r_suzukiの観てきた!クチコミ一覧

41-60件 / 101件中
「母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ~キャンピングカーで巡る真冬の東北二十都市挨拶周りツアー♨いいか、お前ら事故るなよ、ぜったい事故るなよ!!編~」

「母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ~キャンピングカーで巡る真冬の東北二十都市挨拶周りツアー♨いいか、お前ら事故るなよ、ぜったい事故るなよ!!編~」

MICHInoX(旧・劇団 短距離男道ミサイル)

Studio+1(宮城県)

2017/03/01 (水) ~ 2017/03/05 (日)公演終了

満足度★★★★

太宰治の「人間失格」と、目の前の3人の(演劇で身を持ち崩した)俳優の人生の断片が、コラージュされ、やがてその境界線を曖昧にしていくという作品の枠組みが、驚くほどのリアリティを持って迫ってきました。
心身共に裸になればいいというわけではありませんが、それだけの開き直りを見せつつも、きちんと作品を見せようとする謙虚さ、上品さを感じさせる俳優たちには、心魅かれるものがありました。前説で「わりとすぐ脱ぎます!」と宣言して、本当にわりとすぐに脱いでいたのも爽快でした。
衣装や小道具を俳優自らとっかえひっかえする手作り感あふれる上演。観客とのコミュニケーションも多用され、サービス精神にあふれ、愛嬌も感じさせますが、それだけに終始しない作劇、演出だったとも思います。ネットメディア、サブカルチャーネタを挟むガジェット感あふれる見せ方は、現代に生きる個人の孤独にも触れるところがあり、また、古典芸能的な要素、アングラ的な要素なども(的な、ではあるのですが)さまざな演劇のジャンル、歴史とつながる回路を感じさせなくもありません。
キャンピングカーでの東北ツアー企画も含め、「東京で何千人を動員!」とは違う、もっと身近な演劇のあり方を夢見させる上演でもありました。

SUPERHUMAN

SUPERHUMAN

ヌトミック

北千住BUoY(東京都)

2018/03/23 (金) ~ 2018/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

「今、ここ」に存在し、立っていることを確かめ、さらに、より遠くへ、意識、想像を広げていく−−。4人の類まれなる身体を持った俳優たちのパフォーマンスは、終始、そのための試行錯誤、遊びを続けているように見えました。

冒頭で繰り返される「やるやるやられるやるやられる」との言葉には、いやがおうにも人と人とのテリトリー、つまりは「争い」を想起させられますが、4人の実験はそこにとどまるのではなく、劇場のある北千住にいながらにして太平洋へと漕ぎだし、世界を体感することへと向かいます。タイトルの「SUPERHUMAN」には、超人的な身体の可能性のほかにも、領域を踏み越えていく希望のようなものが込められていたのだと思います。

一人ひとりに「役」はなく、明確に対話と呼べるものもありません。戯曲も、音楽のスコアのように、一人ひとりのモノローグの断片と合いの手を組み合わせて作られており、その発話もリズムをとるように、自在に止まったり、走り出したりします。
10年ほど前なら、こうした発語の方法は、「伝わらない」「伝えることが不可能である」という葛藤を前提にしていたでしょう。ですが、ここから立ち上がってくるのはもっとポジティブでオープンな感覚でした。「不可能性は知ってるけど、やるよ」というような。(そのオープンさは開演前アナウンスやアフタートークにも感じられました)それは、これからの演劇と社会との関係を考えるうえでも、とても興味深いことでした。

俳優の能力を軸にした実験作である一方で、その俳優たちの思わぬ側面を引き出すところにまでは至っていない惜しさは感じましたが、ともかく、刺激的で考えさせられる体験でした。劇場へ向かう路地を歩きながら、「なんだか東京らしい、いいところだなぁ。でも戦争や災害が起きたり、ゴジラが来たらひとたまりもないかもしれないなぁ……」などと考えていたことが、どうも、この芝居でも扱われていることともリンクしていたようで、印象深い観劇になりました。

Aokidダンス公演 『地球自由!』

Aokidダンス公演 『地球自由!』

Aokid

STスポット(神奈川県)

