ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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短篇集

短篇集

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2013/11/16 (土) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

チャレンジ
 休憩を挟んだ二部構成。詳しくはネタバレを見てちょ。

ネタバレBOX

 一部では古典落語を下敷きに舞台化したが、初めての試みということもあって、未だ研究の余地がありそうだ。間の取り方にしても、落語は、一人芝居に近い所があるとは言え、あくまで中心は喋りであるから、間が命、一方、演劇の場合は、身体に科白を如何に落とし込むかが眼目であるから間の取り方は自ずから異なる。観客との関係もあるから一概には言えないものの落語的な間にするのであれば、役者は一旦、俳優を捨てて落語家にコミットすべきであろうし、演劇の間にするなら落語家や話に出てくる、隠居、はっつあん、かかあ等々を演じなければならないが、落語の話として演ずるとなると、噺家とその話の中に出てくる登場人物の関係をどう処理するか、という問題が出てくるだろう。メタ化する必要が出てくることも考えられる。そうしないのであれば、完全に脚色して芝居として演ずるという方向も考えられる。第三の道は、このように悩む姿そのものをラディカルに描いてしまう方法だ。但し、第三の方法は侃々諤々の議論を呼び起こす可能性が大だ。が、観客が新しいもの、チャレンジングなもの、実験的なものを望んでいる場合には成功しそうだ。
 二部は通常の短編芝居だったが、こちらは、流石にこなれた演出、演技で実力をいかんなく発揮し、いつも通り、高い作品レベルを楽しませて頂いた。
 ところで、釈迦に説教ということになって恐縮ではあるが、我々、観客についてである。演劇は、微妙な芸術だ。観客の反応によって内容が影響を受ける。だから、演じる側が、新たなことにチャレンジしている時には、今迄の観劇経験をひとまず取っ払って、本質だけを基準に観たいのである。そうすれば、チャレンジしていることの内実が、見えてくるだろう。観客も常に、自らを更新し続けなければ演劇を真に楽しむことはできないように思う。
魔女たちのエチュード

魔女たちのエチュード

ライト・トラップ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2013/11/23 (土) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

様々な工夫があって楽しめる
 2部構成で間に10分間の休憩が入る。日替わりゲストがいて、本日拝見した回は、詩人であった。1部2部共に演劇というより言葉を中心にした綴れ織りにややユニセクシュアルな感覚のパフォーマンス、振付がつく。照明感覚は中々優れていて、登場人物達を非常に明度の低い状態に置いてシルエットで表現し、背景には青空に白い雲がぽっかり浮かんだようなホリゾントを加えるなど気が利いている。音楽の使い方も自分の好みに合った。

ネタバレBOX

 女性ばかりのグループなので現実に対する言葉のスタンスが、余りに他人を傷つけるような表現にはなっていない点も興味深い。攻撃が最大の防御であるなら、攻撃力の弱さが、魔女をジェンダーとして成立させたのかもしれない。とはいえ、西洋には、男性の魔も存在する。英語だとwitchが魔女で wizardが、魔法使いとでもなろうか。フランス語では sorcièreが魔女 sorcierが魔法使いで両性で呼称が異なるが、日本では性差による表現の相違は無いようだ。従って魔法使いと訳したのは便宜的なものである。
 深読みすれば、マジョリティーvsマイノリティー問題も透かし見ることが出来よう。ここではマイノリティーを弱者と位置付ける。そのマイノリティーが何らかの原因でマジョリティーから目をつけられた場合、マイノリティー集団は、その集団存続の為に、マイノリティーの中で最も弱い者乃至はマジョリティーの同意が得られるマイノリティー集団の中の誰かをスケープゴートとして差し出すことが考えられる。欧米の自立した個人主義の欠片すら存在しない植民地、日本で用いられる言葉に魔女に対応する男性形名詞が存在しないことは、この事実の例証足り得るかも知れない。
 一方、先に指摘したように女性達の言語表現の特徴が、他者を傷つけ過ぎない慮りにあるならば、何故、彼女たちは、そのような表現形式を選んだのかを問わねばなるまい。
 その答えとは恐らく、“命どぅ宝”である。琉球王であった尚氏の言と伝えられるこの言葉こそ彼女達の選択である。このようにして、女性は、命を孕み、産み、育むことによって未来を掴み、己のものとするのだ。戦って傷つく、或いは死ぬ男達と、未来を掴む女性達、どちらが最終的勝者であるか、問い直すべくもあるまい。魔女万歳 にゃ~~~~!!
死神様の言うことにゃ

死神様の言うことにゃ

JEWEL BEANS

上野ストアハウス(東京都)

2013/11/21 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★

世界はずっと深い そう思う
 Danse Macabreを意識したダンスなのだろうか? それとも、只、流行りの形式を取り入れたに過ぎないのか、演出家の意図は確認していないので分からないが、ヨーロッパ人に見せたら、当然、何故、骸骨の踊りにしないのか? という質問や、様々な社会的階層を表していないのか? という質問が飛び出して来たことだろう。演出家が意図的にDanse Macabreを用いたならば、余りにも基本的なこれらの質問には即答するハズである。文化の異なる日本で、このようにしたエクスキューズはあるかもしれないが。

ネタバレBOX

 こんなことを書いたのは、シナリオが余りに平板だからだ。問題意識も浅い。世の中との葛藤も感じられない。これだけ問題だらけの世の中に生きていて、常識の範囲で捉えた生き方だけを描いた所で劇作として成立すまい。
 作品から具体例を挙げよう。例えば長男、性同一性障害の問題を抱えているのだが、これを掘り下げるだけで大変に刺激的な作品が生まれるし、次男の放浪にしても、10年の放浪の内実は、途轍もない題材であるはずだ。その魂の痛ましさとして捉えても良かろうし、大公開時代に設定すれば素晴らしい冒険譚が書けるであろう。三男はデイトレイダーという設定になっているが、よほどの天才でない限り、いまどき、デイトレーダーを日本でやって成功するなど時代錯誤も甚だしい。また、引き籠り、と言った所で、パソコン設備を見れば、そのトレイダーとしての程度は知れよう。今時、女子でもパソコンでプログラムを組む子も珍しくは無い。余りに勉強不足である上、演劇的な物を見付ける嗅覚も弱いのではないかと思う。
 死神が現れて、余命を告げる、という馬鹿馬鹿しい設定が演劇として成立する為には、時代背景を動乱の時代に設定するなど、何が起こっても不思議でないという感覚が、観客の心理に自然に成立するような仕掛けも作らねばなるまい。(無論、それが、仕掛けだなどと、一般の観客に悟らせてはならない、が)この程度のことに作家も演出家も気付いていないとすれば、問題である。また用語解説では、アカシックレコードや世界樹について説明が為されているが、時間に一元化してしまうというのは如何か? 現代物理学の常識として時間と空間は一体であるという認識であると思うが。その辺りの意識を重層化した上でシナリオが書かれていない点でも平板の誹りは免れまい。
ペンション百万石

