岸田國士原作コレクション
オーストラ・マコンドー
black A(東京都)
2013/05/23 (木) ~ 2013/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
岸田國士がおもしろすぎる(続いてB)
5/25のCに続いて、5/26のマチネでBを鑑賞。
Cとはまた異なる会場の雰囲気があって、
作品それぞれが、独自の面白さを持っていて。
前日に続いてがっつりたのしんでしまいました。
ネタバレBOX
前日(C)とは異なる位置に一番大きな、
半分ステージ代わりになるテーブルが置かれていて・・・
Bも雰囲気の全く異なる3作品、
時間が経つのがあっという間でした。
「取引きにあらず」
落語のような噺なのですけれどね・・・。
会場の使い方がとてもしたたか。
外への扉を大きく開けて、
看板娘がそちらを向いて座れば、
そこは町のタバコ屋の風情。
マチネだったので、通りの風景なども見えて・・・。
で、父と娘のロールが本当によく作りこまれているのですよ。
ちょび髭のおやじのちょっと見栄っ張りで強欲なところと、
そんな父親に対して少々楯突いて、距離を置いたりはしても
実は気立ての良い娘・・・。
隣人も、妻も、その店を訪れる客たちにも、
昔の東京の下町の風情や気風が感じられて。
その雰囲気だから、
噺の筋立てにも実存感が生まれ、
詐欺師たちの企てが
じつに見事にはまり込んでいくのです。
会場の外までも使って、
店の内外を編み上げたり、
その父親の愚かさに対しての
女性たちのちょっと醒めた感じも絶品。
なんて、風景を持ったお芝居だろうと思った。
高座で上手い噺に巡り合ったような
良質のおかしみに浸され、充足感が残りました。
「ヂアロオグ・プランタニエ」
始まりは・・、
女学生ふたりの、一人の男性をめぐる
レトロで、ストイックで、どこか甘酸っぱい会話劇、
でも、その表層の言葉使いに
二人が身体で紡ぐ心情のビビッドさが重ねられていきます。
役者たちには、一行ごとのセリフの確かさがありつつ、
その身体に異なる内心を紡ぎだす表現の技量があって。
最初は、繫がっている身体と台詞に、
耽美な空気を感じるのですが、、
次第に、身体から刹那にあふれ出てくるものが、
言葉で織り上げられる空気から乖離し、
二人の世界に立体感を醸し出す。
古風で慎ましい言葉たちが織り上げる
心情の移ろいの美しさをベーストーンのように聞きながら、
観る側の眼前には、
女性たちそれぞれの、表情や、四肢や、呼吸からの
異なる心情の移ろいが溢れだして・・・。
戯曲が内包する少女たちの踏み出しが、
役者たちの身体から紡がれる切先と彩りを持った表現に、
アンニュイな感覚に閉じ込められるのではなく、
豊かな感性に満ちた
女性へと解き放たれていく終盤が圧巻。
やがて恋慕から抜け出して、
セーラー服の縛めを自らはずして・・・。
ラフに塗りあうルージュ、
ピンヒールの靴、
戯曲につづられた会話劇のデリケートな質感を滅失させることなく
言葉に置かれた想いの内側を切り出し、描きだし、
踏み台にして。
思春期の少女の舫を解き、
女性に踏み出す刹那を導き出す、
その表現の圧倒的な広がりに息を呑む。
ラストの素敵なグルーブ感と遊び心に目を見開き、
そのビビッドで、洗練され、解放感と遊び心にあふれた
「あっかんべー」の質感に
圧倒されてしまいました。
「ここに弟あり」
前2作にあった場内の解放感がすっと消えて、、
場内は若い男女が暮らす、東京の小さな家へと、
空気をかえて。
今様の暖房器具を火鉢に見立て、
ちょっと貧しい風情のなかに、
二人の生活が浮き彫りになっていきます。
その場の夫婦の雰囲気が丁寧に置かれ、
なんというか、二人の事情や、
言葉では刻み得ない距離感が
とても自然な肌合いで伝わってきて。
役者のロールの持ち方が実にうまいのですよ。
日々に解けた時間の肌合いで場を満たしながらも、
ふたりが、たがいに抱く想いや遠慮が、
戯曲の描く如くにしっかりと作りこまれていて。
そして、その共に実家と疎遠になっているその夫婦に、
田舎から夫の兄が訪ねてくる・・。
兄の演じ方も本当に実直で確かでした。
二人が織り上げた空気にすっと入り込んで、
けれんなく、でも、薄っぺらくなることなく、
戯曲に描かれた兄自身を織り上げて、
さらなる弟や女の思いをも引き出し、照らし出して。
で、そんな風に、
兄の矜持や弟の意地に女の勝ち気さや頭のよさが重なると、
刹那ごとのロールたちの想いにとどまらない、
それぞれの内心の色がすっと立ち上がり、
戯曲の仕掛けがその真価を発揮して、
物語にペーソスとぬくもりを与えつつ
観る側を染めていくのです。
そこには、戯曲に綴られたとおりの骨組みの面白さに加えて
それぞれの背負うものや意地がすっと消えて残る、
ロールの息遣いを持った、
互いをいとおしく想う心情が満ちて。
べたな言い方なのですが、
はかなくともその場にある、
小さな幸せとペーソスに深く浸潤されて・・・。
なんだろ、
人情なんて言葉にするとべたついてしまう・・。
うまく言えないのですが、ロール達の生成りの想いが、
しなやかに残されていて。
役者や演出によって
戯曲本来の味わいが引き出されるにとどまらず、
その、冬のひと時の風景に血が通い、
生かされていたように感じたことでした。
*** ***
Cに続けてBを観て、
岸田戯曲本来の面白さと、
作り手が切り開く間口の豊かさに更に魅了されて。
Aが今から待ち遠しくてなりません。
岸田國士原作コレクション
オーストラ・マコンドー
black A(東京都)
2013/05/23 (木) ~ 2013/06/09 (日)公演終了
満足度★★★★
岸田國士がおもしろすぎる(まずはC)
知識が浅いもので、
岸田戯曲がこんなに面白いなんて知りませんでした。
会場も演出の創意を解き放つに十分な
フレキシビリティを持っていて。
作品に加えて見せ方にも様々な工夫が感じられて・・・
まずはC観ましたが、どの作品にももれなく引き込まれ、
しかも一つずつの作品に異なる魅力がありました。
ネタバレBOX
まずは、5/25ソワレにてCの三作を・・・
「モノロオグ」
女性の一人語りなのですが、演じるのは男優。
役者が登場の際にはちょっとびっくりするのですが・・・。
女優が演じると、ちょっと生々しくなりそうな戯曲が
ジェンダーが変わることで、骨格のおもしろさや、
良い意味で上手く削がれた想いの姿として
織り上がっていく。
しかも、役者の身体の使い方が、なにげすごいのですよ。
左右の足の動きが、しっかりと直線で内外に交差して、
ぶれない。
そのタイトさが、女性の線の細さとなり、
その上にのる手や首の動きも
女性のものとして観る側に女性が醸す様々なニュアンスを伝えていく。
最初こそ、男性の演じる女性という印象で観ていましたが、
ちょっと客をいじる枕のような時間の中で、
語られることは紛うことなき女性の物語になって。
しかも、女性がことばを濁し隠すような想いの内側すら
男優だと逆に違和感なく舞台に乗せられていって。
戯曲に描きこまれた女性の心情が、
女性の色で揺らぎ、観る側に伝わってきたことでした。
「クロニック モノロゲ」
短編の戯曲なのですが、構造がちょっぴり複雑で、
物語の進行にしたがって、
その場のありようや、物事の真相が
変わっていく。
戯曲がもつ構造を、二人の女優がジェンダーを乗り越えて、
一歩ずつ観る側とともに歩んでいきます。
この作品も、
役者たちの身体の使い方がさりげなく裏打ちされていて、
台詞に加えて、そのナチュラルな動きで
舞台を満たしていた冒頭の女性の視座が
やはり女優が演じる男性の表層に導かれ、
次第に塗り替わり、
男性の想いの表裏の様相に置き換わっていく。
作品が2人芝居として演じられるなかで、
表見上の男性を女優が演じることが、
冒頭の女性が二役の如く
その内心の声となることの違和感を拭い去っていて。
また、それは、冒頭から女性の色香がしっかりと描き込まれ、
男の所作が、身体の使い方も含めて
良く作りこまれていることにも担保されていて。
この作品を同じジェンダーの2人で演じることで
戯曲の構造に内包されているニュアンスが
さらに際立って伝わってきたようにも思えました。
最初の2作品は上野演出でしたが、
ともに女性の振舞いや伝わってくる内心が
とても細微に女性の質感や美しさを伝えていて。
女性の美しさを、あざとさを持たずに
とてもナチュラルに導き出す
演出家ならではの戯曲の取り込みに惹かれたことでした。
「風俗時評」
休憩をはさんで、場内の雰囲気も緩んだ場内に、
いきなり20人近い役者たちが、
制服や戯画的な衣装を纏って
それこそ軍靴の音を響かせるように入り込んでくる。
元々そんなに広い会場でもないわけで、
役者たちが客席的なエリアすら舞台に変えて
場内には一気に溢れかえるような混沌が形成されます。
そこに章が切られ、
様々なシーンが重ねられていく。
最初は、医院で、
突然ある部位を痛みに襲われるという奇病を治療する姿なのですが、
やがて、警察や学校、さらには床屋や家庭やホテルにまで
舞台は移り、
次第にその時代の、様々な階層のありようが
切り出されていきます。
その、一つずつのシーンはどこか突飛で、
デフォルメされていて、
