地球の軌道をグイッと 【ご来場ありがとうございました!!次回は2014年5月吉祥寺シアターです。】
ぬいぐるみハンター
小劇場 楽園(東京都)
2013/11/06 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了
満足度★★★
苛立たしさ
IQ200の天才が、飛び級で大学に入学。ワンダーフォーゲル部に入ったが、ワンゲル部には4年に1度エベレストにチャレンジするという伝統があった。在学中に1度は行ける、という配慮からである。然し、天才が足を挫いて泣き止まず、結局、飛行機に乗り遅れて、この計画はポシャッてしまった。だが、天才君、部費を元手で起業を提案。社員はワンゲル部員達だ。
ネタバレBOX
起業には成功し、莫大な富を手に入れたが、彼はサイバーテロを仕掛ける、と言い出す。その為にこそ、起業したのだと。今迄にヒトが為してきたことの非を散々言って来たのだが、結局、誰も何も改めようとしない。このままではガイアは滅びてしまう、との危機感から、サイバー攻撃によって総ての機能を麻痺させるということを思いついたのだ。
何でこういう作品が出て来たのかを考えた。矢張り、危機感と絶望だろう。実際、この「国」を見ていると完全に未来を失っているとしか思えない。未来を失った人間にできることは、総て虚しいと考えざるを得ないという事実だけである。一切の例外なしに。自分達が成し遂げてきたこと、これから為そうと思っていたこと。それら総ては一つの例外もなく、虚無に到達する。このような世界観に直ぐ手の届く所に、今、この「国」の我々は居る。その苛立ちだ。
演劇的には、もう一工夫欲しい所であるが、以上のような主張には大いに共感する。
Parallel /パラレル
劇団フルタ丸
「劇」小劇場(東京都)
2013/11/07 (木) ~ 2013/11/11 (月)公演終了
満足度★★★★
演出の巧み
舞台上には、同じ室内が2つセットされている。その双方でパラレルな部分とズレが、同じキャラクターという設定の下、異なる役者によって演じ分けられる。因みに、その動作は鏡に映ったように右と左が反対になったりはするが、「基本的には」同じである。基本的に同じであることは、その先も同じであることを保証しない。時には、選択、非選択の差異に因って結果も異なる。舞台上では、実際の役者がそれを演じている訳であるから、同じキャラクターを演じる双方が出会うことは、無論、可能であり、その程度のことは、シナリオに記されている。但し、出会いは、通常のドッペルゲンガーではないので、出会った時は、ドッペルゲンガーのパロディーとして顕在化する。知的に大切な部分は、ほぼ、以上である。
韓国現代戯曲連続上演
韓国現代戯曲連続上演実行委員会
こまばアゴラ劇場(東京都)
2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
何れも頗る個性的で面白い
清水 邦夫さんの言葉に、台本というのは寝ている状態だ、というのが、あるらしい。だとすると起こすのは演出家で、実際に起きて働かせるのが役者の仕事ということになりそうだ。こういう意味では1)「真夜中のテント劇場」2)「秋雨」3)「上船」何れも、シナリオライター、演出家、俳優の個性を出した成功作と観た。(追記2013.11.12)
ネタバレBOX
1)は現在も続く韓国のテントスト。今作の説明では2008年から既に1800日を越える人もあるそうだ。日本と異なり、このような抗議行動は多いという。それもそうだろう。IMFに散々にされて以来の韓国経済は、そのグローバリゼイションの煽りを恐らく日本より酷く蒙ったであろうから。作家は、実際のテントスト実行者達を見て、今作を書いたという。その視座は、自分には、弱者に寄り添うものに見えた。作家はスト決行者の側に共感を寄せているのである。実際問題、テントスト決行中に亡くなった方々もあるというし、子供が、「お母さん行かないで」と言うのを振り切って行動に参加する母もあるという。未だ、社会責任という大義がきちんと社会に根付いているのであろう。
更に、彼らの抗議行動が実に爽やかに描かれている点にも着目したい。テントに使っていた布を飛行機に見立て、両側から煽って雲間を飛んでいるような爽快感を出している点などがその実例だ。眼下にたくさんの小さな灯を点してたくさんのテントを表すイマージュも美しい。それは、天の川の銀河とも照応する普遍性を示唆している。また、塔に立て籠もる人も居る。それらが、テント地の飛行装置で大空を駆けることによって齎される。アラビアンナイトの魔法の絨毯や孫悟空の觔斗雲をもイメージさせよう。
2)は、ヌーベルバーグ以降、映画では多用されたフラッシュバック的な手法が用いられた作品なので、若いカップルの所作がそのヒントになっていることに気付かなければ、混乱してしまうかも知れない。最初の2~3分間で、この構造が示唆されるからである。
