MINoの観てきた!クチコミ一覧

1-20件 / 85件中
あたらしいエクスプロージョン

あたらしいエクスプロージョン

CoRich舞台芸術!プロデュース

新宿シアタートップス(東京都)

2025/11/28 (金) ~ 2025/12/02 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2025/12/02 (火) 13:00

CoRichによる名作リメイク、昨年の「イノセント・ピープル」が密度の濃い舞台だったので期待していたのだが、忖度なしに言えば、期待外れだった。

まず思ったのはこの料金設定の細かさ。14種類もに分かれている。シアタートップスのような小劇場でこんな細かな料金設定に何の意味があるのか。

さて「終戦直後の日本、まだカメラもフィルムもままならない時代。邦画史上初のキスシーンを撮ろうと奮闘する映画人たちがいた」というこの物語だが、当時、GHQが「日本人が恋愛、情愛の面でもこそこそすることなく、堂々と自分の欲望や感情を人の前で表明することが、日本人の思想改造に不可欠」との思惑で映画界に強要して初のキスシーンがある「はたちの青春」(佐々木康監督)が制作された。日本を骨抜きにするための3S政策(スクリーン、セックス、スポーツ)が強硬に推し進められていたのだ。その後「また逢う日まで」(今井正監督)でのガラス窓越しのキスが話題になったりもしたが、まだまだキスシーンは邦画の世界では珍しいものだったのだ。若い映画人たちが新たな表現を追い求めるといったことの前に、GHQの強要があったというのが史実だ。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

「時代考証にそぐわないことは謹んでください」という台詞が2度ほどあるが、そもそも冒頭から時代考証などやっていない。
出演者がほぼ全員、異なるデザインのアディダス(Adidas)のTシャツを着ているが、同社が(靴屋として)ドイツで創業したのは1949年でこの芝居の時代にはまだ衣類なぞ製造していない。皆が着ている三本線で三角形をかたどったロゴマークにしても一般の製品に使用されるようになったのは1997年からである(因みに日本法人ができたのは1998年で、それまで旺文社が使用していたビルに入居した)。
スカジャンも横須賀に駐留していた米兵が帰国する際にお土産としてオリエンタルな刺繍をオーダーしたのがはじまりで、闇市時代にはなかったものだ。
あとジャージのズボンも当時としてはダメだし、当時はスニーカーももっと武骨で、しかも靴底(靴の裏)も単調なものだった。

男の髪型も襟首部は刈り上げだったはずで、その程度のこともできない役者は舞台に対する心構えが足りない。それにこの作品は「邦画史上初のキスシーン」を撮ろうという映画人の物語なのに、肝心のキスシーンはそれらしく見せているだけ。キスシーンもできない女優を起用すべきじゃない。
とはいえ、役者陣は一人数役をこなす熱演ではあった。

ただあまりにコメディ色が強く、「ヒロポン中毒の梅毒女」などという現代ではコンプラにひっかかりそうな台詞で闇市の猥雑感を出し、引揚体験等の胸に迫るエピソードもあったが、ラストの映画人たちの希望がどうにも空振りにしか感じ取れない。

撮影カメラの代わりにトルソーを使用しているが、チラシ写真に使用しているのだからそれをそのまま使用するか、もしくは似たものを作れなかったのだろうか。そういった面も含めてすべてが絵空事のように感じられてしまった。
料理昇降機

料理昇降機

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2025/06/20 (金) ~ 2025/07/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/06/22 (日) 18:30

2005年にノーベル文学賞を受賞したハロルド・ピンターの不条理劇。

舞台上には低いベッドが二つ、足の部分を角にしてほぼ直角に置かれている。
開演すると下手側のベッドには若い男(ガス)が腰かけ、上手側のベッドでは年長と思しき男(ベン)が寝転んでタブロイド紙を読んでいる。二人ともに黒シャツに黒い吊りズボンという姿で、それぞれ黒い上着とネクタイ、帽子はベッドの脇のコートハンガーに掛かっている。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

中盤でこの二人は住処(すみか)を転々としながら組織からの仕事の連絡を待っている殺し屋らしきことがわかってくる。

まず二人の気付かない内に扉の下の隙間から封筒に入れた十数本のマッチ棒が届けられる。だが、部屋のガスはメーター式で、コインを持たない彼らは火をつけて湯を沸かすこともできない。すると、壁に取り付けられていたダム・ウェイター(料理昇降用の小さなエレベーター)が動き出し、上から料理の注文が次々と送られてくる。どうやら、この部屋はこの建物がかつて食堂であった時の調理場らしい…。

前半、自分の関心事にばかりかまけているガスに苛立ち、怒鳴ってばかりのベンが、上からの伝声管を通してのクレームにはやたら低姿勢となるなど、可笑しみに満ちたセリフが散りばめられている。組織からの連絡を待つ二人に、閉店しているはずの食堂から送られてくる注文…、冒頭のベンが読む新聞の記事からして不条理劇そのものなのであるが、登場人物の設定を細かく決めることを嫌ったピンターの反リアリズム作品だけに、理解しようとするよりも感覚で捉えるべき芝居であろう。
衝撃的なラストシーンはピンターが晩年政治活動に没頭したことを考えれば、それなりの解釈もできるが、それとてひとつの可能性にすぎないだろう。そもそもピンター自身、ひとつの解答をもっていたのかどうか…。

