現代の【群像】に迫るパズルゲーム
「服」は人類の発明品の一つである。体毛に頼っていた人は、衣を纏うことにより体温調節をコントロールする術を身に付け、北極圏付近まで生存圏を拡げる(グレートジャーニー)。そして、人類が 「自由」を手に入れた時、何らかの「自由」も零れ落ちた。私は上野国立科学博物館『グレートジャーニー展』(主催フジテレビジョン)を訪れて こう思わざるを得なかった。
その写真に写る多くが、アンデスやシベリア等に暮らす原住民である。彼らが 屈託のない笑顔を披露するのは、「自由」だから。「世間の目」を構造上浴び、「空気」を読み続けなければならない日本人とは違う。彼ら も、裸族以外は「服」を着用するわけだが、このように 表現できないものか。つまり、人類が「服」を まとった日、「世間の目」という不自由を同時に背負ったのだ。
展開を追うと、パズルが一つひとつ組み合わさるかのごとく「埋まっていく」感覚である。関係のなかった登場人物同士が ピースに重なり、全体像が現れる光景はサスペンスだろう。穴をくぐる、穴から顔を出す…レンタルビデオ店員の 道程は、観客が辿った経緯でもある。