2019/03/07 (木) ~ 2019/03/11 (月)公演終了

満足度★★★★

Aokidさんの身体能力、自由を希求する真面目さには、目がさめるような感覚を覚えます。開演直後こそ「あ、(他人の)”自由”をにこやかに見守ることを強いられるのかな」という不安と居心地の悪さも感じたのですが、一人ラップバトル(?)のあたりから、俄然、この地球との徒手空拳のコミュニケーションが面白くなり、最終的にはそのオチのない挑戦に切ない感動すら感じてしまいました。

即興的な展開も随所にあり、また、観客とのコミュニケーションもこなれたものではありません。そのこと自体に魅力を感じる一方で、この空間と時間を、より共有できるような点=ヒントをもう少し求めてしまいたくもなりました。同じ点、眼差しを共有しながらも、それを起点に作り手はもちろん、観る人もより遠くへ行けるような作品を、今後も楽しみにしています。

ネタバレBOX

終盤、紙くずの地球を天井から下がるワイヤに吊る場面で、今にも地球が落下しそうになる(実際に落ちた)のも、ハラハラしつつ泣ける、いい場面でした。後で聞くところによれば、あれはアクシデントだったそうですが、そんな破綻も魅力的に取り入れられた作品だったとも思います。
猩獣-shoju-

猩獣-shoju-

壱劇屋

HEP HALL(大阪府)

2019/03/21 (木) ~ 2019/03/24 (日)公演終了

満足度★★★★

獣バージョンの千秋楽を観劇しました。これまでにも増して、集中力を感じる、充実した上演だったと思います。猩バージョンの稽古/本番を同時に抱えながらも、これだけの手(殺陣)を身体化し表現に昇華していくのは並大抵のことではないでしょう。部分的にではありますが、劇画調のキャラクター設定、殺陣の応酬の中にも、人と人との感情のやりとりと見ることができ、掲げた目標(若手育成)に対して、きっちりと応答してきたなと感じました。また、客演の赤星マサノリさんの、華やかな存在感も強く印象に残っています。

この作品に限らず、ワードレスシリーズでは、筋立てや展開を複雑に見せようとすればするほど、受け取られる内容が不安定になってしまう難しさがあり、それが今後のシリーズ展開の中でどう解消されるのか、気になっています。また、悲鳴、嗚咽といった発声は許されているのに、台詞は言わないという一種の寸止め感、違和感も、何かのかたちで解消される方法が発明されるといいのではないかと思います。

「芸術家入門の件」

「芸術家入門の件」

ブルドッキングヘッドロック

吉祥寺シアター(東京都)

2019/05/18 (土) ~ 2019/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

「芸術家」として行き詰まった男が体験する「芸術(家)入門」の物語。古代ギリシャの巨像制作の現場、芸大生たちの日常というふたつの異なる世界を併行させながら、入門講座を受講する「芸術家」の葛藤、奮闘の道程が描かれます。また舞台上では、常に出演者たちによる巨大な女神像の制作が続けられており、これら4つの層が、終盤に見事につながって、「芸術」の大きさ、深さを体感させてくれました。20名を越す大所帯、吉祥寺シアターの空間をめいっぱい生かした大作ぶりにも感銘を受けました。

ネタバレBOX

劇中の3つの世界、とりわけ古代ギリシャと芸大生の世界は、日常をラフに、コミカルに描いていて(言ってみれば、ワチャワチャ、です)、一つひとつの場面がどう全体につながっているのかは、観ている間にはよくつかめませんでした。それだけに、終盤のパズルのピースがはまっていくような展開には、爽快感と驚きがありました。
男亡者の泣きぬるところ/女亡者の泣きぬるところ

男亡者の泣きぬるところ/女亡者の泣きぬるところ

ニットキャップシアター

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/03/27 (水) ~ 2019/03/31 (日)公演終了

