monzansiの観てきた!クチコミ一覧

261-280件 / 418件中
ショッキングなほど煮えたぎれ美しく×アイロニーの夜

ショッキングなほど煮えたぎれ美しく×アイロニーの夜

KAKUTA

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2013/12/02 (月) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

懐かしき夏の日の青春後に訪れた清々しい旅立ち


その小旅行に、スーツケースは要らない。どこか懐かしい町だ。スマートフォンこそ出てくるが、その雀荘やパブ、工場の臭いは五丁目の夕日である。




今回のKAKUTAは、「ロック」と「朗読」という二つのジャンルを取り揃え、喫茶のコーヒーと一緒に提供してしまう試みだ。私が観劇した「ロック」の方はフリサトを招き、さながらライヴ会場である。冒頭のプロジェクター・パフォーマンスは本家「ロック系ライヴ」等で引っ張りだこ。特に こうした技術を使い知名度が高いのがA氏だろう。彼のライヴを○月、代々木公園隣接のライブ会場Bが取り壊される前に開催した合同ライブCで観ている。風景を映す作業とは違い、役者がドアを開ければ、映像も同じく「パカッと開く」必要がある。それは、「本番の中の本番」だから、たとえスクリーン映像だとしても、「生」なのだ。


緻密に人間ドラマを築き上げた後、「ライヴ」とともに全てをぶっ壊すシーンは是非観なければならない。これが本当の 積み木崩し だ。決して淡い青春の一頁ではなく、大人の世界に浸った快感を味わえる。舞台リアリズムと「ロック」の融合が これほどまで成立しえるなんて…


虹色の涙 鋼色の月

虹色の涙 鋼色の月

企画演劇集団ボクラ団義

SPACE107(東京都)

2013/12/04 (水) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

勧善懲悪の卓越した政治劇





私が今、規模拡大中の劇団を一つ挙げるとすれば、それは『企画演劇集団ボクラ団義』である。推理ものとファンタジーを組み合わせた、難儀なストーリー展開が持ち味だ。ロジックで形成しないから、推理ものとして評価できない観客も多い。ただ、ファンタジーという孫の手を借りた『ボクラ団義』は、稚拙な 種明かしすら「 どうだっていいではないか」という気にさせてくれる。


大海に浮かぶ「イーストムーン」に、ある日「部外者」が漂流したところから物語は始まった。客演の前田希美が演じるルナと、劇団エースの竹石が演じる○は、『ロミオとジュリエット』のごとく、階級を越えた〈愛〉を描くための駒ではないかと思った。もし、それが事実だとすれば、「恋愛ファンタジー」になる。だが、むしろ「卓越した政治劇」を全篇柔らかいスタンスで描いており、「恋愛」ではなかった。


上演時間が3時間20分(休憩なし)だった。当然、「休憩入れて欲しい!」という意見もあるが、少なくとも上演時間に異を唱えるのは違う。「イーストムーン」という王国の興亡を描く「卓越した政治劇」なら、相応の時間は掛かる。それでも、一部の戦争期をカットしたのだ。


つまり、これは一種の『シェイクスピア』に他ならない。一見するとファンタジー色が強いため、政治劇だとは解りづらいが、「恋愛」を排したのは その証だ。『マクベス』にしろ、『リア王』にしろ、シェイクスピアの真髄である作品達に「恋愛悲劇」はない。全てを削ぎ落としたリアリズムが政治劇だろう。

星降る闇にピノキオは、青い天幕(サーカス)の夢を見る

星降る闇にピノキオは、青い天幕(サーカス)の夢を見る

天幕旅団

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/12/05 (木) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

隠蔽社会を歩くピノッキオが溌剌としている


嘘をつくと鼻がニョキニョキ伸びるピノッキオは愛されやすい。何か隠蔽すれば即、相手に知られてしまう「安心感」がある。他方で、政府の鼻は隠蔽しても伸びないだろう。戦後、西側社会は情報公開を進め国民から ある程度の支持を得たが、一度「安心感」を失った政府は愛されない。


その身体性は童話の世界観であり、ファンタジーである。ピノッキオが正方形の舞台を360度 歩く場面こそ、全てを体現していた。それは、ビュア少年の溌剌とした、怯むことのない姿である。
現代舞踏の踊りによって 造り上げるのもひとつの手だったが、あえて童話的、アニメーション的だったことが、劇団の「ブラック・ファンタジー」色を薄めた。

※バレてないネタバレへ



ピノッキオの ラストは「ダーク・ファンタジー」だ。この部分は残存している。ただ、むしろ あのような結果だから、ピノッキオのピュアさも際立つ。一本の木で造られた鼻は私たちに向かって伸び続ける。それは隠蔽ではない。真実という名のファンタジーだ。

ネタバレBOX


「ピノッキオ」に挑む今作は4人の役者しか出演しない。当然、一人一役ではなく、ピノッキオと木彫り職人の お爺さん以外は「客人」「詐欺グループ」「サーカス団長」「教師」「友達」ら、様々な登場人物を演じる。酷にいえば、このピノッキオを舞台化する上において、4人という人数は少な過ぎた気もする。「一人が幾つもの役を演じることが舞台の真骨頂である」声も 確かだ。しかし、例えば「サーカス団長」に関しては一人の役者が演じる方が観客の心に染みたのではないか。前回の『宝島』のように、この「サーカス団長」とピノッキオの交流を描く構成もアリだったと思う。上演時間1時20分なら語り切れない。
♪~ご観劇ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。~♪ ミュージカル座ガラコンサート

♪~ご観劇ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。~♪ ミュージカル座ガラコンサート

ミュージカル座

六行会ホール(東京都)

2013/12/03 (火) ~ 2013/12/06 (金)公演終了

「シャッフル・ミュージカル」は貴重ー次世代の台頭も感じた

『ミュージカル座』創立19周年を迎え、名場面を惜しげもなく披露するガラ・コンサート…。年末という時期柄、今年上演された作品10本の総特集でも問題なかった。10本の「あのシーン、このシーン」だけで、十分 観客を喜ばすことのできるミュージカルのボリュームだろう。ところが、10年前の舞台作品であったり、戦争ミュージカルとして高い評価を受けた『ひめゆり』等の名場面すら、省略せずに「あの時の涙」を再現したのである。


これほど絢爛かつメッセージ性に溢れたガラ・コンサートを観たことがない。数々の名場面を通し、その歴史や、人物の生きる力、メッセージをまっすぐ贈った。すなわち、私は 半数以上が未見だったから、『ミュージカル座』を初めて観劇する人も楽しめる。『ミュージカル座』を毎回観劇しなければ済まないファンは…言うまでもない。自らの人生とリンクさせ、最大19歳若返ったのだと思われる。


※バレてないネタバレへ




ミュージカルの力を濃縮した、アンサンブルの圧倒的歌唱。地響きこそ聴こえないが、改めてミュージカルのファンを開拓しそうな熱量を含む。
「素晴らしきミュージカル」を まとめあげてくれたと思う。そして純国産ミュージカルに誇りをもつ段階かもしれない。

