ネコ目 HYPHY!! 鎮魂歌【ご来場ありがとうございました】
桃尻犬
参宮橋TRANCE MISSION(東京都)
2010/08/20 (金) ~ 2010/08/22 (日)公演終了
満足度★★★★
全部出し切った。
一言でいうとそんな感じでしょうか。
まぁ、あらすじ書きとフライヤーのイメージ写真から内容は何となく想像がつきましたけど、実際観てみると、イメージしていた通りのことが整然と執り行われていたりして、妙に感慨深くもあり、安心感すら抱いたほどです。(笑)
世界と経済と・・・というところまではちょっと大げさな気もしますが、創世記から近代史までの世界史をピンポイントで振り返ることは、それ程の長い時を経て脈々と受け継がれるカルマの重みを伝える適切な表現でした。
『呪い』と『救い』、『愛』と『受難』の洞察も非常に優れていました。
あともうひとひねり、あらすじ書きを超える意外性があって欲しいところでしたけれど・・・。
ところであえて挑発的な事前情報を振り撒いたのは、理解力のある観客のみを集客するための戦略だったのでしょうか。ちょっと気がかりですね・・。
ネタバレBOX
ある夜とある公園でミチオはカワイイ猫娘に出会った。彼女は名前をマリイと言った。
彼女に想いを馳せるミチオは眠りのなかで彼女と出会った。可愛いマリイとミチオとは白昼夢のなか戯れた。
そんなこととはつゆ知らず、ミチオに精通が来ないことを心配する兄のタカアキと姉のサナエ、そしてタカアキの彼女のアキコとサナエの彼氏のマメオまでもが、どうにかならないものかと考えあぐねる。
業を煮やしたマメオはミチオのカマを掘り、性欲のマエストロであるらしい(自称)タカアキは、ご自慢のテクニックを何とかミチオに伝授しようと試みる。
挙げ句、24時間テレビのチャリティーランナー素足に革靴でおなじみの石田某(らしき人物)を招き、ミチオの精通を手助けするも、シャイすぎるミチオの息子はうんともすんともいわない。
ミチオらの家系は、彼らの両親がカーセックス中に事故って死ぬほど強い性欲に満たされた血筋であるのにどうしたものだろう。これは何かの祟りなのかしらん。なんて冗談半分で話していたところへミチオが恋する猫娘マリイが登場。
彼女はタカアキの彼女であるアキコが趣味で殺しまくっていた猫のなかの一匹で、理由なきアキコの犯行に深い怨念を持ち、ミチオの性欲を奪っていたのだった。
アキコの姿が目に留まったマリイの怒りは沸点に到達し、ついにマリイはミチオのイチモツを根こそぎ引っこ抜く。(←安部 定か!笑)
辺り一面が血の海で染まるなか、タカアキらは神に救いをもとめる。虚空に手を伸ばす彼らの絵面はまるで、ルーベンスの宗教画、キリストの昇架のよう。
彼らの祈りが通じたのだろうか。はたまたこれらはすべてフィクションで、すてきな夢のなかの出来ごとだったのだろうか。
ルーベンスちっくな壁画からぴしゃっと飛び出るアレが印象的なフライヤーのイメージ写真における、ぴしゃっと飛び出るアレが、ナイアガラの滝のごとくボリュームアップした状態でとめどなく流れ出す(←ひょうきん族のひょうきん懺悔室的センスで! 笑)ソレを、修行僧のように脳天から浴びまくるミチオはほとばしる精液の海を苦難の果てに乗り越えて、やがてエロ本の自販機へと辿りつく。苦笑
そして間もなく射精を完了させたミチオは、文字通り大人の階段を上るに至ったのだった・・・。
射精=人間の成長として描く作品というのは自分は高校生の頃に、アメリカの映画監督トッド・ソロンズの『ハピネス』という映画を観ていたく感銘をうけていたので、その点においては、さほど新しいネタだとはおもわなかった。
ただ、この家族は両親がアホな理由で死んだというのにクヨクヨせず、アカルク元気に、兄弟が協力しあっているというか、弟の精通をなんとかしてやろう、ということに兄弟愛めいたものが見てとれて、それがすごくいいとおもった。
家族らが自分の気持ちを、それに近しいJ-POPの歌で済ませてしまう辺りが、適当でありながら適切である感じが、なんかセンスいいな、とおもった。ラストの『大人の階段上る』なんて特に。
H20の「想い出がいっぱい」になぞらえるとは恐れ入った。
正直言って、石田某が出てくるシーンはちょっと間延びしてる感はしてしまったし、石田某が革靴に裸足でない点もちょっと不満ではあった。
そして、何故、奥の階段(ありますよね?確か)から出て来ないの?とはおもった。
アレを武道館の階段にみたてて演出した方がよっぽど、フィナーレっぽくなるのに、とおもったりもしたけど、マリイ=聖母マリア、ミチオをキリストに見立てて制裁したりする着想はおもしろいとおもったし、マリイとミチオの恋もなんだかドストエフスキーの白夜っぽい幻想的な一面もあって、キュンとする場面もあった。
ネタばれ外に書いた、あともう一歩とおもわれた何か、というものを考えていたのだけど、ごめんなさい、わからなかった。
そういうものはもしかしたら、若さが恋しくなった時にふっと分かる類のものかもしれないのかも。
SHUFFLE
S×Sプロデュース
シアターサンモール(東京都)
2010/08/19 (木) ~ 2010/08/22 (日)公演終了
満足度★★★
革命か反抗か
『臭イモノニハ蓋ヲスル』国家の陰謀並びに国家権力に異を唱え、戦う若者たち。抵抗勢力でありつづけるために彼らがとった行動、そこに至るまでの経緯が中心。
誰の何を『守る』ための戦いだったのか。時間が経過するごとに意味が変質していく様子が興味深かった。
尺にして150分の長丁場(←個人的に長編は1作品85分〰100分がベストタイム)だったが、片時も退屈せずに観れたのは、スピーディーでキレのあるアクション(殺陣)に迫力がありとても見応えがあったこと。ひとえに役者が舞台を牽引する力に尽きる。
特に時東ぁみとチャン・リーメイ。
時東ぁみは、めがねっ娘の萌え系アイドルというイメージしかなかったのだが
台詞を発する声のトーン、感情の込め方、佇まい、身のこなし、歌にダンス。何ひとつぬかりがなく、この舞台のなかで何を隠そう彼女が最も輝いていた。
そしてチャン・リーメイ。
女性の持つやさしさと力強さそしてしなやかさを優美に表現していた。
決して表立って活躍する役柄ではなかったけれど、彼女が登場するだけで場の空気がゆるりと変わった。
彼女が美しく華があり存在感のある役者さんであることは自明なのだが、物語の持つテーマや役回りへの洞察を、かなり深い領域まで掘りさげてアウトプットしているなぁ、と。
それは、5月のハイバイのヒッキー・カンクーン・トルネードで彼女を観た時にも思ったことなのだけれど、素敵な役者さんだなぁ、と改めて。
アウコトバ
風花水月
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/08/17 (火) ~ 2010/08/22 (日)公演終了
満足度★★★★
無責任で身勝手な大人たち。
『旬の観たいもの展2010』参加作品。
様々な事由により子どもを保護する養育施設から養育希望者への橋渡しを行う民間企業が舞台。
社会貢献事業ではあるものの、ビジネスとして請け負っていることから実質的には子どもを商品として流通し取引している、という揺るがない事実を念頭に置きつつ、そうはいっても綺麗事だけではまかり通らないよね、とばかりに大人の事情と歪みが複雑に絡み合う。
いつの時代も、大人の都合によって子どもが犠牲になり続けている。そんな子どもは、幸せになるための旅に出る。たとえその子自身がそれを望まなかったとしても。
子どもを育てられないのなら生むな。とは昔からよく言われること。しかし、生んだ後にこれ以上育てることが困難だと判断した親は、果たして特別なケースであるのだろうか。私は我が子をちゃんと愛して育てられるだろうか。見終えた後、そんなことを考えた。
きっと立派に子育てをした経験を持つひとたちからすれば、信じられないような倫理観を見せつけられる内容なのではないかな、とおもう。だけれどこの話で描かれていることは常識から一歩足を踏み外したら、誰にでも当事者になる可能性を秘めている。そんな気がしてならないのです。
※8/18に『旬の観たいもの展』のページから投稿した内容をこちらに登録し直しました。
ネタバレBOX
漆黒に塗り込められたル・デコ5の空間に白いデスクと来客用の白いテーブル、白い棚がとても映えるどこかの街の清潔なオフィス。
その民間企業では当初、教育センターへ保護された、脳に発達障害を持った子どもたちに数か月間かけて育成プログラムを実施した後、養育者(新しい家族)のニーズにあわせて提供する、いわば仲介業を主としていたのだが短期間で社の利益をあげるため、表向きには子供の情操教育の一環として一日十万円で子どもをレンタルするサービスを開始した。富裕層でひとり暮らしのお年寄りを中心に社内きってのやり手の営業マンである内村が次々と契約をとる一方で東野は『子どもの幸せ』よりも社の利益を重視する社の方針に疑問を抱く。しかし皮肉なもので社で実用されている育成プログラムは教育センターに勤務していた頃に東野が考案したものなのだった。
求めた福祉の理想像が子どもを守るために活かされないばかりか、自身もそれに加担していることへの罪悪感に苛まれたのか、やがて東野は体調を崩し休職することに。
ある日、子どもの虐待が認められた幼稚園に通う5人の子どもたちの保護と教育を目的に(実質的には子どもたちを買い取ってもらうために)社を訪れた社会福祉士の鬼塚は、三年前まで部下だった東野の実情を知り、13年前に死んだ妹にしてやれなかったことを悔やんでいるのでは、と推測する。
いかに収益をあげるかということを考慮して経営する企業側といかにして団体を存続するための収入を得ようか、と思案する特別有益団体(?)である教育センターの思惑が重なり合う点が子どもを守るための最善の措置であったと言わんばかりに傲慢な内部事情を軽やかに露呈されていく様は、かなり衝撃度が強い。が、東野が妹にしてやれなかったことの具体的な何かは劇中のなかで明かされなかった点についてはやや消化不良。もう少し東野の更に深い闇へと迫る手掛かりがほしかったところではある。ともあれ、このような内部事情を描写することは、やや過剰な形でありながらも、福祉の在り方を投げかけているという点において、秀逸である。
