ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ここまでがユートピア×トラックメロウ

ここまでがユートピア×トラックメロウ

劇団あおきりみかん×オイスターズ

座・高円寺1(東京都)

2012/08/02 (木) ~ 2012/08/06 (月)公演終了

満足度★★★★

あおきりみかん
 自分が見たのは、こちらである。劇中でも説明されることだが、ユートピアは、決して単なる理想郷などではない。むしろ、現実の世界を効果的に批判するために作られた架空の国である。だからと言ってそれが、本当に理想的であるとは限らない。「ユートピア」という作品を書いたトマス・モア自身がかなり管理社会的な描き方をしているのは、現実社会に対するアイロニーもあろうが、更に複雑な理由が隠されているのではないか? 
 今回、あおきりみかんの描きだすユートピアは、かなり後者に近い。いつも通り、いくつもの仕掛けと様々な人間関係を巧みに拵えられたシチュエイションに仕込み、システマエィックな国家の規則に従いながらも、尚、人々は自分の個人史を、独立国家の決まりとして表明せざるを得ない。その背景にある現実が、半径75cmの独立国家群の争闘の中に表れる。ある国家が、他の国家のテリトリーに入ると、国家、即ちヒトは、他の国家、ヒトを排除するのか、共生するのか。或いは? 

【シアターグリーン学生芸術祭vol.6】に捧げる演劇儀式 (ご来場ありがとうございました!!!!!)

【シアターグリーン学生芸術祭vol.6】に捧げる演劇儀式 (ご来場ありがとうございました!!!!!)

宗教劇団ピャー! !

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2012/07/27 (金) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★

若者の悩み
 若者とは即ち老人
 絶対音感で作ってゆくクラシックの作曲にした所で、その原点を、モーツアルトが定めたわけではない。リルケの詩を若い頃に読んで、自分と同じことを考えている人がいたことに安心した経緯がある。精神世界の末端に位置する者にとって、その位置は、当に老人のそれである。結果、自ら単語の一つすら発明せず、新たな規則、規制や法則に則って生起する世界の秩序を証明したわけでもない。そんな知性が、身の回りの習慣やセオリーにがんじがらめになるのは、必然である。閉鎖系にあることでは、ちょうど、今の日本の閉塞状況のようだ。
 一方、若さの持つエネルギーポテンシャルの高さと、彼らの社会的位置が、本来ならば、爆発力で情況に対峙し変容を迫ったはずだが、現下の日本ではそれも望めまい。寧ろ、このような閉塞的情況が、彼らの辺縁系での存在、そして、そのレゾンデートルを規定している。表現者太郎とする彼らは、それ故に、我々の存在の根源に、食、性、眠りを通じて迫ろうとしたのだ。つまり辺縁系からカオスの中へ入り込もうと欲したのである。結果、彼らの体験するカオス的状況内で、辛うじて、詩的な言語を紡ぎだそうとすることにより、また、その尖鋭な感覚によって、境界領域を時々は、掬いあげることに成功している。無論、所謂、演劇論や学校で教えられる行儀のよいノウハウに立てば、いくらでも突っ込みどころはある。然し、演者、スタッフなどの関係者が求めたのは其処ではあるまい。何より、何が、自分達の周りで起こっており、それが、自分達のムーブメントに如何に作用し、自分達はいかなるアクションを起こして対応すれば正しいのかが、分からない。その分からなさ、その展望の無さに対して、いかなるアプローチが可能なのか分からない。それで、信じてもいない儀式というホルダーに自分達を投げ込んで見た、ということではないか? そして、必然的に瓦解した。この点は分かっていたはずであるにも拘らず、諸般の事情を理由に突っ走って、臍が見えてしまった。その責任を誰が取るのか? といった既定の価値観でしか自分達を縛ることができなかった点に、現在の彼らの位置があり、その限界もあるのだ。だが、我ら生き物は、そのようにして、我らの存在領域を広げて来た。実際には、他の多くの生き物との共生を実現することによって。情況に対する適応力を増して来たのだ。正解など無いかも知れぬ。そのような解は在り得る。だが、それが分かれば、他を試せばよいのだ
一つだけ具体例を挙げておこう。現在、ヒトに対応できないことが明らかな事実は、核の塵である。百万年から数百億年という長期にわたれば話は別だが。というような問題を客体化し得た時、ヒトは、自由を得る。その時初めて、ヒトは、ヒトの歴史に新たな1ページを付け加える可能性を持つのである。我々に関わる問題としての核については、以上の説明で明らかなように、合理的な解決が不可能と分かった時点で、その技術は捨て去るのが正しい。といった具合だ。