そもそも指令を待っている二人がドアの隙間からの封筒や、ダムウェイターの動きにああも驚き、怯えるのは何故なのか(普通だったら指令が届いたと思うであろう)、伝声管の向こうの相手は最初の者と終盤の指令を伝える者は別人なのか……様々な謎が散りばめられている。

2人の役者は、このわからない状況と格闘して、緊密な舞台を創り上げていた。
マライア・マーティンの物語

マライア・マーティンの物語

On7

サンモールスタジオ(東京都)

2025/05/17 (土) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/05/21 (水) 14:00

1日の間を空けて2度目の鑑賞。この回も好評につき最前列にミニ椅子を増席とのことで、やや腰痛に不安を抱きつつも最前列へ。

On7というのは5つの老舗劇団(青年座・文学座・俳優座・演劇集団円・テアトル・エコー)に所属する7人の同年代の中堅女優により「自分たちがいま演りたい芝居をやろう」と2013年に結成されたユニットで、私はその第0回公演(プレ旗揚げ公演)「Butterflies in my stomach」からずっと観続けている。受け身ではなく能動的に、情熱的に、胸が高鳴るような舞台を創造するというコンセプトだけに、シリアスなものからコメディ、屋外パフォーマンスとさまざまな形で密度の濃い上演を続けている。たださすがに結成12年ともなると自劇団への出演や家庭の事情等で全員が揃うことが難しくなったこともあり、今回は7人中5人に客演2人を迎えて(しかも1人は初の男優)の公演となっている。
が、今公演は正直に言って、役者陣は紛れもなく熱演であるものの、(「観たい」に書いている危惧が現実のものとなっており)寺十吾の演出のまずさから、第1回公演「痒み」に次いで残念な作品となっていた。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

舞台中央に2段となったステージが組まれ、その後ろの壁には赤い屋根の納屋が描かれた幕が下がっている。

開演すると暗い中で、その幕とステージの間から一人の女(マライア・マーティン)が立ちあがり、ステージにのぼって「私が死んでからもう1年になりますが、まだ誰も私を見つけていません」と語りだす。そして舞台は彼女が10歳の時にこの村の4人の少女たちの「チャレンジ・クラブ」の加わるよう誘われるところに遡り、彼女の人生と友人たちとの関わりが描かれ、やがて3人目の恋人に騙されてピストルで撃たれ、チャレンジ・クラブの友達からもらったハンカチで首を絞められ、最後にはスコップで頭を叩き割られる。

さて、演出のまずさといったのは、まず5人の女優たちにほとんどのべつまくなしに大声で叫ばせているためにストーリーのメリハリに欠ける。例えばさくらんぼ祭りの楽しい思い出などは日常の生活の苦しさと好対照に描けるはずなのに、不十分でその対照の中から醸し出される厳しさが迫ってこない。

レディ・クックなどの上流階級の様子なども、底辺の庶民の暮らしの厳しさとの対照を狙ったのかもしれないが、カリカチュアされすぎて、作り物めいた偽物臭さしか感じさせない。同じく上流階級の生活を戯画的に描いたスタンリー・キューブリック監督の「バリー・リンドン」を観てみるがいい(因みにこの映画はスタンリー・キューブリックが自作の中で唯一撮り直す必要性を感じないと言った作品だ)。

もうひとつ例をあげれば、キリスト教の教義におびえるテリーザ以外の女性は性的にある程度の奔放さを感じさせるが、その対比もうまくいっていない。

これらのことは脚本が悪いのではなく、演出次第でくっきりさせれるものだ。女性たちの心の奥にある懊悩や苦悩といったものが(女優たちの熱演にも関わらず)胸に迫ってこないのだ。女性が書いた戯曲でもあり、むしろ女性に演出を依頼した方がよかったのではないか。実名をあげて申し訳ないが、劇団チョコレートケーキのメンバーから「吉水姉さん」と呼ばれる吉水恭子(風雷紡)や元・れんこんきすたの奥村千里あたりだともっと女性の心情に分け入り、心の襞を含めてこの悲劇を描き出せたのではないか。

余談ながら(「観たい」にも書いているが)つい最近も英国の博物館で人間の皮で装丁された本が見つかったとBBCが報じている。この博物館には同じ人間の皮で全面的に装丁された人皮装丁本があったが、今回はその余った皮を背表紙などに用いたものが見つかったのだという。これらの本の装丁に使用されているのが「赤い納屋殺人事件」の犯人ウィリアム・コーダーから採取された皮膚だという。今作品に描かれているように、ウィリアムは恋人だったマリア(マライア)・マーティンを殺害し、遺体を赤い屋根の納屋の下に埋めて、マリアと駆け落ちしたと見せかけて逃亡したという。翌年逮捕されたウィリアムに下された判決は死刑とその後の解剖だった。当時の犯罪者にとって解剖は死刑より恐ろしいことだったという。200年間も身の毛もよだつ恐ろしい話として語り継がれるようになった事件の顛末をまとめた本の装丁にその皮膚を使った訳だ。
マライア・マーティンの物語

マライア・マーティンの物語

On7

サンモールスタジオ(東京都)

2025/05/17 (土) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/05/19 (月) 19:00

待ちに待ったOn7の公演だけに(指定席にも関わらず)開演の1時間も前に劇場に到着。最前列で鑑賞。
詳細な感想は2回目の観劇後に…。

六道追分(ろくどうおいわけ)~第三期~

六道追分(ろくどうおいわけ)~第三期~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/05/14 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/05/22 (木) 14:00

