是でいいのだ 公演情報 是でいいのだ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★

    忘れることと思い出すことの関係について考えました。私は忘れっぽいのでよくリマインダーアプリを使うのですが、それは、「自分が覚えておくべきこと」を欠損させながらも、あえて記憶を自分の外部に委託することで、また自分が思い出せるようにする、という仕組みだと思います。「パンを買う」のような単純な行動であれば外部に委託した際に情報が減ることはないですが、複雑な事象や出来事の記憶を外部に委託すると、どうしても元より少ない情報量しか外部に記憶してもらうことはできないでしょう。

    ネタバレBOX

    それこそ、3.11の経験はそのようなものではないでしょうか。
    情報を減らす、つまりあえて「少し忘れる」ことで思い出せるようになること。戯曲と上演、作品と記憶の関係にはそのようなものもあると考えています。
    まさに『是でいいのだ』は、私にとってリマインダー的な作品です。正確には、今後なると思っています。3月11日にyahoo!で「3.11」と検索し、YouTubeで口ロロ『聖者の行進』とsalyu × salyu「続きを」を見る、という私の地味な3.11リマインダーに、『是でいいのだ』を読む(観る)ことが加わりそうです。欠損した情報もバリエーションが増えればそれだけ、総合的には元の情報に近づけると思います。

    俳優の演技態が魅力的でした。書き言葉と話し言葉の中間のような文体のテキストを、語りかけと独り言の中間のように発話する。おそらく意識的に選択しているであろう狭い会場だからこそ違和感なく見ることができる演技態ではないでしょうか。観客とささやかな親密性を築くような演技態は、眠くなる時もありますが、日常的なエピソードを世間話的に伝達する方法として適しているように思います。

    おそらく自身の経験や肌感覚をベースにしながら、地に足のついた言葉を丁寧に連ねていく姿勢が戯曲からうかがえ、好感を持ちました。一方で登場人物の年齢層やモチーフの幅が限定されていることも事実だと思います。発話者の年齢が変われば、「是でいいのだ」の意味合いも大きく変わってくるのではないでしょうか。


    <参考>
    Yahoo Japan 3.11特設ページ:https://fukko.yahoo.co.jp/
    口ロロ『聖者の行進』:https://www.youtube.com/watch?v=FO4jSDN1sJk
    salyu × salyu「続きを」:https://www.youtube.com/watch?v=gzBfx_UQVBU
  • 満足度★★★★★

    本作のモノローグには、自分語りの押し付けがましさが一切なく、むしろ震災を間接的に扱うフィルターとして成功していると思いました。大勢の人が共に被災しているにもかかわらず孤独を感じたあの時間は、登場人物が語る私的な話のすぐ裏側に潜んでいるということを思い出させてくれます。

    社会的な装置としての演劇の強さと、柔らかな劇空間のコントラストも印象的でした。4度目の上演ということですが、この先も続けて上演されることを強く願っています。

  • 満足度★★★★

    とにかく繊細で、真面目で、でも踏み込む大胆さもある、愚直なほどに。
    入場時の案内からはじまり、そう感じさせるほど丁寧に重ねられていくシーン達だった。三鷹SCOOLでは、一列目の観客は手を伸ばせば俳優に触れられるほどの近さ。舞台上への照明によって観客の顔もよく見える。

    ネタバレBOX

    東日本大震災が起きた当日のできごとを、東京に暮らす人々の視点からモノローグ形式で繋いでいく。同じ東京とはいえ、出会ったことがなかった人々の別々の物語が、別々に語られることによって織り合わされていく。語り部となる4名の登場人物だけでなく、ステージ奥の卓(ミラーボールの回転なども手動で担当)との数度のコミュニケーションにより、「いろんなことの境界がさまざまな方法で無くなっていく」という感覚をじっくりと肌に馴染ませられた。

    誰もが、さびしく、不器用で、うまくいっていないけれども、「是でいいのだ」という言葉がすんなりと入ってくる。

    余談ですが、過去上演も観たことがありました。数度目の上演でありながら、繊細さと丁寧さを増しながら「是でいいのだ」という切実さも強さも増すように感じられたことには、再演を重ねることへの意義を見いだすことができました。
  • 満足度★★★★