時に薄っぺらくコミカルでもあるのですが、
シーンを支える役者たちには、
そのなかに織り込まれた人物のありようと
見識や思想の深浅をしなやかに担保するに十分な力量があって、
会場を満たし続けるテンションと、
積み上がっていくそれぞれのシーンが、
そして痛みの有無や現われ方につづられて・・・。
もっと言えば、役者たちが、それぞれのロールを
その空気の中で貫いているからこそ、成り立ち、
見続けうる作品でもあって。
気が付けば、その時代の様相や閉塞に
会場全体がどっぷりと浸されている。
それと、この作品、
実はシーン自体やそれを繋ぐ役者たちの動きが
とてもよく研がれていて、
メリハリや切っ先をともなって
観る側に常にインパクトを与え続け、
その世界のありようを描き続けていて。
そこには実にしたたかな舞台のフォーメーションや
所作があって、
台詞で紡がれる世界観を
群舞のごとき動きが要所でしっかりと支えていることにも
思い当たる。
最後に、それが2.26事件の直前の
姿の描写であることが差し入れられます。
(戯曲のまま)
舞台は映像などとともに
しっかりとその座標をさだめて・・・
そこに、時代の、生き物の如くの、
抗うことのできないうねりを感じて、
底知れない感覚に深く捉われたことでした。
*** ***
まだ、公演期間の前半ということで、この舞台、さらに様々に熟していく予感もあって。
また、他のバージョンを観ることも本当にたのしみになりました。
けつあごのゴメス【全公演終演しました!!たくさんのご来場ありがとうございました!!!!】
劇団鋼鉄村松
ザ・ポケット(東京都)
2013/05/22 (水) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★★
書き手と演出の幸せな出会い
戯曲に盛り込まれたいろんな遊びや踏み出しが、
演出の刹那ごとの研ぎ方によって、
舞台をベタにするのではなく、
より高いテンションを与えていく。
男優が多いことがむさ苦しさにならず、
バラけることなくパワーとなり、シーンの密度や
ぞくっとくるような圧力を作り出し、
また、唯一の女優が、その色に埋もれることなく、
凛としてビビッドに、ヒロインとして物語を支えて・・・。
外部の演出家を招くことで、
劇団のこれまでの芝居に、
新たなテイストや緻密さが加わって、
グルーブ感やペーソスに彩られた
これまでとはまた、
一味ことなる厚みをもった舞台を楽しむことができました。
ネタバレBOX
台本には、作り手独特のふらがあって、
なにか国籍もあいまいだし、
牛と人間の関係など、ファンタジーにまで踏み込んでいるし・・・。
でも、この舞台にはそれをまるっと受け入れさせて、
さらに作品の厚みにまで至らせる、
表現の圧倒があって。
客席中央の通路を駆け上がっていく
様々な体躯の男たちの足音が、
場内に熱を与えていく。
光を背負う闘牛士のシェイプの美しさ、
様々な時間のコントロールやミザンスの作りこみ・・。
場の展開にもよどみがなく、
次第に舞台がその質量で、観る側を舞台に引きこんでいく。
遊び心もいろいろにあるのですが、
作品としての節目というか見せ場が、
端正に、しかもぎりぎりにまで研がれたメリハリとともに
作られていて・・・。
もし、理詰めで律儀な脚本にこの演出であったなら、
舞台には白々しさや、
あざとくうすっぺらい肌触りも生まれてしまったかもですが、
そこに、この台本にたっぷり内包された、
作家ならではのはみ出し方が生きる。
恣意的にも思えるラフさが、
この描き方で組みあがると、
薄っぺらさが踵を返して、
舞台の熱や厚みに大変身を遂げていくのです。
さらには、刹那が混濁せず、奥行きがしなやかに垣間見えるから、
たとえば、兄が牛になるということにしても、
表層上の奇想天外を踏み越えて、
寓意が舞台にしなやかにときほどかれていく。
すると、観る側の曲に対する概念を一変させるような
男たちの強烈な「ドナドナ」が、
違和感を踏みこえて、
ちょっと表現矛盾ですが鮮烈なペーソスを醸し出し、
焼付くような印象となって
観る側を凌駕していくのです。
観ていくうちに、
これは、実に幸せな作家と演出家の出会いだとおもった。
役者たちも、ひとりずつが賑やかしにならず世界を背負っていて、
見応えがありました。
ただひとりの女優として、ヒロインを張った役者の、
舞台を背負い切る足腰にはひたすら見入った。
物語の密度や厚みに凛と立ち向かうような部分があって、
でも、しなやかさを失うことがない・・・。
この強さはとても魅力的で、
でも、細微な想いの質感も丸まることなく
伝わってくる。
実は ちょっとしたハプニングがあったりもしたのですが、
その対応が舞台の温度を醒めさせることなく、
むしろ、観る側をより取り込んだりもして。
また、客演の役者達にしても劇団員たちにしても、それぞれが、
舞台の持ち場をがっつりと担保して、
観る側を瞬時たりとも手放すことなく物語に閉じ込めてくれる。
シーンの一つずつにしても、その重なりかたにしても、
とてもよいリズムに裏打ちされた舞台でもあり、
観ていて澱むことがなく
後半にはグルーブ感すらやってくる。
観終わった後の、充足感が半端ではありませんでした。
劇団の歴史からすると
最近の観客ではあるのですが、、
それでも、作品ごとに、良い部分を失うことなく
洗練の度合いをましているような気がして・・・。
しかも、一色ではなく、いろんな色を醸し出す、
フレキシビリティを感じるのも良い。
今後の舞台にさらなる期待が生まれたことでした。
全長50メートルガール
踊れ場
RAFT(東京都)
2013/05/21 (火) ~ 2013/05/26 (日)公演終了
満足度★★★★
捉えきれない個性に捉えられて
舞台は、駄弁と、
日々のありようと、
いろんな寓意と、その場所にあるまじき喧騒に満ちていて・・・。
それらの全てを受け取りきれたわけではないのですが、
にもかかわらず
いつしか、ロールたちの個性と、その重なりと、
こっけいさと、ルーズでチープな田舎の閉塞感が、
観る側にとっての既知の感覚となり、
その光景に浸され、空気に巻き込まれて・・・。
さらには、
説明にもある如く、
あるいはフライヤーの写真の如く・・・。
女性達の醸し出す空気の中での、
「あやかちゃん」の個性そのものの、
その捉えきれきれなさに、
しっかりと捉えられてしまいました。
初日で、
硬さや滞りのようなものを若干感じた刹那もありましたが、
そこも含めて舞台の味になりつつ、
この役者達なら、
きっと、回を重ねるごとに、
いろいろに更なるメリハリが生まれる感じもして。
作り手の描き出すものの、
肌触りにしっかりとつかまってしまいました。
アフターイベントは、本編と対照的な
瞬発力をもったくっきりとした面白さで、
本編のテイストをも際立たせて。
こちらも良いできばえでした。
ネタバレBOX
毎夜、ファミレスに集う女性たち、
フライドポテトとドリンクバーで
時間を過ごす風情がよく作りこまれていて・・・。
最初はなんだこれはと思いながら観ているのですが、
役者達やウェイトレスの醸す空気に
気が付けば女性たちそれぞれの個性や、
そのファミレスを居場所にする感覚が
いろいろに可笑しく、
とてもなじみ深いもののように感じられて・・・。
そのなかに、刺さりこんでいく「あやかちゃん」の個性も、
舞台上に作りこまれた彼女の雰囲気をいつしか踏み越えて、
観る側が自ら抱く感覚とともにさらに翼を広げ広がっていく。
初日ということで、舞台には若干の硬さもあったように思うし、
舞台から伝わってくるトーンのようなものが、
誰の感覚からやってくるものなのかが
ちょっとあいまいに感じられる部分もありはしたのですが
よしんばそうであっても、、
その明確にとらえきれないことへの浸され感や実存感は、
ロール達の、日々の駄弁の時間の質感と
一人の女性の印象をしっかりと導いてくれる。
女性をさらっていくドラゴンや皿しか登場しないカッパなどが担うものを
田舎町の風情にかさねて
なんとなく想像しつつも、
確信を持ってこの寓意とフォーカスを定めることは
できなかったのですが、
でも、明確に定義されることなく、
定まりきれないそれらの見え方は、
ちょっとおみそ的な存在の女性の
感覚そのものでもあるようにも思えて。
アフターイベントの二人芝居が、
逆に、実にわかりやすい設定での爆笑譚だっただけに、
一層、本編の女性の想いの捉えきれなさが際立ち、
でも、だからこそ、
観る側の手の中に納まりきれないような
女性の個性の実存感が
その収まりきれなさを含めた印象として
深くしなやかに残ったことでした。
「あやかちゃん」にしても、
他の女性達やファミレスの店員をを背負う女優たちにしても、
過分にならない魅力や、弱さや、強さや、駄目さを
刹那ごとに、したたかなバランスで織り上げていることに感心。
いろいろに可笑しくて、
でも、それだけではないどこか繊細で、あからさまで、
ルーズな閉塞感を観る側の記憶に残す、
作り手の舞台の編み方や色の作り方に
あらためて感心したことでした。
それにしても、作り手が描きだそうとしている
田舎町の女性たちにとってのドラゴンってなんなのだろうか・・・。
たとえば・・・pregnancy??
