ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ドリンクバーの向こう側、やさしいキスをして

ドリンクバーの向こう側、やさしいキスをして

劇団武蔵野ハンバーグ

シアター711(東京都)

2020/08/15 (土) ~ 2020/08/16 (日)公演終了

満足度★★★★

 ところで、ハンバーグって子供人気メニューの肉料理1位じゃなかたっけ?(追記後送)

ネタバレBOX


てな質問をしたくなるような内容の作品であった、という訳では無い。どういうことか?
観客の誰にも最初に分かることは、フライヤーに描かれたキャラと登場人物の(敢えて1人と呼ばせて頂くが)1人が瓜二つということだ。無論、自分はその覚悟の見事を褒めたい。
 内容的には、緩やかな連携のあるショート作品をオムニバス形式で綴った作品ということになろう。結構逆転の発想などが嵌め込まれたナンセンス作品という体を為している、然し世の中には“宣伝の一環じゃない”だの、“目立ちたがり屋にしては賢いけれど、それだけ”などと捉える向きもあろう。然し自分は、“鈍いね~~~~。決まってるじゃん、無定見・無責任・嘘つきの安倍ノッペラ・ノータリンボーが、菅/二階の操り糸の下、唯でさえ今迄の御上の狡さに対向してそれなりに狡くセコク、ずる賢くなっている大衆が正確な情報を持ち得ないように更に綿密に法整備をした挙句、とうの昔キチンと批判できる勢力は居なくなったと高を括って、不正、不公正、隠蔽、証拠隠滅、虚偽報告、行政による司法・検察支配、国際社会に於ける不正義を堂々とやってのける恥さらし”になっているに過ぎないのだと。因みにこの程度のことに気付かぬ市民ばかりだと思っているとしたら日本の政治屋は全くのミムメモである。
私が愛したスパイ -The Spy Whom I Loved

私が愛したスパイ -The Spy Whom I Loved

劇団ハッピータイム

北池袋 新生館シアター(東京都)

2020/08/12 (水) ~ 2020/08/16 (日)公演終了

満足度★★★★


 日本のスパイ組織と言えば、誰しも内調を思い浮かべるが、

ネタバレBOX

いやいや、それだけじゃにゃい! いや~~良く調べましたにゃ。流石に忍守さん。自分が付き合いのあったのは外務省の官僚たちばかり(無論、他の省庁からの出向組も居ましたが)だけれども、日本の官僚の殆どは、皆が思ってるほど優秀ではにゃい! 実に残念なことではあるけれど、ホントに優秀な連中はさっさと辞めてしまうし、残りの殆どは下種。これも極めて残念なことではあるけれど、自分の友人も自分と同意見。彼は官庁に出向していたこともあり、自分より多くの官僚と付き合いがあったのだけれど、ホントどうしようも無いのが多すぎる。
 シナリオはキッチリ仕上がっているものの、アクションシーンがそれなりにあるのに動きは完全に素人、できれば実際に格闘技経験を持つ役者が演じてくれれば。また、何れのスパイも中々優秀に描かれ過ぎているので、日本のどうしようもない腐れ官僚をおちょくるのと同様にアイロニカルに描いてみても面白いとは思った。まあ、今作、主筋が真面目な作品なので、齟齬が生じてしまうが。何れにせよ、役者陣も皆一所懸命に演じていたこと、COVID-19対策もしっかりしていたことには、好感を持った。忍守さん自身が憎まれ役を演じていた点も優しさを感じさせる。ところでお名前に忍びが入っているのですにゃ。
スーパーロボットミュージカル

スーパーロボットミュージカル

宇宙論☆講座

江古田 ギャラリー古籐(西武池袋線「江古田」駅南口徒歩6分/西武有楽町線「新桜台」駅2番出口徒歩7分/大江戸線「新江古田」駅A2出口徒歩10分)(東京都)

2020/07/24 (金) ~ 2020/08/10 (月)公演終了

満足度★★★★★

 楽日公演を拝見、期待は裏切られなかった。朝からレモネードと豚肉のソテーを食べただけなので、これから食事を作る。長い食後になってしまったが2020.8.15追記。

ネタバレBOX

 融通の利かない人、つまり固定観念に凝り固まっている人には向くまい。そんな下らないことは打っちゃっておける人、アホ過ぎる世界に飽き飽きした人、而も同時に真を追い求め、独り事実と向き合うことによって普遍に至ろうとする本当の少数者にとっては極めて心地よく遊べる作品として評価されるであろう。少なくとも、新たなもの・価値に真っ向から向き合う為、人は既存の価値観を一旦捨て去らなければならない。一回、総てを更地にして新たな原理を考え、創造して初めて世界のパラダイムをシフトすることができるのだ。この時、肝要なことは、一旦今までの価値観や価値体系を捨てる時、更に一段掘り下げてそれらを支えているものの脈絡を見出し、それを支えている根源を探り出して疑い、それでも最後の最後に残るものがあれば、それを特定しそこから始めるという立場が在り得る。お気付きの方もあろう。DescartesのCogito ergo sum.の立場同様の立場である。21世紀にもなって未だデカルトと言っているようではハッキリ言ってパラダイムシフトなどに言及する資格等無かろう。当然だ。だが、これは考え得る1つのポジションに過ぎない。この程度のことは前提に出来るようにした上で新たなパラダイムが思考されなければなるまい。

スーパー・ウーマン・リヴ

スーパー・ウーマン・リヴ

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2020/08/04 (火) ~ 2020/08/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 一見、凡庸の一言で片付けられてしまいそうな(追記2020.8.15 )

ネタバレBOX

価値観と世界観に生きている日本の庶民、無論、そんな凡庸な人々も、否人々だからこそ小さな幸せを求めて奮闘している。その必死な有様をその発想の凡庸と類型的な思考・行動パターンに載せて終盤迄引っ張ってゆく力業。当然、アルアル感満載な悲喜劇が展開するのだが、この作業の中に緻密に伏線が敷かれ終盤一気に爆発する。このような作劇法はありそうで滅多に無い。役者陣の演技レベルも高く笑いの中に苦悩を忍ばせ、藻掻く姿に徒な夢を見せて作品に深みを与えている。興味深いのは、彼らの苦悩の原因を合理的・政治的に突き詰めない彼らの視座である。余りにもアカラサマな現実に目を向けず、鵺の正体を明らかにすることも目指さない己の姿とこの国を引っ張っているハズの総理大臣を始め、自民党幹部の能無しブリを見ようともしないことで自分たちが鵺社会を支えていることから逃れている。その根底に蜷局を巻いている蛇こそ、かつてはエリート中のエリートともてはやされたキャリア官僚の無責任・退廃だ!(言っておくがキャリア官僚は我々の血税から高給が支払われているから、いくら無責任とはいえ一捻り表現に「工夫」は凝らしている。で今回の新型コロナ対策でも現在既にエピセンターと化してしまったであろう東京・大阪のパンデミックに於いても、またここまでの過程に於いても対応を誤った人災という側面での追及をも逃れるつもりであったのであろうか、彼らの用いた常套手段とは即ち不作為である。こんな姑息な手段しか用いることのできない下種は他人の上に立つべきでないのは無論のことだ。まして我々が生かしてやっているのである。制裁与奪の権利を行使すべきであろう。政治屋にした所で同じである。彼らが使える武器、即ち金は、指示団体からのものなど極一部、大半は我らの血税である。これをこのような三枚舌の国賊に自由に使わせて良いハズは無かろう。一掃すべきである。日本という国が官尊民卑をいつの日からか定着させ民衆を臣民と為し皇天を自身が自らに敬語を用いるような人としてあるまじき「存在」と措定するのみならず、これを神格化し、姿を見た だけで涙腺が緩むような臣民と化したのだ。何をかいわんや!
ボス村松のプリズンブレイク

ボス村松のプリズンブレイク

ボス村松

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2020/07/24 (金) ~ 2020/07/25 (土)公演終了

満足度★★★★★

「ボス村松のプリズンブレイク」2020.7.24 15時
表題作の他4篇。都合5篇の短編が上演された。

ネタバレBOX

上演順に1:「ボス村松のバカンス」2:「ボス村松のプリズンブレイク」3:「屋代秀樹の積層冥界波(作・屋代秀樹日本のラジオ)」4:「ボス村松のピクニック」5:「ボス村松のエピローグ」
上演前から出演者が板上に上がって雑談をしているのだが、小ネタを上手に織り交ぜつつ、コロナ時代の我々の状況、演劇界の状況、上演時の手配の詳細(マスク着用、手指の消毒など余りに当たり前のことは省きつつ、常時換気については換気音が態々聞こえるようにしてあるなども解説、3密は避けてあるが、フェイスシールドは観客の意志に任せて使いたい方は使って下さい。というのもグー。ボス村松さん、暫くぶりに拝見したら、随分スリムになってらした。めちゃくちゃにシャイな方なのに、どこか自己主張したいところがあって、このギャップが彼の魅力だと自分は思っているのだが、作品のタイトルにもそれは現れていよう。1は、バカンスで出掛けて行く場所が面白いローカライズされた作品。2は、良くジョークで結婚を牢獄に例えるが、このことに纏わるオハナシ。3は、作者が異なるので使う小道具等も違ってくる所迄含めて面白い。因みに猿蟹合戦がベースのスペースファンタジー調コメディ。4は、台詞を翻訳劇風に創った作品。5は、1と微妙にシンクロしつつ、他の3作品をサンドイッチした作品で、コメディでありながら、ホントにこのようなことがあったら実に深刻という内容を孕みつつ全作品を統括し、而もキチンと1とシンクロしつつオチに繋げている所は流石である。
おくすり、ひとつ

おくすり、ひとつ

法政大学Ⅰ部演劇研究会

YouTube Liveにて上演致します(東京都)

2020/07/17 (金) ~ 2020/07/20 (月)公演終了

満足度★★★★★

「おくすり、ひとつ」法政大学Ⅰ劇 2020.7.17 19時 オンライン
 タイトルが粋。

ネタバレBOX

 日本の若者が今、自分たちの総意を成り立たせ得るコンセプトがあるとすれば、それは愛ではなく、優しさであろう。今作は菩薩の心を若者の感性が表現した作品と言えよう。
 知られているように菩薩は仏陀の下位に在る。即ち衆生の修行する姿を現す。自分流の解釈は以下の通りである。菩薩とは何より肯定してくれる者のことを言うのだろう。どんな人間をも存在していて良いのだと肯定してくれる温かな存在、それが菩薩の本質だ。蠅のようにいやらしく纏いつき、こちらが弱れば耳と言わず、鼻、目と言わず、口と言わず傷口と言わずあらゆる所に食い込んで舐め吸い齧り尽くす彼らのような存在であっても、その体温で温めてやる存在、それが菩薩というものの命が肯定される条件だ。何と恐ろしい使命であることか? どれだけの者がこれほどの苦行に耐えられよう。だが、宇宙にはこんな苦行すら甘く見えるような苦しみが未だ山ほどあろう。恐らく、仏とはそのような試練にも耐えて尚本質を見失わない精神を指す。自分如き、仏どころか菩薩道を歩むことすらなるまいが、人としてこのような光明を見失うまいと心に留めることはできる、若者たちの健全で柔らかな精神が、このような夢を持ったまま、現実にこの日本の地獄という現実を生きて尚人間性を保とうとしているとすれば。そんなことを老いた自分にも感じさせる作品。
 作品の状況設定を、現実にSARS-Cov2に対する政府・官僚・各自治体の非科学的・非合理的、要するにアホな政策の下に強制された現行政策の下で組まざるを得なかった状況でキチンと内容と表現方法を一致させた頭の良さと柔軟性にも拍手を送りたい。流石に法制Ⅰ劇の作品である。惜しむらくは、恐らく髪の毛の揺れる影響であろう。動画の髪の毛の部分に揺らぐ所があったのは、ひっつめるとかで何とかした方が良いように感じた。まあ、1~2分拝見している間に気にならなくはなったのだが。
天神さまのほそみち

