満足度★★★★
寺山
彼は実に多様な顔を持っていた。歌人、詩人、劇作家、演出家、映画監督、競馬批評家、エッセイスト等々。その多様な現れを、当時、多くの大人は見誤った。キッチュだとか、単なる流行、アングラだとか。だが、この多様性の底にあった彼自身のアイデンティティは、理論武装をされた羞恥心、土俗を恥じた西洋的心身性、日本近代の分裂そのものではなかったのか? そのことを痛烈に意識していた彼は、自らも変容する視点として世の移り変わりを見ていたように思う。
今回、寺山を実際には知らない世代の若手俳優が中心になって、彼の足跡を辿り、模索する中で、彼らが感じ取ったものをデリカシーあふれるタッチで表現して見せた。各々の俳優が寺山の携わった仕事にまつわる器具を持って集合するシーンなどは、在りし日の寺山と天井桟敷を彷彿とさせるものであった。