遥かな町へ
文化庁・日本劇団協議会
シアターX(東京都)
2022/11/23 (水) ~ 2022/11/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
日本の漫画やアニメが海外で歓迎されているという話はよく聞くが、その実態は海外へ行ってみないと肌で感じられない。よくわからない。これは、日本の漫画がフランスで人気となり、それをスイスの仏語圏(?)の演出家が日本の若い俳優を使って劇化した作品の里帰り公演ということだ。フランス人はどう感じているのか興味を持って両国へ。カイは小さな小屋だが平日昼間の老若バランスのいい客で、ほぼ満席。
30年ほど前に書かれた谷口ジローの原作は見たことはないが、舞台から察すると、世紀末に流行った自分探しのテーマのいかにも日本風の話である。
中学生のころ、父親が突然蒸発し、母親に育てられ一応社会的には安定した立場がある48歳の男が、京都への出張のついでに、ふと故郷の倉吉によってみると、タイムスリップして、中学生時代に戻って、その父親の心情を探る。
舞台は、大きな白黒の幕や歌舞伎のだんだら幕の色の大きな板などを巧みに使って、幕で切り取った舞台がいかにもマンガの駒割りの様にみせるところなど、細かい工夫がされている。この手で、観客からの視点を、天井から見ている(俳優が寝ているのを上から見る)視点にするところなどはうまいものだ。48歳の今の家庭と、14歳の少年の時の家庭と二つの家族のそれぞれを並行させて舞台は進む。二人の役者が同じ動きでタイムスリップをやって見せたりするのはフランス流合理主義だ。人物解釈もフランス人のセンスで、登場人物はみな幼いころから自立している。その中での父親の蒸発である。舞台からうかがえる原作はもっと、日本的な情感に支えられている父に託した自分探しだろうと思う。
地球を半分回ったフランスのことだから、違うのが当たり前で、きっと、フランスでは、孤独に育つ子も日本より数多く(それは映画などを見ているとよくわかる)異国の漫画をきっとメルヘンチックに自分たちに引き寄せたのだろう。舞台となる倉吉は中国地方の知名度もそれほど高くない小都市だが、日本の作品だったら、その地域性は外さないだろうし、古い街の独特の家庭環境ももっとリアルになったに違いない。そのどちらが演劇にとって、いいかを言うのは、難しいが、こういうことから国際的な双方の理解が深まるのは長い目で見ていいことだと思う。現に、その感覚の違いを見るだけで、面白く見られた。しかし演劇的にどうかと問われたら、上演されたここ日本の両国では、演劇としてのリアリティが足りない。だから蒸発の理由もただの説明に終わってしまう。
これは劇団協議会が文化庁と組んでやっている日本の演劇人を育てる会のプロジェクトの一つで、出演者は、文化庁の育成対象者が多い。皆まじめに取り組んでいるが、そしてぼろも出してはいないが、日本人の生活感のある演技や台詞を全く捨てている。それをフランス人の演出者に求めるのは酷と言うものであるが、日本で上演する以上そのへんをどう考えら上でのことかは観客に知らせるべきだろう。先日見た新国立劇場の鳴り物入りのイギリスとの共同開発の戯曲(私の一か月)も、関係者の苦労は十分に察しられるが、最終的に、観客が常に地域を離れられないということについては、さして考慮されてはいなかった。
しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】
キューブ
本多劇場(東京都)
2022/11/06 (日) ~ 2022/12/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
このうっとおしい時期に心和む最高のエンタティメントである。ケラはもともとうまい人だから、そこはよく心得ていて、いつもの黒い笑いでなく、優しい笑いで劇場を包んでいく。なんと、今回は泣かせもする。
どこか内海の島と思しき海辺の町の昭和10年の話である。夫の七回忌を済ませた未亡人(緒川たまき)とその娘(富田望生)。未亡人の妹(ともさかりえ)と夫(萩原聖人)。この港に記憶喪失して流れ着く三十男(井上芳雄)と島人たち。この三組の登場人物をめぐる愛のメルヘンである。どこの方言とも知れぬ島の言葉が日常会話で流れ、舞台のテンポも、リズムも心地いい。しばしば使われる「御免なちゃい」「ありがとう」と言う言葉が、舞台の空気を作っていく。言葉を作って、その話しかたイントネーションまで決めている。ほとんど、木下順二以来のことではないかと驚嘆する。
物語は、ケラ作品としては稀に見る見やすい話だ。美貌の未亡人が、一人娘が婚期を迎える葛藤、亡き夫の同級生の街のケーキ屋(三宅弘城)は思春期からの想いをたちきれない。その妹は、夫との些細な日常の感覚のズレにいら立って、離婚しようとしている。目覚めから朝ごはんに至る間の二人のいさかいなどよく出来ている。その間に、ホントはこの二人、惚れぬいているのだとわかる。七回忌の法事の日に島に流れ着いた船で、記憶を喪失していた男は、狂言回しの役も務める。この男の正体が、解りそうで解らないところ、そして最後の解決など、ドベタなのだが、まったく嫌味がない。とにかく展開がうまいのだ。島のバーとか、頼りにならなさそうで、実は頼りになる医者、とか脇の設定もうまい。