天神さまのほそみち

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2020/07/03 (金) ~ 2020/07/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

「天神さまのほそみち」2020.7.10 19時 ザ・スズナリ

ネタバレBOX


 別役実さんの脚本、1979年に文学座のアトリエ公演として初演は上演されたが不条理演劇と称される別役戯曲は寧ろ現実そのものである。ベケットやイヨネスコの作品がそうであったように不条理と称される演劇作品の傑作が未だ上演され続けていることをみても決してこれらの作品が荒唐無稽ではないことを明かして居よう。寧ろ余りにも正確に現実に我々が生きている社会、生きてきた社会を映し出しているように思われる。今作も無論例外ではない。日本の本質を鋭く抉り取っている作品である。主たる登場人物の内、自分が最も注目するのは弟である。何故なら彼は不作為の主体だからだ。日本の社会が鵺のようであるとの指摘は己の頭で考えることのできるまっとうな知識人なら誰しもが気付く点であり、この捉えどころの無い妖怪の論理に有効な解答を与えることが出来なかったのが現在までの知的状況だと思われる。無論、此処には演出した坂手氏が指摘するように天皇制の影も見ることができよう。何となれば鵺即ち訳の分からなさであれば、天皇制のみがそれに拮抗する日本的伝統だからである。無論、自分ここで伝統と言っているのには訳がある。
 少し脱線してみよう。日本に市民は殆ど存在しない。大多数は臣民、こう言って悪ければ畜人、或いは奴隷乃至政治的愚衆である。これは江戸時代と変わらない。江戸時代、政治・経済の中心であった江戸に住む庶民とは、士農工商のうちの工商である。商人は大名に金を貸す社会上層部の人士も居たが、人数の大多数を占める工は職人であり、落語に出てくるように読むことや書くことが出来れば、職人としては仕事の出来ないミムメモ(間抜け)であり、算盤迄出来るということになれば、これは半人前を絵に描いて壁に貼り付けたようなウツケ、本人も周りには、半人前として自己紹介する有様であった。即ち知は、仕事が出来ねえ癖に、訳の分からねえ能書きを抜かす間抜けのスットコドッコイだったのである。然し、ホントにそうであろうか? 知は、未知を切り裂く光である。それを理解できないのは。人口の大多数を占める大衆が単に政治的愚民だったからに過ぎないのではないか? 今作で描かれる一見、スラップスティックな「不条理」は、愚衆がそのように解釈するだけであって、日本社会の在り様の本質を捉えているのではないか? 第一段落で、日本には市民が殆ど存在して居ないことを述べた。市民とは、言うまでもなく、民主主義の根幹を為す存在であり、民主主義の根本的イデオロギーを体現する為には命をも賭ける人々である。為政者が市民の価値観を蔑ろにし、弾圧すれば革命を以て応えることを当然の権利として主張し得るだけの見識と己の頭を用いて真摯に思考するだけの知恵と能力を具えた人間である。この定義に当てはまる日本人は残念ながら殆ど居ない。居るのは先に挙げたような不作為の人間ばかりだ。不作為が世の中を鵺化し、鵺社会が伝統のみを根拠とし一切の合理的見直し論や、システム化を阻む愚論を正当化する。これこそが天皇制の正体ではないのか! ということを描いた作品だと坂手氏は考えたのだと理解した。
自分は、その鵺構造そのものを時に利用し、無責任に自らの人間的価値を滅却する姑息な手段として用いつつ、多数の側に立つことによってただ、理想もなければ己の生きる意味すら掴もうとはせぬ奴隷根性で目先の利便性や利益だけに左右される手品師として日本人の大多数が規定できてしまうのではないか? という恐れに悲しみを覚えるのである。偶々、「伊丹万作エッセイ集」という本があるのを知った。このエッセイ集の中に『戦争責任者の問題』という一篇があるそうである。読んでみたくなった。
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 14日目 2020.7.⒓ 14時半
本日の公演は、シアターXIDTFの中核で活躍していらっしゃった4名のアーティストに捧げられた4作品だ。総合評価5つ☆

ネタバレBOX

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 14日目 2020.7.⒓ 14時半
本日の公演は、シアターXIDTFの中核で活躍していらっしゃった4名のアーティストに捧げられた4作品だ。

Ⅰ:ケイタケイさんによる「やぶれ凧」は、故・遠藤啄郎さん(横浜ボートシアターを主宰した演出家。今年2月7日に亡くなられた。)に捧げられた作品だ。
ザックリした衣装は、袖も極めて広く取り、斜線を大胆にあしらった野趣を感じさせる優れもの。ダンスも豪快、大胆且つ野性味に富んだ踊りの随所に取られる静止の瞬間や飛躍が、ダンス自体を大きく強く感じさせると同時に、破れた凧を表象する布地から編み糸をほぐす作業も、大胆と野趣の央(さなか)に静寂を感じさせ、更に破れた物によって敗者の哀れみすら感じさせる。
ものの哀れといえば、多くの人は「平家物語」を想起するかもしれない。義経は京都の鞍馬山で天狗から様々な術を伝えられたと伝えられ、その身軽さは教経に出会った際の八艘飛びでも称えられる通りである。然し、義経は悲劇の英雄でもある。実兄頼朝に追い詰められ、殺されたのだから。チンギスハンが生き残った義経の後の姿であるという伝説迄生んだ、この英雄譚と栄華を誇った平家滅亡が齎した絶望が生んだ風に乗って凧は飛んだのか? 信長によって二度の伊賀攻めを受け多くの下人を失った忍者集団の悲劇をも自分は想像する。かつて忍びは大凧に乗って空を舞ったという漫画に表象されるように、コントロールは難しくとも揚力が重力を上回れば良いだけの話だから飛ぶことは原理的に可能であろう。何れにせよ、勇壮をも感じさせるダンスは見事であった。5つ☆

Ⅱ:武井よしみち+ブルーボウルカンパニー‘96演ずるは、及川廣信さん(アントナン・アルトーの思想に着目し独自のメソッドを開発、マイム界に貢献したダンサー・演出家。バレエTOKYOを結成したことでも知られる。2019.9.5に逝去された)に捧げられた作品・足が耕す表現の世界「災害の国ニッポン」。
武井さんご自身は、ちょっと変わった表現方法で作品を制作なさってきたが、近ごろは、足が生み出す音やリズムが都市文化と如何様に関わってきたかをテーマに制作なさっている。タイトルが揮っていよう。Ⅰつ音を変えるだけで、ヤプー{無論、沼正三作の家畜人・ヤプーのこと(奴隷としての精神構造を持つ日本人のパロディだ)}が大好きなSAIWAIに変じてしまう所など痛烈そのもののアイロニーだ。そういえば、現代日本を見事に映し込んだような「阿保船」(1494年、ドイツのバーゼルで出版された風刺文学、作者はゼバスティアン・ブラント)の46歌に以下のようなものがあったので引用させて頂く。(引用は現代思潮社から1974年に出版された「阿保船・上巻」第2版 尾崎盛景氏の訳から)
46 阿呆の権力のこと
                   阿呆の女神のテントには
                    権力金力ある者が
                   先を争いたむろする。
阿呆が多いは困りもの、
自分のことには目が無くて、
力で利口になりたがる。
そいつが阿呆と知りながら
「阿呆なこと」と思い切り
言える者が誰もない。
大人物でとおるのは、
そういう阿呆がいるためだ。
誰もが褒めてくれないと、
しきりに自分で褒めそやし、
「自讃の口臭ぷんぷん」と
賢者に言われて頭かく。
自分を信用する者は
阿呆で愚かな木偶の坊、
知恵をもって行く者は、
いつでも人に褒められる。
知恵ある君主(*主の上に傍点)に恵まれて
会議も正しく催され、
必要以上の欲望を
求めぬ国は幸いな。
君主がいまだ幼くて、
諸侯が朝から会食し、
知恵を少しも顧みぬ
そのよな国はふしあわせ。
知恵さえあれば幼君も、
先のことを考えぬ
愚かで老いた王よりも
国のためには幸いだ。
阿呆者が栄えれば
正しい者には世はつらく、
阿呆者が滅びれば
正しい者はしあわせだ。
正しい君主をいただけば、
全土に名誉が満ちわたり、
愚かな君主が座につけば、
人も国も救われぬ。
公正期する法廷で
縁故やパンの一切(れ)で、
正しい事や真実を
見失うのは間違いだ。
裁判官は偏らず、
賢者の公正期すべきで、
裁きに私情は許されぬ。
気まぐれ暴力スサンナの
よろめき裁判跡絶たぬ。
正義はまこと冷厳だ。
二本の刀はさびついて、
鞘からどうにもぬけないで、
いざというとき切れはせぬ、
正義もめくらで死んでいて、
何でも金が第一だ。
ユグルタ、ローマを去るときに、
「おお、金の町」とこう言った、
「もしも買手が出てきたら、
王手でたちまち詰んだろう。」
賄賂を進んで受け取って
不正を働く町々が
一つや二つじゃなさそうだ。
モーセの義父が言ったよう、
謝礼や縁故は真実まげる。
情実、嫉妬、金、力
それは学芸、法の敵。
諸侯もむかしは賢くて、
家来も経験積んでいた
いずこの国も幸福で、
罪や咎は罰せられ、
平和で静かな御世だった。
今は阿呆が陣取って、
戦をしようと待ちかまえ、
諸侯も軍もそのために
知恵も学芸も放棄して、
ただ私利私欲を追い求め、
幼稚な家来を侍らせる。
嘆かわしくも世は乱れ、
暗い影さす、先の世も。
阿呆が権力持つためだ。
もしも諸侯が賢明で
よくない家来をしりぞけて
正しい道を歩むなら、
治世も長く続くだろう。
贈与や謝礼をあてにする、
そういう家来にご用心。
貢を受ければしばられる、
贈り物には下ごころ。
エホデはエグロン刺し殺し、
デリラはサムソン裏切った。
アンドロニクスが金杯を
受けてオニアス殺された。
贈り物に惑わされ、
同盟破棄したベネハダデ。
またトリフォンは、そのむかし
ヨナタスをだまそうとたくらんで、
彼の信用得るために
贈り物をつぎこんだ。
(*翻訳の中に現在では差別的とみなされる表現や、誤表記と思われる個所があるが、総て書籍の表記に従っているのは、著作権等などを尊重した為。傍点を注で記した箇所もある。)
如何であろうか? 第2次世界大戦へ至る過程や、現在、我々が体験して居る、より正確に言えばさせられているF1人災を誤魔化す為のアンダーコントロール発言をする行政トップや、今回何の科学的合理性も根拠も無い自粛要請(実際には、自らの頭脳を用いて考えることもできなければ、ファクトを見極める為のメディアリテラシーも持たず、報じられる情報相互の矛盾から正しい情報を演繹する知恵も持たぬどころか、フェイクに踊らされて、真実を述べる人や正しい判断に基づいた行動を採っている人々に対するバッシングなどを繰り返し、恰も正義の士であるかのように自己欺瞞を押し通す愚か者に満ち満ち、自然災害以上の災害・害悪を齎し続けている「国」のマジョリティーである臣民による多数決を根幹に「民主主義」と恥ずかしげもなく言い募る呆阿(単純に差別語にならぬように逆転)たちがこぞって選ぶ為政者トップ、及びその選者たちを「選挙」で選んだヤプーたち。当に災害の国・ニッポンである。5つ☆