物語は、能の所作をベースに展開する、仮面が用いられる点では、能も朝鮮半島の伝統的芸能にもそのルーツを辿れるかも知れない。何れにせよ、幽玄の趣、生と死の間が今作のテーマである。少なくとも演出家はそのように読んでいる。執拗に繰り返される、「死んでゆくことと、死ぬこと、どちらが云々」という問い掛けは、無論、予め答えが出ている。死んでゆくことという表現が意味しているのは、少なくとも精神的には既に死んだ状態を意味しているのであり、死以外に救いが無い状態である。従って、答えはあっさり死ぬことがベターなのは分かり切ったことなのだ。では何故、童謡作家は、このような質問を繰り返したのか? それは、その問いの意味する所を訊かれた人々が瞬時に判断し得るか否か、判断したとして、それが、質問者の意を汲み取れているか否かを読み取ろうとした為であるように思われる。それが、アイロニーとして成立するならば、何がしかの復讐には成りえようから。彼を演じた神山 てんがいの澄んだ目と上品で威厳に満ち、然も優しさを感じさせるキャラクターを乞食同然に扱うことで、見事に人生のアイロニーを成立せしめた。盲となった妻、父の発表した童謡の印刷された本を大事に持ち歩く娘、二人は、其々春を鬻ぐ身とはなったが、未だ生きている。「死んでゆくことと、死ぬこと。どちらが・・・」答えの知れている質問を発する父は、自動車に撥ねられて亡くなった。轢き逃げ事件である。そして、犯人は、作品中に示唆されている。それは。是非、シナリオを読むなり再演を期待して欲しい。
ところで、自分の勝手な解釈では、この能をベースにした所作は、広島、長崎の被爆者、ひいては福島を中心とする3.12以降の被爆・被曝両者をもダブらせた。即ち、「死んでゆくことと、死ぬこと。どちらがいいですか?」
3)「28年ぶりの約束を果たしに来た」と男は言う。舞台は港に近い屋台のおでん屋だ。男は、病院経営をしている医者。話相手になっているのは、屋台の女将。今は橋が掛かって誰も島とは言わなくなっている所に枝がひねこびたような松があった。その松を描いてやると娘は独特の笑い方をした。二人は恋に落ちた。そして反対された。子供が生まれたが、男は、その事実を知らずに都会の大学で医学部に通う身になっていた。「必ず、戻る」との約束通り男は戻ったのだが、娘の母に「娘は結婚して都市に住んでいる」と告げられ逢うことはできなかった。事実は、子供を凍死させるほど行き詰まった娘は、島の閉鎖系には居られなくなっただけだった。彼女は、噂を頼りに、都市部の大学を訪ね、彼を見掛ける。然し、声を掛けることはできなかった。自分の境遇と余りに異なる恋人の眩しい姿に後れをとったのだろうか。何れにせよ、双方とも、自己の最善を尽くしながら、目的を達することができなかった。28年が経っていた。新聞には、交通事故の記事が載っていた。亡くなったのは1人、病院経営の医師である。
男と女(屋台の女将)は酒を酌み交わし、「もう行かなければならない」と汽笛を聴いた男は言う。あの世への船だ。二人こそ、かつての恋人であった。気付いて居ながら、露骨にはそれと言えない。だが、互いに気付いて居る。観ていて胸に迫る名演であった。殊に、女将を演じた洪 明花の演技は男の自分には胸に堪える演技であった。洪 明花の演技を受け、きちんと対応していたナギ ケイスケの渋さも光る。
【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』
BeSeTo演劇祭
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2013/11/05 (火) ~ 2013/11/06 (水)公演終了
満足度★★★★★
知的演出
Polyamoryを実践する多情という女性の生き方はMonoamoryが当たり前と考える社会で成立し得るのか? という問いが今作の基本テーマである。実際問題、異性と付き合うに当たって一人と付き合って自分の望む異性像の総てが満たされるということは殆ど無いだろう。あれば、奇跡だ。精神的な部分で相性が良くても、体力、年齢差、身体的相性など、総てが完璧などということは、完全に無いとは言えないだろうが、先ず無いと断言して構うまい。ということは、一見、どんなに不足が無いように見えるカップルでも、1つや2つの相違、行き違い等は、誰しも抱えているのに、総てが満たされるなどということは無い、と皆知っているから妥協しているだけ、というわけだ。
ネタバレBOX
今作のタイトルは高麗時代に書かれた「多情哥」という有名な詩から取られている。作・演出のソン・ギウンは、謙遜して私的な世界と言っているが、これは、現代だけの問題ではなく、男女間にある普遍的な問題であるということができる。初演は2012年6月ソウル。
作・演出のギウン本人が、彼役の役者が居るにもかかわらず、作品に登場したり、多情役の女優が二人居たり、多情という女性には、モデルが居て、その女性はホントに多くの男とリアルタイムで付き合っていたり、と。リアルな世界と舞台とが、舞台上で入れ子細工になるとても知的で面白い演出方法で、演劇手法に興味のある人には堪えられない舞台である。
誰しも嫉妬などの生臭い関係を想起するシチュエイションを救っているのは、ギウンが、恰も社会学の研究者のように多情とその恋人達の関係を捉えようとすることによってである。例えば、factを表にした彼女と付き合う男達のデータ分析である。この表を見ることで、彼女と男達の付き合い方がパターンとして見えてくる。どろどろの関係が、抽象画の面持ちで現れてくるのだ。だが、この知的転換が、多情にとっては、ゲーム的で、対ギウンで愛憎半ばする原因であり、ギウンにとっての救いなのである。
