旗森の観てきた!クチコミ一覧

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ムッシュ・シュミットって誰だ?

ムッシュ・シュミットって誰だ?

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2022/06/10 (金) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

初めて紹介されるフランスの戯曲。
物語は一昔前に流行った多重人格をネタにしたコメディで、ある日目が覚めると、別の人になっていた、という手である。フランスで開業している眼科医の夫(田中 茂弘)とその妻(斉藤 深雪)が夕食のワインを開けようとしたときに、ないはずの卓上電話に電話がかかってきて、それをきっかけに夫婦は無理やり人格を二つにされてしまう。夫は抵抗するが、妻は、流れには逆らわない方がいい、とどんどん妥協して、ルクセンブルグ在住の皮膚科医シュミット夫妻として精神科医(志村史人)の指導を受けながら人生を学習する羽目になる。
同調圧力の中で生きていかなければならない現代を風刺した喜劇、と広報されているが、それにしては客席はほとんど笑えない。理由の主たるものはフランス演劇らしく、地元密着のギャグでわが国では笑っていいところの勘所が分からないからである。
多分、と推測にすぎないが、フランスでは、ルクセンブルグに人格移動して、その地の警官(関口 晴雄)が来るあたりで、大うけなのだろうと思う。眼科医が皮膚科医になってがっかりとか、いないはずの息子(丸本 琢郎)が出頭してきてアフリカ系、と言うのもその地ではよくわかるギャグなのだろうが、わが国では笑えない。
全体にまじめな演出、演技だが、NLTが上演するようなフランス喜劇と割り切って笑劇風にしてしまえば、もっと受けはよかっただろう。やはりこういう荒唐無稽な話は話のつじつまよりも、どれだけ飛べるかにかかっていて、そこが真面目過ぎて、弾んでいかない。
終わってみれば、随分積み残しで回収されていないエピソードも多く、それはもともとの設定に無理がありすぎるからだと分っていても、そこを笑いで乗り切ってしまわなければ喜劇とは言えないだろう。

貴婦人の来訪

貴婦人の来訪

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2022/06/01 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

なかなか出会えないチャーミングな舞台だった。
「貴婦人の来訪」は音楽入りも、ストレートプレイも何度も上演されているが、これはそのどちらでもない独自の舞台に仕上がっている。ポイントを上げると、
まず、3時間(休憩15分含み)の長丁場を従来のお馴染の手法に頼らず、独自のカラーでまとめ上げた演出。戯曲は現代寓話劇として、書かれてから七十年、今なお、ここに描かれている世界は、現代社会の問題点に生々しく触れている寓話劇である。金で正義は買えるか? オペラやミュージカルにもなる大振りの物語は二者択一で話を進める分かりやすさもあるが、原戯曲はそういう単純化された議論の中に登場人物に沿って今の社会に生きる問題を多面的に細かく埋め込んでいる。若い文学座の演出家、五戸真理枝は、リアリズムで詰めていくと矛盾も多いドラマを丁寧に、時に音楽、時に美術の助けも借りて独特のステージングで舞台に乗せていく。その手つきには初めて(でもないだろうが)大きな舞台を十分な準備の上に演出できる演劇人の弾むような表現の喜びと若さが反映している。寓話劇、社会劇、ミュージカルなどと簡単にカテゴライズできないみずみずしい舞台が出現した。
二つ目。主演・秋山奈津子。現在、この役にこれ以上ふさわしい女優はいないだろう。不良育ちの成り上がりの田舎娘と、際限のない金を持ち、夫をはじめ自分の世界を「殺されたって死なないわ」とどんどん変えてはばからない貴婦人の「おんな」の両面を演じ切っている。その表現力の幅の広さ!「殺されたって死なない」存在感が舞台を圧倒する。
三つ目。非常に時宜を得た公演であること。確かこの原作は冷戦期、米ソの原爆競争を背景に。米ソの中間にあった永世中立国スイスで、敗戦国のドイツ語で書かれた作品と記憶している。このドラマがいまも生きているのは現代社会の不幸としか言えないが、ここで取り上げられている人間の小さな営みの数々に込められた不幸のタネは常に芽を出す機会を狙っている。現在の世界情勢の不安はここにすでにあったという事を教えられた。
スタッフワークが無駄なく舞台に溶け込んでいる。美術。衣装。もよく統一が取れていて素晴らしいし、音楽(国広和毅)もうまい。新劇のベテランで固めた脇が、地力を発揮して歌の場面などそつがない。
ここのところ、何やらわけの解らぬ公演ばかりで呆れかえっていた新国立、久々のヒットである。正直なもので、いつもはガラガラの客席がほとんど埋まっている。
ロビーで広告を見ていたら、秋にはフランスから招聘劇団がやってくる。オデオン座だ。ところが演目はなんと、「ガラスの動物園」という。エエツ!?折角何年かに一度の招聘公演ではないか!フランスの芝居を見せてくれよ! 新国立のわけの解らなさは収まりそうもない。




ふすまとぐち

ふすまとぐち

ホエイ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/05/27 (金) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