また外部の視点として、交互に登場する二組のクライアントは何かが決定的に歪んでいて非常に恐ろしい。
娘のカスミを育てる責任感と愛情に欠落しているばかりか、我が子を自分の自由を奪う邪魔者でしかなく挙げ句の果てには、「これ以上一緒に居たらカスミを殺す!」と宣言して、社に娘の買い取りを迫る相沢。過剰な育児ストレスがそうさせるのか、彼女の言動すべては殺気立っており、とても尋常な精神状態だとはおもえない。むしろ、彼女が保護されるべきなのではないのかな、と思われるほど。しかし彼女の心をケアする者は最後まであらわれず、かわりに新たな生命を孕んでしまう。「またかよ」だなんて残酷に言い放ち、舌打ちをして去っていく彼女は、またも名もなきその子を憎むのだろうか。その子をまた売るのだろうか。すべての観客から背を向けた、彼女の後姿からはその表情や本心を伺い知ることはできなかった。彼女のやさしさが回復する日は訪れるのだろうか。
そして、前述した会社を設立するために多額の寄付金を出した黒田氏の息子夫妻、いわば上顧客的な存在であるブルジョワジーな黒田夫妻。奥さんは「生きるために子どもが必要なんです。」と主張はしているものの結局、お金にものを言わせて自分の『願望』(欲求)を満たしたいだけ。付き添いで来た旦那の方は人の話真剣に聞くことをまったくしない、欲求の虜。自分にしか興味のない夫が唯一、関心を示したのが、育児放棄して子どもを売り払った相沢の娘、カスミ。
黒田夫妻に一時だけだがレンタルしてもらったカスミは、ある時、黒田さんの旦那さんの手に噛みついたことがきっかけで、グシャっとつぶされて死んでしまった。その死体がトランクにある、と報告しにやってきた夫妻に、社員は
「子どもを守るためには黒田夫妻のもとへ行かせるしかなかった」と言い訳をする。解決の糸口はみえない。
ラスト、会社をフェードアウトした東野が小汚い恰好をして会社に戻ってくる。とにかく養育施設にいる子どもを自分に寄こして欲しい、心に傷を追い、悲しいおもいをしてきた子どもたちと村をつくり、自然に囲まれた環境下で共に暮らしたいのだという。それは彼の本心だったのだろうか。
これまでと同じことが繰り返していく予兆としかおもえないのだが。
このくだりは、『子どもの村』を少し前に福岡で実施されたというニュースを報道で目にした光景とリークした。
劇中、社員が自分らのやっていることが『児童派遣法』ではイマイチしっくりこない、業界に『合う言葉』がみつからない。とうわ言のようにつぶやく場面がある。『合う言葉』はすなわち、自分の気持ちに見あった言葉がみつからない、という副次的な要因もある。このふたつの意味を兼ね合わせたタイトルもまた、非常に秀逸である。
ただ65分という時間配分からか、全体を通じて駆け足過ぎて行ったような印象を持ってしまったのも事実。誰に焦点を当てているのか、イマイチ見えにくかったです。
黒田氏の寄付金で会社が設立された、というくだりが中途半端なままで流れてしまったようにおもえました。
『社会福祉はお金になる』ことはもう少し深い領域まで言及してほしかったです。
租筋にはあまり関係がないのですが、養育施設が教育センター直属の施設であり、更に民間企業も間接的に携わっている共同の施設であるのか、民間企業は独自で待機施設のようなものを所有しているのか、序盤の説明的な台詞が早口でわかりにくかったです。
最後にもう一点、同僚に買ってきてもらったカフェオレをうまい・まずい・まずいとしたのは、どうしてでしょうか。どんなマズさも慣れてしまえばマズイという感覚すら忘れてしまう、という意図があるのでしたら最後はうまい、だとおもったのですが・・・。まずいとする意図がわかりませんでした。
挿入歌、舞台美術、登場しない子供の気配とそれぞれの登場人物たちの影を感じられる演出はほんとうに素晴らしく、団体の意志がしっかりと伝わりました。
次回作も是非拝見させて頂きたくおもいます。
旬の観たいもの展2010
旬の観たいもの展
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/08/17 (火) ~ 2010/08/29 (日)公演終了
満足度★★★★
異なるテイストの舞台を堪能。
『楽園王+プロデュース』と 『劇団ING進行形』の連続同時上演。1枚のチケットで前述の団体を観ることができます。それだけでもちょっと得した気分。(爆)
『楽園王+プロデュース』の「日射し」は2008年にSPIRAL MOONに提供した戯曲の第一部を再構成したものだそうです。家族の話なのですが、ふんわりとしたとても不思議な雰囲気で独特の息づかいが印象的でした。
『ING進行形』はアントンチェーホフの「コーラスガール」をパンキッシュに描いたものでした。
『ING進行形』の方は団体ページの方に投稿させていただきました。(http://stage.corich.jp/stage_done_detail.php?stage_id=22802)
ネタバレBOX
『日射し』 楽園王+プロデュース
夫婦のなれそめから家族のはじまり、そして突然訪れる永遠の別れ・・・。
とある家族がこれまでにあるいてきた道。その軌跡を、三人の娘の視点から点描的に紡いでいく話。
物語のはじまりは『いつ』であるとは明示されず、『その時』『あの時』の出来事を、心のなかにしまいこんだ本心を姉妹は心のなかの日記に綴り、その想いを共有し合あう。過去を見つめ直すために。
事の発端は、以前から病気がちだった母が倒れ入院していた頃のこと。
時々母を見舞っていた二女のヒジリとは対照的に、長女と三女は一切病院に顔を出さなかった。どうして?と二女はふたりに直接言わない。
その時は、あの時はあぁだった、こうだった、と淡々と写実的に振り返る。
それに反発するかのように、長女のヒナタはその頃、将来有望視された画家・ヒヤマとの交際をしていたことのあらましを、三女のヒカリは海外旅行に行くためにバイトに明け暮れていたということを、それぞれヒジリに報告する。
ふたりとも『忙しくて行けなかった』のだ。
やがて母は死に、二女と父だけが死に目に立ち会う。
やはりここでもふたりの娘は『忙しくて行けなかった』のだ。
安らかに眠る母の手を取り父は何度も何百回もありがとう・・・と繰り返す。
ふたりが子を宿したことをきっかけに結婚したこと、生誕した日がとても日差しが眩しかったので太陽と名付けたこと、その子が3歳で死んでしまったこと、自責した母が離婚を考えたこと、そして何があろうとも互いに寄り添い歩いていこうと決めた日のこと・・・。ヒジリはふたりの人生を反芻し、母はとても幸福であったことを、確かめる。
そして現実がやってきた。
母に頼ってばかりだったやもめの父はこれからひとりで大丈夫だろうか?
三姉妹は父を心配し、誰が実家にもどり父親の面倒をみるのか話しあう。
結果、自分たちにはそれぞれの『生活』があり、『戻れない』という結論に至る。
三姉妹と父とがひとつ屋根の下、共に暮らす日は訪れるのだろうか?
なにも素性が明かされないまま、そんな家族たちをやさしい眼差しでみつめる青年になった太陽のまなざしだけがこの家を美しく照らしだす。そう、ここにいない彼だけが。
観終わった後この家族は家族の『絆』についてどう考えていたのだろう、という
考えが纏わりついた。というのも、二女をのぞくふたりの娘の身勝手さが目立っているようにおもわれて、なんだかイマイチ腑に落ちなかったのだ。
けれども、ほぼ素舞台の空間のなか、みえないものを見えるように存在させる、たとえばモノクロの世界から、すべてが色鮮やかに映し出されるかのように想像させるような役者の仕草、台詞の間合い、行間の読み方がとても独特で、今度は是非、本公演を観たいとおもった。
コーラス・ガール
劇団ING進行形
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/08/20 (金) ~ 2010/08/22 (日)公演終了
満足度★★★★★
ゴシックパンクなチェーホフ。
チェーホフの戯曲が素晴らしいのはわかるのだけど、チェーホフってなんとなく辛気臭いというか、もさいというか、一般教養としかみなしていない節があったのだけど、そんな考えが一気に吹っ飛んだ。チェーホフっておもしろい!とはじめておもった。
寺山修司のアングラ演劇のようなドロリとしたテイストを基調に西洋劇を斜めから考察したような振る舞いや、神輿をかつぐ日本の祭りの高揚感、ゴーオンジャー的ヒロイズム、さらにはブレイクダンスや組み体操まで巧みに取り入れ、それらをビジュアル系バントマン風男子と超美系のパンキッシュなゴシックガールで引き締めけなげなオカマで味付けし、殊更ナンセンスに舞台空間を暴れ回る。
無論、傍若無人ではあるのだが、演劇の作法と原作の基本はしっかりと抑えていることが私のような素人にも一目でわかる。つまり、ブレてないし、破綻もない、緻密に計算された破壊行為なのである。
そして、おきまりの(?)カタルシスやゆるぎないカオスもある。けれども決してうぬぼれで終始しておらず、ちゃっかりエンターテイメントとして出力されているから、ヤな感じがまったくしない。
今まで観た舞台のなかで最も衝撃的だったのは、バナナ女学園とロロだったけれどこのふたつを軽く飛び越えましたね。(少なくとも私にとっては。)
大槻ケンヂの小説が好きなひとなんかにはきっと気に入ってもらえる世界観なのではないかな、と。
本公演が待ち遠しい。
※渋谷ギャラリーLE DECOで開催中の『旬の観たいもの展』に参加している『劇団ING進行形』と『楽園王』は2団体がひとつの回で連続上演します。2作品に関連性はなく、違った趣を楽しめますよ。
絢爛とか爛漫とか
傑作を遊ぼう。rorian55?