Ⅲ:松永茂子さん演ずる「無垢なる空想」は、師の石井みどりさんと世界各地で公演をなさった舞踏家(故・折田克子さん2018.10.5に逝去された)に捧げられている。
 しっかりした身体の動きだが、個的な念を更に一般化し得ると更に作品の魅力が増すように思う。観客に対して、観客が想像力の種を更に拾い上げやすいような演出とストーリーテリングで具体的な核となるようなもの・ことを埋め込んでおくと訴求力が更に大きくなろう。折角、これだけの動きができるだけの鍛錬を積んで居ながら、自己表出の要諦と世界即ち状況に対する認識が、余りに2人称的なのではあるまいか? 世界に対しては1人称の己がただ孤独に対峙せねばならぬ。それも表現する者の務めであろう。華4つ☆

Ⅳ:シアターXTDTF2020国内アーティストのトリを飾ったのは、むつみ ねいろさんお2人の演じた「夢で会いましょう」。今作は、今年1月8日に永眠された大野慶人さんに捧げられた。慶人さんについては、自分如きが一々説明する必要はあるまい。大野一雄さんのご子息である。
尚、むつみねいろさんらは、2016年、東墨田にギャルリ雨を立ち上げ、ダンス公演、ワークショップ開催の他アーティストレジデンスとして運営中。
 登場の瞬間から観ているこちら側にも異様なほどの集中が自然に起きた。いきなり前のめりになって見入ってしまったのだ。かなり大きな鍋を両手で抱え込むようにして舞台にしじしず登場した女を庇うように小振りの傘を翳して男が矢張りしずしずと入ってくる。男は奇妙奇天烈なヘアスタイルだ。両側面の髪を斜めに跳ね上げ、真ん中つまり頭頂部は「子連れ狼」の大五郎の頭のようにちょこなんと髪を残している。2人は、実にじっくり進んでゆくが、自分はこの動きを拝見しながら、傘と男の役割を理解したように思った。考えてみれば、人は上から落ちてくるものに対して殆ど無防備であると言ってよい。男はそのような危険に対し、傘を翳すことで女を護っているのである。緩やかな道行きの中で女はそれを理解し、安心する。板中央に到達するまでに女は、鍋から花びらを少し取り出して撒く。これは男を受け入れても良い、という合図だろう。所謂粉を掛けたということだ。舞台中央に着く頃には、すっかり信頼関係が生まれ、2人は床にしゃがむ。女は鍋に暫く顔を埋め、その後、花びらを取り出しては、男と交互に周りに撒く。傘も既に床に置かれているのは、2人が一緒にとても幸せに生活をしている様を現していよう。花びらを鍋から取り、撒く時の量は、男が女の3倍くらいだ。これは、食べる量の差を現しているのかも知れない。ややあって女は、上手奥の側壁脇に動き、蹲ってしまう。其のまま動かない。暫く動かなかった男はやおら立ち上がり走って、遠くへ何かを投げるような動作をするので、観客は、何か男と女の間に諍い事が起こって女が男の下を去ったか、凶ごとが起こって下手をすれば、女の命が失われたか、と心配する気持ちにさせられる。暫く緊張の時が流れる。と、いきなり女が立ち上がり「ごはんよー」と叫んで舞台上を駆け回る意外な展開で観客は一安心させられる。実に息のあった見事な公演、照明の素晴らしさは以前にも書いたが、今回もその素晴らしい照明と2人の演技が相俟って展開、更に音響の使い方も実に上手く公演中の時々刻々総てに心地よい緊張感と刺激、想像力の種が開花の瞬間の有様を過不足なく観せてくれた。流石トリを飾るだけの作品と演者であった。その後、“ダニーボーイ”が流れる中、何とも言えぬ余韻を残しながら終。華5つ☆+スタンディングオベーション。
 ところで、外国人グループ参加の公演は9月開催予定。お見逃しなく!
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 13日目 2020.7.11 14時半
本日も3組の公演である。総合評価5つ☆

ネタバレBOX


Ⅰ:「この子が無事に帰るまで」は、藤田佳代舞踊研究所のダンス。出演は、向井華奈子さん、金沢景子さん、菊本千永さん、かじのり子さんの4名。
アゲハ蝶の幼虫が蛹になる場所を求めて彷徨い歩く様を描く。確かモーリス・ブランショだったか“彷徨とは死である”と言った人が居たな。今作はこのアゲハの幼生をかつて命であった者たちが優しく庇護するように付かず離れず見守る様を幻想的に描いた作品である。Paul Valéryの“Eupalinos ou l’Architecte”(ユーパリノス或は建築家)の中にソクラテスが冥界に在ってユーパリノスに対して、既に肉体を失った自分たちは現実に対して実際には如何なる関与も為し得ないことを語るシーンがあるが、かつて命だった者たちの幼生に対する念もこのように切なくもどかしさに満ち、切ないものであるだろう。この切なさをも表象し得たような白の頭巾、ふんわりその化生を覆う上着にゆったり裾幅の広いパンタロン。白足袋の衣装センスも流石神戸の女性のセンスの良さを感じさせる。これに対し、幼生を踊った女性は裸足、カーキ色のざっくりした上着に黄土色のパンタロンで生きる者、生きている者の生々しさを対比するように表現。羽化へ向かっての道程を即ち新生の為の仮死を得る為の道行きを客席に降り彷徨することで描く(正確には這ってというべきか)。5つ☆

Ⅱ:「ムシムシメヅルシ‐Bye o! Hi story-」と題された今作を演ずるのは、劇舎カナリア。カナリアは無論、炭鉱で有毒ガスの発生を知らせる為に坑道に連れていかれたカナリアのことであるが、今作は自死した加藤道夫氏が戦中書き上げ仲間に上演してみせた作品「なよたけ」の意味する所を、文学表現とは“問いである”という観点から再構成した作品と解釈した。
内実は、日本という国が「国」になった過程、即ち来るべくして来た敗戦という地獄への道程だ。幕末は吉田松陰の「幽囚録」により明治期以降は福澤諭吉の強兵富国を目指し天皇制を利用した脱亜植民地主義。(福澤は一般に言われたり思われているような民主主義者ではない。それどころか、「他者を支配するのは“人間最上の愉快”」と公言していた男である。それをすり替えたのは、丸山眞男である。丸山の狡さは、自らが学生を戦地に送り出したことに言及も自己批判もしていないことに見えるばかりではなく、広くは大日本帝国の戦争責任を曖昧化することで、同様に加害者責任を無化した日本人前半を学問的権威として寄らしめる思想的根拠とせしめたことにある。日本という国に住み、生活をする人々は、事実を直視することを嫌う。現実を終戦と呼び変えたり、“過ちは繰り返させませんから”と記すべき所を「過ちは繰り返しませんから」と書いたりする欺瞞の根底にあるもの・ことを明らかにするべく演じられたと解したわけだ。この現実、即ちこの「国」の為政者の無能・無定見・無責任・不作為を為さしめる、或は可能にしているもの・こととは何か? である。戦中大本営は、現実も現場をも観ず、経済的規模も考慮せずに、空中楼閣の如き作戦とロジスティックもまんろくに整えぬ馬鹿げた戦略・戦術を強行することによって完敗を喫した。無論、これを可能にしたのは、表面的には精神論という空論に身を委ねたからだ。つまり客観性を担保しない、事実を見つめ、事実のみを根拠に演繹・帰納し判断を下すという正常な思考を欠いたからであるが、この同じ過ちをCOVID-19対応でやらかしているのが、現在の日本である。前にも書いた通り疫病に対する基本的対応は、罹患した者と非罹患者を分離することである。其の為には、徹底した検査をしなければならない。今回、有効だと初期段階から気付かれていたのは、PCR検査及び抗体検査であった。無論、パンデミックの原因とされた今回のSARS-Cov2の特徴や性質を明らかにすべく研究も同時に全世界が協力して行わねばならぬことは当然である。トランプの如きアホな陰謀論者の世迷い事がナンセンスなのは無論のこと、日本の文科省や厚労省が自分たちが責任を負わないで済むように官僚の常套手段・不作為を決め込み、大学研究室や、国内の関連研究施設に出向いてすべき研究を邪魔したことなども挙げねばならぬ。当然のことながら、行政の長を初めとする為政者は、その感染拡大阻止に向けて素早く的確な手段を講じなければならなかったが、科学的知と合理的・実証的思考を持たず、事実及び現場を観る目に欠け、責任の何たるかを全く理解せぬばかりか何の為に自粛要請せねばならぬかの意味にすら気付いていたとは思えない想像力の圧倒的欠如がこれを阻んだ。
かなり早い段階でパンデミックとWHOのテドロス事務局長が敢えて言揚げしたにも関わらず、パンデミックという単語の意味する所、即ち現時点で世界中の誰もSARS-Cov2に対する有効な防護手段を持ち合わせていない、ということの意味する所が分かっていないという愚かさを曝け出してしまったのである。この点をキチンと理解していれば直ちに緊急事態宣言を発し、有効視された2つの検査を実行していたであろう。また、感染経路もプライバシーの保護方法を具体的に提示した上で強制的に個々人の移動経路が把握できるような手段を講じたハズである。それが出来なかった最大の原因は、政府トップ以下、高級官僚、検察、上級司法、専門家と呼ばれる御用学者、マスゴミ等々が結託して嘘を補完し、フェイクを垂れ流したのみならず、それらの事実を隠蔽する為に更らる嘘の上に嘘と詭弁、証拠隠滅等々を繰り返してきたからであり、この事実をも秘密保護法や共謀罪でガードしているからだ。一方この事実に警鐘を鳴らした良心的メディアやジャーナリストらが、公安とグルになった政府や権力機構、それに癒着して甘い汁を吸う下種共の結託によってデッチ上げやいちゃもんによる(別件)逮捕、家宅・事務所捜索などによる反論封殺を着々と進めていった。この件については残念乍ら、彼らに好い加減な情報を流した者が誰であったかについても我らは立ち止まって考えるべきであろう。と言うのも、伊丹万作が死の直前の1946年に書いた有名なエッセイ「戦争責任者の問題」が指摘している通り、実際には戦争に協力し、推進していたのが誰だったかは、改めて注意深く検証する必要があるからだ。というのも当時、ただ他の人と異なる服装で外に出るだけで非国民扱いし、眉を逆立てたり、非難の目で見たりして、ただ皆がそうしているからという理由だけでそちらの側に属しているフリをする為にこそ、皆と同じ服装をして内心他人を軽蔑することまでも全く同じ誰とでも交換可能な程己の命を軽くしてしまうことを選択した癖に、何ら個性の無い、つまり数に過ぎなくなった己が命を護る為だけに利己主義に走りガードを固める因循姑息な非人間性を隠した卑劣な隣人、車内・社内・学校・商店街等々に溢れ返る同胞であった事実を思い出させる。この戦前・戦中の日本人の態度とCOVID-19蔓延下での“自粛警察”を名乗る同胞は本質的に全く変わらない。
また為政者たちは、ただ家系とこれまでの人脈、そして鵺社会を構成している不作為とそれを支える権威としての(大戦中は天皇制/現在では東大文一出、国家公務員試験総合職試験、上級甲種試験、I種試験等に合格など学歴「エリート」とされるキャリア官僚、新自由主義富裕層)の下に臣民、社畜・ヤプーなど奴隷精神に特徴付けられる人々がひれ伏すことによって維持されている。徹底して追わねばならなかった感染経路も、嘘ばかりつき、自分たちに都合の悪いことは、議論した経緯すら文章化しない。或は隠蔽し、廃棄して答えない等々を積み重ねられては、いくら「国民」奴隷根性に満ちていても政府を信用する訳が無いから“プライバシーを守ります”などといくら政府がほざいてもヤプーでさえもいうことを聞かないことがあるほどに信用を失墜させた。更に直接民主制が、この「国」では法的に認められていないから小市民らは現行制度下の選挙に行く。だが現在の小選挙区;比例代表制では民意を反映しないから、アホな二世議員、三世議員が幼稚極まる「政治」を司っている末期的状態すら改善できない。更に悪いことには、この国には市民が殆ど存在していない事実があることだ。市民は民主主義の種子である。この国に存在しているのは、市民ではなく、ヤプー、奴隷、臣民、下種ばかり。これでまともな国などできるハズもない。今作はこの事実を問いという形で発している。
さてここでもう1度戦時中だ、実権力は陸海軍に移行しており、特高などの秘密警察の監視下、臣民は喜んで“非国民”を炙り出しては密告を重ねた。挙句の果てが、広島・長崎にタイプの異なる原爆を落とさせたばかりか、ABCCによる被爆者モルモット化による実証研究迄為さしめ、更にソ連の原爆開発以降の冷戦下に於いてアメリカが、何処にどれだけの規模の原爆を落とせば敵の戦力を奪えるかの基礎資料として、広島の小学校の生徒たちの犠牲をデータとして用いていたことも明らかにされている。特高などを管轄し関東大震災時には、朝鮮人虐殺にお墨付きを与えた正力松太郎は、ポダムという暗号名を持ったCIAエージェントとして初代科学技術庁長官、読売新聞社主として原発推進キャンペーンに邁進するなど日本の原発推進に絶大な力を揮ったことは、誰もが知る事実である。
5つ☆