滅多に東京では見られない地方方言に(津軽弁)による現代風俗劇。料理の塩味が濃すぎると嫁姑の争いの種になったり、新宗教まがいの商法が地縁血縁関係の濃い農村のガス抜きになっていて盛んだとか、現在の地方らしさはあるのだが、ドラマとしての嫁姑、家族親戚の子どもたちまで巻き込んでの人間関係は格別目新しいところはない。それは、この「見てきた」(深沢さんのネタバレ)ですでに指摘されてしいるとおりである。方言が分かりにくいから、細かいニュアンスがなくてもわかる筋立てにしたとしたら本末転倒のような気がする。しかしこの舞台が、他の追従を許さないということでは、ほとんど観客にはわからない津軽弁で押し通したところである。それなのに、ドラマのつくりが安易になっていたり、方言がコメディリリーフのようになっていたりして、基本的なリアリズムから離れてしまったのはいかがなものだろう。方言と言う土着的な言葉に対しては戦後(昭和20年代)、木下順二や秋元松代が日本の劇の基本構造を作るものとしてかなり苦労して実績も挙げているし実例もある。今一度、現代の眼で言葉を見直すことは良い着眼点とは思うが平田オリザ的便宜主義ではあまり奥がないようにも思う。

通りすがりのYouTuber

通りすがりのYouTuber

ジェットラグ

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2022/05/20 (金) ~ 2022/05/29 (日)公演終了

実演鑑賞

流行のユーチューバーを素材にしたいかにも中津留章仁らしいドラマだ。
このメディアは評判は聞くが実際にコミットしたことがなかったが、この舞台を観て、どういうものか、かなり分かった。今の普通の演劇の舞台演技が小さなフレームの中のユーチューバーたちの立ち居振る舞いにかなり影響を受けていることも分かった。
それはいいのだが、このドラマの中身はどうなのだろう。
天涯孤独の姉弟がユーチューバーになって、実の母親に再会するという骨組みはまるで、尾崎紅葉か、という筋書きで、登場人物たちも、装いは今風だが、中身のモラルは、大正昭和の大衆小説もどき。しかも主演者はジャニーズ。ちゃんとした新劇の俳優も競演している。劇場はシブゲキ。
現在の演劇界で最も突飛な、と言って悪ければ、歩留まりが見えない冒険心に溢れた大胆な顔合わせである。ここから何が出てくるかはわからない。しかし、この舞台を真摯に洗練させていこうとすれば、その努力は、報われるとことがあるような気がする。
それは、メディアを軸にした大きく変わる時代の節目にあって、ユーチューバーに象徴される新しいメディアは急速に社会に広がっており、同時に、社会を構成する人間の方はその変化に追いついていない現状(ジェンダー、社会階層、人種差別など)に手をつかねている現状が日々、報じられてもいるからである。

関数ドミノ

関数ドミノ

イキウメ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/05/17 (火) ~ 2022/06/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

何度目かの再演だ。交通事故で即死が当然の状況なのに、傷一つ追わない、と言う発端の事件は同じだが、その後の展開は少しづつ変わっている。
今回は「スーパーマンは実在する。しかもそれは日本人だ」と宣伝を打っているが、中身は、それほど軽くはない。
作者はいまの世界を動かしているルールを、普遍。不変のものとしているところに疑問を呈していて、今までも多くの作品を面白く展開して見せてくれた。「関数ドミノ」はドミノ倒しのように、奇跡のような交通事故のその後の展開の物語が、最初のドミノの倒し方を変えれば全部変わった方向に倒れていく、ということなのか、数学的にはシンプルに見えるドミノ札でも無数に近い組み合わせができる、ということなのか、その経緯が今の世界の新しい規範になったり、救いになるか、と言うテーマのように受け取ったが、そういう常識的ではない受け取り方も出来るところにこの作品の面白さがある。
イキウメの俳優たちもそろそろ二十年だろう。すっかりうまくなって、二時間飽きずにに見てしまった。

花柄八景

花柄八景

Mrs.fictions

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/05/11 (水) ~ 2022/05/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

はじめてみた小劇場だ。「見てきた」でも評判がいいので、午後降り出した雨の中を駒場まで。五日ほど前の予約時には空席があったのに、行って見れば満席と言う。口コミが効く小劇場世界は生きていた。この劇団は喜劇を目指しているようで、SF仕立てだが、しっかり今の時代を反映する生活感のある舞台設定で80分飽きさせない。そのへんの高評価は既にある「見てきた」の通りで、飽きずに面白かった。全体に「花」が登場人物の名前にも美術にも、衣装にも縦横に使われていてこの作品のキーノートにつながっているところなどはベテランのうまさである。
これはこれで十分だが、余計なことを言うと、
登場人物の五人のキャラ配分はうまいのだが、それぞれのキャラが立ちすぎていて、ドラマの進行の中で成長していかない。未来世界が舞台になってからの、落語協会の拡大や、一門の野球の話などが一つのストーリーに束ねられていないで、単なるエピソードだけになってしまって勿体ない。二つ目に上がれなかったプランター(ぐんビィ)は、うまく作れているのに、ロンドン憧れのパンク男女(今村佳佑、永田佑衣)なんか、もっとはじけて面白く作れる。橋の下少女(前田悠雅)には役のキモが見えない。ここもいくらでも面白く作れる。これだけの素材があれば1時間40分は行けるだろう。花柄一門の師匠・花壇(岡野康弘)は折角一門を率いる落語家なんだから東京方言の歯切れの良さを使いこなしてほしい。もっとも地獄八景は確か関西の噺だったから、これでも良いのかもしれない。(私は井上ひさしの「樋口一葉」を連想した)。
と、グジグジ注文も出てくるが、それはそれとして、こういう世情喜劇に取り組んでいくと、新しい境地が開けるかもしれない。この後、二百人規模の劇場まではスーッと行きそう(そこから先は大変だが)でユニークな劇団に育ちそうだ。たまたま今年、同じく落語家を主人公に芝居を作ったあまり世代の違わない横山拓也とは別の路線で新しい小劇場演劇が出てくることを期待している。