バブルのヒデキ
あなざーわーくす
ラ・グロット(東京都)
2013/05/17 (金) ~ 2013/05/19 (日)公演終了
満足度★★★★
場の空気をからめ物語を運ぶ
手練れの女優たちの、
研がれ鍛えらた役者力が
シーンごとに色を編み上げ、
豊かに物語に観客を巻き込んで・・・。
終わってみれば、
役者たちが緻密に組み上げた世界に
しっかりと閉じ込められておりました
ネタバレBOX
恣意的にベタに組みあげられた物語には、
観る側の空気をいかようにも受け止める表層のラフさが生まれ、
自由に作りうる刹那のスペースみたいなものが担保されていて。
そこに、舞台にある一人ずつの内の役者筋が、
時にパワーで緩急を自在につけ、
あるいは刹那を細微に編み上げつつ
冷静にシーンのフレームを作りこみ、組み上げ、
あげくには観る側を舞台にまで引きこみ
観る側を浸しこんでいく。
まあ、開演前には当パンを読んでおけとのアドバイスを受けつつ、
何が始まるのかがわからない舞台に、
最初はちょっと身構えたりもしたのですが、
そのとまどいも、物語が進み、
役者たちのしたたかな舞台への導き方に次第に心を許し、
引きこまれ、共に遊んで楽しくなることで、
むしろ、後半に観る側の箍を外し
客席から踏み出すためのの振り子のようなパワーとなって。
場内もれなくいじりたおすような巻き込みにも、
役者たちが場の空気感を掌に載せていて
揺らぎやためらいがなので、
観る側が躊躇なく委ねることができて。
その中で、役者其々の豊かな切っ先を持った台詞や所作に
場の空気が面白いように変わり、
豊かな遊び心が客席と舞台のボーダーを消し去り
劇中での映画制作の世界にまで観る側を誘い込み、
そこに描かれた時代の雰囲気のデフォルメや、
作り手たちが幼少のころに擦りこまれたであろうその世界の感覚が
温度を持ち、観る側をも共振させていく。
時に目を瞠り、ドキドキし、
素敵に微妙な可笑しさや、
したたかに導かれる苦笑に導かれて。
そこには観る側を意識させることなくつなぎとめる密度があって、
さまざまなデフォルメや、刹那ごとの役者たちのポジションや
ミザンスも丁寧に作りこまれていて・・。
気が付けば、劇中劇の
ビデオカセット(!)に刻まれた時代の肌触りが
タイトルの時代とともにがっつりと蘇り、
その時代を見つめての、
当時と変わらない、でも紛うことなき作り手の今の感触として
観る側に置かれているのです。
舞台上のいろんな仕掛けも本当に楽しく、
しかも、それらを企画倒れにすることなく貫き膨らませる
様々な熟達があって。
たとえば、
観客に赤い糸を引かせるアイデアと物理的な工夫にしても、
驚きをワンアイデアで終わらせることなく
その舞台の状態にさらなるシーンをつなげて
観る側から舞台のテンションを切ったり醒めたりする刹那を取り除き、
さらにのめり込ませていく力を生み出していく
作り手の創意が加えらえていて。
舞台で観客全員を引っ張り出して動かすことにしても、
あらかじめ、席で花を演じさせたりと、
観る側の逡巡をさりげなく解いているから、
場の流れが滞ることなく、気持ちよく全体がそのシーンに取り込まれていく。
しかもそこには観る側自らに伏線を置かせるような仕掛けが、
内包されていて
表見上チープな物語の終演を
舞台の熱を冷ますことなく導く企てにもなっていて。
それらが、スタッフの顔に戻っての段取りではなく、
役者たちが貫き演じるロールを脱ぎ捨てることなく行われるから、
観る側の意識も舞台の世界から離れることがなく、
まるっと乗せられてしまう。
いじられることも、ましてや舞台で体を動かすことも、
冷静に考えると、
それなりに抵抗感があることなのですが、
それが物語を追う感覚でできてしまうのは
さりげなく凄いことで・・・。
終演の高揚を更に極大化させる撒き物にしても、
ベタに見せかけて、実はとてもしたたかで上手いなぁと思うのです。
終わってみれば、まんまとその世界にのせられて、
冷静に考えると物語に不釣り合いなほどの
不思議な高揚感が残って。
それが少し落ち着くと、
観る側を、そこまでにしたたかに掴み取り導いていく
どちらかといえばベテランの域にまで至った、
まさに脂の乗り切った女優たちのそのパワーに思い当たり
改めて感じ入ったことでした。
【全ステージ終了しました!ご来場ありがとうございました!】ハロー!新宿ちゃん。
なかないで、毒きのこちゃん
新宿眼科画廊(東京都)
2013/05/10 (金) ~ 2013/05/15 (水)公演終了
満足度★★★★
常ならぬ踏み出しをもった4作品
4編それぞれに、枠から一歩踏み出すような面白さがあって
観る側を離さない。
2人芝居という枠に 其々の作家が自らの色をしっかりと織り込んで。
また、それを舞台に映えさせる役者たちにも、
観る側を惹きつける魅力がたっぷりでした
ネタバレBOX
新宿眼科画廊のこのスペースは
作り手たちがいろいろと壁面に描くものも楽しい。
場内に受付が設えられていて・・・。
舞台側の描かれる新宿の線画に目を奪われつつ、
開演を待ちます。
・「すーぱーうーまんちゃんさん」
まあ、いろいろにトリッキーな始まりではあるわけです。
たまたま、ちょっとしたきっかけのあとに
その場の空気の密度が作られたのと、
役者の一瞬間を取る表情にアっと思って、
そこから見入る。
描かれるのは、ある意味シンプルな物語というか、
予約の「後藤さん」を待ちながらの
女性たちの想いのふくらみなのですが、
衒いもなにもなく、想いを前に進め、
圧倒的な高揚に至らしめる舞台の歩み方が凄い。
冒頭の本来寡黙であるべきロールのシチュエーションから、
細心かつ荒っぽく、本音が少しずつ滲み出して。
やがて、その歩みに二乗でパワーを加えていく様やり方で、
場に人物の内なる想いがあふれ出してくる・・・。
あるレベルからさらに進めば、
叫ぼうが歌おうが
牛タン屋の店長の息子とお見合いをしようが
もう歯止めがない・・・。
朝、早起きして牛タンを切る妄想のくだりに舌を巻く。
計略込みで観る側を一点に引き寄せておいて、
場内のあいまいな空気を束ねつつ、
そこから強引にレールを敷いて、
観る側を登場人物の世界に閉じ込めてしまう。
これまでにはあまり体験したことのない、
その強引とも思える作劇の腕力に、
がっつり惹きつけられてしまいました。
支える役者のふたりは初見でしたが、
初々しさからの演技の跳躍力に目を瞠る。
見事にやられてしまいました。
「むっつりすけべくん、おやすみ」
短編集ですから、時間の制約との戦いでもあるだろうに、
役者たちは最初に1曲まるっと踊って見せて、
観る側を、物語のトーンに浸しこんでしまう。
そのうえで、幼いころからのエピソードを
トーンのしたたかなラフさに乗せて積み上げていきます。
ちょっとした身体の使い方が時間を導いて。
切り取られていう二人の時間は、
表見とは異なる感触を内に編み込んでいて、
だから、その顛末が薄っぺらくならず、
しかも、透けて見えるそれぞれの内心に
違和感がないのです。
そこまでに舞台にトーンが作られているから、
終盤の、なんというかあからさまで、
それだけが語られるとちょっと引いてしまうような
男性からのメッセージに込められたものが、
その裏側に縫いこまれた想いの瑞々しさとなって
観る側に伝わってくるのです。
二人の役者にも、
観る側をとらえるに十分な個性があって、
この人が演じるからこその作品のテイストを作り出す力が、
物語をさらに広げておりました。
「幸不幸ミスマッチ」
最初にジェンダーを交換したときには
ちょっと無理があるかなぁと思ったのですが、
無理がないのですよ、これが。
暫くは、女性を演じる男優と、男性を演じる女優の世界だったのですが、
お互いが其々のジェンダーの要所をうまく捕まえていて
次第にその逆転が不自然なことではなくなってくる。
役者たちのジェンダーの切り取りが実にしたたかで
戯画的に見せる態に、それぞれの特徴を実にしなやかに
挟み込んでいて・・・。
そのテイストに重ねられる、
性格のベクトルの戯画的な真逆さが
交換されたジェンダーだと、なぜかとても馴染み、
とても生き生きと感じられる。
2つのデフォルメが、
互いの醸すニュアンスや可笑しさを
作品としての膨らみに変えて、
それぞれに内包されている、表層とは異なる感触が、
とてもふくよかに思えるのです。
作り手の目論見にがっつりとはまって・・・。
見応えがありました。
・「君と暮らせば」
話が見えると、役者の身体が表現するものが、
実に腑におちるのですが、
最初はただただ見入るだけ・・・。
二人の関係がわかっても、
女性の語ることの、その踏み出し方が
常軌を逸するかどうかのボーダーあたりにまで
どんどん広がっていく。
それはそれで、面白くもありつつ、
なによりも、
描かれていくものが、とっちらかるのではなく、
舞台の密度でしなやかに束ねられていて、
だからこそ、男の風情にも、
女性の姿にも、
振り切られることなく、どんどんと引っ張られて・・・。
そして、流石にどうにもならないくらいに
女性のとりとめのなさが舞台が満ちて溢れそうになったとき、
その世界への視座が差し込まれ、
目の前の世界が踵を返して
観る側を浸潤していく・・・。
全てが男性の抱くものに色をかえて、
女性のしぐさのひとつずつ、
その歌舞きかたも、静かな時間も、
おいしくない漬物の味までが、
現実との端境を失った
記憶の色合いで織り上げられていくのです。
役者のお芝居には、
それぞれにこれまで見た舞台とは異なる
新たな表現の質感があって。
観る側からすると間口がひろがったような印象があって。
