ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

2761-2780件 / 3202件中
劇作家女子会!

劇作家女子会!

劇作家女子会×時間堂presents

王子小劇場(東京都)

2013/06/13 (木) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

作家たち
 女子会ということで、矢張り恋に絡む作品のオンパレードになったが、構成は休憩を挟まぬ2部構成で、比較的長い作品になった「彼女たち」の後半を2部に振り、他の作品をサンドイッチ形式に挟むオムニバスである。作家は4人、無論、総て女史である。個々の作品については観る者の好みもあろうし一概にあれこれいうことはできないのだが、作家各々の観点、立ち位置、採用している手法によって作品のテイストには大きな違いが出ている。其々の作家の持ち味を見比べてみるにも良い企画である。フォワイエ部分に当たるのだろうか? では、日替わりのオリジナルドリンクを用意したカフェが開かれたり、観客席上部には、シャンデリアが下がっていたりで、渋谷辺りのおしゃれカフェをイメージした作りになっているのだそうだ。

ネタバレBOX

 自分は大人たちの顰蹙を買いながら渋カジの源流を作った世代の一人だと自負しているが、今の渋谷は好みでは無い。だが、ミーハーは本来、非常に知的好奇心に溢れ、否定的言辞の下に見られるべきではないと思っている。但し、現在、電車内で聞くティーンの会話の余りに幼いことには、危機感を覚えるのも事実である。話題が、狭いのだ。そして自分達に本当に関わりのある大切な問題については語られていない。そんな世の中、そんな世の中の計り方が、常態である。そして、電車内話者達の常識なのであろう。
 だが、4人の作家に共通していることは、これらの時流に対する違和感なのではないだろうか? それ故にこそ、彼女達は、表現する者なのだと思うのだ。創造は、苦しい、孤独な作業である。だが、「常識」とのギャップを得心できる迄突き詰める為に、自らの存在を納得する縁に書き、こうして、表舞台に迄立ったのだ。そんな、彼女達にエールを送りたい。
みよかなPOISON

みよかなPOISON

lovepunk

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2013/06/12 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

視座
 悪、犯罪と言われるものが、単に己を裸にした者達の欲求の発露に過ぎないという側面を描いた所が、面白い。

ネタバレBOX

 知的職業の代表として、女流作家を中心に据え、取材先を犯罪者ばかりを雇っているスナックを場の中心に据えたシナリオも成功している。また、女性達が、犯罪を犯すに至った経緯が開演直後に示され、そのどれもが、情状酌量の余地のあるものであるばかりか、力社会に置かれた体力的に劣る者の状態を顕して巧みである。
 一方、店に入ったはずの者が、頻繁に行方不明になっていること、その一例がアケミであること、そしてアケミはママに嫌われたらしいことが匂わされる。その後の遺体処理についても。
 力即ち正義であるような社会が変えられないと悟った時、精神的に一段駒を進めたヒトが選択する究極の形とは、邪魔者は躊躇せず殺すことである。他に選択肢は無い。くどいようだが、彼(女)らは、既に力即ち正義と見定めた者達である。そうである以上、敵対し得る者は消す。これが、唯一の正解である。寧ろ、犯罪なのは、遺体を始末することである。力即ち正義であることを世界が認めている以上、殺人は犯罪ではあるまい。勝った方が、正義なのだから。問題は、その正義を押し通さないことにあるのだ。だが、この論理は、劇中彼女らが、国家権力という強者の権威機構である司法故に犯罪を成立させられるに至った、また犯罪者とされた論理をも正当化してしまう。その限りに於いて、彼女らが、この論理の最上位に居ないことの矛盾を内包している。今更、毛沢東やスターリン、ヒトラー、チャウシェスク、テロ国家アメリカの歴代大統領及びイスラエルの歴代首相らの名を挙げるまでもあるまい。彼らは、最上位に居る間、その罪を誰からも正式には訴追されないし、されなかった。
 彼女たちの矛盾をアウフヘーベンする可能性を秘めた者が、最後に血祭りにあげられる。科白上は、自由はシンドイというような意味だったと思うが、実際には、現実に足をつけたままでのらりくらりと身をかわす方法を選んだに過ぎないという立ち位置を否定される恐れがあったからである。
 一方、奴隷的屈辱に甘んじながらも、その内側で身を処す手段として、霊視・まじないがヨミの技術であり、その技を行う際には、必ず大地と一体化する為に裸足になっているなど、細かい所まで配慮した作りになっていることにも注意しておきたい。このような視点があって初めて、この作品は、陰惨そのものではない所に留まっているのだ。

 (追記6月18日)
 
65歳からの風営法

65歳からの風営法

笑の内閣

星陵会館 ホール(東京都)

