ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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見上げてごらん夜の星を

見上げてごらん夜の星を

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

かめありリリオホール(東京都)

2013/11/09 (土) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★

昭和らしさ
 1960年初演の今作で、いずみ たくは、日本独自のミュージカル作品公演の旗揚げを目指した。コマーシャルソングを作曲し、それが流行る度に自らが痩せ細ってゆくような感覚に襲われ、そういう地平から脱したいと、当時、日本では未知の領域と言って良かった和製ミュージカルに挑んだ。その志と努力は本当のことだと信じたい。亡くなるまでに100本以上のミュージカル作品を書き「歌麿」はアメリカへも持っていった。落語の「死神」もミュージカル化しているしアリストパネースの「女の平和」、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」などもミュージカル化している。その出発点に位置した作品ということができる。何処にでもいる定時制高校へ通う少年たちと少女の友情を中心とした作品。昭和という時代が色濃く出、貧しかった頃の日本のイメージも窺える。

APAFアートキャンプ・特別レクチャー

APAFアートキャンプ・特別レクチャー

アジア舞台芸術祭制作オフィス

東京芸術劇場 シンフォニースペース(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

身体という劇場
 台湾発の舞蹈である。土方 巽らの暗黒舞踏とは、根本的に異なり、生命の外的在り様は、内面より勝るものではなく常に内外の衝突の取る均衡にあると考える為、エネルギーポテンシャルを内側に溜めて外に接するという在り様そのものが、皮膚一枚の緊張感となって、観ている我々にもびりびり伝わってくる。従って、ただ座っているだけの舞踏家が、実に躍動的で緊張に満ちた存在そのものとして観る者に注視を迫るのだ。
 現在までに今作を含めて3作品を創作。各々の作品は10年掛けて世界のあちこちで上演されて来た。現在、無垢舞蹈劇場の林 麗珍は、アルテの世界8大振付師の1人に数えられている。身体論も独自のもので、身体の部位を中心軸、中心円、尾骶骨に分けて考えている。そして座った状態で大地のエネルギーを受け尾骶骨を謂わばスイッチとしてエネルギーを徐々に上に上げてゆく。この際、中心軸は更に細かく8つの部位に分けられているのだが、ここではそれは省略する。何れにせよ、一旦、頭まで達したエネルギーを今度は、下放し更に逆転させるというエネルギー循環を繰り返すわけだ。このように身体を捉え、用いて行く為に、身体そのものは、頭によって支配されることから、幾分ずれる。そのことによって、身体そのものが謂わば劇場になっているのだ。そして、劇場化した身体を通して世界を観ずる時、世界もまた劇場化するのである。

ビールのおじさん

ビールのおじさん

cineman

ワーサルシアター(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

非演劇的演劇
 事件らしい事件は殆ど何も起こらない。或いは、曖昧に処理される。それだけに役者の力量、筋の運び方、目立たない演出が重要になる。伝統的にカソリックのフランスでは、ヌーボーロマンに照応するようにアンチテアトルが起こったが、日本の伝統には、そもそも、絶対基準というものは存在しない。物事は、浮かび流れ去る泡の如きものであり現象であるに過ぎない。能で日本人の心の働き、魂の働きの極限領域として狂が描かれるのは、絶対が無いからである。その為、或る表現の強度を高め、保つ為にはその在り様の極北を目指すしかないのだ。
 今作でその強度を保障しているのは、土地、土地柄である。だから、方言は必然になるのだ。このように劇的なるものを避ける手法を自分は、非演劇と名付けておこう。未だ、この手の作品は少ないかも知れぬが、一つのムーブメントになる可能性は秘めているかも知れぬ。
 とても分かり易い例を今作の中から1例だけ引いておく。タイトルの「ビールのおじさん」だが、通常の主役ではない。寧ろ、老子の“上善は水の若し”という思想に近い。

ネタバレBOX

 鹿児島の辺鄙なエリアで米作を営む中農の長男が亡くなった。連絡を受けた兄弟、縁者が集まる。TPP締結を目前にし、ただでさえ少ない働き手を失った三男の智和は、以前、亡くなった長男が動かしていたコンバインに巻き込まれて、足を怪我して以来びっこである。現在は、大学を止めると言い出した長男の娘、姪の尚と、都会から住み込みの農業見習いで来ている慶一郎が手伝っているが、将来の展望は明るくない。
皆に声を掛けた嫁、倫代は6年前には籍を抜いていた。ただ、尚が大学を出る迄は、一緒に暮らすと約束していたに過ぎない。そんなこともあって、彼女は、家を売ろうと考えても居た。
 そこへ長い間実家へ戻らず長距離トラックの運転手をしていた次男の智良が帰って来たのだが、親子ほど年の離れた女が一緒である。麻子と言うが、彼女は余命半年と言われた智良の体を気遣って、酒、煙草を禁じている。それでも、智良は隠れて煙草やビールを遣ることがある。智良がこんな生活をしているのは、何をやっても兄に敵わない自分の居場所が無かった為、故郷に居続けることに耐えられなかったからである。
麻子は、以前、完璧と言える彼氏と付き合っていたが、彼に合わせる為に自分も完璧になろうと背伸びをし、疲れ果てていた。そんな時、智良の肩肘はらぬ生き方に出会い、付き合うようになった。
 今は天文館のスナックでママをやっているめぐみは、倫代との結婚前に、長男の息子を産んでいる。名を正と言うが知恵遅れである。正は、初めて会った尚を気に入り、追いかけ回すが、結果は定かではない。ところで、尚が大学に行かなくなったのは、子供を堕ろした諸々の事情の結果である。
 現在は渋谷のブティックで店長をしている妹の智香。彼女は、智和の嫁、美希の同級生で子供の頃はデブでブス、友達になってくれたのは美希だけといういじられキャラだった為、現在ではダイエットに随分気を使っている。
 その美希の高校時代の彼が、転勤で鹿児島に戻って来た。以来、彼女の心に恋が再燃、智和との間が、怪しくなる。唯、この件を契機に夫婦は、互いに腹蔵の無い話をすることになり、結果、雨降って地固まる、ということにはなった。
 