ネタバレBOX


シックな大人の雰囲気のなか、途切れない名場面は、新たなる可能性を試す場だった。最もシンボリックだったのが『トラブルショー』である。設定は舞台裏、役者として待機していた少女が高熱のため、出番直前にもかかわらず倒れてしまうシーン。このトラブル下、二人三脚で少女の女優生活を支える母親が「わたし…やります!」と名乗りを上げた。しかも、難しいもので、少女の役柄が「マッチ売りの少女」であった。私が『トラブルショー』の名場面を一つ示すとすれば、この「代役シーン」だろう。今回のガラ・コンサートでは、母親を演じた女優が娘になり、母親は男性プロデューサーとなる。「名場面」のチョイスが申し分ないのは もちろん、ユーモラスな その演出は『ミュージカル座』の貫禄だった。時折、「素晴らしきミュージカル」を俳優の声に乗せて伝え、「ユーモラス」で より心を鷲掴みにする。距離感の近さは アメリカン・パーティ(東海岸)である。
ゆびに のこる かおり

ゆびに のこる かおり

大人の麦茶

紀伊國屋ホール(東京都)

2013/11/29 (金) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

新島出現に祝砲を放つ、魅力的で忙しい島民たち
小笠原諸島の ある島を舞台に巻き起こる、スウィートコメディ…
1952年サンフランシスコ講和条約で日本国から切り捨てられたのは沖縄県だけではない。小笠原諸島も同じ身であった。第二次世界大戦中ー米軍直接統治ー本土復帰ー現在までの歴史を 振り返りたい。

【●戦争の時代 小笠原諸島は南洋の要衝として、大正9年(1920) に父島の要塞化が開始され、戦争の始まりとともに母島列島や 聟島列島でも要塞建設が進められました。昭和 19 年(1944)には 戦況の悪化により、父島 16,000 人、母島 6,200 人の兵員が増派 されるとともに、島民 6,882 人の強制疎開が行われ、旧島民の悲 劇と帰島に関わる様々な問題を残しました。父島、母島では、艦 砲射撃と空襲により島民義勇隊を含む約 4,500 人が戦死し、家 屋や産業施設が失われました。
復帰・復興の歴史と自立化の時代
昭和 43 年(1968)、戦後 23 年を経て、小笠原諸島の本土復帰が 実現し、小笠原村、小笠原総合事務所、東京都小笠原支庁等の行 政機関が設置されました。島民の帰島も開始され、生活再建のた め、昭和 44 年(1969) 小笠原諸島復興特別措置法制定、翌 45 年 (1970) 小笠原諸島復興計画閣議決定を経て、小笠原諸島の復興 事業が開始されました。同特別措置法は、平成元年(1989) 小笠 原諸島振興開発特別措置法に改正され、小笠原諸島振興の推進力 として大きな役割を果たしています。また、世界的に貴重な生物 の生育域であることに鑑み、島しょの大半が国立公園区域に指定 され、自然の保護と観光レクリェーションの場として島しょ利用 の方向が示されました】
(-BLUE DIAMOND 第1章「小笠原諸島の あらまし」2.歴史文化 より抜粋)

小笠原諸島には今、約2500人が住んでいらっしゃる。戦中の約8000人(兵員含まず)と比べると激減し、本土復帰で再び増加されたとはいえ、その数字は戦争の影を落とす。硫黄島は ほぼ全日本兵が命を失った「太平洋最大の激戦地」=玉砕地となり、遺骨回収作業は未だ終わっていない。職種は硫黄島で勤務する公務員が多くのシェアを占めている。

余談であるが、南国イメージを持つわりに 農業専従者は現在70人程しかいない。つまり、南国フルーツ等の生産は限定的であり、「小笠原産」の特産物が市場に出回ることも微小なはず。もし、スーパーマーケットに陳列されていれば、「偽装表示」の疑い大だ。



沖縄県と全く違うのは、日本敗戦後、1946年に「白人系島民」129人が「帰還」したことである。小笠原諸島を発見したのはイギリス人などの「白人」だから、日本人以外にも、多数の外国人が住んでいたのだ。(おそらくミクロネシア系の人々も)


こうした小笠原諸島の歴史背景を知って観劇するのと、知らないで観劇するのとでは感想も雲泥の差だろう。小笠原諸島において重要な「戦争の影」と「多人種性」がストーリーの中へ組み込まれていたため、郷土愛に溢れた舞台であった。


つい先日、小笠原諸島の海面から新島が出現した。タイムリーなニュースである。 

【火山噴火で新しい島、海図記入も 小笠原諸島、海保が空から監視
2013年11月21日

火山の噴火に伴って小笠原諸島の西之島(東京都小笠原村)近くに出現した新しい陸地について、海上保安庁は21日、航空機による上空からの監視を続けた。船舶には火山活動への警戒を呼び掛けるとともに、今後は巡視船を派遣して測量し、島として海図に書き加える可能性もあるという。
 海保によると、20日午後、西之島の南東約500メートルの海上に直径約200メートル、最も高いところで標高約20メートルの陸地が出現し、黒い噴煙が約600メートルの高さに達しているのを上空から確認。
(共同通信)】

CNNニュースサイトも世界の「新島」出現の例を踏まえ伝えている。

【小笠原に新たな島誕生、海底火山の噴火で

海底火山の活動に伴う新たな島の出現は2009年、南太平洋の島国トンガ近くでも発生。またアイスランド沖では1963年、スルツェイ島が新たに生まれていた。】(CNNニュースサイト 上記記事より抜粋)

日本は、紛れもなく海に囲まれた海洋国家である。3.11も国土の形状(三陸リアス式海岸)故に発生した大災害だろう。小笠原諸島は津波、地震、台風被害等では、世界有数の災害地帯。澄んだビーチと青空、南国の花が咲く自然地帯でもある。それがユネスコに認められ、2011年、「世界自然遺産」に登録された。海中噴火の後、海面に ひょっこり現れた「かわいい島」は、この国の自然の表裏も写し出す。
観光課のパンフレット等 、配るべきだったのではないか。


麦茶にミルクを注ぐと、「コーヒーミルク」の味がするらしい。今のところ、私は試した経験はないが、たしかにカフェイン系の飲料とミルクは合う。コーラの上にバニラアイス(乳成分〉を置けば「コーラ・フロート」、紅茶に混ぜれば「ミルク・ティー」、溶けたカカオに加えれば「ココア」である。独特の苦味が 柔らかく、まろやかになる。

さて、『大人の麦茶』主催公演は おそらく初見なのだろう。だが、決して〈初めて〉観た劇団という気もしない。それは、近年、『ミュージカル熱帯男子』や、ゲキハロ×大人の麦茶『ごがくゆう』らビッグな舞台に関わってきたからだ。この舞台歴からいえば、中々「小劇場パワー」に溢れており、私としては意外であった。


※バレてないネタバレへ

ネタバレBOX

小笠原諸島の ある島を訪れたアミューズメントビジネス大手S&Bの課長が、廃業の決定しているホテルへ資本増強を持ちかけるところから物語は始まった。作風はコメディかもしれない。もっとも、サスペンス顔負けの展開である。
ホテル・レストランを活かし、専属歌手○が唄い抜くシーンは魅惑的な3分間だった。これこそ『大人の子守唄』だろう。