ペンション百万石

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

事件らしい事件起こらずとも演劇は成立するか
 山梨に在るペンション百万石は、ちょっと変わったペンションだ。天文台があるのである。というのも、このペンションを始めた2人が大学の天文部出身で、空気の澄んだこの地にペンションを立てた時に、自分達の趣味も取り入れ、こんな設計にしたのである。無論、星や宇宙に興味のある人々には、それだけで有名でもある。

ネタバレBOX

 現在は創業者2人の内1名が3年前に亡くなり、1人は、父が亡くなった為、家業を継いで現在ではホテル王と呼ばれる存在だ。だが、ペンション営業は現在もしている。亡くなった創業者の1人であったとおるの妻、花が切り盛りしているのである。花には、何くれとなく手伝いをしてくれる取り巻きがいる。
もう一つ、このペンションにはユニークな設備が整っている。FMのラジオ放送局があるのだ。DJは、2人。元暴走族のリーダーで、今でも一声掛ければ500人の元メンバーを集められると噂される一平、僧侶の丈助である。何でこの放送局ができたかというと、一平の妻、ミキが遠くの病院に入院した際、仕事を終えてから見舞いに出掛けることが不可能であった一平は、ラジオを通じて、妻に声を届けるということを始めたからである。その後、もう1人のパーソナリティーとして丈助が加わったというわけだ。
 そうは言っても順風満帆とばかりは行かないのは当然である。花の息子、裕也は東京へ出ていたが、戻ってきた。また東京へ戻るのか、或いは恋人候補のこずえに結婚を申し込む為か、何れともつかない。また、戻ってペンション経営を継ぐ、という目もあり得るのである。
 更に、一平の弟、順平は、こずえと結婚するのではないかとの噂があった。但し、これは事実無根であることが直ぐに分かる。
 こずえはそのスノーボードで国体に出場経験を持つスポーツウーマン。シンガーソングライターとして活躍する久美も久しぶりに故郷に戻り、仲間の集まる百万石に投宿、付き人のケンも一緒である。その他、アルバイトをしながらチャリンコで日本一周をしている太一。口では強がり言い、日本一周が目的でカッコイイと豪語するが、本当は、自分の生きて行くべき道を模索している若者である。順平は高校時代、学校を止める為に校長先生を殴って退学。浩介は、天文好きが高じて夜は星を観察する研究者だが、天文台のあるこのペンションの家族同然の常連。父は松山で新聞社を経営する。後継者問題が、彼にも振りかかって来た。浩介と広見との掛け合いは、広見が、実は実家を継いでホテル王となった男だけに迫真の演技である。
 百万石に出入りする人間のうち、花が唯一、星野さんと苗字で呼ぶ義郎は、花の再婚相手として選ばれたいのだが、ずっと待ち続けている。無論、花の方でも勘づいているからこその苗字呼びなのである。
 だが、花は、広見に惹かれ、広見も花を悪く思っていない。ただ、花はかつて共同で始めたペンションの共同経営者、とおるの妻だった女性である。
 適当に馬鹿馬鹿しい意地の張り合いや、照れたり、優しすぎて煮え切らなかったりの態度、そんな中で繰り広げられる女性心理や、男の立場などをきめ細やかに描き込む点に、この劇団の特色があるように思う。最も、難しい題材に取り組み続けるこの劇団をこれからも見守ってゆきたいものである。
 ところで、今作、事件らしい事件は何も起こらない。謂わば、日常風景を日常風景として描いた作品である。それだけに、非常に高度なレベルを保てなければ、演劇として成立し得ない。無論、それは、演技のみならず、演出、シナリオ、音響、照明などの用い方と効果、舞台美術など総てに亘ってである。最終部分で、綻び掛けたり、すれ違いになる危機を孕んでいた関係も総て丸く収めるのも王道とはいえ、この緻密で丁寧な作りなしには説得性を持たない。例えば、珈琲カップ一つ、客に出すにも、手伝いに来ている連中は、取っ手の向きを意識していないような置き方をし、花は、規則性のある置き方をするといったような細部にも、それは表れているのだ。
SPACE一休

SPACE一休

カプセル兵団

ワーサルシアター(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

3.12人災と秘密保護法成立への嘘 喝
 カプセル兵団が、2000年に旗揚げ公演をした時のシナリオが、今作の原典だという。13年の時を経て若書きでは書けなかった、登場人物達の内面の葛藤や、登場人物の各々が、今、そのように行動している原因や背景を掘り下げることを科し、実践して来た演劇経験を演出に活かして作り上げた作品だ。殺陣がスピーディーでパフォーマーとのコラボレーションも良く観て美しいと感じる。

ネタバレBOX

 また、宇宙を流離う物語の原イマージュを、恐らく「西遊記」に負っているであろうことも、シリアスに捉えればかなりシリアスな内容でもあり、3.12批判でもあり得る重さを軽減している。金角、銀角と悟空の戦いが、間の抜けた金角の失敗で頓挫し結局は、魔物の敗北で終わるシーンは、その為に入れてあるのだろう。
 但し秘密保護法で隠すことが間違いないF1人災被害詳細や、核関連施設関連問題を喩という形にしてはいるが、それとわかる形で表現していることは、重要である。そもそも、一休が贖罪の旅に出たのは、彼が破戒した魔光が、各惑星に落下、その地に住む者を汚染して、多くの者の命を奪い、生き残った者は何らかの疾患を持つ感染者となるか、魔物となってしまったことへのオトシマエであった。(この喩が、核を表象しているのは、誰が見ても明らかだろう。放射性核種の発する高エネルギーによって、生き物が死んだり、DNAを破戒されたり傷つけられたりして、生き残っても疾患を患い、或いは、突然変異を起こした体組織によって、怪物と言われるような異様な様に変化させられてしまうことを示しているのであるが、一休が、己の責任、と認めている通り、無論、人災である)然し、一休の戦いは、己の非を悟ったことにより戦いの為の戦いに疑問を生じさせ、帝国指令義光の下、人を滅ぼそうと戦い続けていることへの対抗勢力という目を持ってゆく。終には義光、一休、互いの哲学の相違、互いのレゾンデートルを賭けての戦いになる。片や、戦争マシーンとして片や仏法の最前衛主体として。一方、エンターテインメントとして楽しめる舞台になっているのも事実。
月闇の詩 ‐羽衣の調べ‐

月闇の詩 ‐羽衣の調べ‐

劇団 夢神楽

テアトルBONBON(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

骨太の良くできたシナリオ
 羽衣伝説を「竹取り物語」前史と位置づけている点が面白い。その因果関係を天の国と地の国の相克と見、政治・正史と愛や伝説の間にあるエクスキューズにメスを当てて切開して見せる、というかなり手の込んだ構造を持ったシナリオである。が、本線がずれておらず、しっかりした骨太のシナリオなので混乱・誤解を生む懸念も少ない。同時に、構造を観客に見抜かれたとて全然気に掛ける必要は無い。本質を衝いているからである。初日が終わった段階なので、ストーリーの詳細は書かない。(あとは観てちょ!)