Lamp Light

Lamp Light

激団リジョロ

タイニイアリス(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

願いのともす灯
 座長達が好きだというチャップリンに捧げるオマージュでもある今作、無論、ライムライトをもじってつけたタイトルであると同時に、今作の主題である、一点の光をも意味する。差別される側に在って、一点の光を求めることには、大変な労力と努力が必要である。殊に不合理、非合理、理不尽、不条理そのものである差別によってある位置に押し込まれざるを得ないと多くの同胞が思う時には、尚更である。
 それ故にこそこのタイトルなのである。母に先だたれ、父には蒸発された挙句、孤児の施設に収容されたものの、年下の入所希望者が多く、限られた予算に彷徨処分を余儀なくされた少女は、一縷の望みを託して暗黒の世界に飛び込む以外方法を持たない。年端も行かぬ女の子という設定は当然、「Kid」を意識したキャラクターの作り方である。
 内容は観て貰うとして、リジョロの激しい動き、エネルギーを叩きつけるような演劇作法の背景にあったのは、恐らく、この理不尽に対して狂わない為の判断だったであろう。劇団15周年を迎え、初期の激しさから、質への転換を図る時期に来ているのかも知れぬ。理不尽に対するマグマのようなエネルギーはより内面化されて、新たに様々な方向へのチャレンジに向かってゆくような気もする。
 今作には続編がある。タイトルは「サーカス」来年6月に上演を予定している。こちらにも是非、で、その前に今作を。

全事経験恋歌 (ゼンジ.ケイケン.エレジー)

全事経験恋歌 (ゼンジ.ケイケン.エレジー)

アジア舞台芸術祭制作オフィス

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★

表出の仕方
 あるキャラクターが物語の中に入り込んで作品を書き替えてゆくという発想は、目新しい訳ではない(例えば、レイモン・クノーの“イカロスの飛行”など)が、大体、その替え方の妙を楽しめるのだが、今作では、アイデンティティーやジェンダーの問題を扱おうとしながら、それがセンチメンタリズムに堕した形で表出されていた点に難がある。つまり普遍化されていないのだ。もう少し、演出や編集、社会学や哲学の勉強が必要だろう。

国際共同制作ワークショップ上演会

国際共同制作ワークショップ上演会

アジア舞台芸術祭制作オフィス

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/11/04 (月) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★

お国柄や立ち位置が良く見える作品群
台湾、シンガポール、韓国、ベトナム、日本からの参加者が、6人の演出家の下、6チームに分かれて約15分の作品を上演。各作品への質問、趣旨説明などのトークに10分間をあてた。
 作品がショートなので、却ってお国柄や個々の作家・演出家の置かれた状況が端的に出るような作品が多く見られた。台湾の作品では、IT製品の世界的下請けである台湾の先進技術を応用したゲームなど室内遊戯が、家庭という社会的単位を破戒し、ひいては、個々のアイデンティティーを破戒して行く様が。ベトナムからは、2作品。男女のジェンダーに関わる問題を案山子を仲介として描いた作品と日本人駐在員とベトナム女性の恋物語。駐在を終えたのだろうか? 日本人は、何も告げずに彼女を捨てた。結果、ベトナム女性は自殺。シンガポールからは、“うえる”という発音から、植える(米を)飢える、餓える(心が)をフラグマン化して捉えた。韓国作品は、チェサを通して母の深い愛を、また日本からは、“アマルガム手帖”という作品の一部抜粋という形での上演であったが、箍の外し方が絶妙で、大人達の化けの皮を剥いだ、実に刺激的な笑いを誘う傑作。

らぶ・まん的キャンディ「あめちゃん」

らぶ・まん的キャンディ「あめちゃん」

らぶ・まん

Livetheater間~まほろ~(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/05 (火)公演終了

満足度★★

緻密さが欲しいが
 結局、皆モテたいのだ! という仮説(思い込み)から始まった今作。モテ過ぎたらどうなるか? を主として女の子の視点から描いたと言えよう。

ネタバレBOX

 主人公はCandyという名の女子大生、彼女は女子大生憧れの的の詩人教授、マクフィスト(メフィストのもじりか?)からも求愛されたのだが、少女らしいためらいから拒否。然も、実家で使っている庭師から彼に気があると誤解され、ただならぬ関係になってしまう。だが、その現場を口さが無い連中と父に押さえられてしまった。
 と、どういう訳か、Candyは、風俗店で働くようになっており、口さが無い連中が囃したてたりもするのだ。が、連関が描かれておらず、雑な印象を与える。
 この後も展開に必然性はなく、只、のんべんだらりと流され堕落してゆく女が、描かれる(終には実の父とまで)。これを、彼女自身が、“愛の使者”であると位置付け、善意に解釈すれば、産む性として、♂の玩具にされつつ、その♂どもを愛するという次元に自らを置くことでフィジカルレベルを超えようとする試みと取れないことはない。この解釈通りだとすると、結果的には娼婦即ち聖女という定義が導き出される。だからこそ、最後の場面で体から花を咲かせる存在に転化したのだろう。こうとると、若干シュールだが、面白い解釈たり得るかも知れぬ。
 役者と言える演技をしていたのは、坂中 久志1人というのは情けない。
麗しき乙女達の肖像