4月から8月までのロングランで、期間中は同じ作品で多くの俳優が入れ替わり立ち替わり出演するという主宰が劇場オーナーだからこそ成しうる異例の企画公演だが、第一期は剣チームを、第二期は剣チームの楽日を観劇し、今回の第三期は龍チームとなったが、個人的にはこれまでのところ、第二期の剣チームが最も出来が良かったように思う。その立役者は何と言っても与力・徳三を演じた西川智宏だったのだが、今期龍チームでの熊坂貢児はやや弱かったし、同じく与力の九次役の三宅礼央がさらに良くない。

この作品、エンタメ時代劇としては充分に楽しめる内容なのだが、いくつか気になることがある。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

まず、出だしで鬼アザミ一味は吉原から脱出するために呼出花魁のお菊を連れて見世(遊女屋、妓家)の正面から堂々と出るのだが、呼出花魁が客を見世の外まで送ることはないし、第一、遊女が大門の外に出ることは許されなかった。

鬼アザミ一味を追う章衛門と共蔵は同心ということになっているが、同心であれば旗本もしくは御家人というれっきとした武士であり、町人のように尻っぱしょりなどすることはないし、羽織を着用しているはず。当然奥方も武家出身であり、こんな町人夫婦のようなやりとりはありえない。
徳三と九次が最初に妓楼を訪ねる際には奉行所の人間であるかのようにふるまっているが、清吉を捕らえた際の名乗は「火付盗賊改方与力徳三」と言っており、整合性がない。それに与力は当然武士であるから、名前だけ名乗ることなく、きちんと姓名を言わねばおかしい。
さらに言えば、与力も同心も現在の警視庁と同じく江戸を離れての捜査権はないので、大井川まで追っていくというのもありえないことだ。細かく言えば罪名に関所破りも入っているが、関所破りの刑罰は当該関所の所在地で行なうことになっていたので、これまたおかしい。

僧侶の念念が有髪であるのも変だ。

と、時代劇としておかしな点は他にもあるのだが、脚本の朝比奈文邃はNHK-BSの「大岡越前」の脚本も手掛けており、こういったことは言われるまでもなく充分承知のはず。エンタメと割り切って観る分には楽しいのだが、客席には若者の姿も多々あるため、誤った知識となってしまう恐れがある。そこらのことも時代劇の作り手・送り手として配慮すべきであろう。

七越役の松尾彩加の佇まいが素晴らしかった。彼女のお菊も観てみたい。
六道追分(ろくどうおいわけ)~第二期~

六道追分(ろくどうおいわけ)~第二期~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/04/30 (水) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/05/11 (日) 14:00

強烈な日差しの下での開場待ちで体力消耗。隣のBOX IN BOX THEATERでは熱射病で倒れた人が出て、救急車が来る騒動に…。

剣チームの楽日マチネを観劇。第一期の剣チームよりも完成度が高かったが、その立役者は何と言っても与力・徳三を演じた西川智宏だった。

六道追分(ろくどうおいわけ)~第一期~

六道追分(ろくどうおいわけ)~第一期~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/04/05 (土) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2025/04/17 (木) 19:00

4月から8月までのロングランで、期間中は同じ作品で多くの俳優が入れ替わり立ち替わり出演するという企画公演だが、その第一期の剣チームを観劇。

エンタメとして楽しいのだが、気になる点も多々…。それらは第三期の「観てきた!」に記すことにしよう。
 → https://stage.corich.jp/watch/811366/stage_comments

ニッポン人は亡命する。

ニッポン人は亡命する。

うずめ劇場

シアターX(東京都)

2025/01/24 (金) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

鑑賞日2025/01/24 (金) 19:00

「鬼才・鈴江俊郎が、ドイツ人演出家ペーター・ゲスナーの熱望に応え、うずめ劇場のために書き下ろした息もつかせず展開する2時間強の新作戯曲」というので、期待してチケットを購入したのだが、全くの期待外れ。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

福井県での演劇祭で起こった事件をモチーフにした内容。全県の高校が参加する演劇祭の作品を地域のケーブルテレビが中継放送したが、ある高校の作品は県に所在する原子力発電所の是非を扱っているためこの作品だけ放送しなかった。これは表現の自由の侵害・差別ではないかということが起点となっている。

が、途中から舞台上の演技者同士ではなく、客席に対して県の高校演劇協議会、日本劇作家協会、日本演出者協会…へと次々に悪口三昧の罵り、これはもう演劇ではなく、完全なプロパガンダだ。そもそも劇作家協会は坂手洋二の他著者の本からの剽窃問題で、演出者協会は谷賢一のセクハラ・パワハラ問題で、ともに全く有効な手を打てない組織であることが明らかになったのは記憶に新しい。

で、結局はこんな日本ではやがて自分の子供たちがイジメにあって自殺に追い込まれかねない、だからドイツに亡命したいんだというオハナシ。
ドイツへの亡命や難民申請が不可能なのはわかりきった話だし、そもそも亡命や難民申請など考慮せず単にドイツに移住すればいいだけのこと。そんな簡単な理屈もわからない主人公が劇作家と自称していることで、まず戯曲として破綻している。
アンナの銀河