ネタバレBOX

 政治という技術の持つ非人間性と権力者がそれを用いて唯一の親族と雖も、時には単なる駒として扱う非情を描いている点でも評価できる。描かれているのは神話的な時代と思しき時代ながら、深く現在を射抜くだけの力が、このシナリオにはある。殺陣、演技の質も悪くない。科白を噛む役者が何人か居たが、延びシロを感じるので、不問に付そう。但し、蜷川演出のように世界に出て行くだけの気概を持つのであれば、そんな甘えは許されないことは記しておく。同時に、今作の劇作家には、本質を見抜き、見抜いた本質をダイアローグで劇化する力が確かにあると記してもおく。予算の関係もあろう、小さな違和感が無いではないが(ex.衣装と履き物のギャップなど)それも、きちんと意識されてはいることが明らかなので、不問に付す。そう言えるのは、話が進むにつれて役者達の顔が、観客にとってどんどん良い物になってゆくだけの質を備えているからである。それだけの質を持つシナリオであり、演技・演出である。だから、細かいことは不問に付すのだ。蛇足だが、延びシロを感じるのである。今後も本質をピュアな観点から見つめ、表現すべきことを表現してゆける劇団であって欲しい。才能と華のある劇団であればこそ、この点は気をつけて欲しいのである。延びシロに期待して星は5つ。但し、油断めさるな。
さめザわ

さめザわ

張ち切れパンダ

サンモールスタジオ(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/20 (水)公演終了

満足度★★★

喜劇は難しいのだ
 リーフレットの説明文を読んだ時点でシナリオの出来には察しがついた。

ネタバレBOX

 申し訳ないが、喜劇を書く力は無い。先ず、現実とそれを観察した上で舞台化するハードルを甘く観ている。結果、今作には、太い筋が通っていない。つまり非論理が介在している。その非論理をメタレベルで笑い飛ばす構造化も為されておらず、これは作家の怠慢でなければ才能のはき違えだろう。喜劇は、悲劇に比べて遥かに難しいジャンルである。悲劇は、或る程度の才能がれば、誰でも書けるが、喜劇はそうではない。
 重複する点もあるが、以下、強調しておく。喜劇のコンセプトに対し、内容が矛盾しているシナリオで、その点を笑い飛ばす契機も盛り込まれていない。シナリオライターは、論理的に書くべきである。論理で徹底できないなら、作演が同一人物なのは良くない。作家の不備を指摘できる演出家を別に立てるべきであった。
 また、作演担当者は、喜劇の要諦を理解していないようにも思う。それは、箍を外すことにある。箍を外す為には、外される側の世界が過不足なくキチンと構成されている必要がある。舞台美術でそれを表現したつもりかも知れないが、物として物理的に存在しているだけで、物を通して語らせるレベルには達していないし、そうしようとの配慮も見られなかった。本質を掴み取れないなら、このジャンルには不向きである。個々の役者の中では、鮫沢役、女将さん役、大手スーパーの社員役が気に入った。何れにせよ、不備を補うことを余儀なくされたのは、役者陣である。役者陣に助けられた舞台であった。
 キーになる鮫沢の“死んだふり”は、1回目で? と思わせ、2回目で疑わせ、3回目で死んだふりの出来る特異体質を想定しなければ成り立たない、という医学的にはあり得ない想像をせざるをえなくさせるのだが、その鮫沢のエピソードを明らかにする大事なシーンで、唯一の友人であり、後、大手スーパーの社員になって、鮫沢の働くスーパー売却に関わっている人物の思い遣りを拒否した後の表情は頂けない。それは、如何ともし難い歪に過ぎないからである。これは、喜劇的手法には禁じ手であろう。何故なら歪は人生の深淵を映し出してしまうからである。使うならメタ化が必要だが、その論理構築力も無く、恐らくは、その必要性に気付いてもいないことが、シナリオを台無しにしている。契約書のシーンでもオリジナルは2部作成し、割印をして各々の当事者が1部づつ持つのは、当たり前過ぎることなのだが、この辺りもネグレクトして、その向こう側にフォローがない。重層化が足りないので、喜劇では無く、中途半端な作り物になってしまったのである。重々、考察されたし。以上のような理由から、星は、シナリオ・演出は1.5、役者の演技が大分助けてくれたので総合で3にした。
 批判してばかりではなく、褒めるべき点では、さめザわのザの、、が4つ振ってあって、鮫の鰓部分を表現するなど、細かい笑いに関してであった。このような笑いは確かに隋所にあったのである。但し、本質を捉える力が弱い点に関してはくどくど述べた通り。んひゃ~~~~!

多和田葉子+高瀬アキ『魔の山』

多和田葉子+高瀬アキ『魔の山』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/11/17 (日) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

第12回秋のカバレット
 今年12回目を迎えた秋のカバレット。多和田 葉子と高瀬 アキのコラボレーションだが、シアターXの宝と言われる演目の一つだ。何より表現する者としての2人が、毎年ベルリンから戻り、日本での公演を楽しみながら演じていることが、素晴らしい。