麗しき乙女達の肖像

第6ボタン

埼京線十条駅徒歩5分のダイニング(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

良く書けている
 高校時代に書いたシナリオをほぼ全面的に書き直した今作。上演場所が変わっている。お好み焼き屋の2階なのである。鰻の寝床のような細長い空間に舞台空間と客席が設えられる。天井までのタッパは2mちょっとという感じでかなり低い。演技スペースもかなり狭いので、相当考えて動かなければ身動きが取れなくなるのは必定。
 然し、空間の使い方は上々で、役者の声の大きさも会場にマッチした適度な大きさ、カツゼツも良い。余り肩肘を張らず、本音部分も作者が自分自身を茶化してみているような距離感があって、作品を下卑た物にしていない。筋の運びも、この距離感に支えられつつ自然に展開するので、素直に笑える。中々の才能である。
 アラサー女子のホンネとサラリーマン生活の凌ぎ合い。とくとご照覧あれ。

音楽劇「赤毛のアン」

音楽劇「赤毛のアン」

DGC/NGO 国連クラシックライブ協会

東京国際フォーラム ホールC(東京都)

2013/11/02 (土) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

子供たちの可愛らしさ
 国連絡みなので、所謂出来の良い優等生的発想の作品でそういう作りになっている。資金も豊富だ。訴えていることが、こんなに金を掛けなければ実現できないなどとは、到底思えないのは、自分もアフリカで仕事をしたことがあるからである。
 子供を多く使い、良い子教育で縛ったうえで、お転婆娘、アンを演じさせる。照明も暖色系を多用して暖かく、前向きなイマージュを積極的にプッシュする。無論、技術的には、上手である。子供達の素直さと一所懸命とには好感を持った。唯、大人がそれを利用してある方向に持って行こうとしていることは、矢張りあざとい。
 一方、役者達の演技には、好感を持った。これは、大人の役者に対してもである。マシューの暖かさ、最年少のアンを演じた女の子のひたむきにも。
 アンが到着した駅の名が、Bright Riverというのも象徴的に上手く使われているし、終盤、マシュー夫妻とアンが手を繋いで歌うシーンでは、雲という極めて可塑的なイマージュが、用いられ、観る物に各々好きな形を想像する余地を与えている。
 また、マシューが亡くなった後も「同じ明日は無い」と前向きに生きて行こうとするアンの姿勢は、基本的に正しい。人は夢無くして生きては行けない生き物だからである。

阿Q外傳

阿Q外傳

NAT

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/10/31 (木) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★

演出家が余りに鈍感
 辛亥革命を風刺した作品ということで期待していたのだが、演出家が、今作の演出に当たって革命について真剣に考えているという印象は全然無い。Beseto演劇祭のコンセプトに合わせて著名作家・大作家であり、日本に留学していた経験もあることから、影になり日向になりしながら、日中友好に心を砕いた魯迅の作品を下敷きにした宮本 研のシナリオをアリバイ的に持ち出したとしか思えないのである。

ネタバレBOX

 そも、今作が、今の日本、韓国、中国のどの国にヴィヴィッドに受け入れられると考えたのだろうか? 革命が成功する為には、民衆の逼迫、権力者の横暴・堕落、軍内部の反乱傾向、更に革命の中心を担う指導層の成熟、資金、革命勢力への民衆支持、転覆の好機、社会情勢、世界情勢等々の的確な分析などが、最低限必要である。革命が出てくる作品の演出をするのであれば、命懸けで闘った多くの名もなき革命家が、世界中で何をどうしていたかに目を配って当然なのだ。そういった視点が一切ない。だから、必然性の無いダンスなどが出てくるのだ。
 大体、今の日本で革命ということを、それも、関係も表さずに出すこと自体、考えが足りない。出すならば、辛亥革命を支援していた日本人をっもっときちんと作品の中に出し、その辛苦をも表出すべきであっただろう。宮本のオリジナルシナリオを読んでいないので何とも言えないが、オリジナルをそのまま踏襲したシナリオであるなら、ちょっと、今の日本の状況とは距離が在り過ぎる。
 何故なら、今作を今回、日本で2013年秋に上演しているわけだが、安倍政権は、今や反革命・反民主主義の尖兵、ファシズムの前衛である。然も、愚衆は、一切、危機感を持っていない。それどころか、相変わらず、その日、その日の小市民的発想にしがみつき、アメリカの植民地であることに屈辱すら感じていないようである。その鈍感、その退廃をこそ、撃つべきであった。そこに中国の民衆を介在させる必要は無い。中国民衆を介在させるなら、中国と日本との間に在る差異についてもっとエッジを効かせて描くべきであった。
ハムレット異聞

