タッキーの観てきた!クチコミ一覧

41-60件 / 2421件中
D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜

D.S.T.P (Don`t stop the play) 〜芝居を止めないで〜

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2025/10/01 (水) ~ 2025/10/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
「シチュエーション・コメディの新定番」という謳い文句。チラシの説明の通り、一般の客が来る喫茶店でリアルに演じることが求められる映画の最終オーディション。現実と虚構が混在し 想定外のハプニングが次々と起こる。タイトルから映画「カメラを止めるな!」を連想したが、Don`t Stop The Play ⇨Show Must Go On といった条件以外は違った物語。次の展開がどうなるのかワクワクする。

少しネタバレするが、遠隔地で審査しているため姿を現さない映画監督、一度きりのオーディション、その一回きりのチャンスに挑む3人の役者と周りの人々を巻き込んでの ありえないアクシデントの連続。一度もカメラは止まらないという〈NG〉が許されない極限の緊張空間。それが いつの間にか、或る事件の現場になっており 何の関係も繋がりもない人たちが一丸となって…。

オーディションを題材にした笑いと ちょっぴり感動する衝撃 いや笑劇作。計算されつくしたストーリー、でも そんなことを微塵も感じさせないところが実に巧い。
ちなみに小劇場B1は 2面客席の時が多いが、本公演は一方向のみ(自分が観た回だけか?)。
(上演時間1時間35分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は 喫茶Transitの店内。奥の上手にカウンター席、下手は段差を設え 少し高いテーブル席。観客席側に丸テーブル席が3つ。所々にメニューやフォトフレーム。奥の少し高いテーブル席にプロデューサーとアシスタントプロデューサーが座り 様子を見る。

物語は 店の店員の弟に彼女ができて、一週間後にこの店でプロポーズする、その段取りをしているところから始まる。そしてラストはフラッシュモブプロポーズで決める というもの。一方、店 オーナーの先輩で映像の仕事をしているプロデューサーから、映画の(最終)オーディションをこの店で行いたいと依頼。店長の思い違いで この2つが同日に行われることになり、誤解と勘違いで大混乱。オーディションの条件は2つ---①45分間でハッピーエンドで終えること、②途中でオーディションということがバレないこと。

会話の中で ポロっと匿流(トクリュウ)といった台詞がこぼれる。オーディションは、一般客が来る店内で 即興の芝居がどれだけ自然に行えるか、というのが審査のポイント。当日 店には男と女の客が一人ずつ。そのうち 宛名不明の荷物が届き…。次から次とハプニングやアクシデントが続き、観ている客は笑いの連続。3つの丸テーブルには、弟と彼女、オーディションの即興劇、一般客の女。カウンターには一般客の男、その座る位置が計算され絶妙 ドタバタを効果的に観せる。

喫茶店という日常に、オーディションという非日常を持ち込み、さらに或る事件という非常時が起こる。先に記した匿流が現れ、それを捜査している警察(女刑事)が潜入してくる。一人ひとりの個性というよりは、ハプニングに対応した全員の行動が結果オーライの大団円。そこに自然な人間の姿が立ち上がり…オーディションの結果は言うまでもない。よく考えられた脚本(勝負パンツ、ぶかぶかのズボン)と それを効果的(ベルトで縛る)に しかも印象的(赤いパンツ)に観せる演出がみごと。
次回公演も楽しみにしております。
Jeanne d’Arc -ジャンヌ・ダルク-

Jeanne d’Arc -ジャンヌ・ダルク-

劇団ミュ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2025/10/02 (木) ~ 2025/10/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。初回ー満席どころか増席。
チラシにある「壮大な歴史スペクタクル・ミュージカル!」という謳い文句であるが、脚本・演出・演技(歌唱も含む) どれもレベルが高く観(魅)せる 力 がある。ミュージカルであるが、ヘッドセットマイク等は使わず 生の歌で聴かせる。地下であまり広くない劇場だから、十分聞こえる。声量をコントロールし安定した音程とリズム。舞台上でピアノとパーカッションの劇伴(奏者は黒衣裳)。「日本発のミュージカルを、世界へ!」を標榜しているだけのことはある。またフィジカル・シアターといった印象もある。

物語は、ジャンヌ・ダルクの異端裁判のやり直しを通して、彼女の生き様とシャルル七世の苦悩をダイナミックに展開していく。ジャンヌ・ダルクがどのようにして歴史の表舞台に現れ 去ったのかを回想するスタイルで紡ぐ。舞台は意識的に原色(衣裳や照明等)で彩っているようで、スタイリッシュといった印象。この裁判が異国の それも約600年前の出来事であるが、なぜか現代日本における司法の在り方(冤罪等)を連想させる。観応え十分。

なお ダブルキャストであるが、それぞれ12回公演があることから 声を大切にしてほしい。
(上演時間1時間40分 休憩なし)【ランス】

ネタバレBOX

舞台美術は中央奥に両引扉、その戸に横長の覗き窓。戸を少し開け後部から照明を照射すると十字架になる仕掛け。下手は演奏スペース。立方体・直方体 まるで積木のような箱が置かれ、上手にサークル状の柵。箱は 場景に応じて動かし光景や状況を表す。サークル内は裁判の証言席。上演前は宗教音楽が流れている。

物語は、異端裁判のやり直しの中で ジャンヌ・ダルクの生き様を生き活きと紡ぎ、史実に重ねる。フランスとイングランドとの間で100年戦争中。ジャンヌは 神のお告げを機に王太子に謁見し、シャルルは ジャンヌを指揮官に抜擢し「オルレアン包囲戦」で勝利する。彼女は 矢で負傷しても立ち上がり、劇中でも使った「百合の花」をモチーフとしたジャンヌ軍の旗を翻し戦う。勝利後、王戴冠の場所ランスを奪還し シャルル王太子は フランス王に即位。しかし 王からの軍事支援も次第に減り、ジャンヌはイングランド側に囚われ悲運の最期ー火あぶりの刑。この知られたジャンヌの生涯をコンパクトに時系列的に展開していく。

異端裁判を行う必要性と当時の社会状況も説明する。民衆から支持を受けるジャンヌを貶める必要があった。そのため 神のお告げを聞いた虚偽ー異端者、女性の身分で男装した規律違反者(フランスでは性別、階級によって服装が厳しく律されていた)という理由をつけ 火あぶりの刑に処す。この場面を描くことによって、裁判のやり直しの意義が浮き彫りになる。さらにシャルル七世は、自分が先王の実の子ではない と母に示唆されたことから、自分が王位を継承してよいのか苦悩していた。史実に人間性を巧みに織り込み、物語性を豊かにしている。

生の歌とダンスといった違う要素を巧みに取り入れ、物語に華を添えている。と いうか色々な演劇の魅力(心に響く表現力)を盛り込んで物語を成し、同時に楽しませるといったサービス精神。史実に人間性を織り込み、しかも分り易く展開することで 物語としての記憶と演出の印象が心に残る。
衣裳はデザイン違いの 白の衣裳と黒の衣裳、それにシャルル七世の母 イザボーのキャミソールのような真紅の薄着。淫乱王妃を演じるための色衣裳。基本は この3色で舞台を彩る。そして照明の光彩は、青金・白金・茜色などを照射し人物を際立たせる。細かく丁寧な演出が物語を分かり易くしている。勿論 演奏も効果的で公演を支えている。
次回公演も楽しみにしております。
父と暮せば

父と暮せば

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2025/09/26 (金) ~ 2025/09/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い。
戯曲の力もあるが、演奏舞台らしい演出と演技がすばらしい。見応え十分。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は板敷、中央に出捌け口。上手に押し入れ襖 傍に卓袱台、机や行李など。下手は波トタンの壁際に薬缶や食器などが並ぶ棚。中央の柱には、8時15分を指したまま止まっている柱時計。シンプルな造作だが、戦後のあばら家と思えば納得できる。登場人物は父と娘の2人。

