ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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やっぱり!おれたちにあすはないっすネ

やっぱり!おれたちにあすはないっすネ

なかないで、毒きのこちゃん

ザ・スズナリ(東京都)

2018/10/01 (月) ~ 2018/10/02 (火)公演終了

満足度★★★★

 多い時には、板、ロビー、ブース、客席と同時に4か所で話が展開する。

ネタバレBOX

無論、観客は勝手に移動しながら観たい場所を観れば良い、という趣向なのだが、仕込みの人々という設定が為されると、どうも日本人の多くはそのコンセプトに従って“待機”の気分になる人が多いようで殆どの人が一か所に座し体を捻ったり首を回したりしながら観劇していた。かく言う自分も今回はそれに倣ったが。
初演の時よりスケールアップした感があり、対比のキレも良くなった。劇場を占拠した劇団“愛のホテル”VS幕を開ける劇団の舞台監督の闘いが迫力を増していたことが、その大きな原因だろうか。また仕込みをする側の座長の檄の飛ばし方、対応する新人女優達とのやりとりも様々な擽りが入って笑わせる。ロビーでのやり取りは、多くの観客の目からは隠れているものの、その音声はキチンと場内に届くから、これもシチュエイションを重層化させるのに役立っているし、板を追い出された“愛のホテル”がブースを占拠して気勢を上げるなど闘いは随所で展開するので飽きさせない。而も小劇場演劇に携わる劇団と劇団員たちの、演劇に賭ける念と貧困という宿命の葛藤が双方の劇団に共有されているから、戦いそのものが何ともいえないペーソスをソソル所が、今作の眼目だ。この現実の共有こそ、ラストで全員が楽しくフィナレーレを飾っても違和感の生じない原因である。
F××KIN’ FRIDAY

F××KIN’ FRIDAY

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学(市ヶ谷キャンパス)(東京都)

2018/09/27 (木) ~ 2018/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

 ダーティーに見えるが繊細でダンディーな一面を含んだ快作である。

ネタバレBOX

 タイトル通り、問題の一作であった。脚本、演出は19歳の女性。若書きではあるものの、本質的。大人と若者の差は、その経験値に過ぎない。若者は経験値の低い分、対オトナでは理論化や表現の斬新さで抵抗する他無い。その際有効になるのは対抗手段である理論や表現に本質的なものがどれだけ含まれており、大人が納得できるだけの本質的追及がどれほどの深さと広がりに於いて、発芽する種として撒かれているかである。若書きではあるものの、本質的、と評したのはこの点に於いて充分に及第どころか高い評価を与えることができると観たからである。
 「オオサカ」というアナーキー都市の性格上、乱闘シーンが多くなるのは必然だから、出捌け口は都合5カ所、舞台奥中央、幅広い踊り場の左右、手前基本フラットの板左右に各1の5カ所である。それ以外に客席背後からも出居りするので、これを入れると6カ所ということになるが脚本の内容を十全に活かす為の合理的なレイアウトで、これにも感心した。オープニングに関しても頗る上手い演出である。通常通り暗転で役者が位置に着き、明転すると、主人公は脚を左右に開き、背中を見せている。これは通常の舞台の逆を行っている訳で“いきなり面白い”と思わせる。更にこの面白いにはオマケが付いて靴は真っ赤、履いているのは22歳の男子、それも次期地獄組組長である。
 物語は、そんなもの(21代目)になりたくない彼、センリの回顧録として展開する。だがセンリは、基本的になにものにも縛られたくないという天性のアナーキスト。バイトは秒遅速で止めるし、女の子より力は弱いし、優しすぎて他人の心の微妙な襞には立ち入りたくない。
 そんなセンリを支える地獄組20代目組長で父のテンジ、テンジに父の仇と狙われ乍らも可愛がった19代目組長ヒバリとの因縁話と、テンジからセンリの世話を頼まれた現組員、カスガとフジノの2人。更に神を信じないが教会組織を利用して科学で人間を創ることを目指す盲目のシスター、犯罪自由都市・オオサカを表象する様々な表象を実に上手く配してアクティブな舞台が展開する。
 尚、近いうちに自分のブログに今作関係のレビューを掲載するのでご興味のある方はどうぞ。URLは、以下。
https://handara.hatenablog.com/
Breath~神様にピース~

Breath~神様にピース~

touch my brassiere? company

上野ストアハウス(東京都)

2018/09/27 (木) ~ 2018/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★

 序盤、音響と歌唱や科白の音量とのバランスが

ネタバレBOX

余りに悪くてげんなりさせられた。小屋でのゲネはやっていないのか? 演出はキチンとこういう所でダメ出しをし、作品を仕上げてから上演すべきだろう。中盤以降の展開を見ると脚本の質もそれなりの説得力を持つし、歌や踊りの上手い役者もいるので序盤でのマイナスを払拭してくれたが、かえすがえすも序盤のつまずきが残念だ。自分の隣に居た観客は、ぶつぶつ小言を言いっぱなしだった。まあ、面白くなってからも途中で携帯画面を光らせるような愚か者ではあったが。自分はどういう訳か他のことで深刻な問題を抱えているせいもあって、いつもほど腹も立たずに居た。不思議なことである。何れにせよ、中盤以降の評価でお勧めできる作品になった。
おとながたり

おとながたり

ハグハグ共和国

劇場MOMO(東京都)

2018/09/20 (木) ~ 2018/09/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

 地元では、子供たちの憧れと好奇の対象として有名な士岐の館、何でもホテルとして生まれ変わるとのことで、モニターを募集中、同窓会を企画していたグループがその募集に応募する。(追記2018.9.24 23時11分)

ネタバレBOX

そこで起こることは参加した誰かの記憶を生きるヴァーチャルリアリティーの世界だった。
 物語は、売春防止法成立施行直前の老舗妓楼、士岐屋で展開する。前途の展望も持てず、皆の前途に希望らしい希望も持てないままその篤い人情経営と苦労人たちの優しさで何とか世知辛い世の中を過ごしていた遊女たち、男芸者、男娼、更には目利きの女衒に絡む因縁取り混ぜての深い人情噺。何よりここで働く女性の描かれ方が、単に同情すべき対象として安っぽく描かれていない点が秀逸。ひょんなことから主に拾われた若者は2人の妹を連れていた。下の妹は具合が悪く体力が落ち、咳も気になるが医者にかけてやる金もなくズルズル来てしまった。そこで人情に篤いこの妓楼の主にちょっかいを掛けて自分達が転がり込んだという寸法だ。ところで主、漢気を見せてこの子供達の面倒をみてやることにした。若者は自身の傍に置いて様々な仕事を仕込む傍ら、自分の趣味のベースボールの相手もさせる。この主と彼の妻の優しさが妓楼の危機をも人間的で優しさと思いやりに満ちたものにしている。一方、この妓楼の大姉御は元吉原の遊女だったのだが、名うての女衒と恋仲になり子を為していた。その子が、今預かり体を壊している幼い少女であった。この因縁話、定石とはいえ矢張り強く心を撃つものがあるのは、脚本の随所に見える深さ故であろう。同時にこの作品のテイストを良く引き出した演出とそれを具体化・身体化した役者達の努力に負う所が大きい。
 だが、因縁話はこれのみではない。妓楼で亡くなった少女の姉は教師を目指していたのだが、目出度く自分の夢を叶え、校長にまでなっていた。それが、この度、士岐屋に訪れた当にその学校の長だったのである、というオチ迄ついているのだ。
明日ー1945年8月8日・長崎ー(2018年@シアターKASSAI )