多情は本気である、と信じている。唯、心の動くままに愛し別れるのだ。だから、変わってゆくと。一方、ギウンは、その知的作業を自らの意識の地平で行う為に、破綻・発狂という事態を生じない限り、己のディメンションを超えることはない。(追記後送)
見上げてごらん夜の星を
ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ
かめありリリオホール(東京都)
2013/11/09 (土) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
満足度★★★
昭和らしさ
1960年初演の今作で、いずみ たくは、日本独自のミュージカル作品公演の旗揚げを目指した。コマーシャルソングを作曲し、それが流行る度に自らが痩せ細ってゆくような感覚に襲われ、そういう地平から脱したいと、当時、日本では未知の領域と言って良かった和製ミュージカルに挑んだ。その志と努力は本当のことだと信じたい。亡くなるまでに100本以上のミュージカル作品を書き「歌麿」はアメリカへも持っていった。落語の「死神」もミュージカル化しているしアリストパネースの「女の平和」、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」などもミュージカル化している。その出発点に位置した作品ということができる。何処にでもいる定時制高校へ通う少年たちと少女の友情を中心とした作品。昭和という時代が色濃く出、貧しかった頃の日本のイメージも窺える。
APAFアートキャンプ・特別レクチャー
アジア舞台芸術祭制作オフィス
東京芸術劇場 シンフォニースペース(東京都)
2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
満足度★★★★★
身体という劇場
台湾発の舞蹈である。土方 巽らの暗黒舞踏とは、根本的に異なり、生命の外的在り様は、内面より勝るものではなく常に内外の衝突の取る均衡にあると考える為、エネルギーポテンシャルを内側に溜めて外に接するという在り様そのものが、皮膚一枚の緊張感となって、観ている我々にもびりびり伝わってくる。従って、ただ座っているだけの舞踏家が、実に躍動的で緊張に満ちた存在そのものとして観る者に注視を迫るのだ。
現在までに今作を含めて3作品を創作。各々の作品は10年掛けて世界のあちこちで上演されて来た。現在、無垢舞蹈劇場の林 麗珍は、アルテの世界8大振付師の1人に数えられている。身体論も独自のもので、身体の部位を中心軸、中心円、尾骶骨に分けて考えている。そして座った状態で大地のエネルギーを受け尾骶骨を謂わばスイッチとしてエネルギーを徐々に上に上げてゆく。この際、中心軸は更に細かく8つの部位に分けられているのだが、ここではそれは省略する。何れにせよ、一旦、頭まで達したエネルギーを今度は、下放し更に逆転させるというエネルギー循環を繰り返すわけだ。このように身体を捉え、用いて行く為に、身体そのものは、頭によって支配されることから、幾分ずれる。そのことによって、身体そのものが謂わば劇場になっているのだ。そして、劇場化した身体を通して世界を観ずる時、世界もまた劇場化するのである。
ビールのおじさん
cineman
ワーサルシアター(東京都)
2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
満足度★★★★
非演劇的演劇
事件らしい事件は殆ど何も起こらない。或いは、曖昧に処理される。それだけに役者の力量、筋の運び方、目立たない演出が重要になる。伝統的にカソリックのフランスでは、ヌーボーロマンに照応するようにアンチテアトルが起こったが、日本の伝統には、そもそも、絶対基準というものは存在しない。物事は、浮かび流れ去る泡の如きものであり現象であるに過ぎない。能で日本人の心の働き、魂の働きの極限領域として狂が描かれるのは、絶対が無いからである。その為、或る表現の強度を高め、保つ為にはその在り様の極北を目指すしかないのだ。
今作でその強度を保障しているのは、土地、土地柄である。だから、方言は必然になるのだ。このように劇的なるものを避ける手法を自分は、非演劇と名付けておこう。未だ、この手の作品は少ないかも知れぬが、一つのムーブメントになる可能性は秘めているかも知れぬ。
とても分かり易い例を今作の中から1例だけ引いておく。タイトルの「ビールのおじさん」だが、通常の主役ではない。寧ろ、老子の“上善は水の若し”という思想に近い。
ネタバレBOX
鹿児島の辺鄙なエリアで米作を営む中農の長男が亡くなった。連絡を受けた兄弟、縁者が集まる。TPP締結を目前にし、ただでさえ少ない働き手を失った三男の智和は、以前、亡くなった長男が動かしていたコンバインに巻き込まれて、足を怪我して以来びっこである。現在は、大学を止めると言い出した長男の娘、姪の尚と、都会から住み込みの農業見習いで来ている慶一郎が手伝っているが、将来の展望は明るくない。
