ニッポンヲトリモロス
劇団チャリT企画
王子小劇場(東京都)
2013/10/25 (金) ~ 2013/10/30 (水)公演終了
満足度★★★★
鈍感さを感じさせる鏡
おもしろいし、描くものの意図はなんとなく伝わってくるのですが、
どこかフォーカスがぼやけていて、
妙に薄っぺらく、具象するものもぴりっと伝わってこない。
でも、ラスト近くに引っ張り出されてきた
物語の構造の屋台崩し的な展開に
舞台が翻るのを感じ、
それを漫然と眺めていた自らの感覚にぞくっとなりました。
ネタバレBOX
2020年、オリンピックがもうまじかに迫る東京のホテルのロビーが舞台。
そこに、現状の日本のから想起しうる、今とさして変わらない近未来の風景が織り込まれていきます。
そして、その裏には、かなりあからさまに、あざとく、日本の現状の比喩が織り込まれていて、
ホテルの部屋番号と福島原発の炉のナンバーが重なり、雨漏りは急場しのぎの汚染水対策が続いていることを思わせる。さらには、国情というか、阿部首相の3本の矢の奪われてしまうことや、中国人客ばかりのホテルの予約や、旧態依然としたつっぱり(懐かしい)たちの登場や、魔女の宅急便で届かない、コスモクリーナーから浮かび上がるこの国のありようがあって。ただ、舞台の置かれたそれらの表現自体が、どうにもベタで、芯がなく、主張もなく、どこか安っぽいコントのごとくなげやりに思えてしまう。
そしてその展開もじんわりとゆるい・・・。
でも、終盤で懐かしい『8時だよ!全員集合』の場面転換(前半のコントのラスト部分)の音楽が流れ、舞台の混乱を笑いながら、家で毎週見ていた番組のことを思い出すと、すっと、スマホのカメラの内外が逆転するように、視点が翻り、その世界を見ている自分の姿へと変わるのです。
次第に破壊的になっていくさまざまなことに収集がつかなくなっていくなかで、
「だめだ、こりゃ」とその場をまるっと収めてしまうに舞台には薄っぺらさを感じてしまうのですが、
でも、結構洒落にならない現実を、ただ、物足りなさとともに眺める自らに、
ドリフにマンネリ感を感じつつ、どこか惰性で、でも結構楽しみにテレビを見ていた自分の記憶がかさなると、描かれた先にあるシリアスな日本の現実を受け取ることとは明らかに異なる感覚に、浸され慣らされた自らへの視座が現れ、そこに胡坐をかいてこの国の様々なありようを「お茶の間」感覚で見ている己が姿に愕然とする。
様々な出来事に慣れ、ニュースや社会的な事象を、際立ってシリアスなこととして眺めることも心を深く揺さぶられることもなしに、ブラウン管(有機ELなどではなく、どこかぼやけている)の中の出来事のように感じ始めている自らや多くの人々のありように思い当たって。
作意がいまひとつ舞台に明確でないので、私が深読みしすぎているのかなぁとも思うのですが、大変なことになっている様々なことを、ドリフ的なエンディングに取り込まれたこの舞台の如く日常のルーティンとして深く興味を抱くことなく受け取っているその感覚のリアルさに、ゆっくりと深く捉われたことでした。
エビス朗読の会 終了
エビス駅前バープロデュース
エビス駅前バー(東京都)
2013/10/17 (木) ~ 2013/10/21 (月)公演終了
満足度★★★★
Bをじっくりと
短編を2作。
どちらの作品にも、とりあえず観る側を作品に引き込む時間があって、
戯曲の骨組みを追っていたのですが、
なんだろ、それぞれに演者の描くものが戯曲から溢れだしてきて。
気がつけば、作品にどっぷりと浸ってしまっておりました。
ネタバレBOX
どちらの作品も、
二人の会話から物語を俯瞰しうるしかけが
うまく作られていて。
それが淡々と読まれても、
観る側は迷わずにその顛末をうけとることは出来ると思う。
但し、役者達には、その仕掛けを踏み台にして、
戯曲を表すのではなく戯曲を骨組みに埋めて、
場の空気で観る側を物語りに浸していく
力があって。
観る側にとって、言葉を追う力の入れ方がすっとほどけて、
役者達の紡ぐ想いが呼吸し、互いを探りあい、ためらい、
迷い、踏み出す空気のそのありようや移ろいに
浸され運ばれていく感じ。
生演奏の音には、作品と一体となった息遣いがあって、
場への刺さり方や、物語の包み込みかたも実に効果的。
戯曲にしても、場所にしても、役者の演じ方(読むことやミザンスを作ること)にしても、音にしても、朗読という範疇から半歩ずつ踏み出しての、表現の豊かさとなっていて。
シンプルさと、豊かさが、とてもうまく同居した時間や世界を楽しむことができました。
上演時間もそれほど長いわけではなく、でも観る側をしなやかに満たす質量が織り込まれていて。土曜日の午後の、とても「満ちた時間となりました。。。
20文字のRiver
荒川チョモランマ
下北アートスペース(東京都)
2013/10/19 (土) ~ 2013/10/20 (日)公演終了
満足度★★★★
3つの別空間
ギャラリー公演、3つの短編はそれぞれに異なるテイストを持っていました。
で、それぞれの表現にしっかりとした骨と強さがあって、描くパワーに飲み込まれる。でも後には塗りつぶされることのない細やかな印象が残りました。
ネタバレBOX
石巻で演じられるというか、3.11のことを重ね合わせてみると、そこには作り手の感性様々なものが滅失していくなかでといろんな意図と表現の引き出しの豊かさが感じられる。
冒頭に名前が冠された、美術品のような役者が目覚めるシーンがありまして、その目覚めから「最後の女優」の世界が導かれていく。役者の演技がパワーに裏打ちされて、満ちた日々から次第に滅失していく中で日々を生きる肌触りと、やがて全てが消えた中でも歩を続ける女優のありようが紡がれていく。そこに表層の華やかさと異なる女優が演じることへの性と、全てを失っても歩みつづけるロールの矜持や揺らぎがしなやかさに、そしてビビッドに伝わってくる。
「止まり木の城」は表現の企みが真っ直ぐに置かれた作品で、時間軸が明示され、その中での3.11の今がくっきりと浮かび上がる。未来の子供たちの夢の稚拙さの中に語られる、未来に起こるであろう現実の風化があってでも描かれるのはその忘れられた過去の在り様に留まらない。翻ってその風化するべき現実を作り上げることにすら歩み出していない出来ていない今が削ぎだされていく。
未来から俯瞰することで現われる、今の自らの座標とその姿にはっとする。
不文恋歌」は童話仕立てになっていて、子供たちを物語に取り込むような魅力がありつつ、、大人にとってはちょっとビターな思い当たりと、心を揺らされ、満たされるようなコアが織り込まれていて。同じ言葉でも、当たり前にあるのに伝えられない鬱々とした感覚と、言葉を失ったもどかしさと、同じシチュエーションでも一度失っているからこそしっかりと言葉にできる感覚の遷移に真っ直ぐに捉えられてしまう。
観終わって、3作それぞれの色に惹かれつつ、それが開演前に観た壁に飾られた作品の印象としなやかにリンクし広がりになっていることにも思い当たる。
劇場ではないスペースギャラリーで上演しうる作品ということで、舞台装置などもシンプルだし、照明や音響なども尖った織り込まれ方をしているわけではなく、でもそれらに頼ることのない役者達の場を満たす力がしっかりと担保されていて、作り手の表現能力のふくよかさを感じたりも。
ただ、正直にいうと、この作品、特に最後の作品は今回の会場の倍のスペースで観たかったなぁとおもったりもしました。これだけパワーを内包した役者たちの演技なら、空間が少々広がっても、舞台の密度が減じられることはないだろし、逆に今回のスペースでは大きな動きへの制約感や想いの振幅が場から抜けきらずくぐもるような部分もあって。