物語は、戦後3年経った夏の広島が舞台。美津江は「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と固い決意。原爆で多くの愛する者を失った美津江は、1人だけ生き残った負い目を持っている。いわゆるサバイバーズ・ギルト。最近 勤めている図書館に通ってくる青年に好意を抱くが、恋のトキめきからも身を引こうとする。 そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」として現れるのが父・竹造。実はもはやこの世の人ではない。死者と生者、父と娘それぞれの抱える思いが交錯しながら紡がれていく日々、今を生きる人たちが観ておきたい物語。

父・竹造(浅井星太郎サン)と娘・美津江(池田純美サン)の自然体な演技に驚く。全編 広島弁、第二の故郷が広島であり、聞き慣れた広島弁に違和感は感じられなかった。それだけ方言指導と演技が確かということ。浅井さんは父親役ということで体形を変えたのだろうか。人格的には滋味溢れる雰囲気を醸し出していた。池田さんは遠くの一点を見つめるような目、そこに意志の強さを感じる。2人の演技に「柔和」と「剛直」といった反対の心情をみるようだ。この剛柔ある会話がお互いの思い、夫々 それを押し付けることが出来ない もどかしさ。その表現し難い感情が滲み出ていた。

美津江は、自分が幸せになることを諦めている、いや拒否している。一方、竹造は死をも乗り越え未来という希望を望んでいる。それは 自分を別の形(孫)として生まれ変わらせてほしいと。父から娘へ、その幸せと同時に親子、人と人の繋がりがしっかりと伝わる。
その情感を Key&Vo 佐々木多幸詩さんとGt 松岡信二さんの生演奏が支える。ちなみに佐々木さん、口をマイクに近づけ歌っていたが、音(声)が漏れ広がらないための工夫ー近接効果を利用していたような。アクシデントか? 自分の勘違いだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
勿忘草

勿忘草

シレネ

キーノートシアター(東京都)

2025/09/26 (金) ~ 2025/09/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、典型的なノンバーバル劇。
物語は、ダンス(ソロやアンサンブル)や音楽で綴った女性の生き様。その結末は観客によって捉え方が違うだろう。内容は、説明にあるように 誰とも深く関わらず、淡々と過ごすOL・恵。彼女に、定期的に届けられる『一輪の花』。暴力に支配された家庭、孤独な施設での生活、繰り返される心の傷を描いたもの。一輪の花は、容易に分かると思うが 勿忘草(ワスレナグサ)のこと。その花言葉は「私を忘れないで」、これが実に意味深なため 結末が…。

言葉はないが、ダンスと音楽で情況と情景を巧みに描き出す。そしてダンス以外の丁寧なしぐさで心情を描き、最小限の小物で状況を表す。例えば、傷ついた もしくは苛ついた心を癒すための癖ーささくれ・さかむけ を毟る。その原因はストレスや栄養失調らしいが、そうなったのは毒母の虐待。いわゆるネグレストである。それからは施設、学校そして職場での無視や苛めといった負の連鎖。そんな情景をダンスパフォーマンスで表す。

そして音響/音楽や照明といった舞台技術が物語を効果的に支えている。音楽はその状況に適した選曲、例えば 自分を奮い立たせる場面では、中島みゆき の「ファイト!」が流れる。照明は抒情的とも思えるような色彩ー青白色や白銀色ーを使ったスポットライトが心情を際立たせるような効果と印象を放つ。
(上演時間1時間20分) 

ネタバレBOX

素舞台、後ろは暗幕。情景に応じてテーブルや椅子、そしてパソコン、タバコ、カッター等の小物。

冒頭、上手から 横一列でゆっくり特徴ある足取りで登場。ラストも同じような足取りで歩む。力強いとは言えないが、確かな歩み(生)が感じられる。登場人物は6人---主人公の恵、その姉 樹美、2人の母、そして恵の同級生や同僚といった時代や状況に応じたアンサンブル3人。家族の3人は色彩ある衣裳、アンサンブルの3人はデザインが違うが皆 白地の衣裳。3人が暗幕の前に等間隔で並ぶと鯨幕(死)を連想する。ラスト、恵はどうなったのか、その結論は観客に委ねられたよう。

ダンスパフォーマンスという身体表現がメインであるが、例えば毒母(横関友希サン)から逃れるように家を出た姉(ちょいな サン)、いつも助けてもらっていた妹(塚本芽衣サン)の悲嘆。姉が出ていく後ろ姿を見た塚本さんの表情がすごい。このシーンでグッときた。ダンスも椅子に座りパソコンやボトルを使った表現力も巧い。その魅せるを意識した演出が印象的だ。
次回公演も楽しみにしております。
mother

mother

元素G

調布市せんがわ劇場(東京都)

2025/09/25 (木) ~ 2025/09/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ホラーとダーク・ファンタジーの要素を取り入れた 独特の世界観に魅入らされる。現界と異界を交錯しながら展開していく物語。怖いもの見たさ という刺激の希求、恐怖と好奇心という相反する感情の狭間で揺れる思いが上手く表れていた。ダークでグロテスクな要素にダンスパフォーマンス、さらにユーモアを加えた 大人向けの公演。

物語は、異界のものたちの怨念の原因なり理由はハッキリ明かさず、秘めた謎にしている。しかし、タイトルにある「mother」的存在の紅蓮が呟く一言がカギ。都市伝説的な廃墟で起こる奇妙な出来事、それを浮遊感あるダンスで表現する。やはり 元素Gの表現力はすばらしい。そのパフォーマンスを引き立てる音響/音楽や照明といった舞台技術が 妖しげな世界観を支えている。
(上演時間1時間35分) 

ネタバレBOX

舞台美術は、廃墟イメージの汚れたコンクリート壁、上手/下手に鉄骨柱。中央上部に格子状の窓が並び、板には底上げした敷鉄板に階段を設え、下手は別空間。全体的に怪しく不気味な感じを漂わせている。

物語は、説明にあるように 烏丸理人は、収益化されていないホラー系動画ー後ろの正面チャンネルーで編集活動をしながら、気まぐれにカフェでバイトをする。或る日チャンネルのメンバーが『廃墟に行ってからおかしな事が起こっている』と幼馴染から相談を受け、撮影も兼ねて調査に向かう。廃墟に何もなく、撮影は無事に終わったかのようだが…おかしなことに 後日1人の女性が妊娠する。医師は想像妊娠というが。

後ろの正面チャンネル=「かごめかごめ」の歌を連想。その歌詞に込められた意味---姑によって後ろから突き飛ばされ流産した妊婦や、遊郭等から抜け出せない遊女を謡ったとする俗説があるらしい。物語では、デザイン違いで汚れた(または血が付いた)白い衣裳の女性が多く登場するが、台詞はない。薄暗い中で踊る(白い)姿は浮遊感があり、まるで幽霊のよう。YouTuber(メンバー)は踊っている姿が見えないことから、この世のものではない。

男優陣は主に現世のYouTuber、女優陣の多くはダンサーとして妖しい世界観を表出する。勿論ダンス/パフォーマンスは見事で、その演技だけで魅了する。この世のものではない妖(アヤカシ)を統べるのが紅蓮ーMother的存在。想像妊娠した女性は行方不明になり…劇中では白いシーツで出産シーンを被う。紅蓮の 愛する人の子が欲しい、その一言によって廃墟で彷徨っている白い浮遊者は紅蓮の子のよう。観応え十分。
次回公演も楽しみにしております。
Letter2025