満足度★★★★

死を意識したはずの男たち(『男亡者の〜』)、女たち(『女亡者の〜』)のジタバタをコミカルに描く二人芝居二本立て。
エレベーターの事故で出会う元同級生、自殺幇助業者との意気投合……と、設定は不自然なのにもかかわらず、いつの間にか彼らの不満や不安に共感してしまったのは、戯曲にも演技にも、飛躍を楽しむ余裕と日々の生活に根ざす誠実な眼差しとが同居しているからだと思います。特に『男亡者』に登場する「幸福の金魚」など、現実界とはレイヤーの異なる「不条理」を仕込む脚本には、リアルとファンタジー、主観と客観を行き来する面白さを感じます。

「死」をモチーフにはしていますが、湿っぽさはなし。『女亡者』の二人の連帯はたくましく、『男亡者』の二人の動揺ぶりは切なくもいじらしく、どちらも生きていく力を感じさせるものでした。『女亡者』の舞台は一人暮らしの部屋で、アクション風の場面もあり、ダイナミックな印象。一方『男亡者』はエレベーターの中ということで、ごくシンプルな舞台で二人の芝居が展開されます。芝居そのものは丁寧で大人の悲哀を存分に感じさせてくれるのですが、それだけに舞台の広さ、間の長さを感じる場面もあり、もう少し思い切った緩急、空間の作り方があってもよかったのかなとも思いました。


ト音

ト音

劇団5454

赤坂RED/THEATER(東京都)

2019/03/27 (水) ~ 2019/04/07 (日)公演終了

満足度★★★★

リ・クリエーション、再演を重ねてきただけのことはあり、安定した、完成度の高い公演でした。オープニング、装置の使い方など、見せ方もさまざまに考えられています。

日本の演劇としては「あるある」な題材ですが、それを、病理の分析や若者の心情吐露に終始するのではない、周囲の大人たちの事情、想いとクロスさせたドラマに仕上げたところに巧さを感じました。主軸を担う男子高校生二人は、繊細なだけでなく、若者ならではの浅はかさも感じさせる造形が印象的。先生たちのキャラクターの中にも、典型的な設定に見えて、その内実は深いのかも、と思わせるところがありました。

ネタバレBOX

オープニング、音(拍)と合わせて、動きながらタイトルを見せる演出、導入のアクセントの一つとして面白く観る一方で、「この感じ、毎回なのかな」「(小〜中劇場界隈で)流行りそう、流行っている?」と気になりました。エモーショナルな音楽と拍に合わせて動く(ものを観る)快感と、本編のドラマトゥルギーは、一見異なるように見えて、通底するものがあるのかもしれません。

流れる

流れる

劇団あはひ

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2019/03/28 (木) ~ 2019/04/01 (月)公演終了

満足度★★★★

能の「隅田川」の世界と、現在の東京の隅田川の眺めが、劇場空間を通じて重ねられるのを目撃できました。隅田川の風景を切り取る目線として「俳句」を配置したり、漫画を引用したキャラクターを登場させるなど、独自のアップデートも施されてはいますが、そうした工夫自体を楽しむというよりは、それを通して古典を読む/体験することができるつくりになっているのに好感を持ちました。シンプルな空間設計を通じ、翻案でも再解釈でもなく、現代の小劇場に古典(能)を呼び出し、立ち上げようとする面白い取り組みだったと思います。



ゆうめいの座標軸

ゆうめいの座標軸

ゆうめい

こまばアゴラ劇場(東京都)

2020/03/04 (水) ~ 2020/03/16 (月)公演終了

満足度★★★★

CoRich舞台芸術まつり!の審査として『弟兄(おととい)』を観劇しました。
作・演出の池田亮さんが演劇作品をつくり始めた現在から、中学時代に経験したいじめ、その後高校で知り合った親友=「弟」とのエピソードを回想する物語。

ともすればやや乱暴にも感じられる大胆な踏み込みと、何重にも考えられた繊細さの両方を味わう、複雑な観劇体験でした。

ネタバレBOX

俳優が演じる「池田亮」さんが、「池田亮です。初めまして、どうぞよろしくお願いいたします」と話し出す冒頭から、現実との境目は曖昧。以前はいじめっこも実名で演じていたのを今回は取りやめた、と説明する台詞にもリアルな憤りが滲みます。