2013/06/12 (水) ~ 2013/06/12 (水)公演終了

満足度★★★★

シナリオや良し
 論理に笑いをまぶして鋭さを露骨に出さないシナリオの書き方が賢い。また、ギャグのセンスが基本的に関西のそれを踏襲しながらもちょっと突き抜けているのが、この劇団の面白さだ。とはいえ、今後、演劇で身を立ててゆくのであれば、宿題もたくさんある。
 第1に科白を身体化し切れていない役者が多い、と言うことである。同じシナリオを、別キャストで演らせてみれば、良く分かろう。例えば、亡くなった益田 喜頓さんのような方を店長に持ってくるとか、あぐり役に大竹 しのぶさんか秋吉 久美子さんタイプを配するとか。今更、言う迄もないことなのだが、演劇は総合芸術である。とても微妙なものなのだ。シナリオ、キャスティング、役者の演技、音響、舞台美術、照明、小道具、演出等々の関係に、観客の反応が加わる。そういう総合芸術なのである。だから、主宰者は、トークゲストにも、演劇関係者を含めることが望ましい。既に19次ということで、一定のファンを獲得し、評価もされているわけではあるし、まあ、本当に演劇で身を立ててゆくつもりであればのことだが。
 公演形態を詳しく調べていないので、詳細は、分からないが、今回のリーフレットを見る限り、客演も多かったようだ。そして、今回、自分が気に入った役者は、あぐり役の小林 まゆみ、宗国役の髭だるマン、弁護士役の廣瀬 愛子。警部補役の由良 真介は、客演の役者達に、華を持たせた、という所か。あぐりのお兄ちゃん役、田中 浩之は、一番難しい役どころだが、喜劇なので、もう少し、オーバーな表現を混ぜたり、間の取り方で笑わせる、ということを磨けば、更に良くなるように思う。マスクも良いし、2枚目もこなせよう。

IRIS・・・黎明の鳥

IRIS・・・黎明の鳥

DANCETERIA-ANNEX

あかいくつ劇場(神奈川県)

2013/06/11 (火) ~ 2013/06/12 (水)公演終了

満足度★★★★

歌とシナリオは良い
 主役の歌は上手いし、シナリオも勘所を押さえた詩的且つ悲劇的で感動を誘うものであったが、観客のマナーが悪すぎる。携帯だのアイフォンだののデジタル機器で半分以上の観客がのべつまくなしに盗撮、盗聴をしていて、折角の舞台が興ざめであった。舞台人が気の毒でならない。生のピアノの腕も良かっただけに、非常に残念! 慙愧に堪えない。 観客のマナーが悪過ぎて興ざめしたので、評価は舞台上の評価をワンランク下げざるを得なかった。

くりそつ人間論

くりそつ人間論

どらまちっくシティプロジェクト

こった創作空間(東京都)

2013/06/07 (金) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

クローン
 時代のテーマを重過ぎない形で提示していると同時に、内容について良く勉強している。シナリオで展開される論理も中々のもの。演出面でも役者のキャラクターをエッジの立ったものにしたことで、劇的効果を高めている。役者陣の演技も各々を仕事をきちんと果たして良いレベルだ。

ネタバレBOX

 先進国の間でクローン技術開発競争が熾烈を極める中、我が国に於いてもヒトクローンの技術開発は秘密裏に行われていたが、出来上がったクローンの中には脱走するものも現れた。某年某月3度目の脱走に成功したクローンは、その規模に於いても、また、♂型、♀型というタイプ別に於いても最大規模のものであった。またインターネットの普及率が高まったせいで、情報は簡単に共有されるようになり、情報リンク、また関係部署への責任追及についても、そのような機関へのアクセス容易性についても格段の進歩を遂げていた。そのような状況下にあってのマスコミリークが発端となって、3度目のクローン脱走については、隠蔽体質の政府も流石に隠蔽し切れなくなった。因みに、1度目のクローン脱走は5年前、♂型クローン「1人」は、未だ潜伏中である。2度目の脱出でも♀型クローン1体が、未確認である。
 物語は政府から委託されて、クローン技術を研究するラボで進展するが、表向きは美容や健康に寄与する為にクローン技術を研究することになっている。然し、実態は、無論、軍事を含めた、人の嫌がる仕事への代替が基本である。その結果、差別は必然となった。
 ところで、クローンが脱走したことが、何でそんなに重大問題なのか、ということだが、遺伝子の転写の際、どうやら攻撃衝動を抑える機能が働かなくなっているようなのである。それで、かっとすると、躊躇なく相手を殺してしまうのだ。研究所の専任スタッフは、無論、このことを知っている。
 3回目の脱走騒ぎの折も折、自分はクローンだと名乗る♂から電話が入った。ラボサイドでは、当初パラノイアからの電話だろう、と高を括っていたのだが、電話口で語られる内容は、素人の域を超えていると同時に整合的でもある。結果、合理的に相手の要求を断ることはできないと判断したラボサイドでは、できの良い秘書に対応を任せた。秘書は、来初した♂に会って一通り話を終えた。その結果、例え客がパラノイアであるにしても、相手の話は、とても高度で、実際に起きた逃走事件とも符合していることから、客が人間なのか、クローンなのか確証を得たいと考える。だが、客もDNAを採取されることを恐れ、手袋をしたまま決して取ろうとしない。而も、勧められた茶も警戒して飲まない。最初、お茶を出したのは、臨時雇いの元倶楽部ホステスなのだが、彼女の色気攻撃にも客はひるまず、茶を飲むことは無かった。元ホステスも依怙地になって何とかじゃんけん勝負に持ち込み、漸く1勝を挙げて、頬にキスをさせ、そのままラボに戻ってくるが、DNAを取り出すには至らなかった。
 そこへ、掃除の臨時雇いが入って行く。客が茶を飲んで居ないのを見て、「折角、人が茶を淹れてくれたのに飲まないのは、相手の心を無視することだ」と諭し、冷たい茶を飲ませることに成功した。試料は直ぐに国立研究所で解析されることになった。だが、結果が出るまでには時間が掛かる。客は居座っている。而も客が、クローンである場合、攻撃本能が抑制されないので、躊躇なく破戒行動を実行してしまう。
 彼の要求は「所長に会わせろ」である。いつまでも会わせなければ、本当に客がクローンの場合には、リスクを覚悟しなければならない。彼の妻が、連絡をよこしていたのだが、到着までには、20分ばかりある。終に所長は腹を決めて客に会うことにしたが、客は「クローン産生を中止せよ」と要求する。所長が、あれやこれや、話をずらして逃れようとするが、客の論法鋭く、変形ロシアンルーレットをやる羽目になってしまう。最後の2回になった時、銃弾を発射したのは、秘書であった。客は、倒れる。然し、傷はかすり傷で済み命に別条はない。サイレンが聞こえる。秘書が自殺した。彼女が、このラボに来たのが、3年前であった。彼女はクローンであったのだ。而も、凶暴性を抑えることのできる。
駄菓子屋ケンちゃん