エレファント・ソング

エレファント・ソング

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2022/05/04 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

井之脇海の快演が見所である。精神科医(寺脇康文)とその病院の入院患者(井之脇海)が、患者の主治医の突然の失踪の情報をめぐって、追うもの、追われるもの、の関係になる。患者の担当看護婦(ほりすみこ)が俗世間を担ってその中に登場するという三人芝居である。カナダの本で、その地の若いスター、グザビエ・ドランが気に入ってヨーロッパで主演して当たったという芝居で、俳優陣も演出も丁寧だが、いま日本で上演する意味がよく解らない。心理サスペンスとうたってはいるが、内実は主人公の青年患者の家族喪失が主題だろう。そのテーマなら身近な芝居が日本にもたくさんある。
パルコ劇場で私が見た回(この「みてきた」を読むと他の回も同様のようだが)は入りは二割と言う感じ。新国立以外でこういう興行は珍しい。税金で賄える劇場と違って、パルコはそれ以上意欲的で先見性もあり、タレント興行にも背を向けていい芝居をたくさん見せてくれているのに、今回はどこが誤算だったのか。予感があったのか夜興行はほとんどない。値段も安い。劇場側の見解も聞いてみたい芝居だった。

グリーン・マーダー・ケース×ビショップ・マーダー・ケース

グリーン・マーダー・ケース×ビショップ・マーダー・ケース

Mo’xtra Produce

吉祥寺シアター(東京都)

2022/05/13 (金) ~ 2022/05/19 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

いま、ヴァン・ダインを舞台に乗せるとは随分大胆な企画だ。ミステリではすでに古典の名声を得ているが、それは創生期の本格ミステリ時代のことで百年も前。今はミステリも、時代も変わっている。「グリーン家」は再演だが、今回は、もう一つの名作{ビショップ」と合わせて相互公演だという。まるでヴァンダイン祭りだ。その「グリーン家」を見た。
「モクストラ」は初見の劇団なので、主宰の須貝英はどんな仕事を?をキャリアを見ると、早稲田キャラメル系。既に三十歳半ばを超えている。見ていて感心したものでは「オリエント殺人事件」のスタッフがある。
こういう名作を欧米戯曲をもとにしないで新しく作るのはかなり勇気もいるが、逆に思い切ってできるということもあるだろう。しかし、原作は、豪邸を舞台にした連続殺人事件の謎解きに論理をたてる本格ミステリである。
どうなることかと思って見に行ったが、驚いた。こちらの想像とは全く違った舞台だった。感想を列挙すると、
まず、名作・ヴァンダインの本格ミステリと言う原作の評価に物怖じしていない。
本格ミステリを、現代の舞台で面白く見せるにはどうすればいいかということに集中している。原作は、かなり複雑な人間関係の上に連続殺人が起きるのだが、その旧豪族家の大筋の遺産相続と殺人の順番などはほぼ原作を踏襲しているが、細かいトリックにはこだわらず大胆に話を盛っているところもあって後半の大捕り物などはオリジナルである。
いわゆる「ミステリ劇」(「罠」とか「スル―ス」とか)とも、「ゴシックホラー」(「黒衣の女」など)とも違う新しいタッチで、しいて言えば、2・5ディメンションに近い。
テンポが非常に速い。シーンも非常に多い。本格推理のまだるっこさがない。セリフも短い。人間関係の葛藤にはあまり時間を割かずに、犯罪の進行を明快に説明していく。古いグリーン家の豪邸の崩壊は小説でも見せ場の一つだが、そういうところもちゃんと舞台になっている。結構取れるところはちゃんと取っているのである。
舞台は、洋館の大部屋を思わせるプロセニアムで囲んだ部屋だけで、ちょっとした小道具を出したりスライド壁を使ったりすることはあるが、一場ですべてのシーンを処理する。今回の二演目はすべてキャストも変わるので、名探偵フィロヴァンスの役も演目で変わる。ほかの小劇場で見た俳優もいるから全部この劇団員ではないだろうが、演出は一貫している。こんなフィロ・ヴァンスではヴァンダインではないと言いそうな老年の客は始めから捨てているのか、女子大生らしい若い観客が多い。劇場ブッキングの都合だろうが、私が見た最終日の午前11時の回はさすがに七分の入りだったが。
いままでのヴァンダインでは連想できない舞台との出会いで、あれよあれよと見ているうちに2時間ほどの舞台を終わった。ミステリファンからも、ミステリ劇のファンからも異論は出てきそうな舞台(例えば、フィロヴァンスのキャラメル風の演技には古典的なミステリファンが拒絶反応を示しそうだが、そんなことは作った方は計算済みだろう)だったが、大いに刺激的ではあった。俳優は動きの速い舞台についていくのに大変だったろうが、なかでは看護婦役の大澤彩未は、この新しい舞台らしい役柄を巧みに演じていた。
本格ミステリには話は面白いものが多いのだが、トリックの細かさにとらわれていると舞台には載せにくい。とりあえずは2・5ディメンションのジャンルに「フーダニット」の道を切り拓いたことを評価したい。

リターン THE RETURN

リターン THE RETURN

ウォーキング・スタッフ

小劇場B1(東京都)

