魔女たちのエチュード 公演情報 ライト・トラップ「魔女たちのエチュード」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    様々な工夫があって楽しめる
     2部構成で間に10分間の休憩が入る。日替わりゲストがいて、本日拝見した回は、詩人であった。1部2部共に演劇というより言葉を中心にした綴れ織りにややユニセクシュアルな感覚のパフォーマンス、振付がつく。照明感覚は中々優れていて、登場人物達を非常に明度の低い状態に置いてシルエットで表現し、背景には青空に白い雲がぽっかり浮かんだようなホリゾントを加えるなど気が利いている。音楽の使い方も自分の好みに合った。

    ネタバレBOX

     女性ばかりのグループなので現実に対する言葉のスタンスが、余りに他人を傷つけるような表現にはなっていない点も興味深い。攻撃が最大の防御であるなら、攻撃力の弱さが、魔女をジェンダーとして成立させたのかもしれない。とはいえ、西洋には、男性の魔も存在する。英語だとwitchが魔女で wizardが、魔法使いとでもなろうか。フランス語では sorcièreが魔女 sorcierが魔法使いで両性で呼称が異なるが、日本では性差による表現の相違は無いようだ。従って魔法使いと訳したのは便宜的なものである。
     深読みすれば、マジョリティーvsマイノリティー問題も透かし見ることが出来よう。ここではマイノリティーを弱者と位置付ける。そのマイノリティーが何らかの原因でマジョリティーから目をつけられた場合、マイノリティー集団は、その集団存続の為に、マイノリティーの中で最も弱い者乃至はマジョリティーの同意が得られるマイノリティー集団の中の誰かをスケープゴートとして差し出すことが考えられる。欧米の自立した個人主義の欠片すら存在しない植民地、日本で用いられる言葉に魔女に対応する男性形名詞が存在しないことは、この事実の例証足り得るかも知れない。
     一方、先に指摘したように女性達の言語表現の特徴が、他者を傷つけ過ぎない慮りにあるならば、何故、彼女たちは、そのような表現形式を選んだのかを問わねばなるまい。
     その答えとは恐らく、“命どぅ宝”である。琉球王であった尚氏の言と伝えられるこの言葉こそ彼女達の選択である。このようにして、女性は、命を孕み、産み、育むことによって未来を掴み、己のものとするのだ。戦って傷つく、或いは死ぬ男達と、未来を掴む女性達、どちらが最終的勝者であるか、問い直すべくもあるまい。魔女万歳 にゃ~~~~!!

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    2013/11/24 03:58

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  • 主宰・演出の蔵重です。感想ありがとうございます。

    この舞台で描いた風景はかなり抽象的です。
    なので、お客様に見えた風景は、それはお客様の中にあるものだと思っています。

    この作品から、マジョリティーvsマイノリティー問題までに想いをはせていただけて、うれしいかぎりです。
    これも魔女たちの魔法なのでしょうか?

    2013/11/24 06:35

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