駄菓子屋ケンちゃん

もざいく人間

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2013/06/05 (水) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

信じられそう
 駄洒落やベタなギャグで始まった作品、中ごろまで、こんな展開で、観に来て失敗だtったかな、と思い始めた頃、地域アイドルだった美咲のAV女優への転向顛末とシリアスな部分が入ってきてグッと締め、地域英雄だったケンちゃんの偶像破壊で、バランスを取る、と同時に、有為転変の人生の実相を介入させて、物語に苦さを加える辺り、中々どうして手練れの手腕と言わなければなるまい。脚本作家の温かさもさることながら、同一人物が演出をして、このように構成している演出も褒められてしかるべきだろう。温かい作品である。役者陣の演技にも好感を持った。

すだま

すだま

エムズクルー

「劇」小劇場(東京都)

2013/06/05 (水) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

男のけじめ 女のけじめ
 3.11、3.12を背景にした、そういう話である。

ネタバレBOX

 3.11、3.12以降、TV画面を食い入るように見つめていた彼は、突然消えた。書き置きがあった。“ありがとう”“ごめん”と書かれていた。一緒に暮らしていたのに28歳になる彼女は派遣の仕事を掛け持ちしつつ、彼の故郷、家族構成などについては何一つ知らないのであった。ただ、“置いてけぼり”にされたことで、心に空いた穴と不如意とを消すことができず、日毎、その傷を新たにしてゆく。
 つくづく男と女はけじめのつけ方が異なると感じる。女は、具体的に相手の心に自分が住んでいない、とか、空白を感じ続けると、その深く狭い愛の形を維持できなくなって別れの方向へ向かうようだ。
 男は、なんとか事態を立て直そうとあがく。そして、その為に情況に飛び込んでゆくが、言い訳は無論言わない。だってどうなるか分からないのに責任を負ってやれないではないか? と考えるのである。女は、それを曲解する。殊に情況が情況である。3.11については、それだけなら甚大な被害もなんとか修復できるが、(亡くなった方々は無論戻らないが、時がそれでも少しずつは、傷を癒してくれよう)3.12という人災については、馬鹿どもと嘘つきは相変わらず強大な権力を握って更に悪辣で恥知らずな行為を実践しているし、放射性核種の被害は、未来永劫と言っていいほど続くのであるから、救いようのあるはずはないのである。この状況で、互いに寄り添うべき時に、男と女の多くが、却って離れてゆくのであろう。その、事実をある意味淡々と描いている所にこの作品の重さがあろう。(追記6.25)
アルテノのパン

アルテノのパン

ジェットラグ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2013/06/05 (水) ~ 2013/06/10 (月)公演終了

満足度★★★

凡庸
 絵画オークションを巡る、バイヤーの利潤率アップ作戦顛末。主張としては、アーティストの精神論を資本の論理にぶつけた作品。そこに恋愛、後継者問題などを絡めた。
 然し、大仰な演技をする役者が何人も居て、わざとらしさが鼻につく。中で気に入ったのは、トト役の抑えた演技、女優ではオーロラ役が、育ちの良いお譲さんを自然に演じた。
 舞台美術はまずまず上手なでき、シナリオには工夫が無い。19世紀的なアーティストVS資本という対立をそのまま持ってきているのは芸が無い。演出も、もう少しキチンとダメダシをすべきだろう。

