満足度★★★
推理の緊張とファンタジーのふわり
オリジナルの千枚絵札は奇跡を呼ぶ力を持つ。天才絵師一廓は、妻アネハと共に国命を受け、息子の風靡を人質に取られつつも制作に励む。然し、如何に天才とはいえ、描かれた絵に奇跡を呼び起こす力など本当にあるのか?
推理すべき内容が随所に設けられ、飽きのこない展開になっている。一方、ファンタスティックなイメージを追及している分、深い所で腑に落ちるようなインパクトは、やはり弱い。
ネタバレBOX
実を言えば、アネハの故郷はこの不思議な力を持つ者が生まれる隠れ里であり、アネハこそが、命の力の継承者であった。彼女の力が封じ込まれ一廓の絵は奇跡を起こす力を持ったのだ。
この国の為政者は政を行うにあたって、民を操る為にその“霊力”を利用する為に、一廓夫妻を幽閉して千枚絵札を描かせ、人質として息子の風靡を監視下に置いたのだ。
だが、絵師は千枚絵が完成すると同時に、作品を持って姿を消し、妻はエネルギーを使い果たして息を引き取った。息子は真実を知らぬまま、監視下でその後の10年を過ごす。
そこへ一廓が一年程前に雪崩に巻き込まれて死んだ、とう噂が流れてきた。彼の死を確認した者もあるという。然し、死体は確認されていなかった。一廓は本当に死んだのか? 更に一廓と共に消えた千枚絵のオリジナルは何処でどうなったのか? 絵の霊力を用いて権力を維持しようとする者、事情を知らぬまま父を恨み母を恋う風靡、力が悪用されることを懸念して災いの根を断とうとする隠れ里の人々。1年前ではなく、3ヶ月前に一廓に会ったと言って訪ねて来た少女、ひなげし。彼女が会ったのは、一廓本人か、それとも天才絵師を名乗るだけの騙り者か? 終盤、これらの謎が、次々に解き明かされてゆく。人々の繋がりの謎も、王国のこれからも。
満足度★★★
踊念仏の本質
哲学としての宗教に或いは人間観に立った踊念仏を用いて衆生救済を目指した一遍は、900年ほど前に生きた人である。承久の変で兄弟の血で血を洗う戦の当事者であった一族の一方の当主であった武士の家に生まれ、幼年時代は、武士の子として育った一遍は、叔父に一敗を喫した父の配慮で、兄の訴追を逃れる為、仏門に入れられた。父も仏門に入ったことがあり、兄弟弟子に当たる尼僧の下に観を寄せることになったのである。
ネタバレBOX
自由奔放、而も心優しく明晰な一遍は、古法に則り、新たな展開を認めようとせぬ勢力からは忌み嫌われることになる。偶々、仏門に入って間もなく、それ迄入門僧の間で幅を利かせていた兄弟達と喧嘩になり、罰を受けることになった。だが、兄弟、日光、月光の母は病に伏せっているという。そして、罰を与えられたのは当初彼らだけであった。一遍は、彼らの罪は、自分も同じ、罰するなら自分も同じように、と主張する。この主張が認められて、双方ともが罰を受けることになるが、一遍は兄弟に、謹慎中の身ではあるが、母が病であれば、会いに行け、と詰め寄り、出掛けてゆくこととなった。結果、尼僧の慮りで、わざと閉門していなかった裏門から一同は、まんまと抜け出し、兄弟の母のもとへ向かった。今日だとの面会を果たした後、母は亡くなるが兄弟も面目を施したのである。
帰って来た彼らは、然し規則を破って、謹慎中の身でありながら、更なる規則破りをしたので、罰されねばならぬ。然し、尼僧は、彼らのかばい合う姿を見て、温情ある裁定を下す。一遍には、当時、諸外国からの情報も入る太宰府へ赴き修行することを命じたのである。彼は、大宰府で修行の日々を過ごしていたが、父の訃報が届き、還俗することになった。叔父の娘、一と結婚し娘を設ける。然し、平穏な日々は短かった。家督相続を巡って兄と対立することになったのである。城は焼け落ち、叔父も兄も決戦の末、命を断った。再び、一遍は僧侶として生きることを選ぶ。妻、子も従うということになって下男として幼児からずっと付いてきたと共に、踊念仏を広めることになった。然し、この事態に業を煮やした勢力があった。彼らは一遍が仏法を愚弄し、幕府に抗っていると主張、一遍と仲間を捉えさせる。裁きの場で、実際の踊り念仏を将軍の前で舞った彼らは、無罪の判決を得るが、保守派の僧侶は更なる論争を挑み、結果、一遍に負けて命を落とすこととなった。