アンナの銀河

演劇集団nohup

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/27 (月)公演終了

実演鑑賞

鑑賞日2025/01/22 (水) 19:30

読むのが難しい劇団名、「ノーハップ」と読むらしい。PC用語のようだが…。
上演時間85分。
やや高く組まれたステージに座面が六角形の低い椅子。登場人物がそれらの椅子を持って出ハケすることで、場面が変わる形をとっている。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

はるかに高度な文明を持つエモクレス星人に征服された地球。エモクレス星人は人間を何人ずつかを捉えて研究施設に送り込んでいた。アンナの父親はそれを逃れるため、宇宙の果ての小惑星にある古いシェルターに一家で移住する。やがて父の親友アックスの一家(ゴライ家)も呼び寄せ、さらに子供たちの教師としてゲオル老人も加わる。
このシェルターでの永い永い年月の生活がこの作品の内容となるのだが、代わり映えのしないシェルター内の日常だけで飽きさせずに観せる力がある。
そして年月が経ち、皆が疫病で死滅した後で一人ぼっちになったアンナは日記を書きながら生活を続ける。
そんな平穏な日常だったが、ラストでこのシェルターの秘密が明かされるものの、アンナはそれを知る術もない…。

アンナの母親エリゼを演じた土鍋ゆうかにすっかり魅せられてしまった。アンナが日記をつけていると「日記読んじゃう星人~」と言いながらピョコピョコ近づいてくる時の可愛らしさと、ゴライ家のアックスに自ら不倫を仕掛けていく大胆さが目を奪う。彼女が在籍しているというだけで、この劇団のファンになってしまいそうだ(笑)。

ただ、地球連邦の大統領が小泉進次郎というのは正直ゾッとしないなあ(笑)。石破よりはマシかもしれないが…
なまえ(仮)

なまえ(仮)

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2025/01/08 (水) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2025/01/09 (木) 19:30

一昨年・昨年に引き続き、今年も観劇始めは夢現舎で。

今回の新春公演は一昨年と同じく名前にまつわるアンソロジー短編集だが、一昨年が7編だったのに今年は11編に増えている。それぞれのタイトルには全て末尾に(仮)と付いており、観客がそれぞれのタイトル案を書き込むスタイルとなっている。

地下の受付に向かう階段から始まって、客席内の壁やトイレの中にまで赤い短冊にいろいろな名前を書いたものが隙間もないくらい無数に貼られている。当初は最前列に座ったのだが、演技スペースと客席の間にも同じような白い短冊が大量に広げられていたが、私の目の前の文字は「勃起不全」。新年早々縁起でもない、と2列目の席に移動(笑)。

(以下、ネタバレboxにて)

ネタバレBOX

冒頭は手術の名手といわれる医師の名前が「藪」だということではじまるボヤキ。医師を演じる益田喜晴は相変わらず圧倒的な存在感と独特な味わいを醸し出す。そういえば同じように独特のムードを感じさせた田中陽を最近の公演では見かけないが、退団したのだろうか。ちょっと気になる。

私は以前、まだ言葉も覚えていない乳児に「楽しい」や「悲しい」、「美味しい」や「不味い」など全く正反対に覚えさせたらどうなるだろうと夢想したことがあったが、そういう一端を感じさせたのがラストの「市民土木課の一日(仮)」。終幕の銃声が多少唐突とも思えはするのだが…。

一昨年と同じエピソードでも最近の話題を取り込んだりしていて、工夫の跡が感じられた。
白魔来るーハクマキタルー

白魔来るーハクマキタルー

ラビット番長

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2024/09/26 (木) ~ 2024/09/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/09/28 (土) 18:00

この作品は2015年3月に初演されたものだが、コアな観劇ファンからは評価が高かったものの、一般の観客からはその残虐性に戸惑いがあがっていたものだ。大正時代に北海道で起こった熊害(ゆうがい)事件として有名なものには「三毛別羆事件」や「石狩沼田幌新事件」などあるが、この作品は日本史上最悪の熊害といわれる前者をモデルにしている。昨年来、熊が人間を襲う事件が頻繁に報じられ、その意味では初演時よりも観客に身近に迫ってくる感があるだろう。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

暗闇に吹き荒ぶ風の音に獣の声のようなものが混じっている。三味線の音。若い男が2人、女が2人、衰弱しきった様子で休んでいる。と、そっと近づく黒い影…出だしから不気味な雰囲気が横溢している。影はこの小屋に住んでいる老人で、暖かい鍋を持ってきたのだ。水は貴重だからと、洗ってもいない汚れた茶碗に注がれる。若者はスキー帰りに渋滞を避けようと脇道に入ったら、吹雪に巻き込まれ道を見失ったのだった。老人はこの電気もない小屋に冬の間だけ来るのだという。そして老人がその訳を語り始める…。

大正の初期、開拓しただけ自分の土地になるという話に惹かれて、貞夫一家(貞夫夫婦、その子供の兄妹、貞夫の両親)がこの北海道の村に移住してくる。村長の大本や銀次をはじめとした村の面々は馬も持たぬ極貧の貞夫一家に馬を買ってやるなど、心から歓迎し、貞夫一家もすぐに彼らと馴染むようになる。が、そんな中で銀次の母親と娘が行方不明になる。そして…。
白魔とは大雪による災害だが、この作品では大雪で食物がなくなった巨大な羆が村を襲ってくる。この羆は最初に女を食べたために、人間の女だけが食物と思い、女しか襲わない。