テアトルBONBON(東京都)
2010/08/18 (水) ~ 2010/08/22 (日)公演終了
満足度★★★
青い春が終わるまで。
私的な悩み事から文学論に至るまで本音を言い合える仲間と過ごしたかけがえのない一時を色彩豊かにのびやかに、カジュアルに描いていく舞台。
昭和初期を意識したハイカラな衣装に同じような趣向でセレクトされたとおもわしきアンティーク調の家具、舞台の壁面を囲うプロジェクターに投射される幾何学的な映像、四季折々の情景をノスタルジックにうつし出す幻想的な照明、そして遊び心のある影絵が行間を紡ぐように視覚化された舞台空間は、抒情的な味わい深さと一遍の詩のような美しさをあわせ持ち、非常に魅惑的で隅々まで徹底的に拘りが伺える濃密で重厚な空間が構築されていた。
反面、劇中で交される会話は、センテンスの奥行きを想像させるような密着性を持った類のものであったとは言い難く、慄然とした舞台空間に言葉が対峙するパワーが不足しているようにおもわれた。故に、共感とまでは至らなかったのが正直なところ。
この戯曲を今回の公演ではじめて知ったので、原作にどの程度忠実であるのかはわからないのだが・・・。
みじめで情けないダーティーな青春モノを想像していくと肩透かしを喰らう恐れがあるかもしれないが、ハマるひとはハマるだろうし、誰かを誘ってサクッと観にいくには丁度いい舞台なのではないかな、とおもう。
ネタバレBOX
古賀の家に入り浸る泉、加藤、諸岡ら。
彼ら4人は純文学、文学評論、耽美怪奇小説、御法度小説とそれぞれ違なるジャンルの物書を志望しているが現実はそう甘いものではなく到底、生計をたててはいけない状況。けれども裕福な家で育ち、働かざるとも金銭的に不自由のない彼らは夜な夜なダンスホールに繰り出したり、お気に入りの女の子とあそんだりしてそれなりに楽しい日々を過ごしていた。
処女作を発表したきりスランプに陥っている古賀だけは何となく手ごたえのない空騒ぎに気がのらない。それでもある時、耽美小説家志望の加藤が銀座のダンスホールで一目ぼれをした踊り子のビビアンが、憂鬱な青年がうじうじと悩んでいるだけという内容の古賀の処女作を気に入っているから加藤とビビアンの仲を取り持ってくれないか、と頼まれるとまんざらでもないといった様子で夜の雑踏へ消えて行く、そんな春。
あの後ビビアンと恋仲になったものの、『恋はこいでも、金持ってコイ』だった、とげんなりし、おまけに執筆の方も絶賛スランプ中。それに加えて冷たい物を暴飲暴食したせいで腹を壊して寝込む古賀に気晴らしに海水浴に行こうぜ!なんて言ってお気楽なお三方。
強烈な陽の光にむせかえる暑さに窒息寸前の夏。
ひぐらしが鳴き、鈴虫が鳴き、めぐる秋。
季節は巡れどスランプ中に変わりない古賀は、文学評論家志望にも関わらず文芸誌に小説を発表した泉が何となく気に入らない。
そんな折、母を心から慕う加藤は母の具合が悪いことを知り、実家に戻る。
諸岡は父の経営する大手鉄道会社の後を継ぐ為、東京を離れることを決意。これを機に文筆も廃業し、いづれは女房をもらい、平凡な暮らしをしていくらしをしていくのだ、という。戦友をふたり失い、いよいよ青春の終わる足音が近づいてきた。
冬。いつまでたっても原稿用紙を埋められないことに追いつめられた古賀は、家政婦のお絹の説得も虚しく、大量のパビナールを服用し、心身共に破綻する。深淵なる地獄を夢うつつさ迷い、やがて掴んだ一筋の光…。
それはとても小さな女の子が自分がすすむべき道をみつけるまでを幻想的に綴った小さな短編だった。古賀はその話のなかで蓮の花をモチーフにした。蓮の花は生まれたばかりの釈迦が歩き出し、その足跡から咲いたといわれる花である。
この短編をこれからも小説を書き続けていく自身の意志として古賀が泉に朗読して聞かせる場面では、壁面に投射した短編の世界のモノクロ・アニメーションが目まぐるしく展開された。二次元の世界に飲まれまいとして、抵抗するかのように躍動する女の子の影絵もまた、古賀と同様に自身の意志によって動いていた。この表現方法はかなりいい。
終盤、文学評論家を志す恋多き男・泉はあそび相手のひとりだった娘ともうすぐ結婚すると古賀に報告をする。古賀はバビナール中毒だった頃に看病してくれたお絹にプロポーズする予定だったが、彼女にはいいなずけがあったと明かす。もうすぐ春だ。
要所要所で登場する影絵人形で表現がなされる家政婦のお菊の所作のひとつひとつが自らの羽を抜いて機を織る鶴を障子越しに見届けているかのようなぺシミズムに満ち溢れているのが印象的だった。舞台には登場しないお菊の動作や事情、気配を知らせる環境音も効果的だった。季節が巡る度に舞台転換する際に流れるセンス抜群の映像とロックな音楽には心踊ったが、序盤のスピーディーな台詞の掛け合いが夏に突入した辺りから失速し、そのままズルズルと終盤までもつれ込むようで、会話から手ごたえを掴み損ねてしまった。
理想と現実の狭間に苦しみ、共に笑いあった仲間たちが新しい人生をはじめるまで・・・すなわち青春からの旅立ちをテーマにしていることは何となく理解はできるのだがそれにしても・・・だった。
何というか、美的センスに彩られた舞台空間と戯曲の持つダラダラとした伏線が回収されない会話が所々でこじれているようにおもわれたのだ。
もう少し踏み込んで言うと、この舞台空間には日本昔話を今風にアレンジしたようなもう少し硬質な作風が合うような気がしてならなかった。あるいはナンセンス寄りの物語と美意識のミスマッチさを狙うのならば、それ相応のギャグセンスは必要なのではないかな、と。
とはいえ登場するキャラクターは、非常に丁寧な役作りがなされていて、安定感がありました。役の味付け加減としては特に古賀は明らかに太宰 治を踏襲していて、思わず二ヤリ。いっそのこと全員実在した作家の名前を登場させて、〰若き日の〰なんていうつくりで自虐的に突っ走ってもらえたほうがホロホロ笑えていたかもしれません。
express
PLAT-formance
王子小劇場(東京都)
2010/08/13 (金) ~ 2010/08/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
ハイセンスでハイグレードすぎる連作コント集。
フライヤーに『これはコントの広告です。』なんて詠っているものだから、てっきりボケとツッコミに役割分担がなされていて、「ショートコント!」という前振りからネタがはじまるのを予想していたのだけれども見事に裏切られた。
たとえば今日日のバラエティ番組で見受けられるような一発ギャグ的なウケ狙いをかましたり、あきらかに常軌を逸しているキャラクターに頼って笑いを取ろうとするお手軽さはまるで皆無で『オチ』に重点を置くというよりも、あるシチュエーションのそれぞれの会話の掛け合いから生まれる『ズレ』から『おもしろみ』をガシガシと広げていくような。
で、そうしたなかにさり気なく、人生の思わぬアクシデントだったり、何とも腑に落ちない不条理さだったり、誰かの誰かに対する想いが織り込まれていたことが、すごくよかった。
妙な共感を得ようとせずに、描きたいことをスマートにはめ込む辺りも都会的で、作家のキラリと光るセンスを感じた。
そしてあれだけの広い空間をたったふたりの役者で表現したことにも驚かされる。また、フライヤーから抱いた浮遊感のある、不思議な世界というイメージを美術、照明、音楽、衣装が盛り上げていた。
所々気になる点はある。けれどもそれを差し引いても圧倒的におもしろかったし、コント界の新しい夜明けを感じた。
ネタバレBOX
入口から対角線上に構築された名もなき場所のとある駅。
線路はなく、プラットフォームだけが真ん中に浮かび上がるようなつくりになっていて、浮世離れしている感じ。天井には、重厚感のある鉄塔が組み込まれ、かなり本格的な舞台装置。
物語は、終電に乗るためにホームに駆けこんでくるサラリーマン風の男性(安藤)と鉄道員(吉田)のやりとりからはじまる。
ここでの会話は、この沿線は今日で今日で廃線である、というアクシデントによって、電車に乗り遅れるだけでなく、交通手段も失ったと嘆く悲劇的な男性に、本日限りで仕事を失う自分よりはマシではないか、と励ます鉄道員の悲喜が主。とりわけ斬新な話ではないけれど、冒頭で”もうすでにひとを乗せたからこの男性は乗れないのだ”という後々明らかになる意味深な伏線(キーワード)を張っている導入部としては悪くないとおもう。
一度暗転になり、上手側の壁に取り付けられた電光掲示板に今回のタイトルと団体名、そして電車に乗り込む際の注意事項が表示される。
私の座った席が空調が近く、音響があまり聞きとれなかったのだが、この時列車の通過する音はあったのだろうか。定かではないのだが、暗転時に列車の名前、列車の通過音、諸注意等を音響でアナウンスが入る方がこれから旅がはじまる予感が更に醸しだされるような気がした。
いくつかの木箱を並べてボックスシートに見立て、先ほどまでプラットホームであった場所が、車内になると隣の席に綺麗な女性が座ることを想定してナンパの練習をする若者(吉田)が。
どうやら客席に近い側が窓側という設定であるらしいので、観客に向かってナンパの練習をしているように見せかけるのが、なかなか滑稽である。そこへ頭にネクタイを巻いたよっぱらい(安藤)が現れて、若者の妄想は砕け散る。
そしてさきほどの妄想をよっぱらいに見透かされ、若者は若干たじろく。
それからふたりの話題はボックス席の間に位置するテーブルに置かれた不審な黒いバッグへ。
中を開けてみると中には冷凍ミカンが入っていた。ふたりともこのミカンには覚えがない。爆弾が仕掛けられているのでは?と疑ったよっぱらいはミカンを剥いて調べて、窓の外へ放り投げてしまった。
このミカンがこの作品のなかのふたつめのキーワードである。
この後も『同じ列車』に乗り合わせた『人々』というシチュエーションから更にキーワードを投げかける。順番が前後するかもしれないが、その詳細は以下の通り。
・先ほどの同じ?若者(吉田)と時刻表が恋人の鉄ちゃん(安藤)。
実はちょっとモグリの鉄っちゃんは山手線の駅名を全部ちゃんと言えなかったりする。日本一長い駅名もわからなかったりもする。それを若者に指摘される。みっつめのキーワードになるのが日本一長い駅名。
・浮浪者(吉田)と元車掌(安藤)の会話。
戦争で命を落としたふたりは、この列車が戦時中に軍需鉄道として使われていたことを懐かしみ、「また来年会いましょう」と言って別れる。彼らは死者の国から年に一度だけ現世に帰ってくる守り人(霊)なのだ。
冒頭で交された会話の廃線と敗戦を掛け合わせたようなエピソードであり、
ふたりの会話のなかから”ひとり生きてる人間が乗ってしまったらしい”ということを示唆する。この列車は、死者の魂を乗せて走るものである、というのがよっつめのキーワード。
ここまでに、冒頭で投げかけたもうすでにひとを乗せた列車は、死者の魂を乗せて走る列車であることがわかった。
あとは、冷凍ミカンと日本一長い駅名がどう繋がるのか、である。
とここで、挿話がひとつはいる。
駅で暮らしている浮浪者(吉田)は仕事の出来が悪く会社をクビになり、妻からは離婚を突きつけられて、明日喰う種にも困っている宿なしの浮浪者なのだが、自分はまだまだ現役バリバリのサラリーマンだと信じている。
がしかし、車掌(安藤)に連続痴漢犯として検挙されて夢から現実に突き落とされた彼は、絶望を抱く余裕もなく、ただ呆けていた。
この話は特に本筋とは関係がないのだが、役者の技巧と脚本の完成度が非常に高く、純粋のひとつのショートショートの独立した作品として楽しめた。
終盤、冷凍ミカンの謎が明らかになる。
冒頭の若者(吉田)はクリス(安藤)とお笑いコンビを組んでいて、これから本気でプロを目指し、お笑いで食って行くために、クリスを連れて田舎へ帰る道中の『列車のなか』である。がしかしクリスはすでに他界していてこの世にはいない。
クリスに会いたい一心からか、はたまた偶然からか、
若者は死者の魂を乗せて走る列車に乗った。列車は走り、分岐点につく。それが日本一長い駅名の場所、人生の分かれ道である。クリスは過去と時間の入り乱れるサザンクロスに乗り、時空を超えて相方へ別れの挨拶をしにやってきたのだった。
最後まで謎の残る冷凍ミカンは、これが『最後まで解けない未完(成)の物語』であるということをロジカルに掛け合わせているのだ。
未完であるにせよ、クリスはいかにして死んでしまったのか。永遠にわからないというのは消化不良感が残る。
しかしながらクリスが最後、満点の星空のひとつになり、expessの行きつく先が永遠の別れ、であるとするのなら、それはとても切ないことだ。
そんなふたりは、まるで銀河鉄道の夜のジョバンニとカムパネルラみたいだった。
Ryoma
ミュージカルカンパニーOZmate
六行会ホール(東京都)
2010/08/07 (土) ~ 2010/08/08 (日)公演終了
満足度★★
ネオ宝塚の襲来!?
