ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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屋根裏

屋根裏

燐光群

梅ヶ丘BOX(東京都)

2015/05/02 (土) ~ 2015/05/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

屋根裏
と聞いて最初にイメージするのは、パリに出て来た貧乏な
アーティストの卵達が、希望と夢と幾許かの生意気な論理を武器に社会に殴り込みを掛ける姿だろうか。天に最も近い所が。最も貧しく寒い。おまけに極小の空間である。だからこそ、冒険のベースに最も似つかわしい。

ネタバレBOX


 今作は、23の小話を、このベースで連結えうることによって、究極の目標である世界の実相・真の周辺で走馬灯のように真を乱反射しながら揺れ動く憂き世の有り様を描く。
 初演は13年前に遡るが、燐光群のスタジオ、梅ヶ丘Boxで初の本公演作品として書かれた作品で、今回の上演でも固有名詞を多少変えただけで、他にシナリオの変更はしていない。然し、古さを感じさせないどころか新鮮さを感じさせる所に、今作が、現在も世界各地で上演されるだけの普遍性と鮮度の良さを保つ作品固有の魅力があるのだろう。加えて無論、役者の演技レベルの高さ、自分達の小屋だから、好きな演出が大胆にできるという強みもある。
 坂手氏のシナリオの特徴の一つに人工的な作りを感じる向きもあろう。それは、大抵、引用に対する感性から来ているのだろう。今作でも「日本は滅びるね」など「三四郎」からの引用には照れてしまった。
手のひらを 透かしてみれば

手のひらを 透かしてみれば

企画室磁場

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2015/09/30 (水) ~ 2015/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

アザデガンとアフガン戦争の本当の意味
 このタイトルでピンとこないようでは、いかにも日本の政治音痴ではある。だが演劇は無論政治ばかりではない。先ず、舞台美術のセンスの良さに驚かされた。椅子が天井から斜めに吊り下げられている。その間にフィラメントが透ける電球がほぼ等間隔にたっぱ位置をずらしつつ規則性を持って吊り下げられている。板上には、矢張りバランスを考え抜いて何気に置かれた椅子など。

ネタバレBOX


 商社勤めの恩田は、シャッター商店街化した地域の活性プロジェクトに関わり、抜群の距離感と庶民性を装う巧みな力で関係する企業からの信頼も得ていた。彼の会社で唯一気の許せる同僚は、金栗である。金栗は、良く彼の住まいも訪ね、彼女との関係についてもよく知る。信じられないことだが、社会人としてできた稀有な友人である。恩田の彼女は、普通の子。彼との結婚を望んでいる。恩田も、本気で考えている。
 一方、恩田の上司である海野は、安倍商事のエネルギーを担当するエリート部署の次長で、恩田に目を掛けている。だが、彼が中心になって進めるイラクのプロジェクトでは、安倍商事の出資金が英国に本社を置くTTKシステムズの関連企業、ICH社という軍需産業を中心に発展してきた企業に流れているという噂があった。金栗は、真実を確かめ為、資料を集め、疑義を直接海野に糺す。海野は一応淀みない答えを返すが、事態は悪化する一方だ。(初日が終わったばかりなので、ネタバレはここまで。以下蛇足)
 当然のことながら、現政権下の不甲斐ない我々の異議申し立てと、某アメリカのパシリでしかない安倍の暴挙を批判的に作品化しているのだが、アザデガンにしろ、アフガン戦争の本当の理由にしろ、某アメリカはバカな国であるから、力だけで押して、結果的に世界をテロの横行する、中国に漁夫の利を与えるなど、アホなアメ公にとって、自らの地獄に近い世界に変えることによって安心を得るという非常に歪な形にしてしまった。当然のことながら、現在、ヨーロッパなどに押し寄せている難民の85~90%は某アメリカが引き受けるのが筋である。だって、某アメリカこそ、彼ら難民を生み出す原動力なのだから。因果応報は当然のことなのである。彼らが例えどんなに独りよがりに神に選ばれた国の国民だなどと抜かそうが関係ない。神とは、彼らが信じたがっているように総てを創った造物主などではなくて、人間によって作られたイマージュに過ぎないのだから。彼らの論理の根拠そのものが嘘なのである。
 
MID騎士(KNIGHT)ミラージュ

MID騎士(KNIGHT)ミラージュ

無頼組合

シアターKASSAI(東京都)

2015/12/11 (金) ~ 2015/12/14 (月)公演終了

満足度★★★★★

泥臭いダンディー
というのが、このシリーズの本音という気がする。ハードボイルドというより、泥臭ダンディーという方がしっくりくるように思う。その視点で見ると、実にかっこいいのだ。そもそも、泥臭いのにダンディーというのは、語義矛盾である。然し、ここには、それが、絶妙なバランスで成立しているのだと言いたい。
 感心するのは、このテイストでシリアスな内容をよくぞ、ここまで表現したという点である。殊に、遠いところで単に事件として起こったことが、その地域で苦労している人と友人になることで、自分の問題として捉えられるようになるということや、だからこそ、自分で調べ、自分の頭で考えて、自らの行動を自ら選択してゆくという、社会人としての基本を、普通の人間の内側から描いている点に、作家の極めて真っ直ぐな視座を観る。実は、この視点こそ、表現する者にとって最も大切なことなのである。
 背景に描かれた、都会の寂しさを象徴するような美術のセンスも、また、照明によって効果を変える手法も素晴らしい。(追記後送)

nora(s)

nora(s)

shelf

アトリエ春風舎(東京都)

