みよかなPOISON 公演情報 lovepunk「みよかなPOISON」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    視座
     悪、犯罪と言われるものが、単に己を裸にした者達の欲求の発露に過ぎないという側面を描いた所が、面白い。

    ネタバレBOX

     知的職業の代表として、女流作家を中心に据え、取材先を犯罪者ばかりを雇っているスナックを場の中心に据えたシナリオも成功している。また、女性達が、犯罪を犯すに至った経緯が開演直後に示され、そのどれもが、情状酌量の余地のあるものであるばかりか、力社会に置かれた体力的に劣る者の状態を顕して巧みである。
     一方、店に入ったはずの者が、頻繁に行方不明になっていること、その一例がアケミであること、そしてアケミはママに嫌われたらしいことが匂わされる。その後の遺体処理についても。
     力即ち正義であるような社会が変えられないと悟った時、精神的に一段駒を進めたヒトが選択する究極の形とは、邪魔者は躊躇せず殺すことである。他に選択肢は無い。くどいようだが、彼(女)らは、既に力即ち正義と見定めた者達である。そうである以上、敵対し得る者は消す。これが、唯一の正解である。寧ろ、犯罪なのは、遺体を始末することである。力即ち正義であることを世界が認めている以上、殺人は犯罪ではあるまい。勝った方が、正義なのだから。問題は、その正義を押し通さないことにあるのだ。だが、この論理は、劇中彼女らが、国家権力という強者の権威機構である司法故に犯罪を成立させられるに至った、また犯罪者とされた論理をも正当化してしまう。その限りに於いて、彼女らが、この論理の最上位に居ないことの矛盾を内包している。今更、毛沢東やスターリン、ヒトラー、チャウシェスク、テロ国家アメリカの歴代大統領及びイスラエルの歴代首相らの名を挙げるまでもあるまい。彼らは、最上位に居る間、その罪を誰からも正式には訴追されないし、されなかった。
     彼女たちの矛盾をアウフヘーベンする可能性を秘めた者が、最後に血祭りにあげられる。科白上は、自由はシンドイというような意味だったと思うが、実際には、現実に足をつけたままでのらりくらりと身をかわす方法を選んだに過ぎないという立ち位置を否定される恐れがあったからである。
     一方、奴隷的屈辱に甘んじながらも、その内側で身を処す手段として、霊視・まじないがヨミの技術であり、その技を行う際には、必ず大地と一体化する為に裸足になっているなど、細かい所まで配慮した作りになっていることにも注意しておきたい。このような視点があって初めて、この作品は、陰惨そのものではない所に留まっているのだ。

     (追記6月18日)
     

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    2013/06/14 12:15

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