2022/05/14 (土) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

小劇場で、大劇団が手掛けない海外の生きのいい小品に出会うのは嬉しい。既に上演されたこともあるオーストラリアの作品で、初見だった。
この世の楽園と伝えられる彼の地のパースから出ている郊外電車の終電車に乗り合わせた五人が終着駅につくまで1時間40分の車内だけの一幕劇。伝えられる楽園とは裏腹に荒廃したこの国の一面をのぞかせ、それが世界に広がる普遍性にも通じている。正面と上手に客席のあるB1を生かして、中央舞台スペースに斜めに組んだ座席とつり革だけの終電車に乗り込んでくるのは、刑務所で刑期を終えた男二人組(石田佳央 長村航希)。次の駅で乗り込んでくる女子大生(福永朱梨)、次の駅では太っちょの主婦(星野園美)と陰気な青年(蓮井佑麻)。
刑務所帰りの男たちが女性の相客に絡んでいく展開は、よくありそうな挿話なのだが、やがて、それがムショ帰りの兄貴分の収監の原因となったジェンダーがらみの犯罪をめぐる青年と兄貴分との対立になっていく。兄貴分は自分の女に手を出した男を半身不随にして収監されたのだが、その被害者は青年の兄で、青年はガールフレンドの女子大生の助けを借りて復讐を試みたのだ。その兄貴分にもジェンダーの秘密がある。主婦が終電車に乗っているのは暴力亭主から逃げ出してきたからだし、弟分の青年はどう生きればいいかわかっていない。
演出の和田憲明は、もう小劇場の長いキャリアのある演出家で、緩急自在のサスペンスで舞台を進めるのはうまい。押して詰めるだけでなく引く隙間がうまいのだ。かつて見た「死神の精度」なんかホントに冴えていた。今回の舞台で言えば、列車が駅に停まるたびに開閉するドアとか、無機的に流れる次駅のアナウンスの挟み方など、音だけのリアリズムをうまく使って舞台に緊張感を漲らせていく。俳優も、普通こういうプロダクション製作はよく、大劇団から主な役を二三人借りてくるのだが、今回は町場育ちのキャスㇳがそれぞれ期待に応えてそつがない。石田佳央はその素顔が分かって、なるほどと納得させる人間像を作っているし、ラストに残る星野園美は荒涼とした夜明けを体現させていた。
これからということでは、長村航希、蓮井佑麻、福永朱梨の若手だが、出ずっぱりのこういう舞台はきっとこれからの役に立つだろう。小劇場ならではの舞台だが、もう少し大きい二百までの劇場でもさらに再演できるのではないか。満席だったし。

お勢、断行

お勢、断行

世田谷パブリックシアター

世田谷パブリックシアター(東京都)

2022/05/11 (水) ~ 2022/05/24 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

五年前に、乱歩の知られざる悪女・お勢が舞台に颯爽と登場した。お勢を軸におどろおどろしい乱歩の恐怖と幻想の物語作品が、百年後の現代の舞台になった。好評だった「お勢登場」を受けた第二シリーズの「お勢断行」は、ゲネプロが終わった日にコロナで上演中止が決まった。それから二年ようやくの幕開きである。主演は第一作のお勢が黒木華から倉科カナに変り、原作をとどめて短編がコラージュされていた脚本は、お勢を主人公とする長編のオリジナル悪女物になった。新作と言ってもいい。
まず、その功罪。物語は資産家の松成家の相続争い.筋立ては、当主を精神病という事にして蟄居させ、後妻(大空ゆうひ)とその資産を狙う代議士(梶原善)と医師(正名僕蔵)が横取りしようとたくらむ。その三悪人を操ろうとするお勢(倉科カナ)と千歳の娘(福本莉子)。彼らの手先となる女中(江口紀子)、その縁者の電気工事の若者(粕谷吉洋)、コメディリリーフ的に出てくる当主の姉(池谷のぶえ)。悪人揃いの足の引っ張り合いである。良い方から行くと、かなり複雑に入り組んだ利害関係、人間関係がはじめは時間経過も前後して分かりにくいのだが、やがて、スルスルと納得でき、それぞれのキャラクターもよく見えてくる。この作りのうまさは大したもので、倉持裕、いつの間にか大劇場が開くくらいにうまくなっている。
しかし、構成はうまくても、登場人物の悪のキャラは、それぞれに見せ場はあるものの、大したことはない。一口で言えば、悪人としても小物で、小物なりの面白さも薄い。だから、ドラマの進行は、面白く見られるものの薄味である。そこが、乱歩原案と謳っていながら乱歩の毒から離れてしまった残念なところだ。前面に大きなパネルの障子を八枚それをスライドさせて戦前の日本家屋の雰囲気を出したり、女優たちの和服のデザインが今ふうなのに決まっていたり、音楽の斎藤ネコの歌を福本莉子が歌ったり、といろいろ洒落てはいるのだが、これで乱歩?と言う感じである。百年前の作品だから、現代の舞台で上演するにはそれなりの工夫が必要だが、どこか乱歩を料理する方向性が決まっていない。それは、例えば、乱歩の世界とはそぐわない喜劇的キャラクターやギャグを取り入れているところにも表れている。その戦前の社会の乱歩趣味が生きていないと、折角のお勢という新キャラクターも生きてこない
で、キャステキングになるが、倉科カナがまずいということでは全くないのだが、前の黒木華が良すぎた.虫も殺さぬ顔の普通の女が、平然と夫殺しに走るところがガラにもはまって絶妙だった。倉科は損をしたのだが、お勢を毎回変えるという趣向もある。さらに言えば、この本なら、もっと商業演劇的配役でもよかったような気がする。
世田パブは昼間から満席。こういうシリーズ悪女物は企画としてもユニークで面白いし、ジャニタレ頼みでない興行もいいのだから、あまり凝りすぎずにぜひ続けてもらいたい。



「海へ」「フーちゃんのこと」

「海へ」「フーちゃんのこと」

ソニー・ミュージックアーティスツ

俳優座劇場(東京都)