ポータビリティがあり、またそれが必要とされる環境での上演も考慮された作劇ということでは、とても良く仕上げられているとは思うのですが、今回に関してはその仕様での作劇であっても、少々空間のタイトさを感じたことでした。
もしも僕がイラク人だったら
カムヰヤッセン
東京芸術劇場アトリエイースト(東京都)
2013/10/03 (木) ~ 2013/10/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
物語る力
戯曲の力に加えて、
それを丁寧に場に編みあげ、
観る側を世界に導いていく
役者達の力量に惚れ惚れしました。
ネタバレBOX
展示を眺めて、席について暫くすると、
挨拶とボーダレスに物語が語られ始めている。
噺家がこう、会場の雰囲気に合わせて、
時節の話題をふるような塩梅で、
客席の空気をうまく束ねて、
羽織を脱ぐ代わりとでもいうように、すっとライトのトーンを変えて
観る側を役者の語りに引き込んでしまう・・・。
すると、奥に映し出された影が、
地語りのごとく物語の世界を観る側に広げ始める。
語り手の想像として語られるものが、次第に自らの呼吸を始め、
その呼吸は映像に重ねられ、
映像を眺める想像上のロールの感覚となり
そのロールを担うもう一人の役者に渡されて・・・。
気がつけば、想像の枠組みが解け、
湾岸戦争時のバクダットの市井の生活の風景のなかで、
彼と家族の姿が浮かび、
彼のパソコンに繋がる世界の先までが現れてくるのです。
役者の語りが紡ぐ戦時下のバクダットには日常があって、
彼が、そして弟や母が、暮らしていている日々の風景があって、
思春期の弟のエピソードも、アラブ人の母親の風貌も、
誇張なく、ロールの記憶の如くに彼とともにある。
戦火は彼の住むアパートに及び、語られた日々は記憶となり
世界の在り様の俯瞰となりさらに観る側を繋いで。
そして、想像が満ちた先で、再び最初の語り部に物語が戻され、
流された歌の歌詞が、観る側に流れたバクダットの時間に交わるとき、
人が本質的に持ち合わせている、殺戮の身勝手さや
どうにも行き場のない人々のの無神経さと殺戮のベーストーンに
鈍く深く心を捉えられる。
駄弁に始まった物語は、駄弁の世界に戻るけれど、
観客はもはや駄弁の世界と現実のボーダーの区別すらつかず、
その戦争の話は、もはや遠い国の見知らぬ時間の出来事ではなくなっていて。
終演時には、2人の役者が導いたバクダットとロンドンと東京に流れる時間の
一元的なありようと、貧富や戦争の理不尽と人が根源的に抱きうる感覚のありように心縛られているのです。
正直にいうと、役者が物語に観客を導いていく道程と、そこから戻る道行きにほんの少しだけ質量の違いを感じたりもして。観客が抱いたものに対して、戻りが、たとえば歌詞の訳をかたるシーンはもう少しだけ強く切り出されてもよいかなぁとはおもった。観る側を物語から観客を解放する足どりがほんの少しだけ淡白に思えたりもしました。
でも、それはきっと、役者の演技がここまでに研がれているからこそ感じること。
観終わって、、舞台が設定された場所の、椅子がひとつとスクリーンの殺風景ですらある空間を暫し眺めて、
そこに世界を描いた作品と役者の秀逸さに改めて舌を巻きつつ、改めて演劇という表現の力について想いを馳せたことでした。
マイホームマイホテルマイパートナーハネムーン/久保らの歩く道
コーヒーカップオーケストラ
OFF OFFシアター(東京都)
2013/10/02 (水) ~ 2013/10/09 (水)公演終了
満足度★★★★
マイホーム・・・、よくメリハリが効いている
ベタなコメディではあるのですが、でも、その笑いに作りこみや観る側をあきさせない強弱があって、一瞬の可笑しさの積み重ねにも厚みを感じる。
また、若い役者さんと上の世代の役者さん達の噛み合わせもよくて、多少無茶をやっても屋台骨がバラけることなく、むしろ舞台にフラのようなものも生まれていて。
面白かったです。
ネタバレBOX
役者達もいろいろに歌舞いていましたが、
そのインパクトが出落ちにならず、しっかりと最後まで貫き通され、
さらに様々な可笑しさのトリガーに育っていくことに感心。
また役者にそれぞれのロールをがっつりと貫く力があって、
台本で膨らませる部分も、遊び心を感じるところも
しっかりと手のひらに乗っていて崩れたりぶれたりしないのも良い。
舞台全体からやってくる骨組を
観る側がとてもしなやかに受け取ることができる。
女性5人の宴会みたいなシーンの
ちょっと気の弱い男が立ち入れないような雰囲気には
三十路女性の不思議なパワーというか
他が踏み込めないような存在感があって、見入る。
客のカップルのずれ方というかかみ合わなさなども
役者がロールをよく作りこんでいて、
可笑しさに留まらない、物語を追わせる力を編んで
観る側を導いていたように思う。
先日の鬼フェスの短編に比べても
クオリティはがっつり上がっていて・・。
コメディかといえば絵に描いたようなコメディだし、
笑いをとってなんぼ的なテイストのお芝居ではあるのですが、
その「ベタ」に「ベタ」さとしての洗練が生まれていて
とても気楽に、飽きることなく、たっぷりと楽しむことができました。
レジェンド・オブ・チェアー
ナカゴー
Brick-one(東京都)
2013/09/27 (金) ~ 2013/09/29 (日)公演終了
満足度★★★★
英語の効用もあり・・・
英語で切り出されたこの物語が、舞台としてしっかりと切っ先を持てるのは結構すごいことだと思うのですが、一方で劇団の底力をもってすれば、十分にあり得るのだなぁと感心しました。
全編英語の芝居構成が、うまく表現のあからさまさにフォーカスをかけて、無茶に筋立てやおもちゃを供したりもして・・・。
お子様にはとてみせづらいお話ではありましたがw、その世界への踏み出しには、とんでもなく力がありおもしろかったで
『キートン!』
劇団ひるやすみ
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2013/09/27 (金) ~ 2013/09/29 (日)公演終了
満足度★★★★
しなやかな音楽劇の紡ぎ方
5pcs構成の生バンド、役者達の身体が織り上げるもの、さらには台詞の抑揚とリズム・・・。
たちまちのうちに、舞台の語り口にどっぷりと嵌ってしまいました。
このやり方ならば、胡散臭くならずに、海外の雰囲気を音楽劇としてもってこれるなぁとおもった。
舞台に引き込まれつつ、そのメソッドに日本語による音楽劇の可能性を感じたことでした。
ネタバレBOX
物語のやってきかたがとても洒脱。
そのシチュエーションや物語の背景が、
台詞だけに頼らず舞台全体の動きから
編み出されていく。
生バンドの音が、単に音楽を奏でるだけではなく
効果音として、さらには空間を染める色としても
しなやかに機能していて。
しかも、オンステージのバンドが奏でるからこそ
紡ぎうるメリハリのようなものが舞台にあって、
それほど複雑ではない物語の骨組にもかかわらず
観る側がそのテンポで舞台に巻き込まれていく。
役者達の台詞回しや所作について、
最初こそちょっと違和感があるのですが、
でも、すぐにそれが、
バンドの音や舞台のミザンスにはとんでもなく絡みがよいことに気づく。
ロールごとの台詞に織り込まれた、ちょっとした大仰さや、
強めのメリハリや、どこか紋切り型な部分や、
ステレオタイプな人物造形が、
舞台に置かれるとそこに、物語の世界が開け、キャラクターたちが場に馴染みシーンごとの起伏となり、物語の顛末へと重なり
観る側を心地よく閉じ込めていく。
キーボード、フルート、バイオリン、チェロ、ドラム。
音は、時に舞台全体を満たし、刹那のテンションとも、ロールたちの思いの息遣いともなり、ひとつずつの場ごとの心地よい厚みとともに観る側を舞台の世界に浸しこんでいく。