ラビット番長といえば、ここ数年は将棋・草野球・介護を3本柱としているが、この作品はそれらとは全く路線を異にする陰惨な舞台で、血しぶきや熊が人間を喰う咀嚼音など、目や耳を覆いたくなる場面が多い。
ただそれは人間の眼からみて残虐なだけで、獣にしてみれば空腹を満たした結果にすぎない。単にグロでそうした場面を創っているのではなく、「羆と人間とどっちが侵略者だ」というテーマを明確に打ち出すための手段ともいえよう。

そして、それらの一見グロテスクな表現の底には開拓民たちの人間ドラマが流れている。殊にロシア人に犯されたアイヌの女性が産んだマタギの平吉の差別され続けてきた人生など胸が痛む。その平吉が“白魔の子”として処分されようとした赤ん坊を引き取って村を去るのだが、そこで終わらせずに、さらに衝撃的なラストを準備して、ラビット番長の実力が遺憾なく発揮された観応えのある重厚な作品となっている。ハッピーエンドではなく、肌を泡立たせるこのラストも際立って秀逸だ。

個人的には今回の池袋演劇祭の大賞最右翼だと思う。
るつぼ

るつぼ

演劇ユニットキングスメン

座・高円寺2(東京都)

2024/09/25 (水) ~ 2024/09/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

鑑賞日2024/09/25 (水) 18:30

CoRichの説明によれば、ベテランから若手まで多彩な実力派俳優が勢ぞろいしての度肝を抜く勢いのある舞台とのことだった。で、期待も大きく初日を観劇。
が、まるで期待外れ。演出もダメなら、役者もダメ。アーサー・ミラーの台詞・物語が少しも響いてこない。上演時間2時間半が無駄に終わってしまった。「エンディングは、席を立てないほどの衝撃」とのことだったが、違った意味での衝撃的な舞台だった。

15人の出演者(27役)でまあまあと思えるのはエリザベスとアビゲイルという核となる女性を2役ともこなした絵里(W演出の一人である篁エリらしい)とメアリーを演じた山本麻祐くらい。
あとは素人に毛が生えかけたか、生えもしないレベルでしかない。よくもまあ実力派俳優が勢ぞろいなどと言えたものだ。
殊にひどいのは副総督であり裁判官を演じた中島史朗。台詞を全く覚えておらず、紙(宣誓供述書や死刑囚名簿など)や白手袋、小さな紙片に台詞を書いて、それを読むのに必死な有様で、台詞を発する時に相手の顔を見ずにそうしたカンペにばかり目を向けて(当然下向きや、ひどい時は後ろ向きで)ただ大声を発しているだけ。台詞を言っていない時もほとんどカンペしか見ずに、次にどこで自分が台詞を言わねばならないのかばかり気にしている。そんな有様では、登場人物の人間性や感情などをきちんと表現できるはずもない。
他の役者も台詞をやりとりする際の間があわず、会話が噛み合っていないし、滑舌も悪い。
あと子役もひどい。序盤で気を失って、このまま死ぬんじゃないかと周りの大人が騒いでいるのに、当の本人は倒れたまま首を動かしてずっと辺りをキョロキョロ見回している。その他の場面でもまるで遊んでいるかのようで、傍に居る大人の役者はそれが気になって仕方のない様子。

衣装にも多少違和感があるが、主人公であるジョンを演じる平澤智之(W演出のもう一人である平澤トモユキ)がNEW YORKと大きくプリントされたラルフ・ローレンのTシャツなのが最悪。なぜ白無地のものにしなかったのか。しかも劇中ずっと裸足だった。裸足である必然性などどこにもないのに……。
おまけに、背景として舞台奥に泰西の名画が映し出されるのだが、途中でPCの画面そのまま(全画像の一覧)が映し出されて、それがかなりの長時間そのままの状態での演技。ますます白けてしまった。

演技力のない座組でやるのであれば理想を高く設定せず、まずはそれなりの戯曲を選ぶべきだろう。どんなに優れた戯曲だろうと、それを読み込み、表現する演出家や役者陣が揃わなければ作品世界を伝えることなどできはしない。

魚雷モグラ’24

魚雷モグラ’24

ウラダイコク

みらい館大明ブックカフェ特設ステージ(東京都)

2024/08/02 (金) ~ 2024/08/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2024/08/04 (日) 17:00

みらい館大明という施設は初めてなので、地図やGoogleマップを頼りに向かったのだが、やはり最後のところで迷ってしまった。どうやら廃校となった小学校の校舎を利用した施設で、地域有志で構成された特定非営利活動法人が管理運営しているらしい。

舞台となるのは1945年(昭和20年)8月の長崎。地下トンネルに設けられた兵器製造工場に女子学徒たちが集められ前線で戦う兵隊さんに送るため魚雷製造を強いられていた。この女子学生たちの日常がグループ同士の対立を軸にして、原爆投下の直後まで描かれていく。上演時間80分。