俳優は全員役に嵌まって好演。音楽も、いつもながら的確。どーでもいいことで、難癖をつければ、ラジオで番組を選局するシーンがあるが、この時代はNHK一局(第一放送)で第二放送はあったとしても短時間の教育放送で選局の対象にはならない。
休憩15分を挟んで3時間半。長いがちっとも飽きない。
コロナで予定の初日からほぼ一週間の休演もあって開けたばかりだが、休演の間も準備を怠らなかったことはよくわかった。
吾輩は漱石である
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2022/11/12 (土) ~ 2022/11/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★
井上ひさしにも失敗作はある。どこかで、航海に例えて、井上の弁を読んだ記憶があるが、作者は出航の時は、湊から出ても波を切れると思って船を出すのだが、いざ航海を始めると、とてもこの船では駄目と分かることがある、だが、時すでに遅し、日程も配役も決まっていて、已む無く書きつづけ、幕が開いてしまう。とんでもないところに船は着いている。失敗だったと作者には分かっている。だから、そういう時は作者の責任で止めるべきだ。それを可能にするために自らの劇団を作った。それがこまつ座だ。
創作者としての覚悟のある発言である。しかし現実にそんなことをしていたら興行業界成立しない。ウラもオモテも寄ってたかって何とか形にして幕を開けてしまう。そうやっているうちに中身も面白くなってくる作品もあるから芝居の世界は不思議である。
これは、こまつ座では初演と言っているから、はじめは注文仕事だったのだろう。
中身は夏目漱石が伊豆の宿で喀血し人事不省に陥っていた数時間に見た作中人物たちと、本人の交流のイメージという、狙いもよくわからぬ作品だ。死の直前に見るイメージを舞台化してみるということなのだろうか。そこにも、変に井上流世情批判みたいなものも入ってきて、よくわからない。「頭痛肩こり樋口一葉」の再現を狙ったのだろうが、一葉と漱石では素材の質も歯ごたえも、井上との距離感も全然違う。失敗作である。俳優も演出も投げずにやっているがどうしようもない。土曜の午後、一番入りのいい公演だろうが、老人客ばかり、それでも七分は入っていた。
こまつ座もいつまでも井上聖書再現だけではナマものの芝居は時代についていけない。良しあしを決める覚悟が見えない。2時間45分。
藤原さんのドライブ
燐光群
座・高円寺1(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
社会全体の利益を考え一部の人びとを「集団隔離」することは許されるか?と言うテーマで、すでにナチスのユダヤ民族問題は糾弾されつくした感じもあるが、なかなかどうして、ことあるたびに、人間は繰り返す。今回はコロナ騒動がきっかけで、わが国でも、市中、マスク警察や、劇場検温警察はあっさり許される。ここから邪教問題の統一教会問題はほんの一歩先の同じ根元だ。今は良心的と澄ましかえっている新宗教の中には数十年前には同じことをしていた教団は幾つもある。なかなか治らない。
坂手洋二戯曲は、あまり直接的でなく、メルヘン的にも見える芝居つくりだが、こういう近未来SF風は難しい。一応全部の世界を作らなければ世界が成立しないが、どこかほころびが出る。出ないようにすると嘘っぽくなる。そこで、芝居つくりのうまい坂手は時代を旅するロードムービーにした。なるほど、気持ちよく見られはするが、焦点はボケてしまう。問題点集中の抗議ドラマは、一般はウザイ!と見ないから宣伝にしか使えなくなった。難しい時代になった。観客ほぼ7分。善戦だ。
猫、獅子になる
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
俳優座に2020年に横山拓也が書いた「雉、はじめて啼く」は、その年の自分の劇団の「あつい胸騒ぎ」の女子高校生夏物語と対になった、男子高校生冬物語の思春期後期もので、すっきりしたいい青春ドラマだった。老舗の若作りなのだが、そこは俳優座、いくつか演劇賞も獲った。「猫、獅子になる」はタイトルからは、前作とつながるように意図しているのかもしれないが、内容的には、家庭劇、学校が主な舞台になる、と言う程度の共通点しかなく、別物だ。
今回のテーマは世間でよく話題になっている80-50問題で、老親(岩崎加根子)が大腿骨を骨折し、50になった引きこもりで生活力のない長女(清水直子)の今後を、その妹夫婦(安藤みどり、塩山誠司)と孫娘(滝佑里)たちが悩む、と言う主筋に、高校演劇に励む孫が、その上演過程でトラブルに出会い、それが、この家庭問題と様々に絡んでくるという脇筋が三代の家庭劇をささえている。高校演劇で上演する演目が宮沢賢治の「猫、獅子になる」で、この舞台用の脚本をめぐって脇筋が大きく主筋に関わってくる。いつもは素材のバラマキも回収も手際のいい横山戯曲も、今回は無理筋が目立つ。宮沢賢治の作品の知名度が高くないので、作品の意図や解釈もよくわからない。バラマキと回収に苦労して肝心の80-50問題がおざなりになっている。