ネタバレBOX

 良いか悪いかの判断は、兎も角、長い間男性優位社会が続いて来た極東の小国で、主でない分、自由で在り得た女性、それも現住地は海外の、という点でも彼女らの自己実現への渇きは、ヨーロッパ女性のそれより、現在強いかも知れない。当人達が構えていようがいまいが日本だけで暮らす多くの女性より身体感覚としてそのことに自覚的であろうとは思う。またヨーロッパの言語を日常の言葉として用いる為には、日本語でそうするより遥かに、己の態度、社会的位置を自問し続けなければならないのも事実だろう。これは、社会的にそうであるということよりも、言語構造が責任主体を常に明確に表現する以上、必然である。自分は、ドイツ語は全然出来ないので、詳しいことは分からないが、少なくともフランス語ではそうであるし、英語でもフランス語ほど明晰とは言えない迄も日本語より遥かに責任主体は言語構造上問われるのはお分かりだろう。
 一方、マイノリティーとして海外で暮らす際の様々な心象風景がある。3.12以降のF1人災事故に対するドイツ人の合理的問い掛けに、日本の核開発上のプロパガンダについては詳細を知らずに「愛国的」になる彼女達が居る。その半面、自らの置かれている状況そのものを遊んでしまう女性の頗る的に健全な精神的強さがある。
 こういった内外での生活体験前提の下、解釈されたトーマス・マンの「魔の山」は、刺激的かつ興味深い舞台であった。因みに中曽根 康弘が、改進党時代に日本で初めて、原子力利用に道をつける為の法案を成立させ予算を組んだことには、触れられている。その表現はデフォルメされ、揶揄され乍ら、危険性を告知してもいるわけだ。
 更にシアターXの公演では、公演終了後にアフターミーティングが催され、演じた者達と観客の質疑応答などがある。これも双方に効果を齎している。演者は直に観客の反応を聞き、観客は、不明な点、感想などを自由に述べることが出来るからである。このような試みを続けてきたこと、続けていることが、この劇場の質、演目の質、観客の質、演者の質と前衛性を培っているのである。
ここには映画館があった

ここには映画館があった

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2013/11/15 (金) ~ 2013/11/26 (火)公演終了

満足度★★★★

映画を通して日米関係を見る
 映画好きには堪えられない内容に沖縄の現実を重ね、以て日本全土の沖縄化をも示唆、米国の植民地、日本を照射している点は流石である。

ネタバレBOX

 話は1976年に日本で公開された映画を中心に、映画大好き少女3人組と地元の映写技師を中心に進む。少女のうちの1人が、応募した原稿で賞を取り、その事が報じられた結果、沖縄に住む、ピーターという人物とペンフレンドになったことで、沖縄は、もう一方の極になる仕掛けだ。
 坂手氏自身が映画少年だったということで、鏤められた映画情報は、見事なものである。また、日本という国を見る際、沖縄からの視点で見ると実にハッキリその正体が見えるという事実も指摘しておきたい。観客諸子も良くご存じの通り、坂手作品には沖縄を扱った作品が実に多いのは、作家自身の表現する者としての立ち位置が、本質を見通すことのできる所にあるということであろう。1995年の少女拉致・輪姦事件という最低最悪の凶悪事件に於いてすら、植民地日本は、起訴に至らない限り、関与の明らかな犯人引き渡しが請求できないという日米地位協定の差別そのものの規定によって実行犯3人が引き渡されなかった件以来、島ぐるみ闘争が激化する中で、日本政府が取った態度は民主主義を標榜する独立国のものでは無論ない。寧ろ、近代以前の封建制だろう。江戸時代であれば、幕末を除き、それでも独立国の体裁は保っていたのだが。
 私見によれば、それもこれも、益々、力を増してくる中国と勢いを盛り返しつつあるロシアを睨んで日本をアメリカの前線基地とする為のステップである。つまり、沖縄の現況が、全国レベルで展開されるということだ。秘密保護法、日本版NSC、その先には国家安全保障法案概要で示されたように、憲法改悪等しなくとも集団的自衛権が行使できる体制構築がある。また日本版CIAとして諜報機関新設も公言されているのだ。こんなもので、自分だけは安全だなどと考える国民が居たとしたら、そいつはホントにお目出度い、としか言いようがない。イマジネーションの欠落をおぞましい迄に露呈しているからである。
 何れにせよ、映画の楽しさも含めて、日米の関係が良く分かる作品になっている。
某日快晴ワレ告白セリ

某日快晴ワレ告白セリ

タッタタ探検組合

ザ・ポケット(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

傑作 対絶べし観る
 オープニング、映像用の幕が準備されると、揺らいだ画面に最初に現れるのは、雲に関する表現。その後、学校時代、誰の脳裏にも印象的なシーンのパーツや切り取られたシーンが映し出されて、思わず自分の学校時代に呼び戻されてしまう。巧みな導入部だ。

ネタバレBOX

 有田のクラス2年2組には、転校生遠山がやって来た。博多からの転校である。中々可愛らしいこともあって、クラス中の人気者になるが、クラスの女子が、入部を勧めたり親切のつもりで色々誘いを掛けたのを断ったのが、きっかけで苛めが始まる。テニス部部長の橋本は、新聞部部長の逸見に好かれていることを悪用して、校内の情報を操作し、人気など全然なかった学級委員を既に生徒会長に就任させた実績を持つ。対立候補に関する悪評を流したのである。それも、小部数の新聞を、口が軽く噂好きな連中にこっそり渡し、噂を広めさせるという巧妙な手口で。結果は歴然たるもので、全然、人気の無かった学級委員が生徒会会長になった。その手法を今回も使った。おまけに、クラスで、露骨な苛めを開始する。恰も、自分達も噂を通じて遠山の素情を知ったとでもいうような顔をして。
 一方、偶々、書いた詩を音読していた有田は、遠山に詩を聞かれてしまう。中々詩才に富んだ作品だったので、彼女の気に入られる。また、遠山は飛行機雲が好きで、良く窓外を眺めたりもしていたので、当然、屋上へも良く上がってきた。有田は天文部の部長(と言っても部員は彼だけなのだが)なので、屋上へは矢張り天体望遠鏡を持って良く上がっていた。そんなこんなで、有田と遠山は親しくなった。其処へ、苛めである。有田もクラスの不良達からパシリとして使われ苛められてきたのだが、彼女への思いが、彼を強くし、我慢をしてやり過ごすという生き方を変えさせた。彼は、彼女を庇い、苛めている連中に注意をしたのである。不良の方でも、遠山に思いを寄せていたので、腰巾着が、お膳立てした、彼女に取り入るチャンスを奪われて切れ、有田を殴る。その場は、スケ番の風格を持つ真鍋に止められてそのまま収まったが、本当の喧嘩と妄想癖のある有田の妄想シーンとが、挟み込まれて笑いを誘う辺り、流石にタッタタ探検組合の作品である。
 場面転換がかなり多いので、暗転が結構あるのだが、ちょっと深読みすると面白い。この暗転に場面転換だけを見るのでなく、秘密保護法案を重ねて見るのでる。すると、暗転によって、見えなくされた情報を、当に暗闇の中で想像している近未来の我々の姿が映し出される。シミリとしては、直接の当てこすりが出てくるが、この暗転をメタファーと読むことによって不気味な我らの未来が暗闇によって照射されるのだ。闇が、逆にヴィジョンを見せるのである。
 物語は、更にエスカレートした苛めを巡り、有田が、心ならずも漏らした一言で遠山が深く傷ついてしまうことにも及ぶ。「可哀想」という言葉が、彼女の自尊心を深く傷つけてしまったのである。それは、彼が彼女を庇う過程で発した一言だったのだが。屋上で有田は、何とか彼女を元気づけようと詩を献上する。本好きでデリケートなメンタリティーを持つ彼女は、有田の心を理解し、何とか気持ちを収めてくれたが。彼女はまたもや転校することになってしまった。保健の先生が、そんな彼女が書いた25年後への手紙を預かり、英語の授業中に持ってくる。そして、未だ間に合うだろうからと言って彼女の出発したことを告げる。この時、英語教師は授業を邪魔したと怒って保健の先生や有田を押しとどめようとするが、体が小さく小心だと侮っていた有田が遠山を庇って自分達に歯向かって以来、苛めなくなっていた彼は、英語教師を止め有田は駅迄、生まれて初めての一所懸命さで走る。だが、彼女の出発を見送ることはできなかった。1年後、彼女は交通事故で亡くなる。その24年後、廃校の決まった母校に来た有田は、皆から集めた本物の手紙を隠し場所から取り出し、彼女の手紙の封を切る。其処には、彼女の感謝の言葉と彼への好意の言葉が書かれていた。ところで担任教師に渡した25年後の自分への手紙の中味は人数分の呪いの手紙であった。
『タガタリススムの、的、な。』