もし、「奥深い恋愛観」がなかったら、彼女○の唄を 5曲 贈らないとブーイング級であった可能性が高い。様々な「カップルの形」が、駆け引き等が、「唄」に該当したのだと思われる。共通するのは予期せぬ「カップルの形」だろう。すなわち、その忙しさは「小劇場パワー」である。



椿荘の四季

椿荘の四季

劇団CANプロ

銀座みゆき館劇場(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

これぞ日本家族の距離感
四季を通し「椿荘」住民の人生を写す。ある種、「4つのサイクル」を基に、新緑の芽が、季節移ろうごとに成長する様子を分割してしまう構成だ。「夏日本」に始まり、「春日本」に終着点を見出したストーリーからも伺える。逆にいえば、「春日本」のラストが決まっていて、その季節に合わせた始まり方でもある。


※バレてないネタバレ



以上はチラシやサイトに接していない真っ白の観客が抱く。すぐさま「下宿屋」は明かされるわけだが、当初は関係性すら理解できず、大人が居間で繰り広げる会話も おかしかった。


サスペンス性を穏やかな「日常風景」に埋め込む演出。これは、残念ながら、一定の緊張感こそ伝わったものの、「今ひとつ」ではなかったか。つまり、「日常風景」を重視するため、サスペンス性が抑えられてしまった。


改めて本作を観て、「プライベート・コミュニティの距離感」の変化を考えざるをえない。最近の若い家族は、ベビーカーを押す お母さんも含め、身勝手な人が占めている。これを「利益共同体」と呼ぶ。あえて、「ファミリー」ではなく、「プライベート・コミュニティ」としたのは、多くの集団に公徳心の欠如がみられるからだ。相次ぎ発覚した食品偽装事件は写し鏡だろう。

【エビに牛脂注入肉…84ホテルで不適正表示
読売新聞 11月29日 14時16分配信
 全国で相次ぐメニューの虚偽表
示問題を受け、衆院消費者問題特別委員会で29日に参考人質疑が行われ、日本ホテル協会(会員247)の小林哲也会長は、全会員の3分の1にあたる84ホテルでメニューに実際と異なる不適正な表示があったことを明らかにした】

中にはロブスターを伊勢海老産だと偽装表示したホテルチェーンもあった。メディアの論調は「経営者責任」の一色だったが、辞任すれば済む問題ではなく、今後も どこかのホテルで食品偽装は繰り返されるはず。なぜなら、厨房スタッフ(従業員)の ほぼ全員が食品偽装を把握していた可能性が高いからである。公徳心の欠如そのものだ。


内部告発で著名な事件は、2002年雪印食肉偽装事件だろう。あの際、雪印の取引先だった(株)西宮倉庫社長・水谷洋一氏が圧力に屈していれば、多くの国民が今も犠牲になっていた。水谷氏のメッセージは会社ホームページに掲載されている。


【(略)〜2002年、お客様でもありました雪印食品により弊社倉庫内で牛肉偽装事件が引き起こされ ※1苦悩の中で私は内部告発という行動に至りました。 告発後は国土交通省より営業停止処分、相次ぐ取引先の撤退などにより廃業もやむなしと追い込まれたこともありましたが、様々な方々の心温かいご支援もありなんとか会社を立て直し、現在では専務 水谷甲太郎(四代目)を中心に新たな西宮冷蔵として駆け出しております】


2007年のミートホープ社食肉偽装事件も、苫小牧市の工場で働いていた中堅社員の内部告発が発端だった。西宮倉庫とは違い、直接の主謀者だったこともあり、「地元の顔」は破綻した。
水谷氏、ミートホープ元社員とも、地元経済界ー地元住民のバッシングを受け続けている。2004年制定の公益通報者保護法は設けられているが、通常、依願退職するか、会社自体 倒産するケースが ほとんどだ。
2008年の事故米事件に関しても、2007年1月に三笠フーズの社員が農林水産省に情報提供=内部告発し世に現れた事件だが、やはり三笠フーズは破綻している。会社が続いても社内で圧力をかけられ、倒産したら失職してしまう。いずれも地元経済界ー地元住民のバッシングは変わらない。身を捨てる公益性がなければ、内部告発など絶対にできない。

流れが変わったのは 2010年の尖閣諸島漁船衝突映像YouTube流出事件だ。あれ以降、大型の内部告発事件は減った。特に今回の食肉偽装事件が明らかにしたのは、「利益共同体」の強化だろう。数千の調理人が「無添加」表示を知りながら牛脂を注入し、また電子レンジを多用したのである。数千もいながら、大手ホテルチェーンの食品偽装事件は今年まで社会問題化しないまま、高級レストランに訪れた紳士達を騙してきたのだ。そして、発覚の方法も、従業員が内部告発を行うドミノ式とはいかず、(匿名の情報提供をされ)ホテル上層部・日本ホテル協会が上から調査して公表する形だった。これこそ、従業員の組織防衛の力である。

健康ブームは「無添加」の標語を生んだが、それは2000年代からの傾向だろう。結果「偽装」になったのは消費者の健康志向に応えようとする企業側の論理だ。すなわち、食品偽装事件は 比較的「新しい問題」である。しかし、自らは 賄い料理で「無添加」を食しておきながら、大半の、数千の従業員は見て見ぬふりをした。日光東照宮「見ざる、言わざる、聞かざる」は、決してそういうことではない。彼らは偽装を認識した上で調理していた。これでも、「経営者は辞任しろ」で解決する話といえるだろうか。FacebookやTwitter、ブログなど、誰もが書き込みをできる社会である。公益通報者保護法も制定され、内部告発しやすい環境ではある。消費者庁、独立行政法人・国民生活センターなど、生活者の視点に立った機関の権限も拡がっていく。ところが、同質性というか、公共より「利益共同体」を守る考え方が従業員に備わっている。その考え方が「内部告発しない」という「行動」につながる。たしかに、内部告発は捨て身でなければならないが、ここ数年、整いつつある環境と反比例するように減った大型の内部告発は 以上が原因ではないか。

リベラル政党が今、「終身雇用制」を絶賛。しかし私は国家や広く社会にとって、集団の「利益共同体」は害でしかないと思う。最近の若い家族も、周りの人々を無視した振る舞いをすることが多い。「人様」というこの国の公徳心は忘れ、自分達さえよければいい「私」に溢れている。1/3の大手ホテルに確認された今回の食品偽装事件は、経営者のみならず、数千単位の従業員における公徳心の喪失、(公益通報者保護法が制定されたのにもかかわらず)内部告発が 長期間なかった事実が 「私」=「利益共同体」の再傾向をあぶり出す。