しかし、その感想は、劇場を出てからのもので、見ている間は、俳優がいいのでつられてみてしまう、今回はもう九十歳前後ながら健在の岩崎加根子をはじめ安藤、塩山の中堅どころ(塩山・快演)も若い滝佑里もいい。ことに、このところ、中年で家族の実際の柱となってきた妻の立場が、「いい苦労人」だけでなく、いろいろな荒ぶる心をため込んでいる、と言う役柄が描かれるようになって、今回の妻役の安藤みどりも、そこを嫌味なく演じている。失業して具体的にはさしたることもできないので、家庭内、波風立たぬが専一、と言う夫の「ずるい」立場も定型的になっているが、塩山誠司の夫は、ずっと健気で、世の中、前の世紀とは夫婦間の男女の位置が変わってきていると感じる。こういうところまで80-50問題に踏み込むともっと面白くなったのではないかと思う。宮沢賢治を重ねるところなどは、残念ながら、ただの飾りにしかなっていない。
打率抜群の横山拓也も全部が全部成功するとは限らないわけで、どこかで斎藤憐が言っていたが劇作家は打率15%で合格なのだから、あまり濫作しないでじっくり構えて注文作品でもいい作品を期待している。今年はやはり「フタマツヅキ」の方がよかった。
闇にただよう顔 【満員御礼!11月6日17時追加公演決定!】
岩崎企画
シアター風姿花伝(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
ほぼ六十年前の地方の部落差別に発する警察、裁判所の告発ドラマである。ちょうど私が社会に出て頃の話で、たまたまこういう問題の多い地域でも働いたから、東京では伺えないこういう無茶苦茶と言うしかない差別は確かにあった。人々も容認して暮らしていた。今はこういうことはない前提で皆暮らしているが、部落差別はなくなっても、このドラマが描いている一種独特の日本の風習は弱い者いじめの風習はなかなか変わらない。例えば、劇場のアンコール。ジャニーズの人気者が出て居ようものなら、7回くらいのアンコールには付き合わざるを得ない。規制退場で出るに出られない。物事が違うというだろうが、実は同じである。そこを描かなければ、この分かりやすいドラマも、一夜のアジテーションの終わってしまう恐れがある。
私の一ヶ月
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2022/11/02 (水) ~ 2022/11/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
実に数年ぶり、新国立劇場の創作劇、久々のヒットである。
この作者は今春吉祥寺劇場でヴァンダインの本格ミステリの劇化を見ただけで、その時は、なんと大胆な!と思ったが、技術はしっかりしていたので期待して初日に行った。
地方のささやかな家族のほぼ二十年にわたる人生ドラマなのだが、現代の世相も、人間像も的確にとらえられている。脚本も演出も上滑りしていないところがいい。
演劇ならではの工夫がいろいろあって、それが膨らんで豊かな芝居になっている。
例えば、母が子に託す十数年前に一か月だけ書いてやめてしまった昔の日記。その日記をいま、娘が一か月書く。と言うのがタイトルの所以なのだが、そこに込められた人が生きていくことの喜怒哀楽の深さ!。日常表現からを重ねて、書き切っている。表紙の赤い小さな日記帳の小道具が心憎い。
夫が自死しているというのをさりげなくポッと出すタイミングの良さ。説明しないから生きている。その夫が残した最後の台詞もいい。なんだかよくわからなくなった、と言うような言葉だったと思うが、そういうさりげない言葉が人を動かす。ここでの母親の日常誰もがやる不愛想な対応も、実に!うまい。日々の生活の亀裂の深淵をさっと見せる。
本が最初平田オリザ風に始まるので、ヤダナと感じたが、その後は全くオリザとは似て非なる手法で、日本海側の地方の小さなコンビニを営む一家の話が、新幹線で、東京と簡単に往復できる今の時代を背景にじんわりと、時空も、異界の人も含めて広がっていくあたり、とても新人とは思えない出来である。
ドラマは、テーマとしては珍しくもない喪失の物語なのだが、現代の観客の心を打つように周到に出来て居る。母子を演じる村岡希美と、藤野涼子がいい。この親子とカップリングされるように置かれている中年を迎える男同士の友情の行方は、影が薄いが、物語にくっきりと陰影をつけているのは、この男たちの喪失の物語なのだ。ここは少しわかり良すぎるか、とも思うが、それはないものねだりで、次はもっといい芝居が見られそうで楽しみである。
入りは、いつもガラガラのこの劇場だが、意外にも8割ほど。客はよく知っているものだと感心。
スカパン
まつもと市民芸術館
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