序盤で描かれる苛烈ないじめの実態には目を覆いたくなる部分もあり、リアリティがあればあるほど、むしろこれは(実名はとりやめたにしろ)作品の形を借りた「暴露」「復讐」なのではないかという疑念さえうかぶほどでした。ですが高校の陸上部で出会った「弟」の登場以後、グッと視点は複雑化されます。同じいじめられっこの「弟」との関係は対等のようでいて、やや「兄」の方が世間ずれしていて上でもあり、特に卒業生を送る会の出し物をめぐる二人の感覚の差を描いた場面は秀逸でした。程度の差はあるものの、そして、見たところは踏みとどまってはいても、人は容易に加害者にもなれるのです。

大学進学から現在を描く終盤は、さらに「赦し」について考えさせられる展開になりました。我慢しない、痛快な(?)復讐のさなか、夢の中に現れた弟との再会、暗転直前の、池田が伸ばした手がギリギリ弟に触れない、その距離に胸を突かれました。
是でいいのだ

是でいいのだ

小田尚稔の演劇

SCOOL(東京都)

2020/03/11 (水) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

観劇したのは3月11日の夜でした。三鷹の駅前にはまだ、会社帰り学校帰りの人たちが多く行き交っていて、そんな中、原発に反対する市民団体がろうそくを灯し、3.11の犠牲者を悼むひと時を持っているのを見かけ、「今日がその日だった」こと、9年前のさまざまな出来事を思い出しました。

「3月のあの日」の東京にいた(いる)5人の男女の、それぞれの経験(語り)を並べ、重ねる『是でいいのだ』は、そうした個人的な体験を反芻させ、言葉にさせる「扉」のような作品であったのかもしれません。

就活生、夫に離婚をつきつけられた女、離婚を切り出したものの寂しさに耐えられない男、大学5年生、仕事に悩む書店員。いろいろと中途半端な彼らの、ナチュラルな語りに滲む迷いは、確かに身に覚えがあるもので、彼らが置かれた状況(=大きな揺れや混乱を体験しながらも「被災地」のそれとは距離がある)もまた、3.11後のさまざまな「当事者」をめぐる議論を思い起こさせるものでした。5人の中では特に、離婚の瀬戸際にいる女を演じた濱野ゆき子さんが魅力的でした。

5人のキャラクターは確かに異なり、その話の内容は、場所や固有名詞などを交えたとても具体的なものです。ただ、互いに距離を縮めたり、重なったり、離れたりする物語展開、場面構成によって「誰がいつどこで何をしたのか」はかえって曖昧にされ、物語世界、そこでの人物の配置が明確な像を結ぶことはありません。さらに作中には敢えて時代を混乱させるような錯誤も用意されていたようです(あれ?と思って見ていましたが、後に山﨑健太さんのレビューで得心しました。https://artscape.jp/report/review/10161214_1735.html)。登場人物たちはやがて、とりあえずの救いとしての「是でいいのだ」にたどり着きますが、物語はそこで閉じられてはいないでしょう。「是」は、皆に同じでも、いつも同じでもないはずですから。

ネタバレBOX

いわゆる「現代口語」的な一人語りのリズムはノリやすく、入り込みやすい一方で、引用されているカントやフランクルの言葉はそれほど粒立って聞こえず、存在感が薄いようにも感じました。チラシなどにも引用はあり、哲学のテキストを題材にしているというイメージが強くあったので、これは意外にも思えました。

また、ここに出てくる人物が皆「若者」であるということについても、考えさせられました。ある意味未分化の、社会的に何者でもない存在であること、そのリアリティが作劇の核でもあり、むしろその後を想像させる面白さがあるとはわかりつつ、ここにもし中高年の登場人物がいたら、どのような劇になっていたのだろうと…あれから9年が経ち、中年になった私は考えずにはいられません。
HOMO

HOMO

OrganWorks

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2020/03/06 (金) ~ 2020/03/08 (日)公演終了

満足度★★★★

「身体」と一口にいっても、一種の容器や形状として、器官の組み合わせとして、動きの源泉として、空間との関係……と探索すべき視点はさまざまです。「言葉」も同様で、音、声、意味、それらの関係など、分析し、考え始めればきりがないテーマです。