2022/04/28 (木) ~ 2022/05/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

小劇場系の短編ワンシチュエーション・ドラマを二本立てで見るという面白い企画だ。しかも再演、12年前の初演はそれなりに評価も得ている。現に見てもいる。舞台の出来もよかった。その時は、ほかに蓬莱竜太と鄭義信の二本もあって、1時間ものの二本立て,役者も総替わりで、日替わり、昼夜替わりで上演され当時としては話題にもなった勢いのある公演だった。主催は演出者のプロダクションだった自転車キンクリ―ツ。今回は興行会社。趣向は同じながら、赤堀作品は再演、マキノ作品は新作(初演の時の「ポン助先生」は山路和弘の快演もあって面白かった)である
短編と言うが赤堀作品は1時間半くらいあって、100人レベルの小屋だと一夜芝居だ。マキノ作品を合わせて2時間50分。中野の下町と言った富士見町のアパートの一室のドラマと言う条件が縛りになっている一幕もの二本だ。
十二年前の初演を見ているので、いつもとは少し違う感想になる。
劇のリアリティはずいぶん時代に左右されるものだと改めて思う。初演はバブル崩壊の後、沈滞の十年で世間がうんざりし始めている時期。バブルを味わえず知っているだけの世代が、どのエピソードでも中心で、そのドラマが世間の共感を得られた。タイトルがとられた松田聖子の「赤いスイートピー」を歌うだけで空気まで伝わった。座・高円寺の高い天井を生かしたセットはアパートの表から組んであったように記憶しているが、そういうアパートに住む住人と言うだけで共感があった。まだ昭和の出し物である「長屋モノ」が最後の残影を残していた。今回の俳優座劇場はこういう組み方が出来ないので、横に二部屋を組んでいる。それだけでずいぶん時代を感じる。この後、大震災が襲い、コロナの空白の年月があった。今の俳優たちには実感はないだろうと思う。それがどこという事はないが舞台に出ている。
第二部「フーちゃんのことでは、初演のころは代表的な国民スターだった中村雅俊が出ている。初演は関係ない。役どころはムショ帰りの詐欺師である。同じ仲間の半海一晃と十数年ぶりに会う設定になっている。マキノらしい愉快なコンゲームなのだがなぜか笑えない。
時代の生活感を土台にした現代劇の難しさを感じる。同時に意外な再演の効もある。
観客席も、初演時は同時代を生きる共感が舞台の上と下にあった。今の観客席は舞台の上よりもさらに年齢が高い。意外に若い世代は少ない。演劇が狭い世代のものとは思わないが、ナマモノだけにそこは逃れられないところか、と粛然となる。

グレーな十人の娘

グレーな十人の娘

劇団競泳水着

新宿シアタートップス(東京都)

2022/04/21 (木) ~ 2022/04/29 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度

珍しくミステリ劇、フーダニットである。義理の叔母(ザンヨウコ)に育てられた五人の娘、娘には孫もいる。その叔母が結婚することになって、相手の娘が四人。合わせて十人の女性が登場する。事件が起きて、誰が犯人か?と言う謎解きが、ミステリ劇の基本構造なのだが、はっきりミステリ劇と言っているにもかかわらず、いったいどんな重大事件が起き、誰が被害者で、誰が探偵役なのか、登場人物の設定も犯罪自体もあやふやで、つかめない。それは、ミステリ劇の基本である劇の視点が始終コロコロと変わるからだ。今のは噓だった、と言う展開も何度も使われて観客を混乱させる。極めつけは仕込みの芝居だった、と言う設定で、名作「罠」でも使っているからいいと思ったのかもしれないが、「罠」では芝居の屈折点で非常に効果的に使っている。観客が引き回されるのがミステリ劇の面白さなのだが、謎が芝居を引っ張っていないので観客は面白くもなければ、ついてもいけない。
ミステリ劇と言うのは作りが難しいもので、海外作品でも再演を重ねるミステリ劇はようやく十指に足るかどうかと言うところだろう。この作品と設定が似ていると言う点ではトマの「八人の女たち」があるが、あまりいい出来とは言えない。
日本の作品で再演が期待されるほど成功した作品は皆無である。資質的には向いている三谷幸喜に、「不信」と言ういい作品もあるが、再演されていない。井上ひさしも失敗している(キネマの天地)。
そういう難しいジャンルに挑戦するには、その勇気は評価するが、随分不用意だった。
俳優の中にはiakuに客演している俳優もいるのに、この舞台では十パひとからげでいいところが見せられなかった。

ネタバレBOX

何度見ても面白いミステリ劇ベストテン:「罠」「夜の来訪者」「十二人の怒れる男」「スルース」「そして誰もいなくなった」「毒薬と老嬢」「ダイアルMをまわせ」「暗くなるまで待って」「死の罠」「死と乙女」
5月35日

5月35日

Pカンパニー

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2022/04/20 (水) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

