
いつかの日の
こわっぱちゃん家
アトリエファンファーレ東新宿(東京都)
2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初観劇続きである。「ちゃん」の付く他の団体とごっちゃであったがこの度明確に識別した。好感度は高い。小劇場(狭い空間)ならではの工夫のある演出と、ビジネスライクな関係での相手を刺す(懐に入る)台詞が何気に巧い。家族や友人と異なる「仕事」上の人間関係はある固有な距離感を持つが、この要素を対立でなく融合のベクトルでドラマに組み込むてえのは、リアリズムにおいては難度が高いと思う所、そこを雄弁に書いている(中津留氏などとも少し違うテイスト)。若い俳優達も良い仕事をしている。

オールライト
ポッキリくれよんズ
上野ストアハウス(東京都)
2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
最近渋めの芝居を観に訪れてる上野ストアハウスで、若手劇団を初観劇。考えてみれば手掛かり殆ど無し、開演一発目の照明INから眼前の現象を物珍しげに目を凝らして見始めたのであるが、ダレる事なく(脳内では感想文の語句が浮んでは消えであったが)最後まで持って行かれた。
劇団の人となり(劇団となり?)を想像するのが好きである。当パンのキャスト表に役名が無いのは残念だったが写真は大きめに掲載で親切。「ポッキリ..」所属とあるのが3名、男。芝居の照明の中では一人だけ識別できたが他は観劇後に照合。その結果私は「きっと劇団員」と踏み、演技面でやや不足を感じた役がある中、客演の応援で成立、という全体図を勝手に描いたのだが、実はその逆。団員は主役風情を他に譲り、脇の要に就いて芝居を支えていた。
脚本担当がパンフに「こういう脚本はもう書かないだろう」とあり、その真意をつかみあぐねる自分がいるが、というのもドラマ性、スケール感とも出来た脚本で、役者がそのポテンシャルに届こうと汗をかく。この関係は理想であって、もう書かない等と言わなくて良いんでは、、と外野は思ってしまう。
さて芝居は、教科書に出てくる江戸時代のある著名人の界隈、それを映画化しようとした者たちの界隈、その映像を授業で観た女子高生演劇部員の界隈。三層を行き来する。芝居で「ある作品」を扱う場合のリスクは、それがどういう作品なのかに全く触れないのでは具体性に欠き、かといってそれを受け取った人物が登場する以上「それに相応しい作品」である必要がある。この芝居では、その史実上の人物に事実性を負わせながら(なぜその人物か、については確答はないものの)、命を賭して作品製作に臨む人間たちの群像を描き出す。この芸術における「命を賭して」エネルギーを注ぎ込む様相が、映画監督を通して、彼の執拗なこだわりや、平賀源内演じる主役に抜擢された男に具体的なダメも出さず執拗にテイクを重ね続け、遅れに遅れる撮影現場。とうに予算オーバーも、ただ彼の熱意への「信頼」のみで金策に走るプロデューサー、ロケ地の要望に応えようと探し歩くスタッフたち、彼らの奔走、疲弊、崖っぷち感がよく描けている(3層の一つではあり、観客、役者とも「逃げ場」はあるが)。
名前を見る度、旗揚げのあの時あそこを通り過ぎた若者、という記憶だけ甦らせノッキングしていた劇団を漸く観られた。他人ながら健闘していて嬉しい。

wowの熱
南極
新宿シアタートップス(東京都)
2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了
映像鑑賞
映像で「ジュラシック」を観た感触で実演観劇を目論んだが叶わず、映像配信ありとの事で再び画面通じての観劇。
とは言え「ジュラシック」同様(これは映像用に作った作品かと思った位で)カメラワークで語るタッチの作品に仕上がっており、成る程映像監督が劇団員に居り、無観客で映像仕様で作った「WOWの熱」になっていた。
ゆえに感想は言いづらい。面白くはあった。が、結語に物足りなさがある。この舞台コンテンツをリアルタイムな演劇舞台でやった時の熱量は半端なかろうと想像され、あれもこれもとやり抜いた後の心地よい疲労であの結語(ワオが最後に一人立って言う台詞)を言ったら、こっちもご苦労さんと言い、他の観客共々二時間の観劇をねぎらった事だろう・・と想像した。演劇とはそうしたものである、と。