Ⅲ:「ムシ to be continued」は、江原朋子さん、高田清流さん、鶴田聖奈葉さん、ノムラヒハルさん、渡部早紀さん、Atsukoさん、堀江進司さん、三浦利恵子さんの出演。江原さんが蟲愛づる姫となり、他の総てのメンバーが個性豊かな自分自身を殆ど即興で踊ることによって、蟲たちの多様な在り様と生き様が、実に楽しくまた個性的に表現されており、用いられている楽曲のうち1曲だけが長谷川千賀子さんの作曲になる以外はポーランドの曲で、東欧の文化国家ポーランドの不思議な音楽が個性的でリズミカルで而も多様性に富んだダンスと実に良く呼応し合って、誰もが楽しめるユーモラスな作品に仕上がっている。5つ☆
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 ⒓日目 2020.7.9 19時
本日も出演は3組、総ての演目がソロである。(追記後送、全体評価華5つ☆)

ネタバレBOX

Ⅰ:「想」は手柴孝子さんのソロダンス。石井みどりさん・折田克子さんへのオマージュと見た。(5つ☆)
Ⅱ:長谷川康志さんによる朗謡「胎内にみる四億年前の世界」は、解剖学者・三木成夫さんの「内臓とこころ」を通して個体発生が系統発生を繰り返すという事実を証立てる朗謡である。解剖学者ならではの実証をベースに受精31日目から約1週間の間に人間の胎児が、海水の成分によく似た母の羊水の中で如何様な変容を遂げるのか、米粒程度のサイズの胎児が勾玉のように頭部を体の内側へ曲げた状態にあって、ラブカのような鰓を首に持つ時、その顔はどんな姿をしているのか? その翌日は? 僅か1日の間にどのような変容を遂げているのか? 更にその翌日は? 胎児が凄まじいスピードで先祖が辿ってきた進化の歴史をなぞってヒト型になるまでのどの辺りで母体はつわりを生じ、その時の母の表情はどのようであるのか? 等々が、三木博士の観察を基に綴られ個体発生が系統発生を繰り返すドラマが迫真のリアリティーを持って迫ってくる。(5つ☆)

Ⅲ:Mikaさんのダンス「Latin FANIA」は、大野慶人さんが彼女のダンスパートナーに贈った杖を用い、キューバの病と医療を司る神・ババルアジェを踊った。個人的な話題になって恐縮だが、舞台を観、リズムに乗り乍ら、体が勝手に反応する。そういう次元のパフォーマンスであった。評価等糞喰らえ❕ なのだ❕ この踊り(ダンス)は、ダークマターがその殆どを占める宇宙に於いて光に吸い寄せられる命の余りに哀切な関係をダンスという形を通して直接化し得た稀有な、命そのものの例である。伝説の舞台・土方巽さんの生舞台を拝見していない痛恨の記憶が、今作を拝見し得たことによって、自分の人生の中で少しだけ軽くなったような、つまりこの舞台自体が新たな伝説になるような舞台であった。よって☆は、コリッチの評価には存在していない。華6つ☆だが、存在していないので現実に表すのは華5つ☆+スタンディングオベーション。後記:これ程素晴らしい踊りなので寿がれる神の退出と共に、演者も消え、アフタートークにはいらっしゃれなかった。このような謙譲も我ら愚かな人間には生き方として必要と思われる。三千程度の生舞台は観ていると申し上げた、そのうち、観劇後、椅子から立ち上がれなかった程のショックを受けた大阪の劇団Mayの作品「風の市」と、意味内容は対照的であるが、今作は双璧を為す。表現する者達の本質に根差した力を体得させるに充分な舞台であった。
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 ⒒日目 2020.7.7 19時
(追記7月8日02時39分、七夕公演 全体評価5つ☆)7月9日は19時からの公演 

ネタバレBOX


1:望月太左衛社中 剣伎衆かむゐ&剣伎道。演ずるは、和楽器が彩る剣伎・侍魂「未来へ~Samurai still exist」自分もそれなりに和楽器は拝聴してきたつもりであったが、今日初めて聴く音も多く、最初に用いられたのは空気をまさしく切り裂くような音を発する笏拍子で、これには度肝を抜かれると共に、かむゐリーダーの島口哲朗さんが上手ホリゾントの奥から舞台中央へ隙の無い登場を見せるシーンは慄然とするほどの気を内に秘め、正しく武人を見た思いがした。

 終演後に伺ったことを基に書くと、メソッドとして剣伎道を創設しそこに殺陣、居合、新陰流、空手やマーシャルアーツなどの要素を織り込みつつ舞うように演じているとのこと。どんな格闘技も基本は、間合いを見切る動体視力、己の力を最大限に・或は殺して常に重心を安定させスムースに移行・受け即攻めに転じる動作にあるが、攻めでは無論最大限の力を効果的に用いる。実際の戦いはままごとでは無いから、自分が死ぬかも知れないし相手を殺すかも知れない。日本刀は剃刀程に良く切れる。

 一方東洋の哲学は、陰陽五行説に負う所が大きく、陰陽・五行共に有為転変の関係を現す、同時に仏教による六道輪廻なども転生という考え方は人間中心の発想と異なり他の生き物との関係性を説いている。更に老荘の思想は、無為自然・柔弱謙下という言葉にも示されているような摂理を活かす思想であるから、宇宙的エネルギーを気として己に取り込み、これを上手にコントロールしながら用いることに繋がる。無論、物理学的な説明も可能である。武道の達人の動きは、皆一つの例外も無く、最も合理的な動きになる。琉球舞踊も基本は武術、殊に王を護って外交などにも重きを為した王族出身の高級士族には必須の素養であった。実際格闘技としても強い。

 ところで今作は、舞台芸術でもあるので、武術だけで成り立っている訳ではない。人として守るべき矜り、道を究める為に払わねばならぬ大きな犠牲、他人の痛みを知り生きる哀れを知る仏性、決断する勇気、そして総てを統合し判断し責任を負う覚悟及び判断し実行する行動力を統合した生き方。これこそまさに武士道の理想であろう。この理想を台詞無しで見事に伝えているのは以下のシーンだ。未だ5つ位の男の子とその母が2人の武士に追い掛けられて客席方向から登場する。敵う訳が無い。子供は腰に刀を帯びてはいるものの小刀である。母子は当初、切り掛かる刃を躱すが、遂に追い詰められ、子を庇った母は、先ず浅手を負ったものの子を覆うように庇いながら向かい来る武士の1人に子の刀で応戦、傷を与えた。然しそれまでであった。母は子を庇ったまま、惨殺されてしまった。2名の武士は更に子を追って迫る。子も武士の子、落ちた小刀を拾い上げて応戦している所を1人の武士が通りがかり子を襲っていた2名を斬る。子は母の遺体に追い縋って悲嘆にくれていたが、やがて助けてくれた武士を頼り去った。青年になった子に稽古をつけている件の武士の様が描かれ、力をつけてゆく若武者の姿の後、更に腕を上げた青年と育ての親が木剣で試合をしている。青年もかなりの腕になった。武士は真剣に持ち替え、青年にも促す。青年も真剣を持ち、戦いが始まった。一番勝負では一瞬の隙を突き武士が青年の右二の腕を切った。一旦、参りましたの所作があって二番目の勝負、義父が撃ち込んで来る所、胴を払って青年が勝った。青年が大人になる為のイニシエイションと取っても一子相伝と取っても良かろうがこの流派が継承されるシーンも実にドラマチックだ。