ハムレット異聞

DANCETERIA-ANNEX

あかいくつ劇場(神奈川県)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/02 (土)公演終了

満足度★★

練習不足
 オープニングの歌唱は霊が歌うということで態と声を出さずにいたのか? 音楽劇と銘打っているのだったら、もっと悲しいトーンで表現するなどという方法があったのではないだろうか? ピアノも凡庸な演奏でプロとしては聴くに堪えない。おまけに役者が矢鱈に噛む。蜷川演出ほど厳しいことは要求しないにせよ、本番でこれはない。役者が観客に背を向けるだけで科白が聞こえないなどということもあった。主役以外は、基礎からやり直した法が良いのではないか? シナリオは原作をかなりアレンジして、それなりに面白いものになっていたが、舞台美術のセンスも無い。我楽多をそのまま置いただけのような杜撰なものなのに、照明で調整しない場面もあった。照明で調節できないなら、せめて布で表面を覆う程度のデリカシーがあって良い。

ギャラクティカ・めんどくさい。

ギャラクティカ・めんどくさい。

劇団鋼鉄村松

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

意外にも哲学!!
 如何にも少年ジャンプファンの村松氏の作品らいしい、と言ってしまえばそれまでなのだが、デカルト以来、西欧の中心的思考法であるdualismの問題として捉えると頗る面白い。一方の極にニヒリズムをもう一方の極に何かaffirmativeなrealismかromanticismを置いて、双方が在る主題に就いて論じ合うシュミレーションのような楽しさがある。今作の場合は、それが、未来に於ける編年体の歴史として紡がれてゆく。片や“めんどくさい”を標榜する“めんどくさい銀河帝国”片やここから独立した“おもしろい星団連邦”。標榜するのは無論、“おもしろい”。互いに異なる原理でも戦争や支配・被支配は成立するのか? 戦えるとして勝敗の行方は? 等々、一見、馬鹿らしく見える中に仕組まれた、深遠な二元論的世界観。楽しめる。

「ラストシャフル」

「ラストシャフル」

劇団 浪漫狂

シアターサンモール(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

選曲の良さ
 飲み屋で騒いでいた連中の話から、金があると睨んだ家に彼女の久美と一緒に忍びこんだ恭平だったが、狙われた重吉の家は、既に何者かに物色されていた。然も、ベッド脇と壁の間からは逆立ちした足が! スワ、これは単なる物盗りではなく、強盗殺人? 自分達が、凶悪犯として疑われてしまう、と逃げようとしたが、そこいら中に自分達の指紋が付いている。拭き取ろうにも最早、無理!! とおたおたしている内に、どうやら被害者が死んではいないらしいことに気付き、ベッドの上に寝かしてやるのだったが。被害者、重吉は、恭平に対して政伸と呼びかける。息子と勘違いしているのである。逃げるタイミングも当ても失した彼らは、重吉の家に息子の振りをして居座ることにした。(追記2013.11.2)

ネタバレBOX

 と、そこへ戸をどんどんと叩く音。「清治です、御隠居~~~」っとケタタマシイ酔っ払いの叫ぶ声、余り煩いので開けてやると魚屋の清治が入ってきた。どうしても話したい事があると入ってきたのだが。間もなく大鼾。起こすと、仲間も呼ぶと言って携帯で仲間に電話を掛け、結局、朝迄どんちゃん騒ぎだ。実は、彼らは地元の草野球チーム レ ユニオンのメンバーなのだが、重吉は、喋るのが、下手でこの陽気で人の良いレ ユニオンメンバーとは行き違いがあった。だが、地元の為に多大な貢献をしていた重吉の人柄も知らず、悪口を言ったりしたことを詫びにきたのだ。だが、重吉は、アルツハイマーが進み、体力も落ちて車椅子生活だ。そこへ、流石に親を心配してのことだろう。長い間、不在にしていた息子(実は恭平)達が戻って来て面倒を見てくれているというので、介護関係のサジェッションや役所の部署、人脈など必要な知識を授けてくれたのであった。幸い、久美は、心の優しい女性で、本当の父のように甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。何の関わりも無いハズの自分達に、何故、レ ユニオンの人々はこんなに良くしてくれるのか? 事情があって、人間不信に陥っていた恭平にも、こんな疑問が湧くようになっていた。重吉の介護にも大分慣れた頃、アメリカから重吉の妹が訪ねてくる。彼女はアメリカ人と結婚し30年アメリカに住んでいたのだが、夫が他界し介護の任を解かれて帰国したのだった。(未だ本番中、ここから先は観てちょ)

 TVネタを利用しながら笑いを獲るというのは流行りなのだろうか? 多くの人がTVを中心に生活しているとも思えないのだが。観客の反応からは、或る程度矢張り見られているのだろうとの判断はできる。然し、折角、舞台で上演しているのだから、枕とはいえ、TVネタを多用するのは如何なものか? とは思うのだ。
 ところで、レ ユニオンのメンバーは何故、午前2時近くに現れたのか? 丑三つ時だからである。この辺り、流石に舞台人、キチンと我が文化の伝統を踏まえての作りだ。但し、矢張り故人となっている恭平の生みの親たちの現れる時間帯は、朧であるが。
ピアノレッスン、なう。

ピアノレッスン、なう。

黒鯛プロデュース

サントリーホール ブルーローズ(小ホール)(東京都)

2013/10/30 (水) ~ 2013/11/01 (金)公演終了

満足度★★★★★

小原 孝氏のピアノ 必聴
 魂に沁み入るようなピアノ演奏と味のあるシナリオ、自然に見える演技、照明、音響などの効果、演出も出しゃばらない心に残る舞台だ。(追記’13.11.1)