「物」

「物」

日本のプロレス

APOCシアター(東京都)

2012/07/28 (土) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★

辺縁系のネガ
 objetをobjetとして扱うには、無論、物理的に扱うのが、一番分かり易かろう。だが、あるポテンシャルを越えればobjetは相転移を起こすのが普通である。そこには、カオス、安定した秩序・結晶層、その間の辺縁系とでも呼ぶべき層が存在し、各層ごとの素粒子の振る舞いは変化している。我ら生き物がどの層に属するか、と言えば、辺縁の層である。ここでしか、新陳代謝を含む流動性と組織化が同時に存在しえないからである。物理的な客観ではそうなのだが、生き物が神経や脳を持ち、心を持つようになったら、物理化学特性と、所謂精神の働きは矛盾なく、同時に存在しうるのだろうか? 2つの劇団が、中身を入れ替えたオムニバス形式で演じた「物」。先ずは「中間子論」。
物体相互間に働く物理的な力の影響下、心はどのように振る舞うか? である。他方、海の音にもまがう心音を聞くのが、大好きなホモセクシュアルな主人公は、愛する者皆を殺してしまうが、遺体になった愛人を物としても愛したと言う。実話をもとにしているだけに不気味さを覚える。2編とも、結果的には、物それ自体というよりは、物とそれにまつわる精神の狂い、或いは、アンビヴァレンツを描いていたように思う。

新宿・夏の渦

新宿・夏の渦

ピープルシアター

サンモールスタジオ(東京都)

2012/07/25 (水) ~ 2012/07/31 (火)公演終了

満足度★★★★

新宿
 若い頃、新宿で毎日を過ごしていた自分には、マイノリティーの被差別状態を描いたこの作品を通して見えてくるのは、新宿という名の街。否、都会そのものである。いわば都会の腸と言ったらよいか。
 この劇団の社会性が、ちょっと変わった形で現れた舞台と言えよう。いわば、身体化した街という形だ。
 良く、幕が上がったら、そこからは、役者と言う。実際、ミロ役は素晴らしい演技だった。歌舞伎の女形の名優にインタビューアーが、「どうやって女性を演じるのですか」という質問をした話を読んだことがある。問われた役者の答えは、「男を殺すんです」というようなものであった。最近では、男性の中にも女性的なものがあり、女性の中にも男性的なものがある、ということが、諸学問の間でも認められるようになってきたが、俳優というものは、このような離れ業ができるものなのである。実際、自分の目の前で、男性が、なまめかしい女性性を獲得していた。
 ピープルシアターに出演する役者は、実力のある者が多い。身体能力の高さも抜群である。女性用の服装、靴のままで、カンフーのような動きをこなす。”おかま達”の置かれた微妙な社会的位置を後ろ姿で演じて見せる。
 都市の都市たる所以は、狭い所に多種多様な個性が犇めき合うこと。当然、その人間関係は、非常にセンシブルである。その辺りの呼吸も役者達は、登場人物のキャラクターを活かしながら演じている。
 更に、仕掛けがある。舞台と現実が、繋がって仕舞いそうな、新宿の新宿らしさとでも言って良いかも知れぬ演出が施されているのだ。実は、この公演に登場しているのは、役者だけでは無い。本当に新宿のその世界で生き、働いている方々も出演しているのである。観客は、演技者と本物を見分けられるか否か、狭く多様な演劇空間と現実の狭間を自分自身で見極めることすら、求められていると言えよう。

スペーストラベラー ~LOVE is in the Mother Ship!~

スペーストラベラー ~LOVE is in the Mother Ship!~

スーパーグラップラー

あうるすぽっと(東京都)

