習ったことがあろう。自分も未読の書だが総ての人の平等を説き、それが幕藩体制を揺るがす思想であるとの懸念から幕府から安藤昌益は目を付けられ追われていたという。可成りアナーキー且つラディカル而もエコロジカルな書で、鋭い観察眼とバイアスを排した視座で人生に臨んだ人物と解釈できる。これに対し小児科医として登場する若き日の本居宣長(劇中殆どは改名前の春庵として登場)との論争も興味深い。昌益の発想はファクトにのみ根拠を求め、ファクトのみをベースとして総ての思考を紡いでゆく科学的思考であるのに対し、春庵は残された和歌や王朝文学、古事記等を考証することによる思考である為、神話が成立する要件やその必然性を考慮しえず「大和魂」に新たな解釈を加え革新はしたが、それが上澄みでしかないことを理解し得ぬ性質の思考であることには気付けなかった。
 今作で大活躍するのが、琉球出身の和算の天才・九つである。十六歳だ。(現在の満年齢で言えば15歳丁度中学3年か)昌益も九つも科学的思考の持ち主であるから、思考の原点には論理の、観察事実の絶対がある。それは思考の絶対的根拠・本質を為す。この2人の天才の周りに集まる人物達の能力も無論頗る高いのであるが宣長にしたところでその思考原理の根拠こそ薄弱なものの、そのマインドはオープンであり知的好奇心に富み、子供達の言葉の意味する所を聴き取る耳を持つ。(現代小児科と呼ばれるジャンルは、当時唖が声を出すことのできない障害を表す字を用いて唖科と呼ばれていたのは過ちで「子供はちゃんと病状を話しているのだが、医師に子供の声を聴き取る耳が無いせいだ」と断じ小児科と言い直すシーンがあることで分かる)
 今作の脚本が優れているのは、この得体の知れない病が伝染病であり、原因が当初特定できない段階から罹患者と非罹患者を分離・隔離すべきだという極めて真っ当で科学的な発想を実践すべくドンドン手を打ってゆく姿勢と見識の高さ、それを支える事実確定の筋道の確かさである。現今の日本人に欠けている最大の特徴がこれらの特質である。日本では殊に為政者の中にこそ、この能力が最も低い者が圧倒的に多い。庶民は、沁みついた奴隷根性の所為で正しいことを考えても実践できない卑怯者が多い。この両者が相俟って現代日本の劣化を招いた。肝に銘ずべきであろう。
 脚本は抜群だが、残念なことに噛む役者が多く興が削がれたシーンがかなりあった。演出家・脚本家が同一なのでアテ書きをするなり、それが無理なら稽古にもっと時間を割くなり、各々の役者がイメージを明快に思い浮かべられるように協働作業をしつつ演出すれば良いのではあるまいか? {2009年来日したワジディ―・ムアワッドという劇作家に会った時に(原題「L’Incendie」・邦題「焼け焦げる魂」2009年10月28~11月3日ピープルシアター日本初演で来日)}どのくらい練習したか尋ねた所約1年との答えだった。カナダが世界初演で文化に対する国家の力の入れようが、日本のアホ政府や官僚とはけた違いだから日本の劇団が1年掛けてじっくり仕上げることは無理だろうが、協働はできるのではないか? 因みにカナダの役者も来日していてその役者は世界初演から相当の時間が経過していたにも関わらず自分と会ったその時点で総ての台詞を言うことができると言っていた。

超ではない能力

超ではない能力

24/7lavo

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2021/05/13 (木) ~ 2021/05/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 役者全員、熱延!