ネタバレBOX

 由緒ある結婚式場の支配人代理と新入社員達は、今月あと1千万以上の売り上げが無ければ、馘首されそうな状態で戦々恐々である。そこへ下見に来た母親。式場スタッフは、ここぞとばかりに売り込みに掛かるが、肝心の花嫁は、披露宴を開く積りが無い。それが、理由で、母親一人で下見に来たのである。母としては、どうしても娘にこの式場で豪華な披露宴を挙げてやりたい理由があった。というのも、彼女の実家は医者で、夫はピアニストだったのだが、両親の説では、ピアノなんか弾く者に碌な奴は居ない。従って結婚など以ての外というものであった。両親の賛同を得ることなく駆け落ち同然で結婚生活に入った母親には、披露宴をする資金も無かった。偶々、駈け落ちの道行きで、この式場で披露宴を挙げているカップルを見た彼女の心に浮かんだのは、こんな豪勢な式を挙げることのできる人々もあるのだ、という感慨であった。
 そんな思いの母親に、式場の支配人代理が、勧めたのは何と3日後のプランであった。それならば「思い切ってサービスさせて頂きます」と言うのだ。無論、彼女には彼女の事情がある。母は、それでも良い、とこの話を受けた。母と支配人代理の話が纏まり掛けた所へ、娘が顔を出した。娘は「内々で食事を摂るぐらいの気持ちだ」と中々譲ろうとしない。まして「3日後では、招くべき客だって間に合わない」と反対する。然し、母は動じない。「自分の兄と、夫、新郎サイドには既に話をしてあり、新郎サイドは親戚のおばあさまを呼ぶ位であとは、道行く人々を呼んで一緒に祝って貰う」と言うのだ。それも、嘗ての自分を思い出してのことである。娘とのやり取りで決定的だったのは、ここには、名器と言われるピアノがあったことだ。母は、そのピアノの前に立ち、一音出してみる。そして、「3日後には、自分が、ピアノを弾く」と言うのだ。だが母にピアノは弾けないと娘は知っている。然し母は「幻の名ピアニストに手ほどきを受け3日で弾いてみせる」と言い切る。これは、解離性健忘症に罹っている母だけに見える名ピアニストが居たのからである。 
 話は飛んで、3日後、婚礼のリハーサル現場である。彼女は3年前に事故で亡くした夫の辛い死を魂の底で認められず解離性健忘症に罹っていたので、彼女が夫だと思い込んでいたのが、実は、彼女の精神科担当医で、兄が、病院勤めをしている関係で面倒を見て貰っていたという事情なども分かっていない所がある。そんな状態のまま、リハーサルで娘も覚えてしまった「スウィートメモリー」を幻のピアニストと連弾していたのだが、発作を起こしパニックに陥ってしまう。兄は「披露宴は中止だ」と叫ぶ。キャンセル料は100%なのだが、パニックを起こした妹のケアは到底無理だ、と判断したのである。因みに、解離性健忘症というのは、辛い経験などと向き合うことを避ける為に、部分的に記憶喪失症状を呈する精神的疾患のことで、封印している記憶が、何らかの契機で思い出されそうになると、思い出したくない規制と心の中で強い葛藤が生じ、その結果、心理的平衡を失いパニックに陥ってしまうのである。今回、その契機となったんのが、娘も好きな標記の曲で、夫との記憶を呼び覚ましそうになったので、パニックを起こしてしまったのである。幸い、今回は、この葛藤を通じ、また、幻の名ピアニストが実は、自分を見守ってくれている亡くなった夫だという謎も解け、以て魂の平衡を取り戻すことにも成功してゆく。
 娘との見解の相違を互いにぶつけ合った結果、娘も本心を話し、妻子もちであった新郎との間にあった諸々の事情や、周囲からの非難・批判への心理的逃亡もあって小じんまり内輪だけの式にしようとしていたことを認め、本当は、きちんと披露宴をして皆から祝福されたい本音も述べ、結婚披露宴を開くことに同意。母の出した案にも賛成したのである。而も、この間に2度離婚経験を持つ兄は、支配人代理と意気投合、W結婚披露宴に発展したのであった。
 客席は階段状になっていないので、舞台は席によって見づらいのだが、音楽が、欠けた空間を埋めてくれる。それほど、素晴らしいピアノである。自分はピアノ曲が大好きなので、或る程度ピアノの生演奏を聴いてきたのだが、タイプは違うものの、辻井 伸行君のピアノを聴いた時と似たようなポテンシャルの高い感動を覚えた。必聴のピアノである。
ウォルター・ミティにさよなら2013

ウォルター・ミティにさよなら2013

TUFF STUFF

相鉄本多劇場(神奈川県)

2013/10/27 (日) ~ 2013/11/04 (月)公演終了

満足度★★★

志が
 役者陣の演技は悪くないが、シナリオライターの志は低い。それもあってのことだろう。観客にも恵まれていないようだ。殊に小劇場演劇では、客席と舞台が近い為に、互いの想像力による争闘は、より熾烈である。また、そのことが、小劇場演劇の醍醐味でもあるのだ。にも拘わらず、この劇団のシナリオは、想像力を全面的に信じる形になっていない。逆に言えば、観客を嘗めているのである。それが、説明過多に端的に現れてしまった。本当に途中で帰ろうか、と考えた程である。
 逆に、緊迫感のある舞台作りになっている場合には、ダンスなどのパフォーマンスに必然性が感じられず、場違いな印象を受けることが多いのだが、この劇団の場合、最初に底を晒してしまうので却って即物的なダンスパフォーマンスが活きた。
 次は、通常の芝居のように、論理対論理と想像力対想像力をキチンと向かい合わせることで成立するドラマツルギーに挑んで欲しい。

