絢爛とか爛漫とか 公演情報 傑作を遊ぼう。rorian55?「絢爛とか爛漫とか」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    青い春が終わるまで。
    私的な悩み事から文学論に至るまで本音を言い合える仲間と過ごしたかけがえのない一時を色彩豊かにのびやかに、カジュアルに描いていく舞台。
    昭和初期を意識したハイカラな衣装に同じような趣向でセレクトされたとおもわしきアンティーク調の家具、舞台の壁面を囲うプロジェクターに投射される幾何学的な映像、四季折々の情景をノスタルジックにうつし出す幻想的な照明、そして遊び心のある影絵が行間を紡ぐように視覚化された舞台空間は、抒情的な味わい深さと一遍の詩のような美しさをあわせ持ち、非常に魅惑的で隅々まで徹底的に拘りが伺える濃密で重厚な空間が構築されていた。
    反面、劇中で交される会話は、センテンスの奥行きを想像させるような密着性を持った類のものであったとは言い難く、慄然とした舞台空間に言葉が対峙するパワーが不足しているようにおもわれた。故に、共感とまでは至らなかったのが正直なところ。
    この戯曲を今回の公演ではじめて知ったので、原作にどの程度忠実であるのかはわからないのだが・・・。
    みじめで情けないダーティーな青春モノを想像していくと肩透かしを喰らう恐れがあるかもしれないが、ハマるひとはハマるだろうし、誰かを誘ってサクッと観にいくには丁度いい舞台なのではないかな、とおもう。

    ネタバレBOX

    古賀の家に入り浸る泉、加藤、諸岡ら。
    彼ら4人は純文学、文学評論、耽美怪奇小説、御法度小説とそれぞれ違なるジャンルの物書を志望しているが現実はそう甘いものではなく到底、生計をたててはいけない状況。けれども裕福な家で育ち、働かざるとも金銭的に不自由のない彼らは夜な夜なダンスホールに繰り出したり、お気に入りの女の子とあそんだりしてそれなりに楽しい日々を過ごしていた。
    処女作を発表したきりスランプに陥っている古賀だけは何となく手ごたえのない空騒ぎに気がのらない。それでもある時、耽美小説家志望の加藤が銀座のダンスホールで一目ぼれをした踊り子のビビアンが、憂鬱な青年がうじうじと悩んでいるだけという内容の古賀の処女作を気に入っているから加藤とビビアンの仲を取り持ってくれないか、と頼まれるとまんざらでもないといった様子で夜の雑踏へ消えて行く、そんな春。

    あの後ビビアンと恋仲になったものの、『恋はこいでも、金持ってコイ』だった、とげんなりし、おまけに執筆の方も絶賛スランプ中。それに加えて冷たい物を暴飲暴食したせいで腹を壊して寝込む古賀に気晴らしに海水浴に行こうぜ!なんて言ってお気楽なお三方。
    強烈な陽の光にむせかえる暑さに窒息寸前の夏。

    ひぐらしが鳴き、鈴虫が鳴き、めぐる秋。
    季節は巡れどスランプ中に変わりない古賀は、文学評論家志望にも関わらず文芸誌に小説を発表した泉が何となく気に入らない。
    そんな折、母を心から慕う加藤は母の具合が悪いことを知り、実家に戻る。
    諸岡は父の経営する大手鉄道会社の後を継ぐ為、東京を離れることを決意。これを機に文筆も廃業し、いづれは女房をもらい、平凡な暮らしをしていくらしをしていくのだ、という。戦友をふたり失い、いよいよ青春の終わる足音が近づいてきた。

    冬。いつまでたっても原稿用紙を埋められないことに追いつめられた古賀は、家政婦のお絹の説得も虚しく、大量のパビナールを服用し、心身共に破綻する。深淵なる地獄を夢うつつさ迷い、やがて掴んだ一筋の光…。
    それはとても小さな女の子が自分がすすむべき道をみつけるまでを幻想的に綴った小さな短編だった。古賀はその話のなかで蓮の花をモチーフにした。蓮の花は生まれたばかりの釈迦が歩き出し、その足跡から咲いたといわれる花である。
    この短編をこれからも小説を書き続けていく自身の意志として古賀が泉に朗読して聞かせる場面では、壁面に投射した短編の世界のモノクロ・アニメーションが目まぐるしく展開された。二次元の世界に飲まれまいとして、抵抗するかのように躍動する女の子の影絵もまた、古賀と同様に自身の意志によって動いていた。この表現方法はかなりいい。

    終盤、文学評論家を志す恋多き男・泉はあそび相手のひとりだった娘ともうすぐ結婚すると古賀に報告をする。古賀はバビナール中毒だった頃に看病してくれたお絹にプロポーズする予定だったが、彼女にはいいなずけがあったと明かす。もうすぐ春だ。

    要所要所で登場する影絵人形で表現がなされる家政婦のお菊の所作のひとつひとつが自らの羽を抜いて機を織る鶴を障子越しに見届けているかのようなぺシミズムに満ち溢れているのが印象的だった。舞台には登場しないお菊の動作や事情、気配を知らせる環境音も効果的だった。季節が巡る度に舞台転換する際に流れるセンス抜群の映像とロックな音楽には心踊ったが、序盤のスピーディーな台詞の掛け合いが夏に突入した辺りから失速し、そのままズルズルと終盤までもつれ込むようで、会話から手ごたえを掴み損ねてしまった。
    理想と現実の狭間に苦しみ、共に笑いあった仲間たちが新しい人生をはじめるまで・・・すなわち青春からの旅立ちをテーマにしていることは何となく理解はできるのだがそれにしても・・・だった。
    何というか、美的センスに彩られた舞台空間と戯曲の持つダラダラとした伏線が回収されない会話が所々でこじれているようにおもわれたのだ。
    もう少し踏み込んで言うと、この舞台空間には日本昔話を今風にアレンジしたようなもう少し硬質な作風が合うような気がしてならなかった。あるいはナンセンス寄りの物語と美意識のミスマッチさを狙うのならば、それ相応のギャグセンスは必要なのではないかな、と。
    とはいえ登場するキャラクターは、非常に丁寧な役作りがなされていて、安定感がありました。役の味付け加減としては特に古賀は明らかに太宰 治を踏襲していて、思わず二ヤリ。いっそのこと全員実在した作家の名前を登場させて、〰若き日の〰なんていうつくりで自虐的に突っ走ってもらえたほうがホロホロ笑えていたかもしれません。

    0

    2010/08/20 00:45

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大