また、冒頭の作品とは異なる構造のった作品の構造の中にも、
想いを剥ぎだす良い意味での作り手独特の力技の秀逸があって。
2つの作品に共通する観る側をどこか凌駕するような語り口が、
この先どんな作品を編んでいくのかとても楽しみになりました。
4作とも、そんなに長い感じはしないのですが、
一方で上演時間よりもはるかにボリューム感を感じて、
でも冗長な感覚はまったくなく、
とても充実していて。
観る側がどっぷりと取り込まれる短編集でありました。
匿名家族
劇団フルタ丸
サンモールスタジオ(東京都)
2013/05/11 (土) ~ 2013/05/19 (日)公演終了
満足度★★★★
そこにあるにとどまらず
劇団初見です。
主人公たち(家族)がそこにあることの面白さから
物語られるものの姿への面白さへの踏み出しがあって。
このスペースでと思った舞台美術も、
その語り口を支えて、しっかりと機能しておりました。
ネタバレBOX
主人公の家族たちが、
舞台上の凹的な質感で描かれて、
最初はそのケレンに目を奪われるのですが・・・。
それが、シーンの積み重なりの中で、
気が付けば舞台上の凸としての存在にかわり、
それぞれの時間の歩みへと膨らみ
凸としての姿に留まらない、想いの移ろいまでを
描き出していく。
サンモールスタジオでこの舞台装置と少々驚いたりもしたのですが、
役者達のオペレーションが、
それを舞台の時間や物語の歩みを
したたかにコントロールさせるツールへと昇華させて。
その上で、
役者たちが当パンのクレジットを踏み越えて描き出す人物の風貌が
凸の存在の有無といった大雑把なものではなく、
細微な感情の質感として浮かび上がってくるのです。
ワンアイデアが結果ではなく、
舞台に描き出されるものの種子となり、
役者たちが身体で紡ぎあげる自らのロールをも照らしつつ、
やがては家族の再生のありようをも描き出していく。
クレジットを持たずに演じられるロールだからこそ
観る側により浮かびあがる風貌があって・・・。
なんだろ、演劇的な発想をメインディッシュにせず、
それらが紡ぎあげる物語にこそ、
観る側をしっかりととらえていく。
ラストに至って、
その仕掛けを意識させないまでに
家族の風景を描き込み、
観る側にその家族の歩みまでも刻み込んだことは
演劇的な勝利なのだろうなぁとおもったり・・・。
舞台装置も、
その動きというかコントロールで
単なる場面転換に留まらないニュアンスを紡ぎあげていて。
最後に、扉ひとつで世界を束ねる仕掛けが導き出す
さらなる俯瞰や感慨にも目を瞠ったことでした。
奥村さんのお茄子
こねじ
大吉カフェ(東京都)
2013/05/09 (木) ~ 2013/05/12 (日)公演終了
満足度★★★★
3バージョンそれぞれの面白さ
9日に2バージョン、12日に残りの1バージョンを・・・。
同じ戯曲なのに、印象はかなり違っていて。
そもそも戯曲は従前にも観たものですが、
それぞれの役者たちが、その戯曲にのっかって
描き出す世界の色がおもしろく、
3バージョンの同じ展開を観ても
全く飽きることがありませんでした
ネタバレBOX
・内山奈々×寺部智英Ver
二人の役者が、それぞれのトーンをしっかりと持っていて
それを貫いてもいて・・・。
最初はキャラクターの設定というかペースが
一番ナチュラルに乖離している感じがするのですが、
乖離しているからこそ、
それぞれの個性がしっかりと見えてくる感じもあって。
それが、お互いをロールのベースを崩してではなく、
違ったペースを貫きながら束ねられていくことが
やがて物語の世界全体を大きく広げていく印象がありました。
あと、他のVer.と比較しても、
この二人が醸し出す人見知り感や解け感の精緻さは際立っていて、
ありえない話があるとすれば、
このVer.が一番リアルな描写であったような気も・・・。
・両角葉 × 浜野隆之 Ver.
二つのロールががっつりと噛みあっていて、
物語がストレスなくすいすいと流れていく。
それぞれが,相手の空気をきっちり受け取り、
互いに相手のリズムを自らのリズムに取り込んで
シーンを重ねていく感じ。
物語の骨格が実によく見えて、
台詞のやり取りも観ていて心地よい。
なんというか、戯曲を真正面から見ている感じもあって。
ただ、その分、戯曲からやってくる、
噛みあわないことからの膨らみは、
ちょっと削がれている印象がありました。
もうちょっと、いろいろに遊んでもよいかなぁとも
思った部分もありつつ、
これはこれで味わいだなぁとも。
あと、初日の一発目だったので、
その後の公演ではいろんな崩しがはいっていくのかもなどとも
思いました。
・佐々木なふみ x 菅野貴夫 Ver.
前半はキャラクタのデフォルメとナチュラルさの
ずれがとても面白くて。
それぞれが自らのペースを貫きつつ、
うまく相手とのメリハリを導き出している感じ。
それが後半になると
次第に一つのトーンに束ねられて、
物語の骨格が新たな奥行きをもって現れてきます。
前半にくらべて、物語のペースがすこしだけゆっくりやってきて、
その分、人が生きる時間の感覚が
より深く伝わってくる。
多分、女性のキャラクターそのものは、
一番あからさまに作りこまれているのですが、
そのことがむしろキャラクターそのよりも、
そのキャラクターを踏み台にして訪れる風景や感触に
観る側の視界を開いていて。
男性にも、徒に女性のペースに合わせるのではなく、
女性側にデザインされたものが
ぶれたり滅失したりのない
色や質感の貫きがあって。
他の2Ver.とは一味異なるバランスのよさや完成度が
観る側をより惹き付けつつ、
この会場の雰囲気に醸される
作意の枠からはみだしたような余白を
若干減じさせている感じもしたのですが
最後に見たVer.だったこともあり、それは、他のVer.の魅力を
より引き出しているようにも思えたことでした。
個々の舞台の面白さに加えて、
3バージョン観ることでの味わいも受け取ることが出来て・・・。
ほんと、楽しませていただきました。
三人姉妹
三条会
ザ・スズナリ(東京都)
2013/05/09 (木) ~ 2013/05/13 (月)公演終了
満足度★★★★
分かりやすく剥がれて
最初は舞台にあるものを
手探りで眺めているだけでしたが、
やがて、シーンのそれぞれから剥ぎだされてくるものが
とてもわかりやすいことに気づいて。
そうなると、やってくるシーンのひとつずつが、
実におもしろくなりました。
ネタバレBOX
「三人姉妹」自体は
ずいぶん前に戯曲に比較的忠実な舞台をみたことがあって、
その筋書きはしっているのですが・・・。
でもそれに比べて、ずいぶんとシーンごとの印象が、
あからさまにも感じて。
作り手のシーンが持つニュアンスの切り取り方も単純ではなく、
ときに恣意的に薄っぺらく、いろいろに踏み出して、
でも、戯曲の記憶というか、
シーンの印象を外していない。
そして、それぞれが内に持つものが、
時にあからさまに、あるいは踏み出し、
でも実直に描き出されて・・・。
終わってみれば、戯曲の新たな印象が残って・・・。
なにか、戯曲にたいする視野が大きく広がったような
感じがしたことでした。
世界は僕を切り撮って
削除
北池袋 新生館シアター(東京都)
2013/05/10 (金) ~ 2013/05/13 (月)公演終了
満足度★★★★
個性的な役者たちの功罪
最終的には物語も回収され、
役者たちの印象もしっかりのこりました。
ただ、役者たちの個性が、
物語には武器にも足枷にもなっている印象がありました。
破綻を感じない物語の組みあがりでしたが、
もっとスリムに削がれても良い部分があって、
中盤がやや冗長に感じたりもしました。
ネタバレBOX
役者たちの個性は相当なもので、
其々の個性が生かされるように
シーンも描き込まれていて。
だから、個々のシーン自体としては、
見応えのある部分もあるのですが・・・・。
物語を組み上げていく中で、
その個性を引きこまなければならないことで、
やや、遠回りしたり冗長になった感もあって。
冒頭の伏線が生きて、
終盤に物語が解けきるところは
無理なくきちんと作りこまれているのですが、
中盤のやりとりなどには、
回り道をしたりふくらみが回収されない感じもあって。
役者をどう生かすかという観点からは
あるいみよく書きこまれた作品だと思うのですが、
でも、作り手の物語る力を真にいかすのは、
今回のような、どこかあてがき的な作劇ではなく、
役者の色から解き放たれた作劇ではないかなぁとも思ったり。
いずれも初めて拝見した
4人の役者たちも、
見栄え通りのロールで演じられることでの
安定感や強度、さらに舞台上に醸す密度は感じましたが、
その安定が隠す、
役者としてのさらなる魅力がきっとあるようにも思えたことでした。
おるがん選集 3
風琴工房
くらしのアトリエ ひらや(東京都)
2013/04/27 (土) ~ 2013/05/06 (月)公演終了
満足度★★★★★
空間が生きる舞台
看板がかかっていなければ、
普通の民家と見紛う一軒家での公演でした。
その一角を舞台に切り取って・・・。
役者が紡ぐ空気の、様々な色に物語が織り上がっていく。
このスペースでの、この役者達だからこそ生まれたであろう
物語の解け方に、深く惹き込まれました。
ネタバレBOX
玄関のこじんまりした三和土で靴を脱ぎ入場。
その時点から、家の風情が肌に伝わってくるよう。
その空間が醸し出すたおやかさと、、
友人宅に初めてお邪魔するような緊張感の中で
開演を待ちます。
・『物語が、始まる』
際立って狭い感じはしないのですが、