物語としてはまあまあなのだが、開演と同時に気になったことがある。
女子学生は全員が下着が透けてみえるほど薄手の白いブラウス(それぞれがおしゃれなデザイン)に黒のスラックス、しかも全員がブラウスの裾をスラックスの上に出している(班長役の男もワイシャツをズボンの上に出している)。当時はこんなことはありえない。まずブラウスやワイシャツの裾はスラックスの中に入れなければならない。女子のブラウスだって厚手の木綿製で、胸には住所と氏名、血液型を書いた名札(当然ながら油性ペンはなかったので墨文字)が縫い付けられていたはずだ。
まあモンペまで用意しろとまでは言わないが、当時の悲惨さをリーディングではなく演劇としてみせようとするのなら、その程度は気をつけるべきだろう。あと、女子学生の髪などに赤いリボンもおかしい。昭和20年の8月という逼迫した状況下で、そんなことしていたら非国民扱いされるのがオチだ。

それほどお金がかかる訳でもないこの程度のことに手を抜いていたら、それが作品全体に響いてしまうのだ。
演じる若者たちに当時のことを伝えるのだって中途半端になりかねない。
「せからしか!」と言われるかもしれないが、敢えての苦言を。

かなかぬち

かなかぬち

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2024/07/10 (水) ~ 2024/07/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/07/11 (木) 19:00

外波山文明率いる椿組がその前身であるはみだし劇場の頃から毎年行ない、夏の風物詩ともなっていた花園神社野外劇の39年の歴史に幕を下ろす作品「かなかぬち 〜ちちのみの父はいまさず〜」の2夜目を観た。
この作品は戦後生まれで初めての芥川賞作家・中上健次が33歳だった1979年に、同年齢で意気投合した外波山のために書き下ろした中上唯一の戯曲だという。この作品をもって花園神社野外劇の終止符としようとするのは、やはり外波山の思い入れの強さだろう。

(以下ネタバレboxにて)

ネタバレBOX

大テントの下、時折緊急車両のサイレンの音が響き渡る中で展開される物語の舞台は南北朝の時代の南朝・吉野からさらに山深く入った熊野の山中。かなかぬちと呼ばれる男が率いる盗賊団とかなかぬち以上に恐れられているその女房、母を訪ねて旅をしながら彷徨う幼い姉弟、流浪の芸能集団(その中にはかなかぬちを仇と狙う花若も紛れている)、三人の婆、落武者とその従者などが入り乱れて物語は展開していく。
そしてそこに加わるのは両眼が金色で全身白く長い毛で覆われた巨大な獅子。この獅子が口を開けた時の舌がやけにリアルだった。

松明(たいまつ)や篝火(かがりび)といった野外劇だからこそできる火を使った演出や、ラストの宙乗りなどの大仕掛け、旅芸人一座の劇中劇や神楽など観どころ満載で、2時間弱を満喫。

ただ敢えて難を言えば、三婆や落武者とその従者といった登場人物は物語の展開上はそれほど意味をもっておらず、ただ観客の意識を混乱させることにも繋がっていたようで、ここらは整理した方がわかりやすかったかもしれない。

なお、終演後には外波山筆による「さらば花園!!」の大垂れ幕が下がり、演技スペースにブルーシートを敷いての「毎日打上げ」も復活し(参加費無料。ただし翌日のためにカンパするのが礼儀かと…)、楽しい一夜となった。
未体験の人は一度は観ておいた方がいい。

因みに私自身がこの花園神社野外劇で最も思い出深いのはちょうど10年前に今回と同じく山本亨と松本紀保が主演した「廃墟の鯨」(作・演出:東憲司)だ。

39年間、本当におつかれさまでした。
二十一時、宝来館

二十一時、宝来館

On7

オメガ東京(東京都)

2024/06/26 (水) ~ 2024/06/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/28 (金) 20:00

On7とは5つの老舗劇団(青年座・文学座・俳優座・演劇集団円・テアトル・エコー)に所属する同世代の中堅女優7人による演劇ユニットで、2013年2月に始動。
ただ今回は青年座3人+テアトル・エコーの計4人による公演なので、miniOn7となっている。Miniとはいえ、On7としては「七祭〜ナナフェス〜」以来3年ぶりの公演だ。その公演は竹田モモコ作の幡多弁(高知県西部の方言)での会話劇「二十一時、宝来館」。

灰皿役は客演の男優2人を交えたトリプルキャストになっているのだが、やはりここはOn7メンバーのみで上演されるヴァージョンで鑑賞。最前列の桟敷席(背もたれ無しのベンチ席)で。

(以下、ネタバレBOXで…)

ネタバレBOX

取り壊しが決まったホテル「宝来館」で五年ぶりに行われている高校の同窓会。全館禁煙となり喫煙室には上部をラップで巻かれ「使用禁止」と大書された赤い円柱形の灰皿が置かれている。
ここにやってきた3人の同級生(女性)それぞれの情念と思惑とが絡み合い、そこに灰皿も加わっての騒動が。
演じるのが老舗劇団に所属する女優だけに演技力に富むのみならず、この3+1のキャラクター設定が絶妙で、時には笑い、一旦宴会場へ行ってワイン片手に酔って戻ってきたゆかり(尾身美詞)とちぐさ(安藤瞳)が一瞬睨み合う場面の凍り付いたような空気感に背筋が冷たくなり、わずか60分の作品ながら観応えは充分。
殊にラストに灰皿が「続き、見れる~!」と喜色満面で口にする一言が効いている。本当に続きが観たくなってくる。

因みに当初発表されていた配役ではOn7メンバー4人のみのヴァージョンでは灰皿役は宮山知衣だったのだが、稽古が進む中で小暮智美に変更されたのだったが、これは正解だったろう。冒頭から小暮の思わぬコメディエンヌぶりが発揮され、表情や動きが活き活きとしていた。
ワーニャ伯父さん×母がいた書斎