本作は「下宿屋」だからシェアハウスではない。だが、適当な距離感を保つ関係は「あるべき日本家族」だった。例えば、昔の『サザエさん』(長谷川町子 著 朝日新聞社)だと、フネは子供にあたるサザエやカツオを「サザエさん」「カツオさん」とも呼んだ。1950年代までは、こうした呼び方が登場する。昔は、母親なら我が子あっても、「○○さん」と呼んでいた。普段の生活のなかでは少なかったが、確実に 一定の距離感を保って接する習慣はあった。また、50年代までは半数以上がお見合い結婚だったため、夫婦間にも一定の距離感は保たれていた、といえる。
NHK『視点・論点』で、少子化問題の専門家である早稲田大学教授の森川友義氏がお見合い結婚について語っておられる。

視点・論点 「恋愛事情からみた少子化問題」2012年06月27日 (水)  早稲田大学教授 森川友義
【戦前の1930年代では10人に7人、戦後でも60年代前半までは2人に一人がお見合い結婚で結婚していました。
 ところが、60年代後半から、西洋的な恋愛重視の風潮、お見合い世話人の減少等の理由から、徐々に見合い結婚が減少し、70年代では3人に1人、80年代では5人に1人、90年代では10人に1人、現在では20人に1人程度が、お見合いで結婚しているにすぎません】(NHK アーカイブより抜粋)

日本社会の「家制度」が個人を束縛していたのは その通りである。しかし、「人様」の言葉が その上にたち、公徳心を大切に扱う精神構造も またあった。家庭内すら一定の距離感を保つ儀式的構造は現代の「利益共同体」に比べ、むしろ繋がりは薄いのではないか。


私は、先日公開された映画『ペコロスの母に会いに行く。』舞台挨拶試写会を観に行った。この映画は86歳を迎えた喜劇映画の巨塔・森崎東監督が長崎市在住漫画家の原作を基に描く、母(認知症)と息子(通称ペコロス)の「認知症コメディ」である。母の若かりし頃を描いたシーンは おそらく50年代だろう。父親を加瀬亮が演じていた。一軒家に引っ越した際の、若い夫婦の遠慮がちな雰囲気が昭和…。これぞ夫婦の距離感である。

「椿荘」の人々がみせたコミュニティは程よい距離感だった。干渉したくとも、干渉できない距離感である。たしかに 展開に欠け、気がかりな舞台だったかもしれない。ただ、ドラマとしては水準が高く、爽やかな舞台である。

ネタバレBOX

冒頭、2人の青年が「 台本」「公認会計士試験教材」の文章を呟くシーンで、多くの観客の心を掴んでしまったと思う。何か展開が育まれるわけでもなく、淡々とした「日常風景」である。この時、チラシやサイト等に接し「下宿屋」という事前知識を持っている観客なら、2人の青年の存在は不思議ではない。だが、何の背景もしらず、ソファとテーブルに それぞれ座った青年をみれば、その関係性は「兄弟」だろう。いずれ、「先輩」の声を聴き、「学生?寮生活?」のクエスチョン・マークが浮かぶ。
東京ノート

東京ノート

劇団俳協

TACCS1179(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

フェルメールの「光と陰」を演劇的に試みる粋


美術館の休憩スペースを舞台に、「名もなき人々」が織り出す会話劇。〈コの字〉型の客席は、上部か、側面か、下部の線かで 全く違った風景だろう。側面だと「対話する役者」を観察できる。一方、上部もしくは下部だと、概ね「対話者としての役者」だ。観る角度次第で、各々が違った感想を持つはず。特に上部か下部の線に座る観客であれば、後ろ姿を観察するわけにもいかず、対話者の「レスポンス」を注視してしまう。そして、周りの美術館客の影響さえ受ける「レスポンス」が、「繋がりとは何ぞや」を想起させてくれた2時間…。

日本の美術館は、料金が高い。特別展なら「千円」を超え、パリ市民における「休日の憩いの場」とはいかない。第一、映画館すら「1800円」の価格設定が効いてしまい、一人当たりの映画鑑賞数は「年間一本未満」の状況だ。それでも、TOHOシネマズやワーナーマイカルシネマズ等が中心となり、「デジタル化上映」(DCP)「シネマコンプレックス」他、「映画の日」「サービスデイ」「レディースデイ」「高校生友情割引」などを設け、ユーザーの獲得に力を入れている。
美術館に同じキャンペーンができない理由は、学割(こども料金)が安価だからだろう。映画館の場合、大人正規料金1800円に対し、こども(中学生以下)正規料金は1300円。両方の価格差を比べると約30パーセント。ご利用された方は お分かりと思うが、美術館の場合、50〜80パーセントである。しかも、都民の日や文化の日といった祝日になれば、無料開放デイを設ける必要も出てくる。(多少の予算が計上されたとしても)美術館の財務体力にダメージを与える状況なのだ。

やはり、学割(こども料金)を映画館、アミューズメントパーク並に引き上げ、収入を確保することが先決。フランスのサルコジ大統領(当時)は2009年、18歳を迎えた成人市民を対象に新聞一紙を一年間無料で提供する政策を発表した。この報道は日本でも取り上げられ、「業界支援ではないか」とする批判も巻き起こった。だが、新聞を「活字文化」の範疇に置けば、国が市民の文化生活を支える「フランスらしさ」である。すなわち、日本も、国が美術館を財務援助し、たとえば20歳の市民は「100円均一」などの政策を考慮すべきだ。また、映画館の「映画の日」に負けじと、「美術館の日」を設定しなければなるまい。毎月A日を「入館料半額」に値下げしては どうか。映画館が「映画の日」を実施するのは値下げしても利益が確保されるからであり、美術館が年数回 無料開放デイを設ける非経営性はない。半額にして月一回 大量の市民を呼べば、必ずユーザーはリピーターになる。

美術館の営業において細かい点を指摘すると、「月曜日定休」と「17時閉館」の慣行が時代に取り残されている背景ではないか。今、「○曜日定休」などの看板を掲げた店は少ない。かろうじて商店街の洋食屋さん 等は定休制だが、なぜシフト運営が可能であるはずの美術館が個人経営の店と同じスタイルなのか。「17時閉館」は高齢者しか寄れない時間帯だろう。

こうした時代遅れの制約を取っ払い、「コンビニ化」を進めた姿が、「市民の通う美術館」である。私は美術館がレディースデイを設けない一点は評価している。それは、性差別主義に抗した「パブリック・カルチャースペース」である。国が支えるに値す「場」だ。













呪い

呪い

ジェットラグ

赤坂RED/THEATER(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

日本的方法の願望♡ショートストーリーズ


間違いなく、「いなり寿司」(お稲荷さん)を世界一連発した舞台だろう。まず、呪いをかけられ いなり寿司化した男の姿が興味深い。頭からつま先まで、キツネ色の 油揚げが覆う。スーツの襟のごとく、胸のあたりにかけ中身の酢飯がこぼれており、顔面すら 米粒が ギッシリである。ぜひ 「生もの」を ご覧頂きたい。

「明日、目が覚めたら いなり寿司だった」という過酷極まりない現実を考えた人は何人いるだろうか。スーパーのパックに「一個」「二個」「三個」の単位で整列されている、あの小さな物体ではない。私自身が いなり寿司。これは…強力なシチュエーション。SFコメディの捉え方が可能だろうし、周囲(彼女等)のリアクションは新たな展開も造り出す。