中央にテーブが置かれていることもあり、
どこかタイトな空間を中心としたお芝居・・・。
そこに役者たちの細微な表現が空間を満たしていきます。
冒頭から、「雛形」の存在が既知のごとくに語られて・・・。
それがあるがごとくのものとしての空気が
最初こそ、観る側に多少の違和感を与えるものの、
男女の会話の肌触りが、
場にSFのようなテイストを醸すこもとなく、
重ねられて・・・。
次第に女性と雛形と、そして男性との顛末として綴られていきます。
まなざしで紡がれる、
女性の内心の細微な揺らぎや変化に、
強く深く取り込まれる。
そのまなざしの先にあるものと、動きと、フォーカスと、強さと、色が、
しなやかに移ろい、舞台上にあるものの、時の長さや、距離や、
女性自身の刹那ごとの想いのありようを観る側に伝えてくれる。
どこか音読みというか硬質な響きを持った単語、
雛形の視線は、よく制御され、どこか一意に制御されつつ、
そのものの、どこか削ぎ落された貫きと強さを場に差し込んで。
雛形との時間に少しずつ染められ、
揺蕩い移ろう女性の色の細微な変化が、
重なり、女性の舫いが解け、
やがて、男が実直に貫き続ける色から乖離していく。
最初にそれが雛形と呼ばれたとき、
無意識に「なんの??」と思っていて、
でも、その存在が、
次第に育ち、やがて女性を取り込み変え、
女性自身に新たな視野を織り込み、
やがて急速に勢いを失っていくというその姿に、
なんだろ、季節ごとに時代というかトレンドを纏う
姿が重なって・・・。
あからさまさもなく、むしろやわらかくしなやかに、
でも明らかに女性は時代に染められ、
雛形に背を向けて自らの色のままにいる男の姿に、
その姿が細微に映える。
その時代に染まる、特に派手でもラディカルではない、
むしろややコンサバティブにすら思える女性の
自らの日々を生きる自然体の感覚が、
鮮やかに伝わってくるのです。
舞台が閉じるとき、
どこか、奇想天外に思える物語に切り取られた、
今の姿と、女性の今を歩む感覚と、
そこに寄り添うことのできない男の姿が
それぞれを担う役者たちの秀逸とともに
しっかりと置かれていたことでした。
・痩せた背中
そこにいる人間全員で
客席のレイアウトを変えて二作目を・・・。
なにか、スタッフ(役者の方)と一体になって
ごとごとやる感じからやってくる、場の一体感も楽しい。
物語は、父の葬儀に喪主として参列する男性の
記憶の態で綴られていきます。
その時間への引きこみ方に、
シンプルでしたたかな作劇のキレがあって、
一旦男の視座が観る側に定まると、
それぞれのシーンの肌触りが
しなやかに観る側に訪れてくる。
父とひとりの女性をめぐるエピソード、
3人で暮らしていた日々の記憶、
奔放な父を待つ女のありようが、
次第に女性自身を蝕み、やがて、あるカタストロフを迎えるまでの感触。
そのことが父を変えて、女性に尽くすようになって・・・。
そこには、女性自身の姿や千羽鶴から垣間見える、
男にも知りえない男女の時間の存在があって・・・。
その風景の伝聞だけではなく、
風景に収まりきらない感覚が
男の視座と時間が貫かれるなかで、観る側にも伝わってくる。
さらには舞台にある彼女の恋人の存在に、
観客を父と女性の物語に塗りこめてしまうことなく
その顛末を俯瞰させる場の空気を醸し出す力があって。
男が自ら身を置く男女のありようとの、
重なりや異なりが、
父と女性の関係を奇異な物語にすることなく
むしろ、
二人のの想いの深さや溢れだす情念に近いものを
際立たせてもいくのです。
女性の編み物をする姿が、男の恋人のそれと重なり
男女に流れる時間を織り上げていく。
女が、父親のための食事を窓から犬に投げ捨てるシーンがあって、
でも、そこには一瞬の驚きがあっても、
観る側には、微塵ほども突飛さにはならず、
むしろ、女性の想いの底知れない深さこそが、
観る側に焼付いていく。
冒頭、観る側を物語に導いた男の親戚が、
観る側を男の想いから引き戻して・・・。
そこにある今に、
父と女性が重ね、
そして男と恋人が重ねていく時間の
俯瞰がかさなって。
なんだろ、上手く言えないのですが、
幸せとか不幸せという範疇ではとても計りきれない、
男と女の日々の感覚が残る。
観終わって、
印象に置かれたものが、
きっとこの舞台でしか受け取りえない感覚であることを知りつつ、
原作の小説を無性に読んでみたくなりました。
*** ***
帰り道、なにかとても贅沢をさせてもらった気分。
手練れの作り手が、極上の役者を得て編み上げた時間に、
さらに心に解ける芝居の余韻を感じながら、
駅までの道のりが全く遠く感じられませんでした。
ひかる君ママの復讐
月刊「根本宗子」
BAR 夢(東京都)
2013/04/28 (日) ~ 2013/05/06 (月)公演終了
満足度★★★★
戯曲の秀逸、むきむきの役者筋の魅力
場内に入った時から、
ただでは済まない雰囲気・・、
開演して舞台が疾走を始めると、
もう、とんでもなく面白い。
理屈抜きのグルーブ感があって
観ていてぐいぐい惹き込まれていく。
いやぁ、がっつり楽しんでしまいました。
あまりの面白さに5月5日に二度観をしましたが、
異なる男優さんの個性もそれぞれとして生かされつつ、
公演を重ねたことでの流れの良さも感じられて。
ほんと、おもしろかったです。
ネタバレBOX
場内に入ると、
役者たちはすでに板付き(?)で、
そのどこか雑然とした雰囲気にちょっと驚く。
会場から開演まで、
その空気がしっかり担保され、
見えないエネルギーが蓄積されて・・・。
そし、空気が満ちた中で、出てくる最初のセリフが
「馬鹿じゃないの・・」、しかも繰り返し・・・。
さらには、ツナ缶だの、香水の匂いだの
下世話なネタが一つずつ積まれ、
しなやかに場の空気と流れのなかで
舞台に熱を編み上げていきます。
個々の役者のテンションの作り方が実にしたたかで、
個人攻撃に発展していく階段のつくりなどにも無理がなく、
なるべくしてそうなっていく場の暖まり方に
あれよと取り込まれてしまう。
1割のリアリティにかけられた9割のデフォルメが、
観る側を場の空気に閉じ込め、のめり込ませ、
開演直前の楽屋という設定の出し入れが、
すでにカオスに陥りかけている場の空気を一層あおり
役者たちの繰り出す展開の一つずつに更なる
踏み込みを導いていく。
4人の女優たちのヤリタイ放題の態のなかで、
常ならぬ勢いを作りつつも、
それぞれのキャラクターが混濁することなく、
むきむきの役者筋でがっつりと制御され貫かれているのが
実に見事で・・・。。
戯曲が紡ぎあげるキャラクターの重なりというか、
刹那ごとに猫の目のように変わっていく関係性が、
単なるカオスにならず、時間の流れとともに、
観る側をも追い込んでいくのです。
その中で、舞台の隅から満を持して登場する男優の、
その雰囲気に縫いこまれ更に際立っていく感じにも瞠目。
熱するだけ熱して、
すっと物語を裏に返して、
ラストもしっかりと冒頭にくくっておとして・・・、
そりゃ鮮やかなものでした。
上演時間からすると短編の部類なのですが、
観終わった時点でのエネルギーの消費度は、
長編に引きこまれ続けたとき以上かも・・・。
役者の方たちにもタフなお芝居なのかもですが、
観る側の満たされ方も尋常ではなくて・・・。
しかも観終わって、
面白かったという満足感以外に残るものがあまりないのも、
コメディとしての完成度の賜物に思えて。
まあ、どこが投稿演劇なのかよくわからなかったり、
そのタイトルも最後に帳尻を合わせた感はあるのですが、
そのラフさまでも笑いにしてしまっているような部分が、
個人的にはさらにツボだったりもして・・・。
戯曲の秀逸と役者たち一人ずつの力量を
ほんと、たっぷり楽しませていただきました。
オーラルメソッド3
シンクロ少女
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2013/05/01 (水) ~ 2013/05/06 (月)公演終了
満足度★★★★
3作それぞれの面白さ
連休の一日、午後から夜にかけて3作を一気に観ました。
それぞれの作品に、作り手が切り取る愛情のありようが、
ときにあからさまに、あるいは寓意を込めて、
さらにはウィットとともに描かれていて・・・。
従前に観た作品の再演もありましたが、
作品に込められたものが
演者や会場の雰囲気とともに、
新しい色を醸し出していて、
飽くことなく、むしろさらに深く舞台に惹かれて行く感じがして、
楽しむことができました。
ほんと、堪能いたしました。
ネタバレBOX
・極私的エロス/性的人間
Aチームを観ました。この作品は以前に銀座のとても小さなスペースで観ていて・・・。
-極私的エロス
その男女の結婚生活から離婚までの顛末は、
包括して眺めるとちょっとびっくりしたりもするのですが
でも、リーディングの態で語られることで、
当事者自身の感情のありようと
主人公の第三者的な視点が織り上げられていて。
その結末が、
観る側に腑に落ちる感覚が醸し出されていく。
読み、また紙に書き捨てられていく言葉や感情だからこそ生まれる、
純化されたあからさまなリアリティがあって、
それは、観る側が感じる表層の身勝手さを裏返し
教条的な感覚から解き放ち、
組みあがる想いや感情に理を与えていく。
そこには、この表現だから表し得る、
飾らない想いの実存感と、
その重なりに温度を持って膨らんでいくものがあって・・・。
ことばが不要なバリを削がれ、一見断片的に、
でもその時間が全体の色に染めることなく、