皆に声を掛けた嫁、倫代は6年前には籍を抜いていた。ただ、尚が大学を出る迄は、一緒に暮らすと約束していたに過ぎない。そんなこともあって、彼女は、家を売ろうと考えても居た。
そこへ長い間実家へ戻らず長距離トラックの運転手をしていた次男の智良が帰って来たのだが、親子ほど年の離れた女が一緒である。麻子と言うが、彼女は余命半年と言われた智良の体を気遣って、酒、煙草を禁じている。それでも、智良は隠れて煙草やビールを遣ることがある。智良がこんな生活をしているのは、何をやっても兄に敵わない自分の居場所が無かった為、故郷に居続けることに耐えられなかったからである。
麻子は、以前、完璧と言える彼氏と付き合っていたが、彼に合わせる為に自分も完璧になろうと背伸びをし、疲れ果てていた。そんな時、智良の肩肘はらぬ生き方に出会い、付き合うようになった。
今は天文館のスナックでママをやっているめぐみは、倫代との結婚前に、長男の息子を産んでいる。名を正と言うが知恵遅れである。正は、初めて会った尚を気に入り、追いかけ回すが、結果は定かではない。ところで、尚が大学に行かなくなったのは、子供を堕ろした諸々の事情の結果である。
現在は渋谷のブティックで店長をしている妹の智香。彼女は、智和の嫁、美希の同級生で子供の頃はデブでブス、友達になってくれたのは美希だけといういじられキャラだった為、現在ではダイエットに随分気を使っている。
その美希の高校時代の彼が、転勤で鹿児島に戻って来た。以来、彼女の心に恋が再燃、智和との間が、怪しくなる。唯、この件を契機に夫婦は、互いに腹蔵の無い話をすることになり、結果、雨降って地固まる、ということにはなった。
Lamp Light
激団リジョロ
タイニイアリス(東京都)
2013/11/06 (水) ~ 2013/11/11 (月)公演終了
満足度★★★★★
願いのともす灯
座長達が好きだというチャップリンに捧げるオマージュでもある今作、無論、ライムライトをもじってつけたタイトルであると同時に、今作の主題である、一点の光をも意味する。差別される側に在って、一点の光を求めることには、大変な労力と努力が必要である。殊に不合理、非合理、理不尽、不条理そのものである差別によってある位置に押し込まれざるを得ないと多くの同胞が思う時には、尚更である。
それ故にこそこのタイトルなのである。母に先だたれ、父には蒸発された挙句、孤児の施設に収容されたものの、年下の入所希望者が多く、限られた予算に彷徨処分を余儀なくされた少女は、一縷の望みを託して暗黒の世界に飛び込む以外方法を持たない。年端も行かぬ女の子という設定は当然、「Kid」を意識したキャラクターの作り方である。
内容は観て貰うとして、リジョロの激しい動き、エネルギーを叩きつけるような演劇作法の背景にあったのは、恐らく、この理不尽に対して狂わない為の判断だったであろう。劇団15周年を迎え、初期の激しさから、質への転換を図る時期に来ているのかも知れぬ。理不尽に対するマグマのようなエネルギーはより内面化されて、新たに様々な方向へのチャレンジに向かってゆくような気もする。
今作には続編がある。タイトルは「サーカス」来年6月に上演を予定している。こちらにも是非、で、その前に今作を。
全事経験恋歌 (ゼンジ.ケイケン.エレジー)
アジア舞台芸術祭制作オフィス
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
満足度★★★
表出の仕方
あるキャラクターが物語の中に入り込んで作品を書き替えてゆくという発想は、目新しい訳ではない(例えば、レイモン・クノーの“イカロスの飛行”など)が、大体、その替え方の妙を楽しめるのだが、今作では、アイデンティティーやジェンダーの問題を扱おうとしながら、それがセンチメンタリズムに堕した形で表出されていた点に難がある。つまり普遍化されていないのだ。もう少し、演出や編集、社会学や哲学の勉強が必要だろう。
国際共同制作ワークショップ上演会
アジア舞台芸術祭制作オフィス
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
満足度★★★★
お国柄や立ち位置が良く見える作品群
台湾、シンガポール、韓国、ベトナム、日本からの参加者が、6人の演出家の下、6チームに分かれて約15分の作品を上演。各作品への質問、趣旨説明などのトークに10分間をあてた。
作品がショートなので、却ってお国柄や個々の作家・演出家の置かれた状況が端的に出るような作品が多く見られた。台湾の作品では、IT製品の世界的下請けである台湾の先進技術を応用したゲームなど室内遊戯が、家庭という社会的単位を破戒し、ひいては、個々のアイデンティティーを破戒して行く様が。ベトナムからは、2作品。男女のジェンダーに関わる問題を案山子を仲介として描いた作品と日本人駐在員とベトナム女性の恋物語。駐在を終えたのだろうか? 日本人は、何も告げずに彼女を捨てた。結果、ベトナム女性は自殺。シンガポールからは、“うえる”という発音から、植える(米を)飢える、餓える(心が)をフラグマン化して捉えた。韓国作品は、チェサを通して母の深い愛を、また日本からは、“アマルガム手帖”という作品の一部抜粋という形での上演であったが、箍の外し方が絶妙で、大人達の化けの皮を剥いだ、実に刺激的な笑いを誘う傑作。