巣窟の果て

巣窟の果て

643ノゲッツー

劇場HOPE(東京都)

2013/10/30 (水) ~ 2013/11/03 (日)公演終了

満足度★★★★

大人の責任を問う
 あまり当てにならない占いを生業に共同生活をしている若者グループ。実は、全員孤児だ。(多恵だけは、園長の死後、孤児になった。即ち園長の娘である)

ネタバレBOX

 一緒に住んでいるのは、支援者がこの建物に居住することを許してくれているからだが、住民は総て同じ施設に居た仲間である。但し、年齢は少し離れている。皆の夢は、施設を再建すること。だが、仕事は中々長続きせず、資金はままならない。その中で、或る程度続いているのが、一応、雰囲気を持ち、且つ、子供の頃に占い師になりたいと言っていた“先生”が占うという形をとっている占い事業だけなのだ。クライアントを信じ込ませる為に、個人データを様々な形で仲間が入手しておき、それらを用いて信じ込ませておいてから、当たり障りのないことを言って丸め込むのである。総ての占い師がそうであるように。この時、占い師先生は、仲間が裏で資料を見ながら教えることを瞬時にクライアントの前で繰り返す。(裏方と先生とのコミュニケイションは“コツ伝導”と呼ばれているが、コツに骨をいう字をあてるのかどうか定かではない。)
 ただ、先生には妙な癖がある。いい年をして、小便を漏らすのである。それが、毎月同じ日だと指摘したのは、多恵だ。彼女は、先生が態とやっているのだと非難する。それは、毎月13日、園長の月命日に当たる日だからである。すると先生応えて曰く「園長を殺した癖に!」彼は、見ていたのだ。年長の多恵、瀬戸、佐伯の三人が、園長を井戸端に呼び出して突き落とすのを。警察は自殺と判断し、事件はそれで一応収まったのだが。
 三人は、何故、こんなことをしたのか? 而も、多恵は、園長の娘である。実は、園長に児童虐待癖があったのである。園児達が10歳を過ぎる頃から虐待は夜毎続けられ、多恵は実の父にレイプされ、身籠ってしまった。流したが、彼女は深く傷ついた。而も、男の子達が、高校生になる頃には、虐待は収まってきていた。多恵が、レイプされたのは高校生の時、何度もである。何れにせよ、自分達の次の犠牲者は、今、小学生の、弟とも妹とも思って来た小さな子達だと考え、自分達がされたような事を、この子たちには避けさせたいと殺害を決意し、実行したのであった。その後、直ぐ、自首しようと考えたのだが、年端も行かないこの子たちを放りだすことも出来ない。そう思い直して、彼らが自立できるような年になったら、真実を話し自首しようと考えていたのだ。
 だが、この話を瀬戸の会社の同僚に立ち聞きされてしまう。自首するということでケリをつけ、三人は、後を若い世代に託して出て行く所で幕。
 似たような年代の役者が演じ、話の内容が、断片的に出されるので、ストーリーが分かる迄、ちょっと時間が掛かるかも知れないが悪いシナリオではない。唯、自分が彼らのような状況に置かれたら、矢張り、同じことをしただろうな、とは思う。そのようにはのめり込ませてくれた。
ニッポンヲトリモロス

ニッポンヲトリモロス

劇団チャリT企画

王子小劇場(東京都)

2013/10/25 (金) ~ 2013/10/30 (水)公演終了

満足度★★★★

どこからトリモロスのか? アメリカからでしょ!
安倍が秘密保護法で最初に隠すのが、F1事故後のケアについてだろう。TPP関連では遺伝子操作作物の件、関税関係の秘密協定等々。日米の更なる軍事的協定に関しても秘密指定を益々増やしてゆくであろうことは、目に見えている。何故なら、アメリカの戦略・戦術下に置かれる自衛隊の実態を国民の目に触れさせない為である。秘密保護法と関連して共謀罪成立を目指すこともほぼ間違いない。治安維持法を目指しているのであるから、必然と言わねばならない。日本語の発音も碌にできない奴が、日本のトップに君臨し好き放題をやっている。我らは、革命権を持たねばなるまい。こんな植民地で人間らしく生きる為には、それなしに民主主義などあり得ないからである。
 また、アジアに位置する日本が、近隣アジア諸国とぶつかり合えば、得するのは誰か明らかだろう。ユーラシア大陸の西にイスラエルを、大陸の東の涯と目と鼻の先に日本を持つアメリカは、この広大なエリアに存する2つの大国、中国ととロシアに睨みを効かすことが可能なのである。従って、トモダチ作戦で、アメリカが守りたかった、第1の物は、三沢基地だろう。ここに、エシュロンのアンテナが設置されていることぐらい誰でも知っている。因みに、エシュロンをアメリカ他加盟5カ国が正式に認めている訳ではない。スパイしているのを自分達で認める訳が無かろう。本は米英の秘密協定であったが、現在ではカナダ、オーストラリア、それにニュージーランドが加わっての5カ国。それだけでは世界中の情報を盗むのに弱さが在るので、日本という植民地にも基地を置いているわけである。他にも、無論、基地の置かれている国はあるが、大体察しはつこう。
 こういった客観情勢すら知ることが難しくなるのが、秘密保護法なのだ。それを知ろうとすれば、共謀罪で縛る。ここまでくれば、治安維持法は成立したも同然。而も、国民の大多数は、この事態の深刻さに気付いてすらいない。ホントみむめもだね。
 さて、今作では、以上のようなことに触れている訳ではない。

