アウコトバ 公演情報 風花水月「アウコトバ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    無責任で身勝手な大人たち。
    『旬の観たいもの展2010』参加作品。
    様々な事由により子どもを保護する養育施設から養育希望者への橋渡しを行う民間企業が舞台。
    社会貢献事業ではあるものの、ビジネスとして請け負っていることから実質的には子どもを商品として流通し取引している、という揺るがない事実を念頭に置きつつ、そうはいっても綺麗事だけではまかり通らないよね、とばかりに大人の事情と歪みが複雑に絡み合う。
    いつの時代も、大人の都合によって子どもが犠牲になり続けている。そんな子どもは、幸せになるための旅に出る。たとえその子自身がそれを望まなかったとしても。
    子どもを育てられないのなら生むな。とは昔からよく言われること。しかし、生んだ後にこれ以上育てることが困難だと判断した親は、果たして特別なケースであるのだろうか。私は我が子をちゃんと愛して育てられるだろうか。見終えた後、そんなことを考えた。
    きっと立派に子育てをした経験を持つひとたちからすれば、信じられないような倫理観を見せつけられる内容なのではないかな、とおもう。だけれどこの話で描かれていることは常識から一歩足を踏み外したら、誰にでも当事者になる可能性を秘めている。そんな気がしてならないのです。
       ※8/18に『旬の観たいもの展』のページから投稿した内容をこちらに登録し直しました。

    ネタバレBOX

    漆黒に塗り込められたル・デコ5の空間に白いデスクと来客用の白いテーブル、白い棚がとても映えるどこかの街の清潔なオフィス。
    その民間企業では当初、教育センターへ保護された、脳に発達障害を持った子どもたちに数か月間かけて育成プログラムを実施した後、養育者(新しい家族)のニーズにあわせて提供する、いわば仲介業を主としていたのだが短期間で社の利益をあげるため、表向きには子供の情操教育の一環として一日十万円で子どもをレンタルするサービスを開始した。富裕層でひとり暮らしのお年寄りを中心に社内きってのやり手の営業マンである内村が次々と契約をとる一方で東野は『子どもの幸せ』よりも社の利益を重視する社の方針に疑問を抱く。しかし皮肉なもので社で実用されている育成プログラムは教育センターに勤務していた頃に東野が考案したものなのだった。
    求めた福祉の理想像が子どもを守るために活かされないばかりか、自身もそれに加担していることへの罪悪感に苛まれたのか、やがて東野は体調を崩し休職することに。

    ある日、子どもの虐待が認められた幼稚園に通う5人の子どもたちの保護と教育を目的に(実質的には子どもたちを買い取ってもらうために)社を訪れた社会福祉士の鬼塚は、三年前まで部下だった東野の実情を知り、13年前に死んだ妹にしてやれなかったことを悔やんでいるのでは、と推測する。

    いかに収益をあげるかということを考慮して経営する企業側といかにして団体を存続するための収入を得ようか、と思案する特別有益団体(?)である教育センターの思惑が重なり合う点が子どもを守るための最善の措置であったと言わんばかりに傲慢な内部事情を軽やかに露呈されていく様は、かなり衝撃度が強い。が、東野が妹にしてやれなかったことの具体的な何かは劇中のなかで明かされなかった点についてはやや消化不良。もう少し東野の更に深い闇へと迫る手掛かりがほしかったところではある。ともあれ、このような内部事情を描写することは、やや過剰な形でありながらも、福祉の在り方を投げかけているという点において、秀逸である。