2013/10/25 (金) ~ 2013/10/31 (木)公演終了

満足度★★★★★

犀の如く独り歩む
 演出家、矢野氏のイマージュとしては、原作を一旦、分解してfragmentsにした上で、現在・ここに絡めて本質だけを再構成するという手法だ。それだけに緊迫感もあり、説得力もある。

ネタバレBOX

 韓国から来ている女優のハングルで開始された科白は、日本の女優の翻訳兼日本語に拠る掛け合いで重ね合わされ、初めて聞く、美しく身体化された言語の響き合いとして立ち現れる。ここでいう身体化された言語とは、肉体に言霊が、憑依することではない。寧ろ、溜めを作った上で、肉体そのものでも言語そのものでもない新たな次元に属する表現として、立ち現れた関係性を獲得した“実体”だ。
 実に、微妙で純粋な、謂わば太初の光だけで編まれた詩的実存とでも言ったらいいだろうか。こんな表現ができるのは、演出家が、既成の衣(習慣・風習・既存価値・概念等)を脱ぎ捨てることのできる役者だけを選んでいることと大いに関係がある。
 それは、冒頭述べた通り、古典を含め、評価の定まった作品を今、上演するに当たって、脚本家・演出家が先ず最初に考えるべき問題であろう。評価の定まった作品というものは、決して固定化されているということではない。常に新たな発見があるということである。つまり、その作品と出会う者にとって常に格闘の対象として立ち上がってくる“実体”なのである。そのような“実体”を演劇という媒体で表現する時、採り得べき形の一つが、それも有力な形の一つが、今回のような形であることを評者は信じる。なぜならば、この表現に斬新さが在るからである。この斬新さこそ、この作品創造に当たって、作る側の皆が、原型と格闘した証であるのだから。
 結果、今作は、現在、我々が此処で生き、暮らしている日常性そのものに対する鋭い問い掛けとして立ち上がって来た。多くの者が、現在、ここで、仮死或いは居眠り半分の意識しか持っていないように見える。政府、マスコミの情報操作を見抜けないことによる洗脳を意識することもない、体たらくである。謂わば、訓致されることに馴らされ、家畜として生かされていることに対する問題意識を失くせば失くすほどこの問題提起は、遠く見える。然し、眠りに就いた者も、ヴィヴィッドに生きていたいなら、目覚めなければならない。そして目覚める以上、よりよく生きたいではないか? その時、我々自身の価値基準・判断基準の根底を何処に置くのか? 
 ノラは、所謂、近代的自我が、社会の中で個人をアイデンティファイする際、目指すべき出発点を示した。そして、今作は、イプセンを借りて、再度、その切実な問いを発している。その問いに応えるのは我々自身の責務である。演劇という媒体であるから評者のいうような直接話法ではない。解釈は自由である。ただ、観る側も精神を裸にして相対すべき作品であることは確かだろう。
素敵な世界

素敵な世界

T1project

ザ・ポケット(東京都)

2016/03/22 (火) ~ 2016/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

プロの舞台 お見事!
 小屋に入って驚いたのは、舞台美術の凄さである。素晴らしさという形容ではない。凄さそのものだ! 22日が初日で楽が27日、壊すのが本当に勿体ない。そう思わせるだけの舞台美術なのである。自分は、開演5分程前に到着したのだが、板上では寸劇が演じられていて、若い女性陣の演技は本番と遜色のないもので、観客の中には、開演前のハズなのにもう本番が始まってしまったのではないか? との自問をしている人も見受けられた。自分自身もフライヤーの開園時刻を確認したほどである。
 言うまでもあるまいが、シナリオ、演出、演技、照明、選曲や歌の素晴らしさ、効果音の用い方、どれをとってもこれだけの舞台美術に負けていない。表現のプロには是非とも観ておいて貰いたい舞台である。

ネタバレBOX



 本編が始まって直ぐ、掴みの部分で、期待は裏切られなかったことを確信した。最近、どんなセオリーに従っているのか、イントロ部分は控えめに観客を日常世界から亞空間に引き込む為には云々の下らない講義でも聞かされて、それを疑いもせずに唯々諾々と従っていることが才能を伸ばす為に必要な工程だとでも思っているのではないかと思わせるような馬鹿げた掴みばかり見せられることが多くて閉口していたのだが、ズバリ本質が提示される。そして、この本質に纏わるテーマが最後まで追求されて別次元に転移される。これが、見事である。初日が終わったばかりだから、これ以上、ここでは書かない。だが、精神と肉体、神の存否、人間と神、信仰と実存、そして宗教と政治等々、幸せを求めて足掻く我らの、命を賭けた競争の何たるかを自問させるに足る深さを持った作品である。
HARUKA

HARUKA

旋風計画

ザ・ポケット(東京都)