ワーニャ伯父さん×母がいた書斎

S.H.Produce

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/06/19 (水) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2024/06/21 (金) 19:00

久々のアルシェで、Bチームを鑑賞。

チェーホフの「ワーニャ伯父さん」と林将平による「母がいた書斎」の2本を朗読劇で。
舞台前面に4本のスタンドマイク、そこから2mほど奥の50cmほど高く作られたところに2本のスタンドマイク。演者はこの6本のマイクの間を行き来しながら朗読する。

朗読劇の楽しさは、身体表現がない分、登場人物の感情や仕草をいろいろと想像できる点にあるのではないかと思っている。が、この公演では(2本ともに)それができなかった。なにせ表現があまりにも類型的で、かつ大声でわめきたてる場面が多く、想像の余地をなくしてしまう。
例えば「怒る」にしてもいくつもの怒り方の表現があるだろう。それが全て大声で怒鳴るだけなのだ。これでは感情の押し売りに近い。
類型的な表現であるために底が浅く、情緒に乏しい。義弟の提案に、自身を犠牲にして務めてきた永年の苦労が無になったワーニャの哀しさや苦しみなど全く迫ってもこない。

役者が熱演すればするほど心が離れていく、残念な舞台だった。

阿呆ノ記

阿呆ノ記

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/06/04 (火) ~ 2024/06/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/06/04 (火) 19:00

今公演は4ステージ予約していたが、まずは初日を鑑賞。

やはり桟敷童子の公演はどんなに期待して行ってもそれを軽々と超えてしまう! 
今回の作品は、前説の若手がハケた瞬間にのけぞらんばかりのホラー感で心を掴まれ、あとは終演までグイグイと引きずり込まれる一方だ。

客演の音無美紀子の圧倒的な存在感、劇団員では三村晃弘が従来とは全く違う役どころを熱演して舞台の厚みを増し、全ての出演者が主宰・東憲司 が描き出す舞台世界と一体化している。
それにしても大手忍は美しくなったなぁ。最初に登場した時には思わずハッとしてしまった。

「大地揺れ!紅燃ゆる!」というチラシのキャッチコピーは決して大げさな表現ではない。こんなスゴイ舞台が小劇場演劇の料金も高くなっている現在においても4,000円(平日の夜公演。それ以外でも4,500円)で観れるというは驚愕の一言。

今年はまだ80本強の観劇しかできていないが、まぎれもなく現時点での今年最高の作品だ。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

ところで、客席に入ってまずは舞台際の天井を確認して「お、今回は紙吹雪があるなぁ」と思い、舞台が多少高く作られているのを見て、2016年末の「モグラ…月夜跡隠し伝…」を観ている私は、ラストはもしや…と思っていたのだがやはりそうだったものの、舞台が分割されていて、よりダイナミックなものとなっていた。
第壱部「綺譚 逢浄土桜心中」第弐部「DREAM-NeoJapanesque」

第壱部「綺譚 逢浄土桜心中」第弐部「DREAM-NeoJapanesque」

想組〜こころぐみ〜

小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)

2024/06/01 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/06/01 (土) 13:00

第5回公演となっているが、拠点を福岡から東京に移した矢先にコロナ禍に見舞われて活動ができず、東京での公演はこれが最初だという

主宰の大和零河という名前、どっかで見たと考え続けていたのだが、舞台を観て思い出した。BMI25オーバー達が踊って痩せようという1日限定の発表会イベント「脂肪遊戯」の振付担当者としてカーテンコールで紹介されたのだった。

劇+レビュー・ショーという宝塚のような構成。

第一部は歌舞伎の名作「桜姫東文章」をベースにした「綺譚 逢浄土桜心中」。CoRichの「観たい!」で浄瑠璃風と書いているメンバーもいたが、四代目鶴屋南北などの作によるれっきとした歌舞伎である。
驚いたのはこの複雑な筋立ての物語を桜姫・権助・清玄という3人の登場人物だけで、しかも75分という時間のわかりやすい作品に仕立て上げていたこと。衣装も素晴らしく、台詞廻しも宝塚調。殊に権助役の仲井和るながいい。昨年2月に木ノ下歌舞伎が上演した「桜姫東文章」よりもずっと良かった。木ノ下歌舞伎のチケットは7千円もしたのに、こちらはレビュー・ショー付きでその半額だ。

ただ残念だったのは劇中で始終デジカメのシャッター音が響いていたこと。スタッフとしてのカメラウーマンは4列目(最後列)の通路脇に陣取っていたが、静かな場面でもお構いなしにシャッターをきっている。こんな狭い空間だと事前にわかっていたはず。どうしてシャッター音のしないカメラを用意しなかったのか。もしくはゲネプロの時に撮影するとか、客の集中力を途切れさせない方法はいくらでもあるだろうに。