複雑な物語でも、
息を呑むほどに細微な想いが紡がれているわけでもないけれど、
言葉ではなく、舞台全体で運ばれるような展開や、上質なウィットが舞台がとても魅力的に思える。
さらに進化する余白もたくさんあるとは思うのです。
細かい部分、たとえば役者達のダンスにはあと半歩の踏み出しが欲しいし、
小道具の使い方もこじゃれていてて良い気がする。
また、役者の動線だってもっと綺麗になるはず。
でも、そうであったとしても、作り手が日本語で綴ったこの舞台には、
これまでになかった、
たとえばオフオフブロードウェイ風の音楽劇のテイストが、
模倣や言い回しの翻訳ではなく「感覚訳」ともいえるやり方で
導かれ観る側に供されているのはこの上もなく魅力的。
そこに、日本語での音楽劇の新たな可能性を感じる。
能や歌舞伎の中での日本語のリズムや抑揚があるように、
音楽劇の日本語のリズムや抑揚が
この作品には作り出されていて。
そのやり方が音や踊りや歌が重ね合わせ、
空気を織り上げる。
その作劇の、言語と雰囲気の乖離を埋める様々な工夫に満ちた
新しい力にわくわくする。
この作り手の
次の作品がとても楽しみになったことでした。
ナイゲン【ご来場ありがとうございました】
Aga-risk Entertainment
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2013/09/26 (木) ~ 2013/10/08 (火)公演終了
満足度★★★★★
戯曲の秀逸さに舞台としての進化が加わって
昨年に作品を初めて観たとき(すでに再演だったらしい)、戯曲のコメディとしての圧倒的な出来のよさに心を奪われたのですが、今回はそこにさらなる武器が加わった感じ。
同じ会場であっても、レイアウトの変更で空間の寸詰まり感がなくなりその分役者たちのパワーがクリアに伝わってくるようになったし、演じられるもののメリハリもより強かに作られていて。また、昨年観たのと同じ役者であっても役者たちのいろんなベクトルの表現力にさらに磨きがかかってもいて。
よしんば、筋立てを知っていても、笑えるし感動すら覚える。
傑作だと思います。
ネタバレBOX
昨年に比べて、舞台の作りも大きく改善されているし、戯曲もあらためて秀逸だなぁと思う。
13人の登場人物が、誰一人個性を被らせることなく、一方でアイデンティティを失うことなく見事に描き分けられていて。
しかし、舞台の要素の中で、多分一番進化したのは役者達で、それぞれのロールに対する解像度が一桁上がったように感じられました。客演陣も、それぞれに一歩深いところにある表層のナチュラルさとキャラクターの内側を垣間見せていたし、なにより劇団の4人の役者たち、中でも二人の女優が本当に上手くなったなぁと思わせるお芝居。
結果として、前回観たときには戯曲の構造や勢いで稼いでいた笑いが細かい空気感での笑いに昇華している部分がいくつもあったし、骨組みを観る側の意識下にしっかりと沈め、刹那の場の空気で掴んで、さらにそのロジックでもっていくような多層的な可笑しさの重なりが、作品に丸まらないグルーブ感を醸し出してくれて。
前半で与えられる舞台の枠組みを学校生活の雰囲気と共にとても自然に思いだし、中盤で疾走感を持った笑いに導かれ、終盤の着地時にはその熱さめやらぬなかでさらなる踏み出しや高揚すら感じる。
この作品、ありそうでなかなか巡り合うことのできない、気取らず、ナチュラルで、良質なコメディの教科書のようなコメディだなぁと改めて感心。
いろんな味わいがありつつ、とても心地よく笑える。今後の劇団にとってもまちがいなく財産であり続けるような作品でした。
『起て、飢えたる者よ』ご来場ありがとうございました!
劇団チョコレートケーキ
サンモールスタジオ(東京都)
2013/09/19 (木) ~ 2013/09/23 (月)公演終了
満足度★★★★
異なるニュアンスを支える戯曲の力
初演がとても印象に残っている舞台でしたが、役者、特に女優の紡ぐキャラクターにはそれに負けない新たな質感が生まれていました。
初演と再演での良し悪しということではなく、戯曲から広がる新たな視野に浸された感じもあって。
美術のインパクトや舞台の密度も、会場が広くなっても減じられることなく、再びその時間の濃密さに閉じ込められてしまいました。
ネタバレBOX
初演時には、ロールたちの抱くものが今回ほど明確ではなく、どこかカオスの中から浮かび上がってくるような印象があって。
対して、今回は、物語の構図がとてもわかりやすく感じられました。
それは、戯曲を知っているからということとは違う種類の感覚で、しいて言えばシーンの中でのロールの姿から曖昧さが消えた感じ。
そのことには、良い部分とそうでない部分があって、たとえば囚われた女性から生まれる思想のありようとそのトラップに陥る危うさは今回の方が繊細に表現されていたように思う。なんというか、その切れ味と細微に至るまでの表現力に、心が粟立つような感覚までがやってくる。
でも、そのことで、初演時に感じたその思想に染まる背景にある心の闇や、箍が外れてしまうことへの戸惑いやためらいの、混濁しているからこそ訪れるリアリティのようなものが薄れてしまったようにも思えて。
結果として、この舞台には初演時くに伝わってきた思想を抱くことの重さが生む踏み誤り感や人間の内にあるそこに陥る仕組みの感覚とは異なる、思想に心をゆだねることの根本にある抗い得ない軽質さや安直さや、手放し滅失していく矜持の感覚のありようが生まれていたように感じました。
装置やあかりにも、あえて観る側の視界を一部遮蔽するような構造で、その世界の閉塞性を表したり自由に見えて実は獄に繫がれたような感覚を導き出したりと、それ自体にしっかりと語る力があり、その中の役者たちにも息を呑むような想いの実存感で観る側を追い込む力があって。
観終わって暫くして、無意識に感じた初演からの作品世界の広がりが、たとえば初演時の行き場のない『愚かさ』と今回伝わってきたどこか青さをもった『浅はかさ』の如く、異なる視座から描かれる同じ世界だからこそのものだなと気づく。また、そのことは、戯曲の懐の深さを、異なる引き出しで幾重にも引きだす演出家と役者たちの力量だからこそ表し得るものだろうなとも思ったり。
単に初演の世界に連れ戻されたということではなく、新たな感覚に深く捉われ、今回の舞台の秀逸に対してのみならず、初演から単純に重ね塗りされたのではない作品を複眼しするような広がりをもった印象にも凌駕されてしまいました。
プラネタリウムを作りました。
宇宙食堂
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2013/09/19 (木) ~ 2013/09/23 (月)公演終了
満足度★★★★
サクサクと進む物語
出演者の人数も多めで、尺も相応にあり、描かれる時間もかなり前後しているのですが、一つずつのシーンが語る意図をしっかりともって作られているので物語が混濁せず、その重なりにサクサク感が生まれ見飽きることがない。
美術というか、投映されるされる星たちも美しく物語をもう一歩外側にまで広げる力がありました。
ネタバレBOX
そんなに単純な物語でもないのですが、シーンの内にもその重なりにも、観る側の足をとどめさせないリズムがあって、ちゃんとその顛末を追わせてくれる。
近未来にかこつけて、キャラクターも、展開も、どこか妙に口当たりがよかったり、勧善懲悪的でもあったりするのですが、でもそのことがあざとさにならず、むしろ舞台のベースを支える物を創生することやそれを現実にすることの楽しみや喜びを、スッと引きだしてくれる。