『タガタリススムの、的、な。』

舞台芸術集団 地下空港

ギャラリーSite(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

現実化するかも
 近未来に実際に起きそうな内容のSF。途中まで分かりにくいかも知れないが注意深く観ること。キーワードが一つ出てくると総ての謎が一瞬で氷解する。
(追記2013.11.17)

ネタバレBOX

 LCによって人格をコントロールしようという発想は、その原型をウォールマートとペンタゴンがタグを使って人々の行動を監視し、ペンタゴンは無論、軍事的ロジスティックに、ウォールマートは売り上げ増に利用しようとした経過を思い出させた。
 秘密保護法、日本版NSCが成立間近な中にあって、為政者共の考える民衆支配にこれ程合理的手法はあるまい。実際にこのような秘密研究が行われている可能性はある。そして、科学者という者は、自分の開発した新技術が例え危険な要素を含んでいるにせよ、それを実験してみないことには気が済まぬ好奇心と探求心、悪戯心に溢れた人種である。それなしに、科学研究が進歩することなどあり得まい。まして、国家を牛耳る為政者は圧倒的多数の民衆を何処か心の深い部分で恐怖しているのが常だろうから、民衆は縛り付けておきたいというのが、本音だろう。
 因みにLCと表記したのは、Liquid Computerのことである。これを頭の働きをサポートする為と偽って人々の体に注射器で挿入し、血流を利用して、脳の特定部位に装着、都合の悪いことは総て認識されないように記憶を作り変えたり、脳機能をコントロールして情報にアクセスできないよう、頭痛を起こさせる、吐き気を起こさせる等々、 任意の方法で邪魔をするのである。ナノテクノロジーとIT技術の進歩によって人体に簡単に埋め込むことのできる端末を開発することは可能だろう。それと通信技術を用いれば、SF的に聞こえるかも知れないこのようなことが、実現可能だと自分は考える。ITタグについてウォールマートとペンタゴンが組んだ事実は既に指摘した。彼らは、或る技術者の開発した離れた所からデータを読み取るアンテナ技術を入手しようと躍起になった。それを用いれば、スパイ衛星で埋め込まれた人物から情報を盗むことはいとも容易いからである。言っておくが、現在地球の回りを飛び回っている衛星のうち99%は、軍事目的であると信じている。気象衛星なども、実際軍事に有用なのである。こんなことは、軍事に少しでも関心のある者には常識中の常識に過ぎないが。
 物語は、世界1のシェアを誇るクルイドダイナミクスの派遣労働者Aが、Bを殺害した容疑者と目されることから始まった。フェイスブックに犯行予告が載っていた為である。犯行現場には、別の取材許可を得ていたTV局が入っており、特ダネとばかり実況中継をやり出した。これで事件は一躍、社会性を帯び、尾ヒレがついて大変な騒ぎに発展する。だが、Aの彼女、Cの勧めもあって二人は現場を逃げ出す。ネット社会の怖さで、彼の無実の訴えも中々届かない。逆に、真犯人の流す好い加減な嘘が、まことしやかに広がり“良いね”表示はウナギ登り。真犯人は一種のヒーローになってしまう。このような状況下、AとCは、カージャックをし、自分達の無罪を明かす為に、LCを作っているライバル企業、クマソシステムに乗り込む。彼らの持つ情報から、真犯人を割り出せないか? という可能性と、真犯人が、このライバル企業の社長と専務を殺害すると犯行声明を出していたから犯行現場に乗り込んで真犯人を見付け、自分の無罪を晴らそうという算段であった。拉致されたのは若い夫婦、買物に行く途中を拉致されたのだが、夫は、女装癖を持ち、株をやっていて、クルイドダイナミクスの株に殆ど全財産を投入していた。彼は、株価の損失を少なくする為には、2位の企業の社長、専務が殺害されることが、善であると算盤をはじいている。3人は、何とかクマソシステムのパーティーに潜り込むが。予告通りクマソシステムの2人は殺され、真犯人とAは対決することになる。真犯人は実父、Bは兄、父はLCの無謀なグレードアップの為にBを殺害、Aに罪をなすりつけていたのだ。最終的な答えはどうなったか? 想像して欲しい。
どんほい

どんほい

劇団娯楽天国

TACCS1179(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

幼馴染
 どんほいは、じゃんけんの時の掛け声だ。下町長屋感覚のエンターテインメント。

ネタバレBOX

 物語はだるま食堂裏手の空間で展開する。この空間に接するのは、他に銭湯と古本屋。家族同然の幼馴染ばかりの間で展開する日常の悲喜こもごもを笑いと人情で描く。役者達の歌が巧みで、掛け合いの面白さも洒落ている。ふっと洩らされる科白に深みもある。
海の見える街の探偵

海の見える街の探偵

82-party

劇場HOPE(東京都)