ネタバレBOX

 この絶妙なタイトルセンスに惹かれた訳だが、無論この設定自体が笑える。但し今作は、それだけに留まらない。チャラついたこの国の可成り多くの表層しか見ない人々の悪弊は相も変わらない。井の中の蛙でしかない彼らが、ある主長や言明の拠って立つファクトの確認もなしに独善的な判断を下し、而も批判する際には殆どが実質的匿名で批判するので極めて無責任な攻撃になりがちである。だが、このような状況を逆用して今作は、人間の本質に切り込んでゆく。死を意識することによって際立つ生きることがその根底を為し、そこで超ではない彼ら・彼女らの能力の成長も描かれるのである。設定自体が日本では余りまともに考えられていないエスパーに関するものなので、役者陣の一所懸命な役創りが勝負の分かれ道だが、出演者全員が懸命に役を生きようとする姿勢に好感を持つと同時にピンチをチャンスに切り替える有様をキチンと描くことで、アホ政治屋とアホ官僚共が牛耳るこの情けない「国」の塗炭の苦しみを日々余儀なくされている庶民を何とかフォローしようとの熱いエールも感じられる。
お月さまの悪戯

お月さまの悪戯

劇団CANプロ

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2021/04/23 (金) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 華3つ☆

ネタバレBOX

 シナリオ自体の踏み込みが浅い。物語は養護施設に関わりのある人々の間に起こったある「奇跡」について描かれるが、登場人物は4人、総て女性である。養護施設に預けられる子供達の多くはネグレクト、虐待等の問題を抱えていることが多く、そのトラウマは身体的記憶となって生涯消えないような重い傷を残すことも多い。そのようなことは作家も調べているハズである。それを日本のような元々儒教社会が長い歴史を持つ国で対立要素の男性を実際の板上に1人も登場させずに描いていること自体、作品の底を浅く、社会を単純化し過ぎている。折角、生の舞台で演じ、観客が居るのだから観客にもっと生々しい生き様を突き付けるような舞台であって欲しかった。先ず恵子がlunaticalにならざるを得ない必然性をつぶさに描ければ、遥かに重く深い作品に成り得たであろう。そうであればタイムスリップというSFという形を取らず、lunaticにならぬ為に、命ギリギリで幻想を紡ぎ自衛する為のケレンとして能や歌舞伎の幽玄、ケレン、生と死等深く本質的なレベルに達していたであろう。無論、尺は長くなるが。
引き結び

引き結び

ViStar PRODUCE

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2021/04/21 (水) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 満を持しての公演、それだけのことはある。サービス精神旺盛、そのサービス精神でふやけた日常を過ごす我々一般日本人に対しおちゃらけた笑いをふりまき和ませてくれると同時に普遍性に届く極めて大切な問題については果敢にチャレンジしてゆく。極めて味のある而も深い作品に仕上がっている。何故、自分がこのように評価するのかについては追送する。(後記追送)

6団体プロデュース『1つの部屋のいくつかの生活』#3

6団体プロデュース『1つの部屋のいくつかの生活』#3

オフィス上の空

吉祥寺シアター(東京都)

2021/04/09 (金) ~ 2021/04/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「1つの部屋のいくつかの生活#3」
“黄”を拝見。尺は各々約1時間。休憩後次の劇団が演じるスタイルだ。劇の進行する舞台美術としての大道具は変わらず、簡単に移動できる道具は、各劇団の裁量で用いている。各回2劇団が1本づつ上演する。(追記後送)

ネタバレBOX

「1つの部屋のいくつかの生活#3」2021.4.13 19時 吉祥寺シアター
“黄”を拝見。尺は各々約1時間。休憩後次の劇団が演じるスタイルだ。劇の進行する舞台美術としての大道具は変わらず、簡単に移動できる道具は、各劇団の裁量で用いている。各回2劇団が1本づつ上演する。
1本目:「犠牲と補正」PandemicDesignの作品だ。
態と分かり難い方法で演じられている。例えば台詞の背景に流れる音響を大きい音にして聴き取りにくくする、同時に異なる対話が別の箇所で進行する、暗喩が充分に活きるシチュエイションでない所に放り込まれている、不明瞭ばかりが序盤に提起され中々明瞭化されない等々。作品に恰も骨格の無い体(てい)。例えていえば鵺に仮に出会った人間が居たとして、鵺そのものをそのものとして描こうとするような分かり難さがある訳だ。無論、これも世の中の鏡として提起されているのであろうから、その意味で成功しているとは言えるのだが。色々な意味で現代日本を映し出している作品であろう。例えばWミーニングで何度も用いられている「距離を取りましょう」はCovid-19蔓延下現在進行形で強制される政治屋や無能政治屋に忖度する下種公僕たるキャリア官僚共の発する責任逃れの題目に過ぎない訳だが、科学的にもこれは抑止効果があるという点に関しては意味がある台詞。それにしても、今作で設定されている加害者家族と被害者家族の社会的位置づけやメンタルな関係をも示唆している点で1つの表現が多元的に解釈できるのである。(忖度の場合は、それが為される側には、ゴマをすられている側としての優越感を与え、以て愛い奴との印象を狙う曲折した媚、多元化は意味を曖昧化することによって焦点を呆けさせる効果も併せ持つ、自分なら今作の力点を裁判の公判に置く所だ)
アン