北京の公営住宅のようなフラットで、日常茶飯の小事で老夫婦が睦まじく争っている。だが、夫(林次樹)は大腸がんの術後の人工肛門の装着者だし、妻(竹下景子)はコロナで受けられなかった定時検診のために脳腫瘍が手遅れになっている。導入部の、争いながらもこの状況でいたわりあっている老夫婦の日常の二人の演技でまず、惹きこまれる。テレビの知名度目当てのキャスティングかと思っていた竹下景子がなかなかいい。そんな老夫婦に残された願いは、天安門事件に巻き込まれて高校生の時に亡くなった息子を現場で弔いたいという願いである。天安門事件を歴史から消し去りたい独裁政権はそういう夫婦の願いを許さない。
独裁政権の嵐を直接受けている香港の作者の上演できない劇と言えば、政治色は鮮明で、以後は、昭和二十年代から三十年代にかけて、さんざん見てきたわが国の左翼シンゲキ風の展開になる。息子の遺品を若者に与えようとネットで募集してやってくる若者(小谷俊輔)とか、軍に就職して出世していく夫の弟(内田龍磨)とか。そういう中で妻の病は進み、夫は最後の決断をする。
あまり飾りもない単刀直入の政治劇だが、異国の日本で見ると、こういう事態はさけるべく自由と平和のために戦え!というスローガン・メッセージだけでなく、過酷な隣国に生きる庶民のまるで「東京物語」のような哀歓が伝わってくる。そこが面白かった。演出(松本祐子)が手練れで、プロバカンダ劇の力学を生かしながら、緊迫した家庭劇を作っていたことも大きいだろう。そっけない色調の部屋を組んだ美術(杉浦充)もうまい。
東京芸術劇場の地下。数日前に見たイーストの若者ばかりのロロの客席とは打って変わって、こちらウエストは平均年齢七十歳かと言う観客で9割がた埋まっていた。

ネタバレBOX

ロロでは真ん中あたりでも聞き取りにくかったセリフがほぼ最終列の席まで、はっきりとニュアンスも含めて聞き取れる。やはり新劇団系のPカンパニーは違う。
だが、その客席の観客は日本のシンゲキのその後を知らないわけではないだろう。
この芝居のフィナーレ、出演者がステージに並んで、中空にこうべを上げて自由と平和をと合唱する。シンゲキ定番の終幕を迎えるのだ。よくやるよ!と思う反面、つい懐かしくなる。しかし、それは、あえて言えば何も果たせなかった夢への追憶と取り返しのつかない後悔でしかないだろう。それは社会にも個人にもいまもどこかに残っているに違いない。この劇団の新作に「罪と罰」と言うシリーズタイトルがついている。そういうことか。
ロマンティックコメディ

ロマンティックコメディ

ロロ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/04/15 (金) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

今どきちょっと浮世離れした「読書会」を舞台にした小劇場劇団ロロの舞台だ。一つの工場が街を成立させているような小都市の郊外の丘の上にある古書店を経営する二十歳代後半と見える女性を軸にそこに集まる若者群像劇である。
米英では結構盛んらしい「読書会」と言う素材は面白いが、そこで起きる事件は、今まで教えられてきた英米の生活教養主義の「読書会」とは全く違う。そこが現代青春劇として面白いともいえるが、一方では中身がなくてただただ騒がしい今の若者を並べただけ、と言う感じにもなる。
読書会に集まる若者たちが読むのは一冊の現地の自費出版のヒーローもののSFアドベンチャー小説である。まずはその小説の言葉使いをいろいろあげつらう。モデルが現地とあって、現実を探す。そういう中で、国道沿いに大型テンポがぽつぽつと開けた日本全国にある典型的な地方都市の姿が浮かんでくる。登場人物も男性たちを含め増えてくるが、普通の「読書」に心を掴まれた若者は登場しない。舞台で展開する全ての風景は、ネット上ので短い言葉をやり取りする現代風俗に重ね合わせられているのだが、登場人物たちのロマンは風景以上に発展しない。ロマンチックとはどういうことかと、作品を創っている間考え続けたと作演出者は言うが、やはりコメディであれ、なんであれ、肝心の物語の筋は考えておくべきだったろう。
俳優たちの演技は、ほぼ現実と等身大なのだろうが、二百人の劇場を納得させる演劇には遠い。この規模の劇場ですらセリフが届かない。動きもセリフをなぞっているような芸人風だ。オリザの日常口語や、岡田利規の身体表現を通り過ぎた後がこの結果だとすると彼らの奮闘は何だったのだろうかと観客は考え込んでしまう。確かに時代は一つ動いている。コロナでそれは明らかになったともいえる。多くの小劇場演劇がコロナで壊滅した後に生き残った演劇人に課せられた課題であろう。

四月大歌舞伎

四月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2022/04/02 (土) ~ 2022/04/27 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

第一部「大岡政談天一坊」。朝11時から見る芝居でもないが、短縮興行の第一部。11時に始まって、2時過ぎまでに終わらなければならないのだから五幕の通し狂言と打ってはいても、超特急で話は進む。その首尾は渡辺保さんの歌舞伎劇評に詳しく書かれているが、すべてごもっともで、ホントに薄味で、歌舞伎座のありがたみのない芝居であった。
これを見たのは、ひとえにコクーン歌舞伎の「天日坊」がとても面白かったからで、天日坊の原型になっている天一坊はいかに?と見に行ったのである。
なるほどと思ったことはいくつかある。
天日坊は天一坊の上書きのようなものだとわかったが、黙阿弥も上書きはうまい。この実話に近い時期に書いた天一坊を、後年、明治になってからの天日坊では登場人物のそれぞれのキャラをうまく立てて芝居にしている。悪い奴に女を一人入れて、天地人のだんまりをやろうなんて、洒落た芝居らしい趣向ではないか。またコクーンで現代脚本にした宮藤官九郎のまとめ方の冴えもよくわかった。
芝居は通せばいいというものではない。これでは、あとで解説を読んで初めて分かることが多すぎる。よく古典を一幕だけやることは批判されるが、古典は筋はわかっているのだから、一幕だけ丁寧にやるのも悪くない。有名な「網代問答」のくだりなどは、歌舞伎らしいオーバーな面白さが出るところだろうが、前後をカットしているので、どう見ればいいのか解らない。
しかしどのようにバージョンを変えても、芝居の小さなリアルな面白さは残るものだとも分かった。例えば、天一坊がさして確信もなく悪の道に走るところ(今回の処理は非常にまずいが)、長吉が天一坊の本性を明かすところ。
役者も、どこか型通りで、裁く方も、裁かれる方も人間味が薄い。第一部とあって、三分の二にした客席が薄さを引き立てて、味気ないことおびただしい。それはまだ、松竹は律儀にコロナ規制を守っているので、客席に芝居見物の華がないことにもよる。歌舞伎に不可欠の掛け声もいつまでも止めている。劇場を殺す官の勝手な自己弁護のための規制なんか守って何のメリットがあるのだろう、芝居は徐々に殺されている。早く二部制に戻して、料金も内容に即した適正な額にしてもらいたいものである。松竹はその辺の計算はよく出来ていた興行者だけに残念である。