    また外部の視点として、交互に登場する二組のクライアントは何かが決定的に歪んでいて非常に恐ろしい。
    娘のカスミを育てる責任感と愛情に欠落しているばかりか、我が子を自分の自由を奪う邪魔者でしかなく挙げ句の果てには、「これ以上一緒に居たらカスミを殺す!」と宣言して、社に娘の買い取りを迫る相沢。過剰な育児ストレスがそうさせるのか、彼女の言動すべては殺気立っており、とても尋常な精神状態だとはおもえない。むしろ、彼女が保護されるべきなのではないのかな、と思われるほど。しかし彼女の心をケアする者は最後まであらわれず、かわりに新たな生命を孕んでしまう。「またかよ」だなんて残酷に言い放ち、舌打ちをして去っていく彼女は、またも名もなきその子を憎むのだろうか。その子をまた売るのだろうか。すべての観客から背を向けた、彼女の後姿からはその表情や本心を伺い知ることはできなかった。彼女のやさしさが回復する日は訪れるのだろうか。

    そして、前述した会社を設立するために多額の寄付金を出した黒田氏の息子夫妻、いわば上顧客的な存在であるブルジョワジーな黒田夫妻。奥さんは「生きるために子どもが必要なんです。」と主張はしているものの結局、お金にものを言わせて自分の『願望』(欲求)を満たしたいだけ。付き添いで来た旦那の方は人の話真剣に聞くことをまったくしない、欲求の虜。自分にしか興味のない夫が唯一、関心を示したのが、育児放棄して子どもを売り払った相沢の娘、カスミ。

    黒田夫妻に一時だけだがレンタルしてもらったカスミは、ある時、黒田さんの旦那さんの手に噛みついたことがきっかけで、グシャっとつぶされて死んでしまった。その死体がトランクにある、と報告しにやってきた夫妻に、社員は
    「子どもを守るためには黒田夫妻のもとへ行かせるしかなかった」と言い訳をする。解決の糸口はみえない。

    ラスト、会社をフェードアウトした東野が小汚い恰好をして会社に戻ってくる。とにかく養育施設にいる子どもを自分に寄こして欲しい、心に傷を追い、悲しいおもいをしてきた子どもたちと村をつくり、自然に囲まれた環境下で共に暮らしたいのだという。それは彼の本心だったのだろうか。
    これまでと同じことが繰り返していく予兆としかおもえないのだが。
    このくだりは、『子どもの村』を少し前に福岡で実施されたというニュースを報道で目にした光景とリークした。

    劇中、社員が自分らのやっていることが『児童派遣法』ではイマイチしっくりこない、業界に『合う言葉』がみつからない。とうわ言のようにつぶやく場面がある。『合う言葉』はすなわち、自分の気持ちに見あった言葉がみつからない、という副次的な要因もある。このふたつの意味を兼ね合わせたタイトルもまた、非常に秀逸である。

    ただ65分という時間配分からか、全体を通じて駆け足過ぎて行ったような印象を持ってしまったのも事実。誰に焦点を当てているのか、イマイチ見えにくかったです。

    黒田氏の寄付金で会社が設立された、というくだりが中途半端なままで流れてしまったようにおもえました。
    『社会福祉はお金になる』ことはもう少し深い領域まで言及してほしかったです。

    租筋にはあまり関係がないのですが、養育施設が教育センター直属の施設であり、更に民間企業も間接的に携わっている共同の施設であるのか、民間企業は独自で待機施設のようなものを所有しているのか、序盤の説明的な台詞が早口でわかりにくかったです。
    最後にもう一点、同僚に買ってきてもらったカフェオレをうまい・まずい・まずいとしたのは、どうしてでしょうか。どんなマズさも慣れてしまえばマズイという感覚すら忘れてしまう、という意図があるのでしたら最後はうまい、だとおもったのですが・・・。まずいとする意図がわかりませんでした。

    挿入歌、舞台美術、登場しない子供の気配とそれぞれの登場人物たちの影を感じられる演出はほんとうに素晴らしく、団体の意志がしっかりと伝わりました。
    次回作も是非拝見させて頂きたくおもいます。

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    2010/08/21 06:47

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  • ご観劇とコメントを有難うございました。
    新聞に子供の悲しい事件が載らない日はないくらい
    子供を取り巻く環境は荒んできていて…

    これからも社会に対して敏感でありたいと思います。
    今後とも宜しくお願いいたします。
    上松

    2010/08/26 02:13

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