2012/07/25 (水) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

仕掛けが良い
 最早、地球には住めなくなったヒトは地球タイプの惑星を求めて宇宙の旅に出る。これは、初の移民船の物語だ。ブラックホールの向こう側には、ホワイトホールがあるということが、最近、科学雑誌の誌面を賑わすが、そういう知識も取り入れながら、物語は進む。指揮統括は、当然、コンピュータである。「2001年宇宙の旅」ではハルがその役を務めたのだが、この宇宙船のコンピュータはマザーマリア。出発当初は、総てが上手く回っていたが、総てのことがそんなに順調にゆくはずもない。
 目的の惑星までの所要時間は、10か月と10日。この日数から誰でも想像するのは、ヒトの妊娠期間である。無論、この推論は正しい。複雑系を持ちだすならば、ヒトに限らず、生命の振る舞いと物の振る舞いは、非常に近い関係にあることが、分かってきている。結晶を作るような振る舞いは、素粒子が、原子や陽子、中性子などを形成し、更に生物の基になるアミノ酸や、炭素などの分子、或いはその構造体を作るような振る舞いに似ているし、条件次第では、結晶は崩れて構造体ができたとしてもすぐに壊れてバラバラになり、一定の構造を有することができないカオスの振る舞いをする。生命体は、このカオスと結晶との間の領域、殊に、カオス辺縁部での自己増殖や安定構造を持ちつつ同時に遷移する相互連鎖系を持つことによってカオスと結晶構造の間でバランスを保つのである。このことは、コンピュータサイエンスにおける普遍的プログラムの諸様態にも対応する。
 さて、この物語解釈のヒントは与えた。みなさんは、どう解釈するだろうか?

さんさんロード

さんさんロード

劇団C2

萬劇場(東京都)

2012/07/25 (水) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★

わざとらしさ
 作り過ぎてわざとらしさばかりが目立った。その為、総てが表面的になって仕舞っている。また、細部のリアリティーを疎かにしているので、佳境に入った場面でも、観客は白けてイマジネイションに没入できない。折角、大道具はこれだけ立派な物を設えているのに、それが活かされなかった。観客は役者の身体から滲み出すものをこそ、大切にするという事も考えて欲しい。

病んだらおいで

病んだらおいで

ソラトビヨリst.

新宿シアターモリエール(東京都)

2012/07/26 (木) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★

精神の病
 元スナックのステージ、カラオケ、カウンターなどをそのまま利用した精神科のクリニック。ここでは、精神科医が患者に当て書きをして、演劇を用いた療法を行っている。役を演ずることで、精神を解放させようとの目論見なのだが。コメディという触れ込みの割には、ギャグの切れがイマイチ。楽屋落ちも多いのではあるまいか。後半はコメディというよりメロドラマになってしまった点も気になる。

カメラ・オブスキュラ

カメラ・オブスキュラ

芸術集団れんこんきすた

川崎H&Bシアター(神奈川県)

2012/07/26 (木) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★

ふ~ん
 自分の前に評価をした方は最高点のようだ。投稿内容は見ていないが、ファンなのであろう。自分は、そこまでの評価はできない。演出レベルで遥かに効果的な演出ができると思うからであるし、しょっぱなで観客を引き込めないようでは、演劇として厳しい状況に置かれると思うからである。いまさら三一致の法則を言う気は更々ないが、演劇界の流れの中で、無視できないのも事実である。そして、演劇が、民衆の物であるならば、縁者は総て、民衆の側に立つべきだと思う。で、れんこんきすたの名称はレコンキスタであると自分は解釈したので、再征服、つまりウエスターンの価値観、正義感をこの劇団は標榜していると解している。もし間違っているならば、その旨、ご連絡頂きたい。
 前置きが長くなった。自分jは演出に難があると感じた。理由は上に挙げた通りである。もう少し具体的に言うならば、中盤まで人間を描けているとは感じられなかった。中盤以降は、科白に並々ならぬ才能も感じられたのだが、勿体ない。そう思うのだ。俳優の演技も個々のレベルで評価できる俳優が二人いた。老人役と見えないキャラ役である。前半、自分がマイナス評価をした点については、アンケートに書いたので、ここではふれない。ただ、そこを工夫するだけで評価が一段階上がるのは、確かだと思う。

職業◉寺山修司(1935〜1983/1983〜2012)