明日ー1945年8月8日・長崎ー(2018年@シアターKASSAI )

演劇企画イロトリドリノハナ

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2018/09/19 (水) ~ 2018/09/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

 タイトルから直ぐに原爆の話だと気付くが、一体我々は原爆の恐ろしさについてどれほどの想像力を持ち得るだろう? 今作のファーストシーンは、核炸裂の瞬間ではない。

ネタバレBOX

日本によって戦後、勲一等旭日章を授与されたアメリカの将、カーチス・ルメイ旗下の米空軍による佐世保への焼夷弾攻撃である。日本全国に焼夷弾の弾雨を降らせた張本人だ。彼のやり方は、先ず逃げ場を塞ぐ。東京大空襲を例にとると、進入路の海側を除く3方の各辺を火の海にして一般市民の逃げ場を断ち、その上で絨毯爆撃をするというもので、僅か数時間で十万名以上の女、子供、老人が亡くなった。カーチスらは攻撃前「日本の家は竹と紙でできている、良く燃える」と笑っていたとの話は人口に膾炙していたから聞いたことがあるかも知れない。何れにせよ、当時の国際法でも一般市民への無差別空爆は国際法違反であった。それは、日本が重慶に対して行った空爆も同様である。国際関係論の中で、以上の事実を挙げただけで何とかの一つ覚えを繰り返す御仁も居るが、そんなことはおいて、今作は、もっと肝心なことを描いている。それは、殺される側の生活である。フィクションという形ではあるが、史実をキチンと踏まえ庶民の日常を丁寧に描いている点、対比する戦争を情報とヒロイン・ヤエの姉、ツル子のB29恐怖症として表している点が秀逸である。8月8日から、原爆投下の瞬間迄の26時間の要所、要所を時刻表示で表し、不可逆的な時間の齎す不可避性を最も効果的に表現した演出も、役者達全員の、役を生きる一見控え目だがタメの効いたしっかりした演技も良い。原作は知らなかったのだが、原作も是非読みたくなる出来である。上手奥に掛かる掛け軸や有田焼の壺なども、この一家の社会的位置と気位を偲ばせる。同時にあの時代のヤエの婚礼に出席する者達の中に、紋付袴や和服を着ている者が登場したり、お頭付の鯛が登場したりするのを近隣の者達が涎を垂らさんばかり食い入るように見つめているさまを表している点、矢張り近隣の者が、物資横流しの罪を被った親戚の者の娘を恫喝して石鹸を奪い取ってゆく様を描く辺りのリアリティーが、戦争の最も本質的核心である情報戦と経済力・政治力などの下支えとして機能していることも見逃せない。
 更に、戦争で傷ついた者が持つデカダンスとニヒリズム、苦悩の帰結としてのさつきと石原の関わりも、単なるサイドストーリーに終わらぬ深い考察を促す点がグー。
マトモなオトナでした

マトモなオトナでした

劇団KEYBOARD

小劇場 楽園(東京都)

2018/09/20 (木) ~ 2018/09/23 (日)公演終了

満足度★★★★

 ネタバレはご遠慮下さい、とのことだったのでアウトラインだけ、ネタバレコーナーに記しておく。

ネタバレBOX

 時代設定がハッキリ示されている訳ではないが、現代の新宿歌舞伎町界隈、ビルの谷間に設けられた喫煙所で物語は展開する。近くに塵捨て場があり、腐臭なども漂うこの場所に集まるのは、近隣のネカフェ店員、キャバクラ関係者、バーや居酒屋のスタッフ、ラブホ従業員など。群馬からポッと出の地味な娘、海は典型的メンヘラ。彼女のコンプレックスを巡って起こされる周りの人々の右往左往が、ディープな新宿の優しさを浮かび上がらせるような群像劇。未だに新宿には、このような優しさが残っているらしい。尤もこんな新宿を味わう為には、毎日新宿の深い闇の直中で暮らすことも必要不可欠ではあるが。
ショートストーリーズvol.8

ショートストーリーズvol.8

T1project

「劇」小劇場(東京都)

2018/09/19 (水) ~ 2018/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

 演劇界から社会へ一旦出て、戻ってきただけのことはある。

ネタバレBOX

「サヨナラの踏切」T1project short stories vol.8 C 2018.9.20 19~劇小劇場
 今作の作・演出を担当した中村 充俊氏は演劇世界から一旦社会へ出、戻ったということだが、作品を拝見して納得した。瑞々しく柔らかい感性の素晴らしさに引き込まれるようにして作品を楽しむことができたからである。男の持つ極めて繊細な抒情をそのまま取り出して舞台化したようなテイストの作品は衝撃的でさえある。無論、これだけ細やかで繊細な感性は、女性の揺蕩いや揺れる感情も見事に舞台化して見せてくれる。それは殊に洋子役の科白、演技に端的にあらわされ、痛い程切実である。
 今作で表現されるのは、最も残酷なことである。通常最も残酷なことは? と問われて想像するのは何だろうか? 凄まじい拷問や悲痛な別れだろうか? それらは無論、痛ましい。然し更に厳しいのは、忘れ去られることではなかろうか? 居たのに居なかったことにされる、居るのに居ないことにされる。これ程キツイことが他にあろうか? このようなのっぴきならない状況を交通事故で同時に亡くなった友人たちの関わりを描くことで描いてみせた。つまり今作は忘れる、忘れられるを通して究極の存在論を描いているのではなかろうか? それも死後の世界と言うシチュエイションで。洋子と裕人の関わりに関する伏線と種明かしも見事。
ショートストーリーズvol.8

ショートストーリーズvol.8

T1project

「劇」小劇場(東京都)