そのシーンのあるがままに綴られたものだからこそ、
作り手一流の舞台表現としての束ねや重ねに
常ならぬ切っ先が生まれ
観る側に深く刺さりこんでくるのです。
以前に観た会場より、今回は広さも確保されていて壁の色も真逆。
また、当然に役者の語り口もことなって、
その結婚生活の時間が、
従前のバージョンより、
ゆっくりと深く 過ぎていくような感覚がありました。
過去の上演を観た側にとっては
その舞台と役者の異なりがさらに主人公の個性を解き放ち、
一人の女性の生きることの
一期一会感を惹きだしていたようにも感じられて。
観終わって、既知の作品であるにもかかわらず、
思索のあるがごとくの空気に巻き込まれるような感覚に
暫し呆然。
この作品、役者の異なるバージョンも上演されていて、
こちらも何とかみたいなぁと思ったりも。
-性的人間
物語の骨格自体は複雑なものではないのですが、
そこに、役者たちの感情や想いが差し込まれると、
そのシンプルさが土台となって
やがて溢れるようにやってくる、歯止めをうしなったような、
感情や劣情があって。
役者もうまいのですよ。
デフォルメもされているし、
でも、ロールの感情が、
役者がなすよどみのない喜怒哀楽の表情や、
よしんば無表情であってもそこに醸される風情から
しなやかに伝わってくる。
どこかコミカルな部分もあるのですが、
でも、そこに織り込まれた、コントロールしえない劣情の質感が
くっきりと浮かび上がってきて。
「極私的エロス」同様、
役者が異なることによって醸される
従前に観たとは異なる色もありおもしろかったです。
・ダージリン急行~ディレクターズカット~
東中野の小さなスペースで上演されたものを観ていて、
その時に映画を観たいなぁとおもいつつ
果たされぬままに再演を鑑賞。
今回、会場が広くなった分、
列車のキャビンのタイトな感覚が、
より役者の身体的な技量に委ねられてはいましたが
一方で車外でのシーンには
よりインドの広さが醸し出されているように感じました。
前半、母を訪ねて旅をする3人兄弟の個性を、
役者たちが本当に良く作りこんでいて。
また、劇団員同士ということもあるのでしょうか、
個々の風情の立ち上がりのよさや貫きに加えて、
一瞬につくるミザンスや、会話の間の作り方が実にしたたか。
後半に母の子どもたちへの仕切り方が、
前半の兄弟たちの所作と重なるとき、
一つの家族が束ねられた感じが凄く良い。
母親のにも、この役者ならではでのキャラクターの色があり
その表現の突き抜け方にも舌を巻きましたが、
一方で、前半の兄弟たちの風情の描き込みが、
その表現を突飛なものと感じさせず
しっかりと舞台の流れに引きこみ支えてもいて。
作品から醸される感慨のようなものに
取り込まれてしまいました。
また、列車のキャビンアテンダントの女性が
舞台にエキゾチックな印象を織り込んでいて。
その表情や所作が、
物語にすてきなウィットや奥行きを導きだし、
作品自体にテイストや肌触りを作り出していたように思います。
・愛についてのシンクロ・レポート
入口は、男性たちが女性から呼び出され、
別れを告げられるという話なのですが・・・。
でも、物語が進むに連れて、
男性から見た女性の気まぐれや理解できない部分が、
女性から見た男性の姿に変わっていって・・・。
次第に男性の想いの枠組みというか、
踏み出さない部分というか、度量が浮かび上がってくる。
その語り口がウィットに満ちていて、
心の通じ方とか、男の独りよがりな部分など、
思わず笑ってしまうのですが、
でも、男たちのごとく、愛をかたりつつ
自らの世界を踏み出すことなく足掻くことはとてもありがちで、
むしろそのことに気付き、自らを擲って愛に殉じることのほうが
レアケースでもあって。
女性との関係から切り離していた
妻帯者にとっての離婚や
ニートにとっての就職が、
女性にとってはとてもシンプルに「愛」を受け入れ続けていくことの
鎖と錘になっていて、
しかも男たちには、愛の深さを語ることには達者でも、
その錘を外すことへの発想が、
当たり前の如くに生まれてこない。
物語の展開には、
ちょっとロードムービー的なところがあって、
男たちの気づきのなさや逡巡の態や、女性の側の疲弊のありようが、
単に描かれるのではなく、
時間というかあゆみと共にゆっくりと表れてきて。
身体で紡ぐその道程や、
終盤の歌うしかないようなそれぞれの行き場のなさも、
薄っぺらいのだけれど、
でも、それらは、それぞれが抱くものの質感を
実にしなやかに射抜いているようにも思えて。
終わってみれば、
修羅場をくぐったが如き女性の視座からの、
男たちの姿がくっきりと浮かび上がり、
一方で、そこに至るまでの女性の満ちない感覚も、
女性が芝居を作ることが私生活の「言い訳」という感覚も
観る側にしたたかに残されて。
それらを語りうる作り手の慧眼と、
表現の手法や創意に舌を巻いたことでした
*** ***
追記 : 『極私的エロスB』
5月5日17時の回を観劇。
Aの満ち方が、感情の高揚とともに訪れるとすれば、
Bのそれは、戯曲の骨組みにしたがってやってくる感じが・・・。
同じ戯曲の同じ手順での上演であっても、
そのテイストは異なっていて、
でも、それは、どちらかが秀逸だとかいうものではなく、
観る側が、物語として組まれたものを受け取る時の
視座が異なっている感じで・・・。
想いの熱や突き抜け感はAの方が高いけれど、
二人がすごした時間の構造は、
Bの方がより冷静に描かれている感じがして。
その肌合いの異なりが、戯曲の世界にさらなる立体感を与えてくれて・・。
興味深かったです。
一緒に上演された、『性的人間は』、3日に観たものに比べて、
リズムや役者間の表情の受け渡しの流れがよくなっていて。
それぞれの間も安定していたように感じました。
ポジション
ナカゴー
北とぴあ カナリアホール(東京都)
2013/05/03 (金) ~ 2013/05/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
怖さの先の深さ
別にホラーのテイストを醸し出すようなあからさまな手法が
とられているわけではないのですが、
終わってみれば、
物語の顛末よりもなによりも、
描かれているもののコアが底知れず怖い。
そして、怖さの先には、
ぞくっとくるような
人が抱きうる想いのリアリティがあって・・・。
ひたすら見入ってしまいました。
ネタバレBOX
最初にト書きのように語られる
登場人物や前提となるシチュエーションが
観る側をしたたかに物語に導いていきます。
作り手一流の語り口で描かれる
元生徒と結婚した先生の
他の生徒との浮気がばれた修羅場に一気に取り込まれる。
その空気だけでも、その空気だけでもおもしろいのですが、
でも、それは描かれるものの入口にすぎなくて・・・。
むしろ、そこで収まった態から、
揺り戻しのように浮かび上がってくる、
それぞれのロールが互いに抱く
染みつき消えることのない想いの在り様に
じわじわと捉われてしまう。
「こういう女」を演じる役者が描き出す
滲み出してくるような想いの粘度が実に秀逸。
また、それを受ける側の、
表層に作られたかりそめの純真さにも、
垣間見せる想いの禍々しさにも、しなやかな実存感があって。
夫にとって執拗に繰り返されるという
「30人31脚」の記憶のエピソードなども
タイトルに表された
女性の想いを端的に炙り出していてうまいなぁと思う。
その間に入る夫の日和見さにも、
女性の揺らぎを更に際立たせる精度があり、
狂言回し的なポジションの女性の
すっと中に取り込まれていく感じが、
物語にさらなる厚みを作り出して・・・。
ポップコーン一袋で描き出される、
箍が外れ、抑制を失った女性の想いの溢れる姿に目を瞠る。
役者達の演技の秀逸が、
女性のボーダーでの揺らぎをしっかりと描き出しているから、
女性のありようが、突飛なものとならず、
その、所作や表情のひとつずつが、
理とリアリティを持った狂気の溢れ方として観る側を震撼させて。
ふた袋の黒いごみ袋が想起させるシーンが(一袋でないのうまい)、
現実感を醸し、観る側をさらに取り込んでいく。
ラストの夫のとりつかれ感も、
現実世界からの踏み出しも、
そこまでに組みあがった世界にしなやかに担保されて。
観終わって、恐怖にどこか心を凍らせつつ、
その先に作りこまれた、
人の想いの在り様に深く捉われ、
そちらの印象がより残る。
従前の作品より、
刹那の表現の肌触りは軽くなったようにも感じたのですが、
でも、それは決して作品に内包されるものが薄くなったということではなく、
新たなベクトルの洗練での賜物なのだと思う。
作り手の、作劇の切れ味が
従前にも増して、さらに研がれたようにも感じたことでした。
ぼーくらは、みんなーいーきている〜
Moratorium Pants(モラパン)
新宿眼科画廊(東京都)
2013/04/21 (日) ~ 2013/05/01 (水)公演終了
満足度★★★★
役者の魅力を引きだしつつ・・・
24日ソワレ、27日マチネで両編を。
夭逝されたという劇作家、萩原伸二さんについては
まったく存じませんでしたが、
彼の紡ぐ世界にも惹かれつつ、
役者たちのそれぞれがとても魅力的に思えた公演でもありました。
その世界がただ戯曲で語られてるのではなく
役者たちの良い部分をちゃんと惹きだすように
作られているというか・・・。。
席替えに巻き込まれて、場内の雰囲気の違いを体感するのも楽しくて。
そして、なにより、導き出された役者の個性が
しっかりと残る舞台でありました。
ネタバレBOX