 武士の妻や娘のたしなみである長刀の剣舞と殺陣も披露されるが、長刀の柄の先には赤い房紐が付けられ女性の剣技を実に華麗なものにしているのもオシャレ、更に数歳からミドルティーンに至る多数の女子剣士、男子剣士を交えた群舞も見事である。流石に国際的な舞台で賞も受賞しているだけの実力者グループ、新型コロナで練習・稽古の時間も中々取れず、皆で集まることも殆どできなかったということが信じられない見事な剣技・舞台だ。感心したのは、メンバー全員が、謙虚で爽やかな集団であることだ。無論、様々な和楽器など(和太鼓、鼓、雨団扇、和鈴、二胡、横笛、尺八など)の演奏でアクションを盛り上げて下さった望月太左衛社中とのコラボも素晴らしい。華5つ☆
Ⅱ:こかげ舎による演劇公演「いまはむかし(虫愛づる姫とノア博士)」出演は、ノア博士に小林拓生さん、虫愛づる姫に佐々木和子さん、ちょっと変わった楽器・GANKなどでの演奏に中馬美穂さん。GANKは、耳慣れない楽器だと思うが見た目は、ちょっとへんてこりんなUFOとか、炊飯ジャーのような形の楽器でプロパンガスボンベの材質を用いて作られ、その上部のあちこちに逆Uの字型などの溝が彫られていて、その溝の幅や長さなどによって異なる音が出る。奏法は木琴のように叩いたり、こすったり色々だ。何れにせよ、中々不思議で魅力的な音が出、形もユーモラスなので一度調べてみると面白かろう。脚本は、姫を演じる佐々木さんが書いた。一応、環境破壊を重ねた人間の愚かさが招いた近未来を舞台にしたディストピア作品ということが出来よう。理性的に考えれば、人間が今のように愚かな生き方を続けてゆけば誰が考えても地球に未来は無い。このことは余りに明白である。因みに地球上で起こっている波や風は地球に注がれる全太陽エネルギーの僅か0.2%の影響だ。一応述べておくと日本政府がF1人災後もベース電源として強力に推し進める原発は、100万KW級1基で1秒に70トンの水の水温を7℃上げる。70トンの水量とは多摩川と荒川2本の川の流量/secを合わせた程の膨大な量である。温められた水の中に溶け込んでいたCO2も当然蒸散する。馬鹿な話ではないか。言っておくがこれはほんの一例に過ぎない。誰も問題にしないが何の役にも立たない煙草もCO2を輩出している。税を高くすれば良いという問題ではあるまい。
 物語に戻ろう。今作では主に温暖化によって極の氷が溶けだし水位が高くなるのみならず、高温化によって降雨量が全地球規模で極端に増加した結果、生物の大量絶滅が起きる世界に突入する前夜譚として話が進行するのだが、興味深いのは、AIの発達によって人々は、大量データの処理をAIに任せっきりにしていた為、真に優秀で発想にユニークさや飛躍力のある知恵を評価し得なかった頃のデータが基礎データとしてインプットされていなかったが故に姫のような本質的で独特な発想のできる有能な研究者はリストラ対象となりラボを追われていた点である。ノア博士も解任の憂き目に遭った。こんな事情からノア博士はかつてのラボで自分の下に居た最も優秀な研究者である姫の所へサジェスションと別れの挨拶をしにやって来たのである。博士はラボを馘首されたから、単なるノアに戻っており、ノアは、地球上の虫以外の総ての生命を護る為の箱舟を作り、姫には虫の為の箱舟を作って欲しいとの依頼に訪れたという訳で洒落の掛かった落ちになっている。劇中、歌で表現するシーンがあって佐々木さんのソプラノと小林さんのテノールがバランス良く、良い具合に響き合いこれも楽しめる場面となっている。5つ☆
Ⅲ:宇佐美雅司さんのソロ作品。作・演・出演総て1人でこなした。タイトルは「Listen to the He:art~愛でてエな~Need is Love」七夕の夕べ、織姫・彦星年1度の逢瀬の日、パンデミック・COVID-19の前に人類などと恰も連帯が生まれてでも居るかのような紛らわしい表現も馬鹿らしいが、殆ど世界中の為政者が、非科学的、非現場主義的、非合理的、非理性的判断によって舵取りを誤り、自らフェイクを撒き散らすTのようなウスノロ、パシリでミムメモのA、裏切りだけは一流のKらと、不作為によって殺人者となりながら、不作為故に罪を追求されない厚労省、文科省の高級官僚、経産省とその天下り先法人等々のトンネル組織。こんな連中とグルの政治屋、マスゴミ。こういった下種に媚びへつらい己の頭を用いて考えることのできない「臣民」くたばっちまえ! と小生は思うのだが、舞台人である宇佐美氏は、何とかこのめちゃくちゃを皆に欝発散の機会を共有してもらうことで発散してもらおうとでもしているようだ。自分と現実認識は可成り異なろうが、この意気を評価して4つ☆。

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 9日目 2020.7.4 14時半
 本日も3組の出演。(追記7月8日0時半 全体評価5つ☆)

ネタバレBOX

Ⅰ:小谷ちず子さんのダンス「わたく史」白い衣装に白の長い紗をたぐねて被り、上手客席側に左体側を観客に向け、膝を曲げ足先は床からやや浮く状態で丸めた体をそのままの状態で保っている。音響等は一切無い。この無音が緊張感を持続させ、舞台に集中させて良い演出になっている。かなり長時間この状態にあるが、足を衣から少し出し、足指を曲げたり伸ばしたりを暫く繰り返している。無論、羽化を現していよう。自分が小学2年の初夏、近くに自分の通う小学校より大きいかも知れない程の屋敷があったのだが、門を越えて書生に怒られないようその広く大きな門に繋がるアプローチで良く遊んでいた。偶々、そこに生えていた木の根元近くに蝉の蛹が上って来るのに気付いた。蛹の背を割り這い出した蝉は、浅葱色というのだろうか、黄緑のような淡い色で、羽はヒグラシやトンボの羽のように透き通っているが、蛹から出てきたばかりの時には未だクシャクシャだった。その体、目や頭、胴体や羽が徐々に堅牢になり、変色してゆく間に数十分は経ったような気がする。そんな時間の中で、殆ど動かず、只木に止まってクシャクシャだった羽を伸ばし、体色を徐々に変え、目の色も変わって頼りなげな印象を齎す弱弱しいものから逞しさを感じさせるものに変え、羽も遂には茶色になって馴染のアブラゼミとなった時には命の不思議、変容の凄さにいたく感銘を受けた。当時既に、アブラゼミの幼虫が土中でどの程度の期間を過ごすかと成虫になってからの寿命は当然知っていたから、猶更感慨を深くしたのであろう。

 ところで羽化後には当然生存競争が待っている。その葛藤がこの後のダンスで描かれるが、ラストには音響が入り、最初の形(今回は卵を意味していて体は観客席に真正面から向き合っているが)に戻って終演。最後だけ音楽が入ったのは、新たな生命誕生へのオマージュであり、体が正面に向いているのは生まれ、これから己がミクロコスモスとして生きて宇宙・マクロコスモスと対峙する関係性を現していると解した。
 それにしても、今シリーズで毎回感心しているのは、照明の凄さである。表現する人達の意図を実に深く、而も想像力の遠く迄キチンと計測してそれより一回り大きく深い闇と光の芸術を作り出しているのだ。この照明なしにこれだけの舞台体験はできない。華5つ☆
Ⅱ:山田いづみさんのダンス「ケラ鳴く道のいろは歌」
 台の上に腹這いになって手足をばたつかせる、ユーモラスなダンスで始まった今作、御本人のキャラクターも愉快な方のようで如何にも大阪の方らしい雰囲気が良く出ている。ケラという虫は、子供の頃。時々捕まえて、昆虫のモグラというイメージを持っている。その少し紡錘形の体は流石に土を掘るのに合理的だし、体毛のようなものは全部後ろへ流れるように付いていてすべすべし、堀った土を背後にしてゆく際、摩擦抵抗が少ないことが明らかであり、この点でもモグラに良く似ている。テリトリーはどれくらいか知らないが、モグラの場合、1匹で2㎞四方程度、土堀は大変な作業だからエネルギーを大量に消費する。従ってモグラは大食漢でこの程度の縄張りが無いと生きて行けない。だから、ケラも可成り大きなテリトリーを持っているだろうと想像している。が言葉としては、虫けらという単語にケラが入っていることもあってか、ゾンザイに扱われがちなのかも知れない。それが、大阪人。山田さんがケラを選んだ理由かも知れない。それも謎多き“いろは歌”と絡めている点が興味深い。何れにせよ、虫もヒトも生きとし生ける者総てが生存競争の渦中にあるが、人間だけがセーフティーネットを持っていると思っている。然し本当にそうか? と尋ねるならば、相当に怪しいのではないか? 蟻も蜂も集団社会を作るし巣は大変な大きさである。アフリカに住んでいた頃、蟻塚がたくさんあったが、1つの塚の高さは3m以上、蟻のサイズから見たら、バベルの塔みたいなものだろう。塚の中には女王の産卵室、食料貯蔵庫をはじめ社会生活を営むに必要充分な場所や役割に応じた身体分化が生じている。(女王蟻、羽を持つ雄蟻、兵隊蟻、働き蟻など)蜂もほぼ同様で卵から孵った幼虫が暮らす房室もある。何れにせよ、蜂の子は人間にも食べられてしまうし、蜂蜜は人間に収奪され続けている。さて、そんなに人間は偉いのか? という素朴な疑問も聞こえてきそうな諧謔とグレイなユーモアに彩られ、ちょっとスラップスティックな作品。諧謔精神に敬意を表して華4つ☆
Ⅲ:Dance Monster 絵本「どこかにある誰も知らない小さな国のお話」
  男性が上に羽織っている長めの羽織かチョッキのような衣装が中々素敵。タイトルから何となくブータンを思い出してしまう、原作者の田崎麻衣子さんが癌闘病中に初稿を書き、当時西表に居た八つさんに原稿を送ってきた、ということだ。その後退院した田崎さんはアメリカで暮らして居たが既に亡くなられた。亡くなるまでに八つさんと連絡し合い絵本は現在の形になったそうだが、初め今作を拝見した際には、随分無責任な作品だとも思った。然し癌治療薬の副作用で朦朧とした状態で書かれた初稿のことを思えば致し方あるまい。生きることは瞬間・瞬間死んでゆくことと同義である。そんな生と死の分割し得ぬ不分明を男女のダンスパフォーマンスと後半は、この絵本を動画化した作品をホリゾントに映しながらの上演形態で表現した。生きることは生の堆積? それとも死の堆積? 或は分かち難い双方のミルフィーユ? 華4つ☆
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