第2部は第1部の3人にさらに3人が加わっての1時間のレビュー・ショー。
ステージが小さいことも影響はしていると思えるものの、新たに加わった3人の技術的レベルはいまひとつの感もあり。
殊にさくらはちょっとヒロスエっぽい感じで、メイク次第で美女にもイケメンにもなりそうで、スタイルもよく、足もよく上がるのだが、振付を覚えていない風な自信なさげな様子が散見されたのが残念。
東京バレエ団の元芸術監督のK氏が福岡のバレエ団の指導に招かれて生徒たちのレッスンをする場に、私はK氏のお招きで拝見したことがある。その時驚いたのは、K氏はバレエシューズを履かない素足で爪先立ち(足の指の腹で立つのではなく、まさしく爪先で立って)苦も無くスピンを連続してみせたのだが、その折にK氏が生徒たちに最後に言った言葉を記しておきたい。「自信を持ちなさい。自信のないものを観せるのはお客さんに対して失礼だし、観せられるお客さんが可哀そうだ。」

ハナコトバ -朗- for spring

ハナコトバ -朗- for spring

Daisy times produce

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2024/04/14 (日) 17:00

植野祐美がプロデュースする企画団体のリーディング公演。ダブルキャストのBチームを観劇。

受付でチケットと一緒に番号札を渡される。何かと思えばブロマイドなどの物販の整理券で、開演前に番号順で舞台前に呼び出されるようになっている。要するに客は出演する女優陣のファンばかりで、写真などを購入することが前提とされているらしい。これまた若いカワイイ女優を集めてその物販で儲けようとする公演なのかと、開演前から舞台に対する期待が薄れていく。

加賀地方のコンビニもないような片田舎の村を舞台とした「青春カルペディエム」と「魔女のお茶会」の2本立てで、上演時間は1時間25分。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

「青春カルペディエム」ではまず地の文を読む三井ゆかが素晴らしく、聴き惚れてしまった。
が、それもこのエピソードの主人公・森宮咲胡が登場するなり台無しに。高校3年生という設定なのだが、声質やしゃべり方がアニメのキャラクターそのもので、高校3年生どころか中学生か小学校高学年としか思えない。

それは後半の「魔女のお茶会」でも同様で、舞台となる喫茶店の店長(植野祐美)がこれまたドタバタギャグのアニメそのもの。
アニメを見下す訳では決してないが、今回の内容のような朗読劇であればまずは実写版のドラマのような演出が望ましいだろう。折角のいいホンがキャラクター設定のために薄っぺらくなってしまっている。

それに咲胡(さきこ)だの卯咲(うさぎ)だのと名前に難しい読みで漢字を充ててみても、耳で聞くだけではそれはわからない。うさぎなど前半のエピソードのあとでは兎かせいぜい平仮名でしか思い浮かばないだろう。

前半の咲胡と兎との会話や、前半から後半へ移る際の「東京から戻って二十年、私は“魔女”になった」という一文が、最後の解離性同一性障害という説明で活きてくるのは見事ではあったが…。
BEAT PARADOX presents BASKET vol.4

BEAT PARADOX presents BASKET vol.4

BEAT PARADOX

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2024/04/07 (日) 17:00

「ひとつぶひとひらひとかけら」を観劇。

この作品は、ハグハグ共和国によって2019年の3月末に琵琶湖畔にある滋賀里劇場プレ・オープニング公演として2日間3ステージのみ上演され、翌々年東京でも再演されたものだ。無論私はその双方を観ている。
ただ、今回の上演にあたっては、BEAT PARADOX(テアトル・アカデミーの受講者)向けに1時間強と本来の1/2ほどの長さに書き換えられている。

(以下、ネタバレBOXにて…)

ネタバレBOX

若手&新人メンバー芝居と謳っていたので、てっきり若者中心の座組かと思っていたら、いきなり高齢の女性群(セクハラといわれるかもしれないが、所謂おばさま世代)が登場したのでびっくり。
しかも最初に登場した女性はその最初の台詞をトチってしまう有様(「もういい~か~い」という遠くからの問いかけに「もう…」と言いかけて、あわてて「ま~だだよ~」と言い直していた。
その後5人が加わり、教員同士のレクレーションについての協議が始まる。この部分は本来の「ひとつぶひとひらひとかけら」にはなく、全く別のハグハグ共和国の作品。メンバーの高齢者用に付け加えたものだろうが、この部分と後半の「ひとつぶひとひらひとかけら」との繋がりがわからない。小石と「虐待されていた妹と私は草むらに隠れ、その隙間から空を見ていた」という台詞、そしてその女性教師と「ひとつぶひとひらひとかけら」に出てくる女子高生の苗字が同じことからこの2人が姉妹なのか、と推測するのみ。それ以外には前半と後半に全く繋がりがないからメンバーの年代構成に合わせて2つの作品を無理やりくっつけたという感じしかしない。

本体の「ひとつぶひとひらひとかけら」も同様にメンバー構成上やむをえなかったのだろうが、子役が多数登場し、まあそれなりに上手いのだが、一様に活舌が悪い。
時間を司る3人の女神にしても過去と現在が小学生の子役で、未来だけが高校生と思しき役者、とバランスが悪い。過去<現在<未来の順に背が高い配役としてはいるが、登場時には一番子供っぽい口調の未来を3人の中では一番年長の役者が演じるというのはどうにも…。もっともこの役はハグハグ共和国版では今回リーディング助手を務めている生粋万鈴が演じていたのだから、前半と後半の切替など難しい役ではあるのだが…。

この「ひとつぶひとひらひとかけら」本体部も大幅に書き換えられており、役者陣のスキルもあって(熱意は感じられるものの)物語としての深みが減じられてしまった。
良くも悪くも発表会レベル。

このページのQRコードです。

拡大