    観劇したのは3月11日の夜でした。三鷹の駅前にはまだ、会社帰り学校帰りの人たちが多く行き交っていて、そんな中、原発に反対する市民団体がろうそくを灯し、3.11の犠牲者を悼むひと時を持っているのを見かけ、「今日がその日だった」こと、9年前のさまざまな出来事を思い出しました。

    「3月のあの日」の東京にいた(いる)5人の男女の、それぞれの経験(語り)を並べ、重ねる『是でいいのだ』は、そうした個人的な体験を反芻させ、言葉にさせる「扉」のような作品であったのかもしれません。

    就活生、夫に離婚をつきつけられた女、離婚を切り出したものの寂しさに耐えられない男、大学5年生、仕事に悩む書店員。いろいろと中途半端な彼らの、ナチュラルな語りに滲む迷いは、確かに身に覚えがあるもので、彼らが置かれた状況(=大きな揺れや混乱を体験しながらも「被災地」のそれとは距離がある)もまた、3.11後のさまざまな「当事者」をめぐる議論を思い起こさせるものでした。5人の中では特に、離婚の瀬戸際にいる女を演じた濱野ゆき子さんが魅力的でした。

    5人のキャラクターは確かに異なり、その話の内容は、場所や固有名詞などを交えたとても具体的なものです。ただ、互いに距離を縮めたり、重なったり、離れたりする物語展開、場面構成によって「誰がいつどこで何をしたのか」はかえって曖昧にされ、物語世界、そこでの人物の配置が明確な像を結ぶことはありません。さらに作中には敢えて時代を混乱させるような錯誤も用意されていたようです(あれ?と思って見ていましたが、後に山﨑健太さんのレビューで得心しました。https://artscape.jp/report/review/10161214_1735.html)。登場人物たちはやがて、とりあえずの救いとしての「是でいいのだ」にたどり着きますが、物語はそこで閉じられてはいないでしょう。「是」は、皆に同じでも、いつも同じでもないはずですから。

    ネタバレBOX

    いわゆる「現代口語」的な一人語りのリズムはノリやすく、入り込みやすい一方で、引用されているカントやフランクルの言葉はそれほど粒立って聞こえず、存在感が薄いようにも感じました。チラシなどにも引用はあり、哲学のテキストを題材にしているというイメージが強くあったので、これは意外にも思えました。

    また、ここに出てくる人物が皆「若者」であるということについても、考えさせられました。ある意味未分化の、社会的に何者でもない存在であること、そのリアリティが作劇の核でもあり、むしろその後を想像させる面白さがあるとはわかりつつ、ここにもし中高年の登場人物がいたら、どのような劇になっていたのだろうと…あれから9年が経ち、中年になった私は考えずにはいられません。
  • 満足度★★★

    鑑賞日2020/03/11 (水)

    「本質へ迫る思考の運動」 

    ネタバレBOX

     
     本作には5人の男女が登場する。大地震が起きた日に帰宅難民となり、被災地の実家を案じながら都内各所を歩き回る就職活動中の女、夫との関係に悩み離婚しようとしていた女、その女に声をかけた文系学生と、復縁を持ちかけようとする夫、そして学生生活や社会人としての日々を回顧しながらフランクルを読む女。以上の人物がそれぞれの身の上話を淡々と語り、舞台上の場所と時間が交錯している。全容を掴むためには強い集中を要した。

     私が面白いと感じたのは、俳優の語りが切り替わりるときの舞台の表情の変化である。ある俳優は登場したやにわに観客に向かいひとり語りを続ける。そしてその状態からべつの俳優と会話を交わす。そして会話をしている途中にもひとり語りが挟まりまた会話に戻っていく。

     ここには三種類の語りが存在する。独白、対話、そして傍白。この切り替わりはスムースに行われるために見逃しやすいのだが、語りのスイッチが入れ替わるごとに俳優の身体性、方法論が変化する。この切り替わりを照明や音響ではなく俳優の肉体のみで舞台上に乗せ、瞬時に変えようと見せていた点が面白い。