SEXY女優事変ー完結篇ー
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2025/04/24 (木) ~ 2025/04/30 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
毎回「今やってるぞ」と泡食って観に行くパターンだから公演も後半になる。芝居も熟して来た頃合いを観ていたのかも。
今作は前説からの前口上で望月六郎が「全く書けない」と団員の前で白状し「力を貸してくれ」と頭を下げた、という導入である(語りは名調子)。やんわり覚悟をおし、と観客に含める魂胆かと様子を窺いつつ、観る。
これまでは話がぶっ飛んでいようが捻じ伏せていた鉄壁が揺らいで(ドガドガにそれ言うかと突っ込まれそうだが)何かと大変な舞台であった。が大技も繰り出して作者の居直りのようにも。伏線は回収を拒んで引っくり返るし、がっつり感情移入させたかと思えば引っくり返すし、で骨格まで砕いちゃドラマが残らないでしょ、という。。
あとこれはガチな不服になってしまうが、楽曲と踊りのカタルシスがドガドガでは毎度訪れそれが私には買いであったが、今回は沸点を超えるものがなかった。私は楽曲そのものの問題と感じていて、今作が作曲家を駆り立てるドラマツルギーに欠いたせいかと考えたり、芝居のボルテージとの兼ね合いなのか踊りのキレの問題か「東洋館での最後の公演」と聞いた寂しさがそぞろな観劇にさせたのか、等とも考えてみるが、何とも。
生きる場の厳しさが折節に吐露されるのは毎回の事とは言え、今作ではリアルな今に重なり、更に現実の(素の)彼女ら彼らに重なるように迫って来た故だろうか。。
何故か俳優ら一人一人の生々しい姿が俯瞰でなく間近な距離に感じられ、心配などしてしまったりしているに及んでは、これはアイドルとファンの構図にシフトしてないか?という否み難い感覚が(元々その気が濃厚な劇団ではあるのだが、、。)。
しかし梁山泊ゆかりの石井ひとみや小檜山(かなり昔になるが)、唐組所縁の岡田吾一等ドガドガ舞台を毎度彩る面々の面白さも個人的には買いであり、ドラマの骨格も大事にね、と願いつつ今少し見守りたい劇団である。

天守物語
ルーサイトシアター
ルーサイトギャラリー(東京都)
2025/04/26 (土) ~ 2025/04/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
浅草橋駅徒歩数分、川縁にある趣きある建屋。ギシギシと階段を上ったそこはやはり空間が絵になって居る。舞台側となる正面には窓。時折電車の走行音(橋を渡るガードを響かせる音も)が重なり、音的な効果も面白い。
リーディングは泉鏡花作「天守物語」、これは戯曲ではなかった。多分もう十年以上前に新国立劇場主催公演の大型舞台を観ているが、同主催「テンペスト」と同じく会場が中劇場かつ白井晃演出の大がかりでダイナミックな(しかし演目に即さない)奇抜な演出で、話もよく分らなかった(新国立で二本続けて観た印象から白井演出舞台を完全に警戒するようになった)。
という訳で原作も読んでおらず作品も今回初めて知る事に。
あゝ・・「海神別荘」や「夜叉ヶ池」また「高野聖」に通じる見事な「異界」の描出。泉鏡花を異才たらしめる筆致は(上記作品群では)異界と人間界との接点を描き出して人間への痛烈な批評的視線を滲ませる。本作が鏡花の代表作の一つとされている所以が得心された上質なリーディングであった。
鏡花には「歌行燈」「婦系図」「日本橋」といったリアルな作品群(映画で観た)もあって自分はこの作家世界を知る端緒にあるに過ぎぬが、今回これを美味しく戴けたことは誠に満足至極。