ショートストーリーズ(3つのオムニバス)が重なり合い、濃縮された会話劇を続けざまに観劇する感覚だった。原作を書いた徳井氏によれば、作品自体は「短い」という。ショートストーリーズ形式にしたのは、山崎氏(江古田のガールズ)が徳井氏の書いた『呪い』の基本(作風、展開)は崩さず、しかも約2時間の大作として届けるためではないか。「脚色」の部分だろう。初演時の舞台、原作こそ未見だが、ラストに山崎氏の「脚色」が炸裂したように思う。

脚色演出・山崎氏の『江古田のガールズ』は過激コメディ団体である。小劇場アイドルユニット『38ミリなぐりーず』の仕掛け人。そうか、彼の手に落ちれば、「いなり寿司」も一つのジャンルだ。

See You 【観客総動員数1000人突破!】

See You 【観客総動員数1000人突破!】

LIPS*S

新宿シアターモリエール(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

「SFアクション」目当てなら間違いなし


地に足のついた、オンラインSFゲームだ。

こんな小さな舞台スペースで、アクロバットSFを繰り広げる力量。「どっしりとした構え」 と 「秒速の殺陣」に病みつきになった。
いっそのこと映画化すればいい。

管理局長役を務めた丹羽隆博(バッコスの祭)の、他者を寄り付けない存在感…。絶妙コメディ…。終盤にかけ、全体のスピードこそ落ちていったが、丹羽の それは(前者)は「見せ場」として健在だった。怪我せず良かった!





ウォルター・ミティにさよなら2013

ウォルター・ミティにさよなら2013

TUFF STUFF

相鉄本多劇場(神奈川県)

2013/10/27 (日) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

ミス•ソフィーの名称を

「『ソフィーの世界』という世界的にも著名な哲学小説が ありますが、3人の〈主人公〉が それぞれ自認するストーリーは〈私とは誰か?〉を考えさせられます。
あの小説は、少女ソフィーの視点と〈見えざる手〉を通じたファンタジーです。つまり、〈ウォルター・ミティにさよなら2013〉に置き換えると、3人の主人公は〈見えざる手〉を知っていたわけで……
それは、序盤の台詞等をみれば歴然でした…」

アイ・アム・アン・エイリアン

アイ・アム・アン・エイリアン

学習院女子大学 pafe.GWC実行委員会

学習院女子大学(東京都)

2013/11/25 (月) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

議論の在り方を、議論しよう
臓器移植のための心臓を、「A」「B」どちらのドナーに移植するか市民が議論する問題作。2009年、改正臓器移植法案が可決して国民の関心事となっことを契機に舞台化され、今回の公演で三度目となる。

過去、学習院女子大学キャンパスの教室を使うスタイルを生かした、来場者と役者が円形状に座り、参加者としての臨場感を味わってもらう試みも あったらしい。三度目の舞台化では残念ながら こうした試みはみられず、〈常道〉のスタイルだった。

一言で表せば、臓器移植の問題を考える上の教科書のようなストーリーである。もちろん、娯楽性において求められた「オネエ」「ギャル」「不真面目夫」等、その登場人物達は工夫を感じられる。しかし、臓器移植先のドナーを選ぶ対立する議論や、議論の進め方そのものを問う「逸脱した形式論」を繰り広げる手法は一貫していた。実は 参加者の一人が提供者か移植ドナーの親類だったり、実は議論そのものが「テスト」だったいうような、ストーリー展開の行方で引き込む作品ではない。参加者8人のはずが、1人欠席していた冒頭シーンも、「起こりうる」を形にしたまでだった。欠席者が その後の展開に無関係だったとは。

今、社会では、脳死判定を「人の死」と定義した臓器移植の法整備が行われたため、ACジャパン(旧公共広告機構)の2013年度支援キャンペーンの下、臓器移植提供について広報活動が盛んである。今年度はタレントの安めぐみ さんが起用された。ラジオCMの内容を ご覧頂きたい。


安さん 「安めぐみです。知ってました?
保険証のウラに、もしもの時の事、書く欄があるの。」
ナレーション 「臓器提供の意思表示は、健康保険証、
運転免許証のウラで。意思表示カードやインターネットでもできます。」
安さん 「もしもの時、私の意思がわからなかったら、
大切な人を迷わせてしまうことになるから…。」
ナレーション 「家族や大切な人のために、
あなたの意思を表示してください。
提供する、しない、どちらの意思も尊重されます。」
安さん 「私はしてるよ。意思表示。」
ナレーション 「日本臓器移植ネットワークです。
ACジャパンは、この活動を支援しています。」


欧州なら臓器移植はポピュラーな考え方だろうが、日本人は消極的傾向が強い。内閣府が本年度に実施した世論調査(10月公表)によると、臓器移植提供意思表示カード、運転免許証や保険証等に意思表示をした人は12.6%だ。触れる機会の多い身分証だから、過半数の人は記述欄の存在を知っているはず。消極的考え方の多さが伺える数字だ。他にも内閣府の世論調査は興味深い結果を示す。

毎日新聞ネット版 2013年10月19日 20時49分
【 内閣府が19日発表した「臓器移植に関する世論調査」によると、脳死になった家族が臓器提供の意思表示をしていなかった場合、提供を承諾しないとした人は49.5%で、承諾するとした人の38.6%を上回った。一方で、書面で意向が示されていれば意思を尊重するとした人は87.0%と高かった。

 2010年に改正臓器移植法が施行され、本人が拒否していなければ、家族の承諾で臓器提供が可能になった。しかし、提供につながるかどうかは、本人の意思表示が鍵であることを示す結果となった。厚生労働省の担当者は「提供する、しないに関わらず、意思表示はしてもらいたい」と話している。調査は法改正後初】

日本では49%の親族が脳死状態に陥った本人の意思表示がない場合、臓器移植を承諾しない立場だ。つまり、半数は「臓器移植は特別な行為」という考え方である。メディアが広報活動を拡げてもなお、自らが脳死判定を受けた際、臓器を「提供」すると答えた人は43.1%だった。実際に意思表示をした人が12.6%なのだから、「提供する」のうち、(全員「提供する」の意思表示だったとしても)7割は確立された考え方ではない。死生観などを通し、過半数の人が臓器移植へ消極的傾向を持つ。これを踏まえ、先ほどのラジオCMを確認してほしい。

「提供する、しない、どちらの意思も尊重されます。」のナレーションは、「提供する」の答えを先頭に置く。だが、日本の現状は半数の人が「本人の意思表示がなければ承諾せず」、しかも過半数が「臓器移植消極傾向」である。YES/NOの住民投票なら「提供する」が先頭にきても構わないが、国民の臓器移植へ対する意識が欧州と比べ消極的な以上、「提供しない」を先頭に置く順番が適切だろう。

臓器移植の問題は、免許証や保険証に提供の有無を記載する欄が設けられ、日常生活のなかで欠かせないテーマとなっている。気を付けなければならないのは、「提供者は善」といった構図の広報活動がとられている点だろう。「非提供は無知」では決してない。ただ、「提供者を善」と位置付けるACの広報活動を国民が見聞きすれば、非提供の意思表示をした個人であることが社会的に良くないイメージを持たれる世論を形成してしまう。これが、日本社会の「空気」だ。