モリエールの古典戯曲の中身は、吝嗇な親を持った子の結婚をめぐる騒動で、その立て引きを支配するのが「悪だくみ」のスカパン、と言う単純な構図の笑劇で、どれだけ笑えるか、と言う芝居である。笑劇をしらけないで見せるのはかなり難しいもので、ばかばかしさを超えて人間的な共感が笑いとともになければ芝居にならない。この舞台はよく出来ている。小日向、大森は長年演じてきているから当然だが、串田が松本の劇場の芸術監督に就任してから育ててきた地域劇団の女優、湯川ひな(イアサント)、下地尚子(ネリーヌ)、男優の武居卓がベテランに引けを取らないだけでなく、客演の笹本真帆(ゼルビネット)がいい。息子たちを演じる串田、小日向の息子たちも、初々しさも残るがちゃんと芝居になっていて、身内贔屓の感じがない。串田和美がコクーンで初演したのは94年でその後7回もやっているし,海外の演劇際でも評価されているから、手の内だったろうが、この混成の俳優陣を自分も主演をつとめながらよくまとめている。そこにあまり演出者の強制を見せないところも串田らしい。
今まで見たさまざまな「スカパン」の中では最もよく出来ている。笑うだけでなく、どこかしあわせな気分で劇場を後にできた。その味わいは串田の芝居独特のものだ。
串田和美は60年代の俳優座養成所の最後の卒業生。上の世代の井上ひさし、蜷川幸雄、下の世代の野田秀樹、つかこうへい、ケラリーノサンドロヴィッチに挟まれた空白の激戦区の中で、演劇界の節目になる仕事を残してきた。
60年代に俳優座養成所のエリート卒業生を集めて、若者の小劇場、自由劇場を結成して当時の大劇団と違うレパートリーシステムを作ろうとしたこと。そのために自力で六本木に劇場を作ったこと。シアターコクーンの芸術監督として、小劇場作品と商業劇場の懸け橋となる独自のカラーの作品を創る一方、この新しい職責の重要さを示したこと。地方の公共劇場で、地方都市の演劇と市民の関係を築いたこと。そしてそういう演劇活動の中で、常に、独特の都会的な舞台作りで、串田和美作品らしさを失わなかったこと。
常に自分が信じられる人間像を舞台に乗せてきた80歳の演劇人がこの節目で「スカパン」を快演した。飄々とスカパンを演じている串田和美を見ていると、演劇に生きる、ということの感動がある。
初日のアンコール。串田もちょっとしんみりした表情だった。
スカパン
まつもと市民芸術館
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
これは見ておくべき舞台だろう。串田和美、一世一代のスカパンである。
本人にも、ひとまずこれで一つの決算と言う覚悟があるに違いない。自由奔放な古典の笑劇を、古くからのオンシアター自由劇場時代の仲間に、松本の地域劇団の新しい仲間、そのうえ、自分たちの子供まで加えたカンパニーで全国巡演する。80歳になった演劇人の晴れ舞台だが、この種の舞台の持つ嫌らしい自己顕示がない。いや、大きく見れば究極の自己顕示でもあるのだが、それが眼前の舞台には見えない。そこが一見の価値のあるところだ。
The Fantasticks
東宝
シアタークリエ(東京都)
2022/10/23 (日) ~ 2022/11/14 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
幼いころから馴染んできた童謡を聞くような懐かしいミュージカルだ。
何度も上演され、いまは、わが国でもアメリカ同様、学校の文化祭やアマチュア劇団の上演もされる古典である。東宝制作のクリエの舞台は、中堅、新人から成るプロダクションだ。
もともとが南部の田舎の大学から生まれた作品と言うだけあって、構造は単純で、親の不仲な隣り同士の恋人の青春譜である。若い二人、マット(岡宮来夢)とルイーザ(豊原江理佳)。頑固だが人のいい父親たちは今拓哉と斎藤司、二人の中を裂くべく雇われるならず者は青山達三と、旅芸人のモーティマー山根良顕。物語の語り手は愛月ひかる。
どこかで舞台を観た記憶がある俳優ばかりで、堅実な公演になった。演出は上田一豪。演出者はもう四十歳に近い年齢だが商業ミュージカルでは若手の方だろう。突出した役者のいない座組を手堅く、原作に沿って優しいミュージカルに仕立てた。昔のあまり流行らない遊園地のような電飾をつるした中に、一段高い場所を設けただけの装置も、その陰に置かれたピアノとギターにドラムと言う音楽も素朴でいい。物語は昔風にほとんど歌で進んでいき、二幕になると、雇われた悪者たちとの殺陣もあるがいずれもお約束の進行である。お馴染の主題曲は最後に出てくる。これがないとやはりヒット・ミュージカルとは言えないだろう。若い二人が恋を成就するまでが一幕、60分。その破局と仲直りが二幕55分。
東宝が日比谷の基幹劇場で、内容的には派手でもない「アルキメディスの大戦」や時代遅れと言われかねないこの作品を一万円以下のS席で幕を開けるのは、自社の基礎と将来を見据えてのことだろう。そこはさすが長年の商売うまいなぁ、と言う感じと共に、興行者の伝統も感じた。実は筆者はこのミュージカルの芸術座初演を五十年余年前に見ている。その時はオフブロードウエイのミュージカルがわが国で初めて上演される、と言う触れ込みだったが、正直言えば、ぎごちなく面白くもなかったし、客席はガラガラに等しかった。(今回はほぼ7割)。まだ、小屋に客がついていない頃で、前後して森光子や三益愛子の女優芝居でこの小屋は満席続出の劇場として東宝演劇を定着させることになるが、いまでも、この9月から十月公演のような地味な公演も、忘れないところ、千と千尋やレミゼの演劇興行に連なっている大会社の底力を感じないではいられない。パルコ焦るな、公共劇場も伝統は片隅では考えろ、と言う教訓である。
精神病院つばき荘
トレンブルシアター
シアター711(東京都)