2013/11/14 (木) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★

青木 悠バージョンを拝見
 2つのバージョンは、随分異なるということなので、できれば2つのバージョンを観た上で書きたい所だが、標記バージョンを拝見。

ネタバレBOX

 ファーストシーンで奈落から女優が登場するのは新鮮。探偵たちの推理能力も、推理小説好きには、エクスキューズが必要かも知れぬがまずまず楽しめる。然し、身元が、元スパイの場合、一応、余り深入りし過ぎると死人が出る、と釘はさしているものの、矢張り軽い。探偵にしても、複雑な人生を歩んで来た者が多いように思うが。タイトルからしてロマンティックなので余りリアリティーに重さを置く必要は無いのかも知れぬが齢を重ねてくると矢張り軽重が気になる。
ご来場ありがとうございました!みきかせプロジェクト 「青天井ポップコーン」

ご来場ありがとうございました!みきかせプロジェクト 「青天井ポップコーン」

みきかせworks

ワーサルシアター(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

甘味バージョンを拝見
 科白が身体化されていて、見応えあり。

ネタバレBOX

 得体の知れないこと・ものに対するに、分からないという方法を用いて、分からないもの・ことは、分からないなりに、分からないから現れる諸々の反応を通して観せるという手法で作られていたのが、「なにかの部品」だ。作家が若い所為もあるだろうが、その不安に不安なまま形を与えている所に面白さと延び代を感じた。その空気感は当に今現在の日本に満ちている感覚であるという手応えを感じさせるものだったのだ。それ故にこそ、世界の中の日本のリアルな位置付けを、自らの頭で考えることのできない、外交音痴、ガラパゴス外交の日本人というものが出来上がっているのだろう。作品は、そういう我らの社会が持つ危うさをも表現していたかと観た。役者達の身体に落ちる言葉は、言葉自体として完成度の高さを感じさせ、思わず、上手いと感じさせる。
 「華燭」は船橋 聖一の小説作品をほぼ全文、読み上げる、という作品。イントネイション、間の取り方などに工夫がみられ、原作にあるシュールで奇妙な華燭の典の雰囲気を醸し出していた。
僕の偉大なるアイザック・ニュートン

僕の偉大なるアイザック・ニュートン

feblaboプロデュース

駅前劇場(東京都)

2013/11/13 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

狂気の時代
 距離の問題を様々な人間関係とシンクロさせて描いている点が良い。未来を失った個々人が“我々”を取り戻す試みでもあるだろう。

ネタバレBOX

 安倍のような知恵遅れ、そう言って悪ければ幼稚な精神が言う「トリモロス」では無いことに注意願いたい。奴がやっていることは取り殺すことである。誠に阿保は救いようが無い。あ、ちょっと逸れた。
 だが、奴らがやっていることが、我々の未来を奪っているのだ。そして、未来を奪われた者には、絶望以外に何も残らない。それが何を意味するかは普通の知能を持つ者には明らかであるが、脳味噌の入っていない連中にはとんと合点がゆかぬらしい。ところで、今、演劇人の多くがこの思考停止状態を何とかする為、天才というキャラクターを必要としているのではないだろうか? 社会学的に統計を出しているわけではないが、時代に対して敏感な感性を持つ人々の多くが、天才という名のヒーローを待望しているのかも知れぬ。そう思うのだ。
 今作にも天才と綽名される秀和が登場し、米軍のデータベースにアクセスして核爆弾の設計図を入手する。然も、それは、当初、ポルノアニメという擬態で発見されたのだ。カモフラージュである。アメリカは、ハッカーがテロリストだと決めつけ、戦争を始めたわけだ。それで、東京にもミサイルが撃ち込まれ、銃砲撃の音も絶えないのである。
 彼の「恋人」、ミリナの名にもmilitaryやmilitiaの略mil.が含まれていると考えると分かり易い。核兵器の設計図なのだから、現時点で武器の頂点であり、核戦略体制とは、核によって総ての兵器が、ローテクレベルの通常兵器として安定することではなく、逆に総ての兵器が核兵器の破壊力に近づく体制であることを認識しておくのは、当然のことなのである。米ソのデタント以降、核兵器・核弾頭の数こそ、減ってはいるものの、未だ我々が、狂気の時代を生きていることに変わりない。アメリカの犬共(安倍、石破、竹中平蔵等々)が推進する原発路線はその狂気の植民地バージョンなのである。現実がこのような状態であり、秘密保護法は好い加減に可決されそうな状況で、実際、どんな未来が我々に在り得るというのか? そんなものが一切ないのは、沖縄密約が、アメリカの公式文書で発表された後でもシラを切り続けた官僚・政府を見れば明らかなことだろう。言っておくが、これは現行法でこの状態だったのである。
 さて、話を本作に戻そう。超人が、もう1人登場するのだ。けんじである。彼は不死身でその進化の速度も凄まじい。それに、秀和ほどではないが、コンピューターのハードに関しては秀和以上かも知れない能力を秘めている。核戦争後に生き残った、恐らく唯一のヒトである。宇宙に滞在していた香帆は、戻って来たが、残留放射性核種の発する放射線の影響で永く持つはずはない。ということは、生存可能性のあるヒトとその遺産としては、けんじとミリナ、後は潜水艦の乗組員くらいだろう。何れにせよ、通常の人間は、浴びる放射線の為に長生きできないのは無論のことである。
従って、ガイアで生きて働くのは、けんじとミリアのちぐはぐコンビ、新生ならざるアダムとイブだ。
 このようなSF仕立ての中に、サム、美幸の幼馴染という関係、お兄ちゃんと香帆兄妹の保護・被保護を巡る軋轢、佐々木 舞と中村 舞の親友関係、秀和、ミリナの絶対現実化し得ない恋などが鏤められて人間的な次元に話を纏めている。殊に、秀和、ミリナの恋語りの中でディスプレイ1枚の隔たりが無限の距離、次元の相違を意味して、2人が直接触れ合うことも叶わず、互いの手をディスプレイに当てて思いを交換するシーンなどは、頗る美しい。
ろくでなしコーラス

ろくでなしコーラス

気晴らしBOYZ

笹塚ファクトリー(東京都)

2013/11/12 (火) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★

名曲 ろくでなし
 序盤、選曲などの好みがちょっと自分とは異なって違和感のようなものを感じたが、中・終盤に掛けては盛り上がって楽しめた。この辺り、序盤で観客を引きずり込むような演出があると更に面白くなろう。とはいえ“Le mauvais garçon”を素直に名曲として聴けるだけの内容であった。