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シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 10日目 2020.7.5 14時半
 本日も3組の出演である。10日目の原稿が先に上がってしまった。次回公演は7月7日19時開演。

ネタバレBOX

I:堀ゆかりさんと別所るみ子さんのダンスユニット・Y&Rが演ずるのは「水・光・身体」という作品。タイトルから直ぐ分かるように命に纏わる諸関係(始原の生命と誕生に寄与した水、光、エネルギーなどと化学反応、アミノ酸複合体から体を構成するようになる生命誌等々)が優雅なダンスで表現される。ダンサーの動きの中で交差する眼差しに意を用いている所に極めて女性的で繊細な表現が感じられる点もグー。用いられた音響器具は、チベットのティンシャや波音などを出す小型の装置。衣装も2人揃った素敵なデザインでダンスを更に優雅に見せるのに役立っていた。ところで、自分もかつて極めて質の高いティンシャを持っていたのだが、今回使われたものは恐らく銀の含有量が少ないか真鍮製なのであろう。自分の持っていたそれに比べると響きが余り良くなかったのが残念だが、現在では良質な物は殆ど入手できまいから仕方ない。5つ☆ 
Ⅱ:足立 七瀬さんによるソロダンス。タイトルは「選んで、いる。」日本人には珍しく、選択ということを正面に据えているので驚いて帰宅後、当パンを読んでみると(自分は作品を拝見する前には基本的に一切、当パンは見ないことにしている。刷り込みをしたくないからだ。推理作品などで予め見ることを要求される場合は別であるが)略歴を拝見して納得がいった。フランス人の振付家の関わる国際ダンスワークショップのオーディションに受かって「Harakiri」という作品に参加していたのだ。解剖学なども用いながら踊る身体を追求しているとのことはある。極めて優雅な動きから日常的にさえ見えるような動き迄、洗練、日頃の何気ない動作まで織り込んで“選択”の幅を広げているが、暗転させて明転に移行する際、必然性を感じない部分もあった。この辺りをもう少し詰めて欲しい。更に欲を言うなら、選んだつもりが選ばされているという資本主義の中で暮らす我らの姿をも描ければ。華4つ☆ 
Ⅲ:シニアの演劇ユニット・夢桟敷によるミュージカル風演劇作品『Question・・・いのち愛づる姫から』は、生物学者の中村桂子さんの著書「いのち愛づる姫―ものみな一つの細胞から」をベースにした作品だ。原初我々の遠い祖先であるバクテリアの類からミトコンドリア、ボルボックス、海月や魚を経て陸に上がった生物の産む卵も受精するまでは1個の卵細胞である。始原の生命を単細胞から始め、個々の生き物の始まりを矢張り細胞分裂する以前の一つの細胞から始めている所にミソがあろう。個体発生は系統発生を繰り返すという良く知られた事実をも思い起こさせる、本質的でありながら極めて分かり易い摂理である。
 シニアといっても平均年齢は可成り高いので、かむ方がいらしたのは残念であったが、どういう訳か偉く楽しい作品であった。つらつらその訳を考えているうち、若い頃に読んだリルケの一節を思い出した。それはこんなフレーズだった。
“若者とは既にして恐るべき老人なのだ。それを意識した上で、それを意識した上で若さを装うのだ!”という一節である。自分と同じことを考えた詩人が居たのだ! と二十歳を越えたばかりの自分は、少しだけ安心した。当然、その頃の自分は生意気を絵に描いて壁に貼り付けたようなガキであったから可成り鼻もちならないガキであったろう。と同時に急に勉強をし始めて知識を吸収することに忙しく、要するに自分のオリジナリティーの乏しいことは散々意識させられていたから、己自身を単に先人が積み上げてきたことのコピ―としか思えず耐え難い老いを内側に抱えていたのである。
だがこの劇団の演者には、このような意味での老いが無い。皆さん自ら楽しみ己の人生で培ってらしたことを体中から溢れださせるように活き活きと創っていらっしゃる。これこそが、この楽しさの源泉なのだと感じさせられた。素敵である。5つ☆
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 8日目 2020.7.2 19時
 8日目、丁度6,7月公演の折り返し点だ。(次回公演は7月4日14時半の開演)

ネタバレBOX

外国からの参加者はCOVID-19の影響で来日は9月の予定だからにゃ。今回も3組が登場。Ⅰ:白野 利和さん、アベ レイさんお2人のパフォーマンス。タイトルは「隣の迷宮2」オープニングで白野さんが登場すると「どうします? 何も決まってないんですよ。ゲネでやったこともうっちゃって」舞台の上に放り出された状態で何をどうしていいか分からないという状況を説明しながらぐるぐる舞台上を歩き回る、極めて示唆的なオープニングだ。そこへレイさんが言葉と音声の間のような表現をしつつ舞ったり弧を描いたりしつつ飛びこんでくる。レイさんによれば、生きることに予行演習は無い。ぶっつけ本番の連続である。仮に予定を組んでいてもぶっつけ本番で何が起こるか分からない時空に身を晒す点では変わらない。それが生きることであるなら、それは迷宮ではないか? と捉えている。つまり今作は、己の迷宮を迷宮として客体化する為に、演じられたと言って過言ではあるまい。だが、そうは言っても2人が時折、交差する中で何やら口をまあるく開けて向かい合ってみたり、何やら鳥が羽を広げるようにも見える動作をしてみたり、意味と無意味が微妙に絡み合うシーンには、サルトルのいう自己投棄を身体化して見せればこうなったと思わせるような形に近い何かを感じた。当然、自由の問題も絡むし、生死の問題も絡む実に面白く、かなり哲学的な作品であった。華5つ☆
Ⅱ:評論を多く書いている四方田 犬彦さん準備中の新詩集「離火」から数編を選んで朗読すると共に5月14日に亡くなられた財部 鳥子さんを偲んで彼女の長詩の一部分をも読む。四方田さんの新詩集タイトルは音から判断すると鬼才絶と言われた中唐期の詩人・李賀の名に重ねたと見ることができる。27歳で夭折したが、亡くなる前母に「天帝が白玉の高楼を建て祝いの詩を李賀に作らせようとお召しになった」と語ったとされ、“白玉楼中の人となる”という成句はこの逸話から生まれたとされる。
何れにせよ会場からアフタートークの際に彼のプロフィールに関して出た質問:比較文学とは? に、ホメーロスの有名な叙事詩「オデュッセイア」に出てくるトロイア戦争からの帰途、ローレライを長とするセイレーンの棲む海域に差し掛かる前後の話を持ち出し、船乗りが恐れて近づかぬこの海域に入り、その歌聲を聴けば、余りの美しさに虜となり自ら海に身を投げて藻屑となると伝わる歌とセイレーンの美しさを是非自分は見聴きしたいと願ったオデュッセウスはマストに自分の体をきつく縛り付けさせ、部下には、耳に蝋で耳栓をさせて魔の海に入った。セイレーンの歌声が聞こえると流石のオデュッセウスも縄を解けと大声を出しジタバタしたが船員たちは耳栓をしているから一切聞こえないし、危険海域を出て安全な海域に出るまでは絶対に縄をほどくな、と厳命されていたから解かなかった。そして安全な海域に出た時初めて彼の縄を解いたのであるが、その縄を解くという単語がアナライズというギリシャ語の初出だと説明し、そこから錯綜した状況なり物なりを解きほぐす、というようなことが原義だと話した。そして芸術とは、それを鑑賞する者も下手をすると命を取られかねない或は根本的な価値の転換を迫られるほどのものではないか? との卓見を述べた。然し乍ら彼の詩作品には、このような卓見は残念乍ら反映されていないように感じた。彼は大変な知識量を持つ人だが、それが却ってペダントリーとなって鼻に衝く気がするのである。
 無論知的に武装して箍を外すことは詩の重要な手法の1つではあるが、余りにもぺダンティックになってしまうと例えばRimbaudの有名な一節、s’opérer vivant de la poésie,・・・(生きながら詩に手術され・・・)のような生々しいリアリティーには遠く及ばない。即ち詩行として極めて弱くなってしまうのである。卓見に敬意を表して華4つ☆
Ⅲ:シアターXアートマイム塾(作・演:JIDAIさん、出演;松沢玲子さん、沢村誠一さん、時任律さん、阿部邦子さん、橋元大和さん)
 ポーランドのステファン・ニジャウコフスキが作り上げたアートマイムという手法でのマイム。その本質は瞬間、瞬間舞台上に存在することにあるという。どうやらE=MC²という相対性理論の根本原理の各項目を移項することによって成立するそれぞれの式ということらしい。エネルギーと光速そして質量の相関関係を肉体に落とし込み以て身体化するということであると理解した。音楽とのコラボがグー。当初、原初の生命体例えば単細胞生物やプランクトンなどが海中や水の中を漂うような動き、或いは羊水の中で系統発生を繰り返した我らの初期胎児期の揺れる夢の如き動きから進化して両生類である蛙になり、更に進化して爬虫類になり更に・・・といった進化の過程に於けるRNAやDNAの揺らめきとも取れるというような極めて興味深いマイムであった。5つ☆
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★



 7日目の構成は、参考上映のTV番組、IDTF実行委員10名による“いきもの絵巻『宝船』”上演、アートカンファレンスだ。

ネタバレBOX

 今回のテーマは以前にも記した通り、堤中納言物語に記された “『蟲愛ずる姫』とBIOhistory”だから当然生命の始原から現代人へ至る進化と様々な微生物、ウィルスなどとの共存・共生に至るまでの史的過程及び遺伝子構造の変化・変遷、プラスになるにせよマイナスになるにせよウィルスと生命相互の関係性・諸変化が、COVID-19蔓延拡大の地球村に於いて如何なる作用を我々に齎し、未だ不明な部分の多いSARS-Cov2に対して我らは如何様に対処するのか? 或は自然免疫を得る迄多くの犠牲を耐え忍んで待つのか? ということを含めて当にmemento mori(メメントモリ/死を思え)、即ち実存哲学に自ら進んで入る条件の中に居る。人間というのは愚かな生き物であるから、普段自分自身の死を前提として考えることは殆ど無い。結果猶更愚かなことばかりしている。ここは、一つ学校で教えられたような規格に嵌った阿保な考え方や教条はうっちゃって、自由に考える訓練をしたいものである。但し、それには条件がある。死を前提に考えるのは、真理や普遍性を知る為であり、自死する為ではない。よって論理の前提に選ぶべき要素はファクト、現場での徹底的、実証的観察を統合する科学的・合理的思考だ。即ちファクトと実証的観察によって得たデータのみを用いて演繹・帰納法し合理的な解を導き出すことである。東京アラートなどという字義通りナンセンスなことをやっている暇は無い。SARS-Cov2はRNAしか持たず、誤った転写を起こしやすい。而も様々な抗生物質や薬品が彼らの突然変異をより早めるというデータが出ている。既にゲノムレベルでは、埼玉型、東京型、大阪型は異なっているという。無責任なばかりか己の言っていることの意味することすら理解できない安倍首相は、ワクチンはかなり早く出来る、などと訳の分からないことを宣うが、さに非ず。それどころか、仮にワクチンがかなり早く出来上がったとしてもサイトカインストームの危険がある為、下手をするとワクチンを打ったが為に症状が悪化してしまうケースが在り得るとして研究者たちは如何に対処すべきかを必死に考え追及しているのだ。エーザイが治験を始めるようだが。政府のやっていること、殆どの自治体のやっていることはトロ過ぎて話にならないし、官僚共は不作為といういつもの手で責任逃れをするばかり、当てにできる訳が無い。だから、我々民間で考え、対処する他ないのである。そういえば、東京でアラート解除後107名の感染者が出た、と聞いて驚いている人々が多数居ることに、矢張りと感じると同時に自分は少しショックを受けた。余りにも予測通りだったからである。
 さて出演者の職業は、コンダクター、生物学者、エッセイスト・通訳・翻訳家、著述・フォトアーティスト、演出家、役者、芸術監督、ダンサー等々多彩だ。参考上映として芥川賞作家でベルリン在住の多和田 葉子さんにインタビューした番組が映された。『宝船』上演後は、多和田さんがインタビュー番組の質問に答えて言った、「コロナ・テスト」というフレーズをタイトルとしたアートカンファレンス。この現象をどう捉えるか? との視座で出演者、観客との間で活発な論議が交わされた。大切なことは、このカンファレンスでも、事実をベースに語る生物学者と、それ以外の様々な言辞や為政者が何の合理性も科学的根拠もなく垂れ流している言辞をベースにした判断とが交錯することによって、今我々の暮らす社会が良く見えてきたことである。
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