逆光が聞こえる
かるがも団地
新宿シアタートップス(東京都)
2025/04/24 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
かるがも初観劇。19:15開演だった事で観劇が叶った(平日都内の観劇は19時ギリギリだがこの曜日は5分ロスがおりほぼ諦めている)。
さてかるがも団地初の印象は想像していたよりも陰影が濃く、ドラマの密度も濃く魅入らせる舞台であった。
劇団名を認識した数年前から、堅調に公演を打ち、レビュー等からあるぼんやりしたイメージを持っていたが、勝手な推測をしてしまうのだが、従前の舞台より濃さが増しているのでは...。(きめ細かさは変わらず、より深くなったか、深さはあったが凝縮度が増したか。..要は私好みに寄っていた事は間違いなさそうである。)
過去が自分にじわじわと襲いかかる。いや、挨拶に来る。人は罰せられる前に、己の行動や態度の真意に気付かされ、自ずと頭を垂れる。性善説?いやそう生易しい話でない、と言外に言うこの芝居がもたらすカタルシスとは・・。客席を見渡せば若年層すこぶる高い率で驚く。終演後は笑い顔なく押し並べて神妙な表情であった。

遠巻きに見てる
劇団アンパサンド
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2025/04/18 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
三鷹市芸文星のホールと言うと今は名物「城山羊の会」の小屋のイメージが強くあり、リアルな飾り込み美術と奥行き、これを可能にする空間(上も高くて広いので声が吸われる面はあるが)として上質の劇場ではないかと近頃思い始めている。
その城山羊と見紛う美術が、出現していた。屋外。低く落ちた水路の上を渡した短い橋と、ガードレール、電柱を支えるワイヤーの黄色いカバー、車の進入を阻むポール、自販機。橋の向こうは森があり谷底へ下る道が続いている風である。リアルなセットの中でナンセンス、過剰、意識の落差、発想の突飛さ、人間の寄る辺無さ、無法な空気の中に芽生える道義心といった諸々が生起する。アンパサンド最大の特徴である「阿鼻叫喚」へ誘う予期しない設定は、今回もあるが、現象と「絶叫」のリフレイン的なホラーな展開は退潮して、不条理系の会話劇の面が広がっている。城山羊の会を思い出したのはそのために違いないが、城山羊の意地悪な笑いにまでは至らず、絶叫は抑えられており、微妙な高さをふらふらと飛行し、軟着陸した印象。
安藤奎のホラーな世界観が健在であったので、次に何を仕込んで来るのか楽しみにまた観に出かけてしまうんだろうな、と思う。

楽屋より愛をこめて2025
劇団S.W.A.T!
「劇」小劇場(東京都)
2025/04/17 (木) ~ 2025/04/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
やっと観られたS.W.A.T!。2014年初演の演目との事。ルーキーver.を観劇。これぞ劇団也、ちょうどいい実年世代と若手がノリにノって客席に挟まれた空間に浮かぶ「楽屋」を行き来する。(通常客席から観た)上手に上がるのがジェットコースターの坂道を上がって止まり、後ろに降下するあの感じ。舞台を通して来し方よりの劇団の矜持と言うと大仰だが、天晴にも遊びに遊ぶ。
ハリウッド映画ポスター調のチラシ絵が前から気になっていたがその心を一応理解。とにかく色々と嬉しく発見させてもらった。
実は唯一他公演で(もう随分前)拝見した中友子が目当てだったりしたが、体型的な印象が若干変ったが期待に背かず面白がらせてくれ、我が意を得たりと満足。

リンス・リピート
ホリプロ
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2025/04/17 (木) ~ 2025/05/06 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
家族劇。「問題」を抱えさせられた家族のあられもない姿。久々に実家へ戻って来た娘に対する父、母、弟それぞれの距離感、関与のニュアンスが繊細に表現できなければ味わいある劇として成立しない難しい戯曲と見えたが、私には十分に響いて来た。十代の娘が主人公。稲葉賀恵という演出家は<女性>らしさといった特徴を感じさせない硬派な印象だが、こうしたかなり微細な心理描写を求める作品で、その属性の強みを発揮しているのかも・・と想像する(想像しても分らないが)。終盤にもう一人の人物が登場し、娘の一見受動的・消極的と映る「態度」の中の能動性・積極性が、やにわに立ち上がって来る所、芝居の流れを明確にする目立てのようなものがなく、ただ自然に、漸次的に事態が移行している、進んでいる事の描写になっていて(そう見えていて)、何気に凄いと思った部分である。(若い演者の持つポテンシャルとはこういうものか。)
扱う題材は実はシビアで難物なのだが、家族それぞれのらしさが愛おしく、反芻に耐えるシンプルな「美しい」場面がそこここにあった。
音楽はサスペンスフルな重低音(コントラバスか)から入りそこに優しげな中音、高音が入る。両極のイメージを行き来する劇伴がドラマにも合っている。