坂本龍馬の生き様を通じてどんな時でも仲間をおもいやり、悩み、苦しみ、もがきながらも夢に向かってひたむきに生きていこうというストレートなメッセージは王道ではありますが、誰もが生きていくうえで見逃せない要素のひとつですですから、とても励みになりました。
願わくば、わびさびを利かせた抒情的な人物造形と空間演出によって物語にダイナミズムが生まれてくることを期待します。
ネタバレBOX
本番が刻一刻と迫るなか、衝突のたえない劇団員たちが坂本龍馬ミュージカルの稽古を重ねるうちに少しづつ信頼関係を取り戻し、ほんとうに大切なことをみつけるまでの話。
間もなく上演予定の坂本龍馬ミュージカルのアウトラインは武市端山が結成した土佐勤王党に竜馬が加盟し、脱藩、薩長同盟を成立させた翌年に暗殺されるに至るまでのエピソードが中心でしたが、女性が龍馬を演じるという都合からでしょうか、龍馬の結婚については完全にスルーされていたことと、龍馬が慕っていた勝海舟との師弟関係の描写がなかったことが個人的にはちょっと残念でした。
物語のなかで描かれていた劇団員の苦悩が、当カンパニーに所属する劇団員たちにとっても他人ごとではないという意識は、きらびやかなステージに立つ劇団員の実情を垣間見るようで生々しく、現実に引き戻されましたが、辛く苦しい現実があるなかで、それでもみんな頑張っているんだ、という当たり前のことを、当たり前に伝えていく強さが当カンパニーにはあるように見受けられました。
その反面、舞台では、物語の中核を担う歌や、役者の振る舞いが、空間のキャパシティに対してこじんまりしていたように見えてしまったことが悔やまれます。
たとえば坂本龍馬は情に厚く、仲間から慕われてはいるものの、乱雑で少々野蛮な人物として一般的には描かれることが多いですが、当作品のなかの龍馬はなんだか上品で、可愛らしい感じで、それはそれで素敵ですし、女性ならではのしなやかさが表現されていたのは斬新だったのですが、それにしてもちょっと綺麗にまとまりすぎているようにおもえました。
歌に関しては、合唱する場面は迫力があり圧倒されるのですが、ピンで歌い心情を吐露するシーンになると、パワーダウンは否めず、歌うことに手一杯で、歌詞に感情が乗っていないと言いますか、心が動かされる領域にまで到達していないように思われました。
一部、低音がほとんど歌えていないキャストの方がいたのも気になりました。
ボイストレーニングをして歌えるようにする、キーを調整するなど、何らかの処置は必要なのではないでしょうか。
劇中、すべての台詞を方言で発話していたことはその土地からでしか生まれ得ない文化があるという証拠ですので、それについてはこれからも変わらずに続けていってもらいたいですね。
狂騒パレード
メッテルニッヒ
明石スタジオ(東京都)
2010/08/05 (木) ~ 2010/08/08 (日)公演終了
満足度★★
何かがトラブっていた。
遊び半分でやっていたハズのオカルト的な要素を物語の重要なファクターとして盛り込む奇天烈さとそれを当然の如く受け入れてしまう人々、という着想は、おもしろい。
しかしながら、登場人物らの気持ちの流れや伏線の張り方が曖昧なままで『笑いの悲劇』の全体像が突如として出現するために、シュールというよりも、何だか突拍子のない印象を受けてしまった。
また、場面設定、登場人物、小道具など面白くなりそうなアイテムはたくさんあったのだが、これらをひとつの作品として束ねるのはさすがにちょっと盛り込みすぎだし、如何せんバランスが悪い。
作品中に登場するこまこまとしたそれらをまるごと詰め込むのならいっそのことショートコント形式の連作にしてしまったりする方がひょっとして伝わりやすかったのではないのかな、と感じた。
ネタバレBOX
三姉妹の長女、アヤコはもうすぐ父の経営するプロパンガス会社澤田商事の社員のカマビシと結婚が決まっているが、姉が気乗りしないことを知っている妹のヨシコとノリコは、ふたりの結婚を回避するために、大学のサークル仲間を引き連れて帰省したマサヒロと友人のトモエをくっつけようと計画するが、弟にはサキという名の不気味な彼女がいた・・・。
ここまでのイントロダクションで、どうしても気になった点がある。
それは、閉鎖された田舎町で好きでもない男と結婚しなければならない姉の苦悩や、会社の社員と娘を結婚させる父親がどんな人物であるのか、相手の男はどんな男なのかなど、具体的なエピソードを交えた情報が提示されなかったこと。
ため息をつくばかりの姉に「そんなに嫌なら結婚するのやめちゃえば??」
なんて妹が軽く言うセリフの「そんなに」が何のことなのか、イマイチ伝わって来なかった。
また、トモエとマサヒロをくっつけて結婚を回避させよう!というのもアイデアとしてはいいのだが、父の会社の後継ぎはどうするのか、大学を卒業したばかりの新社会人のマサヒロに会社を経営できるスキルはあるのか、など具体的なプランに欠けているため、信憑性は薄いが、そういう現実性のなさは妹ふたりが実家が金持ちでろくに会社で働いた経験がなく社会常識が欠落しているから。とおもえば整合性はあり、問題はないかもしれない。ただ、三人とも表面的には喧嘩とかするけど、結局『いいこちゃん』だったのはちょっと不満。姉のいいなずけは父の遺産を狙っているという噂を父の会社の事務のおばちゃんから聞いたことがあるとか、三姉妹で協力して父の会社を継ぐガッツがないのなら、会社潰して、財産食いつぶそう!とか強かに企んで、輪を乱す不届き者が姉妹のなかにひとりくらいいる方が個人的には好き。
何はともあれ。
物語はこの後、弟とサキの恋仲を引き離すため、放浪癖のある二女のノリコがどっかの国で手に入れた『ほれ薬』をマサヒロに飲ませ、トモエに惚れさせようと試みる。
一方で、弟が引き連れてやってきたオカルト研究会のぶちょーが独自に開発した謎の器具を用いて、UFOを探索。
また一方で、澤田商事の社員ササキは二女、ノリコに想いをよせる。
ある時、三姉妹、オカルト研究会、澤田商事の社員らが輪になってテレパシーを送るとなぜかUFOがあらわれてサキと犬のヨネスケが連れ去られる。
半年後、大学を卒業したマサヒロは、トモエと結婚し有機野菜農家となり、アヤコとカマビシは結婚し、普通の生活を送っていた。
そんな折、サキと瓜二つの双子の姉妹のマキと名乗る人物があらわれて「復讐をするためにやってきた」という。
すると突然、マサヒロが倒れて犬のように吠えだした。これも彼女の呪いなのだろうか。山荘の上空をUFOが旋回をはじめ、終幕する。
物語の主な流れを書いてみたが、この物語が誰の何を描き、何をテーマにしていたのか謎であった。
ラスト付近で、アヤコの旦那のカマビシが澤田商事は人間の母乳を裏で取引していると突然告白するのも謎であった。
また、澤田商事の社員のササキがノリコに告白するのは何のためエピソードなのか、不透明だった。
三姉妹、UFO研究会、澤田商事の社員たち。この3つの集団を全部詰め込むのは、物理的に厳しいとおもうのだが、どうしてもというのならば、オカルト研究会はこの近辺で多数UFOが目的されているという情報を耳にしてやってきたが、道に迷ってしまい下山できなくなったなどの理由による部外者として描き、マサヒロの彼女のサキもそのなかの一員であった、などという設定にして、『マサヒロの知らないサキ像』を描いたらサキの不気味さももっと生かされたのではないかとおもう。
あとオカルト研究会には雑誌の『ムー』を団扇代わりに仰ぐだけではなく、もっと蘊蓄垂れて欲しかったかな。
ザ・ベストマンションシリーズVol.3F
コメディユニット磯川家
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2010/07/14 (水) ~ 2010/07/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
大衆的で職人気質の喜劇。
関西の小劇場系の若手劇団のなかでトップクラスの動員を誇るとのことで気になっていた磯川家。
当公演はマンションの一室を舞台に異なるシチュエーションを用いて新作・長編3作品を上演するシリーズ公演の第3弾でこりっちの団体説明によるとこのマンションシリーズは前回2188名を動員したそうです。
それだけ支持されるってどんだけ面白いの?なんてなかば半信半疑で3作品観劇させて頂きました。
舞台装置の仕掛けによる視覚的観点からスピーディーな台詞の掛け合いや言葉遊び、アクセントとしての物ボケコントやパントマイムに至るまで徹底的に『笑い』を盛り込みカラーの異なる3作品を描いた緻密で強かな脚本と、舞台で表現する役者の振り幅の大きさ、そして日常の延長線上ではなくリアルと線を引き『現実ではありえない』世界観をきっちりと構築した骨太で職人気質の演劇であった点が清々しくて非常に好感を持ちました。
味気ないニヒルな笑いやリアリズム演劇なんかがそれなりに支持されている今日において、磯川家のスタイルはひょっとしたらオールドファッションであるかもしれませんが、転げまわるほど笑う、だとか手を叩いて笑うだとか、つられて笑う、だとか無機質に染まり過ぎてしまったわたしたち現代人が忘れかけていた人間らしさや人間臭さ、他者との親和性のようなものを思い出させてくれるような気がしたのです。磯川家、いいですよ。
ネタバレBOX
『HELP』
冒頭、ビートルズのHELP!が掛かり、本棚の下敷きになっている頭の毛の薄い男、綾小路レンのモノローグするところから物語がはじまる。
彼は顔だし厳禁、正体不明をウリにしている流行作家で、シリーズ化されている恋愛小説の最新作の発売日が2週間後に迫っていたが原稿はあがってこず、業を煮やした出版社の編集担当者の園田が親のお金を使ってとあるマンションの一室を改造し、新作を書きあがるまで綾小路レンを監禁したのだった。脱出を試みるものの、その部屋には玄関を出ようとすると天井からまきびしが降り注ぎ、キッチンには落とし穴が、バルコニーに一歩足を踏みだすとどデカイ鉄球が振り子のようにぐわんぐわん動きだす、そんな仕掛けがほどこされていて、にっちもさっちもいかない状態。
そこへ、隣の部屋で行われている怪しげな脳開発セミナーのビッグマネーをせしめるために、この部屋をアジトとして使っている泥棒がやってくる。泥棒は壁と一体化した回転ドアーを取り付けたり、クローゼットのなかに抜け道をつくったりするなど部屋のあらゆる場所を改造したため、マンションの一室はさながら忍者屋敷のよう。
これらの大がかりな舞台装置の仕掛けとそれにハマる役者の所作がおもしろく、今から絶対に鉄球にブツかるよね、とか壁に頭を突っ込んで身体が貫通するでしょ、とかわかっていてもやっぱり笑える。しかも、スマートにナチュラルに突っ込んでいくという感じなので、いやらしさがなく、とても清々しい気持ちにもなる。こういう予期されたリアクション笑いって、たとえば8時だよ、全員集合!とかだいじょうぶだぁのドッキリ仕掛けなんかに近いモノを感じるのだけれど、そういうベタベタでスタンダードな笑いってテレビでは近頃見かけないし、演劇でもここまで徹底して作り込んでいる舞台というのは私は観たことがなかったので、何だか懐かしいような、でも新鮮味があって凄く面白かった。