もはやしずか

もはやしずか

アミューズ

シアタートラム(東京都)

2022/04/02 (土) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

加藤拓也の芝居は、いつも、いかにも現代の若者の使いそうな言葉と場面設定で軽く入っていくが、中身はしっかり濃い。今回は「今どき風」は同じながら、はじめから飛ばす。
男女が子供を生すという事がどういうことか。まだ二十歳代の作者は、出産前に胎児情報を得ることができる先進医療や、表面的には社会的バックアップが講じられている出産事情を背景に、生命を扱う現代の科学と社会と人間のモラルという重いテーマに迫っている。
プロローグ。若い夫婦が、障碍児(発達障害か)を育てるのに疲れ切っている。その生活の一瞬の隙に障碍児が事故にあい命を落とす。この今どきリアルな展開に、あとで考えれば、すべての問題は提示されている。その謎をとくようにドラマは悲劇の襞に分け入っていく。
自己中の気ままに生きたい夫(橋本淳)と、子供が欲しいという念願に生きる妻(黒木華)が妊活に励んでいる。現代の医学をもってしてもなかなかその望みは達せられない。その不毛な夫婦の生活の中で、夫は好きなタバコはやめられないし、妻はつい精子提供に手を出そうとする。その秘密はお互い解っていても、妊娠しないという事実の前では切り出せず、次第に夫婦の間には薄い膜がかかり始める。こういう展開は現代風俗も絡めて(精子提供者との電話確認など)、笑ってしまうが実にうまい。
次第に事態が深刻になってきたところで、妻は妊娠に成功するが、胎児に障害がある確率が二分の一という診断をめぐって、夫婦は断絶する。お互いの秘密を暴露することにもなって、夫婦はさしたる未練もなく別れてしまう。この辺は、今の世代にはよく遭遇する問題なのだろう、観客席は呑まれたように引き込まれている。
この舞台は劇場中央に白一色の現代デザインマンション風の部屋を置き、そこですべてのシーンを処理する。場所や時代の転換は暗転で処理するのだが、その間を埋める音響(早川毅)がいい。心理的なサスペンスを一段ずつ上げていく。
一年後、夫がデリヘルを呼んで遊んでいたところへ、妻が、夫の両親とともに幼児の写真を持って訪ねてくる。障害は危惧だったのだ。それなら、復縁すれば、となるわけだがここからが芝居の見どころで、観客がほぼ忘れそうになっているプロローグが見事に生きかえる。気ままに生きてきた現代の夫婦に突然課せられた、人間が生を得て生きるという課題のドラマの息詰まる展開になる。夫婦の会話は結構チャラいのにリアルで重い。デリヘルから家族へのクライマックスの急転も含め、この若い作者は芝居をよく心得ている。珍しいことに、遂に見ていられなくなった女性客が三人ほど、このシーンで席を立った。対面観客席だからそんなことが分かる。
ここはもう見てもらうしかない。
作者が若いだけに、いささか飛ばしすぎのところもあるが、全体から見れば小さい瑕疵でしかない。先月KAATで見た「ラビットホール」も現代のNYで、幼児を事故で突然失った夫婦の話だった。その悲しみは家族とともに深く描かれていたが、「もはやしずか」は、時代を重ねることで、さらに広く社会へと広がっていく。しかも甘くない。現代を活写するいい芝居だった。




ブラッド・ブラザーズ

ブラッド・ブラザーズ

ホリプロ

東京国際フォーラム ホールC(東京都)

2022/03/21 (月) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

80年代から今も上演中、アメリカはじめ世界中で各国版も上演と言うイギリス産のヒットミュージカル(日本も再演)だが、全体のつくりが古めかしい。
物語も貧民階級に生まれた双子の兄弟が、一人は富裕層に一人はそのままの境遇でお互い知らぬまま暮らしていく、と言うあたりも昔の名作児童物を思わせる。最初は教育劇として書かれた作品だともいう。劇設定、人物設定も貧富の対立とか、母子の情愛とか、少女をめぐる三角対立とか、図式的、曲も、歌詞も、振付けもこれまた古めかしいが ,それだけわかりやすく落ち着いているいともいえる。
俳優陣はベテラン揃いで全員そつはなく、この内容ではボロは出ない。若い娘役の木南晴夏が儲け役。

奇蹟 miracle one-way ticket【3月12日~3月17日公演中止】

奇蹟 miracle one-way ticket【3月12日~3月17日公演中止】

シス・カンパニー

世田谷パブリックシアター(東京都)