2018/09/19 (水) ~ 2018/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

 昨夜に続くT1プロジェクトショートストーリーズのD。傑作「サンライズシーチキン」のスピンオフ・アナザーヴァージョンである。

ネタバレBOX

「あなたが生きていたから」T1project short stories vol.8 D 2018.9.20 19時~劇小劇場
 サンライズシーチキンのスピンオフ第2弾。昨夜の中田ステーション7は、漫才コンビ、シーチキンの突っ込み、遼を中心に据えたスピンオフであったが、今夜はボケの榊が中心の第2弾だ。全4作の中でこのバージョンの占める位置は、C「サヨナラの踏切」とは逆ベクトルそしてB「中田ステーションセブン」とは表裏の関係になっている。まあ、BとDはそれぞれ「シーチキンサンライズ」のスピンオフ作品だから当然のことではあるものの、CとDのこの関係は、Dが新作だからこのように書かれた、と見るのはうがち過ぎだろうか? 何れにせよこれらの緊密な関係自体が別次元でのドラマトゥルギーを為しているのだ。
 さて、個別論に入ろう。今作「あなたが・・・」に於いて描かれるのはツッコミ遼の陽性・派手に対して、ボケ榊の陰性・地味な性格がこれでもか! と言われるほど強調される。無論、これは後半の展開への溜めとして機能してくる訳だが、その仕掛けが当初から読めても、実際に舞台化されたその爆発力の威力には圧倒される。無論、オープニングにも仕掛けがある。丁度詩が韻を踏むように「シーチキンサンライズ」冒頭と同じシチュエイションが用いられているのだ。強い雨、雷。落雷の光に浮き上がる女の姿。シーチキンを観ている観客には、この呼応も既視感と共に本編を思い出させる鍵になっている。
 先に挙げたCとの関係に於いては、Cが死のあちら側で忘れる、忘れられるという究極の存在論を展開しているのに対して、Dは、あくまで自死未遂後に生きる側に向かって当に全身全霊を賭しての生き様を描いている点で死を座標軸の交点とする逆ベクトルを形成して、作品相互の関係がまたドラマを構成しているのである。この辺りの重層化も実に楽しい。
 
ショートストーリーズvol.8

ショートストーリーズvol.8

T1project

「劇」小劇場(東京都)

2018/09/19 (水) ~ 2018/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★

 一つ、お詫び。小生のはやとちりから、即興芝居が連日あるように取られた方があるかもしれないが、無い日があるので注意。因みに無い日、19日,20日、24日17時、28日14時、30日12時、16時。念の為、ご自分でも調べて下さいね。

ネタバレBOX

「君はナタデココ」
 インターネットが我々の日常を席巻して既に四半世紀を迎えようとしている。尤もそう言い切れるのは、比較的早くからネットに関わって仕事をしてきた人間だけかも知れぬが、平均的な人々でも20年近くこの環境に浸っているであろう。まして今作の作家が生まれた時には既にデジタル社会が始まっていたのであるから、この作家にとって、当に自然な環境がネット社会だったのである。然し物語としては、己の名前についてのコンプレックスとして表面的には展開してゆくので、この広い世界を矮小化していると年配世代からは捉えられそうな、そして否定的に見られそうな側面を持つ。然し乍ら、それは作家が生まれ育った状況そのものなのであり、若者はそれをベースにしなければ次のステップへ行くことができないのも事実だろう。先ずは、不如意であっても己の足場を見極めなければならない。そのことがキチンと自分で理解できている作家である。
筆者がそう思うのは、作品自体が矢張り現代日本の鏡であり、今現在を日本で生きる若く鋭い感性の体験しつつある現況を集約していると見るからだ。抱える問題が非常に個人的な悩みであり、その悩みが若者の人生の大きな部分を侵食しているかのようであるにも拘わらずそう見るのだ。それは何故か? 現代日本の最も深い社会的病理、苛めの問題が今作の根底に蜷局を巻いて横たわっているからである。この作家の今後の研鑽に期待したい。
ショートストーリーズvol.8

ショートストーリーズvol.8

T1project

「劇」小劇場(東京都)

2018/09/19 (水) ~ 2018/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

 一つ、お詫び。小生のはやとちりから、即興芝居が連日あるように取られた方があるかもしれないが、無い日があるので注意。因みに無い日、19日,20日、24日17時、28日14時、30日12時、16時。念の為、ご自分でも調べて下さいね。

A「君はナタデココ」19時からの終演後、10分の休憩を挟んで開演した。総ての演目が終わったのは21時半過ぎだと思うが、時計を確認するのを自失するほどの内容だったので正確な時刻は不明、参考まで。

ネタバレBOX

「中田ステーションセブン」2018.9.19 19~A1projectB 劇小劇場
 傑作「シーチキンサンライズ」のスピンオフ作品だ。流石に熟練した作家の作品である。元々、友澤氏の作品の科白は深みのあるもの、ハッとさせられ、何時までも記憶の奥深くに息づくものが多いのだが、今作ではそれが更に円熟味を増した感がある。舞台美術も、作品に共通して用いることができるよう配慮されつつ、而もその細部に至るまで実に丁寧、綿密に創られていて感心する。役者の導線についても実に合理的で隙が無い。舞台芸術というのは、今更言うまでもないが、物語の展開する場所を何処に設定するかでその成否が決まるほどに大きな意味を持つのだが、その点T1プロジェクトの作品は、いつ拝見しても極めて優れている。
 さて、本題に入ろう。シーチキンでも、ヘミングウェイに纏わる科白が随所に織り込まれて作品の幅と奥行きを深めていたのだが、今作もそのスピンオフ作品であるからこの手法がさりげなく用いられている。有名な作品の名前だから、観劇中に直ぐ気付くであろうが、この“The Sun Also Rises”が今作のテーマとも、またたくさんの作家、役者ら演劇人を育ててきたA1プロジェクトリーダーとしての友澤氏から若い人々へのエールとしても呼応しつつ重層的に機能する点に、これだけの大所帯を維持してきた氏の度量と人間的深み、優しさを感じると共に、作品を創る楽しさを知る者のみが持ち得るエネルギーを感じる。
 主人公の遼役の演技は無論のこと、セブンの面々、後輩たち各々の演技も、いつも通り、各々のキャラが立って見応えがある。物語の肝も流石と唸らせるものである。初日が明けたばかりなので詳細は明かさないが、一瞬で世界が変わるその手際は見事と言う他ない。
眠っちゃいけない子守歌

眠っちゃいけない子守歌

劇団演奏舞台

九段下GEKIBA(東京都)

2018/09/15 (土) ~ 2018/09/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 Aチームを拝見。(華5つ☆)

ネタバレBOX

二人芝居で女優さんが異なる。拝見したAチームは文月 一花さん、相手役は、鈴木 浩二さんだ。お二人とも素晴らしい演技であったが、特に文月さんの緩急を対比しつつ微妙な変化を体現した演技は気に入った。
 戯曲のチョイスも良い。別役作品は好きなのだが、舞台上演で今作を拝見したのは初めてであった。男は存在の不定とそれ故の孤独を生きてきた証に、“普通”の生活感覚を持ち、人々と交わりながら生きてきた人々との対話に齟齬を来している。その結果、普通の人は、何とかコミュニケーションを取ろうと図るのだが、恰も離人症患者のようにトラウマを身体に刻んだ傷として生きている男との間には、深淵が広がるばかり。構ってくれた初の他人、その諦念に出会って初めて、男は、己のトラウマの原点に回帰することが出来、女もその場に立ち会って、謎解きをした。その結果は、死。男の安らかな死、即ち解放である。この微妙で存在の深淵を覗きこませるような難しい表現を実に見事に表現している。舞台美術も品の良さとセンスの良さを感じさせるばかりでなく、演奏の浅井 星太郎さんの演奏と二人の演技のコラボが素晴らしい。演出も浅井さんだが、しっとりと深く魂に沁みるような作品に仕上がっている。
戦国夢想曲 花連鬼生伝