どらっぐ・ど・東京

どらっぐ・ど・東京

82-party

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2013/06/06 (木) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

痛み
 薬をやった状態で愛される、或いは、人に好かれることとビジネスで成功して、傲慢になり誰からも愛されないことと、そのどちらをも己一人で体験した男の話。斉藤役を演じた役者の演技が光る。

ネタバレBOX

 斉藤の地所と持ちビルには、行き場の無いアーティスト、娼婦らが屯して暮らしてきたが、近隣の再開発計画でひと儲けを企む斉藤と不動産ディベロッパーらは、屯する連中の切り崩し、追いだしにあの手この手を使うが、行き所の無い現住者達は、中々出て行こうとしない。一方、斉藤に研究費援助を頼みに来た薬学研究者は、精神や肉体にダメージを与えず、快感だけを齎すドラッグを開発していた。一応の完成はみたものの、臨床が済んでいない。そこで、研究室を訪れた斉藤の珈琲に完成したばかりのドラッグを混入して臨床試験を始める。珈琲を飲み終えた斉藤は、やがて体温の急激な上昇と喉の渇き、悪寒を訴える。肉体的苦痛も伴ったもので、首には大きな瘤ができ、足も片足は萎えたようになってしまう。動作、反応の鈍化も認められる。斉藤は、そんな状態で街に出るが、偶々、馴染みの娼婦と会っていたディベロッパーに水をせがんだ為、暴行を受けてしまう。それを止めたのが、立ちのきを迫られていた住民であった。中でも、斉藤の手首の痣にハンカチを巻いてくれたとも子の優しさに、生まれて初めて斉藤は、人の心の温かさを見る。
 薬の効果が切れた後、斉藤は元の姿に戻ったが、とも子のことが忘れられず、終に、愛を告げる。然し、やり方が、傲慢でとも子からは相手にもされないどころか、完全に肘鉄を食わされてしまう。思い余った斉藤は、再度、研究者から薬を入手、服用して、とも子に会いに行くが、会って間もなく、薬剤による発作を起こし、事務所に逃げかえってしまう。だが、どうしてもとも子の温かさが忘れられず、使いをやって、最後に残っていた薬を入手、一度に総てを飲んで、とも子に会いに行くが、オーバードーズで死を迎える。
キャンベラに哭く

キャンベラに哭く

桃尻犬

王子小劇場(東京都)

2013/06/05 (水) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★

シナリオ
 芝居には様々な要素があるが、最も大切な物に脚本があるのは今更言うまでも無い。今作の脚本の弱さは、小さな地方集落の濃密な空気や厭らしい人間関係の煩わしさが、伝わってこず、本来、その空気と対比されるハズだった諸外国の本質も伝わってこない点にある。人気TV番組の真似が何度も出てくるのだが、舞台関係者がTVを真似てどうするつもりだろう? ギャグセンスもこのレベルでは、地方の持つ閉塞感も描けない。結果、苛めの果ての殺人事件や、その後、閉鎖的社会内部での精神的葛藤や鳥への憧れに、リアリティーや裏打ちする強度が無いのだ。せめて演出が作家と別であったら、こういった不備を指摘出来たのかも知れないが。更に、異文化の捉え方も、通り一遍の机上の論理を述べるに留まり、異質な物との葛藤やその先の深い理解が無い為に、身体化されておらず、単に知のツールに堕している。
 以上のようなことが重なった結果、役者が役作りをするに当たっても苦労しただろうと考える。

うさぎストライプも演劇展 『おやすみおかえり』

うさぎストライプも演劇展 『おやすみおかえり』

うさぎストライプ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/06/05 (水) ~ 2013/06/11 (火)公演終了

満足度★★★★

うろ覚え ?
 3.12人災を普通の人々が、懸命に受け止めてゆく姿を淡々と描く。女子の感性の透明度を上げたような作りになっているので、詩的な味わいの舞台だ。”桜の園”は言うまでも無く、ブルジョワ勃興期の没落階級の話だから経済が背景だが、この作品の背景は制御できない科学技術による人災が背景なので、わざと”うろ覚え”としているのだろうが、内容は、深刻である。そして、各家族に起こっている不幸の原因に影を落としているのが、3.12人災かやその複合的結果であることすら、感じさせるのだ。ラストシーンも見逃せない。

ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!

ビョードロ 終演いたしました!総動員2097人!どうもありがとうございました!