らぶ・まん的キャンディ「あめちゃん」
らぶ・まん
Livetheater間~まほろ~(東京都)
2013/11/01 (金) ~ 2013/11/05 (火)公演終了
満足度★★
緻密さが欲しいが
結局、皆モテたいのだ! という仮説(思い込み)から始まった今作。モテ過ぎたらどうなるか? を主として女の子の視点から描いたと言えよう。
ネタバレBOX
主人公はCandyという名の女子大生、彼女は女子大生憧れの的の詩人教授、マクフィスト(メフィストのもじりか?)からも求愛されたのだが、少女らしいためらいから拒否。然も、実家で使っている庭師から彼に気があると誤解され、ただならぬ関係になってしまう。だが、その現場を口さが無い連中と父に押さえられてしまった。
と、どういう訳か、Candyは、風俗店で働くようになっており、口さが無い連中が囃したてたりもするのだ。が、連関が描かれておらず、雑な印象を与える。
この後も展開に必然性はなく、只、のんべんだらりと流され堕落してゆく女が、描かれる(終には実の父とまで)。これを、彼女自身が、“愛の使者”であると位置付け、善意に解釈すれば、産む性として、♂の玩具にされつつ、その♂どもを愛するという次元に自らを置くことでフィジカルレベルを超えようとする試みと取れないことはない。この解釈通りだとすると、結果的には娼婦即ち聖女という定義が導き出される。だからこそ、最後の場面で体から花を咲かせる存在に転化したのだろう。こうとると、若干シュールだが、面白い解釈たり得るかも知れぬ。
役者と言える演技をしていたのは、坂中 久志1人というのは情けない。
麗しき乙女達の肖像
第6ボタン
埼京線十条駅徒歩5分のダイニング(東京都)
2013/11/01 (金) ~ 2013/11/10 (日)公演終了
満足度★★★★
良く書けている
高校時代に書いたシナリオをほぼ全面的に書き直した今作。上演場所が変わっている。お好み焼き屋の2階なのである。鰻の寝床のような細長い空間に舞台空間と客席が設えられる。天井までのタッパは2mちょっとという感じでかなり低い。演技スペースもかなり狭いので、相当考えて動かなければ身動きが取れなくなるのは必定。
然し、空間の使い方は上々で、役者の声の大きさも会場にマッチした適度な大きさ、カツゼツも良い。余り肩肘を張らず、本音部分も作者が自分自身を茶化してみているような距離感があって、作品を下卑た物にしていない。筋の運びも、この距離感に支えられつつ自然に展開するので、素直に笑える。中々の才能である。
アラサー女子のホンネとサラリーマン生活の凌ぎ合い。とくとご照覧あれ。
音楽劇「赤毛のアン」
DGC/NGO 国連クラシックライブ協会
東京国際フォーラム ホールC(東京都)
2013/11/02 (土) ~ 2013/11/03 (日)公演終了
満足度★★★★
子供たちの可愛らしさ
国連絡みなので、所謂出来の良い優等生的発想の作品でそういう作りになっている。資金も豊富だ。訴えていることが、こんなに金を掛けなければ実現できないなどとは、到底思えないのは、自分もアフリカで仕事をしたことがあるからである。
子供を多く使い、良い子教育で縛ったうえで、お転婆娘、アンを演じさせる。照明も暖色系を多用して暖かく、前向きなイマージュを積極的にプッシュする。無論、技術的には、上手である。子供達の素直さと一所懸命とには好感を持った。唯、大人がそれを利用してある方向に持って行こうとしていることは、矢張りあざとい。
一方、役者達の演技には、好感を持った。これは、大人の役者に対してもである。マシューの暖かさ、最年少のアンを演じた女の子のひたむきにも。
アンが到着した駅の名が、Bright Riverというのも象徴的に上手く使われているし、終盤、マシュー夫妻とアンが手を繋いで歌うシーンでは、雲という極めて可塑的なイマージュが、用いられ、観る物に各々好きな形を想像する余地を与えている。
また、マシューが亡くなった後も「同じ明日は無い」と前向きに生きて行こうとするアンの姿勢は、基本的に正しい。人は夢無くして生きては行けない生き物だからである。
阿Q外傳
NAT
こまばアゴラ劇場(東京都)
2013/10/31 (木) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
満足度★★
演出家が余りに鈍感
辛亥革命を風刺した作品ということで期待していたのだが、演出家が、今作の演出に当たって革命について真剣に考えているという印象は全然無い。Beseto演劇祭のコンセプトに合わせて著名作家・大作家であり、日本に留学していた経験もあることから、影になり日向になりしながら、日中友好に心を砕いた魯迅の作品を下敷きにした宮本 研のシナリオをアリバイ的に持ち出したとしか思えないのである。
ネタバレBOX