戦国夢想曲 花連鬼生伝

夢劇

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2018/09/14 (金) ~ 2018/09/17 (月)公演終了

満足度★★★★

 かなりの名君だったと噂される秀頼を現代風価値観でアレンジして見せた作品と言えよう。彼を演じるのが女優というのも面白い。

ネタバレBOX

 板上、中央奥は障子で両側に開く。障子から奥の空間は天井面が踊り場を構成し、この踊り場へ左右から上がれるようにシンメトリカルに階段が取り付けられている。階段は一段目を内側に、上る程に側壁に近づく配置。障子手前に平台を置き、階段下の地面を表すかのように正面平台から客席へ延びる部分を台形に抉るように形成した平台がその左右にこれもシンメトリカルに置かれて、本来の板面から一段高くなっている。客席と板の際には、側壁から各々目隠しが延び、袖を形成して、これも出捌けとして用いられている。
 衣装は、かなり簡略化され、各々の大将である秀頼も秀忠も鎧はつけていない。真田の有名な緋縅も信繁が胴をつけているだけである。音響は少し贅沢をして、和太鼓などは、生演奏だ。
 戦国三部作と題された作品のうちの一作。大阪夏の陣、冬の陣を通して徳川と豊臣との確執を描くと同時に秀頼と家康の孫に当たる秀忠の娘、千姫との夫婦愛、茶々と乳兄弟の大野 治長の許されざる恋を中心に、話が展開する。
天海、家康の治世の為には私情を殺して歴史の趨勢と状況を見極め、己をその歴史的必然に投ずる非情な生き方に対し、秀忠、茶々、秀頼、千姫などは、個々のメンタリティーやパトスに殉じ、大義には距離を置くという価値観を前面に出しているわけだ。この対立軸が、現代日本の昭和世代と平成世代の対立軸と重なると自分は観た。その意味で、今作は、平成史観に引き付けた価値観を前面に出して歴史を洗い直していると言えよう。この視座が、今作を通常の史劇とは異なるものにし、大阪城落城後の後日譚を余り違和感のない物として観客に届けている。無論、これはこれで興味深い視座であり、観る者の心を撃つものもあるのだが、演劇はそれだけでは十全に機能しない。登場人物個々のパトスを生きたものにする為には、それを演じる役者個々人が役を生き、個々のキャラを立てなければならないからである。配役によって観客に好まれ易い役、憎まれ易い役はあるのだが、それは兎も角として役者個々人キャラの立った良い演技をしている。
カンフル ~Sir Arthur  Conan Doyle~&~Baker Street Irregulars~

カンフル ~Sir Arthur Conan Doyle~&~Baker Street Irregulars~

Project S.H

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2018/09/12 (水) ~ 2018/09/17 (月)公演終了

満足度★★★

~Baker Street Irregulars~を拝見。

ネタバレBOX


 板上は中程から奥が板張りの住居エリアになっており、その中央に机と椅子。上手奥に出捌けが設えられ机の奥の壁際には、シンメトリカルに本棚が置かれている。下手の壁にも出捌け。板手前は花や植栽がかなりたくさん見受けられるが、これといった必然性は無い。客席に近い場所には、箱馬に布を掛けたオブジェ。上手側のオブジェの脇には大きな十字架が立っている。
 いつも、イマイチと感じる作品を観ると感じるのは、何が足りないのだろう? ということである。今作でもファーストシーンにそれを感じた。かなりデコラティブな舞台美術にも脚本と密接に絡む必然性が感じられない。ファーストシーンに登場する2人の人物が数え上げる数の発語の仕方も不揃いで何を狙っているのか了解できない。直ぐに科白による説明で状況は理解できるのだが、今作にとっての意味と必然性は感じない。それに、このヴァージョンの2日目で、若い役者が噛むというのも信じられない。役になり切っていないことがハッキリしてしまうと同時に、しょっぱなで観客を巻き込むことが出来ないのである。これは、脚本レベル、演出レベル、演技レベル総てで言えることであった。根本的な所で観客という要素を計算に入れて作劇していないのであろう。猛省すべし。何故なら、演劇という芸能は、日常の現実時空から非現実の虚構時空への飛翔であるのだから、観客をそういう時空へ連れ去る必要があるのである。観客に媚びる必要などさらさらないが、チャンと異空間、不思議な時間へ旅立たせて欲しいのである。これができれば、遥かに良くなる。また演者は役を生きて欲しい。今回、役を生きていた役者は、ハルマン役、キティー役、ホームズ役だろうか。
寒花

寒花

ハツビロコウ

シアターシャイン(東京都)

2018/09/11 (火) ~ 2018/09/17 (月)公演終了

満足度★★★★★

 舞台中央に横長の机、机上には石油ランプ。左右及び奥に椅子が各々1脚ずつ据えられている。下手壁には、模造紙の上段中央に「安」と大書された文字、その左右と下には罫線が引かれ、「安」の字を囲むかのようだ。この模造紙の奥からやや右斜めと上手のシンメトリカルな位置に奈落がある。(華5つ☆追記後送)

ネタバレBOX

上手壁際にはバケツが置かれ、舞台中央の客席側には料理に用いる寸胴のようなかなり大きなものがあり、湯気が立っている。暖を取る為のストーブと考えてよかろう。
 模造紙に書かれた「安」の文字は伊藤 博文を殺害した安 重根の苗字である。左右には、独居房下にも独協房があるのだが、安の左側は及び対面には、看守が、そして右側には、これまで獄卒に協力してきたことで模範囚とされている囚人が入り安を監視している。安の独居房は3寸の厚さの板を重ね、釘、ねじなど他の物を加工することが可能になるような金属類は一切入手できないようになっており、天上付近には24時間監視が可能なように天窓を加工し頑丈な鉄格子を配して電燈が灯されている。而も安を拘束する手錠には鍵が無い。一旦取り付けてしまえば、手首もろとも切り落とさなければ外せないという代物だ。開演早々、この図面に対する説明があって、事件のあらましと安に対する日本の態度が分かるという寸法だ。而もこの監視体制わざと一か所だけ空き部屋を設けるという念の入れ様。
 この図面の説明で今作のアウトラインが伝えられた後、安と隣接する模範囚の居る独居房は上手奥のコーナー辺りに設けられ鉄格子に捉えられた一角として描かれる。この導入部の展開が実に上手い。
「イッツ・ア・クローズドワールド」

「イッツ・ア・クローズドワールド」

楽園王

OFF OFFシアター(東京都)

2018/09/06 (木) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 大方にとって極めて不思議な世界なのではあるまいか? 