ヒールやそれに巻き込まれる側の思惑なども役者がしっかり支え腰がちゃんとあって、時間の移動もなにげに語るべきこと毎に束ねられていたりもするので、観る側が物語の展開を塊で受け取ることができて、迷わない。
その土台に乗ってのご都合主義的な部分だから、可笑しさや笑いが上滑りすることなく舞台のふくらみとして機能していて。
最終的に一人のキャラクタを立体的に観るような感慨に浸すには、もう一歩の歯ごたえをもった部分が必要なのかなぁとは思うのです。
この軽質さだからこそ、支えられるはずの重さがちょっと流れてしまった感じが惜しいなぁとおもったりも。
そこが舞台に煌めく星たちの美しさに埋もれてしまったようにも感じたり。
とはいうものの、エンターティメント的な部分もさりげなく骨を持って織り込まれ、観る側を繋ぎとめるだけの舞台の力があって。
終わってみれば、作品からやってくる充足感に満たされていて・・・。
楽しませていただきました。
3団体合同コント公演
モラトリアムパンツ×PLAT-formance×たすいち 3団体合同
新宿眼科画廊(東京都)
2013/09/25 (水) ~ 2013/09/28 (土)公演終了
満足度★★★★
楽しく面白く・・・
本編も、作り手の良さが引き出された作品になっていたし、
開演時からの客のあしらい方や、終演後のイベントも
観る側に演劇をとても近しいものに感じさせる力があって。
とてもたのしく時間を過ごすことができました。
ネタバレBOX
客入れのときから、
作り手が場内の空気にうまく入り込んで
観る側を飽きさせない。
場を暖めるというか、うまく開演までの時間を育てていくというか・・・。
その上で、
参加3団体のテイストが生きた作品が
心地よく、観る側に供されていきます。
オープニングコント的なものがあって観る側を引き寄せる。
他の作品を跨いで上演されるモラトリアムパンツの連作は、
同じようなフォーマットに織り込まれる異なる仕掛けが、
楽しい。
その中に個々の面白さが、ちゃんと塩梅をもってシーンごとに作りこまれていて、観る側を引っ張っていく力があるし、
コントとして、オトすところをしっかりと律儀にオトしていることも
公演全体のリズムを作り出していて。
なにより一人ずつのキャラに不思議なヴィヴィドさがあって、
取り込まれてしまう。
PLAT-formanceは、物語の紡ぎ方というか成り行きにメリハリがあって、
二人芝居の一つ崩れればどうにでもなってしまう間や距離を、
ベタにすることなく、さりげなくコントロールしつつ、
シーンを積み上げていく。
以前にくらべて、足腰がしっかりと安定している印象があって、
作品の尖り方が観客を置きざりにすることなく、
引っ張っていく力があるのも良い。
まだ、育つ余白を感じさせるとはいえ、
グルーブ間も芽生えていて。
たすいちには、ミニ群像劇風に集団を動かす手練があって、
そのなかに物語の核となる
二人のバトルのありようが、とてもくっきりと浮かび上がる。
主役的な二人の猫の目のように変わる勝負のゆくえも面白く、
それを支える他の役者達の編み上げる
ネタ的なシチュエーションの変化にも切れがあって
物語に広がりや勢いを与え、
観る側にそれを物語の薄さやあざとく感じさせない。
際立った派手さはないのですが、
よく作りこまれていて、作品に良い意味でのボリューム感も生まれていて。
観終わって、そのままなだれこむようなアフターイベントも素敵でした。
会場全体に熱を持ちつつ、出演者のウィットにも浸されつつの
団体代表の対決もそれぞれにおいしく(本当に)、なにより楽しかったです。
作品としても、おもしろかったし、また舞台の表現を近しく感じることができたイベントでもあったと思います。
SUMMER PARADE
AnK
サブテレニアン(東京都)
2013/09/18 (水) ~ 2013/09/22 (日)公演終了
満足度★★★★
中途半端に語ることの洗練
仕組みがしっかりと作られて、そこに語られる物語に完成度と洗練された中途半端さがあり、だからこそ伝わってくるもの、そして強く惹かれるものがありました。
ネタバレBOX
3面囲みの舞台で、決して広くはない、むしろタイトな空間。
三つの寝袋が並べられると結構舞台は満ちて。
そのなかで、真ん中のひとりを現実側につないで
アンドロイドの少年と少女が少しずつ心を解いていく。
その媒体となるホログラムの
素敵ないい加減さとリアリティのバランスが凄く良くて、
たとえば少女がノートに書き綴った世界も
無理なく、不要な禍々しさもなく、舞台に引きだされていく。
スプーンをこめかみに当てて、現われる態のロールたちの
いろんな遊び心が舞台にあって、その内容が舞台から少女の表層の鎧を外し、少しずつ秘密でノートにつづられた想いのありのままの姿となり、最初は躊躇しつつも、でも次第に扉を開くことへの不器用な意思が解かれて女性の内心を晒していきます。
その、脳内を映すホログラムたちが描くエピソードが、個々に完結せずどこかはみ出していて、中途半端で、薄っぺらく、どこかご都合主義であることで少女の想いの不規則な揺らぎがとてもビビッドに伝わってくる。
しかも、舞台の中にずっと現実の中に眠っているロールの存在があることで、ホログラムの世界に少女の抱くものが現実の鎖をすべて外してしまうことなく、それ故にさらにその世界を裏打ちする想いも、単に染み出すのではなく、次第に現実と対比した座標を持って伝わってくる。
役者たちのお芝居もとても良く切れていて、
想いをイメージする演技にも、その想いを具象するホログラムの演技にも
シーンをひとくくりにせず、少女とアンドロイドが感じる自らの想いを晒した時の反応の既視感や、そこに収まらないことへの戸惑いや、期待までも含めた
想いの色のまでを編み上げる力があって。
星をめぐる顛末にしても、アンドロイドの独白にしても、それらを紡ぎあげるホログラムの首にメーカーの名前が刻まれていることなど様々な遊び心も旨いなぁと思う。
描かれるものの色は、どこか淡々としていて薄っぺらい質感もあるのですが、その色を崩すことなく、一つずつの物語のかけらから、少女とやがてはアンドロイドの想いの断片が紐解かれ重なっていく語り口には。作り手のセンスの際立った洗練を感じる。
なにか、全く力むことなく舞台の事象を追い続け、気が付けばどっぷりと作り手の世界にはまってしまっておりました。
春よ行くな【15日(日)18:30に追加公演決定!!!】
悪い芝居
駅前劇場(東京都)
2013/09/11 (水) ~ 2013/09/17 (火)公演終了
満足度★★★★★
悪い芝居流の身体表現
舞台美術も場を満たす音もしなやかな武器となり、
役者たちの身体が、台詞を支え、それどころか台詞を凌駕して
一人の女性の心風景を編み上げていく。
その、表現の厚みに圧倒されてしまいました。
ネタバレBOX
入場してしばらくは、
三角形の囲み舞台かと思った。
中央には三角形の台が設えらえて。舞台上手の通路状のスペースの奥や
下手奥には2列のパイプチェア。
奥のブースのような部分にも気が付いて。
坐っていても舞台の形状が今一つ把握できず
すこし不可思議な感覚のままで、開演を待ちます。
闇の中、男女の交わりで始まった舞台、しばらくは主人公を外側から見ていたように思う。やってくるものをただ物語を紐解くように追いかけていく。
23歳の主人公の記憶、周りとの会話や関係、戻らない彼氏、仕事や生活、様々な出来事と想いの曖昧さ。躊躇、当惑、想いの逡巡。スライスのように切り取られ、観る側に訪れる時間。
でも、気が付けば、舞台と人物たちの姿とは別の色の、シーンの枠組や台詞とはことなるものに捉えられていて。
最初は、想いが舞台から流れ込んでくるのに、何がその感覚を伝えているのかがわからなかった。でも、少しずつ世界が開けていく中で、役者たちの演じる場所や、距離や、なによりもその身体が語る言葉に、ダイレクトに染められていることに気がつく。