『HOMO』は、こうした、身体や言葉、とりわけ、それを扱う個や集団のコミュニケーションをめぐる複雑さ、無限に、果敢に分け入りながら、「人類とは何か」を探るダンス・スペクタクルでした。

大枠としては、最後の数人になってしまった「HOMO(人類)」と、彼らを看取る「LEGO(新人類)」のドラマに、コロスとしての「CANT(旧人類)」の存在が挟まれるという構成なのですが、特に序盤はそうした構図を読み取りつつ、舞台を追うこと自体がスリリングで、刺激的な体験となりました。舞台に並べられた、あの樹木のようで血脈や系図のようでもあるオブジェ、赤い布を垂らした場面のアングラ的な始原の風景とSFチックなLEGOの存在感のコントラストも印象に残っています。

何かを分析し、まとめ直す=図式をつくるということは、ノイズを取り除いたり、枝葉を切ったりすることでもあります。展開にしても踊りにしても、見えてくるほどに、もっともっと破綻や裂け目、混乱をを求めたいと感じる部分がありました。が、そのことこそが、ここで取り組まれているテーマの深さであり、また、前作から続く「人とは何か」の探索の可能性を示しているのだとも思っています。

インテリア

インテリア

福井裕孝

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2020/03/12 (木) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

2018年にスタートした「#部屋と演劇」と題されたプロジェクトの最新版。
観客は、部屋に見立てられた空間に、自分の部屋から持ってきたインテリア(といっても、サイズ的に生活用品や置物に限られますが)を配置します。

ネタバレBOX


やがてこの部屋に男が帰宅し、日々のルーティンをこなしたのち、出かけていきます。と今度は舞台奥のドアから女が入ってきて、やはり自分の時間を過ごし、出かけていきます。男は舞台の手前、女は奥を主に使うので、二つの部屋は隣り合っているのでしょう。ただし、壁はないので「インテリア」は共通です。さらにこの空間に(想定される「部屋」とは関係なく)絵やオブジェなどを運び込み、展示する女性が現れます。これが3度繰り返されます。

ものの配置は男女それぞれの行動に合わせて変わる(変えられる)ため、特に几帳面に同じ行動を繰り返す男性の暮らしに、女性の暮らしが一部干渉、浸食しているように見えます。実際、女性の置き換えたものによって、男性の行動は向きを変えたりもします。台詞もほとんどなく、事件が起こるわけではないのに、なぜか見ていられるのは、こうした変化を、無意識にでも追っているからでしょう。また、全編を通じて、自分の持ち込んだアイテムからがどう扱われるのか、そこから見た風景を想像してみる、という関心もあります。

人やものの移動が、周囲の空間や他者の行動を書き換えること、時には「展示空間」のように、その場所自体が意味の異なるものになる可能性。いま考えるとこれは、その作品世界に、外部から観客=ものがやってくることも含めて、とても「劇場」らしい演目だったのかもしれません。
黒い砂礫

黒い砂礫

オレンヂスタ

七ツ寺共同スタジオ(愛知県)

2020/03/14 (土) ~ 2020/03/22 (日)公演終了

満足度★★★★

女性登山家によるK2無酸素登頂の顛末、周囲の人々の心模様を描きながら、彼女の挑戦の根底にあった思いをあぶり出す意欲的なエンターテインメント作品。ドラマティックで緊張感を途切らすことのない場面展開、演出で、特に段差をつかったシンプルなセット、白線、俳優の演技のみで山の厳しさを表現した終盤には見応えがありました。
また、主人公のサポート役をつとめる登山家役の松竹亭ごみ箱さんの奥行きのある存在感も印象に残っています。

主人公のモデルとなった登山家は男性で、がむしゃらで無謀ともいえる挑戦がしばしば批判された人物です。この作品ではそれを女性に置き換え、現代社会における女性のあり方への問いを山への挑戦と重ねて見せていました。