ネタバレBOX

というのも時間・空間が普段人々の意識することの無い物理的場に於いて変容しているように見えるよう構成されているからである。もっと分かり易く言えば、騙し絵の世界のようなものと考えて頂いて良かろう。無論、作家の目論見に乗っかって、voyantを気取ってみるのも悪くない。ここでいうVoyantは、Rimbaudが有名な手紙“la Lettre du voyant”で示したコンセプトに従って考えてくれればよい。フランス語の分かる方は 以下に原文を載せておくので訳してみると良かろう。大して難しい文章ではない。
 閑話休題。さて、今作に戻るとしようか。観客は上に述べたような事情から大別してVoyantとそうでない者、そして場を意識できる者に分けられる。各々の立場ごとに様々な解釈が可能である。取り敢えず、一つの立場から眺めてみることにしよう。
 時間と空間が場という無規定の直接性の上に恰も時間の不可逆性やアリバイが成立する根拠である“ある存在は同時に別の場所に存在する事ができない”を無視し得るかのような展開に見える場面が出来する点を如何様に解釈するか? 作家が信じ、実践しようとしていることは何か? 何故、このように回りくどい表現形式を採っているのか? 等々興味は尽きないのであるが、一方で確実なことがある。それは、舞台上に並べられたたくさんのペットボトルと、水をちびちび飲むことしかできない社会、壁際をしか歩けない家系の話などトンデモ系とも思える逸話が繰り返し変奏されつつ現れると同時に掛かってくる電話に受話器を取り上げても、着信音が鳴りつづけ恰も時間が重層化しているかのような錯覚を意図的に起こさせている点にどんな意味が込められたのか? 等々の問いの果てにふと気付くことがあるということである。光があれば闇を生じ、闇を光は駆逐するが、光の届かぬ境界をもまた示すことになるという事実だ。即ち、様々に解釈されることが総て、光り輝くと錯覚させられている現代日本に生きる我々に闇を示唆しているという点である。このように考えた時、水の意味するものは明らかであろう。我々の身体を構成する諸要素の内最もパーセンテージが高いものは、水分即ち水である。生命が海から生まれ、我々の血液の成分も海水に似ているばかりではなく、羊水の成分は更に海水に近い。そして我らは母の子宮内で系統発生を辿る。いわば水は命そのものの象徴である。然るに今、その命の水がプラスチックや核核種、化学物質などによって深刻な汚染に見舞われている。そればかりではなく、水メジャーによる奴隷化の憂き目も懸念されているのは周知の事実である。水が支配されれば、無論、農産物も支配される。何もモンサントや住友化学などによる遺伝子組み換えによる農業奴隷化に留まらないのである。今作、ちょっと目を凝らすとこの程度のことは楽に見えてくる。
 この表現するに難しい作品を、役者陣が極めて雄弁に表現してくれた。優れた役者陣に拍手を送りたい。

 オット、大切なことをもう一つ書き忘れていた。かつて壁が一杯あり、現在は唯だだっ広い、壁も何もない空間になってしまった場所を妹と親友が行く場面が出てくるのだが、これも無論、盛んに復興を喧伝している(つまり現実とは反対にユートピアとして)原発人災被災地(現実にはディストピア)の喩であろう。ここにも、明暗の対比によって一つのシーンに二つのことが同時に描かれ互いが互いを打ち消し合いつつ、我らの解釈を待ち受けている構造が露出しているのだ。

Texte de la Lettre du voyant de Rimbaud

Charleville, 15 mai 1871
à P. Demeny


J'ai résolu de vous donner une heure de littérature nouvelle. je commence de suite par un psaume d'actualité :

CHANT DE GUERRE PARISIEN

- Voici de la prose sur l'avenir de la poésie-

Toute poésie antique aboutit à la poésie grecque, Vie harmonieuse. - De la Grèce au mouvement romantique, moyen âge, - il y a des lettres, des versificateurs. D'Ennius à Theroldus, de Theroldus à Casimir Delavigne, tout est prose rimée, un jeu, avachissement et gloire d'innombrables générations idiotes : Racine est le pur, le fort, le grand. - On eût soufflé sur ses rimes, brouillé ses hémistiches, que le Divin Sot serait aujourd'hui aussi ignoré que le premier venu auteur d'Origines. - Après Racine, le jeu moisit. Il a duré deux mille ans !

Ni plaisanterie, ni paradoxe. La raison m'inspire plus de certitudes sur le sujet que n'aurait jamais eu de colères un Jeune-France. Du reste, libre aux nouveaux d'exécrer les ancêtres : on est chez soi et l'on a le temps.

On n'a jamais bien jugé le romantisme. Qui l'aurait jugé ? Les Critiques ! ! Les Romantiques, qui prouvent si bien que la chanson est si peu souvent l'œuvre, c'est-à-dire la pensée chantée et comprise du chanteur?

Car JE est un autre. Si le cuivre s'éveille clairon, il n'y a rien de sa faute. Cela m'est évident . J'assiste à l'éclosion de ma pensée : je la regarde, je l'écoute : je lance un coup d'archet : la symphonie fait son remuement dans les profondeurs, ou vient d'un bond sur la scène.

Si les vieux imbéciles n'avaient pas trouvé du Moi que la signification fausse, nous n'aurions pas à balayer ces millions de squelettes qui, depuis un temps infini, ont accumulé les produits de leur intelligence borgnesse, en s'en clamant les auteurs !

En Grèce, ai-je dit, vers et lyres, rythment l'Action. Après, musique et rimes sont jeux, délassements. L'étude de ce passé charme les curieux : plusieurs s'éjouissent à renouveler ces antiquités : -c'est pour eux. L'intelligence universelle a toujours jeté ses idées naturellement ; les hommes ramassaient une partie de ces fruits du cerveau ; on agissait par, on en écrivait des livres : telle allait la marche, l'homme ne se travaillant pas, n'étant pas encore éveillé, ou pas encore dans la plénitude du grand songe. Des fonctionnaires, des écrivains. Auteur, créateur, poète, cet homme n'a jamais existé !

La première étude de l'homme qui veut être poète est sa propre connaissance, entière. Il cherche son âme, il l'inspecte, il la tente, l'apprend. Dès qu'il la sait, il la doit cultiver : cela semble simple : en tout cerveau s'accomplit un développement naturel ; tant d'égoïstes se proclament auteurs ; il en est bien d'autres qui s'attribuent leur progrès intellectuel ! - Mais il s'agit de faire l'âme monstrueuse : à l'instar des comprachicos, quoi ! Imaginez un homme s'implantant et se cultivant des verrues sur le visage.

Je dis qu'il faut être voyant, se faire voyant.