2022/10/12 (水) ~ 2022/10/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
医師が前職と言うのは作家にはよくあるが、演劇人では非常に珍しい。創作現場に時間がかかるから、片手間で少しづつ拡大していくという手が使えない。関西から出てきたくるみざわしんは中年になってから、まず投稿戯曲で注目された。今春初めて見た作品(阿佐ヶ谷ザムザ・「ひとつオノレのツルハシで」)は新人らしからぬ戯曲だと思ったが、それはこちらが知らないだけで、関西では多くの作品が既に上演されていた。
今回の作品は医師として専門領域である精神科病院の現状についての物語で、専門領域だけあって、知らないことが山盛りで、それだけでも興味深く見ることができた。前回と同じ告発劇で俳優も同じ。戯曲のスタイルも似ていて、セリフで押していく。
今回は一部の政・官と民間の阿吽の呼吸で戦後乱立した精神病院の現状が告発されている。
登場人物はそういう病院の雇われ院長(土屋良太)と、長期入院の患者(川口薫)、30年以上勤めている女性看護師(近藤結宥花)の三人。長期入院患者で成立している病院なので、長い習慣的ルールで病院が維持されている。形としては民主的、合理的な入院患者と病院側の定期的な会合もあって、そこでの合意で病院の日々が回っている。院長は取りまとめ役だ。長い慣習の中には古くなるものもあるし、新しい時代のハラスメント規制や事態の変化にも対応しなければならない。この舞台で描かれる問題点は、原発事故が起きた時に備えて、どう対応するかを平時から決めておくことの可否(是非ではなく、出来るかどうかで、なんとしても、病院側は出来ることにしたいが、現実にはまったく無理である。こういう事態はいま疲弊化している日本の現実として随所に見られる)である。病院長が巧みにうやむやにする経緯が喜劇調に描かれる。
だが、後半、原発事故は現実のものになる。日本のほとんどが住めなくなる。そこでも、院長は生きている。
1時間45分ほど、セリフ続きで、主役の医師を演じる土屋良太は大車輪で、熱演である。ほかの二人もそつがない。ただ、前回は演出が芝居を面白くする経験も豊富なベテランの鈴木裕美だったので、同じような狭い舞台ながら動きも俳優の性格付けも派手で、飽きない作りだったが、今回はセリフを立ててほとんど板付きである。(演出・大内史子)。それだけに人間的な共感よりも告発の趣旨が中心になってしまったのは、セリフも内容も面白かっただけに勿体ないような気もする。初日はいろんな客層で満席
A・NUMBER
サンライズプロモーション東京
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2022/10/07 (金) ~ 2022/10/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
日本ではあまりお目にかからない種類の脚本で僅か70分。それでいて一夜芝居である。
父(益岡徹)と息子(戸次重幸)だけの二人芝居。4歳のかわいい盛りに息子を亡くした父はクローンの息子を作成して、幸せに暮らしてきた。しかしその息子が成年に達しようとするとき、息子は同じクローンが20体以上作られたことを知ってしまう。父を難詰する息子のシーンから始まり、息子の知らなかった父母(母も亡くなっている)や兄弟の事情が明らかになってくる。未来SF系の設定になっているが、これは現代科学の先端の遺伝子工学の話題を好機とした家族論である。話題も事件も多岐にわたっていて面白い。
作者キリル・チャーチルは、半世紀前にはイギリスの若い女性劇作家としてもてはやされ、日本でも「クラウドナイン」や「トップガールズ」は何度も上演された。今で言えば、ルーシー・カークウッドのような勢いがあった。これは02年の作品、日本初演である。(作者は現在も存命のようだ)
ジェンダーを意識した作品を書いてきた作者だけに、舞台には女性が全く出てこない。舞台は、二人だけの対話で進んでいくが、その奥の一段高く置かれた黒のアルコーブには男女の様々の衣装の黒い顔の人形が階段状に五六体立てられている。ここの照明がいつの間にか微妙に変わるところ、ものすごくうまい。(演出・上村聡史・照明・沢田祐二)
中年のころ、ロンドンで仕事で知り合った知人に劇場へ連れていかれると、こういう手の新劇がよくかかっていた。サザンよりは一回り小さなほそい通りに面した劇場で市井の観客が芝居を楽しんでいた。友人、夫婦連れ合いで来る客も多く、きっと彼らは帰り道パブにでも寄って、芝居のあれこれをネタに知り合いの噂話を楽しんだのだろう。観客の成熟も基盤にしているような芝居だが、日本でも女性作家が頭角を現してきているのだから、早くこういう芝居を日本作家で見て見たいものだ。桑原裕子、瀬戸山美咲、詩森ろば、たのしみにしてますよ。
ソハ、福ノ倚ルトコロ
演劇集団円
吉祥寺シアター(東京都)
2022/10/07 (金) ~ 2022/10/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
晩年、目を患って口述筆記で「南総里見八犬伝」を完成させた滝沢馬琴(佐々木睦)の家族、ことに夭折した息子の嫁みち(高橋理恵子)の奮闘記である。