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シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 6日目 2020.6.27 14時半
6日目の出演は、3組。(追記2020.7.1)本日28日も14時半から『いきもの絵巻・・・」の後、アートカンファレンスがある。

ネタバレBOX


出演順にⅠ:松本 隆彦さん、ベートーベン生誕250年ということと、COVID-19災禍に苦悩する地球市民への連帯を目指して「アパッショナータ」を今作タイトルに選んだピアノ独奏、人口に膾炙している「エリーゼの為に」を元とした演奏を披露した。久しぶりの生公演ということもあり、序盤第1音の重さを感じて、その心理状況が演奏に影響を与え音に艶と生気が欠ける点は観られたが、テクニックは無論高い。「パッショナータ」を弾く頃には正常な精神を無論回復していたが、タイプとしては、職人的なピアニストという印象を受けた。どういう意味か? 所謂天才は、兎に角、ステージに上がった瞬間から外側からそう見切る者が居なくても途轍もなくテンションが高いとか、徹底して深い自らの決定的な瞬間から始めることができる。その点が異なるのだ。華4つ☆
Ⅱ:東京ノーヴィレパートリーシアターの菅沢 晃さんの一人芝居は、ドストエフスキーの「白痴」から『ムイシュキン公爵のモノローグ』。癲癇の療養でスイスの寒村で過ごした4年の追想を述べるという形を取る。今作、長編「白痴」の長大な文章群の中の白眉ともいえるパートであろう。公爵といえば通常貴族の最高位だが、そんな高い位にあって尚ムイシュキン自身が白痴と見做されるのは、無論彼が赤心で生きているからである。
当然のことながら、出会った当初は兎も角、暫く経ち子供とのコンタクトが生まれた後は、子供たちに好かれる。その彼が癲癇の療養で出掛けた他国(スイス)の田舎の村で村の下働きをして病気の母を支え、いつも蔑まれている若い女性(マリー)が通りがかりの馬車に乗った若い外国の男に拉致され捨てられて、ボロボロの状態で村に徒歩で辿り着いて以来、村人たちは彼女を八分にした。が何より痛ましかったのは彼女の母が最も熾烈に彼女を罵り傷つけ、家から追い払ったことであった。母は彼女が「母の顔に泥を塗った」と責め追い出したのである。追われた彼女は雨露を凌ぐ屋根も寒風から護ってくれる壁も無く、更には彼女に唾を吐きかけ酷い言葉を浴びせかける親たちの真似をして石を投げたり、意味も分からず罵声を浴びせる子供たちの恰好のターゲットとなっていた。然しムイシュキンは、彼女の身に振り掛かった不幸に同情し庇う。初めのうちこそ子供たちはムイシュキンにも石を投げたりしていたが、ムイシュキンが彼女の被った不幸を彼らに話してやると、子供たちの態度が変わった。胸を病んでいた彼女が遂に倒れ病の床に就き、外出すら適わなくなると、子供たちは代わりばんこに彼女の看病をし、野の花を摘んでは彼女の枕元に飾り、貧しく全く余裕のない生活の中から何らかの食べ物を運んで彼女に供した。然し彼女は遂に身罷る。村中の子供たちが集まって棺桶を設え彼女を墓に運ぼうとしたが、重くて叶わなかった。興味本位に集まっていた大人たちの手を借り、子供たちみんなが棺を担いで墓地へ彼女を運び、彼女の遺体には子供たちの摘んだ野の花が添えられた。以降彼女の墓に花の絶えることは無い。不幸だった彼女の人生の最後に彼女は本当の幸せというものを手に入れた。これが上演された今作の粗筋であるが、ムイシュキンが癲癇持ちであることには、ドストエフスキー自身が投影されていると見るのが普通だろう。ドストエフスキー自身、死刑になる所を流罪に処され、刑を終えて帰って来てからは頻繁な癲癇の発作に悩まされ続けたことは、誰でも知っていようから。華5つ☆
Ⅲ;高 瑞貴さん、宮本 悠加さん2人のダンス公演、タイトルは絶滅させられた飛べない鳥で、ルイス・キャロル作品にも登場するドド、作品タイトルは「dodo」表記。5つ☆
 切っ掛けや動作など作品全体の3割程度を予め決めていた他はアドリブやインプロヴィゼイションで演じたとのこと。ドドの形態模写を中心に演じた高さんは、子供の頃から舞台・ミュージカルなどの素養があるので動きは可成り良い。同時に余り意味に縛られることなく自由なイマージュを身体化している点に新鮮味があって面白く拝見した。舞台の使い方も面白い。ホリゾントの上手壁を構成しているパネルの下半を4枚外して、その奥から鳥の動きで登場したりするのだが、下手ホリゾントと衝立の間に脚から上を隠した状態で横たわった宮本さんがラストを除く殆どのシーン脚だけを用いてのパフォーマンスを披露しているのだ。
アレルギー2020

アレルギー2020

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2020/06/27 (土) ~ 2020/06/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

 2020.6.27 19時Bバージョンを拝見。

ネタバレBOX

  
 この作品のタイトルを捻ってみよう。すると、作品の意図が見えてくるように思う。例えば、Covid19である。SARS-Cov2に起因するこのパンデミックの拡大は止まる所を知らないような勢いであるが、そんな社会の、多くの人が正体不明の何物かに慄いている社会を実に見事に、而も同時に悲痛でやや滑稽ですらある状態として描いて見せた。
舞台上には、白い丸テーブルを挟んで椅子が左右に一脚ずつ置かれ、テーブルの真ん中に対座する男女を遮るような透明アクリル板が立てられている。この喫茶店のような場所の上手に男が先に到着している。ややあって女が到着するが、直後に暗転、直ぐ明転。この演出に唸ってしまった。当に人々が正体不明の何かに対し、頼りにすべきハッキリした方策を打ち出すこともできない国も殆ど総ての自治体も信じることができず、抱え込んでいる不安そのものを象徴しているからである。無論、我々の「国」の為政者は更に性質が悪い。何となれば、人々が己の頭で考える為の正確で合理的で且つ有効な科学的・合理的対処法を示すことを敢えて遮ったからだ。そんなことをしたのは、例えば公僕たる官僚たちである。理由は、何か自分たちが指示を出して失敗することを恐れ、不作為(つまり何もしないこと、させないこと)を選んだからである。無論、政治屋、各自治体の殆どの首長も、科学的、論理的、合理的な手法を考えつきもしなかった。一例を挙げておこう。東京アラートと呼ばれる馬鹿げたアクションがあった。SARS-Cov2によるCovid19に罹患しているか否かはPCR検査以外に抗体検査を併用することが一部の極めて優秀で科学的な研究者により極めて早くから提唱されていたにも関わらず、医療崩壊の懸念などを理由に挙げ、在宅を強制することによってPCR検査機器のある大学ラボの閉鎖に及ぶなどの愚行が推進された。携帯やスマホのGPS情報を用いての時刻・移動経路の追跡も、嘘・隠蔽・身内贔屓・違法・脱法・憲法違反をものともせぬ詭弁と証拠隠滅・強行採決等々により信用の土台を自ら壊してきた政府が主導しても誰もついて行くハズの無い惨憺たる政治。結果、有用な臨床例を基に有効な対策を取ることが大変に遅れた。現在もそれは続いている。その恐ろしさを換気休憩5分を挟んで35分の作品で描いているのだから、凄い。因みにCovid19については、不明な点も未だ多いが、検査の際にノイズを抑えることもキチンとしなければ正確な判定はできないことも優秀な研究者はとうに指摘してきたことも付け加えておこう。
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 5日目 2020.6.25 19時
5日目は、出演2組。次回公演は27日(土)14時半開演、演者は3組、5日目とは演目、出演者共に異なる。