2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

総ての世代が腑に落ちる舞台
 キャラメルボックス成井氏の良く練られた深い科白。有坂 美紀さんの洒落た演出、演技陣の素晴らしさ、照明、音響など効果の巧さ。メンタリティーと道理との相克。どれをとっても素晴らしい。これだけの内容を子供にも分かるように表現している所に、この劇団の凄さを感じる。(追記後送)

つくづくな人間

つくづくな人間

マニンゲンプロジェクト

小劇場 楽園(東京都)

2015/01/28 (水) ~ 2015/02/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

Someone like you
 2月1日17時迄の8回公演の初日。良い舞台を拝見した。シナリオ、演出、演技そのどれもが、設定の良さに調和し過不足なく伝わってくる。描かれているのは、ドブ泥の中で生きているような人々、別の表現をすれば殆ど個人名を持たない人々、つまり我々に似た誰かである。(更なる追記後送)

ネタバレBOX

 世の中を見ようと思えば、下から見上げるのが良い。この際、気をつけるべきは、バイアスを排すことである。
夏の砂の上

夏の砂の上

作戦会議

Ito・M・Studio(東京都)

2014/09/03 (水) ~ 2014/09/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

ボディブロー
 見終わった瞬間、この作品は、ボディブローのように後になって効いてくるだろうな、と感じた。ただ、これでもかというほど、「なにも無い」日常をくどく描く必要は、ないのではなかろうか? その点だけ気に掛かった。

ネタバレBOX

 蝉の鳴き声が苦痛になるほど体力が奪われる一瞬、ラストシーンをどう解釈するかで評価はガラリと変わる。自分は、2回目の長崎への原爆投下乃至は核の重大事故と解釈した。そう判断したのは、通常なら、戯曲作家が当然、それを題材として、戯曲を仕上げるようなテーマがたくさん挿入されているにも拘わらず、とば口だけ見せて、一切、発展しない作りになっていること。登場人物の喉の渇きが、何度となく描かれていること。水が来ないことが、諦めと共に描かれていること。立山と優子が鏡の破片で光を反射して悪戯をする時、異様な嫌がり方をすること。更に、雨水を「おいしい」と言って複数の人間が夢中になって飲むこと。これは決定的である。また、思春期の優子の気まぐれであるかのような訳の分からない、この街に対する嫌悪も、BaudelaireのAny where out of the worldに匹敵する強さで迫ってくることも。
 我々は広島・長崎で原爆が爆発した後、黒い雨が、凄まじい勢いで降った、という事実を知っている。まだ、息のあった被災者達は、それを命の水のように飲んだに違いない。無論、このように酷く汚染された水を命の水のように飲まねばならなかった被爆者たちの体は、焼け爛れ、皮膚のずるむけになった赤黒い体表からは、血とリンパ液が滴り落ちていた。それ故に、体中の細胞が呻いていたのだ。水ヲ下サイ、と。
 この事実に気付いた時、今作を観た観客は、背筋に慄然たるものが流れるのを感じるであろう。原 民喜の有名な詩を以下に引用しておこう。http://yoshiko2.web.fc2.com/hara.html
水ヲ下サイ
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー 天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ


カムアウト

カムアウト

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2016/03/19 (土) ~ 2016/03/31 (木)公演終了

満足度★★★★★

27年間 日本人は何をしていたのか?
 初演は1989年。

ネタバレBOX

天安門事件、1986年4月26日のチェルノブイリがン発事故で決定的ダメージを受けていたソ連は、1989年アフガニスタンからも撤退せざるを得なかった。ソ連崩壊への序曲後半部である。冷戦終結、ハンガリーでも鉄のカーテン崩壊、ポーランドで連帯圧勝、ベルリンの壁撤去、チャウシェスク政権など東欧政権崩壊を受け、世界が激変した時であった。日本ばかりが、いつものようにどんより・もっさりしていた。自分は頗る苛立っていたのを思い出す。その意味で日本の在り様は本質的に当時と全く変わっていない。薄墨で記された初演時と現在の間にある両矢印は、現在2016年と1989年が本質的に全然変わっていないという事実をアイロニカルに表現していると見た。
因みに1989年の日本では、女子高生監禁・コンクリート詰め殺人事件が起こっており、この事件に関与していた人間(少女レイプに加担など)・この事件を知っていた人間の総数は100人にも上るとの裁判記録がある。LGBT(レズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)を扱ってはいるが、相変わらず陰湿極まりない下司社会・日本の鵺社会が今作の隠れたテーマである。自分はそう観た。
舞台は、レズビアンたちが共同生活を送るコミュニティー、坂手氏自身が実際に取材をして書き下ろした作品である。女性が他者に向ける愛の形は、深くて狭い。レズであろうとヘテロであろうと変わりない。変わるのは、世間的常識を正しいと信じる者が取る態度である。自分達と同じヘテロに対して多くのヘテロは違和感も感じないし、警戒心も恐怖心も抱かない。然し、異質の愛の形は、自分達と何かが同じであるかも知れず、異なるのかも知れない。何れにせよ正体の分からぬものは、薄気味悪く排除の対象となる。この単純な構図に加わる人間の感情や世間体が結果的に差別化を生み、歪んだ想像力が最後の仕上げをする。鵺社会で、このように出来上がった一般大衆の思い込みが、自らの思考と存在を賭けて人生を選び取った者に対してどのような仕打ちを返すかは、自らの生を自分で選び取った誰しもの知る所である。知らないとすれば、それは自身が自分の生を自分で選び取っていないことの証拠である。
リア王