この時代は馬琴のような大衆読み物をはじめ、浮世絵や評判記、芝居など、都市大衆文化の最初の興隆期で今までにも、浮世絵の画家の北斎、広重、写楽や出版元・蔦屋、作者でも山東京伝など、芝居にして立つキャラクターも多く、何度も舞台にも上がりテレビや映画の素材にもなった。どこか見たことがある、と言う既視感があるのは、今回は馬琴の日記をもとにして史実を追っているからでもあろう。円の総力戦の公演で、有力俳優はほとんど出ていて、文学座系であるだけに抽象セットであるにもかかわらず江戸爛熟期の雰囲気は言葉に出ている。佐々木睦、高橋理恵子はもとより、佐々木敏(北斎)、福井裕子(文盲の妻)、高林由紀子(みちの母)皆懐かしい俳優だが、脚本も含め、下町の言葉になっているのがいい。俳優の年月が生きている。若手では山本琴美(新米下女のむら)。
舞台はみちが口述を始めるところから完成まで、2時間半(休憩15分)にまとめているが、なくもがなの八犬伝の内容紹介や、登場人物、時代背景の説明など丁寧すぎてだれる。
キャラクターも物語も今どき、パワハラやジェンダー差別で指弾されることばかりだが、そういう歴史文化破壊の俗論に惑わされず、取り組んでいる。
芝居になりやすい時代と言えばこの後は明治の文明開化、大正リベラリズムの時代があるが、どちらも樋口一葉や伊藤野枝のような女性抜きでは成立しない。みちにも、劇的にはもっと個人に焦点の当て方があったと思うがどうだろうか。
アルキメデスの大戦
東宝
シアタークリエ(東京都)
2022/10/01 (土) ~ 2022/10/17 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
すぐれた戦争モノ・ファンタジーだ。
漫画から出発して、東宝の特撮映画、今回は商業劇場で劇化された。第二次大戦中の戦艦大和建造を素材にしたエンタティメント。演劇界期待の劇団チョコレートケーキの・作・演出のコンビが、都心の東宝の商業劇場へ初登場。巨大戦艦建造の国家の論理と、数学の合理性の対立と言う異色のテーマは成功するか、その首尾や如何。
幕前の静かな波の音のなかで、幕が開くと、敗戦まじかの海軍通信部。パラパラと置かれた安っぽい事務机で通信兵たちが無線にかかり切っている。大和沈没の報が飛び込んでくる。崩れ落ちる兵たち.このプロローグから始まるのだが、驚いたことに、この場面で使われたスカスカの机と椅子を組み合わせるだけで、海軍本部も、会社社長室も、長門や大和の船橋も、全場面を処理してしまう。緋毛氈一枚を斜めに置くだけで宮中を処理してしまった「治天の君」の、あっぱれチョコレート魂である。
結果はすべて想像以上によく纏まっていて、ジャニーズファン以外の若い客層が緊張して見ている。平日の夜、九分の入り。2時間55分(休憩25分)
チョコレートケーキにとっては手慣れた政治的対立の構図の作品だが、戦時の政治判断の失敗は、現在の政府のことに当たっての右往左往にも重なっている。それが嫌らしく表面に出ることのない表現にしているのもさすが。思い切って裸に近い汎用セットにしたのも成功している。その中でよく劇場の大きさを読み込んでスケール感を出す工夫もしている。それが、花より団子の実力派俳優陣と合っていて、敗戦のストーリーにふさわしい。一方、人気の福本莉子の設定はいかにも通俗で生かし切れていない。
ドラマの対立軸を戦争と数学の正義、と言う新しい視点にもっていったのも、ユニークで成功している。戦争は知らない観客が圧倒的に多くなった現在のエンタティメントにふさわしい。数学の板書などはちゃちいのだが、結局は普通の誰にもわかる話に落としていくのもうまい。
俳優はすっかり若くなって、軍人らしくはないが、現実に彼らが生きていた時代が遠くなってしまったのだから、これでも今の観客には馴染めるのかもしれない。造船中将(岡田広暉・好演)脇に回った役どころの少尉(宮崎秋人)の使い方も商業演劇定番ながらうまい。
クリエの興行としては大成功だろう。さすが、東宝。大手のプロの見切りの良さを十分に見せてくれた商業演劇である。
スカーレット・プリンセス
東京芸術祭
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2022/10/08 (土) ~ 2022/10/11 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
演劇が、生まれた土地を離れて、抽象的な存在として生きて行くのは難しいものだ、とつくづく思う。
ルーマニアの演劇人ブルカレーテが、南北の「桜姫」をモチーフに作った「スカーレット・プリンセス」。まずは、桜姫と言う芝居自体が男女の情念の交錯というテーマはわかるが、そのありよう(解釈)をめぐっては、人それぞれに多くの受け止め方があるだろう。歌舞伎として、一般的には孝玉のコロナ禍でも大歌舞伎で上演された名舞台でよく知られているが、現代では全く存在しえない人間関係をもとにした複雑な筋を一口で言える人は多くはないはずだ。その今の時世では糾弾されかねない、エログロとも、サドマゾ趣味とも、幼児虐待、ジェンダー問題、宗教問題、差別山積のストーリーの中から、人間の真実の心情が妖しい美しさと恐ろしさとともに溢れ出す。その背後には狭い島国の中で紡いできた日本人の生活や文化が凝縮されている。この国に生きていると、筋の倫理的善悪を超えて、俳優の様式的な演技にもとろけるような演劇的な感興・共感があるのだ。大歌舞伎だけでなく、木下歌舞伎でも来年上演を予告している(演出は岡田利規。今から待ち遠しいと思う作品だ)ところを見ると、若い人たちにも共感できるところが多いからだろう。