Letter2025

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2025/09/24 (水) ~ 2025/10/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
戦後80年 多くの反戦劇が上演されているが、この公演もその1つ。FREE(S)では節目に関わらず毎年設定を少しずつ変え、上演を続けている。そこに反戦・平和への強い思いが表れている。設定は異なるが、それは現代の場面であり、戦時中の芯となる場面は変えない。「Letter2025」では、説明にあるように「2011年から1945年にタイムスリップ」という始まりの年が、戦時中の或る重要な台詞に重なる。過去と現代は地続き、その思いの繋ぎが肝。

物語は 現代の設定が巧いことから、分り易く感情移入しやすい。少しネタバレするが、主人公の青年と手紙を受け取る少女は茨城県内の高校生(17歳)。2011年3月11日に起こった大きな揺れによる災害がタイムスリップした原因。勿論、東日本大震災のことである。戦争は天災ではなく、人間の過ちであり最悪の不条理。現代と戦時中の意識や暮らしを対比しながら紡いだヒューマンドラマでもある。見応え十分。
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、段差を設え上段の中央に出捌け口 その両脇に石柱。 上手側に衝立を並べた壁。そこをスクリーン代わりに映像を映す。情景に応じて和室へ変化。衣裳(軍服や地味な和装)や小物(ガラケイ等)もその時代を表す丁寧さ。
音楽も主題歌「大切な君へ」が実にイイ。

2011年3月11日、地震の衝撃によって1945年3月11日 東京大空襲の翌日へ タイムスリップしてしまう。ラストは1945年から2025年へ、戦没者遺品として届いた一通の手紙、そこには ある人に宛てた切ない想い☺が書かれていた。 現代から太平洋戦争終戦間近にタイムスリップした青年(佑太サン)の戸惑い、その時代を懸命に生きようとした同年代の特攻隊員の姿を描いた群像劇。震災から14年、手紙を受け取った女性(市瀬瑠夏サン)は夢を叶え、国境なき医師団へ。祖父が生き残ってくれたおかげで医師になる。そして紛争や災害等で傷ついた人たちの医療行為、そこに命をつなぐ というテーマが浮き彫りになる。

国(大切な人)のため 夫々が思う心情を丁寧に紡ぐ。例えば 特攻隊員や予備隊員(本作では女性)たちは、妻や許嫁への情愛を語り、ハーフの隊員は世間から差別され蔑まれながらも、日本国民として特攻を志願。そして残していく妹を愛おしく思う気持など。タイムスリップしてきた青年は、当初奇異に思われていたが、段々と特攻隊員たちと打ち解け 友情を育んでいく。
特攻を志願した隊員が覚悟を決める場面は、表面上は家族や恋人、仲間を心配させまいと平静を装ったり、冗談を言って場を和ませている。しかし、心中は不安や恐怖がつきまとっていたと思う。一番人間らしい感情であり、それをどのように表現し伝えるかが難しい。公演では司令官と特攻隊長の兄弟の会話で、当時の精神論を語っている。司令官ゆえ 出撃しない兄(近藤哲也サン)は、父の遺した「命を惜しむな」という言葉に囚われている。一方、出撃する弟(下出丞一サン)は「命を紡(繋)ぐ」ものと思っている。父の教えを別った場面を描くことによって幅と奥深さを表わす。この弟の台詞が肝。

ラスト、結局 青年は特攻隊員たちを助けることが出来ない、それどころか自分も戦闘機に同乗し敵艦に突っ込む。それがおじいちゃんになる人を救う方法でもあると。タイムスリップした当初、特攻隊員に向かって 命を粗末にするなと言っていたことと矛盾。帰還するところを確認するためか。また 脱走を図り殺された隊員から、信念は曲げるなと激励されていたにも関わらず変節してしまう。現代にも通じる同調圧力のような抗いきれない描き方であるが、やはり特攻という行為には納得も共感も出来ない。特攻は美化できないが、風化させてはならない。

卑小なことだが、茨城から東京へタイムスリップ。ラストの映像に百里神社が映るが、そこは茨城県内で近くに特攻訓練所があった。その場所の不整合に違和感を覚えた。
次回公演も楽しみにしております。
ひのないところに

ひのないところに

青春事情

駅前劇場(東京都)

2025/09/24 (水) ~ 2025/09/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
誰もが知っている消防署の存在、しかし そこで勤務する消防士や救急救命士等の日常は知っているようで あまり知らない。火がないところでも 非がないように務めることの厳しさ 難しさ、それを笑いと悲哀を交えて描いた物語。
(上演時間1時間50分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、東京消防庁管内にある架空の市ー風間市、そこにある消防署(出張所)内。上手側が執務室、下手側が受付や別空間という外部。天井には「火事と救急は119番」「火の用心」といった標語が掲げられ、全体的に丁寧に作り込んでいる。

物語は新人消防士の栗林(小林卓斗サン)が緊張のため早朝に出勤し、夜勤明けの先輩消防士の一ノ瀬(加賀美秀明サン)と話すところから始まる。早く仕事をしたい栗林に対し、一ノ瀬は緊張せず自然体で行うよう諭す。火事や救急で出動がないに越したことはない、その何も起きない日々を描く。地域と住民の安心・安全を担うため消防訓練や地元祭りのため消防団と打ち合わせることも重要な仕事。台詞だけだが、火災において秒単位での正確な状況判断と適切対応が生死を分ける と。

一方、消防署勤務は日々緊張を強いられる。例えば、制服を着たまま署外の自販機を使ったところを見られ、怠慢では というクレーム。また消防訓練時の笑顔がYouTubeで拡散され緊張感の欠如といった非難、それを市役所の職員を介して描いているところが上手い。その職員の後ろには 多くの市民の姿や意見があることを暗示。そこにノイジー・マイノリティといったことへの対応、一方 サイレント・マジョリティーといった不気味さも感じる。

物語は個性豊かな人々、その立場や性格を立ち上げ日々を紡ぐ。特に署内へ来るヤクルトレディ 丘(内海詩野サン)の飄々とした感じが、署員と違った立ち位置であることを表している。また彼女は、スナック”じょあ”でも働いており、消防署員の本音を聞くという場面も…これによって消防に携わる人の普通の人間性が垣間見える。
次回公演も楽しみにしております。
「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」

「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」

江戸糸あやつり人形 結城座

ザムザ阿佐谷(東京都)

2025/09/18 (木) ~ 2025/09/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初の結城座公演。寛永十二(1635)年旗揚げで、今年390年という長い歴史を持つ劇団。国と東京都の無形文化財でもある。公演は、石川啄木の小説「雲は天才である」をオマージュしたオリジナル作品。

個人的に見所は、物語・操演・演奏の3つで、それぞれが巧く絡み合って面白い味わいを出していた。特にメインの あやつり人形は、繊細で表情豊かな表現をしている。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に大きな平板 それが八百屋舞台のように傾いている。物語の展開に応じて 平板を動かし 衝立やスクリーン(影絵)として活用。その周りを教室にある木の机と椅子。それらもひっくり反っている。生演奏は紫竹芳之さん、多くの和楽器を場面に応じて演奏し分ける。

糸あやつり人形の一座(=結城座)が旅公演をしている。そして都会の中の袋小路に迷い込み、踵を返そうとしたが行き止まり、そこに大きな穴が空いていた。ゆっくりと穴を降りてみる。そこ(底)は廃校になった教室のよう。その雰囲気はザムザ阿佐谷にピッタリ。そしてタイトルにも原作(小説)にもある「雲」は、旅する劇団を象徴しているよう。中央の平板の上に一冊のノート。イシカワ ハジメ(石川啄木の本名)の日記らしい。石川啄木は20歳の頃、代用教員をしたことがあった。そして何故か平板の上に青空がある。彼の日記とすれば、その心情と当時の時代閉塞を描いているよう。