リア王

人形劇団ひとみ座

県民共済みらいホール(神奈川県)

2016/03/24 (木) ~ 2016/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

シェイクスピアを骨太に表現
 終演から随分経っても未だに人気の「ひょっこりひょうたん島」を担った人形劇団、ひとみ座の公演は、シェイクスピア作品中でも傑作の誉れ高い「リア王」だ。

ネタバレBOX

無論、人形劇として演じられるのだが、演出家の伊東 史郎さんが興味深いことをおっしゃっている。即ち人間が死を演じる時は、生きたまま物化することを強いられるが、人形はもともと死んだ物でそれに息吹を吹き込むのは人形遣いだということである。これは実に興味深い指摘である。ポーランドのカントルは、役者達を殊更死体として演じさせ、同時に人形も多用する演出を見せた。而も彼の舞台に立つ役者達は、所謂プロの俳優ではなく、他に研究者だの何だのと言う生活手段を持つ者達であった。案外、こんな所にも演劇というものの本質の一端が垣間見られるように思う。
 基本的に主要登場人物の人形は一体を二人で操る。頭部と手あとは背骨部分で形作られた人形であとは衣装である。演技が大きく見え、自在度が高い作りだ。狂った王と道化の過ごす嵐の夜、仏軍がドーバー海峡を渡って攻めてくるさま。このシーンは、兵士たちのフォーメーションを様々に変えることで大群であることをまざまざと感じさせ、而も上陸寸前の場面では、兵士たちの足元だけを青い光線で照射して海から上がる場面を演出している。この演出センスと照明のコラボレーションには正直驚いた。流石である。ほかにも、グロスターが目をえぐり取られるシーンなど、人形ならではの即物的効果をうまく活かしている。
泳ぐ機関車

泳ぐ機関車

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2015/12/05 (土) ~ 2015/12/15 (火)公演終了

満足度★★★★★

これぞ演劇 花5つ星
 通常では考えられない三部作一挙上演というハードスケジュールである為、皆の身体は相当疲れているハズなのだが、逆にそのことが効を奏しているようにも思える。肩の力が抜けてとても自然な演技になっている。もともと桟敷童子の強みはチームワークの良さだが、役割上、華のある役に付いている役者のみならず、ワキを演ずる役者陣の演技も自然に溶け合って、観客席から観ていて、本当にイリュージョンが立ち上がってくるような舞台である。
 三部作のトリをつとめる今作だが、話の内容では序章に当たる。初演は2012年12月。三部作の序章が最後に書かれているのは、東 憲司の過去への遡及が現在から始まったことを物語るのかも知れない。(ネタバレ追記後送)

ネタバレBOX

 

 規模は小でも筑豊一の炭鉱否日本一の炭鉱を目指した赤堀炭鉱の山主、三好 辰介は、アイスキャンデーの大ヒットで当初の運転資金半分、100万円を準備していたが、山を開くには、出資者を募るしかない。元々素人ではないもののあくまで現場リーダーの一人に過ぎなかった彼が山主になるには、越えなければならない数々のハードルがあった。赤堀の水は澄んでいた。それは、採掘が容易では無いことを示していた。岩盤が硬いことを意味していたからである。だが、それは同時に落盤事故が少ないことをも意味していた。大手は、採算が炭鉱経営の基本であるから、収益が最優先、その為に人命が失われようが、遺族から恨みを買おうが知ったことではない。ヤクザを使って脅し、下層労働者の憤懣を暴力で抑え込むのが常識であったから、手間暇の掛かる山には見向きもしなかった。この赤堀が有望だとの判断根拠は、唯一辰介の感である。出資を依頼した相手は、岳母、野毛 綾華。筑豊では押しも押されもせぬ名家の実力者である。その性格は女傑というに相応しい肝の据わった女であった。
 さて、山を開くと、高給と行き届いた社会保障、辰介の分け隔ての無い人柄、清廉で篤実な性格から、赤堀の神さまと慕われて、岳母への借金は僅か1年で返済。順風満帆で8年の月日が流れた。
お召し列車

お召し列車

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2015/11/27 (金) ~ 2015/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

必見、花五つ星
 “お召し列車”と聞けば、誰しも思い浮かべるのが天皇・皇后・皇太后の為に特別に運行される臨時ダイヤだ。並行して他の列車が走ってはならないとか、行き違う列車は速度を25Km以下にしなければならないなどの規則がある、例の列車である。まあ、こんな細かいことまでは知らなくても、何となく特別で内部に立派な装飾が施された特別の列車というイメージを持つ人が多いだろう。
 だが、今作の“お召し列車”はハンセン病(長く使われてきた別名、癩病)患者を国立療養所に集める為に運行した臨時列車の隠語として用いられていたという事実に基づいている。(追記2015.12..2 01:47)

