満足度★★★★
観劇したのは3月11日の夜でした。三鷹の駅前にはまだ、会社帰り学校帰りの人たちが多く行き交っていて、そんな中、原発に反対する市民団体がろうそくを灯し、3.11の犠牲者を悼むひと時を持っているのを見かけ、「今日がその日だった」こと、9年前のさまざまな出来事を思い出しました。
「3月のあの日」の東京にいた(いる)5人の男女の、それぞれの経験(語り)を並べ、重ねる『是でいいのだ』は、そうした個人的な体験を反芻させ、言葉にさせる「扉」のような作品であったのかもしれません。
就活生、夫に離婚をつきつけられた女、離婚を切り出したものの寂しさに耐えられない男、大学5年生、仕事に悩む書店員。いろいろと中途半端な彼らの、ナチュラルな語りに滲む迷いは、確かに身に覚えがあるもので、彼らが置かれた状況(=大きな揺れや混乱を体験しながらも「被災地」のそれとは距離がある)もまた、3.11後のさまざまな「当事者」をめぐる議論を思い起こさせるものでした。5人の中では特に、離婚の瀬戸際にいる女を演じた濱野ゆき子さんが魅力的でした。
5人のキャラクターは確かに異なり、その話の内容は、場所や固有名詞などを交えたとても具体的なものです。ただ、互いに距離を縮めたり、重なったり、離れたりする物語展開、場面構成によって「誰がいつどこで何をしたのか」はかえって曖昧にされ、物語世界、そこでの人物の配置が明確な像を結ぶことはありません。さらに作中には敢えて時代を混乱させるような錯誤も用意されていたようです(あれ?と思って見ていましたが、後に山﨑健太さんのレビューで得心しました。https://artscape.jp/report/review/10161214_1735.html)。登場人物たちはやがて、とりあえずの救いとしての「是でいいのだ」にたどり着きますが、物語はそこで閉じられてはいないでしょう。「是」は、皆に同じでも、いつも同じでもないはずですから。