ぬいぐるみおじさんと夢みる鏡
レティクル座
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2025/04/18 (金) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
劇団名を知ってより10年目にして初観劇。スタジオHIKARIでやるというので親近感を覚えたのもあったが、横浜は初との事(うむそうだろう)。
二本立て上演。見た目も喋りもストーリーも明快で「お話を味わう」上で申し分ないが、最初の30分物はそのパリッと明快な事象が目の前で展開しながら(まあ恐らく体調であるが)寝落ちしまくり、話を掴んだとは言えない状態で終わってしまった。
二本目。ぬいぐるみ・おじさん・少女・・思いきり恋バナである。キャラ依存高めの筋立てにしては確かに作られた感のあるお話で、(自称してもいた)ナンセンスも組み込んでスッキリと終わった芝居。
付加価値を上げて行く流れに抗して?かは分からないが・・かく軽い味わいの芝居を軽く観られるのは悪くない。

夜の道づれ
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2025/04/15 (火) ~ 2025/04/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ユニークなプロジェクトは新国立劇場の広報で名前だけ目にして気になっていたが(試演会等は小さく開かれていたようだが)、今回ようやく一般公演という形で目に触れる。
客席は思ったより埋まっていた(チケットボックスでは空席は十分ありそうな様子だったが)。今回金子岳憲氏だけ頭にあり、演出家に注目であったが観劇時は誰だったか忘れていた。そんな事で素舞台に等しい黒い板で芝居が始まるのを見る。
舞台奥までは距離もあるが照明が(真横からのをよく用いて)層を作り、主な役である二人が歩き続ける周囲の移り変わりや、闇や、想念のようなものまで、切り分けて見せる舞台造形がそぐわしい。始まるなり、三好十郎のある独特な風合いが広がる(本戯曲は知らなかったが、どこかでその空気を放っている)。
このどことなくじわっと湧いて来る空気感が、あるいは「こつこつ」が目指したものか。時代が地続きで1950年代?の人が(不動産屋が)手を付ける前の空隙がセーダイそこらを覆っている、物はないが自由がある時代のひもじさがスタンダードな感覚が、漂ってる(自分は生れてないので後知恵で作り上げた認識ではあるが...)。そこがえらく好みであり、後で演出が烏丸ストロークロック・柳沼氏と知り以前観た舞台の硬質な肌触りを思い出した。
推しむらくは、私的には文学座石橋氏と金子氏という取り合わせ。演技の質・雰囲気の差が(ここまで馴染んだ事がむしろ成果と言うべきかも?)気になった所ではあった。両者とも延々と続く中にささやかな起伏がある会話をこなしていたが、金子氏は口跡が危うい箇所があったものの演技のベクトルが見え、石橋氏は喋りは確かだが文学者らしい思索と通俗の間を揺らぐ人間臭さが、もう一つ。
他の三名はコロス的な役割。知った名は滝沢花野だがカーテンコールでも気づかなかった。
こつこつ、続けてほしい。

煙に巻かれて百舌鳥の早贄
劇団肋骨蜜柑同好会
中野スタジオあくとれ(東京都)
2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了
映像鑑賞
満足度★★★★★
数年以上ぶり確か3度目の肋骨蜜柑を映像で鑑賞。知的世界の曼陀羅を描写せんとするかの言語遊戯という印象が、久々に観た今作ではまるで人間ドラマであった事にまずもって驚き、好感。肋骨蜜柑らしさの片鱗は終幕あたりに見られたが。。何か思いついたらまた追記するつもり。
(映像鑑賞ではあるが画面のフレームを忘れさせた芝居にはこの星数を。)