ネタバレBOX

 大日本帝国が戦争一色に染め上げられてゆく国家総動員体制の中で癩に対する差別は、ますます激しくなっていった。そのさまは、癩を発症したとなれば、家族からも絶縁され、患者を知るものは生涯口を噤み、発症者は療養所に隔離された後は居なかったものとされるほどであった。男女ともに強制的に断種手術が施されたことや、亡くなった場合は解剖に付されることが、施設入所時に確約させられた。その為、妊娠している女性が亡くなった場合、その胎児も解剖に付されたのである。
 ところで物語は、この痛ましい差別を受けた人々と第二回東京オリンピック向け“おもてなし企画会議”の企画コンペモニター達のコンペの模様とが入れ子細工になって展開する。代理店は二社。一社は昔ながらのロイヤルトレインを復活させるという案。もう一社は“和(なごみ)”の愛称を持ちJR東日本の会員制クラブである「大人の休日倶楽部」などで運行しているE655系ハイグレード車両(5~6両編成)を走らせる案。更に第三の案として昭和30年代にハンセン病患者に開校された唯一の高校教育の場、新良田教室に入学する為、新入生が乗せられた「お召し列車」を再現した車両案。世界記憶遺産候補として競合二社の車両の中間に連結されているのだが、これを売りにしようというのである。因みに物語は常時、この車両で展開する。
 By the way,1941年アメリカで発見されたプロミンによって癩は治る病となった。にも拘わらず敵国アメリカからプロミンが輸入されるはずもなく効果の無い薬ばかりを注射され続けた患者たちは、病そのものの齎す苦しみのみならず、徹底的な排除と差別によって痛めつけられていた。そのような状態に一抹の光が見えたのは1955(昭和30)年、岡山県の長島に開かれた新良田教室という高校教育の場(公立高校の分校)であった。普通科4年制で全国唯一のハンセン病患者向け公立高校教育であった。今作に登場するのは、この高校の卒業生や関係者だが、内容は観て頂くとして、今回は、女優の究極の形を観たように思うので、そのことについて。
 その人は居た。板の上に存在していた。そのさまは、観客の想像力を映し出す写し鏡のようであった。過不足なく存在していた。
 この女優さんが渡辺 美佐子さんである。客演だ。無論、劇団員は客演を立てるのが、通常のセオリーだろう。今回もこのセオリーに従って、鴨川 てんしさん、中山 マリさん、猪熊 恒和さんら劇団のベテランが素晴らしい脇を演じている。
韓国新人劇作家シリーズ第二弾

韓国新人劇作家シリーズ第二弾

モズ企画

タイニイアリス(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

メタ演劇
 上演回によって、演目が異なるので、よく確認のこと。

ネタバレBOX

罠 
 閉店間際に飛び込んで来た偏執狂的な客と量販店のカメラ売り場店員、店長、警官を巻き込んでのファルス。客の職業は弁護士だが、デートの約束がある女店員を相手に、来店の目的を一言、箱の表記と中味が異なるので交換に来た、と言えば済むものを、交換に来た、とだけ言うものだから、店員は、当然、商品に不具合があるものと考えて、その点について質すと、言い方に難癖をつける、人権問題だと食って掛かる、おまけにパソコンで確かに、この客が、昨日、この店で、この商品を買ったことなどを確かめただけなのに、48回分割払いにしたことについて、個人情報収集に当たるのでは云々を言いだす。総てが、こんな調子なので、偶々、戻って来た店長と対応するが、一々、文句をつける態度は変わらない。終に堪りかねて警察に連絡、警官が来るが、、その時、強盗だ、と言って警官を呼んだことに対する抗議は延々と続き、20時少し前に来た客は0時を回り、朝を迎えるかも知れない状況で、互いのバトルが繰り広げられる。店側の反撃は、客が店長と女店員の写真を撮ったことを肖像権の侵害、と言う、それに対して客は、客が、カメラテストの為に、撮影をしたからと言って店員の肖像権が成立するのか、と反論する。或いは女店員に対するセクハラ容疑写真についても、幕切れで反論を始める。
 この作品の基本はファルスなのだが、受賞作となった原因は、このラストが、ホラーに転化し得ているからだろう。余りにもくどい、店員たちへの顧慮等一切ない、偏執狂的言質で、一般人を追い詰めてゆく弁護士より、観客は、店員たち、警官を気の毒に思って観ている。つまり観客のメンタリティーは、一般人に同情的なのである。だが、その彼らが漸く手にしたかに思われた勝利は、弁護士の反論によって覆されるかもしれない、という所で幕を下ろすことによって、ファルスはホラーに転化したのである。
 更に、俯瞰的に見てみよう。作る側と観客とのオルタナティブな関係が、演劇を成立させることに思いを馳せるならば、作る側はこのメタ作品を呈示することが役割、一方観客はこの構造を見抜き、再びファルス次元に戻して現実に戻るのが、役割だ。即ち、作る側の提示した作品と観客とが想像力の綱引きをすることによって、劇場を後にすることが出来るか否かをも問い掛けているだろう。そのように知的なゲームであることによって、今作は、喜劇たり得ているのである。
ピクニック
 年老いた母は、アルツハイマーを発症している。彼女は、娘を1人産んだが、その潔癖症と神経症的傾向から、娘の行動範囲を厳密に結界で区切り、自由を奪って育てた。その潔癖症は、1歳になるかならぬかの娘が、食事を食い散らげることをも許さない有り様。おむつにする排泄物に関しては、推して知るべし、である。その娘も子を産んだ。自らの経験に内心我慢ならない娘は、自分の子を自由に育てたいと望む。従って結界を設けない。漸く、立ちあがってよちよち歩くことができるようになった頃、子供は、海へ行きたいと願う。ピクニックである。3人は連れだって海辺へ出掛けたが。アイスクリームを買いに行った娘が戻り掛けると、子供は、海に面した弾劾に向かってゆく。老母は蕎麦に居るが。アイスクリームが溶ける。若い母は立ち尽くす。
 この時の経験を巡ってアルツハイマーを発症した老母と若い母とは、延々と過去と現在を往還する。その束縛と自由への憧れ、起こったはずの事実と事実を認識する狭間での乖離、互いの認識ギャップと認識主体の崩壊過程に於ける不如意を、聖職者の着るちくちくする着衣のような老母の編み物と若い母の悔痕の情・母性、客観的なもの・ことを総て曖昧化してしまう老母の妄想を、蝋燭の朧げな光でないまぜにし、想像力の時空へ誘う金 世一の能を意識した演出が巧みである。また、文字を打ち出す時のスタッカートのような切れ、雷鳴、子供が操り人形で表現されている点にも注目したい。映写シーンで糸の絡まる人形の大写しが映し出されるが、このシーンの象徴性にも着目すべし。
ラブストーリーはいらない

