韓国新人劇作家シリーズ第二弾 公演情報 モズ企画「韓国新人劇作家シリーズ第二弾」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    メタ演劇
     上演回によって、演目が異なるので、よく確認のこと。

    ネタバレBOX

    罠 
     閉店間際に飛び込んで来た偏執狂的な客と量販店のカメラ売り場店員、店長、警官を巻き込んでのファルス。客の職業は弁護士だが、デートの約束がある女店員を相手に、来店の目的を一言、箱の表記と中味が異なるので交換に来た、と言えば済むものを、交換に来た、とだけ言うものだから、店員は、当然、商品に不具合があるものと考えて、その点について質すと、言い方に難癖をつける、人権問題だと食って掛かる、おまけにパソコンで確かに、この客が、昨日、この店で、この商品を買ったことなどを確かめただけなのに、48回分割払いにしたことについて、個人情報収集に当たるのでは云々を言いだす。総てが、こんな調子なので、偶々、戻って来た店長と対応するが、一々、文句をつける態度は変わらない。終に堪りかねて警察に連絡、警官が来るが、、その時、強盗だ、と言って警官を呼んだことに対する抗議は延々と続き、20時少し前に来た客は0時を回り、朝を迎えるかも知れない状況で、互いのバトルが繰り広げられる。店側の反撃は、客が店長と女店員の写真を撮ったことを肖像権の侵害、と言う、それに対して客は、客が、カメラテストの為に、撮影をしたからと言って店員の肖像権が成立するのか、と反論する。或いは女店員に対するセクハラ容疑写真についても、幕切れで反論を始める。
     この作品の基本はファルスなのだが、受賞作となった原因は、このラストが、ホラーに転化し得ているからだろう。余りにもくどい、店員たちへの顧慮等一切ない、偏執狂的言質で、一般人を追い詰めてゆく弁護士より、観客は、店員たち、警官を気の毒に思って観ている。つまり観客のメンタリティーは、一般人に同情的なのである。だが、その彼らが漸く手にしたかに思われた勝利は、弁護士の反論によって覆されるかもしれない、という所で幕を下ろすことによって、ファルスはホラーに転化したのである。
     更に、俯瞰的に見てみよう。作る側と観客とのオルタナティブな関係が、演劇を成立させることに思いを馳せるならば、作る側はこのメタ作品を呈示することが役割、一方観客はこの構造を見抜き、再びファルス次元に戻して現実に戻るのが、役割だ。即ち、作る側の提示した作品と観客とが想像力の綱引きをすることによって、劇場を後にすることが出来るか否かをも問い掛けているだろう。そのように知的なゲームであることによって、今作は、喜劇たり得ているのである。
    ピクニック
     年老いた母は、アルツハイマーを発症している。彼女は、娘を1人産んだが、その潔癖症と神経症的傾向から、娘の行動範囲を厳密に結界で区切り、自由を奪って育てた。その潔癖症は、1歳になるかならぬかの娘が、食事を食い散らげることをも許さない有り様。おむつにする排泄物に関しては、推して知るべし、である。その娘も子を産んだ。自らの経験に内心我慢ならない娘は、自分の子を自由に育てたいと望む。従って結界を設けない。漸く、立ちあがってよちよち歩くことができるようになった頃、子供は、海へ行きたいと願う。ピクニックである。3人は連れだって海辺へ出掛けたが。アイスクリームを買いに行った娘が戻り掛けると、子供は、海に面した弾劾に向かってゆく。老母は蕎麦に居るが。アイスクリームが溶ける。若い母は立ち尽くす。
     この時の経験を巡ってアルツハイマーを発症した老母と若い母とは、延々と過去と現在を往還する。その束縛と自由への憧れ、起こったはずの事実と事実を認識する狭間での乖離、互いの認識ギャップと認識主体の崩壊過程に於ける不如意を、聖職者の着るちくちくする着衣のような老母の編み物と若い母の悔痕の情・母性、客観的なもの・ことを総て曖昧化してしまう老母の妄想を、蝋燭の朧げな光でないまぜにし、想像力の時空へ誘う金 世一の能を意識した演出が巧みである。また、文字を打ち出す時のスタッカートのような切れ、雷鳴、子供が操り人形で表現されている点にも注目したい。映写シーンで糸の絡まる人形の大写しが映し出されるが、このシーンの象徴性にも着目すべし。

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    2013/11/30 12:10

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