【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』 公演情報 BeSeTo演劇祭「【韓国】劇団ヨハンジャ『ペール・ギュント』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    アイデンティファイするということ
     アイデンティティーの探究と魂の救済を巡る物語。原作は、イプセンだ。但し、自分は無新論者なので、宗教的な死、救済、恐怖などは、総て宇宙の中に在る己の卑小を自覚した時の余りの恐ろしさに律然としたヒトが、その実存的虚無感から逃れる為に編み出した単なる方便に過ぎないと思ってはいるが。そう言ってしまっては身も蓋も無いから、少し、今作の内容を追いながら作家の想像力に付き合うとしよう。

    ネタバレBOX

     先ず、ペール・ギュントは父譲りの大法螺吹き、大酒飲みのロクデナシとして登場する。母はできの悪い息子を嘆いてみせるが、見捨てているどころか、大変愛している。その母の愛にくるまれ、保護され乍ら、ギュントは皇帝になると公言し城を持つと嘯く。
     彼の望みは女性を通してやってくる。長者の娘に惚れられる。王女と結婚する等々だ。だが、彼は、本当に自分が愛する女性と故郷で出会い、彼女との間に純粋な愛を育みながら、自分探しの旅に出、武器の密売や人身売買でしこたま儲け、大金持ちの成功者になる。が、その財産を狙った若い女に数々の貢物を与えるなどという愚行もし、終には、地獄落ちがほぼ確実ということになる。唯一、救いの可能性は、彼の純愛にあった。出された謎に故郷の彼女がどう答えるか。その答え如何で彼は救われる。彼女は答える。彼の不在の間、ずっと彼女は彼を夢見、愛し続けたと。
     この答えが契機となって、彼は、新生を経験する。ギュントを演じた俳優が全裸になるのは、生まれ変わりを意味しよう。舞台上に設えられたアクリル製の直方体に入って胎児のような姿勢を取るのはその為だ。この直方体は子宮である。その際、先にダヴィンチの円の中の人間のように体を広げてから、小さく縮こまるのは、生まれ変わりの時間的逆転を意味すると解釈した。
     然し乍ら、今作のギュントでは、イマイチ主人公への収束感に欠ける点があるようだ。イプセンの原作を読んでいないので原作でどう描かれているかは分からないが、この舞台では、ギュントが自分自身を自分自身で客体化することは無論できていない。それが、できないから、様々な愚行を含めて、精神的にも空間的にも彷徨うわけだが、実は、彼はいつも孤独である。それは、己を己自身で客体化することはできないという事実に気付くことのできる地平に迄達していないからである。彼は、夢か現か分からぬ中で死に、神と話し故郷へ戻る。そして、置き去りにして来た恋人に逢うわけだ。恋人という他者と会って初めて自己を客体化し得たのである。この当たり前のことが、当たり前のこととして認識できない過程が矢張り長すぎるので、収束される感覚が遠のいているのだろう。
     また、大作主義的な作りは小劇場演劇を見慣れている自分には、やや冗長に感じられたが、舞台美術や照明、音響の用い方は流石に力量を感じさせる。殊に舞台奥に鏡のように設えられた巨大な反射板と床に敷き詰められた砂の効果は見事で、観客をハッとさせるようなシーンが何度もあった。韓国の劇団なので、役者の演技の上手さは無論のことだが、かなり大きな舞台で存在感を押し出すことに意を用いている点でも、出吐けのタイミング、動きの良さにもリズム感があって良い。惜しむらくは、翻訳が本当に直訳で文章が長いので、舞台上の演技をゆっくり楽しめなかった。もう少し意訳しても良かったのではないだろうか? また、字幕の位置が、上手の端一か所というのも観ずらい原因の一つであった。

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    2013/10/30 01:31

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