ラブストーリーはいらない

TOP BANANA

劇場MOMO(東京都)

2016/02/10 (水) ~ 2016/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

明暗天が多いのが気になるが 心撃つ作品

 シナリオ、演技共に良い。明暗天の多いことも場転の必要、心理の切り替え(殊に観客の)に関係がある為、自分が演出をしたらより良い演出ができるか? と問われて即座に答えは出せない。

ネタバレBOX


 肉体的に持続力などは兎も角、爆発力は♂の方が、♀より圧倒的に強いのが、ヒトの♂♀ではないか。その肉体的特性を利用して、♂が♀を暴力的に支配するというのが、生きることに困難を感じている女性の抱える現実ではないだろうか? 自分は決して理想的な状況に育った訳ではないので、様々な人々と付き合ってきた。その中に、今作に描かれたような人々に近い人、年少出、廃人、薬中、人の形をした唾棄すべき下司がいることも良く知っている。
 ところで、刃物で他人を刺し、食らい込むのはトウシローである。ホントに人を刺すのが楽しくて仕様が無い連中がいる。そういう連中は決して殺さない。死なずにすむ箇所を自分の快感に即して刺す。彼らがその時に感じるエクスタシーは素人が知るべき問題ではないから記さない。だが、こういう悪党でない主人公の悩み、苦しみは全うだと信じることが自分にはできる。レッテル貼りを得意とし、噂話をすることで、自分達の悍ましい欺瞞を隠蔽する下司共無論、信じないが。この意味で、良くここまで想像力を働かせて書いたシナリオだと思う。同時に役者陣の演技が素晴らしかった。主役のみならず、脇を支える役者達の演技も主役のそれを過不足なく盛り立てる見事なものであった。因みに、今作のこうちゃん、ゆきのやりとりが最上のものであるとは自分も考えないが、大切なことは言葉の向こう迄通るこうちゃんのゆきに対する念であり、その念が痛いほど分かるゆきの穢れない心。否、魂の純粋なのである。この二人を通して魂の最も純粋な形が描かれている。このことが、観客の心を撃つのである。ラストは、イマジネーション豊かな人には想像できるだろうが、初日が終わったばかりだから、これから観る人おおかたの気持ちに沿って明かさない。
後ろの正面だあれ!

後ろの正面だあれ!

椿組

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/02/27 (水) ~ 2013/03/05 (火)公演終了