職業◉寺山修司(1935〜1983/1983〜2012)

重力/Note

STスポット(神奈川県)

2012/07/20 (金) ~ 2012/07/23 (月)公演終了

満足度★★★★

寺山
 彼は実に多様な顔を持っていた。歌人、詩人、劇作家、演出家、映画監督、競馬批評家、エッセイスト等々。その多様な現れを、当時、多くの大人は見誤った。キッチュだとか、単なる流行、アングラだとか。だが、この多様性の底にあった彼自身のアイデンティティは、理論武装をされた羞恥心、土俗を恥じた西洋的心身性、日本近代の分裂そのものではなかったのか? そのことを痛烈に意識していた彼は、自らも変容する視点として世の移り変わりを見ていたように思う。
 今回、寺山を実際には知らない世代の若手俳優が中心になって、彼の足跡を辿り、模索する中で、彼らが感じ取ったものをデリカシーあふれるタッチで表現して見せた。各々の俳優が寺山の携わった仕事にまつわる器具を持って集合するシーンなどは、在りし日の寺山と天井桟敷を彷彿とさせるものであった。

みんな豚になる-あるいは「蠅の王」-

みんな豚になる-あるいは「蠅の王」-

ワンツーワークス

吉祥寺シアター(東京都)

2012/07/20 (金) ~ 2012/07/26 (木)公演終了

満足度★★★★


 ゴールディングの「蠅の王」を下敷きにしている割には暴力性に乏しい。まあ、シチュエイションも会社に変えられており、登場人物も子供ではなく大人に変えられているので、作品の骨格、柴門が、豚の仮面を被った者から内面を問われるシーンなどが原作からの影響を色濃く伝えたシーンといえようか。
 今作品では、暴力は、パワーハラスメントやセクシャルハラスメントに置きかえられて我々の日常に近づいている分、原作にあったストレートで純粋な暴力性は弱まってしまった。その分、インパクトに乏しくなったように思う。自殺者を出すくらいのことは描かれて良かったのではあるまいか? その上での蠅の羽音なら、更に演劇的効果は上がったように思う。

象のいる部屋

象のいる部屋

劇団恋におちたシェイクスピア

RAFT(東京都)

2012/07/20 (金) ~ 2012/07/22 (日)公演終了

満足度★★★

3.12  
 3.11の間違いではない。問題は3.12だ。その方が遥かに重大な危機だからだ。3.11規模の地震、津波は、歴史上、何度もその記録が残る体験を我々の祖先はして来ている。然し、マグニチュウドの数値を気象庁独自評価からいきなり説明もなしに学者などが用いてきた評価方式に変えて数値を大きく見せかけるような操作を行い、恰も致し方なかったと言い訳しやすいようにする態度には、誰も納得できまい。評価は、同一基準ですべきである。
 更に、データの隠蔽・誤魔化し、説明会でのヤラセ、虚偽証言、政財界、マスコミ、司法への工作など推進派のダーティーな行為は枚挙のいとまもないが、そのような状態を肌に感じたのか、面倒くさがりの作者は感覚的に描いた作品だという。その割には、まずまず、正鵠を衝いていると言えないことはないが、勉強不足は、ラストの余りにも曖昧な終わり方に出ているように思う。ストーリー展開その他では、中々楽しめる作品にはなっている。

『孤独の惑星 (コドクのホシ)』ご来場ありがとうございました。

『孤独の惑星 (コドクのホシ)』ご来場ありがとうございました。

演劇ユニットG.com

劇場HOPE(東京都)

2012/07/20 (金) ~ 2012/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★


 問題は知である。そもそも、我々はなぜ、様々なことを問うのか? 問わずには居られないのか? それは、我々の存在に確定的根拠が無いからだろう。誰一人、我々が何処から来て何処へゆくのかを明確に答えられない。その理由は明白である。答えようが無いからである。おそらく我々は、始原のカオスから来た。そして究極的には其処へ帰る。その間に流れる時間は、殆ど無限だ。その一刹那、我らは夢を見る。愛と名付けて良いかも知れない。或いは希望と名付けて良いかも知れない。宇宙の底知れない寂しさの真っ只中に佇み、我らは夢のかけらにすがるのだ。其処に普遍的と思える安寧を見出し得た時、それは一定の成果を見るだろう。然し、それが、何だというのだ、宇宙の絶対的なエネルギーのいくらかをでも我らに変える力があるとでもいうのか? 笑止である。我らは、只、佇むのみ。といったことを考えさせてくれた。かなり哲学的に見ることもできる作品だ。無論、自分のようにではなくいくらでも解釈ができる作品だ。そこがこの作品の魅力だろう。壮大な世界を照明や音響を上手に使って見せてくれた。