ネタバレBOX

この舞台の設定の特筆すべきは、被提供者が4歳児であり、しかも心臓を患っているため本人の意思確認をできないところだ。家庭の経済力、兄弟構成、生い立ち、家族のアピール力でしか、選ぶ基準はない。年齢制限を緩和した改正臓器移植法(16歳未満でも可能に)ならではの問題点をえぐる。本人(幼児)に会えば「どちらが可愛いか」が (潜在的な)基準になるかもしれない。残酷なものだ。

議論もよかったが、むしろ強調したいのは上記の「人間の部分」である。休憩中の やり取り で対立していた参加者同士が一定のコンセンサスを得たシーンが象徴する。「人間の部分」は、議論を闘わせる際の日本人である。論点が不明確、感情論、流されやすい、一部の参加者が引っ張る…。つまり、臓器移植のみならず、「日本人と議論」という広いテーマで捉える方法も可能なのである。「Aのドナーか」「Bのドナーか」ではなく、大切なのは議論の在り方だろう。
紅い爪

紅い爪

劇団虚幻癖

Livetheater間~まほろ~(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

落とし穴は案外、近くにあり?


猟奇的会話劇が見事。それを封じ込めるためにコメディを挿入するやり方も勇ましい。

ヨーロッパの とある郊外(私は北米の田舎町を感じた)に住む一家…。その幸せな家庭生活が崩壊していく猟奇だ。姉○と弟○の関係性がコインの表裏のように両極端。口調等は外国劇をモチーフとするが、セットや しぐさはともかく、その金髪カツラ(あるいはブレンド)はハイレベルだった。父親○のブレンドヘアーからピンセットが覗かせていた点以外は申し分ない。

もし、勇ましいコメディが なかったとすれば、どのような舞台だったか。叙情性や、セット、しぐさ を注意深く観察されたはずである。しかし、コメディの要素を 挿入した結果、私たちは全体の評価をしなければならなくなった。すなわち、「猟奇の表」と「コメディの裏」に錆が付着しても、いずれかの面だけではなく、一枚のコインで『紅い爪』を考える必要が出てくる。こうなれば、総体として整った舞台に思えてくるから不思議だ。

詩的であり、エロシチズムであり、虚無的である。その内実性を劇場というタンクに充満させた後、ラストのラストで ずどーん と爆発させる。もちろん充満する過程は不安だ。コメディなる「裏側」こそが それを払拭しガス抜きを図った可能性もある。

この劇団は発展途上国か。それとも先進国か、未開発地帯か。私は、マレーシアの離島だと言いたい。





さいごの国の、はじまりの彩(いろ)

さいごの国の、はじまりの彩(いろ)

『和』 -NAGOMI-Company

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2013/11/22 (金) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

感傷的だが引き込む思春期版『不思議の国のアリス』だ

女子高校生の現実を、ファンタジー色が強い空気感で優しく包み込む時間は何とも心地良い。途中、いびき が二人程の観客から劇場に響いたのも、「手のひら」に覆われた結果だろう。この感触は、まさしく女子高校生•篠原望海(光希沙織)の慕ったババちゃん(芹沢結海子)へ通じる 温かさである。


ドリンクバーで生ビール一杯注文した私は、白い幕とカラフルな段ボールのセットを確認し、場違いを思い知らされた。多くの観客はオレンジジュースやカシス系統のストロー付きドリンクを手にする。ここは野球場ではない。だが、生ビールの充満する紙コップを手にしたことは正解だった。望海を演じた光希の しとやかな姿が「絵本」に終わらせない大人舞台を造ったのだ。

ネタバレBOX


「想いを伝える」を、これほどまで肯定した舞台も珍しい。伝えれば絶対に解ってくれる訳ではない。高校の先輩、父親、母親、義理の兄へ「想いを伝える」をリレー形式で順番ごとに繰り返すのも、結末を待つマンネリは否定できない。(暗黒の女王の囁きだと不十分)しかし、この心地良いは電源を入れ続けたマッサージチェアである。「マンネリ力」とでもいえようか…。

むしろ、感傷的であることを自覚し、それすら包み込もうとしている。
テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

テラヤマ☆歌舞伎『無頼漢 -ならずもの-』

流山児★事務所

みらい座いけぶくろ(豊島公会堂)(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

70年代のアングラ観が、広く、大きい公会堂で発揮された



「テラヤマ歌舞伎」は寒さ凍てつく中池袋公園に突如 姿を現す。百貨店のガラスの入り口にいる婦人が歩行者か、開店を待ちわびる買い物客なのか、解らぬ光景と一緒である。照らさた夜の都市公園は、たった10分間「祭り」の空間に包まれた。集いし人々はバーゲンで安い商品を購入するため 他人を押すことはない。寺山修司という怪物の面影を感じるために輪を囲む…。

「世の中を変える演劇」があえぐ相手は権力である。今年度東京国際映画祭関連シンポジウム『ーMOVIE CAMPUSー第一部『時代劇へようこそ~先ず、粋にいきましょう』で文化庁の佐伯知紀氏(文化庁文化部芸術文化課 主任芸術文化調査官)が述べておられたコメントが よぎった。つまり、戦前の歌舞伎映画は「検閲を逃れやすい。故に最もその時代性が反映された」らしい。シンポジウムのオープニングに流された時代劇映画は幕末、悪代官に立ち向かう浪人2人と百姓達を描いた<活弁付き上映>『斬人斬馬剣』(デジタル復元版)である。明らかに今この時代の政府•官僚をもじった「テラヤマ歌舞伎」は、今この時代だからこそ再び歌舞伎を持ち出さなければならない悲劇だろう。

寺山修司がカタカナの「テラヤマ」へ書き換えられ、末は「TERAYAMA」のローマ字へ変わる未来。「100年たったら見においで」というが、没後30年でカタカナ表記の男は、これからも書き換えられ続けるはず。

大人数の歌舞伎が、江戸を書き換える。大人数の歌舞伎が、幕末を書き換える。殺陣こそ 未熟であった その大人数の歌舞伎は、時代そのものを別の身体に変えてしまった。「浸る」とは こういうことを指すのか。過保護の母から離れられなかった寺山修司。主人公の青年が代わって川に棄てた。かと思いきや、母は花魁にすくってもらい、作品の中でさえも、最後まで 息子にまとわりつく。





プロペラとスカーフ

プロペラとスカーフ

アトリエ・センターフォワード

シアター風姿花伝(東京都)

2013/11/15 (金) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

その風=大正浪漫飛行は技術立国の原点を教えてくれる
「大正浪漫」を地で、いや、空で行く物語だった。時代は大正8年(1919年)弱小小型飛行機研究所の、資本家、労働者階級の枠を超えた、「飛行機を戦争のための道具にしない!」熱い意欲を、重厚なドラマ性で描く。