そも、今作が、今の日本、韓国、中国のどの国にヴィヴィッドに受け入れられると考えたのだろうか? 革命が成功する為には、民衆の逼迫、権力者の横暴・堕落、軍内部の反乱傾向、更に革命の中心を担う指導層の成熟、資金、革命勢力への民衆支持、転覆の好機、社会情勢、世界情勢等々の的確な分析などが、最低限必要である。革命が出てくる作品の演出をするのであれば、命懸けで闘った多くの名もなき革命家が、世界中で何をどうしていたかに目を配って当然なのだ。そういった視点が一切ない。だから、必然性の無いダンスなどが出てくるのだ。
大体、今の日本で革命ということを、それも、関係も表さずに出すこと自体、考えが足りない。出すならば、辛亥革命を支援していた日本人をっもっときちんと作品の中に出し、その辛苦をも表出すべきであっただろう。宮本のオリジナルシナリオを読んでいないので何とも言えないが、オリジナルをそのまま踏襲したシナリオであるなら、ちょっと、今の日本の状況とは距離が在り過ぎる。
何故なら、今作を今回、日本で2013年秋に上演しているわけだが、安倍政権は、今や反革命・反民主主義の尖兵、ファシズムの前衛である。然も、愚衆は、一切、危機感を持っていない。それどころか、相変わらず、その日、その日の小市民的発想にしがみつき、アメリカの植民地であることに屈辱すら感じていないようである。その鈍感、その退廃をこそ、撃つべきであった。そこに中国の民衆を介在させる必要は無い。中国民衆を介在させるなら、中国と日本との間に在る差異についてもっとエッジを効かせて描くべきであった。
ハムレット異聞
DANCETERIA-ANNEX
あかいくつ劇場(神奈川県)
2013/11/01 (金) ~ 2013/11/02 (土)公演終了
満足度★★
練習不足
オープニングの歌唱は霊が歌うということで態と声を出さずにいたのか? 音楽劇と銘打っているのだったら、もっと悲しいトーンで表現するなどという方法があったのではないだろうか? ピアノも凡庸な演奏でプロとしては聴くに堪えない。おまけに役者が矢鱈に噛む。蜷川演出ほど厳しいことは要求しないにせよ、本番でこれはない。役者が観客に背を向けるだけで科白が聞こえないなどということもあった。主役以外は、基礎からやり直した法が良いのではないか? シナリオは原作をかなりアレンジして、それなりに面白いものになっていたが、舞台美術のセンスも無い。我楽多をそのまま置いただけのような杜撰なものなのに、照明で調整しない場面もあった。照明で調節できないなら、せめて布で表面を覆う程度のデリカシーがあって良い。
ギャラクティカ・めんどくさい。
劇団鋼鉄村松
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2013/11/01 (金) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
満足度★★★★★
意外にも哲学!!
如何にも少年ジャンプファンの村松氏の作品らいしい、と言ってしまえばそれまでなのだが、デカルト以来、西欧の中心的思考法であるdualismの問題として捉えると頗る面白い。一方の極にニヒリズムをもう一方の極に何かaffirmativeなrealismかromanticismを置いて、双方が在る主題に就いて論じ合うシュミレーションのような楽しさがある。今作の場合は、それが、未来に於ける編年体の歴史として紡がれてゆく。片や“めんどくさい”を標榜する“めんどくさい銀河帝国”片やここから独立した“おもしろい星団連邦”。標榜するのは無論、“おもしろい”。互いに異なる原理でも戦争や支配・被支配は成立するのか? 戦えるとして勝敗の行方は? 等々、一見、馬鹿らしく見える中に仕組まれた、深遠な二元論的世界観。楽しめる。
「ラストシャフル」
劇団 浪漫狂
シアターサンモール(東京都)
2013/11/01 (金) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
満足度★★★★★
選曲の良さ
飲み屋で騒いでいた連中の話から、金があると睨んだ家に彼女の久美と一緒に忍びこんだ恭平だったが、狙われた重吉の家は、既に何者かに物色されていた。然も、ベッド脇と壁の間からは逆立ちした足が! スワ、これは単なる物盗りではなく、強盗殺人? 自分達が、凶悪犯として疑われてしまう、と逃げようとしたが、そこいら中に自分達の指紋が付いている。拭き取ろうにも最早、無理!! とおたおたしている内に、どうやら被害者が死んではいないらしいことに気付き、ベッドの上に寝かしてやるのだったが。被害者、重吉は、恭平に対して政伸と呼びかける。息子と勘違いしているのである。逃げるタイミングも当ても失した彼らは、重吉の家に息子の振りをして居座ることにした。(追記2013.11.2)
ネタバレBOX