ところで、この作品、踊り念仏の一遍を描いている関係で踊り、つまりダンスが出てくるのは当然なのだが、その踊りの内容が余りにも陽性である。もっとタメを使うなりして、踊りその物の中にドラマを作り込んで良かろう。まして、一遍は、殆どの人が経験せずに済んだ地獄のような苦痛を味わってきた人物である。また、踊念仏は、踊る人自身が、踊りを通して納得する為の訓練プログラムであってみれば、この方が、踊念仏の本質を描くには相応しかろう。
満足度★★★
久々の円形劇場
春一に限らず、素直に物を見また判断して、自分の人生に活かすことは難しい。常に難易度の高い問題ばかりでは無いにせよ、勇気や訓練も必要だ。 春一を実体とシャドウに分けた発想は正解だ。友夏の反大人としてのキャラクターが、他の登場人物達を浮かび上がらせる構造になっていることも評価できる。
ネタバレBOX
円形の劇場という構造上全周に観客が居る。役者、演出の技量を験し、高める為には、良い構造だろう。
ダークな世界の表象として春一のキャラクターにかぶってくるのが、通り魔の佐川やヤクザ達だが、彼らへの対抗勢力として、牧田や桜田兄弟を配し、セクシャルマイノリティーというキャラクターを加えることなど人物創作にも気配りが見える。
満足度★★★
ねがわくは
現代のタウン誌編集部と幕末の函館を絡め、西行の名歌“ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃”を挿入してこの作品の厚みを増した。真琴役を演じた女優が、終始内股で歩いていた点も評価できる。また、個人的には、現代メディアの最大の悪弊である自己規制がちゃんと描かれていた点が気に入った。ホントの事を書くと発表させないメディアが多い、のは事実である。
ネタバレBOX
だが、物語の展開として、「呪い桜」と呼ばれる桜が、真琴の怨念の故に花を咲かせないということにリアリティーを与えるのは、難しい。その前に、真琴の恋した雪之承が幽霊になって現れているわけだから、ここで言うリアリティーは、合理性・非合理性の問題では無い。観客が納得できるような強い思念を生むだけの、真琴の境涯が描かれていないことが原因である。鶴屋南北の「東海道四谷怪談」は誰でも知っている作品だが、何故、四谷怪談がこれほどまでに人口に膾炙しているかと言えば、赤穂浪士の外伝という側面と、伊右衛門によって殺された岩の境涯が、余りにも悲惨で、化けてでも出なければその恨みは、果たせないということを、誰よりも観客が思うからであろう。無論、其処までキチンと書けば、それだけで脚本が一冊出来上がってしまう。
然し西行にも詠まれた桜であるらしいことを匂わせたのだから、その霊木の生命力を封じるだけの力を真琴の思念は持っていなければなるまい。この点で真琴の思念が深まる過程が脚本中に出ていないことが嘘臭さを観客に感じさせるのだ。演劇に限らず表現は総て、表現する者と受け手とが、通じ合った所に立ち現れる何かである。そして、そこで問題にされるリアリティーとは合理的な真実ばかりではない。寧ろ、そのように動かざるを得ない何らかの力の強度、誰しも認めざるを得ない強度を、或いは弱さを、体現する人物が舞台上に表現し、其の表現を観る者が納得できる時に成り立つのだ。
満足度★★★★
土佐の鰹漁師
海に生きる者たちの掟、その感覚が良く伝わってきた。評価は4にしたが、海での生活を知る者だけが読者であれば、5をつけてよい内容だ。ただ、一次産業に携わる人間が殆どいなくなった現在のこの国で、深読みできる者が減っているであろうと考えての評価4。