おぼんろ

d-倉庫(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/16 (日)公演終了

満足度★★★★

分かり易過ぎる
 物語がどのように展開するか、その粗筋などは、既に書かれているから、基本的には、言及しない。唯、細菌兵器そのものである、クグルが、上機嫌と名付けられていることに関して、誰もアイロニーを指摘していないようなので、この点は注意を喚起しておく。
 作家、関係者の何人かには、口頭で既に伝えてあるし、創作の秘密に関わることでもあるので、ネット上で、創作テクニックを今、明らかにしようとは思わないが、もう一段のランクアップを、次回に望む。
 で、今回のシナリオを活かしつつ、劇的効果を更に高める為には、矢張り曖昧化が必要だろう。余り、理屈でも感覚でも先読みできてしまうものには、ヒトは深みを感じないものだ。具体的方法は、先にも書いた通り関係者には話してある。職業上の秘密として後は、今後の彼らの作品を観て感じ、考えて欲しい。

 (追記6.19)
 

帰還

帰還

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2013/05/31 (金) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

観るべし
 坂手演劇の特徴の一つに、その劇空間を通常あり得ない出会いの場として構築してゆく、ということがあろう。今回もその手法は健在である。メインストリームとしては川辺川ダム建設問題をモデルとし乍ら、GHQによる農地改革と積み残し、六全協以前の日本共産党の活動及び挫折を経た組織の自己批判や路線変更。組織とタイムラグのある、地下に潜った活動家及び家族の実態、支援者と活動家などの諸関係を通じ、組織的論理の援用で民衆を評価した活動家は、支援者に対する倫理的裏切り行為を為したのではないかなど、深く本質的な問題が、鏤められている。と同時に、第二次大戦敗戦以降、完全に実質宗主国となったアメリカと被植民国家、日本の間にある歪んだ関係等々が、緻密で重層化した織物として編まれている。

ネタバレBOX

 この作品の優れている点は、以上に挙げただけでも非常に本質的で、未解決な問題を提起している点ばかりではない。坂手自身述べているように、これらの事象を歴史上無かった形で再結合し提示して見せている点である。“五木の子守唄”で知られるこの界隈、川辺川ダム建設(これについては多くの報道、書物などがあるのでご存じの方も多かろう)の推進派、反対派の二項対立という単純なレベルに物語を収束させず、農地改革の矛盾や、その本質としての、農地の世襲問題、言い換えれば、長子相続の伝統にあぶれた二男、三男などの農家の子供達と時代の産業との密接な関係を炙り出しているのだ。これと軌を一にして“五木の子守唄”を挿入し、その意味する所を語らせることによって、地主三十三人衆と小作人との関係をさりげなく示してもいる。五木村に関して言えば、鎌倉時代に迄遡ることができるし、江戸時代の無宿人狩りなど時代劇にも良く出てくるテーマは、農家の二男、三男など長子以外のなれの果てであることを思い起こすならば、時代、時代で彼らが社会参加した形まで射程に含めることのできる想像力の核を埋め込んでいる。言う迄もないが、今でもその流れは続いている。サラリーマンにせよ、工場労働者にせよ、或いは他の勤め人にせよ、多くの労働者は、農村からあぶれた者であることは、言うを待たないのだから。
 一方、物語としては、ダム建設に反対の立場を村民に執らせた本人は、「平」とされており、五木村創設の為に鎌倉幕府が送り込んだ三十三人衆の敵、平氏一門の末裔を想像させるであろう。そして、民俗学で言われる稀人との関連も直ぐに見えてくるはずである。その彼が、共産党の地下活動家として描かれている点も、注目して良いかも知れぬ。何となれば、この「国」に於いて真に革命的な者は、土にしかその活動領域を見出せないからである。平は、村に滞在した2年の間に山間の農業を振興させ、農作物を育てる為の水を村民リーダー達と共に確保する。
(追記後送)
忍者桃丸伝 ~そのNINJA多少難あり~

忍者桃丸伝 ~そのNINJA多少難あり~

劇団 EASTONES

ザ・ポケット(東京都)

2013/06/04 (火) ~ 2013/06/09 (日)公演終了

満足度★★★★

文句なく楽しめる
 岡林家若君、凛太郎、桃丸は大の仲良し。若君は、その優しい性格と、子供らしい好奇心からか、岡林家の忍び、赤目流忍群の下人に混じって忍術の修行に励んでいた。桃丸は、まるで駄目忍者で、皆から石ころ、役立たず、と罵られるのが常。赤目忍群の誰からも相手にされず、泣いてばかりいたのだが、若、凛太郎の二人だけは、桃丸のありのままを受け入れ、温かく接していた。