アン

やみ・あがりシアター

王子スタジオ1(東京都)

2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 やみ・あがりシアター実験公演。今後続いてゆくであろうオーダーメイドシリーズの第1弾。

ネタバレBOX

このシリーズのコンセプトは作・演の笠浦 静花さんが、役者のオーダーに全力で応える形で脚本と演出を担い、役者はやりたいことを纏め原案をオーダー書面にして提出、適宜相談をしながら作品を創造する。尺は1時間程、独り芝居とする。この他、ユニークな約束事が幾つかあるが、それは観てのお楽しみだ。
 ところで、タイトルはこの作品の実質的主人公ではない。彼女の身籠った妊娠初期の胎児を彼女のシックスセンスが感じた女の子と想定して付けられている名である。実にユニークではないか! 名付けは、見ようによってアモルフな或いは存在しているか否かが定かでないもの・ことに或る概念を与え認識への梯子を掛けるような行為であるから、空虚や不定形と実在そのものへのアプローチにも通じる。物語は学生時代授業中に居眠りをしていた罰に科学教室の掃除を命じられた主人公(20歳・女性)が好意から手伝ってくれたクラスメイトの頭髪の薄い男性に、誤って実験室に残っていた様々な液体を混ぜたものを振り掛けてしまったことが発端だ。地獄のような悪臭を放っていたこの液体は、直ぐ拭われ彼女はハンバーガー、ナゲット付を御馳走することで許して貰ったが、翌日件の男の子は、ふさふさの髪を靡かせて登校した。彼女は起業し大金持ちになり10年後の生活は島を買って優雅そのものの生活だった。ところが、良い事ばかりは続かない。彼女の脳には悪性腫瘍ができていた。余命は半年から1年。それが優秀な医師の診断であった。同時に妊娠していることも分かったのだが遊びまわって来た彼女が胎児の状態から逆算してみると父候補は3人、誰の子かは分からない。秘書の提案で実際にどんな男なのかテストをすることになった。株の失敗で無一文になったと告げたのである。残った男は零。それでも彼女は産みたいと思った。胎児に悪影響が出ないよう治療を拒否する。
 ここから先は、この稿を読んだ方々の想像力で補って欲しい。
座布団劇場  番外二人会~花散るやかがみのなかの障子口(万太郎)

座布団劇場  番外二人会~花散るやかがみのなかの障子口(万太郎)

占子の兎

阿佐谷ワークショップ(東京都)

2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★


 今回、占子の兎は落語ではなく、久保田 万太郎の作品から二作を演ずる。小屋も落語の時に使ってきた“プロット”ではなく、同じ阿佐ヶ谷だが“阿佐ヶ谷ワークショップ”だ。
「三の酉」を追記3月31日02時26分