ネタバレBOX
カツオ釣り漁船での、こませの撒き方や要領、カツオが海面を目指して興奮状態で浮上してくる様子と疑似針での釣り方、男ばかりが、半年から10カ月もの間、狭く、落ちれば命の保証は無い、ストレスの多い空間に閉じ込められてする、キツイ仕事と人間関係を纏めてゆく漁労長の知恵と冷静、優れた人心掌握術も隋所に描かれ、説得力を持つと共に、現在の水産界の置かれた、魚資源そのものの枯渇問題まで織り込み、それゆえの男達の複雑な利害も射程に収めて、其々のキャラクターの立つ演技で表現して観せた。
役者陣の演技、演出、漁師達の大勢集まる飲み屋が2階にある、こじゃれて居るが故に人気の無いスナックに設定したことも、現在とこれからの漁業を見据えた新漁労長と伝説になった前漁労長の対比を暗示して絶妙。人間関係の絡み方も見事である。気配りが利き大団円では、新旧の行き違いもアウフヘーベンしてみせた自然な筋書きも良い。
満足度★★★★
二人芝居
登場人物の数からいうと、演ずるのが最も難しいと言われる二人芝居に、よい感じで立ち向かっていた。二人のうち、一人は、モデルを職業にしている。その為か、メイという女性型ヒューマノイドはやや中性的な感じが出ていて、それが、この作品にマッチしていた。
ジョージを演じていた男性が役者稼業である。中々、力のある役作りであった。緩急を上手くこなし、メイの居場所を創りだすだけの力を発揮している。
ネタバレBOX
設定は2058年。核戦争後、シェルターに避難しているジョージは、孤独と孤立に耐えかね、自らハンド・メイドと称される女性型ヒューマイドを制作、成長型のプログラムを組み込んで、その後1年をメイと名付けたヒューマノイドと暮らす。但し、成長型と言ってもメイの成長は身体的なものではない。身体的な変化はなく、知性や精神の成長である。そして、そのスピードは人間の約20倍だ。1年後にメイは既に大人の女性の精神性を具え、知性でもジョージを遥かに凌駕する。
遂に彼女は彼に質問する。なぜ、自分達しか居ないのか? 父や母、他の人たちは居ないのか? と。仮に人間は、ジョウ-ジだけで、あとは生殖機能を持たないメイしか存在していないのであれば、子孫を残すことができない。子孫を残すことのできない生き物に、生きる意味はあるのか? と。
無論、この議論を通じて「二人」の間にコンフリクトが生ずるのだが、思い掛けないラストが待ち受ける。それは観てのお楽しみだ。
満足度★★★★
腹の皮が捩れる
一回だけの公演というのは勿体ない!
ネタバレBOX
何ともヒトを食った始まり方だが、音と言葉の間を巧みに操り、登場人物各々が持った懐中電灯で己を照らしたり、誰かを集中的に照らしたり、と暗転中の舞台に意味と無意味を立ち上げたかのようだ。無明を身体化してみせたと言ったら褒めすぎだろうか? 何れにせよ、導入部のインパクトは、非常に効果的だ。
この後、関西弁、見事な英語、間の芸、幽霊の登場に因る滑稽場面などを鏤めながら中盤、終盤の始め辺りまで引っ張ってゆく力は圧倒的で、白鳥の湖、ボレロなどの名曲を使ったパフォーマンスは腹の皮がよじれそうなほど面白い。
更に主人公の高校時代、パシリで盗みを働かされて、饂飩好きの自分に出会い、その後、大ヒット商品を生み出して、日本はおろか海外に迄支店を出すほどに成功するが、この時のCMの様子なども見物である。その箍の外し方の上手さ、微妙に垢抜けない微笑ましさ、絶妙のバランスには、甚だ感心させられた。更には、まるで無関係なホットパンツ姿の男性の踊りが名曲と共に紛れ込む。
無論、意味など無いのだ! おまけにタイトルに関しても悪戯が仕掛けてある。「マサ子の間男」がメインタイトルのはずなのだが、マサ子も登場しなければ、女性も一切登場しないのである。寧ろ、サブタイトルの“~ある小男の一生~”が、この作品の全体を通じて描かれているものなのだ。