今までの「大正浪漫」をモチーフとした舞台であれば、「運動家」を悲愴感のもつ「良い姿」で捉えることが多かった。また、その反対に、若い「海軍士官」を制服カラーのような「真っ白な」青年として捉えることも多かった。いずれも、両者へ明確な線引きを行い、「比較対象」から大正(昭和初期)の空気を再現したのである。前者は「軍国主義」「軍人」だったし、後者は「現代人」だろう。

ネタバレBOX

この“常識”では、「運動家」峯岸(眞藤 ヒロシ)を第一、第二の登場シーンだと銭をかっぱらう「いかがわしい男」に捉え、第三の登場シーンには協力者を匿う「筋の通った男」として捉えた展開は“非常識”だ。同じことは海軍士官•仁科(矢内 文章)にも指摘できる。それは、同じ人間が時と場所で変貌を遂げてしまう、世の中の“常識”に他ならない。


「飛行機を戦争のための道具にしない!」熱い意欲は、「大正浪漫」以降、第二次大戦へ至る啓示だろう。ラストの飛行大会が啓示だったかといえば、「浪漫」に収まった感もある。中島飛行機「ゼロ戦」への啓示を込める演出が足りなかったのは残念。
『彼女が服を着た理由』

『彼女が服を着た理由』

Func A ScamperS 009

SPACE107(東京都)

2013/11/15 (金) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

現代の【群像】に迫るパズルゲーム
「服」は人類の発明品の一つである。体毛に頼っていた人は、衣を纏うことにより体温調節をコントロールする術を身に付け、北極圏付近まで生存圏を拡げる(グレートジャーニー)。そして、人類が 「自由」を手に入れた時、何らかの「自由」も零れ落ちた。私は上野国立科学博物館『グレートジャーニー展』(主催フジテレビジョン)を訪れて こう思わざるを得なかった。

その写真に写る多くが、アンデスやシベリア等に暮らす原住民である。彼らが 屈託のない笑顔を披露するのは、「自由」だから。「世間の目」を構造上浴び、「空気」を読み続けなければならない日本人とは違う。彼ら も、裸族以外は「服」を着用するわけだが、このように 表現できないものか。つまり、人類が「服」を まとった日、「世間の目」という不自由を同時に背負ったのだ。

展開を追うと、パズルが一つひとつ組み合わさるかのごとく「埋まっていく」感覚である。関係のなかった登場人物同士が ピースに重なり、全体像が現れる光景はサスペンスだろう。穴をくぐる、穴から顔を出す…レンタルビデオ店員の 道程は、観客が辿った経緯でもある。

ネタバレBOX

『彼女が服を来た理由』のタイトルを掲げ、女性の妖美な上半身がチラシに掲載される。「ヌード」自体ではなく、それを取り巻いた人間を演じる内容だから、妖美なシーンを期待したわけではない。しかし、智美(下村梨乃)とカメラマン倉野(前田剛)の ヌード撮影前のあのシーンだと、極めて「中途半端」だった。素肌の背を若干、露わにするくらいなら、「服」を完全にまとい、その上で「駆け引き」「恥じらい」「ためらい」を表現する方が いいだろう。
息をひそめて―シリア革命の真実―

息をひそめて―シリア革命の真実―

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2013/11/11 (月) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

紛争映像より突き刺さった「声なき声」の声
私たちは世界の出来事を知った際、パソコン•スマホの液晶画面、テレビの液晶画面、新聞紙面、または雑誌を前にしていることが 多い。2011年「アラブの春」に端を発したシリア内戦も、以上の〈面〉が中心だったことだろう。
ワンツーワークスは日本唯一の「ドキュメンタリーシアター」を紡ぐ劇団であり、不妊治療者や医療関係者を取材した『産まれた理由』(2012年11月)は 私が「ドキュメンタリーシアター」に出逢った最初の公演でもある。前回公演のケースだと、声なき声を紡ぐ対象は「日本人」だから、音声等も参考に「コピー」すればよかった話かもしれない。(もちろん、そんな単純ではない)
しかし、今回は2年前、アサド政権危うしという情勢下の、ホテルチェーン経営者や自由シリア軍兵士などの声なき声である。宗派•階層•地域等のバックボーンが 異なる国民一人ひとりを、外国劇風ではなく、「個人」として映す。これは、言語の違いすら越えた、(初演は英語)「ドキュメンタリーシアター」の未来を占う重要な機会である。

本年8月に化学兵器使用問題が浮上し、米国主導の軍事介入さえ語られ、シリア情勢は列島各地の〈面〉を占拠する。ところが、公演時期の2ヶ月前に その可能性も弱まったためか、〈面〉を発信するマスメディアが取材に来なかったらしい。ワンツーワークス主宰の古城十忍氏が嘆いておられる。

「(中略)〜いろんなマスコミにご案内を出したのですが、食いついてくれたのは、「JapanTimes」と「NHK」のみ。しかもNHKも地上波ではなく、BSの国際ニュース番組」(ワンツーメルマガ 臨時増刊号 11月12日)

シリア情勢が落ち着いた結果なら構わないが、シリア難民は現在約200万人、子ども難民も100万人を突破している。とても無関心でいられる状況ではない。

『2013年9月30日、アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、内戦による
莫大な数のシリア難民がシリア周辺国の社会・経済の脅威になっており、
周辺国の負担を共有するため、国際社会が対策を取るよう要請しました。

「レバノン、ヨルダン、トルコ、イラクは、絶え間なく避難してくる
シリア難民を受け入れ、命を救い、保護してきました。
彼らは、隣国の人々を寛大に受け入れてきましたが、
いずれの国も限界に達しようとしています』(国連UNHCR協会 10月23日)

マスメディアは〈面〉を媒体にし、世界中で起こった出来事を伝える役割を担う。一方、〈面〉には、人の顔だとか、その表情を指す意味もある。だとすれば、私たちが日常操る〈面〉は、果たして人間の肌の滑らかさ、温もり、小さな産毛を感じ取ることができるだろうか。むしろ〈能面〉だ。裏を返せば、つまり この〈人間の顔〉こそが「ドキュメンタリーシアター」の強みなのである。











ネタバレBOX

シリア情勢に関しては、一般的に「反アサド」から報じらる傾向が あった。しかし、自由シリア軍兵士とみられる男性が 、死亡した政府軍兵士の心臓を取り、口に含む映像がYouTubeに流れた。それが事実か どうかは確認しようがないものの、2年前の「アラブの春」とは違う対立構造だ。自由シリア軍が一般市民を巻き込み組織されたグループだとは考えにくい。内戦も経過するごとに、「アサド政権像」「自由シリア軍像」は変化を繰り返す。反アサド派市民や自由シリア軍兵士を〈正義〉であるかのように受け取ってしまうインタビュー構成は不公平に感じた。
私は英国人世論が“オバマとキャメロンの戦い”にNOを突き付けた背景は、「砂漠のバラ」と称されるアスマ夫人がブリティッシュレディであることも理由の一つだと読む。すなわち英国の〈血〉(地)である。大統領自身、英国に留学し、歯科医師としての勤務経験を持つ身だ。1990年代のコソボ、ボスニア紛争も、セルビア軍へのNATO軍空爆評価がスロベニア•クロアチアの「西ヨーロッパ系民族」とセルビアの「スラヴ系民族」(ロシア)で国連安保理が色分けされたように、「〈血〉(地)で戦争は造られる」といえる。
英国人世論が英国議会に圧力を与え、キャメロンの対シリア非難動議を否決させ、米国人世論の方向を決定し、オバマを断念させた。始まりは〈血〉(地)だったが、シリア市民の犠牲を抑えたのは評価したい。