神様のいないシフト

神様のいないシフト

芝居流通センターデス電所

駅前劇場(東京都)

2012/07/19 (木) ~ 2012/07/23 (月)公演終了

満足度★★★★

ドンデンにつぐドンデン
 中盤までは、半分ミュージカルか、と思うほど歌が多用され、その歌詞によって、内容が説明されるのか、と思いきや、その要素も捨てずに、中後半からは、ドラマの作りに変容、その後、話はドンデン返シに次ぐドンデン返シ、推理をしても面白い展開なのだが、内容上も様々な解釈を可能とするだろう。論理に対しては背理が用いられ、、其処に別様の解釈が、役者の身体を通して殆ど暴力的なまでに事態を急展開させるからである。テイストとしては、ロートレアモンの”マルドロールの歌”に近いかも知れぬ。何れにせよ、ヒトの心の不気味を描いて興味深い。

墓場にて、竹。

墓場にて、竹。

7%竹

小劇場 楽園(東京都)

2012/07/19 (木) ~ 2012/07/22 (日)公演終了

満足度★★

ナンセンス?
 殆どナンセンスな展開もアリだとは思うが、各要素は、もう少し有機的に関連づけるべきだろう。ギャグが多用され、そのタイミングの外し方や役者個々の芸質では潜在的な能力を感じさせる者も散見した。が、それらが、全体的な構成にフィットしていない。

あの大鴉、さえも

あの大鴉、さえも

思出横丁

池袋GEKIBA(東京都)

2012/07/18 (水) ~ 2012/07/22 (日)公演終了

満足度★★★

不条理
 竹内 銃一郎の不条理劇だが、作品の読み込みが浅いと感じた。なぜ竹内は、このような作品を書き、自分達は、なぜ今この作品を此処で上演するのか、といった自問が浅いと感じたのである。内容的には、「ゴドーを待ちながら」やカフカの「城」を想起させるのだが、ゴドーでは中心人物は2人、この作品では3人、一方、城では基本的に1人である。この差の意味や、その差によって本質的に変わる部分があるのか無いのか、といったようなことも考えた上で演じて欲しかった。熱演は評価するが、不条理な状態に置かれた人間は、おそらく必死に考える。そのことに意味があるか無いか、無いとすれば人間としての意味さえもないのでは無いか? との痛烈な問いこそが、不条理性の正体ではないのか? 年齢が若いとはいえ、このような作品に挑むのであれば、もう少し必死に考えて欲しいのだ。
 さらに、細部の演技にも拘って欲しい。荒く感じた。

ゾンビ×幽霊×宇宙人「オール恐怖大行進!!」【ご来場・応援ありがとうございました! 次回は11月! からくりサーカス~サーカス編~を上演いたします。 乞うご期待!!!】

ゾンビ×幽霊×宇宙人「オール恐怖大行進!!」【ご来場・応援ありがとうございました! 次回は11月! からくりサーカス~サーカス編~を上演いたします。 乞うご期待!!!】

カプセル兵団

ワーサルシアター(東京都)