惜しむらくは、この作品が最後迄、抱腹絶倒の喜劇として描かれなかった点だろう。サブタイトルの流れに落とし込んでしまった。最後迄、喜劇のバージョンを是非作って欲しい。これだけの力があれば、それも充分可能であろう。今回は最後まで喜劇でなかったので星4つにした。次回作に期待している。
満足度★★
無題
基本的に聴聞僧と女二人の思い出話。
ネタバレBOX
聴聞僧は二人の女の内の一人をストーキングしており、彼女は幼馴染でもある彼を無碍に扱う訳にもゆかず、レズであることを隠したまま、彼の追求を免れる為に、風来坊ということにしている。だが、恋は否定されれば燃え上がるのが常、御多聞にもれず彼の恋も炎上するが、携帯も着信を拒否されてしまう。おまけに彼女は、海外へ旅立ってしまった。
もう一方の女は、彼を恋しており、終には彼を伴侶とするが、海外へ出た彼女は、大地震と津波の被害に遭った模様で連絡がつかない。
キリスト教の教会で演じられたのだが、脚本、演出、演技、舞台美術、小道具など、どれも配慮と力が足りない。幼稚園を経営している教会ということからか、演技にも演出にも必要の無い子供向けの本やたくさんの風船などが、舞台空間にそのまま放置されているのは、問題だろう。こういうものが、演出の邪魔になるのであれば、シーツなどで覆えば済む話だ。演劇をやるならば、そういったことにも気をつけて欲しい。
受付でチケットを宛名を手書きした封筒に用意してくれたり、善意はとてもよくわかるし有り難いのだが、芝居は、善意だけで出来上がるものではない。寧ろ、人々の心理や考えが、どう動作や身体に現れるかを冷徹に観察した上で、善意も含めて人間とは何か? を追求するものだろう。人間総体を見るような眼を養って欲しい。
満足度★★★★★
必見の舞台
いつ観ても質の高い、社会性の強い作品を観せてくれる燐光群だが、長い間あたためていたこともあって、この作品は抜群。必見の舞台だ。
ネタバレBOX
オーストラリアに実在した捕虜収容所で暴動が起きた。以下後送
ハットと呼ばれた捕虜収容用建物と同じサイズで作られた舞台は、完全では無い。実寸取りしているので、劇場のサイズが間に合わないのだ。そこで、シナリオを工夫し、収容者達の定員オーバーに起因する問題の結果、火鉢に収容者用の寝具が掛かって、半分は燃えたという設定にしてある。但し、詰め込まれた人間の窮屈な状態を視覚化する為には、矢張り実寸を選んだのは正解だと言えよう。
ここに、卒制で映画を作る女子学生達が、やってくる。彼女たちのアプローチはユニークだ。先ず、誰がどんな役割をこなすのか最終的に決まっていない。そこで当然、宙ぶらりんの彼女たちは、迷い、自ずと様々な可能性を自ら考えるのだ。そのような過程を経て漸く決定した役割分担の後、指導教授は、各々の学生が、カウラに収容されていた、其々の兵士に自らを仮託し、各々の兵士の日常を想像力を用いて具体的に再構成することを求める。
登場人物は、この女学生らと教授連、それに、1945年8月5日、オーストラリア、カウラの捕虜収容所で実際に起きた史上最大規模の捕虜反乱事件に参加した兵士達である。双方が、女学生たちの映画製作過程に於いて、その日常をどのように過ごし、何故、多くの犠牲者が出ることを知りながら無謀な行動を起こしたのかを事件として知られる史実以外の部分で肉付けし観客の前に提示して見せた。
この作品で描かれたのは、日本の特質である。つまり、2013年3月時点にこの国で実際に起きていることと、1945年8月5日に至る僅かな間にオーストラリア、カウラのハット内で起こった日本人グループの捕虜収容所脱出事件とを巧みに交差させることで見えてくるこの国とこの国の民の意識に関する詳細な演劇レポートなのである。