と、そこへ戸をどんどんと叩く音。「清治です、御隠居~~~」っとケタタマシイ酔っ払いの叫ぶ声、余り煩いので開けてやると魚屋の清治が入ってきた。どうしても話したい事があると入ってきたのだが。間もなく大鼾。起こすと、仲間も呼ぶと言って携帯で仲間に電話を掛け、結局、朝迄どんちゃん騒ぎだ。実は、彼らは地元の草野球チーム レ ユニオンのメンバーなのだが、重吉は、喋るのが、下手でこの陽気で人の良いレ ユニオンメンバーとは行き違いがあった。だが、地元の為に多大な貢献をしていた重吉の人柄も知らず、悪口を言ったりしたことを詫びにきたのだ。だが、重吉は、アルツハイマーが進み、体力も落ちて車椅子生活だ。そこへ、流石に親を心配してのことだろう。長い間、不在にしていた息子(実は恭平)達が戻って来て面倒を見てくれているというので、介護関係のサジェッションや役所の部署、人脈など必要な知識を授けてくれたのであった。幸い、久美は、心の優しい女性で、本当の父のように甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。何の関わりも無いハズの自分達に、何故、レ ユニオンの人々はこんなに良くしてくれるのか? 事情があって、人間不信に陥っていた恭平にも、こんな疑問が湧くようになっていた。重吉の介護にも大分慣れた頃、アメリカから重吉の妹が訪ねてくる。彼女はアメリカ人と結婚し30年アメリカに住んでいたのだが、夫が他界し介護の任を解かれて帰国したのだった。(未だ本番中、ここから先は観てちょ)
TVネタを利用しながら笑いを獲るというのは流行りなのだろうか? 多くの人がTVを中心に生活しているとも思えないのだが。観客の反応からは、或る程度矢張り見られているのだろうとの判断はできる。然し、折角、舞台で上演しているのだから、枕とはいえ、TVネタを多用するのは如何なものか? とは思うのだ。
ところで、レ ユニオンのメンバーは何故、午前2時近くに現れたのか? 丑三つ時だからである。この辺り、流石に舞台人、キチンと我が文化の伝統を踏まえての作りだ。但し、矢張り故人となっている恭平の生みの親たちの現れる時間帯は、朧であるが。
ピアノレッスン、なう。
黒鯛プロデュース
サントリーホール ブルーローズ(小ホール)(東京都)
2013/10/30 (水) ~ 2013/11/01 (金)公演終了
満足度★★★★★
小原 孝氏のピアノ 必聴
魂に沁み入るようなピアノ演奏と味のあるシナリオ、自然に見える演技、照明、音響などの効果、演出も出しゃばらない心に残る舞台だ。(追記’13.11.1)
ネタバレBOX
由緒ある結婚式場の支配人代理と新入社員達は、今月あと1千万以上の売り上げが無ければ、馘首されそうな状態で戦々恐々である。そこへ下見に来た母親。式場スタッフは、ここぞとばかりに売り込みに掛かるが、肝心の花嫁は、披露宴を開く積りが無い。それが、理由で、母親一人で下見に来たのである。母としては、どうしても娘にこの式場で豪華な披露宴を挙げてやりたい理由があった。というのも、彼女の実家は医者で、夫はピアニストだったのだが、両親の説では、ピアノなんか弾く者に碌な奴は居ない。従って結婚など以ての外というものであった。両親の賛同を得ることなく駆け落ち同然で結婚生活に入った母親には、披露宴をする資金も無かった。偶々、駈け落ちの道行きで、この式場で披露宴を挙げているカップルを見た彼女の心に浮かんだのは、こんな豪勢な式を挙げることのできる人々もあるのだ、という感慨であった。
そんな思いの母親に、式場の支配人代理が、勧めたのは何と3日後のプランであった。それならば「思い切ってサービスさせて頂きます」と言うのだ。無論、彼女には彼女の事情がある。母は、それでも良い、とこの話を受けた。母と支配人代理の話が纏まり掛けた所へ、娘が顔を出した。娘は「内々で食事を摂るぐらいの気持ちだ」と中々譲ろうとしない。まして「3日後では、招くべき客だって間に合わない」と反対する。然し、母は動じない。「自分の兄と、夫、新郎サイドには既に話をしてあり、新郎サイドは親戚のおばあさまを呼ぶ位であとは、道行く人々を呼んで一緒に祝って貰う」と言うのだ。それも、嘗ての自分を思い出してのことである。娘とのやり取りで決定的だったのは、ここには、名器と言われるピアノがあったことだ。母は、そのピアノの前に立ち、一音出してみる。そして、「3日後には、自分が、ピアノを弾く」と言うのだ。だが母にピアノは弾けないと娘は知っている。然し母は「幻の名ピアニストに手ほどきを受け3日で弾いてみせる」と言い切る。これは、解離性健忘症に罹っている母だけに見える名ピアニストが居たのからである。
話は飛んで、3日後、婚礼のリハーサル現場である。彼女は3年前に事故で亡くした夫の辛い死を魂の底で認められず解離性健忘症に罹っていたので、彼女が夫だと思い込んでいたのが、実は、彼女の精神科担当医で、兄が、病院勤めをしている関係で面倒を見て貰っていたという事情なども分かっていない所がある。そんな状態のまま、リハーサルで娘も覚えてしまった「スウィートメモリー」を幻のピアニストと連弾していたのだが、発作を起こしパニックに陥ってしまう。兄は「披露宴は中止だ」と叫ぶ。キャンセル料は100%なのだが、パニックを起こした妹のケアは到底無理だ、と判断したのである。因みに、解離性健忘症というのは、辛い経験などと向き合うことを避ける為に、部分的に記憶喪失症状を呈する精神的疾患のことで、封印している記憶が、何らかの契機で思い出されそうになると、思い出したくない規制と心の中で強い葛藤が生じ、その結果、心理的平衡を失いパニックに陥ってしまうのである。今回、その契機となったんのが、娘も好きな標記の曲で、夫との記憶を呼び覚ましそうになったので、パニックを起こしてしまったのである。幸い、今回は、この葛藤を通じ、また、幻の名ピアニストが実は、自分を見守ってくれている亡くなった夫だという謎も解け、以て魂の平衡を取り戻すことにも成功してゆく。