ネタバレBOX

 ママさんコーラスのメンバーの殆どが、食中毒を起こして入院。地区大会の日が間近だというのに練習もできない。こんな話を聞き込んだ閑古鳥が鳴くゲイバーのママ達。自分達が、ピンチヒッターで出演しよう、と決めた。店の売上も上向くだろうとの算段だ。早速、正規メンバーに話をし、申し込むことになったが、受付の段階で駄目と断られてしまう。理由は、大会の出場資格無しというものだ。大会は、お母さん8人以上のコーラスグループというコンセプトだったので、ゲイ、おかま等、本来の男性は出場資格が無いという明瞭なもの。然し、何とかこれを成功させたいのには、別に訳があった。7年前事故で他界した姉夫婦の娘を引き取り、面倒を見ていたのだが年頃になった娘は、授業参観やコンサートにセクシャルマイノリティーの叔父が、やってくるのを回りの目を気にして嫌がっていたのである。おまけに、叔父は自分の価値観中心に生きている人間だと誤解した為、しっくり行かなくなっていたのである。その姪が、もう直ぐドイツにピアノ留学してしまう。その前に、何とか誤解を解き、関係を修復しておいてやりたい、というのが、皆の願いだったのだ。
 ところで、このゲイバーには、400万円の借金を抱え、ヤクザに追い回されている者、子を産めない体に強いコンプレックスを持つニューハーフ、女装に興味を持つが、妻にバレることを恐れるサラリーマンなど訳ありというより社会的マイノリティーが集まってくる。そんな彼らに新たなツールができた。所謂インスタントメッセンジャーのおかま版である。従業員の一人はこれにハマり、新しい恋人をゲットした。参加申し込みは、行っているが、担当者は、頑として受け付けない。そんな折、出掛けた申し込み会場に現れた局長が、実は、新たな恋人であったことから、急遽、参加可能という話になる。さて、本番当日、会場入りしてから最後のリハーサルをしようとした所、メンバーが2人足りない。大騒ぎになって失踪者を探すことになった。1人は、元歌のお兄さん、●HKの「お母さんといっしょ」のコーナーに出ていたがスキャンダルで失脚、以来TVに映されることに恐怖感を持っていたのである。更には借金塗れ君は、ヤクザに拉致されていた。だが、この件もゲイバーママの活躍や、居直りで何とか片付いた。ママは、事の序にヤクザ達に耳打ちをしていたが、本番開始直前、会場には、姪が現れ、皆の伴奏をすることになった。“ろくでなし”はここで歌われる。
地球の軌道をグイッと 【ご来場ありがとうございました!!次回は2014年5月吉祥寺シアターです。】

地球の軌道をグイッと 【ご来場ありがとうございました!!次回は2014年5月吉祥寺シアターです。】

ぬいぐるみハンター

小劇場 楽園(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★

苛立たしさ
 IQ200の天才が、飛び級で大学に入学。ワンダーフォーゲル部に入ったが、ワンゲル部には4年に1度エベレストにチャレンジするという伝統があった。在学中に1度は行ける、という配慮からである。然し、天才が足を挫いて泣き止まず、結局、飛行機に乗り遅れて、この計画はポシャッてしまった。だが、天才君、部費を元手で起業を提案。社員はワンゲル部員達だ。

ネタバレBOX

 起業には成功し、莫大な富を手に入れたが、彼はサイバーテロを仕掛ける、と言い出す。その為にこそ、起業したのだと。今迄にヒトが為してきたことの非を散々言って来たのだが、結局、誰も何も改めようとしない。このままではガイアは滅びてしまう、との危機感から、サイバー攻撃によって総ての機能を麻痺させるということを思いついたのだ。
 何でこういう作品が出て来たのかを考えた。矢張り、危機感と絶望だろう。実際、この「国」を見ていると完全に未来を失っているとしか思えない。未来を失った人間にできることは、総て虚しいと考えざるを得ないという事実だけである。一切の例外なしに。自分達が成し遂げてきたこと、これから為そうと思っていたこと。それら総ては一つの例外もなく、虚無に到達する。このような世界観に直ぐ手の届く所に、今、この「国」の我々は居る。その苛立ちだ。
 演劇的には、もう一工夫欲しい所であるが、以上のような主張には大いに共感する。
Parallel /パラレル

Parallel /パラレル

劇団フルタ丸

「劇」小劇場(東京都)

2013/11/07 (木) ~ 2013/11/11 (月)公演終了

満足度★★★★

演出の巧み
 舞台上には、同じ室内が2つセットされている。その双方でパラレルな部分とズレが、同じキャラクターという設定の下、異なる役者によって演じ分けられる。因みに、その動作は鏡に映ったように右と左が反対になったりはするが、「基本的には」同じである。基本的に同じであることは、その先も同じであることを保証しない。時には、選択、非選択の差異に因って結果も異なる。舞台上では、実際の役者がそれを演じている訳であるから、同じキャラクターを演じる双方が出会うことは、無論、可能であり、その程度のことは、シナリオに記されている。但し、出会いは、通常のドッペルゲンガーではないので、出会った時は、ドッペルゲンガーのパロディーとして顕在化する。知的に大切な部分は、ほぼ、以上である。

韓国現代戯曲連続上演

韓国現代戯曲連続上演

韓国現代戯曲連続上演実行委員会

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/11/06 (水) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

何れも頗る個性的で面白い
 清水 邦夫さんの言葉に、台本というのは寝ている状態だ、というのが、あるらしい。だとすると起こすのは演出家で、実際に起きて働かせるのが役者の仕事ということになりそうだ。こういう意味では1)「真夜中のテント劇場」2)「秋雨」3)「上船」何れも、シナリオライター、演出家、俳優の個性を出した成功作と観た。(追記2013.11.12)