ちょっと振り返ってみれば、直ぐ気付くことであるが、日本は、私小説の伝統を含め、身の回りの細々とした生活や其処に生起する出来事を作家の個人的な資質というフィルターを通したということで特殊化し、どちらかと言えば家の内側、塀の内側の美意識、愛憎を職人芸の粋を尽くして描くことには長けるが、時代の中でヒトがどう生き、何をどのように選択し、その結果どのような責任を負うことになるか? それが社会の一員としてどのような意義を持ち、意見の異なる他者や他の社会集団とどのような関係を取り結ぶかについての展望も、見通しの不可欠なことや生き抜く為の技術も弱いように思われる。
その点、坂手 洋二の作品は、常に時代、社会とのコンフリクトの中で生まれ、作品自体が、各々の事象を描くに必要とされる形式を求めて生々流転しているように見える。坂手自身、自分が遅筆であることを表明しているが、その理由はこういう所にあるだろう。同時に彼の作品はどれを取っても、その質に於いて高いのもこういった理由に因るのだと思い至る。
作品のまとめ
さて、「カウラの班長会議」は、実際に起こった暴動事件を扱い乍ら、現代日本の抱える基本的な日本人の在り様を抉り出した作品である。中国、北朝鮮、韓国の脅威を煽りたてるマスコミと付和雷同して追随する日本国民、福島第一原発人災事故を既に終わったこととして忘れ去ろうとしている大手マスコミと報道されないのをいいことに、真相を追求しようともしない日本人。更に隠蔽と嘘によって、事実、真実を覆い隠しとおせると勘違いしている無能な政治屋、官僚、司法、マスメディア、御用学者等々。こ奴らの齎す結果に気付いていながら、波風の立つことを嫌い、事実に覆いを掛けて素知らぬ振りを決め込む日本人。どんなことをしても、また、誰が、責任ある地位に就いても変わらないと諦め、愚にもつかぬ弁明をダラダラ垂れ流す、諦めの良い見栄坊の日本人。このような日本人の変わらない在り様を、海外に生きた日本人グループを通して抉った。見事な作品である。
満足度★★★★
“誰そ彼”の笑顔
流石に良くできたシナリオだ。だるま座の質の高さは今日も健在!
ネタバレBOX
ヒューマノイド研究が秘密裏に行われている孤島。現在、上層部から与えられているミッションは、限りなく人間に近いヒューマノイドの作成だ。そこで、研究チームは試作機AMを完成するが、ソフトの調整不足から暴走したAMは、マザーコンピューターの攻撃を受け、2度目のラボ破戒を招いてしまった。所長は、非常呼集を掛け、研究者及びAMを呼び出し、現在AMに装備されている、小火器、ミサイル、低周波音波砲、デビルイヤー、デビルアイ、超高速残像生成措置、飛行能力、水面歩行能力、超軽量・高強度の躯体等々の軍事的能力を廃し、人間に近いヒューマノイドに作り変えるよう命ずる。
満足度★★★★★
初サスペンス
どういう場を設定するか? これが上手くゆけば、芝居は滞りなく運ぶ。それほど大切なことなのだ。今回劇団MONSOONが使った小屋は、小劇場楽園、客席は舞台に直交して2か所。小さな小屋でレイアウトもちょっと特殊。その小屋の特性を見事に活かし、密室のサスペンスを織り上げた。シナリオの緻密さ、役者陣の落ち着いた演技と適確な間、やや落とし気味の照明と全員黒で統一した衣装が、いやが上にも観客の集中力を舞台上に、その筋の展開に絞り込んでゆく。そのことを意識した演出である。無駄な物が何一つない舞台上には、想像力を刺激するアタッシュケースが一つ。これが、シナリオの展開のコアにもなれば、観客が、舞台上に馳せる想像力のコアにもなって重層的に作用しているのだ。
サスペンスなので、内容説明は避けるが、ラストも含みのある良い作品である。
満足度★
痴的
何事にも“ずれ”が生じてしまう主人公の話。ずれの原因も一応明かされるが、何ら演劇的説得力もなく、シナリオの内的関連も無い。ぐちゃぐちゃのシナリオでジャンキーの生態を描こうとか、ジャンキーの見た夢、という落ちがついているわけでもない。矢鱈にダンスパフォーマンスが入るが、シナリオとの連携を欠くが故に、何の説得力もなければ、感動もない。ないない尽くしの公演であった。