ネタバレBOX

 舞台は2020年、東京オリンピック直前のザ・ホテルジャパンのロビーだ。天井からは、水滴が当たる音が聞こえてくる。オリンピック直前で予約がたくさん入っているというのに、既に4回も修理させた水道がまたしても漏れているようなのだ。こんな状態では、客を入れてもクレームに悩まされ、信用を落とすことは目に見えている。早速、再度、水道屋を呼びつけるが、水道屋が工事をしている最中にも事態はどんどん悪化して行く。おまけに民族主義者が、外国人狩りをしようとホテルに押し掛けてくる始末。その上、誰も対応していないのに、おかしなことにいつの間にか4号室には、居留守 菅駄流という名の客が、5日前から宿泊していることになっており、先ほどまでなかったハズの記帳もされている。4号室の周囲の部屋では温度も上がっていると言う従業員もおり、別のスタッフも同道して2度も確認するが、他のスタッフは、特段の異常はない、と見解が分かれる。
 水漏れは更に激しく広範囲に広がり、最早収束の兆しさえ見えない。一方、外交の失敗によって、中国がオリンピックをボイコット、ホテルの予約客は4号室を除いて、電話で問い合わせがあっただけ、大半は中国人客なのである。だが、オリンピックをボイコットした中国から客が来てくれるのか、飛行機が飛ぶのかという心配もある。追い打ちを掛けるように国内では地震、火山の爆発、津波等によって作り掛けた競技場などの施設が大打撃を蒙りあと3日後に迫った開会式に間に合うとは到底思えない状況である。水漏れは益々酷く、4号室には異常が起こっていると思われ、スタッフが確認に赴く。外国人狩りをやっている組織の総長も渦中に飛び込むが、皆ほうほうの体で逃げ戻ってくる。その後ろからは、白い煙が、まるで人々を追い掛けるように迫っている。その濛々たる煙の中からぬっと現れたのは防護服で完全にガードした原発作業員、つまり白煙と見えたものは、放射性核種を含んだ排気だったのである。
 現在の推進派の主張通り原発を稼働し続ければ不可避的に起こるであろう第2の致命的核事故、それを言葉も満足に発音できないこの国のトップが推進しているグロテスクな事実。それらをおちょくりつつブラックに表現。ヘイトクライムを犯す単細胞連中をもその射程に収めつつ、今作が本当に撃っているのは、このような流れに知らんぷりを決め込んだ、沈黙の共犯者、我々自身である。
 実際、取り戻すのだとしたら、アジアの国である日本は、アメリカからこそ、取り戻さねばなるまい。
【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』

【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 中劇場(東京都)

2013/10/26 (土) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

アイデンティファイするということ
 アイデンティティーの探究と魂の救済を巡る物語。原作は、イプセンだ。但し、自分は無新論者なので、宗教的な死、救済、恐怖などは、総て宇宙の中に在る己の卑小を自覚した時の余りの恐ろしさに律然としたヒトが、その実存的虚無感から逃れる為に編み出した単なる方便に過ぎないと思ってはいるが。そう言ってしまっては身も蓋も無いから、少し、今作の内容を追いながら作家の想像力に付き合うとしよう。

ネタバレBOX

 先ず、ペール・ギュントは父譲りの大法螺吹き、大酒飲みのロクデナシとして登場する。母はできの悪い息子を嘆いてみせるが、見捨てているどころか、大変愛している。その母の愛にくるまれ、保護され乍ら、ギュントは皇帝になると公言し城を持つと嘯く。
 彼の望みは女性を通してやってくる。長者の娘に惚れられる。王女と結婚する等々だ。だが、彼は、本当に自分が愛する女性と故郷で出会い、彼女との間に純粋な愛を育みながら、自分探しの旅に出、武器の密売や人身売買でしこたま儲け、大金持ちの成功者になる。が、その財産を狙った若い女に数々の貢物を与えるなどという愚行もし、終には、地獄落ちがほぼ確実ということになる。唯一、救いの可能性は、彼の純愛にあった。出された謎に故郷の彼女がどう答えるか。その答え如何で彼は救われる。彼女は答える。彼の不在の間、ずっと彼女は彼を夢見、愛し続けたと。
 この答えが契機となって、彼は、新生を経験する。ギュントを演じた俳優が全裸になるのは、生まれ変わりを意味しよう。舞台上に設えられたアクリル製の直方体に入って胎児のような姿勢を取るのはその為だ。この直方体は子宮である。その際、先にダヴィンチの円の中の人間のように体を広げてから、小さく縮こまるのは、生まれ変わりの時間的逆転を意味すると解釈した。
 然し乍ら、今作のギュントでは、イマイチ主人公への収束感に欠ける点があるようだ。イプセンの原作を読んでいないので原作でどう描かれているかは分からないが、この舞台では、ギュントが自分自身を自分自身で客体化することは無論できていない。それが、できないから、様々な愚行を含めて、精神的にも空間的にも彷徨うわけだが、実は、彼はいつも孤独である。それは、己を己自身で客体化することはできないという事実に気付くことのできる地平に迄達していないからである。彼は、夢か現か分からぬ中で死に、神と話し故郷へ戻る。そして、置き去りにして来た恋人に逢うわけだ。恋人という他者と会って初めて自己を客体化し得たのである。この当たり前のことが、当たり前のこととして認識できない過程が矢張り長すぎるので、収束される感覚が遠のいているのだろう。
 また、大作主義的な作りは小劇場演劇を見慣れている自分には、やや冗長に感じられたが、舞台美術や照明、音響の用い方は流石に力量を感じさせる。殊に舞台奥に鏡のように設えられた巨大な反射板と床に敷き詰められた砂の効果は見事で、観客をハッとさせるようなシーンが何度もあった。韓国の劇団なので、役者の演技の上手さは無論のことだが、かなり大きな舞台で存在感を押し出すことに意を用いている点でも、出吐けのタイミング、動きの良さにもリズム感があって良い。惜しむらくは、翻訳が本当に直訳で文章が長いので、舞台上の演技をゆっくり楽しめなかった。もう少し意訳しても良かったのではないだろうか? また、字幕の位置が、上手の端一か所というのも観ずらい原因の一つであった。
nora(s)