満足度★★★★★


 この公演にも亜空間、亜時間が成立している。開演早々、雨音を背景に座敷童子と見まごうアマノウズメが、坐って黙ったまま小さく四角い物を長い間覗き込んでいる。

ネタバレBOX

 観客はこの時点で、長い間(ま)に込められた手管に掛かる。嫌でも応でも、想像力の総てを注ぎこまざるを得ないからである。結果、現実と異界の間に引きずり込まれる。それは、誰もが持つ幼少期の、神話的・御伽的時空の追体験だ。
 ここは、明日取り壊される家で、兄弟5人全員が集まることになっている。ところで、集まって来た兄弟が其処で発見したのは、古い写真だ。ウズメがずっと見ていた物である。観客にはウズメがずっと見え続けており、彼女の妖精的な世界は観客と共にある。亜時間・亜空間を追体験しているのであるから、当然だろう。
 一方、役者陣には、ウズメは見えない設定だ。無論、アメノウズメは日本書紀に登場する女神であるが、天の岩戸を開かせたことで、芸能の神としても祭られているのはご存じだろう。役者や演劇関係者は総て芸事に関わる者だから、ウズメは、芸能の神としても、初脚本、初演出の出し物を寿いでいると考えてよい。但し、この劇の中では、座敷童子の役も担っていると考えられる。
 何れにせよ、観客は特化された時空体験をしており、とても不思議なテイストなのだが、心地よい。友達と悪戯をし、遊び、喧嘩をしたりしつつも何時も一緒に楽しく過ごしたこのユートピアのような世界は、ウズメの過ごす時間としては非常に短いにも関わらず、子供達は大きくなり大人になってちりじりばらばらになってしまう。ウズメの寂しさはいかばかりであろうか? 何より、この充実し楽しく夢のような世界は、1964年のオリンピックを境に急激に変化して行く。日本列島改造計画が実行され、それまでの自然な河川敷や海岸は悉く失われ、しもた屋はみるみる消滅、代わりに高層ビルが林立するようになる。道路・ハイウェイの整備の名のもと、子供達の遊んだ道路が、空き地がどんどん無くなっていった。声高に叫ばれる文明批評など何一つ語られないこの作品の、鋭く激しく、根底的な批評が素晴らしい。
 また、いつも無駄を省いて本質を掴んだ舞台美術を作る加藤 ちかさん、センスの良さが光る振付のスズキ 拓郎くん、ラストの素晴らしい効果を盛り上げた諸子、自然な演技で臨んだ役者陣、シナリオ・演出も巧みである。座長の独特のリズムも、勘を得て良い。

Summer House After Wedding

Summer House After Wedding

燐光群

森下スタジオ(東京都)

2016/01/28 (木) ~ 2016/01/31 (日)公演終了

満足度★★★★★

バランスの良い舞台
 難民・移民問題が、殊更にクローズアップされる時代になった。

ネタバレBOX

無論、根本にあるのは南北問題や、グローバリゼーション、米英ソ(露)中仏等の覇権争いと新植民地主義による収奪の構造や傀儡による支配に対する反逆とアンチグローバルというグローバリゼーションによる被収奪サイドの連帯も分断・離合集散の憂き目にあって、泥沼の内戦、局地戦、三つ巴戦などが戦われている訳だ。
 その為、難を逃れて命からがら安全を求めて祖国を去らなければならない人々が後を絶たない。それほど軍事的ではない場合も、欧米の水産業に水道利用の権利さえ奪われ盗水などをしなければ生きて行けないフィリピンなどの国もあれば、シオニストのように、パレスチナ人の水源を奪って自らに給水するようなことも為されている。当然、軍事的力を背景に国際法を無視し、踏みにじって行われているイスラエルのこのような行為に対し、心ある人々は声を上げているがシオニストに社会的正義の観念は通用しないらしい。戦争犯罪に於ける人道の罪ばかり犯している。尤もこのイスラエルを支えているのが、これまた人道の罪ばかり犯している世界最悪の軍事大国アメリカであるから、イスラエルが心ある人々の非難を歯牙にもかけないのも力が支配する国際政治上は問題ないらしい。然しながら、このような状態で憂き目を見る人々は、今よりましな生活を求め、或いは他国へ出稼ぎに行く。今作は、こんな国際的出稼ぎをしているフィリピン女性を軸に彼女と恋に落ち結婚したものの、日本人の夫との間に生じる文化・慣習・生活上の常識の差、言語上のミスマッチ、宗教に対する態度、日常に対する態度差、子供の養育権等々や在留外国人に関わる法的問題など多くの問題を、女性作家が実際に取材して書いた作品なので、各々の問題が具体的にキチンと提起されている。同時に坂手氏の演出によって極めてバランスの良い作品に仕上がっている。
 海というモチーフがメタファーとしても機能し、国境・民俗・民族など様々な問題を超え、繋がる可能性を秘めた深み・広がりとして描かれている点もgood!

Rabies2021

Rabies2021

メガバックスコレクション

キーノートシアター(東京都)

2015/05/01 (金) ~ 2015/05/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

メガバックスの作品
にはぐいぐい引き込まれてしまう。無論、シナリオの上手さ、作品の面白さを引き出す演出の巧みもある。更に、舞台美術も自分達が自力で作ることでチームとしての結束力や息が合って、どんな状況にも、しなやかにそれで強靭な対応が可能なのである。こういう特徴は劇団桟敷童子と共通するような気がする。何れも、好きな劇団、力のある劇団であるのは、評価の高さからも分かろう。(追記後送)

荒野ではない

荒野ではない

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2016/11/23 (水) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

花五つ星
何と美しく悲痛な!(追記2016.11.25)