満足度★★★★
ファシズムの時代
芝居はベタだが、大切な事は全部入れ込んで尚且つダンスに移るタイミングやシナリオとの連携も自然である。また、川崎インキュベーター合同公演ということもあって、通常舞台上には余り登場しない、制作、演出家、シナリオライター、振付役なども、其々の関係を役者役と共にこなし自然に展開させていた。
ネタバレBOX
ブルーシートチルドレンとダンサー達が襤褸を纏って踊るシーンは美しい。但し、ダンサーならばタップはもう少し上手に踊って欲しい。感心できるレベルには至って居なかった。
時代はファシズムの方向へ完全に振れている。最後は救いがあるものの、その先に何があるかを描いて時代感覚も良い。骨太なシナリオの評価を高くし、評価は4.但し、演技は、まだまだ磨くべき点がある。
満足度★
学芸会
申し訳ないことに10分ほど遅刻をしてしまった。だが、シナリオ、演技、演出どれも悪い意味でTV的。つまりなっていない。
ネタバレBOX
中盤、核汚染の恐怖をにじませた点、きちんと舞台作品のレベルに持ってゆくのかと考えたが、TVで話題になったネタを下敷きにした駄洒落が多用される地の部分に時折間歇的に鏤められた”泣かせ”が、パッチワークのように展開する。但し、これも、何処かで既に聞いたような科白ばかりだ。
舞台美術ばかりが、金を掛けた豪勢なもので、まるで、其処で起こっていること総てを、嘲笑っているかのようなレベルであった。その意味では、自分達をパロディー化したのであろうか? それが意識的であったら、TV界への批評として面白くもあるが。
満足度★★
無聊をかこつ
この作品の創作コンセプトはオープンソースリアリティーということのようだ。会場で貰った説明では、“舞台芸術の身体性を舞台上のノイズという形で展示する”ということだ。確かに、我々がイメージする現代日本の若者たちの会話から、きっかけを通して物語の世界へ入ってゆくのだが、ここで言われている舞台芸術とは、生きながらの死のことなのか? と問い質したくなる内容であった。ノイズというほどイライラしない。
ネタバレBOX
劇中、至る所で、世界に対する不信感のようなものが、発散する。そのような半睡状態に近い感覚の中で、男と女、都市や地名を媒介にネットレベルのニュース、地図情報などを繋ぎ合わせてパッチワークを作ろうとしているのだが、いかんせん、情報の裏読みもなければ、鋭い情報リテラシーも感じない。平板でありきたり、おまけに情報に操られっぱなしがミエミエの、イマジネーションの欠如が心配だ。
ジョギングをするシーンで映し出された紛争地の映像の何を理解したつもりでいるのか? 所謂「テロとの戦争」を大義として攻撃を繰り返して来た、米、英、露、イスラエルなど大国の犠牲者に、無辜の子供、女性が如何に多く、一般市民が圧倒的に多く虐殺されている事実をどう捉えているのだろうか? 人の生き死にを単なる情報として扱い、そこに人々の日常生活があることも、親子、兄弟、親族、眷属、地域社会の助け合い、恋人たちの愛があることも一切捨象して、偶々豊かな時代に、この国で育って、操作された情報を簡単に入手しただけでの知ったかぶりは、グロテスクでさえある。
以上のような生き方しかしていないから、若いとはいえ既に大人になっているのに、世界を見る視座が浅いのだ。疑似恋愛やセックス場面も表現されるわけだが、描くべきは、自身の人生さえ無聊をかこつだけのものに貶められたことに対しての狼煙であろう。
満足度★★★★
作法
基本的な物語作法通りの作品。
ネタバレBOX