もちろん、戯曲を超えて身体が紡ぐもの自体は他の劇団の作品でも秀逸なものがたくさんあるのですが、それでもこの作品で役者たちが身体で紡ぐ想いには目を瞠った、単に刹那に現出するロールの心情に留まらない記憶のバイアスがかかっていて、その分すこし物語に寄せられ、時にベタで、あからさまで、へたうまに洗練され、その分観る側に対しての親和性を持ち、舞台美術の表すものやロール間の物理的な位置までもニュアンスに取り込む間口があって。
音にもやられました。舞台奥からオペレーションされる様々な音が、時に突き刺すように鋭く、あるいは満たし浸し込むように鈍色に、観る側を舞台に引き入れ、繋ぎ、揺さぶり、感覚を研ぎ、視野すらも広げていく。、
戯曲に紡がれ声で語られる台詞と役者たちの身体や距離が語る言葉の重なりや乖離から、ロール達の表層や内心、さらにはそのコアの内に息づく想いに至るまでの俯瞰が生まれる。個々のロールの名前が、そのニュアンスを観る側にしたたかに囁いたりも。
美術は、それ自体としては前述のとおりタイトにイメージを定めることなく抽象的なのですが、役者たちの所作がそのなかにくっきりと主人公の心の内の座標や視座を刻み組み上げていきます。中央の三角形の台上のスペースに主人公が抱く想いや、不安や、慰安や、様々な事象に対する感覚が、台詞に留まらず、その所作や、さらなる身体の言葉で紡がれていく。そこに入り込んでくる他のロールの存在が、踏み入ったり、片足を台に掛けたり下ろしたりで表されたり、圧迫感や求める気持ちがスペースのエッジで演じられるのも旨いなぁと思う。
一方でオフィスの風景が舞台の端に置かれたり、想いと重なりきれない男との生活が中央ではなく客席と見紛うように並べられたパイプ椅子の上で不安定さとともに描かれて。シーンの一つずつが、舞台は主人公の心の構図の中で、役者たちが紡ぐ心風景として観る側を取り込んでいくのです。
舞台に刻まれる時間、なにか歯車が一つ外れそのままに動いていくような23歳、想う歪みの色や軋みの音が伝わってくるような26歳、さらにはそれでも抱き求めるものが手を離れ心を閉ざしてしまう30歳。主人公が心に抱いた「春」と現実がはみ出し、折り合い、、収め、収まらず、委ね、委ねきれず、疲弊するように、崩れるように、緩やかに、何かが手から離れていくように乖離していく。
そのことが、単なる物語の骨組みやドラマの筋立てや、語られる表層とは繫がっても重なることなく広がる心風景とその肌触りでやってくるから、観る側もその感触を物語の枠に収めきれず自らの内の時に埋もれてさえいた記憶や気づきや感性で受け止めるしかない。
30歳の「春」を殺し、「春」と繫がれた舫を解き、闇に包まれた獄のなか閉ざされた時間を渡る。その時、舞台の在り様と主人公が語るクリアな想いと諦観とその先への想いが自らの語った台詞がすっと一つに束ねられて。扉が開き解き放たれ、差し込んだ光に歩み出す主人公を、今度は観る側が手放し、見送って・・・。
終演。その余韻に圧倒され、やがて受け取ったものがゆっくりと、圧倒的な質量とともに処しがたく行き場のない想いとして自身を染め淡々と深く心を満たしておりました。
劇場に足を踏み入れたときには不可思議に思えた舞台の形状が、もはやあからさまな心風景の具象となり、劇場を出るとき暫く止めてその世界に見入る。その印象は、帰りの電車の中でも、その翌日も、ずっと消えずにとどまっておりました。
God save the Queen
東京芸術劇場
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2013/09/12 (木) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
それぞれの作品に見応えあり
初日を拝見。
ショーケース形式という説明がありましたが、一本ずつの作品にガチな見応えがあって、今旬の女性主宰劇団を紹介されたという感じよりも、上質な5本の舞台にそれぞれ別腹で満たされた印象が残りました。
ネタバレBOX
5劇団とも作品を観たことがあって、この企画のフライヤーを初めて見たときから、けっこうわくわくしていました。
で、実際の作品をみると、それぞれにこれまで観たものにはないさらなる作り手の引き出しを感じることができて、従前の期待をも大きく上回った充実の作品群になっていました。
・うさぎストライプ『メトロ』
開演前からタイトルと並んだ椅子が、駅のベンチや地下鉄の車内を想像させるのですが、そこに役者たちが現れると更なる密度がうまれて。一つのシーンから時間が解けていきます。
歩くことや走ること、時に風景が紡がれ、あるいは記憶の断片が切り出され、時間が行き交う。
音楽と身体が刻む時間、ダンスのシークエンス、そこには、今があって、今抱く記憶があって、失われたものがあって。
椅子を並び替えて道を作っていくその表現がとても秀逸。想いの時間をとどめ、前に進め、再びとどめる。
記憶は、時にダンスのごとく軽やかに、疾走感を持ってめぐり、あるいは突き当たるような慟哭を伴って、いくつもの温度と質感で、残されたものに、そして観客に蘇る。
実をいうと、登場人物の死に関して、ワンラインだけ、地下鉄史上おそらく最大の事件を示唆する表現が差し挟まれた(濡れたビニール状のもの云々)と理解したのですが、そのあたりだけがちょっとあいまいに感じられました。
でも、舞台全体を使って描かれた想いの風景には、みるものを柔らかい滅失感とともに豊かに取り込む力がありました。
・タカハ劇団『クイズ君、最後の2日間』
当日パンフレットとタイトルから、描かれ るものの外枠は示されていたのだが、それでも最初は舞台に散乱したキューブ状のイメージと、差し込まれる漫才や政治用語のラリーにすこしとまどってしまう。
しかし、程なく、ランダムに揺れ動くようなイメージが次第にフォーカスを絞られ、一人の男性の自殺までの2日間の道程とその心風景、さらにはそれをとりまくネット上を含めた風景となって観る側に広がっていきます。
事実の淡々としたクリアさとそのあからさまさ、手にとるように感じられながら決して手が届かないような距離感の捕まえられなさや乖離感、さらにはその中間に去来する様々な社会の景色や内心のありようが、集約された時間の厚みとして織り上がっていく。
バラバラに舞台に置かれていた箱の塊たちが、いろいろに重ねられ、組み替えられ、時に隅に押しやられてスペースが生まれ、やがて中央に集められて一つの意思のごとく形成されていくその姿が、画像の文字と役者たちの台詞に編まれていく心風景に次第に重なり、男の結末のありようとなって。
舞台中央に形成された意思の形と、突然に訪れるラストの衝撃に息を呑みました。
これまでに観た作り手の作風とは異なる語り口から組みあがり訪れる感覚に、目を瞠りました。
・鳥公園『蒸発』
屋上のような場所から男の自慰や欲情やあまつさえ鶏を犯す姿を見る女性と、ゆったりとソファーに座り鶏もも肉を食べる女性。
その行動や会話が次第に結びつき、やがて女性の求めるものの表裏へと編みあがっていきます。
視覚からの直情的な高揚を伴った一面と、ゆっくりと味わい取り込むことへの感覚が、なんだろ、命を注ぎ込み食する感覚と折り合いをつけていく感じが、男性にとっては未知で生々しい女性に内包されたものの普遍にも感じられて。
なんというか、その激しさとたおやかさとに、自らのジェンダーでは理解しえない禍々しさと強さと隠さない真正直さに捉われる。
二人のありようの異なりと連鎖が、女性の自らへの感覚の主観と客観が縒り合されることで生まれる感覚を導き出して。