ハジメ先生(結城孫三郎サン)は、児童達(安藤光サン)に自作の歌を歌わせた。それを非難・叱責するウナギ校長(小貫泰明サン)、その妻 バレイショ夫人(大浦恵実サン)、ススケランプ教頭(結城育子サン)。擁護するマドンナ先生(湯本アキ サン)。歌は児童達が自然に親しみ、想像力を養うため。一方 その自由さを嫌う校長やその妻、教頭らは怒る。また ハジメ先生は、児童達を連れて森(課外授業)へ行ったが、これも校長達は怒り後を追った。
一方、劇団員がバッグに入れた「八百屋お七の人形」がなくなっている。団員達は人形探しを探偵 独眼竜(両川船遊サン)に依頼。そして森の中へ。森は特別な香を発し、この匂いを嗅ぐと眠り込んでしまう。団員達は森から脱出し、ハジメ先生や児童達も森から抜け出したが、追ってきた校長達は眠り込んでしまい…。

「雲」は、「自然」「自由」「発想」も表し、ハジメ先生そのもの。一方、<学校>校長や教頭は旧態依然とした体制で、物語はその対立構図そのもの。啄木と重なるハジメ先生、ラディカルな民主主義と人間味溢れる姿、それを受け止める児童達の自由さが伝わる。しかも それを<江戸糸あやつり人形>で、結城座独自の構造を持つ操作盤「手板」で操演する。人形を動かしながら台詞も言う。

ちなみに、「八百屋お七の人形」が無くなったことに関連付け、その操演の素晴らしさを 浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」の「火の見櫓の段」を操って観(魅)せた。
次回公演も楽しみにしております。
草創記「金鶏 一番花」

草創記「金鶏 一番花」

あやめ十八番

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2025/09/20 (土) ~ 2025/09/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
「音楽劇 金鶏 二番花」の前編にあたり、「テレビジョンの研究/開発」と「戦争」、それを虚実綯交ぜにして描いた記憶劇のよう。この2つのテーマは同時/並行するように描かれ、戦後になって物語が収斂していく。テーマを暈けさず、それぞれの伝えたいことを鮮明にする上手さ、そこに この公演の魅力がある。

当日パンフに、代表の堀越 涼 氏が「テレビジョンと戦争と歌舞伎。三つを並べた時、ようやく物語は動き出したように思う」と記している。テレビジョンに関しては、前作でも本作でも語られている。金原賢三(高柳健次郎がモデル)が子供の頃、ハレー彗星の接近により人類絶滅といった噂が流れた。彼は 母に死ぬ前に何がしたいか尋ねたところ、「歌舞伎がもう一度観たい。(浜松から)東京へ観に行くにはお金がかかる。歌舞伎の方からこっちに来てくれれば」という 母の思いを叶えたい。そんな素朴な思いから始まった。最初のテレビ番組は舞台劇「道行初音旅」<歌舞伎化>の中継。それを本作では賢三の故郷(浜松)に因んだ「白浪五人男」ならぬ戦時中の「スマトラ五人男」として描く。

物語が進むにつれ いろいろな場面が関連してきて、良く出来た脚本だということが解る。そして あやめ十八番といえば照明や音響/音楽といった舞台技術、特に生演奏は物語を引き立てる。本作は、戦時中の野戦軍楽隊(トランペット・ピアノ・アコーディオン・ユーフォニアム・ヴァイオリン、衣裳も軍装)としてその役割を担っている。
(上演時間2時間45分 途中休憩10分)【彗星】

ネタバレBOX

舞台美術は立体的、左右非対称のそれぞれの階段を上に行くと踊り場のような空間。多くの階段が所々にあり、同じように大きなボロ布ポールが林立。朽ち木を組み合わせた廃墟のよう。下手の中段奥に演奏スペース。冒頭は、板の中央にテーブルとイス。上演前は人工ノイズ音のような騒めきや ピアノの和む音が聞こえる。上に行くにしたがい真中へ、何となく物語が積み重なり収斂していくような感じ。そして人間以外の妖(アヤカシ)が高い別空間で操っているかのようでもある。

公演は休憩を挟んで、戦前のテレビジョンの研究/開発と戦中・戦後のスマトラでの軍隊(近衛歩兵第三聯隊)生活を描き分けている。
「音楽劇 金鶏 二番花」は、賢三が浜松から東京へ出向してきてテレビジョンの実用化に向けて活動しているところ。本作は、賢三が子供の頃のハレー彗星騒動に端を発した世迷い事、多くの人が栄国稲荷へ参拝。稲荷=狐を擬人化(金子侑加サン)して物語を掻き回すような、まるで道化師のような存在。もう1人 賢三の傍にいる少女(中野亜美サン)、この2人がカギ、そして虚構の世界を築いている。

前作では、ハレー彗星騒動、母の思い、そして入学式での恩師の言葉ー金鶏に関する話ーは、台詞で語られていた。それを記憶の物語として再現する。ちなみに賢三は 少年期・青年期・老年期を1役3人で紡ぐ。研究には金が掛かるが、それを研究助手になった佐渡玄太が用立ててくれた。実は彼の奥さんの持参金であった。後々 懐述で、多くの人に支えられて成し得たと。

出征した歌舞伎役者2人、1人は母の脚本でスクリーンでも活躍。歌舞伎役者である父と確執があり、自分の進むべき道に迷っている。スマトラで戦友から歌舞伎を観たことがない、娯楽に興じて といった言葉にショックを受ける。歌舞伎は芸道、高尚と思っていた自分との認識違い。そして観たこともない歌舞伎を”余興”として演じたいー(素人)歌舞伎。また戦時中、テレビジョンの研究は 戦争兵器の研究へ、健三曰く 「電波は兵器ではなく科学だ」は印象深い台詞。

戦後、賢三が最初のテレビ放送は歌舞伎に拘った。しかし歌舞伎界 大御所からは、芸は テレビ(カメラ)に映らない、しかもタダで観せたら劇場へ来ない と拒絶。一方、若手からは芸はカメラに映らないからこそ、本物の芸が観たければ劇場へ来る と説得。旧劇として衰退の道を辿る歌舞伎界、その起死回生とも言えるテレビジョン。この会話の遣り取りが、母との約束や戦友の思いと繋がる重要なシーン。舞台としては、笑いを交えたスマトラ歌舞伎のシーンの可笑しみ、そして狐(後頭部に狐面を付けて)の憑き物のような狂気の一人芝居、この2つのシーンが印象的だ。
次回公演も楽しみにしております
『天守物語 〜夢の浮橋〜』

『天守物語 〜夢の浮橋〜』

虹色ぱんだ

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2025/09/18 (木) ~ 2025/09/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
泉鏡花の独自の耽美的で幻想的な作風をしっかり舞台化している。物語はタイトルにある天守--白鷺城が舞台になる。その非日常空間をどのようにして表すのか、そして 登場する異界ものが どのような物語を紡ぐのか。原作を読んでいなくても分かり易い描き方、そこに時代絵巻AsHで培った灰衣堂愛彩(本公演では役者名義・羽衣堂愛彩)さんの手腕をみる。会場に入ったとたん異空間ー妖艶な世界へ誘われる。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台美術は、白鷺城の最上層(五層)ー窓がない薄暗い部屋を現わしている。上手と下手を分け、その間に溝のような凹み空間と板の橋。上手は和室で襖や障子が所々傷んでいる。その部屋の神棚に大きな獅子頭。下手は中庭(天守に対して下界)のような場所で後ろに衝立状の塀。先の溝の後方には色鮮やかな楓。上演前は童の遊ぶ姿、虫の鳴き声が微かに聞こえる。実に抒情的な雰囲気を漂わせてる。

