ぼーくらは、みんなーいーきている〜 公演情報 Moratorium Pants(モラパン)「ぼーくらは、みんなーいーきている〜」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    役者の魅力を引きだしつつ・・・
    24日ソワレ、27日マチネで両編を。
    夭逝されたという劇作家、萩原伸二さんについては
    まったく存じませんでしたが、
    彼の紡ぐ世界にも惹かれつつ、
    役者たちのそれぞれがとても魅力的に思えた公演でもありました。
    その世界がただ戯曲で語られてるのではなく
    役者たちの良い部分をちゃんと惹きだすように
    作られているというか・・・。。

    席替えに巻き込まれて、場内の雰囲気の違いを体感するのも楽しくて。
    そして、なにより、導き出された役者の個性が
    しっかりと残る舞台でありました。

    ネタバレBOX

    会場に入ると、いきなり目に飛び込んでくる
    舞台というか場内の美術に息を呑む。
    ポップでいろんな世界が混在し、でも散り散りになることなく
    一つの空気に調和していて。

    座席もいろいろにランダム。
    ちょっと早めに入場できたので、それぞれの席からの風景を確かめて
    一番お気に入りの席に腰掛けます。
    なにか次第に会場の空気が馴染んでくる感じがとてもよい。

    戯曲を演技に紡ぎあげる役者たちにも、それぞれの魅力があって・・

    ・席替え
    両編の共通演目でありつつ、
    モラトリアム編は女性Ver,パンツ編は男性バージョンで。
    両方見ると思春期の男女が抱くものの次第に解けていく感じの
    通じるものと異なるものがさらなる広がりを生み出して・・。
    同性の視点で観るからか、パンツ編(男性Ver)の方が、
    なんというか主人公の自我がやや強い感じがあって、
    その分、次第に解けていく想いが、
    とても良い意味でまどろっこしい感じがする。
    橋本昭博の想いのメリハリのつけ方の自由さを、
    芝原弘が丁寧に拾い色付けしていく感じ、
    観る側に物語られるものがゆっくりと丁寧に伝わってくる。
    モラトリアム編(女性Ver)は
    佐藤睦の内向的な想いに密度があり、
    その解け方にもしっかりとした歩みを持っていて、
    一方で佐山花織のリズムが、それを停滞ではなく
    解けていくことわりや歩みにうまく導いて。
    二人のバランスがほんの少し乖離する時間があって、
    更なる精度も作れる感じはしたものの、
    そのばらけ方が生み出すニュアンスがあって。
    戯曲の懐の深さを感じたりもしたことでした。

    ・恋愛恐怖症(パンツ編)
    どこかファンタジーな部分もあるのですが、
    そこに作品が足を止めず、
    やがて、西村ヒロミが演じるキャラクターの存在感や
    ナチュラルな女性の風情と質感が
    くっきりと浮かび上がってくる。
    窪田壮史の作り出す距離感がしたたかで、
    物語の空気を想いと現実のはざまにうまくコントロールして。
    ちょっとした客いじりや美術の使い方が
    観る側を編み上げられた世界に次第に同化させていく力にもなっていて。
    気が付けば、主人公に去来する想いのありようが
    とても自然に、舞台の風景の如く、観る側に置かれておりました。

    ・明日はあかね色(パンツ編)
    どこかコメディ的なテイストもあるのですが、
    柴田薫のロールへのデフォルメが、
    キャラクターの要所のリアリティをしっかりと切り出していて
    ドタバタした印象の先に、とても今を歩む女性の素顔を垣間見せる。
    そこに引きずられる感じの横山晃子や江間みずきも
    単に柴田に振り回されるのではなく、
    個性自体もそのキャラクターのペースのようなものを
    それぞれに重なることなく良く作りこんでいて。
    どこかとほほな、戯画的な部分に観る側を巻き込む力がありつつ、
    でも、そのベタさの先にある、ふっと広がるほろ苦さのようなものに
    しっかりと惹きつけられました。

    ・忠臣蔵ブルース(モラトリアム編)
    古典を置き換えるくすぐり的な部分は、
    それほど珍しく感じなかったのですが、
    佐野泰臣と石川修平の作り出す、
    現代との重なりの精度がとてもよくて、
    陳腐な印象はなく、その中間に編まれていく感覚が、
    時代を跨いだ普遍としてやってくる。
    アイデアをあざとく感じさせない、
    空気のクオリティがあって、だからこそ、
    物語と舞台上が乖離せず観る側を繋ぎとめておりました。

    ・ヒカリモノ(モラトリアム編)
    戯曲は、ことばにできないようなニュアンスを語っていて、
    でも、その深さを表現しうる力量が役者たちにあって。
    石塚みづきには、刹那ごとの想いを、
    クリアに立ち上げるパワーがあって、
    さらに、それを観る側に焼き付けてしまうのではなく
    別の軸に乗せて動かしていく、安定した持久力もあって。
    芝原弘が舞台全体の空気をしなやかコントロールしていくなかで、
    その、てだれの演技力と組みあって、単に舞台に染まるのではなく
    さらに踏み出していく表現の力量に舌を巻く。
    死とのエッジに立つ時間が、
    概念からふっとリアリティを垣間見せる
    そのしなやかさと切先に息を呑む。
    さらには、流れに加賀美秀明が重ねる、
    全く異なる質感が一つの束ねとして
    朝を迎えるところまで運ばれていく成り行きにも
    ひたすら見入って。
    夜にだからこそ存在する、虚飾とどこか薄っぺらい感覚から
    ロールたちの想いのコアが滲み、さらに削ぎ出されて。
    しっかりと心を捉われました。

    *** ***

    パンツ編の後に観たおまけ芝居、これがねぇ、とんでもなく面白くて。
    素敵にくだらないのだけれど、天丼されても全然見飽きないというか。
    楽しませていただきました。

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    2013/05/03 11:06

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