大学の登山サークルでの飲み会や訓練シーンのホモソーシャル感、マネジメント会社の社長が体現する(感動)搾取の構造などは、登山という特殊なテーマを背負ってはいるものの、現代女性の前に立ちはだかる壁としてもビビッドに機能していたと思います(一般の企業などでも、歴史があり規模も大きい組織ならそうした意識は残っているかもしれません)。また、田舎に住む妹をはじめ、立場や考えの異なる女性の登場人物を複数配したことも、より視野を高くする試みとして好感を持ちました。


ネタバレBOX

とはいえ、壁の大きさと、周囲の期待に応えようというプレッシャーの大きさ、それをも覚悟したうえでの挑戦への熱意が、最終的に払われた犠牲(胎児も含めた遭難死)やそれを引き起こした無謀さをすべて許容するほどなのかというと、現実においても劇中においても、疑問を拭い去るほどではなかったかもしれません。

当日パンフレットには、多くの資料を漁りつつ書かれた戯曲であること、そして「演出の都合上、ルートや装備など数々の省略を行っています」との断りもありました。山のリアルを描くのではなく、「山を見つめた人々」を描きたいという想いは十分納得できるものですし、そうした省略のセンスこそが、演劇の、この作品の面白さでもあるでしょう。ただ、その一方で、もし、もう一歩踏み込んだ取材、ディテールの多角的な検討、あるいはドラマターグの起用があれば、より効果的に、確信犯的にフィクションの力を発動させることもでき、彼女の生き様に共感できるような仕掛けをつくる可能性もあったのではないかという気もしています。
甘い手

甘い手

万能グローブ ガラパゴスダイナモス

J:COM北九州芸術劇場 小劇場(福岡県)

2022/04/23 (土) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

文化祭前の学校を舞台にしたドタバタ青春群像劇。

若者……に限らず、誰にもある「ほんとうの私」をめぐるモヤモヤを、複数のエピソードを織り交ぜつつ、変に深刻にならず、ラストの盛り上がりへと昇華させていく手つきが爽快で、楽しく観劇しました。一定のテンションを保ちつつ単調にならない演技、スピーディーな場面転換も、演出力はもちろん、劇団力の強さを感じさせるものだったと思います。

俳優の年齢と役の設定のギャップもありますし、これがリアルな高校生活だとは思いませんが、もう少し上の世代によるノスタルジーとして描かれた若者のイノセントさ、呑気さ、右往左往だと思えば、ちょっと甘酸っぱい感慨も湧いてきます。

(ガラパはだいぶ以前に観たことがあるのですが、作り手が若者ではなくなったことで、むしろ、フィクション、エンターテインメントに振り切れた面もあるのかもしれません)

横山祐香里さん演じる堅物先生、椎木樹人さん演じる熱血先生の佇まいも、個性的でありつつ、ちょっと大人の余裕としての重しにもなるような魅力がありました。


ふすまとぐち

ふすまとぐち

ホエイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/05/27 (金) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ほぼ全編津軽弁によるドタバタ家庭劇。上演前にプロデューサーによる簡単な津軽弁講座があり、(結局わからない部分は思っていた以上にありつつも)楽しく観劇できました。
いじわるばあさんを思わせる姑・キヨ(山田百次)と必要な家事以外の時間は押し入れに閉じこもって暮らす嫁・桜子(三上晴佳)の嫁姑戦争を軸にした物語は、過剰な事件も交えつつ、終始ハイテンションな演技で進行します。ですが、実のところこの物語の背景にあるものはむしろ、重苦しく苦い現実ではないでしょうか。

非正規の仕事しかない長男・トモノリ(中田麦平)しかり、出戻りの娘・幸子(成田沙織)しかり、キヨの支配するこの家から自立すべきだと知ってはいても、すぐにそれを実行できるような状況にはないようで、だからこそなんとなくキヨの支配に従っています。一方、敵対しているはずの嫁姑の関係には、キヨが嫁に悩みを共有する「親族」なる怪しい団体と引き合わせようとしたり、桜子がキヨの嫌う虫をハサミで撃退したり、急病の気配にいち早く気付いたりと、緩やかな絆を伺わせる面もあります。二人は共に孤独を抱えながら「家庭」を支える役目を負う仲間でもあるのです。