物語はこの後、綾小路レンの身の上を知った泥棒が彼の居場所と写真を2分間だけ自身の運営する綾小路レンのファンブログとツイッターに掲載したことから一気に加速する。その時に出回った写真というのは、『髪がフサフサである』という巷で出回っている綾小路レンに関する唯一の情報を鵜呑みにした泥棒が、頭の毛の薄い綾小路レンをスルーしてひょっこり部屋に現れたアフロのズラをかぶった脳開発セミナーの利用者の若造を綾小路レンと『勘ちがい』をして貼り付けたモノなのだけれども、その情報をもとにスクープをキャッチしにやってきた週刊誌の記者や、ハイテンションの新婚さんたちにアフロの若造が追いかけまわされてたり、どさくさに紛れて外に出ようとする綾小路レンとそれを追う編集担当者の園田で部屋はしっちゃかめっちゃかで戦場みたいになっちゃう。
このくだりは本当にくらだないけど痛快で腹を抱えてケラケラ笑った。
そして終盤、アフロのズラを被るだけで脳が開発されると詠ったインチキセミナー幹部は警察に摘発されて、年齢国籍様々なアフロのズラをかぶったセミナー利用者らが壁を突き破り、列をなして部屋を駆け抜けるあのシーンの高揚感には戦慄すら覚えたのでした。
『ソラド』
霊感が強く、トモダチのルカの部屋には幽霊がいると断言する主人公の女の子にだけに見える全身真っ白の幽霊は、トモダチのルカや園田のしぐさを真似たりちょっかいを出す、アクティヴでコミカルなヤツ。
恐ろしさはないものの、呪われたり祟られたりと、ゆくゆく面倒になるかもしれないからお祓いをした方がいいと提案をして、部屋に呼び寄せたいかにも怪しげな霊能者。
霊感がなく幽霊がみえない彼に幽霊の居所を教え、ほどなくして
霊を追い出す呪文を唱えはじめた霊能者と一緒になって呪文を唱える真似をする幽霊には全く効果が得られずに事態は更に悪化してしまい、今度は全身真っ黒の幽霊がひょっこり現れ、なくなるどころか増えてしまう。
この場面は、追い出したり傷つけたりするとひとりづつ部屋にふえてしまうという話の、世にも奇妙な物語の『イマキヨさん』を彷彿とさせるシュールさがあって、とても面白かった。
これではいつまでたっても埒があかないと頭をかかえた主人公は、園田の提案で主人公の父を部屋に呼ぶことに。彼女の父親は高名な霊能者であるのだ。彼女の父親が登場してから物語は反転し、彼女が幽霊だと言っていたそれらは妄想の産物であったことが明かされる。更にトモダチのルカは既にこの世にはいなくて、それを受け止めきれずに精神がクラッシュしてしまい、時が止まったように記憶のなかだけで生きている主人公を担当するセラピストが園田で、白い幽霊、および黒い幽霊は園田の助手で、3人とも彼女の精神疾患を回復するための治療を施していたのだった。
終盤、物語の冒頭で交された交された主人公、ルカ、園田の場面が反復され、誰もいない空に向かって笑いながら楽しそうに話している主人公の姿には、静かな狂気を感じた。行き場のない魂が浮遊するような金属の単音と暗転も効果的だった。
『スウィート・ガールズと僕』
隣同士の家に住み、同じ高校卒業に通っている幼馴染のコウとなつき。
このまま一緒の大学に進学するのか、それとも違う道に向かうのか、これまで一緒に過ごしてきたふたりの人生を幼少期にまで遡り、その時々の心象風景をオーヴァーラップさせながら描いていく青春ラブコメディ。
『HELP』では鉄球が飛び出してきたバルコニーの向こう側に位置する、ファンシーなお部屋。その部屋に住むなつきと、隣同士のコウ。
お隣同士で幼馴染。これって、これって・・・
矢沢あいの『ご近所物語』の実果子とツトムではありませんかっ!!
私も、ツトムのような幼馴染がいれば・・・なんて妄想に耽りつつ、自身の青春暗黒時代の記憶をせっせと塗り替えるべく、コウとなつきのファンシーすぎる世界に、目を皿のようにして注視しておりました。笑
どちらかといえば、さえない男子のコウに、学園のマドンナ的存在のなつきが毎朝、コウの分のお弁当を持ってきたり、なつきのお母さんが美しすぎたり、
コウの部屋の隣に住む色っぽいお姉さまから軽く誘惑されてしまったり・・・
このドラマ、『現実にありえない』奇跡の連続で成立しているんです。
こういうの好きだなぁ。夢があるもの。
物語は暗転の度にコウとなつきが、どんどん幼くなっていくのだけれど、シーンがはじまるまえに「小学6年生ですけど何か?」なんて前振りがあったりなんかして、もちろん、役者の演技に小学6年生らしいリアル感なんて全くもってないし、そんなこと言う事態ナンセンスなのだけれども、その一言は大人が演じる小学六年生に対する違和感を跳ね除ける強烈な破壊力があって、自虐ギャグ的な照れに没落せずに、見事にふたりのファンシーすぎる世界が構築されていて、心から恍惚させられたのでした。
廃墟ブーム
サイバー∴サイコロジック
ギャラリーLE DECO(東京都)
2010/07/28 (水) ~ 2010/08/01 (日)公演終了
満足度★★★★
デカイんだか小さいんだかよくわからないスケール感が絶妙。
タイトル通り『廃墟』ベースに物語は進んでいくものの取り立てて廃墟である必然性はあるようなないような・・・笑。
コレ、前から一度やってみたかったんだよね!なネタをまるごと全部詰め込んで無理矢理ひとつにまとめたような強引さは否めないけれども、そういうのも含めてしれっと笑いに転換させること請け合いで、終始ニヤニヤしっ放しだった。
ある時を境にこれまでの狭小世界がアッと驚く大胆不敵のワールドワイドなスケール感へと変貌させる様はやっぱり強引だったけれども、アリかなしかでいったら全然アリ。
くだけた笑いのなかから相反するメッセージ性を打ち出す手腕はお見事。
かぶり物系の笑いとかお化け屋敷とか、そういうジャンクなモノを笑って楽しめる方に是非お勧めしたいですね。
ネタバレBOX
当パンの挨拶文に『場所も相変わらず富山県葉暮町です。』と書いてある。
どうやら事件は毎度、富山県葉暮町で起こるらしい。些細なことだが、こういう郷土性はいいとおもう。
舞台はおなじみ(?)の富山県葉暮町にある現在は廃墟と化した建物。
ここでは漁師を辞めた亡き父が、ある夢を追っていたらしい。
その秘密を探るためにトモダチの士度と悠理をつれてやってきた娘の岬。
この3人がル・デコのドアを開けて入ってくるところから本編がはじまるのだが、会場全体が建物の設定となっており、開演すると共に場内が真っ暗になり、懐中電灯一つでやってきて、客席にライトを向けたりなんか向けたりしながら部屋のスイッチを探り当てるまで視界が遮断される状態が続く。この演出はスリリングでいいとおもう。
物語は亡き岬の父親の秘密をさぐる3人と、岬の父親が20年前に行っていたことをクロスオーヴァーさせながら描いていく。
現在と過去が交錯する話というのはさほど珍しくはないが、岬の父親の夢を実現するために雇われた工学博士、派遣社員、および岬の父親らが秘密をさぐる3人の進行具合にあわせてその都度登場するのは、彼らが客席に配置されていることも相まって臨場感があり楽しめた。
中盤までは場内のあらゆる場所に仕掛けられた小道具を弄びながら笑わせる物ボケ笑いが中心で、おまけに話の進行具合も足踏み状態で、せめてももう少し笑いのヴァリエーションがあればいいのになぁ、なんて思いながら観ていたのだけれども後半、中国の水爆実験による海水汚染のためにほたるイカがめっきり獲れなくなってしまったことを腹いせに核爆弾の開発を父親が雇った工学博士がオーヴァーテクノロジーによって蘇らせたアインシュタインと共にはじめたということが亡き父親の描いた夢の真相であることが明かされてからはこれまでのおちゃらけたムードが一転し、物語を畳みかけるスピード感はお見事だった。
しかし水爆実験のくだりの辺りから、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を彷彿とさせるような話の流れだな、まさかラストシーンがキノコ雲なんてことはないだろうね?なんておもっていた矢先、キノコ雲のオブジェがしれっと登場したのには、笑った。
『地上の星』になぞらえてプロジェクトX風のエンディングに持って行くやり方に賛否両論があるみたいですが、個人的には賛成の意向で。
モダン・ラヴァーズ・アドベンチャー
架空畳
テアトルBONBON(東京都)
2010/07/24 (土) ~ 2010/08/01 (日)公演終了
満足度★★★★
秩序正しく妄想催す。
身体における物理的なスピード感やら受け止めきれないほどに多すぎる圧倒的な語彙数なんかを豪雨のように浴びせられ、シーンが移り変わるごとに二乗三乗が無邪気にステップを踏みながらリズミカルに積み上がっていくようにめまぐるしく変容していく物語は、果たして正解があるものなのかすら危うい難解な数式を解くように常時追われている、そんなどうしようもない感覚に囚われたのだが、台詞のすべてが耽美で幻想的な小説のように詩的で恍惚させられた。
ねじれたアイデンティティを具象化したような大胆な舞台構造も異端な世界に花を添えていた。
『本筋がメタメタ』な物語をテクストが破綻しているとみるか否かによって評価は割れそうだが、個人的には支持したい。
ネタバレBOX
修学旅行の前夜、近所のデパートで行われるモデルショーのリハーサルをショーウィンドウごしに眺めていたことがバレ、担任教師のボタンに理科準備室に閉じ込められた三鷹ロダンはそこで出会った人体模型のハリコを、見た目も中身も自分好みの女に仕立てあげようと試みる。
その一方で本番が行われているデパートのモデルショーではトップモデルのモダン嬢が衣装を残し忽然と姿を消した・・・。
というあらすじ書きで説明されているこのふたつのアウトラインに三鷹ロダンの妄想が加味される。
これらをたとえば話のながれで『あんち』という言葉が出てくると『アンチ』テーゼという言葉が駆り出され、人体模型を『安置』する場所のシーンがはじまったり、『枕』というワードからは枕なげをするシーンが提示され、『枕』に『真っ暗』を掛けあわせ『千夜一夜』を連想すると今度は心象風景をなぞらえた抒情的なモノローグが繰り出されるといった具合に、二乗三乗の情報量を上乗せさせた単語、および単語を発話する登場人物の主体性によってシーンが展開する。
全体を通して登場人物たちが物語にコントロールされることを拒絶するかのようにハッキリと主張するために、一語一句がとても強い。
舞台は更にロダンの現実と非現実の境界線の曖昧さをショーウィンドーの『窓』ごしに舞台装置が的確に具象化する。
その『窓』とは『世界』を『覗く』ファクターであり、一枚一枚が回転するように細工が施され、更に五十音順表と満月の下で餅をつくうさぎが水墨画風に描かれた屏風で、屏風の隙間を『覗く』と向こう側には妄想の世界が広がっている、という趣旨。
劇中ワイヤーで吊り上げられた屏風がバタバタと上下する度に、妄想だと信じていたあちら側が現実にすりかわり、世界があべこべに覆されていく構成が妙。
舞台構造の大胆さにとらわれず、三鷹ロダンに『考えるひと』のポーズをさせるお茶目な一面や、五十音表の『ま』と『め』の間に位置する『みむ』の『む』と『る』の位置が何故逆でないことに囚われる過剰な『思想』が面白く、話の途中で『む』と『ら』が入れ替わり、『みら』=『ミラー』=『鏡』となる言葉遊び、および、鏡うつしの自己対峙、『利己主義へのアンチテーゼ』を乗り越えるために、まずは理性を紐解き、母との関係を断ち切り世界を変えようとする意志が悶々と繰り返されて、しかし結局すべてはロダンの妄想で、未来を変えることはできぬまま自虐的ナルシズムの渦中へと埋没していくラストもグッド。