娘との見解の相違を互いにぶつけ合った結果、娘も本心を話し、妻子もちであった新郎との間にあった諸々の事情や、周囲からの非難・批判への心理的逃亡もあって小じんまり内輪だけの式にしようとしていたことを認め、本当は、きちんと披露宴をして皆から祝福されたい本音も述べ、結婚披露宴を開くことに同意。母の出した案にも賛成したのである。而も、この間に2度離婚経験を持つ兄は、支配人代理と意気投合、W結婚披露宴に発展したのであった。
客席は階段状になっていないので、舞台は席によって見づらいのだが、音楽が、欠けた空間を埋めてくれる。それほど、素晴らしいピアノである。自分はピアノ曲が大好きなので、或る程度ピアノの生演奏を聴いてきたのだが、タイプは違うものの、辻井 伸行君のピアノを聴いた時と似たようなポテンシャルの高い感動を覚えた。必聴のピアノである。
ウォルター・ミティにさよなら2013
TUFF STUFF
相鉄本多劇場(神奈川県)
2013/10/27 (日) ~ 2013/11/04 (月)公演終了
満足度★★★
志が
役者陣の演技は悪くないが、シナリオライターの志は低い。それもあってのことだろう。観客にも恵まれていないようだ。殊に小劇場演劇では、客席と舞台が近い為に、互いの想像力による争闘は、より熾烈である。また、そのことが、小劇場演劇の醍醐味でもあるのだ。にも拘わらず、この劇団のシナリオは、想像力を全面的に信じる形になっていない。逆に言えば、観客を嘗めているのである。それが、説明過多に端的に現れてしまった。本当に途中で帰ろうか、と考えた程である。
逆に、緊迫感のある舞台作りになっている場合には、ダンスなどのパフォーマンスに必然性が感じられず、場違いな印象を受けることが多いのだが、この劇団の場合、最初に底を晒してしまうので却って即物的なダンスパフォーマンスが活きた。
次は、通常の芝居のように、論理対論理と想像力対想像力をキチンと向かい合わせることで成立するドラマツルギーに挑んで欲しい。
巣窟の果て
643ノゲッツー
劇場HOPE(東京都)
2013/10/30 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了
満足度★★★★
大人の責任を問う
あまり当てにならない占いを生業に共同生活をしている若者グループ。実は、全員孤児だ。(多恵だけは、園長の死後、孤児になった。即ち園長の娘である)
ネタバレBOX
一緒に住んでいるのは、支援者がこの建物に居住することを許してくれているからだが、住民は総て同じ施設に居た仲間である。但し、年齢は少し離れている。皆の夢は、施設を再建すること。だが、仕事は中々長続きせず、資金はままならない。その中で、或る程度続いているのが、一応、雰囲気を持ち、且つ、子供の頃に占い師になりたいと言っていた“先生”が占うという形をとっている占い事業だけなのだ。クライアントを信じ込ませる為に、個人データを様々な形で仲間が入手しておき、それらを用いて信じ込ませておいてから、当たり障りのないことを言って丸め込むのである。総ての占い師がそうであるように。この時、占い師先生は、仲間が裏で資料を見ながら教えることを瞬時にクライアントの前で繰り返す。(裏方と先生とのコミュニケイションは“コツ伝導”と呼ばれているが、コツに骨をいう字をあてるのかどうか定かではない。)
ただ、先生には妙な癖がある。いい年をして、小便を漏らすのである。それが、毎月同じ日だと指摘したのは、多恵だ。彼女は、先生が態とやっているのだと非難する。それは、毎月13日、園長の月命日に当たる日だからである。すると先生応えて曰く「園長を殺した癖に!」彼は、見ていたのだ。年長の多恵、瀬戸、佐伯の三人が、園長を井戸端に呼び出して突き落とすのを。警察は自殺と判断し、事件はそれで一応収まったのだが。
三人は、何故、こんなことをしたのか? 而も、多恵は、園長の娘である。実は、園長に児童虐待癖があったのである。園児達が10歳を過ぎる頃から虐待は夜毎続けられ、多恵は実の父にレイプされ、身籠ってしまった。流したが、彼女は深く傷ついた。而も、男の子達が、高校生になる頃には、虐待は収まってきていた。多恵が、レイプされたのは高校生の時、何度もである。何れにせよ、自分達の次の犠牲者は、今、小学生の、弟とも妹とも思って来た小さな子達だと考え、自分達がされたような事を、この子たちには避けさせたいと殺害を決意し、実行したのであった。その後、直ぐ、自首しようと考えたのだが、年端も行かないこの子たちを放りだすことも出来ない。そう思い直して、彼らが自立できるような年になったら、真実を話し自首しようと考えていたのだ。
だが、この話を瀬戸の会社の同僚に立ち聞きされてしまう。自首するということでケリをつけ、三人は、後を若い世代に託して出て行く所で幕。
似たような年代の役者が演じ、話の内容が、断片的に出されるので、ストーリーが分かる迄、ちょっと時間が掛かるかも知れないが悪いシナリオではない。唯、自分が彼らのような状況に置かれたら、矢張り、同じことをしただろうな、とは思う。そのようにはのめり込ませてくれた。