満足度★★★★
「今、ここ」に存在し、立っていることを確かめ、さらに、より遠くへ、意識、想像を広げていく−−。4人の類まれなる身体を持った俳優たちのパフォーマンスは、終始、そのための試行錯誤、遊びを続けているように見えました。
冒頭で繰り返される「やるやるやられるやるやられる」との言葉には、いやがおうにも人と人とのテリトリー、つまりは「争い」を想起させられますが、4人の実験はそこにとどまるのではなく、劇場のある北千住にいながらにして太平洋へと漕ぎだし、世界を体感することへと向かいます。タイトルの「SUPERHUMAN」には、超人的な身体の可能性のほかにも、領域を踏み越えていく希望のようなものが込められていたのだと思います。
一人ひとりに「役」はなく、明確に対話と呼べるものもありません。戯曲も、音楽のスコアのように、一人ひとりのモノローグの断片と合いの手を組み合わせて作られており、その発話もリズムをとるように、自在に止まったり、走り出したりします。
10年ほど前なら、こうした発語の方法は、「伝わらない」「伝えることが不可能である」という葛藤を前提にしていたでしょう。ですが、ここから立ち上がってくるのはもっとポジティブでオープンな感覚でした。「不可能性は知ってるけど、やるよ」というような。(そのオープンさは開演前アナウンスやアフタートークにも感じられました)それは、これからの演劇と社会との関係を考えるうえでも、とても興味深いことでした。
俳優の能力を軸にした実験作である一方で、その俳優たちの思わぬ側面を引き出すところにまでは至っていない惜しさは感じましたが、ともかく、刺激的で考えさせられる体験でした。劇場へ向かう路地を歩きながら、「なんだか東京らしい、いいところだなぁ。でも戦争や災害が起きたり、ゴジラが来たらひとたまりもないかもしれないなぁ……」などと考えていたことが、どうも、この芝居でも扱われていることともリンクしていたようで、印象深い観劇になりました。