邪悪と義、究極の愛、永遠の命、権力・力と弱者、差別と被差別、など基本的構造にそれぞれの要素を絡み合わせて、余りにも単純化することを逃れ日本版ハリウッドとでも形容したい内容になってはいた。然し、独自の発想や視点が見られるわけではない。この点、作家は、知恵を絞って欲しい。
動き、や演出は悪くない。殊に、銀河連合の旗艦が、ザレムに襲われ、死体が山のようになっている所へ踏み込んだダストシューターズが、それらを吹き飛ばすシーンの演出、照明は良かった。アクションが多様され、多くの人が楽しめよう。
満足度★★★★★
質の高い舞台
演技、演出、脚本、舞台美術や音響、照明を含めて総てが、高いレベルだ。何を書いてもネタバレになりそうなので、あとはネタバレで。
ネタバレBOX
多重人格者の抱える深いトラウマを、町医者一家の日常に組み込む手際、発想の妙と主人格が、困難を克服して、明日を迎える方向を示唆して迎えるラストに畳み込み方、からくりを分からせるタイミングの良さ、肌理の細かい演技、演出、効果、舞台設定・美術などの完成度も高い。主人公夫妻の終盤の掛け合いは、心理学的ケアのレベルを超えて圧巻。
満足度★★★★
情報過多とアイデンティファイ
「真昼間の章」を観た。我々を取り巻く情報量は大変なものだ。目覚めていようがいまいが、寝る必要のある我々の生理に無関係に情報は我らに関与する。金融、デマ、政治、法、食糧、健康、医療、飲み水、仕事、生き方等々総てに亘って情報があり、多かれ少なかれ我らはそのネットワークの中で起き且つ眠るのである。情報がかように我らに影響を及ぼすにも拘わらず、我らの方では情報の全体像を掴むこともできなければ、真偽を確かめることさえできないのが、多くの人の持つ実感だろう。結果、人々は自己を守る唯一の方法として“知らんぷり”を決め込むのであるが、それは同時に、孤立をも意味する。その孤立が、社会性を失った時、孤は、孤のみを増殖する。他に方法は無い。そのように孤絶を強いられた孤のあがきを表象化して見せたことは大きい。
満足度★★★
評価
良い悪いというより生理的に受け付けるかどうか分かれる作品かも知れない。話としては、グロテスクだと感じた。
ネタバレBOX
母の死の弔いに三姉妹、長女の元彼などが集まるが、末娘をレイプした父も参列していた。姉二人は、父と母が8年も付き合っていたことも知らなければ、妹が父にレイプされたことも知らないが、父は、マゾヒズムを売りにする会社の経営者であり、母もマゾヒスト、長女もマゾ、二女もDVに耐え、楽しんでいるマゾヒストである。長女の元彼はサディストであるが、一応、長女との間のSMでは愛が主題になっている。長女の癖は首を絞められることを喜ぶことと言った内容の中で、件の会社のスタッフが、元彼に殺され、それを長女が庇いだてすると、死体処分に300万掛かるから、それをSMモデルをすることで支払え、と父に強要され、二人とも豚として生きることを余儀なくされる。が、電気ショックなどを加えられ、困憊気味の姉に代わり二女をモデルにしようと画策した父により、妹夫婦が、新たな餌食になる、といった具合だ。更に、元彼はお笑い芸人を目指していた過去を持つが、その相方は、末娘とセックスフレンド関係にあり、この関係も父にレイプされた妹のトラウマ絡みで異様なものである。近親相姦とSM、近い者同士の人倫を根こぎにする肉体関係と凶悪犯罪などを妙にベタに描いているので、自分には、グロテスクに見えた。
音響の使い方も、もっと抑えた方が、自分には好みである。ディスコ並みの音量を出して、音を歪ませる効果を狙っているのかも知れないが、自分は、ただシラケタだけであった。
満足度★★★★
芸能というもの
肌理の細かいジョークで異世界に引きずり込み、妖怪が跋扈する不可思議な世界を自然に楽しむことができた。妖怪の大立者、九尾の狐・尾裂狐役の存在感も中々のもの。所謂、冒険譚の基本を忠実に守りながら、詰めを怠らず緊迫感のある科白で責めた点でも、芸能の奥深さを感じさせた。