ネタバレBOX

桜子が閉じこもり、時折内側から抵抗の意を示すために「ドンッ」と叩く押し入れは、終盤キヨの療養するベッドとして使われます。この押し入れが、この家族の心臓部なのではないか、逃れたくても逃れられない「家族」を象徴し、つなぐものではないかと想像すると、この劇の空間設計のダイナミズムに驚くと同時に、日本(のとりわけ地方)を覆いつづける生活の不安と、「家族/親族」の呪縛のリアルな重みに思いを馳せずにはいられませんでした。
アメリカン家族

アメリカン家族

ゴジゲン

吉祥寺シアター(東京都)

2010/04/29 (木) ~ 2010/05/02 (日)公演終了

満足度★★★

「家族の形」って……
「再生の物語ではない」とのことでしたが、多少風変わりではあっても、これはやはり「家族の絆(とその重要性)」に焦点を当てたものに見えました。

母が出て行った後の、荒れ果てたリビングとダイニングを舞台に描かれるのは、非行、引きこもりなど、それぞれに問題を抱えた家族の、なじりあいや暴力をも交えた激しいコミュニケーション。とはいえ「そろって誕生日を祝う」ことへの異常なこだわりも手伝って、その様子はどこか滑稽にも見え、笑いを誘いさえします(このあたりは俳優の魅力でもありますね)。












ネタバレBOX

家族やその一人ひとりの登場人物が抱えるドラマを描くというよりは、この不恰好な関係性、その激しさ(ポジティブな面もネガティブな面も)の方を描くことに力点が置かれているので、舞台上の盛り上がりとはうらはらに、登場人物の心象や動機が追いづらく、多少戸惑いを感じる部分もありました。特にこの家に「他者」としてやってくる(居候含め)4人のありように関しては、もう少しリアリティーなり、モチベーションなりが見えても面白かったと思います。

個人的にとても興味を引かれたのは、
ここで描かれる激しいやりとりが、結局は(他者の交わらない)いわゆる「家族の形」の中に回収されていくということ。エキセントリックに見えても、この家族ははじめから壊れてはいなかったのか、あるいは作り手の側に強い「形」への憧れがあるのか……。

いずれにせよ、ひとつの「家族観」を見るという意味でも考えさせられる上演でした。
不思議の国のアリス

不思議の国のアリス

壱劇屋

門真市民文化会館ルミエールホール・小ホール(大阪府)

2022/03/24 (木) ~ 2022/03/25 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

うさぎ頭の人物との出会いから未開の惑星へと迷い込んだアリスの物語。無重力空間とマイムのマッチングは絶妙で、舞台上の浮遊感や身体の重みに、観ている側もシンクロするような感覚がありました。ロープを使った表現、謎の生物たちの造形も印象的で、スマートさの中にも常にシュールな「不思議」が感じられる時間でした。
(個々の動きや場面展開スムーズさの一方で、さらにメリハリのある構成があっても見やすかったのではないかと思います)

若手を軸にした公演で、テクニカルな練度にはまだ上を目指せる余地がある気もしますが、アフターイベントとして披露された「コーポリアムマイム」の解説と出演者を交えた実演では、劇団が取り組んでいる課題やビジョンの一端を、観客と共有する姿勢も伺え、「こうしてファンと地域との信頼関係が築かれつつあるのだな」と得心もしました。

時をかける稽古場2.0

時をかける稽古場2.0

Aga-risk Entertainment

駅前劇場(東京都)