ネタバレBOX

 1)は現在も続く韓国のテントスト。今作の説明では2008年から既に1800日を越える人もあるそうだ。日本と異なり、このような抗議行動は多いという。それもそうだろう。IMFに散々にされて以来の韓国経済は、そのグローバリゼイションの煽りを恐らく日本より酷く蒙ったであろうから。作家は、実際のテントスト実行者達を見て、今作を書いたという。その視座は、自分には、弱者に寄り添うものに見えた。作家はスト決行者の側に共感を寄せているのである。実際問題、テントスト決行中に亡くなった方々もあるというし、子供が、「お母さん行かないで」と言うのを振り切って行動に参加する母もあるという。未だ、社会責任という大義がきちんと社会に根付いているのであろう。
更に、彼らの抗議行動が実に爽やかに描かれている点にも着目したい。テントに使っていた布を飛行機に見立て、両側から煽って雲間を飛んでいるような爽快感を出している点などがその実例だ。眼下にたくさんの小さな灯を点してたくさんのテントを表すイマージュも美しい。それは、天の川の銀河とも照応する普遍性を示唆している。また、塔に立て籠もる人も居る。それらが、テント地の飛行装置で大空を駆けることによって齎される。アラビアンナイトの魔法の絨毯や孫悟空の觔斗雲をもイメージさせよう。
 2)は、ヌーベルバーグ以降、映画では多用されたフラッシュバック的な手法が用いられた作品なので、若いカップルの所作がそのヒントになっていることに気付かなければ、混乱してしまうかも知れない。最初の2~3分間で、この構造が示唆されるからである。
物語は、能の所作をベースに展開する、仮面が用いられる点では、能も朝鮮半島の伝統的芸能にもそのルーツを辿れるかも知れない。何れにせよ、幽玄の趣、生と死の間が今作のテーマである。少なくとも演出家はそのように読んでいる。執拗に繰り返される、「死んでゆくことと、死ぬこと、どちらが云々」という問い掛けは、無論、予め答えが出ている。死んでゆくことという表現が意味しているのは、少なくとも精神的には既に死んだ状態を意味しているのであり、死以外に救いが無い状態である。従って、答えはあっさり死ぬことがベターなのは分かり切ったことなのだ。では何故、童謡作家は、このような質問を繰り返したのか? それは、その問いの意味する所を訊かれた人々が瞬時に判断し得るか否か、判断したとして、それが、質問者の意を汲み取れているか否かを読み取ろうとした為であるように思われる。それが、アイロニーとして成立するならば、何がしかの復讐には成りえようから。彼を演じた神山 てんがいの澄んだ目と上品で威厳に満ち、然も優しさを感じさせるキャラクターを乞食同然に扱うことで、見事に人生のアイロニーを成立せしめた。盲となった妻、父の発表した童謡の印刷された本を大事に持ち歩く娘、二人は、其々春を鬻ぐ身とはなったが、未だ生きている。「死んでゆくことと、死ぬこと。どちらが・・・」答えの知れている質問を発する父は、自動車に撥ねられて亡くなった。轢き逃げ事件である。そして、犯人は、作品中に示唆されている。それは。是非、シナリオを読むなり再演を期待して欲しい。
ところで、自分の勝手な解釈では、この能をベースにした所作は、広島、長崎の被爆者、ひいては福島を中心とする3.12以降の被爆・被曝両者をもダブらせた。即ち、「死んでゆくことと、死ぬこと。どちらがいいですか?」
 3)「28年ぶりの約束を果たしに来た」と男は言う。舞台は港に近い屋台のおでん屋だ。男は、病院経営をしている医者。話相手になっているのは、屋台の女将。今は橋が掛かって誰も島とは言わなくなっている所に枝がひねこびたような松があった。その松を描いてやると娘は独特の笑い方をした。二人は恋に落ちた。そして反対された。子供が生まれたが、男は、その事実を知らずに都会の大学で医学部に通う身になっていた。「必ず、戻る」との約束通り男は戻ったのだが、娘の母に「娘は結婚して都市に住んでいる」と告げられ逢うことはできなかった。事実は、子供を凍死させるほど行き詰まった娘は、島の閉鎖系には居られなくなっただけだった。彼女は、噂を頼りに、都市部の大学を訪ね、彼を見掛ける。然し、声を掛けることはできなかった。自分の境遇と余りに異なる恋人の眩しい姿に後れをとったのだろうか。何れにせよ、双方とも、自己の最善を尽くしながら、目的を達することができなかった。28年が経っていた。新聞には、交通事故の記事が載っていた。亡くなったのは1人、病院経営の医師である。
 男と女(屋台の女将)は酒を酌み交わし、「もう行かなければならない」と汽笛を聴いた男は言う。あの世への船だ。二人こそ、かつての恋人であった。気付いて居ながら、露骨にはそれと言えない。だが、互いに気付いて居る。観ていて胸に迫る名演であった。殊に、女将を演じた洪 明花の演技は男の自分には胸に堪える演技であった。洪 明花の演技を受け、きちんと対応していたナギ ケイスケの渋さも光る。
【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2013/11/05 (火) ~ 2013/11/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

知的演出
Polyamoryを実践する多情という女性の生き方はMonoamoryが当たり前と考える社会で成立し得るのか? という問いが今作の基本テーマである。実際問題、異性と付き合うに当たって一人と付き合って自分の望む異性像の総てが満たされるということは殆ど無いだろう。あれば、奇跡だ。精神的な部分で相性が良くても、体力、年齢差、身体的相性など、総てが完璧などということは、完全に無いとは言えないだろうが、先ず無いと断言して構うまい。ということは、一見、どんなに不足が無いように見えるカップルでも、1つや2つの相違、行き違い等は、誰しも抱えているのに、総てが満たされるなどということは無い、と皆知っているから妥協しているだけ、というわけだ。

ネタバレBOX

 今作のタイトルは高麗時代に書かれた「多情哥」という有名な詩から取られている。作・演出のソン・ギウンは、謙遜して私的な世界と言っているが、これは、現代だけの問題ではなく、男女間にある普遍的な問題であるということができる。初演は2012年6月ソウル。
 作・演出のギウン本人が、彼役の役者が居るにもかかわらず、作品に登場したり、多情役の女優が二人居たり、多情という女性には、モデルが居て、その女性はホントに多くの男とリアルタイムで付き合っていたり、と。リアルな世界と舞台とが、舞台上で入れ子細工になるとても知的で面白い演出方法で、演劇手法に興味のある人には堪えられない舞台である。
 誰しも嫉妬などの生臭い関係を想起するシチュエイションを救っているのは、ギウンが、恰も社会学の研究者のように多情とその恋人達の関係を捉えようとすることによってである。例えば、factを表にした彼女と付き合う男達のデータ分析である。この表を見ることで、彼女と男達の付き合い方がパターンとして見えてくる。どろどろの関係が、抽象画の面持ちで現れてくるのだ。だが、この知的転換が、多情にとっては、ゲーム的で、対ギウンで愛憎半ばする原因であり、ギウンにとっての救いなのである。
 多情は本気である、と信じている。唯、心の動くままに愛し別れるのだ。だから、変わってゆくと。一方、ギウンは、その知的作業を自らの意識の地平で行う為に、破綻・発狂という事態を生じない限り、己のディメンションを超えることはない。(追記後送)

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