ネタバレBOX

 然し乍ら、若君は、その剣を持てば覇者の聖剣となり、邪な者が持てば狂剣になると言われる剣、天切丸を凛太郎と奪い合い、足を滑らせて転落死してしまう。凛太郎は、その時以来、天切丸と共に消えた。
 時が経ち、お転婆で兄のすることは何でも一緒にしたかった若君の妹君も、今や娘盛り。だが、預けられた叔父の城は、信長軍との戦闘で焼け落ちる寸前。頼みの赤目軍団も壊滅、家臣団も主だった面々は総て討ち死にした。姫、乳母、侍女二人と家臣で無能の瓜田、そして、雑用、食事係をやっていた為、命を長らえた駄目忍者、桃丸。この面子で一番の兵は、何と姫という有り様なのだが。信長でさえ深追いはせぬであろう奥深い山を超え、父の軍に合流できれば助かる可能性はある。山中には、山賊、獣、人の恐れて通らぬ懸崖など危険にだけは事欠かない。この緊迫感の中で姫一行の命崖の脱出が決行され、そこに魔聖剣、天切丸争奪が絡んでメインストリームが展開する。
 登場するキャラクターは、旅人を襲い、殺害してその肉を喰らう百鬼丸の一行、彼らを手下にし、利用しようとする、凛太郎とその配下、屍一族。更には、現在は、姫に懸けられた信長の賞金を狙って動く脱忍で、くの一を操る蛾獣丸一味、加えて桃丸の余りの弱さに現れた赤目流忍法創始者、赤目 白雲斎。前二者が、姫を狙い、後二者が、姫を守る。この攻防が派手なアクションと上手い殺陣、様々な擽りを交えながら、スピーディーな舞台に仕上げた演出によって効果的に演じられる。
 筋がどうなるかは、勘の良い観客なら、かなり早く見抜くだろう。だが、筋が見えたからといって作品の面白さが減ずる訳ではない。それは、出演している役者陣の芸質の高さ、シナリオの安定感、演出のそつの無さ、各効果の適切な使用などの総合力である。
 終演後、何か生きてゆく力を貰えるような温かさを持つ作品である。激しいアクションの為、役者陣には、怪我を負った者が多いという。楽日迄、大事の無いことを祈る。
完全即興

完全即興

インプロ・ワークス

小劇場 楽園(東京都)

2013/06/03 (月) ~ 2013/06/04 (火)公演終了

満足度★★★

日本人演者は独りよがり
 目指しているのは、アモルフな時空表現ということらしいが、アモルフなものが、てんでバラバラに提示された所で、その周りをかっちりした枠なり基準なりが囲んでいなければ、アモルフな状態は、その状態であることを積極的にアピールできないだろう。
 演者たちはそれなりに一所懸命なのだが、演出力に劣る。少なくとも、一種のショーとして、舞台に掛け、金を取って観せている以上、訳の分からない物を訳の分からない物として提示する為に、プロは工夫を凝らすべきである。能力の低い者ばかりが観ているわけではない。自分達のテンションの高さをこのような対比に立って見せるのであれば、自ずから、解釈とその無効性との鬩ぎ合いを、観客の眼前に展開させることが可能となるであろう。清水も場の雰囲気を捉えるセンスは中々でも、それをいきなり沸点に持ってゆくような発想も、力も感じなかった。ギャグにもセンスを感じない。
 ベルギーから来ている、ヤン・ブランデンのパフォーマンスの中で、タクシーの運転手を演じているシーンがあるのだが、イーペルマルシェへ向かう途中で、彼の右目尻の上部の血管が浮いて突然非日常が舞台上に出来するということがあった。インプロの面白さは、こういう点にこそある。ダラダラ続く日常の中に、何か常ならぬ不気味な物が、突然、その影を映す、その瞬間を、実に素早く捉え、効果的な陰影を作り出した照明も見事であった。

Give your partner good end

Give your partner good end

インプロカンパニーPlatform

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/05/31 (金) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

インプロの愉しみ方
 インプロビゼイションは、何が起こるか、演じる側にも完全には分からないという緊迫感を背景に、観客を否応なく巻き込んでゆく。Platformは、即興の持つこのような特性を前面に出すことで、誰にも予測できない未来を俎上に載せた。この臨場感がたまらない。役者陣の臨機応変なレスポンス、音響、照明のスピーディーでセンシブルな反応、構成全体の理知的な組み立て、ハプニングの面白さが相俟って、二度と同じものは観られない非再帰性を楽しむことができる。
 当然のことながら、観客は観劇しつつも受動的であってはなるまい。受け身では、即興の楽しみが半減することは明らかだからである。観客が、フィジカルなレベルでもメタなレベルでも参加できる要素が、主宰者サイドから幾つか出されている。こういう素材を上手に利用してエキサイティングでヴィヴィッドな観劇体験をしてほしい。

これでおわりではない

これでおわりではない

アンティークス

OFF OFFシアター(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/03 (月)公演終了

満足度★★★

イチイマ
 シナリオの切れがイマイチ。言いたいこと描きたいことはよくわかるのだが、もって行き方が凡庸。良い作品にするには、一々の科白の端々に、登場人物間のドラマティックな関係が浮き上がる必要がある。それがないので、劇が平板なものになってしまうのだ。場の設定をもっと限定したほうが締まりが出た面もあろう。何れにせよ、研究が足りない。また、演出にも工夫が乏しい。もっとエッジの立った演出をしてほしい。
 格闘シーンでは、海兄ちゃん役の誉田 靖敬の体の切れが良い。主役は、楽も迫った公演で、何度も噛んではいけない。

fashions!

fashions!