舞台は播州姫路、白鷺城の五層階。ここには人ならざる富姫が主として住まい、藩主であろうとも近づく事の出来ない魔の住処。腰元(妖)が露を餌に秋の花を釣り上げ、童が歌って遊ぶ。妹分の亀姫が猪苗代城(別名:亀ヶ城)から遊びにやってくる。富姫は、帰りの手土産に 藩主が鷹狩りに使う白鷹を攫って与える。若き鷹匠 姫川図書之助が主君の命で白鷹の行方を捜しにやってきた。そして妖(アヤカシ) 富姫と人(ヒト) 図書之助が、はからずも恋に落ちる。しかし…。
図書之助の人間界への未練と富姫への執着、その葛藤する姿 それこそが情理。そして 妖と人が共存する不思議な世界観が広がる。

見所は、本筋に妖怪と人間の切ない恋物語。脇筋に封建社会における絶対服従の不条理。公演ではこの両方を巧みに描き、人間性と社会性を重層的に紡いでいく。本筋(人間性)は先に記した通りだが、脇筋(社会or時代性)は、富姫が 主君の理不尽な命で切腹した武士の元妻。そして亀姫も描かれてはいないが妖であることから、同じような身の上ではなかろうか。そこに妖と人の悲恋の元凶となった 理不尽な世が立ち上がる。理不尽といえば、図書之助を追ってきた同輩によって天守の象徴である獅子頭の目が潰され、富姫、図書之助を始め腰元妖も皆 目が見えなくなる。公演では、追っ手と獅子との戦いを舞台狭しと動き回る(祭りの獅子舞のよう)。

衣裳は和装、メイクは妖しの顔といった感じで 物語の世界観を損なわない。音響・音楽は三味線など和楽器が情景を引き立てる。なにより照明が色彩豊かで、柔らかく和むような照射。舞台美術・技術・小道具(刀 等)そしてメイクといった総合的な効果によって成り立つ幻想劇。
卑小だが…最前列という至近距離で観劇させてもらったが、手(裸)足の濃いマニキュア、ペデュキアが照明に反射するところがあり 気になった。敢えてベースコートだけにしなかったのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
水鏡の真実 -御泉花守探偵の事件録 FINAL-

水鏡の真実 -御泉花守探偵の事件録 FINAL-

はらみか×渡邉ひかるプロデュース

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2025/09/19 (金) ~ 2025/09/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

#朗読水鏡2
朗読劇だが、観(魅)せることを意識した演出によってミステリー色を際立たせる。説明にある私立探偵の御泉花守真実を主人公にした推理劇。タイトルにある「水鏡」が肝。
早々、犯人が誰だか解かっては面白くない。その工夫として、登場する10人は、デザインは違うが皆 白地の衣装。外見的な特徴で犯人を捜すのではなく、論理的な展開で考え 楽しませる。ちなみに ピアノ演奏者(塩原奈緒サン)だけは黒地の衣装で昏い空間の中に溶け込んでいる。

朗読という聴かせるだけではなく、音響/音楽といった技術で情景を豊かに紡ぐ。波や風の音、それによってホタル島の風景が目に浮かぶよう。また照明は、いろいろな色彩を白地の衣装へ照射することによって雰囲気を変える。特に心情と時間(黄昏など)を抒情的に表している。この聴くと観(魅)せる演出が実に巧い。またピアノの生演奏が台詞に被らず、むしろ心地良い効果を発揮していた。全体的に繊細で上質感溢れる公演だ。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 千穐楽後に追記済

ネタバレBOX

舞台美術は、素舞台で下手にピアノ演奏スペース。後景は白い壁で、キャスト陣の白地の衣裳と同色で統一感を出す。同時に照明効果でシルエットを映し 怪しげな雰囲気を醸し出す。キャストは台本を持ち、場景に応じて動き回り、出捌けする。

説明から、11月 探偵の御泉花守真実と助手の神聖崇極麗、情報屋の田中は、若狭湾に浮かぶホタル島に来た。船酔いした田中の介抱を漁師の酒那徹に任せ、真実と極麗が向かったのは民宿「泊輝荘」。2人の来訪を受け、主人の泊輝挙流と妻の陽子の表情はこわばる。一方、警視庁捜査一課の安浦吉之丞と主婦の都香丸子も島を目指していた。真実が話し始めたのは、1年前、妻の優香と氷龍祥が出会った日のこと。
話は、探偵側と民宿側の双方に関係する者のデスマスクがインターネット オークションに出品されていること。しかし 死ぬことが前もって分からなければデスマスクは作製できない。その謎解きは…。

物語は3年前と1年前という時間軸、そして事故と事件という違いのあるコトを関連付けて描く。内容はミステリーなので 犯人と謎解きは伏せておく。ミステリー小説でよく言われる本格派か社会派なのか。どんでん返しや驚かせる展開の本格派、一方 何らかの(社会的な)問題意識を絡めた社会派、ということを考えたら、朗読劇はその両方を兼ね備えていると思う。本格派ミステリーはそのトリック等が重要で人物造形は二の次なのだから。

公演は 意外な人物が犯人であるが、その犯人をあぶり出していく論理展開の面白さ、そして夫々の登場人物をキャストが感情を込めて立ち上げる(朗読する)ことによって血が通う。そんな味わいのある公演。
次回公演も楽しみにしております。
受付/六月の電話

受付/六月の電話

演劇ユニット茶話会

Paperback Studio(東京都)

2025/09/19 (金) ~ 2025/09/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
別役実の2作品、発表された年が違うにも関わらず 関連しているような印象を受ける。作品の選択とそう思わせる演出(宮田清香サン)が妙。「受付」(1980年)と「六月の電話」(1995年)では15年の間隔があるが、それぞれの時代背景を感じさせる。別役作品は、日常生活の中に人間の寂寥や空虚といった表現し難い思いを さり気なく描くといった印象だ。しかし 本公演、前者は不条理喜劇で、後者は不条理ミステリーといった違う作風が面白い。それでもリアリズムといった共通点は見い出せる。

別役作品の象徴的ともいえる小道具ー電信柱、本作ではこれをポールハンガーに置き換えて印象的/効果的に使っている。また電話だけで姿を現さない人物、それによって今いる空間だけではなく外の世界ー世相と繋がっていることを表す。そして2作品が繋がっているような錯覚、そこに演出の巧さを感じる。もちろん役者陣の演技は確かで見応えがあった。
(上演時間1時間50分 途中ブレイクタイム2分ほど) 

ネタバレBOX

舞台美術は、上手に衝立、その横にテーブルや置台。テーブルの上には黒電話。下手にベンチ、その後ろにポールハンガー。「受付」の時は山高帽、「六月の電話」の時はウエディングドレスが掛かっている。両作品とも 始まり方や終わり方は暗転ではなく、客電にしており、さぁ舞台が始まるぞ といった合図(気負い)はなく、さり気なく日常が描かれていく。

●「受付」男:森岡正次郎サン、女:田口朋佳サン
精神科の受付にきた男は、先生に相談があると…。受付の女から取次の前に 様々な質問を受ける。男は本来の用件を後回しにされ、女の話に引きずり込まれてしまう。女は男に対して、募金、アイバンク登録、献体への同意など 次々と要求してくる。その都度 女はこれら団体の受付へ電話をかける。男はこれらの要求を理不尽だと思いながら、抗うことが出来ず 受け入れてしまう。人間の意思(決定)の曖昧さ、理屈では説明が難しい人の心理を可笑しみを交えつつ鋭く描く。

「受付」では、何故ここに来たのか、そのうえで住所/氏名を訊かれたりする。「受付」は、その人の概略を知るため質問し、訪問者は「受付」の求めるモノを自ら曝け出す。そうして初めて「受け付けられる」。もちろん強制ではない。(劇中の女もそう言う)。しかしルールは守り、話は最後まで聞き、尋ねられたことには正直に答える──そうした当たり前が、自らを縛り不自由にしている。そこに男の「相談」そのものが浮かび上がる。会計事務所に勤め、仕事も人間関係にも気をつかう といった逃げ場のない精神状態。女の不条理な勧誘と男の優柔不断さがしっかり立ち上がる面白さ。

