実演鑑賞
満足度★★★★
唐十郎らしい初期の作品だ。
唐十郎もすっかり現代演劇古典の一角を占めるようになって、この唐節満載の舞台にも観客は慣れている。ことに今回は、このテント公演を皮切りに、続いて、渋谷のおしゃれの先端パルコ劇場で、ジャニーズやタカラヅカ、さらにはナイロンの人気者を迎えてひと月(30公演)の公演を控えている。秋にはこの本で劇団新宿梁山泊の新人公演をザ・スズナリでやるという。この興行形態もかつてない挑戦的な試みである。昭和後半以降の劇作家で、小から大まで、どんな劇場でも上演できる作品が描ける作家は数少ない。
赤テントの継承劇団では最大の劇団の首領・金守珍の演出で、続くパルコ公演も、ほとんど脇は同じキャストでやるらしい。他の継承劇団がもっぱら唐作品だけしかやらないのに、新宿梁山泊は、キムの作品をはじめ韓国作品など手数も広く、テントに変わる主劇場・すみだパーク倉もある。今回は始祖の地、新宿花園神社の境内に紫テントを張って夜だけのの16回の公演である。
「少女都市からの呼び声」は初期の唐の奔放な劇的世界がよく現われた作品だ。
主人公の名は、いつもの田口。舞台が開くと田口(六平直政)は原因不明の病で倒れ、緊急手術の手術台の上にいる。緊急手術の結果、田口の腹の中からはふさふさとした女性の髪の毛が摘出される。それは、双子として生まれるはずだった妹、雪子(水島カンナ)が田口の体内で育った髪の毛だった。田口は幻の雪子を探して旅に出る。
さすがに作者だけのことはあって、唐十郎本人の雪子の説明はうまい「男が起きるときだけ起き上がるもろいガラスの少女、自分の変わりに生まれていたかも知れない少女、舞台には、いつも、損阿はかなく美しい妹が潜んでいるのです」。かくして、ガラスの体をもった少女は、満州の荒野をさまよい、オテナの塔を目指した旅する田口の前に清純と淫靡のさまざまな姿で現われる。
満州に君臨するフランケ醜態博士(金守珍)、日本軍の連隊長(風間杜夫)、彼らを支える看護師たちや兵隊、乞食老人が紡ぎ出す幻の世界を縫って蝶の羽を背に一輪車に乗った子供のような島田雅彦(染谷知里)が駆け回る。
話の筋はよくわからない。しかし見ていれば、舞台に引き込まれてしまうのが唐マジックである。奔放なイメージで次々に現われるシーン、言葉の力。何かにとりつかれたような俳優の演技、押し被せるような大音響の音楽。かつての暴力的な力は薄くなっているが、それでも、舞台はテントを圧倒する。
ここには出発点の唐の演劇が残っている。それが、あの、パルコ劇場は移ってどうなるか。一部の俳優が変わるだけで、唐を引き継ぐこの演出が大きく変わるとも思えないが、たのしみではある。