膨大な言葉遊びを巧みに用いたり、忙しなく動き回るパワフルな肉体と欲求を支点に構成する手管は映像でしかみたことはないのだが、どことなく夢の遊眠社をおもわせ、そういえば、多数繰り返される劇中劇にしても、何となく天野天街の描くテイストに近く、高速ゼリフは柿喰う客で見受けられるそれに類似しているような既視感は否めない。しかしながらそういった確立された方法論を踏襲、アップデートしつつ、独自のジャンルを開拓しようとする試み、情報量の多さを燃料に舞台を走らせる『エントロピー演劇』の確立は、空間の描き方があまりにも破天荒すぎて、時代も人類もまだ追いついていないような気がしないでもないが、『自己同一性』という普遍的なテーマもさることながら、劇場に行って目撃、体感しなくては絶対に理解できない(むしろ観ても理解できないかも)という演劇の基本というか特性を律義にやってるところがいいとおもった。
今回が初見だったため毎回そうなのだかはわからないのだが、観た限りでは、台詞の語感にしろ、人物造形にしろ、日本的であると感じた。何というか、江戸川乱歩の小説を舞台化するとこうなるのかな、といった戯画的な世界観だったのだ。
欲をいえばもう少し、物語に奥行きを感じさせる演出があればいいとおもう。
たとえば、詩的な台詞を発話するだけではなくて、間合いだったり目配せなんかで語るような。そういう演出が引き出されたら尚良いような気がします。
ヒロコ
テラ・アーツ・ファクトリー
d-倉庫(東京都)
2010/07/22 (木) ~ 2010/07/25 (日)公演終了
満足度★★★★
リアルを再構成する時間。
個人史に依拠する土着性から史実を遡り、虚実交えて時間軸をクロスオーヴァーさせながら『リアルを疑う』ことに照準を定めた作品。
映像として纏めると回想シーン+ナレーションで終わってしまいそうなところを現代口語演劇的なダイアローグから能をモチーフにしたような動き、そして内省的なインタビュー形式のモノローグに至るまで様々な手法を用いた実験的で複雑な構成。
どちらかといえば素朴な語り口がソリッド感のある空間美に浸され演劇的な生々しさから遠ざかり、最後には無に帰化するような、観念的な一面もある。
あまり大衆的であるとは言えないものの、皮膚感覚で観るアート作品としては秀逸。
ネタバレBOX
黒い箱がいくつか雑然と並べられているだけの舞台装置。
物語の表情は照明で魅せる。舞台は3場に構成。
一場は、女性キャストが4名登場する。途中でひとり誰かが誰かの名前を呼んでいたが、基本的には匿名性が重視され、演者自身の個人史を生まれ育った『土地』ベースに記憶を掘り起こし、その時代の『史実』とリンクさせた『即興ダイアローグ』として作業を行った成果の発表であり、一貫して2人同士の会話劇として成立していた。
会話の内容は練馬には有名マンガ家が住んでいる、やさいを栽培する、立川の阿波踊り祭り&町内ソングについて、等世間話程度のものが中心で『オチ』は見受けられないまま雑然としたなかで終わる。
二場は、男性キャストが5名。ひとりは浮浪者のような体であとの4人はスーツ姿で全員客席に向かって正面に立った状態の『インタビュー形式』で行われた。
通常、回答者は質問者に視線を向けてこたえるものだが、ここでは隣同士に座っている状況が提示されてはいるものの、対面することとアイコンタクトはほぼ皆無に等しい。
最初はその人『個人』を知ろうとする質問が雑然と交されているが、時間が経過していくうちに内省的なモノローグにかわり、ある者は教師として20年以上勤めたという事実を、ある者は自身の生活について誰に語りかけるのでもなく、まるでひとりごとのように繰り返す。
そのことばが、青年団でみられるような『台詞のアンサンブル』となって聞こえてくる。
そのなかでとりわけ目立つのが浮浪者のような出で立ちの男のモノローグ。
彼は立川の米軍基地拡張に反対した『砂川事件』のメンバーと思わしき人物で、仲間のことや伊達裁判長の審判について、また、未来の日本についても言及している。
過剰なモノローグが続くなか、舞台の後方からひとりの女性がはいってくる。
連合赤軍の大槻節子と思わしき女は、ひたすら自身の日記を精読していて、彼女には彼の姿は見えないようだ。
彼女と彼の頭上に白い霧(スモーク)が十字架を切るように覆われると、黒づくめの女たちがぞろぞろと舞台にあらわれ、能のようにゆっくりとした動きで辺りを徘徊する。
女たちは、大槻節子と思わしき女の声に耳を澄まし、悲痛な表情を浮かべる者もいれば、ひたすら無に徹している者もいる。
突然、辺りは暗くなり、航空機が旋回する音が鳴り響く。
その音はだんだん過激になり、空爆する瞬間の轟音のように聞こえたところで終幕。
祈りが絶望にひれ伏すようなこの一連の流れがおそらく、三場の『もうひとつの地層』だったものだとおもわれる。
その戦いで失われたものとは。戦うことは何のためのものだったのか。
この作品は、自問自答を繰り返していた。
何となく毎日をすごしているわたしたちがこれからすべきことは、
認知することだけでいいものだろうか。危機感が募る。
ツイッター・ア・ゴーゴー!
マグズサムズ
アイピット目白(東京都)
2010/07/15 (木) ~ 2010/07/19 (月)公演終了
満足度★★★
ツイッターの特性を盛り込んだ意欲作。
日常のなにげない行動や本音をツイッターにつぶやくひとびとにスポットライトをあてたコメディドラマ。
ツイッターに依存するあまりリアルでの行動パターンや周囲との関わり方にも変化があらわれて、やがて『つぶやき』の全容が明らかになっていく様は痛快。
『なう』で繋がることへの危機感と安心感を得ているひとの両側面からニュートラルな視点で描いていたためか物語に若干うねりが欠け、やや一本調子だったように見えないこともないが、誰にでも楽しめる作品であることは確か。
ネタバレBOX
舞台の後方部は高台になっており、3つの開閉式の扉がある。扉の向こう側がツイッターの世界で、扉の前に立つキャストはツイッターのユーザーという設定。語尾は『〰なう』が基本形。
物語は面識はないが、互いにフォローしあっている会社員で残業中の野村、合コン中の会社員のよしえ、明日ハネムーンを控えている亀井清の3人が同じ時間、異なる場所で行動する様を描き、ツイッター上でフォローしているひとの最新つぶやきが、タイムラインの一番上に表示されるのと同じように、新しいつぶやきを認めると、これまでのドラマは中断され、最新のつぶやきに該当するひとへ物語がスライドするアイデアが画期的。ただ、終始そのスタイルだったので、後半は少々飽きてしまったけれど・・・。
ハワイで挙式だの、高級スパだのとツイッターではつぶやいている亀井清が来ていた場所は実は映画フラガールの舞台にもなった福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」で、婚約者の静香からは明日の式を取りやめる、とまで言われているトホホな状態。にも関わらず大ホラ吹いてまで世間の目を気にするってあるよなぁ・・・とか、
ツイッター仲間のよしえと亀井のつぶやきに好意的なRTをする一見無害でありそうな野村も、リアルでは契約社員の西川に仕事を押し付け、自分は恋人の橋本とのデートのことばかり思案する狡猾な輩だったり、しかし同僚の西川はその更に上をいっていて、そもそも仕事に手をつけていなかったり、
彼氏ができないだの、死にたいだの鬱なことばかりをツイッターでつぶやくよしえ(と思わしき)IDを見つけたトモダチの喜美が、同じくトモダチの健二と一緒によしえに、合コンで同席した薬剤師の南とくっつけようと表向きは奮闘するも、裏ではよしえのつぶやきを笑っていたり、よしえはそれを悟ったからこそふたりを咎めたり・・・。結局、なぁなぁで丸く収まったけれど、個人的にはここはもう少し本音で話し合って欲しかったかな。
劇中、時々3人の会話のやりとりが壁面に投射されることがあったが、私の座った位置からは画像が粗く、ピンボケしているように見えたことからあまり効果を生み出しているとは思えなかった。
あと、全体的に役者の声のトーンが上ずっているような気がしたのだけど、これは団体の特徴なんだろうか。コミカルでマンガ的なこの作品には合っていたけど、少し過剰なようにもおもえた。
あそび
山田ジャパン
サンモールスタジオ(東京都)
2010/07/14 (水) ~ 2010/07/20 (火)公演終了
満足度★★★
やるせない男のロマンティシズムが全開。
アメリカン・ニューシネマの主人公に憧れたことがあったり、車の運転が好きだったり、何となく自分は惰性で生きているかもしれない、なんて予感を抱いたことのある男性にはたまらない作品だったのではないかな、とおもう。
あまり上手く言えないけれど、やるせない男のロマンティシズムが夕陽を背にゆらゆらとはためいているような、そんな気がしたのでした。
ネタバレBOX
女にモテたい、あそびたい、そんな月並みの欲望を抱えて何となく九州から上京したものの東京にビビり、神奈川県の中古車整備工場に住みこみで働く毎日を送っている春名耕平は、夢も希望もお金も女もいない、ないないづくしのさえない男。周りから愛されている様子も特になく、透明人間に近い存在。
舞台には彼が働く中古車整備工場が忠実に再現されており、車体の前方部分をぶったぎった本物の車が登場。しかも車輪の下に台車が取り付けられていて、ちゃんと駆動するようになっていてかなり迫力がある。
登場人物も、整備工場の社長、同僚、事務員、毎日やってくるお得意さん、暇をもてあましている派出所のおっさんに加え、中古車整備工場のお隣で稽古に励む劇団員等非常に個性的なキャラクターばかりで観ていて退屈しなかった。
特にお気に入りだったのは、劇団員&演出家&演出助手。劇団の名前が『パーフェクト・ワールド』であるのにどんな脚本なのかわからないけれど、台詞が「滅びろー!!」の一点張り。
ある時、彼らを煩がっていた工場の同僚の福田が昔芝居をやっていた頃の自分と共通点を見出した途端にこれまでの態度を一変し、アドヴァイスを送る関係性に発展していく様は面白かった。
個人的には「滅びろー!」の前後は何がどうなっていたのか、
とても気になったのでもう少し長めの劇中劇を希望したいところだったけれど。
劇中の会話はとりとめのないことばが指の間からこぼれ落ちる砂のように蓄積されていくような、砂の重みは感じられても会話の重さというか深さはあまり感じられないような感じだった。周囲が好き勝手に盛り上がるなか、イマイチついていけない春名の葛藤、というか空しさのようなモノを表現していたのかもしれない。
物語が大きく動くのは後半で春名の父と母が工場にやってくるところから。
様々な理由をつけて両親からお金をせびり借金を繰り返してきた春名に愛想をつかした両親は有り金全部持ってきて、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに絶縁しようとする。最後に借りたお金は資格を取るために使った、と言う息子の言葉の言葉は耳に入らないようだ。
両親を引きとめることができず、立ち去る春名。
そして工場長からの社長から息子が2級整備士の資格を取っていたことを知らされた両親は息子の後を追い、車を走らせ、その頃耕平は見知らぬ町で『あそび』を探し求めていた・・・。
これまでと同じことを親子は繰り返していくのだろうな。ということを予感させるラストは車は走り出しても、人生は走り出せない窮屈さのような閉塞感が滲み出ていた。
作品タイトルの『あそび』とは、あと一歩が踏み出せないから、今を『あそび』=カミサマから与えられた人生の休暇のようにしておこう、とでもいうような男の孤独な一面を表していたのかな。
ところで耕平が上手に車庫入れを出来る日は来るんだろうか。
行きずりの女の子とあそぶには、まずはそこからはじめるのが肝かもしれない。なんて。笑
鬼FES.2010
ロ字ック
APOCシアター(東京都)
2010/07/17 (土) ~ 2010/07/18 (日)公演終了
満足度★★★
一足お先に夏フェス気分!?