「ドキュメンタリーシアター」は観客が記者の立場だ。そこに、シリア人がいた。圧政下のシリア市民の燃えたぎる姿は、私たち日本で暮らす者に とってみれば非現実だった。それとも、私たちが虚構を暮らす非現実なのか、シリア人が虚構を捨てた現実の姿なのか…。
アラブの白壁が覆うセットの向かい正面左には「アサド親子の肖像」が、右には スプレーの落書きが途中描かれる。二つに割れたシリアを象徴するセットの対比が内戦の厳しさを伝えた。「内戦の緊迫感」、「残虐シーン」は、映像以上の説得力。それは 、第二次世界大戦の反戦ミュージカルなど「優しい父さん」「優しい母さん」「優しい兄弟」の一家が登場するノンフィクションじゃない。Facebookで通じ合える、今そこにいる普通の隣人なのだ。私はシリアにいる「個人」と心を触れ合えた気がする。もはや部外者じゃない。











邦楽ミュージカル「恋娘近松合戦!」

邦楽ミュージカル「恋娘近松合戦!」

洗足学園音楽大学

前田ホール(神奈川県)

2013/11/16 (土) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

邦楽すなわち情報発信基地


軽快なROCKリズムと、江戸情事の華やかさが一体となり、「これぞ邦楽ミュージカル」という2時間を楽しめた。
近松門左衛門をテーマに添えたので、彼が出演者を「人形」のごとく操作し、あかたも「実物大の浄瑠璃」公演が行われる。そう待ち構えていただけに、本格派ミュージカルは意外であった。もし、大々的に新聞、SNS等などで広報すれば、予約不要無料を懐かしむ時代が来ることだろう。

某日快晴ワレ告白セリ

某日快晴ワレ告白セリ

タッタタ探検組合

ザ・ポケット(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

このスローはエンタメ性を備えた、淡い〈しおり〉である
学園コメディで たくさん笑った後、清々しい「青空」のような余韻をくれた。40代は迎えておられるだろうオジさん、オバさん達も、学ラン服を着用し、「中学生」を演じる。この年齢差をコメディ(笑い)へ転換するのかと思ったら、一度もネタにしなかった。まっすぐ、軸をぶらさず、青春の一頁を記すのだ。

隣の席にいた若い女友達二人のうち、その一人は「舞台(演劇)とか初めて」らしい。何のことはない、開場中に 話していた内容だ。「初観劇だったら、どのような見方をするだろう」という視点に立ち、本作のコメディだとか、淡い青春像を考えると、彼女は 極めてよい巡り合わせをしたのではないか。なぜなら、オジさん、オバさんが汗を流して中学生を演じる姿は「演劇の醍醐味」だったからである。


私は高校演劇を頻繁に観る。今、まさに演者が向き合っているテーマを、演劇という表現方法で「大衆の面前に訴える」ことはセンセーシュナルでもある。例えば、教育委員会の お偉い方を前に高校生の性問題、あるいは末期ガンの少年と看護婦のキス•シーンまで見せるのだ。高校生は やってはならない校則すら、「演劇という通行手形」が上回る。しかも、文化的であり、精神的であり、また大衆的であるジャンルなど 他に 知らない。もう一度いう。可能にするのは「演劇という通行手形」だ。


私が示した「演劇の醍醐味」と「演劇という通行手形」は、油と水のごとく正反対だろう。実際のところ、オジさん、オバさん達が高校生を演じても、高校演劇のようにはいかない。8月国立劇場で行われた第24回全国高等学校総合文化祭優秀校発表公演の沖縄県八重山高等学校演劇部の学園コメディに比べると、登場人物への「愛着」は湧きにくい。ただ、オジさん、オバさんが 負けない点も存在する。それは、3人掛かりで持ち上げるアクション•シーンだった。この時、スローモーション効果を多用していたが、ややダンス•スタイルも取り入れた結果、今までの、そして高等演劇に少ない、学園コメディのTHEエンターテイメントが炸裂する。


※バレてないネタバレへ

ネタバレBOX

当初、生徒の紹介に始まるシーンは疑った。コメディは 次々に新たなキャラクターが登場する展開こそ話も膨らむはず。1時間40分の上演時間だと、冒頭で紹介しておかないと、有田真之介(谷口有)と遠山弓華(小山梨奈)の淡い青春像が描けない為か。すなわち順当な構成だった。
『タガタリススムの、的、な。』

『タガタリススムの、的、な。』

舞台芸術集団 地下空港

ギャラリーSite(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

逃げ切れ。Facebookから、「カタリ」から供に
客席は360度取り囲む形で、中央の舞台も四方に黒い格子が覆う。(開け閉め可)こうした舞台構造は珍しいものではない。だが、スタイリッシュな雰囲気と緊張感のある場は、開場時間中さえ観客を呑み込む。


※バレてないネタバレへ

ネタバレBOX



「空白」を描く行為は「落語」でる。ハリウッド映画というか、洒落た小説家の思い浮かべるような「パーティ会場」「海岸建設予定地」などのシチュエーションは、噺家が 扇子と自らの手で「蕎麦」を用意できるかのごとく、私たちの「空白」を埋めてくれる。

今、この時代に生きる者にとってみれば、「帝国資本主義」は間違った政治用語だろう。ただ、大英帝国がインドを支配する際、貿易会社「東インド株式会社」へ委任統治させたように、過去の歴史上、存在したシステムなのだ。21世紀の「帝国資本主義」というテーマ性、スタイリッシュな身体表象や、現代的映像技法を交えた構成は、それ自体が「ゼネラル」である。スタイリッシュなそれも、見方を変えれば童謡を唱えるシーンかもしれない。

これは、「帝国資本主義」を現す固有名詞としてのコンピュータ企業•クルイドダイナミクス株式会社を、「ゼネラル」な舞台構成によって 「複雑化」した形態そのもの を彼らなりに提示した結果ではないか。「Facebook」がビジネスレベルまでSNSの公共化を進め、あらゆる層の人々が「語り」のツールを得た功は大きいと思う。では、人々の本音は「主婦の井戸端会議」か。「Facebook」か。本作は前者の立場だったはず。

指紋認証など、個人識別社会は目の前に訪れつつある。ラスト10分間の展開はその危険性を警告してくれた。もちろん、劇的な「種明かし」は 伝わりにくい「複雑さ」でもあった。主人公の彼女(外国人出稼ぎ労働者)が裏を知るキー•ガールだろう空気は読み解けたが、いずれにせよ「品」のある演劇だ。無印良品すら顔負けの。

このページのQRコードです。

拡大