ブルカレーテをはじめてみたのは「ルル」で、これはよかった。今まで見たことのない官能的で自立したなルルだった。そのあとに野田秀樹脚本の「夏の夜の夢」。イタリアンレストランの厨房の話になっていて、不思議な新しい世界だった。最初はドイツ、次はイギリス、今回の「桜姫」は、はるか日本の作品である。ルーマニアが遠くなるにつれて、やはり、抽象的な世界になっていく。
一つの場で、その時しか表現できない演劇の宿命みたいなものかもしれない。演劇学者ならどこかで研究成果を出している課題かもしれないが、寡聞、不勉強で知らない。その生活感との距離が、見物としてはやはり隔靴掻痒になってしまう。フルショットで舞台を観ているときれいでよく整理されていて、原作や歌舞伎様式のの料理の仕方もわかるのだが、ワンショットでこれが桜姫、といわれると、清玄も桜姫も、個人の人格としてはするりと逃げていくような感じなのである。
オデオン座公演と同じく一文字の上に字幕が出るが、今回は全然とっかかりのない言葉で読まざるを得ない。大きなプロセニアムだから、演技と字幕の眼の往復につかれる。今回は字幕の輝度も低めに抑えられていて読みにくかった(抑えた理由も理解できるが)。経費もかかることはわかっているがやはり同時通訳で聞けるイヤホーン方式も採用してほしい。
ホームレッスン
パルコ・プロデュース
紀伊國屋ホール(東京都)
2022/09/24 (土) ~ 2022/10/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
芝居は生物だから、うまくいかないことはある。
それにしても、という出来である。やはり、一番の原因は戯曲だろう。素材そのものは、今の時代に合いそうな家庭崩壊と回復の話なのだが、設定があまりにもご都合主義である。だれか、制作側でも指摘しなかったのかと思うが、場当たりの行き当たりばったりで話がどんどん進む。親と離れて施設で育った男(田中駿介)が出来ちゃった結婚しようと妻(武田玲奈)の家庭を訪れるとそこは百の家訓がある家庭で、母親(宮地雅子)の強権のもと気のいい父(堀部圭亮)は右往左往。弟(堀夏喜)は家訓を破って永の座敷牢暮らし。
この設定で、妻の出産まで。気がめいるような2時間で、三十代の女性客が多い客席もシーンと静まり返って見ている。喜劇でもなければシリアスドラマでもない。陰鬱な時間が流れる。
救いは、舞台の現場が投げていなかったことで、役者は神妙に勤めているし、演出もとにかくつじつまを合わせようとする。宮地雅子など、ガラに合わない役でだいぶ苦労しただろう。
パルコが、有望な人材を次々と起用して時代に合わせた都会の中間演劇を作ろうと熱心なのはいいが、無手勝流にならないように。蓬莱竜太、横山拓也、小劇場でもまれて出てきた人たちは大丈夫だろうが、若い人にはケアしなければ。なにしろナマものなのだから。
あんなに優しかったゴーレム
ヨーロッパ企画
あうるすぽっと(東京都)
2022/09/28 (水) ~ 2022/10/10 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
こんなに面白かったヨーロッパ企画。今年の上京公演はあうるすぽっと。
ここのところ素材が少し難しいなと思っていたが、今回は、原点に戻って、のびのびとファンタジーを楽しめる。
テレビの取材チームが名投手20年記念のヒューマンドキュメンタリーを撮りに投手とともに草深い故郷の村にやってくる、投手の思い出は、広場でゴーレムと呼ばれている大きな土偶(このデザインと、大きさがうまい)とキャッチボールをすることでピッチングの基礎が養われたのだという。エッツ、あの土偶は、生きている??!。このあたり、こういう話は沢山あって、ペガサスも生きていると村人は言う。土偶の意識調査をする地元の学者も現れる。テレビの取材班のスタッフの中でも話の真偽で意見が割れる。現在のマスコミ倫理の難しさもネタになっていて、ファンタジーとも混ぜ合わせ方もうまい。内輪もめが起きてくるあたり、それぞれの人物のキャラも嫌味がなくていいが、京都の劇団らしい関西風の会話で面白く弾む。再演というが、劇団員の息も合っている。
劇場の規模が丁度この舞台にあって、上下二段に組んだゴーレムのある広場とその下に住む少女の家の二重セットが生きている。かぶりもののペガサスの出し方などタイミング絶妙。客の心理をうまく捕まえている。
良いテンポで笑っているうちに2時間はアッと言う間に経って、こういう劇団は東京にはないナ、年一度の良い出会いの時間を持てたと、温かい気持ちで劇場を後にした。
住所まちがい
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2022/09/26 (月) ~ 2022/10/08 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