演劇界に夏フェスがないことに疑問を感じた劇団ロ字ックが企画したイヴェント。
初回ということもあってか、フェスという切り口にしては少々こじんまりとした印象でしたが、個性的でゴーイングマイウェイな団体ばかりで愉快でした。
演劇は滅多に見ない方でもロックバンドのライブに行くような感覚で気軽に楽しめそうです。
舞台の様子は会場の階下のカフェ・バーで随時テレビ中継しているので、ソファで寛ぎお酒を飲みながら観るのもよさそそう。
ネタバレBOX
■村上佳久(ひとり芝居)
『春山春子』★★
生物Iを教える教師に赴任したばかりの春山春子は極度の緊張により、手や足は震えているが懸命に生徒らにメンデルの法則を教えようとする。しかし支離滅裂で話下手な彼女の喋りについていけなくなった生徒らは次々に退席。
ついに残る生徒はひとりになり、マンツーマンになってしまうという話。
客席が生徒たちという設定だったためか観客いじりがあった。(といっても
名前と血液型を聞く程度だったけれど。)
エキストラを客席にあらかじめ数名配置しておき、どんどん退席していけば
もう少し演劇的になったのではないかとおもう。
『ピーマンくん』★★★★
地元のスーパーマーケットに勤めているトシヒコの父親。ここでは一番下っ端が店の前でピーマンの被りものを装着し、ピーマンを売らなければならない規則があるのだが、父親が3年前に入社した後のニューカマーは誰ひとりとしておらず、相変わらず毎日野外でピーマン売りを続けなければならないことへの嘆きや、お店の軒先に止められた客の自転車を公道なので常に場所を移動させている事への不満、北海道に社員旅行に行った時にゲーム台に熱中しすぎて集合時間に間に合わず、置いてきぼりにされたが、誰もが自分の存在を忘れていて気付いてもらえなかった等、自虐的なエピソードを息子に愚痴る話。
ドンくさそうな父親に扮した村上が終始同じトーンで語りかけるように話す言葉のひとことひとことに悲哀と皮肉が入り混じり、いちいち笑えた。
■スマッシュルームズ 『シルエット=半透明』★★★★★
パンクロックバンド、チキンハウスのギグ。
VO&Gのエースがメンバー紹介(Bリリィ、Drタンク)を終え、ラスト一曲をはじめようとした矢先、ステージにもうひとりいることに気がつく。彼はカスタネットを両手に持ち名前を阿部と言うらしいがメンバーは誰も彼を知らない。
しかし彼は自分はチキンハウスのメンバーだと主張する。更に、バンドメンバーが3人だとするとひとり嘘をついているヤツがいる、と犯人の嘘を見破る警官のような口調で咎める。
阿部の強烈な自意識が自身を第4のメンバーだと信じて疑わなかったのか、
それともただ、単純にメンバーに入りたかったのかその辺りは謎だが、気が弱そうなDrのタンクをメンバーから除外しようとする阿部の行動は見物だ。
メンバー外の男から勝手にメンバーを除外されたタンクの怒りは爆発。東京をめためたに破壊しようとするゴジラのように唸り声を上げ暴れまわる彼の怒りの沈静するためには、ポン・デ・リングがないとダメらしい。持っているひとはいないかどうか、客席に呼びかけるVo&Gのエース。
するとひとりの男性がつかつかと舞台に上がりお目当てのポン・デ・リングを手渡す。この男性はおそらくこの団体の主宰なのだが、しばらく舞台上にいたために、第5のメンバーのように客席からは見えて面白かった。
紆余曲折の末、阿部はメンバーに加入することに成功。
だがしかし、この日をもってチキンハウスは解散することが既に決まっていた。ラストの一曲は大まじめに『君が代斉唱』でバンド解散。そして照明がフェードアウトするなかトドメのひとことが一味利いていた。
最後まで二転、三転する脚本に先の読めない展開が面白く、一風変わった角度から描いた友情にはドラマ性と舞台をステージと見立てたライヴ感があり、て今回みたなかでは一番心を動かされた作品だった。
■KETTA-MACHINE 『音楽が人に与える影響についての考察』★★
就活真っ只中の学生らが、心理学科の教授から、『音楽が人に与える影響について』課題を出される話。
クラシックは脳に良い影響を及ぼす、パンクロックは人格を破綻させる、
J-POPは日本人の心をよく表わしている・・・。というのが考察の主。
教授のお気に入りのJ-POPがつまったCD-Rを借りたマサコが、YUIのチェリーの『恋しちゃったんだ たぶん 気付いてないでしょう?』の部分を聞いた瞬間から教授は自分を好きに違いない、と勘ちがいしていく様相はおもしろい。
いっそのことこの場面を、残りのふたりの学生が考察する構成にすればもっと物語が広がったのかもしれないのになぁ、とおもった。
■ロ字ック 『パラダイス』★★★
とあるホテルの一室で鉢合わせてしまったビジュアル系バンドの追っかけをやっている3人のバンギャル(いわゆるファック隊)らの会話劇。
開演と同時にトラブルははじまって、巻き起こる女と女の意地の張り合い。女のいやらしさをポップにして過激に描けるところが山田さんの特長だと個人的にはおもってるのだけど、そのセンスは今回も健在。
しかしながら、物語は結構グダグダ・・・苦笑。
それを狙っていたにしても物語の核になるテーマである愛憎が、ちょっと紋切り型過ぎた感がアリ・・・。
終盤、ラーメン皿を回収するために部屋にやってきた中華料理店のチャイナを、新たなライバルだと勘違いしたバンギャらが責め立て、追いつめられたチャイナがつたない日本語で身の潔白を主張し反論して激しく言い争ううちに、バンド『メン』とラー『メン』で文脈が混乱してしまうあのくだり、言葉の取り違えによる仕掛けは確かにロジカルで面白かったが、これで物語を畳みかけるには少々パンチが弱いというか、もう少し、意外性がほしかった。
ラストでのイマイチ垢ぬけない妙ちきりんな女の破壊衝動も、ちょっと唐突すぎたかも。
あのシーンに至るまでの人物描写の『心の揺れ』や、『揺さぶり』(選択の余地)は、もう少し見たかった。
同じ場所でダラダラと足踏みを繰り返すように物語が停滞したり、会話の応酬が見受けられない意味の無さ、みたいなのは個人的にはすごく好きなのだけど、それにしては、『主張』(自意識とか精神面ではなく、概念的な)が不足がちで、起承転結の起と結だけ見せられたような印象だった。
その点は、想像を促すような『意味あり気』な台詞をピンポイントで配置して、『謎』を残したまま終幕したりすると幾分、緩和されるのではないかなぁ、と。
紫、ピンク、黄色をバチバチ光らせるドぎつく毒々しい照明と、ハードロックの楽曲と役者の動きをカッチリ合わせてくるのは凄い。
実は今回みたロ字ックのキャラクター造形だとか、役者の動きだとかが、
先日みたバナナ女学園の「アタシが一番あいしてるっ」に通じるモノがあった気がした。
個人的には前回公演での、ニュートラルでつまらないひとを配置するのはロ字ックのスタイルを確立するうえで何かしらファクターになるような気がします。
あと、ミュージカル調のポストドラマを取り入れたり、『沈黙すること』とのバランスが生まれてくると、爆発のタイミングも見えてくるような・・・。勝手な憶測ですが。
今回の企画は上述したように演劇の間口を広げる(演劇人口を増やす)ことへのフックとして、有意義な企画だったとおもいます。
ひとつ気になったのは、舞台転換の間。
MCがいると、会場の盛り上がり方が変化したかもしれません。
『ロック』の括りを=『誰かのハートをロック(射止める)すること』だとすると、
コンセプチュアルなな部分は次回からも継続していかれて良い部分かなぁ、と。(個人的には、ロックの偉人シリーズとか観たい気もしますが。)
余談ですが、蛍光ブレスレットがチケット代わりとは洒落ていてよかったですね。
「霞葬(かすみそう)」公演終了しました。
劇団印象-indian elephant-
吉祥寺シアター(東京都)
2010/07/16 (金) ~ 2010/07/19 (月)公演終了
満足度★★★★
ないものねだりの民と神。
日本神話の神々を語り口に、有限に存在している人間の尊厳を逆説的に描く作品。
神さまも人間と同じように欲深く『ないものねだり』をしてしまうよ、という視点が面白い。
物語は会話劇として成立させながら、ここぞという時には身体性の躍動感でもってキメてくるので、物語にうねりがあった。
天井の高い吉祥寺シアターを存分に生かした舞台美術、橙色に浮かぶ照明、丁寧に制作された衣装はどれもシンプルでありながら作品の持つ、浮遊感のある不思議色に違和感なく染まっていた。
韓国から招かれたべク・ソヌさんの演技がとにかく素晴らしい。『女の一生』という難しい役どころを気負いせず、非常に豊かに表現されていた。
特に役者、演出家を志しているひとに観てもらいたいですね。彼女の佇まいから『演劇』について何かを得られるような気がします。
Wannabe
柿喰う客
アトリエ春風舎(東京都)
2010/06/29 (火) ~ 2010/07/19 (月)公演終了
満足度★★★★
全然仲間だし。
一見して安直なようにも見える振る舞いやなにげない表層的な台詞の裏側に『わたしたち』の外的要因の差異が端的に浮き彫りにされていくようでハッとさせられた。
物語は共生をテーマにしているが、説教臭さは皆無であり難しいことは何ひとつないので、気軽な気持ちで観られるのが良い。全公演、本編終了後にアフタートークがあるのも嬉しい。
ネタバレBOX
超金持ちなイタリア人がアジア人に無償で貸し出しているドミトリーの共有スペースでの一幕。舞台はL字型のソファに小さなテーブルに椅子が置かれているだけというとてもシンプルな作り。