ネタバレBOX

一本目は「猫の目」吉原遊郭を営む父を持つ若旦那、父が有意の若者である息子を自分が歩んだような道を歩んではいけないと玄人衆に縁のある寺の方丈さんに預けた。長男は油絵に興味を持ち実際に描いたりする性質で余り心配はないが、預ける次男は父に似て横道に逸れそうだと考えてのことであったが、次男坊の部屋から目と鼻の先に若い妾さんが住んでいた。この女性にぞっこんになって旧制中学で落第、父に大目玉を喰らって、だったら辞めると遊郭の帳附なんぞをやり始めた。そうこうするうち*小取回し(ことりまわし)の利いた若者が働きにきた。どうみても只者ではない。若旦那、暇に飽かして会う度に問い詰める。最初こそしらばっくれていたが、遂に白状した。名の在る師匠について目も掛けられ「明烏」等の難しい噺も師匠自ら仕込んでくれているという、実際に噺をさせてみると上手い。流石に頭のいい男で声が掛かっても可成りの間前座のやるような「寿限無」なんぞをやっていたが、一躍廓の人気者になり、あちこちの座敷から声が掛かるようになると難しい噺もするようになった。元々、将来を見込まれながら廓の下働きにまで身を窶したのも只師匠に教わり真似るだけではいけないと考えてのことだったので、唯一、修練だけが完璧を紡ぐという芸事の真の厳しさをしょっぱなから分かっている天才肌の、而も努力と研鑽を積める真の才能の持ち主だったのであろう。廓に一年と暫くいたが、ある時ふっと消えた。半年程すると、又師匠の所へ戻りましたと挨拶に来、柳花という名で高座に上がっていた。それから20年程経った敗戦直後の昭和21,22年頃、鮨詰めの地下鉄の中で声を掛けられたのである。
知り合って約20年、戦中は配給制度などもあり、それが機能していたこともあって食料事情は極めて厳しかったものの、敗戦後多くの庶民が餓死したような状況に比べればマシであった。こんな状況であるから探りを入れてみるとこんな時代でも高座に上がっているようである。廓で修行をしていた頃にも才能の横溢は見て取れたが一つの道に精進し相応の位置を占めていなければこんな状況で芸事では食っていけないのは明らかだから、そうなのだろう。彼に比して自分はどうであろうか? 生々流転を絵に描いて、壁に貼り付けたような人生ではないか、と自問する若旦那であったが、日本橋に到着するアナウンスが響くと、柳花師匠は「ここで降りなくてはなりません、また」と挨拶すると急ぎ足で去った。こんな内容の作品であるが、この若旦那の抱える侘しさ、寂しさが何とも言えない。無論、父も若旦那も一世一代の危機ということが重々分かっていたからこそ、逆に散財し重荷を誤魔化そうとしたのであった。本物なら師匠のように初めっからパースペクティブが開けるような行動を取っていたであろう。最初は小さな差でしかなかったが一世代、30年にも及ばぬ内に人生は大逆転を遂げていたのである。或る意味、現代版「蟻とキリギリス」でもある。
*当パンには江戸弁の解説やら、当時の社会情勢を的確に表す表現についての解説等が載り頗る役に立つ。小取回しの説明を当パンから引用させて頂く。気転がきいて、きびきびしていること。だそうだ。因みに「占子の兎」はEDO弁サロンというのを阿佐ヶ谷ワークショップで毎月やっている。第三木曜日18時~20時、各回1000円で参加できる。
「三の酉」
 亡くなった大岡 信の詩に
“青空は血の上澄み”という一行がある。これは例えてみればこんな作品だ。
 ちったあ、遊んで居て而もインテレクチュアルなら、あの資料は知っていよう。自分も大して読んだ訳ではないが赤裸々な内容には信憑性があるように思う。そんな時代の、そのような遊びができたであろう初老の男と赤坂の著名芸者とのナシカンである。赤裸々に語っちまっちゃあ、実も蓋もねえ。それを年によっちゃ、ねえこともある三の酉に掛けてのナシ。関東大震災の際、エンコの池に逃げ込んで亡くなった大勢の人々の中に彼女の父・母も居た。身よりを失くした彼女に親戚は冷たかった。騙して芸者見習いとして売り込んだのである。14歳であった。(満年齢で数える現代であれば13歳・中1だろう)何れにせよこんな経緯で芸者になって30年、大震時仲の良かったトシちゃんは幸い難を逃れ、今は著名な画家と結婚し鎌倉の材木座海岸に建つ邸で幸せな生活を送っている。数日前彼女の屋敷へお邪魔した。一泊させて貰い、自分が終の棲家を持たぬ身であることをつくづく思い知らされた。夫婦仲の良さ、自然で何物にも媚びない自由、無限の広がりを感じさせる互いの精神の飛翔が夫・妻の何気ない思いやりと共に目の前に眩しさそのものとして展開されるのを見た時、居場所の無い自らの情けない実相を見、余りの侘しさに打ちのめされたのである。帰路、横須賀線内で店に上がる某重役の顔を見た。互いに同時に声を掛け合い、隣に座って道中、話をしているうちに三の酉に誘って二人で出掛けたのだが、粋なんざ、トンと分からねえスットコドッコイと分かってチトげんなり。偶々、二人連れ添って歩いていたのを見咎められた訳で、その相手が初老の酸いも甘いも分かった馴染み。スットコドッコイを肴に一興という訳だが、この有様を粋に表現した、大人の男女の話だ。