嵐 THE TEMPEST
俳優座劇場
俳優座劇場(東京都)
2025/04/10 (木) ~ 2025/04/19 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「テンペスト」の初観劇は確か新国立劇場主催、白井晃演出で。段ボール箱とそれを運ぶ台を活用して、中劇場の奥行き深いスペースが物流倉庫に見えたのだが、だから何だという感を否めなかった(著名な戯曲をこんな風に遊んでみた、というビッグネームありきの遊び)。王を演じたのが確か古谷一行。その後この演目には大きな関心を持たず、恐らく今回が二度目である。が、終盤に近づくにつれて勝手知ったる演目かのように再現感覚に見舞われた。この物語が持つ力でもあろうし舞台の構成力かも知れないが、伸びきった膜が突如収縮するように伏線回収に掛かるよう。口跡に難ありの主役(王)のカクシャク老人振りが終盤ピッタリに見えてくる。「こんな世の中に(生まれて来るなんて)」という台詞が最近観たTOKYOハンバーグ「目を向けて、背を向ける」にあったが、「今は不幸な時代」を前提で語られても何ら違和感のない時代認識を、この舞台に当てはめれば、「にも関わらず」私は敢えて許し、和解を望むという王の言葉が格段の意味を帯びる。(当然ながらキリスト教の言う人間のあらゆる罪にもかかわらず、神はイエスの犠牲を通じて人間に赦し=救いを賜ったとのモチーフに通じる。因果応報目には目を、罰する事を通じて道理を思い知らせる意思こそ正しいと言われる今、甘いと言われようが許す、と言う。その見返りは?「争いの種を残さない」ため・・どこかに利己的な動機がなければ信用できない、とは下衆の料簡であるが、そうでない愛の存在を死をもって証そうとしたイエスの磔刑から、利他的な動機はあり得ると、どこかで信じてはいながら大方パフォーマンスで偽善だと思ってしまう我らである。が・・王は自らが島に幽閉された後に得た魔法を失ったものの一矢報いた身で、またミラノ王に返り咲く身で、「許す」態度は可能なのであって・・と考え始めるとワヤである。如何に「許す」ことは難しく「和解」は言う程簡単ではないかを見せつけられている時代に「敢えて許す」「和解のために」と人々が言えるのだとしたら、いや一人の王が為したその決断を支持できる民であったなら。
この演目は俳優座劇場で一度も掛からなかった演目だと言い、「やった事のない」優れた作品がもっと他にあったのか、見出すのに苦労するような案配だったのかは分からないが、劇場の最後を飾るに相応しいメッセージが、というか最後の公演の舞台で俳優の口から出るにそぐわしい台詞が、含まれた演目として「テンペスト」は選ばれたと感じた次第である。
役者は新劇系の幾つかの劇団の俳優が集められ、新劇色の傾きを感じなくもなかったが、「テンペスト」がこれほど鮮やかに自分に入って来るとは予想しなかった。

これが戦争だ
合同会社EVIDENT PROMOTION
シアター711(東京都)
2025/04/09 (水) ~ 2025/04/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
女流劇作家モスコヴィッチの本作は「紛争地域から生まれた演劇」リーディングで数年前取り上げられ(自分は未見)、今この時に観ておくべき演目か・・と、どうにか時間を作って観た。
2チームある内今見てみたい座組のAチームが観られた。
「これが戦争だ」と呼ぶに相応しい、戦場を舞台にした劇(正確には帰国した兵士の証言で構成)だが、具体的には2001年9・11後のタリバン政権を制圧にかかった米軍によるアフガン戦争を題材にしている。
とある部隊の4名が登場人物で、帰国後、ある作戦実行に携わった事の証言が聴き出されている。
他国の「体制」を否認し、介入した一方的な戦争である点でイラク戦争に通じ、そのように見ても違和感はないが、芝居の中でそうした「戦争の意義への疑問」が言語または態度で語られる事はない。むしろ国家の大義への信頼、忠誠、部下への責任感といった諸々を動員して「任務」へと自らを駆り立てている彼らが、厳しい現実に直面する。戦闘における仲間の死、自らの負傷もそうだが、作戦実行前夜の緊張ゆえの歪んだ行動、あるいは無防備に近づいて来る敵側の子どもに銃口を向ける自分、そうした場面に直面し、苦悩し、耐える、あるいは耐えきれず何らかの歪みが行動に出る。
本作の作者は自分の初名取事務所観劇であった「ベルリンの東」の作者であった。確か戦争犯罪(第二次大戦における)にまつわる戦後の話であったような。太い筆致の作家である。