ネタバレBOX


 5日目出演順にⅠ:酒井エルさん、ダンスの演目は「フィールドノート」ご本人は自然の中に身を置いてそこから感じたり、体得したもの・ことを表現した、とおっしゃっていたが、序盤から中盤までは暗転した舞台の何処にどのような姿勢で現れるのかが全く見えない中、明転すると其処に彼女がおり、ある姿勢を取って各々異なったダンスを披露するという感じで、最初は海の波音の擬音を出す箱などの容器の中に小豆等を入れて緩やかに中の小豆を回したり傾けたりする動作が、地球上に海が現れ地球に影響する太陽エネルギーの0.2%が起こす波・風を彷彿とさせ、彼女の身体の他の部分では母なる海に生じた原始的なアミノ酸結合体から生命が生まれ進化してプランクトンになって波寄せる浅瀬で揺蕩うような動きが、小道具から生じる波音とスピーカーから流れる波音の音響の中で演じられ、暗転後は舞台縁迄移動した彼女は右側の体側を板につけ顔は舞台ホリゾントに向けて横たわったところから動き始めた。この間音響は、強い雨が地面を叩くような音、雷、強風等々と変化し続ける。これらの音響変化を自分は地球の歴史と捉え、その中でプランクトンから様々な生き物に進化してきた生命の歴史がダンスで示されているように感じた。(但し、ここでこのような解釈をしたことと、現在地球の歴史を繙く科学者の認識は無論、多少異なっている。唯、科学者ではない人に其処迄要求するのは酷であろう)3度目の明転では、組み上げた階段を上り当にホリゾントに張り付く蟹のように蠢く身体表現を見せて鮮烈な印象を与えた。ラストでは、再び最初に用いた擬音を出す小道具で波音を聞かせてくれたが、自分はPaul ValéryのLe cimetière marin(海辺の墓地)の一節、La mer,la mer,toujours recommencée!(海よ、海よ、無窮に繰り返す!)を思い出し母なる海から生まれた我ら生き物が、その個体発生に於いて海とそっくりな組成を持つ母の胎内の羊水の中で系統発生を繰り返して生まれてきたことをも考えた。不満はと言えば、若干、演技がおとなしすぎるという点か。華4つ☆  
Ⅱ:日野 利和さん、アベ レイさん、藤田 恭子さんの3名。演目タイトルは「パラレルワールド」だ。板上やや下手奥には3mほどの高さの脚立が立てられ、その足元に大きな薬缶、真下にはセメントを捏ねる桶のような物が置かれ、その中に女が1人体を丸めて俯いた状態で座っている。襤褸を纏いビートルズの曲にのって現れた現れた男が所せましと動き回るのを、セメント桶から出ずに何とか捕まえようとする女との鬩ぎ合いが幾度か続いた後、女は外に這い出して、飛び回る男の足元を捉え、着地させる。この辺り、女に捕らえられた総ての男には、体験感覚があろう。男は常に今あらぬ所・時へ飛び去ろうとし、女は自分の居場所に繋ぎとめようとする。この束縛を男は本能的に嫌うのだ! 何となれば男の本性はその非在性にあるからであり、女の本性はその存在性にあるからである。その双方の自由は従って真逆のベクトルを持つ。
 ところで、取り敢えず女に捕らえられてしまった男は女の下僕であるから(存在の前で捉えられてしまった非在など如何程の価値があろうか?)カップルの形態を採っているのだが、ここに第3者としてもう1人女が現れる。ところで新たに現れたこの女は、意味を伝える言語は用いない。言葉と音楽の間にある音声表現を用いつつ、最初の女から男を獲ってしまう。捨てられたというか、男を獲られてしまった女は、独り孤塁を保つが、やがて己の巣に戻り、独り何事かをし出す。新たなカップルは、互いに向き合って飛んだり跳ねたり、数メートルの距離を置いて対面する時に口を丸めて同時に大きな円を作って見せたりのコレスポンダンスに興じていたが、無意味だが示唆的な音声を出す女に対して、「は」だの「何」だの「熱い」だの意味のある言葉で、好き勝手を互いにしているようでいながら、パラレルな中にも接点を持った2人が、セメント桶に戻った女の所を覗きに来て、彼女が棲家から持ち出し、むしゃむしゃ口にしているもののおすそ分けを貰う。すると阻害されていたハズのセメント桶の女と第3者として現れた女、後者に奪われた男の間に一種の連帯、紐帯が生まれ、第3者としての女が薬缶を手に脚立の上に上がって第1の女、男の順に頭上に掛ける水は、即ち命として共生してゆくこと、或は農耕が開始されて以降の人類史を暗示しているという具合にも解釈できる。そんな物語を組み立てることのできる作品であった。実に楽しく拝見した。
終盤、男と半分軟体動物と化した最初の女が見せるダンスも実に示唆的で面白い。華5つ☆
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

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2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 4日目 2020.6.23 19時
4日目も、出演は3組。

ネタバレBOX

 今日は3組総てがグランドピアノも用いる。最初の2組はほぼ舞台中央に置かれたピアノで演奏するが、3組目だけはピアノを上手奥に移動、演劇スペースを広く取る。
出演順にⅠ:SORAEという団体で活動する2人、ERIKO・HIMIKOさんのダンスにマルチメディア・インスタレーションの織田 理史氏がコラボ。作品タイトルは「2/1 Geist 1/2」。衣装・照明オブジェはERIKOさんが担当、パソコン、モニター、音響スピーカー、ピアノ演奏は織田氏が担当した。照明は常時昏め。板上には随所に照明オブジェが散らされている。
オープニング、ピアノのやや上手にあおむけに横たわったERIKOさんが、腕を上げるが、照明は、その様子がハッキリ見えるギリギリの暗さ。身体パフォーマンスが続く中、客席方向からズカズカと歩いてくる靴音、感心したのは、瞬間これも演出と判断させた靴音の高さと入場のタイミング、そして大き目のキャリアケースから取り出された、スピーカーやモニター、パソコンを手際よくあちこちに配備してゆく実務的な動作が、ダンスという芸術表現と対置されながらちっともどちらも邪魔し合わないという点であった。織田氏がピアノで弾いた曲は、電子機器が奏でる音響のどこか騒音じみたり、心臓の鼓動音のようであったりという流れを作るのとやや異なり、ピアノ曲は現代音楽風の抽象度の高いものであったが、各々の音の響き合いが絶妙であった。
ダンスは宇宙空間に浮かぶステーション内の無重力空間を揺蕩うようであったり、トルコのメヴレヴィー教団の回転する踊りのような動きであったり様々であるが。舞台上を動き回りながら押すと光る照明装置に触れ、昏い舞台空間にイソギンチャクの胴体のような光の装置が灯ると恰も魔法に掛けられたかのような幻想的な時空が現出した。一方、心臓の鼓動音を思わせる電子音が流れる中を2人が歩み寄ってタッチの動作をした時のシーン等は、宇宙空間の中で孤独な生命同士が触れ合ったような新鮮で斬新な感覚を呼び覚まされた。2人の互いに異なる個性を個性として表しつつ、時折交点を結ぶコラボレーションが素晴らしい。華5つ☆
Ⅱ:束祓 つかさ氏と松本 邦裕氏が演じたのは「蟲愛づる姫のテーマ 聲Version」作曲・ピアノ演奏は束祓氏、衣装は白、芝居・音声は松本氏、衣装は黒。ちょっと変わっているのは、ピアノのやや上手手前に真っ赤な傘が開いた状態で置かれていること。これは、平安時代、遊女(白拍子などと同じく歌などを歌った芸人、芸を披露する際には必ず傘を広げて芸を演じた)菅原道真の子孫にあたる「更科日記」作者・菅原 孝標の娘も足柄山で出会った遊女らのことを記している。出演者お2人の衣装の白と黒の表すものは、凡その見当がつこう。傘の赤は生命の象徴としての血である。演奏された曲を目を瞑って聴いていると、全身を耳にしたように聴いていた自分の耳だけが身体を離れて、てふてふのように飛んでいくというような幻想が生まれる素敵な曲であった。そこへ松本氏の頗る響きの良い歌唱、ほれぼれするような美声で時に力強く、時に密やかにメリハリの効いた音声が絡み、ほぐれる様には流石、普段からの研鑽が稔っていると感心することしきり。5つ☆
Ⅲ:「ダーティー・ドール~ダリオ・フォ&フランカ・ラーメの『良くある話』より」は、シアターX一人芝居研究会のメンバーの中から演技・石井 くに子さん、ピアノ演奏・志賀澤子さん、サックス・服部 吉次さん3名が出演した。ダリオ・フォはイタリアのノーベル文学賞受賞作家、フランカ・ラーメはその奥さんであるが、拉致され集団レイプされた経験を持つ。
 この予備知識を持っているといないでは、観方が相当違ってくるであろう作品だ。ダリオ・フォ自身が痛烈な社会批判をした作家であったから、アメリカからは入国を拒否されていたし、『良くある話』から採られている作で、このように突き放したタイトルの原本にも如何にもフォ夫妻らしい覚醒した意識が感じられる。またラーメの体験した凄惨な事実が、あらゆる女性にも襲い掛かる可能性のあることが多少の社会批判と、ちょっとコミカルな内容に、少女が大切にしていた襤褸人形との逸話を絡ませ、恐らくは人形のように男達に好き放題に弄ばれた許しがたい念をも重ねているのであろう。ラストは志賀さんの様々なアレンジに満ちたピアノ、服部さんのジャズの即興のような素晴らしいサックスを交え「猫踏んじゃった」が掛かる。この曲がこんなにも見事に箍を外してくれる名曲だということに感じ入った次第。5つ☆
第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

第14回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2020

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2020/06/13 (土) ~ 2020/07/12 (日)公演終了

満足度★★★

第14回シアターX国際舞台芸術祭2020 3日目 2020.6.21 14時半 艘評価☆3つ

ネタバレBOX


 3日目も、出演は3組。出演順にⅠ:渡邊翼くん。タイトルは「導き」、誕生を迎えて26歳の青年である。洞窟のような空間に水の垂れる音を音響効果としてかなり長時間用いた。港 千尋 さんの洞窟に関するアルケオロジーがふと頭をかすめたが、渡邊くんのイマジネイションは、可成り素直なものであり、日本の男性の子供っぽさに驚かされつつ拝見していた。終盤、ダンスのみで表されるべき表現に台詞が露骨に入っていることから、ダンス等言語によらぬ表現をベースにする表現者を目指すのか、或は芝居の役者を目指すのか未だ決めかねているという感触を得た。日本の男子は、海外の同年輩と比べて極めて幼稚。もっと世界と向き合って己の頭で考え、行動を決定して欲しいものである。評価3

Ⅱ:今村よしこさん、タイトルは「cell」。cellは無論、細胞のcellであろう。無論、刑務所の独房や僧院・修道院などの独居室も表せば、党の細胞なども表すがメインテーマが生き物の物語だから、最初の解で間違いあるまい。ところで取り敢えず余程のハネッカエリでない限り、敗戦以降日本の男は戦争に関わって殺人を経験したり殺されそうになったことは殆ど無いから良いか悪いかは別にして余り突き詰めて生命を考えたことは無かろう。生命を真剣に考えなければならないのは、逆説的だが死と向き合った場合である。別に戦争でなくとも喧嘩坊主で命懸けの喧嘩を何度もやった奴ならこの辺りの事情は体得しており、無論それなりに大人である。これに対して女性は、赤ちゃん、幼女、少女、娘、女性と年齢を重ねる毎に身体自体が大きく変わるから、その中で体得してゆく精神の成長ものんべんだらりの男などより遥かに進んでいる。そんなこともあってか、本日3名の演者の中では、最も説得力のあるパフォーマンスであった。評価4

Ⅲ:ヤンバル小太郎氏、タイトルは「聖蛇ハブに聞く、命❕」この方、ソロダンスなのに自分の演じる身体パフォーマンスの武器は何処にあり、それが観客にとってどのような意味或は何らかの提起乃至はイマージュの喚起ができるのかを全く考えていないようである。即ち戦略・戦術が欠けているのである。金も演出家も無しでソロで踊るのであれば自ら演出をするのは当たり前。そも、このタイトルの“聞く”は、正しくは“訊く”ではないのか? アフタートークで見せた身体表現には、武術を学んだ者の持つ鋭い動きが見られたものの、自らが表現する者として立つ為に考えなければならないことが殆ど欠落しているように思われた。表現する者は、常に意識を欹てていなければならない。生き・目覚めている間、意識が常に目覚めていること、それこそ表現する者の第一の資格である。猛省されたい。評価2

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