●「六月の電話」女:大橋繭子サン、男:大森崚矢サン
或る雨の昼時、雑居(寿)ビルの4階7号室。女は近くのコンビニで昼食を買い 戻ってきたところ。誰もいない部屋、習慣で「ただいま」と独り言。女は そこで電話の取次業をしている。毎日決まった時間に食事をして寝る といった変哲もない生活をしている。その日常を壊すかのようにアリバイ屋を名乗る男が現れる。或る人の依頼で13時から17時迄ここに居て、ここにいたすべての人のアリバイを証明する という。その間、何度も電話が鳴り、女が「今日は多いわね」と呟く。これが「受付」のシーンと繋がっているような。また頻繁に喫煙シーンがあるが、煙はたちどころに消えてしまう。まさに人生は泡沫で無常。

アリバイ屋とは何なのか、男は誰のアリバイを証明しようとしているのか。二人のかみ合わない会話から女の過去が次第に明らかになっていく。男と女の会話や行動から、女は潔癖であり癇癖といった性癖のよう。その融通の利かなさが、別れた男をひたすら待っている。結婚式当日、彼は来なかった。彼は過激派の内ゲバ騒動で…。それから20年経っている。アリバイ屋がいた僅かな時間、それが女の長い空白の時を埋めるかのよう。女(自分)の不在証明(この間の無為な日々)ならぬ、今を生きている存在証明(認識)になったようだ。少し気になったのは、女 役が大橋さんでは若すぎるのではないか ということ。
次回公演も楽しみにしております。
ラルスコット・ギグの動物園

ラルスコット・ギグの動物園

おぼんろ

Mixalive TOKYO・Theater Mixa(東京都)

2025/09/11 (木) ~ 2025/09/20 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

いつにもまして ファンタジー色が濃い寓話劇。
前作は、舞台と客席の境がない おぼんろ らしい公演だったが、本作は客席から観る一般的なものへ それが少し残念。

物語は時代設定を曖昧にし、時代に囚われず大切にしなければならないコトを訴える。それを動物の視点から描くことによって、生きているのは人間だけではないことを強調する。そこに おぼんろ らしい人間社会への皮肉や批判が浮き上がる。今回は生命や平和といった 言葉では明確だが それを表現することは難しい。その本質的なところを突いている。

また 照明や音響/音楽といった舞台技術が、いつにもまして効果的。そう思わせるのは、情景に応じて中央の舞台装置が回転し、同じ造作にも関わらず多方面からの照明によって違う印象をもたらすため。
(上演時間2時間 休憩なし) 

ネタバレBOX

中央に回転する櫓状の建物、上手・下手に形や大きさが違う別空間。奥の壁際は紅色の幕。側壁に飾り電球があり、中央の櫓の上には幾つかのランプ。全体は遥遠で幻想的な雰囲気が漂っている。

物語は、紛争・戦争が起こり、ラルスコット・ギグの動物園が戦禍に巻き込まれようとした時、一匹の獣が 開園された時の経緯を語るところから始まる。この地は 猛獣を恐れ、管理と秩序に支配された都市 チノイ。その周りは果てしない荒れ地 ラガキナ。動物たちを引き連れ旅をする青年ギグ、彼は唯一人の親友ラルスコットと共に「人間」として認められる日を夢見ている。或る日、金色の蛇が現れ「命(獣)を連れ、街で見世物にするのだ」と囁く。ギグは動物たちを説得し都市へと旅立つ。動物たちは、現実主義のバク、気弱なクマ、レッサーパンダを装う承認欲求の強いタヌキ、黙ってついてくるボロ犬。ギグは仲間を騙し残虐なショーで人気を博していく。移動動物園ではなく、この地の動物園として定住。そして「名誉市民の称号」を手に入れるが…。一方、魂を喰らうという〈大鴉〉の影もちらほら…。

「生命」と「平和」といった大きなテーマを描いているが、それを動物(獣)の淡々とした生き方の中に落とし込んでいる。そして動物たちの性格等を人間に準えることで、人間そのものを客観的に捉える。ラルスコットは 既に疫病で亡くなっており、ギグは心の中に幻影を抱いている。彼のことを忘れなければ心の中で生き続ける。しかし そこからは動けない。一方 忘れることは、想いとの決別で苦しいが 新たな歩みが出来る。そのジレンマが狂おしいほどに伝わる。そして動物たちを巻き込んでの戦争、いつの間にか人間ではなく獣が兵力として戦場に送り込まれる不条理。

今回は生歌が多く、ミュージカルのような印象もある。それがファンタジー色を濃くしている一因だ。物語性は勿論、観(魅)せる演出も回転舞台を用いることで効果的にしている。メイクや衣裳は寓話性を引き立て共感と感動を呼ぶ。やはり おぼんろ 公演はエンターテインメントに優れている。
次回公演も楽しみにしております。
KAGO

KAGO

劇団美辞女

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2025/09/11 (木) ~ 2025/09/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ミステリィ・サスペンス調で物語を牽引し、観客の興味/関心を掴んで離さない。見所は、物語性と観(魅)せるエンタメ性、この相乗効果によって舞台ならではの面白さが活きているところ。

劇団名は 美辞女(ミジメ)で、前作「シャイシャイマンションシャンソンショー」は、その団名の通り女優だけだったが、本作は多くの男優陣も出演している。姦しく賑やかさに加え、力強さが加わって魅力が増したよう。
(上演時間2時間 休憩なし)【オモカジ組】

ネタバレBOX

舞台美術は、段差を設え中央が出捌け口、その左右に衝立状の壁 というシンプルなもの。また中央口の上部にも別空間。

物語は、2025年 大阪・関西万博を引き合いに出しながら、今から132年前のシカゴ万博へ繋げる。説明にある刀剣で栄えた地・兜坂(トサカ)を治める若き当主 蔵之助が主人公。それを遡ること17年前(1876年<明治9年>)に廃刀令が出され 、物語で暗躍する集団 または兜坂家そのものにも大きな影響を及ぼす。もう 刀の時代ではないのだ。またシカゴ万博に向けて出帆した船内という、いわば密室空間での出来事。
この時代と空間の両設定が妙。

蔵之助の妻は非業な最期、さらに彼自身がその時の記憶を失っている。そんな彼の後妻に、黒金造船会社 御曹司の妹との縁談が持ち上がる。シカゴ万博での真剣演舞の披露、そして この機会に多くの若き視察(留学)者を連れての渡航。そこに説明にある忍び寄る刺客、暴かれる過去、抗えぬ運命といった謎を織り込む。蔵之助の出自が肝。

登場人物(シングル+ダブルキャスト)は20名、その人物の紹介と関係を説明するだけでも大変。前半は、謎の伏線を仕込んだり 過去の出来事を見え隠れさせるが、物語の方向が分かり難い。中盤以降、物語の筋が明らかになり興味を惹くが、それまでは人物素性や関係を整理しているような感じ。相関図は上演前にQRコードを読み込むことで確認できるが、やはり舞台を見たほうが分かり易い。

舞台は、当時の衣裳や刀剣といった小道具が それらしく観えることからビジュアル的にも楽しめる。また見所である殺陣は、スピードや力強さ それに音響効果が相まって迫力があった。一方 小ネタのような笑いを挟み込み和ませる。そして全員での群舞は華やかで、それら全てが娯楽性に富んでいた。
次回公演も楽しみにしております。
夜長月

夜長月

表現集団蘭舞

at THEATRE(東京都)