nora(s)

shelf

アトリエ春風舎(東京都)

2013/10/25 (金) ~ 2013/10/31 (木)公演終了

満足度★★★★★

犀の如く独り歩む
 演出家、矢野氏のイマージュとしては、原作を一旦、分解してfragmentsにした上で、現在・ここに絡めて本質だけを再構成するという手法だ。それだけに緊迫感もあり、説得力もある。

ネタバレBOX

 韓国から来ている女優のハングルで開始された科白は、日本の女優の翻訳兼日本語に拠る掛け合いで重ね合わされ、初めて聞く、美しく身体化された言語の響き合いとして立ち現れる。ここでいう身体化された言語とは、肉体に言霊が、憑依することではない。寧ろ、溜めを作った上で、肉体そのものでも言語そのものでもない新たな次元に属する表現として、立ち現れた関係性を獲得した“実体”だ。
 実に、微妙で純粋な、謂わば太初の光だけで編まれた詩的実存とでも言ったらいいだろうか。こんな表現ができるのは、演出家が、既成の衣(習慣・風習・既存価値・概念等)を脱ぎ捨てることのできる役者だけを選んでいることと大いに関係がある。
 それは、冒頭述べた通り、古典を含め、評価の定まった作品を今、上演するに当たって、脚本家・演出家が先ず最初に考えるべき問題であろう。評価の定まった作品というものは、決して固定化されているということではない。常に新たな発見があるということである。つまり、その作品と出会う者にとって常に格闘の対象として立ち上がってくる“実体”なのである。そのような“実体”を演劇という媒体で表現する時、採り得べき形の一つが、それも有力な形の一つが、今回のような形であることを評者は信じる。なぜならば、この表現に斬新さが在るからである。この斬新さこそ、この作品創造に当たって、作る側の皆が、原型と格闘した証であるのだから。
 結果、今作は、現在、我々が此処で生き、暮らしている日常性そのものに対する鋭い問い掛けとして立ち上がって来た。多くの者が、現在、ここで、仮死或いは居眠り半分の意識しか持っていないように見える。政府、マスコミの情報操作を見抜けないことによる洗脳を意識することもない、体たらくである。謂わば、訓致されることに馴らされ、家畜として生かされていることに対する問題意識を失くせば失くすほどこの問題提起は、遠く見える。然し、眠りに就いた者も、ヴィヴィッドに生きていたいなら、目覚めなければならない。そして目覚める以上、よりよく生きたいではないか? その時、我々自身の価値基準・判断基準の根底を何処に置くのか? 
 ノラは、所謂、近代的自我が、社会の中で個人をアイデンティファイする際、目指すべき出発点を示した。そして、今作は、イプセンを借りて、再度、その切実な問いを発している。その問いに応えるのは我々自身の責務である。演劇という媒体であるから評者のいうような直接話法ではない。解釈は自由である。ただ、観る側も精神を裸にして相対すべき作品であることは確かだろう。
月刊小玉久仁子10月号「女心と秋の空」

月刊小玉久仁子10月号「女心と秋の空」

ホチキス

スタジオ空洞(東京都)

2013/10/22 (火) ~ 2013/10/27 (日)公演終了

満足度★★★★

村上氏と次も組んで!!
 TVを殆ど見ない自分にとっては、TV番組を元ネタに使ったギャグは、イマイチ笑いの瞬発力に欠ける。小玉さんには、方向性は異なるかも知れないが、深刻な時事ネタにもチャレンジして頂きたい。例えば、政府が推し進める、秘密保護法で何が最初に隠されるかをテーマに。原発推進派の嘘と米英仏を中心とした原子力ロビー、何より、F1事故後、避難したお母さん達が、何故、主人と別居してまで、子供達と遠くへ避難したか等々(一家族の複数の子供が事故後、鼻血を出すようになったとか体のあちこちに死斑のようなものが矢張り複数の子供に出たりという事実があったからだ。このような事実が多々報告されているにも拘わらず、推進派は安全神話だけを流す事実、腐りきったマスメディアの実態など)

ネタバレBOX

 ところで、第三話の村上 誠基氏の登場は目を瞠るものがあった。TV局のチーフプロデューサー役なのだが、通話相手を分けた、モバイル数台を用いて、部下からの報連相に応じ、出演者たちの売り込みと交渉・手配、段取り、ギャラ交渉、社長との連絡まで、一人で何役も小気味よくこなしてゆくのだが、間が絶妙、笑いの仕掛け方、スピード感、意外性など頗るつきに上手い。シナリオも実に巧み。演出も良い。ただ、二人になった時、少し、遠慮をしているような気がする。二人共に芸達者なので、もっと個性がぶつかると更に、観客にとっては面白い作品になりそうだ。
 

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