目を向けて、背を向ける。
TOKYOハンバーグ
「劇」小劇場(東京都)
2025/04/06 (日) ~ 2025/04/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「劇」小劇場の特徴(空間的な収まりに影響)が意識される観劇であったが、思い起こしてみれば数年前の名取事務所の果敢な作品もステージの扁平さにもどかしさを覚えたものだった。美的な好みで言えば表と闇との境界が明瞭でなくグラデーションであるのが良く、奥行の無い舞台ではそれが難しい・・まあそれだけの話ではあるが。
久々に大人数(適度な人数とも)で賑々しいハンバーグ芝居の舞台はお爺お婆の集う場所。独居の淋しい老後でない「最後の友達」と過ごす場所には一つ特殊な事情が秘められている。のだが、この特殊な事情は、描かれる日常風景の中に溶け込んでおり、ある意味で「理想の体現」が為されている、と見えている(それが平均的な見え方かどうかは分からないが)。その心は、中盤に一人の老人が若いスタッフに吐露する持論の中に凝縮され、静かに胸を打つ。そしてこれは現日本への静かなプロテストでもある。
キャラクターを生かした役人物たち(ご老人達)の競演が楽しい。

なんかの味
ムシラセ
OFF OFFシアター(東京都)
2025/04/02 (水) ~ 2025/04/09 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
敢えて自分が書くまでもない出来であるからして他の方々にコメントはお任せ・・な気になるだけの「出来」であったという訳で。
今観たい芝居全て観劇できるとしたら本多劇場グループほぼ全館に日々通う事になるこの1、2週間のラインナップだったが、迷って選りすぐって一週の内に3日の下北沢訪問。その2日目は先日観た同じ建物の(左でなく)右の方。
ムシラセ・保坂女史の実リキを体感。出演が言わずと知れた実力派4名(内1名は若手だが先日のコクーン公演とまるで違う人物像を演じて堂々たるもの)というのも大きいのだが、脚本の巧さに今回は当てられた。
家の中でない場所で父娘の会話が始まっている。何故こんな場所?と訝る時間も与えず穏やかならぬ会話、親子の様子。そこへその場所を管理する者(要はスナックのママ)が登場し、さらに部外者のような若い風変わりな女子がバイトと紹介され、黙ってそこに居る奇妙さも先程から解決の見えない父娘の対話に背景化し・・。
こうした展開全てに理由があり、ある事を後の展開で謎解いて行くその途上に、(平田オリザ流に言えば)後出しジャンケン的な情報の持ち込みもあるが、これが後に必然化される。大きな事実が一つずつ、ある者の前で他の者によって、また別の者の前で他の者によって、解かれて行く。解かれた事実は一瞬にして観客の納得を得ている。
そして冒頭から見えていた(と思っていた)よくある風景が、最後には別物(実はここにしかなかった風景)に見えている。
観客が「あれ?」程度に判別できる小さな違和感の差し入れ方がまた巧い。