     とはいえこの手法だとごまかしがきかず俳優の力量があらわになってしまうため、まだ手探りな状態で演じている者と自家薬籠中にしている者とでは力量の差が出てしまう。なかでも復縁を考える夫を演じた橋本清は、さすがに初演から同役を演じ続けているというだけあって存在感が抜きん出ている。自然とほかの俳優が見劣りしてしまった。

     もう一つ、この作品が舞台上に再現した都市の感触は忘れがたい。大掛かりな装置を入れられないSCOOLの白壁にミラーボールや模様で型どられた照明が当たる。そこで文系学生と女が六本木をデートし、OLが別れた男からもらったサボテンの話をしたりする。そこで都会の孤独、きらびやかな灯りが当たらない闇の深さ、物質的には満たされているものの精神的には空虚な都会人の姿が浮かび上がる。本作には都内の地名や映画、音楽や思想などさまざまな固有名詞が登場するが、それらの響きが次第に空虚で、虚飾にまみれたものに聞こえてきた。

     上演に先立ち発表された本作の小説版を読んだが、似たような語尾の語りが連続するため舞台版を観るまでは登場人物の人数や性別、関係性を正確には把握することができなかった。しかし上演を観たうえで考えると、小田尚稔が演劇と小説で試みたかったことは、人間は他者をどのように識別するのかという問いを提示することだったのではないだろうか。自分は他人とそんなに違っているのか、違っているとすればそれは何なのか、それは言葉か、それとも肉体かーー本作を観終えたあとに湧いたこれらの問いに対して私はまだ答えを出せないでいる。

     本作が小田の企図するとおり、東日本大震災の出来事とカントやフランクルの思索との接続が成立しているのかどうかは私にはわからない。文系学生と女の淡い恋愛模様の破綻であるとか登場人物の身の上話にはあまり興味が湧かなかった。ただ舞台の表層を剥ぎ取り、深く掘り下げてより本質的なものへと接近しようとする思考の運動を体験できたことは、他では得難いものである。それは理論を追い求める哲学者の如き鋭利かつ地道な取り組みの成果だと私は思う。
  • 満足度★★★★

    同じデザインの小さなチラシ、同演目をキャストを変えながら再演を重ねる形態に腰の据わった姿勢が滲み、何度か足を運びかけたが漸く叶った。
    3・11を首都圏で体験した9年前が蘇る内容。被災という状況はドラマの下地を提供するが、本作は意外性を狙ったのでない「典型」と言える凡そ三つのエピソードを独自な文体で立ち上げ、時間経過と共に描いた「人間の記録」であり、「記憶の装置」。その後何年間か覆っていた暗鬱な気分の始まりの日の皮膚感覚を、私は久しく忘れていた。SCOOLという空間に照明を効果的に用い、想像を助け、情景を浮かび上らせていた。

    ネタバレBOX

    孤独な学生と、家庭の危機にある女が出会う話、帰宅難民となった就活女性が自宅を目指す話、10年のキャリアと本来の夢との間で揺れる女性のモノローグ。
  • 主に若者の一人語りで構成された現代口語劇。3.11に観るのにふさわしいお芝居だったかも。上演時間は約2時間15分、5分休憩込み。受付に消毒液があり、マスクも配布。途中休憩で換気。終演後のトークはドア開け放し。座席間にも余裕あり。

    ネタバレBOX

    若い男性の幼さ、甘えを肯定し、許容する物語なのが不思議だった。ちょうど観たばかりの、らまのだ『優しい顔ぶれ』でも感じたこと。

    手に持った懐中電灯でミラーボールを照らす照明効果は、優しい手作り感も付加されて好きだった。壁に映写する夜の星座も可愛らしかった。

    初日終演後はSCOOL共同プロデューサーで小説家の佐々木敦さんと、作・演出・主宰の小田尚稔さんのトーク。東日本大震災の当日を描いた『是でいいのだ』はこれが4演目とのこと。帰宅困難者が最後に三鷹にたどり居つくので、SCOOLで上演しているそう。勝手ながら小田さんは真面目で、愚直で、繊細な、とてもいい人なのだろうと思った。

このページのQRコードです。

拡大