寿司屋で働くトモダチのエイちゃん(須貝 英)がお店のお客で来て好きになった韓国人の女の子、ゲ二(チョン・ユンギュン)に告白する機会をつくってあげるために、ドームヘッド(七味 まゆ味)の留守中を見計らい、ドミトリーの共有スペースで『ホーム・パーティー』をはじめる矢先、コロらと先にここで本を読んでいたセミ(イ・ウンセム)による『陣地』を巡るちょっとしたトラブル。
事情を説明し立ち退きをお願いすると「私にはお構いなく。」とセミに返された皆の衆は、僕たち私たちはものすごく騒ぐよ!などと理由をつけるが、ネゴシエーションは上手くいかない。そしてエクスキューズのないパーティーピーポーらはいつしか酒を調達しにイソイソと出かけていく・・・。
会話は基本的に英語で交されるのだが、苛立ったメンバーのひとりが「てか、盛り下がるし。」と日本語でポツリと呟いたあの一言は、本音と建前を使い分ける我が民族の悪いところがダイレクトに出たばかりか戦前、朝鮮半島を支配した悲しい歴史の一端が見え隠れするようでかなりパンチが利いていた。
後半はこれまでの内輪ノリ的な雰囲気とはトーンが一味変わって、ゲ二に韓国語で告白するために例文集を読み返し暗唱するピュアネスなエイちゃんの姿と、超常現象を同居させる手腕が面白かった。
今回予備知識なく観に行ったのだけれども、物語の舞台がアジアから遠く離れた"ガイコク"だったとは劇中、全然気がつかなかった。登場人物らが幽霊だった、ってことも。
役者陣は皆、本名orニックネームで登場する。『素』であることを意識していたのかな。
それから日本以外のキャストの方々の演技を普段観る機会があまりないのでとても新鮮だった。ひとつひとつの小さな仕草がとてもきれいで鮮明に記憶に残る。
『アタシが一番愛してる』
バナナ学園純情乙女組
ART THEATER かもめ座(東京都)
2010/06/15 (火) ~ 2010/06/20 (日)公演終了
満足度★★★★
前線で戦う演劇。
デジタルに侵されていく脳みそにアンドロイドになりかけの身体を引きちぎれそうな程に目一杯動かして、けたたましい爆音を響かせて、光速で駆け抜ける。まるで消費されていく演劇に「私たちには時間がないの。」と宣言をしているかのように。ある特定の時期の女の子が持つ今にも消え入りそうな儚さとあどけなくて野性的な欲求が接触した時に爆発する熱量の凄まじさ、天空を引き裂いて漆黒の闇に火の粉を降らせるような破滅的な美しさに片時も目が離せず、大いに魅せられた。
ネタバレBOX
劇場に一歩足を踏み入れると受付には、チェック制服を着用したり、巫女のコスプレ姿のスタッフの方々がおり、『バナナ学園』の世界がはじまっていた。開演前から初音ミクちっくな音楽がぐるぐる流れ、更にエヴァンゲリオン的な極太の白い明朝体の文字が空間全体をプロジェクターで投射されていて、気分は上々。主宰の二階堂さんから開演前の挨拶の後本編へ。この際、公演を授業と言われたのが痛快だった。
物語は私立永田中学校で毎年開催されるミスコンを中心にした学園内の悲喜こもごもが主。
ミスコンにエントリーした生徒同士が火花を散らす様子や、前年度の優勝者が行方不明になったことからミスコンの開催を見合わせようとしている風紀委員会とミスコンを続行させようとする実行委員会の対立、学園内のちょっとしたいじめや恋愛模様などの日常風景が、時には同時多発的にザッピングされていく&とにかくめまぐるしく物語は展開し、かつ早口言葉で発話するため、話のすべてを追うのはかなりコツが要るのだが、本筋を追わないor追えなくても、ほぼ舞台に出ずっぱりな体操服をきた役名すらよくわからないひと(浅川千絵さん)が本筋にいちいちツッコミというかチョッカイを出しているので、彼女に注目して観ていても退屈はしないように配慮がなされていて、刺激的。しかも彼女の言うギャグが妙に懐古的で、広末涼子や鈴木沙理奈、電気グルーヴの曲だったり、金魚注意報がネタとして登場したり、水槽のなかで増殖する綾波レイを彷彿とさせるようなシーンが挿入されたりして、自分が中学生の頃を思い出した。
終盤、行方不明だった前年度のミスコングランプリである神宮は、姉川という同級生の女が鎌で殺害し、切り落とした頭をリュックサックに入れて登校するところは、かの榊原事件を踏襲していたのかな。
姉川の行動は、時間系列としてはいつ行われたものだったのか。曖昧なまま終幕した印象があるのだが、私が見落としてしまったのか、続きは次回に持ち越しなのか、モヤモヤするところではあるものの、要所要所で登場する神宮がミステリアスで刹那的で美しかった。
キャラクター造形がとにかく緻密になされていて、登場人物がみんな個性的でよかった。個人的に一番のヒットだったのは、ミスコンにエントリーした”紫のドレスに身を纏う巨大な化け物”苦下沢ビビ。紅白歌合戦で毎年奇抜な衣装で話題の小林うんちゃらさんを明らかにオマージュしていた味付け加減がかなりツボでして、巨体を揺らしながら旋回するだけで大爆笑でした。
本編終了後のおはぎライヴもオマケとは思えぬクオリティの高さ。
近未来的で暑苦しくて、アイドルちっくでありながら、可愛いだけで終わらせない振り切れ方が潔くて恰好よかった。
パフォーンスが素晴らしかっただけに、ラストで観客を舞台へあげる時、遠慮があったように思われたのはすこし気になった。
(まぁそれは私がいかにも陰気そうな風貌だからっていうのが原因かもしれないけれども観客を巻き込む図々しさはもっと出してってもいいかもしれない。)
あと余談ですが、会場する際に頂いた前園あかりさんのプロマイド写真と直筆の『未来なんてない』がすごく嬉しかったです。
ルーティーン247パラノイア
シネマ系スパイスコメディAchiTION!
新宿シアターモリエール(東京都)
2010/07/09 (金) ~ 2010/07/11 (日)公演終了
満足度★★★
妄想という名のルーティーンワークを繰り返す。
ふとした瞬間に思いついた妄想をリアルタイムで具象化されていく光景が面白く、終盤の『種明かし』の高揚感が心地よかった。
”シネマ系”と団体の意向を謳っているだけあって、劇中で流れる映像にこだわりを感じ、時間制限を設けて演技をする一場面はスリリングで楽しめた。導入音楽もセンスが良い。
ネタバレBOX
壁面に取り付けられたいくつかのドアー。手前には迷路のように配置された白い箱、その奥にテーブルと椅子、その真上(二階)にも同じテーブルと椅子、上手側にもいくつかの白い箱が置かれたカウンターという抽象的な舞台美術。
本編がはじまると迷路のように配置された白い箱はコンビニの棚で、白い箱のカウンターはレジであることが判明する。物語はコンビニに訪れる常連客らの光景を、このコンビニでバイトをはじめて一週間経過した宇佐美まる美の目線で描いていく。
このコンビニには毎日ろうそくを買いに来る怪しげな女や、毎日5時にトイレを借りにくるおっさん、毎週水曜日にお菓子を1万円分買いにくる男などがおり、店長や、周りのスタッフは常連客らの行動パターンは全く同じである。という。
どうして毎日同じ時刻に同じモノを買って行ったり、毎日同じ行動を繰り返すものなのか。疑問におもうまる美は彼らにあれこれと勝手に理由をつけて、毎日箸を7膳もらう客は、大家族でひもじいおもいをしているだの、毎日連れてくる女が違う男はメロドラマ風のドロドロの不倫をしているだの、毎日カレーヌードルを買いにくる客は本当はウルトラマンだの、と妄想しまくるそれが劇中劇として繰り広げられる。単体ではどれもこれも面白いのだけれども、如何せんひとつひとつの尺が長く、不要だと思われるエピソードもあったような・・・。しかし、コンビニという不特定多数が出入りする場所での群像と捉えるとそれもアリなのかなぁ、とも思えるので甲乙が点け難い。
さて物語は中盤、娘の妄想を止めさせるためにまる美の父親が登場し、コンビニでたむろするギャル&ギャル男らの仲間になってまる美を監視しようとする。イカツイスーツ姿の父親が、見た目もしゃべり方もギャル男になっていく様が面白く、この3人の関係性もいい。
しかし、父の涙ぐましい(?)努力もむなしく、まる美の妄想はエスカレートしていき突然現れた謎の男から「このまま妄想ばかり見ていると、妄想の世界から抜け出せなくなる。現実を確認するように。」と指示を受ける。
彼女が信じていたい現実=妄想が歪みはじめると彼女の知らない『本当の現実』が表出する。その現実とは、ろうそくを買いに来る女は新興宗教のスタッフで、箸を7膳もらう客はその教祖、毎日違う女を連れてくる男は子供向けテレビ番組のプロデューサー、カレーヌードルを買いに来る客はデキ婚を迫られる男など、彼女が妄想していた常連客たちの本当の姿…。
真実を知った彼女に、ろうそく女と箸男らは『妄想教』に彼女のすべてを妄想に満たそうとおびき寄せる。頭を白い布で覆い、白いマントを翻した、没個性の信者たちの光景は異彩を放つ。
そこへ「現実を確認するように」指示した謎の男が再び現れまる美を呼ぶ。
まる美が目を覚ますと、そこは病院。謎の男は彼女の担当医で催眠療法を使って妄想の世界から現実へ引き返そうとしていたこと、彼女がコンビニで働いていたことも夢であったことが打ち明けられる。
無意識下で上塗りされていく妄想、夢のなかをさ迷う主人公、細切れのエピソードが終盤で収束していく構成、スタイリッシュな映像・・・完璧でしたが、何だか惜しいという印象がぬぐえませんでした。例えば円形の枠組みのなかでループするなど『ルーティーン』であることを生かした演出を施したり、もう少しリズミカルに物語が展開したり、もう一捻り利いた笑いが取り入れられるとより洗練されていきそうな気がします。