この作品、女性が観たらどのように感じるのだろうか。とても良い意味でジェンダーによって感じ方にかなりの差異が生じる作品かもしれないとも思ったことでした。
・ワワフラミンゴ『どこ立ってる』
作り手の公演にはこれまでに何度も訪れているのですが、今回のように広い舞台で観るのは初めて。
毎回作品を観るたびに思うのですが、どうすれば、ここまでに一瞬去来するものを形に作りこめるのだろう・・・。
刹那の感覚が、時として質量すら失うほどに恐ろしいほど研がれ、観る側はその味わいをすっと供される。しかも、その解像度は空間が広くなってもまったく遜色ない密度を保ち、むしろ広がりがあることでの、新たな感覚での表現が生まれていて。
走る速さと歩く速さのアンバランスは滑稽でありつつ、そこから観る側が感じるずれの感覚の既視感に思い当たる。腕だけが出ているものを広い舞台に引っ張り込もうとするときの隠れた側のためらい方なども、その人物の心情を内と外の両方の視座からしなやかに描き出していく。
一つのシーンの、一つの会話や一つの動作や呼吸までが、とても丁寧に良く作りこまれていて、現われるものがとてもクリアで上質の可笑しさがあって。でも織り込まれるウイットは観る側をしなやかに捉えつつ先に一方で観る側にやってきたときに、何かを共振させるような汎用性を兼ね備えているのです。
ほんと、この感覚、癖になるのですよ。
舞台の絵面の淡白さや物理的な時間の短さと、受け取ったもののボリューム感がすてきに異なって感じられたことでした。
・Q『スーシーQ』
冒頭こそ、どこか奇異な、奇想天外な世界にも思えるのですが、やがて筋が通り、顛末が解けて、そこに差し込まれる表現たちを支える骨格になっていく。
役者たちの動作に圧倒的な切れがあって、一人ずつの身体が表すものにメリハリを持ったしなやかなデフォルメがあって、その刹那ごとの印象があとから追いついてくるような不思議な感触に惹き込まれてしまう。
映像も、表現しようとするものを、時に示唆し、あるいはあからさまに照らし出して。
この作品を説明するのはある意味とても難しくて、舞台に演じられることや美術、照明、役者の秀逸な表現力などはあるがままに言葉にできるのですが、理屈よりも一歩感性よりの部分で観にる側に渡される命を繋ぐことと食べることの重ね得ないなにかの交わりの感触は舞台表現だからこそ表し得るように思えた。
終演後もその感触が、解けずにやってきたままに残っておりました。
*** ***
観終わって、作品ごとに、人によって合う合わないというのは、どうしても出てしまうのかもとは思うのですが、たまたま私的には好物ばかりが集められていたこともあり、団体それぞれの描く志や、それぞれに異なるベクトルの豊かさに心を奪われて。
単に短編と括りえない、それぞれにしっかりと質量をもった5作品に、がっつりと満たされたことでした。
【沢山のご来場、誠にありがとうございました!】「面影橋で逢いましょう」「それではみなさん、さようなら」
ラフメーカー
JOY JOY THEATRE(東京都)
2013/09/05 (木) ~ 2013/09/16 (月)公演終了
満足度★★★★
場を重ねる手練
R『面影橋で会いましょう』を観劇。この作品、以前にギャラリー公演でも観ていていますが、そこによい具合に枝葉が伸びて。
東京に生きる女性たちが纏う時間の質感に
すっかり取り込まれてしまいました。
ネタバレBOX
この劇団独特の、場や物語を組み上げるリズムが舞台にあって、
なれないと最初はちょっと戸惑うのですが、
やがて、シーンの切り出し方や、
ちょっとした音の使い方や、
抽象的な美術に馴染んでくると
シーンごとの場の空気が、とてもナチュラルに
そこに流れる時間に取り込まれていく。
長回しのシーンはあまりなく、
サクサクと刹那が積み上がり、
でも、そのどこか不規則な重なりが、
やがて、ロールたちの日々を生きる感覚のようなものに昇華して。
シーンたちを繋ぐ間というか出捌けなども、
ステレオタイプにならずよく作りこまれていて、
物語の流れを単調にせず、
舞台にしなやかに時間を編み上げていきます。
一冊の大学ノートが
コミュニケーションツールに変わり、
やがては物語の綴じ糸になっていく感じが
実にしたたか。
一人の女性がその想いを綴る日記が
ルームシェアをしている相手との交換日記に変わっていくことに
無理がないというか
ロールのちょっとしたいたずら心と相手を想う気持ちの
縒り合されたような感覚に惹かれてしまう。
書く側の台詞としてではなく、
受け取る側が時を挟み自らの想いに重ねて、
相手の言葉を読み上げることで
ロールの想いが内と外から
観る側にやってくる。、
その1ページずつが舞台の時を進め、
ふたりの日々がばらけさることなく、
しなやかに観る側に渡されていくのです。
ノートがさらにコンビニで働く女性を
二人の世界に撚りあわせていく展開の
やわらかなグルーブ感が
東京に暮らす女性たちの歩みと交わりの熱と質感を導き出して。
役者たちも、
刹那ごとの場の空気とロールたちの色をしなやかに携え、
さらにはその一歩内側の想いを観る側にしっかり渡す力があって。
だから、シーンが細かく繫がれたり、ある意味不規則に作りこまれても、
物語が散漫になったりあいまいになることなく、
観る側にしなやかなに積もってくれる。
観終わって、舞台に流れる時間が、
少しだけ不器用で、切なく、でもとても愛おしく感じられたことでした。
前向き!タイモン
ミクニヤナイハラプロジェクト
こまばアゴラ劇場(東京都)
2013/08/22 (木) ~ 2013/09/02 (月)公演終了
満足度★★★★
言葉も含めて織りあがる
初演も観ているのですが、その時には台詞の弾幕を駆け抜けるような疾走感が強く残った。
でも、今回は、よしんばまくしたてるような部分があっても、一つずつのシーンがちゃんと地についてから蹴りだされ、醸し出されるニュアンスを明確にして、観る側に置かれて。
空間を切り出す身体が語る台詞と、台詞が語る空間のニュアンスが、
アップダウンする内心の風景として、ひとつになって伝わり広がってくるのがとても魅力的でおもしろかったです。
ネタバレBOX
役者たちが、どんなにぎりぎりに台詞を詰め込もうとも、
身体を使おうとも、
一つずつの刹那をちゃんと舞台に突き刺していくことに感心。
すると、舞台全体で描かれるものが、
その重なりに、
逃げ水のように移ろう色が生まれていく。
林檎とかクリスマスとかひよこの鑑別とか
理性で形をとらえ明確なエピソードとして去来するものは幾つもあって、
でも、スピードでクオリティを振り落すことのない
役者の圧倒的な力量に支えられて
それを芯にしてからまってやってくる、
幾重もの感覚の去来にこそ
深く取り込まれる。
映像や音にも、場をクリアに染める力があり
去来する思いの風景にエッジをつくり。
観る側にさらに想いのありようを差し込んでいく。
観終わって、役者たちの疾走感が残りつつ、
何とも言えない肯定的な不安定さで構成された
心情のバランスのリアリティに
捉えられていて。
岸田戯曲賞を受賞した作品ですが、
戯曲の文字からやってくる味わいを感じるいとますらなく、
なにか、身体も、台詞までもが
絡まってステップを踏んでいるような
舞台の質感にガッツリ引き込まれて・・・。
演劇をみるのとは少し異なる脳の部位で
伝わってくる感じがあって
言葉で表現できるような理解は十分でなかった気もするし
そういう意味では難解な舞台ともいえるのですが
でも、心風景は理屈ではなく、感覚に近いところに
しなやかにやってきて・・・。
もう、上演時間があっという間でした。
そして観終わって、少し不安定な、軽躁状態の先にある、
ルーズな疲労感と走り抜けた感覚が
満たされ残ったことでした
『MOJITO』『想像』(ご来場ありがとうございました。御感想お待ちしています!)