INDESINENCE 

INDESINENCE 

LUCKUP

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 良く練られた台本、ポテンシャルの高い役者陣、Covid-19の影響さえなければ立ち見が出てもおかしくない程(この劇場でそれが許されるか否かは兎も角)、極めつけの舞台。華5つ☆。若干噛む役者が居てもこの評価は下せる内容だ。 ベシミル(追記27日22時25分)

ネタバレBOX


 タイトルからして既に多くの日本人にとって謎解きだろう。従って解答は明かさない。このソフィスティケイトされた台本を極めて優れた読み込みで舞台化した演出、過不足なく演じた役者陣のレベルの高さ、可成り複雑な作品展開を邪魔しないように、而も品格を失わないように設えた舞台美術、筋を浮き上がらせるようにそれ自体は控えめな照明と音響の見事、裏方さん達の気の利いたそれでいて押しつけがましさ等一切ない感じの良い対応。総てが唯でさえ優れた舞台を更に完成度の高いものにしている。
 無論、様々な仕掛けがあり、作家の遊び心が染み込ませてある。例えば那綱の履いているズボンの柄だ(これも、遊び心の一つと自分はとった)。学生探偵という役どころなのだが、大学では伝承文学を専攻しており、この分野では伝承の検証の為に歴史の正史、稗史は当然のこととして秘史、考古学的知識、地政学、天文、文学、古語、郷土史等々様々なジャンルに跨る膨大で正確な知識が必要なことは無論だが、探偵としては同時に瞬時の観察力、洞察、事実を見極め、総てのデータを統合取捨して事実のみを選別し、選別されたデータのみを用いて判断する冷静な判断力が前提となる。さてその推理力をこの作品の舞台になる「緋桜館」に到着して直ぐに示す点等は、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ第1作・「緋色の研究」冒頭でのワトソンとの出会いの場面でホームズがその推理力を示した部分に対応し、緋桜館に同じ緋の字が含まれている点でも今作の作家によるヒントと作中に仕込まれた遊び心を感じるのは自分だけではあるまい。(観客は無論、それに気付きにんまり微笑むという次第だ)また、那綱の親友・慶乃の特殊能力である情報を引き出す能力の高さは、探偵にとって最も大切な能力の一つだが、この点では情報を引き出す前に、先ず自分のありのままを曝け出すことのできる慶乃の力が那綱に勝っている点でホームズにとってのワトソン同様、欠くことの出来ない相棒・助手である点でも両作品が呼応しているということは、今作が「緋色の研究」及びコナン・ドイルへの佐藤信也氏からのオマージュ或は挑戦状ととることもできる。
 但し、今作はコナン・ドイルの亜流作家の作品ではない。というのも事件は日本に今も残る因習が色濃く描かれてもいる作品だからである。土地の旧家・名家の血を引く者達同士の確執が執拗な迄に描かれ、女系家族で当主を務めた実力者男性・金森重鐘の遺産分配を巡る遺書を巡って展開するからである。推理の定番、密室殺人も状況の変化の中で登場する。観ながら観客は自分自身で推理し楽しむことが出来るので、終始良い緊張感が保たれ最高のサスペンスをソフィスティケイトされた時空で楽しむことができる。

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