珍しいタイプの翻訳劇の本邦初演である。
社長(仲村トオル)、警部(渡辺いっけい)、教授(田中哲司)の三人の登場人物が、違う入り口から入っても、同じ部屋で鉢合わせしてしまう。設定だけでなく、会話のズレも普通の笑劇とは桁外れのナンセンスぶりで、それがほぼ1時間半、機関銃のように続く。思わぬ地下からの掃除婦(朝海ひかる)の登場で舞台の色合いは少し変わるが、2時間休憩なしの台詞ぶっ通しである。小理屈で、もっともらしい教訓に落としていないところもいい。
イタリアのコメディアデラルテの原作と言うが、日本で上演されると、外国にも、ケラのような作風や、別役のような戯曲も健在なのだと教えられる。演出・白井晃、世田パブの芸術監督新任で、ずいぶん張り切った。しかし、こういう本は横を縦にすればいいというものではない。日本上演のジャパナイズも成功している。今回は俳優の頑張りも大きい。いろいろな出身背景の俳優たちが中年に及んで、積み重ねた舞台の実力をそれぞれに十分に発揮している。隙のないあまり見ない喜劇になった。
天の敵
イキウメ
本多劇場(東京都)
2022/09/16 (金) ~ 2022/10/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
イキウメらしい作品で、この再演ではかなり、エンタティメント化も進んでいる。長くもなって、2時間20分ほど。
イキウメは設定の奇想天外度で大きく面白さが左右される。初期作品は日常の一部を隠してしまうような設定が成功していた。「天の敵」では「生命」。一人だけ死なない、となると、どうなるか。
この不死を発見した満州戦線の飢餓の経緯から始まり、不死の条件は、人の生き血を食料にしなければならないとか、日光のもとに出られない、とか非日常の条件もあるけど、それよりも、周囲の人間と共に老いていけない、という日常的な苦しい条件もある。この辺のぎくしゃくも巧みに設定されていて、ドラマは面白く展開する。
幕開きのシーンがテレビの料理番組で、そこでは自然食品とか、長寿のための食生活とか、現代の食・健康ブームが描かれていて、これも、イキウメの特色だが、思わぬ切り口からの現代世相批評になっている。ここが今回はずばり、当たった。
舞台も、かなり余裕を持っていて、一杯飾りの舞台作りにも随所にあるお遊び的なシーンも外してはいない。全体は若干長いかな。プロローグの実際に料理するところとか、最後の部分は少しもたれる。お馴染の俳優たちもすっかりガラと持ち役が決まっていて楽しませてくれる。小劇場としてはこういう独自の作品で、ここまで来たのはお見事で、観客も随分楽しませてもらった。
本多劇場で十九公演。見た回もほとんど満席だった。
燐光のイルカたち
劇団青年座
ザ・ポケット(東京都)
2022/09/23 (金) ~ 2022/10/02 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
はじめてみる関西の小劇場出身の作者の作品だ。日本の創作劇を上演することに積極的で実績もある青年座が、経験豊富な演出家・宮田慶子を立てての上演である。
ストーリーも劇の構造もユニークな新人の登場である。イキウメに似て時代設定も場所設定も架空、と言うより不詳と言う感じである。内戦下の架空の街の喫茶店を営む一家が舞台である。店は内戦のため、南北の境界に壁を立てた国の、その南の壁際で細々と営業を続けている。壁の上からは常に監視兵の眼があり、戦火の音も、スパイの疑いなどの捜査員が出入りするなどの緊迫感もある。
しかしながら、その壁にはそれほど難しくなく行き来できる抜け道もあり、農家を営む市民が戸外で働くこともできる。店には映画に深い愛情を持つ若者や記録映像を作る人たちも出入りしていて、そこがこの場所を現代の暗喩として性格づけている。
この場所で一家が遭遇するのは、一家離散であったり、官憲の強制捜査であったり、壁を越えてくる者への人間的な支援であったりするが、その描写はストーリーを紡ぐというより生活の断片を並べていくという感じで、そこもこの作者を特徴づけている。作品のリアリティは、境界線を挟んで関西弁と、標準語で話される言葉が違うとか、映画への情熱への共感とか、喫茶店で提供される食物とか生活上の細部で保障されており、南北の政治体制の主張や、戦争の原因、現在の戦況などは一切触れられていない。市民にとって戦争とはこういうものだという戦争に慣れ切った世界である。かつて衝撃的であった「寿歌」の世界がいまは架空の街角の喫茶店に転がっている。
ディストピアのドラマとして、中身は、イキウメや寿歌が透けて見えて、それほどのことはないが、関西弁の力とか、市民生活の細かいリアリテイがとりいれられており、フラッシュバックで短いいシーンを重ねる手法も最近では珍しい。
演出家としては青年座のリーダー格の宮田慶子はこういう作品はあまり手の内ではない(と言うより最も苦手ではないかと思う)だろうが、生活感のとか、家族関係の膨らませ方はさすがの出来で2時間飽きない。しかし、若い俳優たちはもっと頑張ってもらわなくては。関西弁のセリフも浮いているし、ベテランに交じると狭い劇場で人数も少なくないから無駄な動きも目立つ。*の一つは新参作家へのオマケ。