2012/07/12 (木) ~ 2012/07/22 (日)公演終了

満足度★★★★

歌舞く
 しょっぱな余りにも馬鹿馬鹿しい展開だったので、如何にバカバージョンと銘打たれてはいても呆気にとられたが、役者たちの身体能力の高さに、しっかり訓練をしていることが見て取れたので安心した。芸風も広く様々な表現を可能にするであろうポテンシャルの高さも気に入った。中後半からは、人情の機微にも触れ、決してハッピーではない終わり方だが、爽やかさの残るラストも気に入った。
 それで、ひょっとすると、と思ったのだ。公演は番外ということもあり、普段とは異なった印象を持たれるように作ったのではないか? と。即ち劇団としては、実験的な舞台を敢えて作った、というわけだ。日によっては通常バージョンも演じている。この辺り、底力のある劇団なのではないか、と感じる。
 言うまでもないが、役者の仕事は作家の書いた言葉を身体化することである。その際、何を目指しながら身体化するかで役者や劇団の個性が出てこよう。おそらくこの劇団の縛りは、エンターテインメントを大切にしていることだろう。この推理が当たっているとすれば、このバージョンでは、バカ話に徹する前半部で、観客への媚、諂いを無化し得たこと、つまり大衆芸能の本質である歌舞く作業を成功させたことが、中後半からのメロドラマ的展開への移行を自然で爽やかなものにしたのではないだろうか。ここまで意識的に演出をしていたとすると、只者ではない。

ワチャゴナドゥ

ワチャゴナドゥ

ナイスコンプレックス

サンモールスタジオ(東京都)

2012/07/12 (木) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★

ときどきは振り返ることも必要
 突っ走るばかりではなく、時に、自分と仲間の足跡を振り返ることも必要だろう。そうすれば、荒削りな部分が見えてこようし、役作りの仕方にも違う工夫ができるはずである。破天荒な部分を残したいなら、その方法は、いくらもある。我々の存在の基底に安定はないからである。あるとすれば、それは動的緊張の結果の拮抗状態であるに過ぎない。この辺りは、世界の見方そのものの問題でもあるが、その辺りも深めてもらいたい。

黄色い月~レイラとリーのバラッド/宮殿のモンスター

黄色い月~レイラとリーのバラッド/宮殿のモンスター

TPN Plays & Players

調布市せんがわ劇場(東京都)

2012/07/12 (木) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

力量
 完全な素舞台だ。黒い演劇空間の中央には3.6m四方の白テープが貼られ、リングのようである。これは、主に、室内、或いは主人公の少女の内気な性格の表象でもあろう。同じ作者の「黄色い月」でも言えることだが、この短い期間に異なる作品を同じ役者陣が演じ分けているのだ。当然、役者の力量勝負である。観客は、裸舞台を挟むように両側から見ている。このような舞台では、照明の工夫も殆どできない。従って、効果を補足すのは音響のみ、ということになる。結論からいえば、四人の役者は、この厳しい条件に真っ向から挑み、充分な成果を上げた。日常の身体鍛錬の高さ、表現能力の高さ、イマジネーションの豊かさ、機に応じて動ける柔軟さ、機転の良さなど高い技術を見せてくれた。今後、怪我に気をつければ、益々の発展・充実を期待できる俳優たちである。

未来の担い手たちに告ぐ

未来の担い手たちに告ぐ

ThreeQuarter

池袋GEKIBA(東京都)

2012/07/15 (日) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★

発想
 ”時計仕掛けのオレンジ”的発想で面白いと思ったのだが、犯罪の被害者が、何処まで本気で復讐を誓うか、は、現在の諸事件を見ても、また、裁判員制度の諸情報を見ても、かなり分かるのではないだろうか? リアルな所では、もっとドライに対応していると思う。その辺り、展開に多少、不自然な感じを持ったのも事実である。もうひと捻りするか。或いは、もっと物語に必然性を持たせるか、さもなければ犯罪側の文化的基層をこの国の深いレベルまで掘り下げた上で描くか。何れにせよ、もう少し工夫と勉強が必要。

栢子(かやこ)の結婚

栢子(かやこ)の結婚

シアターノーチラス

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2012/07/13 (金) ~ 2012/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★

身につまされる
 いじめられっ子、栢子を巡る人間関係の描写が見事。キャスティングの良さ、構成力、演技の確かさ、演出、シナリオの論理構成力、どれもが非常に高い水準である。殊に、苛められっ子であるはずの栢子が、ちょうど、ダークマタ-が宇宙の真の構成要素であり、我々のいわば、明るい宇宙を支えているのと同じように、殆ど、自らの側からは、言葉を発っすることの無い栢子が、皆の重しになっているかのような逆転は、キリスト教に於けるイエスの存在にも比較できるかも知れない。苛めに対する、ひとつのつらい回答と読むこともできよう。

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