会場に入ると、いきなり目に飛び込んでくる
舞台というか場内の美術に息を呑む。
ポップでいろんな世界が混在し、でも散り散りになることなく
一つの空気に調和していて。
座席もいろいろにランダム。
ちょっと早めに入場できたので、それぞれの席からの風景を確かめて
一番お気に入りの席に腰掛けます。
なにか次第に会場の空気が馴染んでくる感じがとてもよい。
戯曲を演技に紡ぎあげる役者たちにも、それぞれの魅力があって・・
・席替え
両編の共通演目でありつつ、
モラトリアム編は女性Ver,パンツ編は男性バージョンで。
両方見ると思春期の男女が抱くものの次第に解けていく感じの
通じるものと異なるものがさらなる広がりを生み出して・・。
同性の視点で観るからか、パンツ編(男性Ver)の方が、
なんというか主人公の自我がやや強い感じがあって、
その分、次第に解けていく想いが、
とても良い意味でまどろっこしい感じがする。
橋本昭博の想いのメリハリのつけ方の自由さを、
芝原弘が丁寧に拾い色付けしていく感じ、
観る側に物語られるものがゆっくりと丁寧に伝わってくる。
モラトリアム編(女性Ver)は
佐藤睦の内向的な想いに密度があり、
その解け方にもしっかりとした歩みを持っていて、
一方で佐山花織のリズムが、それを停滞ではなく
解けていくことわりや歩みにうまく導いて。
二人のバランスがほんの少し乖離する時間があって、
更なる精度も作れる感じはしたものの、
そのばらけ方が生み出すニュアンスがあって。
戯曲の懐の深さを感じたりもしたことでした。
・恋愛恐怖症(パンツ編)
どこかファンタジーな部分もあるのですが、
そこに作品が足を止めず、
やがて、西村ヒロミが演じるキャラクターの存在感や
ナチュラルな女性の風情と質感が
くっきりと浮かび上がってくる。
窪田壮史の作り出す距離感がしたたかで、
物語の空気を想いと現実のはざまにうまくコントロールして。
ちょっとした客いじりや美術の使い方が
観る側を編み上げられた世界に次第に同化させていく力にもなっていて。
気が付けば、主人公に去来する想いのありようが
とても自然に、舞台の風景の如く、観る側に置かれておりました。
・明日はあかね色(パンツ編)
どこかコメディ的なテイストもあるのですが、
柴田薫のロールへのデフォルメが、
キャラクターの要所のリアリティをしっかりと切り出していて
ドタバタした印象の先に、とても今を歩む女性の素顔を垣間見せる。
そこに引きずられる感じの横山晃子や江間みずきも
単に柴田に振り回されるのではなく、
個性自体もそのキャラクターのペースのようなものを
それぞれに重なることなく良く作りこんでいて。
どこかとほほな、戯画的な部分に観る側を巻き込む力がありつつ、
でも、そのベタさの先にある、ふっと広がるほろ苦さのようなものに
しっかりと惹きつけられました。
・忠臣蔵ブルース(モラトリアム編)
古典を置き換えるくすぐり的な部分は、
それほど珍しく感じなかったのですが、
佐野泰臣と石川修平の作り出す、
現代との重なりの精度がとてもよくて、
陳腐な印象はなく、その中間に編まれていく感覚が、
時代を跨いだ普遍としてやってくる。
アイデアをあざとく感じさせない、
空気のクオリティがあって、だからこそ、
物語と舞台上が乖離せず観る側を繋ぎとめておりました。
・ヒカリモノ(モラトリアム編)
戯曲は、ことばにできないようなニュアンスを語っていて、
でも、その深さを表現しうる力量が役者たちにあって。
石塚みづきには、刹那ごとの想いを、
クリアに立ち上げるパワーがあって、
さらに、それを観る側に焼き付けてしまうのではなく
別の軸に乗せて動かしていく、安定した持久力もあって。
芝原弘が舞台全体の空気をしなやかコントロールしていくなかで、
その、てだれの演技力と組みあって、単に舞台に染まるのではなく
さらに踏み出していく表現の力量に舌を巻く。
死とのエッジに立つ時間が、
概念からふっとリアリティを垣間見せる
そのしなやかさと切先に息を呑む。
さらには、流れに加賀美秀明が重ねる、
全く異なる質感が一つの束ねとして
朝を迎えるところまで運ばれていく成り行きにも
ひたすら見入って。
夜にだからこそ存在する、虚飾とどこか薄っぺらい感覚から
ロールたちの想いのコアが滲み、さらに削ぎ出されて。
しっかりと心を捉われました。
*** ***
パンツ編の後に観たおまけ芝居、これがねぇ、とんでもなく面白くて。
素敵にくだらないのだけれど、天丼されても全然見飽きないというか。
楽しませていただきました。
筋肉少女【残すは7月in→dependent theatre 1st!】】
石原正一ショー
こまばアゴラ劇場(東京都)
2013/05/01 (水) ~ 2013/05/03 (金)公演終了
満足度★★★★
粗いっていえば粗いけれど
その粗さから生まれる空気や、踏み出しや、熱があって。
それらに裏打ちされているから、
醸し出されるおかしさが観る側を外さない。
初日の硬さのようなものからの粗さも若干はありましたが、
それとは別に、しっかりと役者たちの力量で組まれた
恣意的で絶妙な粗さが観る側をがっつりと惹きつけて、、
役者たち自身をしっかりと舞台に映えさせていました。
ほんと、面白かったです。
ネタバレBOX
ベタといえばベタだし、
安易といえば安易な物語の顛末だとはおもうのです。
でも、役者たちには、
ドラマだけを追わせる緻密さに縛られず、
それぞれのベクトルで観る側を舞台に引っ張り込む
さまざまな力があって。
観る側にいらんことを考えさせないというか、
こういう物語の展開だからこそ、
映える役者達の魅力にあれよとはまる。
舞台に置かれる作り手一流のメリハリが
実にしたたか。
牛丼屋のミザンスの作り方とか役者たちの細かい動きに舌を巻く。
さりげなくクラシックバレエの引き出しをつかったり、
切れのある側転が飛び出したり・・
力技で描く格闘シーンにも
観る側を巻き込むに十分ないろんなユニークさに満ちていて。
ダンスなども、役者さんが為すクオリティではあるけれど、
そこには舞台の流れにしっかりとしたふくらみを作りだす力があって。
シーンごとのトーンや、会話や所作に、
よしんば多少チープな部分がであったとしても、
それをチープなままで投げ出さない、
役者たちの表現のふくよかさや、ここ一番での力が裏打ちされていて、
半歩の踏み出し感とともに笑いがきっちりと訪れる。
それぞれの役者さんの表現する色が、
束ねられていても均一化することなく、観る側に伝わってくるのも良い。
けっこう無茶をしているなぁと思わせる部分もあるけれど、
その無茶に完成度があって、観る側を引かせるのではなく、
舞台の突き抜け感に至って
観る側を前のめりにさせてくれる。
表現自体のべたな斬新さが、
とても味わい深く感じられ、
役者さんたちの、他の舞台での役者力とは一味異なるであろう、
マジで遊び心を解き放ったような、あるいは体を張ったお芝居が
舞台にコメディとしての質量をしたたかに作り出していくのです。
なんだろ、舞台をあからさまな精緻さや完成度に塗りこめず、
恣意的にアラを作ることで、
舞台に空気がとおり、火が付いて、
熱を生み出していくような感じがあって。
観終わって、役者達それぞれの個性が
くっきりと印象に残る。
この語り口だからこそ観る側が受け取りうる
果実のようなものが間違いなくあって、
たっぷり楽しませていただきました。
マリア
Straw&Berry
王子小劇場(東京都)
2013/04/17 (水) ~ 2013/04/23 (火)公演終了
満足度★★★★★
冷徹でふくよかな時間のボリューム感
そこまでの時間とキャラクターたちの想いが、
作り手の視座から歪みなく描かれているからこそ、
最後に用意されたシーンは圧巻でした。
冷徹で繊細な作り手の語り口から紡ぎ出される、
刹那に重なるベクトルの、
その先の時間と
異なる熱と生きる質感に深く捉われました。
ネタバレBOX
冒頭のシーンは、ただ見るだけ。
そこにはさしたる色もなく、
どこか閉塞した感触の男女の交わりに、
二人の関係があるがごとくに淡々と伝わってくる。
とはいうものの、役者たちには、次第に浮かび上がる、
キャラクターたちの刹那で観る側を舞台に引き入れる力があって、
観る側の記憶にさりげなくエピソードが刻み込まれていきます。
男女の、それぞれの時間がありつつ、
しかも同じ色の想いがありつつ、
それぞれが背負うものや、ベクトルの異なりも
肌触りのようなもので、観る側の意識の領域の一歩内側に置かれて。
二人の時間は、切なく、危うく、いとおしいものとしてそこにあって、
時間の先には
当然のごとくというか、訪れるべくして訪れる結末があって・・・。
そして、この結末が起点となって
その後の二人のありようが
シーンとして積み重なっていきます。
上手と下手、ふたつのスペースに、
別な世界が設えられて、
そこに二人が織り込まれた風景が綴りこまれていく。
一年くらいずつ時が進んで、
場ごとのエピソードたちにそれぞれの過ごす日々が垣間見えて。
時間の経過自体は、
シンプルにテロップや台詞のワンラインで伝わってくるだけなのですが、
舞台上には、その時間経過に裏打ちされた
様々な質感のリアリティが育まれる。
台詞で語られる感覚や想いはもちろんのこと、
小さな仕草や小道具、
さらには役者たちの表情や醸す空気が
時間とその場の空気をルーズに繋ぎ、
刹那の向こうに日々の重なりのボリューム感が生まれ、
物語全体のなりゆきへと組みあがっていくのです。
下手の部屋での男の生活や、心のキャパや揺らぎ方が、
友人たちとの会話の端々からやってくる。