2022/03/12 (土) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

北村想の人を食った喜劇である。
主人公はホームズばりの名探偵(井上芳雄)とワトソン役の友人(鈴木浩介)。二人が依頼された事件は山奥の迷いの森。そこは聖母マリアの奇跡の聖痕を与えられた女(滝内公実)がいて、そこをまもる神父(大谷亮介)によれば、洞窟にはマリアが現れるという。
探偵は事件の真犯人を、宗教は絶対の真実を人びとに明らかにしなければ存在理由がない。当然その論理の仕掛けには現実的にはムリが出てくる。そこへ四方八方から突っ込みを入れながら、迷いの森の真実が解き明かされる。もっともらしい解説も、引用もあるが、そのネタのすべてを観客が知っているわけもなく、時に上滑りしてしまうのはやむを得ないのだが、それでもいいのである。1時間45分、大人のエンタテイメントだと見定めてしまえば、歌のうまい主役が三曲も歌ってくれるし、スタイルとセンスのいい動画映像を駆使するマッピングはあるし、遂にはマリア様がホログラムで現れる。会話もギャグも今風の罵詈讒謗型ではないので、笑って楽しめる。ピローマンから一転、演出の寺十吾は娯楽作品もそつなくうまい。
しかし、どこかで知った記憶があるが、この作者、独立派のキリスト教信者で、処女作の「寿歌」では、人間は最後に聖地に向かう。神とか、無謬の名探偵とか絶対的なものをあれこれと求める人間の弱さの裏つけの上に出来ているところが、北村想作品のユニークな面白さなのではないだろうか。
600席もある世田パブで35公演。シスカンパニーも度胸がある。

ネタバレBOX

ホログラムと書いたがもちろん、舞台では無理で、そこは別の手で解決している。
OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2

日暮里サニーホール(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/19 (土)公演終了

実演鑑賞

真壁茂夫のダンス(と言うか、身体パフォーマンス)の基本的な稽古と、それを宮沢賢治の世界に援用したパフォーマンスを観客参加を入れながらつないだ1時間45分ほどの舞台。宮沢賢治の世界は散々上演されているが、今回は宮沢賢治はゲイでその抑圧からさまざまの作品を生んだという解釈のもとに作られた由。しかし、佐々木敦による演技はあまりそこは表現されていないし、野沢健を出演させている意味もよく解らなかった。セリフがあるのに、それをスライド字幕で追うのも舞台を拡散するようで意図が分からない。観客参加も肯けなかった。ひところに比べて、演劇界のダンスへの関心はずいぶん薄れているが、椅子に座るにも身体表現だというのは当然の基本的な主張である。

ネタバレBOX

なんだか、真壁塾の発表会みたいだった。
ピローマン The Pillow Man

ピローマン The Pillow Man

演劇集団円

俳優座劇場(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

正面に横に拡がる窓には、二段の格子のすりガラスが入っていて。窓外の枯れ木、枯葉のシルエットが濃く映っている。室内は、机といす、無機的な事務室、マゼンタ系の照明は窓外より暗い。ここは欧州のどこかの独裁国家の警察の取調室である。
官僚的(瑞木権太郎)、と暴力的(石住昭彦)な二人の捜査員に調べられているのは、短篇小説を書いている自称作家(渡辺穣)である。作品中に書かれた幼児殺人と同じ状況での犯罪容疑者として調べられている。
作家の父母は亡くなり、障碍者の兄(玉置裕也)は共犯として捕えられ別室で拷問されている。この暗い取り調べ室で、取調官の拷問まがいの取り調べが続き、その中で、作家が書いてきた未発表作品のほとんどが児童虐待と、それがさらに不幸な結末に至る物語であること、兄がそれをヒントに殺人を犯してきたと疑われていることが分かる。さらに観客には、幼時兄が両親から虐待を受けていたこと、成年に達しようとしたとき作家は父母のその行為に耐えられなくなり両親を枕で殺し、ひそかに埋めてきたこと、が語られる。
一幕、1時間45分、救いのない残酷な童話、家庭内暴力、殺人事件をめぐる取り調べの拷問が、次第に不気味さを増す取調室の中で進行する。観客の残虐嗜好度を試されているような暗く重い舞台だが、不思議に飽きない。二幕になると、そのそれはさらに増幅して、キリストを信じる少女(古賀ありさ)に振るわれる虐待行為を通して神と対決することになる。
英国の劇作家マクドナーの代表作で、すでに何度か上演されているがこの作品は初めて見た。すさまじいドラマである。
二幕目の終わり、少女の運命が明らかになるクライマックス。陰鬱な取調室のセットが奥に押しやられると、すべてが浄化されるようなエピローグになる。
押しやられたセットは変わらず、現実の警官二人も変わることなく日々は続くのだが、作家の誰にも読まれることのなかった原稿だけは人知れず世に残る。
それが、混濁した世界で背徳とともに生きていく人間たちを、深いところで救っていく。それは安易な常識的、あるいは教条的エンディングではない演劇のみがなしうる物語のエピローグである。世紀の代表作と言われるのも肯ける。この作家と長年取り組んできた劇団もその甲斐はあった。俳優では渡辺襄が全力投球。主役の任を果たした。
演出の寺十吾はかつて、役者として主役を演じたことがあるというだけあって、作品の世界が強い。この演出家の随一の舞台だろう。美術(乗峯雅寛)も見事だが既成曲で構成されている音響も素晴らしい。



ネタバレBOX

エピローグのもう一つの事件は、虐待の末十字架にかけられ、さらに、三日間の空気とともに生きたまま埋められた少女は生きていたのだ。このエピローグの二つのエピソードがすべての登場人物(この陰惨な物語を見てきた観客を含めて)を救うように広がっていくところが滅多に遭遇しない演劇の見どころである。

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