音楽劇 まなこ
HANA'S MELANCHOLY
上野ストアハウス(東京都)
2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
翻訳家としての作演出者の名を知るのみでしかも冠に「音楽劇」とは、想像の埒外。一川華が「自ら書いた」作品世界への興味で、観劇に赴いた。
今この時この作品の上演へと、作者を駆り立てた背景が伝わり、メタ構造の多用と「説明し過ぎなさ」により中々抽象的な舞台だが、切実な何かを伝えている。主人公であるライターとその作品世界が交錯し、幾つかの登場人物群がメタファーを背負って現れるが、作品内か外か、あるいは敢えて指定せずか、見ながら追いつかない部分も。
主人公は編集者とやり取りするので書いてるのは小説かと思われたが、作品は映像ドラマの撮影シーンとして出現するのでドラマのシナリオか、あるいは「仮にドラマ化したら」の架空の撮影シーンか。作者は演じる役者を通して「作品の主人公」と会話を交わすので、架空の(脳内の)シーンの設定かも知れない。
(この作品の)作者によれば、創作のきっかけは5年前に遡ると言う。ビビッドな題材に取り組み、その中である問題提起が為される。ただ演出によってはもっとラディカルな問い掛けになり得た所、抽象性に紛れた感がなくもない。

或る、かぎり
HIGHcolors
駅前劇場(東京都)
2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了
実演鑑賞
深井邦彦が描き下ろした芝居を何本か観て、深層で感じていたものが少し形を成すのを感じた観劇。面白い。
家族の物語。小さな会社の職場も兼ねた宅なので従業員も出入りするが、半ば家族の(セミ・ドメスティック?)成員として存在し、また家を出た兄弟、その一人は間もなく家庭を持とうとしていたり、入院中の母に代って家事手伝いに通う従姉妹など小宇宙の程よい広がり。そこへ完全なる他者も現われるが・・。
この劇では「変わらねばならぬ」課題がのっけから鎮座し、乗り越えがたいハードルとそれでも刻まれて行く日常とのバランスが絶妙である。
家庭劇や日常劇、リアルなストレートプレイの範疇でも深井作品には何か守られている原則がありそうに感じたのだが、マニアックな考察はまた後日。
どの役もきちんと描かれ、形象され、こういう芝居では俳優ごと愛着が生まれるが、例に漏れず。

解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話
1999会
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2025/01/23 (木) ~ 2025/01/25 (土)公演終了
映像鑑賞
以前確かトラムかどこかでこの込み入ったタイトルの舞台を観たのが趣向・オノマリコ発見の時で、横浜から期待の新人が出た、的な紹介のされ方をしていた記憶だが、ここ最近は受付での立ち姿も見ているので最早中堅、貫禄の部類である。
今回は映像なので簡単に比較できないが、以前観たバージョンの演出は動きの多い処理をしており、忙しなかった印象。台詞が入って来ない難点があったが、今回のは台詞を吐く人物の人格、性格、気分の醸し出しを重視した作りで、思春期~十代の少女たちの苦く痛い哲学的青春群像劇のエッセンスがよく分かった。学校という社会の縮図の側面と、社会から隔絶されたサンクチュアリのイメージとがある。全員が白をまとい、後者の世界。
映像は多分まだ視られるのでは。

電磁装甲兵ルルルルルルル’25
あひるなんちゃら
駅前劇場(東京都)
2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了
映像鑑賞
何気にレベル高い出演陣の駄弁芝居(かつてそう自称。今も?)劇団を、以前確か生で観た後は配信で二度程観た程度。何観たっけ・・とタイトルを調べて行くが覚えのある題名がない、ない・・と、やっと見つけたのが「ピッピピがいた宇宙」(2014年)なんと11年前。その後何かは映像で観たのだが、前作の「醤油」なんちゃらだったか、数年前にも観てるはずだが覚えていない。定食屋っぽい場所でうだうだやってる記憶のみ。
一個「へー」と思うのが劇団に書き下ろされた?楽曲。ポップでキャッチー。それは今作の要所で使われる音楽にも言えて、脚本もドラマ性の高い要素に踏み出してる。すなわち「駄弁ですんで、へえ。」でスルーできない領域に、踏み込んでみている。ちょっと感動すっとこもあるでしょ?と。
「すっきだね~~~。ロボットが」と同僚に揶揄される根津が、ロボット操縦士となる(非現実的な)夢を果して叶えるのか・・!?と映画予告編なら投げかけ、観客はそれを踏まえて観た方がより飲み込みやすいかも・・そんな感じの脱力系芝居。杉木氏が良い味を出しておる。
とは言え