BARHOPPER × MU
BAR COREDO(東京都)
2013/08/27 (火) ~ 2013/09/02 (月)公演終了
満足度★★★★
役者の質感と間の相関
戯曲の設定と
役者の醸し出す質感が、
舞台を単なる平面的なリーディングに留めず、
そこから踏み込んだ広がりへと導いていく。
上演された2本は、
それぞれに雰囲気も展開も異なりつつ、
直接交わることのないロールたちの距離で
物語を紡ぎ、観る側をとりこんで。
シンプルで、所詮は台詞の重なり合いではあるのですが、
なにかすっと引っ張り込まれてしまいました
ネタバレBOX
両作とも、二人が面と向かって会話をするシーンはなく、
手紙やメール、あるいは電話でのやり取りで
物語が組みあがっていく。
それが、リーディングだからこその
切っ先を導いていくれる。
なんだろ、ピンポンのように言葉が行きかうのではなく、
其々の台詞を繋ぐ間というか余白があって、
それが役者の個性を引き立てつつ、
観る側が語ることに
現実感や膨らみを与えてくれる。
MOJITO:
二人の声や雰囲気が
どこか異なる質感を持っていて、
でもそれが、手紙やメールの言葉にのると、
互いの想いが混濁せず
それぞれの想いの際立ちにつながっていく。
手紙は言うまでもなく、メールを互いに読む態でも
当然に互いの想いがいったん満ちてからの会話なので、
その「間」に、ロールが見つめる
自らに対する正直さのようなものが生まれて、
それが、時に歪み、あるいは溢れ、真っ直ぐな想いとなり
交わされていく。
ちょっとソープオペラのような風情もありつつ、
でも、やってくるそれぞれの心情には
実直さがクリアに残されておりました。
想像:
こちらは、電話での会話で綴られていく
双子のシンクロ感覚の物語。
リーディングの形式をとっているのですが
こちらは、舞台を二つに分けて演じられる
普通のお芝居の質感があって。
とは言っても電話の会話が醸し出す
二人の感覚の微妙なズレと
その重なり方が絶妙で・・・。
やりとりが二人の感覚をすっと重ねるのではなく
まるで昔のラジオのチューニングのように
じわぁっと合ってくるような感じが作り出す
舞台の空気感というか色合いがあって。
なんだろ、淡白に会話が作られていくのではなく
観る側を閉じ込める粘度のようなものがあるのです。
その常ならぬ感覚に閉じ込められてしまいました。
*** ***
私はワンバージョンしか観ることができなかったのですが、
この作品、きっと役者によって、
別物のような世界が生まれるのだろうなと思う。
定番作品として、この作品の繰り返しの上演も
面白いのではと思ったことでした。
ゴッド☆スピード♯ユー!
東葛スポーツ
3331 Arts Chiyoda(東京都)
2013/08/28 (水) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★
理屈抜き、体感的に、面白く
説明に書かれた内容通りの舞台なのですが、
説明を読んでも、
現出する空間の肌触りがまったくわからないのが凄い。
緩く深くスタイリッシュなあっという間の時間でした。
ネタバレBOX
今回は、役者たちの語る言葉が、
スクリーン上に羅列されたものを読む、
リーディングの態になっていて。
そこには意外な効果があって、
表現される内容が、
役者の語り口や所作とともに、
空間の立体感になっていく感じが
とてもキャッチーで面白かったです。
これを何気なく、いともたやすくといった感じで実現していく
役者たちの底力も凄いなぁと思う。
その感覚の延長線上で観る、
懐かしいTV番組の舞台上のコピーには、
素敵なグダグダさ感ともに
一種の不思議な奥行きが感じられたことでした。
そうそう、前半の、古典落語の「笠碁」と「ゴドーを待ちながら」が
ドミノ倒しのような束ねられ方など
上手いなぁとおもう。
著しく好みが分かれる舞台なのかもとは思うのですが、
個人的にはモロにツボでございました。
被告人~裁判記録より~
アロッタファジャイナ
ギャラリーLE DECO(東京都)
2013/08/27 (火) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★
裁判を入口に
記憶に新しい裁判から歴史の一ページとなった裁判まで、
実存した5編の裁判記録をベースに
5本の二人芝居が編まれて。
単純に裁判自体を再現するのではなく、
それぞれの裁判から垣間見える人や世界が
しっかりと作りこまれていて、
しかも、それぞれから切り出されるものの色が
異なる方向性や表現を持っていて見飽きることがない。
舞台に紡ぎだされた世界を、
漏れなくたっぷり楽しむことができました。
ネタバレBOX
初日を観ました。
会場に足を踏み入れてちょっと驚く。
役者達が演じるスペースは横6×縦5の椅子で囲まれて、
まさに囲み舞台。
最前列の幾つかの椅子には 養生テープで×が記されていて。
2列に並べられた椅子の外側にさらにもう一列。さらに、ルデコ4Fならではの
鉄骨で組まれたスペースにもう一列客説がしつらえられ、演者と観客の距離が極めて近く濃密ななかでドラマが織り上げられていきます。
(1)秋葉原無差別殺人事件
多分、弁護人が情状酌量を勝ち取るための、
被告への尋問を行った部分を切り出しているのですが、
そこから引き出される被告の育った環境が
そのまま観る側をぐいぐいと惹き付けていきます。
ひとつずつ確認される事実から晒されていく、
そこにはいない被告両親の風貌に息を呑む。
すこしデフォルメされた弁護人の熱の帯び方にも力があって、
被告に解けていく戯曲が表現しようとするものにさらなる陰影を与えて。
会話のリズムもとてもよく、
役者達の感情もよくコントロールされていて、
戯曲の企みがしっかりと端正に伝わっています。
ただ、その会話が揺らぎなくスムーズすぎて、
被疑者が抱く想いや躊躇の現れ方が、
すこし単調で表層的な印象をを作ってしまったのが
ちょっと惜しい。
(2)連続不審死事件(被告人:木嶋佳苗)
公判時の被害者家族の証言を元にしているのでしょか。
この事件も記憶に新しいし、
最終判決もまだ確定していなかったと思うのですが、
事件の全体像に加えて、その時のもうひとつの記憶として
週刊誌や新聞、ワイドショーなどで語られる事実が、
どうにもぴんとこなかったというのがあります。
なぜ、男たちが写真やテレビでみる女性の毒牙にかかったのか
感覚的に理解できなかったのです。
でも、舞台の役者達は
何かが欠落した、禍々しく、生々しい女性の姿を
舞台にしなやかに解き、会場全体を取り込み
事件のありようを観る側に得心させてしまう。
この、このどうにも言葉に表し得ない女性の質感を
戯曲に切り取った作り手と
なにより舞台上に解いた役者の圧倒的な
お芝居に感嘆。
被害者の娘役の役者も、その怪物にしっかりと
立ち向かってはいたのですが、
とまどいよりも憎しみの切っ先が強く演じられていて。