裏庭巣箱

Studio Do Deux Do(東京都)

2013/05/30 (木) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★

エパーブ
 様々なレベルとメタレベルがないまぜになっていて、統一する理論的支柱がないことが見て取れる。結果、至りついた地点は、ファッション自体の空疎を死と同一視する痙攣的な地平である。既存の価値観を疑問視するような視座が欠如した必然的な結果であるが、「表現」レベルには達していない。単に表層で弄ばれているだけなのだ。そのことには無論、感づいているのだが、それだけでは、表現レベルではなくその門口に漸く立ったに過ぎない。更に先に進む為には、最低限、ハイデガー、サルトル、デリダ、バシュラール、フーコー、マルクス等々を読んで、自分の頭で考えておく必要があろう。

動機/デモ隊 + ショートコント4作

動機/デモ隊 + ショートコント4作

ギィ・フォワシィ・シアター

シアターX(東京都)

2013/05/28 (火) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

気の利いた作品群
 オープニングでは男1人、女1人。女は肘掛椅子に座ってギィフォワシーの戯曲を読んでいる。男が訊ねる。何を読んでいるのか、とか、内容はどうだ、とか、誰の作品だ、とか、どんなジャンルなのか、とか。ひっきりなしに質問を浴びせられながらも女は応えてゆくのだが、非常に苛立っている。だが、総ては台本に書かれたことであることが明かされる。即ち現在上演されていることは、総てシナリオに沿った演技なのである。

ネタバレBOX

  普通、演劇は上演される作られた世界を本当の世界と了解し合うことから始まる。つまり制作サイドと観客サイドは嘘の世界を真実の世界と読み換えるという“嘘の共犯関係”に入るのである。幕が開くとは、そういうことだ。その上で、嘘の中に現れる葛藤関係を通して人間的真実を求めるのである。作る側は、無論、その為に大変な努力をする。その努力の一つが、葛藤を通じた転移である。この作業を通常メタ化と呼ぶ。
 オープニングで演じられるこの極めて短い作品「最初の読書」で、ギィは、少し捻ったメタ化と種明かしをしているのだ。今回の公演では、「動機」(1971年)と「デモ隊」(2012年)の2作をメインにしつつも、昨年フランスで出版されたコント(短編集)を上手に配して演劇効果を高めた。この演出は気が利いている。因みに上演スケジュールは以下の通りである。
1「最初の読書」2「動機」3「いらだち」4「ドジな話」5「デモ隊」6「死はピン1本で」
 「最初の読書」については、既に述べた。「動機」のテイストは、ジャン・ジュネの「Les Bonnes」やサドを感じさせる。最後に演じられた「死はピン1本で」は、短編とは言いながら、サドを彷彿とさせる内容で、ギィの筆力を感じさせる。針のイメージで言えば、谷崎の「春琴抄」の鮮烈なイメージを思う読者もいるかも知れない。だがこの作品の凄い所は、その用い方が、極めて執拗であり、受難者の苦悩をできる限り長引かせる所にある。無論、受難を受ける人物もまた異様な趣味の持ち主であり、この受難を甘んじて受け入れるばかりか喜んでいる節さえある。同時に、刑を執行する女は、この行為の最初から、最も、効果的且つ残虐な方法として、また己のサディスティックな心象の満足と被験者の勘違いを利用することをも意図した上で、足のつま先から、除々に上へ、刺す位置を移動してゆく。刺す針は1本でもめった刺しである。男自慢の局部への攻撃も為される。それも、其々の場所に針を刺す時、彼が弄んできたたくさんの女の名を挙げながら、一刺し、一刺し、刺し続けるのである。結果、彼の呼吸と鼓動は止まる。彼女はそれを冷静に確かめる。この辺りの凄みが、最近、日本の作品には、少ないように思う。
 「デモ隊」について言えば、この作品の背景にあるのは、サルコジが推し進めたグローバリゼイションに反対した移民の影である。日本でも、都市近郊で、車を燃やすなど日本では“ちょっと凄いね”と感じるであろう、暴動やデモが多発した時期を覚えておいでの読者も多かろう。デモ参加者の多くは、移民、或いはその第2世代、第3世代と考えられるかも知れない。無論、フランスの知識人や、ラディカルで自由な市民も含まれていよう。フランスはそういう国である。だが、もし、移民やその第2、第3世代の多いデモであったとしたら、この作品で描かれたことの意味は、現代ヨーロッパに於いて、益々、大きな意味を持つ。否、日本を含め、経済を牽引する総ての国々に於いて妥当性を持つと言わねばなるまい。世界中で経済を牽引する国の総てが、より安い労働力を求めてそのシステムを構築しているのはまぎれもない事実である。而も、その経済優先政策によって、彼らに対する搾取は公然と認められているのみならず、合法化されているのである。合法化とまでいかなくとも、彼らは同じ労働をする、牽引する側の国民と同じ条件では働いていない。これが、差別でなくて何だろうか? 因みに差別をここで定義しておこう。差別とは、生まれや生まれた地域、地域特有の文化など、この世に生まれた個人が、その責任を問われる必要の無い偶然の条件によって、その個人が生活するに当たって関係する他者から、不利益な扱いを受けたり、不当な迫害、嫌がらせなど人間としての尊厳を踏みにじるような扱いを受けることである、と。誰もが知っているように、人は親を選んで生まれることはできない。宗教的には、前世の行いの結果という考え方があるが、自分は無宗教者、無神論者なので、この立場は採らない。従って、差別は不条理(absurde)である。この不条理ということばには、馬鹿らしい、非論理的などの意味も含まれていることに注意すべきだろう。従って、常識的倫理に従えば、差別する側に立つ人間は、不合理で非論理的、即ち、余り優秀な頭脳は持ち合わせていない方々、ということになろう。でなければ、人間という概念にはそぐわない存在か、敢えて愚か者の振りをして、自らよりも更に知恵に欠ける人々を毒牙にかける、程度の低い悪党ということである。こういう手合を下司と言う。態々、解説する迄もないか。日本の政治屋、官僚、経済人、御用学者には、この手の奴バラが多すぎる。
 森下 知香の、普段とはちょっと異質な、可憐な悪女ぶりもファンには見逃せまい。(追記6.19)
RADIO311