2017/03/22 (水) ~ 2017/03/28 (火)公演終了

満足度★★★

<直球のエンターテインメント作品>ほど、創作のハードルの高いものはありません。
これまでの数多くの作品を通じて育まれてきた定石・様式を自らのものにしつつアイデアを展開し、そのプロセスをオリジナリティのあるものにしなくてはいけない。当然そこでは、俳優たちのアンサンブルの強さも必要とされますし、観客を冷めさせない細やかなスタッフワークも求められます。
「時をかける稽古場2.0」は、こうしたハードルに果敢に挑んだ秀作でした。同じ劇団の稽古場を舞台にしたタイムスリップものという、一見シンプルな設定が、圧倒的なスピード感をもって混乱していくさまは爽快。またその複雑さを観客と共に解きほぐしていくような作劇、アンサンブルの演技(つまり、観客を混乱させるのではない)にも好感を持ちました。かなりの稽古量がこの完成度の背景にあったのではないかと想像します。
惜しむらくは、ドラマを展開させる軸のひとつとなったインフルエンザをめぐるドラマ。これは昨今では、業界関係者でなくとも共有できるネタですが、そこでの感情のもつれや解決が、(精緻なボケツッコミの一方で)どこか表層的に終わってしまったように見えました。
アイデアを具現化する巧みな作劇、強力なアンサンブルを持つこの劇団に、より奥行きのある感情、関係の表現が加わるなら、困難な<直球エンターテインメント>の道もより開けるのではないかと思います。

「漢達(おとこたち)の輓曳競馬(ばんえいけいば)」

「漢達(おとこたち)の輓曳競馬(ばんえいけいば)」

道産子男闘呼倶楽部

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/04/05 (水) ~ 2017/04/09 (日)公演終了

満足度★★★

えっ!北海道が舞台じゃないの?というのがまず痛快(笑)。歯を食いしばって曳行せねばならぬ(と思っている)あれやこれやに翻弄される男たち(俳優たち)の奮闘や悲哀、滑稽を素直に楽しむことができました。
「男たち」をめぐる表現は、ともすればマッチョな価値観を露呈しがちですが、この作品はむしろその逆なのが、現代的でもあり、(これも語弊のある表現ですが)女性作家らしくもあったという気がします。とはいえ、エネルギッシュでテンポのあるやりとりに引っ張られたせいか、二人の男が嘘抜きで分かり合う重要な転回点が掴みづらいことに物足りなさも感じました。また、書かれているせりふや設定の外部のリアリティがより意識されるようになれば、さらにドラマの奥行きも増すのではないかと思います。
俳優を中心に企画されたこの作品の魅力は、まさに俳優にありました。津村さん、犬飼さんは、高いテンションの中にも、ふと感情のアヤをのぞかせるところがあり、「人」としてそこに立っているような、不思議な引力を感じさせました。また、ちょこちょこ登場する唯一の女性キャストで、本作の作家でもある西岡知美(ニシオカ・ト・ニール)さんも、変幻自在の楽しい演技を見せてくれました。

ハムレット

ハムレット

ゲッコーパレード

旧加藤家住宅(埼玉県)

2017/03/31 (金) ~ 2017/04/10 (月)公演終了

満足度★★★

民家で演じられる『ハムレット』というコンセプトが、予想外にストレートな形で実現していることにまず驚きました。演技スペースは民家の台所で、観客は襖を隔てた隣室に着席して、ドラマの推移を見守ります。台本は、複数の翻訳から切り出され、コラージュされたものではありますが、シェイクスピアのせりふと言っていいでしょう。つまり、そこでは、正真正銘のプロセニアムの劇場とよく似たシェイクスピア劇上演が行われていたのです。
とはいえ、二階から現れる引きこもり風青年の妄想=異世界としての『ハムレット』に付き合うという大枠の設定は、ありそうでなかった「劇中劇」としての上演にもなっているわけで、それ自体、興味深いものではありました。また、テキストの抜粋や(時に狂騒的な)演技の意図を理解しかねるところもありましたが、一般家庭のやや古びた台所で演じられる『ハムレット』には、やはり、古典劇としての上演とは異なる顔が現れる瞬間もあり、マシュマロを食べ続けるガートルードにハムレットが詰め寄る場面などは、家庭劇としてもスリリングでした。
家の中の上演として、特徴的だったのは、暗転するために、客席頭上の電気を消したり、雨戸を閉めたりすることです。あの日常だけれど非日常な不思議な時間が、どう演出や演技の中で自覚されているのかも、ちょっと深めてみると面白い展開があるかもしれません。

このページのQRコードです。

拡大