公演を重ねるなかでもうひとつまみ、そのバランスを細かく作ると
さらにインパクトをもった人物像が生まれるかもしれないと思いました。
(3)日本社会党委員長刺殺事件(被告人:山口二矢)
昭和30年代中盤に起こった事件、
写真や映像で何度かその瞬間は、とても衝撃的でした。
戯曲は、留置されている被疑者と面会の少女の会話を切り取っていきます。
被疑者の言葉と少女の表情の
交わる部分と交わらない部分の一様にならない
編みあがり方がとてもよいのですよ。
最初は静かなたたずまいでの被疑者の言葉が、
少女の受応えと、なによりその表情に、
理解されうるものとされえないものに判別されて、
だからこそ次第に彼が抱く思いを溢れさせることに
理が生まれる。
被疑者のお芝居も、刹那ごとのテンションのつけ方や
尺の中でのメリハリを含めて
よく練られたものだったとおもいます。
そして、少女の表情の作り方には天賦の才を感じたりも。
初日の舞台ということで
台詞がロールが抱くためらいではなく、単調に感じられる一瞬があったり、
立ち上がったときの言葉を待つ所作が
ややニュアンスを手放す一瞬もありましたが
舞台を重ねていけば、そのあたりはきっとなくなるはず。
この人、
楽日に向かってひと化け、
そして、今後踏み重ねていく舞台でさらに大化けする
何かを秘めている感じがしました。
(4)226事件(被告人:磯部浅一)
2.26事件については歴史の教科書で学んだ程度、
不勉強で登場人物の名前も知りませんでした。
でも二人の男のガチ芝居は、
それぞれの登場人物に骨の通った存在感を与えていきます。
被疑者の男が、自らの思想を語る場がきちんと作りこまれていて、
彼がその理想に傾倒していく顛末も、説明ではなく心情の表現の中で
しっかりと組みあがっていく。
予審尋問的なことを行っている彼の後輩も、
単に反論を述べるのではなく、
自らの心情の抑制のなかで、彼の理想に反論していく。
理論のぶつかり合いと先輩後輩の立場が
乖離することなく、会場のタイトな空間に編み上げられていくので
観る側も、良い意味で逃げ場をうしまい、
その熱に取り込まれてしまう。
その上での、
命を賭して自らの理想が受け入れられなかった、
被疑者の叫びjは、その中味への賛否を超えて、
人がさらけ出す絶望と無念のありようを
冷徹に織り上げていました。
(5)異端審問裁判(被告人:ジャンヌ・ダルク)
ジャンヌ・ダルクが自らの裁判の中で
一旦それまでの言動を否定する文書に署名をした後、
神からの啓示を受けて叛意したその刹那を
切り出した作品。
、
闇が支配する空間に
燭台と水桶が置かれ、
それらを挟んで、主人公の想いと神に対する翻意を諌める声が
重なっていきます。
炎のあかりに浮かび上がるジャンヌダルクは
息を呑むほどに美しかった。
女性というよりは少年に近い語り口が
ロールを徒に美化せず、実存感を与え、
そのやり取りが、
心情の移ろいを
光の揺らぎ以上に滲ませることなく
しなやかに伝えていく。
さらには 心を翻し、
署名した紙に火がつけられ
闇から解き放たれた彼女の姿に
身を賭して神の啓示に自らをゆだねることの
静かな高揚が浮かんで。
そのありようが目に焼付いたことでした。
諌める側の台詞の響きや強さも見事に制御されていて
役者達が紡ぐ一呼吸ごとの時間に
取り込まれて。
ただ、しいて言えば、
会話の中で、主人公の台詞に込められた想いの温度が、
一つずつのやりとりごとに細微に変化はしていたのですが、
やり取りの中での色のさらなる変化はあまりなく、
均一に作りこまれていたのが
少しだけ残念に思えて。
なんだろ、想いの生地が広げられるときに
その図柄は会話のごとに均質に織られた布地に、
滲みなく、とても精緻に、鮮やかに描かれ、重ねられていく感じ。
それは、物語の構造をより明確にはしてくれるのですが、、
舞台とのあの距離で醸し出される空気の中では、
よしんば、風合いがざらついたり、色が混ざりあい端正さを失ったとしても、
一行の台詞の中での、
糸の一本ずつが持つ色の織り上がりで観たいなぁと思ったりも。
作品の描き出すもの自体は精度を持って作りこまれていたので
ステージごとに会話が解けても、
耽美な空間は崩れることはなく
観る側をより凌駕するものに育つ予感がしたことでした。
*** ***
まあ、初日の観劇で、公演を重ねるごとに
きっと伸びるであろう余白を感じる些細な点はあったのですが、
よしんばそうであっても、裁判の記録を枠組みにして、
しかもそのフレームに過度に捉われすぎることなく生かし
物語を切り取るアイデアと、そこから導き出されるものと、
編み上げられた戯曲に喰らいついていく
役者たちの演じる志には、ただただ目を瞠りました。
このメソッドというか作劇の手番は、、
作り手や役者たちが紡ぐ様々な物語への新しい切り口となり
観る側を満たし、更なる果実を期待させるものだったと思います。
木
ろりえ
サンモールスタジオ(東京都)
2013/08/22 (木) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★
ウィットに富んだフィリングとともに
劇場に似合わないスケールを物語なのですが、
適度にはさまれるウイットに溢れたシーンが
作品に絶妙なふくらみを与えて・・・。
観ていて、描かれる時間の長さを体感しつつ、
時間を感じずにサクサクと舞台を楽しむことができました。
ネタバレBOX
少年とその周りの人々の
中学生から中年までの時間が描かれていくのですが、
単につらつらと語られるのではなく
そこには、作り手一流の語り口があって、
長い物語をちゃんと負わせてくれる。
主人公にしても、3人で演じ繋ぐことで、
それぞれの年代の青さや茂り方や朽ち方が
うまく引き出されていたように思います。
なんだろ、作り手の物語を遊び心とともに語る
センスのようなものに惹かれる。
回り舞台にしても、
木の美術にしても、
先生のコーラスの男女比のこだわりや、
ポリスの兄弟の作りこみにしても、
馬にしても熊にしても、
ひとつのシーンを彩るだけではなく、
貫かれて物語を貫く骨格の一部として機能して、
物語に重くないボリューム感を与えていて。
役者達の、刹那を描く力だけではなく、
物語全体を支えるトーンをロールに編み上げていく力が
澱んだ重さにならない、しっかりとした量感を舞台に与えていく。
ちょっと良かったりすっと心惹かれるシーンも
良い塩梅に散らされていて。
島の住民や転校生の恋の顛末とか
工場の駄目従業員が高揚していく様も、
主人公の子供を授かった母親の風情も
作品に色というか奥行きをうまくかもし出していて。
観始めたころのろりえの公演といえば、
所属女優や客演の役者を観にいくかという感覚があったけれど、
最近の公演では、それに加えて物語自体を楽しみにいくという意識が強い。
また、いろんな美術や設定の外連も楽しみになっていて。
今回の作品も、期待にたがわず、
素敵なボリューム感とともに味合わせていただけました。