ネタバレBOX

青鞜に集まった女性たち、平塚 らいてう、伊藤 野枝ら主幹となった女性をはじめ、野枝の夫となった大杉 栄、らいてうのツバメのオクムラ ヒロシ、女流作家の千代子、跳ねっ返りのコウキチ、天才博徒の彦六、らいてうを支えるトミエ、皆から先生と呼ばれる理解者でもある支援者、イクタ チョウコウらの群像劇。Baudelaireの詩ではないが、人々から石を投げつけられ、唾を吐きかけられてもおかしくない程、時代のそして意識のレベルを遥かに超えていたアナーキーで真摯な姿が伝わってくる秀作。
 青鞜は、100年以上前の1911年9月から1916年2月迄発行された雑誌だが、この雑誌の作・編集部が今作の舞台である。発行しては、発禁を食らい、部数を伸ばすことは愚か、講演を打つことも会場を貸さないという形で禁じられ、剰え為政者のプロパガンダに載せられた民衆から石礫を投げつけられながら、女性、弱者の解放の為に戦った人たちの姿を描いた群像劇である。
 無論、登場する個々人のうち社会的弱者に関しては、より深く描かれている。村外れに住んで居た彦六の父は、中々やり手であった。結果、村の中心部に住む人々よりいい家を建てた。ある日、村の中心部の人間よりいい家を建てたのは生意気だとして、実家を燃やされ、家族を奪われた。因みに村の境界領域に住んだのは被差別部落民であり、これは差別の具体的で的確なイメージであろう。野枝が、この話を聞いて激高し、彦六の家族に仇為したる連中の家々を打ちつけて出られないようにし、油を撒いて火をつけてやれ、と叫ぶように言うシーンなど、その優しさ故の共感と真摯な怒りを突き付けてくる。
 更に、増々右傾化する世の中で、それでも諦めず粘り強くしたたかに生き、己の精神を荒野にせぬよう努める姿勢も良い。
 芝居を観なれている観客にとっては、演出の見事さも、見所である。ファーストシーンなどは、一挙に作品に引き込まれるだけの演出センスを見せてくれるし、シナリオの質も高く、役者陣の演技レベルも高いことは言うまでもない。舞台下手に植物の影がずっと映っているのも、非常に好印象である。弱者の声のように決して強くはないが、普遍的な生命の在り様を示しているようにも感じられるからだ。照明、音響の使い方も上手い。

議題:ギタイ

議題:ギタイ

多摩美術大学卒業制作展 めっけ!

シアター711(東京都)

2015/01/21 (水) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

センス抜群
舞台の始まる前に、中央奥に映し出されていた、昆虫の頭をイメージさせる赤い映像は、舞台側面に位置をずらされ、而も1灯ずつ灯されて、昆虫の複眼を拡大したようなイメージに変わる。それ迄、流されていた鳥の囀りや獣の鳴き声、牛の鳴き声などの代わりに、蠅の飛翔音などが、時折流れる。

ネタバレBOX

 
 注目すべきは、この不愉快な感覚が、何とも言えぬセンスの良さを感じさせる点である。そう言えば、舞台のある2階へ上がると入り口に左側頭部に等身大の面をつけた女性が出迎えてくれる。この趣向も大変気に入った。シナリオ、演技、演出、美術、音響など総て独りでこなした古澤 禅は、身体の鍛練も相当キチンとやっているのが、その機敏な動作や柔らかくしなやかな動きから分かる。静止の時、バランスが若干乱れた所があったが、これも訓練次第でどうにでもなろう。
 身体パフォーマンスにかぶさる映像・照明や音響とのコラボレーションも素晴らしい。また、古澤 禅が、他でも無い蠅の飛翔音を問題化しているセンスに注目すべきであろう。当然、パスカルが「パンセ」で指摘した集中を途切れさせる不愉快な音と黴菌を撒き散らす恐れ、神学的には、サタンの副官・ベルゼブブをイメージしてもいよう。所謂「蠅の王」であり、ゴールディングの小説のタイトルにもなっているから、知っている人も多かろうが。
 更に、地球上で唯一、絶対悪を生み出す存在として、人間を扱っているのが良い。その人間という生き物は、頭の中が空っぽで収奪など悪知恵だけを働かせて、他の総ての生き物に大きな打撃を与え続けているのだが、唯一の救いは、その人間にも天敵が存在するという事実である。而も、その天敵が如何なるものかは、敢えて観客の想像力に委ねられている。
せんてい2人芝居ver.

せんてい2人芝居ver.

ポーラは嘘をついた―Paralyzed Paula―

早稲田大学学生会館(東京都)

2015/03/25 (水) ~ 2015/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

階層を分けるもの
 要するに主従を分けるもののことだ。それは、存在に対する自信に裏打ちされ、その結果は、意識と言葉によって社会化される。
 

ネタバレBOX

 今作では、それが、客とウェイターの形で表象されているが、ウェイターは、逆転を試みる。己をより非肉化することによって。
 それは、己の肉体を植物化する夢である。そして、己を土に埋めてくれと頼むのだ。来るハズのない待ち人を待つ設定での客の女性にである。だが、彼女は、待っていたのだ、存在のプロトタイプとしての己に身を捧げる餌食を。(従って以下はWミーニングとして捉えると面白い)それがいかなる形であれ、餌食を入手した途端、彼女は存在の本質を露わにする。それは、無論、他の命を喰らうことである。この圧倒的な存在の前で夢に命を賭けた♂とは何であったのか? という♂と♀の噺でもあり得るだろうが、そこは、実に詩的にアウフヘーベンされている。

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