2025/09/13 (土) ~ 2025/09/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

初めての団体であり会場。
9月だが、体感的には夜長と言うには まだ早い。それでも「夜」を思わせる内容とその照明効果がよかった。公演は、朗読3作品で ゆるく繋がっている。しかし内容的には独立しており、それぞれテイストが違う。全体的には丁寧な劇作といった印象だ。ちなみに2チーム(A・B)での(朗読)公演だが、当日パンフは別々に作成して配付。
(上演時間1時間10分) 【Bチーム】

ネタバレBOX

会場は剥き出しのコンクリート壁と天井。舞台中央に椅子2つ、背凭れを背中合わせにしてハの字のように置く。

物語はシンプルにして分かり易い内容、不要な形容詞や修飾的な言葉(台詞)は少なく、どちらかと言えばストレートにして端正といった印象の朗読。その意味では、伝えたい内容を簡潔に しかも的確に表現している。基本的に2人の対話、その人物造形と今の状況を簡単に説明し、夜という時間の流れの中に観客を誘うようだ。

公演の魅力は、分かり易い---軽快で歯切れよく、それでいて安定感ある会話、それも現代の若者言葉でグイグイと押してくる。出来れば気の利いた言葉の1つや2つあったら、印象的だったと思う。またキャストは表情も含め感情を込めた朗読をしていたが、もう少し生彩ある情景がほしいところ。それが端正ー言葉を丁寧に読んでいるが、生々しさという実在感をまとった迫力、リアリティが感じられないの惜しい。

初めて行った会場、比較的狭く 周りはコンクリート剥き出しの壁や天井だ。舞台技術…照明は 角度を微妙に変え、壁に照明(光)が反射しない工夫。しかも物語の情景に合わせて諧調し時間の経過を表す。また音響は、1話のゲームの出だし部分(音楽)だけ大音量にし、あとは台詞に被らないよう配慮している。公演全体が丁寧な印象を受けるのは、キャストの明確な朗読、舞台技術の工夫、そして制作(受付を含む)の対応等による。

3作品は次の通り(朗読順)。
1.「ゲーマー、ふたり」
ゲームが趣味の女性 伊吹香澄がVTuberの小畑めぐるとオフ会で会う。香澄は めぐるが同じくらいの年齢の女性だと思っていたが、実際は年下の男の子。めぐるから格闘ゲームの勝負を挑まれ対戦するが容赦なく叩きのめすが…。

2.「嘘と秘密」
情報屋の烏は、不良集団に拉致された神崎陽葵を助けた。彼女の片目(神秘的な輝き)に価値があるようで、それを闇社会で売れば大金が手に入るらしい。彼女の危機を救うためラブホに入った2人の話、そして烏の正体とは…。

3.「初恋の記憶」
高校時代の彼女 星名朱莉の結婚式に出席するために帰郷した日向光洋。都会で美容師をしているが、順調とは言えない。日向に、幼馴染の矢島翔子が声をかける。彼女が率いる少年野球チームの練習で汗を流し、今の心境を見直すような…。

当日パンフに主催挨拶として「立場や境遇の違いはあれど、誰かを思いやれる人達の話。何かに行き詰っている大切な誰かが、再び立ち上がるためのキッカケのひとつ」を記している。その思いは十分伝わる。
次回公演も楽しみにしております。
『コラソンはデイドリームちう*(中)』

『コラソンはデイドリームちう*(中)』

コラソンのあんよ企画

APOCシアター(東京都)

2025/09/12 (金) ~ 2025/09/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

現実と幻想の間で揺れ動く、そんな曖昧な世界観を描いた物語。その曖昧さが 人間らしいと言えるのかもしれない。前作「コラソンのおともらち」は3話オムニバスという説明だったが、実は連作のような構成。本作も基本は3話だが、それにプロローグや1話の中に幕間~その① ②を挿入し、2話・3話と続き、最後にエピローグという構成で、少し凝った劇作。

公演の見所は、日常のありそうな出来事を 敢えてリアルに描かず 白日夢のような幻想世界へ誘うところ。リアルに描かない--その舞台の虚構性を前面に出すことで、観客の想像力や思考力を刺激する。基本は家族の在り方を描いているが、そこに潜む表現し難い感情を それぞれのキャストが上手く演じている。その意味で確かな演技と調和している。
(上演時間2時間20分 途中2分程度のリラックスタイム) ㊟ネタバレ

ネタバレBOX

舞台装置は、3話および幕間~その① ②の場景に応じてテーブル、イスそしてベット等を搬入搬出する。場転換が多く 暗転も頻繁にあるが、集中力は削がれない。また 音響/音楽の印象はないが、照明は巧に諧調し 心情や光景を効果的に表していた。

物語は 逃避と願望、憧憬と畏怖といった 相反するような描き。人間の心は複雑、その表現し難い内面をリアルとファンタジーといった観せ方で紡ぐ。全体としては、人の再生・自立へのキッカケと家族の絆が浮き彫りになる好公演。
--------------------------------------------
概要は次の通り。
0.プロローグ
青澤家の食卓、そこに長女 瑠璃、次女 藍子、そして父の玄太が穏やかに会話している。主な登場人物と 母は亡くなり父子家庭ということが分かる。

1.「A Wonderful Day ~ ワンダフルデイ~」
亡くなった母 青葉は生きているが 余命わずか。今は 草太という男と暮らしている。正面の壁に窓/カーテン影の照明。(黄昏時?)2人の穏やかな会話で和む。安楽死を求めて海外の病院へ来ているようだが、草太が夢落ちすると そこは日本の病院。事務的な男性医師 ブラウン医師/訪問医師(海外と日本)との会話が虚(空)しい。草太は家族 特に娘たちに思いを伝えるべきではないか と提案。遺書代わりに録音を勧める。
青葉は、子の愛し方、接し方が分からず育てられない。その苦悩を夫 玄太に話して 云十年前に離婚した。青葉は自分も母に愛されなかった。ネグレストというの負の連鎖。現実にある家庭(個人)の深刻な問題、それを海外と日本の医療(社会)問題--安楽死を絡めて幻想と現実の間で描く。

幕間~その① ②は、それぞれ或る住宅の街路。訪問医師と訪問看護師の車内での会話。一方的に医師が看護師を詰問し、立場の上下関係を知らしめている。台詞にもあるが、強い口調はパワハラ/セクハラではない旨 事前に言い訳する。幕間は、2話への場所と主役が変わることを意味する。

2.「Un homme et une femme~男と女」
訪問医師 紺田秀一郎は看護師が辞めて機嫌が悪い。場所は大久保公園の近くの某公園。そこに立っていた若い女に声をかけるが…。側壁に歌舞伎町のビル街を映し出した照明。そこへ見知らぬ女が紺田へ近づき、オレを忘れたかと問う。過去の苦い思い出が甦る。女は桜木百々江といい高校の同級生。同時に紺田の意識下に母親の幻影が立ち上がる。今の女性蔑視、弱い者いじめといった態度は 自分の内にある女性(マザー)コンプレックスの裏返し。現実と幻想が混濁した意識下、深層心理の情景。

3.「Too Hasty to Call This,”Fantasy"~ファンタジーと呼ぶには早計です~」
再び青澤家の食卓。プロローグの穏やかな会話から一転、激情が迸る。姉 瑠璃は精神的に不安定で引き籠り。妹 藍子は夜のバイトで昼夜逆転の生活。藍子は母 青葉の記憶はなく、瑠璃に向かって母の面影を聞く。少しでも母の愛情を受けたのでは という嫉妬心から今の生活状況を責める。一方 瑠璃は藍子が如何わしいバイトをしているのでは と詰問する。そこへ父 玄太が妹 橙子(叔母/辞めた訪問看護師)を連れて帰宅。2人の言い分を聞いているが、そもそも子に関心がない。そのうえ、瑠璃が家事や妹の面倒を見て母親代わりをしているにも関わらず、それが当たり前のよう。玄太の困惑した表情/態度が滑稽。