Le poète se fait voyant par un long, immense et raisonné dérèglement de tous les sens. Toutes les formes d'amour, de souffrance, de folie ; il cherche lui-même, il épuise en lui tous les poisons, pour n'en garder que les quintessences. Ineffable torture où il a besoin de toute la foi, de toute la force surhumaine, où il devient entre tous le grand malade, le grand criminel, le grand maudit, - et le suprême Savant ! - Car il arrive à l'inconnu ! - Puisqu'il a cultivé son âme, déjà riche, plus qu'aucun ! Il arrive à l'inconnu ; et quand, affolé, il finirait par perdre l'intelligence de ses visions, il les a vues ! Qu'il crêve dans son bondissement par les choses inouïes et innommables : viendront d'autres horribles travailleurs; ils commenceront par les horizons où l'autre s'est affaissé!

- La suite à six minutes. -

Ici j'intercale un second psaume hors du texte : veuillez tendre une oreille complaisante, et tout le monde sera charmé. - J'ai l'archet en main, je commence :

MES PETITES AMOUREUSES

Voilà. Et remarquez bien que, si je ne craignais de vous faire débourser plus de 60 c. de port, -moi pauvre effaré qui, depuis sept mois, n'ai pas tenu un seul rond de bronze ! - je vous livrerais encore mes Amants de Paris, cent hexamètres, Monsieur, et ma Mort de Paris, deux cents hexamètres !

- Je reprends :

Donc le poète est vraiment voleur de feu.

Il est chargé de l'humanité, des animaux même ; il devra faire sentir, palper, écouter ses inventions. Si ce qu'il rapporte de là-bas a forme, il donne forme ; si c'est informe, il donne de l'informe. Trouver une langue ;

- Du reste, toute parole étant idée, le temps d'un langage universel viendra ! Il faut être académicien, plus mort qu'un fossile, - pour parfaire un dictionnaire, de quelque langue que ce soit. Des faibles se mettraient à penser sur la première lettre de l'alphabet, qui pourraient vite ruer dans la folie ! -

Cette langue sera de l'âme pour l'âme, résumant tout, parfums, sons, couleurs, de la pensée accrochant la pensée et tirant. Le poète définirait la quantité d'inconnu s'éveillant en son temps, dans l'âme universelle : il donnerait plus que la formule de sa pensée, que l'annotation de sa marche au Progrès ! Énormité devenant norme absorbée par tous, il serait vraiment un multiplicateur de progrès !

- Fin de l'extrait étudié -


- Suite de la lettre -

Cet avenir sera matérialiste, vous le voyez. -Toujours pleins du Nombre et de l'Harmonie, les poèmes seront faits pour rester. -Au fond, ce serait encore un peu la Poésie grecque.

L'art éternel aurait ses fonctions, comme les poètes sont citoyens. La poésie ne rythmera plus l'action ; elle sera en avant.

Ces poètes seront ! Quand sera brisé l'infini servage de la femme, quand elle vivra pour elle et par elle, l'homme -jusqu'ici abominable, - lui ayant donné son renvoi, elle sera poète, elle aussi ! La femme trouvera de l'inconnu ! Ses mondes d'idées différeront-ils des nôtres ? - Elle trouvera des choses étranges, insondables, repoussantes, délicieuses ; nous les prendrons, nous les comprendrons.

En attendant, demandons aux poètes du nouveau, - idées et formes. Tous les habiles croiraient bientôt avoir satisfait à cette demande : -ce n'est pas cela !

Les premiers romantiques ont été voyants sans trop bien s'en rendre compte: la culture de leurs âmes s'est commencée aux accidents: locomotives abandonnées, mais brûlantes, que prennent quelque temps les rails. -Lamartine est quelquefois voyant, mais étranglé par la forme vieille. - Hugo, trop cabochard, a bien du VU dans les derniers volumes : Les Misérables sont un vrai poème. J'ai Les Châtiments sous main : Stella donne à peu près la mesure de la vue de Hugo. Trop de Belmontet et de Lamennais, de Jehovahs et de colonnes, vieilles énormités crevées.

Musset est quatorze fois exécrable pour nous, générations douloureuses et prises de visions, - que sa paresse d'ange a insultées ! Ô ! les contes et les proverbes fadasses ! ô les Nuits ! ô Rolla ! ô Namouna ! ô la Coupe! tout est français, c'est-à-dire haïssable au suprême degré; français, pas parisien ! Encore une œuvre de cet odieux génie qui a inspiré Rabelais, Voltaire, Jean La Fontaine, commenté par M. Taine ! Printanier, l'esprit de Musset ! Charmant, son amour ! En voilà, de la peinture à l'émail, de la poésie solide ! On savourera longtemps la poésie française, mais en France. Tout garçon épicier est en mesure de débobiner une apostrophe Rollaque; tout séminariste emporte les cinq cents rimes dans le secret d'un carnet. A quinze ans, ces élans de passion mettent les jeunes en rut ; à seize ans, ils se contentent déjà de les réciter avec cœur; à dix-huit ans, à dix-sept même, tout collégien qui a le moyen fait le Rolla, écrit un Rolla ! Quelques-uns en meurent peut-être encore. Musset n'a rien su faire. Il y avait des visions derrière la gaze des rideaux : il a fermé les yeux. Français, panadis, traîné de l'estaminet au pupitre du collège, le beau mort est mort, et, désormais, ne nous donnons même plus la peine de le réveiller par nos abominations !

Les seconds romantiques sont très voyants : Théophile Gautier, Leconte de Lisle, Théodore de Banville. Mais inspecter l'invisible et entendre l'inouï étant autre chose que reprendre l'esprit des choses mortes, Baudelaire est le premier voyant, roi des poètes, un vrai Dieu. Encore a-t-il vécu dans un milieu trop artiste ; et la forme si vantée en lui est mesquine. Les inventions d'inconnu réclament des formes nouvelles.

Rompus aux formes vieilles : parmi les innocents, A. Renaud, - a fait son Rolla, - L. Grandet, - a fait son Rolla ; - les gaulois et les Musset, G. Lafenestre, Coran, C. L. Popelin, Soulary, L. Salles. Les écoliers, Marc, Aicard, Theuriet ; les morts et les imbéciles, Autran, Barbier, L. Pichat, Lemoyne, les Deschamps, les Des Essarts ; les journalistes, L. Cladel, Robert Luzarches, X. de Ricard ; les fantaisistes, C. Mendès ; les bohèmes ; les femmes ; les talents, Léon Dierx et Sully-Prudhomme, Coppée; -la nouvelle école, dite parnassienne, a deux voyants, Albert Mérat et Paul Verlaine, un vrai poète. Voilà. Ainsi je travaille à me rendre voyant. Et finissons par un chant pieux.

ACCROUPISSEMENTS

Vous seriez exécrable de ne pas répondre : vite, car dans huit jours je serai à Paris, peut-être.