リアルでありつつ恣意的にステレオタイプな、
秀逸な母親の演技が紡ぐ日々の感触に、
男の不安定さや浮き沈みが細微に映し出されていく。
そして、上手の喫茶店では、
マスターに心惹かれ心を解く女性の表情やしぐさが
内に芽生えた温度までもしなやかに織り上げ、
やわらかく観る側をも染めていきます。
主人公たちや、その周りで時間を紡ぐ役者たちの
たとえば、所作や会話はもちろん、
その会話の間にしても、
台詞のないプレーンな時間にしても、
偶然のありようにしても、
この作り手に編まれる舞台上のことが
すべて観る側にとってひとつの時間の風景やニュアンスとなって。
さらに時がすすみ、
女の元夫からの再婚へのシンプルナメッセージの
想いの巡りから時間の質量が浮かび上がる。
男の恋人が読む書類やその後から、
男の背負い続ける時間が伝わってくる。
男と女の時間はゆっくりと醸されるひとつの時間のなかに
触れ合うことなくたゆたい・・・。
そして、終盤、上手で携帯のコールを切る女性と、
切られた男性の姿に、
それぞれに過ぎた時間が熟し、
交わりえない両極へと踏み出す刹那が
鮮やかに浮かび上がる・・・。
舞台の物理的な転換という事情もあるのでしょうけれど、
比較的長時間の映像やテロップが流されて。
これがまた実に効果的なのですよ。
最初の映像がかりそめの幸せな時間を焼き付ける。
その舞台に切り取られた時間全体を包むように流れるクレジットが、
二人が歩んだ時間への感慨を呼びおこして。
そして、語られた顛末の先に
冒頭のシーンがリプライズされるとき、
特に感慨もなく眺めていたその刹那が、
もはや手の届かない、 時の流れの向こうに置かれた、
なにげない記憶への愛おしさと喪失感に変わり
観る側を深く浸潤していくのです。
そこには、作り手が供する「絶望」と「再生」があって、
でも、言葉などでは括りきれない、
それらが醸成される日々の歩みの俯瞰からやってくる、
行き場のない痛みや充足感にこそ、浸され、
静かに深く凌駕され、立ちすくんでしまう。
終演後の鎮痛剤のようなおまけ芝居を観て、
一瞬消えたように思えた感覚も、
それが終われば再び蘇って・・
会場を離れて、降りだした雨の中に歩み出して、
でも、その感触は散ることなく、
心のどこかに深く刺さり置かれていたことでした。
大きなトランクの中の箱
庭劇団ペニノ
森下スタジオBスタジオ(東京都)
2013/04/12 (金) ~ 2013/04/29 (月)公演終了
満足度★★★★
ちょっと触れたくないけれど
終わってみれば、美術を観るだけでも
木戸銭の元を取ったような気分ではあるのですが、
無論それらは表現の踏み台に過ぎず、
描き出されていく男性にとっての成長の俯瞰と
あからさまでちょっと気恥ずかしい共振感に、
苦笑しつつ、でもガッツリ捉えられてしまいました。
ネタバレBOX
以前にはこぶねで観た世界の集大成のような作品でもあり、
なにか、OSが一気に新しいものに変わった
パソコンだからこそ描きえた
男性が繫がれたものの
より細微な表現にも思えたり。
男性にとっての父親への畏怖や憧憬、
超えられない感というか・・・。
また、少年のころの純粋な興味のなれの果てや
悶々とした劣情の感覚の行き場のなさ。
さらには若さの気恥ずかしさから
老いることで生まれる衰えやずるさ・・、
それらが、どこか戯画的に、
一方で隠したり否定したりしたい部分をも含めて
舞台上に展開していきます。
ある意味いい歳こいた男性にとっての黒歴史的なものを具象化され、
観る側がかぶせていたベールを剥ぎ取り晒すような部分もあるわけで、
居心地の悪さもがっつり感じつつ、
そこまでをしっかりと舞台に乗せる作り手の
アーティストとしての貫きにぞくっときたりもして。
好きか嫌いかといわれると
実はきわめて微妙で、
一言で表現できないようなデリケートな感情も湧いてくるのですが、
自然体では決して触れたり直視したりすることなく、
寧ろおくびにも出さないように抗い、
なかったことにしてしまうものを
衒いもなく観る側に突きつける、
観る側にその評価を迷わせるような
なにかを踏みこえたリアリズムこそが、
この作品の秀逸さでもあるように思えるのです。
某マンションの一室に設えられた世界に比べて、
作品が内包しうるものも圧倒的に大きいわけで、
カノンに導き出される内なるものや、
生きることへの俯瞰と繰り返しが
概念としてではなく、溢れるように伝わってきたことでした。
ウェルカム・ホーム
天才劇団バカバッカ
テアトルBONBON(東京都)
2013/04/18 (木) ~ 2013/04/29 (月)公演終了
満足度★★★★
キャラがそれぞれに埋もれていないので
出演者の人数に少々びびりましたが、
一人ずつの役者がおしこめられることなく、
ロールに落とし込まれよく描き出されておりました。
ネタバレBOX
一時はやった貧乏大家族の話を借景に、
テレビの世界の裏表や、外国人就労者から老人問題までも
物語に紡ぎこんで・・・。
でも、それらがカオスに陥らせない、
舞台の研ぎ方があって・・・。
観る側を醒めさせたり飽きさせたりせずに
物語の顛末に繋ぎとめていきます。
一番感じたのは、ロールたちが
物語に切り捨てられることなく、舞台にしっかりと刺さっていること。
特に家族それぞれを描き分け切り出す切先があって
役者たちも、実直にそれぞれのキャラクターを
自らが背負うシーンの主人公の如く
よく支えていて。
この描き方があれば、
家族をもう数人増やしてもやっていけそうな気がするくらい。
また、テレビ局や家族を取り巻く人物たちにも、
物語の背景を徒にステレオタイプにしない個性があって・・・。
舞台をカオスに落とすことなく、
世界をしなやかに膨らませていきます。
過去と今の時間の描き方も、あいまいにしていないし、
兄弟たちにしても、名前の工夫や演じ方が
くっきりしていて、
分かりやすさに対する配慮がいろんな部分に行き届いている。
その上で、為されるいろんな誇張や踏み外し方が
裏地が作られているので、よく生きるのです。
また、ショー的なシーンもよく作りこまれていて
ちょっとくせになるようなキャッチーな感じもあって。
へたうまっていうんですかねぇ、
その表層にベタだなぁと思いつつも、
内側は決してルーズではなく、細かくしっかりと組み上げられていて、
緻密に味付けされたベタさだからこそ、
うまうまと乗せられてしまうことが楽しくもあって・・・、
なんだろ、日本人的に心地良いエンタティメントのテイストに
どっぷりと浸らせて頂いた感じ。
正直なところ、舞台のミザンスや
シーン間の密度などもところどころバラついているし、
いろいろに冗長な部分もあるし、
全てがきっちりと研ぎあげられた舞台というわけでもないのですが、
むしろ、作り手のストラテジーとして
末端に至るまであえて作りこむことをせず、
要所をきゅっと締めてまとめあげた感があって。
作り手の術に乗せられ
なにか、知らず知らずのうちに、
舞台の世界に取り込まれて、楽しんでしまいました。
余談ですが、アイドルグループのブルーのキャラクターが
個人的に妙に引っかかって(褒め言葉)。
その踏み出しの中に、
どこか、素敵な温度の低さがしたたかに作りこまれていて、
それが物語にすっと別の感覚を差し込んでくれる。
そんなに前にでるロールというわけでもないのですが、
何とも言えない本当に良い味わいがあって、
やたらと目を惹かれてしまいました
『ことば』vol.3 ~春ですね~
BoroBon企画
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2013/04/15 (月) ~ 2013/04/22 (月)公演終了
満足度★★★★
役者の挑みに触れる楽しさ
本当に豊か。
綴られた様々なことばが、
表現の創意に大きく広がり、膨らみ、際立つ。
観ていてわくわく、たのしかったです。
ネタバレBOX
前回観て、著しく惹かれたシリーズが再び。
今回は人数も少なく(少数精鋭だとのこと)、
その分、個々の役者の技量やテイストが
より伝わってきて・・・。
メロディーとともに心に残る歌が、
役者達に取り込まれ、
再び織りあげられると、
言葉のテイストはそのままに、
異なる世界が広がっていく。
言葉がしぐさにより合わされ
しぐさが言葉を際立たせる、
フラダンスの世界にも目を瞠る。
そこには、それぞれを足し算ではなく
掛け算で広げていくような
重ね合わせの力があって・・・。
なにげなく聴いていた、役者達の読む絵本の世界が、
少しずつ観る側に像を結ばせ、
何の物語か、どんな世界の話なのかをさらに追わせ、
世界が観る側に伝わる頃には
リーディングから一歩踏み出して、
観る側の薄っぺらなイメージを
ファンタジーに塗り替えて閉じ込めてしまう。
一人ずつが読み語るデフォルメされた童話の顛末の、
原典の骨組みと、それを切り取る作者の切っ先が
さらに役者達の色やテイストに染め替えられて
観る側を凌駕して・・・。
これ、おもしろい・・・。
作品を選ぶセンスや
それらを空間に形にしていく経験豊かな役者達の力量、
絵空箱の舞台との距離で
それらを目で追い、息遣いまでを聴き、
空気や温度すら感じることができるのは
芝居好きにはものすごい贅沢に思えて・・・。
でも、なによりも、
舞台に立つ一人ずつが、その表現に対して
守らずにさらにチャレンジしている感じがあって、
遊び心いっぱいの舞台の世界が、
凛として観客の一人ずつを巻き込んでいく感じが実によいのです。
この企画、さらに続く予定とのこと、
観終わって、満たされて、
次も凄く楽しみになりました。