是でいいのだ 公演情報 小田尚稔の演劇「是でいいのだ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    鑑賞日2020/03/11 (水)

    「本質へ迫る思考の運動」 

    ネタバレBOX

     
     本作には5人の男女が登場する。大地震が起きた日に帰宅難民となり、被災地の実家を案じながら都内各所を歩き回る就職活動中の女、夫との関係に悩み離婚しようとしていた女、その女に声をかけた文系学生と、復縁を持ちかけようとする夫、そして学生生活や社会人としての日々を回顧しながらフランクルを読む女。以上の人物がそれぞれの身の上話を淡々と語り、舞台上の場所と時間が交錯している。全容を掴むためには強い集中を要した。

     私が面白いと感じたのは、俳優の語りが切り替わりるときの舞台の表情の変化である。ある俳優は登場したやにわに観客に向かいひとり語りを続ける。そしてその状態からべつの俳優と会話を交わす。そして会話をしている途中にもひとり語りが挟まりまた会話に戻っていく。

     ここには三種類の語りが存在する。独白、対話、そして傍白。この切り替わりはスムースに行われるために見逃しやすいのだが、語りのスイッチが入れ替わるごとに俳優の身体性、方法論が変化する。この切り替わりを照明や音響ではなく俳優の肉体のみで舞台上に乗せ、瞬時に変えようと見せていた点が面白い。

     とはいえこの手法だとごまかしがきかず俳優の力量があらわになってしまうため、まだ手探りな状態で演じている者と自家薬籠中にしている者とでは力量の差が出てしまう。なかでも復縁を考える夫を演じた橋本清は、さすがに初演から同役を演じ続けているというだけあって存在感が抜きん出ている。自然とほかの俳優が見劣りしてしまった。

     もう一つ、この作品が舞台上に再現した都市の感触は忘れがたい。大掛かりな装置を入れられないSCOOLの白壁にミラーボールや模様で型どられた照明が当たる。そこで文系学生と女が六本木をデートし、OLが別れた男からもらったサボテンの話をしたりする。そこで都会の孤独、きらびやかな灯りが当たらない闇の深さ、物質的には満たされているものの精神的には空虚な都会人の姿が浮かび上がる。本作には都内の地名や映画、音楽や思想などさまざまな固有名詞が登場するが、それらの響きが次第に空虚で、虚飾にまみれたものに聞こえてきた。

     上演に先立ち発表された本作の小説版を読んだが、似たような語尾の語りが連続するため舞台版を観るまでは登場人物の人数や性別、関係性を正確には把握することができなかった。しかし上演を観たうえで考えると、小田尚稔が演劇と小説で試みたかったことは、人間は他者をどのように識別するのかという問いを提示することだったのではないだろうか。自分は他人とそんなに違っているのか、違っているとすればそれは何なのか、それは言葉か、それとも肉体かーー本作を観終えたあとに湧いたこれらの問いに対して私はまだ答えを出せないでいる。

     本作が小田の企図するとおり、東日本大震災の出来事とカントやフランクルの思索との接続が成立しているのかどうかは私にはわからない。文系学生と女の淡い恋愛模様の破綻であるとか登場人物の身の上話にはあまり興味が湧かなかった。ただ舞台の表層を剥ぎ取り、深く掘り下げてより本質的なものへと接近しようとする思考の運動を体験できたことは、他では得難いものである。それは理論を追い求める哲学者の如き鋭利かつ地道な取り組みの成果だと私は思う。

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    2020/03/25 22:22

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