RADIO311

GROUP THEATRE

ウッディシアター中目黒(東京都)

2013/05/29 (水) ~ 2013/06/02 (日)公演終了

満足度★★★★

F1事故遠近
 2011.3.11 午後2時46分。宮城県沖で起きた大地震は、M8.4と報じられ、関東でも長い揺れが多くの人々の心胆を寒からしめた。その後、襲い来る大津波に、死者、行方不明者は交通インフラ遮断や通信途絶、原発爆発などによっても立ち入ることを拒まれ、実数は無論のこと、安否確認、危険地域からの避難・誘導についても混乱を極めたのは周知の事実である。

ネタバレBOX

 一方、仙台の母子家庭で育ち、現在は、東京、目黒の賃貸アパートで暮らすニートの青年の部屋には、大家からの退室勧告、NHKの集金人などが、押し寄せてくる。無論、携帯に入る電話は、借金の督促だろう。彼が掛けるのは、友人への借金の申し込みである。毎日、叶いもしない夢を漠然と追い掛けて生きているというのが、彼にとっての日常である。
 だが、この地震の後、今後の生活に不安を感じた彼が、コンビニに食糧、水、その他生活に最低限必要と考えられる物資の買い出しに行き、戻ってみると、部屋の中には、見ず知らずの人達が、ラジオを前に“ああでもない、こうでもない”と言い合っている最中であった。「自分の部屋だ」と言って追い返そうとする彼に、「困った時は助け合いが肝心」と迫る彼らは、一体、どこの何者なのか? 何れにせよ、途切れがちのニュースを必死の面持ちで聴く彼らの態度は、尋常ではない。口々に語られる話の内容からすると、彼らは被災者のようであるが、ここは、現地から200km以上も離れた東京である。被災者が、なぜ、東京に現れたのか? 而も、津波に襲われて間もない時刻だというのに。彼らは、しきりに津波で別れ別れになった家族のことを話している。電話網は、回復していない。安否が確認できないので、ラジオのニュースに齧りついているのだ。青年はドアを開けて皆を追い出そうと試みるが。ドアはどういう訳か、開かない。青年も彼らと共に閉じ込められていたのである。
 幾日か経つと、避難所のニュースなども流れるようになった。するとアパートに来ていた人々とニュースに出た人の再会が果たされる。アパートには、煙が降りてくる。煙が晴れると、件の人々の姿は消えている。成仏したのである。こんなことを繰り返しているうちに、残るは、息子を思って情報収集する夫婦とアパート住人だけになった。而も彼らは再会を果たすことなく煙と共に昇天する羽目になった。最後の頼みに息子への伝言と写真を青年は預かった。
 現地では、責任感の強い父親が、孫を妊娠した娘と女房を置いて、福島原発3号機の収集作業に向かった。1号機は既に爆発を起こし、3号機も何時爆発してもおかしくない。而も、原始炉内部がどのような状態になっているかは誰も分からない。分かっているのは、冷却水が減って、炉心がむき出しになっているだろうこと、従って、炉心を冷やせなけれ、遅かれ早かれ爆発なりメルトダウンなり、メルトスル―が避けられない、ということである。できれば、若者に被ばくさせたくない。彼はベテランでもあり、自分らが行かなければ、誰にも抑えられないという経験と自負もある。恰も、原発自体が、生き物ででもあるかのように擬人化し、語り掛けて収束作業に向かう彼らを新たな爆発か余震が襲う。(追記後送)







このページのQRコードです。

拡大