4.エピローグ
橙子は、不思議な女/ニルに頼まれ遺書代わりの録音を…、娘たちへ思いを伝える役目を果たした。不思議な女そしてチャコでありニルは青澤家で飼っている猫=精霊であろうか。そこは観客の感性に委ねているようだ。
次回公演も楽しみにしております。
カサブランカ

カサブランカ

株式会社スタイルオフィス

博品館劇場(東京都)

2025/09/06 (土) ~ 2025/09/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

朗読劇だが、動きのあるストレートプレイのようでもある。有名な映画「カサブランカ」を どう観(魅)せるのか興味津々だったが、実に見事な舞台化。今さら説明の必要がないクラシックの名画、それを演出…特に舞台美術と技術の効果によって80年以上前の作品が、色褪せない現代劇として甦った。

朗読劇ゆえ、台詞を明瞭に発声することはもちろん、呼吸の間によって微妙な感情を表現する。1人ひとりの演技力というか朗読力が安定しており、その(役者陣)バランスもよく舞台に集中できるところが好い。またピアノの生演奏や歌が なんとも贅沢だが、それ以上に心に残る余韻付がすばらしい。ちなみに演奏は、劇中のサム役・奥村健介さん、芝居はこの舞台が初めてらしい。歌はヒロインのイルザ役・有沙瞳さん(元宝塚歌劇団)で、その情感が観客の心を捉える。
(上演時間1時間30分 休憩なし)追記予定

Voice Training 2025

Voice Training 2025

虚空旅団

北池袋 新生館シアター(東京都)

2025/09/05 (金) ~ 2025/09/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
冒頭は確かに 説明にある「話し方教室」だが、しだいに人間関係 コミュニケーションの機微を描いた市民劇へ。教室に通っている4人の受講生の性格、職業や受講するキッカケが妙。そして後任講師としてやってきた女性の背景にある問題を相照らすような展開が、それぞれの立場をこえて学んでいくようだ。

単に 話し方のテクニックという表層的なことから、話す=言葉の持つ意味や 使い方で その場の雰囲気が変わる。そこに本音と建前の使い分け、生き方のようなものが浮かび上がる。この公演、すべてを明らかにするのではなく、人物の背景等を見え隠れさせ興味を惹き、そして想像させるという巧さ。そこに演劇の余白のようなものを感じる。また演出が丁寧で、自分がその場にいるような臨場感がある。
(上演時間2時間) 追記予定

今日は、これくらい

今日は、これくらい

サンハロンシアター

OFF OFFシアター(東京都)

2025/09/04 (木) ~ 2025/09/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

市の活性化の中心にしたい サッカーチーム:ジャンドゥーヤ鶫野、その試合をメインにした市民フェスタへ観客5,000人を集めるという一大イベント。その関係者や市民個々人の思いと行動を描いた庶民劇。

街興しはしたいが、その中心がJ3でもないサッカーチーム(現在JFL)。その関心度や思い入れが違い、なかなか一枚岩にならないところがリアル。夢中になるものって人それぞれ、それをどう纏めるか至難の業だ。その それぞれ夢中になるものを登場しない人物を通じて垣間見せる巧さ。
(上演時間1時間30分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術…中央が窓抜き枠のようで、場面に応じて枠内を入れ替える。また演台のようなものを搬入し、市にある洋菓子店などを現す。物語は鶫野市を活性化させるため、地元サッカーチームの交流試合に5,000人を集客するイベントを企画。サンハロンシアターは、キャストの高年齢といったことが書かれていたが、その実態を物語に重ね、若者が都会へ行き 鶫野市の高齢化が進んでいくようだ。

イベントに携わる人々の思い入れ(熱量)が微妙に違うため、今一盛り上がりに欠けている。しかし地元ということもあり、幼馴染や高校の同窓生を巻き込んで…。
チームの広報・営業担当の桐田俊也は、高校の先輩でありスポンサーである㈱ヘーゼレート営業部長 羽場健一にイベントの必要性を説いている。市民フェス実行委員の青島真沙美、高梨祥平は2人の様子を静観している。また羽場と高校時代 同級生だった槇村結子は、商工会議所職員として地元だがサッカーには詳しくない。亡くなった夫が野球 阪神ファンだったこともあり、どちらかといえば野球に興味があるようだ。そして娘が結婚しようとしている相手が巨人ファン、夫が生きていたら何て言うだろう(夫、娘とその彼氏は登場しない)。

このイベントで自慢の洋菓子--特製ティラミスを宣伝したいパティシエ・洋菓子店経営の川江瑠衣、こちらは商売が気になる。そしてこの店を手伝っている沢木田律の夢や生き方にも関わってくる。イベントの司会進行役として漫才師のヒクイドリタカイドリ(長谷吉彦、佐山敬太)が来るが、彼らは地元ではないことから、もっぱら自分たちの芸風等を気にしている。地元イベントといっても関心は人それぞれ違う。そこに「地元だから」といった変な強制・強要や同調圧力はなく、むしろ自然(体)な人間関係が築かれている。そこに何故か安堵感を感じてしまう。

そして集客は4,899人という微妙な数字(不達成)、コメディという名の予定調和にしないところに好感が持てる。ラスト、負け惜しみのように聞こえる、桐田の「今日は、これくらいにしてやる」だが、むしろ この捨て台詞が 明日に向けて という力強い言葉に思える。
次回公演も楽しみにしています。
『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編

『私立シバイベ女学園』灼熱の課外授業編

SFIDA ENTERTAINMENT

劇場MOMO(東京都)

2025/08/26 (火) ~ 2025/08/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

演劇とアイドルイベントを融合したような公演。
チラシにある、この学園は通信制の芸能学校という設定が肝。
物語は、生徒たちの学業 それも普通、高校で学ぶ主要5教科の成績が悪い。そのため課外授業が実施されたが…。
(上演時間1時間50分)【G組】㊟ネタバレ

ネタバレBOX

舞台美術は、後壁に8つの箱馬が横並びだが、ほぼ素舞台。

芸能学校といっても、そこでの学業は大切。芸能という人材育成と同時に教養や知識を学ぶことは必要、その学びの過程を面白可笑しく描く。自分たちの特技、例えば歌の歌詞に覚える事を置き換えてリズムよく覚えていく。歴史年号(年代)を語呂合わせにして覚えたような。この豊かな発想が彼女たちの魅力。一方、学園の経営という観点も重要、その葛藤や苦悩の役割を 校長や担任に負わせている。経営陣である理事長(登場しない)からの電話は、2人にとって煩わしく悩ましい。ここまでにダメ生徒と私立学校の一般的な内容を盛り込み、後半に芸能学校らしい特色を描く。

課外授業の1つとして、パワハラ・セクハラへの対応をシミュレーション劇として演じる。その対応の良し悪しを観客が判断する。そのため前3列までの観客にカラーエアーボールを事前に渡し、ダメだしは そのボールを舞台へ投げることで(意思)表示する。
芸能といっても 生徒たちは、アイドル・声優・グラビア・モデル・役者・お笑い芸人・インフルエンサー そして歌のお姉さん=8人(箱馬の数)。目指すところは違うが、今の芸能界を見ればスキャンダルやハラスメントで日々騒がれている。劇中でもスキャンダルー不倫ーはダメと言っている。その1つ1つのケースは深刻な問題だが、最近の風潮はSNSやメディアに乗ればエンターテイメント化してしまう滑稽さ。その問題意識を観客参加型で観(魅)せているが、全体的に緩いといった印象なのが惜しい。

舞台(キャスト)本来のダンスパフォーマンスは華やかで可愛らしい。先のボール投げなどを含め、その観(魅)せ場は サービスに溢れた内容だ。
次回公演も楽しみにしております。

このページのQRコードです。

拡大