Au revoir.
A. RIMBAUD.
よろしくマイマザー

よろしくマイマザー

劇団晴天

吉祥寺シアター(東京都)

2018/09/07 (金) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★

 設定ミス。

ネタバレBOX

 序盤、余りにリアリティーが無いことに白けてしまう。これは、物語が起こる場所の設定が雀荘ということに起因する。描かれるのがホールドラマなのに、それが進行するのが雀荘という点にリアリティーの欠如が出来する必然性があるのである。
 これは違法ではあるものの、掛けずに麻雀をすることは通常あり合えない。まして雀荘であれば、場所を使用するだけで支払いが発生するし、その上メンバーで決めたレートで金銭の授受がある。負ければ痛い目をするのである。だから遊びではあっても皆それぞれそれなりに真剣である。まして雀荘の常連が多数登場するということになれば、口三味で上手いことカモを引っ掻けてグルになって、積み込みや牌の融通などのイカサマを用いてカモから巻き上げるのは常識だ。だからこんなホームドラマの展開する場所としては不適切そのものなのである。それがあってということもあるだろう。つまり実際、それなりに真剣な勝負をしている以上、会話は口三味であり、利害の絡んだひっかけ、腹と手の探り合いであるからホームドラマどころかかなりダーティーでグレイなゾーンなのである。傑作映画「麻雀放浪記」などでも決してこんなチャラけた場面は入れない。寧ろ喧嘩になれば、プロボクサーとの喧嘩、ヤッパも飛び出す、ヤクザも出てくるという世界なのである。
 結論から言って、完全に設定の失敗である。一方、物語は斑認知を発症した母に振り回される家族と店の常連の心の交友、認知症を発症した家族の面倒を見続けることの苦脳と大変さを通じて、現れる各々の本音、個々の人間のあからさまに近い姿を描くことにあるのだから、要諦は店を支える家族とそこに集う常連たちが自然に見える場所を考えればそれで済むハナシだ。例えば民宿の食堂などでも良かろう。舞台をつくる場合、物語の展開が何処で進行するのかを上手に決められればそれだけでかなり作品の筋道が見えてくる。それほどに重要な要素だということを深く認識すべきである。設定に無理があるから、何ら必然性のないおチャラケが必要になり、芝居そのものが中心性を欠くばらけたものになってしまうのである。結果この設定ミスと序盤の集約点の欠如が、中盤折角極めて良い話を展開しているのにも関わらず、最終部に結実してゆかないのだ。中盤のシナリオだけ取り出してみれば、極めて優れた科白もあるだけに残念である。
 一方、舞台美術は、合理的で効果的である。役者陣の演技も悪くない。今後ここで指摘した点にも気をつけて作品を創作して行って頂きたい。
変奏・バベットの晩餐会

変奏・バベットの晩餐会

かもねぎショット

ザ・スズナリ(東京都)

2018/09/06 (木) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★

 上手、下手奥側面に階段が設えられている他は基本的にフラット。必要に応じて、ベンチ、テーブル、机、箱馬などが出演者によってセットされる。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 一応19世紀中ごろの北欧の架空の町が舞台となっているが、通貨がクローネであるからデンマーク、ノルウェイなどかつてバイキングとして覇を競った国々をイメージしながら拝見した。時代的にはナポレオン3世辺りか、フランス革命以降の動乱を経験している話が出てくるので、自分はそう考えた。バベットは、このジェズィット派流の極めてストイックな宗教的権威に支配される町の司祭の家に亡命して来たフランス人女性だが、彼女の自由な振る舞いが如何にもフランス人らしいのに比して、この町出身ではあるが、ロンドンやパリでよそ者として暮らすオリーヴィアの人工的な自由発現とは異なる点、またオリーヴィアのそのぎこちなくわざとらしい自由表現が、町を引っ掻き回す狂言役を担って、バベットの自由と対比されると共に、この町の地域住民との関係で自然な振る舞いをするバベットの方が、この町出身で異質性を自ら演じているオリーヴィアより親しく受け入れられていることが興味深い。この違いが、バベットがパリで多くの家に石油を撒いて放火したという噂が町中に知れ渡っているにも拘わらすなのであるから、猶更である。
 一方、演出で少し気になった点を上げておくと、オープニングで役者が登場する際、暗転から明転に至るのではなく、登場人物の8割程度が舞台上に現れる時、やや昏いものの観客に動きがハッキリ分かる状態で登場するので、下手、上手に整列する動きが丸見え。実際に演技が開始される整列直後の、バベット以外は恰もゼンマイ仕掛けの人形の歩みのようなすり足、小刻みな歩行とバベットのダンスのような自由な動きの対比が減殺されていること。
 物語自体は極めて面白く、ユーモアに富み衣装もフランス映画の傑作「天井桟敷の人々」でジャン・ルイ・バローが纏っていたような白いパンタロンに襟に特徴のあるもの、バベットは、若干異なり上着は白衣風。何れにせよ基本は白なので宗教的な清廉を表している点でも評価できる。タイトルの晩餐会は、無論「最後の晩餐」を意識していることが明らかである。というのも今は亡き先代の司祭が水上を歩いて渡った話が出て来たりするから、これはキリストがガリラヤ湖の水面上を歩いた話と呼応しているのが明らかだからだ。ラストの見事なパフォーマンスもこれらキリスト教の奇蹟譚と呼応しているのは明らかだ。
 ところで、今作5評価に出来なかった理由が、オープニングの問題と影の主役とも言えるオリーヴィア役の女優が、芝居をナメテイルンジャないかと思えるほど噛んだこと。また、自分の席ではないが、指定席なのにWブッキングしているなど制作何やってんだ! と思う点があったことによる。演劇は裏方を含めた総ての関係者によって作り出される総合芸術である。無論、その中に観客も含まれる訳だが、Wブッキングの憂き目に遭った観客の態度は紳士的であったから合格。以上挙げた点に今後留意して舞台を作って頂きたい。演劇大好き人間からのお願いである。こういった点にも注意を払えないようでは、一所懸命舞台づくりをしている役者、他のスタッフが気の毒である。
OPTIMISM

OPTIMISM

アブラクサス

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2018/09/05 (水) ~ 2018/09/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 ヘレンとサリヴァンの息詰まる攻防とその後の師弟愛を表した演技は無論のこと、脇もしっかり固めて、良い舞台に仕上がっている。

ネタバレBOX

 アメリカ南部の有色人種差別に重なる障碍者差別、女性を労わると見せかけながら、その実自主性を奪い隷属させようとするジェンダー的差別、それらを越えて懸命に生きるヘレンの凄まじいまでの生き方が、観る者の魂を心底から揺り動かす。
 無論、今作の脚本は、それだけに留まらぬ深みを具えている。ヘレンの兄、シンプソンの抱えるトラウマや、父アーサーの死因、また肌が白い為一見白人に見えるピーターに黒人の血が混じっていたことが分かると、若い頃にはKKK(Ku Klux Klan)の真似事なんぞをやってチンピラ風だったシンプソンの差別意識が、かなり克服されたかに見えたのも束の間、傲然と頭を擡げ一方的に暴力を揮うシーンなどに差別の構造が端的に描かれているのだ。ここでいう差別とは、差別する側が必然的に被差別者を恐れるという深層心理構造を抱え込むことであり、掛かるが故に過剰防衛、過剰な差別が固定化されるという差別の持つ構造性である。
 サリヴァン着任当初ヘレンの鋭敏で的確な感性と明晰な頭脳は、そして誰かの役に立ちたいという社会奉仕の精神は、三重苦という障害の為に多くの人々の観察眼にバイアスを掛けさせ、彼女の真の能力とポテンシャルの高さを見出す者はごく一部の者のみであった。その後もヘレンの努力は、まさしく血のにじむようなものであったが、その真の成果を正当に評価できる者が、多かった訳では決してない。
 この点にこそタイトル「OPTIMISM」に込められた意味があるだろう。ヘレンは己の可能性を信じることができ、その信念を実践する事に可能性を見ることが出来た。何故ならサリヴァンが当に己の能力と可能性を映す鏡として現存した訳だし、彼女との人間的紐帯を通して「人類」と繋がる夢を持つことができたからである。彼女が齢7歳にして最大最良の理解者であり、師であるアン・サリヴァンに出会ったことの意味深さをも感じる。更に、サリヴァンの身体が老いと病に蝕まれつつあった時期には、不思議な縁でヘレンの人生の節々に登場しており、彼女の内奥の声を表出したが故に、既に著名であったにも拘わらず出版を拒否された著作を唯一支持、本という形にして出版に漕ぎ着けたピーターの彼女に対する真摯な尊敬と愛に出会えたことが、ヘレンに齎したものが如何に大きかったかも汲み取ることができる。後半、この辺りの事情が、彼女の自伝的書物を出版した肌の白い黒人(白人との恋を禁じられていた)ピーターと恋愛を法によって禁じられていた障碍者ヘレンとの恋として描かれるのだが、この恋の美しいこと。因みにピーターの両親は白人のリンチで殺されているが、何故彼の肌が白いかといえば、祖母が白人にレイプされ産んだ彼の母の肌色が白色の肌の遺伝子を継承し彼もそれを継承したからである。黒人に対するリンチが如何に酷いものであったかは様々な文献に残っているし、小説の描写などからも知ることができるから興味のある方は調べてみると良い。
 一方、社会の偏見は易々と消えるものではないから、ヘレンが絶望に突き落とされることもあった。三重苦である己が生きてゆく為にはサリヴァンら周りの人々に過重な負担を強い、遂には死に至らしめると認識して己を余計者と断じ、幽界との境を彷徨するような辛酸も舐めたであろう。だからこそ、逆説的ではあるが彼女は己が人間である為に、他者との信頼関係を保つ唯一の便として希望を捨てなかったのであり、それを保つためにOPTIMISMを必要としたのだ。それ故にこそ、大文字表記なのであろう。
 また社会主義的と看做されたことが原因で金欠に陥ったとこともあってボードビルショーに出演することになったケラーが、観客の出す質問に答える演目の場面も上演されるのだが、今作で描かれている通り、彼女のウィットに富み且つ本質的な答えが満場を沸かせたことは間違いなかろう。
ピーターを演じた神山 武士氏の瑞々しい演技、若い頃の不如意を抱えたシンプソンから大人になって南部の紳士らしさを具えた人格を表現した高橋 壮志氏の演技も気に入った。
At sea ~生きることのゆらぎ~

At sea ~生きることのゆらぎ~

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2018/08/30 (木) ~ 2018/09/01 (土)公演終了

 イスラエル大使館が推奨している! ケッ 

ネタバレBOX

 2006年に他界した「イスラエル」の作家イズハルの作品2作の舞台化である。タイトルの「At Sea」のSeaとは、キリストが水上を歩いたとされるガリラヤ湖のことであり、描かれるのは14歳の男女の淡い恋物語。当パンでは、1作目のタイトルが「ガリラヤ湖のほとりにて」と題され、この日は字幕なしヘブライ語での上演であった。
 2本目は溺れる男の話、当パンでのタイトルは「地中海の波間にて」。主役の男を演じたのは女優であった。科白は英語。1作目より2作目の上演の方が観客には受け入れられたようである。日本人でヘブライ語を理解する者は極めて少数ということもあるであろうし、物語の内容もこちらの方がより複雑だったということもあるだろう。それに、英語を理解する日本人ならザラに居るということも大きかろう。
 とはいえ、役者陣の身体の用い方や、役作りをする際のマニピユレイトの手法には、占領の反映が見事に見られる。人間を“物”として観ているのである。原作は読んでいないので分からないが、演出家の大切にしているのは自由ということだそうであるし、2作の演出に際しても役者達の自主性にかなり任せたようなので、却ってイスラエルのシオニストがパレスチナ人に対して行っているジェノサイドをあからさまに反映したのだろう。演劇の切れとしては、中々優れた要素を多く持ち、尖鋭的な表現も多々あってパレスチナの現状を知らぬ者には、その「芸術的」手法の見事さだけが評価されるであろうが、イスラエルの占領下で原住者のパレスチナ人が日々罪も無く虐殺され続け、土地・財産を奪われ続け、逮捕・収監されるのみならず、拷問を受け続け、自由を剥奪され、収奪され続けていることを無視し続けているのであれば、そんな自由は糞喰らえ! である。
 創作した関係者総てが占領と向き合うのでない限り、評価の対象とはし得ないと考える。シオニストによってグロテスクそのものと化したイスラエルという「国家」を己の内面の問題として捉え、戦わないない限り、多少とも実情を知る者の批判は避けられないと知るべきである。
笑う茶化師と事情女子

笑う茶化師と事情女子

匿名劇壇

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/08/31 (金) ~ 2018/09/03 (月)公演終了

満足度★★★★

 かなり批評意識の高い作品。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 “茶化す”というアクションに救いを求める所、如何にも関西の劇団らしい。その本質は矢張り大阪か? 男女の機微も仕事上のあれこれも、基本的には、生命のプロトタイプである女性(♀)VS♂の関係で描かれている点でも、本質を生きる文化的伝統を持つ関西に相応しい。演出上、上手いと思ったのは、場転である。音楽に合わせて出場者が皆設えられた道具の周りを回りながら、前場で用いて次の場面では必要ない小道具などを片付けてゆき、次の場面の出場者だけが、最後に残って新たな場面を拵えてゆく手法がユニーク、リズミカルな音響も効果的だ。内容的には、かなりシリアスなものなのだが、茶化す精神によって自殺や自殺願望が緩和され、黒からグレイへの変質を遂げている点も笑いの効用を巧みに用いて見事である。

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